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【繭国】これまでの経緯


更新情報(8月10日更新)
【繭国】ストーリーノベル更新に伴い、6月30日公開の【繭国】プロローグノベルを掲載しました。
【繭国】ストーリーノベル
各タイトルをクリックすると、下にノベルが展開されます。
●
グラズヘイム王国、首都イルダーナ。
その中央に位置する王城の一室に、彼らはいた。
セドリック・マクファーソン(kz0026)。優れた内政手腕で王女の補佐する聖堂教会の大司教。現在は、資料を手に滔々と税収報告を行っている。
ゲオルギウス・グラニフ・グランフェルト。現、王国騎士団団長。覚醒者でこそないが、騎士団切っての智将。
ダンテ・バルカザール(kz0153)。王国騎士団副団長にして、赤の隊隊長。ゲオルギウスと対称的に、武芸窮まる豪の者は目下お昼寝中である。
そして、エリオット・ヴァレンタイン(kz0025)。元王国騎士団団長。故あって身を隠していたが先日のベリアル討伐を機に公の場に姿を見せた。騎士団への復帰は未だ果たしていないが、今回の席にはシスティーナの配慮の元での参列である。
そして、システィーナ・グラハム(kz0020)。グラズヘイム王国、王女。近衛隊長でもあるマルグリッド・オクレールを背に、資料に目を走らせている。
「以上が、税収報告になります」
「ありがとうございます、大司教さま」
資料から顔をあげたシスティーナは、少しばかりの安堵を見せていた。
「この様子でしたら、戦災補填に充てても国庫には響かなそう、ですね」
「目立つ被害はありましたが、局所的被害が主でしたからな。環境、人的被害いずれも軽微ですから、税収には大きく響いていません」
「……あれだけの大戦であっても、ですね」
それは、護るために散っていた者たちにとって餞に足る何かと、言えるだろうか。
大切な何かを喪い、残された者たちにとって代償に足る何かと、言えるだろうか。
「…………」
感慨か、はたまた思索かに耽る王女を、居並ぶ面々たちは――ひとりは眠っているのだが――ただ、見守っていた。
数多の事件を経て、たしかに王位に足る素養を見せてきている少女の成長を阻害せぬようにと。
つと、少女が顔をあげた。
「オクレールさん」
「はい」
言葉に、オクレールは入り口の扉へと歩み、扉を開いた。
恭しい一礼と共に、幾人かが室内に入ってくる。その中に、とある人物を認めてエリオットは目を見開いた。
「……お前」
「や、エリー」
軽妙な調子で片手を挙げたヘクス・シャルシェレット(kz0015)はエリオットの隣に座った。貴族はヘクスただひとり。武人も少なく、ダンテを叩き起こしたヴィオラ・フルブライト(kz0007)が居るくらいである。その他は文官に類する、各省や各界の重鎮たちが勢揃いしていた。
「……どういうことだ?」
「あれ、聞いてないの?」
目の色が代わり、急に悪戯っぽい表情になったヘクスを追求するのは無謀と感じたか、エリオットはすぐさま、君主へと視線を転じた。
システィーナの隣のゲオルギウスは平静を保っている。ダンテはそもそも気にしている素振りはなく、どうやら自分だけが聞かされていなかったようだと知った。王女はエリオットの困惑に詫びるように、微かに頭を下げた。それから、凛とした声で、こう言った。
「お集まり頂き、ありがとうございます、皆さん」
背筋を伸ばして、居並ぶ面々、ひとりひとりの顔を眺めながら、言葉を紡ぐ。
「これより、『国費投入』を行うにあたって、各領域、皆様の意見聴取をさせていただきます。どうか、忌憚のないご意見を」
●
昼頃から始まった会であったが、終わる頃には夜半を過ぎようとしていた。
王国が抱える問題は多岐に渡ることを如実に示すように、参加者からの意見は尽きず、具体的な予算の額などに触れずとも、それだけの時間を要した。
参加者全員がその場が陳情の場ではないことを理解していたからこそ、場が荒れることはなかったのが救いだろうか。
参加者の多くが退散した後もその場に残ったのは、セドリックに在席を許されたヘクスと、騎士団の重鎮のうち、ダンテとエリオット。セドリックとゲオルギウスは調整と資料検分のために文官を引き連れて別室へと移動していった。
「……ふぅ」
すこしばかり肩の力を抜くことが出来て、システィーナは微かに、吐息を零した。
「やー、長かったねぇ。おつかれ、システィーナ。あ、オクレールさん。君が淹れたティー・ロワイヤルが欲しいんだけど、いいかな?」
肩を回すヘクスの注文に、オクレールは黙礼した。システィーナはこの夜更けに茶を飲む勇気は無く、頷きひとつをして、オクレールを見送る。
「ええ……今日はありがとうございました、ヘクスさま」
「皆張り切ってたから、大変だったろう。大丈夫かい」
「…………はい」
静かな議論であったが、確かな熱があった。千年の歴史に積み上がった今を、それぞれの専門家が代弁する様は、システィーナにとって迫るものがあったのは事実だ。裡に宿っていた、微かな火。それが、熱量を増していくのを感じる。
それは、確かな昂揚だった。システィーナ自身が下した大きな決断に対する。
けれど。
「…………ヘクスさま」
「なんだい?」
煌々と光を放つ分だけ、影もまた濃くなっている。
「……この道は、正しいのでしょうか……」
これまでにも何度も、我儘にも似た決断はしてきた。
けれど、これは初めての経験だった。王国を揺るがし得る決断をする、というのは。
「――さあて、ね。その評価を下すのは、僕たちじゃない。"もっと先"の人々さ」
「……」
それも、解っていた。答えの無い問いであること――だけではなく、"これから"答えを作り出していかねばならないことも。
つと。
「実際の所、どーなんだ」
言葉を挟んだのは、ダンテ・バルカザール。重役たちも去り、オクレールの視線も無くなったことで気が大きくなったからか、だらしなく椅子に身を預けながら、続ける。
「この国の問題は多い。それは良ォーく解ったがよ。"それ"で漸く、半分ってトコじゃねえか?」
「ダンテ」
エリオットの鋭い視線と声に、ダンテは応じない。真っ直ぐにシスティーナを見据えたダンテは常に無い真剣な表情のまま、こう言った。
「嬢ちゃんが号令を出すのは良い。だが、ソレだって届かねえ場所があるってこたァ、分かってんだろ」
「………………」
予想外の人物からの指摘に、システィーナもエリオットも、言葉を呑んだ。そういった政治がらみの問題には頓着しない人となりだと思っていたからだが、その指摘はこの場に於いては適切極まった。
「貴族の中で、王家に対して非協力的な方々がいるのは存じ上げています」
「だよな」
先程の会合の中では、意見として上がらなかったものだ。金の使いみちとして論じるには、不確定要素が多いから仕方はないとも言える。
システィーナの表情を見て、ダンテは歯を剥いて笑った。
「つってもまぁ、俺だってハンターの受け売りだけどよ。そんくらいバレバレだってこったろ。何もしねぇって訳にはいかねぇんじゃねーか?」
「…………そう、ですね」
この問題の根深さを知っているだけに、システィーナの返答はどうしても鈍ってしまう。
「はーい!」
と、爽やかな声が響いた。わざとらしくヘクスが挙手しているのを見て、ダンテはうんざりとした表情を見せた。
「ダンテ。君が言っているのはマーロウ大公の事かい?」
「………………っていう、"噂"、だな」
ヘクスの言葉が助け舟となったかは極めて微妙。告げられた"名前"は余りにも端的で、快活さを保っていたダンテまで沈黙してしまったのだから。
余計なことを、というエリオットの視線に笑顔を返しながら、ヘクスはシスティーナに向き直ると、
「ま、出来ることからしたらいいさ。貴族の問題は……僕が言うべきじゃないかもしれないけど、根が深い。他にもやるべきことがあるのは事実なんだしさ。そんなことより……システィーナ」
