ゲスト
(ka0000)
【転臨】黄金の夜明け「メフィスト(蜘蛛型)を討伐せよ」リプレイ


作戦2:メフィスト(蜘蛛型)を討伐せよ リプレイ
- ミオレスカ(ka3496)
- ステラ・レッドキャップ(ka5434)
- エリオット・ヴァレンタイン(kz0025)
- 仁川 リア(ka3483)
- Serge・Dior(ka3569)
- アルト・ヴァレンティーニ(ka3109)
- セレス・フュラー(ka6276)
- クローディオ・シャール(ka0030)
- ミリア・ラスティソード(ka1287)
- 南護 炎(ka6651)
- アイシュリング(ka2787)
- ロニ・カルディス(ka0551)
- レイレリア・リナークシス(ka3872)
- ジルボ(ka1732)
- ヴァルナ=エリゴス(ka2651)
- 紅薔薇(ka4766)
- ジェーン・ノーワース(ka2004)
- 神代 誠一(ka2086)
- 鳳城 錬介(ka6053)
- クリスティア・オルトワール(ka0131)
- コーネリア・ミラ・スペンサー(ka4561)
- 対崎 紋次郎(ka1892)
- メフィスト(kz0178)
- セルゲン(ka6612)
- ミカ・コバライネン(ka0340)
- 十色 エニア(ka0370)
●これは、人の傲慢に奪われたものの反逆の物語だった
ハンターたちが作戦前に聞かされた情報では、“この世界”は古代の高度な魔術によって召喚された「グラズヘイム王国の原風景」らしい。この国が始まった頃、つまりは今から1000年以上もの昔の光景だ。
草原を吹きぬけてゆく風は軽やかで、風に乗った草花の香りが鼻腔を優しくくすぐる。虫たちの声は心地よく響き、広がる夜空に輝く満月は白く輝きを放っている。現代で見上げる月よりもはっきりと大きく瞳に写るそれは、月明かりだけで周囲の様子がわかるほどだ。
特にリアルブルー出身のものたちにとっては、満月夜がこんなにも明るいものだと、知らなかったものも多いのではないだろうか。
本来“人間”は自然の中に生き、自然の中で先の道行を知ることができていた。なのに、いつからだろう。夜が暗いものだと思い込んでいたのは。手探りで自らの先を模索せねばならなくなったのは。
文明に汚染され始めた世界。戦争のため、国家の拡大のため、さまざまな理由で森林は伐採され、山は切り開かれ、海には他者を攻撃するための兵器が我が物顔で浮かぶようになった。
そんな世界を憂うものが居たとして。人間はそれにどう向き合うのだろうか。
広がり行く世界への破壊行動は、人間社会の発展のために必要な犠牲だと、“あなたは、奪われ行くものたちにも、そう胸を張ることができるのだろうか”。
それは──あまりに、“傲慢”なのではないだろうか。
●起
見渡す限りに広がる美しき平野におきた異変。目を眩ませるほどの稲光が去った後、気付けば、巨大な蜘蛛が姿を現していた。
「蜘蛛が、蜘蛛を生んでる? まさか無制限に出てきたりは……」
「さぁ、どうだろうな。でも、見てる限り“勢いはとまらなさそう”だぜ」
ミオレスカ(ka3496)が見渡す限りの世界が、排出される子蜘蛛の群れに侵されてゆく。瞬く間に増え続ける歪虚を前に危機感が募るも、傍ですでに弓を番えているステラ・レッドキャップ(ka5434)は冷静だった。いや、どちらかといえば嘆息に近い声色だったかもしれない。どこからどう見たって圧倒的に敵の数が多い。先ほど現れた大蜘蛛に対し、王国連合軍は二手に分かれて打って出ることになったはいいが、せいぜいこちらの戦力は約五十といったところだ。
──今この瞬間だけ見ても二百……いや、三百近くはいるんじゃないか。っつーか、そもそも今もまだ増え続けてるしな。
「勘弁願いたいもんだぜ」
そうしていよいよステラの嘆息が現実になるのと平行して、そばから清涼な少女の声が聞こえてくる。
「黒の隊含め初期位置から狙撃可能な方は複数人で同時狙撃し確実に敵を減らしましょう。残りの黒の隊の皆さんは狙撃手の護衛をお願いできますか? 不要なら前進し他の援護を……」
ルカ(ka0962)の提案はシンプルだった。だが、それを受ける黒の騎士長エリオット・ヴァレンタインはごく短い間思考し、そしてこう応えた。
「意図はわかった。だが、“不要なら”という判断は何をもって、いつ決定する?」
「それは、子蜘蛛がこちらに襲ってこなければ……」
「ここから大蜘蛛への距離もそれなりにある。いざ“前に進む”と決めたとき、それまでの十秒、二十秒の遅れが前線を窮地に追いやる危険性がある。……悪いが、今回は半数を初期位置に残すが、半数は前線組といかせてもらう」
提案に対し、黒の隊は全てを了承しなかった。その「指示」を「良策」と思わなかったし、説得される材料もなかったからだ。もとより一年半前、メフィストが王都を襲った戦いのことを、そしてその“顛末”もルカは知らない。だからこその提案かもしれない。あれと同じ轍を踏むわけにはいかないと、彼は思ったのだろう。
この後、ハンターと黒の隊による王国連合軍は直ちに作戦ならびに各個人の標的を設定。
「ここでメフィストは倒してみせます。射撃手の皆さん、準備はいいですか?」
ミオレスカに応じるのは長距離射程の得物を構え、初期位置から射撃を行う面々。ハンターからは、ステラとルカ。そして王国騎士団黒の隊からは一部がその号令に武器を構えた。彼らの狙いは明瞭。「まずは、子蜘蛛を減らす」ことだ。
「総員、撃て──ッ!!」
ステラの号令が、火蓋の幕開けだった。
一斉射撃を開始した連合軍の射手を背に、仁川 リア(ka3483)たちストライダーを先頭とした進撃組が一気に地を蹴る。
「ここで必ずメフィストを討つ。死した宿敵の願いを、背負っているんだ。だから……」
リアの脳裏には、宿敵の願いが浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。普段から追いかけているわけではなくとも、こういった折になるとそんな言葉が突いて出るのだから、思いのほか自分は“あの言葉”に縛られているのかもしれない──そんな感傷は口にせず、少年はただただ同道する仲間と速度をあわせて前へと切り込んで行く。
「彼らに続きましょう。メフィストと決着をつけるために」
この国の宿願を成す為に。そしてそれは、自らの願いにも似て──Serge・Dior(ka3569)も、ほかのハンターらとともに続々と応じてゆく。連合軍は十秒あたりの進行速度にいくらかのばらつきはあったが、現時点で支障は出ていない。常に増え続ける子蜘蛛を前に「敵の接近を手招きして待つ」余裕などないのだから、この判断が最適解だと信じて今は足を前に出すばかりだ。
「子蜘蛛、こちらに接近してくるよ。最前線との距離、残り約三十メートル!」
最前線を走るアルト・ヴァレンティーニ(ka3109)のすぐ後方に追随するセレス・フュラー(ka6276)が、無線を通して全体へと状況を知らせようとする。実際のところ、無線を持っている人間は決して多くはないのだが、黒の騎士に共有するには十分な効果を発揮した。
「両軍が直に衝突する。後方の援護、おねがいするよ!」
敵は連合軍が接近する間も当然こちらに忍び寄っている。すでに足の速いものならば、近接武器の戦士でもあと十秒で捕捉できる位置まで両軍が接近を果たしていた。いよいよ苛烈な攻撃の始まりか──と、思われたとき。異変は、起こった。
「えっ!? 西側に広がっていた子蜘蛛のうち、相当数が姿を消した! うそでしょ、どこに……」
『クローディオだ。恐らく、目算で三十近くが消えた。全員警戒を怠るな」
驚くセレスの通信を受け、黒騎士クローディオ・シャール(ka0030)が事態を補足する。青年の落ち着いた声に比して、伝えられた情報は想定外の出来事だったのは間違いないのだが。
「もしかして人型のほうか? いったい、どこへ…!?」
通信機を所持している者は決して多くなかったが、それでも黒の隊の面々にはその知らせが届いていた。冷静に周囲に目を配ると、進撃組とも初期位置組とも離れた場所、“初期位置組から離れた西方に、なぜか蜘蛛が群がっている”のだ。
「おいおい、ありゃどういうことだ?」
思わず、通信中の騎士の傍でステラが首をかしげる。
「そこに誰かいるのか!? 応答してくれ!!」
だが、包囲の中に何があるのかもわからぬほど、視線を遮る多量の蜘蛛──おそらく先のクローディオの計算とたがわず、目算で三十体ほどがそこに“殺到”している。なぜそんなことになっているのか、連合軍は“理由を知らなかった”。故に、戦場に軽度の混乱が生じかけた、そこへ──。
『驚かせたか? それなら悪ぃな。本軍とズレたうえでソウルトーチを使えば進撃組が相手にする蜘蛛共を減らせるかと思ってよ』
──実際、これだけ釣れたら上々だろ?
応えたのは、ミリア・ラスティソード(ka1287)だった。
「えっ……そっちは大丈夫なの!?」
『そうだな、ホムラもいるし、こっちは……ッ』
セレスの問いにあっさり答えかけたミリアだが、しかしその音声を最後に、通信への応答が途絶えてしまう。
ミリアの狙いは、非常にうまくいった。本軍からズレた位置でソウルトーチを使用すれば「さえぎるもののない平野」の上に広がる「無数の蜘蛛」の多くが「それに引き付けられる」ことになるだろう。
敵軍の数が非常に多い故に“ミリアへの視線がほかの固体の影で通らないものもいた”が、およそこの時点で目測した敵数三百体のうちの一割程度──約三十体がミリアの姿を捕捉できる位置におり、そして「彼女の狙い通りに引き付けられてすぐさま彼女へと殺到した」──つまり、子蜘蛛が彼女の周囲めがけていっせいに、そして一瞬で“転移”してきたのだ。
「ミリアさん、来ましたよ!」
「わかってるって……ッ!」
ミリアには、この作戦に同行する南護 炎(ka6651)が隣におり、この二名を三十体の蜘蛛が取り囲むことになったのだが、いくらミリアと炎が歴戦の戦士であったとしても、このような数差の戦いが易々といくわけもない。進軍するハンターたちに同行していたエリオットは、通信の情報からそう見越したのだろう。その判断は、早かった。
「後方支援の騎士は、救援に向かえ! 半数でいい!」
十秒遅れればミリアが、あるいは炎も共に死亡するだろう。だが二人は王国の騎士ではなく、本来ここで命を落としてよいものたちではない。死ぬとわかっていてむざむざ見過ごすなどなどできようはずもなかった。
こうして、前衛に追随せず初期位置にとどまった十二名の黒の騎士のうち、半数の六名がミリアと炎の囲まれている西方へと直ちに駆け出した。残り半数はミオレスカやステラなど初期位置にとどまる射撃手の“護衛”兼“狙撃手”を兼ねている都合、これ以上の数を動かすわけにはいかなかったのだ。
こうして、王国連合軍は「3つの部隊」に分かれることとなった。
ミリアの秘策は長射程を誇る大身槍「蜻蛉切」による180度前方への薙ぎ払いだ。彼女が持つ高火力をもってすれば「あたれば殺せる」という手応えは初撃で十分感じることが出来た。だが、同時に「あたらなければ殺せない、殺せなければ周囲にどんどん敵が溜まる」ということも、理解に至れてしまっていた。事前の子蜘蛛の様子からも相当に素早いという情報が報告されていたが、ミリアの薙ぎ払いは範囲内に捕らえた十五体のうち、七体を葬るにとどまった。「約半数にあたらない」という明白な事実。無論、こちらの命中が低いわけじゃない。薙ぎ払いは相手の回避能力を半減する力もある。“それをもってしてもこの結果である”ということはつまり。
「チッ、ずいぶん素早い連中だ……」
ミリアは口角を上げて不適に笑うが、周囲にはいまだ二十二体の蜘蛛がいる。
「ミリアさん、次は俺がッ!」
間髪いれず、残った敵めがけて炎がターミナー・レイを振りかざした。その動きは早く、剣心一如と気息充溢で高めた気迫のままに、鋭く二連之業をたたきつける。だが、その一振り目。ミリアの攻撃から逃れた敵を切り裂こうとするも素早い動きに刃が翻弄されて空を切る。続く二振り目、ようやく敵を斬りつけることに成功するがその一撃で敵を屠るに至らなかった。
炎はスキルを駆使すれば十秒当たりに最大二体を攻撃できるが、一撃で敵を殺せない以上「十秒あたりの討伐数は最大一体」だ。例えミリアの薙ぎ払いが奇跡的に全て命中したとしても、半数もの蜘蛛は殺せない。さらに、子蜘蛛の体長は一から四メートルまでさまざまであり、大きめの個体が来れば、巻き込める数は大きく減ることもある。倒せなかった分の蜘蛛は、ミリアたちを取り囲んだまま残ってしまうとなれば。結局この十秒間で倒せたのは八体。いま、残った二十二体の蜘蛛が、ミリアと炎の周りを取り囲んでいた。
「……来るぞ、構えろ」
覚悟をきめた少女の声。炎には、俺が守ります──とは、いえなかった。
まず、三体の蜘蛛が同時に別方向からミリアに向けて粘糸を射出。一つ目をかわした、二つ目をかわした、三つ目もかわした。これらを何とか潜り抜けた先……またさらに別の個体から同時に発射された糸についに彼女は巻き取られてしまう。移動を鈍らせたその隙に、別の個体がサブ移動で跳躍したかと思えばミリアの首に噛み付いた。
──毒だ。それも行動を阻害する麻痺の類の。
行動不能に陥れば「攻撃を受けることも叶わない」。これがどれほどの脅威であるかは、ここにいる精鋭には特に痛いほど伝わるだろう。射線を確保し適度に広がる蜘蛛は、次々とミリアの体を鋭い糸で撃ち抜いていく。ヘイトは全て「ミリアに集中している」以上、同じ場所にいたとしても炎を狙う個体はゼロ。同行する炎は自らの行動力を火力の増大にあてて攻撃を繰り出したため、怒涛の集中砲火を前にミリアをかばうこともできない。炎がミリアに対して抱いている尊敬の念をもってすれば、自らが彼女をかばうなどおこがましいと、そんな気持ちがあったのかもしれないが。
「ミリアさんッ──!!」
何体目かの攻撃の後、ミリアの意識が途絶え、少女がひざをついた。
「──はッ、ま、だ……」
だが、彼女は意識を失ってもなお、倒れまいと槍を地に突き立てるように持ちこたえている。そこをさらに別の子蜘蛛が貫いた。いよいよ大地に倒れ伏したミリアだが“それでも子蜘蛛の攻撃はとまらない”。
ここがスキルの恐ろしくも頼もしいところではあるのだが、多くのバフ・デバフ──ここではソウルトーチになるが、この効果は「死んでも効果が継続してしまう」ということだ。
ソウルトーチの効果は六十秒。これを任意で終了させることができない以上【例えミリアが気を失って倒れても、最悪死んだとしても否が応にも“敵の集中を買い続けることになる”】のだ。
だが、ミリアが倒れてからしばし、ようやく炎の視界が開けた。
黒の隊の騎士六名が、蜘蛛を焼き払い、道を作り、ミリアをかばうように抱きかかえる炎の姿を確認。すでにミリアの意識はなく、急ぎクルセイダーが彼女の治療に当たるも、ミリアはいまだに「蜘蛛の注目から逃れきれずにいる」ことに一人の老騎士が気がついた。
事情を察したのは、一人の老騎士だった。
「これは、我が国の未来のための戦いだ。どうか、貴方がたは生き残ってください」
老騎士が選択したのは「ソウルトーチの効果上書き」。咆哮と同時、燃え盛る激しいマテリアルの炎に蜘蛛が“再び注目を奪われた”のを、炎は目の当たりにしていた。
この瞬間、ついにミリアへの注目が解消された。しかしそれは「同じ場にいる別の人間への注目を引く」ことでしかなく、場の危険度が下がったわけではない。十秒ごとに約三十体の子蜘蛛が飛んでくる状況が「この瞬間から、さらに六十秒の間継続される」のだ。だがそれでも、「王国の礎として、騎士の犠牲のみでこの場を収めることができるのならばそれでいい」と、彼らはそう思ったのかもしれない。
最初に、ソウルトーチで注目を引いた老騎士が死んだ。だが、彼の死後もソウルトーチの効果は残る。子蜘蛛たちはこちらに転移を続け、飛んできた場所で激しいオーラを放つ相手が死体であることを確認すると結局別の相手を狙うことになり、その攻撃を別の騎士が受けてたつ。
結果として、ミリアと炎、そして騎士の八名は六十秒の間に約百八十体もの子蜘蛛を引き受けることに“成功”。本隊前進の力となることができただろう。だが、同時にこの日、この地点で四名の騎士が命を落とした。初期位置に残った射手たちも、この事態を把握し、でき得る限りの援護射撃を本隊前進のためではなくこちらの支援へと行っていたのだが、遮るもののない場所で無数の敵に対して注目を引くという行為の前には及ばなかった。失われたものの大きさを考えるに、これがよい結果であったとは言いがたい状況ではあるが、事実は一つ。大蜘蛛の包囲は、着実に薄まっていたということだ。
●承
戦場から、開始一分程度で五名──つまり戦力の一割が脱落したという訃報は、生き残った騎士によって即座に共有されることとなった。その事実を耳にしたクローディオ・シャールは、整えられた爪が皮膚を食い破るほどに強く拳を握り締める。
ここに至るまで、どれほどの犠牲があっただろう。どれほどの涙が、血が、命が流れ落ちただろう。クローディオの脳裏を過ぎるのは、これまでに守ることができなかった命の残滓。青年は過去に命を失うほどの“戦”を超えてきた経験をもつ。だからかは定かではないが、今のクローディオはまるで“何かに取り憑かれたかのように”知らずと自分を追い詰める傾向があった。クルセイダーである自分にできることは何か。務めねばならぬ役割とは何か。果たすべき命題は。都度“達すべき”と自らで遥か高い目標を課し、それすら最低ラインと言い聞かせながら茨の道を歩み続けている。
──おそらく、青年は探し続けているのだろう。
「自らが生きる意味」を。「この世に残された理由」を。あの日、あの瞬間からずっと。
「……ッ、私、は」
あっという間に生じた死傷者が彼の手の届かぬ場所での出来事であったとしても、事実が青年の心を掻き毟る。それでも、果たすべき役割を果たせなかったなどと嘆く暇はない。今、この場で勤め上げるべきことは明白で、クローディオはそれを悲しいほどに理解していた。
──同じ隊の仲間たちの死は嘆くべきことだがしかし、彼らの奮闘によって、前衛部隊の負担が軽減したという事実にはなんら誤りがない。
なればこそ思うのだ。嘆くのではなく、今はただ感謝をしようと。この鋼の腕が訴える“あるはずもない痛み”は、ただの錯覚でしかないのだと。
クローディオは生真面目に過ぎるのではない。命の駆け引きの場に立つ戦士としては、余りに無垢に過ぎただけだ。
「決してこの手を休めるものか。総ての命、必ず活かして終わらせてみせる……!」
ファーストエイドで損傷の激しいアイシュリング(ka2787)を治療した直後、立て続けに銃を構えたクローディオは、彼女を捕らえる子蜘蛛をイェーガークロイツで正確無比に穿つ。
「助かったわ」
短い礼にも、青年は首を横に振るばかり。
一つ一つは小さくとも、歩み続ければ「遥か先へと辿り着くができる」はず。
「すみません。とまっていた前線部隊の支援、すぐに再開します!」
脚部を打ち抜かれバランスを崩したそこへ、先の銃声に促されるように、ミオレスカの矢が注いだ。それだけにとどまらず、初期位置の射撃班から支援射撃が次々届けられる。
「けどまぁ、前線の連中だいぶ頑張ったみたいだな。随分数が減ってるぜ」
ステラの手元から番えた矢が放たれ、降り注ぐ雨。それを好機とばかりに、進撃組のハンターたちによる苛烈な攻撃が繰り広げられてゆく。
「後方からの支援も再開したか。これならば、少し治療の手を止めても問題はないだろう」
ロニ・カルディス(ka0551)のスタッフに集約した輝きが、刹那の間に放たれた。ライトニングボルトが一直線に奔ると、稲光の消失に招かれるようにして逃げ遅れた子蜘蛛が諸共消滅。そのそばではレイレリア・リナークシス(ka3872)が呪文の詠唱を完了していた。
「そう、ですね。少なくとも今“この場”は“先ほどと比べて安定し始めた”印象ですから」
“視界に映った少なくはない犠牲”を思うが故か、少女の表情は硬い。それでも、足を止める理由にはなりえないのだから、一意専心、ただ思いを杖にこめた。
