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【転臨】黄金の夜明け「メフィスト(人型)を討伐せよ」リプレイ

作戦1:メフィスト(人型)を討伐せよ リプレイ

メフィスト
メフィスト(kz0178
ヘクス・シャルシェレット
ヘクス・シャルシェレット(kz0015
瀬織 怜皇
瀬織 怜皇(ka0684
レイオス・アクアウォーカー
レイオス・アクアウォーカー(ka1990
米本 剛
米本 剛(ka0320
冬樹 文太
冬樹 文太(ka0124
アシェ?ル
アシェ?ル(ka2983
ソティス=アストライア
ソティス=アストライア(ka6538
雨音に微睡む玻璃草
雨音に微睡む玻璃草(ka4538
龍華 狼
龍華 狼(ka4940
キャリコ・ビューイ
キャリコ・ビューイ(ka5044
アルマ・A・エインズワース
アルマ・A・エインズワース(ka4901
Uisca Amhran
Uisca Amhran(ka0754
ヴィルマ・レーヴェシュタイン
ヴィルマ・レーヴェシュタイン(ka2549
ジャック・J・グリーヴ
ジャック・J・グリーヴ(ka1305
シガレット=ウナギパイ
シガレット=ウナギパイ(ka2884
リリティア・オルベール
リリティア・オルベール(ka3054
マリエル
マリエル(ka0116
岩井崎 旭
岩井崎 旭(ka0234
八島 陽
八島 陽(ka1442
カーミン・S・フィールズ
カーミン・S・フィールズ(ka1559
柏木 千春
柏木 千春(ka3061
仙堂 紫苑
仙堂 紫苑(ka5953
鞍馬 真
鞍馬 真(ka5819
フォークス
フォークス(ka0570
夜桜 奏音
夜桜 奏音(ka5754
誠堂 匠
誠堂 匠(ka2876

 好い、光景だ。グラズヘイム王国というモノに、かつて何者かが見たものが、そのままに在る。
 ――”彼”が、美しいと感じたからだろう。余分なものは何一つ無いこの世界は、ただただ、美しい。
 惜しむらくは、その場に立ち入った者たちがたちまち異物と化してしまうことか。
 騒々しさの元の一つが、王国軍の精鋭と、ハンターによる包囲陣だ。その中央に封ぜられた歪虚――巨大な蜘蛛を落雷と共に呼び出した"らしい"メフィストの堂々たる姿をヘクスは眺め見て、つくづく劇場型気質の歪虚らしいと、薄く笑う。
 ヘクスには、戦争、戦闘、戦場への好悪はない。彼にとって此処は、犠牲を払いながら整えた盤上にすぎないのだ。あとは、賽を投げるだけ。
 ただ、それだけだ。
「……滅びに抗う、ね」
 三年半前に発した言の葉の到達点が、此処だった。壮烈な負荷で満足には動かない身体で、もう一度周囲を見渡す。
 視界が、既に霞んできていた。十分に休んだ筈なのだが、どうにも上手くいかない。綱渡りの代償は、重い。
 ――もう、できることは無いのだ。それは、此処に至る前からわかっていたことだ。だから。
 託したよ、と。呟いたのだった。



 総勢五〇名。この場における、ヘクスを除いた戦闘員の数である。ハンターのほぼ全てが南側に配され、残る三辺を白の隊の最精鋭の騎士たちが薄く広がり、包囲を固めている。
 内部には、犇く子蜘蛛と、その中で悠然と立つメフィスト。その歪虚は、まっすぐに南側を見据えている。劣勢の中で、傲慢の歪虚は異形を歪め、嗤って見せた。
 ああ、これはまさに【傲慢】の所業と言えるだろう。包囲された上で、そいつはこう言ったのだ。
「さて、来ないのですか?」
 ――応答は、砲雷とも言うべき猛火によって示されることとなる。


 ハンターたちは包囲の優位を殺すことを選ばなかった。
 交錯を待たずに、魔術、機導術、銃撃、矢弓に手投弾が飛び荒れる。子蜘蛛たちの大きさに差があるように、その頑健さにも違いはあるだろう。耐えしのいだ子蜘蛛も、火焔を回避した子蜘蛛も、しかし続いて奔ってくる攻撃の波に潰され、削られていく。直線で穿つように放たれた氷柱が、暴威となって吹き荒ぶや否や、同列の七割近い敵が一挙に潰された。
「……ここを、一気に貫き、ます……!」
 瀬織 怜皇(ka0684)は【人型】対応の面々が通る道を押し開くべく、デルタレイを放つ。あちらには、彼の恋人もいるのだ。手を抜くつもりは、微塵もない。
 ――猛烈な掃射の威力を、子蜘蛛たちは支えきれなかった。そこに、前衛が切り込んでいく。
 生き残った最前の蜘蛛へと向かって疾駆するレイオス・アクアウォーカー(ka1990)は、眼前を見据えて犬歯を剥いた。
「へっ、まだまだ居るようで何よりだぜ! 倍返しにしてやるって決めてたからなあ!」
 潰された子蜘蛛の向こうから、黒波の如き蜘蛛の群れが迫ってきている。凄まじい物量だが、それに加えて各種の状態異常をもたらす敵と知っているが故に、侮れない。
「先手は抑えましたな!」
 言いながら、米本 剛(ka0320)は編み上げた法術をレイオスに施した。レイオスの手にする刀に光輝が宿る。子蜘蛛――ひいてはメフィストが光属性を不得手としているが故の一手だった。
 剛はそこで脚を止めた。突出すれば、後衛が各個撃破されるリスクもある。
 本来は攻守兼ねるのが旨としている剛であるが。全身全霊を賭けると決め、勝利を目指すならばそれこそが肝要、と自らに定めているのだった。
 たとえこの戦いが、友人の仇が相手なのだとしても。皆で、勝利を勝ち取るために。
 ――怪しいのは、見えへんなあ……。
 腰を落とし、背筋はやや丸めて、照星の向こうの子蜘蛛たちを眺めながら突撃銃の引き金を引く冬樹 文太(ka0124)は、殺到する子蜘蛛たちを撃ち抜きながら、遠方のメフィストを睨んだ。メフィストの扱う"術"の正体が、ただの魔法のような何かなのか、それとも種があるのかどうかが、気になっている。
 多量の銃弾を吐き出して、突撃していく前衛を援護しながらでも、戦場の動勢を睨むことぐらいは――と動向を見張るのは過日の悔恨を晴らすため、であった。
 できることは、果たしたかった。
 おそらく、メフィストはすぐに動く。それを、見極めるのだ。


 アシェ―ル(ka2983)は当初、その位置において奇異の目で見られていた。当然といえば当然で、彼女は騎士団が担う一辺に、"ハンターの中でただ一人"いたのである。
 この場における騎士たちの役目は、メフィストへの道を作ることとは異なる。継戦と戦線維持だ。
 その彼らの無事も、願ってしまったのだ。この心優しい少女は。
 武者鎧姿の魔術師の少女は、殺到してくる子蜘蛛たちを前に、悠然と歩を進めた。そして。
「逃げちゃだめ、恥ずかしくない恥ずかしくない恥ずかしくない恥ずかしくない恥ずかしくないんだからこれは正義……なんです多分きっと!」
 考え過ぎないこと。即ち思考放棄と共に、卍のような姿勢を取る。サイドチェストのようで少し、違う。
 端的に申し上げても、ダサい。少なくとも、うら若き乙女がするようなポーズではない。しかし、これこそが――。
「アブソリュート・ポーズ……!」
 福を呼び込め、と。恥ずかしさに耐えて放った決死のポージングはキマれば蜘蛛を弾き飛ばし、その特殊能力を根こそぎ奪う。
 ――筈、であった。
「って、え、あ、あれれ……っ!?」
 子蜘蛛は、止まらない。一部どころかただの一匹もである。ばかりか、まっすぐに最前列で奇っ怪なポージングをするアシェールへと殺到してくる。そも、かつて目撃された蜘蛛型が、知性的な行動をしたわけではないのだが――メフィストが作り出した存在に知性が無いはずがないという確信は、見事に足をすくわれた。
 賭けは。
「ええええええええ…………っ!」
 少女の悲鳴ごと、潰えたのであった。


