ゲスト
(ka0000)
【転臨】これまでの経緯


更新情報(11月9日更新)
11月8日公開の【転臨】ストーリーノベルを掲載しました。
【転臨】ストーリーノベル
各タイトルをクリックすると、下にノベルが展開されます。
「マテリアル量、飽和! 浄化陣、発動──ッ!」
凛としたヴィオラ・フルブライト(kz0007)の声が海岸線に響き渡る。それが示す事態に気付いたようで、集約してゆく強大な正のマテリアルに群がっていた歪虚たちが一斉に退避を開始した。
「大精霊エクラよ! 穢れを祓い、我らに勝利の栄光を!!」
刹那、辺りを覆っていた黒いヴェールを突き破り、眩い光の柱が天へと向かって解き放たれる。その光を中心に、島を囲んでいた負のマテリアルは白光に呑みこまれるように薄らぎながら霧散してゆく。
狭い範囲とはいえ、途方もない量の正のマテリアルが働いたのだ。例え戦の最中、敵の群のど真ん中に居て光の柱を見ていなかったとしても、気配を察知することは十二分に出来た。
「やれやれ、浄化は完了したみてえだな」
ダンテ・バルカザール(kz0153)は今しがた切り伏せた(というより叩き伏せた)敵の群を最後に、一旦周囲から敵の気配が収束したことに気付いて漸く言葉を発する。これは王国連合軍による先遣隊を率いて、先行して島に上陸したダンテたち一団の大暴れの果ての出来事だった。
「連中、いよいよ本戦に挑む腹積もりでしょう」
ダンテの部下ジェフリー・ブラックバーン(kz0092)の視線は、歪虚たちの“撤退方向”に向けられていた。
「……“黒羊神殿”か。ケッ、だっせぇ名前付けやがって」
「命名は隊長によるものと聞きましたが」
「あぁ? んなもん……忘れた。つか、実際“黒い神殿”なんだからその辺が解りゃなんでもいいだろうが!」
「はいはい。そうですね」
ジェフリーは上司の照れ隠しを聞き流した。ダンテが怖い顔をしているが赤の隊の先任には慣れたもの。
剣林弾雨に比べればこの程度のやり取りはじゃれ合いのようなものだった。
◇
イスルダ島攻略において、第一陣の作戦はそれなりの成功を収めていた。
出足となるフライング・システィーナ号による囮作戦が最良の結果を残し、それを受けてダンテたち先遣隊が突入。彼らの脇を固めんと様々な場所で小競り合いが発生しながらも、物資の支援等滞りなく進行し、やがて待ちかねた浄化陣が発動。それによりイスルダ島を覆っていた強力な負のマテリアルが崩壊を始めた。イスルダ攻略において最後の難関として立ちはだかっていた壁を、文字通り壊すことに成功したのだ。
その足掛かりを経た今、フライング・システィーナ号の転移門を介し、CAMをはじめとした戦闘兵器はもちろん、人員、物資、様々なものが島へと送り込まれている。それと同様に、海岸線の浄化作戦を遂行した黒の隊隊長エリオット・ヴァレンタイン(kz0025)は、報告と確認の為に王国騎士団長の守る王都へと転移門を通じて一時帰還を果たしていた。
「……そうか、ご苦労」
エリオットを出迎えた上長のゲオルギウス・グラニフ・グランフェルトは、劇的に最高の結果ではないにしろ“順当に進んでいるはずの報告を前に難しい顔をしている”。それが、エリオットには大きな気がかりだった。
これまで幾つもの大きな戦いがあった。その多くの戦いにおいて“ゲオルギウスがここまで得心が行かない顔をしていたことは僅かだった”からだ。少なくとも、幾度も重ねてきた黒大公戦において彼のこの様な姿は見たことがない。
「エリオット。お前はどう見る?」
「“俺”に、それを求めるのか」
「だから、だ。少なくとも、我らには“後ろめたさ”がある。これが“掟破りを犯した故の順当さ”であるのか、そうでないのか……此度流石に判別がつきかねてな」
「珍しいな」
青年騎士は、思った事を率直に口にした。それが相手の気分を害することになるだろうと解っていながら。
「……ふん、“元凶にほど近い”貴様が言うことではなかろう」
「道理だな、だが」
刺すような視線を避けることなく一身に受けながら、それでもエリオットは確かに首肯した。
「この国が、世界が、そして殿下や人々が、歪虚の脅威を退け安寧を得る為ならば。俺は“蛇の道”を進むことなど厭わない。例え世間から非難され疎まれようとも、その果てに“命を落とそうとも”」
その言葉の含むところに気付き、老騎士は息をついた。
「なぁ」
ふいに、いつもの毅然とした調子ではなく、年相応の経験と深みを滲ませた声音でゲオルギウスが語る。そこにはいつもの力強さはない。
「お前はまだ若い。ダンテの奴もだ。今の若い世代が日々繰り返される戦争のなかで未来への希望を抱けず、歪虚の脅威に脅え、閉そく感を抱いているのだとしたら、それは“今の世界を作ってしまった、我らの世代の責任”だ。そのつけを、お前たちに負わせている自覚程度はある」
「……お前、本当にゲオルギウスか?」
その一室に存在するのはゲオルギウスとエリオットのみ。“だからこそ”という背景はある。だが今、本当に珍しく老騎士が弱気を見せていた。
この先の一手をどうすべきか考えあぐねているのだろう。何かしら、彼のこれまでの経験や勘の助ける所によって、だ。
「軽口ではない。だが“お前たちがやらねばならなかったことなのか”と。本当に“この手段をとるべきだったのか”と……」
それ以上を遮るように、エリオットが首を振る。
「俺たちがすべきことは、イスルダを取り戻すこと。そこを拠点にしていると目される歪虚……アレクシウス・グラハムを倒すこと。イスルダの拠点を落とせば、王国西岸の地域一帯は歪虚襲撃の脅威を大きく低減できる。それに、元々あの島の“資源”はいつか回収すべきだと皆解っていた。島の住民や騎士たちの供養も必要だ。ほかにも……そうだな、幾らだって理由はあるんだ。やるべき理由ならば、な」
「話はまず、イスルダを奪還してから……だな」
●
黒大公ベリアル。
災厄の十三魔に数えられる強大な歪虚で、王国暦1017年の春頃討伐されたことは記憶に新しい。
そのベリアルだが、彼は主より「王国侵攻軍総司令」を拝命してからのち、王国を攻め滅ぼすことが自らの支柱となっていた。最初の襲撃は、王国暦1008年。彼は、王国を攻め滅ぼすために手ごろな拠点を欲した。
──その時襲撃されたのが、王国西方沖に位置する孤島“イスルダ”だった。
ベリアルが長きに渡り居座ってきたイスルダ島。その中心部には、黒い神殿の様な建造物の姿があった。王国側がその存在を捕捉したのは、ここ最近のことだ。なぜなら、これまでイスルダ島の全周を黒々とした負のマテリアルの障壁が囲っており、それに阻まれて島内部の様子を目視することが出来なかったからだ。
しかしなぜ、最近になって“黒い神殿の姿”を確認できるようになったのか?
それが、今回王国がイスルダ奪還を決定した要因の一つでもある。
『見ての通り、ここのところイスルダの海岸線の闇が明白に弱まり、島の奥に敵の拠点と思しきものすら伺える状況になった。これは、なんらかの理由によって負のマテリアルの濃度が弱まったと言うことだろうが、原因として断定できる情報は我々にない。
だが、定期偵察の都度海岸線を撮影し、記録を保存してきた我々青の隊が事実だけを述べるならば、この負のマテリアルの弱化は“黒大公ベリアル討伐後から緩やかに始まった”と断言できる』
先の円卓会議で騎士団長ゲオルギウス・グラニフ・グランフェルトはそう発言していた。
『確かなことは、今後また別の歪虚が強力な負の力をまき散らし、海岸線が再び強力に黒化してしまえば、もう手はつけられない。イスルダ奪還は、“今が好機”──むしろ“今しかない”可能性も十二分にある』
故に、此度王国はイスルダ島奪還に向けて連合軍を結成。イスルダ島攻略戦を開始した、と言うのがいわゆる“前段”である。
◇
「ってのが此処までの流れだ」
いかにも「ここまでの説明は自分がしました」と言わんばかりの仕切りぶりだが、実際問題ダンテ・バルカザールは部下のジェフリー・ブラックバーンに作戦指示を丸ごと一任していたようだった。
ダンテは、自分がやらなくても問題がない仕事において、徹底して「温存」を選ぶ。それは、彼が自分がやるべき仕事を明白に理解し判断を誤らないことの自負からきているものかもしれないが。
「ええ、まぁ……はい。で、ここから先は今後の説明です。
これから攻め入るのは、イスルダ島支配における歪虚拠点の“総本山”とされる神殿──“黒羊神殿”。
王国西岸のあるポイントから、この神殿の存在が初めて捕捉されてから約1?2カ月の間、王国騎士団青の隊は徹底してこの建造物をマーク。そして、この神殿に件の“王国騎士や近衛騎士の姿をした歪虚たち”が出入りしていることを確認しています。
先の黒大公討伐戦の折、現れた前国王の姿をした歪虚──あの一団もイスルダ島から襲来し、そしてイスルダ島へ帰還していった事実もある。
此度、多数の貴族戦力、赤の隊を主とした王国騎士団、そしてハンターたちから成る連合軍を編成し、この神殿への電撃戦を開始する。
それにあたり今回は多数の部隊が同時展開を行う。まず神殿への突入路の確保。フライング・システィーナ号からの転送によりCAMを戦線に投入できる状況にある。これで一気に切り拓いて神殿までの道をこじ開けるのが一手。
そして、その道を通って神殿内部を一気に攻略する。建造物内部への侵入である以上、その先にCAM等を投入することは出来ないが、精鋭の歩兵を募って、複数部隊でこれにあたる。恐らく内部には強力な歪虚が複数待ち受けているだろうが、この好機を逃すことは出来ない以上、ここで一気に攻め滅ぼす」
「神殿内部の様子の情報は?」
ある者から手が挙がった。恐らく貴族の私兵だろう。それにジェフリーは冷静に応える。
「情報はほぼない。解っていることは一つ。あれは、“人間の作ったものではない”。歪虚に占領されるより以前、王国がイスルダ島との行き来があった時代にこのような建造物はなかった。そしてもう一つ。先程伝えたようにこの神殿に出入りしているのは元王国騎士や近衛騎士たちの歪虚であるということだ」
「馬鹿な。そのような状態で“歪虚島”の敵拠点に電撃戦などと……」
「フライング・システィーナ号が島近辺を保持するための戦いや、そこからCAMを送り出し神殿への道を確保するための戦い。神殿に突入すると一口に言っても、その為には数え切れぬほど多くの者が苦しい戦いを持ち堪えている背景がある。今、この瞬間もだ。何度もトライ&エラーを繰り返す余地などない。一度で決める──その覚悟が必要だ」
「人間の作る物ならまだしも、歪虚の生み出した未知の魔窟だ。それを……ッ」
刹那、ガタンと物音が響く。この場において“大将”を務める人間──ダンテ・バルカザールが、足場の悪い場所に置かれた椅子から立ち上がっていた。
「これまで大規模な戦において、帝国が、辺境が、同盟が、東方が、そして他の世界の連中が、どれほど“初見の敵陣に乗り込む危険を冒してきた”と思ってんだ? 初見の“歪虚王”を滅ぼさねばならない戦だってあった。それに比べて、俺たちが今立ち向かおうとしてんのはナンだ? 歪虚の王ですらねぇ。無論、俺らの王でもねぇ。じゃあなんだ? “ただの歪虚”相手だろうが」
言葉こそ非常に厳しい内容ではあるが、ダンテの表情も声色も随分と穏やかだった。
連戦を強いられ、長年の怨敵が居た敵地へと乗り込む。そこで出会うのは既知の存在が歪虚と化したものたち。どれほどのストレスを感じながら彼らはこの場に今立っているのだろう? そう思えばこそ、ダンテは騎士を、兵を、動揺する誰をも責めることはしない。
「納得できねえやつは今すぐ去れ。こっから先、神殿内部は助けも入らん“死者の国”だ。恐れて去ろうと、誰もてめえらを責めはしねえ。いざって時ぁ、俺がケツをもつ。だから」
全ての者たちに聞こえるように声を張って、ダンテは告げた。
「俺と行く覚悟があるやつだけ付いて来い!」
こうして、黒羊神殿への電撃戦が幕を開けたのだった。
「皆さま、お集まりいただきありがとうございます」
システィーナ・グラハム(kz0020)は、その場の面々を見渡して、言った。
"王国全土に対する、【傲慢】歪虚、メフィストの襲撃"。
これが言葉通りの事態なのだから、今回の一件の荒誕さも知れよう。"メフィスト自身"が"同時多発"的に各地を襲撃したというのだ。これまでに同歪虚が仕組んだ事件の中でも異質の事態である。
故に、システィーナはハンターたちに対して緊急の招集を行った。襲撃を受けた一部領地の貴族らには別途機会を設けるとして、火消しに臨んだ者たちからの意見を求めたのだ。
「貴殿らはメフィストと直接交戦したと聞いている。報告はあがっているが、その目的や能力、状況……貴殿らの目で何か気づいたことがあれば、提供してほしい」
王国騎士団長ゲオルギウス・グラニフ・グランフェルトの言葉に、大司教セドリック・マクファーソン(kz0026)が頷いた。グラズヘイム王国の重鎮が揃い踏みしているその場には、緊迫した空気が滲んでいる。当然だろう。これは、グラズヘイム王国騎士団副団長、ダンテ・バルカザール(ka0153)の消息不明に続く大事件なのだから。
「気づいたこと、気づいたことー……」
メイム(ka2290)はうーん、と唸るが、彼女は基本的にフリュイ・ド・パラディ(kz0036)の護衛に専心していたので、手応えは薄い。ただ。
「なんとなく、フリュイを狙ってたよーな……気も……?」
「そうだね。それは私も同感だ。メフィストはアークエルスの屋根を伝う形で移動していた。何かを探しているように思えたが……先に領主の館へと向かった点を踏まえても、その可能性は高いのではないかな」
「だよねー。フリュイには心当たりはなさそうだったけどー」
老齢のエルフ、ジェールトヴァ(ka3098)の言葉に、メイムは満面の笑みを浮かべる。
ざくろは、取り巻きにあたってたから……目的とかはわからない、けど。アークエルスに現れたメフィストは、蜘蛛を召喚してたよ。それなりに、強いヤツまで」
他方で、時音 ざくろ(ka1250)の表情は昏いままだ。"仇"に向かわず、防衛を優先したのは自分自身。それでも、次の機会があれば――という思いは、ある。そのまま、傍らのクローディオ・シャール(ka0030)に視線を送った。彼も、アークエルスでの防衛戦に貢献した人物だった。
「……私は……」
しかし、クローディオの言葉は続かなかった。脳裏に焼き付く光景を――友人の咆哮を、口にするのは憚られたのだ。
「ハルトフォートに現れたメフィストは――少し、奇妙なところがあったな」
落ちた沈黙に鞍馬 真(ka5819)は、記憶を辿る。
「具体的には?」
セドリックの問いに、真は頬をかいた。
「メフィスト自体は、巧緻、かつ悪辣な歪虚と認識していたが、あそこに現れたメフィストは、自らの武力を誇っているだけのように見えた。
奇妙な呪文も唱えていたし……方方を調べたが、何かを仕掛けている素振りも無かった。手下は放っていたようだが……」
「陽動、か」
「おそらくは」
ゲオルギウスの言葉を、真は肯定。断定は出来ないが、その線は色濃く残るのも事実だ。
――むむ……。
この場において一等小柄な龍華 狼(ka4940)は黙考していた。何か、印象に残ることを言って金の種にしたい、という欲が少年を突き動かしている。いるのだが。
――っべ、何を言やいいんだ……?
全く、舌が動かない。それもこれも――あの状況が、特異に過ぎたからだ。状況の異常さは解るが、その内情への理解が出来ていないのが響いた。
「えーっと……」
「『捻子仕掛けのお茶会』は楽しかったわ。ね?」
見れば、雨音に微睡む玻璃草(ka4538)が隣でニコニコと笑いながら、こちらを見ている。
――いや。ネ、じゃないだろ。
「おじいさんは『時計持ちの灰色兎』。蛇の代わりに、たーんと蜜を用意して、お迎えしたの!」
「……や、すみません。コイツ黙らせとくんで……」
誰だよ、コイツを呼んだの、と怒りを抱く狼であったが、そこでふと、思い至った。
「そういえば、ガンナ・エントラータでは避難が凄く上手いこといっていて……でも、第六商会は襲撃を受けていたんですよね」
「……彼処の被害は極々限られていた、という報告はある。訓練の成果だと報告を受けているが……それでも、第六商会本部では重役が一名、メフィストの手で生命を落としたそうだな」
「そうです、そうです。そこに何か目的があったのかな、って……」
ゲオルギウスの言葉に狼は頷きながら、マッシュ・アクラシス(ka0771)を見た。マッシュの表情が、微かに動いたことに気づいたからだ。 ――今の言葉。
マッシュは、狼に応じたゲオルギウスの言葉に、微細な違和感を感じていた。
やれやれ、と息を吐いて飲み込んでおく。徒に藪を突く趣味は無い。とまれ、あの場――あの最前線に居たものとして、務めを果たそう。
「『所詮この身は分け身に過ぎず、この身の務めも、"既に、終えている"のだから』……と、あの歪虚は言っていました」
「務め、と……あのメフィストが、ですか?」
システィーナが、眉を潜めた。確かに、この一件において最もメフィストの核心に近い発言だ。
「とはいえ、私達も詳細までは。私達が商館に突入した時、メフィストはセバスさんに何かを確認していたように思われました。それが何かまでは……解りかねます。セバスさんは最後まで何も、告げませんでしたから」
「……そう、ですか」
システィーナの昏い表情は、その人物が今回の騒動で生命を落とした一人だからであろうか。あるいは――と考えて、敢えて踏み込むことはせず、マッシュは一礼をして、発言を終える。
「……"務めを、終えた"」
クリスティア・オルトワール(ka0131)の呟きが室内に落ちた。かつて、戦場で彼女自身が想定していた"本命"はシスティーナ王女か――あるいは、古の塔であった。しかし、これだけ情報が揃ってきた今なら違うと断言できる。王都でのヴィオラ・フルブライト(kz0007)との検討もあり、確信もあった。
ではそれが何か、となると……残念ながら、ピースが足りないと言わざるを得ない。
つとシスティーナを見れば、その顔に陰りが見えた。それと、微かに滲む懊悩の気配。
――彼女は、気づいている……?
もどかしい。答えに届きそうなのに、欠けた情報がそれを阻害するのだから。再び、視線を転じた。沈思する男の方へと。
――『陽動』と、『務め』。そこは、メフィスト達の中で首尾一貫している行動原理に見える。少なくともメフィストは、フリュイと第六商会、その二つに対しては違う介入の仕方をしていた。
「……」
違う。この王都への襲撃すらも――エリオット・ヴァレンタイン(kz0025)を探す動きはあったとはいえ――陽動だった可能性は高い現状では、フリュイを狙ったと思われるメフィストの行動も陽動の範疇を出ていないと、誠堂 匠(ka2876)は思う。
つまり、第六商会の襲撃だけが、異質を孕んでいた。
急所を刺すように、第六商会の幹部を尋問したメフィストの行動。
メフィストは、何かを探していた――否。
――"彼"を、というべきか。
第六商会で起こった事態を聞くに居たり、答えを得た。ガンナ・エントラータでの避難訓練後の、メフィストの同都市襲撃。メフィストの手による"彼"の側近の死。メフィストの残した言葉。
軽く、めまいを覚える。此処にいたる大凡すべての痕跡を辿ってきた彼だからこそ、それがどれだけ長大な道程か理解できた。
"彼"は、イスルダ島奪還作戦よりもはるか以前からメフィストの反攻を予期していたことになる。あるいは、そう。エリオットの死を偽装したあの時点から。メフィストの討伐に失敗した、あの日の時点で――この局面を、描いていた。
ならば。
ただ、雲隠れすることに、意味はない。終局の形まで、用意しているはずだ。
メフィストは、"彼"を探していた。
"彼"は、セバスの死を餌に、メフィストを呼んでいる。
それを、徒に言葉にすることは出来ないけれど……この事態の収束は近い、と。そう思う。
そこに。
「……ありがとうございました、皆さま」
一同を見渡したシスティーナが、そう告げた。瞳には理解の色。そして――紛れもない、感謝の色が籠められていた。
「この場へお集まりいただいたことに加え、此度の尽力……グラズヘイム王国の為に武器を振るい、血を流し、民を護ってくださったことも含めて、感謝いたします」
薄い胸の前で、両手を組んだ。痛む胸を押さえる仕草にも似ていたが、その眼差しはただ、前を向いたまま。
「……斃しましょう。大敵、メフィストを。多くを踏み躙り、嘲笑う邪悪を。"必ず、機会は訪れます"。その時は――」
はらり、と。王女の頬が濡れる。けれど。少女の瞳には悲しみはない。決意と――同じだけの感謝。その瞳のままで、王女はこう結んだ。
「私たち、皆の手で。戦いましょう」
●【転臨】プロローグノベル「転臨」(8月18日更新)
その日、王都イルダーナにある式典広場には多くの民衆が押し寄せていた。
彼らの目的は、新たに結成された王国騎士団の新隊“黒の隊”のお披露目を兼ねた着任式。
「私がこの場に立ち、まず先にすべての国民へ申し伝えたい事。それは、謝罪と感謝の意だ」
黒の騎士長に着任した男──元王国騎士団長エリオット・ヴァレンタイン(kz0025)の演説は、そんな一言から始まった。
「──世界は、大きく様変わりした。
これまで、王国を侵し続けてきた災厄が“黒大公ベリアル”であったことは皆も知っての通りだ。
先のホロウレイド以後、我々は国の復興と並走して黒大公への対抗手段を培ってきたが、王国暦1013年のことだ。リアルブルーより巨大戦艦サルヴァトーレ・ロッソが漂着。それを契機に、青の世界からの流入は加速度的に増え、ハンターズソサエティもそれらの受け入れを確立。人類が歪虚に対抗する手段は劇的に増加し、我々も彼らの助力をもとに黒大公を打ち破る日が遠からず来ると、そう確信していた。
だが、それに対抗するかのように、歪虚も近年急激に“力”を現し始め、そして……昨年初夏、この王国首都イルダーナを、“黒大公ではない新たなる災厄”が襲った」
黒大公と同等の力を持つ歪虚メフィストによる王都襲撃。それにより、第七街区は大打撃をこうむり、多くの王国騎士たちが、未来ある若者たちが、命を奪われた。
抗っても抗っても、ただただ一方的に奪われていく──その繰り返しだ。
「私自身、この国に生まれ、苦しく困難な歪虚との戦いのなか、時に勝ち得た束の間の安寧に身を浸す瞬間もあった。だが、昨年の王都襲撃によって確信を得た。
古来の伝統に誇りを持つ我々が連綿と紡いできた“現状維持”の未来の果てに、真の平和は訪れないだろうと」
ざわめく民衆。その動揺をものともせず、青年は一呼吸置いて再び声を張る。
「歪虚に奪われ続ける現実を、これ以上見過ごすことなどできない。その決意の表れが、今日までに歩いてきた“軌跡”だ。
昨年私が騎士団長の職を辞して姿を隠した事は、その背景に連なる我が国の命によるものだった。
しかし、それによって国民の皆を欺いたのは、紛れもない事実。今ここで、その不誠実を心から詫びたい。
そして同時に、今日この場に私が立っているということ。その恩赦に、生涯忘れることのない深い感謝を示そう」
エリオットは、瞑目して唇を閉ざす。
それを見つめる民衆が何を感じたかは定かでないが、青年の一挙手一投足を、彼らは黙って見守っていた。
「この国の長い歴史の中で、我々の生命が、権利が、最大の危機に晒されている時代は、紛れもなく“今”だろう。
私達は、この時代に生まれ、この国を、ひいては世界を守る役回りを与えられた世代だと言える」
この場に居合わせた黒の騎士たちも長の演説を、その思いを確かに聞きとめたが、彼らは彼ら。長と展望を同じくする必要はない。
けれど、少なくともグラズヘイム国民にとって、それが“新たな兆し”になったことに間違いはないだろう。
「此度着任する、この新たな第四の騎士隊に属す新世代の騎士たちも、この国を襲う災厄に正面から対抗する強い意思と力がある。
そしてこの隊の長を仰せつかる私自身も、この責任を恐れず、喜んで受け入れる覚悟がある。
我々がこの取り組みに注ぎ込む信念、そして献身的な努力が、この国とこの国すべての人々を明るく照らすことを願う。
今日この日を以て、我々“黒の隊”は、新時代の始まりと変革の象徴となろう。
だからどうか、この歴史的な試みを見守って頂けないだろうか。
いずれ歴史が我々の行いに正しい審判を下してくれることを信じ、この愛すべき国を、世界を、導いていこう」
それは、9年前のあの日。
ホロウレイドで大敗を喫した王国が、希望の象徴として、王国復興の旗として、“年若い王国騎士団長”をこの広場に立たせた時と同じ光景だった。
まだこの国は負けていない。いずれ必ず、歪虚を打ち破り、平和な世界を取り戻す。
その意思を一つに束ね、式典広場には轟くような歓声が沸き起こっていた。
◇
エリオット・ヴァレンタインは、着任式終了後直ちに式典広場から王城円卓の間へと急行したのだが、既に要人たちは卓について最後の一人の到着を待つばかりの状態だった。
「来たか。……では、始めるとしよう。此度の軍事会議における目的は一つだ」
王国騎士団長ゲオルギウス・グラニフ・グランフェルトがすいと視線を動かすと、やれやれと言った様子で副長ダンテ・バルカザール(kz0153)が立ち上がり、卓に巨大な地図を広げる。
それには、王国西方とその沖に浮かぶ島“イスルダ”が描かれている。
「イスルダ島、奪還──かの“歪虚島”に、此度いよいよ戦争を仕掛ける」
この日、議題として予定されていたのは近年最大規模の軍事作戦だった。
「最早この場の面々に説明すべきことでもないが、改めて状況をすり合わせつつ明確にしていくとしよう。
まず、歪虚軍によるイスルダ島占拠から今年で9年が経つが、島は今だ歪虚支配から奪還できていないのが現状だ。
それには幾つかの障害があった。その一つが、島を占拠していた歪虚が非常に強力であったこと。
9年前の侵攻によってイスルダ島を占拠し、そこに駐留する歪虚軍総司令として君臨していたのは、言わずと知れたベリアル──傲慢の歪虚であり、災厄の十三魔に名を連ねていた悪名高き黒大公だ。
奴の率いる「傲慢(アイテルカイト)」を中心とした歪虚軍は、島と世界を隔絶するかのように、島の海岸線を汚染。次第に中心部まで負の汚染区域を拡大していった。現在では島の中心が僅かに残っているような状態だ。
それ故に、イスルダ奪還にあたってもう一つ、大きな障害が発生した。それは、島へ侵攻するための手立てが確立出来なかったことにある。
イスルダ島は、全周を海に囲まれた島だが、先述どおりその島の海岸線が歪虚の領域と化している。つまり、人間が海伝いに島へ攻め入ることができない状況だったと言うわけだ。
つまり、イスルダを攻める為にはまず“海岸線の虚無化した歪虚領域に対処する”ことが肝要だ。だが、ここへきて状況が一変した」
ゲオルギウスは、手元の封筒のなかから魔導カメラで撮影された二枚の写真を取り出した。
一つは四辺が変色しており、古い写真だと解る。その写真には、遠くに黒く濃く存在を主張するイスルダの海岸線らしきものが映っている。海の上に黒く高い瘴気のような壁が生じており、その奥を見通すことは全く出来ない。
が、しかし。もう一つの写真はそれとは明らかに内容が異なるものだった。海の上、黒く変色して島を覆い隠していた負のマテリアルは確かに存在しているが、随分その濃度は薄らいでおり、黒の気配の向こうには島の様子がうっすらと映り込んでいるのだ。
写真の奥を指差す老騎士。そこには“黒い神殿”のようなものが見えている。
「見ての通り、ここのところイスルダの海岸線の闇が明白に弱まり、島の奥に敵の拠点と思しきものすら伺える状況になった。これは、なんらかの理由によって負のマテリアルの濃度が弱まったと言うことだろうが、原因として断定できる情報は我々にない。
だが、定期偵察の都度海岸線を撮影し、記録を保存してきた我々青の隊が事実だけを述べるならば、この負のマテリアルの弱化は“黒大公ベリアル討伐後から緩やかに始まった”と断言できる」
「もしや、ベリアルが死亡し、その島を支配していた歪虚が消えたことで、彼の発していた負のマテリアルが徐々に薄まった……?」
「殿下のご推察も、一つの可能性でしょうな。確かなことは、今後また別の歪虚が強力な負の力をまき散らし、海岸線が再び強力に黒化してしまえば、もう手はつけられない。イスルダ奪還は、“今が好機”──むしろ“今しかない”可能性も十二分にある」
「だが、この濃度では未だ海岸線近くは瘴気が害成す恐れもある。多少の浄化儀式が必要になるはずだが……内陸部の敵を抑える方法は」
大司教セドリック・マクファーソン(kz0026)の指摘に答えたのは、王女システィーナ・グラハム(kz0020)だった。
「……フライング・システィーナ号、ですね」
王女の指摘にふんと鼻を鳴らし、ゲオルギウスは続ける。
「左様。近年の技術革新に伴い、我々は空からの上陸手段を得た。海岸線を踏まずとも、島を強襲すること自体、物理的には可能となった。しかしリアルブルーの船を動かせぬ限り、その部隊は少数とならざるを得ぬ。
そして、春頃行われた黒大公戦において、空中部隊が確認されたのは記憶に新しい。敵も当然対空迎撃手段は持ち得ているだろう。
故に、海から物量で攻める。転移門を内包するフライング・システィーナ号によって島近海に進撃路を確保。その後、王国騎士団を中心とした第一陣を上陸……これは、そこの赤猿に一任するつもりだが、群がる敵を蹴散らしている隙に港部分の歪虚領域浄化に対処。そこを起点として船を突入させ、後続部隊と支援・補給物資を送り込む形とする」
王女を含め概ね理解できたか、というところで黒の隊長であり、実質白の隊長も兼任することになったエリオット・ヴァレンタインが息をついた。
「歪虚化が弱まっている、か。……好機だな。ある程度力の強い術者を用いて短時間でも浄化儀式を行えば、完全な浄化に至れずとも、覚醒者が問題なく行き来するだけの状態には戻せるだろう」
「春頃現れた先王の姿をした歪虚たちは、島中央の黒い神殿を拠点にしていることも判明している。つまり……そこを落とせば、勝利は目前だ」
「黒大公軍は先の討伐戦後の掃討戦でほぼ壊滅状態。現在イスルダに潜んでいるのは、歪虚化した元王国騎士たちと……恐らくは、歪虚化してしまったイスルダの植生。そして、島民たちと目される」
エリオットとゲオルギウスによる情報のすり合わせが行われてしばし。退屈そうに話を聞いていたダンテが、突然腕を突き上げた。
「くあ?……ッ! 話なげえな、そろそろいいんじゃねえの。“俺が行く”んだろ? なら、細けえこたぁどうでもいい。“俺らの話”自体は決まりなわけだ」
会議の場であることも気にせず、全身をぐっと伸ばし始めるダンテを一瞥し、ゲオルギウスは呆れの表情を浮かべるが、そんなことなどお構いなし。肩をぐるりと回したダンテは、王女の瞳を正面に捉えて笑う。
「で? イスルダを落とす、落とさない? ……どっちだ、王女サマ」
無礼な物言いにも関わらず、システィーナはくすりと笑って立ち上がる。
ダンテは、システィーナが父王を失ったあの日からずっと“物言わず支えてくれる”大切な存在だった。
表だって直接的に支援するのではない。彼はずっと、“少女がそこに在れるように”闘い続けてきてくれた。
それは、国の為の戦いに留まらない。王国が、他国への助力を、その姿勢を問われる場面において、王国騎士団に余力がなくとも、いつもだって必ず“彼は王女の願いを聞き入れ、遠征を繰り返してきた”のだ。
だからこそ、無礼を問うつもりなどさらさらない。彼の言葉は荒々しく品性に欠けるけれど。それでも、システィーナがこの場で述べるべき言葉はそれ一つしか、思い浮かばなかった。
「“落とします”。イスルダを、わたくしたちの手に戻しましょう」
こうして遂に、イスルダ島を奪還するための作戦が幕を開けようとしていた──。
彼らの目的は、新たに結成された王国騎士団の新隊“黒の隊”のお披露目を兼ねた着任式。
「私がこの場に立ち、まず先にすべての国民へ申し伝えたい事。それは、謝罪と感謝の意だ」

