ゲスト
(ka0000)
なんでもない望月の夜に
マスター:鮎川 渓
このシナリオは5日間納期が延長されています。
みんなの思い出? もっと見る
オープニング
●
秋。
暑さで眠れぬ日々もいつしか過ぎ去り、辺境にも秋が訪れていた。
怠惰の軍勢との攻防が続き、決して静かな秋とは言えなかったが。
けれど辺境オフィスに『お手伝い』として居座っている香藤 玲(kz0220)は、そんな喧騒をよそに今日もオフィスのカウンターに座っていた。非常時言えど、オフィスを空にするわけにはいかない。
次々に訪れる依頼人を捌いているうちに、すっかり夜になってしまっていた。
玲のペットである幼いパルムが、窓辺にちんまり座っている。
名はパー子。
パルムだからパー子。
玲のネーミングセンスはそんなもんである。
ともあれ、パー子は働く主をぼんやりと眺めていた。
ぐうたらな玲が、最近やたらとオフィスの仕事に精を出している。
けれど意欲的かというと、そういうわけでもない。
オフィスの仕事が楽しいとか、やりがいを感じているというよりは、そこで仕事をし続けることで居場所を確保しようとしている――そんな風にパー子の目には映っていた。
玲がそんな風に変わったのは、先達て玲の故郷である日本での依頼から帰ってからだ。
紅界へ転移してくる前には半ば引きこもっていたという玲だから、ハンターと暴走した強化人間が命懸けで戦う光景はなかなかショックだったのかもしれないと、パー子は思っていた。
体調もよくないようで、最近しょっちゅう咳き込んでいる。オフィスから帰宅すると、寝る前のお菓子タイムもそこそこに眠ってしまう日も増えた。
パー子は依頼人が途切れた隙を見計らって、玲の許へ歩み寄った。カウンターによじ登り、玲の袖をつんつん引っ張る。
「ケホッ……どうしたの、パー子ちゃん?」
窓から見える月が綺麗で、それでも見て元気出せと言いたいけれど、幼いパー子はまだ喋ることができない。
一生懸命窓の方へ引っ張っていこうとするけれど、どうにも伝わらず。
「……? あ、ごめん。お客さん来たや、またあとでね」
桜色のワンピースの背をちょいっと抓まれ、そのままカウンターから降ろされてしまった。
パー子、しょんぼり。
とぼとぼと窓辺に戻り、月を見上げる。今宵は満月。欠けたところのない綺麗な銀の真円が、暗い夜空にぽっかりと浮かんでいた。カウンターからでも見えるだろうに、今の玲には心付く余裕もないらしい。
パー子はちょっぴり口惜しいような、泣きたいような気持ちになった。
けれどぶんぶんとキノコ頭を振り、思い直す。
――こんな月の夜、他のハンターさんたちは何してるだろう?
前にもパー子は、ハンターたちの雨の日の過ごし方が気になるあまり、ぷち家出を敢行している。こっそり抜け出してハンターウォッチングに勤しむのだ。
今夜もちょっと行ってみようか。そう考えると、沈みかけたパー子の気持ちが急激に上向きになる。
パー子は玲のデスクのひきだしからチョコを数枚失敬すると、肩がけポーチにたんと詰め、満月の許へ駆け出していった。
秋。
暑さで眠れぬ日々もいつしか過ぎ去り、辺境にも秋が訪れていた。
怠惰の軍勢との攻防が続き、決して静かな秋とは言えなかったが。
けれど辺境オフィスに『お手伝い』として居座っている香藤 玲(kz0220)は、そんな喧騒をよそに今日もオフィスのカウンターに座っていた。非常時言えど、オフィスを空にするわけにはいかない。
次々に訪れる依頼人を捌いているうちに、すっかり夜になってしまっていた。
玲のペットである幼いパルムが、窓辺にちんまり座っている。
名はパー子。
パルムだからパー子。
玲のネーミングセンスはそんなもんである。
ともあれ、パー子は働く主をぼんやりと眺めていた。
ぐうたらな玲が、最近やたらとオフィスの仕事に精を出している。
けれど意欲的かというと、そういうわけでもない。
