※本商品は「ファナティックブラッド」の本編とは異なるアナザーノベルであり、「ファナティックブラッド」ならびに他ゲームコンテンツでプレイングやキャラクター設定の参照元にすることはできませんのでご注意ください。
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浜辺の四重奏
リゼリオ、ハンターオフィス近所のとある宿の二階。
小さな部屋にあるのは木製のベッド一つとテーブルに椅子。
窓際に吊るされたタオルは風にそよぐたび染み込ませた薄荷油の爽やかな香りを漂わせてくれる。
壁に掛けられた小さな黒板には『音楽夏合宿! ~目指せ合奏~』と音符に飾られた文字と様々な筆跡で書き込まれたやりたいこと。
「一日目は基礎運動、二日目は楽器の練習……」
時折、ペンを尖らせた唇に当てながらエステルは『音楽夏合宿』のしおりを書き進めていた。テーブルの上、汗をかく飲み物はほとんど手を着けられていない。
窓辺に腰かけたユリアンはそんな妹の様子を見守る。張り切りすぎ、頑張り過ぎないといいけど――という言葉は飲み込んで。
多分口にすれば「兄様、分かってない」と言われることだろう。あれこれ思いを馳せながらしおりを書くのも楽しいの、と。
「合宿前に倒れたら格好悪いぞ……」
ぼそりと零した声に「何?」と妹が顔を上げた。
「ん、子供は元気だなぁって」
視線を妹から窓の下の通りに移す。
昼下がり外はますます暑く、強い陽射しが描く光と影のコントラストを縫うように子供たちが走っていく。
「何か書き忘れあるかな?」
「仲間同士で行くんだから気にしなくとも」
言いながらもユリアンはしおりを手に取る。その時――
「海水浴がないよ!?」
どういうことなの、と響いた元気かつ悲痛な声。
「「うわっ?!」」
兄と妹ほぼ同時に振り返った。
「驚き方が一緒なのです」
いつの間にやら二人の背後にマリルとメリル――実際にいるのは一人なのだが。
「そして一日目の夜には蝋燭を立てて怖い話大会……いかがでしょう?」
夏の夜の定番です、とがらりと口調を変えるマリルとメリル。
「えーっと……。怖い話は怖くないやつをお願いします」
少し控えめな声のお願い。扉の前ルナが困ったように笑っていた。
「『あくのじゅうじか』とか? それは駄洒落だよっ。 延々とそう言った言葉遊びを皆で繋げていくのも面白いかもしれません。 勿論、先に笑った人が負けなのです」
「ルナさんも夏合宿のことで来たのかな?」
くるくる回る独楽のようなマリルとメリルの会話に笑いながらもユリアンが年長者としてルナに話を向ける。
「あ、そうです。合宿は三泊もあるのでご飯とかも予め決めておいた方がいいかなって思いまして」
ぱん、とルナが手を叩く。
「料理……」
この中で一番料理ができそうなのってユリアンさんですよね、とマリルとメリルが向ける視線。それに釣られエステルとルナもユリアンを見る。
「折角海辺に行くんだから料理は新鮮な魚が良いよね。近くに市場もあるって話だし」
エステルは「皆で市場に買い出し」と新たにしおりに書き込んだ。もう一つ「合間に海水浴を楽しむ」とも。
「トマトの煮込みとかどうかな? 夏野菜も一緒に煮込んで。手順も難しくないからきっと皆でできるよ……それに」
「実は俺が好きでさ」とちょっとおどけた仕草で肩を竦めるユリアン。勿論料理長(仮)の提案に異論はなかった。
出発日早朝、ハンターオフィス前。
「……ぅう」
タンバリンをぶら下げた大きな鞄を手に眠気と戦うマリルとメリル。昨日寝る前に本を読んでいて夜更かししてしまったのだ。読んでいたのは初心者向けの音楽の技術書。
リズムを取るには裏拍を……。
頭の中をぐるぐると文章が回っている。言葉で説明することは簡単。だが実際やってみると難しい。
鞄の中にもその本が入っている。おかげでカードゲームを入れられなかったとメリル。だが今回は少しでもリズム感をどうにかしたい、と目標があるのだから仕方ない。