エリオット・ヴァレンタイン

ベリアル

メフィスト
「──世界は、大きく様変わりした。
これまで、王国を侵し続けてきた災厄が“黒大公ベリアル”であったことは皆も知っての通りだ。
先のホロウレイド以後、我々は国の復興と並走して黒大公への対抗手段を培ってきたが、王国暦1013年のことだ。リアルブルーより巨大戦艦サルヴァトーレ・ロッソが漂着。それを契機に、青の世界からの流入は加速度的に増え、ハンターズソサエティもそれらの受け入れを確立。人類が歪虚に対抗する手段は劇的に増加し、我々も彼らの助力をもとに黒大公を打ち破る日が遠からず来ると、そう確信していた。
だが、それに対抗するかのように、歪虚も近年急激に“力”を現し始め、そして……昨年初夏、この王国首都イルダーナを、“黒大公ではない新たなる災厄”が襲った」
黒大公と同等の力を持つ歪虚メフィストによる王都襲撃。それにより、第七街区は大打撃をこうむり、多くの王国騎士たちが、未来ある若者たちが、命を奪われた。
抗っても抗っても、ただただ一方的に奪われていく──その繰り返しだ。
「私自身、この国に生まれ、苦しく困難な歪虚との戦いのなか、時に勝ち得た束の間の安寧に身を浸す瞬間もあった。だが、昨年の王都襲撃によって確信を得た。
古来の伝統に誇りを持つ我々が連綿と紡いできた“現状維持”の未来の果てに、真の平和は訪れないだろうと」
ざわめく民衆。その動揺をものともせず、青年は一呼吸置いて再び声を張る。
「歪虚に奪われ続ける現実を、これ以上見過ごすことなどできない。その決意の表れが、今日までに歩いてきた“軌跡”だ。
昨年私が騎士団長の職を辞して姿を隠した事は、その背景に連なる我が国の命によるものだった。
しかし、それによって国民の皆を欺いたのは、紛れもない事実。今ここで、その不誠実を心から詫びたい。
そして同時に、今日この場に私が立っているということ。その恩赦に、生涯忘れることのない深い感謝を示そう」
エリオットは、瞑目して唇を閉ざす。
それを見つめる民衆が何を感じたかは定かでないが、青年の一挙手一投足を、彼らは黙って見守っていた。
「この国の長い歴史の中で、我々の生命が、権利が、最大の危機に晒されている時代は、紛れもなく“今”だろう。
私達は、この時代に生まれ、この国を、ひいては世界を守る役回りを与えられた世代だと言える」
この場に居合わせた黒の騎士たちも長の演説を、その思いを確かに聞きとめたが、彼らは彼ら。長と展望を同じくする必要はない。
けれど、少なくともグラズヘイム国民にとって、それが“新たな兆し”になったことに間違いはないだろう。
「此度着任する、この新たな第四の騎士隊に属す新世代の騎士たちも、この国を襲う災厄に正面から対抗する強い意思と力がある。
そしてこの隊の長を仰せつかる私自身も、この責任を恐れず、喜んで受け入れる覚悟がある。
我々がこの取り組みに注ぎ込む信念、そして献身的な努力が、この国とこの国すべての人々を明るく照らすことを願う。
今日この日を以て、我々“黒の隊”は、新時代の始まりと変革の象徴となろう。
だからどうか、この歴史的な試みを見守って頂けないだろうか。
いずれ歴史が我々の行いに正しい審判を下してくれることを信じ、この愛すべき国を、世界を、導いていこう」
それは、9年前のあの日。
ホロウレイドで大敗を喫した王国が、希望の象徴として、王国復興の旗として、“年若い王国騎士団長”をこの広場に立たせた時と同じ光景だった。
まだこの国は負けていない。いずれ必ず、歪虚を打ち破り、平和な世界を取り戻す。
その意思を一つに束ね、式典広場には轟くような歓声が沸き起こっていた。
◇
エリオット・ヴァレンタインは、着任式終了後直ちに式典広場から王城円卓の間へと急行したのだが、既に要人たちは卓について最後の一人の到着を待つばかりの状態だった。
「来たか。……では、始めるとしよう。此度の軍事会議における目的は一つだ」

