ゲスト
(ka0000)
ぬかるみのかいこが
マスター:愁水
このシナリオは5日間納期が延長されています。
オープニング
●
昼下がりの午後。
その日は、彼――黒亜(kz0238)にとって、全く麗らかな日和とはならなかった。
「――やや? 黒亜じゃないか。何処へ行こうというんだい?」
踵を返そうとしたその“首”を、蛇のような“音”で絡め取られる。
黒亜は返事の代わりに、太い溜息をついた。
そして、渋々と振り返る。
「おや、怖い。ゾッとするほど嫌そうな顔をしているね」
言葉とは裏腹に、柔和な声音が黒亜の面差しを迎える。黒亜は、その長身の優男面を、疎ましげな双眸で見据えた。烏羽色の髪に、翡翠の瞳。――黒亜はこの男が、大嫌いであった。
男の後ろから、紙袋を抱えた紅亜(kz0239)と、白亜(kz0237)の昔馴染み――軍医のシュヴァルツがやって来る。
「よう、黒亜。お前、紅亜と手分けして買いもんしてたんだろ? 重いもん持ってんだから、一緒に帰ってやれよ」
「は? あんたの脳みそよりも重いもの頼んだ憶えはないんだけど」
「相変わらず言ってくれるぜ」
「ふん。子供じゃないんだから、一人で帰れるでしょ」
「軟派な輩に絡まれていたんだよ? 可哀想に……俺達が偶然通り掛からなかったら、どうなっていたと思う?」
男の諭すような声色に、黒亜が、は、と、吐き捨てる。
「よく言うよ。そいつらの首、ちゃんと残しておいてあげたの? 凡人でも死人でも、歪虚でも堕落者でも、“首を刎ねよ”――だもんね。“ハートのクイーン”」
――シュヴァルツと同様、彼も又、帝国軍に所属する軍人であった。シュヴァルツが窺うような視線で、烏羽の男を横目に見る。男は自身の通り名を耳にした一瞬、質の悪い笑みを浮かべたが、瞬きの間に塗り替えられた。
「まさか。此処は戦場ではないしね。ふふ……それとも、君にプレゼントしてあげればよかったかな?」
「そんな趣味の悪いもの受け取って喜ぶのは、あんたくらいでしょ。一緒にしないでよね」
「……? ねー……なんの話し、してるの……?」
「クーには関係ないよ」
「ふーん……? あ……そうだ……あのねー……クロ……山だよ、山ー……」
「は?」
「山……行こー……?」
「行けば? クーはちょっと黙っててくれる?」
「おや、酷いじゃないか。もう少し優しい言い方は出来ないのかい?」
「じゃあ、あんたが優しくしてやればいいじゃん。あんたの趣味でしょ? ――首から上は」
「ふふ。君を可愛がってあげようか? 黒亜」
犬と猿。
虎と龍。
黒猫と翠蛇――。
極り通りの二人の“対話”に、苦笑を凝らせるシュヴァルツが、「時間だぜ。そろそろ行かねぇと」と、男に声をかける。
「残念。お楽しみはまた今度だね」
男はそう囁くと、顎を反らしながら、くるり、と、身を翻し、道の上に一線を置いたような足取りで歩いていった。
「んじゃな。黒亜、ちゃんと紅亜と一緒に――」
「帰るよ。……気が向いたらね」
「おう。っと、紅亜は伝言、頼んだぜ」
「んー……りょーかい……」
「じゃ、またな。お二人さん」
男の後を追うシュヴァルツの背中が見えなくなった後、黒亜が「伝言?」と、紅亜に問う。
「んー……ハクに……」
「なにを」
「山、行こうって……」
「は?」
そういえば、先程も同じことを言っていた。
「えっと、ねー……なんか……避暑地にある森の奥、行くと……有名なアンティークホテルがあるんだって……」
「ホテル?」
「うん……シュヴァルツが貸し切りにしてくれたから……みんなで、小旅行に行こうって……」
「……は? ちょっと待って、なにそれ」
「お料理とか、デザート……美味しいんだって……ガーデンとか……お風呂も、開放的で……綺麗だって……えへへー……楽しみだねー……」
「……まさかとは思うけど、ハク兄に相談する前に了承したの?」
「んー……? 行くって言ったよー……? だって……旅行の日……公演ないでしょ……?」
最早それは伝言ではない。事後報告だ。
「お部屋たくさんあるから……お友達とか、誘っていいって……」
「興味ない。ていうか、オレ行かなくていいでしょ」
「えー……」
「兄妹で旅行とか、なんで今更」
「シュヴァルツ達も行くよ……?」
「……だからでしょ」
「えー……せっかく……昔みたいに……賑やかに、なってきたのに……」
「……」
「……」
「ほら、帰るよ。荷物貸して」
「んー……」
「……旅行の予定なら、早くハク兄に伝えなきゃでしょ。怒られてもオレはフォローしないからね」
黒亜は紅亜の腕から紙袋をひったくると、素気ない態度のまま家路を辿った。
「――なあ、白亜くらいには伝えておいた方がよかったんじゃねぇの?」
「何故。彼の澄まし顔が崩れるところを見てみたいじゃないか」
「アンティークホテルって言やぁ聞こえはいいが、要はからくり館なんだろ? しかも、曰く付きって話しじゃねぇか。おかしいと思ったぜ、このシーズンにがら空きとかよ」
「ふふ。善意の支出に感謝するよ、“ダイヤのキング”」
「よく言うぜ」
「まあ、楽しもうじゃないか。俺も、どんな仕掛けがあるかなんて知らないしね」
「お前よぉ……白亜とは数ヶ月ぶりに会うんだろ? ひでぇ仕打ちじゃね?」
「とんでもない。俺は只、軍を辞職した“スペードのエース”が、毎夜どんな気持ちで目を閉じているのか……興味があるだけだよ」
口角を歪めて、烏羽の男――桜久世 琉架は、奇妙な笑みを浮かべたのであった。
昼下がりの午後。
