●序
「突然だけど、今年のヴァレンタインデーは終了する!」
「「「な、なんだってー!!!」」」
●遡
人類にとって大きな戦いが終わった。辺境を越えた北伐と、撤退戦、そして帝国の防衛戦。その戦は、東方から出て来た鬼にとってもかつてない程に大きなものであった。
「随分と、遠くに来たもんだね」
アカシラ(kz0146)は独り、そんな事を呟いた。
自分たちの罪を贖う為に全てを承知で傭兵になった。結果として得たのは最悪というにはまだマシな戦場に、適切な報酬。アカシラ自身は不覚により深手を負い戦場を離れた時期もあったが、配下の鬼達の被害は少なく――そう。上等な成果と言えた。
それで、良いはずだ。傭兵というものは。
なのに、何故だろう。
苦く激しい悔恨が胸を灼く。それは過程の仮定に他ならず、手を伸ばしても伸ばした手が傷つくだけの思考の罠だ。アカシラはそれを熟知していた。後悔は常に彼女と共にあったから。
「……ったく、ダメだねぇ、考えすぎちまう」
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アカシラ
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だからこそ彼女は部下も連れず、独りでそこにいた。久々に『ニンゲンらしい』食事でもしてやろう、という腹である。多少乱暴ではあるが要らぬ考えを払うにはとても都合が良い。幸い、彼女の一食分くらいの持ちあわせはある。
グラズヘイム王国の王都でも、辺縁部となれば彼女が落ち着ける店も増えてくる。角は帽子で、人目を引く服装もバタルトゥ・オイマト(
kz0023)から渡された外套で隠す事が出来た。幾度か脚を運んだこともある場末の酒場に入り、外套を着込んだまま注文をする。最初は勝手も解らなかったが、こういった事にも慣れてきた。外套を着こむのは、つまりは面倒を避ける為だ。そういう事にも慣れてきた。
アカシラが出された酒を呷り飲み干し、料理の到着と酒の追加を待っていた時のことだった。
「今年もあの季節がやってくるな……」
陰鬱な男たちの声が、届いたのだ。
「……鬱だ」「惨めだ」「既に泣けてきた」
「今年もあんな目に会うくらいなら死んだほうがましだ!」
「「ちがいねぇ……」」
「もしかして:クリスマス」
「「死にてぇ……」」
――なンだい、穏やかじゃないねェ。
予感を覚えて、アカシラは横目にソレを見る。
男たち三人が肩を寄せあい、揃いも揃って重く、まるで魂ごと吐き出しているかのようなため息を溢す。
そうして、異口同音。こう言ったのだった。
「「「……せめて義理チョコでも……」」」
転瞬。
「……義理ィ?」
燻っていたアカシラの胸の裡に、焔が灯った。
彼女はチョコの何たるを知らないが、義理の何たるは良く知っている。なればこそ、渡世の義理は数多くあれど、人の生き死にに関わるものと成れば見捨ててはおけない。
――義理と聞いちゃァほっとけないねぇ。生き死にも関わるならなおのこと。
「……一丁やってやるかね!」
どん、と置かれた酒盃をアカシラは再び飲み干すと、そう気合を入れた。
――義理(人情)チョコ計画、発動の瞬間である。
●豆
「チョコォ? 君が? 本気で言ってる?」
「なんだい、引っかかる言い方だねぇ……あァ、義理のためさ。悪いとは言わせないよ」
「義理、ねえ……」
アカシラは東方から出てきたばかりの田舎者だ。故に、知人も少ない。王女か大司教かはたまた――となり、この男に連絡を取った。ヘクス・シャルシェレット(kz0015)。所在不明の男だが、『窓口』をあたり、たまさか王都に居た所を捕まえる事が出来た。
「まあ、良いや。で、義理チョコがどうしたの?」
「無くちゃ死ぬってヤツがどうやらいるらしくてね。ソイツらに配りたいのさ」
「……手持ちはあるの?」
「チョコかい? 無いね。無かったら作ればいいんじゃないのかって」
「じゃなくて、こっち」
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ヘクス・シャルシェレット
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頑丈そうな手袋に包まれた両の手で器用に丸、を作るヘクスに、漸く意図を知ったアカシラは、再び首を振った。
「無いねえ」
「だよねえ……」
アカシラ達の懐具合は、ヘクスのよく知る所である。
「そんなに値が張るもンなのかい」
「んー。これから確実に売れるものだからねえ。それに、今年はあれやこれやで、元々しょっぱい豆の流通がかなり少なくなっちゃってるし、ロッソからも一気に人が降りたろ? 同盟にかぎらず、あっちこっちで買い占められてるところなのさ。マネーゲームも佳境ってところかな?」