ゲオルギウス・グラニフ・
グランフェルト

ダンテ・バルカザール
それには、王国西方とその沖に浮かぶ島“イスルダ”が描かれている。
「イスルダ島、奪還──かの“歪虚島”に、此度いよいよ戦争を仕掛ける」
この日、議題として予定されていたのは近年最大規模の軍事作戦だった。
「最早この場の面々に説明すべきことでもないが、改めて状況をすり合わせつつ明確にしていくとしよう。
まず、歪虚軍によるイスルダ島占拠から今年で9年が経つが、島は今だ歪虚支配から奪還できていないのが現状だ。
それには幾つかの障害があった。その一つが、島を占拠していた歪虚が非常に強力であったこと。
9年前の侵攻によってイスルダ島を占拠し、そこに駐留する歪虚軍総司令として君臨していたのは、言わずと知れたベリアル──傲慢の歪虚であり、災厄の十三魔に名を連ねていた悪名高き黒大公だ。
奴の率いる「傲慢(アイテルカイト)」を中心とした歪虚軍は、島と世界を隔絶するかのように、島の海岸線を汚染。次第に中心部まで負の汚染区域を拡大していった。現在では島の中心が僅かに残っているような状態だ。
それ故に、イスルダ奪還にあたってもう一つ、大きな障害が発生した。それは、島へ侵攻するための手立てが確立出来なかったことにある。
イスルダ島は、全周を海に囲まれた島だが、先述どおりその島の海岸線が歪虚の領域と化している。つまり、人間が海伝いに島へ攻め入ることができない状況だったと言うわけだ。
つまり、イスルダを攻める為にはまず“海岸線の虚無化した歪虚領域に対処する”ことが肝要だ。だが、ここへきて状況が一変した」
ゲオルギウスは、手元の封筒のなかから魔導カメラで撮影された二枚の写真を取り出した。
一つは四辺が変色しており、古い写真だと解る。その写真には、遠くに黒く濃く存在を主張するイスルダの海岸線らしきものが映っている。海の上に黒く高い瘴気のような壁が生じており、その奥を見通すことは全く出来ない。
が、しかし。もう一つの写真はそれとは明らかに内容が異なるものだった。海の上、黒く変色して島を覆い隠していた負のマテリアルは確かに存在しているが、随分その濃度は薄らいでおり、黒の気配の向こうには島の様子がうっすらと映り込んでいるのだ。
写真の奥を指差す老騎士。そこには“黒い神殿”のようなものが見えている。
「見ての通り、ここのところイスルダの海岸線の闇が明白に弱まり、島の奥に敵の拠点と思しきものすら伺える状況になった。これは、なんらかの理由によって負のマテリアルの濃度が弱まったと言うことだろうが、原因として断定できる情報は我々にない。
だが、定期偵察の都度海岸線を撮影し、記録を保存してきた我々青の隊が事実だけを述べるならば、この負のマテリアルの弱化は“黒大公ベリアル討伐後から緩やかに始まった”と断言できる」
「もしや、ベリアルが死亡し、その島を支配していた歪虚が消えたことで、彼の発していた負のマテリアルが徐々に薄まった……?」

セドリック・マクファーソン

システィーナ・グラハム
「だが、この濃度では未だ海岸線近くは瘴気が害成す恐れもある。多少の浄化儀式が必要になるはずだが……内陸部の敵を抑える方法は」
大司教セドリック・マクファーソン(kz0026)の指摘に答えたのは、王女システィーナ・グラハム(kz0020)だった。
「……フライング・システィーナ号、ですね」
王女の指摘にふんと鼻を鳴らし、ゲオルギウスは続ける。
「左様。近年の技術革新に伴い、我々は空からの上陸手段を得た。海岸線を踏まずとも、島を強襲すること自体、物理的には可能となった。しかしリアルブルーの船を動かせぬ限り、その部隊は少数とならざるを得ぬ。
そして、春頃行われた黒大公戦において、空中部隊が確認されたのは記憶に新しい。敵も当然対空迎撃手段は持ち得ているだろう。
故に、海から物量で攻める。転移門を内包するフライング・システィーナ号によって島近海に進撃路を確保。その後、王国騎士団を中心とした第一陣を上陸……これは、そこの赤猿に一任するつもりだが、群がる敵を蹴散らしている隙に港部分の歪虚領域浄化に対処。そこを起点として船を突入させ、後続部隊と支援・補給物資を送り込む形とする」
王女を含め概ね理解できたか、というところで黒の隊長であり、実質白の隊長も兼任することになったエリオット・ヴァレンタインが息をついた。
「歪虚化が弱まっている、か。……好機だな。ある程度力の強い術者を用いて短時間でも浄化儀式を行えば、完全な浄化に至れずとも、覚醒者が問題なく行き来するだけの状態には戻せるだろう」
「春頃現れた先王の姿をした歪虚たちは、島中央の黒い神殿を拠点にしていることも判明している。つまり……そこを落とせば、勝利は目前だ」
「黒大公軍は先の討伐戦後の掃討戦でほぼ壊滅状態。現在イスルダに潜んでいるのは、歪虚化した元王国騎士たちと……恐らくは、歪虚化してしまったイスルダの植生。そして、島民たちと目される」
エリオットとゲオルギウスによる情報のすり合わせが行われてしばし。退屈そうに話を聞いていたダンテが、突然腕を突き上げた。
「くあ?……ッ! 話なげえな、そろそろいいんじゃねえの。“俺が行く”んだろ? なら、細けえこたぁどうでもいい。“俺らの話”自体は決まりなわけだ」
会議の場であることも気にせず、全身をぐっと伸ばし始めるダンテを一瞥し、ゲオルギウスは呆れの表情を浮かべるが、そんなことなどお構いなし。肩をぐるりと回したダンテは、王女の瞳を正面に捉えて笑う。
「で? イスルダを落とす、落とさない? ……どっちだ、王女サマ」
無礼な物言いにも関わらず、システィーナはくすりと笑って立ち上がる。
ダンテは、システィーナが父王を失ったあの日からずっと“物言わず支えてくれる”大切な存在だった。
表だって直接的に支援するのではない。彼はずっと、“少女がそこに在れるように”闘い続けてきてくれた。
それは、国の為の戦いに留まらない。王国が、他国への助力を、その姿勢を問われる場面において、王国騎士団に余力がなくとも、いつもだって必ず“彼は王女の願いを聞き入れ、遠征を繰り返してきた”のだ。
だからこそ、無礼を問うつもりなどさらさらない。彼の言葉は荒々しく品性に欠けるけれど。それでも、システィーナがこの場で述べるべき言葉はそれ一つしか、思い浮かばなかった。
「“落とします”。イスルダを、わたくしたちの手に戻しましょう」
こうして遂に、イスルダ島を奪還するための作戦が幕を開けようとしていた──。
●黒羊神殿を攻略せよ(9月15日更新)

ヴィオラ・フルブライト

ダンテ・バルカザール

ジェフリー・ブラックバーン
凛としたヴィオラ・フルブライト(kz0007)の声が海岸線に響き渡る。それが示す事態に気付いたようで、集約してゆく強大な正のマテリアルに群がっていた歪虚たちが一斉に退避を開始した。
「大精霊エクラよ! 穢れを祓い、我らに勝利の栄光を!!」
刹那、辺りを覆っていた黒いヴェールを突き破り、眩い光の柱が天へと向かって解き放たれる。その光を中心に、島を囲んでいた負のマテリアルは白光に呑みこまれるように薄らぎながら霧散してゆく。
狭い範囲とはいえ、途方もない量の正のマテリアルが働いたのだ。例え戦の最中、敵の群のど真ん中に居て光の柱を見ていなかったとしても、気配を察知することは十二分に出来た。
「やれやれ、浄化は完了したみてえだな」
ダンテ・バルカザール(kz0153)は今しがた切り伏せた(というより叩き伏せた)敵の群を最後に、一旦周囲から敵の気配が収束したことに気付いて漸く言葉を発する。これは王国連合軍による先遣隊を率いて、先行して島に上陸したダンテたち一団の大暴れの果ての出来事だった。
「連中、いよいよ本戦に挑む腹積もりでしょう」
ダンテの部下ジェフリー・ブラックバーン(kz0092)の視線は、歪虚たちの“撤退方向”に向けられていた。
「……“黒羊神殿”か。ケッ、だっせぇ名前付けやがって」
「命名は隊長によるものと聞きましたが」
「あぁ? んなもん……忘れた。つか、実際“黒い神殿”なんだからその辺が解りゃなんでもいいだろうが!」
「はいはい。そうですね」
ジェフリーは上司の照れ隠しを聞き流した。ダンテが怖い顔をしているが赤の隊の先任には慣れたもの。
剣林弾雨に比べればこの程度のやり取りはじゃれ合いのようなものだった。
◇

エリオット・ヴァレンタイン

ゲオルギウス・グラニフ・
グランフェルト
出足となるフライング・システィーナ号による囮作戦が最良の結果を残し、それを受けてダンテたち先遣隊が突入。彼らの脇を固めんと様々な場所で小競り合いが発生しながらも、物資の支援等滞りなく進行し、やがて待ちかねた浄化陣が発動。それによりイスルダ島を覆っていた強力な負のマテリアルが崩壊を始めた。イスルダ攻略において最後の難関として立ちはだかっていた壁を、文字通り壊すことに成功したのだ。
その足掛かりを経た今、フライング・システィーナ号の転移門を介し、CAMをはじめとした戦闘兵器はもちろん、人員、物資、様々なものが島へと送り込まれている。それと同様に、海岸線の浄化作戦を遂行した黒の隊隊長エリオット・ヴァレンタイン(kz0025)は、報告と確認の為に王国騎士団長の守る王都へと転移門を通じて一時帰還を果たしていた。
「……そうか、ご苦労」
エリオットを出迎えた上長のゲオルギウス・グラニフ・グランフェルトは、劇的に最高の結果ではないにしろ“順当に進んでいるはずの報告を前に難しい顔をしている”。それが、エリオットには大きな気がかりだった。
これまで幾つもの大きな戦いがあった。その多くの戦いにおいて“ゲオルギウスがここまで得心が行かない顔をしていたことは僅かだった”からだ。少なくとも、幾度も重ねてきた黒大公戦において彼のこの様な姿は見たことがない。
「エリオット。お前はどう見る?」
「“俺”に、それを求めるのか」
「だから、だ。少なくとも、我らには“後ろめたさ”がある。これが“掟破りを犯した故の順当さ”であるのか、そうでないのか……此度流石に判別がつきかねてな」
「珍しいな」
青年騎士は、思った事を率直に口にした。それが相手の気分を害することになるだろうと解っていながら。
「……ふん、“元凶にほど近い”貴様が言うことではなかろう」
「道理だな、だが」
刺すような視線を避けることなく一身に受けながら、それでもエリオットは確かに首肯した。
「この国が、世界が、そして殿下や人々が、歪虚の脅威を退け安寧を得る為ならば。俺は“蛇の道”を進むことなど厭わない。例え世間から非難され疎まれようとも、その果てに“命を落とそうとも”」
その言葉の含むところに気付き、老騎士は息をついた。
「なぁ」
ふいに、いつもの毅然とした調子ではなく、年相応の経験と深みを滲ませた声音でゲオルギウスが語る。そこにはいつもの力強さはない。
「お前はまだ若い。ダンテの奴もだ。今の若い世代が日々繰り返される戦争のなかで未来への希望を抱けず、歪虚の脅威に脅え、閉そく感を抱いているのだとしたら、それは“今の世界を作ってしまった、我らの世代の責任”だ。そのつけを、お前たちに負わせている自覚程度はある」
「……お前、本当にゲオルギウスか?」
その一室に存在するのはゲオルギウスとエリオットのみ。“だからこそ”という背景はある。だが今、本当に珍しく老騎士が弱気を見せていた。
この先の一手をどうすべきか考えあぐねているのだろう。何かしら、彼のこれまでの経験や勘の助ける所によって、だ。
「軽口ではない。だが“お前たちがやらねばならなかったことなのか”と。本当に“この手段をとるべきだったのか”と……」
それ以上を遮るように、エリオットが首を振る。
「俺たちがすべきことは、イスルダを取り戻すこと。そこを拠点にしていると目される歪虚……アレクシウス・グラハムを倒すこと。イスルダの拠点を落とせば、王国西岸の地域一帯は歪虚襲撃の脅威を大きく低減できる。それに、元々あの島の“資源”はいつか回収すべきだと皆解っていた。島の住民や騎士たちの供養も必要だ。ほかにも……そうだな、幾らだって理由はあるんだ。やるべき理由ならば、な」
「話はまず、イスルダを奪還してから……だな」
●

