ゲスト
(ka0000)
器ちゃん、迷子になる!
マスター:神宮寺飛鳥
- シナリオ形態
- ショート
- 難易度
- やや易しい
- オプション
-
- 参加費
- 1,000
- 参加制限
- -
- 参加人数
- 4~6人
- サポート
- 0~0人
- マテリアルリンク
- ○
- 報酬
- 少なめ
- 相談期間
- 5日
- 締切
- 2015/04/30 22:00
- 完成日
- 2015/05/03 04:33
みんなの思い出
思い出設定されたOMC商品がありません。
オープニング
「ごらん。ここがどんな国にも支配されない町、ピースホライズンだよ」
青年の言葉に少女は顔を上げた。大きな橋の向こう、崖の上に築かれた都市が見えた。
ピースホライズンは帝国領と王国領を隔てる絶壁を結ぶ重要な交易拠点だ。
町は完全な中立であり、帝国軍は勿論、王国騎士団も手出しは出来ない場所。揉め事ご法度の聖域である。
「ピースホライズン」
「そう。ピースホライズン。ここはね、エルフも人間も関係なく受け入れてくれる。極小数とは言え、エルフハイムでさえも商取引を行っている場所だ」
すっと視線を上げた少女の横、青年は穏やかに笑みを浮かべる。
「さて、僕が同行するのはここまでだ。さ、これを」
青年が手渡したのは布袋にギッシリ詰まった金貨であった。勿論、人間の世界で流通する物だ。
「お金があればとりあえずは困らないからね。迎えが来るまで好きに過ごすといい」
「迎え」
「そう、約束だよ。いつかまた、必ず迎えに来るから。それまでいい子で待っててね」
頷く少女。青年は手を振りながら歩き出すと、ここまで二人を馬に跨った。
器が生活する神霊樹を囲う泉。傾いた本棚が誰にも読めない古の言葉を貯蔵するその畔でハジャは包帯を解いていた。
「やれやれ……一芝居打つにも手間かけるねぇ、俺は」
ジエルデが巻いてくれた包帯は過剰で、ミイラ男のような様だった。
笑えてくるのは彼女が自分のような者にも懇切丁寧に手当をしてくれた事実か。
或いは、この状況の為に剣妃との戦闘であえて負傷した自分自身のストイックさにだろうか。
「悪いなジエルデ。俺には……いや。俺達にはどうしても、成し遂げなきゃならない夢がある」
彼が守るべき器はそこにはいない。男は小さく息をつき、眉を潜める。
「……ったく。あ~っさりハメられやがって」
恐らく、いや、きっと。彼女はまだ諦めてはいないのだ。
人を信じる事を。誰かを救う事を。だからその優しさを少しつついてやれば素直に踊り出す。
器という制度に翻弄され、家族の罪に翻弄され、多くの思惑の中で翻弄され続ける人生……。
他人を傷つけたくない。だからその痛みも罰も全て自分で抱えようとする。
血の繋がらない姉妹は、しかし同じ生き方を選んだ。光の当たらない場所で自分の信念を貫く事。それはきっと容易くはない。
沢山の犠牲と沢山の嘘と沢山の血と涙の上に、奇跡的なバランスの今がある。
舌打ちし、女がいつも腰掛けていた古い木椅子を蹴り飛ばす。
それが何を意味しているのか、ハジャにはまだ理解出来なかった。
少女にとってピースホライズンは未知の世界であった。
夥しい量の人間が行き来する町はまっすぐ歩くことすらままならない。ただ翻弄され、流されるように進む。
少し感覚を研ぎ澄ませば人の声が頭の中で反響する。それは常に静寂に身を置いてきた彼女にとって苦痛以外の何物でもない。
疑問を持つ事はなかった。痛いのも苦しいのも慣れている。
自分が何故ここに連れだされたのかなんて事はどうでもいい。ただ命令だから従うだけ。
大人の言う事を聞いていればとりあえず食事が出来る。暖かく眠ることが出来る。生存を許される。
生まれてから十年と少しの人生は、ただ呼吸をする為にあったじゃないか。
ふと、視界の端の露天を捕らえた。新鮮な果物が並べられた店の前に立ち、物珍しげに視線を巡らせる。
「いらっしゃい! お嬢ちゃん、おつかいかい?」
「おつかい?」
「何か買いに来たんだろう?」
首を撚るその顔は全くの無表情で、威勢のいい親父も流石に苦笑する。
「一人かい? 親御さんは? 迷子ってわけじゃないんだろ?」
また首を撚る。その視線の先には赤いリンゴが山積みになっていた。
「リンゴ買いに来たのかい?」
「リンゴ? これはリンゴではない。リンゴは黄色くて、うさぎさんの形をしている」
きょとんとする店主。少女は目を細め、“飼い主”を思い出す。
ジエルデはいつも既に切り分けてあるリンゴを少女に差し出してくる。勿論食ったことはあるぜ。切れてる奴をな。
そこで目を見開き、答えを得た。
ジエルデはあの時「はーい、器ちゃん、かわいいうさぎさんにしてきましたよ~」と猫なで声を上げていた。
してきた、という事は、元々は恐らくうさぎさんではなかったということ。即ち。
「原型」
「は?」
徐ろにリンゴを鷲掴みにすると、少女はそのままリンゴに齧りついた。
それから無表情に咀嚼し、僅かに眉を潜めると、思い切り地べたに吐き出し。
「不味い」
と言った。
勿論、語弊がある。エルフハイム産の最高級品種とその辺のリンゴを比較する方がおかしいのだ。