「眠たそうだね。鞄持とうか?」
ユリアンの声にほぼ自動的に「裏拍とは……メトロノームの……」と頭の中に浮かんでいた言葉が口から漏れ、途中はっと顔を上げた。
「楽器初心者同士、頑張りましょう」
「そうだね、頑張ろう。目指せ、セッション」
「おー!」
メリルがシャン、とタンバリンを鳴らして「まだ早朝ですよ」とルナに窘められた。
「引率のルナ先生なのです」
マリルとメリルはこそりとユリアンに耳打ちする。
早朝に出発した一行は海辺の朝市に立ち寄る。
「タンバリンってチューニングができるんですよね」
「はい、皮のテンションを変えることができるのもあるんですよ」
「……テンション……マックス。秘められしタンバリンの力……。
「マリルちゃんに渡したものはそこまで必要ありませんが」
「確かこれも羊の皮だと……。 羊……」
はっ、私閃きました、そんな表情をマリルとメリルが浮かべる。
「最後の夜のBBQはジンギスカンはいかがでしょうか?」
というわけで三日目夜はジンギスカンに変更。
朝市にて買いこまれた食材はかなりの量で「買い過ぎじゃないかなぁ」とユリアンが苦笑するほどだ。ちなみに女の子たちの答えは「だって美味しそうなんだもの」である。
そして買い込んだ食材を持つのは勿論、
「荷物が一杯……兄様持って!」
ユリアン。女の子三人、振り返って口々に声援を送ってくれる。妹が三人に増えたみたいだな、なんて思ったりもした。
海辺のコテージに到着、まずは全部の窓を開け放ち潮風を部屋のなかに呼び込む。それからリネン類を干して部屋の掃除。
昼食は朝市で買って来たお弁当。揚げたての白身魚のサンドイッチ。しっかりと味のついたタルタルソースのおかげで冷めても美味しい。
「合宿用のTシャツをお渡ししますね。メリルが準備したんですよ」
マリルとメリルが皆にTシャツを配る。白地の胸元に楽しそうに踊る音符。
「あ、これってひょっとして」
隣のエステルのTシャツと見比べていたルナが気付いた。
「はい、合奏が成功しますように、と願いを込めて課題曲からちょこっと頂きました」
「じゃあ、練習頑張らな……っ!」
早速着替えようTシャツを広げたユリアンがまじまじとそれを見つめた。
「兄様、着替えるなら物陰に……ってどうしたの?」
「音楽は爆発だ……」
ユリアンの呟きに「気付いてしまいましたネー、ふっふふ……」マリルとメリル、いやメリルが得意そうに腰に手を当てている。
「気付くも何も……」
Tシャツの背中、漢らしい勢いのある筆文字で「音楽は爆発だ!!」。
「芸術とは生命の爆発なのだとエライ人も言ってたのです。だから音楽も爆発なのです!」
メリルが両手を大きく広げた。
「音楽は爆発だ!!」Tシャツに着替え準備運動を終えた皆をルナは見渡した。
「音楽にも体力は重要です。なので皆さんには砂浜でバケツを引っ張ってのランニングから……」
さらりと笑顔で言ってから「でも体力は皆さんハンターなので平気かな」と荷物からメトロノームと紙片を取り出す。
「この合宿の目的は練習方法を覚えてもらうこと。そして覚えて帰って続けて下さいね。まずは全ての基本。息の吹き方からいきましょう」
見ててくださいね、とコテージの外壁に置いた紙片に向かって息を吹きかける。紙片は手を離してもルナの息によって壁に縫い止められ留まっている。
「細く長く息を吐きだしていくこと意識してください」
皆に紙片を配っていく。
「……結構難しいなぁ」
落ちかけた紙片をユリアンが手で掬い上げ「何かコツあるかな?」とルナに尋ねた。
「コツはですね……」
「マメルぅぅ~……」
草の上に落ちた紙片に駆け寄るマリルとメリル。「???」となっている二人に向けて「名前付けたら愛着湧いて、落としてなるものかって」と紙片についた砂を丁寧に払い落としならが説明してくれた。
「じゃあマメルちゃんを落とさないようにコツを二つ。 息を吐くときは胸じゃなくってお腹を意識!」
ゆっくりとお腹から息を押し出すイメージでとルナは自分のお腹に手を当てる。