ベリアル
災厄の十三魔に数えられる強大な歪虚で、王国暦1017年の春頃討伐されたことは記憶に新しい。
そのベリアルだが、彼は主より「王国侵攻軍総司令」を拝命してからのち、王国を攻め滅ぼすことが自らの支柱となっていた。最初の襲撃は、王国暦1008年。彼は、王国を攻め滅ぼすために手ごろな拠点を欲した。
──その時襲撃されたのが、王国西方沖に位置する孤島“イスルダ”だった。
ベリアルが長きに渡り居座ってきたイスルダ島。その中心部には、黒い神殿の様な建造物の姿があった。王国側がその存在を捕捉したのは、ここ最近のことだ。なぜなら、これまでイスルダ島の全周を黒々とした負のマテリアルの障壁が囲っており、それに阻まれて島内部の様子を目視することが出来なかったからだ。
しかしなぜ、最近になって“黒い神殿の姿”を確認できるようになったのか?
それが、今回王国がイスルダ奪還を決定した要因の一つでもある。
『見ての通り、ここのところイスルダの海岸線の闇が明白に弱まり、島の奥に敵の拠点と思しきものすら伺える状況になった。これは、なんらかの理由によって負のマテリアルの濃度が弱まったと言うことだろうが、原因として断定できる情報は我々にない。
だが、定期偵察の都度海岸線を撮影し、記録を保存してきた我々青の隊が事実だけを述べるならば、この負のマテリアルの弱化は“黒大公ベリアル討伐後から緩やかに始まった”と断言できる』
先の円卓会議で騎士団長ゲオルギウス・グラニフ・グランフェルトはそう発言していた。
『確かなことは、今後また別の歪虚が強力な負の力をまき散らし、海岸線が再び強力に黒化してしまえば、もう手はつけられない。イスルダ奪還は、“今が好機”──むしろ“今しかない”可能性も十二分にある』
故に、此度王国はイスルダ島奪還に向けて連合軍を結成。イスルダ島攻略戦を開始した、と言うのがいわゆる“前段”である。
◇
「ってのが此処までの流れだ」
いかにも「ここまでの説明は自分がしました」と言わんばかりの仕切りぶりだが、実際問題ダンテ・バルカザールは部下のジェフリー・ブラックバーンに作戦指示を丸ごと一任していたようだった。
ダンテは、自分がやらなくても問題がない仕事において、徹底して「温存」を選ぶ。それは、彼が自分がやるべき仕事を明白に理解し判断を誤らないことの自負からきているものかもしれないが。
「ええ、まぁ……はい。で、ここから先は今後の説明です。
これから攻め入るのは、イスルダ島支配における歪虚拠点の“総本山”とされる神殿──“黒羊神殿”。
王国西岸のあるポイントから、この神殿の存在が初めて捕捉されてから約1?2カ月の間、王国騎士団青の隊は徹底してこの建造物をマーク。そして、この神殿に件の“王国騎士や近衛騎士の姿をした歪虚たち”が出入りしていることを確認しています。
先の黒大公討伐戦の折、現れた前国王の姿をした歪虚──あの一団もイスルダ島から襲来し、そしてイスルダ島へ帰還していった事実もある。
此度、多数の貴族戦力、赤の隊を主とした王国騎士団、そしてハンターたちから成る連合軍を編成し、この神殿への電撃戦を開始する。
それにあたり今回は多数の部隊が同時展開を行う。まず神殿への突入路の確保。フライング・システィーナ号からの転送によりCAMを戦線に投入できる状況にある。これで一気に切り拓いて神殿までの道をこじ開けるのが一手。
そして、その道を通って神殿内部を一気に攻略する。建造物内部への侵入である以上、その先にCAM等を投入することは出来ないが、精鋭の歩兵を募って、複数部隊でこれにあたる。恐らく内部には強力な歪虚が複数待ち受けているだろうが、この好機を逃すことは出来ない以上、ここで一気に攻め滅ぼす」
「神殿内部の様子の情報は?」
ある者から手が挙がった。恐らく貴族の私兵だろう。それにジェフリーは冷静に応える。
「情報はほぼない。解っていることは一つ。あれは、“人間の作ったものではない”。歪虚に占領されるより以前、王国がイスルダ島との行き来があった時代にこのような建造物はなかった。そしてもう一つ。先程伝えたようにこの神殿に出入りしているのは元王国騎士や近衛騎士たちの歪虚であるということだ」
「馬鹿な。そのような状態で“歪虚島”の敵拠点に電撃戦などと……」
「フライング・システィーナ号が島近辺を保持するための戦いや、そこからCAMを送り出し神殿への道を確保するための戦い。神殿に突入すると一口に言っても、その為には数え切れぬほど多くの者が苦しい戦いを持ち堪えている背景がある。今、この瞬間もだ。何度もトライ&エラーを繰り返す余地などない。一度で決める──その覚悟が必要だ」
「人間の作る物ならまだしも、歪虚の生み出した未知の魔窟だ。それを……ッ」
刹那、ガタンと物音が響く。この場において“大将”を務める人間──ダンテ・バルカザールが、足場の悪い場所に置かれた椅子から立ち上がっていた。
「これまで大規模な戦において、帝国が、辺境が、同盟が、東方が、そして他の世界の連中が、どれほど“初見の敵陣に乗り込む危険を冒してきた”と思ってんだ? 初見の“歪虚王”を滅ぼさねばならない戦だってあった。それに比べて、俺たちが今立ち向かおうとしてんのはナンだ? 歪虚の王ですらねぇ。無論、俺らの王でもねぇ。じゃあなんだ? “ただの歪虚”相手だろうが」
言葉こそ非常に厳しい内容ではあるが、ダンテの表情も声色も随分と穏やかだった。
連戦を強いられ、長年の怨敵が居た敵地へと乗り込む。そこで出会うのは既知の存在が歪虚と化したものたち。どれほどのストレスを感じながら彼らはこの場に今立っているのだろう? そう思えばこそ、ダンテは騎士を、兵を、動揺する誰をも責めることはしない。
「納得できねえやつは今すぐ去れ。こっから先、神殿内部は助けも入らん“死者の国”だ。恐れて去ろうと、誰もてめえらを責めはしねえ。いざって時ぁ、俺がケツをもつ。だから」
全ての者たちに聞こえるように声を張って、ダンテは告げた。
「俺と行く覚悟があるやつだけ付いて来い!」
こうして、黒羊神殿への電撃戦が幕を開けたのだった。
●イスルダに潜むもの(10月12日更新)
アレクシウスを討ち取った、まさにその瞬間だった。
『──私が手ずから作り上げた餌の味は、堪能できましたか?』
そこには確かに何もなかった。一瞬前まで、気配すら微塵も感じなかった。
だが、今確かに大広間の出口を塞ぐように“何か”が現れたのだ。
『ようこそ、私の“黒曜神殿”へ』
その姿を見知る者がこの場にどれほど居ただろう。この場、この神殿の底にいる者たちのなかだけではない。この島へ、そしてこの神殿へと突入する部隊のために体を張って道を作った多くの戦士たちの中にも、少なくないはずだ。
「餌、だと」
青筋を立てて退路方向を振り返るダンテ・バルカザール(kz0153)。その先にいるのは、鬼気迫る王国連合軍指揮官の姿も意に介さない歪虚。こみ上げる笑いを抑えきれないとばかりに、いやらしい笑い声が漏れてくる。
『あぁ、確かに。正確には、餌というより最早“疑似餌”に等しいシロモノでした。……やはり、“あれでは難しかった”ようですね』
美しい装飾の施されたジャケットを纏った貴族の如き装い。脚部に絡みつく幾つもの蜘蛛。そして、ゆっくりと動いて存在を主張する不気味な尾を持つその姿は。
「……“蜘蛛のバケモン”。なるほど、テメェか」
理解と同時、ダンテは溜息を一つ零し、冷静に“その歪虚”へ矛先を向けた。
◇
長年イスルダ島を支配していた“王国侵攻軍総司令”を拝命する黒大公ベリアル。強大な力を持つその歪虚が人類に敗北したのは今年初夏の大戦でのことだったが、その最中だ。ベリアルの戦を支援するかのように、王国連合軍に横やりを入れる歪虚軍が現れた。それを率いていたのが、先ほどダンテたち王国連合軍が総力を挙げて討ち滅ぼした歪虚、前王アレクシウス・グラハムだった。
あの時アレクシウスはイスルダから襲来し、そしてイスルダに撤退したことが目撃されている。これはアレクシウスがイスルダを拠点としていることを示唆しており、現にその後の王国騎士団青の隊の定時観測においても“あの島にアレクシウスらが駐留していることは証明されていた”。そして同時に、それ以外に強力な歪虚の存在は確認されていなかった──。
「ハッ、なんで今更テメェがこんなとこに出てきやがる」
王国連合軍指揮官の嘲るような口ぶりに、しかし歪虚は大仰に首を傾げてみせる。
「はて、“今更こんなところに”とは?」
「あぁ? テメェはもともとイスルダとは関係ね……」
刹那、ダンテが口を噤んだ。自らの認識に大きな“過ち”があったことに、今この瞬間になって初めて気が付いたのだ。
長くダンテの副官を務めてきたジェフリー・ブラックバーン(kz0092)が、長としての出方を慎重に見計らう彼に代わって告げる。
「“あの戦いにお前はいなかった。それに、この島でお前の姿を見たものは誰もいない”──この認識自体が初めから間違いだったということか」
「そういえば、件の歪虚に“変容”の能力があるということは、公になっていましたね」
アレクシウス討伐の功労者でもあるリリティア・オルベール(ka3054)は、そう言って抑揚のない視線を新たな敵へと突きつけていた。その瞳に滲むのは、まるで自らが斬るべき相手を品定めするというただ一点への興味。
「あの能力は“強い歪虚ほど、変容したとて「歪虚であること」を隠すことはできない”ようですが、ホロウレイドはベリアルの大軍勢による急襲。木が森の中に隠れる程度のこと、造作もなかったでしょうね」
●ホロウレイドの真実
第三者が見るダンテ・バルカザールとは、戦うためだけに生まれてきたような男だった。
歪虚であるなら問答無用。ただ斬って捨てる。その繰り返し。そこに余計な感情はなく、たとえ“元が何者であろうと構うことはない”。それが、親友のアレクシウス・グラハムであったとしてもだ。
だからこそ、あのダンテ・バルカザールが、歪虚と積極的に会話をしている光景は異様だった。
──“時間稼ぎ”、か。
長年共にあるジェフリーには容易に理解できていた。地底の大広間はただならぬ緊張感に支配され、その場にいるだけで肌の上をチリチリと電流が走るような錯覚に陥る。
ジェフリーだけではないだろう。この場の誰もがある事実を理解し始めていた。
王国連合軍はメフィスト(kz0178)の罠に落ちたのだ、と。
──アレクシウス戦後の損耗状態でメフィストと戦うなど、非現実的に過ぎる。だが、おそらく……これは、それだけじゃない。
退路方向に立ちはだかるメフィストを一瞥し、それがダンテやハンターとの会話に興じていると確認したジェフリーは密やかに、そして改めて、この地底の一角を眺めた。 この神殿は、いったい何なのか?
もともとは王国侵攻軍総司令たるベリアルのものであったはずだ。
だが、イスルダに攻め入るまでの調査においてはアレクシウスが我が物顔で駐留していた事実がある。
そして今、ここにメフィストが現れたと同時、アレクシウスたちの“主”がメフィストであったことが奴の口から明かされた状況だ。
それらから類推するに──いや、メフィストの言葉を真正面から信用する訳ではないのだが、少なくとも今日までに現実に起こり得ていることから類推するに──この神殿はつまり「メフィストのもの」であるのだろう。
もともとメフィストのものであったのか、あるときを境にメフィストのものになったのか。
それを現在推し量ることはできないが、どちらにせよこの事実はあまりに危険過ぎた。
『やれやれ。この様子では、此度は勝負にもなりませんでしたね』
呆れた様子の言葉に反し、歪虚は愉悦を滲ませている。この闖入者の出現以降、懸命に殺気を押し殺していた誠堂 匠(ka2876)は、強い怒りを抱くと同時、痛烈な自責にも似た感情を覚え、無意識に拳を握りしめていた。
「……確かに、違和感はあった。ベリアルは、ベリアル自身という強大な戦力に加え、“奴が抱える大軍隊”を使役し大掛かりな戦争を仕掛けるタイプの歪虚だった」
そのベリアルが、アレクシウス・グラハムら“多数の王国軍を相応のコストをかけて一挙に歪虚と化し、自らの下僕とするだろうか”?
──違う。あいつはそんなことをする歪虚ではなかった。
実際、最終決戦の折にはべリアルの忠臣であった強力な個体の多くが既に死滅しており、奴が部下不足による苦戦を強いられていたことは王国の報告に上がっている。
ならば、ホロウレイドの戦いにおいてアレクシウスたち多数の王国軍を回収し、歪虚に貶めたのはいったい誰なのか?
ベリアルでないというならば──“ホロウレイドには、もう一体強力な歪虚が紛れていた”はずだ。
「現在王国の脅威として、ベリアルのほかにあと一体歪虚がいる。そいつは自身の軍を持たず、場に応じて“自身の魔力から召喚した個体の使役”と【“人間を取り込み堕落者と化す”ことで手足を増やすスタイルの歪虚】だった」
匠は、心底から悔やむ口調で、一つ一つこれまでに判明していた事実を並べて論ずる。
歪虚が明白なスタイルの違いをもって王国を襲っていたことは、これまでさまざまな事件を経た匠にも痛いほどわかっていた。
エクラ教巡礼者の連続殺害事件に端を発する“テスカ教団事件”。多くの人間が“ある歪虚”に踊らされ、歪虚と化して命を落とした。歪虚にならずとも、自ら死を選ぶほど洗脳された者がいた。惨たらしい死を迎えた者がいた。幼い子供すら使い捨てられた。
あの惨劇を目の当たりにし、心を痛めたのは誰だ?
──ほかならぬ俺たちだったはずだ。なのになぜ、この事実を今日まで引きずりだせなかったのだろう。
「アレクシウス王や王国騎士たちを歪虚に貶めた張本人は、“メフィスト”……最初からお前だったということか」
『ええ、すべては“我らが王”の為なれば』
匠の会話が“それ”を意図したものだったとは言い難い。だが、それを好機とばかりにジェフリーはある人物へ視線を送ると、燃えるような赤い瞳の男は「おせえよ」と言わんばかりに口角をあげた。そして同時に、人間同士の戦争ならともかく、歪虚との戦争においてこれまでさほど使うことのなかった古く騎士団に伝わる暗号を送ってくる。
──現時刻をもって撤退だ。ジェフリー、あとはてめぇに預けてやる。
「ッ──隊長……ずるいですよ、それは」
そこに含まれた意味を、賢い男が理解できないはずがないというのに。
●王国軍撤退
「王国連合軍総大将……王国騎士団副長、ダンテ・バルカザールだ」
メフィストの前にダンテが進み出た──刹那のことだった。
「てめぇは、俺がここで殺す」
瞬後、ダンテが脅威の瞬発力でメフィストとの距離を詰め、彼の持つ魔剣を歪虚の首に突き立てた。かと思えば、メフィストは致命傷を避けるべく“水平方向へ瞬時に跳躍”。それが、狙いだ。
脱出路を塞ぐように立っていたメフィストの体がその位置をずらし、“道が開いた”のだ。
「王国連合軍、全軍撤退ッ!! 現時刻をもって、指揮権をジェフリー・ブラックバーンに委譲! 一人でも多く生きて帰れ、いいなッ!!」
ダンテの渾身の号令を前に赤の隊の一部騎士が“作戦”を理解し、動揺の声を上げた。
「隊長ッ! それはつまり……ッ」
「るせぇッ! 俺はなぁ、このクソ歪虚を叩っ斬る! さっきからこの糞虫にゃ、腸が煮えくり返って煮えくり返って仕方がねぇんだよッ──!!」 だから、今のうちに──セリフの裏に含められていたそのメッセージが部下たちに伝わったかはわからないが、何かを直感したダンテの背筋に冷たい汗が伝う。
直後、突如として神殿全体から強力な負のマテリアルが発せられたのだ。
「これは……」
自らの肌を刺す強烈な悪寒。いち早く事態を察知したダンテの様子に気をよくしたのか、メフィストは再び振るわれた魔剣の切っ先を握りとめて講釈を垂れる。
『これは、法術陣とは逆のアプローチによる魔術のようなもの。貯めに貯めた負のマテリアルを対価に一定範囲内に強力な負のマテリアルを集中照射するものです』
その意味するところを、ダンテが知らないはずもない。おそらくは、神殿を脱出するべく先ほどこの広間を離脱していった者たちも。この場に残った一部の赤の騎士たちも、“この感覚”、“この悪寒”を理解するのに時間は必要なかっただろう。
『法術陣の発動に際し、起こった出来事を覚えていますか? 力の弱い歪虚はその場で消失。残った者もその影響にさらされましたが……こちらは、少し、違う』
いっそ穏やかにいくつもの目を細め、メフィストは宣告した。
『“抵抗しきれなかったすべての知的生命体を一気に虚無に落とす”』
「ジェフリィ――ッ! 早……」
無線の奥、相手にその声が届いたかはわからない。けれど、ダンテの腹部を一条の闇が貫く。
「……ッ、効かねえな」
『可愛げのない』
この時すでに、ダンテの思考は鈍り始めていた。
先ほど発動した強力な負のマテリアルによる魔術──仮に「反・法術陣」と呼ぶとして──その浸食で、彼の身体能力は大きく損なわれていたのだ。あの日、あの時のメフィストのように。
気づけば、最後までダンテの決意を案じてそばに残った騎士たちの多くは、もはや動けずにうずくまっている。いや……すでに数名、身体の末端が黒い液体のように蕩け始めていた。人としての形を保つことすらままならない。力のあるものすらその輪郭を侵す、凶悪な“呪い”のようだ。
「この一番地底の一番デカい広間が、一番濃い“たまり場”ってことか。だから、ここまで連合軍を誘き寄せた。ハ……蜘蛛虫ヤロウにお似合いの小細工だ」
『ああ……やはり消えゆくものの憎悪と後悔に満ちた鳴き声は実に心地良い! ……では、そうですね。死出の土産にお話でもしてあげましょう。私とて慈悲の心を持ち合わせているのですよ。特に――』
そういって、自らの尾を玉座の代わりのようにして腰かけたメフィストが口を開いた。
●離脱の秘策と、その顛末
『ジェフリー、聞こえるか。これから脱出までの最短ルートを示す。今は理由を聞かず、従ってほしい』
指揮権が赤の隊ジェフリー・ブラックバーンに委譲された王国連合軍は、ある男の通信指示に基づいてルートを選定していた。
「お言葉ですが、元騎士団長。そちらは事前のマッピングで突き当りだと……」
『わかっている。突き当ったら壁を叩き壊せ。そこは“壊せる”はずだ』
なぜそのことをエリオット・ヴァレンタイン(kz0025)が知っているのかは解らない。だが、今は指示に従うほかない。それが事前の“隊長命令”でもあったからだ。
そうして指示通りの行動を繰り返していると、ある隠し部屋から太陽光の覗く長大な階段へと突き当たった。
「まさか、本当に……」
『歪虚……緊急脱出……だ。……を……ば、……脱出、後……』
もとより激しいノイズに乱されてはいたのだが、終に音声が途切れた。
すでに強力な負のマテリアルに侵され、意識を失う者も相次いでいる。あのままもと来たルートを通る脱出方法では、おそらく半数以上が“もたなかった”だろう。
けれど彼らは、“神殿内の隠し部屋”を通じ、確かに神殿の外へと脱出を図ることに成功するのだった。
「違う、これは……本来有り得るはずがない脱出劇だ。けれど今、こうしてここにあること。これは……奇跡なんかじゃない」
──“禁忌”を侵したのではないか、と。
言葉にすることもできぬ複雑な思いが男の胸中を満たした。
◇
やがてジェフリー・ブラックバーン率いる赤の隊、貴族、ハンターらによる王国連合軍は、地上への脱出に成功。しかし、そこはいまだ敵の術中だ。島東岸で継戦中の他部隊との合流を果たそうと、撤退を再開してまもなくのことだった。
「な……ッ、まさか、神殿が……!」
撤退中の連合軍のなか、誰かがそう絶句した。
激しい爆音とともに、後方より強烈な負のマテリアルが黒い炎のように天高く巻き上がったのだ。
黒い炎は一瞬ののちに消え、後には土煙が漂うのみ。爆心地は──先刻まで自分たちのいた“黒羊神殿”で間違いないだろう。
視界を覆い尽くす現実に、ジェフリーは咄嗟に言葉を見失いかける。
「……隊、長」
自分たちが脱出してきた隠し通路から、未だ隊長のダンテや同僚騎士の一部が脱出してきていないことは把握していた。
その最中での、この爆発だ。青年は、思わず息をのむ。
まさかあの、死んでも死なない、敵地を大胆不敵に飛び回る不死鳥のような男が。
「連合軍、これよりただちに、神殿へ……」
引き返すのか? 明らかに今の爆発で跡形もないそこへ。それは当然“上官命令に背く”。
ジェフリーは、正しく軍人だった。それ以上に、もし“この命令が最期のものだとするならば”、命を懸けた最後の指示くらい、まっとうしてやりたいと願ってしまった。
「……いや、このまま予定通り島東岸へと急行。離脱を最優先として残る王国軍と合流し、状況確認を急ぎます」
王国軍全軍合流の後、ただちに精鋭部隊を編制し島中央部を調査。 黒羊神殿があったと思しき場所には巨大なクレーターが一つ。ほかは土埃が舞うばかりで、現時点ではそのほかに何の痕跡も得ることはできなかった。
『──私が手ずから作り上げた餌の味は、堪能できましたか?』
そこには確かに何もなかった。一瞬前まで、気配すら微塵も感じなかった。
だが、今確かに大広間の出口を塞ぐように“何か”が現れたのだ。
『ようこそ、私の“黒曜神殿”へ』
その姿を見知る者がこの場にどれほど居ただろう。この場、この神殿の底にいる者たちのなかだけではない。この島へ、そしてこの神殿へと突入する部隊のために体を張って道を作った多くの戦士たちの中にも、少なくないはずだ。

ダンテ・バルカザール
青筋を立てて退路方向を振り返るダンテ・バルカザール(kz0153)。その先にいるのは、鬼気迫る王国連合軍指揮官の姿も意に介さない歪虚。こみ上げる笑いを抑えきれないとばかりに、いやらしい笑い声が漏れてくる。
『あぁ、確かに。正確には、餌というより最早“疑似餌”に等しいシロモノでした。……やはり、“あれでは難しかった”ようですね』
美しい装飾の施されたジャケットを纏った貴族の如き装い。脚部に絡みつく幾つもの蜘蛛。そして、ゆっくりと動いて存在を主張する不気味な尾を持つその姿は。
「……“蜘蛛のバケモン”。なるほど、テメェか」
理解と同時、ダンテは溜息を一つ零し、冷静に“その歪虚”へ矛先を向けた。
◇
長年イスルダ島を支配していた“王国侵攻軍総司令”を拝命する黒大公ベリアル。強大な力を持つその歪虚が人類に敗北したのは今年初夏の大戦でのことだったが、その最中だ。ベリアルの戦を支援するかのように、王国連合軍に横やりを入れる歪虚軍が現れた。それを率いていたのが、先ほどダンテたち王国連合軍が総力を挙げて討ち滅ぼした歪虚、前王アレクシウス・グラハムだった。
あの時アレクシウスはイスルダから襲来し、そしてイスルダに撤退したことが目撃されている。これはアレクシウスがイスルダを拠点としていることを示唆しており、現にその後の王国騎士団青の隊の定時観測においても“あの島にアレクシウスらが駐留していることは証明されていた”。そして同時に、それ以外に強力な歪虚の存在は確認されていなかった──。