オフィスの仕事が楽しいとか、やりがいを感じているというよりは、そこで仕事をし続けることで居場所を確保しようとしている――そんな風にパー子の目には映っていた。
玲がそんな風に変わったのは、先達て玲の故郷である日本での依頼から帰ってからだ。
紅界へ転移してくる前には半ば引きこもっていたという玲だから、ハンターと暴走した強化人間が命懸けで戦う光景はなかなかショックだったのかもしれないと、パー子は思っていた。
体調もよくないようで、最近しょっちゅう咳き込んでいる。オフィスから帰宅すると、寝る前のお菓子タイムもそこそこに眠ってしまう日も増えた。
パー子は依頼人が途切れた隙を見計らって、玲の許へ歩み寄った。カウンターによじ登り、玲の袖をつんつん引っ張る。
「ケホッ……どうしたの、パー子ちゃん?」
窓から見える月が綺麗で、それでも見て元気出せと言いたいけれど、幼いパー子はまだ喋ることができない。
一生懸命窓の方へ引っ張っていこうとするけれど、どうにも伝わらず。
「……? あ、ごめん。お客さん来たや、またあとでね」
桜色のワンピースの背をちょいっと抓まれ、そのままカウンターから降ろされてしまった。
パー子、しょんぼり。
とぼとぼと窓辺に戻り、月を見上げる。今宵は満月。欠けたところのない綺麗な銀の真円が、暗い夜空にぽっかりと浮かんでいた。カウンターからでも見えるだろうに、今の玲には心付く余裕もないらしい。
パー子はちょっぴり口惜しいような、泣きたいような気持ちになった。
けれどぶんぶんとキノコ頭を振り、思い直す。
――こんな月の夜、他のハンターさんたちは何してるだろう?
前にもパー子は、ハンターたちの雨の日の過ごし方が気になるあまり、ぷち家出を敢行している。こっそり抜け出してハンターウォッチングに勤しむのだ。
今夜もちょっと行ってみようか。そう考えると、沈みかけたパー子の気持ちが急激に上向きになる。
パー子は玲のデスクのひきだしからチョコを数枚失敬すると、肩がけポーチにたんと詰め、満月の許へ駆け出していった。
リプレイ本文
●月と兎と龍達と
アテのないパー子が向かったのは龍園だった。
以前、主の玲が龍騎士と共同作戦に当たったことがあり、一度訪れてみたいと思っていたのだ。
龍園にもハンターオフィスはある。散策したあとオフィスでハンターを探すつもりだ。
初めての龍園にわくわくしながら、結晶細工めく街を駆けていった。
郊外まで来た時、パー子の耳に剣戟音が届いた。
(戦闘!?)
急ぎ音の方へ駆けつけてみると、そこにいたのは数名の龍騎士。地平近くで赤々光る満月が照らす中、大柄な中年龍騎士と兎耳を揺らした少女が、激しく得物をかち合わせている。
(あ、訓練かぁ)
ホッとしたパー子は、その少女に見覚えがあった。
(あの人、龍騎士じゃない……っていうかファリン(ka6844)さんだ!)
彼女は件の共同作戦を支えた1人であり、玲が変わる切欠となった依頼に関わった1人でもあった。
パー子は物陰に身を寄せ、彼女をストーキングもとい見守ることにした。
*
ダルマ(kz0251)はファリンの一撃を跳ね除けると、すっかり暮れた空を仰いだ。
「お嬢、いい加減疲れねェか?」
「いえっ、まだまだ……っ!」
体勢を立て直した彼女は、身体を回転させる勢いを乗せ強烈な一打を放つ! しかし大刀の重さに振られたか、刃は空を切り激しく大地を叩いた。それを見たダルマは構えを解き、
「よォし今日は終いだ! うちの若ェ連中はとっくにへばっちまったしなァ」
言われてファリンは周りを見回す。疲れて脱落していた新米龍騎士達は、彼女の底知れぬスタミナに目を丸くしている。ファリンは汗を拭い、きちっと礼をした。
「ダルマ様、皆様。今日は皆様の自主訓練に参加させていただき、ありがとうございました」
するとひとりの少女龍騎士が申し出る。
「あの、おなか空きません? 詰所で一緒に晩ご飯食べませんか?」
