※本商品は「ファナティックブラッド」の本編とは異なるアナザーノベルであり、「ファナティックブラッド」ならびに他ゲームコンテンツでプレイングやキャラクター設定の参照元にすることはできませんのでご注意ください。
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うさぎが3つ跳ねたとき
“幸運の白兎”のうわさが街に広まったのは、冬もそろそろ終わろうかといった2月の暮れのことだった。
ふわふわの白い毛に、真っ赤なおめめ。
右の耳だけ先っぽがちょっと黒いのが目印だという。
出会ったら追いかけてみるといいことがある、というのが噂の本質で、お金を拾ったとか、失くしたものが見つかったとか。
鞍馬 真(ka5819)ももちろん噂を耳にしていたが、そこまで信用していたわけじゃない。
むしろ突然沸いた噂なんて歪虚が関わっていることが多いせいもあって、警戒する気持ちの方が強いくらいだった。
だから久しぶりのオフに“それ”に出会った時も、押しも退きもせず、息をのんで見つめ合うことしかできなかった。
細い路地の暗がりからこちらを見つめる1匹の兎。
白い体毛に黒みがかった右の耳。
一目で噂の白兎だろうと分かった。
兎は赤い瞳でじっと真を見つめる。
まるで何かを訴えかけるような眼差しに、真も何らかの意思を読み取った。
「あっ」
しばらく見つめ合っていると、突然兎が踵を返して走り出した。
あっという間に路地の暗がりに消えていくお尻を見送って、真は足を踏み出しかけたまま考える。
噂の真相を確かめることは必要……だよね?
もしも歪虚の仕業なら討伐しなければならないし。
何が起こるかよりも、兎の正体を知るために、薄暗い路地へと踏み込んだ。
春も近いとはいえ、まだまだ肌寒い季節。
ちょっと日陰に入れば冷たい空気と吹き抜ける風が肌を刺す。
兎の姿は見えない。
だが、この路地は反対側の通りにぶつかるまで1本道だ。
隠れられそうなところさえ注意して見ておけば、見失いはしないはず――
「うぅ……これは」
通りがかった塀の下の方に、小さな穴を見つけてしまった。
人は通れないが、小さな生き物なら通れそうなくらいの穴。
わりとすぐ追いかけたはずなのに姿が見えなくなってしまった手前、おそらくはここを抜けた可能性が高い。
戸惑いながら、塀の上の方を見る。
自分の背よりちょっと高いくらい。
これなら覚醒しなくても乗り越えられそうだ。
「気になる……よね」
自分に言い聞かせて真は塀に手を伸ばした。
壁の向こうに広がっていたのはちょっとした庭園だった。
この時期、見事な花が咲いているなんていうことはなかったが、きっと春になれば青々とした緑の絨毯の中に色とりどりの花が咲き乱れるのだろう。
よじ登った塀の上から真は辺りを見渡す。
庭の隅っこにあの兎の姿があった。
こちらを見ている。
真は視線を交わしたまま庭に下り立つと、兎はまたお尻を向けてぴょこぴょこと走り去っていった。
「ちょっ……ま、待ってよ!」
慌てて後を追って庭園を走り抜ける。
それにしても、ここは何なんだろう。
街のただなかにしては、空気がちょっと荒んでいる。
庭の草木も荒れ放題というわけではないが、入念な手入れはされていないような感じだ。
すぐ傍に可愛い一軒家があるが、これもまた長いこと放置されているだろう静けさの中にあって。
薄い緑色に塗られた壁が、どこか寂しそうにも見えた。
「貴族の別荘とかかな……?」
でもこんな街中に?
疑問は募るばかりだが、今はそれよりも兎だ。
今度は姿をくらまさず、まるで真のことを待っているかのように庭の先でこちらを見つめている。
ふと、視界の端で家の中に人影を見たような気がした。
兎のぬいぐるみを抱えた、小さな女の子だった。
はっとして視線を向ける。
だが窓辺にそんな姿はなかった。
「やっぱり無人……だよね?」
背筋に冷たいものを感じながらも兎へと意識を戻していく。
兎は正門から大通りへと出ると、そのまま干からびた側溝を走り抜けていった。
わざわざ道すがら側溝を見るような人もおらず、誰にも見つからないまま、真だけが彼の後を追っていく。
噂では幸せを呼ぶ――らしいが、少なくとも今のところ祖言った気配は微塵もない。
自分が気づいていないだけなのか。
それとも彼が「逃げている」以上はまだ幸せにたどり着いていないのか。
そもそも彼はどこからやって来たのだろう?