「いずれにせよ、結末は一つだけ……決着を、つけましょう」
ブリザードの冷気が多数の子蜘蛛の外殻を凍てつかせると、氷の彫像は瞬く間に割れ砕けて消失。
「やるねぇ。ま、害虫駆除ってんならお手の物だ。“らしい”仕事で助かるよ、っと!」
笑いながら照準を合わせるは直線上の4体。ハウンドバレットが自由な軌道を描きながら胴部を次々穿ち、上がる悲鳴のような鳴き声にミカが眉をひそめる。
「やれやれ、きりがないとは思わないんだが……」
ため息まじりに吐き出す紫煙は“この世界”には少し不似合いで。だからといって、特段それにかまうこともなくミカは拳銃──のごとき機導杖「トリスメギストス」の“照準”をあわせるように腕を伸ばした。マテリアルが循環し始めると同時、青緑色の光を巡らせながら銃身が左右に開く。高い魔力をたたえる翡翠にも似た宝石。それを中心に集約される力は、まるで“魔法を放つ銃”のようでもあり、そして。
「さすがに辟易するな、これは」
哀れな歪虚を看取るための、浄化杖のようでもあった。言葉とは裏腹に、苛烈なデルタレイがジルボ(ka1732)の食い散らかした子蜘蛛を一つ一つ確実に葬ると、そばでジルボの口笛が鳴る。
「残りは私が……!」
次の瞬間、ミカが意識するより早く、手前に残った個体めがけて瞬を駆けると二メートルは超える槍をヴァルナ=エリゴス(ka2651)が振りぬいた。強力な圧を前に「切断」というよりも「吹き飛ばす」ようにして蜘蛛の五体がバラバラに飛び散ると、それはそのまま空中で黒いマテリアルの粒子と化して消失。気付くと、少女の息は僅かに弾んでいた。いや、それは彼女だけにとどまらない。ここまでに何体の歪虚を葬ってきたのだろう。確実に戦場を満たす負の濃度は減っている。それだけが唯一前に足を進めるための原動力だ。
「私は、前に進みます。どれほどの障害があろうと」
諦めないことでしか報いることができない──その言葉は、飲み込んで。
目標まであとわずか。確実に、そこまでの障害は減っている。
「懲りぬの。子蜘蛛程度で妾の道行を妨げようなど、笑止」
戦線中央、ストライダーたちの影にまぎれて小柄な少女がひとり、不適に笑んだ。瞬後、約二十メートルほど離れた地点に美しい白薔薇が出現。その花弁の描く曲線に似た奔放な斬撃が一挙五体の子蜘蛛を切り刻み、霧散させてゆく。次元斬『白薔薇』──可憐な技名に相反する苛烈な斬撃は、紅薔薇(ka4766)によるものだった。少女が「そこ」と決めさえすれば目視すら不要、敵味方問わない問答無用の死の花が戦場の至るところで咲き誇っては散る。当の少女はといえば、それに悦を感じるでもなく、ただただ“手段”として振るいながらここまで数多の戦場を駆け抜けてきたのだろう。着実に蜘蛛は数を減らし、妨げの減衰に伴って空白地帯は生まれた。
敵を倒し“空白地帯”を作る。これは力あるハンターならば誰でもなしえることだろう。だが、問題はその先だ。“作った空白は、空白のままではいない”。
「戦場に無数に敵がいる」ということは、空白地帯ができてもすぐにその空白は近くの敵がなだれてきて埋められてしまう危険性がある。それが「倒すべきボスへの直線上」であるのならばなおのこと。敵を倒して道を作っても次の敵の手番になればまず塞がれてしまうだろう。なぜなら、敵にとってその空白地帯は「守るべき重要なポイント」であるためだ。
であるならば、空白地帯を作っただけでは前に進むことができない。これをどうするのか? これは小さいながらも、多くの戦場であげられる一つの課題だった。
「うーん。子蜘蛛は、目視で残すところ百体程度か。ボクが十秒で九体くらい切り殺せれば一分かからないと思うんだけど」
唸りながらも頭のなかでは標的を数える程度に余裕があるアルト・ヴァレンティーニ(ka3109)の後方でセレスが「もう!」と声を上げる。セレスはアルトに対し出来得る限り支援の手を尽くしている状況ではあるのだが、彼女がとにかく派手に暴れるものだから心配の種は尽きることがない。
「気をつけてよ! アルトくん、さっきから狙われがちだよ。さっきも糸が絡まったばかりだし……」
「はは、そうだね。セレスくんのおかげだ。フォローありがとう」
小言のつもりでも、笑顔で礼を言われれば返す言葉すらない。
告げて、振りぬく刃には一切の容赦がなく。自身を加速させ、炎の如きオーラをまとって走り抜けるアルトは、すれ違いざまに隣接する総ての蜘蛛を切り倒さんと刃を剥き出す。無論、斬撃をかわされる個体も決して少なくなかったが、それでも平均して十秒に五、六体は切り殺せているのだから「刀一本の業」としては尋常ではない。さらに此度の戦いにおいては彼女と“双頭”となったもう一人のストライダーも、彼女と同等の殲滅力をもって刃を振り続けていたのだ。しかし──
「──……」
その少女は、アルトとは打って変わって硬い表情をしていた。
ジェーン・ノーワース(ka2004)。少女は、赤いフードの奥で何を思っていたのだろう。
無愛想、ぶっきらぼうなどという顔が彼女を一見した印象ではあるが、彼女は決して「感情の起伏が少ない」のではない。
振りぬく刃は光をまとった「聖罰刃」。聖なる罰を与える刃、とはまた“ずいぶん傲慢な剣”ではあるが、今のジェーンにとっては「そんな傲慢すら振りかざしてみせる」といえるほどに強い思いがあった。
一歩目を踏み抜く傍ら刃を振り下ろし、次の二歩目で新たに捉えた別の蜘蛛をめがけて今度は刃を振り上げる。無駄を取り除き、考え及ぶ最高の手管で一手でも多く敵を切りつけようと努めた。蜘蛛の甲殻は手ごたえからして相応に硬い。それを切り伏せ続けるには、少女の細腕では大きな負担だった。それを十秒当たりに五も六も「一刀両断」にして見せるのだからその身体への負荷はどんどん重さを増してゆく。それでも、少女はその腕を振るい続ける。そうしてジェーンは、火力でこそアルトに及ばぬものの、子蜘蛛相手には彼女以上の殲滅力をもって障害をたたき伏せることができていた。なぜならば──
「左の新手はこっちで押さえ込む。その隙に次は左周りで叩いてくれ」
「承知したわ」
「ああ、それと。前方、どうやら大きめの蜘蛛の影から小さいやつの“射線が通ってる”。気をつけてな」
──ジェーンのそばには彼女と密な連携をとっていたもう一人のストライダー、神代 誠一(ka2086)がいたのだ。彼の広角投射や飛蝗がペアを組んで動く少女の攻撃を「最大効率で叩き込む」ことに大きく寄与。敵の回避行動を妨げるようにすることでジェーンは確実に隣接する敵を切り刻んでいった。少女の様子を、そして戦場の様子を冷静に見つめる誠一の瞳には、否が応にも重なって見える光景があった。
巨大な蜘蛛の足。その背に揺らめく人の姿。それは、いつかの戦いを想起させた。
こぼれた蜘蛛の涙。あの時の“彼女”は人に悲嘆し、激憤を以って人の世を懲罰しようとしていたのだった──そんなことまでもが、よみがえってきて。
貫かれた胸の痛みが、今はもうあるはずのないそれが疼きを訴える。
「……囚われるべきではないと、わかっているんだけどな」
「誠一? 次のが来たわよ。右手側、頼めるかしら」
「ああ、ごめん。勿論だ」
ゆるく首を振り、誠一は眼鏡のブリッジを押し上げることでその心痛をやり過ごした。 王国がこの塔の最上階に作った“蜘蛛を捕らえるための檻”は綿密に過ぎて、ここまでに失われた多くの犠牲を思えば眼鏡に隠れがちな誠一の眉が、ほんの少しだけ強い角度を描いた。
──勝利を携えて帰還する。仲間と王国のためにも、必ず、だ。
敵を切り倒し、空白地帯を作りながらなお止まることなく前進する彼女たちストライダーは、自らの体でもって直接押しあがり“空白地帯を人類のものと確定させた”──これが、“作った空白は、空白のままではいない”ことに対する本作戦での答えとなった。
ストライダーという職業の現状特性を言えば、他クラスと比べて特に即効性が強く非常に器用な印象だ。スキルを使いこなす“技”さえあればあらゆる状況に万能に対処できる能力を備えることができるだろう。此度の戦いにおいてアルトやジェーンが選んだスキルセットについていえば、大ボス単体相手というよりは、こういった“群れ”相手の状況に対し、とかく強みを持った性能を発揮した。向き不向きでいえば、此度の戦場には“向いている”のだが、もしこれがたった一人による独走であったのならば、ただの危険行為になっていただろう。しかし、アルトにはセレスが、ジェーンには誠一がそれぞれに支援を行いながらも、両組によるツートップ体制で戦線を力尽くで押し上げた。さらに、そこに仁川 リア(ka3483)や紅薔薇も加わり最前線の構築に尽力したことが、作戦成功の一助となったことは間違いないといえる。
ただ、それでもだ。この成果の裏には少なからぬ犠牲の影があった。
「最初から大蜘蛛への道を切り開く」という行動は、言い換えれば「戦場全体でまだまだ数が多い歪虚の陣地を切り開いて潜り込んでいった」ということになる。これがどういうことかといえば、彼女たちが歩んだ道以外の場所、切り開いていない部分の多くには当然「無数の蜘蛛が残っている」状態が継続している。この状況下では、王国連合軍の最前線を切り開くものたちは、どうしても“まだ倒せていない多くの子蜘蛛に囲まれる”ことを避け得ない。少なくとも、今回は子蜘蛛対応に専念しているものたちもいたのだが、“減らせる範囲”を減らしたとしても“戦場全体の敵数”という意味で“序盤はかなりの苦戦を強いられた”。なぜなら、今回の戦場では敵は“転移”で自在に移動ができたのだ。彼らは「自らの懐に踏み込んできたものを逃がさず捕獲するべく包囲を形成する」ことに長けていたのだ。実際、子蜘蛛に包囲される懸念を抱いていたものは決して少なくはないはずだったのだが、“初手から道を作ることに腐心するもの”と、“子蜘蛛の一定数撃破後に仕掛けるつもりでいた者”とでおそらく“認識齟齬”のようなものが生まれてしまっていたのかもしれない。それだけが、惜しまれる事態だった。
このままでは、一年半前の“王都進行中のメフィストとの戦い”と酷似した事態──大ボスという餌におびき寄せられ道を開いて敵のテリトリーに入り込み、そしてその出口をふさがれ完全包囲が形成される──を引き起こしかねない。だが、それを“穴埋め”したのが、最前線の組に同行した半数の黒の隊の騎士たちだった。
無数に敵が犇く最前線で切り開き前進したストライダーたちが、被弾を避けえぬ状況ですべきことはいくつかあるが、最優先事項の一つは一刻も早く敵の数を減らすことだろう。そして、それには殲滅力の高いハンターを、文字通り“死んでも守る”必要がある。前線を押し上げるハンターが敵に包囲されている現状をかんがみて黒の騎士がとった行動は、明確。ハンターたち突入部隊の“最外周”──最も狙われやすく、被弾しやすい位置に立ち、ハンターたちを守る“人の壁”となることだった。
アクセルオーバー中のストライダーには「回避半減効果つきの攻撃」がききにくいのだが「圧倒的な数の敵」を前には焼け石に水になっていただろう。
包囲から十秒、最前線組を囲うように布陣した騎士のなか、最も苛烈な戦地である南端を請け負ったエリオット以外、東端、西端、北端で一名ずつが命を落とした。そこから十秒、さらに屍が増えた。だが“時間が経過するごとに、犠牲は減ってゆく”。なぜなら、ハンターたちの攻撃はあまりに苛烈であり、十秒を経るごとに子蜘蛛がどんどん数を減らしていったからだ。最初こそ“怒涛の死傷者”を出したが、時間経過に伴い戦線は安定。安定した頃には前線に同行した騎士の多くが死に絶えていたが、“敵数が減り、戦線が安定したからこそある程度の攻撃にも耐え切ることが出来た”ため、騎士のフォローが薄くなってきた状況でも持ちこたえることができた。とはいえ、当然彼女たちも無傷で済んではいない。
──犠牲になるのならば、それはきっとボクだと思っていた、なのに。
視界の端で、猛攻に晒され倒れていった騎士たちの姿──“同じ隊の騎士である仲間”の姿を思う。
「罠を踏み抜いてでも、後続の道を作ると……そう覚悟したのは“私”だ」
考える時間をかければ、子蜘蛛が湧くばかり。だから、たとえどんなに傷ついても、どれほどの犠牲を出したとしても、立ち止まることは許されない。それは“この選択をとった自分たちのやり口に反してしまう”。
アルトやジェーン、セレス、誠一、リア、紅薔薇。最前線を構築する彼女たちがその手を止めれば、あるいは“一人でも欠けたなら”、この戦線はじきに崩壊してしまう。死に行く騎士らはそれを総て分かった上で、彼女たちに“国の未来”を託したのだ。
「これは“私”の生き様と同じ。道がないのならこの腕一つ、刀一つで切り開いてみせる──」
アルトは走り続けた。傷ついても、前へと。
◇
ここまでの戦いのなかで、子蜘蛛の放つ強制にかかるものは皆無だった。これにより戦線に乱れが生じにくかったことが作戦成功への礎となったことは違いない。粘着性のある糸は厄介であったのだが、突出をさけ、でき得る限りに固まっての行動を意識していたハンターたちは支援しやすい状況であったことが幸いした。しかし、大蜘蛛に接近するまでの間に致命傷となったのは子蜘蛛が放つ毒や麻痺だった。
だが、それも鳳城 錬介(ka6053)やロニ、クローディオや黒の隊のクルセイダーがそれぞれの地点で治療にあたる環境がきちんと整えることで万難を排した。今回の戦いにおいて非常に危険性が高かったのは行動不能に陥る“麻痺毒”だった。侵されたものは「敵の群れの中、受けすら取れない状況で立ち尽くしてしまう」という背筋も凍る状況に陥る。だがクルセイダーが前線に一定間隔位置していたことで、これらの異常事態を迅速にフォローすることができたのだ。
「治療を開始します。手の空いている方は、麻痺に侵された方をこちらへ! 早く!」
錬介の声に応じ、Sergeがヴァルナを、コーネリア・ミラ・スペンサー(ka4561)がクリスティア・オルトワール(ka0131)の体を抱えて滑り込んできた。
「間に合いました、彼女も治療をお願いします」
「こっちも頼む。この子がとまると、殲滅速度が随分落ちるんでね」
「ええ、無論です。とはいえ、麻痺の治療は出来てあと二度が限界でしょうが……」
──自分以外にも治療手がいるとはいえ、長期戦にもつれるとまずい。
それを、錬介はもちろん多くのハンターが理解していた。だからこそピュリフィケーションによる治療のためマテリアルを集約させる傍らで、どうしても訊かずにいられなかった。
「戦線は、現在どういう状況ですか」
「相変わらずストライダー勢が暴れていますが、“その状況を維持するために必要な戦力”が損耗を繰り返していますね。連中、統率が取れているようで“目立った一人を集中して落としにかかってくる”。アルトさんやジェーンさんが落ちれば進軍速度にかかわる都合、身を盾にしてかばい続けるほかないですから」
Sergeの声は淡々としていた。顔はフルフェイスのヘルムに隠れて見えないのだが、その声の向こうには少なからず苦い顔が浮かんでいるのかもしれない。
「今はご覧のとおり、治療のためにヴァルナやクリスティアを一旦下げた分、騎士長サンや紅薔薇が戦力カバーに前に押し出てる状況さ。ルカや残る騎士サン連中は、そこの支援で手一杯ってとこだな」
美しい金の髪を肩から払うと、コーネリアが息をついて立ち上がる。
「じゃ、後は任せる。こんなでも“撃たないと押し返される”からな」
言うが早いか、身を翻したコーネリアはすぐさま拳銃を構え、そして容赦なく引き金をひく。その後姿の凛々しさを前にしても、錬介が思うことはひとつ。
「なるほど、これは確かに……苛烈な戦場、ですね」
苦笑を浮かべる錬介の視線の先には、もう一人のクルセイダーがいた。
「これで動けるか?」
「……問題ないわ」
どれほどカバーを厚くしても損耗していく最前線。なかでも、今ジェーンの治療を終えた黒の騎士クローディオ・シャールは並みいるクルセイダーの中でも図抜けていたといえる。なぜなら初手で周囲への治療を施したその手で、今度は周囲の子蜘蛛の掃討や牽制を目的としたセイクリッドフラッシュなどの攻撃を展開。攻撃は最大の防御とはよく言ったものだが、遠距離の敵への対抗手段として銃も携行しているのみならず、接近されても “防御性能を高く兼ね備えている”のだから隙がない。自分がどのような状況にあろうと、限られた十秒という時間の中で出来得る最高の働きを見せる──それが当人にとっては「自らが行うべき堅実」でしかないとしても、自覚のないストイックさがここまで青年という造形を磨いてきたのだろう。彼自身が優れた殲滅力を持たずとも、“軍を活かす”に際して最も美しく機能し、前線の安定に力を振るったことは間違いない。
「目標、到達まであとわずかだ。どうか……」
持ちこたえさせて見せる。思いは心のうちだけに秘め、彼は、彼らは、その先を見据えた。
◇
伸ばした指先は常より随分体温が低く、僅かに震えていることには気付かない振りをしていた。
放ったブリザードの冷気が子蜘蛛の姿とともに溶けて消えると、開けた視界には蜘蛛の大足が伸びている。
──なんて大きな蜘蛛。いいえ、これは確かに蜘蛛ではないけれど、でも……。
アイシュリングはエルフの少女だ。彼女が生まれ育ったのは、クリムゾンウェストの中でも世界の原風景を色濃く維持した美しい森の中。人間とは異なり、自然と共生してきた彼女ですら“これほどに大きな蜘蛛は見たことがなかった”。いや、目の前のそれはもう“蜘蛛”などではない。蜘蛛の形をしたより高位の──そうではない何か。ただただ歪虚と表現するには、少し“印象が違う”だけで。
「こいつの正体が気になるのは、わしだけではないか」
少女の頭上、やや上空から耳慣れない声とともに姿が落ちてくる。視線だけをすいと動かすと、近くで戦闘していた対崎 紋次郎(ka1892)がいた。ファイアスローワーの気配だろうか、少し周囲の空気が熱に揺らいだ気がして、先ほど自らの放ったブリザードの感触を紛らわせてくれるように思えた。
「……そうね」
少女に愛想はないが、率直な物言いは手付かずの山に湧き出る清涼な冷水を思わせる。
「メフィストがこの空間に出現させた個体? ──ということなのだろうが、ならば当人にまつわる何がしかであることは間違いないだろう。だが、あの背中の“抜け殻”は何だ? 明らかにメフィストの姿をしているし……ッ!?」
攻撃を仕掛ければ、相手からも仕掛けられるが摂理。飛び掛る蜘蛛の糸に腕を絡めとられた紋次郎の言葉が途切れるのだが、傍にいたセルゲン(ka6612)がネメシスでそれを一刀両断に切り伏せて笑う。
「抜け殻、な。俺も気にはなっているんだが……誰かも言っていた “傲慢”お決まりの“強制”だとか、術を使うための“機構”みたいなものか?」
そう言いながらもセルゲンは腑に落ちた顔をしてはいない。それはアイシュリングも同様だった。彼らは種として“人間”とは異なる部分がある。より自然に近い存在だからこその直感、だろうか。定かではないが、間近でそれを捉えたとき、改めて感じていたことがあったようだ。
「……“大蜘蛛はメフィスト本来の姿”、なのだろうな」
セルゲンの言葉には、確信めいた何かがあった。だが、“おかしい”。
アイシュリングは、今日この場で起きた出来事をもとにさまざまな推論を重ね続けているのだが、 “違和感”を抱えながらも“これ”と思える答えに行き着かなかった。正直なところ、完全に行き詰まった状況でいたのだが“一人では辿り着けなくとも、誰かとなら辿り着ける答えもある”。その道筋が、セルゲンの続く台詞の中にまぎれていたのだ。
「人型の抜け殻を付けたままなんざ無様だ、ネタが割れてるとは言え“らしくない”。なのに、だ。それを敢えて付けたままって事は、何かにアレが必要なのか?」
刹那、アイシュリング瞳が大きく開かれた。
──どうして、目の前の事実を素直に受け入れられなかったのかしら。
鼓動を押さえつけるように、少女は小さく息をつく。
「さっきあの港町の領主が口にしていたとおり、“人型が脱皮した皮に魔力を与えた存在”なのだとしたら……」
ヘクス・シャルシェレットは、何をもってあの“人型”が“本体”であると断定した?