「まあ、是非! 私も何かお手伝いしますっ」
先程までの勇猛さはどこへやら、年相応の顔つきに戻ったファリン、少女達ときゃいきゃい。
「では一足お先に、夕餉の支度に行ってまいります!」
少女達と楽しげに歩き出した彼女の背を、ダルマは思案顔で見送った。
小一時間ほど後、龍騎士隊の詰所にはいい匂いが立ち込めていた。
甘く煮た鯨肉に野菜のスープ、根菜の塩漬けなど。厳しい環境下にある龍園の食事は質素だ。けれどファリンは気にした風もなく、
「おかわりはいかがですか?」
自身も食事を楽しむ傍ら、皆の皿へおかわりを装ったり、
「ファリンさん、覚醒した時の桃色の髪も可愛いけど、普段の髪色も綺麗ー!」
「そんな風に仰っていただけると、何だか照れてしまいます……っ」
なんて、少女達と談笑したり。始終笑顔と話し声が絶えない賑やかな食事となった。
そうして食後のお茶を飲む頃には、満腹感と疲労とで誰からともなく口数が減っていき、場の空気は次第に穏やかなものへ変わっていった。
「ダルマ様、お茶は足りていますか?」
ポットを手に回っていたファリンがダルマへ声をかけると、
「働かせちまって悪ィな、もう大丈夫から座ってくれ」
「いえ、このくらいは」
遠慮したファリンだったが、ダルマの強引さに負け隣へ腰を下ろした。
「龍騎士の皆様は勤勉ですね。非番の日にまで訓練されて」
「そりゃァお嬢の方だ、そこへ好き好んで混ざるんだからよォ」
はにかんで笑う彼女を横目で眺めると、ダルマはまた思案気な顔で顎髭を撫でた。
「前の戦闘や今日のお嬢の戦い方を見て、ちと感じたことがあってな」
「何でしょう?」
ファリン、ぴしっと背筋を伸ばす。
「豪快な得物のぶん回し方で、」
「はい」
「存外力任せな部分があって、」
「はい」
「数振りゃ当たると思ってる節があンな?」
「はぃ……」
思い当たる部分があるファリン、徐々に縮こまっていく。けれど、
「踊りで鍛えたモンか知らんが体幹はしっかりしてるし、技の精度も決して悪かない」
「本当ですかっ?」
褒められ目を輝かす。ダルマは茶を啜ってから話を続けた。
「だが今日のお嬢はなんつーか、得物ぶん回す直前で一瞬躊躇って、そンで勢いなくして得物に振られッちまってるように見えてよ。何かあったか?」
顔を覗き込まれたファリンは、いつも通り口角を上げた。
「別に、何も……」
けれど笑みを象った唇とは裏腹に、瞳からはぽろぽろと珠のような涙が落ちる。
「おいお嬢!?」
「私……わた、し、は……」
異変に気付いた新米達が一斉にダルマへ非難の目を向けた。
「ダルマさんがファリンさん泣かせた!」
「サイテー!」
「俺ァ何も……いや、したのか?」
ファリンは狼狽えるダルマの裾をぎゅっと掴んで、涙で声を詰まらせながら精一杯かぶりを振る。
「違っ……そ、では、なくて……私……!」
――それからファリンは、仲間だったはずの強化人間達へ刃を向けなくてはならなくなったあの日のことを、ぽつぽつ話し始めた。
強化人間達が突如暴走し襲いかかって来たこと。言葉は届かず、武器を持つ彼らを野放しにもできなくて、力づくで制圧するしかなかったこと。全員捕縛しようとしたが、内数名は――。
あの日の時点では、まだ暴走した彼らを戻す方法は見つかっていなかった。
「……今もずっと考えているのです。どうしたら良かったのでしょう。どうすれば助ける事が出来たのでしょうか……」
ファリンは一旦言葉を切る。果たして、命さえ奪わずに済めば"助けた"と言えるのか。ハンターが敵に見えていた彼らにとって、その"敵"に痛めつけられ捕われるのは、どれほど屈辱的で恐ろしいことだったろう。
「それとも、やっぱり、楽にしてあげた方が良かったのでしょうか……つい先程まで隣で笑っていた人を? 歪虚に変わったわけではなく、ただ操られているだけの人を?」
