オープニング
「船外温度下降! 降下速度の低下を確認!」
「反重力機関はどうなってやがる!?」
「駄目です! 依然、出力低下中! 完全に未知の惑星の重力圏に捉えられています!」
「……下の状況は!?」
「光学映像、回復します!」
粒子が乱れたモニターに映し出されたのは星明かりに照らされた大海原がどこまでも広がっている光景だった。
あれは、僅か数時間前の事だ。コロニーを襲ったヴォイドとの戦闘で被害を受けつつも、何とか可能な限りの民間人を収容し、しつこい敵を振り切ろうと切り札の反重力機関を全開にした。
次の瞬間、艦にいた全ての人間が、無重力ブロックにいた者も重力ブロックにいた者も等しく、落下とも浮遊ともつかぬ感覚を味わい、全ての計器がロストした。
計器が回復した時、ロッソはこの地球ではない惑星の大気圏に再突入を開始していた。
タイミングを同じくして、虎の子の反重力機関が突如として出力を低下させる。言うまでもなく、通常エンジンだけでは巨艦を軌道にもどすだけの推力がない。
改めて思い出せば散々な状況だが、海なら何とか無事に着水出来る。まだツキに見放されたわけじゃねえ――そう、自分に言い聞かせたラーゲルベックは煙草を咥えると、再び声を張り上げた。
「通常機関最大! 逆噴射でなるたけ着水の衝撃を減らせ!」
●降下
全長3kmに及ぶ巨大な鉄塊が、超高空から自由都市同盟・冒険都市リゼリオの沖合に降下する光景はクリムゾンウェストの大地のあらゆる場所で人々の眠りを妨げた。リゼリオからさほど遠くない、商人たちの威勢の良い声が飛び交う都市国家群で。
雪と荒野に覆われ、複数の部族が敵と戦い続ける北方の辺境で。
その辺境と境を接する、鉄が打たれ蒸気が舞い、兵士の鬨の声が響く軍事国家で。
長い歴史に裏打ちされた秩序と、神聖な聖地を擁するが故の荘厳さを誇る王国で。
国家の政に携わる人々から市井の人々までが、皆夜空に紅い尾を引いて落ちてゆくサルヴァトーレ・ロッソに見入った。
それが、『歪虚』の新たなる魔手ではないかと案じながら。
艦体が、むしろ不自然なほど静かに海上に着水した後も、却ってその静けさが人々の不安を掻き立てた。
そして、翌朝――その鉄の船が海上を移動してとある無人島――以前から歪虚が巣食っている島に接岸したという報告がもたらされたときは、各国で実際に対策が協議される事態となっていた。
●異邦人
「だから、そんなこと言っている場合じゃないんだ!」 リゼリオにあるハンターズソサエティの建物の一室に神薙の声が響いた。クロウは顔をしかめつつ。
「俺に言われても困る。ソサエティだって組織だ。迂闊な動きは避けるのが筋だろうよ」
「あの島の歪虚の勢力圏は広くはないけど、前のカナギみたいに、何も知らない人たちが襲われたらっ!」
ラキの叫びを聞く神薙の中でも焦燥だけが募っていく。折角地球に帰れるかもしれないのに、地球人に会えるかもしれないのに……!
「人の話は最後まで聞くモンだぜ? 確かにソサエティやリゼリオ、都市同盟がすぐに動くことはない。だが、ソサエティは高速船を一隻、『有志たち』に貸し出すとよ。表向きは試験航海。行き先や目的は一切関知しないという――」
「行くよっ! カナギっ!」
「あ、ああ!」
最後までクロウの話を聞かず、扉から飛び出していくラキ。慌ててそれを追おうとする神薙だったが――。
「待て。お前さんには他にやることがある」
その肩を、クロウが掴んだ。振り仰いだ神薙の必死の形相に苦笑を浮かべ、なだめる。
「……直に、各国も動き出す。その時、このリゼリオに集まってくるお偉いさんたちを説得してあの船の扱いを決めさせるのは、転移者であるお前にしかできない役目だ」
「……くっ」
そうクロウに諭された神薙は、静かに拳を握り締めた。クロウが片目をつぶり、続ける。
「島へは、お前の代わりに俺が行ってやる。任せておけ」
●異世界
ロッソの会議室で軍人が各種のデータを報告していた。「光学スペクトル分析による大気組成や一部の生物相までが地球と一致していますが座標や突入直前に記録された大陸の形状からもここが地球ではないことは間違いありません」
加えて、現在ロッソが停泊しているこの火山島らしき無人島から50kmほど先の大陸には明らかに文明らしきものが確認されていた。
このあまりの異常事態に艦長も含めて、浸水などで艦のシステムの一部が損傷し民間人が自由に艦から降りられる状況にある事に誰も頭が回らなかった。
噂は、伝わるもの。
艦の外が地球とほぼ同じ環境であり、取り敢えず安心らしいことが伝わると、人々の一部は外を目指す。
そんな、人々の流れをコロニー襲撃で全てを失い無気力になった民間人が無感動に眺める。
「あれ?」
と、一人の少女がエアロックに向かう途中で振り向く。気付いた少女はにっこりと笑った。
「そんなところにいないでさ。君もこっちにおいでよ!」