ゲスト
(ka0000)
【陶曲】これまでの経緯




まったく……あの方ときたら人間共にたかられても、未だ目覚めを拒否されるとは。
どんな脚本をご用意すれば、お気に召すのか。
……久し振りに、腕がなりますね。
殺人脚本家:カッツォ・ヴォイ(kz0224)
更新情報(4月11日更新)
過去の【陶曲】ストーリーノベルを掲載しました。
【陶曲】ストーリーノベル
各タイトルをクリックすると、下にノベルが展開されます。
●暗底の渓谷
天頂に差した太陽すらも渓谷の底を照らす事はない。
それほどに深く底の知れぬ大地の傷跡の周辺は、まるで谷の闇が辺りの生を吸い尽くしたかのように無機質な世界が広がっていた。
命と思しきものなど何一つ目にする事の出来ない、殺伐とした世界。
しかし、現在。
そこには大地の裂け目へと近付く男の姿があった。
カッツオ・ヴォイ――かつて殺人脚本家と呼ばれた人物だ。
規則正しい歩調と、首元にフリルを飾った黒のスーツ姿は、まるでこれから舞台に上がろうとする役者のように美麗。
しかし黒のシルクハットを目深に被った顔は不気味な仮面に覆われており、彼が目指すのは舞台などではなく眼前に広がる渓谷の『底』。
もしも見る者があれば声を上げる間もなかったであろう程に、彼は一瞬の躊躇いもなく谷へと身を投げた。
仮面の下の表情は伺い知れない。
声を上げる事もない。
無音と闇が支配する渓谷の奥底に、僅かに砂塵を舞い上げただけで着地してみせると、光すら届かぬ完全なる無視界を迷うことなく歩き始める。
そうしてしばらくの後に辿り着いた闇の虚空の、ただ一点を見つめて語りかける。
「ごきげんよう」
無音の世界に響く美しい声。
返す言葉はなく、それを彼自身も知りながら、尚。
「そろそろお目覚めになられてはいかがですかな? このままでは貴方一人が忘れられてしまいますよ」
静寂。
無。
それでも彼は。
「おそらく貴方も楽しめると思うのですが、ね」
尚も呟きかけるが、闇は一切の反応を示さない。
あえて滲ませた微かな感情にすら返されない手応えに、声の主は何年かぶりに付くため息とともに踵を返した。
声の主が去り、再び谷の奥底に静寂と無が訪れる。
――……ドクン……――。
地の奥底で何かが蠢き始めた。
●蒸気工業都市フマーレ
「こっちだ! もっと人を回せ! 何としても食い止めるぞ!! これ以上、焼かれてたまるか!!」
「馬鹿やろう! ここはもう駄目だ!! 撤退するんだよ!」
「馬鹿はお前だ! アレを見ろ!」
防火服に身を包んだ男が指差した先には、複数の巨大な球体を有する建造物群。
「アレに引火でもしてみろ、この区画が一瞬で焦土と化すぞ!!」 それは都市部へとエネルギーを供給する施設群であった。
「くそっ! 人だ! 人を回せ!! 消火用具――いや、ハンターだ! オフィスに行って居るだけかき集めてこい!!」
「なんとしてでもここで食い止めるぞ!! 今この場所が、この町の最終防火線だと思え!!」
各所で不規則に上がる爆発と炎を前に、消防士たちの決死の消火活動は続けられている。
――……ドクン……――。
原因も分からないまま、しかし生きるために必死に動く人々の姿に、決して聞こえる事のない『何か』が反応している。
地の底、奥深くから震えるものを人間は感じることなど出来ないが、人間でない者達には、果たして。
――……ドクン……ドクン……――。
聞こえない、感じない。
だが、彼女は。
『は?い☆ みんな?! 今日は、ナナのコンサートに来てくれてあ・り・が・とっ☆ 今日もどんどんステージを盛り上げて?、みんなのこと、殺しちゃうぞっ☆』
眼下で起こる人間たちの足掻きなど露とも知らず、次々と起こる誘爆の炎と音をバックに、歪虚ナナ・ナイン(kz0081)はマイクを握りなおす。
『なんだかよく判らないんだけどぉ。今日はインスピレーションをビンビン刺激されちゃってるからテンションマックスで盛り上げちゃうよっ!』
空いた指をパチンとかき鳴らすと、また別の工場から巨大な爆発とともに閃光と噴煙が巻き起こる。
『なんだかとっても興奮するんだよね☆ ナナ、快感☆』
声援は爆炎。歓声は誘爆。舞台演出は閃光。
ただ自らのステージを煌びやかに飾る為だけに、ナナは破壊の限りを尽くしてゆく。――自らも自覚することのない衝動によって。
●港湾都市ポルトワール
突如、深夜の町に鳴り響く警告音。
「この騒ぎは一体なんだ! 何が起きた!?」
急ぎ軍服に着替えた将校が鐘楼へと登り、見張り役に回答を求めた。
「う、海です! 海から続々と上がってきます!!」
「海だと!?」
声を震わせる部下から半ば奪い取るように受け取った望遠鏡を覗き込んだ将校は、思わず息をのんだ。
「なんだ……これは」
望遠鏡の先に写された光景に、将校は言葉を失った。
海と陸の境界から、今も次々と色白い人型が姿を現す。数えきれないほどに膨らんだ真白い人型は、悲鳴を上げ逃げ惑う住民達に襲い掛かっている。
同盟軍最大の軍港と商業を司る都市は、今まさに無数の歪虚の集団に蹂躙されようとしていた。
「いったいどこから現れた……いや、一つしかない」
「ひ、一つしかないとは……?」
恐る恐る伺う部下を見もせず、将校は呟く。
「『徒歩』で海を渡ってきたのだ」
ギリリと奥歯がきしむ音を響かせ、将校は頭の隅に残った眠気を吹き飛ばすと、すぐさま指示を飛ばした。
指揮官の到着で統制を取り戻した同盟軍は、海から無数に押し寄せる人型歪虚の軍団と対峙し、これを押し返し始める。
同盟軍は街へ進軍した敵兵を駆逐し、その勢いを駆り残兵を掃討する為、突堤まで進軍した、その時。
「て、提督! 14番艦が!!」
「なにっ!?」
部下の報告に望遠鏡を再び海へ向けた将校は絶句する。
「せ、船底に穴を開けたのか!」
歪虚の行動をすぐさま悟った将校は、急ぎ次なる指示を発した。
「全艦へ伝令! 即刻出港準備を整え、抜錨しろと伝えろ! 港を出て水深を確保するんだ!! 急げ!!」
『ククク……虎の子の艦隊が尻尾を巻いて逃げていきますねぇ』
そんな混乱を陸側の高台から眺めるのは、闇夜にも鮮やかに浮かび上がる色彩を纏う人影。
右上の手に持つパラソルをくるりと回し、右下の手に持つステッキで地を鳴らす。
左上の手に持つ仮面を白い顔に添え、何も持たぬ左下の手で、指を鳴らした。
『それでは本番と行きますかねぇ』
装飾過多の洋傘を畳み、まっすぐ街を指すクラーレ・クラーラ。
港から現れた人型とは対照的な、真っ黒の人型歪虚が大挙して街へと押し掛けた。
『さぁて、人類最強を謳う海軍はどう出ますかねぇ? 海軍が海に出たのです、さぞかし活躍してくれるのでしょう? そうですね、この混乱の極みにある都市へ砲弾の雨でも降らせる、なんて案はどうでしょう? ……フフフ』
海へと強制的に追いやられた海軍に、街を防衛する力は乏しい。
クラーレは自らの策に陶酔するように天を仰ぐ。
『……しかし、何でしょうかねぇ、この殻の胸の内に去来する――感情――と呼べるものは』
静かにそう囁きながら――。
●冒険都市リゼリオ
その日、リゼリオのハンターオフィスも早朝から上へ下への大騒ぎ。
消防士や海軍という組織からの依頼もあれば住民からの依頼もあり、そのどれもが工業都市フマーレと港湾都市ポルトワールからの大至急での応援派遣を要求するものなのだ。
「す、すみませ……っ、私のお願いも聞いて……っう」
「ちょ、大丈夫ですか!?」
衣服のあちこちが黒く煤けている女性が、体を引き摺るようにして受付まで来たものの、辿り着いたことで気が抜けたのかそのまま崩れ落ちてしまった。
対応しようとしていた受付嬢が慌てて介抱すると、手に一枚の紙片を握りしめている事に気付く。
端が黒く焼け焦げているものの、工業都市フマーレで荷物を受け取った証明書の切れ端のようだった。
「……何か大事な荷物を紛失したのかしら」
此処まで来るくらいだ、なくしたことで人生を左右してしまうほど大切なものなのかもしれない。
「……一体、二つの都市で何が起こってるの」
いまだ平穏を保つリゼリオにいてなお感じずにはいられない異常事態。
更なる災厄の前兆でないことを願うばかりだが――……。
其処は魔術師協会が管理する重要施設内に位置する書庫である。――魔術師協会の管理下にあると言うだけで施設の重要度については年端のいかぬ子供でも理解しそうなものだが、この数日間に限っては些か事情が異なっていた。
と言うのも、一人の青年が此処に篭ったまま全く出てくる気配がないからだ。
協会に所属する魔術師、名をユージィン・モア。
27歳という若さながら術師としての腕前は一流。研究分野においても優秀な人物である事は確かなのだが、その人間力はというと……。
「おーい。ユージィン、生きてるかー?」
トントンと開けた扉をノックしながら声を掛けるのは同僚であり腐れ縁のディック・リドン。苦虫を噛みつぶしたようなその表情からは、出来れば関わり合いになりたくないという心情が見て取れる。
それでも此処を訪ねたのは上司に「死んでいたら困る」と様子を見に行くよう命令されたからだ。
「ユージィン?」
返事がないので更に声を掛けてみるが、それでも反応は皆無。
「おーい、死んでンなら死んでるって言えよ。本に埋もれた死体見つけるとかマジ無理だから」
ドンドンとノックする音も乱暴になっていくディックに、しばらくして数冊の書籍が落下する音が返った。
そして、寝起きの声。
「……死んでいる相手に死んでいると言えとは矛盾した要求だな……」
どこかぼーっとした物言いに、ディックのこめかみが痙攣する。
これ以上は関わってはならないという本能の警鐘に素直に従う事にした研究員。
「エエソウデスネ。ゴ存命ノヨウデスンデ失礼シマス」
ささっと方向転換をし、それきり遠ざかっていく同僚に問題のユージィンはしばらく微動だにしなかった。
3分程が過ぎてから「……あいつは何をしに来たんだ?」と小首を傾げ、5分が経過した頃になってようやく、開けっ放しにされたままの書庫の扉を閉めるために動いた。
一歩進める度に体がふらつくのは、この書庫に篭ってからというもの椅子に座ったままほとんど動いていなかったせいか。
「……寝てた、のか……一体どれくらいの時間を無駄にしたのか……」
いつ意識を失ったのかすら定かではないユージィンの胸の内には、次第に焦りが募り始める。
「早く見つけなければ……」
呟きながら席に戻り、途中が開いたままの分厚い書を読み始める。広い机の上には数えきれない本が積み重ねられており、先ほど落とした書籍も含め、全てが歪虚に関するものだ。
彼は、ひと月ほど前に同盟領内――蒸気工業都市フマーレ及び港湾都市ポルトワールで起きた騒動を知ってからずっと、この書庫で調べ物をし続けていた。
というのもフマーレやポルトワールの騒動に数多の嫉妬の歪虚達が関わっていると聞いたから。
それが何かの「兆し」だと、彼は過去にどこかで読んだ覚えがあったからだ。
「早く見つけなければ……」
繰り返す呟きに滲む焦燥感。
「……嫌な予感がする……」
ぽつりと、たった一人の空間に響く呟き。
それが現実となるような「次」は、いままさに動き出そうとしていた――……。
●「ソレ」
蒸気工業都市フマーレにほど近い山の中。
坑道の掘削作業を進めていた労働者達は奇妙なものを掘り当てて作業の中断を余儀なくされていた。
「で、こりゃ一体何なんです? こちとらさっさと作業を再開したいんですがねぇ」
「こ、これはもしかして……いや、しかし……」
狭く暗い坑道に突然姿を現した物体を、くたびれた白衣姿の男は真剣な表情でのぞき込む。
「どうせ化石かなんかでしょ。さっさと爆破でもして――」
「ま、待て!」
「はぁ、待てって言われましてもねぇ。これのせいでもう3日ですぜ? こっちも生活が懸かってるもんですよ」
「ま、待てと言っている! これは魔術師協会の研究対象となりえる可能性を秘めたものかもしれないんだ。もう少しゆっくりと調査を――」
鉱物を掘り出してこそ飯のタネにありつける炭鉱夫にとって、3日の停滞は即生活の困窮に直結する。
いくら魔術師協会の依頼だとは言え、自分たちの生活を放り出してまで協力する義理を、炭鉱夫たちは持ち合わせていなかった。
「はっはっは、冗談を。これのおかげで俺たちゃ仕事が滞ってるんでさぁ。さぁ、どいてくれ」
リーダー格のドワーフが仲間たちの苛立ちに背を押されるように、白衣の魔術師の肩をつかむ。
「な、何をっ――うおっ!?」
肩を引っ掴まれ後ろに引き倒された白衣の男は情けなくも尻もちをつく。
「おい、魔術師様はお疲れみたいだ。ていちょーに出口まで連れてってやんな」
「ま、待て! これはとても貴重な――うぁ! ま、待ってくれ! 金だな! 金なら払う! だから、調査に協力してくれ!!」
「ほう。――おい、お前ら聞いたか!」
「「「おぉ!!」」」
金の話が出たとたん態度を180度ひっくり返した炭鉱夫たちは、引き摺りかけた魔術師の男を乱暴に解き放った。
「……まったく、これだから炭鉱夫なんていう人種は……」
「あ? 何か言いましたかい、雇い主様ぁ?」
「な、なんでもない! いいか、くれぐれも慎重に頼むぞ! もし壊したり傷つけたりしたら、報酬は払わないからな!」
ぐっと顔を近づけてくるリーダー格の臭いに顔を顰めつつ一歩身を引いた魔術師は小さく呟いた。
「……いや、まさかな」
●嫉妬の眷属達
ドクン――……
ドクン――……
この身に心があるかと言われれば、おそらくは否。
しかし心などないのかと言われれば、それも否。
何もないのなら『衝動』など起きるはずがないのだから。
欲シイ
欲シイ
欲シイ
欲シイ
道端に落ちていた汚い人形が蠢く。
弦が切れ捨てられていた楽器が奇怪な音を鳴らし、使う者のいなくなった古びたおもちゃが行進する。
カタカタ。
ガタガタ。
ギュイィイィン。
ブオーン、ブオーン。
数多の無機物達が、群がり始めていた。
「ぉ、おい、なんか変な音がしないか……?」
依頼されて掘り出そうとしていたそれが、いまだ大部分を土に覆われているものの数十メートルはある巨大な物体だということが判明し、発掘計画を見直したうえで更なる協力者を集めようと相談していた矢先、炭鉱夫達は周囲の不気味な気配に気付いて顔を青くした。
「え、え……ちょ、なんだよこれ……!」
歪虚だ。
それこそ数え切れない数の歪虚に狙われている事を知り逃げ出そうとする彼らに、魔術師は腰を抜かしながらも必死で声を荒げた。
「ダメだ、それを守ってくれ……! おいそこの若いの、いますぐハンター達に助けを……っ、この『腕』を絶対に協会まで運ぶんだ……!!」
魔術師は叫ぶ。
いまだ半分以上が埋もれた巨大なそれを『腕』と呼んで――……。
只管高い天井に申し訳程度に開けられた二つの明り取りの窓から差し込む光は、いま、恐ろしいほどに巨大な『ソレ』を闇の中に浮かび上がらせていた。
「……これで五本、か」
微かな吐息と共に呟くのはユージィン・モア(kz0221)。
魔術師協会の、性格に難がある以外はいたって普通の青年だが『コレ』に関してだけは唯一の研究者とも言える人物だ。
ここ数カ月の間に同盟領内の各地で発見された巨大な物体――表向きには1つだけが協会で保管されていることになっているが、とある書物により得られた情報から秘密裏に集められて、五本。
露になった『ソレ』は確かに『腕』だった。
「五本の巨大な腕……まさかとは思ったが、これが『正体』なのか?」
今日までに数えきれないほど捲った古い装丁を開く。
見落としてしまいそうな短い一文をユージィンは指でなぞった。
『もう何日目になるだろうか。
ある時は連日、ある時は数日を空けて夜空に光の帯が駆け抜けるのだ。』
「だが……これはどう考えても」
自問するまでもなく、目の前にある『腕』は人ならざる者の物。
それも超がつく程の大物のものだろう。何せ、そんじょそこらのものとは造りが違う。
ユージィンは今にも動き出しそうな『生々しい』白磁の腕をもう一度眺めた。
質感はまさに白磁である。
光源の乏しいこの暗室においても、それははっきりと『極上』だと判断がつく程の名品。
高名な作家の名前でも添えてやれば、金持ちたちが寄ってたかって奪い合うだろう。
「……なんてな」
自身の発した笑えぬ冗談に、ユージィンは自嘲した。
魔術師協会でも一部の人間のみ立ち入ることの許された特別な部屋に安置された特別な『腕』。
同盟領の各地から運ばれてきたこれらは、詳しい調査を行う為この部屋に置かれていた。
「兎に角、調べるほかないな。会長たっての『お願い』だ」
と、腕を捲るも、すぐに「調べるにしても何をどうやって?」と自問が口を出そうになる。
何か途轍もない物だということはわかる。だが、一体それは何なのか。得体を知るすべの無い名品を前に、ユージィンは口を引き結んだ。
まさに、その時――。
『……ヒトの子よ。そこをどきなさい』
「っ!?」
少女のように若い抑揚の無い声が薄暗い部屋に反響した。
ユージィンは咄嗟に身構え闇を注視する。
「あ、あんたは……」
『もう一度警告します。そこをどきなさい』
継いで発せられた少女の声には、明かな怒気が含まれていた。ユージィンは後の句を継ぐ間もなく気圧され道を空ける。
ふわふわと宙を漂う無脚の少女は特徴的な桃色の髪をなびかせ、ユージィンの事など気にも留めず『腕』の前へ進み出た。
『……再びこの地に顕現するか、災厄の王』
「なっ!? ま、待て、アメンスィ!! 一体何をするつもりだ!!!」
少女の圧に抗い声を上げたユージィン。しかし、アメンスィと呼ばれた少女はその悲痛な叫びにも耳を貸さず『腕』の一本にすっと手を触れた。
「アメン――うぐっ!?」
瞬間、人の耳には耐えがたい高音が空間を駆け巡る。
パキンっ――――――。
数瞬の後、『腕』まさに跡形もなく灰燼に帰した。
「なっ……」
あまりに突然の成り行きに、呆然と口を上げるユージィンを他所に、少女は再びふわふわと宙を漂うと、二本目の『腕』に取り掛かる。
「待て! やめてく――うぐぅ!!」
再び高音が空間を支配し、ユージィンはたまらず膝を折り耳を押さえた。
アメンスィが『腕』に手を添える度に駆け巡る高音に耳を打たれながら、ユージィンは必死で手を伸ばす。
「やめろ……! やめてくれ、アメンスィ!! それは――ぐぅっ!」
しかし、アメンスィは強い意思を宿した瞳で『腕』を睨み付け、躊躇なく破壊していく。
そして、最後の一本が――。
パキンっ――――――。
「あぁ……」
地に伏したユージィンの目の前で、塵へと還った。
事を終えたアメンスィは、何事もなかったかのように踵を返すと、再び闇へと溶ける。
『……もう二度と、私の眷属には――』
最後にそう一言だけ漏らして。
「……嘘、だろ。誰がこれの責任を取るんだ……? これで会長になんて言えば……」
再び静けさを取り戻した部屋で、ずきずきと痛む耳を摩りながらユージィンは呆然と立ち尽くした。
●プロローグ(3月10日公開)
●暗底の渓谷
天頂に差した太陽すらも渓谷の底を照らす事はない。
それほどに深く底の知れぬ大地の傷跡の周辺は、まるで谷の闇が辺りの生を吸い尽くしたかのように無機質な世界が広がっていた。
命と思しきものなど何一つ目にする事の出来ない、殺伐とした世界。

