大精霊リアルブルー
結論から言おう。
僕――リアルブルー(
kz0279)の知る限り、二つの世界はとりあえず100年くらいの間は平和だった。
人間同士の争いってやつはどう頑張っても消えることはないけれど、大人数が集まってガンガン殺し合う戦争みたいなものは、いい加減懲りたように思う。
そもそも生物も惑星も命あっての物種で、死んでもいいから憎しみを晴らしたいとか、それこそ反動存在と何も変わらない。
だから人類は自らが選択した未来の責任を取るためにも、憎むのではなく、許すためにコストを割かねばならなかった。
さて、ここから先は未来の話だ。
それも、僕の個人的な話になる。
ハンターにはハンターそれぞれの未来があるだろうから、僕の手記を読む必要性は薄いだろう。
その上で、もしかしたら気になっているかもしれないあるひとつの事実について記しておく。
彼女と再会したのは、地球凍結結界を解除してしばらくした頃だ。
僕はまだクリムゾンウェストとリアルブルーを行き来しながら様々な業務に当たっていた。
なにせ僕は休む必要すらない、地球が存在する限り不眠不休で活動可能な「神」なわけで、地球再始動後、二つの世界を取り持つ仕事はいくらでもあった。
ある日僕はいつものようにソサエティ本部にあてがわれた部屋の一つで事務仕事に勤しんでいた。
大した内容じゃない。リアルブルーへの帰還を希望する人々の名簿作りという、簡単な作業だ。
……ただ、死ぬほど量が多いと付け加えておこう。
バニティー
そんな雑事を処理していた時だ。ふと、顔を上げた視線の中で何かが動いた気がした。
窓ガラスに写り込んだ部屋の中。後ろに誰かが立っていたのだ。
振り返ったが誰もいない。しかし窓を見ると、確かに誰かいる。
「久しぶりだね。えっと……リアルブルーくん?」
「君は……まさか、バニティーなのか?」
そう。彼女の名前はバニティー(
kz0284)。
邪神戦争の最中に死亡したはずの歪虚の少女だった。
だが、その存在感は限りなく薄い。吹けば消えてしまいそうな、薄い霧のようだった。
「あんまり時間がないから手短に。色々あったんだけど、ジュデッカの再誕は成功したよ」
ポンと言われても正直なんの感慨も浮かばなかった。
ヒトってやつは自分の目で見たものしか信用しないというのはよく聞く話だが、まさに僕もそれだ。
「まあ、そうだろうね。信じてたよ」
「今、ジュデッカはこことはすごく遠い場所にあって、お互いにすごく距離があるから、わたしもこんな形でしかこっちに来れなかったの。正しくは来てないっていうか……“彼”と同じ状態なんだけど」
「いるかもしれないし、いないかもしれない状態か」
「うん。ジュデッカやお父様の力を借りて、とりあえずその能力に適正があるわたしがメッセンジャーになったってわけ。でも、これも長くは続かないし、もう一度連絡を取ることはできないと思う」
そうだろうと思っていた。
腐っても神として世界を観る能力が高い僕にアプローチしたのも、とどのつまり“僕以外には伝わらないから”だろう。
窓ガラスの中で幽霊は少し歩き、僕とは異なる椅子に腰を下ろした。
「イグノラビムスはどうなった」
自分でも意外な質問をしてしまった。
恐らく会話できる時間は残り僅かだろうに……。
しかし、彼女はすぐに笑顔で答えた。
「ジュデッカの再誕を手伝ってくれたよ。消えてしまうその瞬間まで、彼は反動存在をまとめようとしていた」
「……そうか」
「お兄ちゃんも、最後まで戦って消えた。わたしは……邪神の一部じゃないから、再誕の光に巻き込まれてこんな感じになっちゃったんだけどね」
「君も消えるわけだ」
「うん、きっと間もなくね。ハンターのみんなにも挨拶したかったけど、あなたから伝えてくれたら嬉しいな」
「他にもしてほしいことがあるんだろう? 僕は何をすればいい?」
「100年――待ってほしいの。100年待ってくれれば、ジュデッカの力でもう一度メッセージを飛ばせる。ナディアもお父様も消えてしまったけれど……ジュデッカがそれを観測して、覚えていてくれる」
「そのためには僕がこのボディのままでいないとダメってことかな?」
「そゆこと。こっちの世界の様子も、ナディアの最後の言葉も、何がどうなったのか全部あなたに伝える。でも、ジュデッカが育つまでまだこっちの世界で100年はかかるの」
ジュデッカとクリムゾンウェスト、それぞれの時の流れは既に分かたれた。
かの星に正しく大精霊が生まれ、その力が世界の壁を超えるまで、途方も無い時が必要だ。
むしろ100年。時のズレありきなので、だいぶ短い。
「わかった。100年だね。僕なら問題ない」
でも……きっと、意味はない。
100年という時間は、きっとこの星の地図を簡単に塗り替えてしまうだろう。
今とは違う国、歴史、世界――なんならすったもんだあって文明が崩壊してる可能性もある。
どちらにせよ、メッセージを受け取った時、本当にそれを受け取るべき人は、きっともう誰もいない。
そんなことは彼女もわかっているだろうに、どうしてか心底安心したような顔をした。
