※本商品は「ファナティックブラッド」の本編とは異なるアナザーノベルであり、「ファナティックブラッド」ならびに他ゲームコンテンツでプレイングやキャラクター設定の参照元にすることはできませんのでご注意ください。
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ふたりで
ふと。慣れた玄関の前でノックをする手を止めながら、神代誠一(ka2086)は小さく頬を緩めた。
バレンタインに贈られたビターなガトーショコラ。そのお返しとして誠一が贈ったあるものを手にした彼女の表情を思い出したのだ。
――きつね色。と言われて多くの人は何を思い浮かべるだろう。
香ばしく暖かく中はふんわり外はカリっと。少し甘い溶けたバターと混ぜ込まれたミルクのにおいが小腹だろうと空腹だろうと満たしてくれるだろう、それは。
「……焼きたて」
「ぶはっ」
思わず零れ落ちたのだろう彼女の言葉が、誠一の腹にクリーンヒットしたのはいい思い出だ。
ちなみにそのあと彼女はパンではなく餅のように頬を膨らませたので、更に笑いが止まらなくなったのだが。
「いや、あそこまで予想通りの反応だとなぁ」
「玄関の前で何しているのかと思えば……セーイチー?」
あ。今日も元気に餅が焼けてるなぁなんて。
開け放たれたドアの前、仁王立ちしたヴェロニカ・フェッロ(kz0147)の頬は、今日も元気に膨れていた。
「いや、悪い悪い。思い出したらつい、さ」
「だからって玄関先で思い出し笑いなんて!」
「ヴェラ拗ねてんの?」
「拗ねてまーせーんー!」
勝手知ったるなんとやら。通されたリビングに置かれた大きなイーゼルに描かれた木陰に、誠一は目を細める。
世界は大きく変わり、環境もまた大きく変わった。
ただの依頼人だった彼女が、知り合いの絵本作家になり、放っておけない友人になり。そして――。
「人って変わるものだよなぁ」
木陰から視線を移し、キッチンで飲み物の準備を始めた小さな背中を眺める。
知らぬ人が見れば頼りなく、不自由な体を持つ恋人が実は頑固で意地っ張りで子供のように頬を膨らませ怒るなんて、一体何人が知っているだろうか。
「とにかく! ちょうど掃除をしようと思っていたから、セーイチも手伝って頂戴ね!」
とことん助けてもらうからそのつもりで! なんて。
さりげなく見ていたつもりだったが、飴色の髪を揺らして振り返ったヴェロニカは不思議そうにもせず、まるでそこに誠一がいることが『当たり前』で、手伝ってもらうことが『当たり前』と言わんばかりに言うから。
「うん。なんかこう、生徒の成長を実感する教師の気分」
「もうっ! どうしてこうセーイチって、そういうっ!」
ついからかってしまうこの自分の行為も、また『当たり前』になりつつある、そんな日常。
■
始めた掃除は思いのほか大掛かりなものになった。
高いところに手を伸ばす彼女を窘めつつその手から雑巾を抜き取ったり、並んで庭の手入れをしてみたり。
戦いばかりだった世界が、本当に平和に近づいたのだと実感できるその時間はとても有意義で充実したもの。
「そろそろ休憩しましょう、セーイチ」
空に舞った若草を追いかけてレンズの奥の目を細めた誠一へとかけられた声に振り返ると、冷えたグラスが目の前にずいっと差し出された。
あまりに顔に近い場所に現れたグラスに思わず顔を後ろに仰け反らせると、グラスの向こうで悪戯っぽく笑うヴェロニカがいた。
「いつの間に」
「セーイチって集中力がすごいわよね。私が家に戻ったの、気づかなかった?」
「まったく」
肩を竦める誠一を見て、ヴェロニカは笑顔のまま。
「そう。嬉しいわ」
うれしい。と。そう口にした彼女に小さく首を捻るも、彼女は答えを教えてくれない。
一体何が嬉しかったのだろう。そう思いつつ差し出されたグラスを口に運ぶ。
スッと鼻に抜けるこれは、彼女と過ごし始めて学んだから知っている。ミントだ。
ここに来るたび彼女はあれもこれもと誠一の心と体にいいからと、自分の育てたハーブを使って飲み物を淹れてくれる。
だから、というだけでもないけれど。好きな相手の好きなものを自分も知りたいという感情があったのも事実だけれど。
「さぁ問題です。セーイチが今飲んでいるハーブティーには何が入っているでしょう」
楽し気に問うてくる飴色に、さてと思考を巡らせる。
問いにするということは、ミント以外にも入っているのだろう。
が。
(さすがにまだ味でハーブは分からない……!)