カッツォ・ヴォイ
そこには大地の裂け目へと近付く男の姿があった。
カッツオ・ヴォイ――かつて殺人脚本家と呼ばれた人物だ。
規則正しい歩調と、首元にフリルを飾った黒のスーツ姿は、まるでこれから舞台に上がろうとする役者のように美麗。
しかし黒のシルクハットを目深に被った顔は不気味な仮面に覆われており、彼が目指すのは舞台などではなく眼前に広がる渓谷の『底』。
もしも見る者があれば声を上げる間もなかったであろう程に、彼は一瞬の躊躇いもなく谷へと身を投げた。
仮面の下の表情は伺い知れない。
声を上げる事もない。
無音と闇が支配する渓谷の奥底に、僅かに砂塵を舞い上げただけで着地してみせると、光すら届かぬ完全なる無視界を迷うことなく歩き始める。
そうしてしばらくの後に辿り着いた闇の虚空の、ただ一点を見つめて語りかける。
「ごきげんよう」
無音の世界に響く美しい声。
返す言葉はなく、それを彼自身も知りながら、尚。
「そろそろお目覚めになられてはいかがですかな? このままでは貴方一人が忘れられてしまいますよ」
静寂。
無。
それでも彼は。
「おそらく貴方も楽しめると思うのですが、ね」
尚も呟きかけるが、闇は一切の反応を示さない。
あえて滲ませた微かな感情にすら返されない手応えに、声の主は何年かぶりに付くため息とともに踵を返した。
声の主が去り、再び谷の奥底に静寂と無が訪れる。
――……ドクン……――。
地の奥底で何かが蠢き始めた。
●蒸気工業都市フマーレ
「こっちだ! もっと人を回せ! 何としても食い止めるぞ!! これ以上、焼かれてたまるか!!」
「馬鹿やろう! ここはもう駄目だ!! 撤退するんだよ!」
「馬鹿はお前だ! アレを見ろ!」
防火服に身を包んだ男が指差した先には、複数の巨大な球体を有する建造物群。
「アレに引火でもしてみろ、この区画が一瞬で焦土と化すぞ!!」 それは都市部へとエネルギーを供給する施設群であった。
「くそっ! 人だ! 人を回せ!! 消火用具――いや、ハンターだ! オフィスに行って居るだけかき集めてこい!!」
「なんとしてでもここで食い止めるぞ!! 今この場所が、この町の最終防火線だと思え!!」
各所で不規則に上がる爆発と炎を前に、消防士たちの決死の消火活動は続けられている。
――……ドクン……――。
原因も分からないまま、しかし生きるために必死に動く人々の姿に、決して聞こえる事のない『何か』が反応している。
地の底、奥深くから震えるものを人間は感じることなど出来ないが、人間でない者達には、果たして。
――……ドクン……ドクン……――。
聞こえない、感じない。
だが、彼女は。

ナナ・ナイン
眼下で起こる人間たちの足掻きなど露とも知らず、次々と起こる誘爆の炎と音をバックに、歪虚ナナ・ナイン(kz0081)はマイクを握りなおす。
『なんだかよく判らないんだけどぉ。今日はインスピレーションをビンビン刺激されちゃってるからテンションマックスで盛り上げちゃうよっ!』
空いた指をパチンとかき鳴らすと、また別の工場から巨大な爆発とともに閃光と噴煙が巻き起こる。
『なんだかとっても興奮するんだよね☆ ナナ、快感☆』
声援は爆炎。歓声は誘爆。舞台演出は閃光。
ただ自らのステージを煌びやかに飾る為だけに、ナナは破壊の限りを尽くしてゆく。――自らも自覚することのない衝動によって。
●港湾都市ポルトワール
突如、深夜の町に鳴り響く警告音。
「この騒ぎは一体なんだ! 何が起きた!?」
急ぎ軍服に着替えた将校が鐘楼へと登り、見張り役に回答を求めた。
「う、海です! 海から続々と上がってきます!!」
「海だと!?」
声を震わせる部下から半ば奪い取るように受け取った望遠鏡を覗き込んだ将校は、思わず息をのんだ。
「なんだ……これは」
望遠鏡の先に写された光景に、将校は言葉を失った。
海と陸の境界から、今も次々と色白い人型が姿を現す。数えきれないほどに膨らんだ真白い人型は、悲鳴を上げ逃げ惑う住民達に襲い掛かっている。
同盟軍最大の軍港と商業を司る都市は、今まさに無数の歪虚の集団に蹂躙されようとしていた。
「いったいどこから現れた……いや、一つしかない」
「ひ、一つしかないとは……?」
恐る恐る伺う部下を見もせず、将校は呟く。
「『徒歩』で海を渡ってきたのだ」
ギリリと奥歯がきしむ音を響かせ、将校は頭の隅に残った眠気を吹き飛ばすと、すぐさま指示を飛ばした。
指揮官の到着で統制を取り戻した同盟軍は、海から無数に押し寄せる人型歪虚の軍団と対峙し、これを押し返し始める。
同盟軍は街へ進軍した敵兵を駆逐し、その勢いを駆り残兵を掃討する為、突堤まで進軍した、その時。
「て、提督! 14番艦が!!」
「なにっ!?」
部下の報告に望遠鏡を再び海へ向けた将校は絶句する。
「せ、船底に穴を開けたのか!」
歪虚の行動をすぐさま悟った将校は、急ぎ次なる指示を発した。
「全艦へ伝令! 即刻出港準備を整え、抜錨しろと伝えろ! 港を出て水深を確保するんだ!! 急げ!!」
『ククク……虎の子の艦隊が尻尾を巻いて逃げていきますねぇ』
そんな混乱を陸側の高台から眺めるのは、闇夜にも鮮やかに浮かび上がる色彩を纏う人影。

クラーレ・クラーラ
左上の手に持つ仮面を白い顔に添え、何も持たぬ左下の手で、指を鳴らした。
『それでは本番と行きますかねぇ』
装飾過多の洋傘を畳み、まっすぐ街を指すクラーレ・クラーラ。
港から現れた人型とは対照的な、真っ黒の人型歪虚が大挙して街へと押し掛けた。
『さぁて、人類最強を謳う海軍はどう出ますかねぇ? 海軍が海に出たのです、さぞかし活躍してくれるのでしょう? そうですね、この混乱の極みにある都市へ砲弾の雨でも降らせる、なんて案はどうでしょう? ……フフフ』
海へと強制的に追いやられた海軍に、街を防衛する力は乏しい。
クラーレは自らの策に陶酔するように天を仰ぐ。
『……しかし、何でしょうかねぇ、この殻の胸の内に去来する――感情――と呼べるものは』
静かにそう囁きながら――。
●冒険都市リゼリオ
その日、リゼリオのハンターオフィスも早朝から上へ下への大騒ぎ。
消防士や海軍という組織からの依頼もあれば住民からの依頼もあり、そのどれもが工業都市フマーレと港湾都市ポルトワールからの大至急での応援派遣を要求するものなのだ。
「す、すみませ……っ、私のお願いも聞いて……っう」
「ちょ、大丈夫ですか!?」
衣服のあちこちが黒く煤けている女性が、体を引き摺るようにして受付まで来たものの、辿り着いたことで気が抜けたのかそのまま崩れ落ちてしまった。
対応しようとしていた受付嬢が慌てて介抱すると、手に一枚の紙片を握りしめている事に気付く。
端が黒く焼け焦げているものの、工業都市フマーレで荷物を受け取った証明書の切れ端のようだった。
「……何か大事な荷物を紛失したのかしら」
此処まで来るくらいだ、なくしたことで人生を左右してしまうほど大切なものなのかもしれない。
「……一体、二つの都市で何が起こってるの」
いまだ平穏を保つリゼリオにいてなお感じずにはいられない異常事態。
更なる災厄の前兆でないことを願うばかりだが――……。
(執筆:神宮寺飛鳥)
(文責:フロンティアワークス)
(文責:フロンティアワークス)
●「変わり者の研究員」(4月18日公開)

と言うのも、一人の青年が此処に篭ったまま全く出てくる気配がないからだ。
協会に所属する魔術師、名をユージィン・モア。
27歳という若さながら術師としての腕前は一流。研究分野においても優秀な人物である事は確かなのだが、その人間力はというと……。
「おーい。ユージィン、生きてるかー?」
トントンと開けた扉をノックしながら声を掛けるのは同僚であり腐れ縁のディック・リドン。苦虫を噛みつぶしたようなその表情からは、出来れば関わり合いになりたくないという心情が見て取れる。
それでも此処を訪ねたのは上司に「死んでいたら困る」と様子を見に行くよう命令されたからだ。
「ユージィン?」
返事がないので更に声を掛けてみるが、それでも反応は皆無。
「おーい、死んでンなら死んでるって言えよ。本に埋もれた死体見つけるとかマジ無理だから」
ドンドンとノックする音も乱暴になっていくディックに、しばらくして数冊の書籍が落下する音が返った。
そして、寝起きの声。
「……死んでいる相手に死んでいると言えとは矛盾した要求だな……」
どこかぼーっとした物言いに、ディックのこめかみが痙攣する。
これ以上は関わってはならないという本能の警鐘に素直に従う事にした研究員。
「エエソウデスネ。ゴ存命ノヨウデスンデ失礼シマス」
ささっと方向転換をし、それきり遠ざかっていく同僚に問題のユージィンはしばらく微動だにしなかった。
3分程が過ぎてから「……あいつは何をしに来たんだ?」と小首を傾げ、5分が経過した頃になってようやく、開けっ放しにされたままの書庫の扉を閉めるために動いた。
一歩進める度に体がふらつくのは、この書庫に篭ってからというもの椅子に座ったままほとんど動いていなかったせいか。
「……寝てた、のか……一体どれくらいの時間を無駄にしたのか……」
いつ意識を失ったのかすら定かではないユージィンの胸の内には、次第に焦りが募り始める。
「早く見つけなければ……」
呟きながら席に戻り、途中が開いたままの分厚い書を読み始める。広い机の上には数えきれない本が積み重ねられており、先ほど落とした書籍も含め、全てが歪虚に関するものだ。
彼は、ひと月ほど前に同盟領内――蒸気工業都市フマーレ及び港湾都市ポルトワールで起きた騒動を知ってからずっと、この書庫で調べ物をし続けていた。
というのもフマーレやポルトワールの騒動に数多の嫉妬の歪虚達が関わっていると聞いたから。
それが何かの「兆し」だと、彼は過去にどこかで読んだ覚えがあったからだ。
「早く見つけなければ……」
繰り返す呟きに滲む焦燥感。
「……嫌な予感がする……」
ぽつりと、たった一人の空間に響く呟き。
それが現実となるような「次」は、いままさに動き出そうとしていた――……。
●「ソレ」
蒸気工業都市フマーレにほど近い山の中。