その日は、彼――黒亜(kz0238)にとって、全く麗らかな日和とはならなかった。
「――やや? 黒亜じゃないか。何処へ行こうというんだい?」
踵を返そうとしたその“首”を、蛇のような“音”で絡め取られる。
黒亜は返事の代わりに、太い溜息をついた。
そして、渋々と振り返る。
「おや、怖い。ゾッとするほど嫌そうな顔をしているね」
言葉とは裏腹に、柔和な声音が黒亜の面差しを迎える。黒亜は、その長身の優男面を、疎ましげな双眸で見据えた。烏羽色の髪に、翡翠の瞳。――黒亜はこの男が、大嫌いであった。
男の後ろから、紙袋を抱えた紅亜(kz0239)と、白亜(kz0237)の昔馴染み――軍医のシュヴァルツがやって来る。
「よう、黒亜。お前、紅亜と手分けして買いもんしてたんだろ? 重いもん持ってんだから、一緒に帰ってやれよ」
「は? あんたの脳みそよりも重いもの頼んだ憶えはないんだけど」
「相変わらず言ってくれるぜ」
「ふん。子供じゃないんだから、一人で帰れるでしょ」
「軟派な輩に絡まれていたんだよ? 可哀想に……俺達が偶然通り掛からなかったら、どうなっていたと思う?」
男の諭すような声色に、黒亜が、は、と、吐き捨てる。
「よく言うよ。そいつらの首、ちゃんと残しておいてあげたの? 凡人でも死人でも、歪虚でも堕落者でも、“首を刎ねよ”――だもんね。“ハートのクイーン”」
――シュヴァルツと同様、彼も又、帝国軍に所属する軍人であった。シュヴァルツが窺うような視線で、烏羽の男を横目に見る。男は自身の通り名を耳にした一瞬、質の悪い笑みを浮かべたが、瞬きの間に塗り替えられた。
「まさか。此処は戦場ではないしね。ふふ……それとも、君にプレゼントしてあげればよかったかな?」
「そんな趣味の悪いもの受け取って喜ぶのは、あんたくらいでしょ。一緒にしないでよね」
「……? ねー……なんの話し、してるの……?」
「クーには関係ないよ」
「ふーん……? あ……そうだ……あのねー……クロ……山だよ、山ー……」
「は?」
「山……行こー……?」
「行けば? クーはちょっと黙っててくれる?」
「おや、酷いじゃないか。もう少し優しい言い方は出来ないのかい?」
「じゃあ、あんたが優しくしてやればいいじゃん。あんたの趣味でしょ? ――首から上は」
「ふふ。君を可愛がってあげようか? 黒亜」
犬と猿。
虎と龍。
黒猫と翠蛇――。
極り通りの二人の“対話”に、苦笑を凝らせるシュヴァルツが、「時間だぜ。そろそろ行かねぇと」と、男に声をかける。
「残念。お楽しみはまた今度だね」
男はそう囁くと、顎を反らしながら、くるり、と、身を翻し、道の上に一線を置いたような足取りで歩いていった。
「んじゃな。黒亜、ちゃんと紅亜と一緒に――」
「帰るよ。……気が向いたらね」
「おう。っと、紅亜は伝言、頼んだぜ」
「んー……りょーかい……」
「じゃ、またな。お二人さん」
男の後を追うシュヴァルツの背中が見えなくなった後、黒亜が「伝言?」と、紅亜に問う。
「んー……ハクに……」
「なにを」
「山、行こうって……」
「は?」
そういえば、先程も同じことを言っていた。
「えっと、ねー……なんか……避暑地にある森の奥、行くと……有名なアンティークホテルがあるんだって……」
「ホテル?」
「うん……シュヴァルツが貸し切りにしてくれたから……みんなで、小旅行に行こうって……」
「……は? ちょっと待って、なにそれ」
「お料理とか、デザート……美味しいんだって……ガーデンとか……お風呂も、開放的で……綺麗だって……えへへー……楽しみだねー……」
「……まさかとは思うけど、ハク兄に相談する前に了承したの?」
「んー……? 行くって言ったよー……? だって……旅行の日……公演ないでしょ……?」
最早それは伝言ではない。事後報告だ。
「お部屋たくさんあるから……お友達とか、誘っていいって……」
「興味ない。ていうか、オレ行かなくていいでしょ」
「えー……」
「兄妹で旅行とか、なんで今更」
「シュヴァルツ達も行くよ……?」
「……だからでしょ」
「えー……せっかく……昔みたいに……賑やかに、なってきたのに……」
「……」
「……」
「ほら、帰るよ。荷物貸して」
「んー……」
「……旅行の予定なら、早くハク兄に伝えなきゃでしょ。怒られてもオレはフォローしないからね」
黒亜は紅亜の腕から紙袋をひったくると、素気ない態度のまま家路を辿った。
「――なあ、白亜くらいには伝えておいた方がよかったんじゃねぇの?」
「何故。彼の澄まし顔が崩れるところを見てみたいじゃないか」
「アンティークホテルって言やぁ聞こえはいいが、要はからくり館なんだろ? しかも、曰く付きって話しじゃねぇか。おかしいと思ったぜ、このシーズンにがら空きとかよ」
「ふふ。善意の支出に感謝するよ、“ダイヤのキング”」
「よく言うぜ」
「まあ、楽しもうじゃないか。俺も、どんな仕掛けがあるかなんて知らないしね」
「お前よぉ……白亜とは数ヶ月ぶりに会うんだろ? ひでぇ仕打ちじゃね?」
「とんでもない。俺は只、軍を辞職した“スペードのエース”が、毎夜どんな気持ちで目を閉じているのか……興味があるだけだよ」
口角を歪めて、烏羽の男――桜久世 琉架は、奇妙な笑みを浮かべたのであった。
リプレイ本文
●
隠れた言葉。
「(故郷の古い言葉、か……まさかうちがこんなん使うとはな……)」
隠された想い。
●
猫が尻尾をピンと立てている時、どんな気持ちか知っていますか?