会話を聞き及ぶ限り、あの発言には“物証”がなく“状況証拠”による判断に頼っていたはず。
そもそも“脱皮した人型”と“本体”との見分けはどこにあるのか?
──そう。おそらく、人類は“その見分けがついていない”んだわ。
アイシュリングは、ただただ思考する。あのへクス・シャルシェレットは策士……いや、悪し様に言えば“歪虚専門の詐欺師”といってもいいだろう。おそらくは、世界最高峰といって差し支えないほどの。だが、それは“メフィストも同様”だったはずだ。
おそらく、人類はここにいたってまだ「いくつか取りこぼした何かがあった」。その最たるは、本体と脱皮体との見分けではないか? 現に“私たちが見分けられていない”のだ。
そう考えると、この作戦への過程や合理性にも合点がいく。先の同時多発襲撃でヘクス・シャルシェレットは“自らの腹心の命を対価とせざるをえない、激しくコストの高い罠”を仕掛けるしかなかったこと。作戦の性質上、塔という場におびき寄せる必要があったことは違いないが、「本体をおびき寄せる」ということはすなわち「本体が自らここに来るように仕向ける」ことであって“見分けが付いていようといなかろうと関係がない”作戦──へクスは、本質を取りこぼした状態であっても敵を打ち破る手段を講じていたということならば、その恐ろしさはさらに度を増す。
──『キミが“蜘蛛”だとするなら“推察”は可能だ』
──『先の分身とかいうあれは“脱皮”をもとにした能力だったんだろ?』
「今、あっちで戦っている人型は、“本体を装った抜け殻”なんじゃないかしら」
唐突なアイシュリングの発言に、セルゲンがぎょっとした顔をするが、しかし。
「あ? いやいや、さっき青い領主サマが言ってたじゃねえか。あいつが“本体”だって……」
「人の姿をしたメフィスト自身は、“そうだ”と一言も言っていないわ」
瞬間、いくつかの懸念が一つの像を描いたことに気付き、紋次郎が息を呑んだ。
「……確かに、メフィストの表情から“察することができた”のは“数多く存在した人型メフィストは脱皮した抜け殻に魔力を与えたものであり、それらとは別に本体が存在している”ということと、“この塔に本体が来ている”ということだけだ。メフィストは沈黙することで“肯定”を示していたと思ったが……」
──「キミこそが、その本体だろ」
──『はッ、なぜそう思う』
へクスのこの指摘にだけ、メフィストは「笑った」のだ。
正面からなだれてくる子蜘蛛の群れをアイシュリングの手のひらから放たれる氷の嵐が巻き込み、残った子蜘蛛を紋次郎がファイアスローワーで焼き払う。それでも残った個体の手近なものをセルゲンが戦斧で叩き斬りながら……そうしてようやく、辿り着いた。
「……ってことはだ。余りにも“明白”じゃねえか?」
セルゲンが口角を上げ、アイシュリングは小さく息をつく。
「脱皮した殻が魔力を与えられメフィストになる──これが事実なら、目の前のこれは?
……答えは最初から見える場所にあったのね。今、目の前で“殻を脱ぎ、新たなメフィストを生み出そうとしている大蜘蛛こそが、メフィストという歪虚の本体”なんだわ」
正直、どちらにせよ「総てを相手取らねばならない」以上、どちらが本体であろうと倒すべき相手であることに相違はない。だが、一つ、目の前の大蜘蛛が本体であるというのなら、大きな問題が浮かび上がってしまう。
「おいおいおい……じゃあなんだ? あいつは、今、“背中の抜け殻に魔力を与えてる”ってことか? ってことは、背中の抜け殻はそのうち──」
「放っておけば、“人型のメフィストになる”でしょうね」
クリスティア・オルトワール(ka0131)の鋭い指摘こそ、この戦に仕掛けられたメフィストの最後の罠。
それは、時間経過でもう一体「人型メフィストが新生する」ことだった。
●転
走っては魔力を紡ぎ、マテリアルを編んではそれを即座に解き放つ。
ここまでに葬った歪虚の数は知れず、消え去った負の残滓に思いなどはない。
クリスティアの息は、少しずつあがり始めていた。だが、それも仕方のないことだ。きりがないとは思わないが、戦場にあふれた歪虚は多すぎた。幸い蜘蛛の腹の辺りから湧き出す敵の数よりも連合軍が討伐する数のほうが上回っている状況だ。続けていれば、いつか辿り着ける。そう信じて専心せざるを得なかった。
クリスティアは背中の“あれ“が何であるか、それについてはおぼろげながら予測をたててはいたのだが、まさか「予備の体」だと思っていたものが予備というよりもむしろ「本命の罠」なのだろうと分かった瞬間、少女の腹は決まっていた。
──もう、何度目の呪文だろう。
少しずつ空になってゆく自らのタンクの残量を思うと少しばかり怖くもある。けれどそれを考えるとこの手が緩むと分かっていた。だから、少女は前を向いた。なぜなら、そこには。
「炎よ、どうか巻き込んで──」
視線は、背の上に揺らめく“抜け殻”に。錬金杖の先端には、集約していくマテリアル。それは強烈な熱を伴い、渦を捲く炎。瞬く間に一つの球体へと収束したそれを、クリスティアは躊躇いなく放つ。大蜘蛛を巻き込んで、それを守るように布陣していた子蜘蛛を一気に焼き払う。そうしてついに──大蜘蛛までの最後の道が切り開けた。
『前方、ついに大蜘蛛を捕らえたよ! けど、少し様子が……』
セレスの声が通信機を通してこの場に共有したのは、そこにある希望の光と、残虐な異変。突如、大蜘蛛が胴部を高く“持ち上げた”のだ。
「これは“産む”のではなく、“生じさせる”ほうの“生む”のようじゃな」
紅薔薇の視界には、高く持ち上げられた腹部の底。ようやくその全貌を見たことで、子蜘蛛排出の原理を理解できた。腹部には異なる毛が混ざり合った模様のようなものが描かれていたが、どうやらそれは魔法陣のようなものであるらしい。陣を通じて子蜘蛛が大量に排出されている状況だが、しかし。
「腹部を守り始めたのか? けど、なぜ突然……」
拳銃の照準はそこらの子蜘蛛から決して離しはしないけれど、コーネリアが事態に気付いて眉を寄せる。そのそばには、クリスティアが次の呪文を“装填”し終えていて。
「……おそらくですが、“私が、背中の抜け殻を攻撃したから”かと」
確信めいた発言を耳に、紅薔薇が「ふむ」と頷いた。
「先ほどより妾の次元斬で胴部を何度か斬りつけてはいたが、それでもかような行動には出なかったからの……となれば、じゃ」
「背中の抜け殻に攻撃を通そうとすることが、腹への攻撃よりも嫌がられる、ということか。一体、どういうことか教えてくれるか?」
先ほど“ある作業”を終えたミカ・コバライネン(ka0340)もようやく最前線部隊へと合流を果たし、鋭い視線で大蜘蛛を見上げた。大蜘蛛が本体であり、その背中にある抜け殻は今まさに生まれようとしている「新たな人型メフィスト」ではないかという懸念──それがようやく前線の多くのハンターたちに共有されることになった。
「なるほど……すると、さっきから大蜘蛛がたいした攻撃行動をしてなかったのは“抜け殻に魔力を与えて育てている”からか。なら、狙うべきは明白なんだが、とはいえなぁ……」
ミカがぐしゃりと髪を掻く。分かっているが、見上げれば状況がたやすいことではないことが分かる。大蜘蛛のそばにいればいるほど、約八メートルほどもある胴部に阻まれて背中の中央に生えている抜け殻へ視線が通らない。目視しようと胴部から離れれば、射程にとらえられないものが増える。だが、そうこうしている間に「抜け殻には確実に魔力が充填されているはず」だ。状況開始からここまでに経過した時間を考えれば、もはや一刻の猶予もない。しかし、そこへ。
「……射線を通してくれれば、一つ試したいことがある。だが、今では位置が遠い」
赤褐の肌をした鬼──セルゲンが、周囲のハンターたちに“ある提案”をした。最前線でそれを聞いていたエリオットを含めた多くのものたちは“試す価値がある”と判断したのだろう。抜け殻を狙うハンターが、それに耳を貸した。
「どちらにせよ早期に抜け殻を何とかしたいなら、まず胴を引きずり落とさねばなりません」
「胴を手近に落すのなら、やはり足を攻撃するしかないでしょうね」
「もとより足を狙っているハンターも少なくないわ。落とす足を偏らせれば、バランスを崩して胴部が傾くはずよ」
「よし、話は決まったな」
そうして、セルゲンとともにクリスティア、ルカ、アイシュリング、紋次郎をはじめとし、各々が準備を開始することとなった。
◇
高らかに響く銃声。その射手であるジルボは、自らの放った弾が敵の外殻を確実にとらえたにもかかわらず、殻表面に接した瞬間弾道が急角度を描いてあらぬ方向へと飛んでいく様に眉を寄せた。
「弾かれたか。さすがに“狙われて困る部分“は殻が硬いな……」
「だが、ダメージがないわけではないだろう。続けていくぞ」
状況を目視していたコーネリアだが、彼女は動揺することもなく淡々と弾丸を再装填。魔導拳銃ベンティスカの照準を合わせると、口角を上げて引き金を引く。
「全く、奴の往生際の悪さには手術が必要だな。今日限りで引導を渡してやる!」
再び、脚部の外殻が銃弾を弾くも、確かにそこには少なからぬ傷がついているように思える。だが、足は動きが大きい部位でもあり、狙いづらいこともある。
「……凍らせたら、破壊しやすくなるかもしれないですね。試してみますか」
つぶやいてレイレリアがスタッフをかざす。深紅の杖が先端に抱く宝玉にゆらりとマテリアルの気配が宿る。ややあって急激に周囲の気温が降下したかと思うと、狙った脚部とその周囲にいた子蜘蛛をすべて、強力な冷気の嵐が巻き込んだ。
その嵐が過ぎ去るまでのほんの僅か、タイミングを見計らっていたジェーンの目に異変が映った。“蜘蛛全体が僅かに揺れた”のだ。今の動きは、明らかにおかしい──目を凝らして見えたものは、隣の足が“こちらより速く”切断された光景だった。
ハンターたちと同様、黒の隊の騎士とエリオットによるチームも「迅速に蜘蛛の体勢を崩す」という観点からハンターらと隣接する足を破壊に取り掛かっていたのだ。
どこぞのバカが“やらかした”──ジェーンは“そう確信していた”が、案の定、直後に強力な負のマテリアルが渦を捲いた。“懲罰”──その向かった先は、当然エリオットだった。
「今の一撃、命を捨てるつもりの攻撃ではない、のですよね」
「……愚問だな。治療のためにルカがそこにいるんだろう?」
どうやら、大事に至ってはいない。当然だ。アレは、“自分に仕向けるつもりで、デカイ一撃を叩き込んだ”のだ。それはつまり……ほかのハンターに「懲罰は発動させたから、十秒程度のあいだ手加減は不要だ」とでも、言いたいのだろう。事態を理解したジェーンが一際目を鋭くする。
「……」
特別なにかを言うことはなかった。言葉もなく、ただ得物を握りなおしていたのだが、少女のその様子に気付いたのだろう。隣を行く誠一がくすりと笑う。
「これで少しは無茶ができるんじゃないか。今ならほら、十色さんのマーキスソングも利いてるだろうし」
「……分かってるわ。ただ、言いたくはないけど……」
「うん?」
「あいつのああいうところ、ひどく“癪に障る”のよ」
「はは、そうだろうと思ったよ」
そこまではひどく穏やかに、まるで生徒に接しているかのような顔をしていた誠一だが、目視の対象を変えた途端にすっと表情を変えた。放たれる投射は、先のジルボやコーネリアの銃撃が着弾した地点への“マーキング”にもなる。
「ジェーン、ここを狙うんだ!」
冷気の嵐により凍てつく外殻──誠一の放つ“射光”が突き立ったそこをめがけ、ジェーンが一際体を深く落とすと、猛スピードで奔りだした。赤い頭巾の少女が駆け上るのは“氷の坂道”──それは、レイレリアのブリザードによって“凍てついた大蜘蛛の足の上“だ。滑り落ちぬよう、一歩一歩で氷を踏み砕きながら“切断するべき目標地点”、つまり足の根元をめがけて少女は走る。
「私の掛け金は、命だけじゃないわ」
──この意思、この決意、この魂の総て。
賭せるすべてをテーブル上に載せて、駆け抜けざまに聖罰剣を振りぬいた。
バキン、と一際盛大な音が響くと同時、氷ごと外殻が砕け、足の根元に大きな亀裂が走る。だが、まだだ。今走っている作戦の目的は“足を切断し、胴部を傾けさせること”。これでは、到底足りていない。
「……誓ったのよ。世界ごと切り刻むって。だから」
駆け上った勢いままに、足を止めてもなお体は等速で氷の上を滑りゆく。狙った部位を切るために、滑りながらも体の向きを反転させると、手と武器を突きながら速度を減算。勢いを殺した瞬間、再び駆け戻る少女は、もう一撃──二度目にして決定的な斬撃を叩き込んだ。ふと、手ごたえが軽くなったと気付いた時、少女の足元がぐらりと揺れる。黒の騎士隊についで、二本目の足がついに切断されたのだ。投げ出された少女が大地へ落下してゆくと同時、足は切断面から粒子と化して消え、そして“事態が急転”する。
「今だ、撃て──ッ!」
連合軍は、この“好機”を待っていた。
紋次郎の号令が響く。足を失ったことで蜘蛛が体勢を崩し、胴部が傾いて“背中の抜け殻への射線が通った”のだ。その瞬間、青年が放つファイアスローワーに加え、アイシュリング、ルカ、クリスティアがいっせいに攻撃を放つ。当然、“この一斉攻撃で人型メフィストを倒せるなどとは到底思ってはいない”が、今この瞬間放たれた抜け殻への複数攻撃は十分な“目くらまし”となった。
「いけ──ッ!!」
セルゲンの秘策として発動したのは“ファントムハンド”。魔術の腕、今、抜け殻の首をしかと捕らえた。
「このまま……引きずり落としてやるッ」
魔術の腕を自らの腕に重ね合わせるようにイメージし、力を、思いをこめて引き寄せる。
「おおおおおおッ!!!」
瞬間、ずるりと気持ちの悪い異音が周囲の者たちの耳を侵し、同時に“人の形をした新たなメフィスト”が背中の上に転がった。背中に生えていた抜け殻が背の甲殻から“引き剥がされた”のだ。まだ“完成前の状態”であったこと、それに“八つのうち二本の足を切断され、体勢を崩した直後に起こった突然の出来事”であったことから、おそらく認識が追いついていないのだろう。蜘蛛の背に放り出された新たな人型を人類が捕らえた──しかし、その瞬間、戦場に木霊す“声”が総てを妨げた。
●結
『──ふ、ククク』
人型がゆらりと蜘蛛の背で立ち上がった瞬間、それは口元をゆがめて笑うと“その場から消えうせた“。
「……!?」
目の前で起こった出来事に言及するまもなく、それはこう告げた。
『“気付きましたか”。今の流れは、確かに見事でありました』
ハンターたちのすぐそば、正確には傾き落ちた大蜘蛛の頭部から、“声”が響いてきた。
「な、人型はどこに!? つーか、喋れるのかこの蜘蛛っ!」
後方から射撃に専念していたジルボの耳にも、この“声”は届いたのだろう。だが、視界を広く保っていた彼ですら、その人型の行方を見つけることができず。ややあって黒の騎士から報告が入った。
「人型、別戦域へ転移──一人のハンターが、急襲されたようです」
「ですが人型が“完成”する前に成せたのであれば、それは上策であったはずです」
クリスティアのその発言にこめられた思いはいかほどのものであっただろう。おそらく“あれ”は、隣の戦域にいる“あの男”を殺害するためだけに飛んだのだ。だが、そちらに思いを馳せる余裕はない。というよりも、すこし──妙な事態となった。
『お前は……東方に住まうという“鬼”ですか』
「だったらなんだってんだ、てめぇ」
大蜘蛛がその多くの目で見下ろしていたのは、ある青年。自らの正体を看破していたとは到底言いがたいが、“直観力“や“嗅覚”に由来するものだろうか。抜け殻に対する機転に対し、大蜘蛛──否、メフィストは、多少の関心を寄せていたようだ。それに気付いたエリオットがすぐさまセルゲンの傍に駆け寄り、それを守るように立ちはだかると、声には少なからぬ棘が感じられるようになり。
『ふん、所詮は人に群れなす種族。──これ以上“私に触れるな”』
「あ? なんだそれ、そんなもん……ッ!?」
その強烈な魔力の波。空から注ぐ無数の闇雨にまぎれるように、セルゲンにむけて強制が放たれた。無論、それに対する策はあった。だが……
「来た、強制だ。それなら、これで……!!」
十色 エニア(ka0370)が歌唱していたアイデアルソングによって確かに強度を下げることに成功していたものの、それをかわしきることは出来なかった。だが、“その命令の内容自体は、すぐさま命にかかわるおぞましいものではない”。その事実に、少なからぬ違和感を覚えながらも、ファーストでクローディオが詠唱を開始。
「その命令、絶たせてもらう」
「……悪い、助かった。というか、助かった? のか? さっきのは……」
ピュリフィケーションによる浄化が功を奏し、大事無く正気を取り戻すセルゲン。その傍で紅薔薇が声を上げた。
「のう、メフィストよ。お主……先ほどこの鬼を相手に“手加減したじゃろう”?」
『はて、藪から棒に何を』
「無自覚か、それもまた悲しみが深い。妾はな、あれに触れられたくないのであれば“自害させてもよかった”はず、といっておるのじゃ」
鯉口をきる。響く剣戟の音はどこまでも澄んだ音色をして、蜘蛛の腹をめがけて巨大な黄薔薇を咲かせるように奔った。
『──ぐ、ッ』
「聞く限りにおいて“お主は人間という種そのものを憎んでおる”だけじゃろう。果たして世の総て、侵すに相応しいものか?」