「で、こりゃ一体何なんです? こちとらさっさと作業を再開したいんですがねぇ」
「こ、これはもしかして……いや、しかし……」
狭く暗い坑道に突然姿を現した物体を、くたびれた白衣姿の男は真剣な表情でのぞき込む。
「どうせ化石かなんかでしょ。さっさと爆破でもして――」
「ま、待て!」
「はぁ、待てって言われましてもねぇ。これのせいでもう3日ですぜ? こっちも生活が懸かってるもんですよ」
「ま、待てと言っている! これは魔術師協会の研究対象となりえる可能性を秘めたものかもしれないんだ。もう少しゆっくりと調査を――」
鉱物を掘り出してこそ飯のタネにありつける炭鉱夫にとって、3日の停滞は即生活の困窮に直結する。
いくら魔術師協会の依頼だとは言え、自分たちの生活を放り出してまで協力する義理を、炭鉱夫たちは持ち合わせていなかった。
「はっはっは、冗談を。これのおかげで俺たちゃ仕事が滞ってるんでさぁ。さぁ、どいてくれ」
リーダー格のドワーフが仲間たちの苛立ちに背を押されるように、白衣の魔術師の肩をつかむ。
「な、何をっ――うおっ!?」
肩を引っ掴まれ後ろに引き倒された白衣の男は情けなくも尻もちをつく。
「おい、魔術師様はお疲れみたいだ。ていちょーに出口まで連れてってやんな」
「ま、待て! これはとても貴重な――うぁ! ま、待ってくれ! 金だな! 金なら払う! だから、調査に協力してくれ!!」
「ほう。――おい、お前ら聞いたか!」
「「「おぉ!!」」」
金の話が出たとたん態度を180度ひっくり返した炭鉱夫たちは、引き摺りかけた魔術師の男を乱暴に解き放った。
「……まったく、これだから炭鉱夫なんていう人種は……」
「あ? 何か言いましたかい、雇い主様ぁ?」
「な、なんでもない! いいか、くれぐれも慎重に頼むぞ! もし壊したり傷つけたりしたら、報酬は払わないからな!」
ぐっと顔を近づけてくるリーダー格の臭いに顔を顰めつつ一歩身を引いた魔術師は小さく呟いた。
「……いや、まさかな」
●嫉妬の眷属達
ドクン――……
ドクン――……
この身に心があるかと言われれば、おそらくは否。
しかし心などないのかと言われれば、それも否。
何もないのなら『衝動』など起きるはずがないのだから。
欲シイ
欲シイ
欲シイ
欲シイ
道端に落ちていた汚い人形が蠢く。
弦が切れ捨てられていた楽器が奇怪な音を鳴らし、使う者のいなくなった古びたおもちゃが行進する。
カタカタ。
ガタガタ。
ギュイィイィン。
ブオーン、ブオーン。
数多の無機物達が、群がり始めていた。
「ぉ、おい、なんか変な音がしないか……?」
依頼されて掘り出そうとしていたそれが、いまだ大部分を土に覆われているものの数十メートルはある巨大な物体だということが判明し、発掘計画を見直したうえで更なる協力者を集めようと相談していた矢先、炭鉱夫達は周囲の不気味な気配に気付いて顔を青くした。
「え、え……ちょ、なんだよこれ……!」
歪虚だ。
それこそ数え切れない数の歪虚に狙われている事を知り逃げ出そうとする彼らに、魔術師は腰を抜かしながらも必死で声を荒げた。
「ダメだ、それを守ってくれ……! おいそこの若いの、いますぐハンター達に助けを……っ、この『腕』を絶対に協会まで運ぶんだ……!!」
魔術師は叫ぶ。
いまだ半分以上が埋もれた巨大なそれを『腕』と呼んで――……。
●「狂宴の始まり」(7月13日公開)
●噂
近頃、同盟領では奇妙な噂が囁かれるようになっていた。
ポルトワールで船の清掃業を仕事にしている男は、その時の事をこう語る。
「最初はちぃっとおかしくなっちまったじいさんがフラフラしてるかと思ったんで「大丈夫か」って声を掛けたんだけどな、目が合ったら「どうもお邪魔致しました」って、そりゃあ優雅な動作でお辞儀していってなぁ」
ヴァリオスの女商人が語る内容も似たようなものだった。
「あんな夜中におじいちゃん一人なんだもの。しかもお金持ちそうな、びしっとした燕尾服姿でねぇ。どっかのお屋敷の執事さんかとも思ったけど、あれはどっちかというと主人タイプよ。絶対におかしいと思うでしょ? だから声を掛けたら「お邪魔致しました」って綺麗にお辞儀されてねぇ」
ここだけではない。他の街での目撃情報も似たようなものであった。
老紳士に出会った誰もが、その老人は所作が優雅な燕尾服を身に纏った人物だと言う。
そして、最後には必ずシルクハットを手に取り、胸の前に置いて一礼して去っていく。去り際の言葉は決まって「お邪魔致しました」だ。
それだけでも奇妙な話に聞こえるのだが、この奇妙さに拍車を掛けるのが目撃される『タイミング』である。
フマーレで目撃情報が上がった翌日にはヴァリオスで目撃され、その翌日にはポルトワール、翌日はフマーレ、次はヴァリオスかと思いきやフマーレとポルトワールの双方で、ほぼ同時刻に目撃されていることが判明し「一人ではない」かもしれないという疑問が浮上し始めた。
よく似た兄弟?
だとしてもほぼ同時期にそれぞれ違う場所で徘徊しているのはやはり奇妙だろう。
「……嫌な予感がするわね」
魔術師協会の会長ジルダ・アマート(kz0006)は協会会長室の窓辺に立ち、表面的には普段と変わらないヴァリオスの街を眺めて一人ごちた。
何事もなければそれでいい。
しかし彼女の、彼女をその地位に立たせたあらゆる才のすべてがこの穏やかな時間に警鐘を鳴らすのだ。
何かが起ころうとしているのが判るのに、対策を講じ、人を動かすに至るほどの情報、確証が、彼女の手の内にはまだ何もなく。
「困ったわ。このもやもやした気持ちを表現するのも難しいなんて……」
短い吐息を一つ。
街からは子供達の楽し気な声が響いていた。
●地精霊の語らい
見渡す限りに広がる大草原。
草木を揺らす風は子守歌のように優しく、触れる大地のぬくもりは母親の腕のように命を抱き締める。
種を飛ばす風、息吹かせる大地。育てる水。
そして眠りを促し再生を齎す闇。
真っ青な空を仰ぎ見れば地上を見守る陽の熱と光――。
「 」
「 」
同胞の声なき声に耳を傾けて彼女はそっと微笑んだ。
知恵を司りし地と光の大精霊・アメンスィにとって、生命の知恵とも言うべき世界の連鎖は愛すべき存在。
この、自然があるがままに息吹く世界こそが彼女が守ると誓うすべてだ。
「そなた達も感じるのですね。……でも何も心配はいりませんよ。『あれ』はそなた達に決して手を出せません。それがわたくしとの契約なのですから」
遠く、不穏な気配が蔓延る空を見つめながら語るアメンスィに、声なき声は更に何かを告げた。
地の大精霊はしばらく思案した後に瞳を伏せる。
「……人の子らに協力するか否かは人の子らが選ぶこと。いまは見守りましょう」
風が吹く。
大精霊の胸の内を過ぎる、遥か彼方の記憶を何処かへと運ぶように――。
●呼ぶもの、応えぬもの
カッツォ・ヴォイ(kz0224)は異世界から戻ってすぐ、彼の地を訪れていた。
これまで幾度となく訪れ、深淵に呼び掛け続けてきたが、一度も応えを得られなかった場所。
「……あなたは、まだ……」
この日も眼前に広がる闇はただただ深く、彼に応えるものは何一つない。
「……」
もはや掛ける言葉も失くして立ち上がったカッツォは、諦めにも似た気持ちで、出直そうと踵を返した、――直後。
「っ!」
カッツォは身構えた。
気配など欠片も感じなかったし、物音も皆無。そもそも「此処」に自分以外の何かが侵入してくるはずがなかったのに、そこに。
「……何者だ」
振り向いたカッツオの眼前に、一人の老紳士が佇んでいた。
目深にかぶったシルクハットで顔を隠しているが、カッツオの衣装によく似た燕尾服の裾から見える手は骨と皮しかないような年老いた老人のそれだと分かる。
骨と皮しかないのは手だけではない。
体つき全体がそのような感じで、それゆえに生気を感じない。
……いや、違う。
感じないのではない、これは生きていない。
これ、は。
「……まさか……」
目を見開くカッツォに、老紳士は雰囲気で微笑うと目深にかぶっていたシルクハットを外した。
「やあ、お邪魔しているよ」
皺枯れた老人の声は、しかし、不気味な陽気さを伴いながら闇の深淵に響き渡った。
近頃、同盟領では奇妙な噂が囁かれるようになっていた。
ポルトワールで船の清掃業を仕事にしている男は、その時の事をこう語る。
「最初はちぃっとおかしくなっちまったじいさんがフラフラしてるかと思ったんで「大丈夫か」って声を掛けたんだけどな、目が合ったら「どうもお邪魔致しました」って、そりゃあ優雅な動作でお辞儀していってなぁ」
ヴァリオスの女商人が語る内容も似たようなものだった。
「あんな夜中におじいちゃん一人なんだもの。しかもお金持ちそうな、びしっとした燕尾服姿でねぇ。どっかのお屋敷の執事さんかとも思ったけど、あれはどっちかというと主人タイプよ。絶対におかしいと思うでしょ? だから声を掛けたら「お邪魔致しました」って綺麗にお辞儀されてねぇ」
ここだけではない。他の街での目撃情報も似たようなものであった。
老紳士に出会った誰もが、その老人は所作が優雅な燕尾服を身に纏った人物だと言う。
そして、最後には必ずシルクハットを手に取り、胸の前に置いて一礼して去っていく。去り際の言葉は決まって「お邪魔致しました」だ。
それだけでも奇妙な話に聞こえるのだが、この奇妙さに拍車を掛けるのが目撃される『タイミング』である。
フマーレで目撃情報が上がった翌日にはヴァリオスで目撃され、その翌日にはポルトワール、翌日はフマーレ、次はヴァリオスかと思いきやフマーレとポルトワールの双方で、ほぼ同時刻に目撃されていることが判明し「一人ではない」かもしれないという疑問が浮上し始めた。
よく似た兄弟?
だとしてもほぼ同時期にそれぞれ違う場所で徘徊しているのはやはり奇妙だろう。

ジルダ・アマート
魔術師協会の会長ジルダ・アマート(kz0006)は協会会長室の窓辺に立ち、表面的には普段と変わらないヴァリオスの街を眺めて一人ごちた。
何事もなければそれでいい。
しかし彼女の、彼女をその地位に立たせたあらゆる才のすべてがこの穏やかな時間に警鐘を鳴らすのだ。
何かが起ころうとしているのが判るのに、対策を講じ、人を動かすに至るほどの情報、確証が、彼女の手の内にはまだ何もなく。
「困ったわ。このもやもやした気持ちを表現するのも難しいなんて……」
短い吐息を一つ。
街からは子供達の楽し気な声が響いていた。
●地精霊の語らい
見渡す限りに広がる大草原。
草木を揺らす風は子守歌のように優しく、触れる大地のぬくもりは母親の腕のように命を抱き締める。
種を飛ばす風、息吹かせる大地。育てる水。
そして眠りを促し再生を齎す闇。
真っ青な空を仰ぎ見れば地上を見守る陽の熱と光――。
「 」
「 」
同胞の声なき声に耳を傾けて彼女はそっと微笑んだ。

アメンスィ
この、自然があるがままに息吹く世界こそが彼女が守ると誓うすべてだ。
「そなた達も感じるのですね。……でも何も心配はいりませんよ。『あれ』はそなた達に決して手を出せません。それがわたくしとの契約なのですから」
遠く、不穏な気配が蔓延る空を見つめながら語るアメンスィに、声なき声は更に何かを告げた。
地の大精霊はしばらく思案した後に瞳を伏せる。
「……人の子らに協力するか否かは人の子らが選ぶこと。いまは見守りましょう」
風が吹く。
大精霊の胸の内を過ぎる、遥か彼方の記憶を何処かへと運ぶように――。

カッツォ・ヴォイ

???
カッツォ・ヴォイ(kz0224)は異世界から戻ってすぐ、彼の地を訪れていた。
これまで幾度となく訪れ、深淵に呼び掛け続けてきたが、一度も応えを得られなかった場所。
「……あなたは、まだ……」
この日も眼前に広がる闇はただただ深く、彼に応えるものは何一つない。
「……」
もはや掛ける言葉も失くして立ち上がったカッツォは、諦めにも似た気持ちで、出直そうと踵を返した、――直後。
「っ!」
カッツォは身構えた。
気配など欠片も感じなかったし、物音も皆無。そもそも「此処」に自分以外の何かが侵入してくるはずがなかったのに、そこに。
「……何者だ」
振り向いたカッツオの眼前に、一人の老紳士が佇んでいた。
目深にかぶったシルクハットで顔を隠しているが、カッツオの衣装によく似た燕尾服の裾から見える手は骨と皮しかないような年老いた老人のそれだと分かる。
骨と皮しかないのは手だけではない。
体つき全体がそのような感じで、それゆえに生気を感じない。
……いや、違う。
感じないのではない、これは生きていない。
これ、は。
「……まさか……」
目を見開くカッツォに、老紳士は雰囲気で微笑うと目深にかぶっていたシルクハットを外した。
「やあ、お邪魔しているよ」
皺枯れた老人の声は、しかし、不気味な陽気さを伴いながら闇の深淵に響き渡った。
●「魔術師協会『変遷の間』」(9月21日公開)

ユージィン・モア
「……これで五本、か」
微かな吐息と共に呟くのはユージィン・モア(kz0221)。
魔術師協会の、性格に難がある以外はいたって普通の青年だが『コレ』に関してだけは唯一の研究者とも言える人物だ。
ここ数カ月の間に同盟領内の各地で発見された巨大な物体――表向きには1つだけが協会で保管されていることになっているが、とある書物により得られた情報から秘密裏に集められて、五本。
露になった『ソレ』は確かに『腕』だった。
「五本の巨大な腕……まさかとは思ったが、これが『正体』なのか?」
今日までに数えきれないほど捲った古い装丁を開く。
見落としてしまいそうな短い一文をユージィンは指でなぞった。
『もう何日目になるだろうか。
ある時は連日、ある時は数日を空けて夜空に光の帯が駆け抜けるのだ。』
「だが……これはどう考えても」
自問するまでもなく、目の前にある『腕』は人ならざる者の物。
それも超がつく程の大物のものだろう。何せ、そんじょそこらのものとは造りが違う。
ユージィンは今にも動き出しそうな『生々しい』白磁の腕をもう一度眺めた。
質感はまさに白磁である。
光源の乏しいこの暗室においても、それははっきりと『極上』だと判断がつく程の名品。
高名な作家の名前でも添えてやれば、金持ちたちが寄ってたかって奪い合うだろう。
「……なんてな」
自身の発した笑えぬ冗談に、ユージィンは自嘲した。
魔術師協会でも一部の人間のみ立ち入ることの許された特別な部屋に安置された特別な『腕』。
同盟領の各地から運ばれてきたこれらは、詳しい調査を行う為この部屋に置かれていた。
「兎に角、調べるほかないな。会長たっての『お願い』だ」
と、腕を捲るも、すぐに「調べるにしても何をどうやって?」と自問が口を出そうになる。
何か途轍もない物だということはわかる。だが、一体それは何なのか。得体を知るすべの無い名品を前に、ユージィンは口を引き結んだ。
まさに、その時――。

