※本商品は「ファナティックブラッド」の本編とは異なるアナザーノベルであり、「ファナティックブラッド」ならびに他ゲームコンテンツでプレイングやキャラクター設定の参照元にすることはできませんのでご注意ください。
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昨日と明日のあいだで
「少し時間は経ってしまいましたが。作戦前に約束した通り、一緒に行きませんか?」
運が悪くも外出中で、本人は自宅だという公園内のテントにそう書き置きを残して帰ったのが数日前。翌日彼女が訪ねてきて、短時間ながらも疲れを和らげる労いの言葉と一緒に誘いへの返事を受け取った。そして今、鹿東 悠(ka0725)は店の常連客で親しい友人でもあるノア(ka7212)と二人、港町ポルトワールを訪れていた。
「あ! ねぇねぇ悠見て、ほらほらこっち!」
「そんなに慌てなくても、魚も貝も逃げたりしませんよ」
さすがにこちらを放り出して何処かへと行ってしまう、なんてことはしないが、漁港に程近い大通りに並ぶ屋台はノアの興味と食欲の両方を掻き立てるようで、一つ何かをつまんで満足したかと思えば、また別の何かが気になってはシャツの袖を緩く引いて、返事を待ちきれずに先を歩き、振り返って笑う。無邪気に手を振るその様はまるで小さな子供のようだ。人混みを躱しながら、ノアの目の前まで歩いていく。彼女は悠の言葉に目を瞬かせ、それから若干悪戯っぽく唇の端を上げる。ノアが指差す先を目で追った。
「そうとは限らないわよ? ほら、あそこのお魚なんてそのうち飛び跳ねて逃げ出しそうだわ――」
「……あ」
冗談めかしたノアの台詞をまるで合言葉にしたように、屋台と括るには大掛かりな生け簀――漁港で使っているものを持ち出したのだろう――で泳いでいた一匹の魚が水面を飛び越えたのが見えた。秋晴れの空から降り注ぐ陽射しが銀の鱗と飛沫を煌めかせ、近くで見ていた観光客からは悲鳴があがる。小さな魚だが、目の前に降ってきたら驚くのも当然だろう。
「大変! 早く捕まえなきゃ!」
「そうですね。行きましょうか」
リアルブルーにいた頃は軍人だったが、転移後退役し、ハンターとして活動する傍ら趣味が高じて喫茶店も営む悠だ。料理作りはお手のもので、生魚を触るのにも抵抗はない。いつぞやには雑魔魚を調理したこともあった。先んじて件の屋台へと駆け寄ると軽い混乱状態の観光客に声をかけているノアにそちらの対応は任せて、動転する店員に混ざった。
石畳の上でびちびちと跳ねる魚を捕まえるだけなので、さしたる時間も掛からなかった。にも拘らずノアと同じ年頃と思しき青年はありがとうございましたと頭を下げる。そしてお礼にと言い、店で売っている魚の串焼きまで差し出された。
「いえ、大したことはしていませんから」
「あら、貰えばいいじゃない? そうしたら、このお兄さんはお礼が出来てほっとするし、悠も美味しいお魚が食べられるわ。二人とも得出来るんだからいいことよ」
自分としては礼をされるほどのことはしていないと思うが、彼にとっては違うのだろう。ノアの言葉を耳にし、固辞しようとした腕を下ろすと悠は包みを受け取る。ちょうど客足も途絶えたところで他の客に気兼ねも要らず、わざわざ焼いてくれた魚からは潮風に混じりハーブの匂いが仄かに漂う。
「こちらこそありがとうございます」
と礼を言えば、青年もノアも揃って笑顔を浮かべる。それにつられて悠も微笑んだ。すぐにまた人が集まり出したので、邪魔にならないように店から離れる。店員に手を振っていたノアが正面へ向き直ったところで、悠はその前に包みを出した。彼女の鼻先で湯気が立ち上る。
「ノアさんもどうぞ」
「……いいの?」
「ノアさんが周りに声をかけてくれていたお陰で大きな混乱にならなかったのだと思いますよ。ですから店の方も二人分用意したのでしょう」
実際あの場では彼女のほうが余程役に立っただろう。混乱どころか余興を眺めているような空気になっていた。見ず知らずの人ともあっという間に打ち解け、空気を明るく変えてしまうのは最早才能にも等しい。先をつまんで包みから串焼きを取り出したノアは、ご馳走を前にした猫のようにその目を輝かせる。
「ありがとう。それじゃ遠慮なく……いただきまーすっ♪」