「ちょちょちょ、お嬢ちゃんそりゃないんじゃない!? ていうかお代!」
「お代」
立ち去ろうとして振り返る。お代。お代とはなんだ。聞いたことがないぜそんなもの。
そこで目を見開き、答えを得る。
左手に掴んだやっけに重いこの袋、もしかしてこれではないのか。不必要な装備を携行させられた事は一度もない。
即ちこの戦場に置いてこれは必要な道具なのだ。少女はそのまま振り上げた布袋をドカッと荷台に叩きつけた。
納得したように頷き立ち去る少女だが、袋開けた親父は驚愕し後を追う。
「ちょちょちょちょちょ、こんなに貰えないって! お嬢ちゃん!? お嬢ちゃーーーーんっ!?」
背後から肩を掴まれた瞬間、親父の意識は途切れた。後ろに向かって盛大に吹っ飛んだが、傷は無論、命に別状もない。
光を帯びた瞳を伏せ、少女はお釣りを受け取る。
「過剰」
把握したと言わんばかりに頷き歩き出す。後ろでは急にずっこけて気絶している親父に人だかりができていた。
青年の言葉に少女は顔を上げた。大きな橋の向こう、崖の上に築かれた都市が見えた。
ピースホライズンは帝国領と王国領を隔てる絶壁を結ぶ重要な交易拠点だ。
町は完全な中立であり、帝国軍は勿論、王国騎士団も手出しは出来ない場所。揉め事ご法度の聖域である。
「ピースホライズン」
「そう。ピースホライズン。ここはね、エルフも人間も関係なく受け入れてくれる。極小数とは言え、エルフハイムでさえも商取引を行っている場所だ」
すっと視線を上げた少女の横、青年は穏やかに笑みを浮かべる。
「さて、僕が同行するのはここまでだ。さ、これを」
青年が手渡したのは布袋にギッシリ詰まった金貨であった。勿論、人間の世界で流通する物だ。
「お金があればとりあえずは困らないからね。迎えが来るまで好きに過ごすといい」
「迎え」
「そう、約束だよ。いつかまた、必ず迎えに来るから。それまでいい子で待っててね」
頷く少女。青年は手を振りながら歩き出すと、ここまで二人を馬に跨った。
器が生活する神霊樹を囲う泉。傾いた本棚が誰にも読めない古の言葉を貯蔵するその畔でハジャは包帯を解いていた。
「やれやれ……一芝居打つにも手間かけるねぇ、俺は」
ジエルデが巻いてくれた包帯は過剰で、ミイラ男のような様だった。
笑えてくるのは彼女が自分のような者にも懇切丁寧に手当をしてくれた事実か。
或いは、この状況の為に剣妃との戦闘であえて負傷した自分自身のストイックさにだろうか。
「悪いなジエルデ。俺には……いや。俺達にはどうしても、成し遂げなきゃならない夢がある」
彼が守るべき器はそこにはいない。男は小さく息をつき、眉を潜める。
「……ったく。あ~っさりハメられやがって」
恐らく、いや、きっと。彼女はまだ諦めてはいないのだ。
人を信じる事を。誰かを救う事を。だからその優しさを少しつついてやれば素直に踊り出す。
器という制度に翻弄され、家族の罪に翻弄され、多くの思惑の中で翻弄され続ける人生……。
他人を傷つけたくない。だからその痛みも罰も全て自分で抱えようとする。
血の繋がらない姉妹は、しかし同じ生き方を選んだ。光の当たらない場所で自分の信念を貫く事。それはきっと容易くはない。
沢山の犠牲と沢山の嘘と沢山の血と涙の上に、奇跡的なバランスの今がある。
舌打ちし、女がいつも腰掛けていた古い木椅子を蹴り飛ばす。
それが何を意味しているのか、ハジャにはまだ理解出来なかった。
少女にとってピースホライズンは未知の世界であった。
夥しい量の人間が行き来する町はまっすぐ歩くことすらままならない。ただ翻弄され、流されるように進む。
少し感覚を研ぎ澄ませば人の声が頭の中で反響する。それは常に静寂に身を置いてきた彼女にとって苦痛以外の何物でもない。
疑問を持つ事はなかった。痛いのも苦しいのも慣れている。
自分が何故ここに連れだされたのかなんて事はどうでもいい。ただ命令だから従うだけ。
大人の言う事を聞いていればとりあえず食事が出来る。暖かく眠ることが出来る。生存を許される。
生まれてから十年と少しの人生は、ただ呼吸をする為にあったじゃないか。
ふと、視界の端の露天を捕らえた。新鮮な果物が並べられた店の前に立ち、物珍しげに視線を巡らせる。
「いらっしゃい! お嬢ちゃん、おつかいかい?」
「おつかい?」
「何か買いに来たんだろう?」
首を撚るその顔は全くの無表情で、威勢のいい親父も流石に苦笑する。
「一人かい? 親御さんは? 迷子ってわけじゃないんだろ?」
また首を撚る。その視線の先には赤いリンゴが山積みになっていた。
「リンゴ買いに来たのかい?」
「リンゴ? これはリンゴではない。リンゴは黄色くて、うさぎさんの形をしている」
きょとんとする店主。少女は目を細め、“飼い主”を思い出す。
ジエルデはいつも既に切り分けてあるリンゴを少女に差し出してくる。勿論食ったことはあるぜ。切れてる奴をな。
そこで目を見開き、答えを得た。
ジエルデはあの時「はーい、器ちゃん、かわいいうさぎさんにしてきましたよ~」と猫なで声を上げていた。
してきた、という事は、元々は恐らくうさぎさんではなかったということ。即ち。
「原型」
「は?」
