イメージノベル第二話(3)

覚醒者になる為の儀式は、比較的簡単に受ける事が出来る。

ハンターズ・ソサエティに併設された修練場に必要な物は揃っているし、覚醒出来るかどうかは手順よりも資質が問題になる事が多い。そして少し調べてみれば神薙に十分すぎる程のマテリアルが眠っている事は明白であった。
「覚醒の手順は色々とありますが、今回はオーソドックスに精霊と契約を交わし、“クラス”を得て覚醒者になるという手順を踏むとしましょう」
「その、精霊というのは?」
「わかりやすく言うと、これだねっ」

ずいっとラキが差し出したのはキノコとしか言いようのない、しかし神薙が知る物とは明らかに違うキノコであった。
「え。待って、もしかしてこれが噂のキノコ……!?」
「うん。パルムっていうんだけどね。キノコ型の精霊で、“神霊樹(アガスティア)”の世話役なんだ。神霊樹っていうのは……まあいいや、また後で説明するね! いっぺんに言うとわかんなくなるだろうし!」
「そのパルムいつからいたの?」
「いや、みんなを待ってる間からいたんだけど、ヴィオラがあたしを掴み上げた時にびっくりして逃げちゃって……」

神薙とラキのひそひそ話をヴィオラの咳払いが中断させた。二人がシャキっと居直るのを横目に説明を続ける。
「精霊とは、大きなマテリアルの固まりのようなものです。自然に存在していたマテリアルが昇華した存在であり、パルムの様に姿形を持つ物もあれば、目には見えないような場合もあります」

精霊を細分化すると話は少々ややこしくなる。“エクラ教”の話を避けずにはいられない立場だからこそ、ヴィオラは説明そのものを簡略化した。

精霊と一口に言っても種類は様々。偉大な人間の残留思念が精霊と化した“英霊”。物体として、生命体としての形を保ったまま精霊になった“竜”や“神霊樹”。そして考え方によっては“神”として、そして“祖霊”として信仰を集める場合もある。精霊の定義は宗教感によっても変わってくるので、今の神薙にとっては蛇足となるだろう。
「覚醒において最も手っ取り早いのは、精霊と交信し体内のマテリアルを活性化してもらう方法です。精霊の力を借りずとも偶発的に覚醒する事はありますが、方法が確立されているのにあえて遠回りをする必要もないでしょう」
「そうですね。それで、契約というのは具体的にどうすれば?」
「その陣の上に立ち、契約したいと願うだけです」
「それだけですか!?」
「契約の“場”は既に完成しています。あとはただ願うだけです。精霊との契約に共通の定石などありません。あなたの世界を解き放ち、ありのままの世界を感じるのです」

冷や汗を流し、いまいち納得しないまま魔法陣の上に立つ神薙。それから言われるがままイメージを膨らませようと目を瞑った。

リアルブルーの人間にとって、“精霊”なんてものは眉唾物で当然だ。しかしこの世界では違う。この世界には至る所にマテリアルの力が、精霊の意志が行き届いている。このクリムゾンウェストでは、人と精霊の距離感は神薙が思っている以上に近しいのだ。
「俺の世界を、解き放つ……?」

――そもそも、俺の世界ってなんだ? 少年は自問自答する。

正直な所、覚醒者になりたいと強く願う理由はない。いや、完全にないわけではないが、どれも消極的なものだ。元の世界に戻りたい、記憶を取り戻したい、それまでの間この世界で生活したい……結果、手段として契約を欲しているだけだ。

「……篠原君、どうしたんだろう? 素質は十分以上の筈なのに」
「迷いがあるようですね」

目を瞑っていても精霊は感じられない。そんな神薙を心配そうにファリフとヴィオラが見守っている。声は聞こえずともそれがわかるから、また少年の中に焦りが生まれてしまう。
「何を迷ってるんだ……覚醒者になるしかない……わかってるだろ……!」

もう、ヴィオラやファリフに迷惑はかけられない。別れの時が来たんだ。わかっていた事だ。いつまでも誰かに守られたままではいられない。生きていかなければ、自分の力で。
「だから俺は、伝説の救世主にだって……」
『なれるわけないだろ? そんなライトノベルじゃないんだから』

はっとして顔を上げた。声が聞こえた気がしたのだ。だがそれは誰の声でもなかった。あれは確かに――自分自身の声だった。

瞼の裏に広がる闇の中に、淡い光が揺れていた。それは人の形を作り、語り掛けてくる。
『無理するなよ。出来もしない事をやろうとするから失敗するんだ』
「失敗……?」
『みんなきっとがっかりする。俺は救世主にはなれないんだって、そう思われたら……きっとみんな離れていく。怖いんだろ? 失望されるのが』

