※本商品は「ファナティックブラッド」の本編とは異なるアナザーノベルであり、「ファナティックブラッド」ならびに他ゲームコンテンツでプレイングやキャラクター設定の参照元にすることはできませんのでご注意ください。
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朧月夜に花の呼ぶ
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春の宵はいつ訪れたとも知れず。
西の空が薄青のまま、東の空から黄金色の満月が昇り始めた。
空と大地のあわいは霞に溶け、白くほの明るく輝く。
鞍馬 真(ka5819)は窓際に立って、鏡のような月に暫し見入っていた。
日が落ちて足元に忍び寄りつつある冷気にもかかわらず、湿り気を帯びた風は生ぬるく頬を撫でていく。
冬が春になり、深まる春が夏の気配を纏うこんな夜は、全ての境目が曖昧になるようだ。
とはいえ、春先の夜気は何を運んで来るやも知れたものではない。
開け放っていた窓に手をかけ、閉じようとしたその時、真は誰かに呼ばれたような気がした。
「何だろう?」
誰、と呼べない存在のように思う。
視線は部屋を彷徨い、やがて刀掛台に置かれた一振りの日本刀に吸い寄せられる。
「君かい?」
勿論、返事はない。
それは分かっていたが、問うた真自身、違うような気がしていた。
改めて、窓の外を見る。
月の光を背景に、黒々と山や森の姿が浮き上がる。
そこに連なる小山は確か、古墳だったか鎮守の森だったか。
今夜は輝く白い霞を纏っていた。
いや、霞ではない。霞のように仄かに輝くのは、満開の桜だろう。
「あれかな」
我ながら思い込みが過ぎる。そう苦笑しながらも、真は刀を手にした。
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向かう先はある意味、この世の者の立ち寄るべき場所ではない。
それでも真は強く惹かれた。
刀は魔除のつもりもあったのかもしれない。更に、霊的な加護を受けた衣装を身につける。
そうまでして行かねばならない意味は、やはり真には分からない。
だが足は迷うことなく、夜道を踏み出す。
月は既に大地を充分に離れていた。
そのため先ほどより小さく見えるが、黄金色の輝きは増したようだ。
お陰で灯を持たずに夜道を歩くことができる。
真はずっとついてくる濃い影を供に、窓から見えていた小山を目指す。
まだ弱弱しい若草は露を含み、踏みしめるたびに生暖かい土の匂いが立ち上り、零れ落ちた露で真の足元を濡らす。
それでも真の歩みは止まることなく、いよいよ先を急ぐ。
小山を見上げるまでに近づくと、輝く霞は満開の桜の花となった。
月明かりに照らされ、まるで花そのものが光を発しているかのようだった。
小道は上り坂となって、花の咲くほうへと導いていく。
どれほど歩いただろうか、やがて上り坂の傾斜は緩くなり、やや開けた場所に出る。
その空間を、桜の木が囲んでいた。
そこはちょっとした高台になっており、月明かりのおかげで、今辿って来た道が良く見えた。
思えば、不思議だった。
山といっても大した高さもなく、これほどに満開の桜が見られる小高い場所に、花見客がひとりもいない。
だがその理由は容易に想像がついた。
夢のように美しい場所なのに、いやその為か、足を踏み入れた瞬間に真の全身の皮膚が泡立ったのだ。
真は息を整え、囁く。
「私を呼んだかな?」
――ざあっ。
一陣の風が吹き抜け、桜の花びらが雪のように舞い散る。
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桜が、見ている。
理屈ではなく、真の感覚がそう言っていた。
無数の桜の花が真を取り囲み、何かを期待しているようだった。
真の背中を、ぞくりと何かが駆け抜ける。
恐怖ではない。畏れだ。
何か人ならぬもの、人の理屈が届かないものに対する、本能的な畏怖。
相手は此方に敵意を持たない。けれどこちらの事情が通じるものでもない。
本来なら彼方と此方に分かれ交わることのない存在が、全てが霞む朧月の元、こうして出会ってしまった。
(もしこのまま境目が閉じれば、元の世界に戻ることはできないかもしれないね)
真はそう思ったが、やはり恐怖は無い。
あまりに現実離れしすぎていて、他人事のようだった。
広場の真ん中に進み出る。
桜の花びらが一斉にざわめいた。
(まるで面白い見世物を期待している観客のようだな)
真は唇を僅かに緩める。
(ならば期待に応えなければいけないね)
真は携えていた刀の鞘を払う。
銀色の刀身が月光を受けて鋭く光る。
抜き身の刀身を桜の花に見せるかのように、目の前に掲げた。
それからゆっくりと身を捻る。
花吹雪が真を覆い隠すように降り注ぐ。
あまりの花びらに、息苦しくなるほどだった。
真はそれでもなるべくゆったりと、刀を掲げてその場で回る。
何の物音もしない。
静寂の中、音もなく桜の花は散り続ける。
やがて真は回るのを止めた。僅かに腕を下げ、手首を捻る。
チキッ。
鞘が鳴り、真の手は刃先を上に、峰を下に、刀を握り直していた。
ふわり。
音もなく花びらが落ちてくる。
手で捕らえようとすればするりと逃げるだろう軽い花びらは、蝶が舞い降りるように刃先に触れる。
その瞬間、一枚の花びらは真っ二つに分かれて、それぞれがくるくる回って落ちていった。
(好奇心は猫を殺す、か)
これは自分に対する警告かもしれない、と思う。
(呼んでおいておかしな話だけどね)
そう、自分はこの桜たちに呼ばれてここまでやって来た。
桜たちが何を見たいのかは分からなかったが、こうして警告を与えたということはもう役割は終わったということだろう。
刀をひとつ振るい、鞘に収める。
「もう帰ってもいいかな」
いつの間にか月は中空を過ぎ、西に傾きつつあった。
このままここにいると、明けない夜に閉じ込められるかもしれない。
それを馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばせないような、不思議な力がこの山にはあった。
来た小道を辿って山を下りる。
充分距離を置いてから、真は山を振り返った。
月の光を正面から受けた桜は、薄紅色ではなく黄金色に輝いていた。
まるで山が燃えているようだった。
「……ああ、そうか」
やっと納得できる答えが見つかった。
こんな夜に思い切り咲く桜には、思わぬものが寄り付くのだろう。
真はそれを祓う役割を担ったのだ。
桜が思い切り咲いて、散るために招かれた守り人。
けれどあまり長居すれば、真自身が変化してしまうのかもしれない。
「こんなに美しいのに、明日には全部散ってしまうんだろうか」
――きっとそうなのだろう。
真はただひとり、桜花の命の輝きを見届けるように立ち尽くしていた。
━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
この度のご依頼、誠に有難うございます。
おまかせノベルということで、どんな内容にしようかをかなり迷ったのですが。
素敵なシングルピンナップをお見掛けしましたので、その状況を勝手に想像してみました。
お気に召しましたら幸いです。