イメージノベル第一話(後篇)

マギア砦に到着する頃にはすっかり日も暮れていた。闇の中に浮かんでいるマギア砦は神薙から見れば“薄暗い”印象だった。土、岩、木で作られたこの砦には、当然だが煌々と輝く白色灯なんてありはしない。光源は松明や焚火の炎で、夜の冷え込みから逃れるように神薙も炎に当たって縮こまっていた。
「こ、これがこっちの世界の建物なのか……」
「そうだよ? すごいでしょ! こんな立派な砦、辺境に二つとないよ!」
「……すごいね、色々な意味で……」

のちにこの誤解はあっさり解ける事になるのだが、神薙は辺境の光景をクリムゾンウェストの文明水準であると勘違いしていた。とても現代っ子が暮らしていける環境ではないというのは言うまでもないので、華奢な少年は一人でお先真っ暗な気分を味わっていた。
「ちょっと僕、話をつけてくるから。あんまり変な事しなければ怒られないと思うけど、この辺で大人しく待っててね!」

手を振りながらとっとこ走り去るファリフの背中に心細さが湧き上がる。ヴィオラもここでは勝手が違うのか、あまり居心地は良くなさそうだ。それもそのはず、先ほどから“部族”の皆様の視線はなかなかに鋭く突き刺さってくる。
「ここは帝国と関係ないんですよね……?」
「あまりそういう事を言うと、本当に怒らせてしまいますよ。尤も、この砦はこれでも部外者には開かれている場所だそうですから、早々危険な事は起こらないでしょうけれど」

マギア砦は辺境部族がヴォイドと戦って奪い返した一大拠点だ。それは彼らにとって勝利の希望、その象徴でもある。ただの砦という以上に、部族独自の力で歪虚を退けられると主張する人々にとっては重要な意味を持つ場所なのだ。
「だからこそ彼らはこの場所を堅く守っていますし、帝国の介入をより嫌っている筈です。私が聖堂戦士団の人間である事は一目瞭然ですが、篠原さんは異世界の服装ですし、その服装はどちらかというと帝国側の文化に近いものですから」 「それで睨まれてる気がするんですね……」
「お待たせー! 船は出してくれるって! 夜明けを待って出発しよう。とりあえず今日は砦に泊まっていくといいよ……って、どうしたの篠原君?」

戻ってきたファリフが首を傾げる。神薙は無言で青ざめた顔を横に振った。
「なんでもないよ、なんでも」
「……変なのー? まあいいや! 今日は疲れただろうし、おいしい物食べてぐっすり寝て、また明日から頑張ろうね! さあ、こっちだよ! 篠原君を見れば、みんな僕の“星の友”探しが順調だって事、わかってくれるだろうし。まさに一石二鳥だね!」
「なんか、ファリフってすごいのかすごくないのかよくわからないな……」
「彼女には彼女で色々と事情がありますから」

すったかたーんと砦に消え去るファリフを追いかけて一行は移動を開始した。温もりの傍を離れるのが名残惜しくしばらく炎に手をかざしていた神薙だったが、ふと部族の人々とは違う、異質な視線を感じとった。ゆっくりと振り返るが、そこにはただ闇があるだけだ。
「……誰か、そこにいるの?」

立ち上がって声をかけてみるが既に気配は消えていた。首を傾げる神薙に気づいたヴィオラが振り返り声をかける。 「どうかしましたか?」
「あ、いえ……。なんだか誰かに見られていたような気がして……」

今思えば、その視線はずっと自分にまとわりついていたような気がする。思い返せばそう、あの森の中から既に……誰かの気配が自分を捉えていたような……。
「……誰かの視線、ですか? 私は何も感じませんでしたが……」
「ヴィオラさんが気づかなかったなら、俺の気のせいだと思います」
「……そう、ですか。先に説明した通り、篠原さんは特別な立場に身を置いています。警戒しすぎるに越したことはありませんからね。気に留めておきましょう」

口元に手をやり思案するヴィオラ。しかしすぐに切り替えたのか、穏やかな笑みに変わった。
「しかし、ただの学生には少々無理を強いてしまいましたね。よくここまでついて来てくれました」
「いや……俺は何も。自分の事も何もわからないし、せめて迷惑をかけないようにしてるだけです」
「右も左も、ましてや後ろさえもわからない状況で、よく自分を保っている物です。嘆かず、惑わず、あなたは良く困難に立ち向かっています。もっと自信を持っても良いと思いますよ」

照れながら視線を逸らす神薙。その手を取り、ヴィオラは優しく語り掛ける。
「何が正しく、何が間違いなのか……その判断を下す為の過去さえないあなたに、私達のしている事を信じてもらうのは難しい事だと思います。ですがどうか……これだけは信じて欲しい。私達は、あなたの味方です。少なくとも……あなたの無事を祈っているという意味では。例え立場は違えども、私もファリフも同じ筈ですから」
「……ありがとう、ございます」

ヴィオラの手は日々の訓練で固められ、麗しい外見からは想像もつかない程ごつごつしていた。けれどとても暖かく力強い。この手は間違いなく生きている者の手だ。日々を努力と共に過ごし、己と誠実に向き合ってきた者の手だ。

それがわかるからこそ、彼女の優しい言葉が胸に響くからこそ、まだ心の底から彼女達を信じられないでいる自分の猜疑心が後ろめたく、気の利いた言葉の一つも出てこない自分が情けなかった。それでもヴィオラは目を逸らした彼にそれ以上無粋な言葉をかける事もなく、ただ砦へと誘うのであった。
「ちょっと、いつまでそこにいるの? 中の方が温かいよ、早くこっちにおいでよー!」
「ああ、うん。今行くよ!」

大きく手を振っているファリフに声を返す。 これから何が起こるのか。自分が何故ここにいるのか。何一つ、わからないままだけれど。

リアルブルーからの転移者、篠原神薙はその冒険の第一歩を踏み出した。

彼がこの世界においてどのような意味を持ち、そして何を決断するのか。

その答えを彼が知るのは、まだもう少し先の話である――。


篠原神薙_現代人の少年
わたりとおる

ファリフ・スコール_狂戦士の少女
わたりとおる

ヴィオラ・フルブライト_聖堂戦士団長
さなえ