ダルマは黙って言葉の続きを待つ。ファリンはそんな彼の袖を縋るように両手で掴み、
「私は……この刃が今、とても重いのです。故郷でも、ハンターになってからも、いつもこの刃を振るう先にいる敵には意志があったのに。……どうしたらいいのでしょう。私は、どうすれば良かったのでしょうか……」
またはらはらと涙を零す。どうしたら、どうすれば……繰り返し零れる問いは、あの日以来ファリンが心の奥底であげ続けてきた慟哭そのものなのかもしれない。
掴まれた袖がすっかりファリンの涙で湿ってしまう頃、ようやくダルマは口を開いた。
「"俺だったらもっとこうした"、"お前と同じことをした"なンてのは、所詮その場にいなかった奴の戯言だ。お嬢を責めるだけの重さもねェし慰めにもなるめぇよ。だから俺にもお嬢が望むような答えは言ってやれねェ」
だがよ、とダルマは続ける。
「お嬢が大怪我もせずちゃんと還ってきて、こうしてまた顔見せてくれただけで、俺ァ嬉しいし褒めてェよ?」
「ダルマさん、もうちょっと何かないンすか」
アドバイスも何もないダルマの返答に、新米達は脱力。ファリンの方は、呆れたのか気が緩んだのかは定かでないが、
「ダルマ様ぁ~……」
くしゃりと顔を歪めると、あとはもう無理に話そうとせず心のまま泣きに泣き――やがて、ダルマの肩にくったりと頭を預け寝息をたて始めた。
「おい、どうすんだこれ」
動くに動けないダルマ。ひとりの少女がファリンに毛布を掛けながら、
「明るく振る舞ってたのに、そんな大変なことがあったなんて……ダルマさん動いちゃダメですよ? でもセクハラサイテー」
軽くダルマを睨んだ。
「これセクハラか? 不可抗力だろ!」
龍騎士達がぎゃあぎゃあ言い合いを始めると、眠っているファリンの表情がほんのり緩んだように見えた。
椅子の下で窺っていたパー子は、眠る彼女の膝にこっそりチョコを置くと、静かに窓から出ていった。
●月と白花と吟遊詩人
龍園をあとにしたパー子は、とぼとぼ歩いていた。
(あの一件で胸を痛めてたのは、うちのダメ主だけじゃなかったのね……早くなにもかもが良くなればいいのに)
何をもって"良くなる"というのか、パー子には分からないけれど。
闇雲に歩を進めているうちに、
(……ここどこ!?)
パー子、迷子になっていた。
途方にくれていると、どこからか美しい竪琴の音が聞こえてきた。淀みなく紡がれる旋律はとても綺麗なのに、不思議と哀しげに響いて。曲に誘われるまま、下草を踏み越えて行った。
*
辿り着いたのは、大きな窓がある1軒の建物。
中天を目指し昇り始めた蒼い月を浴び、窓はまるで水宝玉を嵌めたように一面きらきら輝いている。
(ここだわ)
窓枠によじ登ったパー子は、硝子に額をつけて中を覗き込んだ。
(わぁ……!)
硝子1枚隔てた向こうは、幻想的な眺めが広がっていた。
覗き込んだパー子のすぐ目の前、窓辺に置かれた一鉢の月下美人が、今まさに開花の時を迎えていた。
月の光を一身に浴び、閉じていた花弁をひとひら、またひとひらと寛げていく。その様は、白い腕をたおやかに広げ舞う貴婦人のよう。
その傍らに腰掛けて竪琴を爪弾くのは、青銀色の髪をした見目麗しいエルフ。一瞬、パー子は月下美人の花が本当に貴婦人になってしまったかと思ったけれど、そうではなかった。
彼女はユメリア(ka7010)。以前、玲に歌を教えてくれたハンターだった。
ふいに曲が止んだ。
ユメリアは屈んで花に顔を寄せると、香りを胸いっぱいに吸い込む。
「……、」
そしてうっとりと何かを呟いた。けれど硝子越しのパー子には聞き取れず、香りも届かない。もだもだしていると、はたとユメリアと目が合った。
「……あら、こんばんは」
ユメリアは窓を開け、おろおろするパー子を優しく腕に招いてくれた。途端、濃厚な甘い香りに包まれる。
(これはお花の香り? それとも……)
ぽぅっとなっていると、彼女は首を傾げてパー子のタグを覗き込む。