「それから苦しくなっても下を向かない。背筋は常にピンと伸ばす」
マリルとメリルの肩を軽く掴んで背筋をただす。
「ふぅ――――…………」
ルナほど安定していないがマリルとメリルの紙片も壁張り付き、最長記録を更新した。
「確かに苦しくなってくると姿勢が崩れるな」
ユリアンも真似をする。呼吸をするときお腹を意識ってあまりしないな、と思いながら。
「休憩の時間ですよ!」
エステルがウッドデッキの手摺にて皆の練習を見守っていたメリル人形の手を取って振る。
「はい、どうぞ」
冷たい水に絞ったライムと塩を少し入れた飲み物とタオルを皆に。
休憩後はリズムの練習。
「裏拍が取れるようになるとリズム感が良くなると本にあったのですが裏拍とは具体的にどんなものを言うのでしょう?」
マリルとメリルの質問にルナが四回手を叩いてみせた。
「今のが四拍子。で……」
んっぱ、んっぱ、声に出して同じように手拍子を繰り返す。
「『ん』で手を鳴らして『ぱっ』で手を離す。この『ぱっ』が裏拍です。普段手拍子取るときも自然にやっていることだから、難しく考えなくても大丈夫」
んっぱ、ん……ぱ……確かにルナの言う通り手拍子打つときやっている。だがその「んっぱ」が一定のリズムでできない。困ったようにルナをみれば「最初はメトロノームに合わせて体を動かしてみましょう。お家では心臓のリズムに合わせて呼吸でやってみると夜中でも周囲に迷惑かからないと思います」とメトロノームの針を指で揺らす。
コン…………コン…………コン…………
ゆっくりとリズムを刻むメトロノームに合わせてルナが足踏みを始めた。
「足踏みに慣れたら今度は手も。コで右手を上げて、ンで左手を」
「わ……わわ……」
マリルの悪い癖だ。コで右、ンで左――と頭で考えていくうちにどんどん動きが遅れていく。足踏みも不規則スキップに。
「焦らなくて大丈夫です。ゆっくり行きましょう」
一日目、足と手をばらばらに動かすのは難しかったが遅いテンポでなら「んぱっ、んぱっ」と手拍子が打てるようになった――と思う。
夕暮れ、夕食の準備だという時に「実は気になっていたのだけど……」壁に貼られた予定表を前にユリアンが切り出した。
「二日目魚介とトマトの煮込み、三日目ジンギスカンってあるけど、今日は?」
「あ……」
エステル、ルナ、マリルとメリル、それぞれ顔を見合わせる。
「うん、そんな予感したんだよね。もっと早く言わなかった俺も悪いんだけど」
自分の荷物を漁りユリアンはギルド謹製レトルトカレーを取り出した。こんなこともあろうかと予め持ってきたのだ。
「これに今日買ってきた野菜と魚を追加して魚介のカレーにしよう。魚は俺が捌くから、皆は野菜とご飯をよろしくね」
てきぱきと下される指示のもと皆動き出す。
「うっ……目にきま、した……」
みじん切りの玉ねぎを前にしたルナの鼻の頭に寄る皺。涙をこらえて少し面白い顔になってしまっている。
「鼻じゃなくって口から息を吸えば大丈夫って聞いたけど?」
「口か、ら…… です、か?」
鼻を摘んで口でスーハー呼吸を繰り返すルナ。玉ねぎ触っていた手で鼻を摘んだら意味がないんじゃ、とかちらりとユリアンは思ったが「あ、楽になってきたような気がします」と声が聞こえたので黙っておくことに。病は気から、だ。
それにしても――ユリアンはまな板の上のみじん切りされた玉ねぎに視線を移した。
少し大振りながらもちゃんとみじん切りされている。上達速い、やはりリズム感とか関係しているのだろうか。
「また泣きたくなる前に次行きます」
新しい玉ねぎに手を伸ばすルナがユリアンの視線に気付いて「大雑把に切り過ぎたでしょうか?」と少し申し訳なさそうに眉尻を落とした。
「あぁ、ごめん、違うよ。俺、玉ねぎ多めがいいなぁって思って」
「はい、じゃあ玉ねぎ沢山切りますね」
玉ねぎを手にルナが張り切る。
「……ぐ、ぐぐっ……」