『……人間だけを殺せばすむ、と。そういいたいのですか』
「いいや、そうではない。だがの、そろそろ仕舞いといこう。土壇場に来てなお、“他者を軽んじる”傲慢さがお主の末路と知るがよい」
その直後だった。「メフィスト──ッ!! 今まで犯してきた罪の報い今こそ受けてもらう!」
苛烈な一撃が、蜘蛛の足を穿つ。直後、蜘蛛が再び体勢を崩した。それは、紅薔薇によるものではなく、新たな戦力の到着──前線を行くハンターたちに、別地点に分かれていた炎や後方で支援に徹していた黒の騎士が合流を果たしたのだ。戦に限らないが、物事は継続時間が経つごとに弱い部分に負荷がかかりやすく、擦り切れると全体に影響が及んでしまう。それをカバーしたのが、戦場に立ち上る一つの煙だった。
「あー、間に合ったか。よかったよかった」
ミカが安堵の息を漏らす。青年の放った煙幕手榴弾はいまだ、この美しき世界の中で高く煙を巻き上げている。合流ポイントは、連合軍の戦力が手薄になっていた場所をうめ、いよいよ子蜘蛛の殲滅までのカウントダウンが始まった。
「じゃ、こっちも仕事の続きといこうか」
ミカが首を回し、再び魔導拳銃の照準を合わせた。目標は──
「これ以上、この世界を“汚さないで”くれよ……ッ!」
放たれるは機導浄化術・白虹。それが堕ちてきた蜘蛛の腹部を中心に発動すると、黒と白、二つの輝きがぶつかり合った後、瞬く間にミカの持つ専用カートリッジへとどろりと凝る闇が吸い込まれてゆく。
今、生まれ落ちようとしていた子蜘蛛の“召喚に必要な何か”であったのか、その正体は分からない。少なくとも、この十秒間に発生する予定であった子蜘蛛が“消えた”ことは確かだ。
「重ッ……なんだこの、途方もない魔力量。まぁいいや、この隙に頼むぞ……!」
「当然だッ! 俺は南護炎、歪虚を絶つ剣なり!」
この隙に、再び炎が接近。気息充溢でめぐらせた力を渾身の二連の業に託し、放つ二筋の剣閃。弾む呼吸は意識の外、青年が思うのは倒れたミリアのことだった。
「ミリアさんがするはずだった“仕事”を──戦いを、俺がッ!!」
一度目は硬い外殻に音を立てて弾かれるが、二度目でその殻に“跡”を刻むと、そこへと狙撃手たちがつづく。
「先ほどより幾分“落ちた”な。あの蜘蛛、やはり自らの魔力を消費して呼び出していたようだ」
コーネリアの指摘に首肯するジルボは口角を上げる。
「奇策の人型一体分近く? も、魔力消耗してんだろうし、このままなら……ッ!」
両者の放つハウンドバレットの軌跡は、美しくリンクしたように同一線を描き、炎のつけた傷跡をめがけて同時に着弾。その弾道を追いかけるように、ミオレスカが弓を引いていた。
「猟撃士の仕事を、させていただきます」
そして、ついに残る足にも亀裂が生じた。ミオレスカの目算では、あと一本、片側の足を落とすことが出来れば、大蜘蛛は最後。「もう胴部を浮かせることはできないはず」だ。
しかし当然、敵もなぶられるだけではない。
『すべての人間よ、死ぬがよい!!!』
完全に思考が停止しているのだろう。いまだかつてない怒りが暴走したかのような“広範囲への強制”──しかし、それに応える人間は非常に少なかった。
「歌が利いた、かな。ああ、よかった」
エニアから安堵の息がこぼれた。彼女や、セレスの歌が多くの犠牲を防いだのみならず、強制にかかったものに対しても周囲のハンターたちの誰かがそれをフォローする体制が出来ていたことが、実質的に“強制の無効化”に尽力したのだ。
『人間……人間人間人間ッ! 許してなるものか。人間は世界を侵し、破壊する唯一の“邪悪”! 世界には不要だ。摂理の破壊者よ、私は、貴様らを許さない──!』
蜘蛛の大足が前線を形成するハンターたちを薙ぎ払った。かわすもの、たたきつけられて吹き飛ぶものとそれぞれではあったが、それゆえに“射線が通った”ともいえるかもしれない。直後、冷気の嵐がメフィストの頭をめがけて放たれた。凍てつくそれを耐えしのぎ、そして蜘蛛が牙を剥き出した先には一人の少女の姿がある。
「そういうことだったの。……解りたくないけれど、解ってしまうこともあるのね」
『エルフの、女……そこヲ、退けッ! 奪われた総ての命のために、踏みにじられた総ての尊厳のために、私ガ、それヲ許しては、コノ、美しキ世界が──いつか、コワレてしまう!!』
「……ねぇ、貴方。もう命が尽きようとしてる」
射出される糸にアイシュリングが絡め取られるより早く、それをエリオットが切り落とした。アイシュリングは僅かな間、その手を止めて蜘蛛の“目”を見つめて語りかける。その表情は、先ほどより随分穏やかな色をしているように見え。
「子供を生む、ということ。それ自体、本来自然の中では命を賭ける行為だもの。あれだけの子蜘蛛を送り出したのだから、もとより貴方に戦う力はさほどなかったのではないかしら。だからこそ、最後に一つ、抜け殻に力を託そうとした」
答えは、ない。だが、代わりに上空天高くに巨大な魔法陣が出現。これは、これまで何度となく見た“闇の刃による嵐”。
「来ます、闇属性の防具がある方は構えてくださいッ!!」
直径百メートルはくだらない、周辺一体を“まっさらに帰す”ような猛攻。それもルカの声に応じ、効率よく防いだものは少なくなかったが、どうしても致命傷を負うハンターがいたことは事実。
とくにエニアは全身をすっぽり包む純白の外套が光の属性であったことも災いして一撃で致命傷を負ってしまう。だが、それでも。
「──ッ、ここに来るまで、本当に……いろいろ、失っちゃったんだ、よ」
ひざを突いて、それでもまだ真正面を見据える。
「だけど……まだ、消えてない。終わって、ない! アルテミスの、名に、賭けて……!」
どんなに体がさけようと、エニアが歌唱を止めることはない。その歌があるからこそ、歪虚たちに対し“強制”のけん制が出来ていることを先の出来事で少年は強く理解していたからだ。倒れてはならないと、その意思ごと支えるかのように、すぐ近くに控えていた錬介がエニアの肩を抱きとめる。
「よく、持ちこたえてくれました。すぐに治療を開始します」
仲間に何かがあったときのためにと、錬介はこの戦いの中で常に体をあけて待っていた。だからこそ、エニアの危地にすぐ駆けつけ、助けることが出来たのだろう。微笑む青年から感じられる暖かな光の中で、エニアの傷が徐々にその痛みを消失させてゆく。もう誰一人かけさせはしまいと、強い思いがみなの中に確固たる陣を築かせる。
新規の蜘蛛はとまっても、すでに生まれてしまった子蜘蛛はまだ周囲に存在している。それらの脅威を遠ざけるべく、Sergeはターミナー・レイを振りかぶる。
「メフィストがいる限り、王国に、人類に、光ある未来が訪れることがないならば……私たちは、どんな手段を使ってでも、それを倒し、先へと進まねばならないんだッ!」
「相手が何であれ、どんな思いであれ、“殺し、殺され”の関係になったのなら……生きるための努力を、放棄することは出来ません」
自らはただ只管にこの手を振るうだけ、とヴァルナが走りこんだ。狙撃手たちが懸命につないだ攻撃のラスト、その矢が突き立つ甲殻へと全身の力を載せて“穿つ”──
『ぐ、あ……こ、の……ッ!』
ついに、右側だけで三本目の足が切断された。もはやバランスを維持することはならず、蜘蛛の胴部は重厚な音を響かせて大地に落下。それを待ち構えていたのは、紫色の髪をした少女。
「そうまでするほどに、人間が憎いのですか」
目の前には、巨体の落下に伴い、枯れ草や土ぼこりがあがっている。誇り高き蜘蛛が、ここまでして、どうして。レイレリアはしばし、その光景を見つめていたのだが──それでも、答えはない。
「貴方の原動力が何であったのか、少しだけ理解を示すことが出来たかもしれません。ですが、いずれにせよ……結末は、一つ」
かざすスタッフの先に集約するのはまばゆい光。正のマテリアルが徐々に形作るそれは激しい稲妻となって巨体を一直線に穿ちぬいてゆく。
「……奪われた総ての命のため、踏みにじられた総ての尊厳のため、か」
胴部落下に伴う好機。そこに攻め入ろうとするハンターのなか、ジェーンと並走していた誠一は難しい表情をしていた。
「人間が、メフィスト……いや、元は大蜘蛛か。彼から奪ったものはなんだったんだろう。“俺たちは、一体何を奪って、何を踏みにじったんだ”?」
「誠一」
少しずつ頭や心を支配してゆく“メフィストの言葉”に思いを寄せる青年を、ぴしゃりと少女が叱る。
「馬鹿なこと言わないで。あれも“詐欺師の手口”だったらどうするの?」
「確かに、そうかもしれない。けど……」
一つ、状況証拠を挙げるのだとしたら。誠一の目に映る限り「人間以外の自然界の生物に対して、あれは暴威を振るっていない気がする」と。そんなことを、先のセルゲンやアイシュリングに退治したメフィストを見ていて思ったのだ。だが、それすらも“確証”ではない。
「準備はいい? いくわよ、ここで“切り伏せてみせる”──」
吐く息は短くも強く、ジェーンが一際姿勢を低くすると、大蜘蛛の体を駆け上る。それをみて誠一、そしてアルト、リアが追随する。
背中に到達したジェーンは、抜け殻が“引っこ抜かれた”形跡を見つけると一息に接近。外殻の中でそこだけ色が淡いことに気付いたのだ。
「謝らないわ。これが“傲慢”だというのなら、私は誰よりも傲慢であることを厭わない。だから……」
走り抜ける一閃、戻り際に一閃。それをまだ硬くなる前の外殻へ刻みつける。その手ごたえがあまりに柔らかかったから、だろうか。僅か、一瞬だけ少女の眉が苦しげに寄る。
当然、弱点のある背中に対する攻撃にはメフィストの抗いは強い。振り落とさんと胴部を揺らすが、それを地上からサポートするのは黒の騎士たち。殻に機械剣をつきたてながらしのいだリアが、ゆれの収まりを感じた刹那に再び立ち上がった。
「僕の力は繋がりの力。全ての願いを背負い、全ての希望を未来へ繋ぐ!」
そうして、渾身の力で生まれたての外皮へ全体重を乗せてつきたてた一撃。
『───オノ、レ──!』
メフィストからあがる叫びは全身を揺さぶるほどに激しく、ビリビリと響く感触を味わいながら、アルトがリアに続く。その足取りは素早くも着実に背中を踏み抜いて、一歩を刻むごとに少女の手のひらは力を増した。
「ボクがここに到達するまでに、たくさんの人が力をくれたし、たくさんの人が命を落とした。でも、それはすべて“一つの未来のため”につないできたバトンの結末だ」
そのとき、少し離れた場所から、紅薔薇の声がして。
「アルト殿! 妾と騎士長とで合わせ、全火力を叩き込むのじゃ! なに、どうせ懲罰はこの男が食らう。問答無用、渾身で頼むぞ!」
「──承知したッ!」
その様は、紅き花弁が舞い散るかの如く。肉体を強引に加速させたツケは後で支払うとしよう。
「おおおおおおッ! メフィスト、これで──ッ!!」
「仕舞いじゃ。蜘蛛よ、思い残さず逝くがよい」
アルト、紅薔薇、そしてエリオットの三者が同時にメフィストの胴部を貫いた。
三つの異なる方向からたたきつけられた途方もない衝撃は、世界をも揺らすかのようで。
『まだ……消える、わけには……私、は……世界、ヲ……』
──守れていない。
その思いに、共鳴した青年がいた。
倒れた騎士の治療を終えたクローディオは、今しがた起こった苛烈な総攻撃を見送り、立ち上がった。その先に在る魔は、この世界で一番初めに見たときとは比にならぬほど弱り、消えかかっている。が、同時にどこか“神々しくも見えた”。歪虚を相手にそんなことを思う日が来るとは思いもよらなかったのだが、よくよく考えればそれはいつかの日に見た“精霊”の気配とも似た気がして。
「憑き物が落ちた、か。歪虚となる以前は、おそらく精霊に近い存在だったのだろうな」
──だからこそ、残念だ。
この歪虚の手で、数え切れぬほどの命が失われた。流れた涙も、血も、心も、何一つ戻ることはない。けれど、この精霊が“歪虚”となった
「……守れていない、か。志半ばで、成すべきこともなせず逝くこと。その恐怖は……少なからず、理解できないものではない。だが、お前はもう、“傲慢でありつづけなくともいい”。本来、そんな類の“精霊”では、なかったのだろうからな」
クローディオのイェーガー・クロイツの銃口から放たれたのは、装填されていた“一発の銃弾”──ラストバレット。思いのほか高らかに、軽い音を立てたそれは一直線に蜘蛛のもとへと吸い込まれてゆく。
パキン、とまるで繊細なガラス細工が砕けるような美しい音色を伴い、銃弾が蜘蛛の額を貫いた。
それは、穢され堕ちていたけれど、本来清らかなはずの“精霊”の魂が、形を失った瞬間。
『……ッ、ああ……』
空に浮かんでいた満月はいつの間にか沈みゆき、いつしか東より太陽の頭が顔を出し始めていた。
光ある場所には、影が生じる。それが事象の、この世界の摂理。
それは強い光が産み落としてしまったメフィストという“存在”を象徴していた。
だが、光の届かぬ場所があるから陰が存在してしまうのだとしたら。
いつか世界を光で満たすことが出来たなら──。
『……夜が、あける。いつか、洞のなかに、射した……、あの、黄金の……』
それは、美しく清らかな黄金の夜明けだった。
ハンターたちが作戦前に聞かされた情報では、“この世界”は古代の高度な魔術によって召喚された「グラズヘイム王国の原風景」らしい。この国が始まった頃、つまりは今から1000年以上もの昔の光景だ。
草原を吹きぬけてゆく風は軽やかで、風に乗った草花の香りが鼻腔を優しくくすぐる。虫たちの声は心地よく響き、広がる夜空に輝く満月は白く輝きを放っている。現代で見上げる月よりもはっきりと大きく瞳に写るそれは、月明かりだけで周囲の様子がわかるほどだ。
特にリアルブルー出身のものたちにとっては、満月夜がこんなにも明るいものだと、知らなかったものも多いのではないだろうか。
本来“人間”は自然の中に生き、自然の中で先の道行を知ることができていた。なのに、いつからだろう。夜が暗いものだと思い込んでいたのは。手探りで自らの先を模索せねばならなくなったのは。
文明に汚染され始めた世界。戦争のため、国家の拡大のため、さまざまな理由で森林は伐採され、山は切り開かれ、海には他者を攻撃するための兵器が我が物顔で浮かぶようになった。
そんな世界を憂うものが居たとして。人間はそれにどう向き合うのだろうか。
広がり行く世界への破壊行動は、人間社会の発展のために必要な犠牲だと、“あなたは、奪われ行くものたちにも、そう胸を張ることができるのだろうか”。
それは──あまりに、“傲慢”なのではないだろうか。
●起
見渡す限りに広がる美しき平野におきた異変。目を眩ませるほどの稲光が去った後、気付けば、巨大な蜘蛛が姿を現していた。
「蜘蛛が、蜘蛛を生んでる? まさか無制限に出てきたりは……」
「さぁ、どうだろうな。でも、見てる限り“勢いはとまらなさそう”だぜ」
ミオレスカ(ka3496)が見渡す限りの世界が、排出される子蜘蛛の群れに侵されてゆく。瞬く間に増え続ける歪虚を前に危機感が募るも、傍ですでに弓を番えているステラ・レッドキャップ(ka5434)は冷静だった。いや、どちらかといえば嘆息に近い声色だったかもしれない。どこからどう見たって圧倒的に敵の数が多い。先ほど現れた大蜘蛛に対し、王国連合軍は二手に分かれて打って出ることになったはいいが、せいぜいこちらの戦力は約五十といったところだ。
──今この瞬間だけ見ても二百……いや、三百近くはいるんじゃないか。っつーか、そもそも今もまだ増え続けてるしな。
「勘弁願いたいもんだぜ」
そうしていよいよステラの嘆息が現実になるのと平行して、そばから清涼な少女の声が聞こえてくる。
「黒の隊含め初期位置から狙撃可能な方は複数人で同時狙撃し確実に敵を減らしましょう。残りの黒の隊の皆さんは狙撃手の護衛をお願いできますか? 不要なら前進し他の援護を……」
ルカ(ka0962)の提案はシンプルだった。だが、それを受ける黒の騎士長エリオット・ヴァレンタインはごく短い間思考し、そしてこう応えた。
「意図はわかった。だが、“不要なら”という判断は何をもって、いつ決定する?」
「それは、子蜘蛛がこちらに襲ってこなければ……」
「ここから大蜘蛛への距離もそれなりにある。いざ“前に進む”と決めたとき、それまでの十秒、二十秒の遅れが前線を窮地に追いやる危険性がある。……悪いが、今回は半数を初期位置に残すが、半数は前線組といかせてもらう」
提案に対し、黒の隊は全てを了承しなかった。その「指示」を「良策」と思わなかったし、説得される材料もなかったからだ。もとより一年半前、メフィストが王都を襲った戦いのことを、そしてその“顛末”もルカは知らない。だからこその提案かもしれない。あれと同じ轍を踏むわけにはいかないと、彼は思ったのだろう。
この後、ハンターと黒の隊による王国連合軍は直ちに作戦ならびに各個人の標的を設定。
「ここでメフィストは倒してみせます。射撃手の皆さん、準備はいいですか?」
ミオレスカに応じるのは長距離射程の得物を構え、初期位置から射撃を行う面々。ハンターからは、ステラとルカ。そして王国騎士団黒の隊からは一部がその号令に武器を構えた。彼らの狙いは明瞭。「まずは、子蜘蛛を減らす」ことだ。
「総員、撃て──ッ!!」
ステラの号令が、火蓋の幕開けだった。
一斉射撃を開始した連合軍の射手を背に、仁川 リア(ka3483)たちストライダーを先頭とした進撃組が一気に地を蹴る。