「みんなとの~りょ~こ~う~森の中~洋館出てき――おお! ふニャぁ、雰囲気のあるホテルニャスなぁ……! ゆーれい出るニャスかな、ゆーれい! ニャははは!」
こんな時です。
豊かな深緑。
清涼な森林。
囀る木漏日。
山麓に広がる自然の中で、ひっそりと佇む――アンティークホテル『Neuro』
「ニャふふふーん♪ ……うニャ?」
何時もより五割増しで燥ぐ桃猫――ミア(ka7035)が、何時もより八割増しで機嫌の悪い黒猫――黒亜(kz0238)の様子に、猫耳フードを傾げる。
「(なんとなく琉架ちゃんと距離とってるニャス? なんでかニャぁ?)」
ミアの直感と視線が、彼――桜久世 琉架へ注がれる。白亜(kz0237)と親しげに話していた琉架の面が、ふと、此方へ向いた。ミアの興味津々な気配を感取したのだろう。返された柔和な微笑みに釣られて、ミアは、ふニャぁ♪ と、目許を緩ませた。
「とりま、クロちゃんのことは気にしておいてあげようニャス! ミア、おねーさんニャスしなぁ!」
「……ねえ。心の声がダダ漏れしてるの、気づいてる? それにオレ、三毛より年上なんだけど」
「年じゃニャくって身長の――」
猫のほっぺって意外と伸びるんです。
一同は玄関を抜ける。
年代を経た品格ある異次元空間に、レナード=クーク(ka6613)は「わあ、素敵なホテルやんね!」と、感嘆の声を漏らした。
「ふふ、皆でお泊りするなんて初めてやから、とってもわくわくするやんねー! ハクアさん達のお知り合いさんも一緒やなんて、賑やかで楽しそうな予感がするわぁ」
けれど、
「……何でか凄く胸騒ぎもするんやけど……き、気のせい……やんね?」
言いようのない不安が、心の芯と髪を撫でる。いや、髪はきっと気の所為だ。そうに違いないやんね! by 空色の小鳥
そして――此処にも一人、心に深い影を落としていた。
「こんなにゆっくり羽を伸ばしに来たのはいつぶりかしら。しっかし、よくもまあこんなホテル貸し切りにできたわねー」
集った面子は、馴染みのある者ばかり。ロベリア・李(ka4206)は、金の瞳を安堵の色で滲ませていた。しかし、言は多くを語らない。今回は“染み”が、ひとつ。擦る度に色濃くなり、消えない跡を残す、厄介な――黒。
「ホント、普通に羽を伸ばせればいいんだけど」
不安を消化しきれないのは、何時ものことなのだが。
「美丈夫2人は初めまして、だな。よろしく。これも”縁”だ、楽しくやろうぜ」
初見の二人と挨拶を交わした後、浅生 陸(ka7041)は、案内された部屋で一息ついていた。アンティークアーチの窓を開け放つと、優雅に咲き誇る薔薇園が見渡せる。
風に運ばれてくる華やかな香りに、心が浮き立った。
「白藤やミア、親しい顔ぶれにも驚くほど心が安らぐな」
童心に返ったような弾みに見え隠れするのは、少しの罪悪感――。
「そんな相手が自分にいる幸せが、くすぐったい」
しかし、今日だけは、そっと目を伏せて。
何処かで――
ぽろろん。
ぽろろん。
ピアノが鳴り始める。
その音色は、初夏の葉が舞い落ちていくような爽やかな響きであった。
「(――ピアノか。そう言えば、ロッソに居た頃にジャズバンドを組んでたのよね。私はジャズピアノ担当だったわ)」
鍵盤の上を駆け巡る指。
「(久しぶりに弾いたわね。腕は鈍ってるけど……)」
繊細な音階。絡み合う低音と高音。
「(……ああ、この感触。懐かしいわ)」
揺れる身体。
動く心。
「(そう、スウィングのリズムに乗って。テンポは正確に……ビートを刻んで……)」
感性の赴くまま、メロディーラインにアドリブを謳わせて。
目を閉じ。
耳を傾ける。
仲間達の笑い声。
思い思いに楽器を持ち寄り広がっていく音。
自分のアドリブに合わせてサックスを吹く相棒――。
響いてくる、情調。
「――なんだ。意外と覚えてるものね。色々と」
其処へ――
「あっ、ロベリアさんやったんやね」
レナードがフルートを手に、サロンへやってきた。
「えへへー。僕もご一緒してえぇかなぁ? 音楽の事なら、任しとって!」
鳥の囀りのような美しい音色が、ピアノの旋律と共に宙を舞う。加えて――
ぴー♪
ぷー♪
ぽー♪
離れた所から、陽気なオカリナの音が響いてきた。ロベリアとレナードのデュオに、幸福の吐息が重なる。
それは、陽が差す午後の、小さな演奏会。
絆を育む、確かな音色――。
ジュリアオレンジ色のオカリナを猫型のポシェットへしまうと、ミアは黒亜を誘って薔薇園へ来ていた。
薔薇の咲き誇る美しさと豊かな甘い香りが、二人を迎え入れる。
可愛らしい八重歯を覗かせながら蔓の白薔薇を眺めていたミアが、「なあなあ」と、無愛想マシマシの黒亜へ振り返った。
「ミアに似合う薔薇を選んでみろニャス」
「……は? なにその上から目線」
黒亜は不満げに言いつつ、目は薔薇の海を泳いでいた。軈て、柘榴の眼差しは一角へ留まる。
「アプリコット・キャンディとか……まあ、それらしいんじゃない?」
「おお、淡い橙色がキレイニャスなぁ。クロちゃんがイメージするミア、こんな感じニャス?」
「さあ」
お?