ニンジンに包丁を立てたまま固まるマリルとメリル。ふるふると震えている包丁が危なっかしいとユリアンは魚を捌く手を止めた。声を掛けたらそれだけでバランスを失い指を切りそうでタイミングを計るのが難しい。
「マリルさん」
マリルとメリルが肩の力を抜いて一息ついたところで、静かに声をかける。
「包丁は力任せに上から振り下ろすんじゃなくって、奥へと押してごらん」
こう、と実際に動かしてみせる。
「押す、ですか……」
いざ尋常に勝負、真剣な眼差してニンジンに包丁を宛がってそしてゆっくりと押していく。するりと抵抗もなくニンジンが切れた。
「……!!」
できました、と嬉しそうに瞳を輝かせるマリルとメリルにユリアンも口元を綻ばせる。お世辞にも手際が良いとは言えない、でも彼女はとてもひた向きで一生懸命だ。昼間の練習も「休もう」と声を掛けられるまでずっと続けていた。
「兄様、ご飯をそろそろ炊き始めても――」
「あ……まだ野菜が。ジャガイモを切って、ズッキーニと茄子を切って焼いて……」
慌てたマリルとメリルの肘が笊に引っ掛かり折角切ったニンジンを床に撒いてしまう。
「えっと、拾って洗って……。その前にジャガイモ? あれ、でもズッキーニ?」
頭で考えていることが口から零れていることにもマリルとメリルは気付いていないようだ。ユリアンは落ちたニンジンを拾い上げると
「カレーは逃げないから、一つずつこなしていこう。マリルさんはジャガイモを頼むね」
落ち着かせるようにポンと頭の上に手を置く。
「私はニンジン洗ってきます」
「じゃあ私は茄子とズッキーニ。輪切りでいいよね、兄様?」
拾ったニンジンはルナが受け取り洗い場に走り、エステルが茄子を籠から取り上げた。
そしてマリルとメリルは一人でじゃがいもとニンジンを切り終えることができたのだ。
二日目は楽器の練習に入る――とはいえ、ルナとエステルは楽器の演奏に関しては問題はない。
「ルナさんから貰って、練習はしていたんだけど、きちんと習ってなかったね。今日はよろしく、ルナ先生」
「今日はみっちりやりますよ」
覚悟してくださいね、とぐっと手を握るルナにユリアンが「お手柔らかに」と笑う。
「ハーモニカも昨日の呼吸と同じです。お腹から息を出します」
ルナがユリアンのお腹に手をあて「さん、はいっ」と音頭を取った。
ふぅーーー……ユリアンが細く長く息を吐く。次はハーモニカを実際に口に当てて。音が安定するまで吸って吐いての呼吸の練習をする。
「ずっと練習してると酸欠起こしそうだ……」
はぁ、とユリアンが空を仰ぐ。
「見てると吸う時のほうが辛そうかな、と。口だけじゃなくって鼻でも息を吸ってませんか?」
「鼻で?」
数度呼吸を繰り返したユリアンが「本当だ」と驚く。
「一度鼻を摘んでやってみましょう……あれ、これって昨日の玉ねぎみたいですね」
「昨日の逆だ」
ユリアンが鼻を摘んで見せた。
そんな二人をマリルとメリルは見つめている。
昨日頭に置かれたユリアンの掌の大きさを思い出しながら。
気づけば視線がユリアンを追っていた。そしてユリアンの隣にはルナがいるような気がする。
実のところ少しだけ、ユリアンの事が気になっていた。頑張ったねって褒められたら嬉しいとか、多分それはまだ恋にもなる前の気持ちで、じゃあどうなったら恋なのだろう。恋愛小説や指南書を見てもはっきりと書いてあるものはなくて、それにユリアンはきっとルナのことが――留めなく思考が流れていくのはマリルの癖。何か思うとその理由、原因など追って考えてしまうのだ。
「ちょっと解りにくかったでしょうか?」
エステルの声にはっと我に返る。
「あっ……その、ごめんなさい。今のところもう一度お願いします」
「マリルさん、昨日からすごい頑張ってましたものね。少し休憩しましょうか?」
「この合宿で、リズム感0からせめて1くらいにはなりたいのでまだ行けます」
「ではリズムのおさらいをしましょう。『パルムの靴屋さん』って唄ご存知ですか? コロコロコロコロトントントンってよく子供たちが歌っている……」