なんという無茶ぶりか。いや、頑張るけども。けども!
考えて 一口飲んで 考えて 考え尽きて 肩落とす俺
「いや違うそうじゃない」
「何が?」
思わず一句出来たとか、そういう答えは求めてなかったというか。
「……降参。ミントは分かったんだけどなぁ」
腰に結わえた約束の導は、ほんの少しだけ色を変えたもののまだ揚げられる旗と同じ色をしているだろう。
ゆらゆら冗談のように揺らしてみせれば、ヴェロニカはぱちりと片目を閉じて庭の一角を指さした。
そこに咲いていたのは、白い小さな花をつけた――。
「モミー、お前だったのか……!」
「セーイチの家のモミーもそのうち様子を見なくちゃね」
かつてヴェロニカから譲られた種から誠一が育てることとなったジャーマン・カモミール。
愛称モミーの兄弟ともいえるそれが、やっと気づいたかと言わんばかりに揺れていた。
■
いやはや参った。いや、参ったというか、そうなんだけどそれを実行するとは。
「いや違うな。ヴェラだから当然か」
「なにを一人で納得しているの?」
掃除を始める前にはまだ上がりきる前だった日が、気づけばゆっくりと沈み始めるその時間。
「頑張ってくれた狸さんには、子狐からご褒美があるかもしれないわよ?」なんてそんな言葉に乗せられたとか、そういうわけじゃないけども。
再び通された家の中。手招かれるままに初めてキッチンに入ると、棚の中から取り出されたワインボトルをあれこれと手渡される。
ラベルもなく栓もあとからコルクが填められたのだろうそれを確認して、これはと誠一は目を輝かせた。
「ご褒美そのいち。子狐特製ハーブ酒よ」
「待ってました!」
前に誠一の大事な生徒と彼女が二人でキッチンにいたとき、そんなに狭く感じなかったこの場所で肩を寄せ合ってあれこれと話すなんて。
あの頃の自分は想像出来ただろうか。
いくつかの瓶と二人分のグラスを手にリビングへ戻り、ラグに座り込んでグラスを合わせた。
涼やかな音を立てたグラスに注がれた薄い飴色のアルコールをゆっくりと口に含む。
かすかな苦みがあるもの。すっきりした酸味があるもの。どことなく甘いもの。
まるで歩いてきた道そのものみたいな、溢れる色彩の味。
「それにしたってヴェラ、今回は沢山漬けたんだなぁ」
まだ棚の中に残っているワインボトルを思い出して、味わったことのないそれに思いを馳せてみれば。
自分の肩にかかった暖かな重みが、ゆらゆら楽し気に揺れていた。
「ふふっ。だって、セーイチがぜーんぶ飲んでくれるでしょ? うれしくって」
あまりにも嬉しそうに、気を許した甘い声で、そんなことを言うから。
そっと頬をくすぐる様に伸ばした手に、顔を擦り寄せて幸せそうに笑うから。
「そうだね。ヴェラが望んでくれるなら」
君色に染まるグラスをそっと床に置いて。
君が望むなら。貴方が望むなら。望む、これからの先の、約束を。
ねぇ、いとしいひと。ふたりで。
END
━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
【ka2086/神代 誠一/男性/32歳/飴色の花をその手に】
【kz0147/ヴェロニカ・フェッロ/女性/25歳/新緑の翼と共に】