「ここで必ずメフィストを討つ。死した宿敵の願いを、背負っているんだ。だから……」
リアの脳裏には、宿敵の願いが浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。普段から追いかけているわけではなくとも、こういった折になるとそんな言葉が突いて出るのだから、思いのほか自分は“あの言葉”に縛られているのかもしれない──そんな感傷は口にせず、少年はただただ同道する仲間と速度をあわせて前へと切り込んで行く。
「彼らに続きましょう。メフィストと決着をつけるために」
この国の宿願を成す為に。そしてそれは、自らの願いにも似て──Serge・Dior(ka3569)も、ほかのハンターらとともに続々と応じてゆく。連合軍は十秒あたりの進行速度にいくらかのばらつきはあったが、現時点で支障は出ていない。常に増え続ける子蜘蛛を前に「敵の接近を手招きして待つ」余裕などないのだから、この判断が最適解だと信じて今は足を前に出すばかりだ。
「子蜘蛛、こちらに接近してくるよ。最前線との距離、残り約三十メートル!」
最前線を走るアルト・ヴァレンティーニ(ka3109)のすぐ後方に追随するセレス・フュラー(ka6276)が、無線を通して全体へと状況を知らせようとする。実際のところ、無線を持っている人間は決して多くはないのだが、黒の騎士に共有するには十分な効果を発揮した。
「両軍が直に衝突する。後方の援護、おねがいするよ!」
敵は連合軍が接近する間も当然こちらに忍び寄っている。すでに足の速いものならば、近接武器の戦士でもあと十秒で捕捉できる位置まで両軍が接近を果たしていた。いよいよ苛烈な攻撃の始まりか──と、思われたとき。異変は、起こった。
「えっ!? 西側に広がっていた子蜘蛛のうち、相当数が姿を消した! うそでしょ、どこに……」
『クローディオだ。恐らく、目算で三十近くが消えた。全員警戒を怠るな」
驚くセレスの通信を受け、黒騎士クローディオ・シャール(ka0030)が事態を補足する。青年の落ち着いた声に比して、伝えられた情報は想定外の出来事だったのは間違いないのだが。
「もしかして人型のほうか? いったい、どこへ…!?」
通信機を所持している者は決して多くなかったが、それでも黒の隊の面々にはその知らせが届いていた。冷静に周囲に目を配ると、進撃組とも初期位置組とも離れた場所、“初期位置組から離れた西方に、なぜか蜘蛛が群がっている”のだ。
「おいおい、ありゃどういうことだ?」
思わず、通信中の騎士の傍でステラが首をかしげる。
「そこに誰かいるのか!? 応答してくれ!!」
だが、包囲の中に何があるのかもわからぬほど、視線を遮る多量の蜘蛛──おそらく先のクローディオの計算とたがわず、目算で三十体ほどがそこに“殺到”している。なぜそんなことになっているのか、連合軍は“理由を知らなかった”。故に、戦場に軽度の混乱が生じかけた、そこへ──。
『驚かせたか? それなら悪ぃな。本軍とズレたうえでソウルトーチを使えば進撃組が相手にする蜘蛛共を減らせるかと思ってよ』
──実際、これだけ釣れたら上々だろ?
応えたのは、ミリア・ラスティソード(ka1287)だった。
「えっ……そっちは大丈夫なの!?」
『そうだな、ホムラもいるし、こっちは……ッ』
セレスの問いにあっさり答えかけたミリアだが、しかしその音声を最後に、通信への応答が途絶えてしまう。
ミリアの狙いは、非常にうまくいった。本軍からズレた位置でソウルトーチを使用すれば「さえぎるもののない平野」の上に広がる「無数の蜘蛛」の多くが「それに引き付けられる」ことになるだろう。
敵軍の数が非常に多い故に“ミリアへの視線がほかの固体の影で通らないものもいた”が、およそこの時点で目測した敵数三百体のうちの一割程度──約三十体がミリアの姿を捕捉できる位置におり、そして「彼女の狙い通りに引き付けられてすぐさま彼女へと殺到した」──つまり、子蜘蛛が彼女の周囲めがけていっせいに、そして一瞬で“転移”してきたのだ。
「ミリアさん、来ましたよ!」
「わかってるって……ッ!」
ミリアには、この作戦に同行する南護 炎(ka6651)が隣におり、この二名を三十体の蜘蛛が取り囲むことになったのだが、いくらミリアと炎が歴戦の戦士であったとしても、このような数差の戦いが易々といくわけもない。進軍するハンターたちに同行していたエリオットは、通信の情報からそう見越したのだろう。その判断は、早かった。
「後方支援の騎士は、救援に向かえ! 半数でいい!」
十秒遅れればミリアが、あるいは炎も共に死亡するだろう。だが二人は王国の騎士ではなく、本来ここで命を落としてよいものたちではない。死ぬとわかっていてむざむざ見過ごすなどなどできようはずもなかった。
こうして、前衛に追随せず初期位置にとどまった十二名の黒の騎士のうち、半数の六名がミリアと炎の囲まれている西方へと直ちに駆け出した。残り半数はミオレスカやステラなど初期位置にとどまる射撃手の“護衛”兼“狙撃手”を兼ねている都合、これ以上の数を動かすわけにはいかなかったのだ。
こうして、王国連合軍は「3つの部隊」に分かれることとなった。
ミリアの秘策は長射程を誇る大身槍「蜻蛉切」による180度前方への薙ぎ払いだ。彼女が持つ高火力をもってすれば「あたれば殺せる」という手応えは初撃で十分感じることが出来た。だが、同時に「あたらなければ殺せない、殺せなければ周囲にどんどん敵が溜まる」ということも、理解に至れてしまっていた。事前の子蜘蛛の様子からも相当に素早いという情報が報告されていたが、ミリアの薙ぎ払いは範囲内に捕らえた十五体のうち、七体を葬るにとどまった。「約半数にあたらない」という明白な事実。無論、こちらの命中が低いわけじゃない。薙ぎ払いは相手の回避能力を半減する力もある。“それをもってしてもこの結果である”ということはつまり。
「チッ、ずいぶん素早い連中だ……」
ミリアは口角を上げて不適に笑うが、周囲にはいまだ二十二体の蜘蛛がいる。
「ミリアさん、次は俺がッ!」
間髪いれず、残った敵めがけて炎がターミナー・レイを振りかざした。その動きは早く、剣心一如と気息充溢で高めた気迫のままに、鋭く二連之業をたたきつける。だが、その一振り目。ミリアの攻撃から逃れた敵を切り裂こうとするも素早い動きに刃が翻弄されて空を切る。続く二振り目、ようやく敵を斬りつけることに成功するがその一撃で敵を屠るに至らなかった。
炎はスキルを駆使すれば十秒当たりに最大二体を攻撃できるが、一撃で敵を殺せない以上「十秒あたりの討伐数は最大一体」だ。例えミリアの薙ぎ払いが奇跡的に全て命中したとしても、半数もの蜘蛛は殺せない。さらに、子蜘蛛の体長は一から四メートルまでさまざまであり、大きめの個体が来れば、巻き込める数は大きく減ることもある。倒せなかった分の蜘蛛は、ミリアたちを取り囲んだまま残ってしまうとなれば。結局この十秒間で倒せたのは八体。いま、残った二十二体の蜘蛛が、ミリアと炎の周りを取り囲んでいた。
「……来るぞ、構えろ」
覚悟をきめた少女の声。炎には、俺が守ります──とは、いえなかった。
まず、三体の蜘蛛が同時に別方向からミリアに向けて粘糸を射出。一つ目をかわした、二つ目をかわした、三つ目もかわした。これらを何とか潜り抜けた先……またさらに別の個体から同時に発射された糸についに彼女は巻き取られてしまう。移動を鈍らせたその隙に、別の個体がサブ移動で跳躍したかと思えばミリアの首に噛み付いた。
──毒だ。それも行動を阻害する麻痺の類の。
行動不能に陥れば「攻撃を受けることも叶わない」。これがどれほどの脅威であるかは、ここにいる精鋭には特に痛いほど伝わるだろう。射線を確保し適度に広がる蜘蛛は、次々とミリアの体を鋭い糸で撃ち抜いていく。ヘイトは全て「ミリアに集中している」以上、同じ場所にいたとしても炎を狙う個体はゼロ。同行する炎は自らの行動力を火力の増大にあてて攻撃を繰り出したため、怒涛の集中砲火を前にミリアをかばうこともできない。炎がミリアに対して抱いている尊敬の念をもってすれば、自らが彼女をかばうなどおこがましいと、そんな気持ちがあったのかもしれないが。
「ミリアさんッ──!!」
何体目かの攻撃の後、ミリアの意識が途絶え、少女がひざをついた。
「──はッ、ま、だ……」
だが、彼女は意識を失ってもなお、倒れまいと槍を地に突き立てるように持ちこたえている。そこをさらに別の子蜘蛛が貫いた。いよいよ大地に倒れ伏したミリアだが“それでも子蜘蛛の攻撃はとまらない”。
ここがスキルの恐ろしくも頼もしいところではあるのだが、多くのバフ・デバフ──ここではソウルトーチになるが、この効果は「死んでも効果が継続してしまう」ということだ。
ソウルトーチの効果は六十秒。これを任意で終了させることができない以上【例えミリアが気を失って倒れても、最悪死んだとしても否が応にも“敵の集中を買い続けることになる”】のだ。
だが、ミリアが倒れてからしばし、ようやく炎の視界が開けた。
黒の隊の騎士六名が、蜘蛛を焼き払い、道を作り、ミリアをかばうように抱きかかえる炎の姿を確認。すでにミリアの意識はなく、急ぎクルセイダーが彼女の治療に当たるも、ミリアはいまだに「蜘蛛の注目から逃れきれずにいる」ことに一人の老騎士が気がついた。
事情を察したのは、一人の老騎士だった。
「これは、我が国の未来のための戦いだ。どうか、貴方がたは生き残ってください」
老騎士が選択したのは「ソウルトーチの効果上書き」。咆哮と同時、燃え盛る激しいマテリアルの炎に蜘蛛が“再び注目を奪われた”のを、炎は目の当たりにしていた。
この瞬間、ついにミリアへの注目が解消された。しかしそれは「同じ場にいる別の人間への注目を引く」ことでしかなく、場の危険度が下がったわけではない。十秒ごとに約三十体の子蜘蛛が飛んでくる状況が「この瞬間から、さらに六十秒の間継続される」のだ。だがそれでも、「王国の礎として、騎士の犠牲のみでこの場を収めることができるのならばそれでいい」と、彼らはそう思ったのかもしれない。
最初に、ソウルトーチで注目を引いた老騎士が死んだ。だが、彼の死後もソウルトーチの効果は残る。子蜘蛛たちはこちらに転移を続け、飛んできた場所で激しいオーラを放つ相手が死体であることを確認すると結局別の相手を狙うことになり、その攻撃を別の騎士が受けてたつ。
結果として、ミリアと炎、そして騎士の八名は六十秒の間に約百八十体もの子蜘蛛を引き受けることに“成功”。本隊前進の力となることができただろう。だが、同時にこの日、この地点で四名の騎士が命を落とした。初期位置に残った射手たちも、この事態を把握し、でき得る限りの援護射撃を本隊前進のためではなくこちらの支援へと行っていたのだが、遮るもののない場所で無数の敵に対して注目を引くという行為の前には及ばなかった。失われたものの大きさを考えるに、これがよい結果であったとは言いがたい状況ではあるが、事実は一つ。大蜘蛛の包囲は、着実に薄まっていたということだ。
●承
戦場から、開始一分程度で五名──つまり戦力の一割が脱落したという訃報は、生き残った騎士によって即座に共有されることとなった。その事実を耳にしたクローディオ・シャールは、整えられた爪が皮膚を食い破るほどに強く拳を握り締める。
ここに至るまで、どれほどの犠牲があっただろう。どれほどの涙が、血が、命が流れ落ちただろう。クローディオの脳裏を過ぎるのは、これまでに守ることができなかった命の残滓。青年は過去に命を失うほどの“戦”を超えてきた経験をもつ。だからかは定かではないが、今のクローディオはまるで“何かに取り憑かれたかのように”知らずと自分を追い詰める傾向があった。クルセイダーである自分にできることは何か。務めねばならぬ役割とは何か。果たすべき命題は。都度“達すべき”と自らで遥か高い目標を課し、それすら最低ラインと言い聞かせながら茨の道を歩み続けている。
──おそらく、青年は探し続けているのだろう。
「自らが生きる意味」を。「この世に残された理由」を。あの日、あの瞬間からずっと。
「……ッ、私、は」
あっという間に生じた死傷者が彼の手の届かぬ場所での出来事であったとしても、事実が青年の心を掻き毟る。それでも、果たすべき役割を果たせなかったなどと嘆く暇はない。今、この場で勤め上げるべきことは明白で、クローディオはそれを悲しいほどに理解していた。
──同じ隊の仲間たちの死は嘆くべきことだがしかし、彼らの奮闘によって、前衛部隊の負担が軽減したという事実にはなんら誤りがない。
なればこそ思うのだ。嘆くのではなく、今はただ感謝をしようと。この鋼の腕が訴える“あるはずもない痛み”は、ただの錯覚でしかないのだと。
クローディオは生真面目に過ぎるのではない。命の駆け引きの場に立つ戦士としては、余りに無垢に過ぎただけだ。
「決してこの手を休めるものか。総ての命、必ず活かして終わらせてみせる……!」
ファーストエイドで損傷の激しいアイシュリング(ka2787)を治療した直後、立て続けに銃を構えたクローディオは、彼女を捕らえる子蜘蛛をイェーガークロイツで正確無比に穿つ。
「助かったわ」
短い礼にも、青年は首を横に振るばかり。
一つ一つは小さくとも、歩み続ければ「遥か先へと辿り着くができる」はず。
「すみません。とまっていた前線部隊の支援、すぐに再開します!」
脚部を打ち抜かれバランスを崩したそこへ、先の銃声に促されるように、ミオレスカの矢が注いだ。それだけにとどまらず、初期位置の射撃班から支援射撃が次々届けられる。
「けどまぁ、前線の連中だいぶ頑張ったみたいだな。随分数が減ってるぜ」
ステラの手元から番えた矢が放たれ、降り注ぐ雨。それを好機とばかりに、進撃組のハンターたちによる苛烈な攻撃が繰り広げられてゆく。
「後方からの支援も再開したか。これならば、少し治療の手を止めても問題はないだろう」
ロニ・カルディス(ka0551)のスタッフに集約した輝きが、刹那の間に放たれた。ライトニングボルトが一直線に奔ると、稲光の消失に招かれるようにして逃げ遅れた子蜘蛛が諸共消滅。そのそばではレイレリア・リナークシス(ka3872)が呪文の詠唱を完了していた。
「そう、ですね。少なくとも今“この場”は“先ほどと比べて安定し始めた”印象ですから」
“視界に映った少なくはない犠牲”を思うが故か、少女の表情は硬い。それでも、足を止める理由にはなりえないのだから、一意専心、ただ思いを杖にこめた。
「いずれにせよ、結末は一つだけ……決着を、つけましょう」
ブリザードの冷気が多数の子蜘蛛の外殻を凍てつかせると、氷の彫像は瞬く間に割れ砕けて消失。
「やるねぇ。ま、害虫駆除ってんならお手の物だ。“らしい”仕事で助かるよ、っと!」
笑いながら照準を合わせるは直線上の4体。ハウンドバレットが自由な軌道を描きながら胴部を次々穿ち、上がる悲鳴のような鳴き声にミカが眉をひそめる。
「やれやれ、きりがないとは思わないんだが……」
ため息まじりに吐き出す紫煙は“この世界”には少し不似合いで。だからといって、特段それにかまうこともなくミカは拳銃──のごとき機導杖「トリスメギストス」の“照準”をあわせるように腕を伸ばした。マテリアルが循環し始めると同時、青緑色の光を巡らせながら銃身が左右に開く。高い魔力をたたえる翡翠にも似た宝石。それを中心に集約される力は、まるで“魔法を放つ銃”のようでもあり、そして。
「さすがに辟易するな、これは」
哀れな歪虚を看取るための、浄化杖のようでもあった。言葉とは裏腹に、苛烈なデルタレイがジルボ(ka1732)の食い散らかした子蜘蛛を一つ一つ確実に葬ると、そばでジルボの口笛が鳴る。
「残りは私が……!」
次の瞬間、ミカが意識するより早く、手前に残った個体めがけて瞬を駆けると二メートルは超える槍をヴァルナ=エリゴス(ka2651)が振りぬいた。強力な圧を前に「切断」というよりも「吹き飛ばす」ようにして蜘蛛の五体がバラバラに飛び散ると、それはそのまま空中で黒いマテリアルの粒子と化して消失。気付くと、少女の息は僅かに弾んでいた。いや、それは彼女だけにとどまらない。ここまでに何体の歪虚を葬ってきたのだろう。確実に戦場を満たす負の濃度は減っている。それだけが唯一前に足を進めるための原動力だ。
「私は、前に進みます。どれほどの障害があろうと」
諦めないことでしか報いることができない──その言葉は、飲み込んで。
目標まであとわずか。確実に、そこまでの障害は減っている。
「懲りぬの。子蜘蛛程度で妾の道行を妨げようなど、笑止」
戦線中央、ストライダーたちの影にまぎれて小柄な少女がひとり、不適に笑んだ。瞬後、約二十メートルほど離れた地点に美しい白薔薇が出現。その花弁の描く曲線に似た奔放な斬撃が一挙五体の子蜘蛛を切り刻み、霧散させてゆく。次元斬『白薔薇』──可憐な技名に相反する苛烈な斬撃は、紅薔薇(ka4766)によるものだった。少女が「そこ」と決めさえすれば目視すら不要、敵味方問わない問答無用の死の花が戦場の至るところで咲き誇っては散る。当の少女はといえば、それに悦を感じるでもなく、ただただ“手段”として振るいながらここまで数多の戦場を駆け抜けてきたのだろう。着実に蜘蛛は数を減らし、妨げの減衰に伴って空白地帯は生まれた。