頷くマリルとメリルにエステルが歌いながら手を動かし始めた。歌に合わせた手遊びにエステルが裏拍を意識できるように動きを加えたものだ。
「私が手を離したら、マリルさんがぐいっと手を回して……一人が皮を伸ばしてもう一人が縫って行くイメージです」
「ころ、ころ、ころ……」
歌いながらだと手がついていかない。
「最初はゆっくり行きましょうね」
ぱん、とマリルとメリルとエステルは手を重ねた。
青い空、白い砂、光る波――木々が開けるとそこは夏の海辺。
「海だーー!!」
海水浴を希望していたメリルが両手を挙げる。鮮やかな青にサイドに黄色のラインが入ったスポーティーなワンピースタイプの水着。めっちゃ海で遊ぶ、そんな気概に溢れている。
「ユリアンさん、競争ですっ! 負けたら夕日に向かってばかやろーって叫ぶのですよ」
「えぇ?!」
砂を跳ね上げ駆けていくメリルをユリアンが追いかける。
エステルとルナは少し遅れてのんびりと砂浜を行く。
「夕日に向かってばかやろー……。いかにも青春の一ページっぽくって」
エステルは楽しそうかも、と期待に満ちた目をルナに向ける。
「後で発声練習かねてやりましょっか?」
「音楽は爆発だTシャツで砂浜に並んで!」
二人は顔を見合わせて笑い合った。
「エステルちゃん、それこの前買いに行った水着? やっぱり若草色似合います」
エステルの水着は綺麗な若草色で、肌の白さも相俟って物語に出てくる森の妖精みたいだとルナは思う。
「ありがとうございます。思い切ってサンダルも新調したんです」
造花と貝があしらわれた白い華奢なサンダルを履いた足をエステルは軽く上げた。
ルナは花柄の青いセパレートタイプの水着の上に『音楽は爆発だ!』Tシャツの腰の辺りをきゅっと絞って。動くたびに短いフレアスカートのようなパレオが揺れて可愛らしい。
「ルナさん!!」
名を呼ばれると同時に「バシャン」と水の跳ねあがる音。
「きゃっ……あれ?」
思わず顔を庇ったが、覚悟した水飛沫はかかってこない。代わりに隣から「うわっ」と上がる声。
「これは罠です。名前を呼びながら実際は別の人に水をかけるという罠なのです」
不敵に笑うマリルとメリル――どちらだろうか。
「……マリルちゃん!」
ぐいっと水を拭ったユリアンが思いっきり跳ね上げた海水は……
「兄様っ!」
エステルを頭から濡らした。
そして誰かの名前を呼びながら別の人に水をかけるという遊びに発展していく。水を掛けられた人が次に水を掛ける役になりうっかり忘れたらその人の負け……というルールが追加され、さらに。
「ゆっりあんっさん!」
ルナが名前を三拍子に合わせて呼んだことがきっかけで三拍子のリズム合わせて進めていくというルールも。
「一番負けた人があとで皆にかき氷ご馳走するとかどうでしょう?」
「それはマリルとメリルが不利ではないでしょう、か……? 大丈夫、名前呼びながら水掛ければいいの。そーいうの得意!」
直感と反射はメリルの得意とするところだ。
最終的に皆ずぶ濡れで勝ち負けはわからない。
「多分そうなるなって思ったんだよね……」
かき氷はユリアンが皆にご馳走することに。
一度コテージに帰り、海水を流し夕食の準備をした後、再び皆浜辺に集う。
もちろん『音楽は爆発だ!』Tシャツを着用して。
「本当にやるの?」
夕暮れ時の浜辺。昼間より人は少ないが散歩している恋人同士など雰囲気は十分。お邪魔じゃないかな、と周囲に顔を向けるユリアンに女の子三人は「もちろんやります」といい笑顔だ。
「では、皆さん横に並んで、お腹に手を当てて、背筋を伸ばす! まずは呼吸方法のおさらいです」
ルナの号令に皆でゆっくりと息を吐きだしていく。それを数度繰り返し。
「「「「ばかやろーーー!!」」」」
きらきら光る波の向こう、沈む真っ赤な夕日に向かって叫んだ。さらにもう一回。
「音楽は――」
「「「「爆発だーーー!!」」」」
も忘れずに。
星空が瞬く砂浜をマリルとメリルは波に沿うように歩く。
時折、軽くタンバリンを叩きながら。誰もいない浜辺、一番近いのは少し高台にある自分たちのコテージだから音も迷惑にならないだろう。
