※本商品は「ファナティックブラッド」の本編とは異なるアナザーノベルであり、「ファナティックブラッド」ならびに他ゲームコンテンツでプレイングやキャラクター設定の参照元にすることはできませんのでご注意ください。
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百の毒より痛む傷・2
それは『何年前もの出来事』より少しだけ時を進めたお話。
愚かで哀れな、とある男の昔話。
近郊警備衛兵の集団から命辛々逃れ、森の中にて倒れていたジェールトヴァ(ka3098)を発見したのは、彼の部下である盗賊団の者達だった。
意識のあったジェールトヴァはひたすらに、腹心であり友人であったエルフの男について手下に訊く。けれど皆「分からない」と口を揃える。衛兵が去っていくのを遠くから見たのと、親分がいないのとで彼等は酷くパニックになっていた。なんとかジェールトヴァを生きたまま発見できたのは奇跡だと、盗賊達は友の名を繰り返す頭領を抱えてアジトまで戻るのであった。
幸い弾丸は致命傷に至らず、ジェールトヴァは順調に回復を見せていた。
しかしその心は欠片も癒えぬ。寝ても醒めても、脳に浮かぶのは友のあの笑顔、彼が言いかけた言葉の続き。
押し寄せるのは後悔の波。衛兵に気付いていれば。走ろうと言った彼の提案を却下していれば。あの時あの場で、言い渋らずに『あの言葉』をすぐ伝えられていたら。いいや、もっと早くに言うべきだったのだ。そうだ。無二の親友が捕まってしまったのは全て自分の所為なのだ。
呻き声が、噛み締めた奥歯から漏れ出だす。
友は恐らく死罪だろう。
子供だって分かる。数々の村を滅ぼしてきた盗賊団の幹部だ。彼は死ぬ。ジェールトヴァのたった一人の友は、死ぬ。
その事をジェールトヴァは友の妻に告げた。ジェールトヴァが歩けるまで傷が回復してからすぐの日の出来事であった。辺境の町の酒場が営業時間を終えた直後の、寒い冬の真夜中であった。
裏口の傍、空の下、ジェーウトヴァの言葉を聞いた女は先ず目を見開いた。「何かの冗談だろう」と震える瞳が物語っている。けれど盗賊が告げた言葉は嘘ではなく、女はジェールトヴァの事を知っていて。愛する男が良く話していた彼の親友。「アイツは嘘は吐かない奴だ」といつも言っていたのを思い出す。
わあぁあぁぁ。
雪の上に泣き崩れる女の嗚咽が寒風と共にジェールトヴァの耳に入ってくる。女と友は新婚間もなかった。どうして、どうしてと繰り返す女の言葉にジェールトヴァが答えられる筈もなく。しかし「自分の所為だ」と言い出す勇気もまた男にはなく、ただただ、重く深く頭を垂れるのみで。
徐に差し出し、ぎこちなく女の肩に触れたジェールトヴァの手が震えていたのは、寒さだけの所為ではない。
――その日から、ジェールトヴァは友の代わりに女を保護する事にした。
女には父親はおらず、母親は近年病気で亡くしていた。今は前代の女主人であった母親に代わり、たった一人で小さな場末の酒場を切り盛りしている。だが古く寂れたそこには少数の常連客こそいるものの、商売は上手くいっているとはとても言えない状況で。
そしてこの御時勢、平和や安全が如何に呆気なく消え去るものか、ジェールトヴァは良く知っている。だからこそ、友が愛したこの女を危険から護り、養おうと思った。
それが、友に対するせめてもの償いになると信じて。
一方で女は泣き暮らしていた。「どうしてあの人を助けてくれなかったの」と八つ当たりめいた感情を、頻繁に訪れるジェールトヴァにぶつけてきた。
今日もそうだ。もう来ないで、と泣き喚いて蹲る女を、ジェールトヴァは見下ろしている。
「……」
ジェールトヴァは無表情である。けれどその心の中では、目の前の女に負けぬほど感情が渦巻いていた。そしてそれは複雑に絡まり、縺れ、解けない。
彼は、自分一人だけのものだったのに。
彼と過ごした時間は自分の方が多いのに。
エルフでもないただの人間の女の癖に。
彼は自分のものだったのに。
自分の方が彼を、――
(――、)
心の中で友の名を呼ぶ。引き離されて初めて、友に対する思慕の念が、友情や兄弟愛とは別のものだったとジェールトヴァは気が付いた。言葉を失った。頭の中が一瞬、凍り付いて白く染まる。
目の前の女はいつの間にか泣き止んで、俯いていた。友を奪った憎い女。けれど友が愛した、大切にすべき存在。
(――、)
もう一度友の名を呼んだ。しゃがみ、伸ばした手で女の頬に触れ、泣き腫らした顔を上げさせる。すると女がジェールトヴァの胸に飛び込んできた。
