「タングラム様!?」
冒険都市リゼリオにある、帝国ユニオンAPV。
その扉が開くと同時に駆け寄ったフクカン(kz0035)であったが、人違いと知り肩を落とした。
「シャイネさんでしたか……すみません、においが似てたもので」
「浮かない様子だね。何かあったのかい?」
シャイネ・エルフハイム(kz0010)は外套のフードを持ち上げ、小首を傾げて問う。
APVに乱雑に並べられたテーブルの一つに腰を落ち着けると、フクカンは溜息交じりに語った。
「実は、もう何日もタングラム様がお戻りになられないんです。いつもはお腹が空いたら帰ってくるのに」
「さして珍しくもない事……と、一笑に付せない理由があるんだね?」
「はい。実は、少し前までタングラム様はリゼリオに浄化の器さんを匿っていたようなんです」
顎に手をやり、シャイネは目を細める。
浄化の器(kz0120)とは、森都エルフハイムの秘宝。森都に代々伝わる悪しき因習の権化である。
自我を持たぬようにと、森の闇の中で育てられた術者は驚異的な力を持ち、その代償として短命であるという。
「でも、器さんは森都に戻ったと。それから少し様子がおかしかったんです。蒼乱作戦が始まるというので、しばらくはユニオンであれこれ働いていたのですが、急に姿を消してしまって……しかも、お部屋がきれいに片付いていたんです」
くわっと瞳を見開き、深刻な表情で目を伏せるシャイネ。
「なんという……一大事だね」
「はい……考えられない事です。シャイネさんは何もご存知ないですよね?」
「そうだね。実は僕もタングラムを訪ねて来たんだ。ごめんよ、力になれなくて」
シャイネがここに足を運んだのは、帝国によくない噂が広まっているからだ。
「実は、帝国軍がエルフハイムに兵力を送り込み、武力行使による制圧を目論んでいるとの噂があってね」
「え!? そんな、ありえないですよ! 先代皇帝ヒルデブラントが不可侵条約を結んだ筈です!」
「そうだね。だけど、同時に素性の知れないエルフが帝国の村々を襲撃しているという噂もある」
「ええええ?!? それこそありえないです! そんなことする必要、森都にはないでしょう!?」
そう。共に“ありえない”ことだ。だが、実際に噂は広まっている。
火のない所に煙は立たないが、誰かがその火をつけようとしている。そんな気がしてならなかった。
長老会の密偵としての役割も持つシャイネが調査に乗り出すのは当然のことであり、その際同じ密偵でもあったタングラム(kz0016)
を頼るのも必然。だがそのタングラムが姿を消したとなると、いよいよきな臭い。
「あの人……歪虚の介入という感じもしないのが不気味でね」
「うう……タングラム様。いなくても仕事に滞りはないのですが、寂しいです……」
「僕も何か掴んだら、真っ先に君に知らせるよ。だから、元気を出して」
落ち込むフクカンの肩を叩き、シャイネはゆっくりと席を立った。
「どうなっている……これでもう把握しているだけで七件目だ!」
苛立ちを隠そうともせず、カミラ・ゲーベル(kz0053)は声を荒らげる。
それも無理はなかった。もう何日も不眠不休の勢いで、各地の事件調査に駆り出されている。
帝国軍第三師団シュラーフドルンは、エルフハイムにほど近いマーフェルスと呼ばれる都市に拠点を置く。
彼女らの役割はずばり、森都の監視。決して友好的とは言えない隣人がもめ事を起こせば、責任は師団長のカミラへ及ぶ。
「子供ばかりを狙った誘拐事件、それもかなり強引な……。目撃者は皆殺し。数少ない生存者は口をそろえてエルフの仕業と言う。隠密暗殺は君たちの得意分野だったな?」
「それは誤解だと言った筈だ。森都に積極的に帝国と事を構えるメリットなどない」
ユレイテル・エルフハイム(kz0085)はきっぱり断言する。
確かに彼は彼は維新派と呼ばれる森都でも若手の一派だ。森の深淵に明るいわけではない。
だが、それでも維新派初の長老として確固たる地位を築きあげた実力者だ。
森都が抱える腐敗は自分を疎むだろう。だがそれとは無関係に、この事件がエルフの仕業とは思えなかった。
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フクカン
シャイネ・エルフハイム
浄化の器
タングラム
カミラ・ゲーベル
ユレイテル・エルフハイム
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「今はマーフェルスに事務所を置く私だが、森都には友人も協力者もいる。彼らの話では、まったく聞こえが逆だ」
