※本商品は「ファナティックブラッド」の本編とは異なるアナザーノベルであり、「ファナティックブラッド」ならびに他ゲームコンテンツでプレイングやキャラクター設定の参照元にすることはできませんのでご注意ください。
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誰がために鋼は鳴る
酒精がにじむ吐息をほうと漏らして、春陰(ka4989)は額にかかる青みがかった髪を掻き上げた。
いまいち酔えない。杯を重ねるごとに苦味を増していくような酒を舐め、人知れず嘆息する。どこかアンニュイな姿に見える春陰の肚の中は、見かけの憂鬱さとは裏腹に、ジリジリと焼き切れるほど熱いのである。
「お勘定を」
どれだけ飲んでも酔えない己に見切りをつけ、春陰は酒場の席を立つ。歩くたびにカチカチと鳴る鍔の音が耳に触った。手入れをしなければ、と、未だ冴える脳で思考する。今朝も手入れをしたが、なんとなく気にかかるのだ。
軽い音を立てて戸を開く。店の外は雨だった。
店の外に立てかけてあった己の傘を開き、暗く湿った道へと歩き出す。
シトシトと雨が降る。傘の布地を叩く雨粒の音を聞くともなく聴きながら、春陰は思考の淵へと沈んでいた。
邪神ファナティックブラッド。世界に滅亡をもたらさんとするもの。
決戦を控えた敵の名を思う春陰の表情は暗い。思わず、刀の柄を握る手に力がこもった。柄頭がぎちりと軋む。
敵を恐れているわけではない。強敵との戦いはこれまで幾度となく経験している。今更何を恐れようか。
しかし、しかしである。
己はなんのために刀を振るっているのかと、自問することがやめられない――……。
「……」
ふ、と。
春陰の思考を乱すものが現れた。
酒に酔えぬ夜に無作法なものがあったものである。春陰は力任せに握りしめていた柄頭から手を離し、いつでも抜刀できるよう握りを変えた。
あくまでも自然体で、いつものように泰然と、煮える肚の中を知られぬよう、表情は穏やかに微笑んで。
これは野盗だろうか。人を害することに慣れたにおいがする。
世界存亡の危機も、悪漢どもには関係ないらしい。微笑みの下で春陰は思う。彼らにしてみれば、明日になれば死んでしまうかもしれない世界などいつものことなのだろう。彼らは今日1日を生き抜くことに貪欲だ。そこに先を、未来を憂う思考など皆無。ただ今この瞬間に己の欲望を満たすためだけに生きている人種。おめでたい連中だ。
ふと、思う。
例えば邪神を倒して世界を救ったとして、己の刀はこの野盗連中をも救ったことになるのだろうか。
となると、己は決戦にて此奴らのために刀を振るうことになるのか。
それでいいのかと、春陰はまた自問する。
例えば、世界を救うとして。
一体誰のために刃を振るおうというのか。
別段、春陰は生きることに執着はない。誰かのため、ひいてはこれと定めた主人のために命を散らすことに躊躇はなく、しかし己には未だそのような主人はない。
無い無い尽くし。そんなことを思って自嘲する。
けれど、そうだ。強いて戦う理由をあげるなら、まだ、死ねないと思う。己が全てをかけて仕えるべき主人をまだ見つけていないのに、呑気に死んでいるわけにはいかない。
誰を救うわけでも、誰のために剣を振るわけでもなく、今はただ、己が目的のためにこの刀を振るう。それでもいいではないか、と春陰は愚考した。
そう、究極の話、世界などどうなろうとも関係ない。
だって、春陰は今までも、世界を救おうとして戦ってきたわけではないのだから。
気がつけばこんなところまで来てしまったが、春陰の動機など単純である。
誰かを守りたい。主人に仕えたい。己の手に届く範囲の全てを救いたい。ただそれだけのこと。
思考しながらでも油断はしない。相手は手慣れた様子で春陰を包囲せしめんと蠢いている。その程度で己をどうこうできようなどとは片腹痛いが、今宵の春陰はどうにも気が立っていた。全く酔えないと思っていたが、少なからず酒が回っているらしい。
なれば全力で叩き伏せてやろうと、穏やかな笑みの下で嘯く。
サァサァと雨が降る。
ぬかるんだ地面をヒタヒタと草履が叩く。雨音に紛れそうなそれを正確に聞き取って、春陰はついと、自然な動作で刀を抜いた。
雨粒に、鋼の鈍が煌めいた。
次の瞬間立ち上る血臭と、砂袋が倒れたような重い音。
野郎の汚いうめき声が静けさを台無しにした瞬間、四方八方から暴漢が躍り出る。
「おや、一度に来てくださるとは何ともありがたい。追う手間が省けました」
悠然と春陰が笑う。余裕を崩さない優男に、野盗の集団はいきり立つ。
「申し訳ない、今の俺は少々――気が立っておりまして」
どのみち、悩んだところで答えなど出ない。なれば、なれば、己のやることなどひとつきり。
雨粒を弾き飛ばすように刀をふるい、春陰はただうっそりと笑う。
今はただ、鬼となろう。
己の信念を貫き、己の正義を曲げぬ、己の定めた悪を退ける戦鬼。
その果てにあるものを、今はまだ、誰も知らない。