「んっぱ、んっぱ……中々うまくなりませんね?」
皆は上手くなったと言ってくれる。でも全然皆には追いつけない。音楽だけではない。料理や後片付けも。知識はあっても体が動いてくれない。
「もう、練習嫌になっちゃった?」
「そんなことないです。練習も料理も知らないことやできないことを身に着けていくのは……」
言いかけて途中で「ううん」と首を振る。
「皆と一緒にいるの、とても楽しい……」
そうなのだ。皆でいるのはとても楽しい。食器を洗っているだけでも楽しい。本を読むのも楽しいが、それとは別の楽しさだ。
「じゃあ、それでいいじゃない。マリルはあたまでっかちだなぁ」
「メリルが脊髄反射なんです」
唇を軽く尖らせてからまたタンバリンを叩き始めた。
んっぱ、んっぱ……ルナの声でリズムが頭の中に浮かぶ。タンバリンをくれたのがルナだ。そして音楽は楽しいよ、と教えてくれた。
音に色がついてみえる人が世の中にはいるらしい。きっとルナの音は輝いて楽しそうに見えるのだろう。彼女の人となりのように。
「でも……」
最近少しだけ、彼女の陽射しのような温かい笑顔に影がみえるような気がするのだ。彼女も何かを抱えているのかもしれない。
「だからこの音楽合宿の合間は楽しく過ごしてもらいたい、と思います」
悲しい曲も哀れな曲もある。でも皆で合わせるのならば楽しい方が良い。笑顔で一杯になるような。
「練習しますよ。練習あるのみです」
んっぱ、んっぱ……頭の中で繰り返して手を動かす。
早朝、漸く小鳥が囀り始めた頃、コテージの裏庭にユリアンの姿があった。
日課の素振りだ。
上段に剣を構え、一気に振り下ろす。一歩踏み出すと同時に切っ先を突き出す。同じ動作を何度も繰り返し動きを確認していく。
基本の動きをただ繰り返すだけ。だが地道な積み重ねがいざというときにものを言う。
無心で剣を振るっていると背後の勝手口が開く音が聞こえた。
「ん?」
「ごめんなさい。お邪魔しちゃいました?」
ルナが勝手口から顔を覗かせている。
「おはよう。大丈夫、そろそろ休憩しようと思っていたし。ルナさんは?」
「ちょっと目が覚めちゃって。散歩にでも行こうかなって」
井戸端の丸太に腰掛けるルナの隣にユリアンも座る。
「昼間はさ、気にならないけど波の音結構聞こえて来るよね」
「はい」
タタン……ルナの指が丸太を叩く。
タタン、タ、タ……ン……。
ルナの指が波の音をなぞる。ユリアンが応えるように丸太を弾いた。
「……連弾、みたいですね」
ふふ、とルナの口元が笑みを刻む。
音楽に触れている彼女はとても楽しそうだ、と思う。その横顔に、歌う事は怖い、と自身を抱きしめたルナが重なった。
彼女が心の中に抱える何か――。
自分が簡単に触れていいものかわからない――。
だからこそ、思う。今は音楽を楽しんでほしい、と。
積み重ねが自分の血肉となるように、想い出も積み重なってそしていずれ――。
「……ね、先生」
「どうかしましたか?」
「ん? 今日もよろしくお願いしますって」
「はい、今日こそ最後までいきますよ」
ルナが人差し指をタクトのように振るう。
素直に言ってしまえば、楽譜を追うなんて芸当できなかった――とマリルとメリル。
午後、一度皆で合わせてみようとなった時の話である。
頭の中「んっぱ、んっぱ」がぐるんぐるんと回っていた。今どの辺りだろう、とか考える余裕がない。
時々「エステルちゃん、ちょっと背中が反り気味」とか「ユリアンさん、苦しいからと言って強く吹いてはだめです」などルナの指導が聞こえてくるが内容は頭に入ってこなかった。
何度もやり直し、一曲最後まで通すことができたのは夕方近くになってから。最後の音が鳴った段階でちょっと気が早いがつい皆で「万歳」と喝采した。
まだミスも沢山あるが、一曲演奏終えたという達成感。讃え合った後、マリルとメリルは足を投げ出して座り込んだ。
「頭の中……リズムが回ってますぅ~……」