ジェフリー・ブラックバーン

リリティア・オルベール
王国連合軍指揮官の嘲るような口ぶりに、しかし歪虚は大仰に首を傾げてみせる。
「はて、“今更こんなところに”とは?」
「あぁ? テメェはもともとイスルダとは関係ね……」
刹那、ダンテが口を噤んだ。自らの認識に大きな“過ち”があったことに、今この瞬間になって初めて気が付いたのだ。
長くダンテの副官を務めてきたジェフリー・ブラックバーン(kz0092)が、長としての出方を慎重に見計らう彼に代わって告げる。
「“あの戦いにお前はいなかった。それに、この島でお前の姿を見たものは誰もいない”──この認識自体が初めから間違いだったということか」
「そういえば、件の歪虚に“変容”の能力があるということは、公になっていましたね」
アレクシウス討伐の功労者でもあるリリティア・オルベール(ka3054)は、そう言って抑揚のない視線を新たな敵へと突きつけていた。その瞳に滲むのは、まるで自らが斬るべき相手を品定めするというただ一点への興味。
「あの能力は“強い歪虚ほど、変容したとて「歪虚であること」を隠すことはできない”ようですが、ホロウレイドはベリアルの大軍勢による急襲。木が森の中に隠れる程度のこと、造作もなかったでしょうね」
●ホロウレイドの真実
第三者が見るダンテ・バルカザールとは、戦うためだけに生まれてきたような男だった。
歪虚であるなら問答無用。ただ斬って捨てる。その繰り返し。そこに余計な感情はなく、たとえ“元が何者であろうと構うことはない”。それが、親友のアレクシウス・グラハムであったとしてもだ。
だからこそ、あのダンテ・バルカザールが、歪虚と積極的に会話をしている光景は異様だった。
──“時間稼ぎ”、か。
長年共にあるジェフリーには容易に理解できていた。地底の大広間はただならぬ緊張感に支配され、その場にいるだけで肌の上をチリチリと電流が走るような錯覚に陥る。
ジェフリーだけではないだろう。この場の誰もがある事実を理解し始めていた。

メフィスト

誠堂 匠
──アレクシウス戦後の損耗状態でメフィストと戦うなど、非現実的に過ぎる。だが、おそらく……これは、それだけじゃない。
退路方向に立ちはだかるメフィストを一瞥し、それがダンテやハンターとの会話に興じていると確認したジェフリーは密やかに、そして改めて、この地底の一角を眺めた。 この神殿は、いったい何なのか?
もともとは王国侵攻軍総司令たるベリアルのものであったはずだ。
だが、イスルダに攻め入るまでの調査においてはアレクシウスが我が物顔で駐留していた事実がある。
そして今、ここにメフィストが現れたと同時、アレクシウスたちの“主”がメフィストであったことが奴の口から明かされた状況だ。
それらから類推するに──いや、メフィストの言葉を真正面から信用する訳ではないのだが、少なくとも今日までに現実に起こり得ていることから類推するに──この神殿はつまり「メフィストのもの」であるのだろう。
もともとメフィストのものであったのか、あるときを境にメフィストのものになったのか。
それを現在推し量ることはできないが、どちらにせよこの事実はあまりに危険過ぎた。
『やれやれ。この様子では、此度は勝負にもなりませんでしたね』
呆れた様子の言葉に反し、歪虚は愉悦を滲ませている。この闖入者の出現以降、懸命に殺気を押し殺していた誠堂 匠(ka2876)は、強い怒りを抱くと同時、痛烈な自責にも似た感情を覚え、無意識に拳を握りしめていた。
「……確かに、違和感はあった。ベリアルは、ベリアル自身という強大な戦力に加え、“奴が抱える大軍隊”を使役し大掛かりな戦争を仕掛けるタイプの歪虚だった」
そのベリアルが、アレクシウス・グラハムら“多数の王国軍を相応のコストをかけて一挙に歪虚と化し、自らの下僕とするだろうか”?
──違う。あいつはそんなことをする歪虚ではなかった。
実際、最終決戦の折にはべリアルの忠臣であった強力な個体の多くが既に死滅しており、奴が部下不足による苦戦を強いられていたことは王国の報告に上がっている。
ならば、ホロウレイドの戦いにおいてアレクシウスたち多数の王国軍を回収し、歪虚に貶めたのはいったい誰なのか?
ベリアルでないというならば──“ホロウレイドには、もう一体強力な歪虚が紛れていた”はずだ。
「現在王国の脅威として、ベリアルのほかにあと一体歪虚がいる。そいつは自身の軍を持たず、場に応じて“自身の魔力から召喚した個体の使役”と【“人間を取り込み堕落者と化す”ことで手足を増やすスタイルの歪虚】だった」
匠は、心底から悔やむ口調で、一つ一つこれまでに判明していた事実を並べて論ずる。
歪虚が明白なスタイルの違いをもって王国を襲っていたことは、これまでさまざまな事件を経た匠にも痛いほどわかっていた。
エクラ教巡礼者の連続殺害事件に端を発する“テスカ教団事件”。多くの人間が“ある歪虚”に踊らされ、歪虚と化して命を落とした。歪虚にならずとも、自ら死を選ぶほど洗脳された者がいた。惨たらしい死を迎えた者がいた。幼い子供すら使い捨てられた。
あの惨劇を目の当たりにし、心を痛めたのは誰だ?
──ほかならぬ俺たちだったはずだ。なのになぜ、この事実を今日まで引きずりだせなかったのだろう。
「アレクシウス王や王国騎士たちを歪虚に貶めた張本人は、“メフィスト”……最初からお前だったということか」
『ええ、すべては“我らが王”の為なれば』
匠の会話が“それ”を意図したものだったとは言い難い。だが、それを好機とばかりにジェフリーはある人物へ視線を送ると、燃えるような赤い瞳の男は「おせえよ」と言わんばかりに口角をあげた。そして同時に、人間同士の戦争ならともかく、歪虚との戦争においてこれまでさほど使うことのなかった古く騎士団に伝わる暗号を送ってくる。
──現時刻をもって撤退だ。ジェフリー、あとはてめぇに預けてやる。
「ッ──隊長……ずるいですよ、それは」
そこに含まれた意味を、賢い男が理解できないはずがないというのに。
●王国軍撤退
「王国連合軍総大将……王国騎士団副長、ダンテ・バルカザールだ」
メフィストの前にダンテが進み出た──刹那のことだった。
「てめぇは、俺がここで殺す」
瞬後、ダンテが脅威の瞬発力でメフィストとの距離を詰め、彼の持つ魔剣を歪虚の首に突き立てた。かと思えば、メフィストは致命傷を避けるべく“水平方向へ瞬時に跳躍”。それが、狙いだ。
脱出路を塞ぐように立っていたメフィストの体がその位置をずらし、“道が開いた”のだ。
「王国連合軍、全軍撤退ッ!! 現時刻をもって、指揮権をジェフリー・ブラックバーンに委譲! 一人でも多く生きて帰れ、いいなッ!!」
ダンテの渾身の号令を前に赤の隊の一部騎士が“作戦”を理解し、動揺の声を上げた。
「隊長ッ! それはつまり……ッ」
「るせぇッ! 俺はなぁ、このクソ歪虚を叩っ斬る! さっきからこの糞虫にゃ、腸が煮えくり返って煮えくり返って仕方がねぇんだよッ──!!」 だから、今のうちに──セリフの裏に含められていたそのメッセージが部下たちに伝わったかはわからないが、何かを直感したダンテの背筋に冷たい汗が伝う。
直後、突如として神殿全体から強力な負のマテリアルが発せられたのだ。
「これは……」
自らの肌を刺す強烈な悪寒。いち早く事態を察知したダンテの様子に気をよくしたのか、メフィストは再び振るわれた魔剣の切っ先を握りとめて講釈を垂れる。
『これは、法術陣とは逆のアプローチによる魔術のようなもの。貯めに貯めた負のマテリアルを対価に一定範囲内に強力な負のマテリアルを集中照射するものです』
その意味するところを、ダンテが知らないはずもない。おそらくは、神殿を脱出するべく先ほどこの広間を離脱していった者たちも。この場に残った一部の赤の騎士たちも、“この感覚”、“この悪寒”を理解するのに時間は必要なかっただろう。
『法術陣の発動に際し、起こった出来事を覚えていますか? 力の弱い歪虚はその場で消失。残った者もその影響にさらされましたが……こちらは、少し、違う』
いっそ穏やかにいくつもの目を細め、メフィストは宣告した。
『“抵抗しきれなかったすべての知的生命体を一気に虚無に落とす”』
「ジェフリィ――ッ! 早……」
無線の奥、相手にその声が届いたかはわからない。けれど、ダンテの腹部を一条の闇が貫く。
「……ッ、効かねえな」
『可愛げのない』
この時すでに、ダンテの思考は鈍り始めていた。
先ほど発動した強力な負のマテリアルによる魔術──仮に「反・法術陣」と呼ぶとして──その浸食で、彼の身体能力は大きく損なわれていたのだ。あの日、あの時のメフィストのように。
気づけば、最後までダンテの決意を案じてそばに残った騎士たちの多くは、もはや動けずにうずくまっている。いや……すでに数名、身体の末端が黒い液体のように蕩け始めていた。人としての形を保つことすらままならない。力のあるものすらその輪郭を侵す、凶悪な“呪い”のようだ。
「この一番地底の一番デカい広間が、一番濃い“たまり場”ってことか。だから、ここまで連合軍を誘き寄せた。ハ……蜘蛛虫ヤロウにお似合いの小細工だ」
『ああ……やはり消えゆくものの憎悪と後悔に満ちた鳴き声は実に心地良い! ……では、そうですね。死出の土産にお話でもしてあげましょう。私とて慈悲の心を持ち合わせているのですよ。特に――』
そういって、自らの尾を玉座の代わりのようにして腰かけたメフィストが口を開いた。
●離脱の秘策と、その顛末