「なんだと?」
「帝国軍が森都に攻め込む準備をしていると。それに、森の周りで小競り合いも起きているというではないか」
「馬鹿な! この第三師団の目をかわしてそんなことができる者など……ロルフくらいだが、奴はそんなことをする男ではない」
第三師団の監視は森都だけではなく、森都に余計な手出しをする者へも向けられている。
森都から帝国を守ることと、森都を守ることは、カミラにとってイコールである。
「念のための確認だが、カミラ殿ではないのだな?」
「与太話もいい加減にしてくれ」
「そうだな。では一体誰が何のために……」
エルフハイムは確かに帝国最大のエルフ族の集落だ。だが、その領土は帝国とは比べるべくもない。
総人口などまるで比較にならない程度の少数だし、技術面でも劣っている。
帝国は国全体が戦争に特化した武力国家だ。踏んでいる戦の場数が違い過ぎる。
はっきり言って、帝国と一戦やらかしたところで、森都に勝ち目など万に一つもないのだ。
だからこそお互いに牽制しつつ利益を引き出す関係を続ける必要があったし、ユレイテルの力でそれもうまくいっていたというのに。
「私は森都の長老会に確認を取る。事務所は少し留守にするが、カミラ殿に報告しよう」
「こちらは帝都に確認しよう。これ以上第三師団の面子を潰されてたまるか!」
エルフハイム最大の問題は、人的リソースにある。
浄化の器が持つ力は爆発的だ。単騎でも多数の帝国兵を相手にできるだけの戦闘力がある。
だが、その運用は自滅覚悟。命を使い捨ての爆弾にしなければ戦えないのに、エルフハイムには人口が足りない。
別に長期間の戦いは想定していない。だが、よりたくさんの敵を殺すには、たくさんの弾薬(いのち)が必要だ。
さらわれた子供たちは一か所に集め、眠らせておく。
しかるべき時が来たら選別し、“適性の有無を仕分ける”ために。
「足りないなら、奪えばいい」
同朋の命が消えるのは悲しいことだ。
だが――敵の命なら、いくら消えても誰も悲しまない。
机の上に並べた駒を動かし、男は笑う。
念願の悲劇が、ようやく幕を開けようとしていた。
(執筆:
神宮寺飛鳥)
(文責:フロンティアワークス)
「――我ら森都を導いた、偉大な長老達は森に命を還した! 卑劣なる蛮族共の刺客により、無残にも蹂躙されたのだ!」
エルフハイムの奥地、長老会の抱えるオプストハイム。そこに一人の青年の演説が響いていた。
「秩序そのものであった長老会を亡き者とし、森都を支配せんとする野蛮な人間共に屈してはならない!」
その事実に涙を流す者、困惑する者、絶望する者……。誰もが心を痛め、そして嘆いていた。
森都にとって長老会は全てだ。彼らの作った掟を信じ、それを守って生きて来た。その教えを失うことは、未来の喪失と遜色なかった。
「残された長老は私とユレイテル、そしてジエルデのみ。だが、この二人は我らを裏切り、森を棄てた! 今や帝国と手を組み、我らを滅ぼさんとする悪魔である! 先の長老会襲撃も、彼奴らの毒牙によるものである!!」
「そんな……ユレイテル様……」
「ジエルデ様はご乱心なされたのか……!」
「私は最後の長老として、最期まで森と運命を共にすると誓おう。そして今、私はその責務を果たす為、“大長老”の座を継ぐことをここに宣言する!」
希望を失った人々に、それはとても甘く優しく響いた。
新たな長老が自分たちを導いてくれる。それは何よりの安心であり、そして暖かな光に見えた。
「おお……ヨハネ様……」
「我らをお導きください、大長老!」
民衆の声援を受け、青年――ヨハネ・エルフハイムは手を挙げそれに応じる。
「私は最期まで決して諦めたりはしない! 我らは大いなる森の神の庇護にある! 私はここに、森の救世主として古き“代弁者”の名を復活させる!」
姿を現したのは、白いドレスとヴェールを纏った浄化の器(kz0120)の姿であった。
恭しく付き従う巫女らの鳴らす鈴の音に合わせ壇上に上がった少女の手を取り、ヨハネは声を張り上げる。
「神の加護は我らにあり! 人間の矢はひとりでに逸れ、剣さえも折れ曲がるであろう! 神の恩恵ある限り、我らに敗北の二文字なし!」
両手を合わせ、自らを拝むエルフの姿を見下ろしながら少女はヴェールの下で唇を噛む。
これが、こんなモノたちが、これまでの愚かな歴史を紡いできた。この無知さ、無思慮さこそが、運命を狂わせた正体。