 某所の混乱はさておき、ハンターたちが猛撃を重ねた直後に、それが来た。
『ヘクス・シャルシェレットを襲いなさい』
 昏い【強制】の波動が、人型のメフィストに立ち向かうハンターと騎士、全てを飲み込んだ。
 ――文太には、見えなかった。
 広範囲に及んだ権能の行使。それが、蜘蛛に由来するというメフィストの"糸"に由来するならば、何かしらの痕跡があるかもしれない。もしあるのならばそれは、打開の足がかりになる筈。
「……っ、」
 猟撃士の知覚を持ってしても、見えない。物理的に存在しない不可視の――それこそマテリアルによるものであるか、あるいは。
「存在しない、か……ってことやな。あー」
 せめてもの抵抗として、あかんわ、と。小さく呟くほか無かった。他の面々の安否を気にしながらも、文太は銃を構え"後方へ"と振り向いた。
「ちっ、このタイミングできおったか……!」
 眼前に魔法陣を展開し、召喚した炎狼に焼き払わせたソティス=アストライア(ka6538)の舌打ちが響く。出来る限りの備えの結果"賽の目"は良い方に転んだようだ。あの時点での【歌い手】の周囲はすでに人で溢れていたことから入り込む余地が無かったが、耐えることが出来たのはまさに僥倖だった。それにしても、無茶苦茶だ。個別への【強制】でもないのに、凄まじい重圧を感じた。
 これでは味方を【強制】から庇うこともできそうにない。
 だからこそ、今は敵を焼き殺す――と、ソティスは次の魔術を編まんとした、が。
 そこで、異変に気づいた。
 前方に居たハンターが、『おおよそ全て』、転進したさまに。
「……っ!」
 致命的な異変だとすぐに気づき、状況を確認し――絶句した。
 文太。キャリコ・ビューイ(ka5044)。雨音に微睡む玻璃草(ka4538)。剛、怜皇、レイオス、龍華 狼(ka4940)。南方で子蜘蛛に対応すると宣言していたほぼ全てが、ヘクスへと向かって疾走し始める。
 さらには。
「アルマ…………ッ!」
 その恐るべき火力で猛威を振るっていたアルマ・A・エインズワース(ka4901)までもが、ヘクスを狙って機導術を編み上げようとしていたのだ。
 すかさず懐を探って、ソティスは苦悶を零した。通信機が、無い。過大な装備重量が仇となり、その余力が無かった。
 ――これにより、正確な状況を各班が夫々に掴まねばならなくなる。


 人型のメフィストに対応するこの戦場に於いて、ただ二人だけ、であった。
 一人は、Uisca Amhran(ka0754)。
 Uiscaは戦闘が始まるやいなや想歌を謳い上げて『メフィスト』対応に集うた面々をマテリアルで包み込む。
 哀切はある。けれども、優しい、歌。
 ――……メフィストさんとの戦いで散った人たちの、想い。
 もう誰も死なせまいとする、決意の歌。それが、窮地を救った。
 アイデアル・ソングの有無ではない。この場においてそれを用意していたものは多かったのは事実だ。しかし、"初手"の【強制】を意識できたもの、それに備えることが出来たものは、殆ど居なかった。
 狙う戦場に位置してからの発動。それは、望ましいことだろう。なにせどれだけ戦闘が続くかは予期できないのだから。
 しかし、今回ばかりは彼女が正しかった。メフィストに突き立てる矛である対応班全て――彼らの多くが【強制】に備えて出来る限りの備えをしていたが――を覆い、十全に抵抗せしめたのだ。
「すまぬ、助かった……!」
 一瞬だけ体の支配を奪われかけたヴィルマ・レーヴェシュタイン(ka2549)に、「いえ」とUiscaは短く返す。もう二度と失わないために、ここにいる。出来る限りを果たすのは彼女にとっては至極当たり前のことだった。
 他方、備えがおくれたヴィルマとしては、悔いが残る結果だった。危うかった。アイデアル・ソングは重ねても無意味であるため使う意味は薄かったが、意識しているかどうかの違いが残る。
「どうするよ」
 短く、ジャック・J・グリーヴ(ka1305)。
「はっきりはわかんねぇが、前線は崩れかけで、敵は『アイツ』のトコに向かっている。目の前は空いちゃいるが……」
 即断が求められていた。ジャックは顎で掃射によって拓けた敵前線を示す。十二分の火力でメフィストまでの道を押し開いたが、それもいずれは周辺から補填される戦力にすぎない。有効支援火力が乏しければ、かつてベリト――メフィストが王都を襲撃した時の二の舞となる。しかし、前線を"再度"押し広げる機会をどれだけ待てばいい?
「行きましょう」
「そうだなァ」
 リリティア・オルベール(ka3054)の短い応答に、シガレット=ウナギパイ(ka2884)が煙草を吐き捨てつつ続いた。シガレットはそのまま、後方へと視線をやり、こう添えた。
「幸い、"アッチ"は無事そうだしなァ」


