※本商品は「ファナティックブラッド」の本編とは異なるアナザーノベルであり、「ファナティックブラッド」ならびに他ゲームコンテンツでプレイングやキャラクター設定の参照元にすることはできませんのでご注意ください。
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オムレツ食べよ
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小春日和のうららかな日差しが、閉まったままのドアを優しく照らしている。
かつて『ザントメンヒェン』という看板がかかっていた頃、このパン屋はいつも多くのお客でにぎわっていた。
だが今では、開いたドアがお客を迎え入れることはない。
店の中には静かな諦観とでもいうような、落ち着きと少しばかりの寂しさが満ちている。
――それは元店主の草薙 桃李(ka3665)の思い込みだろうか。
桃李は二階の窓から、外の通りをぼんやりと眺める。
かつてパン屋の店先で、お客が途切れたほんの短い時間にもそうしていたように。
だがあの頃の桃李と今の桃李の違いは、一階と二階の視点の違いだけではなかった。
桃李は無意識のうちに、自由なほうの手で反対の腕をゆっくりとさすっていた。
まるでそうして撫でていれば、腕の自由が戻ってくるかのように。
邪神戦争が落ち着き、世界は少しずつ『日常』を手に入れつつある。
多くの人が何かを失い、もがきながら日々を生きている。
まるで自分の失ったものを、失ったという事実を、認めまいとするかのようでもある。
残されたものをこれでいいのだと、あるいはこれだけは守るのだと、そう強く思い、形のない『敵』と戦い続けているのだ。
桃李も片腕の自由を失い、不意に訪れた『日常』を受け止めかねていた。
日当たりの良い窓際の椅子に身体を預け、すぐに軽く首を振る。
頭の中に浮かんできたのは、今日の気温と湿度、そしてそれに最適な酵母の発酵時間と小麦の配合割合だったからだ。
「もう忘れてしまえばいいのにな」
自分自身の習慣に思わず苦笑した。
「……戦争が終わったら、頑張ろう……と思っていたからな」
戦争が終わっても、彼の望んでいた日常は手に入らなかった。
念願のパン屋だったが、負傷し重い後遺症の残った腕で続けることはできなかった。
桃李の夢はあっけなく奪われ、二度と戻ることはないだろう。
桃李は腕をさすりながら立ち上がり、何事かを考える様子だったが、またすぐに椅子に腰を下ろす。
彼の憂いは、ただ大好きなパンや菓子を焼けなくなったということだけではない。
ある意味もっと切実な現実に直面しているのだ。
「俺、このままじゃニート一直線なのでは」
美味しいパンを焼くことは、桃李自身が人に誇れる、数少ない取り柄だった。
だから平和になったら、パンを焼いて生きていこうと決めていたのに……である。
それなりに長い残りの人生を、これからどうやって送るのか。
桃李には未来がまるで見えなかったのだ。
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桃李の静かな物思いは、それほど長く続かなかった。
「またぐるぐると考え事かな?」
聞きなれた声に顔を上げ、部屋の入口を見る。
均整の取れた身体、うなじでまとめたつややかな長い黒髪。
真っすぐに桃李を見つめるのは、ともすれば少しきつく見えるほど、強い意志を秘めたアーモンドアイ。
買い物から戻った草薙 白(ka3664)が、紙袋を抱えて立っていたのだ。
「お帰り。俺にも荷物持ちぐらいできるのに」
「私が大きな荷物、桃李が小さな荷物を持っていたら荷物持ちにならないでしょ」
反論できない、きっぱりとした口調。桃李は苦笑いで応えるしかない。
とはいえ、ふたりの間にとげとげしい雰囲気は全くなかった。
籍を入れて早数年、挙式こそしていないが、共に日々を重ね今日まで生きてきた。
互いをよく知っているからこその、一見冷たいようにも聞こえる物言いなのだ。
「俺だって、役立たずってわけじゃないと思うんだけどな。戦争の間は結構頑張ったんだから」
桃李のささやかな述懐は、白の鋭い一言で粉砕される。
「後遺症を残すな」
「……はい」
白は買ってきたあれこれを、キッチンの決まった場所へ片付けていく。
桃李はそれをぼんやりと眺めていた。
白のことは、ほんの小さい子供の頃から良く知っている。
ずっと大切に思い、ずっと焦がれてきた、特別なおんなのこ。
自分を振り向いてくれて、一緒に生きると誓ってくれて、その約束通りに戦争でしくじった自分と一緒に居てくれる。
ただ桃李が桃李であればいいのだと、当然のような顔をして。
――それが嬉しかった。
慌ただしく危険な日々は、互いの大切さを知るためにも大事な時間だったと思う。
けれどこうして平和な日々で、何をするということもなく生きていることも、とても大切なことだ。
なんでもない『日常』は愛おしく、何物にも代えがたい。
とはいえ。
(男として! 旦那として! それは! どうだろう!!)