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浄化の器
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(こいつらが……何もかも人任せにして、何も考えようとしないこいつらが……“私達”を殺し続けた。何度も……何度も何度も……何度も何度も何度も……)
「落ち着き給えよ、“姫”。君はもう神の代弁者なのだ」
そっと耳打ちするような言葉に少女は目を瞑る。
「これがあなたの見たかった景色なの? こんなものが……」
「いいや。こんなゴミどもどうでもいい。どうせみんな死ぬのだからね。実に虫唾が走る」
「それにしては嬉しそうね。あなた――笑ってるわ」
男の歪んだ笑みは誰の目にも入らない。闇さえも光に変えてしまう、今の森都では。
「――戦の準備を始めよ! これより我らは反撃……いや、進撃を開始する! 敵を殺せ! 蹂躙せよ! 死など恐るるに値せず! 魂は常に神と共に!!」
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「大規模浄化法……やはりそれが狙いか」
帝都バルトアンデルスにて溜息を零し、ヴィルヘルミナ・ウランゲル(kz0021)は机の上に視線を向ける。
翻訳された“代弁者の書”。それはエルフハイムに伝わる秘密の書。生前のオルクス・エルフハイムが記したという神秘の証である。
エルフにしか解き明かせぬそれの翻訳には時間がかかったが、お蔭で確信へと至った。
「シグルドの報告もあった。連中が巫女を集めているのは間違いないだろう。それに、ここ最近の子供の誘拐事件……」
「まさかエルフだけではなく、人間も無差別に生贄にするつもりとはな……恐れ入ったよ」
オズワルド(kz0027)の言葉にふっと笑みを浮かべる。だが、口調の端には強い怒りが籠っていた。
かつてエルフハイムで作られ、しかし封印された大規模浄化法。
それは正のマテリアルで指定した範囲を薙ぎ払うもの。浄化術とは名ばかりの、戦略級の攻撃魔法だ。
正の力であろうがなんであろうが、度を過ぎれば命を蝕む。即ち浄化法とは、命だけを効率よく滅ぼす魔法であると言えた。
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ヴィルヘルミナ ・ウランゲル
オズワルド
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「だが、連中も術を作ったはいいが制御ができなかった」
代弁者の書によれば、その術の制御は非常に困難だという。
それに一度使えば、術の発動に携わった巫女は一斉に死亡する。
あまりにも愚かな力は、かつて帝国の侵攻を受け滅びに瀕した森都が作ってしまったもの。故に、その成り立ちに帝国も無関係とは言えない。
「使えば共倒れになる。だからこそ抑止力として働いていた。それがわからねぇ長老共じゃなかろうに」
「すでに長老会は亡いのだ。今の森都は、ヨハネ・エルフハイム一人に支配されている。そしてヨハネは、最初から“勝つ気がない”のさ」
彼は、帝国も森都も共に滅ぼすために動いている。
最初からこれは目的のある戦争ではないのだ。とっくに手段と目的が入違ってしまっている。
「浄化法はどちらも効率よく滅ぼす最善の方法ってわけか……胸糞悪い話だぜ」
「……止むを得まいな。一刻も早くヨハネ・エルフハイムを拿捕する必要がある。彼一人抑えれば、戦争は止まる」
「止まる……かねェ? 歪虚が介入してるって話もある。それに、エルフの連中は死に物狂いだぜ。長老会の死でタガが外れちまったんだ。狂奔に身を任せた連中を殺さずに止めるのは困難だ」
わかっていたことだ。もう、誰の血も流さぬ解決などあり得ない。
エルフは次々に帝国の村や町を襲撃している。大義は我にありと言わんばかりに、白昼堂々進軍してくるのだ。
「……各地の騒動に対応しつつ、エルフハイムの包囲網を急がせよ。時がくれば一斉に森都に突入し、ヨハネを捕らえる」
結局、どれだけ息巻いたところでエルフハイムの兵力は帝国軍に遠く及ばない。
帝国にはハンターの援軍もあるのだ。エルフハイムに勝ち目などない。このささやかな革命は、きっとすぐに鎮圧されるだろう。
森都への突入もそう遠くはない。だが、それは帝国と森都の全面戦争を意味している。
(その前にと……期待するのは私のエゴかもしれんな)