 少し、遡る。ヘクスの護衛についたものは五名。柏木 千春(ka3061)、岩井崎 旭(ka0234)、八島 陽(ka1442)、カーミン・S・フィールズ(ka1559)、マリエル(ka0116)である。
 彼らを黒い茨が包み込み、闇色の粒子となって、消えていく。
「ヘクスさん、まだ装備の余裕はありますか?」
 千春は法術を紡いで同行者の抵抗力を高めたうえで、ヘクスにケープを差し出した。この中で、攻撃に参加したのは矢弓を持つカーミンのみ。他はそれぞれにヘクスの周りを固めながら、ヘクスの脚に合わせて少しばかり後退を開始している。
 千春の気配りに、ヘクスはくすりと笑って辞した。
「や、ありがとう。けど、僕もそれなりに"物持ち"だからね」
 それもそうか、と千春は思い直す。茫漠な資金の持ち主だ。決戦場に、中途半端な装備で挑むこともないだろう。
 思い直したそこに、それが来た。
 メフィストが放った【強制】は、千春が紡いだ茨の加護すらも呑み込んで、一同を貫いた。
「……っ、ちは、る、ちゃ……!」
 マリエルの苦しげな声は、抵抗失敗の証。備えてはいたが、高位歪虚の暴威を確実に耐えるには至らなかった。
 ――だからこそ、"それ"は九死に一生というべきなのだ。
「糸電話なら糸を切る……と思ってたけど」
 機導術浄化デバイスをかざした陽は怪訝そうに首を傾げていた。蜘蛛の糸に由来する能力としてメフィストの各権能が存在するのであれば、浄化することで切り払おう、という腹積もりだった。
「どうやら、糸じゃないみたいだ」
 目論見は外れたが、結果としてはこれが奏功した。周囲一帯――【ヘクスの護衛】という戦場の絶対生命線を、まるごと救い上げた形になった。
「っし! 上等ゥ!」
 パン、と、軽い音で陽の二の腕を叩いた旭が、魔斧「モレク」を抱えながら快笑。目の前には、転進して全力で疾走してくる"ハンターたち"。いずれもこの戦場に立つだけの猛者たちばかりだ。
 だが。
「ここで勝たなきゃみんな揃ってあの世行きの大博打。なら、笑って明日の太陽を拝むとしようぜ、全員でさ!」
 斧を掲げて、言って、霊呪によって幻影の手を形勢。中衛――こちらからは最も近かった、猛突してくる剛を掴み取って動きを止めた。そうして、レイオスの方へと歩を進めていく。
 旭の位置から把握できたのは前衛である剛、レイオス、フィリア、狼、怜皇の5名。剛を留めた現状、あと四人。それにたいして此方は、五名全員が残存。形勢有利と言っていいだろう。
「ふっ飛ばしまくったおかげで子蜘蛛が少なかったのはよかったけど……んー。ハンター用の準備はしてないのよね……射ってもいいものかしら」
 カーミンは嘯くが、射ったところで止まる類のモノでもないのもまた事実。やはり旭にならって相対し、動きを止めたうえで聖導士の二人に頼るのが正道か。
「よいしょ、っと……!」
 こちらへと疾走しながら、ふわふわと笑うフィリアを抱きとめるようにして留めた。ヘクスを襲うという指示は、即ちそれを阻む障害を排除せよ――ということにはならないらしく、抵抗は乏しい。じたばたと身体を動かしながら、
「不思議ね、不思議なの。私、今は遊びたくてしかたないの! 雪解けの泥水を飲んだみたいに!」
「…………あ。貴方の場合それが正常なのね」
 一瞬【強制】のせいかと思ったが、そういう為人なのだと理解して、カーミンは息を吐く。
 瞬後のことだった。
「あ、……っ!」
 カーミンの背後から、声。それに合わせるように、凄まじい熱量が彼方から一瞬で到達した。光芒と化したマテリアルの熱線だと、遅れて気づく。つまりは、ハンターの紡いだ術だ。
 着弾と共に衝撃が大気を揺らす。光の行先よりも先に出元を辿る。見知った顔だ。アルマ。猛火の主は、呆然とした顔で此方を見ている。
 カーミンは振り向きそうになり、飲み込んだ。前から、他のハンターが突っ込んできている。後逸だけはさせられない。
「……すまない、白の隊! 援護を請う!」
 左方から、仙堂 紫苑(ka5953)の声が響いた。
 ハンターたちが掃射によって押し上げようとしていた前線そのものが消失した形だ。リカバリーに務めるにも、戦力補填は必須であった。その通信を受けてか――あるいは、状況を見て取ってか。即応するように、両翼から援護――あるいは抑えの為に騎士が動く。
 ぎ、と。奥歯を噛みしめる。強制からのリカバリーの依頼を出すにしたって、この戦場は、どうだ。
 南方に二十五人のハンター。騎士団は、その他三辺を担うべく薄く広がる形になっている。この上、こちらの火消しを任せるなど。紫苑の見立てが正しければ、間違いなく、犠牲者が出る。
「くそ……っ!」
 それを分かっていながらこちらを支えるべく動いた騎士たちに報いるべく、自らも走り、機導術を紡ごうとしている怜皇を留め、浄化を施すが。すでに多くのハンターが、南下していた。
 右辺側より、銃声。それはそのまま、緩やかながら距離を取ろうとするヘクスの足を縫い止めるように、着弾。文太の制圧射撃であった。
 攻撃手段故に――不幸中の幸いで――負傷には至りはしなかったが、状況は好転し得るはずもない。
 もし彼の制圧射撃が決まってしまえば、押し寄せる子蜘蛛とハンターたちを前に無防備な姿を晒すことになる。さらには射程のある者から一方的になぶられるのは、良くない。
「誰か、彼を止められるかしら!」
 子蜘蛛が来ない今の間に立て直しを図らなくてはならないが、眼前には、狼が突撃しようとしてきている。カーミンは片手にフィリアを抱えたまま、ヘクスと狼の間に身を晒し、短刀を抜いた。
 そこに。
「千春ちゃん……!」
 マリエルの痛切な絶叫が響いた。
――ヘクスの前に立った千春が、盾をかざしたまま立ち尽くしている。彼女が手にしたカイトシールド、彼女を包む全身鎧に、面当て。
「ヘ、……す、さ、……、」
 その全てが、奔った熱線に貫かれ、あるいは輻射熱に灼かれていた。滲む悪臭は、その内奥の凄惨さを雄弁に語っている。
「か、っ、……」
 気道まで熱が至ったか、満足に言葉を紡げず、呼吸も出来ず。熱で変生した傷で倒れることすら出来ずにいる千春は、それでも、笑ったようだった。
 瞬前にマリエルが施したアンチボディがなければ絶命に至っていたほどの一撃。すぐさまマリエルがフルリカバリーで治療を行おうとしたところで、その身体を、すぐそばにいたヘクスが抱きとめた。
「――彼女は僕が預かるよ。君は、”彼ら”を」
 時間が、無い。
 底辺の蜘蛛対応を担っていたハンターはおおよそ全壊している。子蜘蛛の不在は好材料だが、この状態のまま放置するわけには行かない。治療薬を使うヘクスを尻目に、マリエルは後ろ髪をひかれる思いと視線を振り切って、前へ。
 剛とレイオスを留める旭。カーミンはフィリアを捕らえ、狼を抑えようとしているが、それらを抜けてキャリコが銃ともって疾駆し、こちらへと向かおうとしている。
「一人は留めるよ」
「はい……っ!」
 同じく、陽がヘクスを背負う形で前進し、より攻撃の手が長いキャリコの前に身体を入れる。その中央へと駆け込んだマリエルは法術を編み上げ――すぐに、解き放つ。ピュリフィケーション。浄化の法術は、結界内に居た前衛ハンターたちを包み込み――奇跡的に、全員の【強制】の権能を解除するに至った。
 混乱、あるいは自責に駆られるハンターたちを他所に、マリエルは、自身がたち成した成果にもかかわらず、激しい動悸を覚えていた。
 ――急がなくちゃ、死ぬ。千春ちゃんが、死んじゃう。
 そういう戦場なのだと、痛切に理解した。その上で、優先順位を求められる戦場なのだと。すぐに振り返って、千春に十分な治療を行うことが出来たのはその二十秒後。千春が死なずにすんだのは【強制】の被害後の復帰が迅速に行えたこと、それに尽きた。
 もし子蜘蛛が此処に到達していたら。もし護衛メンバーが一人でも欠けていたら。
 ――ああ。この戦場は、脆くも崩れ去っていたことだろう。


