※本商品は「ファナティックブラッド」の本編とは異なるアナザーノベルであり、「ファナティックブラッド」ならびに他ゲームコンテンツでプレイングやキャラクター設定の参照元にすることはできませんのでご注意ください。
しとしと、まどろみ

 あまり大きな声では言えないような者が集まる不思議な館、『葡萄の館』。
 しとしと細く長く降り続く雨に包まれて、今日もまた朝が来た。

 湿度の高い、薄暗い、さながらホラーめいた館の廊下に、一人分の足音が響く。よろめくようなふらつくような、不安定な足取りだった。
「……あ~……」
 溜息と欠伸の合いの子を吐き出して、足音の主であるルース(ka3999)はだらしなく伸びをした後に両目を擦った。
 今日で何日寝ていない日を過ごしただろうか。覚えていない。覚えていないが朝が来たことは本当だ。男は睡眠性愛(ソムノフィリア)。眠っていたり眠る直前の朦朧としている対象に昂りを覚える。故に自分の寝顔を見せたくない、他人の寝顔を少しでも見ていたい、そんな歪んだ思考から極力眠らないルースは、常に睡眠不足だった。
 目的地も決めず彷徨う足をそのままに、何度目かの欠伸――した瞬間、ルースの視界の横、湿気を吸ったドアが軋む音を立てて開いた。
「あ? あー……ルースか」
 ドアから現れたのは気怠げな男、閉所愛好(クラストロフィリア)のイプシロン(ka4058)。
「おはよう、イプシス……」
 同じ館に住む知人同士、気怠げなイプシロン以上に気力――もはや生気のない声でルースが答え、片手を上げる。それからその手でまた目を擦った。
「ああ、朝日が眩しい……」
「朝日?」
 ルースの発言にイプシロンが片眉を上げる。そのまま怪訝な表情を窓へ向けた。灰色の空、降りしきる煙雨、窓を伝い続ける水の筋。少なくともお日様は雲の中に引きこもり、朝日のアの字もありやしない。
「……雨だぞ?」
 いっそう顔を『怪訝』にさせたイプシロンは目の前の男へ視線を戻した。睡眠性愛者の目の下には、刺青かと見間違うほどべったりクマが貼り付いていて――ルースが如何に眠っていないかを雄弁に物語っている。
「え?」
 寝不足と擦りすぎで充血した目を瞬かせ、ルースは首を傾げた。イプシロンは溜息を吐く。
「寝てなさ過ぎて朝日の幻覚見えてるとか……寝た方がいいんじゃないのか」
「うーん……でもまだ、あと一日は、起きてられると思う……」
「それ昨日も聞いたんだが。寧ろ一週間ほど前から聞いてるんだが」
「まだ寝ない」
「寝ろ」
「眠くない」
「お前な……」
 イプシロンが呆れたところで、ルースは再びゾンビのような足取りで歩き始めた。
「ああ……朝日が眩しい……」
「今日は雨だっつの」
 呆れながらもそう返しつつ、本人も気付かぬ根っこの部分で世話焼きなイプシロンは、彼のことが気がかりで――今日一日、ルースを観察すること決めた。







 数日前から降り始めた雨は、昼になっても収まる気配はなかった。強くなることも弱くなることもなく、辺り一帯を濡らしている。
 こうも雨続きだとカビが生えそうだ。お気に入りの場所であるクローゼットの除湿をどうしようかボンヤリ考えながら、煙草好きなイプシロンは共用トイレの掃除用具入れの中で一服済ませていた。
 さて、携帯灰皿に吸殻を入れ、閉所愛好の男は便所から出る。何気なくやった視線の先には中庭が見える。濡れきった景色。そんな中。

 ベンチに座ってボーっとしているルースが。

「……はぁ」
 イプシロンは溜息一つ。ちょっと目を離したらこれだ。大方、やることも気力もないまま気付かぬ内にあんな場所にいたんだろう。
 踵を返すイプシロン。そして早歩きで戻ってきたその手には大きな傘が一本、広げて庭に出て、水溜りの上に佇むベンチとそこに座り込んだルースのもとへ。
「おいルース、風邪ひくぞ」
 広げた傘の中に入れてやりながら、イプシロンが声をかけた。ルースはうとうとした眼差しで振り返る。すっかり濡れそぼったまま、前髪と髭の先から雨水を滴らせつつ「ああ」と答え。
「朝日がまぶし――」
「寝ろ。てかもう昼だし」
「まだ眠くない」
「嘘つけ」
 言いながら、イプシロンはルースの腕を引っ掴んでズルズルと屋敷の中へ。それから椅子に座らせて、濡れ鼠な髪をタオルでガシガシ拭いてやる。ルースはされるがまま、今にも寝そうな目でボンヤリしている。
「もういい加減寝ろよルース」
「いや、目が覚めた」
「は?」
「パッチリしてるだろ……?」
「死んで五日たった魚のようだわ。寝ろ」
「寝ない」
「寝ないと死ぬぞ」
「寝たら死ぬ」
「アホか」
「アホじゃない」
「はいはい。わかったから寝ろ」
「眠くない」
 言い合いはいつもイプシロンの溜息で終わる。着替えとして寝巻きを叩きつけられても、ルースに眠る気はないようで。
「ちゃんと着替えろよなルース。……はぁ、面倒臭ぇ」
 流石に自分より年上の男の服を引っぺがして着替えさせるまではしなかったイプシロン。「おじいちゃんかお前は」と愚痴一つ。「おじいちゃんじゃない」と律儀な言葉が返ってきた。
「分かったから、寝ろ」
「眠くない」







