ゲスト
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【詩天】これまでの経緯


【詩天】ストーリーノベル
各タイトルをクリックすると、下にノベルが展開されます。
伝馬町の路地を駆け抜ける一人の男。
年の頃は、十七。男というよりは幼さが顔に残る青年だ。
手には提灯、腰には日本刀を差して走り続ける。
宵闇が辺りを包み、男以外に人気は無い。唯一の灯りと呼べる物は、手にした提灯のみ。まるで世界のすべてが歪虚に呑まれたかのようだ。
(……どこだ……何処へ消えた)
十字路へ差し掛かった青年は、頭を振って周囲を見回す。
追っていた『アレ』は、間違いなくここまで来たはずだ。そう遠くには行ってない。もし、『アレ』が目的のものであるならば絶対に逃がしてはならない――。
ふいに風の流れが、変わった。
青年に向かって吹いていた風の中に、別の風が紛れ込んでいる。湿った闇の風に混ざる――生臭い香り。追っていた歪虚の匂いだ。
青年は、親指で鞘を押し上げて鯉口を切る。
闇の中で、歪虚はこちらへ向かって来る。
青年には直感でそれが分かった。歪虚は提灯の明かりに引かれた羽虫のように、まっすぐ――。
「……くっ!」
突然、背後から伸びる歪虚の爪。
虚を突かれた形になった青年は、反射的に状態を逸らす。
鋭い爪は、青年の頬を掠めながら闇へ消えていく。
歪虚は青年が予想するよりも早くに近づき、一撃必殺を目論んでいた。
その目論見も、獣のような青年の勘が潰したのだが……。
(一筋縄ではいかないか)
青年は、瞳を閉じた。 精神を集中。そして――その体を闇の中へと溶け込ませていく。
「!?」
歪虚は、焦った。
先程まで間違いなく眼前にいた青年の気配が消えた。
何処かへ隠れた?
否、隠れるような場所はなかった。
既に走り去った?
否、走り去る足音などなかった。
まるで掻き消えるように、青年は姿を消した。これは紛れもない事実だ。
一体何処へ――歪虚がそう思考した次の瞬間、青年は目の前に現れる。
八相の構えから、一刀。
振り下ろされた刃が、胸部から腹部に派手に鮮血が噴き出す。
そこへ青年は、さらに追い打ち。
逆袈裟斬りによる剣筋は、歪虚の体を再び捉える。
地面に倒れ込んだ歪虚は、そこからぴくりとも動かなくなった。
「……違ったのか。若峰にはもういないのか」
青年は、呟く。
剣に付いた血を吹き払いながら、青年は刀を鞘へ収める。
消えつつある歪虚の亡骸の脇を通り抜け、いつの間にか消えていた提灯を拾い上げる。
青年は、再び闇の中へと消えていった。
●
朱夏(kz0116)は、冒険都市リゼリオを訪れていた。
連合軍の一角としてスメラギ(kz0158)が自ら北伐へ参戦しているが、朱夏もスメラギの留守を預かる形で東方の復興に尽力している。
壊れた家屋を建て直し、食料に困る民へ食料を運搬する。
未だに残る歪虚『憤怒』の残党が姿を現せば、退治の為に現地へ急行する。
そんな多忙を極める朱夏だったが、わざわざこの冒険都市リゼリオにあるハンターズソサエティへ赴いたのには理由があった。
――ある依頼をハンターへ打診する為であった。
「お初にお目にかかります。朱夏と申します」
まだハンターズソサエティへ登録したばかりのハンターの前で、朱夏は深く頭を下げる。
冒険都市リゼリオから遙か東に存在する『エトファリカ連邦国』よりやってきた舞剣士であり、西方諸国と東方を繋いだ人物である事はハンター達も情報として入手していた。
その朱夏が、今は目の前で頭を下げている。
「本来であれば、エトファリカ連邦国内で処理するべき事案ではあるのですが……お願い致します。『詩天』へ行っていただけないでしょうか」
――詩天。
ハンター達も聞いた事がない場所だ。
一体、詩天とはどのような場所なのだろうか。
東方からわざわざやってきて依頼を打診するという事は、危険な場所ではないのか。
緊張で息を飲むハンター達。
その様子を見守っていた朱夏は、首を少し傾げた後でようやく事態を理解する。
「失礼しました。詩天はエトファリカ連邦でも龍尾城から離れ、100年ほど前に連邦へ加盟した州です。詩天は古くから龍脈の研究が行われ、天ノ都にも多くの優秀な符術士や舞剣士を排出して参りました。国土も比較的穏やかで、良い気候と伺っています」
朱夏は、ハンター達に簡単に詩天の説明をしてくれた。
大きな地域を持つ州ではないが、古くから龍脈を研究してきた歴史を持つ由緒正しい場所として知られている。
この州を治めるのは四十八家門四十位の三条家。憤怒が襲撃した際は、符術士や舞剣士が奮闘したものの敗北。詩天も一度は歪虚に呑み込まれ、人々は天ノ都へと撤退していた。
現在は、ハンター達のおかげで憤怒を退けて復興が進んでいるらしいのだが……。
ここで朱夏の顔色が曇った事に、ハンター達は気が付いた。
「実は、詩天は三条家でも『詩天』と呼ばれる優秀な符術士が治める事になっております。しかし、先代の八代目詩天は急死。その後、三条家内で大きなお家騒動がありました。
復興の最中に八代目詩天が死去し、その後お家騒動が勃発。
良くあると言えば良くある話ですが、不穏な存在が暗躍しているという未確認の情報があります」
朱夏は『未確認情報』と表現していた。
八代目「征夷大将軍」立花院紫草(kz0126)も実態を調査しているが、詩天へ大規模な調査を行えば近隣する州から警戒される恐れもある。朱夏の態度を考えれば、天ノ都からの大規模な介入を避けたいのだろう。
もし、朱夏の言う不穏な存在が暗躍していたとすれば、今回の一件は何者かが描いた筋書きである可能性もある――。
「お家騒動は大きな戦へ発展した後、九代目詩天が決まった事までは分かっています。
東方で憤怒の軍勢と戦っていなかった新人ハンターの皆様なら、『西方より復興する為にやってきた』と言っていただければ詩天の者も強くは警戒しないでしょう。
お願いです。詩天へ赴いて現状を調査していただけないでしょうか」
再び、頭を下げる朱夏。
北方で連合軍が歪虚との激闘を続ける裏で――詩天を舞台にした新たな物語が始まろうとしていた。
時は、数年前に遡る。
詩天が東の三城を拠点として歪虚への犯行作戦を展開していた頃、若峰の黒駒城には未だ平穏な空気が残されていた。
「叔父上、ここにいらっしゃいましたか」
八代目詩天の甥、三条秋寿は暗がりから空を見上げる男に声をかけた。
男の名は――三条氏時。
この詩天を収める三条家頭首であり、八代目詩天その人である。
「ああ、秋寿か」
そう言った氏時であったが、視線は未だ空に向けられていた。
若峰の中心に三条家居城として建設された黒狗城。その城は主要施設を地下に持つ堅牢な城である。
有事には有用であるが、日常生活では不便な事もある。そこで地上部分に屋敷を建て、三条家の者生活を送っている。
人々はこの屋敷を三条家の家紋である梅に準え、『梅花屋敷』と呼んでいた。
「叔父上、食事の支度ができております」
秋寿は、暗がりの部屋へ足を踏み入れる。
秋寿は、氏時の甥である。
原則、三条家の家督は現詩天の子息に継承される。しかし、三条家頭首三条家の一族で優れた符術士であれば、詩天を継承する事ができる。
その制度があるからこそ、詩天は代々優秀な符術士として君臨する事が許されてきたのだ。
「秋寿、いつも済まぬ」
「何をおっしゃいます。叔父上は、この詩天を守ろうと奮戦する家臣達の支柱です。皆、叔父上の為に最善を尽くしているだけです」
秋寿の言う通り、氏時は家臣に慕われる存在だった。
氏時の為なら、身を投げ出す覚悟。
ただ、惜しむべくは多くの家臣を持つ身としては優しすぎる事だ。
「そうは言うがな、秋寿。
武徳を始め今も命を削って皆が戦っている最中、私はこうして安全なところからこの状況を憂う事しかできぬ……できぬのだ」 秋寿は、すぐに分かった。
八代目詩天である氏時が、己の無力さで落胆している事に。
本来であれば今すぐにでも臣下と共に戦いたい。
だが、それは詩天という立場が許さない。
万一、敵に倒されるような事があれば詩天という国が崩れる事を意味する。誰よりも危険から遠ざけられ、生き残る事を強いられる。
たとえ、氏時の周りの者がすべて息絶えていたとしても――。
「叔父上」
「戯れだ。忘れよ、秋寿」
瞳を閉じる氏時。
秋寿は、その言葉に沈黙で応えた。
氏時は、甥である秋寿を重用した。氏時の子が天ノ都の陰陽寮に身を寄せている状況ではあるものの、秋寿は次期詩天の呼び声も高かった。それだけ秋寿は、常に傍らで氏時を支え続けていた。
だからこそ、下手な言葉を返すよりも沈黙で氏時の想いを受け止めようとしたのだ。
「食事が冷めてしまいます。参りましょう」
「……そうであったな」
後に八代目詩天の氏時は謎の死を遂げ、歪虚王が倒れた後に秋寿は千石原の乱で自害するのだが――過酷な運命を、二人は未だ知らない。
●龍尾城――大広間
荘厳な作りの壁や柱、真新しい畳のい草の香り――ここは、龍尾城の大広間。
エトファリカ連邦国の実質的な支配者である征夷大将軍の公務の場の一つである。
一段高くなった場所に背筋を伸ばし正座しているのは、エトファリカ武家四十八家門、第一位立花院家当主にして、八代目征夷大将軍――立花院 紫草(kz0126)だ。
「分かった。良きに計らえ」
「はい」
案件の一つに対し、報告を受け――次の報告者が大広間に現れる。
「次は、詩天での状況報告でございます」
側近がそう告げていた。
各地で発生している様々な事案や事件。それらの報告を受け、必要であれば指示を出す。
それが、巨大な組織の決定権を持つ征夷大将軍の仕事の一つであった。
「『千石原の乱』以降、悪化する州都『若峰』における治安維持回復を目的として『即疾隊』なるものが組織化されているとの事です」
報告者の話を、立花院は黙って聞いている。
ハンターの中には『即疾隊』と関わりがある者もいるというが……。
「また、『若峰』から東に位置する城々の奪還を進めているとの事です」
「引き続き、詩天に関する情報を集めよ」
「ハッ!」
報告者が下がる。
次の者が呼ばれるまでの間、立花院は顎に手を掛けた。
(介入する手段としては、使えるかもしれないな……)
そんな事を考えていると、側近の声が響く。
「次は、主要街道の内、第6班の状況報告でございます」
ぞろぞろと様々な身なりの者が現れた。
主要街道の警備や維持管理を任している責任者達である。
「長江へと至る街道は雨期によりいくつか橋が傷つき、現在、修繕中であります」
「必要な物資は滞りなく手配できる様に配慮するよう、幕府からも働きかけよう」
「ははー。ありがたきお言葉です」
続けて隣の者が報告する。
「西方への転移門周辺ですが、治安や整備、特に問題ありません」
「転移門は我が国に無くてはならない重要施設である。引き続き、役目を全うせよ」
「ははー!」
更に続けて、隣の者が報告する。
「詩天へ至る街道は、いずれも変化なく、問題ありません」
「彼の地の動向は幕府としても重要視している。今後、些細な事でも報告するように」
「仰せのままに」
こうして報告が続く。
全ての事案を立花院が裁いている訳ではないが、国を治める立場として、報告を受ける事は大事な仕事なのだ。
「……以上で、午前の部は終了でございます」
「午後は?」
微動だにせず立花院は側近に尋ねた。
「昼食を交えながら、十鳥城の統治について、エトファリカ武家四十八家門、第九位大轟寺家の蒼人殿との会談予定です」
「ふ……む……」
