※本商品は「ファナティックブラッド」の本編とは異なるアナザーノベルであり、「ファナティックブラッド」ならびに他ゲームコンテンツでプレイングやキャラクター設定の参照元にすることはできませんのでご注意ください。
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海の月に
さんさんと降り注ぐ陽差しを照り返すはずのティアンシェ=ロゼアマネル(ka3394)の髪は今、イブリス・アリア(ka3359)に貰った緑のリボンで結いあげられている。
「海……!」
髪のかわりにパレオが潮風になびいている。スカートのように長いものの、素肌を隠しきれるものではない。視線を巡らせるのと同じくらい落ち着きがない様子はまだまだあどけない。しかし惜しげなく晒されている腰や型の丸みは大人の女性のそれだ。見るからに柔らかそうだというのに、傷らしい傷は見当たらない。
(この胸元の傷は、何時ついたんだったかね)
対して自分はどうだろうか。店で適当に見繕ったトランクスタイプの水着を身に纏ったイブリスの身体には、いくつもの傷跡を見つけることができる。
これは致命傷をどうにか避けた証だったはずだ、位置からして心の臓の真上なのだから。
腹の分は暫くまともに食えなかった記憶の方が強烈で、突かれた瞬間の焼けるような痛みくらいしか覚えていない。
(確か背中にもあったはずだが)
自身の目につかない場所となると、更に曖昧になっていたりする。意識を向ければそこに在ることがわかるくらい大きなもので、違和感として、生来の皮膚とは違う硬さや形を成していると感じとれる。
(あとどれだけ増えるかねぇ)
普段から気にならないように鍛錬を繰り返しているから支障はないが、突っ張る様な痛みが走る傷が大半だ。恒常的な痛みには、脳も体も完全に慣れきってしまっていた。
「イブリスさん、イブリスさん!」
歩み寄ってくるティアンシェの声に思考が戻される。
胸元の輪から覗く谷間に気を取られ、肌に視線が吸い寄せられる。やはり自分とは大違い、護られる側の存在なのだろうと思う。
「すっごく潮の香りがしますね! ……どうしました、か?」
不思議そうに見上げてくる顔が視線を遮った。
「海なら当たり前だと思うがね」
何でもない、なんて言い繕うこともなくすっぱりと疑問は流されて。降ってくるのはどこか呆れたような視線。
解ってはいるのだけれど、ここまでゆっくりと香りを感じられる機会はなかったのだ。
「遊びに来たのは……デートでは初めて、ですし」
恋人だと、堂々と言っていいのかはわからない。けれど私が貴方のモノならば、例え貴方が私のモノではなかったとしても、これはデートと呼んでいいはず。
伺うように見上げたものの、上着さえも羽織っていないイブリスの身体が気になって仕方ない。
スケッチブックで咄嗟に顔を隠す。傷が怖いわけではない、むしろ男性の逞しさを感じて目のやり場に困ってしまう。
大人の女性らしさを求めて、友人に相談してまで選んだ水着だって見せるためのものなのだから、自分がイブリスの水着姿を見たってかまわないと分かってはいるのだけれど。
遠慮がちに、けれど確実に視線を向けていれば察せられてしまうのは当たり前で。
「俺の裸体なぞ既に何度も見ているだろうに」
面白がる声に鼓動が跳ねる。
(両手で数えられる程度ですもん!)
慣れる訳が無い。
「それでも、恥ずかしいのが乙女心なの、です!」
普段より互いを隔てるモノが少なくて心許ない。スケッチブックを持っているのもそのせいだったりする。
何度だって見たいというのも本心で。
「ま、お嬢ちゃんが楽しいなら別にいいがね」
「ねね、早く行きましょう!」
いつもなら袖や裾を引くが今日は丁度いい場所がない。遠慮がちに腕を伸ばしてきたわりに、触れてからはぐいと力がこもる。その程度の力ならぐらつきもしないのだけれど。
鍛錬か、それとも歪虚狩りか。必要な時しか来たことがないし、何が楽しみなのかがわからない。デートとは言われたが果たして何をするものなのか。
(乙女心、ねぇ)
分からん。むしろ永遠に分からないものなのだろう。
全く歩を進めないイブリスにしびれを切らしたティアンシェから熱い視線を感じる。ご丁寧にもスケッチブックを間に挟んでいるが、この距離で何の意味があるのだろう?
