イメージノベル第一話(中篇)

「――即席の陣を組みます。ファリフは彼の前を、私が彼の後ろを。他の者達は離れてに展開し、早期索敵をお願いします。精神を研ぎ澄まして自然に耳を傾けるのです」

ヴィオラのはきはきとした通りのいい声に従い、一行は移動を開始した。皆が何事もなかったかのように進む中、神薙の顔色は段々と青くなりはじめていた。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったね。ごめんね、僕、ちょっとはしゃいじゃって……」 「あ……いや。俺の名前は……神薙。篠原神薙だよ。さっきは二人とも、助けてくれてありがとう」
「篠原神薙、ですか。どうやら自分の名前は忘れていないようですね。他に思い出した事はありませんか? 自分がどのような人間だったのか、どんな暮らしをしていたのか……」
「俺は……コロニーで暮らしてたと思う。別に特別な家の生まれじゃなかったかな。多分、普通の学生だったんだ。こんなファンタジックな事には縁もなかったし、そんな子供っぽい趣味でもなかったはず……」

つい先ほどまでは、ただの夢だと思っていた。だからこそ冷静でいられた。

篠原神薙という少年は、どちらかというと繊細で落ち着きのある性分だった。決して危険に対し鈍感であったり、昼行燈に呆けているなんて事はない。先ほどまでの様子は“どうせ夢だから”という大前提から来るものであって、ようやく正常に稼働を始めたこの冷静さこそ彼の本性であった。
「ころに……というのは聞き覚えがありませんが、なるほど、学生でしたか。特別訓練を受けたように見えませんでしたので、恐らくその類だろうとは思っていましたが」
「……なんか、すいません。期待されていたような伝説の救世主じゃなくて」
「救世主とは必ずしも武芸に秀でていなければならないわけではありませんよ。心が“光”を宿していればいいのです。……とはいえ、私の言い方が悪かったのかもしれませんね。学生、という言葉に深い意味はなかったのですが、気を悪くされたようであれば申し訳ありません」
「ヴィオラは言い方がちょっときついけど、いい人なんだよ! 辺境部族の僕達にも分け隔てなく接してくれたし、こうやって協力もしてくれたしね。まったくどこかの誰かさんとは大違いだよ」
「と、とにかく……記憶の混乱に関しては、私達では対処しかねます。やはりマテリアルの専門家に見せるのが一番でしょうね。無事に記憶が戻ると良いのですが」

二人が自分を気遣っている事をあえて理解しない程神薙は子供ではないし、女性にこうも助けられているのはどうかとは思うが、分不相応な暴走をする気もない。とりあえずは大人しくついていくのだが、わからない事もあった。
「さっきの狼……あれは一体なんだったんですか?」
「あれは“ヴォイド”の末端です。汚染された環境の影響で歪虚化してしまったのでしょう」
「僕達全員にとって、共通の“敵”だよ。あいつらさえ襲ってこなければ、僕達は……」

悔しげに呟くファリフが足を止めたのは、後ろから続いていた神薙の気配が止まったからだ。振り返ると少年は口元に手をやり、神妙な面持ちを浮かべている。
「ヴォイドだって……?」
「どうしたの、篠原君?」
「あ、いや……。俺の世界にも“敵”がいたんだ。俺は直接この目で見た事はないけど、恐ろしい敵だったらしい。それもやっぱり、ヴォイドって呼ばれていたんだ」
「同じ名前の敵……ですか?」

神薙は歩みを再開しつつ記憶を辿った。これは篠原神薙個人の記憶というよりは一般常識的なものだったからか、何の混乱もなく思い出す事が出来た。

“ヴォイド”……それは地球人類に侵攻してきた異星の怪物だと聞いている。古き良きSF映画にでも登場しそうな、実に古典的なエイリアンのような外見だったはずだ。その怪物との戦いは神薙にとっては遠い場所の出来事だったが、TV等で身近に伝え聞く事が出来た。
「俺の知ってるヴォイドと、さっきのやつは随分見た目が違ったんだけどね」
「リアルブルー側のヴォイド……というものが如何様な存在なのかは私達にはわかりません。ですがヴォイドは幾つかの“系統”を持ちます。外見や能力も様々で、先の狼のように原生生物が汚染され、歪虚化したようなものもいます」
「だからそういう、イカだかタコだかみたいなのもいるかもしれないね。僕は見た事ないけど」

二つの世界とそこに共通する“敵”の存在。それが何を意味するのか神薙にはわからなかったが、少なくとも彼の中にある猜疑心を煽る要素としては十分だった。

――そろそろ、いい加減気づいてもいいんじゃない? 自分自身が問答してくる。

ぴりぴりと肌で感じた危機。それを冷静に処理する“危機に慣れた人々”。ヴォイドと呼ばれる二つの敵。相変わらず戻らない記憶と、自分の趣味じゃない世界の設定。 これは夢じゃない。悪夢には間違いないが、それは妄想なんて生易しいものじゃない。あの狼が蒸発する時の何とも言えない生臭さや、握りしめたファリフの手の温もりは、脳が作り出した虚構にしてはあまりにもリアルだったから……。