●天ノ都――とある麺屋
大繁盛する事は良い事だが、女将や店員らは大変な事である。
ようやく一段落した所で、その侍は店に入って来た。ボロボロの一張羅、腰には脇差。肩に掛けるように大太刀を持った侍だ。
整えれば綺麗であろう灰色の髪は無造作に広がっている。
「あ! タチバナ様!」
店の娘が嬉しそうな声を上げて浪人の名を呼ぶ。
タチバナは軽く会釈して、適当な所で畳にあがる。
「いらっしゃい、タチバナさん」
女将も出迎え、熱々のお茶を置いた。
それを受け取り――ややあって、ちゃぶ台に置く。飲まない訳ではない――単なる、猫舌なのだ。
「仕事はどうですか? 仕官できそうですか?」
「いえ……仕官までには、とても……」
「なんだい、全く?。こんなに良い男なのに、勿体無いね?」
女将の言葉に苦笑を浮かべるタチバナ。
刀の腕は、一流であるのは女将も知っていた。この麺屋に出入りしている侍連中の中で誰よりも強い。下手したら、この国の中でも良い方まで行けるのではないだろうか。
「タチバナ様! また、戻し斬りが見たいです!」
店の娘が瞳を輝かせて、女将の脇から顔を出す。
戻し斬りとは、斬った物体を再び繋がらせる事である。
たまたまお金を持ち合わせていなかったタチバナが、代金の代わりに見せた技であった。
「俺も! 俺も! 見たい!」
店の常連も首を突き出してきた。
「また、お金に困った時に取っておきます」
微笑を浮かべるタチバナ。
そのまま、女将にかけを一つ注文する。
「ほら、あんたら、タチバナさんの邪魔だよ」
シッシと女将が手で娘と常連客を追い払う。
タチバナは何度も何度も、フーフーと冷ましながら、ようやく、お茶を口に運んだ。
「知り合いの商人から聞いたけど、タチバナさんは『詩天』に行って志願しないのかい?」
別のちゃぶ台を拭きながら女将が訊いてくる。
「『即疾隊』の事でしょうか? 私は、ここを離れる訳にはいかないので」
「なんでだい? タチバナさんほどの腕前があれば……」
女将の言葉を遮るようにタチバナは言った。
「ここのうどんが美味しいからですよ」
「……なっ! もう、タチバナさんは上手いんだから。でも、代金は一銭たりともまけませんからね」
嬉しそうに怒りながら女将は厨房へと戻っていった。
それを視界の隅で見送りながらタチバナは心の中で呟いた。
(そう……私は長い時間、離れる事はできないのです……)
二岡町の路地を出れば、大きな通りに突き当たる。
詩天でも一際大きな通りとして知られる屋敷通り。いつもであれば、活気溢れる町
人が忙しなく行き交っている。
だが、今日は道に誰もいない。時期外れの、長雨のせいだ。
「……」
周囲に雨音が響く中、壬生和彦は番傘を片手に歩いていた。
雨が番傘を強く叩く音が、耳に突き刺さる。
(何処だ。何処にいる?)
先日斬った歪虚は、目的の相手ではなかった。
探している相手なら、あんな簡単には倒せない。
(いや……。見つからない方が良い)
淡い期待を胸にするが、生まれたばかりの期待は泡のように消え失せた。
間違いなく存在する。何故なら、あの傷は――
三条家。
恨む心が無いと言えば嘘になる。
すべては彼らが元凶だ。
その元凶の膝元で働く屈辱。
未だに納得できない。
だが、今は三条家に構う暇はない。
一刻も早く、探し出さなければ。
「……雨は、やむ気配なしか」
顔色一つ変えぬまま、青年は雨の中を歩み続ける。
●
「……本当に一人で大丈夫かい?」
「はい。大丈夫です。本当にお世話になりました」
心配そうに眉根を寄せるバジル・フィルビー(ka4977)に深々とお辞儀をする少年。
その居住まいに、育ちの良さを感じて……この子は本当にこの国の偉い人なんだな……とノノトト(ka0553)は思う。
「詩天の首都って若峰っていうんだね。シンくんの家もそこにあるの?」
「はい。そうです。いずれ落ち着いたらご招待しますね」
「あら。嬉しい。楽しみにしているわね」
「招待って……そんな簡単に言って大丈夫かよ」
少年の言葉ににこにこと微笑むアンネザリー・B・バルジーニ(ka5566)。
ラジェンドラ(ka6353)がでっかい冷や汗を流すのも無理はない。
この少年こそ、この国の名を冠する王たる存在……九代目詩天、三条真美(kz0198) その人で……少年が言う「家」は詩天の中心にある黒狗城だからだ。
――そもそも、ハンターと少年がこうして仲良くなったのも、詩天の中にある萩野村に泥田坊という歪虚が繰り返し襲ってきた事件があってのことだった。
最初は『シン』という偽名を名乗っていたが、一緒に依頼を進めていくうちにハンター達に心を開き、自らの正体を明かすに至った。
「それにしてもお家に黙って出て来てきちゃったんでしょ? 戻ったらものすごく叱られるんじゃないの?」
「それはそうですね……。でも、秋寿兄様のことを、報告しなければなりませんから……」
「これから、その秋寿さんについて調査するんだね」
心配そうなノノトトに困ったような笑みを返す真美。確認するようなバジルの声に、少年はこくりと頷く。
「はい。泥田坊を引き連れていたとなれば放ってはおけませんし。それに……姿は確かに秋寿兄様だったんですが、雰囲気が変わられたような気がして」
「そうなの? イメージチェンジ……って訳じゃなさそうよね」
「まあ、歪虚連れてるくらいだ。変わるくらいの何かはあったんだろうさ」
「そうですね……」
頬に手を当て、首を傾げるアンネザリーに肩を竦めるラジェンドラ。
九代目詩天の座を争い、巻き起こった千石原の乱。その戦に敗れ、自害したはずの三条 秋寿が何故――。
生きていたにしろ、歪虚として蘇ったにせよ、放っておくことはできない。
何より、秋寿は少年と仲が良かったという。
真美の心痛はいかばかりか……。
バジルは少年の手を取って、その顔を覗き込む。
「何かあったらすぐ呼んでね。何だったら調査も手伝うからね」
「はい。ありがとうございます。進展があったら必ずご連絡します」
「気を付けて行くのよ」
「また会おうね! 絶対だからね!」
「今度こそ一緒に水浴びしようぜ」
ぶんぶんと手を振るアンネザリーとノノトト。
ラジェンドラの追い打ちに、手を振り返そうとしていた真美はアワアワと慌てた。
●
即疾隊士である壬生和彦の足元に倒れているのは、豊後屋に従事する若衆である斉鹿。
彼の男は、言葉巧みに人を拐かしては、自身が借り受けている歪虚を使って人を操っていた。
しかし、彼もまた、何者かに操られては切り捨てられ、その命を落とす。
苦しみから、目を見開く斉鹿の死に姿に和彦はそっと、手をかざしては瞼を閉じさせた。和彦の表情は、前髪でよく見えないものの、唇を噛みしめは耐えているように見える。
誰かが、苦しいのならば、話を聞くのも吝かではないといった。
眩暈がするような感情の中、自分は「その時が来たら聞いてください」と言ったような気がする。
豊後屋の御用改めの後、即疾隊は四人の隊士志願を受けた。
その四人とは、先日の豊後屋の御用改めの際、斉鹿が使っていただろう空き家にいた行方不明者の保護をかってでた浪人達であった。
その中の一人である湯島は、武芸にはからっきしであるが、文芸や計算に秀でており、勘定方の仕事をしていたこともあったという。
正直な話、計算や文芸が得意な隊士はいないものかと副局長が探せば、そこそこいた。
局長にその話をしてみれば、小隊を作ろうと即決する。
「小隊……ですか」
目を瞬く副局長の前沢恭吾に局長の江邨雄介は頷く。
「いやぁ、前沢ちゃんも毎日班分けするの面倒っしょ?」
カラカラと笑う局長に副局長は黙って肯定をする。
小隊を作るのであれば、隊長職は必須。
局長と副局長で小隊分けを含め、あっさりと決めていく。
その中で副局長の前沢は各小隊の隊長の名前の一つに視線を落とす。
「局長……」
「ん? 何、ダメかい?」
にやりと笑う局長に副局長は首を振る。
「いいえ、いいと思います。奴はそれだけの働きをしていると思います」
副局長はそう言って、珍しく微笑む。
数日後、隊士達に聞かされたのは、即疾隊の隊士の小隊分けの話。
その中で、茫然としていたのは、壬生和彦であった。
皆が「良かったな!」と祝福してる中で、和彦は「何で自分が?」と疑問を出すばかり。
しかも、即疾隊の顔となる一番隊の隊長だ。
隊分けで同じ隊となった隊士達からは「是非に!」と言われるばかりであり、和彦は返事を考える時間をくださいと言うしかなかった。
屯所の裏山を和彦は一人歩いていた。
雑念を払うには動くのが一番とはいえ、悶々と考え込んでしまう。
即疾隊に入ったのは、自身の目的の為だ。
何故、自分が隊長職になってしまうなんて思いもよらなかったが、即疾隊は心地よかった。
荒くれ者達の巣窟とはいえ、皆、余計な詮索をしてこなかったのが一番の理由だろう。
皆が皆、明朗なことはない。心に何かを抱えている者がいて、皆それを暴いたりはしなかった。
自分が隊長職になれば、彼らを守ることができるのであろうかと和彦は思案する。
仮隊士であるハンター達もまた同じである。
真っすぐな彼らに救われていた。
いつか、話す時が来るだろうと和彦は直感する。
隠すのは性に合わないから。
屯所に戻った和彦は局長達に隊長職の話を受けるという旨を伝えた。
●
「……今戻りました」
「秋寿さん。どちらまで行かれていたんですか?」
「部下の不始末を片づけに行ってたんですよ……って、うあー。この口調うぜぇ」
「身体を得たのに口調は変わらないんですね」
「当たり前だろ! 外見変わったって中身は変わらねえよ! で? わざわざ呼び出して何の用だよ」
秋寿と呼ばれた男は苛立たしげに金色の煙管をカチカチと鳴らし、紺色の狩衣の優男を見る。
「以前お話ししていた協力者がいらしてましてね。ご紹介しようかと」
「……まだ協力するとは言っていないが」
「おや。私の弟達を召し上がるのでは報酬として不足ですか? 青木さん」
「お前の弟達とやらがどの程度マテリアルを持っているか分からんからな」
後ろに立つ黒いコートの男……青木 燕太郎(kz0166)をに薄い笑みを返す優男。
その表情を変えぬまま、薄い緑の瞳に黒い歪虚を映す。
「成功した暁には、私を召し上がって戴いて構いませんよ」
「……ほう? お前自身をか」
「ええ。私は、私の仇が討てればそれで良いですから。……与えられた役目などどうでも良いのですよ」
優男の変わらぬ微笑。己を差し出すという割にあまりにもその響きは他人事だ。
彼は抑揚のない声で続ける。
「復讐の為には……『器』が必要です。秋寿さんが真の意味で復活を果たす為の『器』が。その為には力が足りない……」
その言葉に沈黙を返す青木。秋寿は彼を探るように血色の双眸を向ける。
「……お前、西方の歪虚か? 何でこんな辺鄙な場所までわざわざ来たんだ」
「西方で名が売れ過ぎてしまってな。自由に動ける場と……力を蓄える場が欲しかった。それだけだ」
「ふーん。名が売れてるってことはまあまあ強いってことか」
「試してみるか?」
「……止めとく。仮初の身体じゃ力が出し切れない。俺の方が不利だ」
そう言いながら睨み合う青木と秋寿。その間に、まあまあ……と優男が割り込む。
「これから協力しようかというところなのにケンカは良くありませんよ。それで、青木さん。色好いお返事は戴けるのですか?」
「……どのみち俺に損はなさそうだ。いいだろう、協力しよう」
「ありがとうございます。……では、手筈を説明しましょう」
優雅に狩衣を翻す優男。3人の密やかな話し声が続く――。
●新たな憤怒王