「……ご機嫌じゃねえか、なァ!」
 ジャックは怒声と共に、ぐぐいとサイドチェストのポーズを取る。
「腹筋ッ! 胸筋ッ! 大腿四頭筋ンンンッ!」
 マテリアルの効果で光り輝く中、薔薇吹雪が舞い散り、ビニパン姿の漢――ジャックの幻影の歯が光りを放つ!!!
 ――しかし。
 なにも おこらなかった!
「……?」
 メフィストの抵抗を貫くことが出来ず、ただ豪勢にポージングをしただけのジャックをよそに、Uiscaの銃弾が傍らを撫でて、メフィスト周囲の子蜘蛛を穿つ。
 メフィストの周囲にはすでに子蜘蛛が増えつつある。殲滅の及ばなかった他の領域から、南側へと圧力を掛けようとしているかのように。
 その中でくつくつと嗤い続けるメフィストの元まで到達した【人型】対応の面々はそれぞれに得物をとり、先程の二の舞を避けるべく後衛に位置するものの中ではヴィルマが、前衛を担うものの中では鞍馬 真(ka5819)が、それぞれに歌を紡ぐ。Uiscaの歌が勇壮な気配を含みだすと、戦場にさらなる華が添えられた。【強制】――あるいは【懲罰】に抗うための、清澄なるマテリアルの込められた合唱だった。
「ご機嫌? そうでもありませんよ。小癪な術を得たものだ、と腸が煮え返る思いです」
 歌声の中、相対するメフィストの声は変わらず愉悦を孕んだままだ。ジャックの余興が刺さったのかもしれないが――その視線が、巡る。
 ――やはり、覚えているみたいですね。
 身を撫でた気配、そこに滲んだ警戒に、リリティアは目を細めた。同様に、視線が留まったのはヴィルマ、そして真とUisca。傲慢の魔術王にとっては、この場において何が起こっているかなど明快に過ぎるのだろう。
 ――ヘクスさまを、お護りしたかったのですが。
 僅かな葛藤を抱いたUiscaであったが、人型に対応する以上は叶わぬ話であった。なにより。
「……分かっておるようじゃのう」
「ええ……」
 ヴィルマの警戒は、正しい。先程の【強制】は、アイデアルソングなどの援護無しでは確実な抵抗が果たせない。それゆえの惨状が、彼らの背後で広がっている。
 その中で、フォークス(ka0570)は目を細めてメフィストとその周囲を見渡していたが、かぶりを振った。
――やっぱり、糸らしいものはないネ。
 出処と思しき本体に近づいても、これだ。認めるほかない。この傲慢の権能には、暴けるタネなど無いのだ、と。負のマテリアルに由来する不可視のものであるならば、夜桜 奏音(ka5754)の結界で浄化され得る筈だが、何の反応もない。
 権能の出処を狙うにしても、その当てがない――即ち、ここからは真っ向からの潰し合いだということに、すでにうんざりしてきた。ああ、全く、ヘドが出る。
 フォークスの視界の中でまず、真とリリティア、誠堂 匠(ka2876)――そして奏音も行った。接近の勢いのまま、先手を取ったのは真。魔導剣を振るい闇属性の斬撃を放つが、やすやすと片手で受け止められた。
「随分と手応えに欠けますが?」
「ほざいてろ!」
 敵の反撃を懸念しての一撃だったため、その成果が大きく削がれた形になっている。至近からの嘲笑に、真は応じて即座に後退。
 真を中心に両翼に展開したリリティアと匠。二人はまず"見"に徹した。【懲罰】の気配は、ない。其れに足る一撃を待っている、と示す動きだ。後方で、奏音は符を展開。四方に貼られた六枚の符から、樹陣が成り、前衛を包んだ。
「ッ……っ!」
 それを待ってから、呼気と共に、フォークスの腕が霞む。一呼吸で三本の矢を同時に射った。真の傍らを抜ける形で違わず撃ち抜く。アイデアルソングを使用するUisca、ヴィルマを起点に立ち位置が規定されるため、射角を取るのは至難。それでも見事メフィストを撃ち抜いてみせたのは、猟撃士としての技量だろう。
「あわせる……ッ!」
 そこに、紫電が走った。ヴィルマの雷電の魔術がフォークスの矢を追うように走り、メフィストを撃ち抜く。
 ――どう、なる……?
 ヴィルマの緊張は、正しい。ともすれば【懲罰】一撃で吹き飛びかねない魔術師だ。対抗魔術の備えはあるが、確実ではない。
 しかし、【懲罰】は、こなかった。
「好材料だなァ」
「うむ……」
 同じ位置で治療に備えるシガレットの言葉に、頷く。
 鍵は、リリティアだ。かつての戦闘で恐るべき一撃を見せたがゆえに、【懲罰】が温存されていると見えた。
 その、証拠に。
「行きます」
 加減された匠の攻撃を待ってから、リリティアが斬撃を放つ。回避しようとするメフィストに食らいつきながら放たれたその一撃はしかし、大きく加減されたものだった。メフィストの左手と、リリティアが振るう神斬が絡む。
 すぐに、メフィストはその意図を察知したようだった。至近距離で、蜘蛛の顔に理解の気配が滲んだ。
「ふむ」
 そしてすぐに、罰は下された。ヴィルマの対抗魔術も、奏音の結界も、リリティアの高い抵抗も紙のごとく引き裂いて、リリティアの身を負のマテリアルが侵し、傷を成す。
「なるほど、芸を覚えましたか」
「……本来はそちらが、生業だったもので」
 傷の痛みに耐えながら、リリティアはUiscaの治療を受ける。威力を抑えているとはいえ、ダメージを与えなければ意味がない。それ故に、跳ね返ってくる痛みは耐えるほか、ない。全力の一撃を堪えることで、味方に攻機を作ることが出来るのだから。
「だとしたら、見世物としては三流以下ですね。ただのヒトの所業など、刺激に欠ける」
 しかしメフィストとて遠慮をする理由もない。後方へと跳躍し、片手を上げた。無論、その手を止める術をハンターたちは持たなかった。
 ある意味で、当然の帰結だ。ハンターたちがこれまでに突いてきた虚を、メフィストもまた覚えている。
 故に、メフィストは慎重だった。
 ハンターたちの動きを見てから動いたのは、何も彼が【傲慢】に連なるから、というわけではない。
「――ですので、悲鳴の一つ、折れた心の一つでも見せてご覧なさい」
 すぐに、それが来た。メフィストの片手から吹き上がった黒炎が前衛・後衛を共に呑み込んだ。

―・―

 現状の戦線は、アイデアルソングと奏音が敷設した結界に大きく規定されてしまう。前衛と後衛の距離は兎も角、前衛間、後衛間での散開が制限される。それ故に、範囲攻撃にさらされやすい構図となった。
 しかし、だ。
「備えてるぜェ、きっちりなァ」
 盾を掲げて凌いだシガレットは僅かに位置を整えて、治療を施した。味方の負傷を大きく、癒やしてみせる。全快とは言わないが、効率的な治療といえた。
 他方、奏音は後退しながら攻撃を加えたメフィストを見て、奥歯を噛み締める。
「やはり、一筋縄では行かないですね」
 メフィストの後退には、複数の意味があった。一つには、子蜘蛛が十分に存在する位置まで下がること。こちらは突出を強いられる形となり、後方の子蜘蛛対応が速やかに戦列を再形勢できなければ、こちらの被害が嵩むばかりとなる。
 二つには、奏音自身が敷いた結界の無効化である。場所を指定する"結界"である都合上、移動した先で貼り直さねばならなくなる。ただ移動するだけで手数が殺される。事実上、結界はおおよそ無効化されてしまう。
 備えなければ【強制】で蹂躙される恐れがある。しかし現状では子蜘蛛に囲まれ得る前衛を支える必要もまた、同じ。
 広範囲の【強制】でなく、単体への【強制】の脅威は残ったままだ。ソレに備える意味でも、結界を維持する利点は無視できない。
「……貴方だけは、許しません」
 奏音は、前を選んだ。再度結界を張ると、後方からヴィルマの炎球が届いた。先程と違う術式なのは、現状を評価した上でだろう。範囲火力を一人で担わせる形になってしまうが、託す。
 この場に居るモノたち全てが、奮戦している。
 けれど――戦線は、形勢不利。そう言わざるを得なかった。