「は、はい」
「――なんで、国庫を開くことを決めたんだい?」
「…………」
システィーナは言葉に詰まる。国庫から、直接的に資金を動かすと決めたのは他ならぬ彼女だが、臣下の中にその由を問うものはいなかった。
"システィーナが決めたのだから"、最善を尽くす、と。そう動いてくれた。
だから、その問いには緊張を強いられた。"王意"を問われている、と。そう感じられて。
「私なりに、この国のことをいっぱい勉強したんです」
この立場になって。
――独りに、なって。
沢山のことを、知った。千年間、この国は変わり続けてきた。磨き続けてきた。そして、何かを、遺してきたと、知った。
今を生きている人々。彼らに託し、光のもとへと旅立った人々。民とは何か。国とは、何か。王とは、何か。
「この国は、蛹のようなものだと、思ったんです。様々な思いが内包されたまま――千年の時を経て、成熟しようとしている、と」
胸に手をあてる。感謝の言葉を残して消えていった、ホムンクルスを思う。
「……これから迫る大敵に備える好機だと、思いました。だって、皆様――」
そして、先程の議論を、思い返す。思った通りの、願ったとおりの光景だった。
システィーナの心に、温かい風が吹き込んでくる。
「羽化、したがっているんですもの。それを支えるのが――私の成すべきことだと、感じたのです」
そう告げた時、自然と、笑みを浮かべることができた。
エリオット・ヴァレンタインの帰還からほどなくして、王女システィーナ・グラハム(kz0020)は王国への財的介入を決めた。その中で焦点のひとつに成るのが、【王国の軍備】であった。
王国の軍事力といえば、言わずもがな王国騎士団が挙げられる。聖堂戦士団も当然これに頭数として並んではいるが、エクラ教が王国と共にあるからこそ成り立つ関係の彼らは直接的に王国の力そのものとは言い難い。つまり、軍備において第一にテコ入れを行うべきがどこなのかは、言うまでもない。
王国騎士団長室の最奥、古びた椅子に腰かけた騎士団長ゲオルギウス・グラニフ・グランフェルトはパイプを燻らせていた。彼に召喚されて執務室を訪れているのは二人の騎士。一人は赤の隊隊長であり王国騎士団副長を務める男、ダンテ・バルカザール(kz0153)。そしてもう一人は、王国騎士でありながら騎士団から離脱し、王女直下で特務に従事しているエリオット・ヴァレンタイン(kz0025)。後者の青年は、老騎士と机を挟んだ対面に立つと、重い口を開いた。
「……ゲオルギウス。例の件、考えはあるのか」
「先の黒大公戦を見たろう。激しい戦の連続に、騎士団の人員は減り続けるばかりだ」
二人には多少なりとも心を許しているのか、老騎士は疲労の滲む顔でパイプを口から離した。そんな長の様子にやれやれと溜息を零し、ダンテは勝手知ったるなんとやらとばかりに来客用ソファへと腰をかける。
「”古の塔”周辺の戦闘じゃ、指揮官級の騎士も戦死したしな。お前が長だった頃よりも、随分戦場に若い騎士が増えてる」
練度の低い騎士の戦線投下は犠牲者の増加を招くばかりだが、それを理解したうえでも、騎士団はやらねばならなかった──などということは論じるまでもない。ゲオルギウスは背もたれに体を預けると、一際大きく煙を吐き出す。
「富国強兵、大いに結構。だが、国庫を開いたとて、騎士には限りが来ている」
「確かに“騎士の増員”に関しちゃ、それこそホロウレイド直後から腐心してきたことだしな。だからこそ今日まで激しい戦を乗り越えてこれたワケだがよ」
「……まぁいい。折角の軍資金、有意義に投資させてもらうとしよう。でなければ、次はもうもたんぞ」
「取り急ぎは……そうだな、装備の強化やゴーレムの配備が現実的なところか? 例の戦でハルトフォートは損傷してんだろ。そっちはどうなってる?」
王国騎士団長と副長のやり取りが淡々と続く中、ふとダンテがエリオットに水を向けた。
「で、お前はどうなんだよ」
ソファの手すりを指でトントンと叩きながら、赤髪の男は青年の出方を伺っている。
「俺、か?」
「ああ。お前だよ、エリオット。……その顔、言いたいことあんだろ?」
「構わん、発言を許可するぞ。”一介の騎士”よ」
ダンテは先程から頑として控えていたエリオットの態度に苛立ちを感じているようだが、反してゲオルギウスは青年の出方を面白がっている様子だった。“試している”と、言うべきだろう。エリオット・ヴァレンタインという男の在方を。一年ぶりに共にする、その魂の形を。
「もし、俺が騎士団長なら……最優先で執るだろう策が一つある」
両雄意味合いの異なる鋭い視線を確と受け入れながら、エリオット・ヴァレンタインは二人の偉大な騎士に感謝を込めて告げた。
「此度の国策を機に、王国騎士団の大幅な増員を行い、新隊を設立する。もはや一刻の猶予もない」
◇
エリオット・ヴァレンタインには、以前から考えていたことがある。
『貴方が動けないなら使って下さい。……我々を』
一年以上前の日、グラズヘイム王城の騎士団長私室へ招いたハンターの友は確かにそう言った。真っ直ぐな視線を向けられ、思わず自身が“これから成そうとしていること”を零してしまいそうだった。
──お前の力を、貸してくれないか。
そんな一言が言えたのなら、どれほど心強かったことだろう。だが、出来なかった。
あの時エリオットは、その申し出を断るほかなかったのだ。“もっと強くなれ”と言い残し、そして……あの日、“全てを置き去りにして、自らの存在を殺した”。
王国騎士団の長であったが、彼は確かに組織を、友を、家族を、何もかもを置き去りにしたのだ。後を託した者たちの事を考えない日はなかっただろうが、それでも客観的事実は変わらない。それは、置き去りにされた側の者たちの思いが物語っている。
『例え謗られようと、全てを騙し続ける道だ。誰も彼もが今のように君を迎えてくれはしないだろう。それでも、僕と行くんだね』
あの日から、幾度となくヘクス・シャルシェレット(kz0015)。の言葉が頭を過った。覚悟はしていた。再び出会ったとき、どれほどの誹りを受けるだろうと。それでも、選んだ道は誤りではないと信じ、国のために自分を殺して死力を尽くした一年の後、再び共に騎士団と戦う日が来たエリオットはどんな思いを抱いたか?
それは、強い感謝とまぎれもない決意だった。
「お前、俺らの話聞いてたろ? つーか、だからよ、もうこの国に戦える騎士は……」
「把握している。それに対し、ハンターを中心とした外部の無所属戦闘員から、騎士団員を採用する方針を打ち出したい」
「エリオット。お前、自分が何を言っておるのか……その程度の理解はあるな?」
ぴしゃりと厳しい声がエリオットに浴びせられた。ゲオルギウスの表情は、先程までと打って変わり、随分と硬い。
「無論だ。もとより、この国の騎士制度そのものを変えるつもりはない。新隊で採用するのは正式な騎士ではないが、正式な”騎士団組織員”として迎えることで、有事の際に優秀な戦闘員をこの国へ囲い込む事ができる。昨今の歪虚との戦は激化の一途を辿るばかり。ベリアルを討伐したとて、次の、そしてその次の強力な歪虚を相手にする日は遠くないはずだ。他国に出現している様々な歪虚とも実戦経験を持ち、世界を渡り、思想や形式にとらわれない彼らは、必ず年若い騎士たちの糧にもなる」
三人の間に沈黙が訪れる。ひどく重い空気だった。それでも、エリオットは引くことを選ばない。国を、民を、仲間を思うからこそ、選べるわけがないのだ。
「我々は千年以上続く王政国家、その伝統と権威ある正規軍だ。この成り立ちから覆すつもりか」
「伝統は当然重んじている。だが、それでまかり通らない実情こそが『今そこにある危機』なんじゃないのか? 黙って見過ごすなど、もう俺にはできない。これまで何度も、ハンターたちと連合軍を編成してきたことがあるだろう」
「あぁ、ただ強いだけのハンターには期待できない歴史が確かに刻まれている」