ぐしゃりと、鈍器で頭を殴られたかのようだった。

そうだ、これだ。さっきから……いや、最初から自分にまとわりついていた重さの正体。それは、自分自身を冷静に判断するもう一人の自分の声。“みんなに嫌われたくない”、保身の声だ。
『俺は普通の人間で、普通の学生だ。こんな世界で生きていける人間じゃない』
「ああ……そうだな。俺は化け物と戦えるような勇敢な人間じゃないよ」
『みんなに助けられて、救われて、期待されて……でも無理だよ。何もできるわけない』
「恩なんか返せない……だから、優しくされるのが辛かったんだ」

きつく目を瞑り、拳を握りしめる。ようやく分かった。この弱さこそ、自分とこの世界を隔てていた壁なのだと。この声に従っている限り、自分は何者にもなれない。
「だけど……そう考えているのは、嘘じゃない。不安なのは、本当なんだよな」

ゆっくりと目を開き振り返ってみる。ヴィオラとファリフは落ち着いた様子だ。それはきっと自分を信じているから。そして……ラキはパルムをぎゅっと抱きかかえたまま、目だけで訴えている。“できるよ”と。“大丈夫だよ”――と。
「不安で、どうしたらいいのかわからないよ。だけど……やってみなくちゃ、わからないままだ」

この世界で救われて。誰かの手を取り、引っ張られて流されて。

見ず知らずの、本来ならばきっと永遠に交わる事のなかった世界の荒波に揉まれ。
「もう、何も知らなかった俺じゃないから」

色々な事情があって、立場があって。良い事も悪い事もある。これから辛い事だって沢山あるだろう。けれど、まだわからない事を怖がっていたら……何もできないじゃないか。
「別に深い理由や強い願いがあるわけじゃない。だけど……“わからないまま”にしない為に。一歩踏み出す為に……。この世界をもっと感じて、知って、理解する為に……。俺がどうしてここにいるのか、それを知る為に……」

――ゼロからプラスへ、気持ちを動かす為に。
「流されたままでもいい。俺は、力を求める――!」

闇の中、自らを取り囲む四色の光。それらはくるくると回転し、やがて神薙の中へと飛び込んだ。交差する光の中心で眩さに目を開いた瞬間、胸の奥底から熱が込み上げるのを感じた。確かにこの身体の中に、理由なき胸の奥に、力が宿った事を感じさせるほどに。
「どうやら上手く行ったようですね」
「おめでとう、篠原君!」

仲間達の声が聞こえる。そう、もう赤の他人じゃない。ラキが飛び跳ねて喜んだ後、満面の笑みでサムズアップする。だから神薙も照れくさそうに、仕方なさそうに笑いながら親指を立てたるのであった。
「いやあ、中々面白いもんを見せてもらった。流石はリアルブルーからの転移者って所か」

契約も無事終了したところで一行がその場を後にしようとした時だ。いつからそこにいたのか、一人の男が声をかけてきた。背が高くがっしりとした体形で、眼鏡の向こうから不敵な視線が神薙を捉えていた。何より特徴的なのはその腕に装備した“機械”で、少なくとも神薙にとってこちら側の世界に来てから初めて遭遇する代物であった。
「あれ? クロウ、どうしてここに?」
「ラキがでかい声で騒ぐからだ。とっくに噂になってんぞ。伝説の転移者が現れたってな」

ニヤリと口元を緩める男の前にヴィオラが立ち塞がると、男はやや仰々しく身を離した。
「おっと……怖い怖い。ま、名も名乗らなきゃそうなるか。俺はクロウってモンだ。ラキと同じハンターだよ。それじゃどこの馬の骨かもわからねえってんなら、錬金術師組合の正博士ってつけてもいいぜ。ま……俺はあんまりこの肩書きが好きじゃねえんだが」
「錬金術師組合のクロウ……?」
「悪い人じゃないよ。ただちょっと……いや、かなり変人だけど」

目を逸らし笑うラキをよそにクロウは神薙へと歩み寄る。そしてその視線を追って頷いた。
「……ああ? こいつが珍しいのか? これはな、魔導ガントレットってモンだ。帝国辺りに行きゃあゴロゴロ見かけるが……ま、珍しいかもな。“錬金術”に興味があるのかい?」
「錬金術っていうのは知らないけど、こっちの世界にも機械があるんだなって」

