じりじりと、日差しが地面を焼いていた。旅人のコートを乱暴に脱がそうとした北風、温和に脱ぐことを促した太陽、という物語があるらしいが、この強烈な暑さを思うと、むしろ乱暴に脱がせにかかっているのは太陽の方であるような気がする。
　そんな暑さの中であっても顔色を少しも変えない女が、ふたり。
　いや、ふたりのうちひとりは、黒いローブのフードをすっぽりとかぶっているため、顔色が変わっているのかどうかすらわからない。
「貴女も、強情な方ですねーえ」
　その、フードをかぶった女──アメリア・マティーナ（kz0179）がため息まじりに呟いた。もうひとりの女は、シェーラ・チェーロ。幾度となくアメリアと「空の研究所」の邪魔をし、ときには危機にも直面させた一連の事件の犯人である。
　アメリアは、彼女を捕らえて以来、小さな家に軟禁状態にて事情聴取のようなことをしているのだが、何一つとして語ろうとはしないのだった。
「なぜ、私の空の研究を邪魔してきたのか……、単独で動いていることなのか組織的なものなのか……、そして、これからどうしたいのか……。どれかひとつにでも答えてくれると、対処がしやすいのですがねーえ」
　苦笑めいたアメリアの口調にも、シェーラは穏やかに微笑むのみ。その微笑みは、何かを悟っているように、いや、諦めているように見えた。
「一連の行為に関する物的証拠がない以上、警邏に引き渡してもあまり意味はありませんし、権限の問題上、私が自分で貴女を罰することも出来はしません。そもそも、そんなことは望みませんしねーえ。私としては、今すぐにでも貴女を解放したいと思っているのですよーお。しかし、解放したはいいがまた研究の邪魔をされるようでは困りますからねーえ。もう二度と、私と研究所には関わらない、という約束が、欲しいのですよーお」
　そう、アメリアにとってシェーラが「邪魔をした理由」「邪魔をした結果得たかったもの」な何であるかということは、特に重要ではないし、特別知りたいとも思っていない。ただ、自分がこの先進めていく研究、この先王国のために役に立とうとする活動の邪魔をする行為がなくなればそれでいいのだ。
「……困りましたねーえ。このままここに留め置くわけにもいきませんしねーえ」
　シェーラをここに置く限り、研究員のキランや職員のスバルは彼女の監視をし続けねばならないことになり、本来の研究や業務が滞る。それはいうまでもなく「空の研究所」全体のマイナスに繋がるのだ。
「困りましたねーえ」
　アメリアはもう一度呟いて、大きなため息をついたのだった。



「で、どうするんだ？」
　キランがアメリアを半眼で見据えた。スバルと交代でシェーラの監視に当たっている彼は、予想以上に長引くこの状態に疲れ切っていた。監視、という決して気持ちよくできるわけではないことをさせられているのに加え、自分の研究が進まないことが大きくストレスになっているのである。
「仕方がありませんから、シェーラのことを徹底的に調べようと思います」
　アメリアは乗り気がしない心情を隠そうともしない声で言った。何を考えているかよくわからないと言われる彼女にとって、これはとても珍しいことではある。
「ほう？」
「別に知りたくはありませんが、私と会わなくなってからのシェーラがどのように生きてきて、どんな考えでこの一連の行動を起こしたのか、それを私が自分で調べ、知らなければこの件は解決しないと思うのですよーお」
「シェーラは話してくれそうにないからなあ」
「話したくない、というのは知ってほしくなはい、とイコールではないということですねーえ。……面倒な人です」
「は？」
「まあ、キランにはわからないでしょうねーえ。私も理解はできません」
　アメリアは肩をすくめた。キランは釈然としない様子で顔をしかめていたが、ふと思いついたように目を見開いた。
「なあ、シェーラのことを調べるってことはお前……」
「ええ。母の故郷に行かねばならないでしょうねーえ。……チェーロ家に」



　アメリアは、「空の研究所」の地下にある書庫「紙の階」にひとりたたずんでいた。手には、端々が擦り切れている古いノート。
「……どうか、許してくださいねーえ、お母さま」
　小さな小さなその呟きは、誰にも拾われることなく書物の間をすり抜けていった。

