イメージノベル第三話(4)


「ん……もう夜か……」

レストランでの騒動から数時間後。依頼で夜を明かした疲労もあり、神薙は自室で休息を取っていた。ベッドで横になっていたらいつの間にか眠ってしまっていたらしく、既に窓の外には夜の帳が降りていた。
「今日は色々な事があったな……」

寝直すにも中途半端な時間に目覚めてしまった。窓際に立ち、リゼリオの街を行き交う人の流れにぼんやりと視線を落とす神薙。と、そこへ上から声がかかった。
「よく眠れたようなのですね、カナギん」

驚いて視線を上げると、するするとロープでエルフの少女が降りてくる所であった。唖然とする神薙の目の前でくるりと回転しながら部屋に飛び込む少女。ラペリングに使ったロープを巻き取って鞄にねじ込むと、腰に手を当て笑みを作る。
「グラムーン……じゃ、ないんですよね。えっと……」
「あまり名乗るつもりはなかったのですがね。まあ既に素性を隠す事に意味はないわけですから、改めて。私の名はタングラム。帝国ユニオン“APV”にてユニオンリーダーを務めているのです。1グラム2グラム、タングラムと覚えると良いのですね!」

ケラケラと笑うタングラムだが、その目元は鋼鉄の仮面で隠されている。まだ寝ぼけている頭を掻きながら神薙はベッドに腰掛けた。
「帝国ユニオンの……だから帝国兵と揉めても問題なかったと?」
「ユニオンと帝国軍は不可侵ですからそういうわけでもないのですが、私は皇帝の個人的な友人でもあるのですね。皇帝は盟友と認めた人間には甘いので、あのくらいは大目に見るでしょう」

クロウやラキが安心していた理由を知り、しかし納得と同時になんとも言えないモヤモヤが浮かんでも来る。結局の所タングラムがいたからこそ大事には至らなかったが、そうでなければどうなっていたかもわからないのだから。
「さてさてカナギん、せっかくなので少しお話しに付き合って欲しいのですね。カナギんも色々気になっている事があるのではないですか?」

タングラムの誘いを受けた神薙はハンターズ・ソサエティから提供されているハンター向けの住居の屋上に足を運んでいた。遅れてやってきたタングラムはコーヒーの注がれたマグカップを手渡し、自らも口をつけながら手摺に背中を預ける。
「カナギん、帝国が嫌いになりましたか?」
「単刀直入ですね」
「回りくどいのは面倒な性格なのですね。しかし急に敬語になるとは寂しさがマッハなのです」
「ユニオンの偉い人だったわけですからね。それにかなり年上みたいだし」
「……辺境や王国がカナギんの転移を察知していたように、帝国もまた君の情報を察知していたのです。そして皇帝は信頼できる友人として、私に君の調査を依頼した」

ファリフやヴィオラと出会ったあの森の中、そこにタングラムも居合わせたのだ。尤も彼女は神薙の前に姿を見せず、遠巻きに様子を観察するに留め接触は控えたのだが。
「じゃあ、マギア砦で感じた視線は……?」
「これでもそれなりの疾影士なのですがね。あの時は驚いたものです。あそこから君達が帝国の目を避けて海路で移動している間、私はノアーラ・クンタウの転移装置でリゼリオに先回りしていたわけです」
「俺の行動は御見通しだったわけですか……」
「私が言うのもなんですが、帝国を避けたヴィオラやファリフの選択は正しかったのですね。帝国は強大な力を持つ軍事国家ですが、巨大であるが故にその隅々にまで目を行き渡らせる事が出来ない。だから昼間のようなチンピラまがいの奴らが出てきたりするのです」

あれが帝国の全体像だとは思わないが、ああいう者がいるのもまた事実。帝国が嫌いになったかと問われれば情報の不足で判断が出来ないと答えるが、それでも少年の中には何とも言えない後味の悪さが残っていた。
「“力”というのは厄介な物でして。それそのものに善悪などありはしないのに、持ち主の想いに染まって簡単に不条理を生み出してしまう。人は誰しも手にした力を使わずにはいられない。それが避けられない運命だと言うのなら、せめてその矛先は自らの意志で操りたい物です」

その言葉に昼間のラキを思い出す。ラキは言っていた。ハンターは皆守りたいものの為に戦っているのだと。平和を勝ち取る為に命を賭して戦っているのだ、と。
「タングラムさんは、何の為に力を使っているんです?」
「使う程力はないですがね。私はバトルタイプではないので」
「いや嘘吐け! 俺達が指輪探してる間に槍で大立ち回りしてただろ!」
「私は別に槍使いではないのですよ。槍は拾った。あれは知り合いの見様見真似です。クラスを修めてマテリアルの力を操れば、得物はあんまり関係なくなるです。まあそれはさて置き、理由ですか。私は簡単ですよ。“自分が楽しく生きる為”、です」

白い歯を見せ笑うタングラム。その言葉からは嫌味を感じられない。
「エルフと人とが共存出来ればいいなとか、歪虚をやっつけたいなとか、ハンターを育てたいなとか色々と理由はあるですが、結局は自分の為です。カナギんはどうですか? 依頼人の笑顔が見たい、仲間を守りたい……まあ色々とカッコイイ理由があるとは思うですが、それでカナギん本人は満足しているのですかね?」
「俺の為の理由……」