アメンスィ
『……ヒトの子よ。そこをどきなさい』
「っ!?」
少女のように若い抑揚の無い声が薄暗い部屋に反響した。
ユージィンは咄嗟に身構え闇を注視する。
「あ、あんたは……」
『もう一度警告します。そこをどきなさい』
継いで発せられた少女の声には、明かな怒気が含まれていた。ユージィンは後の句を継ぐ間もなく気圧され道を空ける。
ふわふわと宙を漂う無脚の少女は特徴的な桃色の髪をなびかせ、ユージィンの事など気にも留めず『腕』の前へ進み出た。
『……再びこの地に顕現するか、災厄の王』
「なっ!? ま、待て、アメンスィ!! 一体何をするつもりだ!!!」
少女の圧に抗い声を上げたユージィン。しかし、アメンスィと呼ばれた少女はその悲痛な叫びにも耳を貸さず『腕』の一本にすっと手を触れた。
「アメン――うぐっ!?」
瞬間、人の耳には耐えがたい高音が空間を駆け巡る。
パキンっ――――――。
数瞬の後、『腕』まさに跡形もなく灰燼に帰した。
「なっ……」
あまりに突然の成り行きに、呆然と口を上げるユージィンを他所に、少女は再びふわふわと宙を漂うと、二本目の『腕』に取り掛かる。
「待て! やめてく――うぐぅ!!」
再び高音が空間を支配し、ユージィンはたまらず膝を折り耳を押さえた。
アメンスィが『腕』に手を添える度に駆け巡る高音に耳を打たれながら、ユージィンは必死で手を伸ばす。
「やめろ……! やめてくれ、アメンスィ!! それは――ぐぅっ!」
しかし、アメンスィは強い意思を宿した瞳で『腕』を睨み付け、躊躇なく破壊していく。
そして、最後の一本が――。
パキンっ――――――。
「あぁ……」
地に伏したユージィンの目の前で、塵へと還った。
事を終えたアメンスィは、何事もなかったかのように踵を返すと、再び闇へと溶ける。
『……もう二度と、私の眷属には――』
最後にそう一言だけ漏らして。
「……嘘、だろ。誰がこれの責任を取るんだ……? これで会長になんて言えば……」
再び静けさを取り戻した部屋で、ずきずきと痛む耳を摩りながらユージィンは呆然と立ち尽くした。
●「暗雲襲来」(11月28日公開)
●過去からの言伝
同盟領の各地で発見された巨大な『パーツ』が何であるのか確信にも似た予測が立てられるようになった。
『パーツ』の形状はすべて『腕』。しかし、発見された腕は既に全容を把握しきれない程ある。
これが同一個体のものなのか、それとも何体もの同体が存在するのか……推察は憶測を呼び、未だ議論は結論を見ない。
「地の大精霊殿に破壊された5本、ハンター達によって破壊されたポルトワール西部の1本、ヴァリオス近郊の林道で1本……、旧ポカラ村から持ち出された1本、セル王墓からも1本……これが全て嫉妬の王ラルヴァのものだとして……奴には、一体何本の腕があるのかしら」
魔術師協会の会長、ジルダ・アマート(kz0006)は、らしからぬ深い縦皺を眉間に刻みながら重々しく呟いた。
それをデスクを挟んで聞いていた魔術師ユージィン・モア(kz0221)は、此方も難しい表情で「恐らく」と口を開く。
「20以上あるのではないかと……いや、現時点で破壊されたものも随分とありますから、20以上あったと過去形で表現するのが正しいかもしれませんが」
「……随分と断定的にしゃべるのね。根拠を聞かせてもらえるかしら?」
会長の問いかけにユージィンは首肯すると、抱えていた分厚い書物を差し出した。
それはユージィンが魔術師協会に所属するようになった『きっかけ』。
魔術師だった曾祖父が書き残した日記である。
「曾祖父が若い頃に出会った書の中に、約200年前……今からだと約300年くらい前になりますが、同盟領内の夜空を幾つもの光の帯が駆け抜けたという記録があったそうです」
この記述に強い興味を持った曾祖父は長い時間を掛けて同盟領内の土地を巡り、似た記録を集めていく。
結果として死の床についても彼がそれらの記録から『答え』を見つけ出すことは叶わなかったが、曾孫であるユージィンが同じように興味を持った。
変人と陰口を叩かれながら一心不乱に研究を重ねた末に出会ったものは果たして何だったのか。
「曾祖父が足を棒にして調べた空を駆けた光の帯の終着地点。日記につけられた場所を現代の地図に照らし合わせると――」
ユージィンは分厚い書の横に同盟領の地図を広げた。
「――それらは『腕』が発見された地点とほぼ一致します」
ユージィンの地図をなぞる指を目で追ったジルダの表情が歪む。
長の変化に気付いてか気付かずか、ユージィンは話を続けた。
「光の帯ですが、1本が駆け抜けてから次が駆け抜けるまでの間隔に法則はありません。数分後に現れたこともあれば、数日間現れなかった事もあります」
地図から指を離し、書をめくるユージィンがあるページで手を止め示す。
「……確かに興味を引く話ね。だけれども、なぜ貴方のご先祖様は『腕』を発見できなかったの? これだけの数があって、1本も」
ジルダは部下の発した矛盾を追及する。
「正直に言って、判りません。ですが、予測は出来ます。本体から解れたであろう『腕』はそれ単体で姿を隠す能力があったのか、それとも破壊されたのか」
「破壊?」
予想していた答えからかけ離れたユージィンの回答に、ジルダは顔を上げた。
「一時的な破壊、と言えばいいんでしょうか。細かく――それこそ目に見えない程に破砕され地に散らばったので発見できなかった」
「……そっちが貴方の本命ってわけね」
智を力とする者特有の言い回しの妙に、ジルダは小さくため息をつくと次の句を促す。
「ご明察恐れ入ります。漠然とした予感にも似た直観……というべきか。引っかかるんです。アメンスィがあの『腕』を前にした時に見せた態度が」
「それは私も思ったわ。まぁ、本人に聞ければ一番いいのでしょうけど、現時点では聞ける雰囲気ではないでしょうね」
ジルダの発言にこくりと頷き、彼は更に続ける。
「本音を言えば藁にも――この場合は岩か……とにかく、なんにでも縋りたいところですが」
ふぅと大きく息をついたユージィンの表情には深く刻まれたくまが見える。
「ですが光の帯が全て嫉妬王の腕だとするなら、その腕が飛ばされた場所は特定出来ます」
それで一息ついたのか、ユージィンが話を戻した。
「――ここです」
同盟領の各地で目撃された光の帯――その記録を詳細に調べ、時間と方角を計算。
随分と手間取ったけれど、ようやくその地点が分かったのだ。
「ここは……大地裂」
「300年ほど前に起きた大地変で出来たと言われる巨大な大地の裂け目です」
同盟に暮らす者であればよく知る場所。
豊穣を約束された同盟領にあって、異世界ともいえる不毛の大地。
「この星の中心まで続いてるとも言われる大地裂……もし其処に何かがあるとするなら、それは一体何かしら」
「判りません」
ジルダの低い声に、ユージィンは正直に即答する。
「……だから権限をください。俺が調査します」
真っ直ぐに見返される瞳。
静かに、しかし強い意志。
かくして彼らは赴く事になる。
大地の裂け目と呼ばれる、その場所へ――。
●契約
柔らかな風が吹く大地を、アメンスィは瞳を閉じて浮遊していた。
ふわり、ふわり。
その内側に滾る怒りを落ち着かせるように。
遠い記憶を更に遠ざけるように。
――……ではこうしようじゃないか、知識の精霊よ……
――……駒を一つ取るごとに君は大地の眷属を。私は腕を失うのさ……
――……スリルがあった方が楽しいだろう?
――……相手をしてくれないなら、今ここで大地を破壊してしまうかもしれないよ? フフフ……
ガンッ!!
大地が揺れた。
大きな縦揺れから、次第に微震となり落ち着いていく世界。
その変化はアメンスィの心情と同調していた。
――……私が勝てば大地は塵と化すが、君が勝てば私が消える。地の眷属には金輪際、決して手を出さないんだ。悪い条件じゃないと思うのだけれどね……?
――……さぁどうするんだい、知識の精霊よ。僕を楽しませてくれるのかな……?
『忌々しき者よ……っ』
あの日を思い出して表情を険しくする大精霊は、今そうしている間にも嫉妬の歪虚王の目覚めを認識しないわけにはいかなかった。
アメンスィにとって嫉妬王ラルヴァは強大過ぎた。
力では決して勝てない相手だった。
それ故に、奴を消し去るためにどれほどの眷属を失ったか。
『……ですが、あやつが目覚めようとも私の眷属には手出し出来ぬはず……それが契約のはず……!』
しかし、今もなお各地で地の眷属は嫉妬の歪虚に傷つけられている。
そう、嫉妬王は手を出せずとも、あの日に交わした契約に白仮面の男を含め、嫉妬王の部下は含まれていないのだ。
『何という失態……っ』
毒づいた。
半分は自らに向けた怒りのままに、魔術師協会に保管されていた腕を破壊した。
全ての叡智を司るとさえ言われた大精霊が取ったあまりにも短絡的な行動に、自分自身の存在意義を見失いそうになる。
それでも――それでもこの感情を抑えておくことは彼女にはできなかった。
『たとえこの身がどうなろうと、あやつだけは決して許さぬ……!』
アメンスィの怒りは、更に募っていく。
●そして脅威は目覚め
「クフフフ……このような場所にいても感じてしまうよ、君の怒りを」
皺枯れた声が楽しそうに呟いた。
「相も変わらず実に心地いい不快感だ。もう何年たったのだろうか。久方ぶりに浴びるこの感情は、まるで最高の美酒を味わっているようだよ」
クフフと低く笑うたびに、辺りの岩盤が揺れて剥がれ落ちていく。
「さて、そろそろ起きるかな。愛しの君にも会いたくなったしね」
モゾリと小さく身じろぐたびに、巨大な岩がガラガラと大音響を立て崩れ落ちる。
「ふむ……僕の眷属はおせっかいが多いみたいだね。だけどありがたく受け取っておこうかな。これから何をするにも『武器』は必要だし」
真暗にも近い闇の中にぼんやりと浮かぶ数本の白筋に、声の主は再び低く笑った。
「5本、かな。昔と比べて随分と減ってしまったが……いや、これが『老い』というやつかな? クフフフ、面白いね」
随分どころか激減した自らの『体』の一部を可笑しそうに見つめながら、声の主は体とのリンクを繋いでいく。
「うん? ああ、これは使えないね。捨ててしまおう」
言いながら声の主は、王墓から持ち出されたほぼ死滅状態だった腕を視線の一睨みで消し去った。
これで4本。体とつながった『腕』の形をしたそれらの動きを確かめるように何度か掌を開閉させる。
「ふむふむ、少ないのも悪くないね。なんだか愛着がわくよ。そうだ、名前でも付けるかな」
どこまでも他人事のように、声の主は自らの冗談に笑う。
「クフフフフフ……面白い『状況』だね。この『ルール』は実にそそられる。さぁ、もう待ち飽きたよ。この大地が震えるようなゲームを始めようじゃないか」
団外が崩れ落ちる大轟音と共に、声の主――嫉妬王ラルヴァは数百年の眠りと決別し、再び光立つ大地へと昇って行った。
同盟領の各地で発見された巨大な『パーツ』が何であるのか確信にも似た予測が立てられるようになった。
『パーツ』の形状はすべて『腕』。しかし、発見された腕は既に全容を把握しきれない程ある。
これが同一個体のものなのか、それとも何体もの同体が存在するのか……推察は憶測を呼び、未だ議論は結論を見ない。

ジルダ・アマート

ユージィン・モア
魔術師協会の会長、ジルダ・アマート(kz0006)は、らしからぬ深い縦皺を眉間に刻みながら重々しく呟いた。
それをデスクを挟んで聞いていた魔術師ユージィン・モア(kz0221)は、此方も難しい表情で「恐らく」と口を開く。
「20以上あるのではないかと……いや、現時点で破壊されたものも随分とありますから、20以上あったと過去形で表現するのが正しいかもしれませんが」
「……随分と断定的にしゃべるのね。根拠を聞かせてもらえるかしら?」
会長の問いかけにユージィンは首肯すると、抱えていた分厚い書物を差し出した。
それはユージィンが魔術師協会に所属するようになった『きっかけ』。
魔術師だった曾祖父が書き残した日記である。
「曾祖父が若い頃に出会った書の中に、約200年前……今からだと約300年くらい前になりますが、同盟領内の夜空を幾つもの光の帯が駆け抜けたという記録があったそうです」
この記述に強い興味を持った曾祖父は長い時間を掛けて同盟領内の土地を巡り、似た記録を集めていく。
結果として死の床についても彼がそれらの記録から『答え』を見つけ出すことは叶わなかったが、曾孫であるユージィンが同じように興味を持った。
変人と陰口を叩かれながら一心不乱に研究を重ねた末に出会ったものは果たして何だったのか。
「曾祖父が足を棒にして調べた空を駆けた光の帯の終着地点。日記につけられた場所を現代の地図に照らし合わせると――」
ユージィンは分厚い書の横に同盟領の地図を広げた。
「――それらは『腕』が発見された地点とほぼ一致します」
ユージィンの地図をなぞる指を目で追ったジルダの表情が歪む。
長の変化に気付いてか気付かずか、ユージィンは話を続けた。
「光の帯ですが、1本が駆け抜けてから次が駆け抜けるまでの間隔に法則はありません。数分後に現れたこともあれば、数日間現れなかった事もあります」
地図から指を離し、書をめくるユージィンがあるページで手を止め示す。
「……確かに興味を引く話ね。だけれども、なぜ貴方のご先祖様は『腕』を発見できなかったの? これだけの数があって、1本も」
ジルダは部下の発した矛盾を追及する。
「正直に言って、判りません。ですが、予測は出来ます。本体から解れたであろう『腕』はそれ単体で姿を隠す能力があったのか、それとも破壊されたのか」
「破壊?」
予想していた答えからかけ離れたユージィンの回答に、ジルダは顔を上げた。
「一時的な破壊、と言えばいいんでしょうか。細かく――それこそ目に見えない程に破砕され地に散らばったので発見できなかった」
「……そっちが貴方の本命ってわけね」
智を力とする者特有の言い回しの妙に、ジルダは小さくため息をつくと次の句を促す。
「ご明察恐れ入ります。漠然とした予感にも似た直観……というべきか。引っかかるんです。アメンスィがあの『腕』を前にした時に見せた態度が」
「それは私も思ったわ。まぁ、本人に聞ければ一番いいのでしょうけど、現時点では聞ける雰囲気ではないでしょうね」
ジルダの発言にこくりと頷き、彼は更に続ける。
「本音を言えば藁にも――この場合は岩か……とにかく、なんにでも縋りたいところですが」
ふぅと大きく息をついたユージィンの表情には深く刻まれたくまが見える。
「ですが光の帯が全て嫉妬王の腕だとするなら、その腕が飛ばされた場所は特定出来ます」
それで一息ついたのか、ユージィンが話を戻した。
「――ここです」
同盟領の各地で目撃された光の帯――その記録を詳細に調べ、時間と方角を計算。
随分と手間取ったけれど、ようやくその地点が分かったのだ。
「ここは……大地裂」
「300年ほど前に起きた大地変で出来たと言われる巨大な大地の裂け目です」
同盟に暮らす者であればよく知る場所。
豊穣を約束された同盟領にあって、異世界ともいえる不毛の大地。
「この星の中心まで続いてるとも言われる大地裂……もし其処に何かがあるとするなら、それは一体何かしら」
「判りません」
ジルダの低い声に、ユージィンは正直に即答する。
「……だから権限をください。俺が調査します」
真っ直ぐに見返される瞳。
静かに、しかし強い意志。
かくして彼らは赴く事になる。
大地の裂け目と呼ばれる、その場所へ――。
●契約
柔らかな風が吹く大地を、アメンスィは瞳を閉じて浮遊していた。
ふわり、ふわり。
その内側に滾る怒りを落ち着かせるように。
遠い記憶を更に遠ざけるように。
――……ではこうしようじゃないか、知識の精霊よ……
――……駒を一つ取るごとに君は大地の眷属を。私は腕を失うのさ……
――……スリルがあった方が楽しいだろう?
――……相手をしてくれないなら、今ここで大地を破壊してしまうかもしれないよ? フフフ……
ガンッ!!
大地が揺れた。
大きな縦揺れから、次第に微震となり落ち着いていく世界。
その変化はアメンスィの心情と同調していた。
――……私が勝てば大地は塵と化すが、君が勝てば私が消える。地の眷属には金輪際、決して手を出さないんだ。悪い条件じゃないと思うのだけれどね……?
――……さぁどうするんだい、知識の精霊よ。僕を楽しませてくれるのかな……?