「――俺だったら、ミアちゃんにはハニーブーケを選ぶけどね」
その穏やかな声音が響いた途端、黒亜は露骨に眉間の皺を寄せた。
「あ、琉架ちゃん! ミア、はちみつニャス?」
「ふふ。“蜂蜜の花束”を意味する花名のようだよ。オレンジがかった優しい色合いのイエローが、君の雰囲気に合うんじゃないかな」
「……三毛に黄色い薔薇は似合わないと思うけど」
「おや、何故だい?」
「色々と薄らいでるあんたと一緒にするな、って話だよ」
「へえ? 夢も叶えられないおチビちゃんがよく言うね」
「……あ?」
Oh……。
「あ! 見てくれニャス! 珍しいお色の薔薇ニャスよ!」
ミアなりに機転を利かせたのか、自身の指先へ二人の意識を逸らす。
「やや? ああ、黒薔薇だね」
「ほニャぁ。……なんか」
「ん?」
「琉架ちゃんの雰囲気と似てるニャスネ!」
ミアの無垢な発言に、ぽかんと面食らう琉架。そんな彼を横目に、黒亜はしたり顔でほくそ笑んでいたのであった。
古い本の香りと荘厳な空間の中で、ぺらり、と、頁をめくる音が響く。
灰を帯びる視線が、流水の如く文字を追っていた。程なくして裏表紙を閉じると、文章の余韻に浸るかのように緩やかな呼吸をつく。
「魔法に関する本があれば、借りてみよかなーなんて思っとったけど……つい読み耽てしもたやんね。ええ本、揃っとるわぁ」
高揚した語調で本を棚へ戻す。鏡張りの床に映される、レナードと黒髪の少女。
「ほあ……?」
大丈夫。
「……」
見間違いだ。
「みっ……みんな、何処にいるやんねっ……!?」
居た堪れなくなったレナードは、急ぎ足で書斎を後にした。
その場に残った生々しい視線は、糸を切るように消えた。
レナードの足は、賑やかな声音が漏れるサロンへと駆け込んでいた。中では丁度、ミア達が薔薇園から戻って来ていたようだが――
「Σちょう! ミア、何で泥んこになっとるん!? 何して遊んだんや……もう」
「随分はしゃいできたみたいね。ほら、お湯に浸かって泥落としてらっしゃい」
と、白藤(ka3768)とロベリア。
「あいあーい♪」
従順な返答と共にバスルームへ向かうミアの後ろ姿を、白亜とシュヴァルツが穏やかな眼差しで見送る。
「泥だらけになるほど楽しかったのだろうな」
「興味のなせる技よね。微笑ましいわー」
なにこの、母親ーズと父親ーズ。
「……ほんま、和むやんね」
ほっと肩の力を抜くレナードを、黒亜が「?」と、訝しげに眺めていた。
しかし、この後――事件が起きる。
「みあー! 洗いっこしょ……おぉぉぉ!?」
ワイン風味に茹だったミア!
死因は転寝!
容疑者はアヒル隊長!
次回、悲しみに怒り狂った姉猫が見た真実とは!?
――え? 色々オカシイ? コメディだからいいんだよ。
●
夕食を味わった後、陸は紅亜(kz0239)を誘ってサロンに来ていた。
「昼間にロベリア達が演奏してたな、見事なもんだった」
陸は感慨深げに話しかけると、こくりと頷く紅亜の瞳を覗き込みながら、静かに問うた。
「紅亜は、団長とクロのどういうところが好きなんだ?」
「好き……?」
「……ああ。紅亜が想う”愛しい”って気持ちを聞きたいんだ」
黒と紅。
交錯するように結び合う、二人の視線。
紅亜は一時、思考を巡らせると、徐に薄紅色の唇を開いた。
「私を……愛してくれる……から――かな……。家族を愛せなかったり……愛されないのは……哀しい……」
「……ん、そうだな」
「“愛することを怖がっていたら、何も得られない”……ハクが、言ってた……」
何かが陸の胸をどきんと下から突き上げてきたその時、俄に――
バカンッ!!!