「何考えてやがるあの馬鹿!!!」
主を失い、人気のない憤怒本陣。
怒声を響かせる金髪の歪虚を一瞥し、青木 燕太郎(kz0166)は眉間に皺を寄せる。
三条 秋寿と名乗る歪虚の怒りの元は彼が手にしている手紙のせいだ。
――鮎原の地での戦い。
三条 真美(kz0198)を連れ去るはずがハンター達との激闘の末に死転鳥を失い、怪我の回復もそこそこに戻って来て……そんな折、2人の元に手紙が届いた。
差出人は蓬生。
過日の大規模戦で死んだものと思われていたのだが、生きていたらしい――。
それだけでも驚いた様子の秋寿だったが、内容に目を落とすと青筋を立ててブルブルと震え出した。
秋寿さんこと仙秋さんと青木さんへ
新年あけましておめでとうございます。蓬生です。
お二人におかれましてはいかがお過ごしでしょうか?
ますますご健勝のことと思いますが、お話させて戴きたいことがあります。
私は今、やむにやまれぬ事情で東方を離れ、諸国漫遊をしております。
暫く戻れませんので、仙秋さんに憤怒王代理をお譲りします。
憤怒本陣のヴォイドゲートがなくなった今、少しづつ歪虚の数も減っていくでしょうが……龍脈の力を操れる仙秋さんならきっと本陣を立て直せるでしょう。
憤怒本陣も憤怒の残党も好きに使って戴いて構いません。
後のことは宜しくお願いします。
それから青木さん。先日お約束した報酬の件です。
残念ながらすぐには戻れませんが、約束を忘れた訳ではありません。
必ず貴方の元にお伺いいたしますので、今しばらくお待ちください。
ただでお待たせするのも申し訳ないですし、つまらないものですが、憤怒の残党はご自由に召し上がってください。
それでは、また。
仙秋さんと青木さんの今後のご活躍を祈念しております。
元憤怒王代理 蓬生
追伸:リアルブルーに行きたいです。
……とまあ、蓬生らしいのんびりとした様子で。
重大なことをさらっと告げられた上に、観光地で会ったらしき人間と一緒に撮った満面の笑顔の蓬生の写真が同封されていたとなればもう、秋寿が怒髪天になるのも頷ける。
「蓬生の奴、憤怒王代理とか勝手なこと言いやがって! 立て直そうにも何にもねえじゃねえか!!」
「ではどうする。このまま朽ち果てるのを待つか?」
「まさか。何の為に俺が二重三重に準備を重ねてきたと思ってんだよ。どちらにせよ死転の儀ももう1回やらなきゃなんねーし。これを機に、憤怒王、三条 仙秋を名乗らせて貰うとするか」
「……気に入らないのではなかったのか? 随分と調子が良いな」
「使えるモンは使う主義なんだよ。それに秋寿はあくまでも依代の名前だしなぁ。……それに、そろそろこの依代も潮時だ」
「真美が手に入らなかったからもう暫く使うと言っていなかったか」
「そのつもりだったんだが……最近思うように動けねえ。時々いうこと聞かなくなりやがる」
忌々しげにため息をつく仙秋に、無言を返す青木。
――先日、ハンター達と戦ってから、仙秋は時々動きを止めることがある。
そう、まるで。内にいる何かをねじ伏せようとしているような――。
「まあ、いい。早急に死転の儀を行って依代を作りたいが……それにはちょっと力が足りねえ。かといって、もう一度巫女と符術師を集めてる時間はねえ」
「それで、お前が回収してきたあれの出番か?」
「そういうこと。何も知らないヤツから見ればただの古びた法具だが、俺にとっちゃ最良の道具だよ、これは」
ニヤリと笑って、マテリアル鉱石が嵌った短刀を握る仙秋。
『三条家の宝』として代々の詩天に伝わってきたそれは、彼が作り出したものだ。
興味がなさそうだった青木も、法具を見て少し表情を変える。
「いずれ来る、復活の時の為に用意していたという訳か。見るにマテリアルの貯蔵設備、というところか」
「ご名答。こいつには歴代詩天達から時間をかけて集めたマテリアルが入ってる。あと足りねえ分はハンターからマテリアルを拝借する寸法よ」
「ハンターから掠め取るとは随分面倒なことをするんだな」
「あいつらは厄介だが、アホみたいに力持ってるからな。ちょっとやり合えば十分な量が回収できる。お前も手伝えよ」
「……悪いが、抜けさせて貰う」
「はあ? 何でだよ」
「ビックマーから呼び出しがあった。流石に無視をする訳にもいかん。これでも一兵卒なんでな」
「随分名が売れてる一兵卒だな、オイ。……青木。戻るのが面倒だったら憤怒に鞍替えしてもいいんだぜ? 俺は心が広いから受け入れてやるよ」
「断る。お前の部下になってもロクなことがなさそうだ」
「てめえ……!」
「お前から貰いそびれている報酬は後で受け取りに来る。精々生き残れよ」
苛立ちを隠さぬ仙秋を一瞥し、肩を竦める青木。
――このままビックマーの元に戻るのも癪だ。憤怒の残党をすこし戴いてから行くとするか。
青木は振り返らずに、憤怒本陣を後にした。
●『サネヨシ』と『マミ』