 アルマを助けた騎士は、殺到する子蜘蛛に身を挺して呑まれて死んだ。
 頼む、と叫びながら。数多の子蜘蛛を巻き込むように、麻痺した身体を推して、手榴弾を用いて自爆した。
【強制】が解除されたアルマは、無言のまま子蜘蛛掃討に移った。
 ――続々と近づいてくる子蜘蛛を前に、アルマは傲然と顔を上げ続ける。
 遠さ故に、メフィストへの言葉も届かない。
 嗚呼、最悪の気分だ。ただでさえ、彼の『友たち』を穢した不届き者なのに。躓かされたまま、自分に出来ることはただ、敵を払うことだけ。
 当初の予定とも、随分と離れてしまった。
 切り拓いた戦場の維持を依頼していた白の隊騎士たちは、欠けたハンター全員分を――あるいはハンターたちの生命をも補填するべく奮戦した結果、精鋭が幾人も討たれた。引き換えに、かろうじて戦場が維持できていることが救いだった。だからこうして、炎の機導術で子蜘蛛を焼却することができる。
「……許さないですよー……」
 幽鬼のように呟いて、炎を撒き続けた。
 本体との合流を狙うキャリコであったが、蜘蛛の中を単独突入する余力はなく、アルマと同じ位置での戦闘を余儀なくされている。アルマの撃ち漏らしを銃撃で捌きながら、言う。
「押し上げられるか」
「一気には厳しい、ですね」
 紫苑としては、現状は苦い。後手の対応を厚くしたばかりに瓦解した。
 協力を要請した手前、此方の泥を被って甚大な被害を受けた騎士たちの存在が、心に響く。備えられない事態では無かった筈だった。
「距離が遠いです。キャリコさんが走り抜けるだけの直線距離を稼ぐ火力は、現状では厳しいと言わざるを……」
「……仕方ない、か」
 キャリコもまた、手にした銃を虚しげに見下ろした。メフィストの身に、叩き込みたいモノがあった。想い。恨み。此処に至るまでの結実すべきものを、示したかった。
 それすらも、叶わないのか。強く、奥歯を噛み締めながら、銃弾を放ち続ける。  アルマの攻撃に巻き込まれない位置での前線を、復帰したレイオスが切り刻んでいる。あわよくば本体側への援護を目論んでいたが、現状では厳しい。だが、今はソレでいい。前衛として、騎士への借りを返す意味でも、全力でこの場を支える。
「失点は、取り戻すしかねえからな……ッ!」
 斬魔刀で大きく薙ぎ払う。生まれた空隙をすかさず別の子蜘蛛たちが埋めようとしてくる。否。その中の幾つかは、遠方から糸を吐き出してレイオスを絡めとろうとした。さらに加速した蜘蛛が到達してくる。
「ち、ィ!」
 複数方向からの攻撃すべてを回避するには至らない。
 しかし、腕を取られそうになったそこに、影が入った。黒色の残影はすぐに銀色に変じた。少女が、糸が絡んだ外套を投げ捨てたのだとレイオスが気づき、そして。
「本当、とっても素敵だわ」
 声を残して、少女――フィリアは疾駆し、加速しながらざんざんばらりと子蜘蛛を切り裂いていく。先程【強制】を受けたこと……いや、あるいは、受けたからこそ目の当たりにした光景が、少女を陶酔させていた。
 ああ。あの少女は、護ろうとした彼女は、美しかった。
「……ねえ、『雨音』を聞かせて?」
「無事でいてくれよ、イスカ……っ!」
 怜皇は、前方で敵に囲まれながら奮戦している恋人を想いながら、機導術を紡ぐ。三体の子蜘蛛それぞれに光条を突き立てながら、前へ。彼女たちの援護が出来るまで、戦線を押し上げたいが――だめだ。叶わない。数十秒の遅れが、此処まで尾を引いている。
 焦る怜皇の傍らで、狼は周囲を見渡していた。
 ――現場指揮官、みたいなヤツはいなそう、か。
 此方の動きに対応して戦術を変える、という気配はない。実際、数で押す戦法は現状では――腹立たしい事に――有効だ。火力が薄いところは崩れていき、厚いところは凹む。戦場に刻まれる稜線が、そのまま戦場の戦力差を表していることになる。
 剣撃を置いていくようなイメージで、子蜘蛛がまとまった位置に斬撃を打ち込むと、まとまっていた子蜘蛛が一斉に弾けた。見る限り、敵だらけ。危険手当の上乗せを要求したいところだ。
 ――危険手当、でねぇかなあ……。
「先手は取られたが」
 そこに、言葉が落ちた。ソティス。白狼のごとき少女の声には、憤怒に似た赤熱が宿っている。
「――押し返してくれるぞ、この狼がな……!」
「どわ……っ!」
 削れた戦線に飛び込んできた子蜘蛛たちを大きく飲み込んでいく、紫色のマテリアルの発光。
 最前線付近でグラビティフォールを放ったソティスの眼前で、重圧に耐えかねた子蜘蛛たちが潰れていく。直径一四メートルにも及ぶこの術式は、この戦場に置いて最も有効な一撃だ。残る一方の戦場の推移次第ではあるものの、これがこちらの戦線を盤石にする一手になると信じて、続いて魔術を編み上げる。
 有効なことには違いないが、それも前衛が巻き込まれなければ、だ。幸か不幸か、残った騎士が態勢を立て直すまでは、最大効率で殲滅に臨めるのだ。ためらう理由は無い。
 ――とはいえ、至近で戦っていた狼は慌てて後方へと下がることになったのだが。
(「……あっぶねェ女だな……!」)
「何か言ったか?」
「え? いえ、特に? 何にも? ないですよ?」
 小声で愚痴った狼に、ソティスが好戦的な目のままで答えたのだった。
 なお、ソティスの言う"狼"と舞刀士の"狼"少年は、別モノであることは添えておく。


 アシェールは、生きていた。あわや子蜘蛛に呑まれそうになったところで白の隊の騎士に救われたのだ。
 以降は、戦場を迂回することも難しく、騎士が集めた敵に対して氷嵐を放つ後衛火力として動いている。とはいえそれも、範囲という意味では乏しく、効率という点で少女としても悔いが残る結果となった。
「――本当、すみません……」
 しゅん、と小さくなるアシェールに、前衛を担う白の騎士の青年は苦笑いをこぼした。
「……貴女の気遣いは有難い。その心は称賛すべきものです。しかしそれは、戦場に立つ仲間に信を預けていない事と同義でもあります。あの方が……私たちが託すように」
 大槍を振るいながら、結ぶ。
「出来れば、信じて頂きたかった。それは、武人にとっての誉れでもありますので」
「はい……」
 ぐうの音もでない。
 博打に出たことも、備えが少なかったことも事実だった。
 とはいえ魔法以外の備えもある。闘う分には、まだ、大丈夫。気を取り直した、その時だ。
「……あれ」
"それ"に、気づいた。
「なんで、こんなに近くまで……?」


 ――随分と、慎重だ。
 メフィストの闘い方は、匠の目にそう映った。
 おそらくはリリティアの方針――最後に攻撃することで、【懲罰】を温存させる――の影響もあるだろうが、随分と"手堅い"戦法だ。範囲攻撃による聖導士の消耗、移動による奏音の結界の消費は有効だが、"トリックスター"であるメフィストの戦いであると思うと、疑念が残る。
 今や匠は最大火力を叩きつけることすら可能になっている。そのぐらいメフィストの方針にブレは無い。リリティアの過大にすぎる一撃を警戒し、一方で残るハンターたちの攻撃を甘んじて受け入れ続けている。
 これは、リリティアの"我慢"が嵌ったと、言うべきなのだろうか。
「…………」
 しかし、嫌な予感が、拭えない。
 後方からジャックが咆哮しつつ、銃撃した。
「周りなんか見てんなよクソ蜘蛛野郎! 俺様が慈悲をくれてやる言ったろ?」
 彼も同じモノを感じているのだろう、と匠は理解した。ジャックの言葉は、メフィストに変化を――限定された道筋を描かせる言葉だったから。【強制】を自らに呼び込む。たとえ自らの矜持を圧し折るものだとしても、その道を選ぶ。
 痛みを畏れぬ、ジャックの在りようの体現と言えた。
「ハ、ハハハ……! 『慈悲』! 『慈悲』! 『慈悲』! この期に及んで光の騎士はお優しいことだ!」
 余程、心をくすぐるらしい。かつてその言葉はメフィストの"何か"に触れていた。それは、かつての手応えからも解る。それ故に、ジャックはああ言ったのだ。
 大笑して弾むメフィストの語気は――ああ、確かに、静まった。
「――そしてどうやら、貴方は私の事を理解していないようだ。私が、本当に、望んでいるのはね」
 メフィストは、静かに。紳士的に。耳朶を舐るように、ひそやかに。
「輝きの中で望みを折られた、無様なヒトの姿ですよ」
"奏音の背後から"彼女を抱きすくめるようにして、そう言った。
「……か、は、」
 奏音が、メフィストごと含むように結界を張った直後の事であった。
"結界の範囲内という短距離"を転移したメフィストの牙が、少女の首を抉る。
 さあ、と。大量のアカイロが、戦場に弾けた。
「く、くははは、ハハハハハハハッ!!」
「……貴様ッ!」
 致死的だった。投げ捨てられた奏音の身体が、小刻みに震えている。急速に抜けていく血液と共に、体温を奪われているのだ。時間がないと判断した真は、哄笑するメフィストの元へと二振りの剣を持って突撃。
 加減を排した光属性の斬撃を、メフィストは片手を掲げて受け止めた。
「ああ、その顔ですよ」
 渾身の斬撃は、メフィストに対しての有効性を最優先したものだ。手応えからも痛手であろうと解るのに、無機質な瞳で真の目を覗き込んでいたメフィストはそのまま、ジャックを見やった。
「『人は自らが望むモノを口にする』、でしたか? ハハ。実に良い事を学びましたよ、光の騎士よ」
 憎悪に凝るジャックの目を、その奥底の激情を掬い上げるように。
「ああ、本当に……良い顔だ」
「、っ、……ッ!」
 メフィストの言葉の裏で――さらなる権能が発現した。相対する真の身体が負のマテリアルに侵されていく。
 倒れた奏音の結界は未だ残っている。真の唄もだ。それが、最大限の備えだった。そしてそれは確かに"抵抗する余地"を作るに至ったのだ。
 ――しかし、それでも、適わなかった。
「が、は、……っ」
 拮抗を貫いて【懲罰】により返った衝撃が真の臓腑を抉る。堪らず膝を折り、吐血した。
「救出を頼む!」
「はい! これ以上、誰も死なせません!」
 ヴィルマの紫電が奏音にまとわりつこうとする子蜘蛛を払った。その隙に治療手であるシガレットが真を回収。即座に奏音の治療に移るUiscaは【龍唄】を紡ぐ。
「――、ぁ、……」
 温かな光に包まれ、多量の汗を浮かせた奏音の頬に、熱が戻る。呼吸は荒いままだが、危機は脱した。抱えあげた少女にUiscaは思わず額を重ね、祈りながら法術を続ける。もう二度と喪わないためにこの戦場にいる彼女にとって、この熱は、この上ない安堵を生むに足るものだった。
「こっちも大丈夫だァ!」
「ホント、底意地の悪い……!」
 シガレットの声ごと貫くように、メフィストの背面からフォークスの矢が届く。三連続の矢は全て、的中。そう、後方だ。
 前衛を抜けて突出したメフィストは、ハンターたちに挟まれる形になっている。更には、【懲罰】を使用した直後である。
 つまりは、遠慮をする理由は、無い。
 ――二つの影が、奔った。
 瞬影が最短距離でメフィストを貫く。剣閃は四つ。匠と、リリティアの全力の一撃だった。待ちに待った好機に、打ち込んだ一撃は。
「ク、クハハ……!」
 違わず、メフィストを穿ち。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!」
 大笑したメフィストは、そのまま――闇色の粒子となって。