「Σうおッ!?」
「はわ……」
床が抜けた。
「――KY? そんなの知らねーニャス」
暗い穴へ呑み込まれていった二人を、“猫の手”がひらひらと見送っていた。
満天の薔薇に咲く――
「さて、白亜。ちょいとデートでもせぇへん?」
二つの白。
「琉架と接する白亜は、少しいつもとちゃうやろかな……?」
「そうか? ふむ……長年背中を合わせ、命を預けた相手だからな」
その感情の交錯が面白くもあり、少し寂しくもあるのは、埋めることの出来ない時間の溝があるからだろうか。
夜の露に色付く薔薇は、日中よりも何処か濃厚で、艶やかな芳香を放っていた。
地の花と、天の星。
夜空の天鵞絨に煌めく銀の砂が、光を散らす。
“貴方は”
「白亜、星が綺麗やね」
“私の想いを知らないでしょうね”
鷲目石の双眸に瞬きを落として、夜さり姫は故郷の古言を紡いだ。
目に見える“星”は僅かだ。しかし、それでいい。見上げられればそれで、満足だ。
「月も綺麗だぞ」
そう――
「君も、そうは思わないか?」
満足、だ。
“何も知らない”彼は、吃驚した白藤の心を透すような瑠璃の深さで、彼女を一途に見据えていた。
暗闇の小部屋。
「紅亜、怪我はないか?」
「うむ……これって……落とし穴……?」
「みたいだな」
「抱き留めてくれて、ありがと……陸の胸……あったかい……ここで寝ても、いい……?」
「俺の胸でいいならいくらでも貸してやるけど、地下の隠し部屋で――っていうのはちょっとな。……いや、その前に団長に怒られないかしら、俺」
陸は苦笑しながら紅亜の手を引いて、埃舞う暗がりを後にした。
まるで、落とし穴の仕打ちのお詫びと言わんばかりに、出口は絶景の薔薇園へと続いていた。「ついでだしな」と、二人は薔薇のアーチをくぐり、散策する。
「実は、姪を連れてこない旅行は初めてなんだ。夜は傍にいてやりたくて」
夜風に揺れる薔薇の波を穏やかに見つめながら、陸が話す。
「でも本人が行っていいって言ってくれた。……我慢させてるのかな、まだ10歳の女の子なんだ。父親じゃない分、ちゃんと甘えさせてやれてるか不安になることがある」
「父親だから甘えられる……わけじゃ……ないと思う、よ……。心を許していれば……自然と……甘えられる……だから……きっと、大丈夫……」
「……ん、ありがとな。そうだ、良かったら帰りに、姪に土産を選んでやってくれ。紅亜のセンスがいい……かな」
「んー……? じゃあ……さっきお店で見かけた、黒犬の親子のお人形とか……どう……?」
一輪の赤い薔薇が、微笑むように揺れた。
●
ジャズが流れる、心地良い大人な空間。
ロベリアと二人の軍人は、過ぎ行く時と共にゆったりとグラスを交わしながら、バーでポーカーをしていた。
「――あら、また私の負け? あんた達、相当手慣れてるわねー」
「李は結構顔に出てたぜ。意外だったわ」
「そう? ……ところでシュヴァルツ。良い胃薬持ってない?」
「胃もたれか?」
「いや、色々と胃痛の種が多くて……」
薄い苦笑がロベリアの顔に上る。
シュヴァルツは白い歯を零すと、胸ポケットから抜いた薬包を手渡しながら、“アドバイス”をした。
「悩むことすら楽しめ。巡り会っちまったら、付き合っていくしかねぇのよ」
其処へ、夜のホテルを探検していたミアがやってきた。
「あらまあ、猫耳フードの可愛らしい探検隊長さんが来たわね。何か飲んでいく? お酒なら――」
「ミア、ミルク!」
差し出されたミルクをくぴくぴと飲むミアを、大の大人三人は、和んだ目許で見つめていた。
満天の星空を眺望しながら湯浴みを済ませ、寝間着に袖を通すと、同室の二人――レナードと陸のボーイズトークが始まる。
「――ハンターになった理由? そうやんね……憧れた“先生”の様になりたかったから、やろか」
「へえ。柔和なレナードが引かれるんだ、きっといい人なんだろうな。俺はレナードの柔らかくて素直なところ、好きだよ。いい環境で育ったんだろうなって」
「え、えへへー……照れるけど、嬉しいやんね!」
「はは。そう言えば、レナードには家族はいるのかい?」
「――、……ん。んー……あ、あははー……えっと、陸さんのお話も聞けたらええなぁ……なんて」
その時が、来たら――。
察した陸は、飾り立てのない笑顔で応える。
「俺は昔から音楽と機械が好きでさ、色んな現場に行ってその場に適した音を作る仕事をしていたんだ」
「わあ、かっこいいやんね! ……ふふふー、陸さんは好きな人はおるんやろか」
陸の双眸に、軽いはにかみと戸惑いが表れる。
「……未来を傍で見たい、と思う子はいる」
独白するように囁くと、そっと目を伏せて――
「レナードが考えている子であっているよ……多分」
その言葉にすら、心の底から湧き上がる愛しさが籠められていた。
夜更け――企んでいた夜リボン這いを“白狼”の手によって早々に阻止され、部屋へ連行された姫がいたとかいないとか。
●
陽射しに、瑞々しい初夏の香りがする。
「姉さん……?」
寝惚けている時にしか呼ばれなくなった声音が、隣のベッドから聞こえてきた。
「(でもまあ……だからこそ、今の縁がある。不思議なものね)」
感傷に浸る吐息を静かに零すと、ロベリアは白藤に声を掛ける。
「ほら、顔洗ってきなさいな。……そう言えばあんた、昨日の夜何しでかしてきたの?」
「Σ……!? な、なんも……ああ、そや! ミアと紅亜の部屋に薔薇の花弁散りばめてきたんよって。起きた時にお姫様の気分やろ♪」
「……」
「? なんや」
「ベッドの足許見てみなさい」
「なん――
Σふおおっ!?」
其処には、薔薇の花弁をパン屑にした猫と金魚が、涎を垂らしながらすやぁと丸まっていたのであった。
**
帰り道の影法師は濃い。
夏が、始まる――。
隠れた言葉。
「(故郷の古い言葉、か……まさかうちがこんなん使うとはな……)」
隠された想い。
●
猫が尻尾をピンと立てている時、どんな気持ちか知っていますか?
