※本商品は「ファナティックブラッド」の本編とは異なるアナザーノベルであり、「ファナティックブラッド」ならびに他ゲームコンテンツでプレイングやキャラクター設定の参照元にすることはできませんのでご注意ください。
『忙しい特別な日』


 ありがとうございました。レジカウンターで深く辞儀をして客を見送る。
 その客の使っていたテーブルからカップとカトラリーを下げて、天板を拭うと、ふっと手が空いてしまった。
 時計の音が聞こえそうな程店内が静まるのは、今日は初めてのことだった。
 鞍馬の他にも忙しくしていた店員や、手伝いのハンターがほっと一息入れて、伸びをしたり肩を解しながら、滞っていた洗い物や、次のケーキの支度に移っていく。
「てんてこ舞いでしたねー」
 今し方まで忙しく歩き回っていた店員が、朗らかな声を掛ける。
 客に向けていた和やかな笑顔のままで、そうですねと答えて、そして、漸く暇になったんだと気付く。
「…………掃除でもしようかな。今の内だ」
 今の内に済ませてしまわなければ、またすぐに混んでくるだろうから。
 鞍馬はモップを手に店内を回り始めた。
 カウンターやテーブルの下、窓や壁際の隅の方。出入りが多かった為か砂埃がざらりとしていた床は次第に元の艶を取り戻していく。
 キッチンの方から聞こえていた水音も止むと、囁く様なお喋りが聞こえてきた。
 モップの柄を握って少し足を止める。
 その輪に加わってしまうのは、ひどく手持ち無沙汰に感じられた。
「鞍馬君って、働き者ね。ずっといて欲しくなっちゃう」
 足音に振り返るとオーナーが小皿に数枚のクッキーを載せて差し出していた。他の皆はキッチンで摘まんでいるらしい。貴方もどうぞ、と笑っている。
「そうかな。何もしていないと落ち付かないんです。頂きます。……これ中がチョコレート。美味しいです」
 それ、皆にも人気だったわとオーナーが目を細めた。今日だけドリンクの付け合わせに提供している物だ。
 1枚食べ終えて時計を見上げると、昼下がりの一番忙しい時間は過ぎている。いつもなら少し寛げる時間だろうが、今日は特別な日、恋人達のデートの予定は容易く狂う物だから気が抜けない。
 モップを片付けて次の仕事を探そうとした鞍馬をオーナーが呼び止めた。
「随分頑張っていたのね、タイが緩んでいるわ。片付けておくから直していらっしゃいな」
「――は、はい、すぐに行ってきます」

 オーナーにモップを托し、慌てて向かったスタッフルーム鏡の前でタイを解く。
 釦を寛げて息を吐いた襟元の隙間から、僅かに白い包帯が覗いた。
「これで、見えてない……かな?」
 鏡を覗き、1番上まで釦を留めながら、首の角度を変えて呟く。
 タイを締め直すと、その手を握ったり開いたり、指を動かして感覚を探る。
 トレーや皿は問題ないけれど、愛用の得物の柄を握るにはまだ筋の感覚が危うい。
 袖口からも腕の包帯が覗かないように釦を留め直し、最後にエプロンを整えると気合を入れるように、ぱんと音を立てて皺を払った。
 丁度その時鳴ったドアのベルの音が聞こえた。


 しゃんと背筋を伸ばして、真っ直ぐに歩く。
 先にカウンターに戻っていた店員が最初の客を引き受けると、次の客を1つ空けたテ―ブルへ案内する。
 若いカップルは迷わずに恋人の日のセットを注文した。
 今年もこの特別メニューは人気のようだ。
 その次の客は壮年の夫婦だった。
 眉間に皺を寄せてメニューを見ている夫と、頬杖を突いて彼を眺めている妻。
「ごめんなさいね、この人甘い物が苦手なの。おすすめは無いかしら?」
 早く決めなさいよと夫を急かしながら、鞍馬を見上げて申し訳なさそうに目を伏せた。
「いいえ、ごゆっくりお選び下さい。……そうですね、こちらのチーズケーキは甘さは控えめですが、チーズの酸味と香りを楽しんで頂けると思います。果物がお嫌いで無ければ、フルーツタルトもお勧めしておりますが……」
 夫は鞍馬に1度目を向け、すぐにメニューへ目を戻すとチーズケーキを指で突くように示した。

 チーズケーキとガトーショコラ。飲み物はどちらもコーヒーで、ケーキと一緒に持っていく。
 綴った伝票を届けて、支度の済んでいたセットを若いカップルへ運ぶ。
「お待たせ致しました、恋人の日の特別セットです」
 色取り取りの小さなケーキを載せた白い皿を2人の間へ。その瞬間に、わ、と上がった小さな歓声に自身の頬が緩んだのを感じた。
 すごいな。かわいい、おいしそう。
 2人の嬉しそうな声を聞きながら一礼して下がる。
 すごく喜ばれてましたと店員に伝えると、貴方の方が嬉しそうねと、その店員も微笑みながらトレーを運んでいった。
 チーズケーキの支度を待ちながら自分の頬に触れてみる。
 ああ、笑えている。
 いいのかな。そんな風に躊躇って噛み締めそうな唇を引き上げて。目に映るのは賑やかで温かで、幸せそうな恋人達ばかりだから。
 出来ましたと、キッチンから声が掛かった。
「はい!」
 青い瞳を撓ませながら答えた穏やかなテナーは溌剌として、ケーキの皿とコーヒーカップの揃ったトレーを持った。
 本当に、ずっといてくれたら良いのに。
 レジから視線を寄越したオーナーの呟きはひっそりと、客の中に紛れた鞍馬の耳には届かなかった。

 香ばしくしっとりと焼けたチーズケーキと、チョコレートの香りが濃厚なガトーショコラ。
 静かにそれぞれの前へ置いて、その傍らにソーサを並べてコーヒーカップを乗せる。
 優しげな笑顔に見送られて下がるとすぐに、美味しいと聞こえてきて背中が何と無しにくすぐったく感じた。
 賑わいの中では2人の話す声はもう聞こえないが、夕方のティータイムを楽しんでいる気配を感じる。
 見ればチーズケーキも減っていて、心なしか緩んだように見える夫の表情に安堵し胸を撫で下ろした。

 一度は凪いだ客足が再び、昼下がりのひとときの様な混雑を見せ、鞍馬も他の店員達も忙しなく店内とキッチンを行き交っている。
 会計に呼ばれてレジカウンターに向かうと、先程までの老夫婦が待っていた。
「――有り難う御座いました」
 領収書を受け取った終始笑顔の妻の隣で夫は仏頂面のまま。
 しかし、ごちそうさまと踵を返した妻に続いて背を向けながら、頭を掻いて振り返る。
「美味かった、また来る……あれは、今日じゃ無くても置いてるんだろう」
「はいっ、いつでも。またのご来店を、お待ちしております!」
 深く頭を下げて見送る。
 大きな声を出して、身体の傷が少しだけ、ひりつくように痛む。

 痛みが引いて上げる顔はきれいに、きれいに微笑んでいて。さあ。と、深呼吸。
 次は片付けだ。忙しい今日はまだ終わらない。

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ka5819/鞍馬 真/男性/22/闘狩人(エンフォーサー)】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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鞍馬 真様
 ご依頼頂き有り難う御座います。いつもお世話になっております。
 鞍馬さんの自然な楽しさと、それを実感する嬉しさを感じて頂ければ幸いです。 佐倉眸 拝
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発注者:キャラクター情報
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鞍馬 真(ka5819)
副発注者(最大10名)
クリエイター:-
商品:シングルノベル

納品日:2018/03/12 17:19