　黒いフードの下から、アメリア・マティーナ（kz0179）は恨めしいほどの熱と輝きを生む太陽をそっと見上げた。この太陽は、自分をどこへ導くだろうか、と思いながら。
「行くのか、アメリア」
　声をかけられ、アメリアが振り向いた。研究員であるキランが立っていた。黄色い髪を逆立てたトリッキーな姿はいつもどおりながら、普段は笑みを浮かべている顔が心配げに曇っている。
「はい、行きますよーお。早く終わらせてしまいたいですからねーえ。いつまでも研究が進まないのでは困ります」
「気をつけろよ」
「ええ。大丈夫ですよーお、頼れる方々にお越しいただけましたしねーえ」
　アメリアがそう言いながら視線を向けた先から、三人のハンターがやってきたのだった。



「ずっとだんまりかあ……。何をしたいのかな」
　マチルダ・スカルラッティ(ka4172)が呟いて小首をかしげた。アメリアから聞いていた、シェーラの様子を思い返し、考えを巡らせてみたのである。うーん、とボルディア・コンフラムス(ka0796)がうなる。
「研究を邪魔する理由、か……。嫉妬、憎悪、怨恨……、なんかどれもしっくり来ねぇなあ。あのカオとは結び付かねぇ。もっとこう、そうするしかなかった、みたいな気がすンだよなぁ」
　そんなふたりを、アメリアは無言で眺めていた。いつも通り、フードを目深にかぶった状態であるため、その下の表情はわからない。しかし、特に悩んだり焦ったりしている様子はなかった。
「そろそろ、村に到着しますが……、私は村の入り口付近の食堂にいることとさせていただきますねーえ。この格好でうろついては目立ちますし……、食堂は人が集まるところですからねーえ、聞き耳を立てていれば何か知ることができるかもしれません」
「……了解だよ。ある程度情報が集まったら、そこに皆で行って報告を入れることにするね」
　マチルダは、アメリアに何か訊きたそうにしていたが、ひとまずは情報収集にいそしむことにして頷いた。
「レイアにも伝えておかないとな」
　ボルディアも頷きつつ、トランシーバーを取り出した。レイア・アローネ(ka4082)は三人よりも先に村に入っているのである。効率的に情報を集めるためにも、バラバラに行動したほうが良いだろうという判断からだった。
『近隣住民に聞き込みをしてみたが、シェーラ・チェーロについては、皆、あまり話したがらないぞ。嫌われている、という感じではないが……、なんというか……、恐れられているというか……』
「恐れられている……？」
　レイアの報告を聞いて、マチルダとボルディアは顔を見合わせた。
『シェーラに対して友好的、とまではいかずとも、シェーラについてのマイナス情報を聞きたいわけではないのだ、という態度で行った方が良いのではないかと思う』
　レイアがそう続ける。ふたりはしっかりと頷いた。
「なるほどね。ありがとう、レイアさん」
「こっちももうすぐ村に入る。俺はまず学校と病院に行くつもりだ」
『そうか。学校へは私も行こうと思っていたが、そういうことなら任せよう。もう少し近隣住民への聞き込みを続ける』
　レイアとの通信を終えると、村はもう目の前だった。人通りの賑やかな、大きな村だ。
「では、よろしくお願いいたしますねーえ」
　宣言通り、さっさと食堂へと歩いてゆくアメリアを見送って、マチルダとボルディアも二手に分かれた。
「さーて、学校だな」
　ボルディアはぐるり、と周りを見回し、それらしき建物のある方へと歩き出した。道ゆく人々が、彼女の姿を遠巻きに見ている。ボルディアは臆することなく進んだ。こそこそしていては余計に怪しまれるだろう。堂々としていた方がいい。
　学校の事務室らしい窓口へ足を向けると、おおらかな笑顔の中年女性が対応してくれた。話しやすそうな人だ、と内心で安堵しつつ、ボルディアは「シェーラ・チェーロ」の子ども時代について教えてほしい、と切り出す。と。
「……シェーラさんの子ども時代については、うちで教えられることは、実はほとんどないんですよ」
　事務の女性が顔を曇らせた。
「怪しいモンじゃないんだ、シェーラは今王国で、ある事件の被害者になっていて、オレたちはその弁護のために調査に……」
「ああ、あなた方を疑っているとか、そういうことではなくて」
　事務の女性が慌ててボルディアの言葉を遮った。
「シェーラさんは……、チェーロ家のお子様方は学校へ通わないのですよ」
「え？」
　予想していなかった答えに、ボルディアは絶句した。
「チェーロ家は学問の一族。子供の教育は一族の中で行われるのです。村の学校などに通わせたところで身につけられるものなど何もない、というのが代々のお考えのようですよ」
「はあ……、なるほどねえ」
　なるほど、とは口で言いつつも、頭のいい連中の考えることはわからねえな、とボルディアは内心で毒づいていた。事務の女性は申し訳なさそうにしつつ、でも、と話を続ける。
「子ども時代は存じませんが、大人になってからのシェーラさんのことでしたら、お教えできることがいくつかございますよ」
「へ？」
「シェーラさんは……、というより、チェーロ家の皆さんは、必ず一度は、この学校で教鞭を取られますから。それも代々の決まりらしいですが」
「きょうべんをとる、ってことは……」
　思いもよらぬ方向へ行く話に、ボルディアが目を丸くする。
「はい、先生だった、ということです」
　事務の女性は、ふくよかな顔で頷いた。