「みんなとの~りょ~こ~う~森の中~洋館出てき――おお! ふニャぁ、雰囲気のあるホテルニャスなぁ……! ゆーれい出るニャスかな、ゆーれい! ニャははは!」
こんな時です。
豊かな深緑。
清涼な森林。
囀る木漏日。
山麓に広がる自然の中で、ひっそりと佇む――アンティークホテル『Neuro』
「ニャふふふーん♪ ……うニャ?」
何時もより五割増しで燥ぐ桃猫――ミア(ka7035)が、何時もより八割増しで機嫌の悪い黒猫――黒亜(kz0238)の様子に、猫耳フードを傾げる。
「(なんとなく琉架ちゃんと距離とってるニャス? なんでかニャぁ?)」
ミアの直感と視線が、彼――桜久世 琉架へ注がれる。白亜(kz0237)と親しげに話していた琉架の面が、ふと、此方へ向いた。ミアの興味津々な気配を感取したのだろう。返された柔和な微笑みに釣られて、ミアは、ふニャぁ♪ と、目許を緩ませた。
「とりま、クロちゃんのことは気にしておいてあげようニャス! ミア、おねーさんニャスしなぁ!」
「……ねえ。心の声がダダ漏れしてるの、気づいてる? それにオレ、三毛より年上なんだけど」
「年じゃニャくって身長の――」
猫のほっぺって意外と伸びるんです。
一同は玄関を抜ける。
年代を経た品格ある異次元空間に、レナード=クーク(ka6613)は「わあ、素敵なホテルやんね!」と、感嘆の声を漏らした。
「ふふ、皆でお泊りするなんて初めてやから、とってもわくわくするやんねー! ハクアさん達のお知り合いさんも一緒やなんて、賑やかで楽しそうな予感がするわぁ」
けれど、
「……何でか凄く胸騒ぎもするんやけど……き、気のせい……やんね?」
言いようのない不安が、心の芯と髪を撫でる。いや、髪はきっと気の所為だ。そうに違いないやんね! by 空色の小鳥
そして――此処にも一人、心に深い影を落としていた。
「こんなにゆっくり羽を伸ばしに来たのはいつぶりかしら。しっかし、よくもまあこんなホテル貸し切りにできたわねー」
集った面子は、馴染みのある者ばかり。ロベリア・李(ka4206)は、金の瞳を安堵の色で滲ませていた。しかし、言は多くを語らない。今回は“染み”が、ひとつ。擦る度に色濃くなり、消えない跡を残す、厄介な――黒。
「ホント、普通に羽を伸ばせればいいんだけど」
不安を消化しきれないのは、何時ものことなのだが。
「美丈夫2人は初めまして、だな。よろしく。これも”縁”だ、楽しくやろうぜ」
初見の二人と挨拶を交わした後、浅生 陸(ka7041)は、案内された部屋で一息ついていた。アンティークアーチの窓を開け放つと、優雅に咲き誇る薔薇園が見渡せる。
風に運ばれてくる華やかな香りに、心が浮き立った。
「白藤やミア、親しい顔ぶれにも驚くほど心が安らぐな」
童心に返ったような弾みに見え隠れするのは、少しの罪悪感――。
「そんな相手が自分にいる幸せが、くすぐったい」
しかし、今日だけは、そっと目を伏せて。
何処かで――
ぽろろん。
ぽろろん。
ピアノが鳴り始める。
その音色は、初夏の葉が舞い落ちていくような爽やかな響きであった。
「(――ピアノか。そう言えば、ロッソに居た頃にジャズバンドを組んでたのよね。私はジャズピアノ担当だったわ)」
鍵盤の上を駆け巡る指。
「(久しぶりに弾いたわね。腕は鈍ってるけど……)」
繊細な音階。絡み合う低音と高音。
「(……ああ、この感触。懐かしいわ)」
揺れる身体。
動く心。
「(そう、スウィングのリズムに乗って。テンポは正確に……ビートを刻んで……)」
感性の赴くまま、メロディーラインにアドリブを謳わせて。
目を閉じ。
耳を傾ける。
仲間達の笑い声。
思い思いに楽器を持ち寄り広がっていく音。
自分のアドリブに合わせてサックスを吹く相棒――。
響いてくる、情調。
「――なんだ。意外と覚えてるものね。色々と」
其処へ――
「あっ、ロベリアさんやったんやね」
レナードがフルートを手に、サロンへやってきた。
「えへへー。僕もご一緒してえぇかなぁ? 音楽の事なら、任しとって!」
鳥の囀りのような美しい音色が、ピアノの旋律と共に宙を舞う。加えて――
ぴー♪
ぷー♪
ぽー♪
離れた所から、陽気なオカリナの音が響いてきた。ロベリアとレナードのデュオに、幸福の吐息が重なる。
それは、陽が差す午後の、小さな演奏会。
絆を育む、確かな音色――。
ジュリアオレンジ色のオカリナを猫型のポシェットへしまうと、ミアは黒亜を誘って薔薇園へ来ていた。
薔薇の咲き誇る美しさと豊かな甘い香りが、二人を迎え入れる。
可愛らしい八重歯を覗かせながら蔓の白薔薇を眺めていたミアが、「なあなあ」と、無愛想マシマシの黒亜へ振り返った。
「ミアに似合う薔薇を選んでみろニャス」
「……は? なにその上から目線」
黒亜は不満げに言いつつ、目は薔薇の海を泳いでいた。軈て、柘榴の眼差しは一角へ留まる。
「アプリコット・キャンディとか……まあ、それらしいんじゃない?」
「おお、淡い橙色がキレイニャスなぁ。クロちゃんがイメージするミア、こんな感じニャス?」
「さあ」
お?