敵を倒し“空白地帯”を作る。これは力あるハンターならば誰でもなしえることだろう。だが、問題はその先だ。“作った空白は、空白のままではいない”。
「戦場に無数に敵がいる」ということは、空白地帯ができてもすぐにその空白は近くの敵がなだれてきて埋められてしまう危険性がある。それが「倒すべきボスへの直線上」であるのならばなおのこと。敵を倒して道を作っても次の敵の手番になればまず塞がれてしまうだろう。なぜなら、敵にとってその空白地帯は「守るべき重要なポイント」であるためだ。
であるならば、空白地帯を作っただけでは前に進むことができない。これをどうするのか? これは小さいながらも、多くの戦場であげられる一つの課題だった。
「うーん。子蜘蛛は、目視で残すところ百体程度か。ボクが十秒で九体くらい切り殺せれば一分かからないと思うんだけど」
唸りながらも頭のなかでは標的を数える程度に余裕があるアルト・ヴァレンティーニ(ka3109)の後方でセレスが「もう!」と声を上げる。セレスはアルトに対し出来得る限り支援の手を尽くしている状況ではあるのだが、彼女がとにかく派手に暴れるものだから心配の種は尽きることがない。
「気をつけてよ! アルトくん、さっきから狙われがちだよ。さっきも糸が絡まったばかりだし……」
「はは、そうだね。セレスくんのおかげだ。フォローありがとう」
小言のつもりでも、笑顔で礼を言われれば返す言葉すらない。
告げて、振りぬく刃には一切の容赦がなく。自身を加速させ、炎の如きオーラをまとって走り抜けるアルトは、すれ違いざまに隣接する総ての蜘蛛を切り倒さんと刃を剥き出す。無論、斬撃をかわされる個体も決して少なくなかったが、それでも平均して十秒に五、六体は切り殺せているのだから「刀一本の業」としては尋常ではない。さらに此度の戦いにおいては彼女と“双頭”となったもう一人のストライダーも、彼女と同等の殲滅力をもって刃を振り続けていたのだ。しかし──
「──……」
その少女は、アルトとは打って変わって硬い表情をしていた。
ジェーン・ノーワース(ka2004)。少女は、赤いフードの奥で何を思っていたのだろう。
無愛想、ぶっきらぼうなどという顔が彼女を一見した印象ではあるが、彼女は決して「感情の起伏が少ない」のではない。
振りぬく刃は光をまとった「聖罰刃」。聖なる罰を与える刃、とはまた“ずいぶん傲慢な剣”ではあるが、今のジェーンにとっては「そんな傲慢すら振りかざしてみせる」といえるほどに強い思いがあった。
一歩目を踏み抜く傍ら刃を振り下ろし、次の二歩目で新たに捉えた別の蜘蛛をめがけて今度は刃を振り上げる。無駄を取り除き、考え及ぶ最高の手管で一手でも多く敵を切りつけようと努めた。蜘蛛の甲殻は手ごたえからして相応に硬い。それを切り伏せ続けるには、少女の細腕では大きな負担だった。それを十秒当たりに五も六も「一刀両断」にして見せるのだからその身体への負荷はどんどん重さを増してゆく。それでも、少女はその腕を振るい続ける。そうしてジェーンは、火力でこそアルトに及ばぬものの、子蜘蛛相手には彼女以上の殲滅力をもって障害をたたき伏せることができていた。なぜならば──
「左の新手はこっちで押さえ込む。その隙に次は左周りで叩いてくれ」
「承知したわ」
「ああ、それと。前方、どうやら大きめの蜘蛛の影から小さいやつの“射線が通ってる”。気をつけてな」
──ジェーンのそばには彼女と密な連携をとっていたもう一人のストライダー、神代 誠一(ka2086)がいたのだ。彼の広角投射や飛蝗がペアを組んで動く少女の攻撃を「最大効率で叩き込む」ことに大きく寄与。敵の回避行動を妨げるようにすることでジェーンは確実に隣接する敵を切り刻んでいった。少女の様子を、そして戦場の様子を冷静に見つめる誠一の瞳には、否が応にも重なって見える光景があった。
巨大な蜘蛛の足。その背に揺らめく人の姿。それは、いつかの戦いを想起させた。
こぼれた蜘蛛の涙。あの時の“彼女”は人に悲嘆し、激憤を以って人の世を懲罰しようとしていたのだった──そんなことまでもが、よみがえってきて。
貫かれた胸の痛みが、今はもうあるはずのないそれが疼きを訴える。
「……囚われるべきではないと、わかっているんだけどな」
「誠一? 次のが来たわよ。右手側、頼めるかしら」
「ああ、ごめん。勿論だ」
ゆるく首を振り、誠一は眼鏡のブリッジを押し上げることでその心痛をやり過ごした。 王国がこの塔の最上階に作った“蜘蛛を捕らえるための檻”は綿密に過ぎて、ここまでに失われた多くの犠牲を思えば眼鏡に隠れがちな誠一の眉が、ほんの少しだけ強い角度を描いた。
──勝利を携えて帰還する。仲間と王国のためにも、必ず、だ。
敵を切り倒し、空白地帯を作りながらなお止まることなく前進する彼女たちストライダーは、自らの体でもって直接押しあがり“空白地帯を人類のものと確定させた”──これが、“作った空白は、空白のままではいない”ことに対する本作戦での答えとなった。
ストライダーという職業の現状特性を言えば、他クラスと比べて特に即効性が強く非常に器用な印象だ。スキルを使いこなす“技”さえあればあらゆる状況に万能に対処できる能力を備えることができるだろう。此度の戦いにおいてアルトやジェーンが選んだスキルセットについていえば、大ボス単体相手というよりは、こういった“群れ”相手の状況に対し、とかく強みを持った性能を発揮した。向き不向きでいえば、此度の戦場には“向いている”のだが、もしこれがたった一人による独走であったのならば、ただの危険行為になっていただろう。しかし、アルトにはセレスが、ジェーンには誠一がそれぞれに支援を行いながらも、両組によるツートップ体制で戦線を力尽くで押し上げた。さらに、そこに仁川 リア(ka3483)や紅薔薇も加わり最前線の構築に尽力したことが、作戦成功の一助となったことは間違いないといえる。
ただ、それでもだ。この成果の裏には少なからぬ犠牲の影があった。
「最初から大蜘蛛への道を切り開く」という行動は、言い換えれば「戦場全体でまだまだ数が多い歪虚の陣地を切り開いて潜り込んでいった」ということになる。これがどういうことかといえば、彼女たちが歩んだ道以外の場所、切り開いていない部分の多くには当然「無数の蜘蛛が残っている」状態が継続している。この状況下では、王国連合軍の最前線を切り開くものたちは、どうしても“まだ倒せていない多くの子蜘蛛に囲まれる”ことを避け得ない。少なくとも、今回は子蜘蛛対応に専念しているものたちもいたのだが、“減らせる範囲”を減らしたとしても“戦場全体の敵数”という意味で“序盤はかなりの苦戦を強いられた”。なぜなら、今回の戦場では敵は“転移”で自在に移動ができたのだ。彼らは「自らの懐に踏み込んできたものを逃がさず捕獲するべく包囲を形成する」ことに長けていたのだ。実際、子蜘蛛に包囲される懸念を抱いていたものは決して少なくはないはずだったのだが、“初手から道を作ることに腐心するもの”と、“子蜘蛛の一定数撃破後に仕掛けるつもりでいた者”とでおそらく“認識齟齬”のようなものが生まれてしまっていたのかもしれない。それだけが、惜しまれる事態だった。
このままでは、一年半前の“王都進行中のメフィストとの戦い”と酷似した事態──大ボスという餌におびき寄せられ道を開いて敵のテリトリーに入り込み、そしてその出口をふさがれ完全包囲が形成される──を引き起こしかねない。だが、それを“穴埋め”したのが、最前線の組に同行した半数の黒の隊の騎士たちだった。
無数に敵が犇く最前線で切り開き前進したストライダーたちが、被弾を避けえぬ状況ですべきことはいくつかあるが、最優先事項の一つは一刻も早く敵の数を減らすことだろう。そして、それには殲滅力の高いハンターを、文字通り“死んでも守る”必要がある。前線を押し上げるハンターが敵に包囲されている現状をかんがみて黒の騎士がとった行動は、明確。ハンターたち突入部隊の“最外周”──最も狙われやすく、被弾しやすい位置に立ち、ハンターたちを守る“人の壁”となることだった。
アクセルオーバー中のストライダーには「回避半減効果つきの攻撃」がききにくいのだが「圧倒的な数の敵」を前には焼け石に水になっていただろう。
包囲から十秒、最前線組を囲うように布陣した騎士のなか、最も苛烈な戦地である南端を請け負ったエリオット以外、東端、西端、北端で一名ずつが命を落とした。そこから十秒、さらに屍が増えた。だが“時間が経過するごとに、犠牲は減ってゆく”。なぜなら、ハンターたちの攻撃はあまりに苛烈であり、十秒を経るごとに子蜘蛛がどんどん数を減らしていったからだ。最初こそ“怒涛の死傷者”を出したが、時間経過に伴い戦線は安定。安定した頃には前線に同行した騎士の多くが死に絶えていたが、“敵数が減り、戦線が安定したからこそある程度の攻撃にも耐え切ることが出来た”ため、騎士のフォローが薄くなってきた状況でも持ちこたえることができた。とはいえ、当然彼女たちも無傷で済んではいない。
──犠牲になるのならば、それはきっとボクだと思っていた、なのに。
視界の端で、猛攻に晒され倒れていった騎士たちの姿──“同じ隊の騎士である仲間”の姿を思う。
「罠を踏み抜いてでも、後続の道を作ると……そう覚悟したのは“私”だ」
考える時間をかければ、子蜘蛛が湧くばかり。だから、たとえどんなに傷ついても、どれほどの犠牲を出したとしても、立ち止まることは許されない。それは“この選択をとった自分たちのやり口に反してしまう”。
アルトやジェーン、セレス、誠一、リア、紅薔薇。最前線を構築する彼女たちがその手を止めれば、あるいは“一人でも欠けたなら”、この戦線はじきに崩壊してしまう。死に行く騎士らはそれを総て分かった上で、彼女たちに“国の未来”を託したのだ。
「これは“私”の生き様と同じ。道がないのならこの腕一つ、刀一つで切り開いてみせる──」
アルトは走り続けた。傷ついても、前へと。
◇
ここまでの戦いのなかで、子蜘蛛の放つ強制にかかるものは皆無だった。これにより戦線に乱れが生じにくかったことが作戦成功への礎となったことは違いない。粘着性のある糸は厄介であったのだが、突出をさけ、でき得る限りに固まっての行動を意識していたハンターたちは支援しやすい状況であったことが幸いした。しかし、大蜘蛛に接近するまでの間に致命傷となったのは子蜘蛛が放つ毒や麻痺だった。
だが、それも鳳城 錬介(ka6053)やロニ、クローディオや黒の隊のクルセイダーがそれぞれの地点で治療にあたる環境がきちんと整えることで万難を排した。今回の戦いにおいて非常に危険性が高かったのは行動不能に陥る“麻痺毒”だった。侵されたものは「敵の群れの中、受けすら取れない状況で立ち尽くしてしまう」という背筋も凍る状況に陥る。だがクルセイダーが前線に一定間隔位置していたことで、これらの異常事態を迅速にフォローすることができたのだ。
「治療を開始します。手の空いている方は、麻痺に侵された方をこちらへ! 早く!」
錬介の声に応じ、Sergeがヴァルナを、コーネリア・ミラ・スペンサー(ka4561)がクリスティア・オルトワール(ka0131)の体を抱えて滑り込んできた。
「間に合いました、彼女も治療をお願いします」
「こっちも頼む。この子がとまると、殲滅速度が随分落ちるんでね」
「ええ、無論です。とはいえ、麻痺の治療は出来てあと二度が限界でしょうが……」
──自分以外にも治療手がいるとはいえ、長期戦にもつれるとまずい。
それを、錬介はもちろん多くのハンターが理解していた。だからこそピュリフィケーションによる治療のためマテリアルを集約させる傍らで、どうしても訊かずにいられなかった。
「戦線は、現在どういう状況ですか」
「相変わらずストライダー勢が暴れていますが、“その状況を維持するために必要な戦力”が損耗を繰り返していますね。連中、統率が取れているようで“目立った一人を集中して落としにかかってくる”。アルトさんやジェーンさんが落ちれば進軍速度にかかわる都合、身を盾にしてかばい続けるほかないですから」
Sergeの声は淡々としていた。顔はフルフェイスのヘルムに隠れて見えないのだが、その声の向こうには少なからず苦い顔が浮かんでいるのかもしれない。
「今はご覧のとおり、治療のためにヴァルナやクリスティアを一旦下げた分、騎士長サンや紅薔薇が戦力カバーに前に押し出てる状況さ。ルカや残る騎士サン連中は、そこの支援で手一杯ってとこだな」
美しい金の髪を肩から払うと、コーネリアが息をついて立ち上がる。
「じゃ、後は任せる。こんなでも“撃たないと押し返される”からな」
言うが早いか、身を翻したコーネリアはすぐさま拳銃を構え、そして容赦なく引き金をひく。その後姿の凛々しさを前にしても、錬介が思うことはひとつ。
「なるほど、これは確かに……苛烈な戦場、ですね」
苦笑を浮かべる錬介の視線の先には、もう一人のクルセイダーがいた。
「これで動けるか?」
「……問題ないわ」
どれほどカバーを厚くしても損耗していく最前線。なかでも、今ジェーンの治療を終えた黒の騎士クローディオ・シャールは並みいるクルセイダーの中でも図抜けていたといえる。なぜなら初手で周囲への治療を施したその手で、今度は周囲の子蜘蛛の掃討や牽制を目的としたセイクリッドフラッシュなどの攻撃を展開。攻撃は最大の防御とはよく言ったものだが、遠距離の敵への対抗手段として銃も携行しているのみならず、接近されても “防御性能を高く兼ね備えている”のだから隙がない。自分がどのような状況にあろうと、限られた十秒という時間の中で出来得る最高の働きを見せる──それが当人にとっては「自らが行うべき堅実」でしかないとしても、自覚のないストイックさがここまで青年という造形を磨いてきたのだろう。彼自身が優れた殲滅力を持たずとも、“軍を活かす”に際して最も美しく機能し、前線の安定に力を振るったことは間違いない。
「目標、到達まであとわずかだ。どうか……」
持ちこたえさせて見せる。思いは心のうちだけに秘め、彼は、彼らは、その先を見据えた。
◇
伸ばした指先は常より随分体温が低く、僅かに震えていることには気付かない振りをしていた。
放ったブリザードの冷気が子蜘蛛の姿とともに溶けて消えると、開けた視界には蜘蛛の大足が伸びている。
──なんて大きな蜘蛛。いいえ、これは確かに蜘蛛ではないけれど、でも……。
アイシュリングはエルフの少女だ。彼女が生まれ育ったのは、クリムゾンウェストの中でも世界の原風景を色濃く維持した美しい森の中。人間とは異なり、自然と共生してきた彼女ですら“これほどに大きな蜘蛛は見たことがなかった”。いや、目の前のそれはもう“蜘蛛”などではない。蜘蛛の形をしたより高位の──そうではない何か。ただただ歪虚と表現するには、少し“印象が違う”だけで。
「こいつの正体が気になるのは、わしだけではないか」
少女の頭上、やや上空から耳慣れない声とともに姿が落ちてくる。視線だけをすいと動かすと、近くで戦闘していた対崎 紋次郎(ka1892)がいた。ファイアスローワーの気配だろうか、少し周囲の空気が熱に揺らいだ気がして、先ほど自らの放ったブリザードの感触を紛らわせてくれるように思えた。
「……そうね」
少女に愛想はないが、率直な物言いは手付かずの山に湧き出る清涼な冷水を思わせる。
「メフィストがこの空間に出現させた個体? ──ということなのだろうが、ならば当人にまつわる何がしかであることは間違いないだろう。だが、あの背中の“抜け殻”は何だ? 明らかにメフィストの姿をしているし……ッ!?」
攻撃を仕掛ければ、相手からも仕掛けられるが摂理。飛び掛る蜘蛛の糸に腕を絡めとられた紋次郎の言葉が途切れるのだが、傍にいたセルゲン(ka6612)がネメシスでそれを一刀両断に切り伏せて笑う。
「抜け殻、な。俺も気にはなっているんだが……誰かも言っていた “傲慢”お決まりの“強制”だとか、術を使うための“機構”みたいなものか?」
そう言いながらもセルゲンは腑に落ちた顔をしてはいない。それはアイシュリングも同様だった。彼らは種として“人間”とは異なる部分がある。より自然に近い存在だからこその直感、だろうか。定かではないが、間近でそれを捉えたとき、改めて感じていたことがあったようだ。
「……“大蜘蛛はメフィスト本来の姿”、なのだろうな」
セルゲンの言葉には、確信めいた何かがあった。だが、“おかしい”。
アイシュリングは、今日この場で起きた出来事をもとにさまざまな推論を重ね続けているのだが、 “違和感”を抱えながらも“これ”と思える答えに行き着かなかった。正直なところ、完全に行き詰まった状況でいたのだが“一人では辿り着けなくとも、誰かとなら辿り着ける答えもある”。その道筋が、セルゲンの続く台詞の中にまぎれていたのだ。
「人型の抜け殻を付けたままなんざ無様だ、ネタが割れてるとは言え“らしくない”。なのに、だ。それを敢えて付けたままって事は、何かにアレが必要なのか?」
刹那、アイシュリング瞳が大きく開かれた。
──どうして、目の前の事実を素直に受け入れられなかったのかしら。
鼓動を押さえつけるように、少女は小さく息をつく。
「さっきあの港町の領主が口にしていたとおり、“人型が脱皮した皮に魔力を与えた存在”なのだとしたら……」
ヘクス・シャルシェレットは、何をもってあの“人型”が“本体”であると断定した?