(濡れるだけで邪魔だろうに)
普段は必須のそれも、自分といる時は不要になるよう覚醒する習慣がついていた筈だ。濡れてしまうだけだと思うのだが。
海と水着とスケッチブック。ティアンシェだから当たり前の組み合わせであっても、今は随分と無粋な代物だ。視界を遮るモノはどかしてしまうのが一番だろう。
じっと見つめていたからか、空いている腕をことさらゆっくりと伸ばしてもティアンシェは無警戒。試しに顔も近づけてみる。
「さて」
ニィと唇が曲がるのがわかる。今の自分は特別に悪い顔をしているだろうに目を閉じるあたり、ティアンシェの脳内はしっかりとピンク色で染まっているようだ。
「お嬢ちゃんの悲鳴を聞かせて貰おうか」
耳元に囁いてすぐ、邪魔モノを取り上げた。
高鳴る鼓動がうるさすぎて、自ら閉ざした視界の中、大好きな貴方の吐息に身を震わせるしかなくて、貴方の声がうまく捉えられない。
待ちわびた温もりは訪れないまま、むしろ在って当たり前の重みがなくなる感覚に焦るしかなくなる。
「きゃっ……」
身を守る盾、スケッチブックはどこに? 探そうと目を開ければ、視界いっぱいに広がる肌色。
適度な距離でも恥ずかしかった。それが口付けてしまいそうなほどの距離で、熱を感じられる近さで、首筋のラインを汗がつたう様子さえも鮮明に……
「きゃーーーーー!!?!?」
慌てて飛び退ろうと手を離した筈が逆に腕が捕らえられていて。
「隠すな。俺に見せるために着替えたんだろう?」
確かにそうだ。水着なんて買ったこともなくて。とりあえず持っていたのは店で押し付けられたスクール水着くらいで。それでは貴方の視線を絡め取れないと思ったから。
上から下までじっくりと見られて、その視線に期待した以上の熱があると気付いてしまった今はどうしても恥ずかしさが勝ってしまう。
「か、返してください! ダメダメダメダメ、み……見ないでーー!」
自分の視線を隠す盾で、貴方の視線を遮る盾で。うまくすれば取り返せるかもしれないと腕を伸ばすが、跳び上がれないように捕らわれても居る身。体格差を覆せるわけがなかった。
「後で回収すればいい」
浜辺に置いた荷の方に放り投げれば、諦めもつくというものだろう。
「海に入ってしまえば、そう見えるものでもないぞ?」
「なら行きましょう!」
あっさりと踵を返すのに合わせパレオも翻る。いざ、入水。
「……あれ?」
ほんの一歩。波打ち際だからこそ常に水の中に居る訳ではなく。
「どうした」
「私。どうやって泳ぐのか知らない、です」
「それは、かなづち……ああ、知らないのか」
そもそも泳いだことがないというわけか。
「教えてやってもいいが」
気紛れに聞けば目を輝かせるものの、すぐに不安そうなものに変わる。鍛錬の話はそれほどしていただろうか。
「……厳しいのはいや、です」
「スパルタは嫌だ? 我が儘だねぇ」
耐える様子というのも面白いと思ったのだが。拗ねた顔というのも面白いので良しとする。
「なら古典的な手で行くとしよう」
ちゃんと教えてやるからついてこい、そう言って手をひけば素直だ。深い所に連れ込まれるなんて思い浮かびもしないのだろう。
鼻歌混じりにゆっくりと歩いていたが、深くなるにつれ次第に大人しくなっていく。それでも手を振りほどかない頑固さに感心すべきだろうか。
(ただ意地になっているか)
別に面白ければ構わないので、そのまま足の着く深さのあたりまで誘導していった。
「いい子で待てるな?」
ゆっくりと手を離す。そのまま少し離れた位置まで移動するのだが、視線が痛いほど向かってきている。乙女心はどこに行ったのだか。揶揄いを込めて鼻で笑ってやれば、不安な色の瞳に少しの怒気が浮かんだ。
(それだけ気が張れるなら大丈夫だろう)
笑いかけて、思考の先をかっさらう。
「ほら」
捨てられた犬のように見上げてきている。その視線の先で指を曲げ、誘う。
「俺のところまで一度も足をつけずに泳ぎ切れたなら、ご褒美をやるぞ?」
(ご褒美!)
とても甘美な響き。どれほど素敵なことなのだろう? 想像を膨らませる前に、ティアンシェの視線は指の先に示された唇に向かってしまう。一度だけ触れた記憶を確かに覚えている。
海水の冷たさを思い出して身体の火照りを抑えようとするけれど、どうしても赤くなってしまう。
「やります! 絶対に泳いでみせます、ね!」
意気込んだせいだと、形だけでも誤魔化してみることにする。
「足付けたら罰ゲーム」
「それは……でも、やってみせます!」
だが、一度も挑戦したことがない。これだけ広い場所で、水に浸かること自体初めてのようなものだ。
(口頭でコツを聞いてみる、とか?)