「……ゲオルギウスの指摘も理解している。彼らは“難しい”。だが、万能でないのは俺たちも同じだ!」
珍しく語気を強めて、エリオットが二人の騎士に言い募る。
「この国を……王国騎士団を変える。強く羽ばたかねばならない時が来たんだ。
“羽化したがっている”のは……騎士団(俺たち)も、同じはずだろう?」
──それから数日後、王国騎士団から全世界へ向けて新たな報せが公示された。
『王国騎士団、新組織結成。対歪虚特化部隊、名称──“黒の隊”。
それに伴い、条件不問の新騎士選考会の開催を決定。参加者、求む』
元来、王国騎士団への入団は特例を除いて基本的に王立学校の卒業を条件とする。
それに比して、この文面はどうか。
これはつまり、「王国が血筋や学歴を問わず幅広く新戦力を募集し、大規模な組織再編成・構造改革に乗り出した」ということの証に他ならなかった。
●
王都を貫く太い街路の各所に、凄まじい人だかりが出来ていた。
「へえ……いやに人が集まってるじゃないか」
「そうッスね……」
展覧会へと荷物を運ぶ道すがら、アカシラ(kz0146)。と手勢の鬼たちは道行きを妨げられ、不満げに足を止めた。
往来の人の数は常よりも遥かに多いもので、人混みを歩き慣れぬ鬼たちの歩みは遅い。普段は野営地ぐらしである年若い鬼の子供などはわぁきゃぁと騒ぎながら走り回っているが、それを真似するには大人の鬼たちの荷物は余りに、重すぎた。下手を打って道行く一般人に打つかろうものならば、軽傷ではすまない程の荷である。アカシラ自身がシシドたちに連れられて向かっている、『展覧会』の影響も大きいだろうと知れたが……それにしても、多い。
「ンン……」
暫し逡巡していたアカシラであったが、
――耳くらいは敏くしとかなきゃ、かね。
と、腹を決めた。逡巡する程度には裡に抱えているものを自覚していた。だからこそ、善し、と頷くや否や、
「シシド、これを持っておきな」
「ずわっ……姐御!?」
と言い置いて、両手に持っていた荷をシシドへと押し付けた。ほとんどが材料の類であるとはいえ、怪力を誇るアカシラにとっての『重荷』であるから、その重さたるや凄まじいものがある。シシドは忽ち、青い顔になった。
「ぬ、ぁ、ぁ、ぁ……!」
「がんばれシシドー」
「きあいだぁー」
そんな苦悶と幼齢の鬼たちの声を背に受けながら、アカシラは人ごみの中を泳ぐように進んでいった。長身を頼りに見渡せば、人だかりは、往来の端――にある、掲示物を中心に集まっているらしいとすぐに気づいた。そして、そこにどこか、熱量を感じた。此処最近、この国で目の当たりにすることが増えてきた、昂揚。
それらを眺めながら、アカシラは集うた人々を見据え――そして、見つけた。
「や、チョイといいかい?」
「ん……お、」
腕を組んで、壁に張り出された張り紙を眺めていた男を選んだ。なんとなく、その目に理解の色を見て取ったことが理由である。
東方からこちらに流れてきて、田舎者の作法にも慣れてきた。こういった人間を見分けるのは、物怖じしないアカシラにとっては得意とするところである。
「こんな"ナリ"でアレなんだけど、さ。アンタに聞きたいことがあるんだ。ちょっといいかい?」
「お、おう……どうした」
アカシラの言葉に、男の視線が泳いだ。アカシラとしては鬼の身であることを告げたつもりで、夏天に似合う自らの服装については思い至ってないのだろう。言葉通りに捉えたため、だろう。後ろめたさも手伝ってか、否やとは言わなかった。咳払いを一つし、続きを促す男に、アカシラは周囲を見渡しながら、告げる。
「アッチから出てきた田舎モンでさ。この騒ぎ、一体なんなんだい? 並みの騒ぎじゃあなさそうだけど……」
「ああ……」
つ、と。アカシラの全身を眺め見て、合点がいったような男は、ニヤリと笑った。
「どうやら、騎士になれる機会ができたらしいぜ」
◇
いまひとつ実感のわかないアカシラに、男は丁寧に説明してくれた。
先ず。王国において正式な『王国騎士』になるには、その前段階である『従騎士』になる必要がある。
それには、原則グラムヘイズ王立学校の騎士科を卒業した上で騎士団に入団することが必要だ。数少ない例外としては、戦場や各領において様々な経緯で従騎士として取り立てられ、十分な働きを示したものもその権利を得ることは出来るが――いずれにしても、専門性を得た軍人になるためのハードルは高いのが現状だ。
そこに。
『王国騎士団、新組織結成。対歪虚特化部隊、名称──“黒の隊”。
それに伴い、条件不問の新騎士選考会の開催を決定。参加者、求む』
この、文言である。
白の隊。赤の隊。青の隊に続く、第四の騎士隊――黒の隊。
『王国騎士であること』そのものに特権的立場があるわけではないが、功をあげて上級騎士に任じられようものならば一部貴族とも見劣りしない生活を得ることが出来る。下級騎士であったとしても、中流の暮らしは出来る。血気盛んな若者にとっては、またとない機会には違いない。
「騎士、ねぇ……」
この国の『騎士』と聞いてアカシラが思い浮かべられるのは、面識があるダンテ・バルカザールとその部下達くらいのものだが、彼らのように戦場で命を投げ出すような勇猛を吐き出すことができる者は限られている。優れた騎兵は命知らずしかなれないものなのだ。目の前の男のような、一般人に叶うことではない、と、アカシラとしては思ってしまうのも宜なるかな。
「……そんなにしてまでなりたいものかね」
戦う力がないのに、という枕を除いての言葉を汲んだのだろう。男はけらけらと笑った。
「はっはっは。それが、居るんだな。本当になりたいやつで騎士団本部は列をなしてるぜ。中には『選考会にはチーム戦もあるはずだ! 俺たちで派閥を作ってのし上がろう!』なんてアホな連中もいるがよ」
「そいつぁ……愉快な連中だねえ……」
「……まあ、元はと言えば、この国では『闘うのは騎士や戦士』の仕事って所も少なからずあってな」
「……?」
話の流れが読めずに怪訝げな表情を浮かべる。
それは、鬼という種族柄、大凡万人が戦う力を得ることになるアカシラたちにとっては、了解しかねる言葉であったから。
「俺らには非覚醒者の方が多いからな。"ソレ"を享受してたヤツも多いのさ。
だが、ベリアルや、メフィスト。王都や、それ以外の街が滅茶苦茶になって……いてもたっても居られねえやつらもいる。騎士といやぁ、ちょっとした貴族階級にも見劣りしねえし、王都内に邸宅だって持てる。……もっとも、今回のこれではその扱いは見込めねェみてぇだが、働きを示せりゃ別だろう、ってのが大方の見方でね。ハンターに対しても募集が掛かってるのを見る限りじゃあ、人種や国籍も問わねえんだろうが……ああ、そういや、ユグディラも列に加わってたような気もするな。やれやれ、ライバルが多くて困る――」
「――――」
"それ"は、アカシラにとって天啓のように響く言葉であった。
東方の地で、人に災いを齎した鬼であるアカシラ。彼女は自分たちの生存のため、それを悪と知りながらも行った。その結果として東方の地を離れることとなり、一味の成人面々と傭兵業をこなしながら、女子供を養っている。
問答無用の処罰がくだされなかったのは温情以外の何者でもないからこそ、現状を受け入れてはいる。しかし、自らの一味に対しての後悔――曳いては罪悪感は根深いことを、これまでの機会の中で自覚できるようになっていた。
故に。
この状況は――確かに、"響く"。
「………………へェ」
アカシラは三度、周囲の人間を見渡した。それをゴシップとして興じる人々の間に、確かな意気を抱いている者たちが、居る。
先程見たものと同じものだ。同じ、人々だ。弾かれたように、アカシラは第一街区――その先にある、王城へと視線を転じた。
何かが、変わろうとしている。
その予感に曳き出されるように、アカシラの中にも、確かな火が灯されようとしていた。
【繭国】プロローグノベル「彼女の願う、富国」(6月20日更新)