徐ろにリンゴを鷲掴みにすると、少女はそのままリンゴに齧りついた。
それから無表情に咀嚼し、僅かに眉を潜めると、思い切り地べたに吐き出し。
「不味い」
と言った。
勿論、語弊がある。エルフハイム産の最高級品種とその辺のリンゴを比較する方がおかしいのだ。
「ちょちょちょ、お嬢ちゃんそりゃないんじゃない!? ていうかお代!」
「お代」
立ち去ろうとして振り返る。お代。お代とはなんだ。聞いたことがないぜそんなもの。
そこで目を見開き、答えを得る。
左手に掴んだやっけに重いこの袋、もしかしてこれではないのか。不必要な装備を携行させられた事は一度もない。
即ちこの戦場に置いてこれは必要な道具なのだ。少女はそのまま振り上げた布袋をドカッと荷台に叩きつけた。
納得したように頷き立ち去る少女だが、袋開けた親父は驚愕し後を追う。
「ちょちょちょちょちょ、こんなに貰えないって! お嬢ちゃん!? お嬢ちゃーーーーんっ!?」
背後から肩を掴まれた瞬間、親父の意識は途切れた。後ろに向かって盛大に吹っ飛んだが、傷は無論、命に別状もない。
光を帯びた瞳を伏せ、少女はお釣りを受け取る。
「過剰」
把握したと言わんばかりに頷き歩き出す。後ろでは急にずっこけて気絶している親父に人だかりができていた。
リプレイ本文
道端に倒れこんだ露天商に駆け寄るが、どうやら気を失っているだけらしい。
「あれほどの勢いで人が飛ぶなんて……」
人集りから去っていく小さな人影を目端で捉え、シルウィス・フェイカー(ka3492)は動き出した。
目撃したのは偶然だ。恐らく他にあの瞬間を見た者はそういないだろう。
少女に追いつくのは難しくなかった。人の多い場所の移動に慣れていないのだろう。
その小さな身体で恰幅のいい男を投げ飛ばせるとは思えない。しかしよくよく思い返せば、少女は男に触れても居なかったはず。
「すみません、お嬢さん」「こんにちは。どちらへ向かっているのですか?」
声をかけたのは同時だった。クリスティーネ=L‐S(ka3679)はやや警戒を込めた眼差しを向ける。
「失礼ですが、あなたは?」
「私はシルウィスと言います。そちらも先の騒動で?」
クリスティーネは頷く。少し前から、この少女を目で追っていた。
それが急にあんな風になったのだ。意を決し声をかけるには十分な出来事と言えた。
「わたしはクリスティーネと申します。クリスと呼んで下さい」
二人は同時に少女へ目を向ける。足を止めていた少女だが、今は興味をなくしたように歩みを再開していた。
「お嬢さん、ご両親はどちらに?」
「何かお探しのようでしたら、ご案内しましょうか?」
まるきり無視しながら歩く少女に二人は顔を見合わせる。
その時、少女は躓き盛大に地べたに倒れこんだ。
「大丈夫ですか!?」
シルウィスが差し伸べる手をあえて避け自力で立ち上がった少女は、不思議そうな顔で振り返り。
「もしかして、さっきから私に話しかけている?」
「はい。そのつもりですが」
「何故?」
心底理解出来ない。首を傾げた少女の瞳は、そう訴えかけていた。
エイル・メヌエット(ka2807)はピースホライズンの街を早足で進んでいた。
浄化の器探索依頼を受け、シュネー・シュヴァルツ(ka0352)、ジュード・エアハート(ka0410)と三人でこの街にやってくると、それぞれ手分けしての捜索を開始した。
あの少女とは過酷な戦場で出会って以来だが、ずっと再会を心に留めてきた。
しかし器は不安定であり、暴走の危険性もあると知っている。そうなれば再会は望まぬ形で現実となるだろう。
「特に騒ぎは起きていないようだけど……」
『あの……こちらシュネーです。ターゲットを発見したのですが……』
「本当? 今どこに?」
『それが……』
器を見つけたシュネーだが、その前にはシルウィスとクリスティーネが立ちはだかっていた。
器の連れだと名乗ったシュネーだが、二人は猜疑心に満ちた眼差しを向けてくる。
それは連れかどうかではなく、“連れだとしたら”であり、要するに引き渡しに難色を示しているのだ。
「あなたがこのお嬢さんの飼い主ですか?」
「へ? 飼い……主?」
「他人と口を利く事も触れ合う事も禁止されているそうですね。幾らなんでもやり過ぎではありませんか?」
短伝を手に冷や汗を流すシュネー。器はまるで自分は部外者のような顔でそっぽを向いている。
「しかも、無断で口を利いたり触れ合った相手は命を奪う事さえあるとか……正気の沙汰とは思えません」
「えと、私は……その、連れですが、連れではなくて……」
「ではどのようなご関係なのでしょう? 詳しくご説明願えますか?」
詰め寄られ、一歩二歩と後退するシュネー。そのまますっと振り返り、抱え込むように短伝に呟いた。
「メヌエットさん、エアハートさん、早く来てください……」
「……というわけで、俺達は正式な依頼に則って彼女を迎えに来たんだよ」
エイルが駆けつけたのはジュードの少し後。既に彼が説明を終えた後であった。
「ご同業でしたか。シュネー様、先程はご無礼を……」
「あ、いえ……慣れてますから」
何に慣れてるのだろう。誤解される事か、人と上手く話せない事か。