アメンスィ
あの日を思い出して表情を険しくする大精霊は、今そうしている間にも嫉妬の歪虚王の目覚めを認識しないわけにはいかなかった。
アメンスィにとって嫉妬王ラルヴァは強大過ぎた。
力では決して勝てない相手だった。
それ故に、奴を消し去るためにどれほどの眷属を失ったか。
『……ですが、あやつが目覚めようとも私の眷属には手出し出来ぬはず……それが契約のはず……!』
しかし、今もなお各地で地の眷属は嫉妬の歪虚に傷つけられている。
そう、嫉妬王は手を出せずとも、あの日に交わした契約に白仮面の男を含め、嫉妬王の部下は含まれていないのだ。
『何という失態……っ』
毒づいた。
半分は自らに向けた怒りのままに、魔術師協会に保管されていた腕を破壊した。
全ての叡智を司るとさえ言われた大精霊が取ったあまりにも短絡的な行動に、自分自身の存在意義を見失いそうになる。
それでも――それでもこの感情を抑えておくことは彼女にはできなかった。
『たとえこの身がどうなろうと、あやつだけは決して許さぬ……!』
アメンスィの怒りは、更に募っていく。
●そして脅威は目覚め
「クフフフ……このような場所にいても感じてしまうよ、君の怒りを」
皺枯れた声が楽しそうに呟いた。
「相も変わらず実に心地いい不快感だ。もう何年たったのだろうか。久方ぶりに浴びるこの感情は、まるで最高の美酒を味わっているようだよ」
クフフと低く笑うたびに、辺りの岩盤が揺れて剥がれ落ちていく。
「さて、そろそろ起きるかな。愛しの君にも会いたくなったしね」
モゾリと小さく身じろぐたびに、巨大な岩がガラガラと大音響を立て崩れ落ちる。
「ふむ……僕の眷属はおせっかいが多いみたいだね。だけどありがたく受け取っておこうかな。これから何をするにも『武器』は必要だし」
真暗にも近い闇の中にぼんやりと浮かぶ数本の白筋に、声の主は再び低く笑った。
「5本、かな。昔と比べて随分と減ってしまったが……いや、これが『老い』というやつかな? クフフフ、面白いね」
随分どころか激減した自らの『体』の一部を可笑しそうに見つめながら、声の主は体とのリンクを繋いでいく。
「うん? ああ、これは使えないね。捨ててしまおう」
言いながら声の主は、王墓から持ち出されたほぼ死滅状態だった腕を視線の一睨みで消し去った。
これで4本。体とつながった『腕』の形をしたそれらの動きを確かめるように何度か掌を開閉させる。
「ふむふむ、少ないのも悪くないね。なんだか愛着がわくよ。そうだ、名前でも付けるかな」
どこまでも他人事のように、声の主は自らの冗談に笑う。
「クフフフフフ……面白い『状況』だね。この『ルール』は実にそそられる。さぁ、もう待ち飽きたよ。この大地が震えるようなゲームを始めようじゃないか」
団外が崩れ落ちる大轟音と共に、声の主――嫉妬王ラルヴァは数百年の眠りと決別し、再び光立つ大地へと昇って行った。
●「リザイン・ステイルメイト」(1月11日公開)
●300年ごしのリザイン
「……簡単に何度も入られる、こっちの身にもなってもらいたいんだが」
薄暗い空間にユージィン・モア(kz0221)の声がこだました。
暗がりの中、知恵の精霊アメンスィがゆったりとした所作でユージィンを見る。
「あなた方が『同盟』と呼ぶ土地は、その大半が私にとって庭のようなもの。どこに現れるにも、造作もないことです」
「それ、前時代的な貴族たちの前では絶対に口にしないでくれよ?」
口にしながら、ユージィンは無造作に伸びた前髪をわしゃりとかき上げる。
「それで、何をなさってるんです?」
「瞑想です」
アメンスィは静かに瞳を閉じて答えた。
「思考には暗闇と静寂、そして孤独が必要です。ここはそのすべてを満たしてくれる場所――」
かつてラルヴァの腕が保管されていたこの部屋は、今では協会の中にぽっかりと開いたただの空洞だ。
僅かな光を取り込む天窓も、時期がら雨戸を閉め切られて、その役目をはたしていない。
「……ラルヴァが人の住まう場所に姿を現したそうですね。あやつは何を語っておりましたか?」
「ソサエティの報告ではゲームを楽しんでいる――と。あなたとのね」
そこまで口にして、ユージィンは先の言葉を一瞬ためらった。
だが意を決して、それを口にする。
「正直、迷惑だ」
アメンスィは無言で肯定する。
その時の彼女の中にあるのは悲しみでも哀れみでもなく、ただ自らに対する憤りだけだった。
「この300年、私はラルヴァに勝った気にさせられていました。その実、負け続けていたとも知らずに……“知恵”の名が聞いて呆れます」
言葉に力がこもり、彼女の肩が小さく震える。
そういうの、苦手なんだよな――ユージィンはため息交じりに虚空を見渡した後、話題を変えるように口にした。
「同盟の大半が庭――と言ったが、それに含まれない場所があるのか?」
「大地の裂目……人の子らは、あの場所をそう呼んでいるそうですね」
大地の裂目――同盟に住まう者なら誰でも知っているその場所は、文字通り大地を裂くかのように数十kmにもわたって存在する大渓谷。
地の精霊の力により永久の豊穣を約束されている同盟の地において、この『大地の裂目』の周辺域はぺんぺん草ひとつ生えない不毛の地である。
「俺もこの数ヶ月、裂目の調査を行ってきた。と言っても文献を漁ったり……現地を散策してみたり。結果、得られるものは何もなかった――いや、何もないことこそが得られたものだと思っている」
ユージィンがそう語ると、アメンスィはそのアメジストに似た瞳で彼を見るように、うっすらと瞼を開いた。
「その考えを聞かせてもらえますか?」
ユージィンは腰に手を当てて、反対の手で顎を撫でる。
「何もない――というのはおかしなことだ。だってそうだろう。この世界には正負に関わらずマテリアルであふれている。正の力であふれていればそこには生命が。負の力であふれていればそこには歪虚が生まれる。それがないからこそ『不毛』。しかしだ、この世界で『不毛』という定義に位置づけられる場所が果たして存在しうるのか? いや、ありえない。逆説的に考えれば、そんな場所“存在してはいけない”のだから」
それは答えであり疑問。
煮え切らない思いの彼に、アメンスィは先ほどよりもはっきりと目を開いて、そしてわずかに笑みを浮かべた。
「同じ感覚を、あなたはかつて感じているはずです」
その言葉にユージィンははっとする。
「そうか……『腕』か!」
それ単体では何の価値も、なんの力もないラルヴァの『腕』。
同盟各地で発見され、「そうだ」と言われるまで古代遺物か何かと思われていたそれは、負のマテリアルを放つこともなく、ただそこに存在しているだけであった。
「それこそが嫉妬王ラルヴァ。あやつの価値は『存在』。どこにでも居て、どこにも居ない。気づけばあらゆる者の隣人であり、気づけばあらゆる仇の友人である。気づいた時に糸に括られて、ていのいい『操り人形』となるのです」
「それがヴァリオスやポルトワールの――いや待て、アメンスィ。その口ぶりからすれば知っているんだな? 大地の裂目とラルヴァの関係を」
ユージィンの仮説に、アメンスィは静かにうなずく。
「おそらくラルヴァはあの地に居を構えている。なぜならあの場所はかつて、私が仮初の勝利を得た場所なのですから」
ユージィンの口から乾いた笑みがこぼれた。
なるほど、そういうことか。
それですべての疑問に納得がいった。
「……ラルヴァは裂目のどこに?」
「分かりません。正のマテリアルの微弱な土地では、地の精霊たちの力をもってしてもその存在を察知することができないのです」
「ははっ……結局は直接出向くしかないわけだ。大地の裂目――その最奥へ」
なんて理不尽な。
だがユージィンの奥底で、その心は踊っていた。
それは協会に属するひとり“真理の探究者”として。
それは曾祖父の至らなかった“解”を得るため。
目の前の道を歩むことを止めることなど、己自信にだってできやしないのだから。
「……人の子よ」
半ば水を差すようなアメンスィの言葉に、ユージィンはどこか不機嫌さを露に彼女を見る。
だがその瞳が精霊としての威厳に満ちた輝きを放って、思わずかたずをのんだ。
「頼みがあります。いえ……これは頼みではなく願いです。これから私の言うことを、一句漏らさず、あなたの主に伝えてください」
「……それは、どのような用件で?」
尋ねるユージィンに、アメンスィは断固たる意志でもって答えた。
「この300年にわたる戦いを終わらせるため――私に力を貸してほしいのです」
●301年目の決断
「それで、私に持ちかけて来たというのが『これ』というわけね」
ユージィンの口を通してアメンスィの願いを聞いたジルダ・アマート(kz0006)は、言いつけ通り一字一句漏らさず伝えられたその言葉をさらりと羊皮紙の上に書き連ねる。
互いに何を示し合わせたというわけでもないのに、十数枚にわたって書き連ねられた言葉たちは『それぞれのあるべき場所』へ収まって、やがてひとつの魔術式を形成していた。
「見たところ結界術のようですが……?」
「『結界』だなんてユージィンは例えが優しいのね」
「やさ――」
彼が思わず言葉を詰まらせると、ジルダはくすくすとおかしそうに笑った。
「この魔術式が示すのは『拒絶』よ。物理・概念その性質は問わず、術を展開した空間を外界から拒絶する。『隔離』と言っても良いかしら。時間も空間も、そのすべてを隔絶し、ひとところに閉じ込める。地球を封印したアレに似ている――いや、系統自体は同じものでしょう。ただ『2大大精霊』という前例の膨大なエネルギーがここにはない以上、その範囲や効果は限定的でしょうけどね」
「待ってください、それって……」
「協会の教義に当てはめれば“禁術”に属するものよ」
「はぁ……やっぱり」
その答えにユージィンが示したのは驚愕ではなく呆然。
口にしたジルダの表情が、まるで水を得た魚のように生き生きと潤っていたからだ。
「心配する必要はないわ。これはまだ記録に載っていない精霊の魔術。管理局で“禁術”判定を下されていない、いわば研究の中で偶然生まれて行使してしまうのと同じだから」
「誰も何も言ってませんが」
ため息交じり呟いたユージィンに、ジルダは「そう」とにこやかに返す。
「もちろん、理由はそれだけじゃないわ。仮にこの魔術式を精巧に再現しようとする何者かがいても、大きく『2つのこと』をクリアできない」
「2つのこと?」
なんだかんだ食いつく彼にジルダは一層気をよくして、小躍りでもしそうな勢いで杖を振うと、空中にマテリアルで解説図を板書し始める。
「ひとつ。この術の『拒絶』はある種の契約によって成り立っているわ。術を展開する空間の『中』と『外』において、お互いに『干渉しません』と交わすようなものね」
棒人間のイラストと矢印を使って解説する姿は、まさしく魔術学校で教鞭を振う姿そのもの。
これだけなら本当にいい教師でもあるのに……とはいえ、ユージィンも野暮なツッコミは自粛する。
「その『外』というのが、同盟領各地におわす精霊たち。土地のことはその土地の精霊が契約を交わす。当然のことね。彼らの協力なくしてこの術は成り立たないわ」
「ゆえの精霊の魔術、ですか。で、もうひとつは?」
「術を行使する空間――『部屋』とでも呼称しましょうか。その部屋そのものおいても内と外の両方から、同じだけの出力で魔術式を展開しなければならないこと。これも当然のことね。扉を閉めたところで、片側から自由に鍵を開け閉めできたら『相互に拒絶している』とは言えないもの。そうしてできた部屋の中にラルヴァを引きずり込んで、逃げられないようにしてから実力勝負。なかなかに泥臭い作戦じゃない」
そう教鞭を振ったジルダに、ユージィンは今度こそ驚きに目を見開いた。
「部屋の内と外から同じ出力で展開……ですって?」
「ええ。内側から鍵を閉めるアメンスィと同じ出力で、外側から」
「誰がするんです?」
「あなたの他に適任がいるの? 強いて言えばドメニコかしら……でも彼を留守にするのは困るわ」
ユージィンの口から、引きつった笑みがこぼれた。
「い……いやいやいや、とんだ冗談を! 俺が『知恵の精霊』と同じだけのって――そんなバカな!」
「できるわ」
あっけらかんとして答えたジルダに、ユージィンはなおも自嘲するように笑みを浮かべて――だが不意にぴたりと笑い声を止めて、どこか戸惑ったように彼女を見た。
「できるわ。私が“い”れば」
「いや……ですが……ああ、いや……本当に?」
狼狽えるユージィン。
ジルダは何度でも、さも当然のように、言葉を連ねる。
「単純な計算よ。子供だって解けるわ」
ユージィンには彼女の信頼がどこからやってくるのか理解できない。
だが彼女がこの表情をする時、それは絶対の確信と自信があるときの現れだ。
「これだけの魔術式だもの入念な準備が必要だわ。さぁ、時間はないのだから忙しくなるわよ」
アメンスィが精霊界の叡智の象徴であるならば、ジルダ・アマートは人間界の叡智の象徴。
彼女の目が半月を描いて笑う時、それは天変地異すらも起きかねない事態の前触れだ。
それを知ってなおユージィンは胸の高鳴りを押さえることができなかった。
●ステイルメイト・クイーン
土づくりの建造物の中で、ひとりの老紳士がチェス盤に向かって笑みを湛えていた。
黒が自分。
そして白も自分。
どちらも勝つつもりで指す一手一手は、今、数日間の長考に入っている。
どれだけそこに座っていたのだろう。
いつしかそういう姿の石像なのではないかと錯覚させるほど何度も太陽が沈み、昇ったころ、ふと、皺が刻まれた口元が、同じくしわがれた声を発した。
「私はね、ニンゲンの生み出したゲームの中でこの『チェス』というものを気に入っているんだよ」
すると、いつの間にか反対側の椅子に座っていた全く同じ顔姿の老紳士――嫉妬王ラルヴァがクフフと耐えるような笑いを溢して頷いた。
「確かに、よく考えられているね。少ない駒、限られた土地でどれだけのことができるのか。まさしく知恵と知恵の比べ合いだ」
もとの紳士がそれに相槌をうつ。
「平等なルールのように見えて、その実、不平等であるところもまたいい。私は勝つのが好きだからね、もちろん有利な側に立ちたいが――たまには後手に回るのも良いものだと感じるよ。もっとも、キミほどの相手でないと不平等など押し切って、私が勝ってしまうだろうけどね」
「……ここにていの良い相手がいるのに、独り言で盛り上がるのはやめていただけませんかねぇ」
ふと、暗がりの中から姿を現したクラーレ・クラーラ(kz0225)に、4つの瞳が一斉にその姿を捉える。
うち2つがふっと老紳士の姿ごと消え失せたが、クフクフとした独特の笑い声だけは2人分重なって高い天井に響いた。
「やあ、戻っていたんだね。その様子じゃあ、満足いくまでは遊べなかったのかな」
「ええ、おかげさまで」
クラーレはにこやかに答えると、室内だというのに傘をさして、すとんと盤の向かいに腰を下ろした。
「それで、次の手はどうするんです? 私ならここらでチェックをかけますがねぇ」
口にして、空いた手で白のビショップを動かすと黒に対してチェックをかける。
その一手にラルヴァは笑いながら、数日振りに動いた盤面を覗き込んだ。
「今は彼女のターンだ。長考を待つ時間は嫌いじゃないよ。それに、キングはそう執拗に動くものじゃあない」
「それなら、こちらもこちらで楽しんできますかねぇ」
席を立ったクラーラは、そのまま闇に溶け込むように消えていく。
それを片眼鏡の奥の瞳で見送って、ラルヴァは黒のクイーンを1つ摘まみ上げた。
「他人のルールをよく知らずに指すものではないね、クラーレ」
飄々と笑いながら、白のショップを取る。
それを皮切りにひょいひょいと盤面はめまぐるしく動き、やがてぴたりと手が止まった。
「これでステイルメイト――引き分けは実質、私(黒)の勝ちだ」
追い込まれた黒のキング。
しかしこれ以上動かす手のない盤面はステイルメイト――引き分けとして処理される。
一息つくように椅子に深く腰掛け、ラルヴァは終わった盤面をはたと眺めた。
そこでぎらついた存在感を放つ黒のクイーンを慈しむように眺め、ほうと、感嘆の息を溢す。
「この時代、私のクイーンに相応しい駒は誰になるだろう? 道化か、蒐集家か……怠惰の姫君なんてのも面白いかもしれないね」
クフクフと笑い声がこだまする。
それは王者にのみ許された至福の余韻である。