セドリック・マクファーソン

ゲオルギウス・グラニフ・
グランフェルト

ダンテ・バルカザール

エリオット・ヴァレンタイン

システィーナ・グラハム

ヘクス・シャルシェレット

ヴィオラ・フルブライト
グラズヘイム王国、首都イルダーナ。
その中央に位置する王城の一室に、彼らはいた。
セドリック・マクファーソン(kz0026)。優れた内政手腕で王女の補佐する聖堂教会の大司教。現在は、資料を手に滔々と税収報告を行っている。
ゲオルギウス・グラニフ・グランフェルト。現、王国騎士団団長。覚醒者でこそないが、騎士団切っての智将。
ダンテ・バルカザール(kz0153)。王国騎士団副団長にして、赤の隊隊長。ゲオルギウスと対称的に、武芸窮まる豪の者は目下お昼寝中である。
そして、エリオット・ヴァレンタイン(kz0025)。元王国騎士団団長。故あって身を隠していたが先日のベリアル討伐を機に公の場に姿を見せた。騎士団への復帰は未だ果たしていないが、今回の席にはシスティーナの配慮の元での参列である。
そして、システィーナ・グラハム(kz0020)。グラズヘイム王国、王女。近衛隊長でもあるマルグリッド・オクレールを背に、資料に目を走らせている。
「以上が、税収報告になります」
「ありがとうございます、大司教さま」
資料から顔をあげたシスティーナは、少しばかりの安堵を見せていた。
「この様子でしたら、戦災補填に充てても国庫には響かなそう、ですね」
「目立つ被害はありましたが、局所的被害が主でしたからな。環境、人的被害いずれも軽微ですから、税収には大きく響いていません」
「……あれだけの大戦であっても、ですね」
それは、護るために散っていた者たちにとって餞に足る何かと、言えるだろうか。
大切な何かを喪い、残された者たちにとって代償に足る何かと、言えるだろうか。
「…………」
感慨か、はたまた思索かに耽る王女を、居並ぶ面々たちは――ひとりは眠っているのだが――ただ、見守っていた。
数多の事件を経て、たしかに王位に足る素養を見せてきている少女の成長を阻害せぬようにと。
つと、少女が顔をあげた。
「オクレールさん」
「はい」
言葉に、オクレールは入り口の扉へと歩み、扉を開いた。
恭しい一礼と共に、幾人かが室内に入ってくる。その中に、とある人物を認めてエリオットは目を見開いた。
「……お前」
「や、エリー」
軽妙な調子で片手を挙げたヘクス・シャルシェレット(kz0015)はエリオットの隣に座った。貴族はヘクスただひとり。武人も少なく、ダンテを叩き起こしたヴィオラ・フルブライト(kz0007)が居るくらいである。その他は文官に類する、各省や各界の重鎮たちが勢揃いしていた。
「……どういうことだ?」
「あれ、聞いてないの?」
目の色が代わり、急に悪戯っぽい表情になったヘクスを追求するのは無謀と感じたか、エリオットはすぐさま、君主へと視線を転じた。
システィーナの隣のゲオルギウスは平静を保っている。ダンテはそもそも気にしている素振りはなく、どうやら自分だけが聞かされていなかったようだと知った。王女はエリオットの困惑に詫びるように、微かに頭を下げた。それから、凛とした声で、こう言った。
「お集まり頂き、ありがとうございます、皆さん」
背筋を伸ばして、居並ぶ面々、ひとりひとりの顔を眺めながら、言葉を紡ぐ。
「これより、『国費投入』を行うにあたって、各領域、皆様の意見聴取をさせていただきます。どうか、忌憚のないご意見を」
●
昼頃から始まった会であったが、終わる頃には夜半を過ぎようとしていた。
王国が抱える問題は多岐に渡ることを如実に示すように、参加者からの意見は尽きず、具体的な予算の額などに触れずとも、それだけの時間を要した。
参加者全員がその場が陳情の場ではないことを理解していたからこそ、場が荒れることはなかったのが救いだろうか。
参加者の多くが退散した後もその場に残ったのは、セドリックに在席を許されたヘクスと、騎士団の重鎮のうち、ダンテとエリオット。セドリックとゲオルギウスは調整と資料検分のために文官を引き連れて別室へと移動していった。
「……ふぅ」
すこしばかり肩の力を抜くことが出来て、システィーナは微かに、吐息を零した。
「やー、長かったねぇ。おつかれ、システィーナ。あ、オクレールさん。君が淹れたティー・ロワイヤルが欲しいんだけど、いいかな?」
肩を回すヘクスの注文に、オクレールは黙礼した。システィーナはこの夜更けに茶を飲む勇気は無く、頷きひとつをして、オクレールを見送る。
「ええ……今日はありがとうございました、ヘクスさま」
「皆張り切ってたから、大変だったろう。大丈夫かい」
「…………はい」
静かな議論であったが、確かな熱があった。千年の歴史に積み上がった今を、それぞれの専門家が代弁する様は、システィーナにとって迫るものがあったのは事実だ。裡に宿っていた、微かな火。それが、熱量を増していくのを感じる。
それは、確かな昂揚だった。システィーナ自身が下した大きな決断に対する。
けれど。
「…………ヘクスさま」
「なんだい?」
煌々と光を放つ分だけ、影もまた濃くなっている。
「……この道は、正しいのでしょうか……」
これまでにも何度も、我儘にも似た決断はしてきた。
けれど、これは初めての経験だった。王国を揺るがし得る決断をする、というのは。
「――さあて、ね。その評価を下すのは、僕たちじゃない。"もっと先"の人々さ」
「……」
それも、解っていた。答えの無い問いであること――だけではなく、"これから"答えを作り出していかねばならないことも。
つと。
「実際の所、どーなんだ」
言葉を挟んだのは、ダンテ・バルカザール。重役たちも去り、オクレールの視線も無くなったことで気が大きくなったからか、だらしなく椅子に身を預けながら、続ける。
「この国の問題は多い。それは良ォーく解ったがよ。"それ"で漸く、半分ってトコじゃねえか?」
「ダンテ」
エリオットの鋭い視線と声に、ダンテは応じない。真っ直ぐにシスティーナを見据えたダンテは常に無い真剣な表情のまま、こう言った。
「嬢ちゃんが号令を出すのは良い。だが、ソレだって届かねえ場所があるってこたァ、分かってんだろ」
「………………」
予想外の人物からの指摘に、システィーナもエリオットも、言葉を呑んだ。そういった政治がらみの問題には頓着しない人となりだと思っていたからだが、その指摘はこの場に於いては適切極まった。
「貴族の中で、王家に対して非協力的な方々がいるのは存じ上げています」
「だよな」
先程の会合の中では、意見として上がらなかったものだ。金の使いみちとして論じるには、不確定要素が多いから仕方はないとも言える。
システィーナの表情を見て、ダンテは歯を剥いて笑った。
「つってもまぁ、俺だってハンターの受け売りだけどよ。そんくらいバレバレだってこったろ。何もしねぇって訳にはいかねぇんじゃねーか?」
「…………そう、ですね」
この問題の根深さを知っているだけに、システィーナの返答はどうしても鈍ってしまう。
「はーい!」
と、爽やかな声が響いた。わざとらしくヘクスが挙手しているのを見て、ダンテはうんざりとした表情を見せた。
「ダンテ。君が言っているのはマーロウ大公の事かい?」
「………………っていう、"噂"、だな」
ヘクスの言葉が助け舟となったかは極めて微妙。告げられた"名前"は余りにも端的で、快活さを保っていたダンテまで沈黙してしまったのだから。
余計なことを、というエリオットの視線に笑顔を返しながら、ヘクスはシスティーナに向き直ると、
「ま、出来ることからしたらいいさ。貴族の問題は……僕が言うべきじゃないかもしれないけど、根が深い。他にもやるべきことがあるのは事実なんだしさ。そんなことより……システィーナ」
「は、はい」
「――なんで、国庫を開くことを決めたんだい?」
「…………」
システィーナは言葉に詰まる。国庫から、直接的に資金を動かすと決めたのは他ならぬ彼女だが、臣下の中にその由を問うものはいなかった。
"システィーナが決めたのだから"、最善を尽くす、と。そう動いてくれた。
だから、その問いには緊張を強いられた。"王意"を問われている、と。そう感じられて。
「私なりに、この国のことをいっぱい勉強したんです」

