イメージノベル第四話(4)

 諦めと共に握り拳を解こうとした――正にその時であった。既視感を覚える騒ぎが廊下から聞こえ、一同が扉に目を向けた次の瞬間、破られた扉からラキが文字通り転がり込んでくる。突然の出来事に静まり返る会議場。ラキは引き留めようと掴みかかってきたハンター蹴飛ばし、神薙の傍らに立つ。そうして神薙の苦しげな横顔を一瞥し、勢いよく机を叩いた。
「――謎の巨大艦……サルヴァトーレ・ロッソって言うらしいんだ……ですけど……それの乗組員と接触してきたよ……じゃなくてしてきました! 彼らは十分対話が成立します! リアルブルーからの転移者は……敵ではありません!」
「ラキ……本当なのか!?」
「ごめんねカナギ……先に急いで戻ってきたんだけど、遅くなっちゃった」
 強く真っ直ぐな眼差しでヴィルヘルミナを見据えるラキ。その横顔に神薙の胸は奮い立つ。何故だろうか。これまで一緒に戦ってきた仲間だからか。それとも……いや、そんな事はどうでもいい。
「ありがとう、ラキ。いや……ラキだけじゃない。クロウも……危険を承知でサルヴァトーレ・ロッソに駆けつけてくれたハンターの皆も……」
 彼らが居なければあのまま圧倒されたまま、なされるがままに終わっていたかもしれない。だが今は確信を持って言葉を紡げる。
「ラキと言ったな。貴様はサルヴァトーレ・ロッソの乗組員と接触したのか?」
「しました! 彼らは……えっと、リアルブルーにもヴォイドって名前の敵がいて、えっと……あの船はそのヴォイドと戦う為の物でぇ……!」
「……ラキ、その辺は俺が説明したから」
「そ、そうなの? えっと、サルヴァトーレ・ロッソはヴォイドとの戦いの中でわけもわからず転移してきただけです! 彼らは直前の戦闘で多数の死傷者を抱えており、悲しみと混乱の中で身動きも取れずにいます! だから……えっと、すっごく困っているんです! お願いです、彼らを助けてあげてくださいっ!!」
「……ヴィルヘルミナ陛下! やはり彼らは……!」
 システィーナの推測は的中していた。立ち上がり身を乗り出すシスティーナだが、ヴィルヘルミナは一瞥するだけに止め再び神薙とラキへ目を向けた。
「ラキ、貴様の言葉を鵜呑みにするわけにはいかない。貴様は会談を無視し決定事項を待たずに接触しようとした者だ。その行動理由には篠原神薙という身内への感情が先立っている」
「そりゃ……そうですけど……だから何だって言うんですか?」
「貴様は接触前から既に転移者に肩入れした立場にある。そんな貴様が都合よく説き伏され、油断を招く為に利用されているだけかもしれん。今頃貴様以外のハンターは全滅しているのではないか?」
「そんな事は絶対あり得ません!」
「なぜそう言い切れる?」
「彼らはいい人だからですっ!」
 自身満々に叫んだラキの声に議会場は水を打ったような静寂に包まれた。ジルダだけが一人で爆笑し、ヴィルヘルミナは困ったように苦笑を浮かべる。
「彼らが本当に善人であるかどうか、貴様の言葉だけでは判断出来んという事がわかったな」
「……へー、あーそう。偉ーい人なのに実際に見ないとモノ考えられないんだね。じゃあ……なんで自分で見てからこの会談に来ないの? まともに話すつもりなんか最初っからないんじゃない! こんな会談に……意味なんかないんじゃないっ!!」
 それは穿った意見だが、同時にこの停滞した空気を突き破る言葉でもあった。
「――アタシは見てきたよ。あの紅い方舟に乗ってきた人達がいい人だった事も! カナギがこの世界で暮らす人と同じくらい……ううん。もっとずっと能天気でお人好しな事も!」
 叫び、そして深呼吸を一つ。ラキは身を引き、落ち着いた様子で隣の神薙を見つめる。そしてその手を握り締め、強く握り締めて……頷いた。
「アタシは……確かに、普通のハンターだよ。そんなに強くないし、頭も良くないし、偉くもなんともないけど……。でも、ちゃんと見てきたよ。サルヴァトーレ・ロッソの人達も……カナギの事も。カナギは絶対一人なんかじゃない。アタシは神薙を信じてる。クロウも、ヴィオラさんやファリフ、タングラムさんやこれまで関わってきた人達……ここをカナギに任せてサルヴァトーレ・ロッソへ向かってくれたハンターの皆。その全部がきっとカナギを信じてる」
 ――自分が何の為にこの世界に来たのか。自分に出来る事をずっと考えていた。
「カナギの声は、この世界の人にも響くんだよ。だから……」
 ――力を得た事も、自分が今ここにいる事も、全てがただの偶然なのだと思っていた。
「届けてあげて。故郷から離れざるを得なかった、あの船の人達の代わりに……」
 ――自分で決めて、選んで進んだ道じゃない。それでもその軌跡は確かに自らが描いた物だ。
「分かり合えるんだって事。二つの世界は繋がれるんだって……声を、想いを……届けて!」
 ヴィルヘルミナはただ穏やかに二人の様子を見守っている。真っ向から向き合っている。神薙は自らの手の中にある温もりを感じながら目を閉じ、これまでの事を思い返した。
 今の自分に出来る事。今の自分にしか出来ない事。運命という物が本当に存在するのなら――そいつに乗っかってみるのも悪くはなさそうだ。
「……従ってみるか。運命の巡りあわせって奴に」
 手を離し、深呼吸を一つ。目を見開いた少年はもうヴィルヘルミナから視線を逸らさない。机に片手を突き、堂々と向かい合う。ずっと流されてきたのだ。だったら最後まで流され切ってやろうではないか。この、運命という奔流に――。
「ヴィルヘルミナ皇帝陛下。あなたは間違っています。