「ありがとう」
まばたきの間に彼女は消えた。
窓にはなんとも言えない表情を浮かべた自分が一人で映っていた。
「100年かぁ」
星にとっては一瞬。されど、人にとっては永遠以上。
「ま、いいさ。目的も見失っていた頃合いだ」
窓を開け、夜空を見上げる。
星の終わりは遥か遠く。だから今はせいぜいこの寄り道を楽しもう。
思い出したように手帳を開き、ペンを握る。
100年。とりあえず欠かさず日記を書こうと心に決めた。
●
あの日、反動存在は敗北を認めざるを得なかった。
“全力になる”とはそういうコトだ。
一生懸命やって、ムキになって、感情を爆発させて、どんな手を使ってでも勝ってやると泥臭く足掻き切った。
それこそが敗北だ。
必死にならず、格好をつけて、自分は間違っていない、正しいコトをしていると高みの見物を決め込んだままなら、反動存在に負けはなかった。
だが――彼らは負けたのだ。
そして負けてみて初めて、納得・満足と呼ぶべき感触を手にした。
幸福を詰め込む為に与えられた小さな箱。その底に空いてしまった穴が、ハンターとの戦いで、彼らとの言葉で、少しずつ埋められたのだ。
「彼らに敗れた今、お前たちの胸にある想いはなんだ」
どこかから声が聞こえた。
一人の男が立っている。いばらの冠をかぶった男。
先程まで反動存在をその腹に収めんとしていた、あの黒き黙示録の獣だろうか。
「何も気兼ねしなくていい。何も遠慮しなくていい。恥じることなく、教えてくれ」
『うれしかった』
幼い子供のような声が応じた。
『誰も僕たちを見ようとしなかった』
『誰もこの感情に、この想いに向き合おうとしなかった』
『でも、彼らは触れてくれた』
『嫌われもしたし、怒られもしたけれど』
『後悔しないように……』
男は静かに頷き、そして彼方の光を指差した。
「私が共に在れるのはここまでだ。お前たちはこれから先、自分自身で決断し、責任を持たねばならない」
『怖い』
『できない』
「いいや、出来るとも。だってお前たちは憧れたのだろう? 傷はもう塞がったよ。だから、本当に叶えたかった願いを祈るべきだ」
男は道を譲った。反動存在らは戸惑うようにお互いの顔色を伺う。
だがやがてその手と手を取り合って、ゆっくりと列を成した。
ひとり、またひとり、光に向かって歩き出す。
『ありがとう、救世主』
『さようなら』
「行きたまえ。どこへなりとも、好きなところへ。安らげる場所を求めて。幸せになるために、旅はあるのだから」
男は優しくそう言って、光に溶けるように消えた。
反動存在は負のマテリアルだ。歪虚と言ってもいい。
だが、同時に世界の「記憶」の結晶体でもある。
クリムゾンウェストにおけるパルムのようなもので、彼らは特別な存在だった。
この反動存在と呼ばれるものが、いかに大量のマテリアルを保持しているか。
いかに大量の想い出を有しているか。それを保持し、伝達する能力があるか。
共感性が高すぎるから、ぐちゃぐちゃに融合なんかしてしまったのだ。
邪神と呼ばれる巨大な歪虚は消滅した。再現された情報は分解された。
だが――ハンターズ・ソサエティが諦めたそのストレージを代替する存在として、反動存在は旅をすると決めた。
それは予想外の結末だった。すべては救えない。そういう前提の決断。
何百年、何千年、どれくらいの時がかかるかわからない。
ただ、全力で相手をしてくれたハンターに対し、彼らは確かに敗北した。
その敗北を握りしめて、想い出の列が彷徨っていく。
『俺達が見つめたもの』
『この手で掴んで離さなかったもの』
『彼らが叶えようとした願い』
『より多く、より素晴らしい未来』
『一緒に見てみたい……その、新しい世界を……』
一本道の向こう、一人の幼い少年が座っていた。
「おかえり、ぼくたち」
少年は柔らかく微笑みを浮かべ、その両腕を広げる。
「ぼくたちはみんなあわせてジュデッカだよ。きみたちだって――しあわせになるけんりがあるんだ」
世界が最も輝くのは、終わってしまうその一瞬だとかつて定義した。
終わらせない為に繰り返される終わり。
それは違う。再定義しよう。
「せかいは――いのちは。どんなしゅんかんだって、すばらしいんだって!」
想い出を取りこぼさない。
どんな小さな涙も忘れない。
痛みを永久に保存し続ける反動存在だからこそ。
憎しみという、すべての想いの中心にある感情だからこそ。
幸福や愛情にさえ――繋がっている。
ひとつの惑星を作り出す? いや、それだけでは物足りない。
再誕だ。今こそ、真の終わりを記す時。
「われ、こたえをえたり」
何かが不足して、狂ってしまった再誕。
もしその条件が実はとっくに満たされていて、反動存在にフタをされていただけだったとしたら?
「さいたんせよ」
時を超え。光を超え。
可能性よ、無限に広がれ。
数え切れないIFを描き、彼らの門出を祝福せよ。
起動しろ、第二の宇宙。
「すべてをすくえ! ふぁなてぃっくぶらっど!」
(執筆:
神宮寺飛鳥)
(文責:フロンティアワークス)