「そろそろ小休止にしましょう。完全に日が暮れる前には森を抜けたいところですが、ペースが速すぎては篠原さんが持ちません……あ、いえ、その、変な意味ではなく……」
「わかってます。自分の息が上がってるのは、俺自身が一番わかってますから」

どさりと木の根元に腰を下ろす。そうだ、夢でこんなにくたびれるわけがあるか。こんなに汗だくになるわけがあるか。足を取る泥の感触も、ざらついた木の皮の感触も、もう幻なんかじゃない。
「足を引っ張ってしまってすみません……鎧を付けてる女性がピンピンしてるのに、情けない」
「私は一般的な女性とは鍛え方が違いますから。それに、状況を冷静に鑑みて己の力量不足をしっかりと受け止められるのなら、それは立派な事です。頼るべき時には大人を頼る……それも一つの誠実さです」

穏やかな笑みと共に差し出された皮の水筒。蓋の開け方がわからず困惑する神薙の前に腰を落とし、ヴィオラは蓋を開けた水筒を改めて差し出す。その仕草があんまり無駄なく綺麗だったので、思わず顔が赤くなってしまった。
「もぐもぐ……。あっ、篠原君、干し肉食べる?」
「あ、うん、いただきます」

無邪気に干し肉を齧るファリフの横でおこぼれを頂戴する。色々な動悸も収まってきた。森の中は濃すぎる緑の匂いと共に、人工的ではない少し湿った風が吹く。そんな自然、コロニーでは感じる事は出来なかったのに。これが万が一にもすべて空想だとしたら、なんと想像力豊かな事か……そんな風に苦笑を浮かべつつ、一気に水を呷った。
「ファリフ、これからの事について相談したいのですが。篠原さんの処遇についてですから、あなたの意見も聞かせてくれると助かります」
「これから篠原君をどうするのか、だね?」
「ええ。個人的には、辺境地域に居たままでは彼の安全を確保出来ないと考えています。無論、ファリフにも事情がある事は理解していますが、ここは帝国領に近すぎる」
「えっと……帝国というのは……?」
「多分、最も熱心にヴォイドと戦っている国だよ。彼らがいなかったら辺境も危ない。だけど彼らのやり方は過激すぎる! ヴォイドを倒しさえすれば、この世界がどうなってもいいと思ってるんだ! その強大さはわかるけど、僕は一緒に戦いたいなんて思えない。だから僕は個人的に信頼できる仲間を……星の友を探しているんだ」

今すべてを理解する必要はないと前置きをし、二人は帝国について語った。

この森は辺境と呼ばれる地域にあり、そこがヴォイドの制圧下に近い事。辺境を挟んでヴォイドと戦っているのが帝国と呼ばれる国であり、帝国はファリフにとってだけではなく、この世界の国々から見るとあまり好意的には受け止められない部分もある国家であるという事……。
「帝国の主張や理念を頭ごなしに否定するつもりはありません。しかし彼らの言動は時に利己的であり、他者の苦しみを厭わない。何より今問題なのは、その帝国が転移者を集めていて、集めた転移者を自分たちの為の兵力として利用しようとしていると、そのような噂が流れている事です」
「つまり、篠原君がもしも帝国に捕まったら、あいつらの悪巧みに利用されるかもしれないんだ」 「よくわからないけど、捕まったら危険だという事はわかったよ……」

二人が神薙を捜していた理由、それはヴォイドと帝国、転移者を渡してはならない存在が二つもあったからだ。そういった意味で二人の目的は完全に一致していた。
「ひとまず彼を安全な場所へ移動させるのが先決です。そして向かうのなら、人種の坩堝たる自由都市、リゼリオが最も安全かと」
「確かにあそこは完全中立だから帝国も迂闊に手は出せないか。うん……そうだね。まずはリゼリオに向かおう。篠原君がその後どうするかは、そこでゆっくり考えればいいよね」

ただ見ていただけの神薙にも、ヴィオラとファリフがそれぞれ別の勢力の出身である事はわかる。二人がお互いの所属元よりも自由都市の名を挙げたのは、そこがファリフの言うように中立だからなのだろう。色々と質問したい事もあったが、話の腰を折るのも気が引けたし、そもそもなんでもかんでも質問すればいいというものではないと、神薙は冷静に理解していた。
「しかし、恥ずかしながら私は辺境の地形については不勉強です。ファリフ、リゼリオへ安全に向かう為に妙案があれば賜りたいのですが……」
「“ゲート”を使えば早いんだけど、辺境にあるゲートは“ノアーラ・クンタウ”の中なんだ。ノアーラ・クンタウはさっき話した帝国が作った要塞だから、安全かと言うとちょっとね」
「となると、海路ですか。陸路はやはり帝国の都市を通過しますから」
「マギア砦なら部族側の協力も得られるし、比較的安全に船を出せると思う。ゲートに比べるとかなり時間かかっちゃうけど、背に腹は代えられないかな。丁度方向もあってるし、このまま案内するよ」
「そうでしたか。いえ、そうだろうと思って進んでいたのですが」
「……ヴィオラ、さっきこの辺について不勉強って言わなかったっけ?」

そんなやり取りを横目に苦笑する神薙。ともあれ当面の目的地は決まった。一行は森を抜け、辺境領に存在する“マギア砦”を目指す事になった。