※本商品は「ファナティックブラッド」の本編とは異なるアナザーノベルであり、「ファナティックブラッド」ならびに他ゲームコンテンツでプレイングやキャラクター設定の参照元にすることはできませんのでご注意ください。
虹の丘で再び君と――

 暑気を孕んだ風にリンと鳴る風鈴。
 志鷹 都(ka1140)は手拭いを掛けた水桶を手に軒を仰いだ。
 冬の澄んだ色とも違う真っ白い雲が似合う濃い青空にひらひら揺れる風鈴の短冊は曾孫たちが描いてくれた「じいじ」と「ばあば」。
 若かい頃、祭りで買った風鈴は糸や短冊を何度か変えつつも夏が来るたびにずっと窓辺で揺れていてくれた。
 白粉花、槿、芙蓉、鉄線蓮――庭に夏の日差しに負けない色とりどりの花。
 凌霄花が作る日陰では水を張った大きな金盥で曾孫たちが水遊びをしている。
 それを孫がじいじが寝ているから静かにね、とたしなめていた。
 いつも通りの夏の風景。
「大丈夫。じいじも皆の声を聞くと元気になると言っていたから」
 都が声をかけるとばあばだ、と元気よく曾孫たちが手を振る。
 舞う飛沫が陽光を反射しきらきらと眩しい。
「西瓜冷やしているから後で食べようか」
 わぁい、と上がる幼子たちの歓声に笑顔で応えてから都は奥の部屋へと入って行く。
 そこは夫、志鷹 恭一(ka2487)の寝室だ。
 部屋の前に大きな木があり直接陽射しが入り込まないようになっている室内は少しだけ薄暗い。
「元気だな……」
「来年はもっと大きな盥を用意しないとね」
 都は桶を脇に置くと身体を起こそうとする夫に手を貸す。
 力強かった夫の腕は今は驚くほどに細い。
「起きても大丈夫?」
「今日はとても清々しいよ……」
「そう、良かった。これなら皆が遊びにきたときも大丈夫そうだね」
 夫の汗を拭いながら都は微笑む。広かった背中もだいぶ小さくなった。
 それでも都より全然広いのだが。
 不意に都の手が止まった。
「ど、うした?」
「お互いおじいちゃんとおばあちゃんになったなあって……」
 恭一の体には無数の傷跡がある。しかし今は皺もまけないほどだ。
 子供たちが幼かった頃には思いもしなかった。
 恭一がいて、子供たちがいて――幸せだったがいつも心の片隅から消えなかった別離の予感。

 だというのに……

 共に齢を重ねることができるなんて――

 年老いて体調を崩し寝ている時間が多くなった夫――医者であるからこそわかる、それは逃れられない終わりへ向かっていることが。
 でも、こうして看病できることはとても幸せだと思う。
 当たり前のように老いていくことができる事実が。
 穏やかな時間を二人で過ごすことができるのは。

 リン……リリン……

「ひょっとして我が家で一番の長老になるかもしれないなあ」
 風鈴の音に恭一が笑みを零す。
「私たちを見守ってくれていたように子供を孫を曾孫をそのまた子供も……ずっと見守ってくれているといいね」
 風鈴は今は会えない遠くの人に想いを届ける、でもきっとそれだけではない。
 遠くへ行ってしまった人の想いもこちらへ届けてくれたのだろうと都は思う。
 恭一の師匠の、都の両親たちの……。
 だから自分たちの想いもきっと――……。
「外に――」
 という恭一を都は支え縁側へと出る。
 恭一の体調の良い日にはこうして縁側で日向ぼっこしながら過ごしたりしていた。
 時に若い頃――ごくたまに都がまだ幼くお転婆だったころの失敗談なども話しながら。
 だが最近は寝たきりの日々が続き、寝室から外に出るのは久しぶりだ。
 遊びにきた子供たちの声が夫に元気をわけてくれたのだろう。

 縁側の柱に身を預け恭一はゆっくりと目を閉じた。
 サワサワと葉を茂らせた木。
 子供たちのはしゃぐ声。
 隣に妻の体温。
 自分はなんと穏やかな優しさに包まれてきたのだろう、と思う。
 その温もりを掌に閉じ込めるように手を握る。
 今の腕には大きいくらいの妻から贈られたモルダバイトのブレスレットが揺れて音を立てた。
 少し動きですら負担が大きい。
 もう二度と刀を握ることはできないであろう。