エリオット・ヴァレンタイン
指揮権が赤の隊ジェフリー・ブラックバーンに委譲された王国連合軍は、ある男の通信指示に基づいてルートを選定していた。
「お言葉ですが、元騎士団長。そちらは事前のマッピングで突き当りだと……」
『わかっている。突き当ったら壁を叩き壊せ。そこは“壊せる”はずだ』
なぜそのことをエリオット・ヴァレンタイン(kz0025)が知っているのかは解らない。だが、今は指示に従うほかない。それが事前の“隊長命令”でもあったからだ。
そうして指示通りの行動を繰り返していると、ある隠し部屋から太陽光の覗く長大な階段へと突き当たった。
「まさか、本当に……」
『歪虚……緊急脱出……だ。……を……ば、……脱出、後……』
もとより激しいノイズに乱されてはいたのだが、終に音声が途切れた。
すでに強力な負のマテリアルに侵され、意識を失う者も相次いでいる。あのままもと来たルートを通る脱出方法では、おそらく半数以上が“もたなかった”だろう。
けれど彼らは、“神殿内の隠し部屋”を通じ、確かに神殿の外へと脱出を図ることに成功するのだった。
「違う、これは……本来有り得るはずがない脱出劇だ。けれど今、こうしてここにあること。これは……奇跡なんかじゃない」
──“禁忌”を侵したのではないか、と。
言葉にすることもできぬ複雑な思いが男の胸中を満たした。
◇
やがてジェフリー・ブラックバーン率いる赤の隊、貴族、ハンターらによる王国連合軍は、地上への脱出に成功。しかし、そこはいまだ敵の術中だ。島東岸で継戦中の他部隊との合流を果たそうと、撤退を再開してまもなくのことだった。
「な……ッ、まさか、神殿が……!」
撤退中の連合軍のなか、誰かがそう絶句した。
激しい爆音とともに、後方より強烈な負のマテリアルが黒い炎のように天高く巻き上がったのだ。
黒い炎は一瞬ののちに消え、後には土煙が漂うのみ。爆心地は──先刻まで自分たちのいた“黒羊神殿”で間違いないだろう。
視界を覆い尽くす現実に、ジェフリーは咄嗟に言葉を見失いかける。
「……隊、長」
自分たちが脱出してきた隠し通路から、未だ隊長のダンテや同僚騎士の一部が脱出してきていないことは把握していた。
その最中での、この爆発だ。青年は、思わず息をのむ。
まさかあの、死んでも死なない、敵地を大胆不敵に飛び回る不死鳥のような男が。
「連合軍、これよりただちに、神殿へ……」
引き返すのか? 明らかに今の爆発で跡形もないそこへ。それは当然“上官命令に背く”。
ジェフリーは、正しく軍人だった。それ以上に、もし“この命令が最期のものだとするならば”、命を懸けた最後の指示くらい、まっとうしてやりたいと願ってしまった。
「……いや、このまま予定通り島東岸へと急行。離脱を最優先として残る王国軍と合流し、状況確認を急ぎます」
王国軍全軍合流の後、ただちに精鋭部隊を編制し島中央部を調査。 黒羊神殿があったと思しき場所には巨大なクレーターが一つ。ほかは土埃が舞うばかりで、現時点ではそのほかに何の痕跡も得ることはできなかった。
●王道が目指すもの(10月13日更新)
『黒曜神殿……ならびに、神殿が建立されていた地域一帯が地の底より大きく抉れるように消失。爆心地より凶悪な負のマテリアル汚染が発生しており、現時点でこれ以上の詳細な調査が叶わない状況です』
「イスルダ島突入時に助力を依頼した浄化精鋭部隊を再編成した。すぐそちらに向かわせる」
『ありがとうございます。ですがヴァンレタイン隊長、それでもかなりの時間を必要とすることは間違いなさそうです』
「……そうか、解った。だが、一度法術師たちに様子を見てもらうだけでも何か得られるものがあるかもしれない。引き続き周辺警戒を頼む」
『は、承知しました』
イスルダ攻略における電撃戦は、一応の“勝利をおさめた”ようだった。
歪虚アレクシウス・グラハムを討伐し、敵の拠点である黒曜神殿──以前は黒羊神殿と表記されていたが──は跡形もなく消滅。
島周辺を覆っていた負のマテリアルも、先ほど発生した神殿爆破の際に、最後の残滓を吸い取られるようにして消え失せている。
正確な島の状況はこれから調査を経て確認していくことになるが、王国連合軍の最新情報によれば、此度の攻略における各地の戦いにおいていずれも良い成績をおさめたことが功を奏し、島に残存していた歪虚の多くが着実に討伐され、現在は明白に数を減らしているらしい。
問題の神殿最奥に出現した歪虚メフィスト(kz0178)はといえば、ジェフリー・ブラックバーン(kz0092)率いる脱出部隊が最後にその姿を目撃したきり、情報が途絶えている。何等か別の歪虚に姿を変えて逃げ延びていたり、瞬間移動のような能力ですでにこの島から姿を消している可能性もあるが、元より神出鬼没な奴のことだ。未だ周囲に潜んでいるという懸念は捨てず、警戒を怠らないよう継続して捜索を続けるほかないだろう。
島内の歪虚掃討戦を経て、それでもメフィストの反応がないようであれば、王国はついにイスルダ島を人類の手に取り戻したと宣言することができるだろう。
──ただし、その際は奪取において支払わされた対価のことも合わせて開示する必要がありそうだが。
◇
神殿爆発から約2時間後。
フライング・システィーナ号の転移門で王都に舞い戻っていたエリオット・ヴァレンタイン(kz0025)は、一分一秒が惜しいとばかりに騎士団長ゲオルギウス・グラニフ・グランフェルトを通じて王国首脳陣を緊急招集。次の手を打つべく、此度の戦の顛末を包み隠さず報告の場にあげていた。
「──これにより、イスルダ島支配の中核と思しき歪虚アレクシウス・グラハムの討伐、並びに敵拠点の消滅を確認。そして……」
報告内容を書類化する時間など全くの無駄だ。火急の招集に応じたシスティーナ・グラハム(kz0020)を待ち受けていたのは、青年の口から語られる朗報と、悲報。
王となる者として、その振る舞いに成長を見せていたシスティーナだが、それでも、この知らせを前にして少女は声を詰まらせた。
「王国連合軍指揮官、ダンテ・バルカザール……以下、決して少なくはない赤の隊の騎士が……消息、不明に……」
ほんの僅か、震える声を悟られぬよう、王女システィーナは毅然とした表情を崩さない。王宮において、心を隠して纏う仮面、その表情は大きな武器にもなる。以前の少女であれば、憚らず悲しみを表し泣き崩れていたかもしれないが──大司教セドリック・マクファーソン(kz0026)は幾分引いた目で“彼女ら”を見渡していた。それも立ち回りを理解した大人の役割分担だ。なにせ、本来“この役”を担っていたはずの王国騎士団長ゲオルギウス・グラニフ・グランフェルトがこのありさまなのだ。
「……姿が見あたらぬこの状況は、下手をするとホロウレイドのそれと同じ。ダンテや赤の騎士たちはあの場で消滅したか、あるいは……メフィストによって、歪虚に落されたか」
まさかこの騎士が。諜報姦計謀略そのた国の“厄介事”を一手に引き受けてきたあの男が。
セドリックが驚くほど、彼の言葉には従来の彼らしい覇気がない。だが、それは彼だけではない。“王国騎士団副長ダンテ・バルカザール暫定死亡”の事実を受け入れ難いのだろう。
だが、悲哀に暮れていい状況でもない。大司教は、自らの立場上、そして“所属上”、問いただすべきことがあったのだ。
「ところで、現場の騎士や一部ハンターからも指摘があがっているが……ここで一つ、明確にしたいことがある。何のことかはわかっているな、エリオット・ヴァレンタイン」
その視線は決して温かいものではない。“糾弾”にも似た、強い、否定の色を感じさせる。
「貴様、地下神殿の最奥から連合軍を脱出させるにあたって、現場指揮官を通じてその誘導を行ったそうだな?」
エリオットは、まっすぐに大司教の視線を受け止めている。否定も肯定も何も発することのない青年を前に、なおも畳みかけられる。
「おかしな話だと思わないか。聞くところによれば歪虚メフィストが神殿最奥に出現した際、連合軍が奴の罠を回避することは極めて困難であったはず。だが……貴様は、それを回避させた。人類が知らぬはずの神殿の隠し通路を用い、王国軍の多くを生還させた。一体“どうやって”そんな奇跡を成したと言うのだ?」
話の方向は、明確だ。セドリックが“エリオットからどんな答えを引き出したいか”もよくわかる。それでも、広間はしんと静まり返るばかり。
「よろしい、敢えてこう言い換えよう。最早“人の所業ではない”ぞ、エリオット・ヴァレンタイン!」
叱責と同時に円卓を叩きつける激しい音が列席するものの鼓膜を揺らす。その激昂を前に観念したとばかりにとうとうゲオルギウスが溜息を零した。
「……エリオット」
その呼び声にはどんな感情が込められていただろう。は、と短く応じ、エリオットは王女、大司教、そして騎士団長の顔を見渡し、そして──青年は、覚悟を決めた様子で重い口を開いた。
「此度の神殿攻略に際して、我々……いえ。“私”は、ある筋からの情報を得て此度の作戦を立案しました。これは私以外の誰もが与り知らぬ、私の独断です」
「御託はいい。して、それは?」
果たして青年騎士の告白に、大司教はどのような顔をしただろう。
「此度、情報源の一つとして利用したのは……神殿の所有者であった歪虚“黒大公ベリアル”です」
●繋ぐ想い
ジェフリー・ブラックバーンは、この時まだイスルダ島に駐留していた。
と言っても、神殿の爆発から数時間と経っていない。先程目の当たりにした光景が、そして上官から告げられたメッセージが、まだ胸に燻っている。
──あの時、ダンテ隊長が自らメフィストを足止めしてまで撤退指示を出したこと。すべては、今思えば最善策だったのだろうな。
放っておくと眉間に皺が寄るのだが、青年は思考を停止することはなかった。
王国連合軍は、メフィストの罠にはまったのだ。
王国はイスルダの事件に関してメフィストが絡んでいたことに今日まで気付くことができなかった。けれど実際、あの場にはベリアルではないもう一人の凶悪な歪虚が現れている。
それが連合軍が描いていたシナリオに対し“想定の埒外”だったことは間違いがない。
もし、あの場でメフィストの罠にかかって王国連合軍が全滅していたならば?
この事件にメフィストが絡んでいることを、王国の誰もが知らずに終わっていた危険性が高い。そしてそれは、ホロウレイドの再来にも等しい。
こうまで徹底して気付けなかったとすると、恐らく“ベリアルすら、メフィストが紛れ込んでいたことに気付いていなかった可能性がある”だろう。
敵を欺くにはまず味方から──と言うが、メフィストは他者を欺くことなど得意中の得意であろうし、独特の美学に則していれば作戦実行に年単位を費やせる気の長さがあることも昨年の戦いから理解している。
「それに、そもそもあの二騎は性質上相性が悪そうではあったからな」
……とは、ジェフリーの個人的な印象ではあるが。
「我々を生かして帰すことで、“メフィスト”が本件に噛んでいるという真相を本国に伝え、起死回生の一手に繋げる……これだけで、命を張る価値があった。それはわかる。納得に値する事実だ。だが……」
話はそれだけじゃない。それを、ジェフリーは自らが撤退指揮を執るに際して理解したのだ。
「ダンテ隊長は……この作戦の全容を、王国軍が“歪虚の情報源を得ていた”ことを、知っていたのだな」
それを前提にすると見えてくるものがある。
まず、非正規かつ不当な情報源があった。しかし、それにも関わらず王国軍は罠に嵌められたのだろう。
此度の戦争に際し、作戦立案に“歪虚からの情報”が含まれていたならば、少々事情が異なってくる──王国内部の、そして思想的な都合も含めて、だ。
作戦の結果、たとえイスルダを取り戻せたとしても、甚大な被害が出た時点で王国の内部分裂は待ったなしだ。
なにせアレクシウス討伐には貴族の私兵軍が随行していたのだ。連中に損害を出していたならば、歪虚に対し苛烈な姿勢を貫いている大公マーロウにとっては鬼の首を獲ったも同然。
「歪虚の情報で王国首脳陣が打った作戦で、『貴族軍の本軍』が壊滅することは避けねばならない。そして同時に、この件の政治的落とし所を付ける必要があった……それが真相か」
ダンテは、自らの死をもって“此度の作戦の不始末を不問にしろ”と貴族連中に牽制することまでを顛末に含めたのだ。
もとよりダンテを犠牲にする作戦など、王国の者であれば立案するはずも許可を出すはずもない。彼なしに今日の王国騎士団ないし王国の外交・外征は成立しえないからだ。
だからこそ此度の結末がダンテの独断──というより咄嗟の判断であったことは、部下である自分だからこそ悲しいほどよく解る。
「……あの人、他になにも浮かばなかったんだろうな」
くしゃりと顔が歪む。どうしようもなく、想いがあふれた。
「思考業務を放棄したがる割に、こんな時ばっかり“器”を見せつけてくる。本当に……」
青年のいつものぼやきは、真に伝えたい相手の耳に届くことはなかった。
──そんな時だった。
●同時多発テロ
「団長ッ、ご報告申し上げます!」
「なんだ、騒々しい」
本来であれば不敬罪の適用すら疑われる円卓の間への報告官の無断突入。官のあまりの狼狽ぶりから誰も咎めることをしなかったが、それは正解だっただろう。
「メフィストが……ッ、歪虚メフィストが、出現しましたッ!!」
刹那に、円卓の間に緊張感が走った。
それぞれに抱えている感情は様々ではあったが、今この場で誰より強い感情を発露させたのはエリオット・ヴァレンタインだろう。未だかつてゲオルギウスが感じたことがなかったほどの凶悪な殺意だった。王女のいるこの円卓の間には余りに不相応ではあるが、それを抑えろというのも酷だろう。それほどまでに、ここまでの事件は騎士たちの精神を削りすぎていた。
「場所は」
「それが……ッ」
「落ち着け。貴様がその様子では、跳んできた労も無駄になる」
本来“飴役”のエリオットがあの様子では、とゲオルギウスが珍しく報告官を叱責せずに先を促す。それが余計に下々の焦りを産むことは理解されていないだろうが、報告官は深呼吸ののち驚くべき出来事を告げた。
「メフィストの目撃情報、多数です! 届いている情報だけでもガンナ・エントラータ、アークエルス、各地の貴族所領や街の教会にも姿を現しているとの報告があり、その……」
「来たか。恐らく、そのすべてが“我々が知るメフィストと同等かそれに近い存在”とみていいだろう。断言できるが、遠からず王都にも魔の手は伸びる」
エリオットは殺気を抑えることもせず、上官を真っ直ぐを見やる。何がしたいのか一目瞭然だ。
「兼任ではあるが、“白の隊長として”直ちに王都防衛準備に移らせてもらうが構わないか? 騎士団長」
恐らく彼の今の立場は、彼の感情に見合っているのだろう。自らが団長であれば、あのように振る舞うことも悲しむことも“できはしなかった”だろうからだ。
「あぁ、解っている。後のことは“今、お前が考えなくていい”」
言うが早いか、エリオット・ヴァレンタインは深く感謝を述べて円卓を辞していった。
「さて、もはやこの状況ではどこにメフィストが現れるかも定かではない。むしろ目撃する“目”のあるあらゆる場所に現れる、などということも有り得るやもしれん。言うまでもないが、そのすべてに騎士団を派遣することは叶わん。なにせイスルダ島に多くの戦力をやったばかりの状況だ。……はッ、メフィストのやつ。だからこそこの機に各地を襲撃開始したのだろうな」
イスルダを餌に、王国を強襲するなど大胆な歪虚だ──そういって、ゲオルギウスの口元が不敵に歪む。どうやら、少しずつ調子が戻ってきたようだ。
先程までダンテの死、その高い可能性を前に確かに悲観した。だが、ダンテが命を懸けて繋いだバトンをここで落とそうものならば、死後、奴に笑い物にされることは確定的だろう。
「まず、ハンターズソサエティへ協力を仰げ。金に糸目はつけん。動員できるすべてのハンターを王国各地に派兵しろ。それと……」
ゲオルギウスの息継ぎの間に、システィーナが声を上げた。
「直ちに、国中全ての街や拠点に警戒情報を通達し、迎撃準備の発令をお願いします。騎士団と……そうですね、必要であれば王家の連名で構いません。王家の非常通信網も含め全ての使用を許可します」
「殿下、お心遣いに感謝申し上げる」
「いいえ、ゲオルギウス。わたくしは……もう、逃げません。イスルダ攻略は、わたくしが旗を振った作戦であり、決してエリオットや貴方にばかり責を押し付けるつもりはありませんから」
その言葉に、大司教が盛大な溜息をつく。けれど、少女が怯むことはない。
「わたくしたちが、わたくしたちの尊厳を取り戻す。その為に使える手を全て講じる。どんなに生き汚いと呼ばれようとも、民のため、国のために足掻き続ける──そのことを恥じることは致しません。最善を尽くしたならば、後悔はありません。ですから……」
少女は、凛とした顔でこう告げる。
「前に進みましょう。メフィストを、我が国の総力を挙げて迎撃します。騎士も、貴族も、平民も、ハンターも、そこには関係ありません。踏みにじられたすべての命のために、わたくしたちは、わたくしたちの出来得る全てでこれに対抗することを誓います」
──その瞳には、大粒の涙が溢れていた。
「イスルダ島突入時に助力を依頼した浄化精鋭部隊を再編成した。すぐそちらに向かわせる」
『ありがとうございます。ですがヴァンレタイン隊長、それでもかなりの時間を必要とすることは間違いなさそうです』
「……そうか、解った。だが、一度法術師たちに様子を見てもらうだけでも何か得られるものがあるかもしれない。引き続き周辺警戒を頼む」
『は、承知しました』
イスルダ攻略における電撃戦は、一応の“勝利をおさめた”ようだった。
歪虚アレクシウス・グラハムを討伐し、敵の拠点である黒曜神殿──以前は黒羊神殿と表記されていたが──は跡形もなく消滅。
島周辺を覆っていた負のマテリアルも、先ほど発生した神殿爆破の際に、最後の残滓を吸い取られるようにして消え失せている。
正確な島の状況はこれから調査を経て確認していくことになるが、王国連合軍の最新情報によれば、此度の攻略における各地の戦いにおいていずれも良い成績をおさめたことが功を奏し、島に残存していた歪虚の多くが着実に討伐され、現在は明白に数を減らしているらしい。

メフィスト
島内の歪虚掃討戦を経て、それでもメフィストの反応がないようであれば、王国はついにイスルダ島を人類の手に取り戻したと宣言することができるだろう。
──ただし、その際は奪取において支払わされた対価のことも合わせて開示する必要がありそうだが。
◇

エリオット・ヴァレンタイン

システィーナ・グラハム

ゲオルギウス・グラニフ・
グランフェルト

セドリック・マクファーソン
フライング・システィーナ号の転移門で王都に舞い戻っていたエリオット・ヴァレンタイン(kz0025)は、一分一秒が惜しいとばかりに騎士団長ゲオルギウス・グラニフ・グランフェルトを通じて王国首脳陣を緊急招集。次の手を打つべく、此度の戦の顛末を包み隠さず報告の場にあげていた。
「──これにより、イスルダ島支配の中核と思しき歪虚アレクシウス・グラハムの討伐、並びに敵拠点の消滅を確認。そして……」
報告内容を書類化する時間など全くの無駄だ。火急の招集に応じたシスティーナ・グラハム(kz0020)を待ち受けていたのは、青年の口から語られる朗報と、悲報。
王となる者として、その振る舞いに成長を見せていたシスティーナだが、それでも、この知らせを前にして少女は声を詰まらせた。
「王国連合軍指揮官、ダンテ・バルカザール……以下、決して少なくはない赤の隊の騎士が……消息、不明に……」
ほんの僅か、震える声を悟られぬよう、王女システィーナは毅然とした表情を崩さない。王宮において、心を隠して纏う仮面、その表情は大きな武器にもなる。以前の少女であれば、憚らず悲しみを表し泣き崩れていたかもしれないが──大司教セドリック・マクファーソン(kz0026)は幾分引いた目で“彼女ら”を見渡していた。それも立ち回りを理解した大人の役割分担だ。なにせ、本来“この役”を担っていたはずの王国騎士団長ゲオルギウス・グラニフ・グランフェルトがこのありさまなのだ。
「……姿が見あたらぬこの状況は、下手をするとホロウレイドのそれと同じ。ダンテや赤の騎士たちはあの場で消滅したか、あるいは……メフィストによって、歪虚に落されたか」
まさかこの騎士が。諜報姦計謀略そのた国の“厄介事”を一手に引き受けてきたあの男が。
セドリックが驚くほど、彼の言葉には従来の彼らしい覇気がない。だが、それは彼だけではない。“王国騎士団副長ダンテ・バルカザール暫定死亡”の事実を受け入れ難いのだろう。
だが、悲哀に暮れていい状況でもない。大司教は、自らの立場上、そして“所属上”、問いただすべきことがあったのだ。
「ところで、現場の騎士や一部ハンターからも指摘があがっているが……ここで一つ、明確にしたいことがある。何のことかはわかっているな、エリオット・ヴァレンタイン」
その視線は決して温かいものではない。“糾弾”にも似た、強い、否定の色を感じさせる。
「貴様、地下神殿の最奥から連合軍を脱出させるにあたって、現場指揮官を通じてその誘導を行ったそうだな?」
エリオットは、まっすぐに大司教の視線を受け止めている。否定も肯定も何も発することのない青年を前に、なおも畳みかけられる。
「おかしな話だと思わないか。聞くところによれば歪虚メフィストが神殿最奥に出現した際、連合軍が奴の罠を回避することは極めて困難であったはず。だが……貴様は、それを回避させた。人類が知らぬはずの神殿の隠し通路を用い、王国軍の多くを生還させた。一体“どうやって”そんな奇跡を成したと言うのだ?」
話の方向は、明確だ。セドリックが“エリオットからどんな答えを引き出したいか”もよくわかる。それでも、広間はしんと静まり返るばかり。
「よろしい、敢えてこう言い換えよう。最早“人の所業ではない”ぞ、エリオット・ヴァレンタイン!」
叱責と同時に円卓を叩きつける激しい音が列席するものの鼓膜を揺らす。その激昂を前に観念したとばかりにとうとうゲオルギウスが溜息を零した。
「……エリオット」
その呼び声にはどんな感情が込められていただろう。は、と短く応じ、エリオットは王女、大司教、そして騎士団長の顔を見渡し、そして──青年は、覚悟を決めた様子で重い口を開いた。
「此度の神殿攻略に際して、我々……いえ。“私”は、ある筋からの情報を得て此度の作戦を立案しました。これは私以外の誰もが与り知らぬ、私の独断です」
「御託はいい。して、それは?」
果たして青年騎士の告白に、大司教はどのような顔をしただろう。
「此度、情報源の一つとして利用したのは……神殿の所有者であった歪虚“黒大公ベリアル”です」
●繋ぐ想い

ジェフリー・ブラックバーン

ダンテ・バルカザール
と言っても、神殿の爆発から数時間と経っていない。先程目の当たりにした光景が、そして上官から告げられたメッセージが、まだ胸に燻っている。
──あの時、ダンテ隊長が自らメフィストを足止めしてまで撤退指示を出したこと。すべては、今思えば最善策だったのだろうな。
放っておくと眉間に皺が寄るのだが、青年は思考を停止することはなかった。
王国連合軍は、メフィストの罠にはまったのだ。
王国はイスルダの事件に関してメフィストが絡んでいたことに今日まで気付くことができなかった。けれど実際、あの場にはベリアルではないもう一人の凶悪な歪虚が現れている。
それが連合軍が描いていたシナリオに対し“想定の埒外”だったことは間違いがない。
もし、あの場でメフィストの罠にかかって王国連合軍が全滅していたならば?
この事件にメフィストが絡んでいることを、王国の誰もが知らずに終わっていた危険性が高い。そしてそれは、ホロウレイドの再来にも等しい。
こうまで徹底して気付けなかったとすると、恐らく“ベリアルすら、メフィストが紛れ込んでいたことに気付いていなかった可能性がある”だろう。
敵を欺くにはまず味方から──と言うが、メフィストは他者を欺くことなど得意中の得意であろうし、独特の美学に則していれば作戦実行に年単位を費やせる気の長さがあることも昨年の戦いから理解している。
「それに、そもそもあの二騎は性質上相性が悪そうではあったからな」
……とは、ジェフリーの個人的な印象ではあるが。
「我々を生かして帰すことで、“メフィスト”が本件に噛んでいるという真相を本国に伝え、起死回生の一手に繋げる……これだけで、命を張る価値があった。それはわかる。納得に値する事実だ。だが……」
話はそれだけじゃない。それを、ジェフリーは自らが撤退指揮を執るに際して理解したのだ。
「ダンテ隊長は……この作戦の全容を、王国軍が“歪虚の情報源を得ていた”ことを、知っていたのだな」
それを前提にすると見えてくるものがある。
まず、非正規かつ不当な情報源があった。しかし、それにも関わらず王国軍は罠に嵌められたのだろう。
此度の戦争に際し、作戦立案に“歪虚からの情報”が含まれていたならば、少々事情が異なってくる──王国内部の、そして思想的な都合も含めて、だ。
作戦の結果、たとえイスルダを取り戻せたとしても、甚大な被害が出た時点で王国の内部分裂は待ったなしだ。
なにせアレクシウス討伐には貴族の私兵軍が随行していたのだ。連中に損害を出していたならば、歪虚に対し苛烈な姿勢を貫いている大公マーロウにとっては鬼の首を獲ったも同然。
「歪虚の情報で王国首脳陣が打った作戦で、『貴族軍の本軍』が壊滅することは避けねばならない。そして同時に、この件の政治的落とし所を付ける必要があった……それが真相か」
ダンテは、自らの死をもって“此度の作戦の不始末を不問にしろ”と貴族連中に牽制することまでを顛末に含めたのだ。
もとよりダンテを犠牲にする作戦など、王国の者であれば立案するはずも許可を出すはずもない。彼なしに今日の王国騎士団ないし王国の外交・外征は成立しえないからだ。
だからこそ此度の結末がダンテの独断──というより咄嗟の判断であったことは、部下である自分だからこそ悲しいほどよく解る。
「……あの人、他になにも浮かばなかったんだろうな」
くしゃりと顔が歪む。どうしようもなく、想いがあふれた。
「思考業務を放棄したがる割に、こんな時ばっかり“器”を見せつけてくる。本当に……」
青年のいつものぼやきは、真に伝えたい相手の耳に届くことはなかった。
──そんな時だった。
●同時多発テロ
「団長ッ、ご報告申し上げます!」
「なんだ、騒々しい」
本来であれば不敬罪の適用すら疑われる円卓の間への報告官の無断突入。官のあまりの狼狽ぶりから誰も咎めることをしなかったが、それは正解だっただろう。
「メフィストが……ッ、歪虚メフィストが、出現しましたッ!!」
刹那に、円卓の間に緊張感が走った。
それぞれに抱えている感情は様々ではあったが、今この場で誰より強い感情を発露させたのはエリオット・ヴァレンタインだろう。未だかつてゲオルギウスが感じたことがなかったほどの凶悪な殺意だった。王女のいるこの円卓の間には余りに不相応ではあるが、それを抑えろというのも酷だろう。それほどまでに、ここまでの事件は騎士たちの精神を削りすぎていた。
「場所は」
「それが……ッ」
「落ち着け。貴様がその様子では、跳んできた労も無駄になる」
本来“飴役”のエリオットがあの様子では、とゲオルギウスが珍しく報告官を叱責せずに先を促す。それが余計に下々の焦りを産むことは理解されていないだろうが、報告官は深呼吸ののち驚くべき出来事を告げた。
「メフィストの目撃情報、多数です! 届いている情報だけでもガンナ・エントラータ、アークエルス、各地の貴族所領や街の教会にも姿を現しているとの報告があり、その……」
「来たか。恐らく、そのすべてが“我々が知るメフィストと同等かそれに近い存在”とみていいだろう。断言できるが、遠からず王都にも魔の手は伸びる」
エリオットは殺気を抑えることもせず、上官を真っ直ぐを見やる。何がしたいのか一目瞭然だ。
「兼任ではあるが、“白の隊長として”直ちに王都防衛準備に移らせてもらうが構わないか? 騎士団長」
恐らく彼の今の立場は、彼の感情に見合っているのだろう。自らが団長であれば、あのように振る舞うことも悲しむことも“できはしなかった”だろうからだ。
「あぁ、解っている。後のことは“今、お前が考えなくていい”」
言うが早いか、エリオット・ヴァレンタインは深く感謝を述べて円卓を辞していった。
「さて、もはやこの状況ではどこにメフィストが現れるかも定かではない。むしろ目撃する“目”のあるあらゆる場所に現れる、などということも有り得るやもしれん。言うまでもないが、そのすべてに騎士団を派遣することは叶わん。なにせイスルダ島に多くの戦力をやったばかりの状況だ。……はッ、メフィストのやつ。だからこそこの機に各地を襲撃開始したのだろうな」
イスルダを餌に、王国を強襲するなど大胆な歪虚だ──そういって、ゲオルギウスの口元が不敵に歪む。どうやら、少しずつ調子が戻ってきたようだ。
先程までダンテの死、その高い可能性を前に確かに悲観した。だが、ダンテが命を懸けて繋いだバトンをここで落とそうものならば、死後、奴に笑い物にされることは確定的だろう。
「まず、ハンターズソサエティへ協力を仰げ。金に糸目はつけん。動員できるすべてのハンターを王国各地に派兵しろ。それと……」
ゲオルギウスの息継ぎの間に、システィーナが声を上げた。
「直ちに、国中全ての街や拠点に警戒情報を通達し、迎撃準備の発令をお願いします。騎士団と……そうですね、必要であれば王家の連名で構いません。王家の非常通信網も含め全ての使用を許可します」
「殿下、お心遣いに感謝申し上げる」
「いいえ、ゲオルギウス。わたくしは……もう、逃げません。イスルダ攻略は、わたくしが旗を振った作戦であり、決してエリオットや貴方にばかり責を押し付けるつもりはありませんから」
その言葉に、大司教が盛大な溜息をつく。けれど、少女が怯むことはない。
「わたくしたちが、わたくしたちの尊厳を取り戻す。その為に使える手を全て講じる。どんなに生き汚いと呼ばれようとも、民のため、国のために足掻き続ける──そのことを恥じることは致しません。最善を尽くしたならば、後悔はありません。ですから……」
少女は、凛とした顔でこう告げる。
「前に進みましょう。メフィストを、我が国の総力を挙げて迎撃します。騎士も、貴族も、平民も、ハンターも、そこには関係ありません。踏みにじられたすべての命のために、わたくしたちは、わたくしたちの出来得る全てでこれに対抗することを誓います」
──その瞳には、大粒の涙が溢れていた。
●見えざる思い、見えざる手(11月8日更新)