「――俺だったら、ミアちゃんにはハニーブーケを選ぶけどね」
その穏やかな声音が響いた途端、黒亜は露骨に眉間の皺を寄せた。
「あ、琉架ちゃん! ミア、はちみつニャス?」
「ふふ。“蜂蜜の花束”を意味する花名のようだよ。オレンジがかった優しい色合いのイエローが、君の雰囲気に合うんじゃないかな」
「……三毛に黄色い薔薇は似合わないと思うけど」
「おや、何故だい?」
「色々と薄らいでるあんたと一緒にするな、って話だよ」
「へえ? 夢も叶えられないおチビちゃんがよく言うね」
「……あ?」
Oh……。
「あ! 見てくれニャス! 珍しいお色の薔薇ニャスよ!」
ミアなりに機転を利かせたのか、自身の指先へ二人の意識を逸らす。
「やや? ああ、黒薔薇だね」
「ほニャぁ。……なんか」
「ん?」
「琉架ちゃんの雰囲気と似てるニャスネ!」
ミアの無垢な発言に、ぽかんと面食らう琉架。そんな彼を横目に、黒亜はしたり顔でほくそ笑んでいたのであった。
古い本の香りと荘厳な空間の中で、ぺらり、と、頁をめくる音が響く。
灰を帯びる視線が、流水の如く文字を追っていた。程なくして裏表紙を閉じると、文章の余韻に浸るかのように緩やかな呼吸をつく。
「魔法に関する本があれば、借りてみよかなーなんて思っとったけど……つい読み耽てしもたやんね。ええ本、揃っとるわぁ」
高揚した語調で本を棚へ戻す。鏡張りの床に映される、レナードと黒髪の少女。
「ほあ……?」
大丈夫。
「……」
見間違いだ。
「みっ……みんな、何処にいるやんねっ……!?」
居た堪れなくなったレナードは、急ぎ足で書斎を後にした。
その場に残った生々しい視線は、糸を切るように消えた。
レナードの足は、賑やかな声音が漏れるサロンへと駆け込んでいた。中では丁度、ミア達が薔薇園から戻って来ていたようだが――
「Σちょう! ミア、何で泥んこになっとるん!? 何して遊んだんや……もう」
「随分はしゃいできたみたいね。ほら、お湯に浸かって泥落としてらっしゃい」
と、白藤(ka3768)とロベリア。
「あいあーい♪」
従順な返答と共にバスルームへ向かうミアの後ろ姿を、白亜とシュヴァルツが穏やかな眼差しで見送る。
「泥だらけになるほど楽しかったのだろうな」
「興味のなせる技よね。微笑ましいわー」
なにこの、母親ーズと父親ーズ。
「……ほんま、和むやんね」
ほっと肩の力を抜くレナードを、黒亜が「?」と、訝しげに眺めていた。
しかし、この後――事件が起きる。
「みあー! 洗いっこしょ……おぉぉぉ!?」
ワイン風味に茹だったミア!
死因は転寝!
容疑者はアヒル隊長!
次回、悲しみに怒り狂った姉猫が見た真実とは!?
――え? 色々オカシイ? コメディだからいいんだよ。
●
夕食を味わった後、陸は紅亜(kz0239)を誘ってサロンに来ていた。
「昼間にロベリア達が演奏してたな、見事なもんだった」
陸は感慨深げに話しかけると、こくりと頷く紅亜の瞳を覗き込みながら、静かに問うた。
「紅亜は、団長とクロのどういうところが好きなんだ?」
「好き……?」
「……ああ。紅亜が想う”愛しい”って気持ちを聞きたいんだ」
黒と紅。
交錯するように結び合う、二人の視線。
紅亜は一時、思考を巡らせると、徐に薄紅色の唇を開いた。
「私を……愛してくれる……から――かな……。家族を愛せなかったり……愛されないのは……哀しい……」
「……ん、そうだな」
「“愛することを怖がっていたら、何も得られない”……ハクが、言ってた……」
何かが陸の胸をどきんと下から突き上げてきたその時、俄に――
バカンッ!!!