深く椅子に背を預け、ヴィルヘルミナは天井を見上げる。
彼らならば――ハンターならば、あるいは……。そう考えずにはいられない自分の弱さを呪い、瞼を閉じた。
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「――ジエルデ殿」
背後からの声に振り返ったジエルデが見たのは、自分を追いかけて来たユレイテル・エルフハイム(kz0085)の姿だった。
「森都からの正式な宣戦布告が行われました。今、森都へ戻るのは危険すぎます」
「知っています。私達も、いつの間にか裏切り者扱い……いえ、私の軽率な行動があなたを巻き込んでしまった。ごめんなさい、ユレイテル」
「責任の所在など栓無き事。ジエルデ殿がやらねば、きっと私がそうしていたでしょう」
俯き、自らの掌をじっと見つめる。
ユレイテルは森を変える為、その未来を良きものにするために森の外との交流を目指した。
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ユレイテル・エルフハイム
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浄化術の輸出。クリムゾンウェスト連合軍への参加。機導術を学び、錬金術師組合にその技術を還元した事……。
全ては未来を祈っての行動だった。だが結果として、ユレイテルやジエルデの行いは、ヨハネの掌の上だった。
「警戒はしていたのだ。私のような者を……維新派の若者を長老に推薦するなどと。だが、その好機を捨て置けなかった」
「あなたは間違っていないわ、ユレイテル。あなたのおかげで私も救われました。あなたはたくさんのヒトと、森を繋いでくれた……」
静かに歩み寄り、ジエルデはユレイテルの手を両手で包むように握り締める。
「ユレイテル……あなたがいてくれて、良かった」
「……ジエルデ殿」
「身勝手なお願いを聞いてくれますか? “咎人”の私にできる事は、託すことだけ。あなたはこれからの森都になくてはならない人。だから……」
祈るように目を瞑り、静かに微笑む。その姿にユレイテルは率直な感想を抱いた。
「変わりましたね。いえ……それが本当のあなただったのか」
「私は私にできる事を最期まで貫きます。あなたや、あなたのような次の世代のエルフ達が、光を見出せるように」
手を放し、そして女は告げる。
「さようなら」
去っていく背中を呼び止める事はできなかった。
今の自分が成すべきはそうではないとわかっていた。自分の戦場は他にあるのだと。
「……ご武運を」
一言残し、踵を返す。人々の誤解を解き、森の外に出たエルフらを纏められるのはユレイテルしかいない。
光と闇、それぞれが別の道を歩むと覚悟を決めたのならば、それに異を唱えるは無粋であった。
それぞれの思惑、願いを乗せて、帝国と森都を巡る戦争が始まる。
初めからたった一人の勝者もいない、死を拡散するだけの戦争が――。
(執筆:
神宮寺飛鳥)
(文責:フロンティアワークス)
「状況を報告します! 現在、エルフハイム全域に出現した歪虚と森都警備隊、突入したハンター部隊、帝国軍第十師団の混成部隊が交戦中! 民間人の避難誘導を行っています!」
エルフハイムを前にした平原に緊急の指揮所を作り、ヴィルヘルミナ・ウランゲル(kz0021)は部下の報告を受けていた。
浄化法の射程距離と目標を考えれば帝都に閉じこもっていたところで安全は確保できない。故にここまで部隊を率いてやってきたが……。
「ここに来て歪虚の出現だと……? 何がどうなっている……」
「敵はいずれも暴食! 多数の亡霊型に、吸血鬼の能力で生成されたと思われる結晶体! それに、森の内部が凍結する得体の知れない現象が……」
「アレはおそらく結界の類ですね」
いつの間にか音もなく姿を見せていたタングラム(kz0016)がヴィルヘルミナの側に立ち、仮面を外す。
その視線の先には徐々に白く染まっていく森都があった。
「周囲の空間を取り込み、置き換える程の大結界……そんな術を使える暴食は、オルクスをおいて他にいないでしょう」
「だがあれでは……自分自身を封じているようなものだぞ?」
そう。あの白い結界は確かに強力だ。だが、あまりにも強力すぎる。
まるで森全体を――自分自身を封印するように展開された結界のせいで、聖域に出現した歪虚そのものが自由に動けなくなっている。
あれでは森の外に出られない。ヒトを襲うどころか、その邪魔をしているようではないか。