「香藤さんのおうちの子でしたか。……パー子ちゃんと仰るのですね。香藤さんは元気にされていますか?」
パー子はちょっと考え、曖昧に頷いた。
彼女はそんなパー子をじっと見つめていたが、すぐに何もなかったように微笑むと、咲いたばかりの花弁を惜しげもなくひと片摘んでクッションに仕立ててくれた。その上、焼き菓子を小さく割って、葉っぱのお皿に並べてくれる。
「召し上がれ。……今宵は綺麗な満月。パー子ちゃんは月夜のお散歩でしょうか?」
パー子思わずどきまき。実際に触れたあとでも、月光に濡れそぼるユメリアは夢幻かと思うほど綺麗で。
「どうしました?」
見惚れていると、優しく頬をつつかれた。パー子はごまかそうと辺りをきょろきょろ。先程彼女が弾いていた竪琴を見つけ、指さした。
「……ああ、竪琴の音がお好き? 私はハンターですが、吟遊詩人でもあるのです。お耳汚しに一曲いかがでしょう?」
パー子はもう大喜びで手をぱちぱち。
ユメリアはひとりきりの小さな観客へ丁寧にお辞儀すると、竪琴を抱え窓辺に腰掛ける。弦を掻き鳴らし、伸びやかな声で歌い始めた。
(これさっきの曲! お歌があるのね)
最初は浮かれ気分のパー子だったが、次第に彼女が語り聞かす悲しい物語へ引き込まれていった。
――さる屋敷に、可憐な少女人形と、道化の少年人形がありました。
2体は仲良く過ごしていましたが、ある日、道化の少年人形だけが捨てられてしまったのです。
そんな彼を、月は空から見ておりました。満ちて欠け、また満ちて欠けても、彼の涙は止みません。
"捨てられたことよりも、大好きな少女人形と会えなくなってしまったことが悲しい"と。
憐れんだ月は、彼に一夜限りの魔法をかけました。彼を一晩だけ人間にしてあげたのです。
彼は自分の足で飛ぶように屋敷へ駆けていきました。少女人形と目が合うと、たちまち彼女も人間の少女に。
月が沈んたその時に、人形に戻ってしまうけれど。
朝日が迎えに来たら、2度と会えなくなるけれど。
そうとは知りながら、手をとり合っておどります。
今よ永久にと祈りながら、ふたりは一夜の命を燃やし、精一杯おどり明かすのです――。
演奏が終えた時、パー子の目からは大粒の涙が零れていた。
(綺麗だけど悲しい曲……どうしてこんなに悲しい曲を、ひとりきりで弾いてるの? 寂しくないの?)
言葉を持たないパー子は身振りで訴え、ぎゅうっと彼女にしがみつく。
「この曲は……子供の頃、吟遊詩人の弾き語りを聴いてずっと希望の灯だった曲なのです」
頭上から、月光を音にしたような彼女の声が降ってくる。
「けれどこの美しい曲には、残酷な物語が隠されていたのです……身分違いの恋に落ちた実在の恋人達を、嘲弄するかのような――。……いえ、幼いあなたに聞かせる話ではありませんね。止しましょう」
ユメリアはふぅわり微笑み、パー子の頭を撫でた。
「ともあれ、ずっと心の支えとしてきたこの曲の真実を知り、私はいたたまれなくなりました。……歌は嘘ばかり。人間は醜悪で。真実は残酷。詞を紡ぐことが辛くなり、詩人を辞めてしまおうかとさえ思いました」
パー子は驚いて彼女を仰ぐ。けれど、その顔は相変わらず微笑んだままだった。伏目がちの目を瞬き、片手を胸に添える。
「それでも、この歌を聴いた時の輝きは、私の中から消えてくれませんでした。歌に隠された事実がどんなに残酷であろうと、この曲を初めて耳にした時の温かな心の震えは、少しも褪せなかったのです。勿論今も」
そう言って顔を上げた彼女の顔は、葛藤を乗り越えた者だけが持つ高潔な輝きに照っていた。
「だから私は歌うのです。
せめて美しい想いは真実であったと願うように。
私のやったことは無意味ではないと願うように。
独り、こうして歌うのです――」
それからパー子はようやく涙を引っ込めると、帰りが遅くなることを心配した彼女によって表に送り出された。ささやかなお礼にチョコを渡すと、彼女は驚いたように目を丸くしてから、唇に人差し指を当てた。
