イメージノベル第一話(前篇)

――その全ては、ただ唐突に訪れた。

それは落ちるような感覚ではなく、むしろ浮遊感に近かった。この世界に降り立つ瞬間、確かに彼……篠原神薙の身体は僅かに宙に浮いていたのだから、その感覚は決して間違いではない。しかし落ちるという感覚を得ないままで着地したのだから、それはある意味おかしな事だった。

うまく着地出来ず足がもつれ、自然と片膝を着く形になった。状況に理解がまるで追いつかず膝を着いたままの姿勢で固まる事数秒。やっと“何が起きたのかわからない”事に気づき、そこで少年はようやくそんな自分の間抜けな姿を複数の人間が見つめている事に気づいた。
「あ……え……?」

更に間抜けな言葉が漏れたのは、そこに立って自分を見ていたのが実に非現実的な外見の人々だったからだ。というかそもそも、この場所が現実的とは程遠い。鬱蒼と生い茂った森の中、中空から落下して、妙な格好の人々に見られている。少年はゆっくりと立ち上がり、状況を整理し、合点が行きましたと言わんばかりにポンと両手を叩いて言った。
「なるほど、そういう事か」

これはあれだ。夢だ。ならばこの人たちが実にファンタジーな外見をしているのも納得が行くわけで。そもそもこれが全部自分の作り上げたファンタジーなら、何一つおかしなところはないじゃないか。

夢だと思うと途端に思考が回り出した。やや距離を置いたまま自分を見ている人々は、一体何をしているのだろうか。近寄りあぐねてというか、どのように声をかけたらよいのか戸惑っているように見えなくもない。彼女らは一言二言交わした後、“毛皮”としか言いようのない物体を頭に乗っけた少女が代表という感じで近づいてきた。
「僕の名前はファリフ・スコール……見ての通り敵意はないよ。ちょっと話を聞いてほしいんだけど、いいかな?」
「あ、うん。すごい毛皮だね、それ。なんかアニメみたいだ」
「えっ? あ、ありがとう……ひゃっ!?」

真顔で毛皮どころかファリフの身体をまさぐる神薙。ファリフの“部下”のざわめきにも気づかずしばらくモフモフしていたが、何か納得したように頷いた。
「よく出来てるなあ」
「ア、アハハ……。えっとね、その……僕達は君を探してこの森に来て、それでね……」
「携帯は持ってるのか。でもそれ以外何も持ってないな。服は学校の制服みたいだし……いや、そうか。制服を着ているという事は平日で、校内に居たとすれば携帯くらいしか持ち歩かないもんな……という事は、もしかして俺、授業中に寝てる? いや、昼休みに屋上に……?」

一人でブツブツ言い始めた神薙の前でファリフが振り返る。救助を求める仕草に苦笑を浮かべ、一人の女が前に出た。
「どうやら混乱しているようですね……無理のない事です。しかしどうか落ち着いて聞いてください。ここは、この世界の名は“クリムゾンウェスト”。あなたの住んでいた世界……あなたにとっての元々の世界は、ここでは“リアルブルー”と呼ばれています」
「くり……? 俺の、元々住んでいた世界……って、事は?」
「はい。この世界はあなたにとっての異世界――という事になります」

 

神薙に撫で回された毛皮の少女はファリフ・スコール。そして彼女に助けを求められた甲冑姿の女性はヴィオラ・フルブライトと改めて名乗った。

彼女らの集団は厳密には一つではなく、二つの別々の集団が合流し形成されたものであり、ファリフとヴィオラはそれぞれ異なる情報源を元に神薙を求めてこの森に足を踏み入れた別々の勢力であった。しかし神薙、即ち“転移者”の捜索中に鉢合わせし、お互いの転移者に対する処遇の方向性の一致から、一時的に行動を共にするという事で合意したのだ。
「それでどうしてきみを探していたのかというとね! 理由は色々あるんだけど、僕は“星の友”を探してるからなんだ! そこに、きみがこの森の中に一人でいたら危ないから助けに行きなさいっていうお告げがあったんだよ!」

先ほどまでは遠慮がちだったファリフだが、初めて見る転移者という高揚からか、神薙が落ち着いた様子で話を聞いているからか、身を乗り出して話しかけていた。神薙は次々に説明される事柄に黙って耳を傾けている。
「我々も“天啓”を賜りこの場に馳せ参じたわけですから、あなたはこの世界にとって何か意味のある存在なのでしょう」
「転移者の伝説はこの世界中に色々な形で残ってるんだけどね。転移者は凄い力を持ってて、この世界を救ってくれる“救世主”だっていうのが共通した内容なんだ。もちろん、滅多な事じゃお目にかかれないし、今回みたいに転移の瞬間に立ち会えるのは凄く珍しいんじゃないかな? でね、だからつまり、僕たちの仲間になってほしいって事なんだよ!」

神薙の手を両手でしっかりと握るファリフ。少年は頬を掻き、それからゆっくり口を開いた。
「……救世主、か。俺、そこまで夢見がちな奴だったのかな? 異世界で可愛い女の子に囲まれて、仲間になってくれ、かあ……」