会話を聞き及ぶ限り、あの発言には“物証”がなく“状況証拠”による判断に頼っていたはず。
そもそも“脱皮した人型”と“本体”との見分けはどこにあるのか?
──そう。おそらく、人類は“その見分けがついていない”んだわ。
アイシュリングは、ただただ思考する。あのへクス・シャルシェレットは策士……いや、悪し様に言えば“歪虚専門の詐欺師”といってもいいだろう。おそらくは、世界最高峰といって差し支えないほどの。だが、それは“メフィストも同様”だったはずだ。
おそらく、人類はここにいたってまだ「いくつか取りこぼした何かがあった」。その最たるは、本体と脱皮体との見分けではないか? 現に“私たちが見分けられていない”のだ。
そう考えると、この作戦への過程や合理性にも合点がいく。先の同時多発襲撃でヘクス・シャルシェレットは“自らの腹心の命を対価とせざるをえない、激しくコストの高い罠”を仕掛けるしかなかったこと。作戦の性質上、塔という場におびき寄せる必要があったことは違いないが、「本体をおびき寄せる」ということはすなわち「本体が自らここに来るように仕向ける」ことであって“見分けが付いていようといなかろうと関係がない”作戦──へクスは、本質を取りこぼした状態であっても敵を打ち破る手段を講じていたということならば、その恐ろしさはさらに度を増す。
──『キミが“蜘蛛”だとするなら“推察”は可能だ』
──『先の分身とかいうあれは“脱皮”をもとにした能力だったんだろ?』
「今、あっちで戦っている人型は、“本体を装った抜け殻”なんじゃないかしら」
唐突なアイシュリングの発言に、セルゲンがぎょっとした顔をするが、しかし。
「あ? いやいや、さっき青い領主サマが言ってたじゃねえか。あいつが“本体”だって……」
「人の姿をしたメフィスト自身は、“そうだ”と一言も言っていないわ」
瞬間、いくつかの懸念が一つの像を描いたことに気付き、紋次郎が息を呑んだ。
「……確かに、メフィストの表情から“察することができた”のは“数多く存在した人型メフィストは脱皮した抜け殻に魔力を与えたものであり、それらとは別に本体が存在している”ということと、“この塔に本体が来ている”ということだけだ。メフィストは沈黙することで“肯定”を示していたと思ったが……」
──「キミこそが、その本体だろ」
──『はッ、なぜそう思う』
へクスのこの指摘にだけ、メフィストは「笑った」のだ。
正面からなだれてくる子蜘蛛の群れをアイシュリングの手のひらから放たれる氷の嵐が巻き込み、残った子蜘蛛を紋次郎がファイアスローワーで焼き払う。それでも残った個体の手近なものをセルゲンが戦斧で叩き斬りながら……そうしてようやく、辿り着いた。
「……ってことはだ。余りにも“明白”じゃねえか?」
セルゲンが口角を上げ、アイシュリングは小さく息をつく。
「脱皮した殻が魔力を与えられメフィストになる──これが事実なら、目の前のこれは?
……答えは最初から見える場所にあったのね。今、目の前で“殻を脱ぎ、新たなメフィストを生み出そうとしている大蜘蛛こそが、メフィストという歪虚の本体”なんだわ」
正直、どちらにせよ「総てを相手取らねばならない」以上、どちらが本体であろうと倒すべき相手であることに相違はない。だが、一つ、目の前の大蜘蛛が本体であるというのなら、大きな問題が浮かび上がってしまう。
「おいおいおい……じゃあなんだ? あいつは、今、“背中の抜け殻に魔力を与えてる”ってことか? ってことは、背中の抜け殻はそのうち──」
「放っておけば、“人型のメフィストになる”でしょうね」
クリスティア・オルトワール(ka0131)の鋭い指摘こそ、この戦に仕掛けられたメフィストの最後の罠。
それは、時間経過でもう一体「人型メフィストが新生する」ことだった。
●転
走っては魔力を紡ぎ、マテリアルを編んではそれを即座に解き放つ。
ここまでに葬った歪虚の数は知れず、消え去った負の残滓に思いなどはない。
クリスティアの息は、少しずつあがり始めていた。だが、それも仕方のないことだ。きりがないとは思わないが、戦場にあふれた歪虚は多すぎた。幸い蜘蛛の腹の辺りから湧き出す敵の数よりも連合軍が討伐する数のほうが上回っている状況だ。続けていれば、いつか辿り着ける。そう信じて専心せざるを得なかった。
クリスティアは背中の“あれ“が何であるか、それについてはおぼろげながら予測をたててはいたのだが、まさか「予備の体」だと思っていたものが予備というよりもむしろ「本命の罠」なのだろうと分かった瞬間、少女の腹は決まっていた。
──もう、何度目の呪文だろう。
少しずつ空になってゆく自らのタンクの残量を思うと少しばかり怖くもある。けれどそれを考えるとこの手が緩むと分かっていた。だから、少女は前を向いた。なぜなら、そこには。
「炎よ、どうか巻き込んで──」
視線は、背の上に揺らめく“抜け殻”に。錬金杖の先端には、集約していくマテリアル。それは強烈な熱を伴い、渦を捲く炎。瞬く間に一つの球体へと収束したそれを、クリスティアは躊躇いなく放つ。大蜘蛛を巻き込んで、それを守るように布陣していた子蜘蛛を一気に焼き払う。そうしてついに──大蜘蛛までの最後の道が切り開けた。
『前方、ついに大蜘蛛を捕らえたよ! けど、少し様子が……』
セレスの声が通信機を通してこの場に共有したのは、そこにある希望の光と、残虐な異変。突如、大蜘蛛が胴部を高く“持ち上げた”のだ。
「これは“産む”のではなく、“生じさせる”ほうの“生む”のようじゃな」
紅薔薇の視界には、高く持ち上げられた腹部の底。ようやくその全貌を見たことで、子蜘蛛排出の原理を理解できた。腹部には異なる毛が混ざり合った模様のようなものが描かれていたが、どうやらそれは魔法陣のようなものであるらしい。陣を通じて子蜘蛛が大量に排出されている状況だが、しかし。
「腹部を守り始めたのか? けど、なぜ突然……」
拳銃の照準はそこらの子蜘蛛から決して離しはしないけれど、コーネリアが事態に気付いて眉を寄せる。そのそばには、クリスティアが次の呪文を“装填”し終えていて。
「……おそらくですが、“私が、背中の抜け殻を攻撃したから”かと」
確信めいた発言を耳に、紅薔薇が「ふむ」と頷いた。
「先ほどより妾の次元斬で胴部を何度か斬りつけてはいたが、それでもかような行動には出なかったからの……となれば、じゃ」
「背中の抜け殻に攻撃を通そうとすることが、腹への攻撃よりも嫌がられる、ということか。一体、どういうことか教えてくれるか?」
先ほど“ある作業”を終えたミカ・コバライネン(ka0340)もようやく最前線部隊へと合流を果たし、鋭い視線で大蜘蛛を見上げた。大蜘蛛が本体であり、その背中にある抜け殻は今まさに生まれようとしている「新たな人型メフィスト」ではないかという懸念──それがようやく前線の多くのハンターたちに共有されることになった。
「なるほど……すると、さっきから大蜘蛛がたいした攻撃行動をしてなかったのは“抜け殻に魔力を与えて育てている”からか。なら、狙うべきは明白なんだが、とはいえなぁ……」
ミカがぐしゃりと髪を掻く。分かっているが、見上げれば状況がたやすいことではないことが分かる。大蜘蛛のそばにいればいるほど、約八メートルほどもある胴部に阻まれて背中の中央に生えている抜け殻へ視線が通らない。目視しようと胴部から離れれば、射程にとらえられないものが増える。だが、そうこうしている間に「抜け殻には確実に魔力が充填されているはず」だ。状況開始からここまでに経過した時間を考えれば、もはや一刻の猶予もない。しかし、そこへ。
「……射線を通してくれれば、一つ試したいことがある。だが、今では位置が遠い」
赤褐の肌をした鬼──セルゲンが、周囲のハンターたちに“ある提案”をした。最前線でそれを聞いていたエリオットを含めた多くのものたちは“試す価値がある”と判断したのだろう。抜け殻を狙うハンターが、それに耳を貸した。
「どちらにせよ早期に抜け殻を何とかしたいなら、まず胴を引きずり落とさねばなりません」
「胴を手近に落すのなら、やはり足を攻撃するしかないでしょうね」
「もとより足を狙っているハンターも少なくないわ。落とす足を偏らせれば、バランスを崩して胴部が傾くはずよ」
「よし、話は決まったな」
そうして、セルゲンとともにクリスティア、ルカ、アイシュリング、紋次郎をはじめとし、各々が準備を開始することとなった。
◇
高らかに響く銃声。その射手であるジルボは、自らの放った弾が敵の外殻を確実にとらえたにもかかわらず、殻表面に接した瞬間弾道が急角度を描いてあらぬ方向へと飛んでいく様に眉を寄せた。
「弾かれたか。さすがに“狙われて困る部分“は殻が硬いな……」
「だが、ダメージがないわけではないだろう。続けていくぞ」
状況を目視していたコーネリアだが、彼女は動揺することもなく淡々と弾丸を再装填。魔導拳銃ベンティスカの照準を合わせると、口角を上げて引き金を引く。
「全く、奴の往生際の悪さには手術が必要だな。今日限りで引導を渡してやる!」
再び、脚部の外殻が銃弾を弾くも、確かにそこには少なからぬ傷がついているように思える。だが、足は動きが大きい部位でもあり、狙いづらいこともある。
「……凍らせたら、破壊しやすくなるかもしれないですね。試してみますか」
つぶやいてレイレリアがスタッフをかざす。深紅の杖が先端に抱く宝玉にゆらりとマテリアルの気配が宿る。ややあって急激に周囲の気温が降下したかと思うと、狙った脚部とその周囲にいた子蜘蛛をすべて、強力な冷気の嵐が巻き込んだ。
その嵐が過ぎ去るまでのほんの僅か、タイミングを見計らっていたジェーンの目に異変が映った。“蜘蛛全体が僅かに揺れた”のだ。今の動きは、明らかにおかしい──目を凝らして見えたものは、隣の足が“こちらより速く”切断された光景だった。
ハンターたちと同様、黒の隊の騎士とエリオットによるチームも「迅速に蜘蛛の体勢を崩す」という観点からハンターらと隣接する足を破壊に取り掛かっていたのだ。
どこぞのバカが“やらかした”──ジェーンは“そう確信していた”が、案の定、直後に強力な負のマテリアルが渦を捲いた。“懲罰”──その向かった先は、当然エリオットだった。
「今の一撃、命を捨てるつもりの攻撃ではない、のですよね」
「……愚問だな。治療のためにルカがそこにいるんだろう?」
どうやら、大事に至ってはいない。当然だ。アレは、“自分に仕向けるつもりで、デカイ一撃を叩き込んだ”のだ。それはつまり……ほかのハンターに「懲罰は発動させたから、十秒程度のあいだ手加減は不要だ」とでも、言いたいのだろう。事態を理解したジェーンが一際目を鋭くする。
「……」
特別なにかを言うことはなかった。言葉もなく、ただ得物を握りなおしていたのだが、少女のその様子に気付いたのだろう。隣を行く誠一がくすりと笑う。
「これで少しは無茶ができるんじゃないか。今ならほら、十色さんのマーキスソングも利いてるだろうし」
「……分かってるわ。ただ、言いたくはないけど……」
「うん?」
「あいつのああいうところ、ひどく“癪に障る”のよ」
「はは、そうだろうと思ったよ」
そこまではひどく穏やかに、まるで生徒に接しているかのような顔をしていた誠一だが、目視の対象を変えた途端にすっと表情を変えた。放たれる投射は、先のジルボやコーネリアの銃撃が着弾した地点への“マーキング”にもなる。
「ジェーン、ここを狙うんだ!」
冷気の嵐により凍てつく外殻──誠一の放つ“射光”が突き立ったそこをめがけ、ジェーンが一際体を深く落とすと、猛スピードで奔りだした。赤い頭巾の少女が駆け上るのは“氷の坂道”──それは、レイレリアのブリザードによって“凍てついた大蜘蛛の足の上“だ。滑り落ちぬよう、一歩一歩で氷を踏み砕きながら“切断するべき目標地点”、つまり足の根元をめがけて少女は走る。
「私の掛け金は、命だけじゃないわ」
──この意思、この決意、この魂の総て。
賭せるすべてをテーブル上に載せて、駆け抜けざまに聖罰剣を振りぬいた。
バキン、と一際盛大な音が響くと同時、氷ごと外殻が砕け、足の根元に大きな亀裂が走る。だが、まだだ。今走っている作戦の目的は“足を切断し、胴部を傾けさせること”。これでは、到底足りていない。
「……誓ったのよ。世界ごと切り刻むって。だから」
駆け上った勢いままに、足を止めてもなお体は等速で氷の上を滑りゆく。狙った部位を切るために、滑りながらも体の向きを反転させると、手と武器を突きながら速度を減算。勢いを殺した瞬間、再び駆け戻る少女は、もう一撃──二度目にして決定的な斬撃を叩き込んだ。ふと、手ごたえが軽くなったと気付いた時、少女の足元がぐらりと揺れる。黒の騎士隊についで、二本目の足がついに切断されたのだ。投げ出された少女が大地へ落下してゆくと同時、足は切断面から粒子と化して消え、そして“事態が急転”する。
「今だ、撃て──ッ!」
連合軍は、この“好機”を待っていた。
紋次郎の号令が響く。足を失ったことで蜘蛛が体勢を崩し、胴部が傾いて“背中の抜け殻への射線が通った”のだ。その瞬間、青年が放つファイアスローワーに加え、アイシュリング、ルカ、クリスティアがいっせいに攻撃を放つ。当然、“この一斉攻撃で人型メフィストを倒せるなどとは到底思ってはいない”が、今この瞬間放たれた抜け殻への複数攻撃は十分な“目くらまし”となった。
「いけ──ッ!!」
セルゲンの秘策として発動したのは“ファントムハンド”。魔術の腕、今、抜け殻の首をしかと捕らえた。
「このまま……引きずり落としてやるッ」
魔術の腕を自らの腕に重ね合わせるようにイメージし、力を、思いをこめて引き寄せる。
「おおおおおおッ!!!」
瞬間、ずるりと気持ちの悪い異音が周囲の者たちの耳を侵し、同時に“人の形をした新たなメフィスト”が背中の上に転がった。背中に生えていた抜け殻が背の甲殻から“引き剥がされた”のだ。まだ“完成前の状態”であったこと、それに“八つのうち二本の足を切断され、体勢を崩した直後に起こった突然の出来事”であったことから、おそらく認識が追いついていないのだろう。蜘蛛の背に放り出された新たな人型を人類が捕らえた──しかし、その瞬間、戦場に木霊す“声”が総てを妨げた。
●結
『──ふ、ククク』
人型がゆらりと蜘蛛の背で立ち上がった瞬間、それは口元をゆがめて笑うと“その場から消えうせた“。
「……!?」
目の前で起こった出来事に言及するまもなく、それはこう告げた。
『“気付きましたか”。今の流れは、確かに見事でありました』
ハンターたちのすぐそば、正確には傾き落ちた大蜘蛛の頭部から、“声”が響いてきた。
「な、人型はどこに!? つーか、喋れるのかこの蜘蛛っ!」
後方から射撃に専念していたジルボの耳にも、この“声”は届いたのだろう。だが、視界を広く保っていた彼ですら、その人型の行方を見つけることができず。ややあって黒の騎士から報告が入った。
「人型、別戦域へ転移──一人のハンターが、急襲されたようです」
「ですが人型が“完成”する前に成せたのであれば、それは上策であったはずです」
クリスティアのその発言にこめられた思いはいかほどのものであっただろう。おそらく“あれ”は、隣の戦域にいる“あの男”を殺害するためだけに飛んだのだ。だが、そちらに思いを馳せる余裕はない。というよりも、すこし──妙な事態となった。
『お前は……東方に住まうという“鬼”ですか』
