※本商品は「ファナティックブラッド」の本編とは異なるアナザーノベルであり、「ファナティックブラッド」ならびに他ゲームコンテンツでプレイングやキャラクター設定の参照元にすることはできませんのでご注意ください。
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碧色硝子の杯
他の家の贈り物を、当主が自ら検分する事はあまりない。
多くは執事によって中身を改められ、内容の報告のちに処遇だけが決められる。
貴族として重視されるのはどの家がどのような思惑の元、どのように友好を示してきたか。重要な人脈なら丁重に扱われるが、それ以外となると。
故に、使用人が報告の済んだ贈り物を片付けようとしても何らおかしいことではない。
アルヴィン = オールドリッチ(ka2378)はとても貴族らしく振る舞う事の出来る人だから、使用人もそのようにしただけ。
だから、これは気まぐれのような偶然、たまたま窓の陽射しを受けてきらめくそれが、目に留まった。
「ソレ、さっきの?」
「ええはい、グラスセットです」
主人が興味を示したとあってか、使用人は片付けようとした箱を目の前に持ってくる。
緩衝材となる布と共に箱に収められた、四つのグラス。報告の際に執事が言葉を濁した通り、その杯は別段名のある工房、格調高い仕上がりではなかった。
まず脚のないタンブラー型という時点で貴族の贈り物としては似つかわしくない、職人芸のガラス装飾を施された訳でもなく、疵のない無色透明な仕上がりでもない。
ただ、目を見張るほどの碧色だった。
底の色が一番濃く、口に近づくにつれて淡くなるグラデーションは好意的に解釈すれば海の色だろうか。幾ら頑張っても隠しきれない僅かな疵が気泡のようで、その印象に拍車をかける。
何より特別だったのは、杯に施されていた白海豚のペイント。気泡も消せない未熟さに対する開き直りのようで、いっそ面白いとすら思えていた。
「……ウン、社交としては0点カナ」
物珍しさはあるがそれだけ、悪い品ではないのだけれど、格式的に夜会の席に並べるわけにも行かない。
でも少しだけ気を惹かれたから、どこの工房の品か調べるように指示を出して、戻したこのグラスも暫く置いておくように言い含めた。
…………。
怒っているかって? 勿論そんな事はない。
そんな感情始めから持ち合わせていないというのもあるのだけれど、それよりはどのような経緯でこんなものが送り込まれて来たのか興味があった。
方向性が貴族として似つかわしくなかったが、物自体はそれなりの見栄えを持っていたし、贈り物としての体裁はしっかりと整えられていた。
決して安くはない紙の箱に、手触りのいいビロードの緩衝材。ここまでして何故あの杯なのか、知りたいと思ったのだ。
送り主の事も調べはしたが、勢力としては政略結婚で辛うじて存続している弱小の部類、当主も特筆するべきところのない中年の男だった。
製造元の工房があるという同盟北西部の領地を訪れる。
特にやましいところもないのか、工房の所在は尋ねればすぐに教えてもらえた。
ひと目で上流階級だとわかる人間が訪ねてきた事に驚かれつつ、立ち入って問題のないところを見学させてもらう。
置かれた在庫の数々を見るに、作ったのはこの工房で間違いないだろう。
「貴族に知り合いハ?」
直球で尋ねてみると、弟子らしきは気まずそうな声を上げたが、果たして口外してもいいのかとばかりに工房の奥をみやった、向こうには部外者立ち入り禁止の作業場がある。
「その質問はこう、貴族的ないざこざで?」
「ウウン、個人的に」
アルヴィンは個人的に個々の品物を気に入ってやってきた、でもその品の出処は同じ貴族だったのだと伝える。
この辺はアルヴィンとしても余り取り上げられたくない話だから、お互い個人の胸に秘めるという事でどうかと交渉すれば、弟子は気に入ったグラスに誓ってくださいよと言って、経緯を教えてくれた。
このガラス工房、今こそ鄙びて落ちぶれているが、元々はもっと大きな街にあり、これほど悲惨な状況でもなかったらしい。
腕前は平凡ながら真面目かつ堅実だった職人夫婦には一人娘がいて、貴族の男はたまたま出会ったその娘に恋をした。
無知とは幸せな事だ、現実もしがらみも知りようがない。無邪気に愛を語る事が許されるのは僅かな時間だけで、のちに二人は現実によって引き裂かれた。
貴族と平民でいざこざがあった場合、経緯にもよるが概ねは平民が身の程知らずとされやすい。
恋物語は歪められ、居た堪れなくなった職人一家は工房をこの世捨て人の多い山奥に移した。
醜聞に悩まされる事はなくなったが、かつての功績や人脈も共に捨てる羽目になり、卸先を失った一家は苦しい境地に追いやられる、なんと言ってもこの場所は工芸都市、商売敵にも事欠かないのだ。
「グラスの絵はどこから?」
「娘さんが描いたものですね、少しでも独自色を出そうとして、商品の一部にだけ施しています」
経緯も経緯なら場所も場所だ、この状況を覆すには、商品だけの知名度が必要だなとアルヴィンはすぐに見当をつけた。
「ウン、わかったヨ、アリガトウ」
作品を一通り見せてもらって、今度は桜が描かれたピンクのグラスを購入する。
弟子から縋るような目で見られたけれど、安易な事は言えないから、口外無用の意味を込めて唇に人差し指を当てた。
はてさて、あの品が自分のところに送られてきたのは結局どのような思惑か。
誰が手引きしたのは想像出来るけれど、正直余りいい手とは思えない、これが自分以外の貴族だったら相手に弱みを渡すのに等しく、アルヴィンだって自分がそうしないとは言い切れない。
だが――そう、アルヴィンは貴族ながらハンターとかやる物好きで、しかも愛の伝道師を自称している。
女を捨てた男が表立ってどうこうするのは難しい、やりようによっては女を二度傷つける事になる。
だが関係ない他人ならどうだろう、このような子供じみた趣向を気に入ってくれる物好きな貴族がいるとしたらどうだろう。
きっと、勝算に関してはそれほど悪くなかった、でも。
……後日。
「若様、先日のグラスですが、気に入ったのなら返礼を?」
「ンー……」
貴族である以上矜持として礼を失する事はない、この場合問うているのは、特別さを示すかどうかだ。
執事がしたためる定型文なら、態度を見せない中立。個別に返事したら、勢力として友好を示す事になるだろう。
少し思案する素振りを見せる、素振りだけ見せたけれど、本当は答えなんてとっくに決めていた。
「必要ないカナ」
送り元、その人間関係、勢力を鑑みても特別さを示す事に家の利益はない。
執事はかしこまりましたと告げ、グラスを抱えて退出しようとする。
去り際、あれを倉庫ではなく、自分が入り浸っているアジト宛に送るよう指示した。
大きな家、高価な品だったらこうも行かないのだけれど、相手も自覚する程度にはささやかな品だから、問題ないだろう。
気に入ったのは個人としてだ、自分が役割として求められている以上、そこを間違える事はない。
二色のグラスはいずこかに送られ、貴族社会と関係ない場所で、思惑も知らずその役割を器として全うする事になる。
仲間に問われた時だけ、とびっきりの笑顔で特別な品だと披露しよう。
貴族として彼らを特別扱いすることはないだろうけれど、個人としてなら、或いは。