「……初代様の行方は掴めませんか?」
「はい。力及ばす申し訳ございませぬ。詩天国内の歪虚も減って来ておるようなのだけが幸いですが……」
黒狗城の執務室に座す幼き九代目詩天に深々と頭を下げる三条家軍師、水野 武徳(kz0196)。
真美は慌ててそれを押し留める。
「いえ、武徳が悪い訳ではありませんから謝らないでください。歪虚が減ってきているのは、初代様がお隠れになったのと何か関係があるのでしょうか……」
「因果関係ははっきりとは分かりませぬが……いずれにせよ、初代詩天様をこのままにはしておけませぬ。また真美様を狙いにやってくることは明白にござますれば」
「そうですね……。武徳、申し訳ありませんが若峰の守りを厚くして、有事の際、民への被害が少しでも減らせるように努めてください」
「御意」
軽く一礼する武徳に頷き返す真美。
――出来れば、秋寿と戦いたくない。
もう生きていないのだ。あれは器だと言われても……優しかったあの人を傷つけたくはない。
――でも、それは甘えだ。
そもそも、この事件の原因は『詩天』にある。
私は私の務めを果たさなくては……。
務めを果たしたら、その時は――。
「……武徳」
「何でございましょう」
「一つ決めたことがあります。初代様を倒し、秋寿兄様を救い出したら……私は、出生についてのことを国内外に公表しようと思います」
主の言葉に目を見開く武徳。すぐに気遣うような目線に変わって、真美は笑みを返す。
「私はハンターさんに出会ってから、色々なことを教わりました。性別が何であれ、私は私……。それで臣下に見限られるようなことがあるのなら、私はそれまでの人間だったということでしょう」
「真美様……」
「御柱様や立花院様を長年謀っていたのですから、お叱りはあるかもしれませんが……それも甘んじてお受けしませんとね。……武徳、これから一層苦労をかけるかもしれませんが、貴方は私の大切な臣下です。この先も力を貸してくれますか?」
「勿体ないお言葉……! この水野武徳、全身全霊で詩天様にお仕えする所存でございます」
「ありがとう。よろしくお願いしますね。さあ、初代様を引き続き探しましょう。全てを終わらせるために」
「畏まりました」
主の成長を感じて、目を細める武徳。
真美は庭に咲く梅の花を見て、小さくため息をつく。
――不安はあるけれど、一人ではないから大丈夫。
ハンター達にもいずれ。父から与えられた己の本当の名前は『真美(まみ)』であったと伝えなくては……。
少女の決意は、詩天の長い歴史から見ればほんの少しのものだったけれど。
――それでも、確かに。『死天』への決別の一歩を踏み出していた。
●別れと誓い 「はいよ、お待ちどう」
店先に置かれた長椅子に腰掛けた男。
その傍らに、女将がそっとお銚子を置く。
まだ湯気が立ち上り、視覚から温もりが伝わってくる。
「ありがとよ」
男は手にしてお猪口に熱燗を注ぎ込むと、それを一気に飲み干した。
「お兄さん、イケる口だねぇ。この辺じゃ見かけない顔だけど、どっから来たんだい?」
「詩天さ」
「へぇ、詩天ね。今、大変なんだろう?」
「ああ」
そう呟いた後、男は再びお猪口に口を付ける。
男には、ある癖があった。
大事な家族を預かる身の上なのに、急にふいと旅に出てしまう。
ある時は、天ノ都。
またある時は、東の小国。
風の吹くまま、気の向くまま。
目的地は風が決めてくれる。男はただ、それに従えばいい。
だが。
今回の旅だけは事情が違っていた。
「はい、追加の豆腐田楽ね」
女将が串に刺した豆腐に味噌を塗った田楽を持ってきた。
軽く表面を炙り味噌を塗られた豆腐。
その色合いと放たれる香りだけでも酒が進む。
「おう、来たな」
「兄さん、気のせいならいいんだけど」
「なんだい?」
「なんか、不安でもあるのかい? たとえば、心残りとか……」
その一言に、男の心が脈打った。
実は男は、何か大事な事を忘れている気がしたのだ。
「そう見えるかい?」
「ああ。こう見えても客商売は長いんだ。いろんなお客を見てきたからね」
客商売のベテランに心を見透かされていた。
「そうかい。確かに、大事な何かを忘れている気がするんだ」
「大事な何か……約束とかかね」
「約束……」
その一言で蘇る過去の映像。
まだガキの頃に出会った友。
その友が男と交わした約束――。
『私に何かあったら、あの子を守ってやって欲しい。きっと、誰かの助けが必要だから……』
「……いけねぇ。約束だ。俺ぁ大事なもんを忘れてた」
「そら、いけないね。約束を違える事はいけない事だ。この辺の子供でも知ってる事だよ」
女将はそういいながら、空になったお銚子を片付ける。
そう言えば死んでしまったはずの友が、再び詩天に現れたと聞いた。
その信じがたい話を聞きながら大事な約束をすっかり忘れ、遊び呆けてぶらぶらと暢気に旅をしてたのだ。
自分は、何をやっているんだ。
いや、もしかしたら逃げていたのかもしれない。
逃げることで友に降りかかった悲劇から目を背けたかった。
だが、今からでも遅くはない。友との約束を果たす。
たとえ、友が人ならざる物になろうとも、その約束は変わらない。
「女将、置いとくぜ」
「はい、毎度。
おや、覚悟が決まったようだね」
女将は男が一目で決意した事に気付いた。
男は編み笠を付けた後、道中合羽を翻して歩き出した。
「おう、ちょっと約束を果たしてくるぜ。詩天まで」
●
「憤怒王が復活!?」
天ノ都にいた楠木家家長の楠木 香(kz0140)は衝撃を受けた。
あの長年東方の地を苦しめ、ハンター達と共にようやく撃破した憤怒王『獄炎』。東方に復興の兆しが見え始めたと思っていた矢先、そのような一方がもたらされたのだから致し方ない。
「正確には憤怒王を名乗る歪虚だそうです。詩天へ潜入していたハンター達が知らせてくれました」
朱夏(kz0116)は、そう報告した。
元々詩天への幕府の介入は危惧されていた。それは連邦国という形態の問題であり、詩天への過度の介入が周辺地域へ不要な懸念を与える為であった。現に詩天内部には幕府の介入を快く思わない勢力も存在する。
その為、朱夏は詩天へハンター達を派遣していた。
幕府からの願いを受ける形でハンターを受け入れた詩天であったが、その結果憤怒王復活の情報をもたらしたという訳だ。
「同じ事だ。憤怒王を名乗る相手ならば、余程の歪虚に違いない。なれば、今度こそ確実に葬らねばならん」
香は、力強く言い切った。
別の存在であろうとも憤怒王の復活は東方の市民に不安を与える事になる。復興の兆しが見え始めた矢先に、そのような事を許してはいけない。
もう歪虚をはね除けて人々の暮らしが戻りつつあるのだ。
一介の武士として、このまま見過ごす訳にはいかない。
「動くのは構いませんが、将軍の命は下っておりません。それでも行かれるのですか?」
「無論だ。このような時に詩天の民を救わねば、幕府の存在は必要ない。
その事は将軍様も、スメラギ様もご存じのはず。私が早急に詩天へ援軍として向かわなければ……」
香は拳を強く握る。
民を救うのも武士の務め。
ここで動かなければ、武士である意味もない。
朱夏は香の決意が固い事を察すると、入手したばかりの情報を口にする。
「憤怒本陣は既に現詩天様が向かわれています。ですが、敵は術により強化している模様です。おそらく援軍へ向かわれるならば、憤怒本陣の南西にある大輪寺の方がよろしいでしょう。そこに術を司る呪詛があるはずです」
朱夏が入手した情報によれば、敵は強化する術を施しているらしい。
真美を支援するのであれば、その呪詛の破壊を目指した方が良いだろう。
「そうか。ならば、早急に準備を進めなければな」
香は、屋敷へ戻る為に踵を返した。
●
――詩天、若峰。


仙秋の依代となっていた秋寿を見送り、長江から詩天へと戻って来た九代目詩天、三条 真美(kz0198)は、父である氏時と秋寿に線香をあげた後、すぐ執務室へと向かった。
本当は、二度目の死を迎えた秋寿の葬儀を行いたかったけれど。
今自分がすべきことは他にある。
『……いいですか、真美。私が初代様と行動を共にしたことで知り得たことを貴方に伝えます。これはきっと、初代様を倒す鍵となる……。一度しか言いません。良く聞くのですよ』
崩れかけた身体で、必死に言葉を紡ぐ秋寿。
彼の口から齎される情報。
初代詩天である仙秋の弱点。
彼が行おうとしている計画。
それを阻止する方法――。
それらを一つとして忘れない為に、必死に半紙に書き出し……。
三条家軍師、水野 武徳(kz0196)を呼び、それを見せるとそのまま話し合いに発展し――気が付けばそれは、初代詩天、三条 仙秋の討伐計画になっていた。
「敵の勢力は全て把握しきれてはおりませぬが、この策を持ってすれば初代様に対して有利にことを運べるかと存じます。その後、草の者の報告によれば初代様は憤怒本陣に戻ったとのこと……早急に軍を手配し、撃って出ると致しましょう」
「そのことなんですが……武徳。貴方はここに残り、引き続き詩天の守りを固めて下さい」
「何ですと!? 真美様。此度の戦いは今までのものとは違います。言わば総大将戦です。戦いも熾烈を極めるでしょう。そのような場所へ真美様を送り出す訳には参りませぬ」
「一人で行く訳ではありませんよ? ハンターさん達に助力を依頼します」
「それは当然にございますれば! お国の一大事に動かぬなど片腹痛い。武将の名が泣きます」
「武徳が国のことを考えてくれているのは良く分かっていますよ。だから、ここを託したいのです」
「しかし……!」
「初代様は随分と人を……いえ、私達子孫を憎んでいらっしゃるようでした。恐らく、私を陥れる為には手段を択ばないでしょう。そうなった時、狙われるのは罪のない民なのです。彼らを守る力が必要です。……辛いことをお願いしてしまってすみません。でも武徳にしか頼めないのです」
「真美様……」
「……秋寿兄様は、消える間際に私は良き王になると仰いました。私はその期待に応えたい。長らく続いてきた忌まわしき『死天』の名と、繰り返される悲劇は、私の代で終わりにしたい。その為に力を貸してください」
言葉を無くす武徳。
彼にも、武将としての意地や誇り、何より詩天への忠義の心もある。
だからこそ、譲れないものがある。
しかし、この目の前の幼い王の悲壮なまでの決意を見たら。
王の帰る場所を何としてでも守らねばならぬ。そう思えて――。
「……畏まりました。ただし、決して無理はなさいませんよう。此度負けても、生きていれば雪辱を果たす機会が訪れます。御身を最優先に……約束して戴けますかな?」
「分かりました。約束します。若峰をお願いしますね、武徳」
「御意」
深く腰を折る武徳に頷き返す真美。
庭先の梅の木で、鶯の鳴く声がした。
●
歪虚との戦いを終えた武徳は浮かない顔をしていた。
勝利には違いないが、心の中に不安の種が芽を出していた。
「どうしたい、水野の旦那」
顔を上げれば、編笠に道中合羽を着た旅人風の男。
この男に、武徳は見覚えがあった。
「お前か。この忙しい時に、何処へ行っておった」
「ちょいと、ぷらっとね。心の向くまま、気の向くまま。風は何処でも自由に往くもんだ。それより、やけに不安そうじゃねえか。心配してくれって言ってるようなもんだぜ?」
「真美様は、護衛のハンターを連れて長江へと向かわれた。この詩天の窮地を救うため、初代詩天との因縁を終わらせる為、真美様は向かわれたのだ。本来ならば、わしも行かねばならん。だが、真美様は申されたのだ。『若峰を頼む』と。主君から後を託されたわしが長江へ行けるはずなかろう」
九代目詩天という重責に加え、詩天の――東方の窮地をその幼い身で救おうとしている。
主の身を案じるも、家臣である武徳は真美と共に行く事ができない。
真美の帰る場所を守らねばならぬのだ。
義と心に葛藤する武徳。
その前で男は飄々とした態度崩さない。
「難儀だねぇ、お武家様は。あの即疾隊の連中は送れないのかい?」
「即疾隊は若峰の守護が勤めよ。そもそも、若峰に紛れた歪虚退治に注力しておる。わしらは真美様を助けたくとも行けぬのだ。自由を糧に生きる渡世人のお前には分かるまい」
「ああ、俺には分からないね。分かるのは、もっと単純な事だ」
男は踵を返すと、歩き出す。
「……行く気か。幕府の援軍が行くよりはずっとマシだが、まさかお前に頼ることになるとはな。情報によれば大輪寺に仙秋を強化する呪詛があるそうだ。真美様を助けるならば、その呪詛を壊すが良かろう。それより……お主を動かすその根底にあるのは、古き友との約束か?」
武徳の呟きに、男は足を止めた。
しばしの沈黙。
いつの間にか、風は南へ流れ始めていた。
「旦那、そいつを聞くのは野暮ってもんだ。言ったろ? 俺に分かるのは、もっと単純な事だ。単純で……大事な事だ」
再び歩き出す男。風は背中を押すように、強く吹いた。
「長江か。こいつぁ久しぶりに、嵐になるな」
●
長江にある憤怒本陣。
そこにけたたましい嗤い声が響いていた。
「ははははは! 力が漲る……! この依代はなかなか具合がいいぞ」
愉しげに笑う三条 仙秋。
複雑な文様が描かれた陣の中央にいるのは巨大な漆黒の狼。4本の尻尾を持つそれが放つ膨大な負の力に、彼は笑いが止まらなかった。
成功した『死転の儀』。
歴代の詩天達と、ハンター達から集めたマテリアルは上質そのもので……こんなおぞましい化け物がいとも簡単に生み出せた。
この依代の力があれば、ハンター達を蹂躙できる。真美を得るのも簡単だろう。
が、今まで、幾度となく真美とハンター達に煮え湯を飲まされてきた。
今回も万が一ということがあるかもしれない。
仙秋は依代をより強固なものにする為、別な場所に陣を用意した。
基本人を見下している彼がここまで用心深くなるのも、ハンター達の力量を認めたからなのかもしれない。
今までのものとは比にならぬほどの強力な依代。そして強化陣。
新たな憤怒王となった今、憤怒の残党達も思いのままだ。負ける要素が微塵もない。
今度こそ、今度こそ。『詩天』を文字通り『死を齎す国』に変えてくれる……!
「見ていろ青木。お前への報酬は弾んでやるからな」
狂ったように笑う仙秋。
力を得た新たな王の前で、憤怒の歪虚達は頭を垂れ跪いた。
●始まり(6月3日公開)
伝馬町の路地を駆け抜ける一人の男。
年の頃は、十七。男というよりは幼さが顔に残る青年だ。
手には提灯、腰には日本刀を差して走り続ける。
宵闇が辺りを包み、男以外に人気は無い。唯一の灯りと呼べる物は、手にした提灯のみ。まるで世界のすべてが歪虚に呑まれたかのようだ。
(……どこだ……何処へ消えた)
十字路へ差し掛かった青年は、頭を振って周囲を見回す。
追っていた『アレ』は、間違いなくここまで来たはずだ。そう遠くには行ってない。もし、『アレ』が目的のものであるならば絶対に逃がしてはならない――。
ふいに風の流れが、変わった。
青年に向かって吹いていた風の中に、別の風が紛れ込んでいる。湿った闇の風に混ざる――生臭い香り。追っていた歪虚の匂いだ。
青年は、親指で鞘を押し上げて鯉口を切る。
闇の中で、歪虚はこちらへ向かって来る。
青年には直感でそれが分かった。歪虚は提灯の明かりに引かれた羽虫のように、まっすぐ――。
「……くっ!」
突然、背後から伸びる歪虚の爪。
虚を突かれた形になった青年は、反射的に状態を逸らす。
鋭い爪は、青年の頬を掠めながら闇へ消えていく。
歪虚は青年が予想するよりも早くに近づき、一撃必殺を目論んでいた。
その目論見も、獣のような青年の勘が潰したのだが……。
(一筋縄ではいかないか)
青年は、瞳を閉じた。 精神を集中。そして――その体を闇の中へと溶け込ませていく。
「!?」
歪虚は、焦った。
先程まで間違いなく眼前にいた青年の気配が消えた。
何処かへ隠れた?
否、隠れるような場所はなかった。
既に走り去った?
否、走り去る足音などなかった。
まるで掻き消えるように、青年は姿を消した。これは紛れもない事実だ。
一体何処へ――歪虚がそう思考した次の瞬間、青年は目の前に現れる。
八相の構えから、一刀。
振り下ろされた刃が、胸部から腹部に派手に鮮血が噴き出す。
そこへ青年は、さらに追い打ち。
逆袈裟斬りによる剣筋は、歪虚の体を再び捉える。
地面に倒れ込んだ歪虚は、そこからぴくりとも動かなくなった。
「……違ったのか。若峰にはもういないのか」
青年は、呟く。
剣に付いた血を吹き払いながら、青年は刀を鞘へ収める。
消えつつある歪虚の亡骸の脇を通り抜け、いつの間にか消えていた提灯を拾い上げる。
青年は、再び闇の中へと消えていった。
●