「……きっと、自分を封印してるつもりなんだよ」
指揮所に入ってきたのはハンターと、そのハンターに支えられた浄化の器(kz0120)だ。
「聖域の精霊にかけ続けられたエルフハイムの呪い……それを取り込んだんだ。ジエルデが……」
「姉さんが……」
器の言葉にタングラムの表情が険しくなる。
「全部……話すよ。あそこで何が起きたのか……。これから私達が、何をしなきゃいけないのか……」
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――何もかもが凍てついていく。しかしその氷は決して冷たくはなかった。
結界魔法による凍結は、運動停止による低温下とは異なる。空間を、概念を、時間を凍結させる術である。
だからこそ凍てついた何もかもは鼓動を止め、しかし確かに命を宿していた。
今や水滴の一粒さえもが停止した聖地の泉の真ん中で、ジエルデ・エルフハイムは世界を俯瞰する。
巨大になった身体の外側に流れる時間、世界……繰り返される昼と夜。そうしたものがすべてゆっくりに感じられていた。
『あーあ。これじゃあもうこの歪虚が何なのかすらよくわからないわねぇ』
呆れたような女の声が聞こえる。
彼女の言うとおりだ。何百年も続いた人々の祈り――呪いだけを切り離し、歪虚と成したのだ。
元々そこにあったジエルデの意志などどこかに消えてしまって当たり前なのだ。
『元々、不変の剣妃ってそういうものなのよ。私も初代オルクスのことはよくわかんないし? “人格を上書きする”吸血鬼なのよ』
すぐ近くから聞こえる声。心を凝らせば、青白い肌の女が感じられる。
『私も何代目なのかわかってないし。つまり“オルクス”って歪虚は最初から一貫性のない呪いみたいなものだったのよ』
だから、彼女の中には矛盾する想いがあったのだろうか?
オルクスはわかっていたはずだ。自分と契約し、聖域を目指すなら、こういった結果になることは。
『もちろん。ていうかそれが狙いだし? より強い力を得て、世界を滅ぼす……それが歪虚の本質よ』
それで、仮に自分という存在が消えてしまっても?
『当然ね。私はとうに自分への執着は消えてる。もともと後は消えるだけの燃えカスみたいなものだしぃ?』
膝を抱えながら笑い、女は黒いフードを暴き、長い耳と髪を晒す。
『あんたは? 怖くなかったの?』
それこそくだらない問答だ。わかりきった答えだ。
ジエルデ・エルフハイムはとうに死んでいた。もうとっくに終わっていたものだ。
ヒトとしての生など随分前に完結している。ただ、最近になってその続きを夢見ていただけ。
当たり前に生きて、当たり前に死ぬ……。そんな、当たり前を夢見てしまっただけ。
『――ずっとずーっと昔にね。あんたと同じような選択をしたバカ女がいたのよ。そいつは死んだ後も、消えてなくなった後も、ずっとずっと後悔してた。自分のした事に意味なんかなかったって。何も変えられなかったって。世界はこのまま、不変なるものなんだって』
……そうだろうか? 今は素直にそう思える。
ただ、時間がかかっただけだ。確かに普通よりは長くかかった。うまいやり方ではなかっただろう。
でも、それだけだ。何も諦める必要なんかないし、絶望する程のことじゃない。
とてもとても長い時の中で、世界はゆるやかに変わっていく。それは時折遅すぎてやきもきする時もある。
だからなんだっていうのだ? たった一時の苦しみ、たった一瞬の哀しみ。それらはきっと、いつか必ず報われる時がくる。
どれだけ降り積もり、何もかもを覆ってしまったとしても、必ず春はやってくるのだ。
『あっそ。ま、今更後悔したって遅いけどね?』
女はそう言って立ち上がる。その幻も少しずつ解け、消え去っていく。
『私はここまでみたいだわぁ。後はあんたの仕事……最後までやり遂げなさいよぉ? じゃあね。“不変の剣妃”さん――』
困ったように笑う顔が消えていく。残されたのは果てしない静寂だけ。
心細くはない。不安もない。胸にあるのは強く輝く希望だけ。
――きっと、彼らが来てくれる。
この森を包む呪いを砕き、何もかもを綺麗さっぱり終わらせてくれるから。
昼すら夜に塗り替えて、神なる森に雪が降る。
降り積もる氷の粒は、きっとこの森で流れた涙の数と変わらない。
哀しみが、想い出が降り積もっていく。
凍った世界の真ん中で、怪物は強く強く、己の死だけを願っていた。
(執筆:
神宮寺飛鳥)
(文責:フロンティアワークス)