"消えた"。



「なっ……!?」
 フォークスの動揺は、その場全ての面々のそれを代弁したものだ。しかし、彼女はすぐに理解した。
 これと同じものを、彼女は目にしていたのだ。かつて、あの街――ガンナ・エントラータで。
 これは、"本体ではない"。つまり。
"罠"、だった。
「……ハメられたってことか……!」
 詳細を掴むべく直感視を使いながら周囲を見渡す。同様にハンターらは全員で周囲を見渡し――そして、気づいた。
"大きく北側へと引き出された"、自らの立ち位置に。
 フォークスは苛立たしげに舌打ちして無線機を掴み上げた。仕掛けには必ず着地点がある。今回の場合は、間違いなく。
「気をつけな! ヘクスがヤバいヨ!」


『気をつけな! ヘクスがヤバいヨ!』
 無線から吐き出された警句に【護衛】班は真っ先に即応していた。散発的に至る子蜘蛛たちへの対応を一時的に打ち切ってでも周囲を警戒する。
 すぐに、見つけた。護衛班の側面十メートルほど先に、黒衣の歪虚――メフィストが、居た。
 子蜘蛛がその足元から湧いている。
 長距離の転移はメフィストをしても即時の行動は困難であるのか、動きはないのが不幸中の幸いだった。
「ははっ、どういう仕掛けだ、こりゃ!」
「……随分と急だね」
 旭は間に入りつつ、即座に霊呪を発動。祖霊を降ろし、幻影の巨人となってメフィストの視線を遮る。同時に、陽は嘯きながらも多重性強化をヘクスに施す。
 そのヘクスから、答えが届いた。
「多分だけど、"人型"のほうが"分体"だったってことだろうね」
 千春を抱えたままのヘクスが、目を細めて、言う。
「はァ?」
「子蜘蛛たち、がさ。随分と静かに増えていたみたいだけど、あの"大型の蜘蛛"はわざわざ雷鳴と共に出てきたよね。ってことはアレは、僕らに対する目眩ましだった……ってことなんじゃないかな」
「……あの蜘蛛が、メフィストの本体だったってこと?」
「その可能性が高いね。とはいえ、どっちにしたってやることは変わらなかったのさ、僕たちは」
 どちらが本体であろうと、倒す順番が変わるわけではない。脅威は祓わねばならなかったし、倒さねばならなかったのだ。
 現時点で肝要なことは。
「精鋭は前に引き出されて孤立。一方で僕たちはメフィストと直面している。さて、これは窮地かな?」
「わけないぜ!」
「……そうね。むしろ、願ってもない機会」
 旭の即応に、カーミンは静かに頷いた。微かに曲げられた膝は肉食獣のそれを思わせる。畏れは、ない。ただ、彼女の裡を占めるのは――、
「……私だって、恨みは晴らしたいもの」
 志半ばに死した、貴族の姿。実りの時を迎える事ができなかった彼。そして、彼の妹の慟哭を。
「ヘクスさん」
 ヘクスの元に近づいたマリエルが、メフィストの視線を――尤もこれは旭の幻影で遮られているのだが――気にするような仕草をして、囁いた。
 手元を動かし、懐へと何かを入れる素振りをする。
「……無茶をするね、君は」
 言葉に、マリエルは無言で頷いた。ヘクスを狙うメフィストは、何よりも此処からの脱出を優先する筈。そう見越しての仕草であった。それはつまり、自らを囮にしよう、という動きにほかならない。
「若者が死に急ぐもんじゃないぜ」
 と、大雑把にマリエルの鼻先を軽く指で弾き、千春を眺めて笑ったヘクスは、深く、息を吸う。
「さて、最終幕だよ、メフィスト」
 同じだけの呼気に言葉を載せて、結んだ。
「君が消えるか、僕たちが死ぬか――賭けるとしよう」