厳格と聞く父の教えか、きちんと挨拶してから一口齧る。まだ少し熱かったようで口元を押さえて頬張る姿を見ていたくなるが、冷めさせるのも勿体無いと悠も取り出して口まで運ぶ。秋刀魚と葱を交互に刺したシンプルな串焼きだ。
「んーっ、美味しい! 釣りたてのお魚! 最高っ!」
とじっくり味わい、咀嚼し終わったノアが顔を綻ばせる。堤防で釣った魚を運んできて生け簀に入れ、客の前で捌くあのやり方は一種のパフォーマンスでもあり、好評を博しているようだ。今日はジェオルジの郷祭のような祭りの日ではないが、週末というだけでこれほど賑わっているのは邪神を倒した影響か。世界中に復興を必要としている地域はあるが、生産や流通が改善された恩恵は大きく、それらに従事している人は特に活力に満ちているように見える。悠も一通り事後処理が落ち着いたので、こうして季節の海の幸を楽しむ為にお疲れ様会と称した行楽へ赴く余裕も出来てきた。戦い抜いたことの意義が見出せたのだ、遅めになってしまったのも結果的には良かったと思う。しかし、裏を返せばそれはハンターが必要とされる機会が少なくなったということで――悠の周囲にも第二第三の人生を歩み出そうとしている人がいる。悠自身もその一人だ。……ノアはどうするのだろうか。幸せそうな横顔を見つめ、そんなことを考える。
「美味しかったわね! 悠、次はあのいくらのどんぶりなんてどうかしらっ」
食べるのも人と話すのも大好きな彼女の勢いは、留まるところを知らない。骨もなかったので綺麗に完食して、設置されたゴミ箱に包みと串を捨てると、今度は流木を看板に掲げた店を指し示した。
「いいですね。ついでに少し休憩もしましょうか」
美味しい物巡りもいいが、先日はあまり時間がなく話せなかったので、じっくりと腰を据えて近況などを伝えたいとも思っていた。先を促せども無理やり引っ張っていくことはしないノア。大事なモノを思い出す切っ掛けになった人だ。ふわふわした灰色の髪が陽の光を浴びてきらきらと輝き、眩しさに悠はそっと目を細めた。鈴の代わり、ノアの持つ鞄から足音と共に一つ音が鳴る。
◆◇◆
こじんまりとしたこのお店は地元住民の憩いの場なのか、喧騒から離れて、穏やかで心地のいい時間が流れている。流通コストが下がり安く提供出来るようになったというジェオルジ産のお茶を啜って、ほっと息をつく。悠との会話も街の様子から先日の大規模作戦、総長の代替わりによるソサエティでのちょっとした混乱、それからお互いの近況と移り変わっていった。
「それで悠、怪我の具合はどうなの?」
「そうですね……やはりこのまま続けるというのは難しい、でしょうね。元から、開店資金を稼ぐためにやり始めた仕事ではありますが、いざ引退となると少なからず感慨はありますよ。仕方ないことですが」
少し俯いただけで、実は伊達という眼鏡のレンズが光を映し温厚な彼の感情を物語る瞳がよく見えなくなる。ただ僅かに下がった肩に、愛惜の念が覗く気がした。叩き上げの軍人だったらしい彼はノアが知る限りでも、戦場が生活現場も同義な人であり、友人が大怪我をしたときは対策を促すなど、厳しくも真摯にハンターの一人としてずっと活動してきた。少し不器用な面はあるが、優しい人だとも分かっている。ノア自身が駆け出しなのもあり、共に戦場に出る機会はそうなかったが、経験に基づく状況判断と研ぎ澄まされたセンスが頼りになるのは疑うべくもない。彼が現役を退くのは大きな痛手だろう。
「引退するってことは、お店一本に絞るの?」
「いえ、今後は現役世代の後方支援や後進育成に励もうかと考えていますよ。多少なりとも貢献出来ることはあるでしょうから。そもそも歪虚が完全に消えたわけではないですしね」
「そうね。ハンターってお仕事もまだ暫く必要とされるわよね。この先も悠の活躍が楽しみだわ!」
雨が降ってもいつかは止むし、真っ暗な夜も必ず明ける。邪神を倒した今、そうと信じられる人も増えたはずだ。失ったものを取り戻すことはもう出来ないけど、楽しく今日を生きることは出来る。少しでも多くの人が幸せであればいいと、そう願わずにいられない。目の前にいる悠に対しても同じだ。
「俺にやれるだけのことはやりますから、楽しみにしていて下さい。……あ、それと、一つお伝えしておきたいことがあります」
「なぁに、どうしたの」
「店のことですが、引退するついでに近く縁のあった王都の方に移転するつもりです。今の店は閉店となりますが……まぁ、場所を変えて新しく商売を始める次第ですね」