朱夏

スメラギ
連合軍の一角としてスメラギ(kz0158)が自ら北伐へ参戦しているが、朱夏もスメラギの留守を預かる形で東方の復興に尽力している。
壊れた家屋を建て直し、食料に困る民へ食料を運搬する。
未だに残る歪虚『憤怒』の残党が姿を現せば、退治の為に現地へ急行する。
そんな多忙を極める朱夏だったが、わざわざこの冒険都市リゼリオにあるハンターズソサエティへ赴いたのには理由があった。
――ある依頼をハンターへ打診する為であった。
「お初にお目にかかります。朱夏と申します」
まだハンターズソサエティへ登録したばかりのハンターの前で、朱夏は深く頭を下げる。
冒険都市リゼリオから遙か東に存在する『エトファリカ連邦国』よりやってきた舞剣士であり、西方諸国と東方を繋いだ人物である事はハンター達も情報として入手していた。
その朱夏が、今は目の前で頭を下げている。
「本来であれば、エトファリカ連邦国内で処理するべき事案ではあるのですが……お願い致します。『詩天』へ行っていただけないでしょうか」
――詩天。
ハンター達も聞いた事がない場所だ。
一体、詩天とはどのような場所なのだろうか。
東方からわざわざやってきて依頼を打診するという事は、危険な場所ではないのか。
緊張で息を飲むハンター達。
その様子を見守っていた朱夏は、首を少し傾げた後でようやく事態を理解する。
「失礼しました。詩天はエトファリカ連邦でも龍尾城から離れ、100年ほど前に連邦へ加盟した州です。詩天は古くから龍脈の研究が行われ、天ノ都にも多くの優秀な符術士や舞剣士を排出して参りました。国土も比較的穏やかで、良い気候と伺っています」
朱夏は、ハンター達に簡単に詩天の説明をしてくれた。
大きな地域を持つ州ではないが、古くから龍脈を研究してきた歴史を持つ由緒正しい場所として知られている。
この州を治めるのは四十八家門四十位の三条家。憤怒が襲撃した際は、符術士や舞剣士が奮闘したものの敗北。詩天も一度は歪虚に呑み込まれ、人々は天ノ都へと撤退していた。
現在は、ハンター達のおかげで憤怒を退けて復興が進んでいるらしいのだが……。
ここで朱夏の顔色が曇った事に、ハンター達は気が付いた。
「実は、詩天は三条家でも『詩天』と呼ばれる優秀な符術士が治める事になっております。しかし、先代の八代目詩天は急死。その後、三条家内で大きなお家騒動がありました。
復興の最中に八代目詩天が死去し、その後お家騒動が勃発。
良くあると言えば良くある話ですが、不穏な存在が暗躍しているという未確認の情報があります」
朱夏は『未確認情報』と表現していた。

立花院 紫草
もし、朱夏の言う不穏な存在が暗躍していたとすれば、今回の一件は何者かが描いた筋書きである可能性もある――。
「お家騒動は大きな戦へ発展した後、九代目詩天が決まった事までは分かっています。
東方で憤怒の軍勢と戦っていなかった新人ハンターの皆様なら、『西方より復興する為にやってきた』と言っていただければ詩天の者も強くは警戒しないでしょう。
お願いです。詩天へ赴いて現状を調査していただけないでしょうか」
再び、頭を下げる朱夏。
北方で連合軍が歪虚との激闘を続ける裏で――詩天を舞台にした新たな物語が始まろうとしていた。
(執筆:近藤豊)
(文責:フロンティアワークス)
(文責:フロンティアワークス)
●先代(6月24日公開)
時は、数年前に遡る。
詩天が東の三城を拠点として歪虚への犯行作戦を展開していた頃、若峰の黒駒城には未だ平穏な空気が残されていた。
「叔父上、ここにいらっしゃいましたか」
八代目詩天の甥、三条秋寿は暗がりから空を見上げる男に声をかけた。
男の名は――三条氏時。
この詩天を収める三条家頭首であり、八代目詩天その人である。
「ああ、秋寿か」
そう言った氏時であったが、視線は未だ空に向けられていた。
若峰の中心に三条家居城として建設された黒狗城。その城は主要施設を地下に持つ堅牢な城である。
有事には有用であるが、日常生活では不便な事もある。そこで地上部分に屋敷を建て、三条家の者生活を送っている。
人々はこの屋敷を三条家の家紋である梅に準え、『梅花屋敷』と呼んでいた。
「叔父上、食事の支度ができております」
秋寿は、暗がりの部屋へ足を踏み入れる。
秋寿は、氏時の甥である。
原則、三条家の家督は現詩天の子息に継承される。しかし、三条家頭首三条家の一族で優れた符術士であれば、詩天を継承する事ができる。
その制度があるからこそ、詩天は代々優秀な符術士として君臨する事が許されてきたのだ。
「秋寿、いつも済まぬ」
「何をおっしゃいます。叔父上は、この詩天を守ろうと奮戦する家臣達の支柱です。皆、叔父上の為に最善を尽くしているだけです」
秋寿の言う通り、氏時は家臣に慕われる存在だった。
氏時の為なら、身を投げ出す覚悟。
ただ、惜しむべくは多くの家臣を持つ身としては優しすぎる事だ。
「そうは言うがな、秋寿。
武徳を始め今も命を削って皆が戦っている最中、私はこうして安全なところからこの状況を憂う事しかできぬ……できぬのだ」 秋寿は、すぐに分かった。
八代目詩天である氏時が、己の無力さで落胆している事に。
本来であれば今すぐにでも臣下と共に戦いたい。
だが、それは詩天という立場が許さない。
万一、敵に倒されるような事があれば詩天という国が崩れる事を意味する。誰よりも危険から遠ざけられ、生き残る事を強いられる。
たとえ、氏時の周りの者がすべて息絶えていたとしても――。
「叔父上」
「戯れだ。忘れよ、秋寿」
瞳を閉じる氏時。
秋寿は、その言葉に沈黙で応えた。
氏時は、甥である秋寿を重用した。氏時の子が天ノ都の陰陽寮に身を寄せている状況ではあるものの、秋寿は次期詩天の呼び声も高かった。それだけ秋寿は、常に傍らで氏時を支え続けていた。
だからこそ、下手な言葉を返すよりも沈黙で氏時の想いを受け止めようとしたのだ。
「食事が冷めてしまいます。参りましょう」
「……そうであったな」
後に八代目詩天の氏時は謎の死を遂げ、歪虚王が倒れた後に秋寿は千石原の乱で自害するのだが――過酷な運命を、二人は未だ知らない。
(執筆:近藤豊)
(文責:フロンティアワークス)
(文責:フロンティアワークス)
●素浪人(7月15日公開)
●龍尾城――大広間
荘厳な作りの壁や柱、真新しい畳のい草の香り――ここは、龍尾城の大広間。
エトファリカ連邦国の実質的な支配者である征夷大将軍の公務の場の一つである。
一段高くなった場所に背筋を伸ばし正座しているのは、エトファリカ武家四十八家門、第一位立花院家当主にして、八代目征夷大将軍――立花院 紫草(kz0126)だ。
「分かった。良きに計らえ」
「はい」
案件の一つに対し、報告を受け――次の報告者が大広間に現れる。
「次は、詩天での状況報告でございます」
側近がそう告げていた。
各地で発生している様々な事案や事件。それらの報告を受け、必要であれば指示を出す。
それが、巨大な組織の決定権を持つ征夷大将軍の仕事の一つであった。
「『千石原の乱』以降、悪化する州都『若峰』における治安維持回復を目的として『即疾隊』なるものが組織化されているとの事です」
報告者の話を、立花院は黙って聞いている。
ハンターの中には『即疾隊』と関わりがある者もいるというが……。
「また、『若峰』から東に位置する城々の奪還を進めているとの事です」
「引き続き、詩天に関する情報を集めよ」
「ハッ!」
報告者が下がる。
次の者が呼ばれるまでの間、立花院は顎に手を掛けた。
(介入する手段としては、使えるかもしれないな……)
そんな事を考えていると、側近の声が響く。
「次は、主要街道の内、第6班の状況報告でございます」
ぞろぞろと様々な身なりの者が現れた。
主要街道の警備や維持管理を任している責任者達である。
「長江へと至る街道は雨期によりいくつか橋が傷つき、現在、修繕中であります」
「必要な物資は滞りなく手配できる様に配慮するよう、幕府からも働きかけよう」
「ははー。ありがたきお言葉です」
続けて隣の者が報告する。
「西方への転移門周辺ですが、治安や整備、特に問題ありません」
「転移門は我が国に無くてはならない重要施設である。引き続き、役目を全うせよ」
「ははー!」
更に続けて、隣の者が報告する。
「詩天へ至る街道は、いずれも変化なく、問題ありません」
「彼の地の動向は幕府としても重要視している。今後、些細な事でも報告するように」
「仰せのままに」
こうして報告が続く。
全ての事案を立花院が裁いている訳ではないが、国を治める立場として、報告を受ける事は大事な仕事なのだ。
「……以上で、午前の部は終了でございます」
「午後は?」
微動だにせず立花院は側近に尋ねた。
「昼食を交えながら、十鳥城の統治について、エトファリカ武家四十八家門、第九位大轟寺家の蒼人殿との会談予定です」
「ふ……む……」
●天ノ都――とある麺屋