 北方に引き出されていたのは、【人型】対応の面々に限らなかった。
 子蜘蛛に対応する者たちもまた、大きく引き出されていたのだ。人型対応のハンターたちの援護をする意味でも、ヘクスの護衛をより確実に為す意味でも、メフィストの動きに影響を受けていた。
 故に此方も、動き出しが遅れてしまう。
「――あかんな、アレ!」
 しかし、右辺、後方に居た文太はその得物ゆえに即応できた。味方の危機に、"殺到する子蜘蛛を無視して"方向転換。手にした突撃銃から多量の弾丸が吐き出される。マテリアルの籠められた弾丸は、一つ一つが猟犬のように複雑な軌跡を描き、ヘクスへと向かっていくメフィストと子蜘蛛たちを貫いていく。
 直後に訪れた弾切れに、思わず舌打ちが溢れた。
「目の前で、やらせるかよ……!」
 迫る敵、自らの危険は顧みずに、次の弾丸を放ち続ける。小型の子蜘蛛であれば1-2発。中・大型は3発以上を要する。だからこそ無駄弾を撃つ余裕は無い。狭窄した視野の中で、救わんと足掻く。手が届く猟撃士が、自らの危険を無視したからこそ、手が届いた。
「と、特別ボーナス、が……ッ!」
 一方で、その皺寄せは別所に及ぶ。層が薄くなる場所を中心に移動していた狼がたまたま居合わせていたが、彼処でヘクスを救い切ればボーナスワンチャンス――と意気込んだところで、逆にこちらへと子蜘蛛が押し寄せる形となった。既に次元斬は放てないため、居合の構えから、一閃。直線の斬撃が、向かってくる子蜘蛛たちをはらう。
「くぅ……っ! こいつらさっきよりもしつこい……!」
 しかし、焼け石に水、だった。数を裁くには範囲・火力共に十分とは言えず、狼の元まで子蜘蛛たちが至る。後方には文太。前方には、子蜘蛛。白の隊は南側に偏らせたハンターの影響もあり、同道していない。
 絶体絶命――と思われた、その時のことだった。左前方から、銀影が奔る。狼が傷を負わせていた子蜘蛛たちが霧散し、消失。
「蜘蛛の人は、かくれんぼが好きなのね」
「お前は……」
 フィリアが、そこに居た。突出していた前線からアサルトディスタンスを使って方向転換し、狼の窮地を救ってみせたのだ。相変わらずの話しの通じなさだが、地獄に仏とはこの事だ。
「助か」「私も、好きよ」
「は?」
 狼は礼を言いつつ、共同戦線を貼ろうとした、が。フィリアはそのまま、走り去った。迂回するように、メフィストの後方へと向かって。
「オイ」
 置いて行かれた狼は、呆然と呟いた。
「おいいいいい……ッ!」
 赤熱する戦場に、咆哮が響く。ヤケクソで剣を振るう以外に、生き残る道はなかった。
「すまんが、俺は行く」
 キャリコは一言を残し、離脱。周囲には[誓]を号令として集うていた紫苑、アルマが居るが、彼らに託した形となった。
「――警戒すべきはさらに強力な【強制】、ですが」
「大丈夫ですよー」
 紫苑の呟きに、爛々と目を輝かせたアルマは熱に浮かされた声音で、断言した。
「"あそこ"に通じない可能性が高ければ、チェック間近の状況で、確実性に欠ける強制は打たないはずですー」
「……そうか」
 そこで、紫苑の中で、状況を把握しきることができた。
【護衛】と【人型】対応は、適切に仕事を果たしたのだ。前者は人手を此処まで残し、かつ【強制】への対応を適切に果たした。同時に、【人型】のほうも強制の追撃を防ぐほどに、攻撃を重ねることが出来たのだ。更なる広範囲の強烈な一撃が来なかったのは、単純に前線が離れていたからこそ。
 幸運とも言えるが、それだけのものを引き寄せている、とも言える。
「――なら、此処を、凌げば」
「わふー、僕たちの、勝利です!」
 紫苑とアルマは、背中合わせのような形で同時にファイアスロアーを発動。範囲を重ねないことで、最大効率で周囲の子蜘蛛をはらう。攻撃の余韻もそこそこに、紫苑は背中のアルマへと囁いた。万が一にもあの"メフィスト"に聞こえないように。
「一瞬だけなら、俺が持たせます」
「……良いんですー?」
「ええ」
 紫苑の声には、強い決意がみなぎっていた。
「それが、現状では最適解ですから」
「やあ、あちらも鉄火場みたいだ。どうしますか、レイオスさん!」
 後方に突如現れ、こちらに王手を賭けられた状況。それも友人の仇、だ。心穏やかではないが、努めて平静を保つよう心がける。
 とはいえ、こちらも余裕があるとは言い難い。剛自身も自らの剣に法術を施し、近接戦闘をせざるを得ないほどに敵の勢いが凄まじい。それぞれに【強制】や【懲罰】などを持つが故に、決壊のリスクもある。
 後衛のソティスや怜皇へと敵が及ばぬように立ち回る必要があるのが、現状だった。
「……此処からは、動けねえな」
 レイオスの矢は、後方のメフィストに届くだろう。長弓の射程は長い、が。
「子蜘蛛が後に流れちまったら、あのメフィストを斃したところで護衛に回ってる奴らが劣勢になっちまう。アイツを斃したところで、蜘蛛型の対応が遅れりゃぁまた次の"メフィスト"が来ないとも限らねえ」
 言いながら、強化された斬魔刀で、子蜘蛛たちを払う。撃ち漏らしも出るが、それは怜皇が個別にデルタレイで焼き払っていく。
 ああ、認めよう。この膠着こそがメフィストが作り上げた盤面だ。果たすべき役割を放棄すれば、首が締まるのはこちらも一緒だ。
 だから。
「此処で止めようぜ。完璧に止めればそれだけ、アイツの次の手が狭まることになる」
「よう言った!」
 レイオスの言葉に、ソティスが即応。マテリアルで形成された炎狼が少女の意を受け、咆哮した。後逸を狙い側方を抜けようとした集団を薙ぎ払う。
「この作戦の鍵はヘクスよ。奴が死なぬようにするのが、我らの本領。ならば、我が牙は此奴らを焼き殺すことでソレを為そう!」
 些か業腹だがな、とソティスは牙を剥き、笑う。
 事態は激動しつづけているが、しかし、確信があった。
 我々は、ただ独りだけで、戦っているわけではない。それぞれの役割を、それぞれの能力で果たす。
 群狼のそれにも通じるところのあるヒトの抗い方は。
 必ず、届くのだと。


「この期に及んで良く吠える。流石は道化師というべきでしょうが」
 傲然と告げるメフィストはそのまま、悠然と片腕を掲げた。
「しかし、不愉快ですね。人垣の向こうに隠れるのは、道化にしても無様に過ぎる」
「……あ、それはまずいわ」
 警戒していた動き――つまりは、ヘクスごと巻き込んでの、広範囲魔法。
 旭はヘクスの盾として残る中、カーミンが全力で加速した。文太の援護もあり、メフィスト周囲の子蜘蛛は減っている。しかし、後衛火力が充実しているとは言い難い【護衛】班では、その一手を止めるには彼女自身が往くしかない。その背を、支えるように。
「さ、せ、る、か、よォォォォ……!!」
「む……!」
 距離にして十八メートルを埋める――まさに、"特攻"であった。幻影を纏って巨大化した旭の殲撃は、それだけの距離を喰らい潰しメフィストに迫る。現状詰みとなる一手ごと、潰すために。
 高位の霊闘士である旭の、全力全開の魔斧が、メフィストに届いた。重撃が、メフィストの障壁を貫いて――撃ち抜く。その衝撃が、かの歪虚にとって如何ほどのものとなったか。
「邪魔をするな、下郎が!!」
「間にあえ……!」
 赤目を輝かせたメフィストの怒号が響く。【懲罰】の気配に、ジェットブーツで並走していた陽が急停止し、自らを中心に――旭を巻き込む形で機導術による浄化結界を展開した。全力の一撃がそのまま"返る"としたら、旭の身に及ぶ危険は計り知れない。
 嗚呼、しかし。
「ち、ィ、……ッ!」
 メフィストの【懲罰】を祓うことは、叶わなかった。身体を侵す負のマテリアルに抗い切れず、致命傷に霊呪を維持できなくなった旭を包む虚像が、瞬く間に縮んでいく。覚醒を示すミミズクへの変化も消失し、ただの"ヒト"の姿と化した旭は、それでも、立ち続ける。
「ああ、痛ぇ……けど、よ」
 身を貫く衝撃に血涙と吐血を流そうとも――青年は、笑って見せた。己の所業を、敢えて示すように。
「止め、たぜ……」
「十分よ……!」
 稼いだ時間は、僅か十秒。その間に、カーミンがメフィストへと到達していた。
「……、っ!」
 死の淵に立つ旭を前にしても、マリエルは治療に動くことが出来なかった。
 最後衛であるマリエルが動けば、ヘクスは――ヘクスと千春は、完全に無防備になってしまう。事実上の、最後の砦だったのだ。彼女は。
 だから、彼女は。
 ――仲間に、託した。
 それが、彼女にできる唯一のことだったから。ここには、"皆"がいるのだから。
「どんなに強くても一人ぼっちの貴方には負けません!」
 そう、声を張った。カーミンの背を、押すように。
 ――相手は超が付くほどの格上。それに周りは敵だらけ。
「あァ……ッ!」
 己の身を削るように、吼えた。残影を曳いて、身体が千切れそうになるほどに加速。子蜘蛛の包囲を、メフィストの追撃を、回避し続ける。
 どれだけの時間、躱したかも、解らない。ただ、生きている。生きているのならば、敵の中で、踊るのだ。踊りながら、反撃の一撃でメフィストの手を止め続けるのが、彼女に今できる全てだった。
 けれど。
「、……ッ!」
 加速し続けていた脚が、不意に引っ張られていた。
「目障りな小蝿が……!」
 子蜘蛛の糸に、絡め取られたのだと気づいた時には、メフィストの手から放たれた闇色の波動がカーミンを撃ち抜く。衝撃に大きく吹き飛ばされた先で、カーミンの意識が暗く、閉ざされていく。
「…………仇、……は…………」
 なんとか、それだけを呟いて。


 ――何だ、コレは。
 メフィストは、渾然一体となった感情を、持て余していた。激憤していた。しかしそれと同じだけ、混乱し、瞠目してもいた。
 ああ、傲慢だ。なんという、傲慢な所業だ。
 道化にも劣る小蝿共が、メフィストの行いに抗おうとしている。
 ほんの僅かだけしか叶わないとしても、あの道化の生命を長引かせるためだけに、生命を散らさんとしている。
 記憶の中で、思考が明滅する。
 ああ、それはまるで、"あの老人"のような。
 ああ、それはまるで、かつての"――"のような。
 ――輝かしい、"生き様"だ。
 だから。そうだ。
 終わらせよう。
 そのために、こんな世界を塗りつぶすために。彼は、在るのだから。