システィーナ・グラハム

ゲオルギウス・グラニフ・
グランフェルト

セドリック・マクファーソン

メイム

フリュイ・ド・パラディ

ジェールトヴァ

時音 ざくろ

クローディオ・シャール

鞍馬 真

龍華 狼

雨音に微睡む玻璃草

マッシュ・アクラシス

クリスティア・オルトワール

エリオット・ヴァレンタイン

誠堂 匠
システィーナ・グラハム(kz0020)は、その場の面々を見渡して、言った。
"王国全土に対する、【傲慢】歪虚、メフィストの襲撃"。
これが言葉通りの事態なのだから、今回の一件の荒誕さも知れよう。"メフィスト自身"が"同時多発"的に各地を襲撃したというのだ。これまでに同歪虚が仕組んだ事件の中でも異質の事態である。
故に、システィーナはハンターたちに対して緊急の招集を行った。襲撃を受けた一部領地の貴族らには別途機会を設けるとして、火消しに臨んだ者たちからの意見を求めたのだ。
「貴殿らはメフィストと直接交戦したと聞いている。報告はあがっているが、その目的や能力、状況……貴殿らの目で何か気づいたことがあれば、提供してほしい」
王国騎士団長ゲオルギウス・グラニフ・グランフェルトの言葉に、大司教セドリック・マクファーソン(kz0026)が頷いた。グラズヘイム王国の重鎮が揃い踏みしているその場には、緊迫した空気が滲んでいる。当然だろう。これは、グラズヘイム王国騎士団副団長、ダンテ・バルカザール(ka0153)の消息不明に続く大事件なのだから。
「気づいたこと、気づいたことー……」
メイム(ka2290)はうーん、と唸るが、彼女は基本的にフリュイ・ド・パラディ(kz0036)の護衛に専心していたので、手応えは薄い。ただ。
「なんとなく、フリュイを狙ってたよーな……気も……?」
「そうだね。それは私も同感だ。メフィストはアークエルスの屋根を伝う形で移動していた。何かを探しているように思えたが……先に領主の館へと向かった点を踏まえても、その可能性は高いのではないかな」
「だよねー。フリュイには心当たりはなさそうだったけどー」
老齢のエルフ、ジェールトヴァ(ka3098)の言葉に、メイムは満面の笑みを浮かべる。
ざくろは、取り巻きにあたってたから……目的とかはわからない、けど。アークエルスに現れたメフィストは、蜘蛛を召喚してたよ。それなりに、強いヤツまで」
他方で、時音 ざくろ(ka1250)の表情は昏いままだ。"仇"に向かわず、防衛を優先したのは自分自身。それでも、次の機会があれば――という思いは、ある。そのまま、傍らのクローディオ・シャール(ka0030)に視線を送った。彼も、アークエルスでの防衛戦に貢献した人物だった。
「……私は……」
しかし、クローディオの言葉は続かなかった。脳裏に焼き付く光景を――友人の咆哮を、口にするのは憚られたのだ。
「ハルトフォートに現れたメフィストは――少し、奇妙なところがあったな」
落ちた沈黙に鞍馬 真(ka5819)は、記憶を辿る。
「具体的には?」
セドリックの問いに、真は頬をかいた。
「メフィスト自体は、巧緻、かつ悪辣な歪虚と認識していたが、あそこに現れたメフィストは、自らの武力を誇っているだけのように見えた。
奇妙な呪文も唱えていたし……方方を調べたが、何かを仕掛けている素振りも無かった。手下は放っていたようだが……」
「陽動、か」
「おそらくは」
ゲオルギウスの言葉を、真は肯定。断定は出来ないが、その線は色濃く残るのも事実だ。
――むむ……。
この場において一等小柄な龍華 狼(ka4940)は黙考していた。何か、印象に残ることを言って金の種にしたい、という欲が少年を突き動かしている。いるのだが。
――っべ、何を言やいいんだ……?
全く、舌が動かない。それもこれも――あの状況が、特異に過ぎたからだ。状況の異常さは解るが、その内情への理解が出来ていないのが響いた。
「えーっと……」
「『捻子仕掛けのお茶会』は楽しかったわ。ね?」
見れば、雨音に微睡む玻璃草(ka4538)が隣でニコニコと笑いながら、こちらを見ている。
――いや。ネ、じゃないだろ。
「おじいさんは『時計持ちの灰色兎』。蛇の代わりに、たーんと蜜を用意して、お迎えしたの!」
「……や、すみません。コイツ黙らせとくんで……」
誰だよ、コイツを呼んだの、と怒りを抱く狼であったが、そこでふと、思い至った。
「そういえば、ガンナ・エントラータでは避難が凄く上手いこといっていて……でも、第六商会は襲撃を受けていたんですよね」
「……彼処の被害は極々限られていた、という報告はある。訓練の成果だと報告を受けているが……それでも、第六商会本部では重役が一名、メフィストの手で生命を落としたそうだな」
「そうです、そうです。そこに何か目的があったのかな、って……」
ゲオルギウスの言葉に狼は頷きながら、マッシュ・アクラシス(ka0771)を見た。マッシュの表情が、微かに動いたことに気づいたからだ。 ――今の言葉。
マッシュは、狼に応じたゲオルギウスの言葉に、微細な違和感を感じていた。
やれやれ、と息を吐いて飲み込んでおく。徒に藪を突く趣味は無い。とまれ、あの場――あの最前線に居たものとして、務めを果たそう。
「『所詮この身は分け身に過ぎず、この身の務めも、"既に、終えている"のだから』……と、あの歪虚は言っていました」
「務め、と……あのメフィストが、ですか?」
システィーナが、眉を潜めた。確かに、この一件において最もメフィストの核心に近い発言だ。
「とはいえ、私達も詳細までは。私達が商館に突入した時、メフィストはセバスさんに何かを確認していたように思われました。それが何かまでは……解りかねます。セバスさんは最後まで何も、告げませんでしたから」
「……そう、ですか」
システィーナの昏い表情は、その人物が今回の騒動で生命を落とした一人だからであろうか。あるいは――と考えて、敢えて踏み込むことはせず、マッシュは一礼をして、発言を終える。
「……"務めを、終えた"」
クリスティア・オルトワール(ka0131)の呟きが室内に落ちた。かつて、戦場で彼女自身が想定していた"本命"はシスティーナ王女か――あるいは、古の塔であった。しかし、これだけ情報が揃ってきた今なら違うと断言できる。王都でのヴィオラ・フルブライト(kz0007)との検討もあり、確信もあった。
ではそれが何か、となると……残念ながら、ピースが足りないと言わざるを得ない。
つとシスティーナを見れば、その顔に陰りが見えた。それと、微かに滲む懊悩の気配。
――彼女は、気づいている……?
もどかしい。答えに届きそうなのに、欠けた情報がそれを阻害するのだから。再び、視線を転じた。沈思する男の方へと。
――『陽動』と、『務め』。そこは、メフィスト達の中で首尾一貫している行動原理に見える。少なくともメフィストは、フリュイと第六商会、その二つに対しては違う介入の仕方をしていた。
「……」
違う。この王都への襲撃すらも――エリオット・ヴァレンタイン(kz0025)を探す動きはあったとはいえ――陽動だった可能性は高い現状では、フリュイを狙ったと思われるメフィストの行動も陽動の範疇を出ていないと、誠堂 匠(ka2876)は思う。
つまり、第六商会の襲撃だけが、異質を孕んでいた。
急所を刺すように、第六商会の幹部を尋問したメフィストの行動。
メフィストは、何かを探していた――否。
――"彼"を、というべきか。
第六商会で起こった事態を聞くに居たり、答えを得た。ガンナ・エントラータでの避難訓練後の、メフィストの同都市襲撃。メフィストの手による"彼"の側近の死。メフィストの残した言葉。
軽く、めまいを覚える。此処にいたる大凡すべての痕跡を辿ってきた彼だからこそ、それがどれだけ長大な道程か理解できた。
"彼"は、イスルダ島奪還作戦よりもはるか以前からメフィストの反攻を予期していたことになる。あるいは、そう。エリオットの死を偽装したあの時点から。メフィストの討伐に失敗した、あの日の時点で――この局面を、描いていた。
ならば。
ただ、雲隠れすることに、意味はない。終局の形まで、用意しているはずだ。
メフィストは、"彼"を探していた。
"彼"は、セバスの死を餌に、メフィストを呼んでいる。
それを、徒に言葉にすることは出来ないけれど……この事態の収束は近い、と。そう思う。
そこに。
「……ありがとうございました、皆さま」
一同を見渡したシスティーナが、そう告げた。瞳には理解の色。そして――紛れもない、感謝の色が籠められていた。
「この場へお集まりいただいたことに加え、此度の尽力……グラズヘイム王国の為に武器を振るい、血を流し、民を護ってくださったことも含めて、感謝いたします」
薄い胸の前で、両手を組んだ。痛む胸を押さえる仕草にも似ていたが、その眼差しはただ、前を向いたまま。
「……斃しましょう。大敵、メフィストを。多くを踏み躙り、嘲笑う邪悪を。"必ず、機会は訪れます"。その時は――」
はらり、と。王女の頬が濡れる。けれど。少女の瞳には悲しみはない。決意と――同じだけの感謝。その瞳のままで、王女はこう結んだ。
「私たち、皆の手で。戦いましょう」
●蜘蛛の見た夢(11月10日更新)
遠い、遠い夢を見ていた。
その夢の中で、私は“蜘蛛”そのものだった。
物心ついて最初の仕事が何であったか、その“蜘蛛”はよく覚えている。
それは、母親を食べることだった。
静謐な山の奥深く、祠に張った暗い闇の中の巣で、紫紺の外殻をぱきりぱきりと崩しながら食した。幸い母蜘蛛はそこらの鹿や熊よりよほど巨大であったため、当面の食事に困ることはなかったのだが、もとよりその“蜘蛛”には積極的な狩りを行う習性が遺伝的に備わっていなかった。巨大な巣を張り、縄張りを侵す獲物をただただ待つ。そうした性質の生き物だった。自らが生きるため以上の殺生はせず、自然の、世界の摂理の中で、それは生きていた。
ある日、“蜘蛛”の住まう山が未知の轟音と共に大きく揺れた。驚いて洞を飛び出した“蜘蛛”が目にしたのは、山を住処としていた動物たちが一斉にに逃げ惑う姿だった。追われるようにこの場を去り行こうとする彼らが行くアテなどどこにもないだろう。だが、それでも逃げねばならないと、彼らはそう直感したのだ。
──いまだかつて感じたことのない異変。
まず目に付いたのは、人間の姿だった。その背後には、立ち上る煙と崩れてむき出しになった山肌が見える。
後日“捕らえた人間の口を割らせた”ところ、「良質な鉱石で新たな武具を生産するため、この山を切り拓き採掘場にするため」の行為だったようだ。連中は、当時開発中だった最新鋭の兵器──なんてことはない、今で言う“爆薬”で山の一部に大穴をあけたのだ。
開発中の爆薬を鉱山事業主が安価で譲り受けて使用するよう現場に強いたという話もその頃聞いたのだが、大本の連中は兵器実験を兼ねることなど把握していただろう。
最初の爆音から何度目か、激しい音と共に炎が巻き起こった。所詮は開発中のシロモノではあったようだが、強く吹き付けた風が爆炎と共に周囲の枯れ木や草をまきこんだのだろう。奇しくも季節は冬の訪れを迎えようとしていた頃。山は、見る間に燃え上がった。
炎にまかれ、呼吸ができずに子鹿が力なく倒れた。子鹿を逃がそうと、その首を咥えて母鹿が懸命に引きずる姿が見えた。だが、決死の覚悟もむなしく体力が尽きたのだろう。やがて母鹿も煙に巻かれ、炎に舐めとられて焼け死んだ。
洞穴の中で暮らしていた熊の一家は、炎で唯一の出入り口を塞がれたようだ。徐々に炎が侵入してくるのを目の当たりにしながら、それでも脱出はかなわず、やがて炎で温度が上昇してゆく穴のなか、酸素を失いもがき苦しんで死んだ。親熊も、生まれたばかりの赤子もだ。彼らの死因が窒息死か焼死か、その他中毒死かはわからないが、死に絶えるまでずっと、苦しげな、助けを求めるような呻き声が洞に反響し、山を揺らし続けた。
──それは、泣き出したくなるほどの惨劇だった。
昨日まであった、数え切れないほど多くの、そして豊かで瑞々しい生命が、もう、そこにはないのだ。なにも、なにも。
数日後、焼け果てた山の中。蜘蛛は、久しく聞いた他者の物音に生存の気配を感じて喜び勇んで飛び出していった。しかし、燃え尽きた真っ黒な木の上からみたものは、人間の姿。どうやら炎が収束したことをうけて、再び山に戻ってきたようだ。
彼らはこの惨状を目の当たりにして、開口一番にこういった。
「これだけ大規模な山火事で“犠牲者が出なかった”のは幸いでしたね」
「山が拓けて採掘しやすくなったと思えば、手間も省けたというもの」
「ま、ここでだめでも次がありますしね」
──犠牲者が、出なかった?
彼らは何を指してそう述べたのか。
──ここがだめでも、次がある?
死した命には、もう“次”も“先”もないというのに。
人間は、人間以外の命を命に数えてすらいない。ああ、それはなんと傲慢なことだろう。
その傲慢さは醜悪に過ぎ、この美しい世界において、ただ一点目を背けたくなるほどの“汚濁”だ。
果たして、このような摂理の埒外は、許されるのだろうか?
否、そんなはずはない。それは、人は、紛れもなく粛清されるべき悪であるはずだ。
理解に及んだ瞬間、理性はフラッシュバックする山火事の炎に焦がされた。
幸か不幸か、“蜘蛛”は古来より伝わる山の守り神(土地によっては化け物の類といわれるようだが)──所謂“大蜘蛛”であり、その時点で長い長い時を生きた“限りなく精霊に近い生き物”だった。本来は、自然の摂理に全うに正しく生きる存在で、摂理を守る立場のものだ。けれどその日──とうとう蜘蛛は、人を殺めてしまった。食事以外の目的で初めて他者の命を奪ったのだ。糸で呼吸器を覆いつくし、喉を縛り上げて殺した。顎に潜ませた毒をもって苦しみにのた打ち回らせた末に殺した。ありとあらゆる殺害方法を試みながら、山へ訪れる人間を残さず殺しつくしていった。
蜘蛛が幾多の人間の血を吸い、完全な“魔”に落ちかけた頃。
『おい、貴様。あと数百年……いや、数十年程度、密やかに山を見守り続けていればやがて“精霊”になれたものを。その価値ある清らかな魂を、なぜ自ら貶めた?』
淀みない真っ直ぐな声が天上より降り注いだ。相手が“人によく似た形をしていた”ことは確かだが、違う。明白にその“少年”は人ならざる存在だった。
『ふむ、人間の傲慢を許しがたい、などとは“蜘蛛の分際でひどく傲慢な生き物”がいたものだ。しかし……貴様のその魂の高潔さは悪くない。いや、この俺の側にこそ相応しいものだ』
──こいつは、何だ?
逆らえば死ぬ、という程度のことは直感できた。だが、こんなところで死ぬわけにはいかない。今の蜘蛛には、明白な使命があった。それすらできねば、死んだ総ての命に対し、顔を向けることができないと、強い強い願望があった。人間如きが摂理の頂点を気取る世界など、この手で改めねばならないと。
『この世に蔓延る人間を粛清し、断罪する──か。
よかろう。その“傲慢”に、力を授けてやってもいい。
己が抱いた怒り、憎しみ、その総てが真のものだというのなら、見せてみよ。
貴様の傲慢、貴様の罪、その総てを、この俺が許す! さあ、この手をとるがいい』
ひどく些細な切欠だった。今はもう、忘れつつある原初の記憶。
蜘蛛は、自分が何から世界を守るために存在していたのか。
それを、この日、この瞬間に、ようやく理解したはずだったのに。
──それは、遠い遠い、“蜘蛛であった頃”の夢だった。
●【メフィスト】という歪虚について
【矜持(きょうじ・きんじ)】
自分の能力を信じていだく誇り。自信や誇りを持って、堂々と振る舞うこと。
代表的な類語は、傲り・誇り・うぬぼれ・プライド・驕心・自尊・慢心・思いあがりなど。
◇
メフィスト(kz0178)という歪虚には強い“矜持”がある。
それは傲慢の歪虚たる彼を成す核そのものであり、それが傷つけられたなら、彼は彼の“矜持”にかけて“矜持”を傷つけた相手を滅ぼすことになるだろう。恐らく、彼の名や存在が、これまで世に出てこなかった要因の一つは「相対した存在総てを確実に葬ってきた」ということにもあるのかもしれない。
メフィストが初めて名を明かし、その姿を現したのは王国暦1016年のことだった。大量の“影法師”を引き連れて王都に押し寄せたそれは、当初こそ“天使”と呼ばれる美しい女の姿をしていたが、戦いの渦中ある青年ハンターの挑発を切欠に、全く異なる姿へと変貌を遂げた。それが蜘蛛のごとき異形であり、曰く「真の姿」であるようだった。
この歪虚が誕生してから現代まで、どれほど長い年月が積み重ねられていたかは定かではない。だが、その重みを無にしてまでも、メフィストは存在を隠し続けた自らをあえて世にさらし、自尊心を癒すかのように高らかに宣言したのだ。
「そこな騎士よ。哀れに逃げ帰り、伝えるがよいでしょう。この“メフィスト”の手によって、王国と教会の光は地に墜ちたと!」
彼の理念となっているものを、これまで手に入れた情報の中で推測するならば、二つ。
一つは、ここまでに論じた“自らの矜持”。
そして、もう一つ──それが、“彼が王と敬う存在”だろう。
●傲慢と傲慢
『古の塔──そこに、“へクス・シャルシェレット”は居るのですね?』
港町ガンナ・エントラータ。王家の傍流たる大貴族シャルシェレット家の現当主ヘクス・シャルシェレット(kz0015)が取り仕切る第六商会の重役と思しき老人は、ひどく頑なだった。ゆえに、“情報を提供させる”にあたって必要のない器官から一つ一つ拷問にかけたのだが、それでも老人の憎らしくも鮮烈な眼差しは曇ることがない。およそ出来得る限りの拷問の後、結局差し迫る時限によりメフィストは【強制】を施さざるを得なくなり、そうしてようやく老人が吐いた言葉がそれだったのだ。
第六商会を実質取り仕切る老人の名を、メフィストはヘクスから聞いたことがあった。それを踏まえたとて、その態度は、想像を絶する痛みを、恐怖を、そして絶対的な死を眼前にしてなお見事なものだった。恐らくは、メフィスト自身が“王”へと捧げるそれに重なって見えて──だからこそ、老人に褒美を与えたのだ。
なぜ褒美を与えるほど“気分が良かった”のか、その理由を深く考えぬままに──あるいはその機能が麻痺し歪んだためかはわからぬが──メフィストは笑う。
『さて――目的は果たせましたが、少しぐらいは、遊んでもよいでしょう』
その後まもなく、ガンナ・エントラータに出現したメフィストは、ハンターたちの手によって討伐されることとなった。
◇
『古の塔──なるほど。あの男、“上手い場所に逃げ込んだ”つもりなのでしょうね』
メフィストが古の塔を認識したのが今年の初春。王国が脈絡なくおかしな動きをはじめたことに疑念を抱いたメフィストは、すぐさま幾人かの王国騎士を拉致。聞くところによれば、「古の塔には、王国が千年以上もの間守り続けてきた防衛装置が眠っている」というではないか。 人間に利するものは全て奪う。希望のよりどころは余さず潰す。利用できるものは同胞であろうと利用する──それが、メフィストのやり方だ。
その後の調べによって判明したことではあるが、どうやら古の塔はこの世界の地平線上に存在していないようだ。いわゆる固有の亜空間などと呼んで差し支えない場所、この世界と何らかの縁によって細く繋がる別位相のどこかに存在しているのだろう。およそ人間の作りし物とは思えぬ、芸術の如き建造物だ。いかに傲慢の魔術王を自負するメフィストですら、そのような塔内部への直接転移は叶わない。ゆえに、興味を抱いた初夏の折、内部侵入を試みたメフィストがとった行動は「亜空間を空間たらしめる檻──古の塔外壁への魔術的干渉」だった。恐らく、そのメフィストの動きを“奴”は把握しているのだろう。
『この私ですら塔内部への直接転移が叶わないという前提に立てば、確かに、この世で最も安全な場所は古の塔でしょう。それは認めます。ですが……』
くつくつと喉の奥を鳴らすような笑い声が闇の底で響く。
『ヘクス・シャルシェレット。──貴様は、“私を軽んじ過ぎた”』
──その傲慢に、この私手ずから死の懲罰を贈りましょう。
◇
「や、時間ぴったりだね」
「手配は全て終えた。じき、王国軍がここに集結する」
「あーやれやれ、待ちくたびれた! ようやく“機が訪れた”わけだけど、準備はいいかい?」
「俺、か?」
「そう、君だよ」
「……正直、王国各地に奴が現れた際、すぐにでも駆けつけて奴を葬りたい衝動に駆られた。だが、それを抑えてまでここにきたんだ。準備など、とうの昔にできている」
「はは、君らしいね。でもさ、別に僕はエリーにここに来てとは言ってなかったと思うんだけど?」
「それは……」
「僕が信用できない? あるいは……」
「……」
「そうだね、うん。君はそういうやつだ」
──正と負。生と死。人間と歪虚。傲慢と、傲慢。
その存亡をかけた決戦が、今宵、幕を開けることとなる──。
その夢の中で、私は“蜘蛛”そのものだった。
物心ついて最初の仕事が何であったか、その“蜘蛛”はよく覚えている。
それは、母親を食べることだった。
静謐な山の奥深く、祠に張った暗い闇の中の巣で、紫紺の外殻をぱきりぱきりと崩しながら食した。幸い母蜘蛛はそこらの鹿や熊よりよほど巨大であったため、当面の食事に困ることはなかったのだが、もとよりその“蜘蛛”には積極的な狩りを行う習性が遺伝的に備わっていなかった。巨大な巣を張り、縄張りを侵す獲物をただただ待つ。そうした性質の生き物だった。自らが生きるため以上の殺生はせず、自然の、世界の摂理の中で、それは生きていた。
ある日、“蜘蛛”の住まう山が未知の轟音と共に大きく揺れた。驚いて洞を飛び出した“蜘蛛”が目にしたのは、山を住処としていた動物たちが一斉にに逃げ惑う姿だった。追われるようにこの場を去り行こうとする彼らが行くアテなどどこにもないだろう。だが、それでも逃げねばならないと、彼らはそう直感したのだ。
──いまだかつて感じたことのない異変。
まず目に付いたのは、人間の姿だった。その背後には、立ち上る煙と崩れてむき出しになった山肌が見える。
後日“捕らえた人間の口を割らせた”ところ、「良質な鉱石で新たな武具を生産するため、この山を切り拓き採掘場にするため」の行為だったようだ。連中は、当時開発中だった最新鋭の兵器──なんてことはない、今で言う“爆薬”で山の一部に大穴をあけたのだ。
開発中の爆薬を鉱山事業主が安価で譲り受けて使用するよう現場に強いたという話もその頃聞いたのだが、大本の連中は兵器実験を兼ねることなど把握していただろう。
最初の爆音から何度目か、激しい音と共に炎が巻き起こった。所詮は開発中のシロモノではあったようだが、強く吹き付けた風が爆炎と共に周囲の枯れ木や草をまきこんだのだろう。奇しくも季節は冬の訪れを迎えようとしていた頃。山は、見る間に燃え上がった。
炎にまかれ、呼吸ができずに子鹿が力なく倒れた。子鹿を逃がそうと、その首を咥えて母鹿が懸命に引きずる姿が見えた。だが、決死の覚悟もむなしく体力が尽きたのだろう。やがて母鹿も煙に巻かれ、炎に舐めとられて焼け死んだ。
洞穴の中で暮らしていた熊の一家は、炎で唯一の出入り口を塞がれたようだ。徐々に炎が侵入してくるのを目の当たりにしながら、それでも脱出はかなわず、やがて炎で温度が上昇してゆく穴のなか、酸素を失いもがき苦しんで死んだ。親熊も、生まれたばかりの赤子もだ。彼らの死因が窒息死か焼死か、その他中毒死かはわからないが、死に絶えるまでずっと、苦しげな、助けを求めるような呻き声が洞に反響し、山を揺らし続けた。
──それは、泣き出したくなるほどの惨劇だった。
昨日まであった、数え切れないほど多くの、そして豊かで瑞々しい生命が、もう、そこにはないのだ。なにも、なにも。
数日後、焼け果てた山の中。蜘蛛は、久しく聞いた他者の物音に生存の気配を感じて喜び勇んで飛び出していった。しかし、燃え尽きた真っ黒な木の上からみたものは、人間の姿。どうやら炎が収束したことをうけて、再び山に戻ってきたようだ。
彼らはこの惨状を目の当たりにして、開口一番にこういった。
「これだけ大規模な山火事で“犠牲者が出なかった”のは幸いでしたね」
「山が拓けて採掘しやすくなったと思えば、手間も省けたというもの」
「ま、ここでだめでも次がありますしね」
──犠牲者が、出なかった?
彼らは何を指してそう述べたのか。
──ここがだめでも、次がある?
死した命には、もう“次”も“先”もないというのに。
人間は、人間以外の命を命に数えてすらいない。ああ、それはなんと傲慢なことだろう。
その傲慢さは醜悪に過ぎ、この美しい世界において、ただ一点目を背けたくなるほどの“汚濁”だ。
果たして、このような摂理の埒外は、許されるのだろうか?
否、そんなはずはない。それは、人は、紛れもなく粛清されるべき悪であるはずだ。
理解に及んだ瞬間、理性はフラッシュバックする山火事の炎に焦がされた。
幸か不幸か、“蜘蛛”は古来より伝わる山の守り神(土地によっては化け物の類といわれるようだが)──所謂“大蜘蛛”であり、その時点で長い長い時を生きた“限りなく精霊に近い生き物”だった。本来は、自然の摂理に全うに正しく生きる存在で、摂理を守る立場のものだ。けれどその日──とうとう蜘蛛は、人を殺めてしまった。食事以外の目的で初めて他者の命を奪ったのだ。糸で呼吸器を覆いつくし、喉を縛り上げて殺した。顎に潜ませた毒をもって苦しみにのた打ち回らせた末に殺した。ありとあらゆる殺害方法を試みながら、山へ訪れる人間を残さず殺しつくしていった。
蜘蛛が幾多の人間の血を吸い、完全な“魔”に落ちかけた頃。
『おい、貴様。あと数百年……いや、数十年程度、密やかに山を見守り続けていればやがて“精霊”になれたものを。その価値ある清らかな魂を、なぜ自ら貶めた?』
淀みない真っ直ぐな声が天上より降り注いだ。相手が“人によく似た形をしていた”ことは確かだが、違う。明白にその“少年”は人ならざる存在だった。
『ふむ、人間の傲慢を許しがたい、などとは“蜘蛛の分際でひどく傲慢な生き物”がいたものだ。しかし……貴様のその魂の高潔さは悪くない。いや、この俺の側にこそ相応しいものだ』
──こいつは、何だ?
逆らえば死ぬ、という程度のことは直感できた。だが、こんなところで死ぬわけにはいかない。今の蜘蛛には、明白な使命があった。それすらできねば、死んだ総ての命に対し、顔を向けることができないと、強い強い願望があった。人間如きが摂理の頂点を気取る世界など、この手で改めねばならないと。
『この世に蔓延る人間を粛清し、断罪する──か。
よかろう。その“傲慢”に、力を授けてやってもいい。
己が抱いた怒り、憎しみ、その総てが真のものだというのなら、見せてみよ。
貴様の傲慢、貴様の罪、その総てを、この俺が許す! さあ、この手をとるがいい』
ひどく些細な切欠だった。今はもう、忘れつつある原初の記憶。
蜘蛛は、自分が何から世界を守るために存在していたのか。
それを、この日、この瞬間に、ようやく理解したはずだったのに。
──それは、遠い遠い、“蜘蛛であった頃”の夢だった。
●【メフィスト】という歪虚について
【矜持(きょうじ・きんじ)】
自分の能力を信じていだく誇り。自信や誇りを持って、堂々と振る舞うこと。
代表的な類語は、傲り・誇り・うぬぼれ・プライド・驕心・自尊・慢心・思いあがりなど。
◇