もう何回「んっぱ」と唱えたのかわからない。
「お疲れさま。甘いもの食べてすこし休憩しましょ」
エステルが皆にお茶と焼き菓子を配ってくれる。焼き菓子は練習の合間作っていたらしい。「チョコとドライフルーツを混ぜて寝かした生地をオーブンに入れておくだけだから」と言っていたがどこにその余裕があったのだろう。
エステルは演奏も料理もなんでもそつ無くこなす。
「ちょっと……羨ましい……かな」
彼女の煎れてくれたお茶は甘く爽やかな柑橘の香りが広がって美味しかった。
「マリルとメリルも……」
この合宿でちょっとでも成長したかな、とじっと我が手を見る。
「お互い、合宿で最高の出来だったね」
お疲れさま、とユリアンが挙げた手に「おつかれさまでした」とパンと重ねた。努力も勉強も自分の為だが、誰かに褒めてもらえるとやっぱり嬉しいものだ。
夜の浜辺。辺りは暗闇に沈み、空には満月に近い月が浮かび、焚火の火の粉が夜空へとキラキラ上がっていく。
合宿最後の夜は浜辺でジンギスカンだ。
「そのお肉はメリルが頂きですっ」
「あ、私が育てた肉を」
「兄様、お肉もっと焼いて」
「肉ばかり食べない。野菜も食べて?」
皆で一つの鍋を囲うのは楽しい。肉も野菜も沢山用意していたというのにあっという間に皆のお腹の中に納まってしまう。
食後のデザートは井戸の水でたっぷり冷やされた西瓜だ。いつの間にかユリアンが準備してくれていた。
きっと、朝稽古の時に朝市まで行ってきてくれたのだろうなとルナは思う。
西瓜はジンギスカンの濃いめの味をさっぱりと流してくれて、とても甘くて美味しい。
「花火……」
「そこまでは準備していないよ」
期待の眼差しを向けるエステルにユリアンが苦笑する。「兄は便利ポケットじゃありません」と。
「来年は花火も用意しましょうか? シュワーーって吹きだす派手なのがいいなっ」
マリルとメリルが「こんなの」と身振り手振りで花火を説明している。
ルナは流木に背を預け皆を見ていた。
目を閉じれば波の音は近く、火の爆ぜる音と混ざり合いゆったりと流れていく。それに華を添える皆の笑い声。控えめに笑うのはマリルで、弾けるように笑うのがメリル、小鳥のさえずりのように軽やかなエステル、ユリアンは――……。
ユリアンの声は耳に心地良い。するりと滑り込んでくるような、自然と心の中に染み込んでくるような。
「そういえば包帯の出番はありませんでしたね」
「「包帯?!」」
ユリアンとエステルの声が重なる。こういうところが兄と妹っぽい。
「はい、今日が合宿に怪我はつきものだとものの本にありましたので……」
「どれだけハードな練習するつもりだったんだろう?」
「それだとルナ先生じゃなくってルナ鬼コーチに……」
とめどない会話は途切れることなく。
(あぁ……)
とても楽しいな、と空を仰いだ。いくつも星が瞬いている。今にも降ってきそうだ。
波の、炎の、木々を渡る風の、皆の――……。
ルナは傍らのリュートに手を伸ばした。
指先が弦を弾く。零れだす音楽。今この瞬間、此処に存在するもの全てがルナを通して音楽へと生まれ変わる。
夜気を震わせ、柔らかく深い音色で流れ出すリュートの音。
しばらく皆、耳を傾けていたがリュートに沿わすようにエステルがフルートを吹き始める。少し抑え気味の音色はリュートに軽やかさを添えて。
マリルとメリル、ユリアンが交わす目配せ。
タンバリンとハーモニカがそれに重なった。
合宿で練習していた曲ではない。ルナの思うままに奏でる曲に皆がそれぞれの音を重ねていく。
流石エステル、というところ。フルートの音色はリュートと互いに引き立たせあい、互いに入れ替わりながらメロディを作り上げていく。
ユリアンのハーモニカは優しく素朴で、皆の音をまとめてくれる。まだまだ呼吸が安定していないせいで音の強弱が揺れるが、それが一層優しさを際立たせていた。
マリルとメリルのタンバリン、一生懸命真摯に繰り返されるリズムとリズムなど気にせずに思うままに跳ねるように叩かれる音が交互に続く。
どちらも彼女らしい。