神薙はポケットから携帯電話を取り出す。それを目にした瞬間、クロウの瞳がギラリと輝いたのを誰もが見逃さなかった。
「こいつは……ほお。面白いじゃねえか。異世界の装置か。何に使うものなのか、教えてくれよ」
「え? あー、えっと、情報を伝達したり、蓄積したりするものなんだけど」
「パルムみてえなもんか。このサイズで持ち歩き可能とは、ぶったまげたぜ」
「あ、そこの一番下にある丸いボタンを押して、あとは画面をタッチして……」

二人はなんとなく意気投合し、機械について語り始めた。流石にこれはヴィオラ達も専門外なので蚊帳の外。三人の女性は集まって声を寄せる。
「……何の話してるの? アレ」
「流石に私も錬金術師組合の博士号と同等の知識量とは……」
「クロウはかなり変わってる人でね。ハンターの装備とか勝手に改造しちゃったりするんだ。その結果“くず鉄”みたいになっちゃう事もあるんだよ……」
「ただの危険人物ではありませんか。何故野放しにされているのですか」
「でも結構お手頃価格でいじってくれるから、みんな重宝してるんだ……。変だけど悪い人ではない……と……思う……かな。恨みは……結構買ってるけど……」
「ラキ、身に覚えがあるんだね……」

内緒話を終えて振り返ると、丁度男同士も話を終えた所のようだ。何だか少し打ち解けている。
「成程な。あんた、このテのモンに詳しいなら“錬金術師(アルケミスト)”が向いてるぜ。どれ、門出の祝いだ。ちっとばっかし弄ってやるよ」

笑顔で作業台につくクロウ。女性三人はその様子に冷や汗を浮かべる。
「ねえねえラキ? あの人たまに壊すんだよね?」
「壊すどころか原型を留めずわけのわからない物体に突然変異する事もあるねっ」

顔を見合わせている間に神薙の悲鳴が聞こえてきた。見れば作業台の上で篠原神薙が唯一異世界から持ち込めた大切な物が分解されている所であった。
「うわーっ!? なにやってんだおっさん!? 俺の携帯がーっ!!」
「いいから任せとけって。壊れたりはしねえよ…………たぶん」
「今たぶんって言ったよな!? 返せ、返せって……やめろお……やめてくれーっ!」

こうなってしまうと途中で奪い返しても神薙には元に戻せない。顔面蒼白で頭を抱える神薙を気にも留めず、クロウは鼻歌交じりに携帯電話を改造していく……。
「久々に弄り甲斐のあるマシンで面白かったぜ……ほらよ、問題なく動く筈だ。触って見な」

携帯電話が?

携帯電話が?

機械を感覚的に把握するアルケミストにとって、未知の技術であっても改造整備は御手のもの!? とりあえず電池切れの危機は脱したようだ。

凄まじい手際の良さで携帯を組み直し、神薙へと投げ渡す。慌てて電源を入れ直してみると、そこには見覚えのないアプリが追加されていた。
「元々の機能を邪魔しねえように魔導デバイスとしての機能を追加してみたが、どうだ? そいつを介すれば、あんたが契約した精霊とより簡単に交信出来るはずだぜ」
「お……おぉお……!?」

アプリを起動すると画面から光が迸る。耳に当ててみれば精霊の声なのか、遠くで囁くような音が聞こえた。まるで本当に目には見えない何かがこの携帯電話に宿ったかのようだ。
「凄い……こっちの世界にこんなに高度な技術力があったなんて……」
「ははは。やっぱあんた、錬金術師に向いてるよ。“クラス”について知りたくなったら後で聞きにきな。同門のよしみだ、色々教えてやるからよ」

先ほどまでの不安が感動で吹き飛んだのか、二人は楽しげに話をしている。その様子にほっと胸を撫で下ろしヴィオラは微笑みを浮かべるのであった。
「ねえカナギ! 壊れた!? 壊れた!?」
「一応原型は留めてるみたいだね?!?」
「あ? 別にちょっと強化したくらいじゃ壊れてねえよ。確かに壊れる時もあるが、滅多にある事じゃないんだ。大げさなんだよ、お前達は」
「嘘つけ! だったらどうしてあたしのダガーは壊れたのよーっ! お気に入りだったのに、あれ!」

同時に駆け寄り神薙の携帯を覗き込むラキとファリフ。覚醒者になったばかりだが、神薙にはまた新しい仲間が増えたようだ。ここはハンターの街。きっと多くの縁が彼を導いてくれる事だろう――。