「……豆?」
「そ、豆。……そか、作り方も知らないんだね。そりゃそうか。見てみるかい?」
アカシラはヘクスの言葉を追いながら、成る程、と胸中で頷く。時節のもので、売上が見込めるもの。だから渡せない。成る程。
――これも渡世の道理ってやつさね。
「一応見せてもらえるかい」
暫しの後、召使の手で差し出されたのは、茶色く小ぶりな『豆』。
「西方では作るのが本当に難しくてね。非効率的だけど、魔術で――」
「あー……豆だね。へえ、コイツが」
「そりゃ、豆だけど……って! 何してるのさ!」
「ン?」
そのまま齧ろうと豆に歯を立てたアカシラを慌ててヘクスは止めた。
「や、コイツ『は』どんな味でどのくらいキクのかと思ってさ」
「流石に生は……って」
アカシラの口ぶりに、思うことがあったのだろう。ヘクスは暫し思案すると、こう尋ねた。
「……アカシラ、ひょっとしてだけど、これのこと、知ってるの?」
「あァ。コイツをつまめば無病息災、枯れた身体も若返る、『豆』だろ? アタシが知ってるやつとはちょっと色は違うけど――」
その言葉にヘクスは目を見張らせた。
金の匂いだ。それも、大金の。つり上がる口の端を抑えることもせずに、アカシラの肩に手をまわした。
「……詳しく話を聞かせてもらえるかな?」
●想
そこからは発端であるアカシラを置いて、あれよという間に話が進んでいった。
西方では値段が釣り上がり、安価なチョコレートの供給が危ぶまれる昨今に於いて、まさに晴天の霹靂。ヘクスは声高々にアカシラ達がかつて目にしたという『カカオ豆』の産地を密やかに奪還すべし、と訴えた。金と戦力は出す、だから許可をくれ、というわけである。
「と、言うわけでして……その、ごめんなさい、スメラギさん」
『システィーナが謝る事じゃねぇよ……理由はよくわかんねぇが、タダで開放してくれる、ってことだろ?』
「はい、まぁ……」
システィーナ・グラハム(kz0020)経由で提案を聞いたスメラギ(kz0158)はそれを容れた。アカシラ達の事実上の雇用主であるシスティーナはその答えにほっと薄い胸をなでおろす。
ヘクスから聞いた話は大変に心苦しかったから、重い荷が降りた心地がした。つい先日、帝国とヴィルヘルミナ・ウランゲル(kz0021)を襲った窮状と不幸だけでも身が引き裂かれそうなほどに悲しいのに、命を賭けるハンター達の、ささやかな安らぎと幸せまで奪われるわけにはいかなかった。だから。
「……良かったです。本当に、ありがとうございます……!」
深い安堵と共に、そう言って頭を下げた。通信機越しでは届きようもない言葉ではあったが、想いだけは届けば、と。
――余談だが。
『このままではチョコレートがハンターたちの市場に出回らない』
ヘクスがシスティーナに告げたのは、そんな言葉だった。
無論それは、システィーナだけに知らされたものでは、無かったのだ。
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システィーナ・グラハム
スメラギ
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●本気と書いてマジなのです
久しぶりの東方だ。角と顔を隠したアカシラは、手勢を連れて天ノ都に足を踏み入れた。そうして、それを見た。
一攫千金に目を燃やすハンター。
義理チョコ獲得の噂に命を燃やすハンター。
チョコレート作成の機会に何かを賭けるハンター。
ハンター。ハンター。ハンター。ハンター。ハンター。
天ノ都はごった返すハンター達で大混雑だった。一部には耳聡い商人やハンターではない者の姿もあるが、そして、彼らは道案内(アカシラ)を今か今かと待ち構えていたようだった。数多の視線が、『道案内役』のアカシラを突き刺し――。
「……なんだい、こりゃ?」
目を丸くしたアカシラは、思わずそう呟いたのだった。
なんとまあ、というべきだろうか。
茹だるほどの熱気を懐かしく想いながら、古巣の整備をするアカシラ(kz0146)は一つ、息を吐く。
「いやァ、凄いもんさね。ハンターっていうやつは……」
兎角、ハンター達が凄い。なんというか、その勢いが、凄い。
アカシラはカカオ豆の何たるかを良く知らなかった。滋味溢れよくキく豆、くらいの認識である。その仔細については今なお知らぬといっても過言ではないが、アカシラは戦士である。であるからして、戦場の趨勢には敏感だった。
ここの密林は広大なうえ、生い茂る植物の為に見通しは悪い。それはある意味でハンターたちの浸透を助けていたのだろう。 彼方此方から上がる妖怪の声が、ハンター達の成果を物語っている。
