※本商品は「ファナティックブラッド」の本編とは異なるアナザーノベルであり、「ファナティックブラッド」ならびに他ゲームコンテンツでプレイングやキャラクター設定の参照元にすることはできませんのでご注意ください。
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夜と朝、夢と現のあわいにて
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――ああ。
周囲を漆黒に塗り潰しているのに、不思議と自分の姿だけは仄白く見える妖しの闇。
天鵞絨の手触りを感じさせる濃密な闇の底、ぽつり佇む己を自覚した瞬間、氷雨 柊(ka6302)は小さく息を飲む。
――夜が明ける前に、眠ってしまったんだ……私。
この後、目にするものは“分かってる”。
“分かってる”から見たくなくて、瞼を閉ざそうとした。
けれどそれは叶わない。
柊の白く薄い瞼は――否、瞼ばかりか指の先に至るまで、まるで雪花石膏の彫像と化してしまったかのようにぴくりとも動かない。
それならと、この闇から逃れようと懸命に自分へ言い聞かす。
――起きて、ねぇ起きて、起きるの――!
けれどそれも叶わない。
これは、夢。
柊は、少女の頃のある事件をきっかけに、長年“哀しい夢”を見続けてきた。
真白で柔らかくて小さくて、大好きで堪らなかった愛猫が、目の前で歪虚に殺されてしまう夢。
無残な光景、喪失の痛み。何より、何もできない無力な自分への怒りと失望。
それは空想の産物ではなく、紛れもない柊の記憶、その再現に他ならない。
“哀しい夢”は、柊が安寧な夜の帳に微睡む度現れ、幾度も幾度も胸を抉り、つい今しがた起こった事のように柊の中にあり続けている。
夜眠る度鮮やかに繰り返される夢のお陰で、何年経っても『思い出』として色褪せる事はない。
すなわち、哀しみを癒してくれる『時間』という優しい薬が、柊には与えられないという事。
柊の過ちにより――少なくとも柊自身はそう思っている――殺された白猫が、忘れる事を赦さないのか。
あるいは、柊を赦せずにいるのは彼女自身で、無意識の内に己に課した罰なのか。
いずれにせよこれは、その“哀しい夢”とは違う。最近見始めた“怖い夢”のほう。
震える事もできぬままじっと暗闇を見据えていると。
ぽぅ――と、すぐ傍の床が淡く光り始めた。
それは、闇に浮かぶ柊の肌と、同じ色みの燐光が凝ったもの。
――いや……やめて……
声にならない柊の懇願虚しく、燐光は徐々に人のカタチを取り始める。
それは平たい胴になり、肩が生え、腕が伸び、腰の膨らみからはすんなりとした脚が生え……瞬く間に、柊がよく知る人物のカタチを成した。
力なく俯せ、こちらに傾いだ貌に血の気はなく、微動だにしない。呼吸をしていれば少なからず上下する胸さえ、それにつれ揺れる髪の一筋さえ、何も、何も。
それは、いつもの“哀しい夢”で見る、冷たくなった白猫の亡骸を想起させた。
――やめて、見たくないの! お願い……!
けれど大事な人のカタチをしたそれは、声なき悲鳴をあげる柊を嘲笑うかのごとく、ひとつ、またひとつと増えていく。
幼い日々を共に過ごしたあの子が。
常に温かく見守ってくれた両親が。
明るい笑顔が大好きだった友人が。
あの戦場で背を預けあった戦友が。
優しい音楽を奏でていたかの人が。
柊が大事に思う人達が次々現れるのに、誰一人として動かない。動いてくれない。
生者ではあり得ぬ程の静止状態。耐えがたい静寂。
思い切り叫び出して駆け寄りたいのに、柊もまたその場から動けなかった。
目を逸らす事さえ許されず、見開いた双眸でただ、それを見ている。
干上がった喉はひゅうひゅうと凩のような音を立てるばかりだ。
――お願い、誰か起きて。私を見て、いつもみたいに名前を呼んで……!
――お願い、もう誰も私を置いて行かないで……!!