――独りに、なって。
沢山のことを、知った。千年間、この国は変わり続けてきた。磨き続けてきた。そして、何かを、遺してきたと、知った。
今を生きている人々。彼らに託し、光のもとへと旅立った人々。民とは何か。国とは、何か。王とは、何か。
「この国は、蛹のようなものだと、思ったんです。様々な思いが内包されたまま――千年の時を経て、成熟しようとしている、と」
胸に手をあてる。感謝の言葉を残して消えていった、ホムンクルスを思う。
「……これから迫る大敵に備える好機だと、思いました。だって、皆様――」
そして、先程の議論を、思い返す。思った通りの、願ったとおりの光景だった。
システィーナの心に、温かい風が吹き込んでくる。
「羽化、したがっているんですもの。それを支えるのが――私の成すべきことだと、感じたのです」
そう告げた時、自然と、笑みを浮かべることができた。
●
夜が、深まっていく。
人通りが絶えた聖ヴェレニウス大聖堂を、静寂が包み込んでいる。
「――――光よ」
ステンドグラスを抜け、煌めく光が差し込む先に、ひとりの女が手を組み、膝をついていた。
柔らかそうな薄手の白いローブを身にまとった彼女は、微動だにすることなく祈り続けている。その姿だけでも彼女の敬虔さは伺い知れようが、祈りを捧げる女の肩には、逡巡が滲んでいた。
六月も半ばを過ぎたとはいえ、夜気は未だ肌寒い。なによりこの聖堂に満ちる、清冽極まる空気が、いっそうの孤立を浮き上がらせた。
つと。女の身に動きが生まれた。手を解き、立ち上がる。その口元から、微かに吐息が落ち、その視線が天井に描かれた絵画へと向けられる。そのささやかな動きで、女の緑色の髪が揺れた。
ヴィオラ・フルブライト(kz0007)。
聖堂戦士団団長を務める女の表情には、憂い。
先のシスティーナ・グラハム(kz0020)や各領域の重鎮たちとの会議を経てから、ヴィオラの胸中には澱が積もっている。
システィーナは、王国への財的介入を決めた。その中で焦点のひとつに成るのが、【王国の軍備】である。
曳いては――聖堂戦士団の、問題。ヴィオラから見ればそれは、忸怩たる思いを抱くに十分なものであった。
同様に王国の軍備を担う王国騎士団と違い人的被害は少ないものの、旧来からの戦術――否、戦闘教義が、激化する歪虚戦線の中で置いていかれつつある。それに加え、戦場やあるいはそれ以外の領域において担うべき役割の多さ故に、練度不足が付き纏うのが現状だった。
ヴィオラはそれを、正しく把握していた。
たしかに、王家からの資金提供――この場合寄付というべきか――によって、装備は増強され得るだろう。
しかし、それだけでは足りない。
優れた装備を使うに足る、戦士としての格が、足りない。
まだ、新たな戦術を開拓し、叩き込むに足る器ではない。
転換を図るべきだと、ヴィオラは痛切に感じていた。
しかし、決断には痛みを伴う。余りにも長く、"聖堂戦士団"は"聖堂戦士団"で在りすぎた。
ヴィオラをもってしても、内外からの反対を押し切れるだけの根拠も、蓄積も無いのだ。
頭を振りかけた、その時のことだった。
「よき問いにお悩みのようだね、若き乙女よ」
深く、低い声と共に、漢が降ってきたのは。
「……っ!」
「ふむ……」
微塵たりとも、気配はなかった。王国でも有数の武人であるヴィオラですら認知し得なかったことに、警戒度を一息に引き上げる。
教会に祈りを捧げに来ただけであったから、得物は無い。それ故に拳を固めて、腰を下とす。
「何者です、か……」
異変があらば一打をもって制圧すると決め、誰何の声を上げんとした――そこで。
その姿が、目に入った。青を貴重とした衣は、古典芸術の中に見る古代哲学者のそれに酷似している。加えて、その巨大さたるや。三メートルをゆうに超え、ヴィオラを見下ろす瞳には、深い知性を感じる。灰色のウェーブの掛かった髪が、ヴィオラの動きによって生じた風で微かに揺れる。
"その存在"を、ヴィオラは知っていた。
「貴方は、」
節制を司る、その精霊の名は――。
「プラトニスさ」
「ふむ」
名を呼ぶ声を、漢の手が遮った。伸びた分厚い手は、ヴィオラの肩に伸びている。女の肩を包み込むこと、暫し。
総合を崩したプラトニスは、こう言った。
「良い筋肉だ」
「――――――ッ!!!!」
瞬間にして忘我の域に至った。
ヴィオラは渾身の一撃を無防備な腹へと打ち込む。
「ノォォォォォォォォッ!?」
後に残るのは、尾を引くプラトニスの悲鳴と、幾重にも重なり響く、破壊音。
「…………はっ」
その音に、ヴィオラは我に返った。
吹き飛ばされたプラトニスの軌跡に沿って、聖ヴェレニウス大聖堂の壁が粉々に粉砕していた音だと知り、怜悧なかんばせに汗が浮かんだ。
●
「ぬははっ!」
「……申し訳ありません……」
破壊された瓦礫を雑に積み上げ終えると、プラトニスは快活に笑った。
「なぁに、我輩は気にしはせぬ。腰と魂の篭った、いい一撃であったよ」
「…………はぁ…………」
「ところで、ヴィオラよ。主の答えを、聞かせてくれるかね」
「――――」
『よき問い』とプラトニスが言っていたのを思い出す。いかなる理由からか、プラトニスはヴィオラの葛藤を大凡全て見通しているらしい、と知る。
そこで、改めて自問した。
戦局を変える、あるいは支えられる程度には強い戦士団であることが、今後を見据えたときに第一の要点となる。
ならば、その為に現状を変えることは、是か非か。
――悪しき風習というものでも、ありません。
騎士団が訓練に打ち込み戦闘に費やす時間を、戦士団所属の聖導士は宗教活動――曳いては、国民の精神の安寧のために働いているのだ。
正しいことだ、とヴィオラは思う。善いことだ、とも。
だからこその葛藤。だからこその、逡巡であった。
「私、は…………」
プラトニス。『節制』を司る精霊は、答えを求めている。正しくは、答えを出そうと、考えることを。
――私は、責任を持たねばならない。民に。戦士団に。そして――この国に。
意を決して、プラトニスを見上げる。巨漢は、ヴィオラの決意を受け止めるように、太い微笑みを浮かべていた。
「プラトニス様。お願いがあります」
―・―
ヴィオラ・フルブライト聖堂戦士団長の決定は、過去の歴史を紐解いても類を見ないものであった。
現状実働するもののうち、任地から離れられない者たちを除き戦士団のほとんど全てを動員し、大規模な演習を行うことを宣言したのだ。
前例のない号令には、当然のように各地から不満の声が上がったという。
しかし、それら全てを黙殺したヴィオラは、鋼鉄の意志と共に粛々と準備を進めていった。
実際のところ、呼び集められた戦士団員にとっては意気が昂揚する類の発令であったのは間違いない。いかにヴィオラが物資の集積等を効率的に進めたとしても、現地の引き継ぎ作業などを担うことは出来はしないのだ。
苦言の一言でも差し込んでやろうとしていた教会の重役は、瞬く間に物資とともに集うた聖堂戦士団員の数と彼らの表情を見て、口をつぐむ事になった。
――ああ、なんたる顔つきだ。
"戦乙女"の旗のもと、世界の為に殉じようとする戦士たちの表情は、信仰心以外に肥えた心根を燃やすものがあったのだ。
そして。
「水と光を顕す精霊、プラトニス様の加護のもとに」
威風堂々たる精霊を傍らにそう告げたヴィオラを前に、集うた数百もの聖堂戦士団は、勇ましさに轟々たる応諾を告げたのだった。
それが――歴史上類を見ないほどの、地獄の教練(デス・ロード)への契約とは知らずに。
夜が、深まっていく。