メフィスト
それは傲慢の歪虚たる彼を成す核そのものであり、それが傷つけられたなら、彼は彼の“矜持”にかけて“矜持”を傷つけた相手を滅ぼすことになるだろう。恐らく、彼の名や存在が、これまで世に出てこなかった要因の一つは「相対した存在総てを確実に葬ってきた」ということにもあるのかもしれない。
メフィストが初めて名を明かし、その姿を現したのは王国暦1016年のことだった。大量の“影法師”を引き連れて王都に押し寄せたそれは、当初こそ“天使”と呼ばれる美しい女の姿をしていたが、戦いの渦中ある青年ハンターの挑発を切欠に、全く異なる姿へと変貌を遂げた。それが蜘蛛のごとき異形であり、曰く「真の姿」であるようだった。
この歪虚が誕生してから現代まで、どれほど長い年月が積み重ねられていたかは定かではない。だが、その重みを無にしてまでも、メフィストは存在を隠し続けた自らをあえて世にさらし、自尊心を癒すかのように高らかに宣言したのだ。
「そこな騎士よ。哀れに逃げ帰り、伝えるがよいでしょう。この“メフィスト”の手によって、王国と教会の光は地に墜ちたと!」
彼の理念となっているものを、これまで手に入れた情報の中で推測するならば、二つ。
一つは、ここまでに論じた“自らの矜持”。
そして、もう一つ──それが、“彼が王と敬う存在”だろう。
●傲慢と傲慢
『古の塔──そこに、“へクス・シャルシェレット”は居るのですね?』

ヘクス・シャルシェレット
第六商会を実質取り仕切る老人の名を、メフィストはヘクスから聞いたことがあった。それを踏まえたとて、その態度は、想像を絶する痛みを、恐怖を、そして絶対的な死を眼前にしてなお見事なものだった。恐らくは、メフィスト自身が“王”へと捧げるそれに重なって見えて──だからこそ、老人に褒美を与えたのだ。
なぜ褒美を与えるほど“気分が良かった”のか、その理由を深く考えぬままに──あるいはその機能が麻痺し歪んだためかはわからぬが──メフィストは笑う。
『さて――目的は果たせましたが、少しぐらいは、遊んでもよいでしょう』
その後まもなく、ガンナ・エントラータに出現したメフィストは、ハンターたちの手によって討伐されることとなった。
◇
『古の塔──なるほど。あの男、“上手い場所に逃げ込んだ”つもりなのでしょうね』
メフィストが古の塔を認識したのが今年の初春。王国が脈絡なくおかしな動きをはじめたことに疑念を抱いたメフィストは、すぐさま幾人かの王国騎士を拉致。聞くところによれば、「古の塔には、王国が千年以上もの間守り続けてきた防衛装置が眠っている」というではないか。 人間に利するものは全て奪う。希望のよりどころは余さず潰す。利用できるものは同胞であろうと利用する──それが、メフィストのやり方だ。
その後の調べによって判明したことではあるが、どうやら古の塔はこの世界の地平線上に存在していないようだ。いわゆる固有の亜空間などと呼んで差し支えない場所、この世界と何らかの縁によって細く繋がる別位相のどこかに存在しているのだろう。およそ人間の作りし物とは思えぬ、芸術の如き建造物だ。いかに傲慢の魔術王を自負するメフィストですら、そのような塔内部への直接転移は叶わない。ゆえに、興味を抱いた初夏の折、内部侵入を試みたメフィストがとった行動は「亜空間を空間たらしめる檻──古の塔外壁への魔術的干渉」だった。恐らく、そのメフィストの動きを“奴”は把握しているのだろう。
『この私ですら塔内部への直接転移が叶わないという前提に立てば、確かに、この世で最も安全な場所は古の塔でしょう。それは認めます。ですが……』
くつくつと喉の奥を鳴らすような笑い声が闇の底で響く。
『ヘクス・シャルシェレット。──貴様は、“私を軽んじ過ぎた”』
──その傲慢に、この私手ずから死の懲罰を贈りましょう。
◇

エリオット・ヴァレンタイン
「手配は全て終えた。じき、王国軍がここに集結する」
「あーやれやれ、待ちくたびれた! ようやく“機が訪れた”わけだけど、準備はいいかい?」
「俺、か?」
「そう、君だよ」
「……正直、王国各地に奴が現れた際、すぐにでも駆けつけて奴を葬りたい衝動に駆られた。だが、それを抑えてまでここにきたんだ。準備など、とうの昔にできている」
「はは、君らしいね。でもさ、別に僕はエリーにここに来てとは言ってなかったと思うんだけど?」
「それは……」
「僕が信用できない? あるいは……」
「……」
「そうだね、うん。君はそういうやつだ」
──正と負。生と死。人間と歪虚。傲慢と、傲慢。
その存亡をかけた決戦が、今宵、幕を開けることとなる──。