シルウィスに続きクリスティーネも謝罪し。
「わたしにとやかく言えた事ではありませんが、聞いた話が事実なら、そんな場所に帰す事は憚られますね……」
「これではまるで奴隷です。エルフハイムの事には詳しくありませんが、やりきれません」
二人の反応はごく当然に思える。エイルもこれまで同じ迷いを抱えていた。
「依頼人のハジャさんも、少し胡散臭いですし」
「そうだね! ハジャさんは信用ならないね! ダメだね!」
シュネーの呟きに声高らかに笑いながら答えるジュード。
「う……ん。助けてもらった事もあるのだけれど……」
「いや! ダメだね! 許し難いね!」
「何があったんですか?」
冷や汗を流すシュネー。エイルは苦笑し。
「久しぶりね。逢いたかったわ。無事でよかった」
器の前に腰を落とし声をかける。器は覚えていない様子だったが、エイルはヒールの光を器に見せた。
それはあの戦いで傷ついた彼女を癒やした光。そして器はマテリアル感知能力がずば抜けて高い。
思い出したようだが、返事はなかった。どう答えればいいのかわからないのだろう。
「エルフハイムから、あなたを連れ戻すように依頼を受けています。夕方には帰ることになっています」
「わかった。それが命令なら」
「……ですが、少し早い時間に来てしまったので、約束の時間まで一緒にいましょう」
シュネーの言葉に納得したように頷く器。シュネーを一時的な命令者と認識したのか、そのすぐ隣に立つ。
「そういう事なら、是非ともご同道させてくださいな。残り僅かな時間だとしても、良い時間を送らせてあげたいのです」
「ええ、そうしてあげてください。監視の目もなく動けるのは、本当に稀みたいですから」
シルウィスの提案を快く受け入れるエイル。一方、クリスティーネは。
「彼女は人混みを歩き慣れていない様子ですから、手を繋いで歩こうと思うのですが……」
「ああ……うん。だけど、勝手に触るとダメなんだよね?」
「殺しちゃうから」
あっけらかんとした答えにジュードは思わず言葉を詰まらせた。
「知ってるでしょ、あなたは」
長い前髪の合間、無垢な瞳が覗く。
器は先日、遭遇したハンター達を巻き込み暴走を起こした。
それは他人に触れてみたいと考えた結果であり、触れると他人が壊れてしまう事を少女は学習していた。
「他人と触れ合うと穢れが感染ると言われた。それでも私は触れてみたかった。その結果、私を拒絶したのはあなた」
「……それは違うよ。俺は君を拒絶なんかしてない。それも知ってる筈だ」
「でももう少しで、あの子は私のものだったのに」
寂しげに目を伏せた様子に息を呑む。
この子は道具だ。道具として育てられ、正しい他人との接し方も加減も知らない。
きっと森に戻ればそんな人生が続く。そんな存在が心を持つ事は、苦しみを生むだけなのではないか?
「手、繋いでみる?」
エイルが差し伸べた手に器は目を細める。
「何故?」
「あなたのものになってあげる事は出来ないわ。でも、一緒に生きる事は出来るんじゃないかしら?」
自らの掌を見つめ、器はエイルの手を呆気無く取った。その瞬間、掌を物理的な痛みが襲った。
小さな少女とは思えない程の膂力に指が軋む。だが痛み方がおかしい。
触れている指だけではなく、手首や腕まで何かに強く掴まれているような感触がある。
「痛い?」
「……う、ん。もう少し、優しく出来る?」
頷くとようやく痛みはなくなったが、まだかなり強く握りしめている。
見つめ合う二人。手を放すとエイルはじっとりと嫌な汗をかいていた。
「大丈夫ですか?」
クリスティーネに笑顔を返すエイル。だが動揺は隠せない。
「この子には……何が“憑いている”の?」
無垢な瞳の奥に感じる絡みつくような悪寒。
それは、あの剣妃によく似ていた。
先の接触で大凡加減を掴んだのか、器は人を吹っ飛ばす事も握り潰す事もなくなった。
左にクリスティーネ、右にエイル、二人と手を繋ぎ無表情に歩いている。
ハンター達に連れられていなければ、ピースホライズンの観光などままならなかったに違いない。
「いやー、まさか花を食べちゃうとはねー」
苦笑を浮かべるジュード。花屋に連れて行った所、綺麗な花束をもりもり食い始めてしまった。
しかも刺があって涙目になっていた。慌てて代金を支払い、シルウィスが詫びを入れて事なきを得たが……。
「お腹が空いていたんでしょうか?」
「シルウィスさんとクリスティーネさんが早めに見つけてくれて良かったよ。この調子じゃ大騒ぎになってただろうね」
「金銭のやり取りから縁遠い生活をしていたのはわかりますが、外の世界ではきちんとお金を払わなければいけませんよ」
クリスティーネの言葉に無言で頷く器。
「綺麗なものは口に入れてしまうようですから、最初から食べられる物を見に行きましょうか」
そうして器を連れ、食べ物を買い漁る事になった。
学習能力は高いのか、もう勝手に食う事はなくなったし買い物も自分でできるようになる。
一行は買い物を終え、広場に並んでいるテーブルを借り、そこで休憩する事にした。
「めっちゃうまい」
噴水を眺めながらクレープをかじる器。らしからぬ口調にジュードは目を丸くする。
「なんか、俺達が前に見た時より良く喋るようになったよね」