「――――光よ」
ステンドグラスを抜け、煌めく光が差し込む先に、ひとりの女が手を組み、膝をついていた。
柔らかそうな薄手の白いローブを身にまとった彼女は、微動だにすることなく祈り続けている。その姿だけでも彼女の敬虔さは伺い知れようが、祈りを捧げる女の肩には、逡巡が滲んでいた。
六月も半ばを過ぎたとはいえ、夜気は未だ肌寒い。なによりこの聖堂に満ちる、清冽極まる空気が、いっそうの孤立を浮き上がらせた。
つと。女の身に動きが生まれた。手を解き、立ち上がる。その口元から、微かに吐息が落ち、その視線が天井に描かれた絵画へと向けられる。そのささやかな動きで、女の緑色の髪が揺れた。

ヴィオラ・フルブライト

システィーナ・グラハム
聖堂戦士団団長を務める女の表情には、憂い。
先のシスティーナ・グラハム(kz0020)や各領域の重鎮たちとの会議を経てから、ヴィオラの胸中には澱が積もっている。
システィーナは、王国への財的介入を決めた。その中で焦点のひとつに成るのが、【王国の軍備】である。
曳いては――聖堂戦士団の、問題。ヴィオラから見ればそれは、忸怩たる思いを抱くに十分なものであった。
同様に王国の軍備を担う王国騎士団と違い人的被害は少ないものの、旧来からの戦術――否、戦闘教義が、激化する歪虚戦線の中で置いていかれつつある。それに加え、戦場やあるいはそれ以外の領域において担うべき役割の多さ故に、練度不足が付き纏うのが現状だった。
ヴィオラはそれを、正しく把握していた。
たしかに、王家からの資金提供――この場合寄付というべきか――によって、装備は増強され得るだろう。
しかし、それだけでは足りない。
優れた装備を使うに足る、戦士としての格が、足りない。
まだ、新たな戦術を開拓し、叩き込むに足る器ではない。
転換を図るべきだと、ヴィオラは痛切に感じていた。
しかし、決断には痛みを伴う。余りにも長く、"聖堂戦士団"は"聖堂戦士団"で在りすぎた。
ヴィオラをもってしても、内外からの反対を押し切れるだけの根拠も、蓄積も無いのだ。
頭を振りかけた、その時のことだった。
「よき問いにお悩みのようだね、若き乙女よ」
深く、低い声と共に、漢が降ってきたのは。
「……っ!」
「ふむ……」
微塵たりとも、気配はなかった。王国でも有数の武人であるヴィオラですら認知し得なかったことに、警戒度を一息に引き上げる。
教会に祈りを捧げに来ただけであったから、得物は無い。それ故に拳を固めて、腰を下とす。
「何者です、か……」
異変があらば一打をもって制圧すると決め、誰何の声を上げんとした――そこで。
その姿が、目に入った。青を貴重とした衣は、古典芸術の中に見る古代哲学者のそれに酷似している。加えて、その巨大さたるや。三メートルをゆうに超え、ヴィオラを見下ろす瞳には、深い知性を感じる。灰色のウェーブの掛かった髪が、ヴィオラの動きによって生じた風で微かに揺れる。
"その存在"を、ヴィオラは知っていた。
「貴方は、」
節制を司る、その精霊の名は――。

プラトニス
「ふむ」
名を呼ぶ声を、漢の手が遮った。伸びた分厚い手は、ヴィオラの肩に伸びている。女の肩を包み込むこと、暫し。
総合を崩したプラトニスは、こう言った。
「良い筋肉だ」
「――――――ッ!!!!」
瞬間にして忘我の域に至った。
ヴィオラは渾身の一撃を無防備な腹へと打ち込む。
「ノォォォォォォォォッ!?」
後に残るのは、尾を引くプラトニスの悲鳴と、幾重にも重なり響く、破壊音。
「…………はっ」
その音に、ヴィオラは我に返った。
吹き飛ばされたプラトニスの軌跡に沿って、聖ヴェレニウス大聖堂の壁が粉々に粉砕していた音だと知り、怜悧なかんばせに汗が浮かんだ。
●
「ぬははっ!」
「……申し訳ありません……」
破壊された瓦礫を雑に積み上げ終えると、プラトニスは快活に笑った。
「なぁに、我輩は気にしはせぬ。腰と魂の篭った、いい一撃であったよ」
「…………はぁ…………」
「ところで、ヴィオラよ。主の答えを、聞かせてくれるかね」
「――――」
『よき問い』とプラトニスが言っていたのを思い出す。いかなる理由からか、プラトニスはヴィオラの葛藤を大凡全て見通しているらしい、と知る。
そこで、改めて自問した。
戦局を変える、あるいは支えられる程度には強い戦士団であることが、今後を見据えたときに第一の要点となる。
ならば、その為に現状を変えることは、是か非か。
――悪しき風習というものでも、ありません。
騎士団が訓練に打ち込み戦闘に費やす時間を、戦士団所属の聖導士は宗教活動――曳いては、国民の精神の安寧のために働いているのだ。
正しいことだ、とヴィオラは思う。善いことだ、とも。
だからこその葛藤。だからこその、逡巡であった。
「私、は…………」
プラトニス。『節制』を司る精霊は、答えを求めている。正しくは、答えを出そうと、考えることを。
――私は、責任を持たねばならない。民に。戦士団に。そして――この国に。
意を決して、プラトニスを見上げる。巨漢は、ヴィオラの決意を受け止めるように、太い微笑みを浮かべていた。
「プラトニス様。お願いがあります」
―・―
ヴィオラ・フルブライト聖堂戦士団長の決定は、過去の歴史を紐解いても類を見ないものであった。
現状実働するもののうち、任地から離れられない者たちを除き戦士団のほとんど全てを動員し、大規模な演習を行うことを宣言したのだ。
前例のない号令には、当然のように各地から不満の声が上がったという。
しかし、それら全てを黙殺したヴィオラは、鋼鉄の意志と共に粛々と準備を進めていった。
実際のところ、呼び集められた戦士団員にとっては意気が昂揚する類の発令であったのは間違いない。いかにヴィオラが物資の集積等を効率的に進めたとしても、現地の引き継ぎ作業などを担うことは出来はしないのだ。
苦言の一言でも差し込んでやろうとしていた教会の重役は、瞬く間に物資とともに集うた聖堂戦士団員の数と彼らの表情を見て、口をつぐむ事になった。
――ああ、なんたる顔つきだ。
"戦乙女"の旗のもと、世界の為に殉じようとする戦士たちの表情は、信仰心以外に肥えた心根を燃やすものがあったのだ。
そして。
「水と光を顕す精霊、プラトニス様の加護のもとに」
威風堂々たる精霊を傍らにそう告げたヴィオラを前に、集うた数百もの聖堂戦士団は、勇ましさに轟々たる応諾を告げたのだった。
それが――歴史上類を見ないほどの、地獄の教練(デス・ロード)への契約とは知らずに。
【繭国】プロローグノベル「新時代への道標」(6月30日更新)