 師よ……

 風鈴の音色に合わせ心の中で語り掛ける。

 背負った業は、このまま自分が持っていきます。

 60歳のときに師匠から受け継いだ仕事は引退した。
 その道の弟子をとることもしないまま。
 代わり――というのもおかしいが剣術と柔術の師範として師匠から学んだ技を若者たちへ伝えてきた。
 もちろんごく一般的な技ばかりだが。
 数年前に本格的に体調を崩すまで、十数年あまり。
 そうやって形を変えて続いていくのもいいのではないかと思う。
 そう思えたのは――隣に座る都の手に重ねる己の手。
 家族や友人たちがいたから。何より都がずっと一緒にいてくれたから。

 なのに俺は……

 同じように齢を重ねた妻の手を指先で撫でる。
 皺が刻まれた手――長い間自分を繋ぎ止め支えてくれた愛しい手。
「も……しわ、なぃ」
「恭?」
「申し訳ない……と心底、ずっと――思って、いた……」
「どうして?」
「俺のせい、で……」
 都が医者を志したのも、辛い思いをたくさんしたのも――。
「ううん、それは違うよ」
 恭一の手に都がもう一方の手を重ねた。
「これは私が自分で選んだ道だから……」
 都の笑みには誇らしさと自信が混じっている。
 幼い頃と変わらないまっすぐな笑顔。
 じいじ、ばあば……久しぶりに起きている恭一に気付いた曾孫たちが濡れたまま駆け寄ってきた。
「沢山遊んだ? じゃあおやつの西瓜にしようか」
 都が袖をまくるとやったーと曾孫たちが喜んだ。
 一口、二口……口に含んだ西瓜はとても甘く、その瑞々しさは恭一の心のしみ込んでいく。

 数日後、恭一は床についていた。
「すこし  はしゃいでしまった、な……」
「皆に会ったのは久しぶりだものね」
 膝に恭一の頭を乗せた都がゆっくりと仰ぐ団扇から優しい風がおくられてくる。
 昨日、恭一と都の友人たちが遊びにきてくれたのだ。昔話に花が咲き、久々に恭一も長い事起きていた。
 とても楽しく、晴れやかな気持ちとはうらはらに体はいう事を聞いてくれず夜半から熱がでた。
「恭……」
 己の名を呼ぶ妻の声に重たい瞼をあけた。
「へや……くら、いな……」
 都の顔が霞んで見えない。
「明り、つけようか?」
 妻の背後、窓から見える木々の向こうに広がる深い深い真っ青な空。
 老いた目に滲んで眩しいほどの。
 師匠が旅立った日と同じ空だ、と伸ばそうとした手が上がらない。

 あぁ……

 来るべき時がきたのだ、と恭一は悟った。
「……俺は、地獄に  落ち、る  かな?」
 苦笑と共に零した言葉。
「私はどこへでもついていくよ……」
 穏やかなでも強い意志のこもった言葉。
「二人、で  ……」
 続けようとした言葉は途中でヒュウヒュウと呼気の漏れる音に。
 頬を包む温かく優しい手。
「独りにはしない……よ」
 それに安堵を覚えた恭一は目を閉じた。その温もりだけを感じていたくて。
「会えなくとも心はいつも傍にいるから……」
 都の声が恭一の内側に広がっていく。
 どれほどそうしていただろうか。
 うっすらと目を開くといつの間にか子供、孫、曾孫、友人たちが揃っている。
 大袈裟だな、と言葉の代わりに笑ってみせた。
「み、やこ……」
「なに?」
 頬に触れる髪、吐息、後頭部に感じる膝の温もりに妻を感じる。
「向こうで……待ってる……」
 短く息を吸ってから
「愛してる――」
 恭一の視界に映ったのは頷く都の姿。
 そして恭一の世界は静かに閉じた――。

 瞼を閉じた恭一の体が途端に重さをます。
 嫌と言うほどに知っている。
 それが死だ。
 もう二度と、恭一はその瞳を開くことはない。
「……ぁ」
 都の頬を涙が一筋伝い落ちる。
 泣くまいと堪えていた涙が次から次へと溢れ零れていく。
 ぽた、ぽた――涙が降る恭一の寝顔はとても穏やかであった。