人間らしくなったというか。
「さっき、道端で聞いた。やばーい。めっちゃうまーい」
これは喜ばしい事なのか、注意すべきなのか。とりあえずクリスティーネはクリームを拭いてやる。
「そういえば、このお嬢さんは浄化の器と呼ばれているそうですが、普段はなんとお呼びすればよいのでしょう?」
シルウィスの当たり前の疑問に黙り込む一同。
面識があったメンバーでさえ、呼び方には困っている。
「器……とは呼びたくないのよね」
「愛称なら呼びやすいかも、です。うっちゃんとか……うーさんとか」
悩むエイルの隣でふとシュネーが提案する。ジュードは笑いながら頷き。
「いいじゃない、うーさん!」
「いい……ですか?」
戦慄するシュネー。一方器は気にせずクレープを食っているがものすごい勢いで零し、手掴みで拾い喰い、更にテーブルを舐めている。
「ちょ、ちょっと! 拾うのはともかく、舐めるのはいけません!」
「大変申し訳ございません」
「謝れたのは立派ですが……その……」
立ち上がった器はシルウィスに深々とお辞儀している。何かしでかしたら謝りましょうとは教えたが、タイミングと強度がおかしい。
「そして謝りながら舐めるの再開してはいけません!」
「反省しています」
「してませんよね!?」
どうしてもテーブルをペロペロしたい器にエイルはジュースを差し出す。
「ほら、疲れた時はこれを飲むと元気になれるのよ」
両手で抱え、ストローを咥えたまま微動だにしない間にテーブルを片付けた。
「彼女は普段、どのように食事を摂っているのでしょうか……」
不安げなクリスティーネ。ジュードは器に話を振る。
「ねえ、どんな呼び方がいいかな?」
ちゅーちゅーしたまま首を傾げる。
「名前だよ。ないんでしょ?」
「私の名前ね、エイルっていうの。彼はジュード」
「どうでもいい」
興味がないのかバッサリ切られる。名無しが日常の器にとって、それは瑣末な問題だった。
「ホリィというのは如何でしょう? 聖なる器という意味で」
「いいんじゃないですか? 浄化の器は穢れを集める者と聞きましたが、この子自身は害意もないし、穢れでもない。私はそう思いますから」
クリスティーネの提案にシルウィスが頷く。
「どう思う? ホリィだって」
「何が?」
「呼び方だよ。名前」
「どうでもいい。直ぐ呼ばれなくなる」
そう。器に名前をつけることはエルフハイムでは禁止されている。
人扱いする事そのものが罪なのだから、森に帰れば誰も名を呼ぶものはいなくなる。そんなものに意味はあるのだろうか。
答え倦ねるジュード。エイルは首を横に振り。
「だとしても、あなたは一つの命なのよ」
「違う。私はただの道具。生きているフリをしているだけ」
「違わないわ! あなたは間違いなく今ここに生きているんだから!」
きょとんとする器。エイルも目を丸くし、それから息を吐く。
「……ごめんなさい。でも、とにかく、そういうことだから」
何度言っても、どう説明しても、器は認識を変えないだろう。
そういう人生だったのだ。経験が絶対的な根拠として君臨する限り、他人の声は届かない。
普通の少女に見えても、森に戻れば使い捨ての道具に戻ってしまう。
ハンター達がつけた名前はとても弱々しく、ふとした拍子に消えてしまっても何もおかしなことはない。
少女を人として象るには、あまりにも脆く儚すぎたのだ。
茜色の日差しの中、ハンター達を乗せた馬車はハジャの待つエルフハイム付近の平原に停車した。
「楽しかったですか?」
シュネーの問いに振り返る。
「楽しいとは……私もよくわからないですが、多分心が弾むとか、そんな感じかと」
少女は逡巡するように視線を泳がせ。
「それなら、楽しくなかったんだと思う。だって、私に心はないから」
強い風が吹いて二人の髪を靡かせる。表情一つ変わらない。きっと嘘はなかった。
「ホリィ様。どうぞこれを」
クリスティーネが差し出したのは銀の栞であった。流石にもう口には入れない。
「申し訳ございません」
「こういう時は、ありがとうございます、ですよ」
エイルは器に笑いかけ。
「きっとまた逢おうね。約束」
「約束って、なに?」
「祈り……みたいなものかしら」
「そう。だったら約束は出来ない。道具は祈らないから」
思わず目を見開き、それから瞑る。
一体どこまで徹底された教育なのだろう。唇を噛み締めても、時は決して戻らない。
「約束の品は確かに受け取ったぜ。ご苦労さん」
ハジャの隣に立った器はもう振り返らなかった。
「……ん? なんでお前女装してんの?」
「今日誰にも全く突っ込まれなかったのに、ハジャさんに気づかれるのはなんか嫌だな……」
「ハジャさん、この件……実は噛んでないですよね?」
ジト目のジュードの隣でシュネーが問う。ハジャは不思議そうに。
「まさか。なんで俺が? いなくなったら怒られるの俺だぜ?」
ハジャは器と共に去っていった。残されたハンター達に茜色の風が吹き抜ける。
「あの子にとって今日という日は……意味のある時間だったのでしょうか?」
シルウィスの問いに答えられる者はいなかった。
さよならすら言わず、一度も振り返らずに去っていった少女の背中に、名残惜しさなど感じる事は出来なかったから。
