※本商品は「ファナティックブラッド」の本編とは異なるアナザーノベルであり、「ファナティックブラッド」ならびに他ゲームコンテンツでプレイングやキャラクター設定の参照元にすることはできませんのでご注意ください。
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顔をあげて
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薄青の空に、すっと絵筆で描いたような雲が幾筋か。
頬をなでていく風は、ふわりと花の香りを残して通り過ぎる。
ノワは鼻をひくつかせて、風のお土産を堪能した。
「いいお天気……」
春の優しい日差しが山にも街角にも降り注ぐ、そんな日だ。
「ふふっ。なんだかこれから、いいことがいっぱい待っているような気がするよね!」
足元できりりと座った狛犬は、ノワの言葉に同意するように尻尾をパタパタ振っていた。
ノワは自分の研究所兼自宅の玄関を見ながら後ろ歩きで数歩下がり、戻り、また後ろ歩きで少し離れる。
「うん。これでよしっと!」
満足そうに見つめるのは、『鉱物医療診療所』の看板である。
今まで研究所として使っていた部屋の一角を片づけて、ちょっとした空間をつくっただけの、ノワの診療所である。
「まずは形から、っていうもんね!」
誰かに言い訳するかのようにつけたして、ノワは自分の癖っ毛をひっぱる。
ついにこの日が来た。
小さな看板ひとつ、それでもノワにとっては覚悟の一歩。
ふと、ノワの顔からいつもの笑みが消えた。
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ノワは子供の頃、とても重い病気にかかっていた。
今、元気すぎるほど元気いっぱいに動いていられるのは、治療してくれた先生のお陰だ。
それまでの日々はただ苦しくて、辛くて、そして悲しくて。
春の日差しも、やさしい花の香りも、小さなノワは想像することすらなかった。
けれど先生に出会って、ノワはたくさんのものを取り戻すことができたのだ。
今でもはっきり覚えている。
静かな横顔。穏やかな声。優しい手のぬくもり。
鉱物医療の研究者だった女性を、いつしかノワは師と仰ぐようになっていた。
『私も先生のように、みんなを助けたいです!』
すっかり元気になったノワは、心からの想いを言葉にして伝える。
すると師匠は、いつもちょっと考え込むように首を傾げて、それから「がんばりなさい」と微笑んだ。
覚えなくてはならないこともたくさんあったし、鉱石を集めることも大変だった。
ノワは心から尊敬する師と共に、これからもずっとそうして過ごすのだと思っていた。
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それは昨日のことのようで、失われてからもう一年あまりが過ぎたとはとても思えない。
あの日のノワはいつものように、主人に呼ばれた犬のように無邪気な目をして、師の前に立っていたのだろう。
なのに、師が口にしたのはにわかには信じがたい言葉だった。
――教えられることは全て教えました。
――あなたはもう一人前です。
――自信を持って、今日からは自分のやりたいことをやりなさい。
およそこんな感じだったはずだ。
途中から頭がぼうっとして、今となっては師の言葉を詳しく思いだせないほどに、ショックだったのだ。
けれど師の表情は言葉よりもはっきりと、ノワに『親離れ』をするように告げていた。
そしてその翌日。
師の言葉をどう受け止めていいのかわからないままのノワを置いて、彼女はあっけなく逝ってしまったのだ。
「先生、ひとりじゃ無理です」
ノワの頭の中を、その想いだけがぐるぐる廻っていた。
自分が苦しんでいたように、今苦しむ誰かを助けたいという気持ちは確かにある。
先生の素晴らしい治療法を広めたいと願う気持ちも本物だ。
けれどまだ、先生の言葉の通り自分が「一人前」とは思えなかったし、自信なんか持てるはずもない。
「先生、ひとりじゃ無理なんです」
ノワには、師の言葉すらどう受け止めればいいのかわからなかった。
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師の残したのは言葉だけではなかった。
研究所の建物と、棚に残ったたくさんの鉱石たちがノワに残された。
どうしても辛い夜は、鉱石たちに囲まれて過ごした。
冷たい岩の塊が、不思議とあたたかく思えて落ち着くのだ。
鉱石たちはノワが信じる気持に答えて、力をわけてくれたのかもしれない。
少しずつ、本当に少しずつ、師を失った悲しみは、師の仕事を無にできないという想いに変わっていった。
ノワは「鉱石研究家・見習い」と自称するようになった。
師の仕事に追いついたとは思えない。でもきっといつか追いつきたい。
そして毎日を鉱石に囲まれて過ごしていた。
それからまた少し経って、ノワは気付いたのだ。
このまま見習いのままでは、誰も頼ってくれないのではないか?
見習いという立場で、自分は逃げていたのではないか?
誰かの命を預かること。
誰かの人生を預かること。
その覚悟が「見習い」には足りないと思われても、仕方がないのだと。
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ノワは自分の名前で出した、『鉱物医療診療所』の看板をもう一度見つめる。
「これで、いいんですよね」
確かめるように声に出す。
今日で「見習い」でいることは最後にしよう。
そう決めたノワは、看板を掛け直した。
研究室にこもるばかりではわからなかったことが、ハンターとして外に出ることでわかってきた。
依頼で出会った人々はみんな迷ったり悩んだりしているけれど、それでも前を向いて歩いていく。
ノワは今、自分もそうありたいと思うようになっていた。
「私、これでいいんですよね」
空を見上げる。
心に染みるような青だった。
師の言葉の代わりに、風が優しく吹き抜けていく。
ノワの顔にはいつもの笑顔が戻っていた。
が、そこで突然、大事なことを思い出した。
「あっ、依頼の準備をしなくちゃ! わあ、時間ぎりぎりー!!」
ノワは大慌てで家に駆け込んで行く。
狛犬も嬉しそうに飛び跳ねて、ノワの後を追う。
出会って別れて、また何かに出会う。
夢が実現するまでは、これからもそんな日々を積み重ねていくのだろう。
だから顔をあげて。
小さな一歩で、前に進もう。
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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ka3572 / ノワ / 女性 / 16歳 / 人間(CW)/ 霊闘士】
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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お待たせいたしました。
時期的なご指定がなかったので、出会いと別れを象徴する春の光景を勝手に入れてみました。
そのほか、内面描写などもかなりアドリブが入っておりますが、お気に召しましたら幸いです。
またのご依頼、ありがとうございました!