四人の音は浜辺の音と混ざり合い曲を奏でる。技術的なことをいえば全然足りていない演奏だろう。
でもこの曲は今此処でしか演奏することのできない大切なものだ。この先、皆がどんなに技術が上がったとしても同じものにはならない。
だからずっとずっと忘れないように心の内に留めておこう。目を閉じればこの夜の事を思い出せるように。
ルナはリュートをかき鳴らした。
夜の海、見ているのは空に瞬く月と星だけ。
エステルはフルートを奏でつつ皆の音に耳を澄ませる。
四人の音は重なり響き合い、一つの曲を奏でていく。
途中躓いても、失敗しても気にしない。だってこれは自分たちのためだけの演奏。
皆の気持ちが、音になって繋がって、降って来る。柔らかい雨のように。
言葉はないけど、確かに自分たちは互いの気持ちを交換して――
音は繋がる。
音は広がる。
そして焚火の炎ように、皆を照らし、夜の海に、星の闇に吸い込まれていく。
言葉のない、でも楽しい会話……。
フルートが軽やかに階段を駆け上るように音階をなぞった。
夜、毛布をかぶってからもエステルは中々寝付けなかった。
「夜通しおしゃべりしよう」とはしゃいでいたメリルは早々に寝てしまっている。
もぞり、隣のベッドでルナが身じろぎ。
「ルナさん……」
声を潜めて名を呼ぶと「な、に?」ルナが此方を向く。
「楽しかったですね」
「うん」
代わる代わる三日間の思い出を話すうちに二人ともふいに黙り込む。
「明日も早いし……。寝ないと、ですよね」
ルナが毛布を被りなおす。
エステルも毛布を引っ張り上げた。遠く波の音が聞こえてくる。
街の中、日常とは少し違う時間。
「……」
今なら、聞けるかもしれない……。「ルナさん」もう一度エステルは呼んだ。
返事はない、けど気配で起きてることはわかる。
「ね、兄様の事…………」
ルナが身じろぎする。
「…………ううん、何でもない」
今の言葉、聞こえていただろうか……。
毛布の下、ルナはそっと胸に手を置く。
エステルの言葉が耳の中、蘇る。
「兄様の事…………」
ユリアンさんの事――……。
自分の中で繰り返す。閉じた瞼の裏側、浮かぶユリアンの姿。
胸の内側、生まれているこの気持ちをなんと言うのかまだ分からないけど……。
そこにある温かいものは感じる。
なんとなく気まずい――エステルとルナ互いに思う。二人の間に漂う沈黙。
どう動いていいのかわからないのはお互いさまだった。
「ん……ぱっ、んっぱ……ですね ぇ……」
それを破ったのはマリルとメリルの寝言。
「マリルちゃん、合宿すっごい一生懸命だったよね」
「うん、見てると私もがんばらないと、って……」
和らいだ空気に二人「おやすみなさい」と笑みを交わす。
マリルとメリルが実は目覚めていたことを二人は知らない。
翌朝、朝食後自宅でもできるリズム体操や呼吸方法をもう一度皆でおさらいし、コテージの掃除に入る。
最後は四人、コテージの前に並んで、
「お世話になりました」
四日間お世話になったコテージに頭を下げた。
鞄の中には合宿を共に過ごした『音楽は爆発だ!』Tシャツが眠っている。
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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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エステル・クレティエ(ka3783)
ルナ・レンフィールド(ka1565)
ユリアン(ka1664)
マリル(メリル)(ka3294)
■ライターより
この度はご依頼頂きありがとうございます、桐崎です。
夏の合宿、ギュギュッと詰め込ませていただきました。
皆さんの青春の一ページになればうれしいです。
イメージ、話し方、内容等気になる点がございましたらお気軽にリテイクを申し付け下さい。
それでは失礼させて頂きます(礼)。