「Σうおッ!?」
「はわ……」
床が抜けた。
「――KY? そんなの知らねーニャス」
暗い穴へ呑み込まれていった二人を、“猫の手”がひらひらと見送っていた。
満天の薔薇に咲く――
「さて、白亜。ちょいとデートでもせぇへん?」
二つの白。
「琉架と接する白亜は、少しいつもとちゃうやろかな……?」
「そうか? ふむ……長年背中を合わせ、命を預けた相手だからな」
その感情の交錯が面白くもあり、少し寂しくもあるのは、埋めることの出来ない時間の溝があるからだろうか。
夜の露に色付く薔薇は、日中よりも何処か濃厚で、艶やかな芳香を放っていた。
地の花と、天の星。
夜空の天鵞絨に煌めく銀の砂が、光を散らす。
“貴方は”
「白亜、星が綺麗やね」
“私の想いを知らないでしょうね”
鷲目石の双眸に瞬きを落として、夜さり姫は故郷の古言を紡いだ。
目に見える“星”は僅かだ。しかし、それでいい。見上げられればそれで、満足だ。
「月も綺麗だぞ」
そう――
「君も、そうは思わないか?」
満足、だ。
“何も知らない”彼は、吃驚した白藤の心を透すような瑠璃の深さで、彼女を一途に見据えていた。
暗闇の小部屋。
「紅亜、怪我はないか?」
「うむ……これって……落とし穴……?」
「みたいだな」
「抱き留めてくれて、ありがと……陸の胸……あったかい……ここで寝ても、いい……?」
「俺の胸でいいならいくらでも貸してやるけど、地下の隠し部屋で――っていうのはちょっとな。……いや、その前に団長に怒られないかしら、俺」
陸は苦笑しながら紅亜の手を引いて、埃舞う暗がりを後にした。
まるで、落とし穴の仕打ちのお詫びと言わんばかりに、出口は絶景の薔薇園へと続いていた。「ついでだしな」と、二人は薔薇のアーチをくぐり、散策する。
「実は、姪を連れてこない旅行は初めてなんだ。夜は傍にいてやりたくて」
夜風に揺れる薔薇の波を穏やかに見つめながら、陸が話す。
「でも本人が行っていいって言ってくれた。……我慢させてるのかな、まだ10歳の女の子なんだ。父親じゃない分、ちゃんと甘えさせてやれてるか不安になることがある」
「父親だから甘えられる……わけじゃ……ないと思う、よ……。心を許していれば……自然と……甘えられる……だから……きっと、大丈夫……」
「……ん、ありがとな。そうだ、良かったら帰りに、姪に土産を選んでやってくれ。紅亜のセンスがいい……かな」
「んー……? じゃあ……さっきお店で見かけた、黒犬の親子のお人形とか……どう……?」
一輪の赤い薔薇が、微笑むように揺れた。
●
ジャズが流れる、心地良い大人な空間。
ロベリアと二人の軍人は、過ぎ行く時と共にゆったりとグラスを交わしながら、バーでポーカーをしていた。
「――あら、また私の負け? あんた達、相当手慣れてるわねー」
「李は結構顔に出てたぜ。意外だったわ」
「そう? ……ところでシュヴァルツ。良い胃薬持ってない?」
「胃もたれか?」
「いや、色々と胃痛の種が多くて……」
薄い苦笑がロベリアの顔に上る。
シュヴァルツは白い歯を零すと、胸ポケットから抜いた薬包を手渡しながら、“アドバイス”をした。
「悩むことすら楽しめ。巡り会っちまったら、付き合っていくしかねぇのよ」
其処へ、夜のホテルを探検していたミアがやってきた。
「あらまあ、猫耳フードの可愛らしい探検隊長さんが来たわね。何か飲んでいく? お酒なら――」
「ミア、ミルク!」
差し出されたミルクをくぴくぴと飲むミアを、大の大人三人は、和んだ目許で見つめていた。
満天の星空を眺望しながら湯浴みを済ませ、寝間着に袖を通すと、同室の二人――レナードと陸のボーイズトークが始まる。
「――ハンターになった理由? そうやんね……憧れた“先生”の様になりたかったから、やろか」
「へえ。柔和なレナードが引かれるんだ、きっといい人なんだろうな。俺はレナードの柔らかくて素直なところ、好きだよ。いい環境で育ったんだろうなって」
「え、えへへー……照れるけど、嬉しいやんね!」
「はは。そう言えば、レナードには家族はいるのかい?」
「――、……ん。んー……あ、あははー……えっと、陸さんのお話も聞けたらええなぁ……なんて」
その時が、来たら――。
察した陸は、飾り立てのない笑顔で応える。
「俺は昔から音楽と機械が好きでさ、色んな現場に行ってその場に適した音を作る仕事をしていたんだ」
「わあ、かっこいいやんね! ……ふふふー、陸さんは好きな人はおるんやろか」
陸の双眸に、軽いはにかみと戸惑いが表れる。
「……未来を傍で見たい、と思う子はいる」
独白するように囁くと、そっと目を伏せて――
「レナードが考えている子であっているよ……多分」
その言葉にすら、心の底から湧き上がる愛しさが籠められていた。
夜更け――企んでいた夜リボン這いを“白狼”の手によって早々に阻止され、部屋へ連行された姫がいたとかいないとか。
●
陽射しに、瑞々しい初夏の香りがする。
「姉さん……?」
寝惚けている時にしか呼ばれなくなった声音が、隣のベッドから聞こえてきた。
「(でもまあ……だからこそ、今の縁がある。不思議なものね)」
感傷に浸る吐息を静かに零すと、ロベリアは白藤に声を掛ける。
「ほら、顔洗ってきなさいな。……そう言えばあんた、昨日の夜何しでかしてきたの?」
「Σ……!? な、なんも……ああ、そや! ミアと紅亜の部屋に薔薇の花弁散りばめてきたんよって。起きた時にお姫様の気分やろ♪」
「……」
「? なんや」
「ベッドの足許見てみなさい」
「なん――
Σふおおっ!?」
其処には、薔薇の花弁をパン屑にした猫と金魚が、涎を垂らしながらすやぁと丸まっていたのであった。
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帰り道の影法師は濃い。
夏が、始まる――。
依頼結果
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避暑?ホラーツアー?【相談卓】 ロベリア・李(ka4206) 人間(リアルブルー)|38才|女性|機導師(アルケミスト) |
最終発言 2018/07/22 18:31:23 |
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【質問机】 白藤(ka3768) 人間(リアルブルー)|28才|女性|猟撃士(イェーガー) |
最終発言 2018/07/19 00:31:58 |
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2018/07/17 21:50:11 |