おそらく歪虚……ではない。
いたって普通の兎だ。
普通の兎だからこそ、何か特別な力を持っているようにも考えられない。
そもそもジンクスなんてそういうものだと真は思う。
何も起こらなかった人が、兎と出会ったことなど覚えているはずがない。
良いことがあったからこそ、その直前に兎と出会ったという物語が記憶の中で印象づく。
だったら、そんな根も葉もない噂の中にひそむ「事実」は何か。
それは今目の前に“噂の兎”が存在しているということだけに他ならない。
不意に兎が側溝から飛び出した。
彼はとあるお店の前に駆け込むと、そのまま大きくひとっ飛び。
天井付近にある小さな窓から中へと入ってしまった。
「はぁ……はぁ……ここは……?」
小さく肩で息をしながら、兎が飛び込んだ建物を見上げる。
どことなく先ほど通りがかった廃屋に似た薄緑色の可愛い一軒家。
入口の所には木製の看板に丸っこい字で「ラピットパーラー」と書かれていた。
「えっと……何のお店だろう」
半信半疑で入口の扉を開くと――
「うわっ!?」
突然、あの兎が真の顔面めがけて飛びかかって来た。
咄嗟に受け止めるが、勢いでしりもちをついてしまう。
すぐに店員らしき女性が慌てたように駆け寄って、優しく兎を引きはがしてくれた。
平謝りする彼女に「大丈夫です」と苦笑して、真はお店の中を見る。
メルヘンチックなアンティークに囲まれた店内には、小さなカウンターといくつかのテーブル席。
喫茶店?
ただ、足元にはたくさんの兎たちが飛んだり、追いかけっこをしたり、昼寝をしたり。
「うさぎカフェ……?」
ぱっと頭に思い浮かんだ言葉を口にすると、女性はうれしそうな顔で頷いた。
真はこれまでのいきさつを彼女に話す。
すると、件の兎はここの従業員の一匹で、たまに抜け出しては街を駆けまわることがあるのだという。
とりあえず歪虚でなくって安心した――ほっと胸を撫でおろす真は、ふと壁に掛けられた1枚の絵に目が向いた。
色とりどりの花が咲くささやかな庭園と、そこに立つ一軒のかわいいおうち。
「これって、さっきの……」
目を奪われていると、母の家です――そう言って、女性が懐かしそうに微笑んだ。
歪虚事件で身寄りを亡くした母が、遠方の親族に引き取られるまで過ごしていた思い出の家。
女性は行ったことがないそうなのだが、この絵に描かれた家に憧れて、それに似たお店を始めたのだという。
「それなら――」
どこにあるかもわからないのですけれど――と口にした女性に、真は言いかけて口をつぐむ。
あの兎が、街でそうしていたようにじっと自分のことを見つめていて、なんだかここでは語らないほうがいいような気がしたのだ。
立ち話もなんですし、と女性が真に席を薦める。
もともと長居するつもりのなかった彼は咄嗟に断ろうとするが、いつの間にか足元をもふもふの兎たちに囲まれていた。
なついている?
いや、どちらかと言えばせっかくのお客を逃がすまいとしているようにも感じる。
「あはは……これはこれで幸せ、かな」
苦笑しながら近くの席に腰を落ち着ける。
カウンターの隅では、古い兎のぬいぐるみがお客を歓迎するようににっこりと笑っていた。
━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
おはようございます、のどかです。
この度はおまかせノベルの発注まことにありがとうございます。
初めて書かせていただくということでネタをどうしようかとギャラリーを拝見させていただいたところ兎に関わるイラストを何点かお見受けしまして、今回のお話のベースに据えさせていただきました。
うさぎと言えば古今東西和洋問わずさまざまな逸話があります。
日本は因幡の兎にはじまり、月に住むと真しやかに囁かれ、欧米でもカメとの手に汗握るレースは有名なところでしょう。
数えればきりがないほど挙げられるのは、それほど人間にとって身近で、かつどこか神秘的な存在であるということなのでしょう。
身近な日常、繰り返す毎日の中でふとした不思議に目を向けてみる。
そういう時間をご提供できていたらなと願います。