「寝ろ」「眠くない」――そんなやりとりを何度も何度も繰り返している内に、時間は夜となっていた。
 相変わらず雨は止まない。星も見えない黒い空から雨が降る。
 けれど屋敷の食堂には煌煌と明かりが灯り、賑やかな声が響いていた。それもその筈、今は屋敷の全住人が食堂に集合している。『夕食は必ず全員でとること』、それがこの館の唯一にして絶対のルールなのであった。
 今夜も豪勢な夕食が広い食卓を色とりどりに飾っている。漂ってくるいいかおりはなんとも空腹をくすぐった。
「……」
 相変わらず、今日も美味い飯である。イプシロンはサラダを頬張りつつ、そっと隣に座った睡眠性愛者へ視線をやった。案の定だった。うつらうつら、死んだ目をしたルース。スプーンを片手に握ったまま。
「おい、ルース」
 館の主には聞こえぬよう、そっと彼に耳打ちする。
「眠いんならささっと飯食って寝ろ、『奴』に見つかったらヤバイことになるぞ」
「眠くない」
「ならさっさと食えって、飯に手ぇ付けてないのお前だけだぞ『奴』が見てる」
 奴とは館の主の事だ。机の下、爪先で爪先を小突く。するとようやっと、のんびり欠伸を一つした後に、ルースはスープをすくって、一口。
「……」
 口に含んだものの。嚥下反応なし。
「……?」
 イプシロンが「どうかしたのか」と言わんばかりの目を向ける。
 刹那。
「げふっ」
 盛大に噎せ、激しく咳き込むルース。飲み込み方をど忘れし、口に入れたスープがうまく飲み込めず……無理矢理飲み込もうとしたら噎せてしまったのだ。
「おい大丈夫かよ……」
 眉根を寄せて背を丸めるルースに、水を差し出すイプシロン。もう片方の手は骨ばった背中を撫でてやる。
「大丈夫……次は、噎せない」
 差し出された水を飲み、ナフキンで口を拭い、ようやっと復活したルースはスプーンを握り直してスープをちびちび飲み始める。一口一口がぎこちなく、飲み込むのに一苦労している様子。
 そんな彼を、イプシロンは好物である酒を際限なく飲みながら眺めていた。暗所愛好者が見守る最中、ルースはゆっくりゆっくり食事を進めて――ペースがどんどん落ちていって――遂には、止まった。というか寝かけている。舟を漕いでいる。頭がガックンガックンしている。涎も垂れそう。なんというか、いつスープ皿に顔面からダイブしてもおかしくない。
「いいから……いいからそれは……一番下の右から二番目だから……」
 そしてこのうわ言である。
(……ヤバイ)
 イプシロンは血の気が冷たく引くのを感じた。そ~っと見やった視線の先、館の主は――青筋を立てている。ヤバイ。
「おいルース寝ろマジで」
 ルースの肩を掴んで揺すって。睡眠性愛者はというと揺すられるまま首をガックガックさせながら、
「眠くない」
 そう言うと思った。ので、イプシロンは。
「分かったご馳走様しろ」
「……ご馳走様でした」
 スプーンを置くルース。彼はイプシロンの「寝ろ」という言葉以外は存外に素直に聞くのである。睡眠性愛者は彼のことを「まともな、話の通じる相手」と思っていた。特に嫌う理由もない。
 そしてイプシロンもまた、ルースのことを「異常な奴が多い館の中でもまともな部類に入るヤツ」と思っていた。同じく、嫌う理由もなく、嫌いじゃない。どちらかというと気に入ってすらいた。
 ので。であるからこそ。「なんかほっとけねぇヤツ」と、年上だろうが関係なく思っていた。
「こうなったら強硬手段だ……」
 そう呟いたイプシロンは、同様に「ご馳走様でした」と宣言するとルースの身体をむんずと引っ掴んだ。

 昼間と同様、ズルズル引き摺っていく。
 雨音の廊下に男が引きずられる音と足早な靴音が響く。
 それから、湿ったドアが軋みながら開いて、閉じる音。
 閉じられたドアは、イプシロンの部屋へと通じるものであった。

 照明が点いておらずカーテンも締め切られた部屋は真っ暗。けれど暗所愛好(ナイクトフィリア)でもあるイプシロンにとっては居心地良く、暗くてもどこに何があるかは覚えている。
 ぎぃ。開くのは彼の部屋に数多あるクローゼットの内の一つ、『就寝用』。ベッドは囲まれてないから嫌いだ。そしてベッド代わりのそこにイプシロンはルースをポイと放り込み、自分もまた入り込む。少し狭いが詰めればなんとか。寧ろ狭いほうがイプシロンとしては心地良い。
「寝ろ、ルース」
「イプシス、眠くない」
「はいはいおやすみ」
「……」
 寝ない、眠くない、まだ、あと一日くらいは――そう言いかけたルースは、一面真っ暗闇な所にいることに気付いた。食堂に行ってからの記憶が曖昧だ。いつの間に。嗚呼。ここならば。何も見えない。だって真っ暗。
「寝ろ」
 その声はもう聞こえない。睡眠性愛者の意識は既に眠りに落ちていた。

 おやすみなさい。クローゼットの閉まる音。



『了』



━OMC・EVENT・DATA━

>登場人物
イプシロン(ka4058)
ルース(ka3999)
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発注者:キャラクター情報
アイコンイメージ
キース・A・スペンサー(ka4058)
副発注者(最大10名)
ルース(ka3999)
クリエイター:ガンマ
商品:水の月ノベル

納品日:2015/06/24 13:38