「先程の歌はね、こうもとれるのです。道化は私、または香藤さん、あなた。美しい人形とは夢や理想。みんな何かを求めて生きるんじゃないかと」
彼女は優しく、噛んで含めるように告げる。
「一夜明ければ道化はまた元通り。でも泣く道化を笑うことはできないでしょう。そして月はきっと見てくれているのですから。想えば形になる――。
あなたの想いも、香藤さんの想いも、一つとして無駄にはならない」
パー子はここでようやく、自分の曖昧な頷きの意味を彼女が察していたのだと知った。この言葉はパー子に向けているようであり、パー子を透かして玲へも向けられているのだ。
深い洞察と慈愛にどう応えていいか迷っていると、
「さあ、お行き」
彼女の手が柔らかくパー子の背を押した。こくんと頷き、走り出す。
行く手には真っ暗な森。けれど怖いことなんか多分ない。頭上では月が見守ってくれているのだし、背中には彼女の手の温かさがしっかり残っているのだから。
●月と梨と無自覚系〇〇○
いよいよ月は天高く昇り詰め、冴え冴えとした銀の光を地上へ伸べていた。
月明かりに照らし出された一本道を、ひとりの若者が軽い足取りで辿っていく。人混みでも頭一つ飛び出るだろう高身長に、服越しでも分かるほど鍛えられた身体つき。おまけに翠玉の双眸は鋭く一見強面ときたものだから、ひとり歩きでも彼を襲おうなどと思う賊などいやしまい。
帝国生まれのドラグーン、カイン・シュミート(ka6967)。
ハンターにはハンター家業以外にも職を持つ者が少なくないが、彼もそのひとりだった。人に貸している畑の管理をしたり、両親の営むカフェを手伝ったり、あるいは鍛冶職人である師の工房で修行をしたりと、その活動は多岐に渡る。
今日はそのうちカフェの仕事に従事してきた彼は、凝った首を解すようぐるりと回し、天上に輝く月を認めた。
「今日は満月か」
改めて見渡せば、畑や牧草地が広がるのどかな眺めは銀の月に照らされて、葉の1枚1枚までもが淡い燐光を纏わせているようだ。
「綺麗で何より」
ぼそり呟くと、にわかに月の高さに焦りだす。
「それはそれとして遅くなったなぁ。あいつらの食事は一応頼んであるが……」
親元を離れ、農業を営んでいた祖母から受け継いだ家で暮らすカインではあるが、家には彼の帰りを待つ者たちが大勢いるのだ。
下宿人と、どういうわけか不思議とメスばかりが集まった獣達。
下宿人が食事の支度を忘れることはないと思うが、これまたどういうわけか、獣達――いっそ彼女達と表記したい――は異様にカインに懐いているため、
「綺麗だしゆっくりめに帰るのも悪くねぇけど、あいつら拗ねるかもだし……」
そのことが気がかりだった。
けれどこの綺麗な秋の月を、ひとり静かに愉しむのも良いものだ。
どうするか……そんな風に考えていると、視界の端に桜色の何かが映った。
「……んあ?」
道沿いに巡らされた木柵の柱の影から、キノコの笠のような頭の一部と、ピンク色のワンピースの裾がのぞいている。
(キノコ……じゃねぇな、パルムか? あれで隠れてるつもりなのか?)
吹き出しそうになったが、生来面倒見のいい兄貴肌の彼はひとりぽっちのパルムを放って置くことができず、脅かさぬようそうっと近づいていった。
――そのパルムは、当然パー子だった。
ユメリアの許をあとにしたパー子は、ハンターの姿を求め彷徨っていた。ハンターをストーキングもといウォッチングしたかったのに、気付けば人通りのない場所に来てしまい、やっとのことで出くわしたのがカインだったのだ。
(ちょいコワ系イケメン……嫌いぢゃない! むしろ好き! これはストーキン……観察させてもらわなきゃ!)
そう勢い込んで身を潜めていたのだが、パルムらしからぬずさんな隠れ方であっさり見つかってしまった。
(どうしよう、こっち来るー!)