「どうしたら良いんだろうね」
帽子を目深に被り、ジュードは考える。
アレは本当に奇跡的なバランスで何とか保たれている。だからきっと切っ掛け一つでどうにでもなってしまう。
今はわからなかった。道具の心も、この日が持つ意味も、これから先の未来も。
何一つ、わからないままだったのだ。
「あれほどの勢いで人が飛ぶなんて……」
人集りから去っていく小さな人影を目端で捉え、シルウィス・フェイカー(ka3492)は動き出した。
目撃したのは偶然だ。恐らく他にあの瞬間を見た者はそういないだろう。
少女に追いつくのは難しくなかった。人の多い場所の移動に慣れていないのだろう。
その小さな身体で恰幅のいい男を投げ飛ばせるとは思えない。しかしよくよく思い返せば、少女は男に触れても居なかったはず。
「すみません、お嬢さん」「こんにちは。どちらへ向かっているのですか?」
声をかけたのは同時だった。クリスティーネ=L‐S(ka3679)はやや警戒を込めた眼差しを向ける。
「失礼ですが、あなたは?」
「私はシルウィスと言います。そちらも先の騒動で?」
クリスティーネは頷く。少し前から、この少女を目で追っていた。
それが急にあんな風になったのだ。意を決し声をかけるには十分な出来事と言えた。
「わたしはクリスティーネと申します。クリスと呼んで下さい」
二人は同時に少女へ目を向ける。足を止めていた少女だが、今は興味をなくしたように歩みを再開していた。
「お嬢さん、ご両親はどちらに?」
「何かお探しのようでしたら、ご案内しましょうか?」
まるきり無視しながら歩く少女に二人は顔を見合わせる。
その時、少女は躓き盛大に地べたに倒れこんだ。
「大丈夫ですか!?」
シルウィスが差し伸べる手をあえて避け自力で立ち上がった少女は、不思議そうな顔で振り返り。
「もしかして、さっきから私に話しかけている?」
「はい。そのつもりですが」
「何故?」
心底理解出来ない。首を傾げた少女の瞳は、そう訴えかけていた。
エイル・メヌエット(ka2807)はピースホライズンの街を早足で進んでいた。
浄化の器探索依頼を受け、シュネー・シュヴァルツ(ka0352)、ジュード・エアハート(ka0410)と三人でこの街にやってくると、それぞれ手分けしての捜索を開始した。
あの少女とは過酷な戦場で出会って以来だが、ずっと再会を心に留めてきた。
しかし器は不安定であり、暴走の危険性もあると知っている。そうなれば再会は望まぬ形で現実となるだろう。
「特に騒ぎは起きていないようだけど……」
『あの……こちらシュネーです。ターゲットを発見したのですが……』
「本当? 今どこに?」
『それが……』
器を見つけたシュネーだが、その前にはシルウィスとクリスティーネが立ちはだかっていた。
器の連れだと名乗ったシュネーだが、二人は猜疑心に満ちた眼差しを向けてくる。
それは連れかどうかではなく、“連れだとしたら”であり、要するに引き渡しに難色を示しているのだ。
「あなたがこのお嬢さんの飼い主ですか?」
「へ? 飼い……主?」
「他人と口を利く事も触れ合う事も禁止されているそうですね。幾らなんでもやり過ぎではありませんか?」
短伝を手に冷や汗を流すシュネー。器はまるで自分は部外者のような顔でそっぽを向いている。
「しかも、無断で口を利いたり触れ合った相手は命を奪う事さえあるとか……正気の沙汰とは思えません」
「えと、私は……その、連れですが、連れではなくて……」
「ではどのようなご関係なのでしょう? 詳しくご説明願えますか?」
詰め寄られ、一歩二歩と後退するシュネー。そのまますっと振り返り、抱え込むように短伝に呟いた。
「メヌエットさん、エアハートさん、早く来てください……」
「……というわけで、俺達は正式な依頼に則って彼女を迎えに来たんだよ」
エイルが駆けつけたのはジュードの少し後。既に彼が説明を終えた後であった。
「ご同業でしたか。シュネー様、先程はご無礼を……」
「あ、いえ……慣れてますから」
何に慣れてるのだろう。誤解される事か、人と上手く話せない事か。
シルウィスに続きクリスティーネも謝罪し。
「わたしにとやかく言えた事ではありませんが、聞いた話が事実なら、そんな場所に帰す事は憚られますね……」
「これではまるで奴隷です。エルフハイムの事には詳しくありませんが、やりきれません」
二人の反応はごく当然に思える。エイルもこれまで同じ迷いを抱えていた。
「依頼人のハジャさんも、少し胡散臭いですし」
「そうだね! ハジャさんは信用ならないね! ダメだね!」
シュネーの呟きに声高らかに笑いながら答えるジュード。
「う……ん。助けてもらった事もあるのだけれど……」
「いや! ダメだね! 許し難いね!」
「何があったんですか?」
冷や汗を流すシュネー。エイルは苦笑し。
「久しぶりね。逢いたかったわ。無事でよかった」
器の前に腰を落とし声をかける。器は覚えていない様子だったが、エイルはヒールの光を器に見せた。
それはあの戦いで傷ついた彼女を癒やした光。そして器はマテリアル感知能力がずば抜けて高い。