 最後の前衛となった陽は、炎の機導術を使おうとしたところで子蜘蛛に絡み捕られた。
「く、そ……っ!」
 その傍らで、メフィストが片手を掲げる。もう、言葉はなかった。ただ、終幕を望む絶対の意志だけが、そこにあった。
 今まさに、メフィストの攻撃が、放たれようとしている。
 ――自爆を覚悟してでも、撃つかと陽が思い至った、その時のことだった。
「三度も"人間"に騙された気分はどうだ?」
 声が、メフィストの背から届いた。
「なっ……!?」
 驚愕したメフィストの手が、止まった。それは陽にしても同じだ。"そこには、誰もいないはずなのに"、音が響いている。
 振り向いたメフィストも、同じものを見た筈だ。誰もいない空間から、ただ、音が紡がれている。
 ――出処は、一つの石だった。蓄音石という、古に作られた品。
 そして、陽は気づいた。メフィストもそうだろう。
 後方から、あらゆるものが迫っていることに。
 遠くから届く光条には、見覚えがあった。戦闘開始直後に届いた、アルマのデルタレイ。"巻き込まない"ための配慮を裏付けるように――壮烈な衝撃が、驚愕のうちにあるメフィストに直撃した。
「ぐ、……っ」
 しかし、終わらない。止まらない。
「この一撃は、散って逝った者たちの弔砲であり、凱歌の号砲だ……ッ!」
 遠くから、大型魔導銃を抱えたキャリコが、咆哮と共に銃撃を放つ。極限までねじ込まれたマテリアルが、必中の牙となってメフィストを貫いた。光属性を秘めた一撃にメフィストの身体が、大きく震える。
「お、ォ……」
 呻くメフィストは自問する。詰めを、誤ったのか。
 否。違う。メフィストは"届かなかった"のだ。
 彼らが此処に届いた理由は、旭たちが時間を稼いだから――だけでは、無い。
 例えば、北深くに閉じ込めた、ハンターの精鋭たち。
 メフィストの動きを止める一手となった、"匠が投げた蓄音石"。
 それを届けるために、北側に偶然位置していたアシェールが騎士たちに頼み、彼らの突撃に合わせてヴィルマは手榴弾と魔術をもって閉じかけていた道をこじ開けた。フォークスが、出し惜しみをせずに全力で弾丸を吐き出し空隙を伸ばせば、残る歪虚をリリティアがアサルトディスタンスで貫いたところで――道が、開いた。
 周囲は歪虚に囲まれている。すぐに塞がり、子蜘蛛たちに包み込まれる間隙を、匠は走り抜けた。子蜘蛛たちの追撃を、躱し続けながら全力で駆ける。
 ここに至ったのは、【人型】対応に者たちの手腕だけに限らない。アルマにしても、キャリコにしても、それを支えるハンターたちが、騎士たちが居るからこそ、ここに、"届いた"。
 届いたのは、彼らだけでは、なかった。
「……糸を垂らさずにはいられないのね」
 メフィストの耳元に、囁き。それは、少女の姿をしていた。
 銀髪の彼女の言葉は、常人には了解不能なものばかり。虚妄妄想の類と断じられても仕方あるまい。
 ――否。もし彼女が"それを識る立場であれば"、より多くの言の葉が紡がれていたであろう、が。
 彼女は淡く、囁いて。ぞぶり、と。少女は、メフィストの身体に杙創を刻みながら、こう結んだ。
「可哀想な、貴方の王様」


「お、ヲ、オ、ォ、ォォ、ォォォォ……ッ!」
 絶叫した。
 現状が、言葉が、痛みが、怒りが――ありとあらゆるものが、私を駆り立てる。激烈な衝動を、私自身が抑えきれない。
「ア、アァ、ァァア!」
 次だ、と。私が絶叫していた。
 次の、私で。次の、私が。私が。私が。ワタシがワタシがワタシがワタシがワタシガワタシガワタシガ―――――――。
 明滅する思考のなかで、置き土産として、この"身体"を壊すことにする。あわよくば周囲のハンターを――あわよくばあの男にも痛撃を浴びせられるはず。
 次だ。次の、手だ。次の私で殺す。壊す。侵す。"ヒト"を――。
「この美しい景色も、壊すのか?」
 壊――……。
 先ほど石から響いたものと同じ、黒髪の男の声で、視界が晴れた。
 ――気付けば、私は、跪いていた。この身体の、限界か。随分と、脆く仕上がっていたらしい。何故だ。ああ、いや、それは……良い。
 眼前に。常より低い視線――セカイが、広がっている。
 見れば、太陽の光が生まれ出ようとしていた。柔らかな日差しが、辺りを照らしている。
 ――懐かしい、と、感じた。そこに。
「決着だ」
 声と共に。セカイが、閉じた。


 三体目の人型は、現れなかった。”あちら"は上手くやったらしい。
 ――勝利の気配が、戦場に満ちていた。
 リリティアはここで初めて、安堵の息を吐いた。こちらに流れ着いて以来、胆力はついてきたと思っていたが――今回ばかりは、心に負うものがあった。
「……勝ちましたよ」
 誰に、とは告げず。赤色の騎士へと、短い祈りを捧げた。
「――結界に、歌。装備も、あったかな。そのせいで君は、効率に劣るとして【強制】を連打出来なかった」
 千春をマリエルに託して座り込んだヘクスが、黒い粒子となって消えていくメフィストに向けて、言葉を投げた。
「僕たちへの圧力を子蜘蛛に任せるしかなくなったのは、そのせいだね。初手の強制の被害も、最低限のもので収束した。結果として、君の張った糸に足を掬われずに済むだけの余力が残った。あるいは最初の人型の対応も、君にとっては想定外の痛手だったのかもしれないな」
 初手こそ躓いたものの、それ以降は適切な対応が取れていた。この戦場での対応は、おおよそ完璧であったと言えるだろう。
「……つまるところ君は、多様性を失っていたんだ。【傲慢】の中でも同格の、ベリアルと違って、ね。君は本当に強力な歪虚だったけど、できることは限られた」
「けっ」
 舌打ちが、落ちた。無論、ヘクスのものではない。
「つまんねー解説いれてんじゃねえよ、クソ貴族」
「はいはい、ゴメンね」
 力なく天を仰ぐヘクスを無視して、声の主、ジャックが、呟いた。
「人も歪虚も何もかも笑い合える……そんな国に俺が変える。あの世で見てなクソ蜘蛛」
 ――お前の矜持、嫌いじゃなかったぜ。
 黄金色の夜明けを背負い、ジャックの呟きが、草原に染み込んでいく。
「ふふ」
 ヘクスはその様を見て、薄く笑った。
「ま、しばらくは口が裂けてもそんなこと言わないほうが良いと思う、よ」
 戦場に広がるハンターたちに、騎士たち。それぞれに喝采を上げたり、死した同胞に黙祷を捧げたりと、夫々に勝利の余韻を味わっている面々を、遠くに、ぼんやりと眺めたまま。
「それどころじゃ……なくなる、だろうから、さ……」
 弱まる語気を怪訝に思ったジャックが覗き込むと、ヘクスは目を閉じて、俯いていた。
「お、おい……?」
 肩を揺するが、反応はない。呼吸は弱々しいが確認できる。いけ好かない相手であったが、見たことのない無防備な姿に思わず魂消てしまった。
 しかし、周囲では大きな変化が、生まれていた。
 ――ヘクスの眠りに合わせてか、構成された世界が徐々に変容していく。
 彼方から差し込む暖かな光が、あらゆる人間を包み込んでいく。
 この世界の――この戦場の、終わりを示すように。

 あるいは、祝福のように。
 ただ、優しい色が、黄金色の夜明けを押し包んでいった。

担当:ムジカ・トラス
監修:京之ゆらさ
文責:フロンティアワークス

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