なんとまあご都合主義な設定か。幾らなんでもこの流れは“子供っぽい”と思うのが篠原神薙という少年の感性であった。しかしこの類の空想に疎いわけではない。友達に勧められ、こんなライトノベルを読んだ事もある――と、そこで遅れて一つの事実に思い至った。
「……あれ? 俺……誰にその本、借りたんだっけ……?」

別段クラスの人気者ではなかったが、友達はそれなりに居たはずだ。休み時間、文庫本を片手に自分の席に近づいてきたのはどんな友人だったか。いや、そもそもクラスメイトの顔なんて一つも思い出せない。それどころか家族の事さえ記憶にないなんて、一体どんな了見なのか。

ふと、携帯電話を取り出した。画像フォルダには友人や家族と撮った写真が残されているが、何故かその顔にはピンとくるものがなかった。困惑する神薙の左右からファリフとヴィオラが画面をのぞき込み、つべつべした小さな物体に興味を引かれている。
「うわー、何かちかちかしてる。これはリアルブルーの道具?」
「ああ……うん。なんていうのかな。遠くの人と話しをしたり、映像や音声を記録したり……それを保存して持ち歩いたり、交換したり出来る機械……かな?」
「へぇー! じゃあキノコみたいなものなんだね!」
「そのようですね。これは私たちの世界で言うところのキノコのようなものでしょう」
「うん……えっ、キノコ!?」

真顔で頷く二人に神薙は目を白黒させる。もしかしたら異世界なので自分の知っているアレとこの人たちのアレは違うのかもしれない。
「キノコって、その、上の方が傘みたいになってる……?」
「そうだよ?」
「で、こう、ずんぐりしてて……」
「歩いたりします」
「ある……歩く? えっ? 歩くんですか!?」

情報の精霊「パルム」

情報の精霊「パルム」

様々な場所に出入りし、見聞きした情報を神霊樹へ持ち帰る。人懐っこく、神出鬼没 。

無言で頷くヴィオラに神薙は眉間に皺を寄せ考える。どう考えても自分の知っているキノコと違う。
「目があってー、口があってー」
「どこからともなく現れるのです」
「しかもいっぱい出てくる時もあるよね」
「それ……キノコだよね? 本当にキノコだよね?」
「キノコというのは俗称で、厳密にはパルムと…………ファリフ、後ろです!」

言葉を中断し注意を促すヴィオラ。その声に素早く反応しファリフは神薙の背を庇うように移動し、自分たちを囲んでいる草木の陰へと目を向けた。何事かと目を丸くする神薙にも、自分たちを取り囲む無数の黒い影を認識する事が出来た。
「狼……?」

だがそれは普通の狼ではない。全身を黒い影のようなもので覆われており、目と口元だけが爛々と赤く輝いている。本能的に悪寒を覚えた次の瞬間、一匹が神薙へと飛びかかってきた。悲鳴を上げる間もなかったが、それは神薙の視界から狼が一瞬で消えてしまったからだ。

素早く牙を剥いた狼だが、その挙動に微動だにせずヴィオラが盾を振るった。ごいん、と金属の重い音が響き、細腕から繰り出されたとは思えないその膂力が獣を遠くへ弾き飛ばす。
「汚染された野生動物ですか。雑魔の類でしょう。大した脅威ではありませんが、それでも無防備な人間にとっては危険な相手です。決して私の傍から離れないように」

尻餅をついたままコクコクと頷く神薙。見れば周囲では兵と雑魔との戦闘が始まっていた。誰もが落ち着き払った様子で、まるで事もなさげに脅威を処理していく。その様がどうにも非現実的であり、しかし同時になぜかひどく現実的で、神薙は強いショックを受けていた。
「きみ達は何も悪くないけど……ごめんね。こうなっちゃうと、もう助けられないから……!」

飛びかかる狼を大斧で一刀両断するファリフ。少女はくるりと斧を回し、まるで己の身体の一部のように扱いこなしている。一方ヴィオラは神薙の傍らに待機し、近づく狼を盾やメイスで吹き飛ばしまるで寄せ付ける気配がない。二人の仲間らしき戦士達の強さは素人でもわかる程だったが、やはりこの二人の力が頭一つ以上抜き出ているように思えた。

特にヴィオラは戦闘の最中、神薙を完全に護衛しつつ、仲間にまで細かく指示を出しているようだった。騒動が落着するまで五分もかからない。尤も、神薙にはそれ以上に長く感じられたのだが。
「申し訳ありません、団長。警戒を怠りました……」
「転移者が気になるのはわかりますが、敵に囲まれるようでは鍛錬が足りないようですね。もっとも、ここまで近付かれるようでは私も同様ですが」

小さく息を吐くヴィオラの苦言に大の男たちがタジタジになっていた。気づけば狼は黒い影に、そして塵となってほどけていく。その様をファリフは複雑そうな目で見つめていた。しかし気持ちを切り替えたのか、へたりこんでいた神薙に手を差し伸べて言う。
「ここに長居するのは危険なんだ。お話は道中でした方がいいね……立てる?」
「あ……ありがとう」

年下の、実に天真爛漫そうな少女であった。それが勇敢に戦っている間、神薙はただ座り込んでいただけだった。

手を握りしめながらふと思う。そりゃそうだ、現実は甘くない。都合のいいライトノベルのように、急に自分が誰かにとっての英雄になれるはずなどないのだ、と――。