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アカシラ
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『オ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛ェ゛ェ゛……』
『オ゛エ゛エ゛エ゛ェ゛ェ゛……』
『エ゛エ゛エ゛エ゛ェ゛ェ゛……』
「ったく、うるさいねぇ」
100余り名を超えるハンター達が密林に消えた。その成果として続々と持ち帰られるカカオ豆だが、ハンター達は今もなお密林で精を出しているらしい。じきに此処、
アカシラ達の古巣にもニンゲンの関係者が来るだろう。今後の足がかりになるように諸々整えられるはずだ。
「……しっかし、ねぇ」
これからハンター達が使うであろう寝所くらいは自らの手で整えておきたいと思うのだが、どうにも手に付かない。
一部とはいえ、領域の開放がなされようとしている。あんなに労苦を伴っていた筈なのだ。獄炎も、御庭番衆の殆ども――悪路王も居ないから。それだけとも、どうにも思えなかった。
「食い物の恨みは恐ろしい、ってとこかねえ」
成程。チョコレートなるものがそうさせるのか、金がそうさせるのか、それとも鬼謀の類が働いているのか。
アカシラにはとんとわからぬが、決して好ましいとは思えぬ『鳩』の妖怪が、すこしばかり哀れだった。
快進撃の影にいる彼らは、見ようによっては彼らも犠牲者なのかもしれない。そんなことを思いながら、
アカシラは――。
「ん……?」
そういえば、と。腰に吊るしたカカオが詰まった袋を見る。
アカシラ自身が集めたカカオだが、金銀銅と色とりどりのこれらが『採り尽くされていなかった』ことを思う。
いや、そんな、まさか。
「……世は無常、とはいうがねぇ」
こういう時にどうすればいいか、
アカシラは知らない。妖怪が相手では弔うべき遺体もない。
からり、と。袋の中で音が零れた。その音を聞きながら墓くらいはこさえてやろう、とそんな風に思ったのだった。
「お。いたいた」
その時だ。男の声がアカシラの耳に届いた。振り返るまでもない、今回の一件で世話になった相手だ。ヘクス・シャルシェレット(kz0015)。どうやら、王国での用は済んだらしい。こんな遠方まで足を運ぶくらいだ、よほど暇だったのか――何か、話があったのか。
息を吐き、アカシラは男へと視線を移した。
「一体どうしたんだい、こんな所に」
「ちょっと、お礼参りにね……ところで、此処が君の部屋だったのかい?」
「礼ィ……? 締まりのないニヤケ面なんかして、穏やかじゃないね」
「ちゃーんと息抜きしたからね! 見る限り、君の方は順調だったみたいだ……ところで」
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ヘクス・シャルシェレット
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「あァ。アンタのお陰……とでもいやァいいかい」
「頑張ったのは君さ。君の部屋にしては、結構狭くみえるけど」
「いい加減にしないとそのクビ月まで吹っ飛ばすよ?」
「…………そうだねぇ、おっかないおっかない」
ケラケラとヘクスは笑いながら、帽子を抑えてこう言った。
「『ところで』」
「よし解った。動くと痛ェからじっとしてろ。一撃で楽にしてやる」
「それ、売るなら早いうちがいいよ――って、言おうと思ってさ」
「あ?」
「今なら普通のカカオのほうが安く買えるくらいさ。量がいるんだろ? 君の部下達も集めてるみたいだし、纏めたら結構な量になるんじゃない?」
「…………」
からかわれたと知って心底弾き飛ばしてやろうと
アカシラは思ったが、黙って飲み込む。暫し思案の後、ぽん、と片手で袋を叩いた。
「いや、コッチでやるさ」
「……へえ?」
驚嘆半分、愉快さ半分、といった顔で見返すヘクスを前に想起したのは、あの酷い声で鳴く妖怪のことだった。カラカラと感じる袋の重みは、数刻前とは違って感じられ、そのまま売ってしまうのは躊躇われた。
「うっせーな、気分だよ、気分。そっちのほうがらしいって思っただけさ。悪ィか?」
「……いや、そういうのは嫌いじゃないよ」
くすくす、と笑いながら、ヘクスは外を見た。蒼天は高く、燦燦と日差しが落ちる真夏日を。
「今頃ソサエティは大忙しだろうね。カカオが手にはいった今、急いで仕入れをしなくちゃいけないから……」
義理(人情)チョコレート作戦――あるいは、チョコレート解放戦線。
カカオの供給がなされた今、西方世界が果たしてどうなるか。ヘクスにとっても少しばかり、楽しみだった。