今日もまた自分の無力さに嫌気が差した。守りたいものなら日々増えていて、今日だってクロウやラキを、そしてあの店にいる人達皆を守りたかった。この世界に来て親しくなった人々。それを守りたいと思うのは、自分の居場所を守りたいと思うからなのかもしれない。
「君は精霊と契約を交わし力を得て、その力の使い方を、そして力が何を齎すのかを知った。そんな君がこれからどんな風にその力を使うのか……私はとっても興味があるのですね。勿論、その力でか弱い美少女であるタングラムちゃんを守ってくれてもバッチコイなのですね!」

頬に手を添えすすーっと神薙に近づくタングラム。だがそれをナチュラルにスルーし、顔を上げた神薙が思い浮かべたのは別の少女の顔であった。
「そういえばラキとちゃんと話をしてなかったな」
「がくーっ!? カナギん、まさかの他の女の話とは……なんというツワモノ」
「タングラムさんは強いんだから一人でも大丈夫でしょ」
「ガッデム! こんな事ならもっと非力さをアピールしておくのでした……おっ?」

二人が同時に空を見上げる数分前。別のハンター向け住居にある一室でラキは溜息を連発していた。昼間逃げるように神薙と別れてからというもの、もう何時間も飽きずに窓辺にひっついて陰気な声を垂れ流している。
「あぁ……うぅ……! あたし……何やってんだろうなぁ……!」

わかっていた。神薙が加速度的に成長している事。

わかっていた。自分はヴィオラやファリフ達とは違う、ただのハンターに過ぎないという事。

わかっていた。だからこそ、どうしたら良いのかわからずにもがいていた。

もう神薙に教えられる事の方が少なくなって。先輩なのに、彼に助けられる事も多くなって。別に悪気があったわけじゃない。ただいつもより少し依頼を難しくして、まだまだ神薙は自分と一緒でなければいけないのだと、そう思いたかっただけなのだ。
「だけど、もしも一歩間違えていたら……あたし……」

タングラムが助けに来なければ危なかったかもしれない。下手したら神薙を失う事になっていたかもしれない。皆が自分に託してくれた異世界からの希望。それを守れなかったとなれば、それこそ申し訳が立たないではないか。
「一生懸命……やってるんだけどな」

神薙はきっと自分の失敗を責めないだろう。彼は歳の割には達観していて、苦境も困難も受け入れてしまう。だからきっと……昼間の出来事のように、笑顔で一人で抱え込んでしまうだろう。
「頼られないのは……あたしがよわっちいから、だよね」

タングラムは――強い。

疾影士としてだけではない。そのふざけた言動は自信に裏打ちされたプライドに満ち溢れている。経験の差が……単純な力量だけではない。ただのハンターとユニオンリーダーという立場の違いもまた、これまでの積み重ねの差に他ならないのだから。
「あたしの周りには……凄い人が多すぎるよ」

ぽつりと呟きながらなんとなく見上げた空。その時である。

一瞬、夜を昼に塗り替える程の眩い光が空から降り注いだ。直後、一転して町は暗闇に飲み込まれた。月明かりを遮る巨大な何かが、リゼリオの上空に“出現”したからである。

巨大な物体の“転移”と通過はリゼリオの町に暴風と衝撃を齎した。よろけながら窓にしがみ付くラキの背後、自室に吹き込んだ風が花瓶を倒す音が鳴り響く。
「なに、あれ……? 紅い……方舟……!?」

窓から身を乗り出してその行方を追う。巨大な船はリゼリオを通過。海に向かって移動しているようだ。ラキはその後を追う為、ベッドに放られていた上着を手に取ると窓から勢いよく外へ飛び出した。
「……あたた……な、なんなのです!?」

屋上で倒れていたタングラムが顔を上げると、神薙もまた倒れたまま呆然と空を見上げていた。
「あれは……まさか……サルヴァトーレ・ロッソ!? どうしてこんな所に……!?」
「カナギん、知っているのですか? ていうか手がおっぱいを鷲掴みにしている件について」
「あっ、すいません! 気づきませんでした!」
「どういう意味だゴラァ!? それよりあれは……船……ですか?」

飛び起きた二人は視線でサルヴァトーレ・ロッソを追う。神薙もあれについて詳しいわけではないが、完成したというニュースはテレビで何度か目にした事があった。しかし何故突然異世界であるクリムゾンウェストに出現したのか、経緯がさっぱり理解できない。
「あれは俺の世界の船で、まだ出来たばかりで……!」
「まるで意味がわからんぞ? とりあえずお茶でも飲んで落ち着こう」
「そんな場合じゃないですよ! 俺、ちょっと行ってきます!」

慌てて走り去る神薙。タングラムは夜空を切り裂いて現れた巨大な流星を見つめ、マグカップに口をつける。
「……流石にこれは想定外ですね。異世界の舟……昨今の転移者の増大は、この予兆だったのでしょうか? しかし、なんにせよこれは……」

嘗てない程の大規模な転移である。そしてこの事件は瞬く間にクリムゾンウェスト中に響き渡るだろう。

王国も、帝国も、同盟も辺境もこの事態には必ず腰を上げる。世界が動く。歴史が動く。その渦中に篠原神薙という少年がいる事は、果たして偶然と呼べるのだろうか。
「――運命、なのかもしれませんね」

クリムゾンウェストで暮らす全ての人々の。

そして、この地に迷い込んだリアルブルーからの転移者達の。

それぞれの運命が今、ゆっくりと動き始めようとしていた――。


タングラム_仮面のエルフ
花詰真香