その時、何一つ動くもののなかった闇の底を、つぃっと何かが横切った。
白い、白いおぼろげな影が、ほうき星のような尾を引いて――そう。まるで“白い猫”のような……――
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「……ッ!」
そこで柊はようやく瞼をこじ開けた。
「……、……!」
夢から醒めた実感が欲しくて、暗がりの中闇雲に手を這わす。
温もった布団の感触、這い出した腕を包む冷えた空気。指先がコツッと何かに当たる。縋るようにまさぐれば、それは開きっぱなしの本だった。
「……そっか……私、本を読んでいて……いつの間にか寝てしまって、それで、」
自分自身に言い聞かすよう、小さな声を紡いでいく。
ゆっくりと息を吸い、乱れた呼吸を整えながら、早鐘のような鼓動を宥める。
最初は耳の中に反響する自身の鼓動しか聞こえなかったが、そうしている内に少しずつ、様々な音が感じられるようになってきた。
密やかな木々の囁きに誘われ、寝床を抜けカラリと障子を開ける。廊下には一層冷えきった空気が揺蕩っていたが、構わずその先の雨戸を開け放った。
途端、晩秋の夜風が氷の棘で肺を刺す。たちまち爪先や指の先がかじかんで、濡れ縁を踏む足の感覚も直になくなってしまった。
けれど構わず、朝が来る方角を見つめる。
森の木々越しに垣間見える東の空には、地平から濃い紫色が染み出し始めていた。それにつれ冬の星々が少しずつ輝きを失い、彩度を上げ始めた天へ溶けていく。
夜明け前の一等凍える寒さの中、柊は身じろぎもしない。ただ、夜明けを待ちわびていた。
闇夜に蠢く獣達は眠りにつき、新たな日の訪れを告げる鳥達もまだ目覚めていない。あまりに静かすぎて、庭の柔らかな土の下、チリリカリリと霜柱の伸びる音が聞こえる。夜と朝のあわいに、世界は酷く静かだった。
そうして、もう幾度目かの白い息を吐き出した時。
地平に眩い金の閃光が奔ったかと思うと、雲の端が真っ赤に焼けていく――長い長い夜がようやく明けたのだ。
朝陽の到来を見届けた柊は、ようやくほっと息を吐き、その場に座り込んだ。くったりと柱に背を預け、薫衣草の優しい紫に染まりゆく空を仰ぐ。
この時になってようやく、うつつに戻って来られたような気がした。怖い怖い夢は、燃えるような朝焼けにくべてしまえば良い。
――でも。
柊は思う。
――今は“怖い夢”で済んでいるけど。
この星を護るため、生きとし生けるものを護る為、精霊と契約し滅びに抗う者――柊自身も、柊が大事に思う人々の多くも、覚醒者として日々戦っている。
抗う力を持たぬものに代わり、抗う力を得た自分達が。
抗えぬもの達が、ただ滅ぼされていく事のないように。
言い換えれば、抗う力を得たが故に、危険な敵の前に立ち、力を揮わなければならない。
「……分かっては、いるけど」
大事な仲間や、心を寄せたあの人が、恐ろしく強大な敵に立ち向かって行くのを考えると、どうしようもなく胸が痛む。
つい先日も、彼らは柊の知らぬ戦場に赴き、大きな怪我を負ってきた。
誰にも話してはいないけれど、“怖い夢”にうなされるようになったのもそれが切欠だったりする。
分かってる。
誰に強制されたわけでもない、彼ら自身が望んで戦場に赴くのだ。
柊に止める権利など――覚醒者の役目を考えれば尚更――ありはしない。
止めては、引き留めては、いけない。けれど時折どうしようもなくもどかしくなる。
傷つくのなんて見たくない。
いくら手を伸べても届かない、守れない場所で、傷ついて欲しくない。
けれど『護る』事を望む彼らは着実に力をつけており、柊では踏み込めないような危険な戦場へ赴いてしまう。この世界を――柊も住むこの世界を護る為に。
やっと“怖い夢”から醒めても、目を開けて見るうつつもまた……――
そこまで考えて、柊は両手でぺちんと自分の頬を叩いた。
「これは、私の我儘。私の我儘は、困らせてしまうから……我慢しなきゃ、いけない」
行かないでと口にすれば、きっと彼らは困ったように微笑んで――それでも、柊の手を解いて行ってしまうのだろう。行かなければ、戦わなければ、滅びを免れぬ世界なのだから。
「だから――」
彼らと同じ戦場に立てるように。
安心して背を預けてもらえるように。
それが叶わぬなら、せめて――『行ってらっしゃい』と『おかえりなさい』が、笑顔で言えるように。
そうして、森の木々の先端に、昇った陽がかかる頃。
濡れ縁の柱に凭れたまま、すぅすぅと寝息をたてる柊の姿があった。
その膝の上には、毛並みが美しい1匹の白猫がくるりと丸まり、静かに目を閉じていた。
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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ka6302/氷雨 柊/女性/20/霊闘士(ベルセルク)】
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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納期いっぱいお時間頂戴してすみません。柊さんの“夢”のお話、お届けいたします。
戦わなければ滅びを免れぬ紅の世界。怖い夢から醒めて見る現(うつつ)もまた厳しいもの。
その中で、精一杯1日1日を越えていく柊さんの姿が表せていれば良いのですが。
今回、こちょこちょ漢字を当ててしまったので、ひっそりと乗せておきます……
(天鵞絨…ビロード、雪花石膏…アラバスター、薫衣草…ラヴェンダー)
シリアスには古めかしい漢字が合うと思うのです(趣味です)。
イメージと違う等ありましたら、お気軽にリテイクをお申し付けください。
この度はご用命下さりありがとうございました!