　一方、マチルダは噴水広場にてタンバリンを手に、歌い舞っていた。彼女の故郷である都市同盟の伝統的な歌舞である。
　突然始まったマチルダのパフォーマンスを、村人たちは初めのうち遠巻きに見ていたが、にこにことふりまかれる笑顔に、次第に観客が集まってきた。リズムに合わせた手拍子が自然と起こり、マチルダの動きを真似て踊り始めた少女もいた。一曲終わると、拍手喝采。投げ銭をしようとする人々を、マチルダは慌てて止めた。
「待って待って、お金をもらうより、教えてほしいことがあるの」
「教えてほしいこと？」
　人々は不思議そうに首を傾げたが、マチルダが村の歴史や、特産品、古くからの伝承、行事などについて質問をすると、皆口々に話をしてくれた。この村は、ずいぶん村の人々に愛されている土地柄らしい。マチルダはふんふん、とそれらすべてに相槌を打った。単純に興味深い話が多かったため、わざわざ演技をせずとも自然に聞き入ることができた。そうしながら、さりげなくチェーロ家についての噂を集めるつもりだったのだが。
「昔から栄えた村だったけど、ここまで大きくなったのはここ五十年くらいだねえ。チェーロ家の存在によるところが大きいのだけれどねえ」
　ひとりの老婆の口から、「チェーロ家」という言葉が出てきたのである。マチルダは内心で息を飲みつつ、今度は意図的な演技をして身を乗り出した。
「やっぱりここはあの有名なチェーロ家のある村なんですね！　チェーロのお宅はどちらに？」
「ほら、あそこに、ひときわ大きなお屋敷があるだろう。あそこさ。そうか、村の外にも名声が届いているんだねえ。なんせ、あらゆる学問に精通した、優秀な人材を輩出しているんだものねえ。あの一族が学校を改革し、病院にも腕のいい医者を集めたことで、この村は大きく発展したのさ」
「すごーい、さすが！」
　マチルダは目を輝かせて感心して見せた。どうやらチェーロ家は、この村の基礎的な部分にずいぶんと根ざしているらしい。
「私、実は学問で身を立てたいと思っていて。でも、方向性が決まっていないんです。だから、チェーロ家に弟子入りして、さらなる勉強と将来設計をさせていただけないかと思って……」
　マチルダが言うと、老婆は少し顔を曇らせた。
「弟子入り、ねえ……。チェーロ家がそういった人を外部から受け入れたという話は聞いたことがないが……。どうだろうかねえ」
　老婆は傍らに立つ女性を見上げた。どうやら、老婆の娘であるらしい中年の女性は、うーん、とうなる。
「どうかねえ。あたしはお屋敷に毎日パンを配達しているんだけど……、そのついでにメイドさんに訊いてみてあげてもいいよ。一緒に来るかい？」
「はい！　お願いします！」
　思った以上に良い方向へ話が転がり、マチルダは少々驚きもしたが、すかさず頷き、返事をしたのだった。