思い出したようだが、返事はなかった。どう答えればいいのかわからないのだろう。
「エルフハイムから、あなたを連れ戻すように依頼を受けています。夕方には帰ることになっています」
「わかった。それが命令なら」
「……ですが、少し早い時間に来てしまったので、約束の時間まで一緒にいましょう」
シュネーの言葉に納得したように頷く器。シュネーを一時的な命令者と認識したのか、そのすぐ隣に立つ。
「そういう事なら、是非ともご同道させてくださいな。残り僅かな時間だとしても、良い時間を送らせてあげたいのです」
「ええ、そうしてあげてください。監視の目もなく動けるのは、本当に稀みたいですから」
シルウィスの提案を快く受け入れるエイル。一方、クリスティーネは。
「彼女は人混みを歩き慣れていない様子ですから、手を繋いで歩こうと思うのですが……」
「ああ……うん。だけど、勝手に触るとダメなんだよね?」
「殺しちゃうから」
あっけらかんとした答えにジュードは思わず言葉を詰まらせた。
「知ってるでしょ、あなたは」
長い前髪の合間、無垢な瞳が覗く。
器は先日、遭遇したハンター達を巻き込み暴走を起こした。
それは他人に触れてみたいと考えた結果であり、触れると他人が壊れてしまう事を少女は学習していた。
「他人と触れ合うと穢れが感染ると言われた。それでも私は触れてみたかった。その結果、私を拒絶したのはあなた」
「……それは違うよ。俺は君を拒絶なんかしてない。それも知ってる筈だ」
「でももう少しで、あの子は私のものだったのに」
寂しげに目を伏せた様子に息を呑む。
この子は道具だ。道具として育てられ、正しい他人との接し方も加減も知らない。
きっと森に戻ればそんな人生が続く。そんな存在が心を持つ事は、苦しみを生むだけなのではないか?
「手、繋いでみる?」
エイルが差し伸べた手に器は目を細める。
「何故?」
「あなたのものになってあげる事は出来ないわ。でも、一緒に生きる事は出来るんじゃないかしら?」
自らの掌を見つめ、器はエイルの手を呆気無く取った。その瞬間、掌を物理的な痛みが襲った。
小さな少女とは思えない程の膂力に指が軋む。だが痛み方がおかしい。
触れている指だけではなく、手首や腕まで何かに強く掴まれているような感触がある。
「痛い?」
「……う、ん。もう少し、優しく出来る?」
頷くとようやく痛みはなくなったが、まだかなり強く握りしめている。
見つめ合う二人。手を放すとエイルはじっとりと嫌な汗をかいていた。
「大丈夫ですか?」
クリスティーネに笑顔を返すエイル。だが動揺は隠せない。
「この子には……何が“憑いている”の?」
無垢な瞳の奥に感じる絡みつくような悪寒。
それは、あの剣妃によく似ていた。
先の接触で大凡加減を掴んだのか、器は人を吹っ飛ばす事も握り潰す事もなくなった。
左にクリスティーネ、右にエイル、二人と手を繋ぎ無表情に歩いている。
ハンター達に連れられていなければ、ピースホライズンの観光などままならなかったに違いない。
「いやー、まさか花を食べちゃうとはねー」
苦笑を浮かべるジュード。花屋に連れて行った所、綺麗な花束をもりもり食い始めてしまった。
しかも刺があって涙目になっていた。慌てて代金を支払い、シルウィスが詫びを入れて事なきを得たが……。
「お腹が空いていたんでしょうか?」
「シルウィスさんとクリスティーネさんが早めに見つけてくれて良かったよ。この調子じゃ大騒ぎになってただろうね」
「金銭のやり取りから縁遠い生活をしていたのはわかりますが、外の世界ではきちんとお金を払わなければいけませんよ」
クリスティーネの言葉に無言で頷く器。
「綺麗なものは口に入れてしまうようですから、最初から食べられる物を見に行きましょうか」
そうして器を連れ、食べ物を買い漁る事になった。
学習能力は高いのか、もう勝手に食う事はなくなったし買い物も自分でできるようになる。
一行は買い物を終え、広場に並んでいるテーブルを借り、そこで休憩する事にした。
「めっちゃうまい」
噴水を眺めながらクレープをかじる器。らしからぬ口調にジュードは目を丸くする。
「なんか、俺達が前に見た時より良く喋るようになったよね」
人間らしくなったというか。
「さっき、道端で聞いた。やばーい。めっちゃうまーい」
これは喜ばしい事なのか、注意すべきなのか。とりあえずクリスティーネはクリームを拭いてやる。
「そういえば、このお嬢さんは浄化の器と呼ばれているそうですが、普段はなんとお呼びすればよいのでしょう?」
シルウィスの当たり前の疑問に黙り込む一同。
面識があったメンバーでさえ、呼び方には困っている。
「器……とは呼びたくないのよね」
「愛称なら呼びやすいかも、です。うっちゃんとか……うーさんとか」
悩むエイルの隣でふとシュネーが提案する。ジュードは笑いながら頷き。
「いいじゃない、うーさん!」
「いい……ですか?」
戦慄するシュネー。一方器は気にせずクレープを食っているがものすごい勢いで零し、手掴みで拾い喰い、更にテーブルを舐めている。
「ちょ、ちょっと! 拾うのはともかく、舐めるのはいけません!」
「大変申し訳ございません」