ヴィルヘルミナ皇帝陛下。あなたは間違っています。

ヴィルヘルミナに自らの主張をぶつける神薙。


俺達は……リアルブルーの人間は敵ではありません。そして、あなた達の保護がなければ生きていけない弱者でもない」
 勿論、助けは必要とするだろう。しかしその立場は平等な物であるべきだ。そしてそれを不可能な事だとは決して思わない。何故ならば自分が。誰かを助け、そして助けられながらもこの世界で生きていける事を、身を以て証明しているのだから。
「俺達は確かに無知であり、この世界で生きる術を知りません。ですが俺達は学び、理解し、そして支え合う事が出来る。この世界の人々にしてもらっただけの事を返し……どちらが上か下かではなく、対等な立場で生きていく事が出来る。共に戦っていく事が出来る……俺はそう確信しています」
「それは経験則から来る持論か?」
「はい。俺はこの一か月、この世界で一人の人間として生きてきました。そしてそんな俺をこの世界の人々は一人の人間として扱ってくれました。もうこの世界は俺にとって第二の故郷です。大切な仲間達が暮らす、大切な世界です。サルヴァトーレ・ロッソの人々もきっとこの世界を知れば同じように感じ、考え、共に歩む道を選んでくれます」
「信じろというのか? 貴様の善意から連なる人の善意を」
「……正直、俺も……自分の事は信じられません。自信はないし、何が出来るんだろうっていつも考えてました。だけど……」
 隣にはラキがいる。この場には同席せずとも、きっと想いを共にする仲間がいる。
「俺を信じてくれる皆の事を――仲間を、俺は信じます。仲間が作ってくれたこのチャンスを、仲間が繋いでくれたリアルブルーとクリムゾンウェストの絆を……俺は、信じます」
「仲間を信じるが故に己を信じる、か……」
「俺達が信用に足る存在なのか……そして俺達が本当に誰かに保護されなければ生きていけない存在なのか。直接その目で見て判断してくれませんか? ラキの言う通り、ここで幾らやり取りをした所で机上の空論……真実は決して明かされませんから」
 しかめっ面で考え込むヴィルヘルミナ。システィーナは意を決したように語り掛ける。
「やっぱり、まずは対話をしませんか? エクラ教にはこうあります。“汝の隣人を愛せよ”と……」
 しかめっ面のままで視線をシスティーナにスライドさせるヴィルヘルミナ。その迫力に思わずシスティーナは背筋を震わせ俯く。
「ご、ごめんなさ……むぐむぐっ」
 謝罪の言葉を紡がせないようにセドリックが背後から口を抑える。全員の視線がそこからヴィルヘルミナに戻り、次の言葉を待って固唾を飲む神薙だったが、突然ジルダが堪えきれなくなったかのように笑い声を上げた。
「もういいんじゃない? その子をいじめるのは、その辺にしておいてあげたら?」
 ぽかんとする神薙とラキ。視線をヴィルヘルミナに戻すと、その肩は小刻みに震えていた。まさかとジト目で凝視すると、ヴィルヘルミナは楽しそうに笑い出したではないか。
「……何? なんで笑われてるの? 腹立つんですけど? むかつくんですけど?」
「いやすまない。あまりにも貴様らが可愛らしいものでな……」
 口元に手をやり微笑んだ後、ヴィルヘルミナは切り替えたように声を張る。
「篠原神薙とラキの弁明を受け、私は心変わりした。早速サルヴァトーレ・ロッソの代表者と正式な会談の場を設け、今後について協議するとしよう。勿論、彼らの意向を最優先としてな」
「……えっ?」
 口を揃えて驚く神薙とラキ。ヴィルヘルミナは困ったように笑い。
「どうした? 貴様らがそうしろと言ったのだろう?」
「え、いや、そうですけど……サルヴァトーレ・ロッソを利用するとかそういうのは……」
「冗談だ」
「はっ!?」
「ただの悪ふざけだよ、少年。忘れてくれ」
 そう言われた所でただの冗談だとは思えないし、忘れるなんて出来ない相談なのだが、一先ずこの場は収められようとしている。ならば口を挟むだけ野暮という物。
「……わ、かりました……」
「では、サルヴァトーレ・ロッソの代表者を招き、改めて協議するという事で、異論はありませんね?」
 ラウロの声に誰も異を唱える者は居なかった。会議に出席していたハンター達がぞろぞろと退席する中、気の抜けた神薙は机に突っ伏すようにして溜息を零していた。
「なんだこの徒労感……なんだったんだ、この会談……」
「元々このような結論に達するであろう事は誰もが予感していた事です。それでもああやって議論を掻き回したのは、ヴィルヘルミナ陛下の悪戯心……ですかね」
 背後に立っていたラウロの声に顔を向け、慌てて姿勢を正す神薙。その仕草に笑みを浮かべ、ラウロは少年の肩を叩く。
「その若さで世界を背負って語る事は大変な事だったでしょう。ましてや相手があのヴィルヘルミナ・ウランゲルではね」
「は、はあ……」
 神薙に言わせればこの老人も、どいつもこいつも緊張する相手だったのだが。
「あなたは立派にやり遂げたのです。胸を張って仲間の元へお帰りなさい」
「それじゃあね、ぼうや。それなりに楽しませてもらったわ。縁があればまたどこかで……ね?」