 それから数年後、それはとても天気の良い日のこと。
 お母さん、おばあちゃん、ばあば、都――皆の呼ぶ声。

 恭に教えてあげ、ないと……
 私は最期まで幸せだったよ、と――……

 彼女の瞳を思わせる優しい木漏れ日の中。
 自宅で家族と親友に見守られながら都は眠りについた。


 都の視界に飛び込んできたのは空を覆う大きな木々。
 目を覚ましたのは暗い森の中だった。
 しとしとと積もった落ち葉を雨が濡らしてる。
「……ここは?」
 見覚えがあった。
 都がまだ実の両親と暮らしていた街の外れに広がる森のうんと深いところだ。
 薬草を探しに森に入り迷子になり恭一と出会った場所……。
 恭一が声をかけてくれるまでとても心細かったのを思い出し、迫ってくるような暗い森に不安を覚えた。
 都は記憶を頼りに森の中を歩きだす。
 途中、枝に引っかかりながらも歩き続けると森の終わりがみえてきた。
 木々の向こうは明るい光に満ちている。
「行こう……」
 都は歩みを早める。
 森を抜けた都を雨上がりの澄んだ青空が迎えてくれた。
 振り仰げは目に飛び込んでくる大きな虹。
「わぁ……」
 そうだ、あの時も恭一とともに森から帰る途中に大きな虹を見た……などと思っていたせいか「都」と懐かしい声。
「え……?」
 驚きで辺りを見渡す都の耳にもう一度――
「都……」
 今度ははっきりと呼ぶ声が。そして続くワフッ!という鳴き声。
 虹の大きなアーチの真下、大きな木が揺れる丘で恭一とぱたぱたと尻尾を振っている黒い豆柴。
 故郷を離れたばかりの若かりし都にとって相棒ともいえる存在だった梅丸。
 手を振る恭一の少しぎこちない笑みは再会して間もなくのよう――と、はたと気付く。恭一が20代後半の姿だということに。
 そして自身も20代前半の姿になっていることに。
 何が起きたのかわからない、わからないけど都は――
「恭!!」
 大きく手を振り、そして恭一へと駆けだす。
 涙で滲んだ視界にうつる恭一が腕を広げた。
 都は迷わずそこへ飛び込んだ。

 気付いたら恭一は大きな虹のかかる丘にいた。
 風に靡く緑、木漏れ日を揺らす木――子供たちが幼い頃よく家族と遊びに行った自然公園を思い出す風景だ。
 遠くに広がる森は故郷の森か――そんな不思議な光景を恭一は当たり前のように受け止めていた。
 自身の姿が若いことも――。
 木陰では紅い首飾りをした真っ黒い柴犬が昼寝をしている。
 その柴犬が恭一の気配に気づいて顔を上げた。
「……梅丸か」
 愛嬌のあるその顔に実際は会ったことがないというのに自然と名が出た。
 妻の大切な相棒だった黒の豆柴だ。
 そしてここがどこか理解する。
「なるほど……。では二人で都を待つとしようか」
 隣に座ると梅丸が当たり前のように恭一の足に顎を乗せた。
「でもあまりすぐには来てほしくはないな……」
 恭一の言葉に同意、と言わんばかりに梅丸が一回尻尾を振るう。
 自分の事や、都との思い出、家族の事――恭一が思い出したかのようにぽつぽつと話し、それを梅丸が聞く。
 たまに一緒に散歩したり。都に聞かれれば、男同士うまくやっていたさ、と言えるくらいには仲良くなったのではないかと思う。
 時間の流れが曖昧な場所だったからどれほどここで過ごしたかわからないが。
 ある日、丘の下に広がる森に雨が降るのが見えた。
 それはまるで幼い頃の恭一と都が出会った日のように。
 そして暫くして森から現れたのは――
「都……」
 懐かしい妻だ。自身と同じく若い頃の姿で。
 周囲を見渡している都の名前をもう一度呼ぶ。梅丸も。
 こちらに気付いた都に向けた笑顔は久しぶり過ぎてすこし硬かったかもしれない。
「恭……」
 もう聞くことができないのではないかと思っていた懐かしい声が恭一を呼ぶ。
 その緑の瞳に涙を浮かべながら駆けてくる都を両手で受け止め抱きしめる。
 細い腕が恭一の背に回された。
 抱きしめるときの腕の位置は互いに離れていても変わっていない。
 すると梅丸が二人の足元に前足をかけてくる。
「梅丸も……会いたかった」
 都が梅丸を抱きしめる。梅丸の尻尾は千切れんばかりだ。
「……約束……どおり……だね」
 目じりに浮かんだ涙が陽射しに煌めく。
 込み上げてくる愛しさで声が詰まった。
「……。あぁ、これからも一緒に――」
 恭一は都をもう一度抱きしめる。
 互いの温もりを感じながら。
 抱き合う二人の周りを嬉しそうに走り回る梅丸。
 そんな二人と一匹を虹が見守っていた。



━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
登┃場┃人┃物┃
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志鷹 都(ka1140)
志鷹 恭一(ka2487)


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご依頼ありがとうございます、桐崎です。

大切な最後の物語をおまかせいただき本当にありがとうございます。
お二人が幸せに過ごすことができたことがとても嬉しく思っております。

気になる点がございましたらお気軽にリテイクを申し付け下さい。
それでは失礼させて頂きます(礼)。

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発注者:キャラクター情報
アイコンイメージ
(ka1140)
副発注者(最大10名)
恭一(ka2487)
クリエイター:桐崎ふみお
商品:イベントノベル(パーティ)

納品日:2020/08/11 11:19