また戻ってくる、ぐるぐるの考え事。
日常の中に、桃李の果たすべき―納得できる―役割が、見つけられない。
桃李は白に聞こえないように、そっと溜息をついた。
聞こえないように、溜息をついたつもりだった。
だが白は、聞こえていたようにキッチンから顔をのぞかせる。
「お昼、オムレツはどうかな?」
桃李はほんの一瞬、白の顔を見つめる。
オムレツ作るわよ、でもなく。
オムレツ食べるでしょ、でもなく。
まだ作っていない、作ろうと思っているけれど、桃李の希望を聞きたいのだと。
てきぱきと何でもこなしながら、白は桃李の意志を押さえつけない。捻じ曲げない。
だから桃李は心からの笑顔を向ける。
「いいね、オムレツ。白の作るオムレツは美味しいから」
「お世辞を言っても味は変わらないけどね」
そう言いながら、白は楽しそうに微笑む。
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今日の卵は、なかなか具合がいい。
白は慣れた手つきで殻を割りながら、満足そうに口元を緩める。
使い勝手のいいキッチンで、伴侶の為に、卵を割る。
ささやかな日常は、こんなにも素敵だ。
きっと桃李もそう思っているに違いない。
だけど、自分が生きるべき場所を見失うことは辛いことだろう。
白にもそれはわかる。
(でも人生にはちょっとぐらい、休息の時間があってもいいでしょ)
そもそも、桃李は好きで戦っていたわけではなかった。
戦わなければならないから戦っていただけなのだ。
(だから少しぐらい休んだらいいじゃない?)
幸い、これまで受け取った報酬はそれなりの額になっている。
もし不安なら、白には事務員としてのスキルがあるので、何か仕事をみつけてもいい。
少なくとも、ふたりが当分のんびり過ごすのに困ることはないはずだ。
だから白は前向きに、オムレツを作ることができるのだ。
ボウルに入れた卵をかき混ぜ、火にかけたフライパンの具合を確かめる。
よく使い込んだ鉄のフライパンは、白の身体の一部のように馴染んでいた。
――例えば、白の利き手が動かなくなったら。
このフライパンで、桃李の好きな料理を作ることもできなくなる。
そう思うと、桃李のもどかしさを理解できるような気がした。
おそらく桃李がひとりなら、ただ苛立ち、不運を嘆くぐらいで済んだだろう。
けれど白と一緒に生きているから、もっと大きな、どうしようもない強い感情が湧いてくる。
――大切な人の、役に立ちたい。役に立たない自分がもどかしい。
もしも逆の立場なら白はそうやって悩み、桃李は気にするなと笑うだろう。
それでも、白もやはり思い悩むに違いない。桃李を大切に思うからこそ。
考え事をしていても、白の手は休むことなく動き続ける。
フライパンに卵を流し入れると、じゅわっという音と、暖かな湯気が立つ。
軽くかき混ぜてから、用意しておいた具を乗せる。
今日はベーコンと野菜を用意した。
フライパンを揺すり、焼け具合を確認してから、大きく動かす。
ポン、と皿に乗ったオムレツは、黄金色に輝く最高の仕上がりだった。
「よし!」
まるでこれから、全てのことがうまくいくと約束されたようで、白は小さくガッツポーズする。
白の様子から、料理が仕上がることがわかったのだろう。
呼ぶよりも先に桃李はキッチンにやってきて、自由の利かない身体でゆっくりと食器を並べていく。
白はそれを止めなかった。
桃李が自分から何かしたいと思うなら、それを止める理由はない。
「できた」
オムレツの輝くお皿をテーブルに置いて、白がちょっと得意そうに顎を上げる。
桃李は湯気が当たるのを楽しむように、少し顔を近づけた。
「すごいな。美味しそうだよ」
「まあまあかな」
白はちょっとだけ謙遜してみた。内心では、会心の出来だったけれど。
テーブルを間に向かい合って座り、いただきますと手を合わせる。
ベーコンと野菜をくるんだオムレツは、焼け具合も見事な出来栄えだった。
「うん、形も完ぺきだけど、やっぱり美味しいよ」
桃李はお世辞ではなく、心からそう思っていた。
自分の為に白が心を込めて作ってくれた料理は、どんな高級レストランの料理も叶わない。
白の料理は桃李に沢山の元気を与えてくれる。
胃袋を満たし、心を満たし、生きる希望をくれるのだ。
「よかった」
白が嬉しそうに笑う。その笑顔も、桃李が生きる理由だ。
オムレツが美味しくて、よかった。
あなたと出会えて、よかった。
あなたが生きていてくれて、よかった。
あなたがわたしを選んでくれて、よかった。
ささやかな日常にちりばめられた、沢山のよかったをかみしめる。
あなたと、これからも一緒に。
━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
長らくお待たせして申し訳ありません。
また、別途お手数をおかけしまして申し訳ありませんでした。
闘いの終わった後も、キャラクターたちは生き続ける。
哀しみも喜びも、ずっと続いていく。
コンテンツが終わり、皆様の「その後」を書かせていただくと、その思いは一層強くなります。
今回はオムレツが予想外に需要なアイテムになりましたが、ご依頼のイメージから大きく離れていなければ幸いです。
ご依頼、誠にありがとうございました。