※本商品は「ファナティックブラッド」の本編とは異なるアナザーノベルであり、「ファナティックブラッド」ならびに他ゲームコンテンツでプレイングやキャラクター設定の参照元にすることはできませんのでご注意ください。
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幻想と隣り合わせの日々
その豪商のことを、Gacrux(ka2726)も面識はないがよく知っていた。傭兵の中でも有名な顧客だった。あくどいやり方で、方々から恨まれているのだそう。傭兵は、そんな主人の護衛や商売敵を武力で叩き潰す際に雇われるのだった。非常に金払いがよく、一度依頼を成功させればしばらくは遊んで暮らせるくらいの金額らしい。
「傭兵にあれだけの金を払うんなら、無理やり商売を大きくする必要もなかったろうに。稼いだ金と払った金で、差し引きどのくらい残るやら」
と、言っていた奴もいた。彼はしばらく南部で休暇を楽しむらしい。戦場から離れることが安らぎになるなんて、彼はまともな精神の持ち主だったのだな、とGacruxは思った。
その後、Gacruxも傭兵としてはじめて豪商の主人に雇われた。屋敷から荷物を運び出すのだが、積荷が完成するまでは自由にしていて良いと言われていた。
屋敷は内装は豪奢なのに、屋内はいつもどんより暗かった。
他の傭兵たちは、食堂で昼間から酒を飲んだり、高級食材でつくられた料理を食べたりしていた。
Gacruxはそんな中で、廊下にある肘掛け椅子に座って詩集を読んでいた。酒を飲む時間ではなかったし、ふと思い出した詩歌の文言を確認したかった。休みの時くらい、独りで静かにしたかった。かといって、持ち場を離れすぎるわけにもいかないし、屋敷内をうろつきまわっても不審に思われるだけだった。
詩集を読んでいると、きいきいという車輪の音がした。顔を上げるとメイドが一台の車椅子を押していた。
車椅子にかけるのは、夫人だった。豪商の奥方であろう。髪が白いために一見老けて見えるが、顔をよく見れば、皺も少なくまだ若いことがわかった。室内にいるのに、奥方は両手にミトン型の手袋をしていた。
その奥方と目があった。Gacruxは軽く目礼をする。同時に、仲間から名前を呼ばれた。準備ができたようだ。
立ち上がるGacruxの横顔をじっと奥方が見つめていた。
「何か、俺に用でも?」
奥方が発した言葉を明確な言語として聞き取ることはできなかった。異国の言葉のようなそれは、病人のうめき声にも似ていた。だから、なんと言ったか聞き返すこともためらわれた。とても文字には起こせない音だった。
車椅子を押しているメイドが、Gacruxのことを主人に雇われた傭兵の1人だと説明した。
それでも尚も奥方は何か言っていたが、うめき声という他ない。彼女の窶れた風貌も相まって、その様は随分と獣じみていた。
そうですね、とメイドは奥方の言葉に同意したが、それはこれ以上錯乱させないためのもので、決して心から同意しているわけではないことはGacruxにも理解できた。
メイドはそれ以上は何も言わずに車椅子を押す。
奥方はなおもぶつぶつ言っていたが、メイドはそれを聞き流して、庭へ出た。風でも浴びに行くのだろう。
Gacruxはその光景をながめていたのだが、もう一度依頼仲間に名前を呼ばれて、その場を立ち去った。
依頼をこなす道すがら、仲間の1人がGacruxに話しかけた。特別不和を起こしたいわけでもないので、Gacruxは適当な相槌を打って聞いていた。彼は一方的に喋っていた。
彼は、この豪商に以前も雇われたことがあるようだった。
彼の話では、豪商の妻──つまりあの白髪の奥方は頭の螺子が緩んでいるらしい。なんでも、若い男の顔を判別できないそうなのだ。
彼女は、数年前に駆け出しの詩人と不倫の仲になった。主人は留守が多かったために、忍んで会うのは難しくなっただろう。
だが、それも何がきっかけは知らないが主人に全てが露呈した。
主人は怒り狂った。その場にあったペーパーナイフで奥方の両手を滅多刺しにした。奥方の両手に後遺症と傷跡を残して、頭もおかしくなった。若い男の顔を見れば全て不倫相手の詩人の顔に見えるのだそうだ。彼女はほとんどを車椅子に乗って生活し、身の回りの世話はメイドにやらせているのだそう。
Gacruxは、正直言ってそんな話を聞かされるいわれもないし、よくもこんな不確かなものをもっともらしく話せるものだと感心していた。
しかしなるほど。この話が本当だとすれば、屋敷で奥方がGacruxを見つめていたのは、顔の認識機能が狂って、かつての不倫相手と見紛ったからなのだろう。
迷惑な話だな、と思った。
ただ、少しだけ、それほどの執着心を抱くという事柄については興味があった。恋の病と言うけれど、なるほど不治の病となってしまったのかもしれない。
認識の狂った奥方は一体、どんな世界で生きているのだろう。そういえばあの屋敷に男の召使いはいなかった。奥方の病状から女性しか雇っていないのかもしれない。彼女の見ている世界では、若い男は全員恋仲の詩人に見えるのだ。
(本物ではないが、恋した人に会える頭というのは不幸なのか、幸福なのか)
奥方だけは自分の見ている現実を真実だと思い込んでいるのだろう。だから、真性の恋心を相手に向ける。
相手と自分の認識している現実が違う。思えばそれは当たり前のことだった。ただ奥方の場合はそのズレが顕著なだけだった。
そして、そのズレた現実こそ、彼女にとって最も愛おしいものなのだ。
(だとすると、俺の見たい現実とは一体どんなものでしょうかね)
自問した。脳裏にはある女の顔が浮かんだ。答えは自分でも理解していた。
(ただ、それまでの道のりは──)
その時、仲間の傭兵から警戒を告げる声があった。
Gacruxは思考を中断して武器を構える。
槍を振るう。敵対者は人間だった。彼らもまた、別の商人に雇われた傭兵なのだろう。
(敵を倒せば終わりの話は、わかりやすいですね……)
依頼主に敵対する奴は敵。それだけの話だ。金に結ばれた縁だった。
Gacruxが目指すのは、それよりもっとわかりにくい絆だ。結べるのか結べないのか、そもそも糸があるかどうかわからないのに、お互いの指に透明な糸を結びつけるような話だった。
(でも、やるしかないんだろう)
諦めるにはまだはやい。諦めるには、存在が大きすぎる。
敵のこぼした血が、Gacruxの頬を僅かに汚すのだった。