 ひらひらと手を振りラウロと共に退室するジルダ。また気が抜けてへたりこみそうになっていると、背後から別の誰かに肩を叩かれる。振り返るとそこには懐かしい顔があった。
「聖堂戦士団長、ヴィオラ・フルブライトです。お疲れ様でした、篠原さん」
「ヴィオラさん、来てたんですか!?」
「ええ。会議室の前で警備に当たっていましたよ」
「あれ? でもアタシが来る時阻止されなかったけど……?」
 口元に人差し指を当てて黙り込むヴィオラ。騒動の中、もしもこの女が本気で二人を妨害していたら、会議室まで辿り着く事は不可能だったろう。
「篠原さんの答え、確かに見届けさせて頂きました」
「あ、いや、そんな……」
 疲れた様子で退室していくシスティーナの隣、セドリックが無言でヴィオラを急かす。ヴィオラは頷き返すと足早に二人の元を去って行った。
「……カナギ、ヴィオラさんの前だとなんか大人しいよね?」
「ラキは俺の前だと荒っぽいよね!? なんで俺の足踏んでんの!?」
「乙女心の分からん奴だな少年。あれだけの美女だ、真っ当な少女なら嫉妬の一つや二つ……して当然であろう」
 また背後から声が聞こえ同時に振り返る二人。そこにはしたり顔のヴィルヘルミナの姿があった。慌てて叫び声をあげて飛び退くが、ヴィルヘルミナは不思議そうに首を傾げている。
「なんでさっきから皆音も気配もなく後ろに立つんですか!?」
「そのような流れに見えたのでな。お約束という物であろう?」
「まだ何かカナギに用ですか!?」
「……やれやれ、参ったな。随分と嫌われてしまったようだ。ただ君達の健闘を一言讃えようと、そう思っただけなのだがな」
 皇帝は相変わらず皇帝だったが、何故か今は先ほどまでより気安い存在に見えた。まるでそう……リゼリオを自由に生きるハンターのような、無頼者の空気を纏っていたからだろうか。
「先日は我が帝国の兵が無礼を働いたそうだな。彼らに代わり詫びを入れさせて欲しい。すまなかった……この通りだ」
 深々と頭を下げるヴィルヘルミナに絶句する二人。が、本人はけろりと顔を上げる。
「彼らにも悪意はなかったのだ。ただ行き過ぎた私への忠誠心がそうさせてしまっただけでな。ならばその咎を受けるべきは私であり、君に謝罪するのもまた私の役割であろう」
「……いや、絶対あの人たちは忠誠心って感じじゃなかったけど……」
 背を向け呟くラキ。神薙は真っ直ぐに女の瞳を見つめる。
「あなたはどうして……その、あんな事を?」
「どんな事かね?」
「会談を操作しようとしてみたり、それをあえて吐露してみたり、かと思えば全部台無しにしてみたり……何がしたかったのか、さっぱりわかりません」
「別に難しい事ではないよ。ただ君を知りたかったのだ、少年」
 あっけらかんとした答え、そこに嘘はない。女は正直に、ただ素直に少年と向かい合う。
「リアルブルーの人間とはどのような者なのか。そして君達がこの世界にどのような影響をもたらす事が出来るのか……。仔細はこれからだが、その片鱗は見届けさせてもらったよ」
「あなたは……」
 思わず脱力してしまう。そんな、悪戯がばれてしまった子供のように笑われたら、怒るに怒れないではないか。
「……ありがとうございました」
 目を逸らしつつ、それでも神薙が口にした感謝の言葉は意外だった。目を丸くするヴィルヘルミナに、少年は視線を逸らしたままで付け加える。
「今になって思うと……あなただけが、俺と正面から向き合ってくれたような……そんな気がするんです」
「え……? カナギ……?」
「この人は多分、皇帝としての本音も建前も……皇帝としてではなく、ヴィルヘルミナ・ウランゲル個人としても、真っ直ぐに俺と語り合ってくれたんだと、そう思うから」
 困惑するラキ。途中参加という事もあり、ラキにはとてもそうは思えなかった。いや、途中参加であるという事を差し引いても、やっぱり神薙が礼を言う必要はないような、そんな気がしていた。
「ふ……ふふふ! 中々面白いな、君達は。すっかり君達の事が……好きになってしまったよ」
 二人の間に立ち、強引に左右の腕で抱き寄せる。もがく神薙とラキを信じられない力で抱きしめ、頬ずりをしてから手放すと、何事もなかったかのように女は颯爽と踵を返した。
「――ではな。また出会える時を楽しみにしている」
 呆然と床に転がって痛みに悶える二人を捨て置きヴィルヘルミナは退室する。そこで待っていたヴェルナーと合流し、二人は歩みを止める事無く帰路を急ぐ。
「……宜しかったのですか?」
「ああ。それにお前としても、異端をただ切り捨てるという結論は容認し難い物だろう?」
「御見通しでしたか」
「ふん、正直者め。貴様も中々どうして可愛い奴だな」
 年下の皇帝にそんな事を言われてもただ困るだけのヴェルナー。次の瞬間、ヴィルヘルミナは何かを懐かしむような、寂しげな眼差しを浮かべて呟いた。
「……“汝の隣人を愛せよ”、か。実にあの子らしい、優しい言葉だ」
「陛下?」
「何でもないよ。それよりヴェルナー、会談の内容は記録してあるのだろう? 後で見せてくれ、最後の方が楽しすぎて内容が頭からふっとんでしまった」
 ヴィルヘルミナの後ろで聞こえないようにヴェルナーが溜息を零す。皇帝は一瞬だけただの女の素顔に戻り、過去に想いを馳せ目を閉じた。