ユージィン・モア

アメンスィ
薄暗い空間にユージィン・モア(kz0221)の声がこだました。
暗がりの中、知恵の精霊アメンスィがゆったりとした所作でユージィンを見る。
「あなた方が『同盟』と呼ぶ土地は、その大半が私にとって庭のようなもの。どこに現れるにも、造作もないことです」
「それ、前時代的な貴族たちの前では絶対に口にしないでくれよ?」
口にしながら、ユージィンは無造作に伸びた前髪をわしゃりとかき上げる。
「それで、何をなさってるんです?」
「瞑想です」
アメンスィは静かに瞳を閉じて答えた。
「思考には暗闇と静寂、そして孤独が必要です。ここはそのすべてを満たしてくれる場所――」
かつてラルヴァの腕が保管されていたこの部屋は、今では協会の中にぽっかりと開いたただの空洞だ。
僅かな光を取り込む天窓も、時期がら雨戸を閉め切られて、その役目をはたしていない。
「……ラルヴァが人の住まう場所に姿を現したそうですね。あやつは何を語っておりましたか?」
「ソサエティの報告ではゲームを楽しんでいる――と。あなたとのね」
そこまで口にして、ユージィンは先の言葉を一瞬ためらった。
だが意を決して、それを口にする。
「正直、迷惑だ」
アメンスィは無言で肯定する。
その時の彼女の中にあるのは悲しみでも哀れみでもなく、ただ自らに対する憤りだけだった。
「この300年、私はラルヴァに勝った気にさせられていました。その実、負け続けていたとも知らずに……“知恵”の名が聞いて呆れます」
言葉に力がこもり、彼女の肩が小さく震える。
そういうの、苦手なんだよな――ユージィンはため息交じりに虚空を見渡した後、話題を変えるように口にした。
「同盟の大半が庭――と言ったが、それに含まれない場所があるのか?」
「大地の裂目……人の子らは、あの場所をそう呼んでいるそうですね」
大地の裂目――同盟に住まう者なら誰でも知っているその場所は、文字通り大地を裂くかのように数十kmにもわたって存在する大渓谷。
地の精霊の力により永久の豊穣を約束されている同盟の地において、この『大地の裂目』の周辺域はぺんぺん草ひとつ生えない不毛の地である。
「俺もこの数ヶ月、裂目の調査を行ってきた。と言っても文献を漁ったり……現地を散策してみたり。結果、得られるものは何もなかった――いや、何もないことこそが得られたものだと思っている」
ユージィンがそう語ると、アメンスィはそのアメジストに似た瞳で彼を見るように、うっすらと瞼を開いた。
「その考えを聞かせてもらえますか?」
ユージィンは腰に手を当てて、反対の手で顎を撫でる。
「何もない――というのはおかしなことだ。だってそうだろう。この世界には正負に関わらずマテリアルであふれている。正の力であふれていればそこには生命が。負の力であふれていればそこには歪虚が生まれる。それがないからこそ『不毛』。しかしだ、この世界で『不毛』という定義に位置づけられる場所が果たして存在しうるのか? いや、ありえない。逆説的に考えれば、そんな場所“存在してはいけない”のだから」
それは答えであり疑問。
煮え切らない思いの彼に、アメンスィは先ほどよりもはっきりと目を開いて、そしてわずかに笑みを浮かべた。
「同じ感覚を、あなたはかつて感じているはずです」
その言葉にユージィンははっとする。

それ単体では何の価値も、なんの力もないラルヴァの『腕』。
同盟各地で発見され、「そうだ」と言われるまで古代遺物か何かと思われていたそれは、負のマテリアルを放つこともなく、ただそこに存在しているだけであった。
「それこそが嫉妬王ラルヴァ。あやつの価値は『存在』。どこにでも居て、どこにも居ない。気づけばあらゆる者の隣人であり、気づけばあらゆる仇の友人である。気づいた時に糸に括られて、ていのいい『操り人形』となるのです」
「それがヴァリオスやポルトワールの――いや待て、アメンスィ。その口ぶりからすれば知っているんだな? 大地の裂目とラルヴァの関係を」
ユージィンの仮説に、アメンスィは静かにうなずく。
「おそらくラルヴァはあの地に居を構えている。なぜならあの場所はかつて、私が仮初の勝利を得た場所なのですから」
ユージィンの口から乾いた笑みがこぼれた。
なるほど、そういうことか。
それですべての疑問に納得がいった。
「……ラルヴァは裂目のどこに?」
「分かりません。正のマテリアルの微弱な土地では、地の精霊たちの力をもってしてもその存在を察知することができないのです」
「ははっ……結局は直接出向くしかないわけだ。大地の裂目――その最奥へ」
なんて理不尽な。
だがユージィンの奥底で、その心は踊っていた。
それは協会に属するひとり“真理の探究者”として。
それは曾祖父の至らなかった“解”を得るため。
目の前の道を歩むことを止めることなど、己自信にだってできやしないのだから。
「……人の子よ」
半ば水を差すようなアメンスィの言葉に、ユージィンはどこか不機嫌さを露に彼女を見る。
だがその瞳が精霊としての威厳に満ちた輝きを放って、思わずかたずをのんだ。
「頼みがあります。いえ……これは頼みではなく願いです。これから私の言うことを、一句漏らさず、あなたの主に伝えてください」
「……それは、どのような用件で?」
尋ねるユージィンに、アメンスィは断固たる意志でもって答えた。
「この300年にわたる戦いを終わらせるため――私に力を貸してほしいのです」
●301年目の決断

ジルダ・アマート
ユージィンの口を通してアメンスィの願いを聞いたジルダ・アマート(kz0006)は、言いつけ通り一字一句漏らさず伝えられたその言葉をさらりと羊皮紙の上に書き連ねる。
互いに何を示し合わせたというわけでもないのに、十数枚にわたって書き連ねられた言葉たちは『それぞれのあるべき場所』へ収まって、やがてひとつの魔術式を形成していた。
「見たところ結界術のようですが……?」
「『結界』だなんてユージィンは例えが優しいのね」
「やさ――」
彼が思わず言葉を詰まらせると、ジルダはくすくすとおかしそうに笑った。
「この魔術式が示すのは『拒絶』よ。物理・概念その性質は問わず、術を展開した空間を外界から拒絶する。『隔離』と言っても良いかしら。時間も空間も、そのすべてを隔絶し、ひとところに閉じ込める。地球を封印したアレに似ている――いや、系統自体は同じものでしょう。ただ『2大大精霊』という前例の膨大なエネルギーがここにはない以上、その範囲や効果は限定的でしょうけどね」
「待ってください、それって……」
「協会の教義に当てはめれば“禁術”に属するものよ」
「はぁ……やっぱり」
その答えにユージィンが示したのは驚愕ではなく呆然。
口にしたジルダの表情が、まるで水を得た魚のように生き生きと潤っていたからだ。
「心配する必要はないわ。これはまだ記録に載っていない精霊の魔術。管理局で“禁術”判定を下されていない、いわば研究の中で偶然生まれて行使してしまうのと同じだから」
「誰も何も言ってませんが」
ため息交じり呟いたユージィンに、ジルダは「そう」とにこやかに返す。
「もちろん、理由はそれだけじゃないわ。仮にこの魔術式を精巧に再現しようとする何者かがいても、大きく『2つのこと』をクリアできない」
「2つのこと?」
なんだかんだ食いつく彼にジルダは一層気をよくして、小躍りでもしそうな勢いで杖を振うと、空中にマテリアルで解説図を板書し始める。
「ひとつ。この術の『拒絶』はある種の契約によって成り立っているわ。術を展開する空間の『中』と『外』において、お互いに『干渉しません』と交わすようなものね」
棒人間のイラストと矢印を使って解説する姿は、まさしく魔術学校で教鞭を振う姿そのもの。
これだけなら本当にいい教師でもあるのに……とはいえ、ユージィンも野暮なツッコミは自粛する。
「その『外』というのが、同盟領各地におわす精霊たち。土地のことはその土地の精霊が契約を交わす。当然のことね。彼らの協力なくしてこの術は成り立たないわ」
「ゆえの精霊の魔術、ですか。で、もうひとつは?」
「術を行使する空間――『部屋』とでも呼称しましょうか。その部屋そのものおいても内と外の両方から、同じだけの出力で魔術式を展開しなければならないこと。これも当然のことね。扉を閉めたところで、片側から自由に鍵を開け閉めできたら『相互に拒絶している』とは言えないもの。そうしてできた部屋の中にラルヴァを引きずり込んで、逃げられないようにしてから実力勝負。なかなかに泥臭い作戦じゃない」
そう教鞭を振ったジルダに、ユージィンは今度こそ驚きに目を見開いた。
「部屋の内と外から同じ出力で展開……ですって?」
「ええ。内側から鍵を閉めるアメンスィと同じ出力で、外側から」
「誰がするんです?」
「あなたの他に適任がいるの? 強いて言えばドメニコかしら……でも彼を留守にするのは困るわ」
ユージィンの口から、引きつった笑みがこぼれた。
「い……いやいやいや、とんだ冗談を! 俺が『知恵の精霊』と同じだけのって――そんなバカな!」
「できるわ」
あっけらかんとして答えたジルダに、ユージィンはなおも自嘲するように笑みを浮かべて――だが不意にぴたりと笑い声を止めて、どこか戸惑ったように彼女を見た。
「できるわ。私が“い”れば」
「いや……ですが……ああ、いや……本当に?」
狼狽えるユージィン。
ジルダは何度でも、さも当然のように、言葉を連ねる。
「単純な計算よ。子供だって解けるわ」
ユージィンには彼女の信頼がどこからやってくるのか理解できない。
だが彼女がこの表情をする時、それは絶対の確信と自信があるときの現れだ。
「これだけの魔術式だもの入念な準備が必要だわ。さぁ、時間はないのだから忙しくなるわよ」
アメンスィが精霊界の叡智の象徴であるならば、ジルダ・アマートは人間界の叡智の象徴。
彼女の目が半月を描いて笑う時、それは天変地異すらも起きかねない事態の前触れだ。
それを知ってなおユージィンは胸の高鳴りを押さえることができなかった。
●ステイルメイト・クイーン

嫉妬王ラルヴァ
黒が自分。
そして白も自分。
どちらも勝つつもりで指す一手一手は、今、数日間の長考に入っている。
どれだけそこに座っていたのだろう。
いつしかそういう姿の石像なのではないかと錯覚させるほど何度も太陽が沈み、昇ったころ、ふと、皺が刻まれた口元が、同じくしわがれた声を発した。
「私はね、ニンゲンの生み出したゲームの中でこの『チェス』というものを気に入っているんだよ」
すると、いつの間にか反対側の椅子に座っていた全く同じ顔姿の老紳士――嫉妬王ラルヴァがクフフと耐えるような笑いを溢して頷いた。
「確かに、よく考えられているね。少ない駒、限られた土地でどれだけのことができるのか。まさしく知恵と知恵の比べ合いだ」
もとの紳士がそれに相槌をうつ。
「平等なルールのように見えて、その実、不平等であるところもまたいい。私は勝つのが好きだからね、もちろん有利な側に立ちたいが――たまには後手に回るのも良いものだと感じるよ。もっとも、キミほどの相手でないと不平等など押し切って、私が勝ってしまうだろうけどね」
「……ここにていの良い相手がいるのに、独り言で盛り上がるのはやめていただけませんかねぇ」