ちらりと様子を伺ってみるが、イブリスの笑みは変わっていない。これは何を言っても駄目だ、きっと挑戦権も奪われてしまう気がする。
(手取り足取り教えてもらえるかも、なんて夢のまた夢、でした)
言葉選びを間違えただろうか。例えば『優しく教えて欲しい』とか……自分でもそれはあり得ないと理解しているけれど、想像の上でなら構わない気がする。
ふるふると首を振って集まりはじめていた妄想を散らす。
「やめておくか?」
「今のは、集中するための準備運動なの、です」
少しでも隙を見せてはいけないのだ。時間をかけてもいけないのだ。本当に大事な時は待ってくれるけれど、気紛れな所のある人だから。
泳ぎ方は知らない。だから知っていることと、思いついたことを組み合わせるしかない。
「今行きますから、待っててください、ね!」
大きく息を吸い込む間にイブリスの居場所をしっかりと見据えて。覚えたからと目をつぶって。ティアンシェは水中に身を躍らせた。
一番効果があるだろうとは思ったが。ここまで素直に実行されると脱帽と言っていいのかもしれない。
泳ぎとも呼べず、溺れているとは判断できないティアンシェを観察し続ける。次第に犬かきのように決まった形になっているようだ。
(この短時間で水に馴染むか)
少しずつ少しずつ、イブリスに近づいてくる。波が来るたびに流されているのだが、その波こそがイブリスの方へと方向修正をかけていた。
溺れる心配も助ける必要もないと判断したところで、違和感に気付いた。
(解けるな)
慣れない動きだったのは間違いない。いつもより、なりふり構わず動いた結果なのだから仕方はないのだろうけれど。ティアンシェの髪を纏めていたリボンの緑が水中に広がっている。
髪もやたら丁寧に編み込んでいたなと思い返す。泳いだことがないからこそ、リボンなんて邪魔になるものを使ってしまったのだろう。
(波に浚われるよりはいいか)
失くして落ち込む様子を好んで見たいわけでもない。もうすぐ傍にくるリボンを解こうと手を伸ばした。
(や、やったーーー! 着いたの、ですよ!)
見えない、聞こえない、暗闇に包まれた中で何かにぶつかったから。
「イブリスさん、イブリスさん! 着きました!」
立ち上がって、新鮮な空気を吸って。目の前の大好きな人に笑顔を向けることができたはず。
「ふっ……次は、溺れたわんころじゃなく、せめて人魚をこうしたいものだな」
冷えた体が温もりに包まれる。楽しそうな笑みと声がより近い場所で振ってきて、体温をあげていく。
(おぉぉお姫様抱っこ、ですーーー!?)
もう水中じゃないというのに、呼吸が止まってしまいそうだ。
「形に残るものがいいのです、ね」
別に綺麗じゃなくたっていい。今日というデートを思い出すための、記録するための。海に来たと強く示してくれるモノ。
大小さまざまな貝殻を眺めながら、ひとつずつ手に取っては微笑みばかり浮かんでしまう。
「この2枚貝なんてどうだ。左右に同じ虹の模様がかかっているぞ」
「!」
何の気なしに手渡された貝は期待を越えた綺麗な色。遂に互いの想いが繋がった証のような、対の虹の橋。
「……なんだその顔は。お嬢ちゃんにはこっちのほうがお好みらしいな」
嬉しかったのに、どうしてまだ『お嬢ちゃん』なのか。抗議の声をあげようと口を開いたところで逞しい腕が自身を浚う。
「なん……っ」
顔を合わせたくても、もう遅い。ならば目の前の貴方自身に仕返しするしかないでしょう?
甘く噛みついた首筋をつたっていたのは焦りの雫か、それとも。
━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
【ka3394/ティアンシェ=ロゼアマネル/女/22歳/聖唄導士/水も滴る忠犬】
【ka3359/イブリス・アリア/男/21歳/猟影士/猟師はケアを怠らない】
痺れさせ、流れ、浮かび、舞い……終には溶ける。ある意味では人魚の様で。
海面に浮かぶ彼等も、夜空に輝く愛の言葉となり得るのかもしれません。
『海風のマーチ』
副発注者(最大10名)
- イブリス・アリア(ka3359)