「そっか……悠もお店も引っ越しちゃうのね」
ええと首肯する彼の声も心なしか寂しげに聞こえた。ノアも応援する気持ちが一転、しょんぼりする。交流所で偶然に知り合って、それが縁でふと悠の顔が思い浮かんだときにはお店に顔を出すし、誘われれば今日みたいに二人でお出掛けもするくらい仲良しだ。今は二人ともリゼリオが拠点なので会い易いが、王国となると通い難くなる。多分寂しさが滲み出てしまっているだろう。そう思って頬をふにふにと揉んでみるも、喜怒哀楽何でも顔にすぐ出るたちなので上手く誤魔化せない。――出来ればいつも笑っていたいけども。しかしノアは目標に向かい歩く悠を引き留めることはしない。だって本人が望んですると決めたことだ。ハンターは軍人より自由だろうが、キャリアの長い彼の根底には自分は潰しや替えの利く群の中の個と、そう意識が根付いている気がする。今も昔も悠は悠で、替えの利かない人間であることに変わりはないのに。ソサエティにしろお店にしろ、この先は悠が必要とされる時間が増えていくに違いない。そうすれば大事なことを忘れないから大丈夫。一人頷いていると、動かした手が隣の椅子に置いてあった鞄に当たって、急に閃いたノアはそれを手に取り持ち上げた。
「じゃ、そんな悠に私からエールを贈るわ!」
とおもむろに立ち上がり、取り出した愛用の竪琴をポロンと鳴らす。ノアさん、と少し困惑したように眉根を寄せる悠の反応でここが店内なのを思い出したが、静かな空間に響く音を聞き、一斉に振り返った常連と思しき客と店主が身振り手振りで許可を出してくれる。そちらに悠が会釈して、ノアもありがとうと言って彼らに頭を下げた。
「奏唱士になったのに悠にはまだ歌ってなかったものね」
さっと軽く調弦を済ませ、一番に憶えた曲を披露する。演奏や踊り、歌でマテリアルの力を引き出し、前線へと立つ仲間を支える奏唱士はノアの目標の一つだった。こうして念願叶った今、ノアが奏でるのはやはり軽やかで楽しい曲だ。大きく笑い時には優しく微笑み、正面の悠は勿論のこと、歌ってもいいといってくれた店の人たちにも、いっそ遠く海の向こうまで届くようにと想いを込め。傷付いた心を癒せたらいい。疲れた人には元気が、苦しんでいる人には希望が湧くようにと心から祈る。弾き終えて、そっと息を吐き出すと最初に悠、そして他の人も次々と拍手し始める。
「素晴らしかったです。ノアさんの人柄がよく表れていたと思いますよ」
「そ、そう? 少し恥ずかしいけど、喜んでもらえたならよかったわ!」
落ち着かない気分で琴を一撫でし、ケースに収め直す。口々にかけられるお褒めの声に暫し応えた後、再び穏やかな二人の時が戻ってきた。
「そういえば、ノアさんはこれからどうするつもりですか?」
「そうね……私は旅をして世界を見るか実家に帰るくらいかしら。実はまだ何も決めてないのよ」
答えて、くすくすと笑い声を零す。ノアがよく引き受けるような依頼は減らないし、やりたいことが沢山あってまだ結論には至っていない。一度決めたら他の道が駄目になるわけでもなし、いつでもいいなら明日にするとなってしまう。
――不意に沈黙が降りた。周りに人の声がある分、静寂はその存在を濃くする。ノアが話題を見つけるより早く、悠が口を開いた。
「……先ほどの新しい店ですが……もし、ノアさんさえよろしければ一緒に店をやりませんか?」
慎重に、口にすべきか何度も躊躇ったのが揺れる眼差しから窺える。脳が冷静に処理出来たのはそこまでだった。
「……え?」
悠が自分と一緒にと誘いをかけている? まさか。頭が真っ白のノアに出来たのは、目を丸くすることとそのたった一音を呟くことだけだった。
━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
最初は後日またノアさんの答えを聞く流れになると思い、
そこまで書いてしまおうかな、と予定していたんですが
ノアさんだったらここで少し考えてから結論を出す、
という流れになっても全然おかしくなさそうなのと
尺的に厳しい部分もあったのでお言葉に甘えさせて貰い、
ノアさんが聞き返すまでの描写とさせていただきました。
悠さんの誘いを受けるのかお断りするのか気になります。
どちらにせよお二人が幸せになれればいいのですが……!
今回は本当にありがとうございました!