カインは焦るパー子のすぐ目の前まで来ると、先程までの颯爽とした足取りとは打って変わって、ゆっくりとした動作でしゃがみ込む。視線の高さが近くなり、鋭いとばかり思っていた彼の双眸に灯る火が、思いのほか優しいことに気付いた。
「よう」
低く、どこか甘い残響の声が響く。
(こ、こんばんは! 決しておにいさんをストーキングしようだなんて思ってなかったの!)
パー子がかぶりを振ると、首に下げたタグが揺れた。カインはそのタグを指で掬い、刻まれた文字に目を凝らす。
「パー子……が名前ね」
(不本意だけどね)
「ハンターの所に身を寄せてるパルムか……こんな夜にどうした? 本当に月見だ散歩だってんならいいが……まさか迷子か?」
(えっと、ここがどこかはわかってないけど、迷子ってわけじゃなくて、あっちから来たのっ)
パー子が懸命に身振りで訴えると、カインは首を捻った。
「道のこっちの方から来たのか? ならハンターに付いてるパルムみてぇだし、反対側の街のオフィスへ行く途中ってとこか……? よく分かんねぇが、迷子ではねぇみてぇだな」
(!)
次に向かうべきオフィスの場所が分かり、パー子が正式に迷子ではなくなった瞬間だった。パー子は今度こそ自信満々でこっくり頷く。すると彼は安堵したようにわずかに眦を下げた。
「なら一先ず安心だ」
思っても見なかった柔和な表情に、パー子どっきゅん。
(これが『ギャップ萌え』……!)
どきまきしていると、彼は思い出したように鞄を漁った。
「あぁ、母さんから梨持たされたんだった。お前食べられるか?」
パー子がぴょんぴょんすると、彼は大きな梨とナイフを取り出し、慣れた手つきで皮を剥いていく。そしてパー子の口に合うよう切り分けてくれ、
「ほら」
パー子は大口でぱくり。噛んだ途端じゅわっと果汁が溢れ、口の中に収まりきらず顎に垂れた。
「お前なあ……」
彼は呆れながらも甲斐甲斐しく拭ってくれる。パー子は確信した。
(このおにいさん……絶対モテる!!!!)
などと目の前のキノコ頭に思われているとはつゆ知らず、彼はパー子が食べきれない分の梨を齧りつつ顔を顰めた。
「しっかし、こんな夜に独り歩きは感心しねぇなぁ。あまり暗い道を歩いたりしねぇ方がいいぞ」
真面目に諭され、パー子きょとん。
(ああ、ちっちゃいパルムの私にとっては、野良猫や野犬も充分猛獣だものね)
と思い辺り、シャーッと威嚇する猫や遠吠えする犬の真似をして見せた。すると彼は何故か眉根を寄せ、ぽりりと頬を掻く。
「何かイマイチ伝わってねぇ気がするが……」
――そうしてひとりと1匹、月明かりの下で旬の果実をのんびりと味わった。食べ終えると、パー子はお礼にチョコを手渡し、ぺこり。
「ひとりで大丈夫か?」
やや心配そうな声に力強く頷いて応えると、その表情がまたふっと和らいだ。
「……いい女はちゃんと解ってるな」
パー子、一瞬硬直。先程諭された言葉の意味が分かり、みるみる顔が赤くなる。
(こんなキノコな私にまさかの女の子扱い……!? デキる! このおにいさん間違いなくモテるわ!!)