「私には貴方しかいないの」――女はジェールトヴァへの恨みと、夫を失った孤独と、一人になってしまった不安に挟まれ潰れそうになっていた。無力さ、心細さ。それは無意識的な『女の打算』。髪の色香を漂わせ、白い肌を摺り寄せる。女としての美しさの真っ盛りである柔らかな身体は、そこに存在するだけで男を誘う甘い花。
たとえ『そう』だとしても、ジェールトヴァは構わなかった。
彼女を通して間接的に、友をこの身に感じたかった。
求めたのは友の面影。浮かんだのは歪んだ情欲。
だから彼はこう言った。女を奪う様に抱き締めながら。
その一言はどんな言葉よりも簡単な言葉だった。
「俺もだよ」
――それから何度も。
何度も、何度も。
一度はまれば二度と出られぬ沼のよう。
いつのまにか、どちらからか、「愛している」などと――言うようになった。
女は、ジェールトヴァを求めるこの感情は愛なのだと錯覚し。
ジェールトヴァは、罪悪感からこれは彼女への愛だと自分を騙し。
そして嘘も錯覚も、時を経れば徐々に真実へと変わってゆく……。
「貴方の子供がお腹にいるの」
ある日、女はそう言った。幸せそうにそう言った。
ジェールトヴァも幸せだった。……と思う。
もう女はジェールトヴァを罵ったり泣いたりする事はなくなっていた。
ジェールトヴァもまた、友の事は記憶から薄らぎ始めていた。
正式な婚約こそしていないけれど、周囲も公認する夫婦となっていた。
そう、二人は『愛し合って』いたのだ。
やがて冬が終わり春が来て、夏になって秋になって、また冬がやって来た頃、二人の間に男の子が誕生した。
揺り籠の中で眠る顔。『愛し合って』いる二人の子供。二人は『幸せ』だった。暖炉のある部屋は暖かく、窓の外では灰色の夜が、白い雪を降らせている。
「私、幸せよ」
女がジェールトヴァに柔らかく凭れて来る。今や自分の妻となった彼女を、夫となった男は片腕で抱き寄せた。
「俺もだよ」
ああ、なんと言い易い言葉。いつの日からか嘘に薄れた罪悪感。ジェールトヴァはすっかり忘れていたのだ。今はただ、肩口にしなだれてくる女の甘い香りを堪能し、指先で揺蕩う髪を梳いている。
不意に女がジェールトヴァの顔を見上げてきた。結ぶ視線。交わす微笑み。女が緩やかに目を閉じる。男はゆっくりと顔を寄せて、その柔らかい唇に唇で触れた。
吸い、食み、戯れる音と、その合間から零れる吐息。女の出産が近かった故に二人は久しく深くは触れ合っていなかった。それはまだまだ真っ盛りに若い二人の情に狂おしいほどの火を付けるには十二分で。吐息の湿度に比例して次第に口付けは深くなる。
「ねぇ、ねぇ、ジェール」
甘い声で女が囁く。貴方が欲しい、そう言われ、俺もだよ、と男は答える。寝室へ行こうか、そう言いかけて――
――その時だった。
横目に映る視界。窓際に人影一つ。白い雪の中に立つ黒い影。
その正体は……
「!」
思わず顔を上げてジェールトヴァは目をやった。息が止まり、心臓が潰れそうな心地をしながら。
けれどそこには――誰も居ない。
(まさか……な)
どうかしたのと女が問う。ただの気の所為だったみたいだ、とジェールトヴァは答え、女の胸部に顔を埋めた。
まさか、そんな訳はない。
ただの見間違いだ、気の所為だ。
死罪になった筈の友が、窓の外からこちらを見ていたなんて。
その『気の所為』はいつまでもジェールトヴァの脳に焼き付いていた。忘れようと情欲のまま女に身を埋めても消える事はなかった。そして眠りで忘れようとしても、いつまでも『見間違い』が瞼の裏に焼きついて、寝させてはくれなかった。
深夜。女が眠りに墜ちてからジェールトヴァはこっそり家から抜け出し、件の窓辺へと足を進めた。降り積もる雪は古い足跡を消してしまう。冷え込む空気の中、ジェールトヴァは辺りを見渡した。雪以外は何も無い。やはり見間違いだったのだろうか――そう思った、刹那。
「ジェール」
懐かしいあの声。一瞬、全ての時が止まった。それは、友の声だった。
振り向くな。友はそう言う。そして彼は取り調べをうまく切り抜け、死罪を免れて出所した事を手短に告げた。
それから、彼は静かに――こう言った。
「妻子を頼む」
責める事もなく。怒る事もなく。憎む事もなく。
ただ浮かべた、優しい微笑。
ジェールトヴァが振り返ったそこにはもう、誰もいない。
立ち尽くす他になかった。
雪だけが静かに、静かに、降り続いていた……。
『了』
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ジェールトヴァ(ka3098)