 嵐も過ぎ去りすっかり人気のなくなった会議場。体を労わりながら立ち上がろうとする神薙に手を伸ばし、ラキは明るく笑顔を見せる。
「さあ、こうしちゃいられないよ! やっとまともな会談が開かれる事になったんだから!」
「そうだな……ここから、だよな。これからもよろしくな……ラキ」
 繋いだ手を引いて立ち上がる。ラキはまるで雲一つない空に輝く太陽のように笑う。
「もっちろんだよ! 行こうっ、カナギ! アタシ達にしか出来ない事をする為にっ!」
 境遇を呪った夜も、不安や失望に苛まれた夜もあった。
 それでも少年は信じる事を選んだから。もう、運命は彼と共にある。
 二つの世界が共に歩める事を示す為に。
 ここまで繋いできた優しさのバトンを誰かに繋ぐ為に。
 信じ合える仲間と共に、この世界で生きていく。
 リアルブルーの転移者と、クリムゾンウェストを生きる人々。
 それぞれの物語が今、静かに交わろうとしていた――。



ラウロ_自由都市評議会議長
ピエール

ジルダ_魔術師協会会長
Bore

システィーナ_グラズヘイム王女
miru

セドリック_エクラ教大司教
影由

ヴィルヘルミナ_ゾンネンシュトラール皇帝
綾部史子

ヴェルナー_ノアーラ・クンタウ代表
えぼるぶ