　ボルディアが学校と病院の調査を終え、レイアも聞き込みがひと段落したとの連絡が入った。マチルダも、先ほどの女性がパンを配達に行く時間までまだ余裕があったため、三人は一度アメリアが待機している食堂へ集まることにした。
「隣近所の住民は、確かにチェーロ家に詳しく、家族構成もわかった。だが、驚くことにシェーラにはどうも友人という関係性の人物がひとりもいないそうなのだ」
　レイアがアメリアの正面に座って冷たい水を飲み干し、口を開いた。レイアはチェーロ家周辺の村人に聞き込みをしながら、シェーラと親しい人物を探していた。しかし、聞き込みをいくら重ねても「友人」という間柄の人物は現れないばかりか、誰の口からも「シェーラと仲の良かったのはあの人だ」というような話が出なかったのである。
「ひとりも？」
　ボルディアが眉を寄せる。アメリアはフードの下で苦笑した。
「まあ、私も友人と呼べるのはリナただひとりですから、あまり人のことは言えませんがねーえ」
　リナ、というのはまさしくアメリアの唯一の友人で、ファッションデザイナーをしている女性である。
「まあ、でもそれも納得、という感じがするぜ、俺の聞いてきた話と合わせるとな」
　ボルディアは学校で聞いてきた、「シェーラが先生をしていた」という話をしたあと、その先生であった間の様子について語りだした。
「シェーラは、めちゃめちゃ頭は良かったらしいんだが、教えるのはあまり上手くはなかったらしい。でも、学校で『チェーロ家』の存在は絶対らしくてな、誰も指摘できなかったそうだ。誰からも邪険に扱われなかったけど、同時に、誰からも親しくされてなかったってよ。そうそう、役場にも行って戸籍なんかを見せてもらったが、特に目ぼしい情報は出てこなかったぜ。有力貴族と縁を結んでいる、みたいなこともなかったな。……気になったのは、アメリアの母親らしき人物の名前がなかったことか」
　ボルディアが言いながらアメリアを見る。
「わざと消去されたのでしょう。私の母は昔、何らかの理由で実家と交流を断っていますからねーえ。その理由については、私も知らないのですけれど」
「うーん。見えてきたような来ないような、だね」
　マチルダが、小首を傾げて呟いた。そして、アメリアに向かって問いかける。
「シェーラさんは、小さい頃分かれたのに、ずっとアメリアさんの動向を探ってたってことだよね。北斗星は王女様でなく、アメリアさんだと言ってたし……、その辺はアメリアさん、どう思う？　アメリアさんが研究を進めると何か危険なことになるから、止めようとしてた可能性もあるのかな？」
「……それはつまり、友人のひとりもいないシェーラが、私のことを唯一の友だと思っていたのではないか、と、そういう解釈ですかねーえ？」
　アメリアのそのセリフからは、特に何の感情も読み取れなかった。マチルダは曖昧に頷く。そうであるかどうかの自信はない。
「少なくとも、私が感じていた限りでは、シェーラがそれほどに私と仲良くしていたことはないのですけどねーえ」
「そう、なんだ……」
　それ以上語ろうとしないアメリアを見て、レイアが助け舟を出した。
「今からそのチェーロ家へ行くことができるんだろう？　まだそこで何かわかるかもしれないぞ」
「そうだね」
　マチルダは気を取り直して大きく頷いた。



　パンの配達に同行したマチルダの話を聞いて、メイドは困ったように力なく笑った。
「私たちからはとてもご紹介できないわ。旦那様も奥様も、私たちのような「学のない使用人」のお話は聞いてくださらないから」
「え……」
　マチルダは絶句した。学がない、とメイドは言うが、年齢から考えても村の様子から考えても最低限の学校教育は受けていそうである。どう食い下がろうかとマチルダが必死に考えていると。
「ええい、シェーラは何をしているんだ！！！　もう何か月経っていると思っているのだ！！！」
　屋敷の奥から、男性の怒鳴り声が聞こえてきた。シェーラ、と聞こえたその名前にハッとしたマチルダはしかし、次の瞬間、さらなる驚愕に目を見開くこととなった。
「さっさとサラの娘を……、アメリアを殺して来いというのに！！！　たったそれだけのことが、どうしてそんなに難しいのだ！？　あのできそこないの落ちこぼれシェーラめ！！！」
　はっきりと、その声は言った。
　アメリアを殺して来い、と。



　マチルダの報告を聞いたアメリアは、はあ、と決して軽くはないため息をついた。
「つまりシェーラは、チェーロ家そのものに命令をされて私の命を狙っていた、ということですかねーえ。それにしては、直接命を狙われたことはあまりないように思うのですが。研究を邪魔されるばかりで、ねーえ……」
「それはきっと、シェーラさんがアメリアさんのこと本当は殺したくなかったからなんじゃない？」
　マチルダが身を乗り出してそう言うと、ボルディアがゆるく首を横に振った。
「そう希望的観測を話さない方がいいと思うぜ」
「まあ可能性がないとは思わないが」
　レイアも複雑そうな表情でいる。
「今回の調査は、ここまでとしましょうかねーえ。皆さん、ありがとうございました。……これは、なかなか簡単には片付かない問題のようです」
　アメリアは、食堂の窓から外を眺めた。西の方へと傾いた太陽はいまだ燦燦と輝き、強く熱い光を地上に送っていたが、アメリアの体はまるで北風に吹かれ続けたようにこごえているような、そんな錯覚を受けていた。