タチバナ
ようやく一段落した所で、その侍は店に入って来た。ボロボロの一張羅、腰には脇差。肩に掛けるように大太刀を持った侍だ。
整えれば綺麗であろう灰色の髪は無造作に広がっている。
「あ! タチバナ様!」
店の娘が嬉しそうな声を上げて浪人の名を呼ぶ。
タチバナは軽く会釈して、適当な所で畳にあがる。
「いらっしゃい、タチバナさん」
女将も出迎え、熱々のお茶を置いた。
それを受け取り――ややあって、ちゃぶ台に置く。飲まない訳ではない――単なる、猫舌なのだ。
「仕事はどうですか? 仕官できそうですか?」
「いえ……仕官までには、とても……」
「なんだい、全く?。こんなに良い男なのに、勿体無いね?」
女将の言葉に苦笑を浮かべるタチバナ。
刀の腕は、一流であるのは女将も知っていた。この麺屋に出入りしている侍連中の中で誰よりも強い。下手したら、この国の中でも良い方まで行けるのではないだろうか。
「タチバナ様! また、戻し斬りが見たいです!」
店の娘が瞳を輝かせて、女将の脇から顔を出す。
戻し斬りとは、斬った物体を再び繋がらせる事である。
たまたまお金を持ち合わせていなかったタチバナが、代金の代わりに見せた技であった。
「俺も! 俺も! 見たい!」
店の常連も首を突き出してきた。
「また、お金に困った時に取っておきます」
微笑を浮かべるタチバナ。
そのまま、女将にかけを一つ注文する。
「ほら、あんたら、タチバナさんの邪魔だよ」
シッシと女将が手で娘と常連客を追い払う。
タチバナは何度も何度も、フーフーと冷ましながら、ようやく、お茶を口に運んだ。
「知り合いの商人から聞いたけど、タチバナさんは『詩天』に行って志願しないのかい?」
別のちゃぶ台を拭きながら女将が訊いてくる。
「『即疾隊』の事でしょうか? 私は、ここを離れる訳にはいかないので」
「なんでだい? タチバナさんほどの腕前があれば……」
女将の言葉を遮るようにタチバナは言った。
「ここのうどんが美味しいからですよ」
「……なっ! もう、タチバナさんは上手いんだから。でも、代金は一銭たりともまけませんからね」
嬉しそうに怒りながら女将は厨房へと戻っていった。
それを視界の隅で見送りながらタチバナは心の中で呟いた。
(そう……私は長い時間、離れる事はできないのです……)
(執筆:赤山優牙)
(文責:フロンティアワークス)
(文責:フロンティアワークス)
●若峰の地へ(8月12日公開)
二岡町の路地を出れば、大きな通りに突き当たる。
詩天でも一際大きな通りとして知られる屋敷通り。いつもであれば、活気溢れる町
人が忙しなく行き交っている。
だが、今日は道に誰もいない。時期外れの、長雨のせいだ。
「……」
周囲に雨音が響く中、壬生和彦は番傘を片手に歩いていた。
雨が番傘を強く叩く音が、耳に突き刺さる。
(何処だ。何処にいる?)
先日斬った歪虚は、目的の相手ではなかった。
探している相手なら、あんな簡単には倒せない。
(いや……。見つからない方が良い)
淡い期待を胸にするが、生まれたばかりの期待は泡のように消え失せた。
間違いなく存在する。何故なら、あの傷は――
三条家。
恨む心が無いと言えば嘘になる。
すべては彼らが元凶だ。
その元凶の膝元で働く屈辱。
未だに納得できない。
だが、今は三条家に構う暇はない。
一刻も早く、探し出さなければ。
「……雨は、やむ気配なしか」
顔色一つ変えぬまま、青年は雨の中を歩み続ける。
●

バジル・フィルビー

ノノトト

アンネザリー・B・バルジーニ

ラジェンドラ

三条 真美

壬生和彦
「はい。大丈夫です。本当にお世話になりました」
心配そうに眉根を寄せるバジル・フィルビー(ka4977)に深々とお辞儀をする少年。
その居住まいに、育ちの良さを感じて……この子は本当にこの国の偉い人なんだな……とノノトト(ka0553)は思う。
「詩天の首都って若峰っていうんだね。シンくんの家もそこにあるの?」
「はい。そうです。いずれ落ち着いたらご招待しますね」
「あら。嬉しい。楽しみにしているわね」
「招待って……そんな簡単に言って大丈夫かよ」
少年の言葉ににこにこと微笑むアンネザリー・B・バルジーニ(ka5566)。
ラジェンドラ(ka6353)がでっかい冷や汗を流すのも無理はない。
この少年こそ、この国の名を冠する王たる存在……九代目詩天、三条真美(kz0198) その人で……少年が言う「家」は詩天の中心にある黒狗城だからだ。
――そもそも、ハンターと少年がこうして仲良くなったのも、詩天の中にある萩野村に泥田坊という歪虚が繰り返し襲ってきた事件があってのことだった。
最初は『シン』という偽名を名乗っていたが、一緒に依頼を進めていくうちにハンター達に心を開き、自らの正体を明かすに至った。
「それにしてもお家に黙って出て来てきちゃったんでしょ? 戻ったらものすごく叱られるんじゃないの?」
「それはそうですね……。でも、秋寿兄様のことを、報告しなければなりませんから……」
「これから、その秋寿さんについて調査するんだね」
心配そうなノノトトに困ったような笑みを返す真美。確認するようなバジルの声に、少年はこくりと頷く。
「はい。泥田坊を引き連れていたとなれば放ってはおけませんし。それに……姿は確かに秋寿兄様だったんですが、雰囲気が変わられたような気がして」
「そうなの? イメージチェンジ……って訳じゃなさそうよね」
「まあ、歪虚連れてるくらいだ。変わるくらいの何かはあったんだろうさ」
「そうですね……」
頬に手を当て、首を傾げるアンネザリーに肩を竦めるラジェンドラ。
九代目詩天の座を争い、巻き起こった千石原の乱。その戦に敗れ、自害したはずの三条 秋寿が何故――。
生きていたにしろ、歪虚として蘇ったにせよ、放っておくことはできない。
何より、秋寿は少年と仲が良かったという。
真美の心痛はいかばかりか……。
バジルは少年の手を取って、その顔を覗き込む。
「何かあったらすぐ呼んでね。何だったら調査も手伝うからね」
「はい。ありがとうございます。進展があったら必ずご連絡します」
「気を付けて行くのよ」
「また会おうね! 絶対だからね!」
「今度こそ一緒に水浴びしようぜ」
ぶんぶんと手を振るアンネザリーとノノトト。
ラジェンドラの追い打ちに、手を振り返そうとしていた真美はアワアワと慌てた。
●
即疾隊士である壬生和彦の足元に倒れているのは、豊後屋に従事する若衆である斉鹿。
彼の男は、言葉巧みに人を拐かしては、自身が借り受けている歪虚を使って人を操っていた。
しかし、彼もまた、何者かに操られては切り捨てられ、その命を落とす。
苦しみから、目を見開く斉鹿の死に姿に和彦はそっと、手をかざしては瞼を閉じさせた。和彦の表情は、前髪でよく見えないものの、唇を噛みしめは耐えているように見える。
誰かが、苦しいのならば、話を聞くのも吝かではないといった。
眩暈がするような感情の中、自分は「その時が来たら聞いてください」と言ったような気がする。
豊後屋の御用改めの後、即疾隊は四人の隊士志願を受けた。
その四人とは、先日の豊後屋の御用改めの際、斉鹿が使っていただろう空き家にいた行方不明者の保護をかってでた浪人達であった。
その中の一人である湯島は、武芸にはからっきしであるが、文芸や計算に秀でており、勘定方の仕事をしていたこともあったという。
正直な話、計算や文芸が得意な隊士はいないものかと副局長が探せば、そこそこいた。
局長にその話をしてみれば、小隊を作ろうと即決する。
「小隊……ですか」
目を瞬く副局長の前沢恭吾に局長の江邨雄介は頷く。
「いやぁ、前沢ちゃんも毎日班分けするの面倒っしょ?」
カラカラと笑う局長に副局長は黙って肯定をする。
小隊を作るのであれば、隊長職は必須。
局長と副局長で小隊分けを含め、あっさりと決めていく。
その中で副局長の前沢は各小隊の隊長の名前の一つに視線を落とす。
「局長……」
「ん? 何、ダメかい?」
にやりと笑う局長に副局長は首を振る。
「いいえ、いいと思います。奴はそれだけの働きをしていると思います」
副局長はそう言って、珍しく微笑む。
数日後、隊士達に聞かされたのは、即疾隊の隊士の小隊分けの話。
その中で、茫然としていたのは、壬生和彦であった。
皆が「良かったな!」と祝福してる中で、和彦は「何で自分が?」と疑問を出すばかり。
しかも、即疾隊の顔となる一番隊の隊長だ。
隊分けで同じ隊となった隊士達からは「是非に!」と言われるばかりであり、和彦は返事を考える時間をくださいと言うしかなかった。
屯所の裏山を和彦は一人歩いていた。
雑念を払うには動くのが一番とはいえ、悶々と考え込んでしまう。
即疾隊に入ったのは、自身の目的の為だ。
何故、自分が隊長職になってしまうなんて思いもよらなかったが、即疾隊は心地よかった。
荒くれ者達の巣窟とはいえ、皆、余計な詮索をしてこなかったのが一番の理由だろう。
皆が皆、明朗なことはない。心に何かを抱えている者がいて、皆それを暴いたりはしなかった。
自分が隊長職になれば、彼らを守ることができるのであろうかと和彦は思案する。
仮隊士であるハンター達もまた同じである。
真っすぐな彼らに救われていた。
いつか、話す時が来るだろうと和彦は直感する。
隠すのは性に合わないから。
屯所に戻った和彦は局長達に隊長職の話を受けるという旨を伝えた。
●
「……今戻りました」
「秋寿さん。どちらまで行かれていたんですか?」
「部下の不始末を片づけに行ってたんですよ……って、うあー。この口調うぜぇ」
「身体を得たのに口調は変わらないんですね」
「当たり前だろ! 外見変わったって中身は変わらねえよ! で? わざわざ呼び出して何の用だよ」
秋寿と呼ばれた男は苛立たしげに金色の煙管をカチカチと鳴らし、紺色の狩衣の優男を見る。
「以前お話ししていた協力者がいらしてましてね。ご紹介しようかと」
「……まだ協力するとは言っていないが」
「おや。私の弟達を召し上がるのでは報酬として不足ですか? 青木さん」