システィーナ・グラハム

ゲオルギウス・グラニフ・
グランフェルト

ダンテ・バルカザール

エリオット・ヴァレンタイン
王国の軍事力といえば、言わずもがな王国騎士団が挙げられる。聖堂戦士団も当然これに頭数として並んではいるが、エクラ教が王国と共にあるからこそ成り立つ関係の彼らは直接的に王国の力そのものとは言い難い。つまり、軍備において第一にテコ入れを行うべきがどこなのかは、言うまでもない。
王国騎士団長室の最奥、古びた椅子に腰かけた騎士団長ゲオルギウス・グラニフ・グランフェルトはパイプを燻らせていた。彼に召喚されて執務室を訪れているのは二人の騎士。一人は赤の隊隊長であり王国騎士団副長を務める男、ダンテ・バルカザール(kz0153)。そしてもう一人は、王国騎士でありながら騎士団から離脱し、王女直下で特務に従事しているエリオット・ヴァレンタイン(kz0025)。後者の青年は、老騎士と机を挟んだ対面に立つと、重い口を開いた。
「……ゲオルギウス。例の件、考えはあるのか」
「先の黒大公戦を見たろう。激しい戦の連続に、騎士団の人員は減り続けるばかりだ」
二人には多少なりとも心を許しているのか、老騎士は疲労の滲む顔でパイプを口から離した。そんな長の様子にやれやれと溜息を零し、ダンテは勝手知ったるなんとやらとばかりに来客用ソファへと腰をかける。
「”古の塔”周辺の戦闘じゃ、指揮官級の騎士も戦死したしな。お前が長だった頃よりも、随分戦場に若い騎士が増えてる」
練度の低い騎士の戦線投下は犠牲者の増加を招くばかりだが、それを理解したうえでも、騎士団はやらねばならなかった──などということは論じるまでもない。ゲオルギウスは背もたれに体を預けると、一際大きく煙を吐き出す。
「富国強兵、大いに結構。だが、国庫を開いたとて、騎士には限りが来ている」
「確かに“騎士の増員”に関しちゃ、それこそホロウレイド直後から腐心してきたことだしな。だからこそ今日まで激しい戦を乗り越えてこれたワケだがよ」
「……まぁいい。折角の軍資金、有意義に投資させてもらうとしよう。でなければ、次はもうもたんぞ」
「取り急ぎは……そうだな、装備の強化やゴーレムの配備が現実的なところか? 例の戦でハルトフォートは損傷してんだろ。そっちはどうなってる?」
王国騎士団長と副長のやり取りが淡々と続く中、ふとダンテがエリオットに水を向けた。
「で、お前はどうなんだよ」
ソファの手すりを指でトントンと叩きながら、赤髪の男は青年の出方を伺っている。
「俺、か?」
「ああ。お前だよ、エリオット。……その顔、言いたいことあんだろ?」
「構わん、発言を許可するぞ。”一介の騎士”よ」
ダンテは先程から頑として控えていたエリオットの態度に苛立ちを感じているようだが、反してゲオルギウスは青年の出方を面白がっている様子だった。“試している”と、言うべきだろう。エリオット・ヴァレンタインという男の在方を。一年ぶりに共にする、その魂の形を。
「もし、俺が騎士団長なら……最優先で執るだろう策が一つある」
両雄意味合いの異なる鋭い視線を確と受け入れながら、エリオット・ヴァレンタインは二人の偉大な騎士に感謝を込めて告げた。
「此度の国策を機に、王国騎士団の大幅な増員を行い、新隊を設立する。もはや一刻の猶予もない」
◇
エリオット・ヴァレンタインには、以前から考えていたことがある。
『貴方が動けないなら使って下さい。……我々を』
一年以上前の日、グラズヘイム王城の騎士団長私室へ招いたハンターの友は確かにそう言った。真っ直ぐな視線を向けられ、思わず自身が“これから成そうとしていること”を零してしまいそうだった。
──お前の力を、貸してくれないか。
そんな一言が言えたのなら、どれほど心強かったことだろう。だが、出来なかった。
あの時エリオットは、その申し出を断るほかなかったのだ。“もっと強くなれ”と言い残し、そして……あの日、“全てを置き去りにして、自らの存在を殺した”。

ヘクス・シャルシェレット
『例え謗られようと、全てを騙し続ける道だ。誰も彼もが今のように君を迎えてくれはしないだろう。それでも、僕と行くんだね』
あの日から、幾度となくヘクス・シャルシェレット(kz0015)。の言葉が頭を過った。覚悟はしていた。再び出会ったとき、どれほどの誹りを受けるだろうと。それでも、選んだ道は誤りではないと信じ、国のために自分を殺して死力を尽くした一年の後、再び共に騎士団と戦う日が来たエリオットはどんな思いを抱いたか?
それは、強い感謝とまぎれもない決意だった。
「お前、俺らの話聞いてたろ? つーか、だからよ、もうこの国に戦える騎士は……」
「把握している。それに対し、ハンターを中心とした外部の無所属戦闘員から、騎士団員を採用する方針を打ち出したい」
「エリオット。お前、自分が何を言っておるのか……その程度の理解はあるな?」
ぴしゃりと厳しい声がエリオットに浴びせられた。ゲオルギウスの表情は、先程までと打って変わり、随分と硬い。
「無論だ。もとより、この国の騎士制度そのものを変えるつもりはない。新隊で採用するのは正式な騎士ではないが、正式な”騎士団組織員”として迎えることで、有事の際に優秀な戦闘員をこの国へ囲い込む事ができる。昨今の歪虚との戦は激化の一途を辿るばかり。ベリアルを討伐したとて、次の、そしてその次の強力な歪虚を相手にする日は遠くないはずだ。他国に出現している様々な歪虚とも実戦経験を持ち、世界を渡り、思想や形式にとらわれない彼らは、必ず年若い騎士たちの糧にもなる」
三人の間に沈黙が訪れる。ひどく重い空気だった。それでも、エリオットは引くことを選ばない。国を、民を、仲間を思うからこそ、選べるわけがないのだ。
「我々は千年以上続く王政国家、その伝統と権威ある正規軍だ。この成り立ちから覆すつもりか」
「伝統は当然重んじている。だが、それでまかり通らない実情こそが『今そこにある危機』なんじゃないのか? 黙って見過ごすなど、もう俺にはできない。これまで何度も、ハンターたちと連合軍を編成してきたことがあるだろう」
「あぁ、ただ強いだけのハンターには期待できない歴史が確かに刻まれている」
「……ゲオルギウスの指摘も理解している。彼らは“難しい”。だが、万能でないのは俺たちも同じだ!」
珍しく語気を強めて、エリオットが二人の騎士に言い募る。
「この国を……王国騎士団を変える。強く羽ばたかねばならない時が来たんだ。
“羽化したがっている”のは……騎士団(俺たち)も、同じはずだろう?」
──それから数日後、王国騎士団から全世界へ向けて新たな報せが公示された。
『王国騎士団、新組織結成。対歪虚特化部隊、名称──“黒の隊”。
それに伴い、条件不問の新騎士選考会の開催を決定。参加者、求む』
元来、王国騎士団への入団は特例を除いて基本的に王立学校の卒業を条件とする。
それに比して、この文面はどうか。
これはつまり、「王国が血筋や学歴を問わず幅広く新戦力を募集し、大規模な組織再編成・構造改革に乗り出した」ということの証に他ならなかった。
●
王都を貫く太い街路の各所に、凄まじい人だかりが出来ていた。
「へえ……いやに人が集まってるじゃないか」
「そうッスね……」