「謝れたのは立派ですが……その……」
立ち上がった器はシルウィスに深々とお辞儀している。何かしでかしたら謝りましょうとは教えたが、タイミングと強度がおかしい。
「そして謝りながら舐めるの再開してはいけません!」
「反省しています」
「してませんよね!?」
どうしてもテーブルをペロペロしたい器にエイルはジュースを差し出す。
「ほら、疲れた時はこれを飲むと元気になれるのよ」
両手で抱え、ストローを咥えたまま微動だにしない間にテーブルを片付けた。
「彼女は普段、どのように食事を摂っているのでしょうか……」
不安げなクリスティーネ。ジュードは器に話を振る。
「ねえ、どんな呼び方がいいかな?」
ちゅーちゅーしたまま首を傾げる。
「名前だよ。ないんでしょ?」
「私の名前ね、エイルっていうの。彼はジュード」
「どうでもいい」
興味がないのかバッサリ切られる。名無しが日常の器にとって、それは瑣末な問題だった。
「ホリィというのは如何でしょう? 聖なる器という意味で」
「いいんじゃないですか? 浄化の器は穢れを集める者と聞きましたが、この子自身は害意もないし、穢れでもない。私はそう思いますから」
クリスティーネの提案にシルウィスが頷く。
「どう思う? ホリィだって」
「何が?」
「呼び方だよ。名前」
「どうでもいい。直ぐ呼ばれなくなる」
そう。器に名前をつけることはエルフハイムでは禁止されている。
人扱いする事そのものが罪なのだから、森に帰れば誰も名を呼ぶものはいなくなる。そんなものに意味はあるのだろうか。
答え倦ねるジュード。エイルは首を横に振り。
「だとしても、あなたは一つの命なのよ」
「違う。私はただの道具。生きているフリをしているだけ」
「違わないわ! あなたは間違いなく今ここに生きているんだから!」
きょとんとする器。エイルも目を丸くし、それから息を吐く。
「……ごめんなさい。でも、とにかく、そういうことだから」
何度言っても、どう説明しても、器は認識を変えないだろう。
そういう人生だったのだ。経験が絶対的な根拠として君臨する限り、他人の声は届かない。
普通の少女に見えても、森に戻れば使い捨ての道具に戻ってしまう。
ハンター達がつけた名前はとても弱々しく、ふとした拍子に消えてしまっても何もおかしなことはない。
少女を人として象るには、あまりにも脆く儚すぎたのだ。
茜色の日差しの中、ハンター達を乗せた馬車はハジャの待つエルフハイム付近の平原に停車した。
「楽しかったですか?」
シュネーの問いに振り返る。
「楽しいとは……私もよくわからないですが、多分心が弾むとか、そんな感じかと」
少女は逡巡するように視線を泳がせ。
「それなら、楽しくなかったんだと思う。だって、私に心はないから」
強い風が吹いて二人の髪を靡かせる。表情一つ変わらない。きっと嘘はなかった。
「ホリィ様。どうぞこれを」
クリスティーネが差し出したのは銀の栞であった。流石にもう口には入れない。
「申し訳ございません」
「こういう時は、ありがとうございます、ですよ」
エイルは器に笑いかけ。
「きっとまた逢おうね。約束」
「約束って、なに?」
「祈り……みたいなものかしら」
「そう。だったら約束は出来ない。道具は祈らないから」
思わず目を見開き、それから瞑る。
一体どこまで徹底された教育なのだろう。唇を噛み締めても、時は決して戻らない。
「約束の品は確かに受け取ったぜ。ご苦労さん」
ハジャの隣に立った器はもう振り返らなかった。
「……ん? なんでお前女装してんの?」
「今日誰にも全く突っ込まれなかったのに、ハジャさんに気づかれるのはなんか嫌だな……」
「ハジャさん、この件……実は噛んでないですよね?」
ジト目のジュードの隣でシュネーが問う。ハジャは不思議そうに。
「まさか。なんで俺が? いなくなったら怒られるの俺だぜ?」
ハジャは器と共に去っていった。残されたハンター達に茜色の風が吹き抜ける。
「あの子にとって今日という日は……意味のある時間だったのでしょうか?」
シルウィスの問いに答えられる者はいなかった。
さよならすら言わず、一度も振り返らずに去っていった少女の背中に、名残惜しさなど感じる事は出来なかったから。
「どうしたら良いんだろうね」
帽子を目深に被り、ジュードは考える。
アレは本当に奇跡的なバランスで何とか保たれている。だからきっと切っ掛け一つでどうにでもなってしまう。
今はわからなかった。道具の心も、この日が持つ意味も、これから先の未来も。
何一つ、わからないままだったのだ。
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迷子捜索隊会議室 ジュード・エアハート(ka0410) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|男性|猟撃士(イェーガー) |
最終発言 2015/04/30 12:23:37 |
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2015/04/27 20:17:32 |