クラーレ・クラーラ
うち2つがふっと老紳士の姿ごと消え失せたが、クフクフとした独特の笑い声だけは2人分重なって高い天井に響いた。
「やあ、戻っていたんだね。その様子じゃあ、満足いくまでは遊べなかったのかな」
「ええ、おかげさまで」
クラーレはにこやかに答えると、室内だというのに傘をさして、すとんと盤の向かいに腰を下ろした。
「それで、次の手はどうするんです? 私ならここらでチェックをかけますがねぇ」
口にして、空いた手で白のビショップを動かすと黒に対してチェックをかける。
その一手にラルヴァは笑いながら、数日振りに動いた盤面を覗き込んだ。
「今は彼女のターンだ。長考を待つ時間は嫌いじゃないよ。それに、キングはそう執拗に動くものじゃあない」
「それなら、こちらもこちらで楽しんできますかねぇ」
席を立ったクラーラは、そのまま闇に溶け込むように消えていく。
それを片眼鏡の奥の瞳で見送って、ラルヴァは黒のクイーンを1つ摘まみ上げた。
「他人のルールをよく知らずに指すものではないね、クラーレ」
飄々と笑いながら、白のショップを取る。
それを皮切りにひょいひょいと盤面はめまぐるしく動き、やがてぴたりと手が止まった。
「これでステイルメイト――引き分けは実質、私(黒)の勝ちだ」
追い込まれた黒のキング。
しかしこれ以上動かす手のない盤面はステイルメイト――引き分けとして処理される。
一息つくように椅子に深く腰掛け、ラルヴァは終わった盤面をはたと眺めた。
そこでぎらついた存在感を放つ黒のクイーンを慈しむように眺め、ほうと、感嘆の息を溢す。
「この時代、私のクイーンに相応しい駒は誰になるだろう? 道化か、蒐集家か……怠惰の姫君なんてのも面白いかもしれないね」
クフクフと笑い声がこだまする。
それは王者にのみ許された至福の余韻である。
●「協会の秘術」(3月15日公開)
●時は迫りくる
「――今のところ、力の向きが違うわ。直進ではなく、対流させるイメージよ」
「すみません……もう一度、お願いします」
薄暗がりの中で、ユージィン・モア(kz0221)は顎に伝った汗を無造作に拭う。
かつてラルヴァの巨腕が安置されていた魔術師協会の保管庫は、現在はラルヴァとの決戦に向けた彼の修練の場と化していた。
その顧問を引き受けたジルダ・アマート(kz0006)は、部屋の隅に机を椅子を出して、これとは全く関係のない文献を読み漁っている。
顧問、というのは体のいい言い訳で、その実は他のことをしなくていい言い訳づくりなのだろう。
とは言えアメンスィの魔術式である「拒絶の部屋」を一目見ただけで覚え、指導できる人間なんて彼女の他にはおらず、結果として適任とはなっている。
アメンスィの結界術を外から支える役目を担うこととなったユージィンは、いまだに自らがその役を担うことに疑問を抱いている。
そもそも魔術師としての実力で言えば、他にも適任はいるはずだ。
協会のお偉い方や、それこそジルダでも構わないだろう。
だがそうしないのは何か裏があるのだろう――と、勘ぐらざるをえない。
「集中なさい。そんなミミズが這ったみたいなマテリアルの流れじゃ、彼女の精錬された流れに不釣り合いよ」
「すみません……」
本に視線を落としたまま、こちらを見向きもせず指摘するジルダにドキリとする。
とにかく、引き受けなければならない以上はユージィンだって中途半端なことをするつもりはない。
それに、こうして精霊の魔術に触れる機会というのも、それはそれで後学の糧になるものだ。
「精が出ますね」
「……その声、アメンスィか」
暗がりから響いた声に、ユージィンは一息つきながら答える。
現れたアメンスィは修練中の彼の姿を見守るように見つめると、静かに口を開いた。
「大地の裂目に関する情報……ありがとうございました。内容が確かであれば、おそらくその中にある遺跡――そこにラルヴァがいると見て間違いはありません」
「ずいぶんと簡単に断言するんだな?」
「その遺跡とやらは300年前には存在しませんでした。ラルヴァのために拵えた、と考えるのが妥当なところでしょう」
「なるほど」
休憩がてら、瓶からひしゃくで掬った水を一気に飲み干すユージィン。
火照った身体に冷たい水が流れていく感覚が、どことなくマテリアルの流れの感じに似ていて気持ちがいい。
「それで、わざわざお礼を言うためだけに来た……っていうわけでもないんでしょう?」
アメンスィは頷く。
「情報をいただいたお礼というわけでもありませんが、私の知りうる限りのラルヴァのことを――」
●ジルダ・アマートの秘術
「――なるほど、それがあの歪虚王の全貌か」
考え込むように頷いたユージィンに、アメンスィはそっと首を横に振る。
「全てである、と断言することはできません。かつてあやつが私を相手に手を抜いて戦っていた、ということはないでしょう。しかし、切り札は出し惜しむのが嫉妬王ラルヴァという存在です。とっておきをもったいぶる子供のように」
「ならあなたは?」
その問いに、アメンスィは微笑みながら答える。
「それが最善であるならば、真っ先にでも切るべきでしょう」
「なるほど」
最善なら――と付けるのがなんとも彼女らしい。
ユージィンもなんとなく、彼女という存在のことが分かって来たような気がする。
「最も厄介なのはやはり、どこにでも存在できる――という力。私もずいぶんと苦しめられたものです」
「それを防ぐための結界術、というわけか」
「そのように。1枚でも多く、手は封じなければなりませんから」
少なくとも、結界の中に封じ込めれば逃げられることもない。
正真正銘、どちらかが消滅することがすなわち決着となる。
「あなた方にかかっています。どうか、お願いします」
その言葉に、ユージィンは苦い表情で目を泳がせる。
「もちろん、最善は尽くす。尽くすが……」
魔術の行使のうえで、もっとも大事なのはヴィジョンだ。
「こうしたい」という意識の投影。
それが形となったのが、目に見える形になった魔術というもの。
だというのに、ユージィンには全くもって「アメンスィと渡り合う」ヴィジョンが見えない。
上手くいかない理由がどこかにあるとしたら、おそらくそれなのだ。
「私は知の精霊です。不可能なことを頼むほど、愚かな存在ではありません」
「それでもだな……」
「大丈夫。あなたには、彼女がついている」
アメンスィの視線が、相変わらず本を読みふけるジルダの方へと向かう。
ジルダもふと視線を上げると、アメンスィの事を見てにんまりと笑う。
「あら……まるで私のことを熟知しているようね」
「もちろん」
アメンスィはあくまで真面目に、頷いてみせる。
「あなたが生まれたころから、よく知っています。決して間違いが起こらぬように――と」
「あらあら。それじゃ、協会に隠れて試したあんなことやこんなことも筒抜けなのかしら。お願いだから、ドメニコには黙っていてちょうだいね」
「あなたが違えさえしなければ、私はただ、見守るだけの存在です」
言葉を交わす両者に、ユージィンは頭の上に「?」を浮かべながら視線だけ2人を行き来する。
やがて唸りながら目元を抑えると、絞り出すように口にした。
「2人で怪しく盛り上がってないで、いい加減に教えてくれませんかね。俺がこの役をこなせる根拠ってのを」
その言葉に、アメンスィはやや驚いたように目を見開く。
「まだ、教えていないのですか?」
「だって、そういう約束だもの。ドメニコとの」
あっけらかんとして答えたジルダは、ちょっと考え込んでから笑みを浮かべる。
「だけどそうね……確かに、このままじゃ術の行使に支障があるかしら」
彼女は本を閉じると、傍らの自らの杖を取る。
それから教鞭を振るうように、宙へ向けてそれを振り上げた。
「あなたも魔術学校の生徒だったなら、これが最後の科目よ。もっとも、課外授業扱いで単位はないけれど。講座の題目は私の魔術――」
――秘術「アンプリフ」。

ユージィン・モア

ジルダ・アマート
「すみません……もう一度、お願いします」
薄暗がりの中で、ユージィン・モア(kz0221)は顎に伝った汗を無造作に拭う。
かつてラルヴァの巨腕が安置されていた魔術師協会の保管庫は、現在はラルヴァとの決戦に向けた彼の修練の場と化していた。
その顧問を引き受けたジルダ・アマート(kz0006)は、部屋の隅に机を椅子を出して、これとは全く関係のない文献を読み漁っている。
顧問、というのは体のいい言い訳で、その実は他のことをしなくていい言い訳づくりなのだろう。
とは言えアメンスィの魔術式である「拒絶の部屋」を一目見ただけで覚え、指導できる人間なんて彼女の他にはおらず、結果として適任とはなっている。
アメンスィの結界術を外から支える役目を担うこととなったユージィンは、いまだに自らがその役を担うことに疑問を抱いている。
そもそも魔術師としての実力で言えば、他にも適任はいるはずだ。
協会のお偉い方や、それこそジルダでも構わないだろう。
だがそうしないのは何か裏があるのだろう――と、勘ぐらざるをえない。
「集中なさい。そんなミミズが這ったみたいなマテリアルの流れじゃ、彼女の精錬された流れに不釣り合いよ」
「すみません……」
本に視線を落としたまま、こちらを見向きもせず指摘するジルダにドキリとする。
とにかく、引き受けなければならない以上はユージィンだって中途半端なことをするつもりはない。
それに、こうして精霊の魔術に触れる機会というのも、それはそれで後学の糧になるものだ。

アメンスィ

嫉妬王ラルヴァ
「……その声、アメンスィか」
暗がりから響いた声に、ユージィンは一息つきながら答える。
現れたアメンスィは修練中の彼の姿を見守るように見つめると、静かに口を開いた。
「大地の裂目に関する情報……ありがとうございました。内容が確かであれば、おそらくその中にある遺跡――そこにラルヴァがいると見て間違いはありません」
「ずいぶんと簡単に断言するんだな?」
「その遺跡とやらは300年前には存在しませんでした。ラルヴァのために拵えた、と考えるのが妥当なところでしょう」
「なるほど」
休憩がてら、瓶からひしゃくで掬った水を一気に飲み干すユージィン。
火照った身体に冷たい水が流れていく感覚が、どことなくマテリアルの流れの感じに似ていて気持ちがいい。
「それで、わざわざお礼を言うためだけに来た……っていうわけでもないんでしょう?」
アメンスィは頷く。
「情報をいただいたお礼というわけでもありませんが、私の知りうる限りのラルヴァのことを――」
●ジルダ・アマートの秘術
「――なるほど、それがあの歪虚王の全貌か」
考え込むように頷いたユージィンに、アメンスィはそっと首を横に振る。
「全てである、と断言することはできません。かつてあやつが私を相手に手を抜いて戦っていた、ということはないでしょう。しかし、切り札は出し惜しむのが嫉妬王ラルヴァという存在です。とっておきをもったいぶる子供のように」
「ならあなたは?」
その問いに、アメンスィは微笑みながら答える。
「それが最善であるならば、真っ先にでも切るべきでしょう」
「なるほど」
最善なら――と付けるのがなんとも彼女らしい。
ユージィンもなんとなく、彼女という存在のことが分かって来たような気がする。
「最も厄介なのはやはり、どこにでも存在できる――という力。私もずいぶんと苦しめられたものです」
「それを防ぐための結界術、というわけか」
「そのように。1枚でも多く、手は封じなければなりませんから」
少なくとも、結界の中に封じ込めれば逃げられることもない。
正真正銘、どちらかが消滅することがすなわち決着となる。
「あなた方にかかっています。どうか、お願いします」
その言葉に、ユージィンは苦い表情で目を泳がせる。
「もちろん、最善は尽くす。尽くすが……」
魔術の行使のうえで、もっとも大事なのはヴィジョンだ。
「こうしたい」という意識の投影。
それが形となったのが、目に見える形になった魔術というもの。
だというのに、ユージィンには全くもって「アメンスィと渡り合う」ヴィジョンが見えない。
上手くいかない理由がどこかにあるとしたら、おそらくそれなのだ。
「私は知の精霊です。不可能なことを頼むほど、愚かな存在ではありません」
「それでもだな……」
「大丈夫。あなたには、彼女がついている」
アメンスィの視線が、相変わらず本を読みふけるジルダの方へと向かう。
ジルダもふと視線を上げると、アメンスィの事を見てにんまりと笑う。
「あら……まるで私のことを熟知しているようね」
「もちろん」
アメンスィはあくまで真面目に、頷いてみせる。
「あなたが生まれたころから、よく知っています。決して間違いが起こらぬように――と」
「あらあら。それじゃ、協会に隠れて試したあんなことやこんなことも筒抜けなのかしら。お願いだから、ドメニコには黙っていてちょうだいね」
「あなたが違えさえしなければ、私はただ、見守るだけの存在です」
言葉を交わす両者に、ユージィンは頭の上に「?」を浮かべながら視線だけ2人を行き来する。
やがて唸りながら目元を抑えると、絞り出すように口にした。
「2人で怪しく盛り上がってないで、いい加減に教えてくれませんかね。俺がこの役をこなせる根拠ってのを」
その言葉に、アメンスィはやや驚いたように目を見開く。
「まだ、教えていないのですか?」
「だって、そういう約束だもの。ドメニコとの」
あっけらかんとして答えたジルダは、ちょっと考え込んでから笑みを浮かべる。
「だけどそうね……確かに、このままじゃ術の行使に支障があるかしら」
彼女は本を閉じると、傍らの自らの杖を取る。
それから教鞭を振るうように、宙へ向けてそれを振り上げた。
「あなたも魔術学校の生徒だったなら、これが最後の科目よ。もっとも、課外授業扱いで単位はないけれど。講座の題目は私の魔術――」
――秘術「アンプリフ」。
●「駒は揃う」(3月22日公開)
●クイーンの出陣
「人の子らよ、準備は万全でしょうか」
魔術師協会の薄暗い倉庫にアメンスィのしっとりとした声が響く。
「ああ。まあ、やれるだけはな」
ユージィン・モア(kz0221)は目元をこすりながら、あくび交じりに答えた。
「協会からは既に同行者の選出を終えている。会長が留守にする以上、本部の護りのためにドメニコさんが出られないのが痛いが……それでも十分な人選だ。それからドメニコさんを通して同盟軍にも協力を依頼している。こっちは無事に取り付けられたようで、なかなかの人数を応援に貰えるそうだ」
なかばアメンスィとの対談の場となっているこの場所は、最近はユージィンの魔術研究拠点のひとつとなってしまっている。
かつてはだだっ広い空間にラルヴァの腕が安置されているだけの空間だったというのに、今ではすっかり書類の山や器具に囲まれて、生活感あふれる場所となってしまった。
「無理をさせてしまっているようですね」
「ん? ああ、いや、これは違うんだ」
心苦しそうに答えたアメンスィに、ユージィンはボサボサになった頭を掻きながら答える。
「アメンスィの魔術式を解読し、実践していたらいろいろ新しい式が思い浮かんで――やはり精霊の魔術は今までにないインスピレーションを与えてくれる。何というかこう、魔術の可能性が広がった気分だ。例えば――」
気だるげながらも、どこか熱を持って力説するユージィンをアメンスィはしばらくぽかんとしてみていたが、やがてふっと、小さく笑みを浮かべた。
それを見て、ユージィンはショックを受けたように顔を青くする。
「……見当が違っていたか? もし解釈や式に間違いがあるのなら言ってくれ」
「いえ、そういう事ではなく。失礼を許してください」
アメンスィは小さく咳ばらいをして、彼に向き直る。
「ただ、これから大きな戦いに臨むというのにあなたはそれを経た未来のことを考えている。それがどうにも、不思議だったもので」
「不思議なことがあるものか」
ユージィンは不躾に答えた。
「魔術とは今をよりよくするために存在する。今に不満なことがあるからこそ、魔術師は研究を止めない。それは俺たちにとっては息をするよりも簡単で、当たり前の感覚だ」
「それなら……あなたは今の何を不満に思っているのですか?」
「それは……」
ユージィンは言葉を詰まらせる。
だがやがて、まっすぐにアメンスィの事を見つめ返して答えた。
「世の中に知らないことがある、ということが我慢ならない。知る事。それが俺の不満で欲望だ」
それを知の精霊を前に語るのか――アメンスィは面食らって、だけど再び笑みを浮かべて見せた。
「対局の日は私も戦場に立つ事となります。あなたは結界の外で、中の様子を伺い知ることができないでしょう。私があなたの目の代わりに、すべてをお伝えしましょう」
「ああ、そうしてもらえると助かるな。もっとも、俺がぶっ倒れてなければ――だが」
ユージィンが大きなため息をつき、アメンスィはくるりと背を向ける。
一度は思考の放棄に愛想をつかしたアメンスィではあったが、人間の知る事への渇望そのものを否定するつもりはない。
知とは心であり力。
彼女は誰よりもそれを良く知っている。
●軽い人々
ヴァリオス、同盟陸軍本部。
その大型倉庫の中ではひっきりなしの喧噪と、魔導トラックをはじめとした魔導機器のエンジン音が響き渡る。
内外問わず大勢のツナギを着たスタッフたちが走り回り、怒号が飛び、時折すすり泣くような良くわからない声を交えながら、彼らが追われているのは3機のCAMの整備と調整だ。
「嫉妬の歪虚王……ううん、なんか大事になっちゃったな。エルモ、大丈夫かな」
彼女――ジーナ・サルトリオ(kz0103)がエルモと呼ぶのは、彼女の機体エクスシアのこと。
魔術師協会からオファーが来て上層部が編成した今回の遠征部隊の中には、彼女たち特殊機体操縦部隊――通称・特機隊も含まれていた。
卸されたばかりの同機にとって初出撃となる今回の戦い。
それが大地の裂目で歪虚王とのドンパチだと聞いてから、ジーナは常にそわそわした気持ちを抑えきれない様子でいた。
不安と機体……もとい期待が織り交じった中で、それでも軍人として、戦う意志そのものに迷いはない。
「いつも通り……とはいかないだろうがな。俺たちにできるのはいつも通りに準備して、不安があればいつも以上に念入りにそれを行うだけだ」
彼女の隣で隊員のひとりであるヴィットリオ・フェリーニ(kz0099)が落ち着いた声で語る。
「心頭滅却すれば火もまた涼し――だ。不安なら、逆に楽しんでしまうくらいの気持ちでいけばいい」
「それはそれで、なんかヤバイ人みたいじゃない?」
「ディアナなんかは多少そういう気があるように思えるがな」
「ああ……確かに」
仲間の話題が出て、ジーナはポンと手を叩き腑に落ちる。
ディアナ・C・フェリックス(kz0105)――同盟軍指折りのスナイパーである彼女は、現在射撃訓練場で彼女なりに集中を高めている。
「じゃあ、ディアナさんはヤバイ人ってことで」
「それ、本人の前では言うんじゃないぞ」
「とうぜん」
クスリと笑って、ジーナは歯を見せて笑った。
「ようし、こうなったらとことんやってやるぞー! 元気と気合と根性でなんとかなるなる!」
ぐんと伸びをするように大きく両拳を振り上げて、ジーナは思いっきり空に向かって叫ぶ。
●ルーク・サクリファイス
数日後――大地の裂目、その地下遺跡にコツコツと足早な靴の音が響いた。
紳士のいで立ちに笑顔の仮面をつけた男――カッツォ・ヴォイ(kz0224)は最奥の空間にたどり着くと、その中央に座す老紳士の元へと歩み寄った。
「騒がしいですねぇ、カッツォ」
「クラーレ、下がっていろ」
カッツォはクラーレ・クラーラ(kz0225)の姿を見るなりイライラした様子で、彼の言葉を一蹴する。
すると、老紳士――ラルヴァがクフクフとくぐもったような笑い声をあげた。
「何かあったかな、カッツォ?」
「不躾な人間どもがこの地へ向かっております。迎え撃つ準備を整えるべきかと」
「うん、知っているよ」
ラルヴァは顎を撫でながら薄暗い天井を見上げる。
「通してあげなさい。ああ、ここまで無事にたどり着けたらだけどね」
「……お嬉しそうですね?」
どこか子供じみた笑みを浮かべるラルヴァに、カッツォは小首をかしげる。
「ようやく待ちに待った彼女の一手だからね。さて、どんな采配を下すのかな」
「彼女……忌々しい、アメンスィですか」
ラルヴァは目の前のテーブルに広げたチェス盤の駒を無造作に払いのけると、新たに並べなおす。
それは前回までの彼女との対局の棋譜。
ここから、次の一手が始まるのか。
「我が君、奴らを迎え撃つ命をこの私に。必ず、ご期待に応えてみせましょう」
「うーん、そうだね。カッツォ」
「はい」
「もう、下がっていいよ」
「……はい?」
思いもよらない言葉に、カッツォは虚を突かれる。
「……今、なんと?」
ラルヴァは盤面をしげしげと見下ろしたまま、話半分に答える。
「ご苦労だと言っているんだ。ほら、君には君の舞台があるだろう」
今度はハッキリと言われたことを理解して、カッツォは声を震わせた。
「も、申し訳ありません……あなたの仰っていることが理解できず――」
そこまで口にしたところでラルヴァの瞳がぐるりと見つめてきて、カッツォは言葉を濁した。
「分からないかなあ。君はもう、十分に良い働きをしてもらったよ。君がいなければボクは復活――この盤面にチェックを掛けることができなかった」
「わ、我が君、それでは私は……」
「サクリファイス――王手をかけるための“取らせ”の一手だ」
ラルヴァの周囲に濃い負のマテリアルの気配が漂う。
そこで初めてカッツォは明確な焦りを滲ませ、ラルヴァへと縋るように歩み寄った。
「私は貴方が復活することだけを夢見て、これまでのすべてを捧げてまいりました。散るのであればせめて、あなたの手として足として戦いの中で――」
「手なら足りてるよ。4つもある。それからボクは、足のあるヤツは好きじゃなくてね」
コツンと、ラルヴァが踵で地面を鳴らす。
するとそこから地面に大きな亀裂が走り、あっという間にカッツォの足元に奈落へとつながる大きな「裂目」が現れた。
「なっ……!?」
彼が息を飲む間に、重力に囚われたカッツォの身体は深い深い闇の中へと落ちていく。
それから小さな地響きと共に「裂目」はぴったりと元の形へと戻ってしまった。
「さて……クラーレ、お客人を出迎える準備を頼めるかな?」
「おやおや、私も足がありますがよろしいんですかねぇ」
ケタケタと笑うクラーレに、ラルヴァもクフクフと笑みで返す。
「同じ4本腕のよしみで大目に見よう。姫も蒐集家もどこぞへいなくなってしまった今、君がボクの“クイーン”だ」