青木 燕太郎
後ろに立つ黒いコートの男……青木 燕太郎(kz0166)をに薄い笑みを返す優男。
その表情を変えぬまま、薄い緑の瞳に黒い歪虚を映す。
「成功した暁には、私を召し上がって戴いて構いませんよ」
「……ほう? お前自身をか」
「ええ。私は、私の仇が討てればそれで良いですから。……与えられた役目などどうでも良いのですよ」
優男の変わらぬ微笑。己を差し出すという割にあまりにもその響きは他人事だ。
彼は抑揚のない声で続ける。
「復讐の為には……『器』が必要です。秋寿さんが真の意味で復活を果たす為の『器』が。その為には力が足りない……」
その言葉に沈黙を返す青木。秋寿は彼を探るように血色の双眸を向ける。
「……お前、西方の歪虚か? 何でこんな辺鄙な場所までわざわざ来たんだ」
「西方で名が売れ過ぎてしまってな。自由に動ける場と……力を蓄える場が欲しかった。それだけだ」
「ふーん。名が売れてるってことはまあまあ強いってことか」
「試してみるか?」
「……止めとく。仮初の身体じゃ力が出し切れない。俺の方が不利だ」
そう言いながら睨み合う青木と秋寿。その間に、まあまあ……と優男が割り込む。
「これから協力しようかというところなのにケンカは良くありませんよ。それで、青木さん。色好いお返事は戴けるのですか?」
「……どのみち俺に損はなさそうだ。いいだろう、協力しよう」
「ありがとうございます。……では、手筈を説明しましょう」
優雅に狩衣を翻す優男。3人の密やかな話し声が続く――。
●動き出す死天(2月6日公開)
●新たな憤怒王

三条 仙秋

青木 燕太郎

蓬生
主を失い、人気のない憤怒本陣。
怒声を響かせる金髪の歪虚を一瞥し、青木 燕太郎(kz0166)は眉間に皺を寄せる。
三条 秋寿と名乗る歪虚の怒りの元は彼が手にしている手紙のせいだ。
――鮎原の地での戦い。
三条 真美(kz0198)を連れ去るはずがハンター達との激闘の末に死転鳥を失い、怪我の回復もそこそこに戻って来て……そんな折、2人の元に手紙が届いた。
差出人は蓬生。
過日の大規模戦で死んだものと思われていたのだが、生きていたらしい――。
それだけでも驚いた様子の秋寿だったが、内容に目を落とすと青筋を立ててブルブルと震え出した。
秋寿さんこと仙秋さんと青木さんへ
新年あけましておめでとうございます。蓬生です。
お二人におかれましてはいかがお過ごしでしょうか?
ますますご健勝のことと思いますが、お話させて戴きたいことがあります。
私は今、やむにやまれぬ事情で東方を離れ、諸国漫遊をしております。
暫く戻れませんので、仙秋さんに憤怒王代理をお譲りします。
憤怒本陣のヴォイドゲートがなくなった今、少しづつ歪虚の数も減っていくでしょうが……龍脈の力を操れる仙秋さんならきっと本陣を立て直せるでしょう。
憤怒本陣も憤怒の残党も好きに使って戴いて構いません。
後のことは宜しくお願いします。
それから青木さん。先日お約束した報酬の件です。
残念ながらすぐには戻れませんが、約束を忘れた訳ではありません。
必ず貴方の元にお伺いいたしますので、今しばらくお待ちください。
ただでお待たせするのも申し訳ないですし、つまらないものですが、憤怒の残党はご自由に召し上がってください。
それでは、また。
仙秋さんと青木さんの今後のご活躍を祈念しております。
元憤怒王代理 蓬生
追伸:リアルブルーに行きたいです。
……とまあ、蓬生らしいのんびりとした様子で。
重大なことをさらっと告げられた上に、観光地で会ったらしき人間と一緒に撮った満面の笑顔の蓬生の写真が同封されていたとなればもう、秋寿が怒髪天になるのも頷ける。
「蓬生の奴、憤怒王代理とか勝手なこと言いやがって! 立て直そうにも何にもねえじゃねえか!!」
「ではどうする。このまま朽ち果てるのを待つか?」
「まさか。何の為に俺が二重三重に準備を重ねてきたと思ってんだよ。どちらにせよ死転の儀ももう1回やらなきゃなんねーし。これを機に、憤怒王、三条 仙秋を名乗らせて貰うとするか」
「……気に入らないのではなかったのか? 随分と調子が良いな」
「使えるモンは使う主義なんだよ。それに秋寿はあくまでも依代の名前だしなぁ。……それに、そろそろこの依代も潮時だ」
「真美が手に入らなかったからもう暫く使うと言っていなかったか」
「そのつもりだったんだが……最近思うように動けねえ。時々いうこと聞かなくなりやがる」
忌々しげにため息をつく仙秋に、無言を返す青木。
――先日、ハンター達と戦ってから、仙秋は時々動きを止めることがある。
そう、まるで。内にいる何かをねじ伏せようとしているような――。
「まあ、いい。早急に死転の儀を行って依代を作りたいが……それにはちょっと力が足りねえ。かといって、もう一度巫女と符術師を集めてる時間はねえ」
「それで、お前が回収してきたあれの出番か?」
「そういうこと。何も知らないヤツから見ればただの古びた法具だが、俺にとっちゃ最良の道具だよ、これは」
ニヤリと笑って、マテリアル鉱石が嵌った短刀を握る仙秋。
『三条家の宝』として代々の詩天に伝わってきたそれは、彼が作り出したものだ。
興味がなさそうだった青木も、法具を見て少し表情を変える。
「いずれ来る、復活の時の為に用意していたという訳か。見るにマテリアルの貯蔵設備、というところか」
「ご名答。こいつには歴代詩天達から時間をかけて集めたマテリアルが入ってる。あと足りねえ分はハンターからマテリアルを拝借する寸法よ」
「ハンターから掠め取るとは随分面倒なことをするんだな」
「あいつらは厄介だが、アホみたいに力持ってるからな。ちょっとやり合えば十分な量が回収できる。お前も手伝えよ」
「……悪いが、抜けさせて貰う」
「はあ? 何でだよ」
「ビックマーから呼び出しがあった。流石に無視をする訳にもいかん。これでも一兵卒なんでな」
「随分名が売れてる一兵卒だな、オイ。……青木。戻るのが面倒だったら憤怒に鞍替えしてもいいんだぜ? 俺は心が広いから受け入れてやるよ」
「断る。お前の部下になってもロクなことがなさそうだ」
「てめえ……!」
「お前から貰いそびれている報酬は後で受け取りに来る。精々生き残れよ」
苛立ちを隠さぬ仙秋を一瞥し、肩を竦める青木。
――このままビックマーの元に戻るのも癪だ。憤怒の残党をすこし戴いてから行くとするか。
青木は振り返らずに、憤怒本陣を後にした。
●『サネヨシ』と『マミ』

三条 真美

水野 武徳
「はい。力及ばす申し訳ございませぬ。詩天国内の歪虚も減って来ておるようなのだけが幸いですが……」
黒狗城の執務室に座す幼き九代目詩天に深々と頭を下げる三条家軍師、水野 武徳(kz0196)。
真美は慌ててそれを押し留める。
「いえ、武徳が悪い訳ではありませんから謝らないでください。歪虚が減ってきているのは、初代様がお隠れになったのと何か関係があるのでしょうか……」
「因果関係ははっきりとは分かりませぬが……いずれにせよ、初代詩天様をこのままにはしておけませぬ。また真美様を狙いにやってくることは明白にござますれば」
「そうですね……。武徳、申し訳ありませんが若峰の守りを厚くして、有事の際、民への被害が少しでも減らせるように努めてください」
「御意」
軽く一礼する武徳に頷き返す真美。
――出来れば、秋寿と戦いたくない。
もう生きていないのだ。あれは器だと言われても……優しかったあの人を傷つけたくはない。
――でも、それは甘えだ。
そもそも、この事件の原因は『詩天』にある。
私は私の務めを果たさなくては……。
務めを果たしたら、その時は――。
「……武徳」
「何でございましょう」
「一つ決めたことがあります。初代様を倒し、秋寿兄様を救い出したら……私は、出生についてのことを国内外に公表しようと思います」
主の言葉に目を見開く武徳。すぐに気遣うような目線に変わって、真美は笑みを返す。
「私はハンターさんに出会ってから、色々なことを教わりました。性別が何であれ、私は私……。それで臣下に見限られるようなことがあるのなら、私はそれまでの人間だったということでしょう」
「真美様……」
「御柱様や立花院様を長年謀っていたのですから、お叱りはあるかもしれませんが……それも甘んじてお受けしませんとね。……武徳、これから一層苦労をかけるかもしれませんが、貴方は私の大切な臣下です。この先も力を貸してくれますか?」
「勿体ないお言葉……! この水野武徳、全身全霊で詩天様にお仕えする所存でございます」
「ありがとう。よろしくお願いしますね。さあ、初代様を引き続き探しましょう。全てを終わらせるために」
「畏まりました」
主の成長を感じて、目を細める武徳。
真美は庭に咲く梅の花を見て、小さくため息をつく。
――不安はあるけれど、一人ではないから大丈夫。
ハンター達にもいずれ。父から与えられた己の本当の名前は『真美(まみ)』であったと伝えなくては……。
少女の決意は、詩天の長い歴史から見ればほんの少しのものだったけれど。
――それでも、確かに。『死天』への決別の一歩を踏み出していた。
●会者定離(3月16日公開)
●別れと誓い 「はいよ、お待ちどう」
店先に置かれた長椅子に腰掛けた男。
その傍らに、女将がそっとお銚子を置く。
まだ湯気が立ち上り、視覚から温もりが伝わってくる。
「ありがとよ」
男は手にしてお猪口に熱燗を注ぎ込むと、それを一気に飲み干した。
「お兄さん、イケる口だねぇ。この辺じゃ見かけない顔だけど、どっから来たんだい?」
「詩天さ」
「へぇ、詩天ね。今、大変なんだろう?」
「ああ」
そう呟いた後、男は再びお猪口に口を付ける。
男には、ある癖があった。
大事な家族を預かる身の上なのに、急にふいと旅に出てしまう。
ある時は、天ノ都。
またある時は、東の小国。
風の吹くまま、気の向くまま。
目的地は風が決めてくれる。男はただ、それに従えばいい。
だが。
今回の旅だけは事情が違っていた。
「はい、追加の豆腐田楽ね」
女将が串に刺した豆腐に味噌を塗った田楽を持ってきた。
軽く表面を炙り味噌を塗られた豆腐。
その色合いと放たれる香りだけでも酒が進む。
「おう、来たな」
「兄さん、気のせいならいいんだけど」
「なんだい?」
「なんか、不安でもあるのかい? たとえば、心残りとか……」
その一言に、男の心が脈打った。
実は男は、何か大事な事を忘れている気がしたのだ。
「そう見えるかい?」
「ああ。こう見えても客商売は長いんだ。いろんなお客を見てきたからね」
客商売のベテランに心を見透かされていた。
「そうかい。確かに、大事な何かを忘れている気がするんだ」
「大事な何か……約束とかかね」
「約束……」
その一言で蘇る過去の映像。
まだガキの頃に出会った友。
その友が男と交わした約束――。
『私に何かあったら、あの子を守ってやって欲しい。きっと、誰かの助けが必要だから……』
「……いけねぇ。約束だ。俺ぁ大事なもんを忘れてた」
「そら、いけないね。約束を違える事はいけない事だ。この辺の子供でも知ってる事だよ」
女将はそういいながら、空になったお銚子を片付ける。
そう言えば死んでしまったはずの友が、再び詩天に現れたと聞いた。
その信じがたい話を聞きながら大事な約束をすっかり忘れ、遊び呆けてぶらぶらと暢気に旅をしてたのだ。
自分は、何をやっているんだ。
いや、もしかしたら逃げていたのかもしれない。
逃げることで友に降りかかった悲劇から目を背けたかった。
だが、今からでも遅くはない。友との約束を果たす。
たとえ、友が人ならざる物になろうとも、その約束は変わらない。
「女将、置いとくぜ」
「はい、毎度。
おや、覚悟が決まったようだね」
女将は男が一目で決意した事に気付いた。
男は編み笠を付けた後、道中合羽を翻して歩き出した。
「おう、ちょっと約束を果たしてくるぜ。詩天まで」
●
「憤怒王が復活!?」
天ノ都にいた楠木家家長の楠木 香(kz0140)は衝撃を受けた。