「だったらなんだってんだ、てめぇ」
大蜘蛛がその多くの目で見下ろしていたのは、ある青年。自らの正体を看破していたとは到底言いがたいが、“直観力“や“嗅覚”に由来するものだろうか。抜け殻に対する機転に対し、大蜘蛛──否、メフィストは、多少の関心を寄せていたようだ。それに気付いたエリオットがすぐさまセルゲンの傍に駆け寄り、それを守るように立ちはだかると、声には少なからぬ棘が感じられるようになり。
『ふん、所詮は人に群れなす種族。──これ以上“私に触れるな”』
「あ? なんだそれ、そんなもん……ッ!?」
その強烈な魔力の波。空から注ぐ無数の闇雨にまぎれるように、セルゲンにむけて強制が放たれた。無論、それに対する策はあった。だが……
「来た、強制だ。それなら、これで……!!」
十色 エニア(ka0370)が歌唱していたアイデアルソングによって確かに強度を下げることに成功していたものの、それをかわしきることは出来なかった。だが、“その命令の内容自体は、すぐさま命にかかわるおぞましいものではない”。その事実に、少なからぬ違和感を覚えながらも、ファーストでクローディオが詠唱を開始。
「その命令、絶たせてもらう」
「……悪い、助かった。というか、助かった? のか? さっきのは……」
ピュリフィケーションによる浄化が功を奏し、大事無く正気を取り戻すセルゲン。その傍で紅薔薇が声を上げた。
「のう、メフィストよ。お主……先ほどこの鬼を相手に“手加減したじゃろう”?」
『はて、藪から棒に何を』
「無自覚か、それもまた悲しみが深い。妾はな、あれに触れられたくないのであれば“自害させてもよかった”はず、といっておるのじゃ」
鯉口をきる。響く剣戟の音はどこまでも澄んだ音色をして、蜘蛛の腹をめがけて巨大な黄薔薇を咲かせるように奔った。
『──ぐ、ッ』
「聞く限りにおいて“お主は人間という種そのものを憎んでおる”だけじゃろう。果たして世の総て、侵すに相応しいものか?」
『……人間だけを殺せばすむ、と。そういいたいのですか』
「いいや、そうではない。だがの、そろそろ仕舞いといこう。土壇場に来てなお、“他者を軽んじる”傲慢さがお主の末路と知るがよい」
その直後だった。「メフィスト──ッ!! 今まで犯してきた罪の報い今こそ受けてもらう!」
苛烈な一撃が、蜘蛛の足を穿つ。直後、蜘蛛が再び体勢を崩した。それは、紅薔薇によるものではなく、新たな戦力の到着──前線を行くハンターたちに、別地点に分かれていた炎や後方で支援に徹していた黒の騎士が合流を果たしたのだ。戦に限らないが、物事は継続時間が経つごとに弱い部分に負荷がかかりやすく、擦り切れると全体に影響が及んでしまう。それをカバーしたのが、戦場に立ち上る一つの煙だった。
「あー、間に合ったか。よかったよかった」
ミカが安堵の息を漏らす。青年の放った煙幕手榴弾はいまだ、この美しき世界の中で高く煙を巻き上げている。合流ポイントは、連合軍の戦力が手薄になっていた場所をうめ、いよいよ子蜘蛛の殲滅までのカウントダウンが始まった。
「じゃ、こっちも仕事の続きといこうか」
ミカが首を回し、再び魔導拳銃の照準を合わせた。目標は──
「これ以上、この世界を“汚さないで”くれよ……ッ!」
放たれるは機導浄化術・白虹。それが堕ちてきた蜘蛛の腹部を中心に発動すると、黒と白、二つの輝きがぶつかり合った後、瞬く間にミカの持つ専用カートリッジへとどろりと凝る闇が吸い込まれてゆく。
今、生まれ落ちようとしていた子蜘蛛の“召喚に必要な何か”であったのか、その正体は分からない。少なくとも、この十秒間に発生する予定であった子蜘蛛が“消えた”ことは確かだ。
「重ッ……なんだこの、途方もない魔力量。まぁいいや、この隙に頼むぞ……!」
「当然だッ! 俺は南護炎、歪虚を絶つ剣なり!」
この隙に、再び炎が接近。気息充溢でめぐらせた力を渾身の二連の業に託し、放つ二筋の剣閃。弾む呼吸は意識の外、青年が思うのは倒れたミリアのことだった。
「ミリアさんがするはずだった“仕事”を──戦いを、俺がッ!!」
一度目は硬い外殻に音を立てて弾かれるが、二度目でその殻に“跡”を刻むと、そこへと狙撃手たちがつづく。
「先ほどより幾分“落ちた”な。あの蜘蛛、やはり自らの魔力を消費して呼び出していたようだ」
コーネリアの指摘に首肯するジルボは口角を上げる。
「奇策の人型一体分近く? も、魔力消耗してんだろうし、このままなら……ッ!」
両者の放つハウンドバレットの軌跡は、美しくリンクしたように同一線を描き、炎のつけた傷跡をめがけて同時に着弾。その弾道を追いかけるように、ミオレスカが弓を引いていた。
「猟撃士の仕事を、させていただきます」
そして、ついに残る足にも亀裂が生じた。ミオレスカの目算では、あと一本、片側の足を落とすことが出来れば、大蜘蛛は最後。「もう胴部を浮かせることはできないはず」だ。
しかし当然、敵もなぶられるだけではない。
『すべての人間よ、死ぬがよい!!!』
完全に思考が停止しているのだろう。いまだかつてない怒りが暴走したかのような“広範囲への強制”──しかし、それに応える人間は非常に少なかった。
「歌が利いた、かな。ああ、よかった」
エニアから安堵の息がこぼれた。彼女や、セレスの歌が多くの犠牲を防いだのみならず、強制にかかったものに対しても周囲のハンターたちの誰かがそれをフォローする体制が出来ていたことが、実質的に“強制の無効化”に尽力したのだ。
『人間……人間人間人間ッ! 許してなるものか。人間は世界を侵し、破壊する唯一の“邪悪”! 世界には不要だ。摂理の破壊者よ、私は、貴様らを許さない──!』
蜘蛛の大足が前線を形成するハンターたちを薙ぎ払った。かわすもの、たたきつけられて吹き飛ぶものとそれぞれではあったが、それゆえに“射線が通った”ともいえるかもしれない。直後、冷気の嵐がメフィストの頭をめがけて放たれた。凍てつくそれを耐えしのぎ、そして蜘蛛が牙を剥き出した先には一人の少女の姿がある。
「そういうことだったの。……解りたくないけれど、解ってしまうこともあるのね」
『エルフの、女……そこヲ、退けッ! 奪われた総ての命のために、踏みにじられた総ての尊厳のために、私ガ、それヲ許しては、コノ、美しキ世界が──いつか、コワレてしまう!!』
「……ねぇ、貴方。もう命が尽きようとしてる」
射出される糸にアイシュリングが絡め取られるより早く、それをエリオットが切り落とした。アイシュリングは僅かな間、その手を止めて蜘蛛の“目”を見つめて語りかける。その表情は、先ほどより随分穏やかな色をしているように見え。
「子供を生む、ということ。それ自体、本来自然の中では命を賭ける行為だもの。あれだけの子蜘蛛を送り出したのだから、もとより貴方に戦う力はさほどなかったのではないかしら。だからこそ、最後に一つ、抜け殻に力を託そうとした」
答えは、ない。だが、代わりに上空天高くに巨大な魔法陣が出現。これは、これまで何度となく見た“闇の刃による嵐”。
「来ます、闇属性の防具がある方は構えてくださいッ!!」
直径百メートルはくだらない、周辺一体を“まっさらに帰す”ような猛攻。それもルカの声に応じ、効率よく防いだものは少なくなかったが、どうしても致命傷を負うハンターがいたことは事実。
とくにエニアは全身をすっぽり包む純白の外套が光の属性であったことも災いして一撃で致命傷を負ってしまう。だが、それでも。
「──ッ、ここに来るまで、本当に……いろいろ、失っちゃったんだ、よ」
ひざを突いて、それでもまだ真正面を見据える。
「だけど……まだ、消えてない。終わって、ない! アルテミスの、名に、賭けて……!」
どんなに体がさけようと、エニアが歌唱を止めることはない。その歌があるからこそ、歪虚たちに対し“強制”のけん制が出来ていることを先の出来事で少年は強く理解していたからだ。倒れてはならないと、その意思ごと支えるかのように、すぐ近くに控えていた錬介がエニアの肩を抱きとめる。
「よく、持ちこたえてくれました。すぐに治療を開始します」
仲間に何かがあったときのためにと、錬介はこの戦いの中で常に体をあけて待っていた。だからこそ、エニアの危地にすぐ駆けつけ、助けることが出来たのだろう。微笑む青年から感じられる暖かな光の中で、エニアの傷が徐々にその痛みを消失させてゆく。もう誰一人かけさせはしまいと、強い思いがみなの中に確固たる陣を築かせる。
新規の蜘蛛はとまっても、すでに生まれてしまった子蜘蛛はまだ周囲に存在している。それらの脅威を遠ざけるべく、Sergeはターミナー・レイを振りかぶる。
「メフィストがいる限り、王国に、人類に、光ある未来が訪れることがないならば……私たちは、どんな手段を使ってでも、それを倒し、先へと進まねばならないんだッ!」
「相手が何であれ、どんな思いであれ、“殺し、殺され”の関係になったのなら……生きるための努力を、放棄することは出来ません」
自らはただ只管にこの手を振るうだけ、とヴァルナが走りこんだ。狙撃手たちが懸命につないだ攻撃のラスト、その矢が突き立つ甲殻へと全身の力を載せて“穿つ”──
『ぐ、あ……こ、の……ッ!』
ついに、右側だけで三本目の足が切断された。もはやバランスを維持することはならず、蜘蛛の胴部は重厚な音を響かせて大地に落下。それを待ち構えていたのは、紫色の髪をした少女。
「そうまでするほどに、人間が憎いのですか」
目の前には、巨体の落下に伴い、枯れ草や土ぼこりがあがっている。誇り高き蜘蛛が、ここまでして、どうして。レイレリアはしばし、その光景を見つめていたのだが──それでも、答えはない。
「貴方の原動力が何であったのか、少しだけ理解を示すことが出来たかもしれません。ですが、いずれにせよ……結末は、一つ」
かざすスタッフの先に集約するのはまばゆい光。正のマテリアルが徐々に形作るそれは激しい稲妻となって巨体を一直線に穿ちぬいてゆく。
「……奪われた総ての命のため、踏みにじられた総ての尊厳のため、か」
胴部落下に伴う好機。そこに攻め入ろうとするハンターのなか、ジェーンと並走していた誠一は難しい表情をしていた。
「人間が、メフィスト……いや、元は大蜘蛛か。彼から奪ったものはなんだったんだろう。“俺たちは、一体何を奪って、何を踏みにじったんだ”?」
「誠一」
少しずつ頭や心を支配してゆく“メフィストの言葉”に思いを寄せる青年を、ぴしゃりと少女が叱る。
「馬鹿なこと言わないで。あれも“詐欺師の手口”だったらどうするの?」
「確かに、そうかもしれない。けど……」
一つ、状況証拠を挙げるのだとしたら。誠一の目に映る限り「人間以外の自然界の生物に対して、あれは暴威を振るっていない気がする」と。そんなことを、先のセルゲンやアイシュリングに退治したメフィストを見ていて思ったのだ。だが、それすらも“確証”ではない。
「準備はいい? いくわよ、ここで“切り伏せてみせる”──」
吐く息は短くも強く、ジェーンが一際姿勢を低くすると、大蜘蛛の体を駆け上る。それをみて誠一、そしてアルト、リアが追随する。
背中に到達したジェーンは、抜け殻が“引っこ抜かれた”形跡を見つけると一息に接近。外殻の中でそこだけ色が淡いことに気付いたのだ。
「謝らないわ。これが“傲慢”だというのなら、私は誰よりも傲慢であることを厭わない。だから……」
走り抜ける一閃、戻り際に一閃。それをまだ硬くなる前の外殻へ刻みつける。その手ごたえがあまりに柔らかかったから、だろうか。僅か、一瞬だけ少女の眉が苦しげに寄る。
当然、弱点のある背中に対する攻撃にはメフィストの抗いは強い。振り落とさんと胴部を揺らすが、それを地上からサポートするのは黒の騎士たち。殻に機械剣をつきたてながらしのいだリアが、ゆれの収まりを感じた刹那に再び立ち上がった。
「僕の力は繋がりの力。全ての願いを背負い、全ての希望を未来へ繋ぐ!」
そうして、渾身の力で生まれたての外皮へ全体重を乗せてつきたてた一撃。
『───オノ、レ──!』
メフィストからあがる叫びは全身を揺さぶるほどに激しく、ビリビリと響く感触を味わいながら、アルトがリアに続く。その足取りは素早くも着実に背中を踏み抜いて、一歩を刻むごとに少女の手のひらは力を増した。
「ボクがここに到達するまでに、たくさんの人が力をくれたし、たくさんの人が命を落とした。でも、それはすべて“一つの未来のため”につないできたバトンの結末だ」
そのとき、少し離れた場所から、紅薔薇の声がして。
「アルト殿! 妾と騎士長とで合わせ、全火力を叩き込むのじゃ! なに、どうせ懲罰はこの男が食らう。問答無用、渾身で頼むぞ!」
「──承知したッ!」
その様は、紅き花弁が舞い散るかの如く。肉体を強引に加速させたツケは後で支払うとしよう。
「おおおおおおッ! メフィスト、これで──ッ!!」
「仕舞いじゃ。蜘蛛よ、思い残さず逝くがよい」
アルト、紅薔薇、そしてエリオットの三者が同時にメフィストの胴部を貫いた。
三つの異なる方向からたたきつけられた途方もない衝撃は、世界をも揺らすかのようで。
『まだ……消える、わけには……私、は……世界、ヲ……』
──守れていない。
その思いに、共鳴した青年がいた。
倒れた騎士の治療を終えたクローディオは、今しがた起こった苛烈な総攻撃を見送り、立ち上がった。その先に在る魔は、この世界で一番初めに見たときとは比にならぬほど弱り、消えかかっている。が、同時にどこか“神々しくも見えた”。歪虚を相手にそんなことを思う日が来るとは思いもよらなかったのだが、よくよく考えればそれはいつかの日に見た“精霊”の気配とも似た気がして。
「憑き物が落ちた、か。歪虚となる以前は、おそらく精霊に近い存在だったのだろうな」
──だからこそ、残念だ。
この歪虚の手で、数え切れぬほどの命が失われた。流れた涙も、血も、心も、何一つ戻ることはない。けれど、この精霊が“歪虚”となった
「……守れていない、か。志半ばで、成すべきこともなせず逝くこと。その恐怖は……少なからず、理解できないものではない。だが、お前はもう、“傲慢でありつづけなくともいい”。本来、そんな類の“精霊”では、なかったのだろうからな」
クローディオのイェーガー・クロイツの銃口から放たれたのは、装填されていた“一発の銃弾”──ラストバレット。思いのほか高らかに、軽い音を立てたそれは一直線に蜘蛛のもとへと吸い込まれてゆく。
パキン、とまるで繊細なガラス細工が砕けるような美しい音色を伴い、銃弾が蜘蛛の額を貫いた。
それは、穢され堕ちていたけれど、本来清らかなはずの“精霊”の魂が、形を失った瞬間。
『……ッ、ああ……』
空に浮かんでいた満月はいつの間にか沈みゆき、いつしか東より太陽の頭が顔を出し始めていた。
光ある場所には、影が生じる。それが事象の、この世界の摂理。
それは強い光が産み落としてしまったメフィストという“存在”を象徴していた。
だが、光の届かぬ場所があるから陰が存在してしまうのだとしたら。
いつか世界を光で満たすことが出来たなら──。
『……夜が、あける。いつか、洞のなかに、射した……、あの、黄金の……』
それは、美しく清らかな黄金の夜明けだった。
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藤山なないろ | 15人 |
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