アメンスィ

ユージィン・モア
魔術師協会の薄暗い倉庫にアメンスィのしっとりとした声が響く。
「ああ。まあ、やれるだけはな」
ユージィン・モア(kz0221)は目元をこすりながら、あくび交じりに答えた。
「協会からは既に同行者の選出を終えている。会長が留守にする以上、本部の護りのためにドメニコさんが出られないのが痛いが……それでも十分な人選だ。それからドメニコさんを通して同盟軍にも協力を依頼している。こっちは無事に取り付けられたようで、なかなかの人数を応援に貰えるそうだ」
なかばアメンスィとの対談の場となっているこの場所は、最近はユージィンの魔術研究拠点のひとつとなってしまっている。
かつてはだだっ広い空間にラルヴァの腕が安置されているだけの空間だったというのに、今ではすっかり書類の山や器具に囲まれて、生活感あふれる場所となってしまった。
「無理をさせてしまっているようですね」
「ん? ああ、いや、これは違うんだ」
心苦しそうに答えたアメンスィに、ユージィンはボサボサになった頭を掻きながら答える。
「アメンスィの魔術式を解読し、実践していたらいろいろ新しい式が思い浮かんで――やはり精霊の魔術は今までにないインスピレーションを与えてくれる。何というかこう、魔術の可能性が広がった気分だ。例えば――」
気だるげながらも、どこか熱を持って力説するユージィンをアメンスィはしばらくぽかんとしてみていたが、やがてふっと、小さく笑みを浮かべた。
それを見て、ユージィンはショックを受けたように顔を青くする。
「……見当が違っていたか? もし解釈や式に間違いがあるのなら言ってくれ」
「いえ、そういう事ではなく。失礼を許してください」
アメンスィは小さく咳ばらいをして、彼に向き直る。
「ただ、これから大きな戦いに臨むというのにあなたはそれを経た未来のことを考えている。それがどうにも、不思議だったもので」
「不思議なことがあるものか」
ユージィンは不躾に答えた。
「魔術とは今をよりよくするために存在する。今に不満なことがあるからこそ、魔術師は研究を止めない。それは俺たちにとっては息をするよりも簡単で、当たり前の感覚だ」
「それなら……あなたは今の何を不満に思っているのですか?」
「それは……」
ユージィンは言葉を詰まらせる。
だがやがて、まっすぐにアメンスィの事を見つめ返して答えた。
「世の中に知らないことがある、ということが我慢ならない。知る事。それが俺の不満で欲望だ」
それを知の精霊を前に語るのか――アメンスィは面食らって、だけど再び笑みを浮かべて見せた。
「対局の日は私も戦場に立つ事となります。あなたは結界の外で、中の様子を伺い知ることができないでしょう。私があなたの目の代わりに、すべてをお伝えしましょう」
「ああ、そうしてもらえると助かるな。もっとも、俺がぶっ倒れてなければ――だが」
ユージィンが大きなため息をつき、アメンスィはくるりと背を向ける。
一度は思考の放棄に愛想をつかしたアメンスィではあったが、人間の知る事への渇望そのものを否定するつもりはない。
知とは心であり力。
彼女は誰よりもそれを良く知っている。
●軽い人々

ジーナ・サルトリオ

ヴィットリオ・フェリーニ

ディアナ・C・フェリックス
その大型倉庫の中ではひっきりなしの喧噪と、魔導トラックをはじめとした魔導機器のエンジン音が響き渡る。
内外問わず大勢のツナギを着たスタッフたちが走り回り、怒号が飛び、時折すすり泣くような良くわからない声を交えながら、彼らが追われているのは3機のCAMの整備と調整だ。
「嫉妬の歪虚王……ううん、なんか大事になっちゃったな。エルモ、大丈夫かな」
彼女――ジーナ・サルトリオ(kz0103)がエルモと呼ぶのは、彼女の機体エクスシアのこと。
魔術師協会からオファーが来て上層部が編成した今回の遠征部隊の中には、彼女たち特殊機体操縦部隊――通称・特機隊も含まれていた。
卸されたばかりの同機にとって初出撃となる今回の戦い。
それが大地の裂目で歪虚王とのドンパチだと聞いてから、ジーナは常にそわそわした気持ちを抑えきれない様子でいた。
不安と機体……もとい期待が織り交じった中で、それでも軍人として、戦う意志そのものに迷いはない。
「いつも通り……とはいかないだろうがな。俺たちにできるのはいつも通りに準備して、不安があればいつも以上に念入りにそれを行うだけだ」
彼女の隣で隊員のひとりであるヴィットリオ・フェリーニ(kz0099)が落ち着いた声で語る。
「心頭滅却すれば火もまた涼し――だ。不安なら、逆に楽しんでしまうくらいの気持ちでいけばいい」
「それはそれで、なんかヤバイ人みたいじゃない?」
「ディアナなんかは多少そういう気があるように思えるがな」
「ああ……確かに」
仲間の話題が出て、ジーナはポンと手を叩き腑に落ちる。
ディアナ・C・フェリックス(kz0105)――同盟軍指折りのスナイパーである彼女は、現在射撃訓練場で彼女なりに集中を高めている。
「じゃあ、ディアナさんはヤバイ人ってことで」
「それ、本人の前では言うんじゃないぞ」
「とうぜん」
クスリと笑って、ジーナは歯を見せて笑った。
「ようし、こうなったらとことんやってやるぞー! 元気と気合と根性でなんとかなるなる!」
ぐんと伸びをするように大きく両拳を振り上げて、ジーナは思いっきり空に向かって叫ぶ。
●ルーク・サクリファイス

カッツォ・ヴォイ

クラーレ・クラーラ

嫉妬王ラルヴァ
紳士のいで立ちに笑顔の仮面をつけた男――カッツォ・ヴォイ(kz0224)は最奥の空間にたどり着くと、その中央に座す老紳士の元へと歩み寄った。
「騒がしいですねぇ、カッツォ」
「クラーレ、下がっていろ」
カッツォはクラーレ・クラーラ(kz0225)の姿を見るなりイライラした様子で、彼の言葉を一蹴する。
すると、老紳士――ラルヴァがクフクフとくぐもったような笑い声をあげた。
「何かあったかな、カッツォ?」
「不躾な人間どもがこの地へ向かっております。迎え撃つ準備を整えるべきかと」
「うん、知っているよ」
ラルヴァは顎を撫でながら薄暗い天井を見上げる。
「通してあげなさい。ああ、ここまで無事にたどり着けたらだけどね」
「……お嬉しそうですね?」
どこか子供じみた笑みを浮かべるラルヴァに、カッツォは小首をかしげる。
「ようやく待ちに待った彼女の一手だからね。さて、どんな采配を下すのかな」
「彼女……忌々しい、アメンスィですか」
ラルヴァは目の前のテーブルに広げたチェス盤の駒を無造作に払いのけると、新たに並べなおす。
それは前回までの彼女との対局の棋譜。
ここから、次の一手が始まるのか。
「我が君、奴らを迎え撃つ命をこの私に。必ず、ご期待に応えてみせましょう」
「うーん、そうだね。カッツォ」
「はい」
「もう、下がっていいよ」
「……はい?」
思いもよらない言葉に、カッツォは虚を突かれる。
「……今、なんと?」
ラルヴァは盤面をしげしげと見下ろしたまま、話半分に答える。
「ご苦労だと言っているんだ。ほら、君には君の舞台があるだろう」
今度はハッキリと言われたことを理解して、カッツォは声を震わせた。
「も、申し訳ありません……あなたの仰っていることが理解できず――」
そこまで口にしたところでラルヴァの瞳がぐるりと見つめてきて、カッツォは言葉を濁した。
「分からないかなあ。君はもう、十分に良い働きをしてもらったよ。君がいなければボクは復活――この盤面にチェックを掛けることができなかった」
「わ、我が君、それでは私は……」
「サクリファイス――王手をかけるための“取らせ”の一手だ」
ラルヴァの周囲に濃い負のマテリアルの気配が漂う。
そこで初めてカッツォは明確な焦りを滲ませ、ラルヴァへと縋るように歩み寄った。
「私は貴方が復活することだけを夢見て、これまでのすべてを捧げてまいりました。散るのであればせめて、あなたの手として足として戦いの中で――」
「手なら足りてるよ。4つもある。それからボクは、足のあるヤツは好きじゃなくてね」
コツンと、ラルヴァが踵で地面を鳴らす。
するとそこから地面に大きな亀裂が走り、あっという間にカッツォの足元に奈落へとつながる大きな「裂目」が現れた。
「なっ……!?」
彼が息を飲む間に、重力に囚われたカッツォの身体は深い深い闇の中へと落ちていく。
それから小さな地響きと共に「裂目」はぴったりと元の形へと戻ってしまった。
「さて……クラーレ、お客人を出迎える準備を頼めるかな?」
「おやおや、私も足がありますがよろしいんですかねぇ」
ケタケタと笑うクラーレに、ラルヴァもクフクフと笑みで返す。
「同じ4本腕のよしみで大目に見よう。姫も蒐集家もどこぞへいなくなってしまった今、君がボクの“クイーン”だ」