アカシラ
往来の人の数は常よりも遥かに多いもので、人混みを歩き慣れぬ鬼たちの歩みは遅い。普段は野営地ぐらしである年若い鬼の子供などはわぁきゃぁと騒ぎながら走り回っているが、それを真似するには大人の鬼たちの荷物は余りに、重すぎた。下手を打って道行く一般人に打つかろうものならば、軽傷ではすまない程の荷である。アカシラ自身がシシドたちに連れられて向かっている、『展覧会』の影響も大きいだろうと知れたが……それにしても、多い。
「ンン……」
暫し逡巡していたアカシラであったが、
――耳くらいは敏くしとかなきゃ、かね。
と、腹を決めた。逡巡する程度には裡に抱えているものを自覚していた。だからこそ、善し、と頷くや否や、
「シシド、これを持っておきな」
「ずわっ……姐御!?」
と言い置いて、両手に持っていた荷をシシドへと押し付けた。ほとんどが材料の類であるとはいえ、怪力を誇るアカシラにとっての『重荷』であるから、その重さたるや凄まじいものがある。シシドは忽ち、青い顔になった。
「ぬ、ぁ、ぁ、ぁ……!」
「がんばれシシドー」
「きあいだぁー」
そんな苦悶と幼齢の鬼たちの声を背に受けながら、アカシラは人ごみの中を泳ぐように進んでいった。長身を頼りに見渡せば、人だかりは、往来の端――にある、掲示物を中心に集まっているらしいとすぐに気づいた。そして、そこにどこか、熱量を感じた。此処最近、この国で目の当たりにすることが増えてきた、昂揚。
それらを眺めながら、アカシラは集うた人々を見据え――そして、見つけた。
「や、チョイといいかい?」
「ん……お、」
腕を組んで、壁に張り出された張り紙を眺めていた男を選んだ。なんとなく、その目に理解の色を見て取ったことが理由である。
東方からこちらに流れてきて、田舎者の作法にも慣れてきた。こういった人間を見分けるのは、物怖じしないアカシラにとっては得意とするところである。
「こんな"ナリ"でアレなんだけど、さ。アンタに聞きたいことがあるんだ。ちょっといいかい?」
「お、おう……どうした」
アカシラの言葉に、男の視線が泳いだ。アカシラとしては鬼の身であることを告げたつもりで、夏天に似合う自らの服装については思い至ってないのだろう。言葉通りに捉えたため、だろう。後ろめたさも手伝ってか、否やとは言わなかった。咳払いを一つし、続きを促す男に、アカシラは周囲を見渡しながら、告げる。
「アッチから出てきた田舎モンでさ。この騒ぎ、一体なんなんだい? 並みの騒ぎじゃあなさそうだけど……」
「ああ……」
つ、と。アカシラの全身を眺め見て、合点がいったような男は、ニヤリと笑った。
「どうやら、騎士になれる機会ができたらしいぜ」
◇
いまひとつ実感のわかないアカシラに、男は丁寧に説明してくれた。
先ず。王国において正式な『王国騎士』になるには、その前段階である『従騎士』になる必要がある。
それには、原則グラムヘイズ王立学校の騎士科を卒業した上で騎士団に入団することが必要だ。数少ない例外としては、戦場や各領において様々な経緯で従騎士として取り立てられ、十分な働きを示したものもその権利を得ることは出来るが――いずれにしても、専門性を得た軍人になるためのハードルは高いのが現状だ。
そこに。
『王国騎士団、新組織結成。対歪虚特化部隊、名称──“黒の隊”。
それに伴い、条件不問の新騎士選考会の開催を決定。参加者、求む』
この、文言である。
白の隊。赤の隊。青の隊に続く、第四の騎士隊――黒の隊。
『王国騎士であること』そのものに特権的立場があるわけではないが、功をあげて上級騎士に任じられようものならば一部貴族とも見劣りしない生活を得ることが出来る。下級騎士であったとしても、中流の暮らしは出来る。血気盛んな若者にとっては、またとない機会には違いない。
「騎士、ねぇ……」
この国の『騎士』と聞いてアカシラが思い浮かべられるのは、面識があるダンテ・バルカザールとその部下達くらいのものだが、彼らのように戦場で命を投げ出すような勇猛を吐き出すことができる者は限られている。優れた騎兵は命知らずしかなれないものなのだ。目の前の男のような、一般人に叶うことではない、と、アカシラとしては思ってしまうのも宜なるかな。
「……そんなにしてまでなりたいものかね」
戦う力がないのに、という枕を除いての言葉を汲んだのだろう。男はけらけらと笑った。
「はっはっは。それが、居るんだな。本当になりたいやつで騎士団本部は列をなしてるぜ。中には『選考会にはチーム戦もあるはずだ! 俺たちで派閥を作ってのし上がろう!』なんてアホな連中もいるがよ」
「そいつぁ……愉快な連中だねえ……」
「……まあ、元はと言えば、この国では『闘うのは騎士や戦士』の仕事って所も少なからずあってな」
「……?」
話の流れが読めずに怪訝げな表情を浮かべる。
それは、鬼という種族柄、大凡万人が戦う力を得ることになるアカシラたちにとっては、了解しかねる言葉であったから。
「俺らには非覚醒者の方が多いからな。"ソレ"を享受してたヤツも多いのさ。
だが、ベリアルや、メフィスト。王都や、それ以外の街が滅茶苦茶になって……いてもたっても居られねえやつらもいる。騎士といやぁ、ちょっとした貴族階級にも見劣りしねえし、王都内に邸宅だって持てる。……もっとも、今回のこれではその扱いは見込めねェみてぇだが、働きを示せりゃ別だろう、ってのが大方の見方でね。ハンターに対しても募集が掛かってるのを見る限りじゃあ、人種や国籍も問わねえんだろうが……ああ、そういや、ユグディラも列に加わってたような気もするな。やれやれ、ライバルが多くて困る――」
「――――」
"それ"は、アカシラにとって天啓のように響く言葉であった。
東方の地で、人に災いを齎した鬼であるアカシラ。彼女は自分たちの生存のため、それを悪と知りながらも行った。その結果として東方の地を離れることとなり、一味の成人面々と傭兵業をこなしながら、女子供を養っている。
問答無用の処罰がくだされなかったのは温情以外の何者でもないからこそ、現状を受け入れてはいる。しかし、自らの一味に対しての後悔――曳いては罪悪感は根深いことを、これまでの機会の中で自覚できるようになっていた。
故に。
この状況は――確かに、"響く"。
「………………へェ」
アカシラは三度、周囲の人間を見渡した。それをゴシップとして興じる人々の間に、確かな意気を抱いている者たちが、居る。
先程見たものと同じものだ。同じ、人々だ。弾かれたように、アカシラは第一街区――その先にある、王城へと視線を転じた。
何かが、変わろうとしている。
その予感に曳き出されるように、アカシラの中にも、確かな火が灯されようとしていた。