楠木 香

朱夏
「正確には憤怒王を名乗る歪虚だそうです。詩天へ潜入していたハンター達が知らせてくれました」
朱夏(kz0116)は、そう報告した。
元々詩天への幕府の介入は危惧されていた。それは連邦国という形態の問題であり、詩天への過度の介入が周辺地域へ不要な懸念を与える為であった。現に詩天内部には幕府の介入を快く思わない勢力も存在する。
その為、朱夏は詩天へハンター達を派遣していた。
幕府からの願いを受ける形でハンターを受け入れた詩天であったが、その結果憤怒王復活の情報をもたらしたという訳だ。
「同じ事だ。憤怒王を名乗る相手ならば、余程の歪虚に違いない。なれば、今度こそ確実に葬らねばならん」
香は、力強く言い切った。
別の存在であろうとも憤怒王の復活は東方の市民に不安を与える事になる。復興の兆しが見え始めた矢先に、そのような事を許してはいけない。
もう歪虚をはね除けて人々の暮らしが戻りつつあるのだ。
一介の武士として、このまま見過ごす訳にはいかない。
「動くのは構いませんが、将軍の命は下っておりません。それでも行かれるのですか?」
「無論だ。このような時に詩天の民を救わねば、幕府の存在は必要ない。
その事は将軍様も、スメラギ様もご存じのはず。私が早急に詩天へ援軍として向かわなければ……」
香は拳を強く握る。
民を救うのも武士の務め。
ここで動かなければ、武士である意味もない。
朱夏は香の決意が固い事を察すると、入手したばかりの情報を口にする。
「憤怒本陣は既に現詩天様が向かわれています。ですが、敵は術により強化している模様です。おそらく援軍へ向かわれるならば、憤怒本陣の南西にある大輪寺の方がよろしいでしょう。そこに術を司る呪詛があるはずです」
朱夏が入手した情報によれば、敵は強化する術を施しているらしい。
真美を支援するのであれば、その呪詛の破壊を目指した方が良いだろう。
「そうか。ならば、早急に準備を進めなければな」
香は、屋敷へ戻る為に踵を返した。
●
――詩天、若峰。

三条 真美

水野 武徳
本当は、二度目の死を迎えた秋寿の葬儀を行いたかったけれど。
今自分がすべきことは他にある。
『……いいですか、真美。私が初代様と行動を共にしたことで知り得たことを貴方に伝えます。これはきっと、初代様を倒す鍵となる……。一度しか言いません。良く聞くのですよ』
崩れかけた身体で、必死に言葉を紡ぐ秋寿。
彼の口から齎される情報。
初代詩天である仙秋の弱点。
彼が行おうとしている計画。
それを阻止する方法――。
それらを一つとして忘れない為に、必死に半紙に書き出し……。
三条家軍師、水野 武徳(kz0196)を呼び、それを見せるとそのまま話し合いに発展し――気が付けばそれは、初代詩天、三条 仙秋の討伐計画になっていた。
「敵の勢力は全て把握しきれてはおりませぬが、この策を持ってすれば初代様に対して有利にことを運べるかと存じます。その後、草の者の報告によれば初代様は憤怒本陣に戻ったとのこと……早急に軍を手配し、撃って出ると致しましょう」
「そのことなんですが……武徳。貴方はここに残り、引き続き詩天の守りを固めて下さい」
「何ですと!? 真美様。此度の戦いは今までのものとは違います。言わば総大将戦です。戦いも熾烈を極めるでしょう。そのような場所へ真美様を送り出す訳には参りませぬ」
「一人で行く訳ではありませんよ? ハンターさん達に助力を依頼します」
「それは当然にございますれば! お国の一大事に動かぬなど片腹痛い。武将の名が泣きます」
「武徳が国のことを考えてくれているのは良く分かっていますよ。だから、ここを託したいのです」
「しかし……!」
「初代様は随分と人を……いえ、私達子孫を憎んでいらっしゃるようでした。恐らく、私を陥れる為には手段を択ばないでしょう。そうなった時、狙われるのは罪のない民なのです。彼らを守る力が必要です。……辛いことをお願いしてしまってすみません。でも武徳にしか頼めないのです」
「真美様……」
「……秋寿兄様は、消える間際に私は良き王になると仰いました。私はその期待に応えたい。長らく続いてきた忌まわしき『死天』の名と、繰り返される悲劇は、私の代で終わりにしたい。その為に力を貸してください」
言葉を無くす武徳。
彼にも、武将としての意地や誇り、何より詩天への忠義の心もある。
だからこそ、譲れないものがある。
しかし、この目の前の幼い王の悲壮なまでの決意を見たら。
王の帰る場所を何としてでも守らねばならぬ。そう思えて――。
「……畏まりました。ただし、決して無理はなさいませんよう。此度負けても、生きていれば雪辱を果たす機会が訪れます。御身を最優先に……約束して戴けますかな?」
「分かりました。約束します。若峰をお願いしますね、武徳」
「御意」
深く腰を折る武徳に頷き返す真美。
庭先の梅の木で、鶯の鳴く声がした。
●
歪虚との戦いを終えた武徳は浮かない顔をしていた。
勝利には違いないが、心の中に不安の種が芽を出していた。
「どうしたい、水野の旦那」
顔を上げれば、編笠に道中合羽を着た旅人風の男。
この男に、武徳は見覚えがあった。
「お前か。この忙しい時に、何処へ行っておった」
「ちょいと、ぷらっとね。心の向くまま、気の向くまま。風は何処でも自由に往くもんだ。それより、やけに不安そうじゃねえか。心配してくれって言ってるようなもんだぜ?」
「真美様は、護衛のハンターを連れて長江へと向かわれた。この詩天の窮地を救うため、初代詩天との因縁を終わらせる為、真美様は向かわれたのだ。本来ならば、わしも行かねばならん。だが、真美様は申されたのだ。『若峰を頼む』と。主君から後を託されたわしが長江へ行けるはずなかろう」
九代目詩天という重責に加え、詩天の――東方の窮地をその幼い身で救おうとしている。
主の身を案じるも、家臣である武徳は真美と共に行く事ができない。
真美の帰る場所を守らねばならぬのだ。
義と心に葛藤する武徳。
その前で男は飄々とした態度崩さない。
「難儀だねぇ、お武家様は。あの即疾隊の連中は送れないのかい?」
「即疾隊は若峰の守護が勤めよ。そもそも、若峰に紛れた歪虚退治に注力しておる。わしらは真美様を助けたくとも行けぬのだ。自由を糧に生きる渡世人のお前には分かるまい」
「ああ、俺には分からないね。分かるのは、もっと単純な事だ」
男は踵を返すと、歩き出す。
「……行く気か。幕府の援軍が行くよりはずっとマシだが、まさかお前に頼ることになるとはな。情報によれば大輪寺に仙秋を強化する呪詛があるそうだ。真美様を助けるならば、その呪詛を壊すが良かろう。それより……お主を動かすその根底にあるのは、古き友との約束か?」
武徳の呟きに、男は足を止めた。
しばしの沈黙。
いつの間にか、風は南へ流れ始めていた。
「旦那、そいつを聞くのは野暮ってもんだ。言ったろ? 俺に分かるのは、もっと単純な事だ。単純で……大事な事だ」
再び歩き出す男。風は背中を押すように、強く吹いた。
「長江か。こいつぁ久しぶりに、嵐になるな」
●
長江にある憤怒本陣。
そこにけたたましい嗤い声が響いていた。
「ははははは! 力が漲る……! この依代はなかなか具合がいいぞ」
愉しげに笑う三条 仙秋。
複雑な文様が描かれた陣の中央にいるのは巨大な漆黒の狼。4本の尻尾を持つそれが放つ膨大な負の力に、彼は笑いが止まらなかった。
成功した『死転の儀』。
歴代の詩天達と、ハンター達から集めたマテリアルは上質そのもので……こんなおぞましい化け物がいとも簡単に生み出せた。
この依代の力があれば、ハンター達を蹂躙できる。真美を得るのも簡単だろう。
が、今まで、幾度となく真美とハンター達に煮え湯を飲まされてきた。
今回も万が一ということがあるかもしれない。
仙秋は依代をより強固なものにする為、別な場所に陣を用意した。
基本人を見下している彼がここまで用心深くなるのも、ハンター達の力量を認めたからなのかもしれない。
今までのものとは比にならぬほどの強力な依代。そして強化陣。
新たな憤怒王となった今、憤怒の残党達も思いのままだ。負ける要素が微塵もない。
今度こそ、今度こそ。『詩天』を文字通り『死を齎す国』に変えてくれる……!
「見ていろ青木。お前への報酬は弾んでやるからな」
狂ったように笑う仙秋。
力を得た新たな王の前で、憤怒の歪虚達は頭を垂れ跪いた。