何だか照れてしまったパー子は、脱兎のごとく逃げるように走り去った。
その後姿を見送ると、カインもハッとして再び歩き出す。
「あいつら拗ねてねぇといいが」
あいつらとは、勿論彼の帰りを待ちわびているだろう彼女達のことである。
(まぁ、そういう所もいい女ってとこか)
彼にとっては、キノコ頭でも毛皮や蹄を持っていようと、皆等しく女性なのだ。夜空を仰げば、まだ月は空の高い所にかかっている。沈むまでにはまだ時間がありそうだ。
「うーん、折角の満月の夜にこのまま帰って寝るのは勿体ねぇな」
待っていてくれた獣の彼女達も下宿人も皆呼んで、庭で賑やかに月見と洒落込むのも悪くない。月を独りで愉しむのも良いが、皆でわいわい歌って踊り、月夜の喜びを分かち合うのも良いものだ。
ふと、賑やかなことを好んでいた祖母の顔が胸を過った。似たのかもしれないな、なんて思うと自然と口許が綻ぶ。
家路を辿る彼の足は、自然と早くなっていった。
●月と散歩とまた明日
無事オフィスがある大きな街へやってきたパー子、実はまだ懲りていなかった。
(あともうひとりくらいハンターさん見たいなぁ)
けれど建物の間から空を見やれば、銀の月は少しずつ西に傾きだし、色も徐々に銀から乳白色へ変わりつつある。こんな夜更けでは、もう――
ところが、ため息ついたパー子の目の前を――屋根と屋根の間を、何かが俊敏な動きで飛び渡っていった。
(猫? ううん、それにしてはおっきい)
パー子は慌てて追いかける。屋根の上を自在に駆けていく影は、紛れもなく人の形をしていた。
細い身体をしなやかに使い、斜め屋根もなんのその。今度は高い塀の上へ飛び移り、両手を広げ悠々と歩いていく。恐れを知らぬ爪先は時折弾むようにステップ踏んで、月光に照る唇は歌を口遊んでいるように見えた。
月光に照る金糸髪。つぶらな青い瞳。自由に夜の散歩を謳歌していたのは――
(あれは、ダメ主の数少ないおともだち!)
シエル・ユークレース(ka6648)だった。
思いがけぬ遭遇にパー子が驚いていると、シエルの方も追いかけてくるパー子に気付いた。
「パルムだぁ♪」
身軽に屋根から飛び降りてきて、パー子をひょいっと抱き上げる。
「誰かのペットかな? 君もお散歩中なのかな。ボクと一緒に行く?」
パー子は玲の周りの出来事を大体記録しているので、勿論シエルのことも知っているが、シエルの方はそうではない。それでも気前よくお供させてくれると言うので、パー子はにっこり頷いた。シエルはパー子を抱きかかえ、再び屋根の上へ戻っていった。
途端に高くなる視界。きょろきょろするパー子にシエルが言う。
「月がキレイだから、散歩がしたくなって。郊外の静かな場所も捨てがたかったけど、夜の町並みもお昼とは違う雰囲気があってウキウキしてきちゃうよねっ」
パー子、こくこく。シエルはちょっぴり悪戯っぽく微笑み、
「そしたら、普通に舗装された道路を歩くだけじゃ何か物足りなくなってきちゃって。塀の上も、屋根の上も、今日はボクの散歩する道にしちゃおーって♪」
その自由な発想も、実行できる度胸や身ごなしも、パー子には何もかも眩しくて。お供にしてもらえたことを誇らしく思いながら、シエルが飛び跳ねるのに合わせぶんぶか手を振った。
飛び越す煙突からは時折優しい煮炊きの香りがし、灯りが零れる窓からは、夜更かしな誰かさん達の潜めた笑い声がする。賑やかな昼間の街もいいけれど、夜の街はどこか秘密めいていてドキドキする。シエルも同じように感じているかとそっと窺うと、シエルも猫の仔のような瞳を好奇心できらきらさせて、心から月夜の散歩を楽しんでいるようだった。
大興奮のパー子だったけれど、夜更かしが過ぎたのか、いつの間にかうとうとと船を漕ぎ始めてしまった。
(……はっ!?)
微睡みから覚めたパー子は、目の前によぉく見知った建物を認めた。
(あれ? 辺境ハンターオフィスだ。いつの間に)
ぽけぽけしている間にも、シエルは迷いなくオフィスへ近づき、扉の隙間から中を覗く。
「……今日はもう帰っちゃってるかなあ?」
(誰が? ……まさかダメ主?)
パー子は月の高さから時刻を計る。オフィスは夜中でも開いているとは言え、概ね昼勤務の玲はとっくに帰ってしまっただろう。やはり見当たらなかったのか、シエルは扉から顔を離すと、小さく肩を竦めた。
「いい子は寝始める時間だから、顔が見れたらラッキーくらいの気持ちだったんだけどね」
パー子に言い訳するように微笑む顔は、どことなく淋しげで。そのまま月を仰ぎ、
「会えなかったけど……もし玲くんもおんなじように月を見てたら、うれしいなあ。……でも空も見えないほど疲れていたりしないかなって、ちょっと心配」
その呟きを聞き、パー子はハッとした。シエルも件の強化人間達との一戦に参加していたひとりだったのだ。
(まさか、ダメ主を心配して……?)
ちょうどその時、シエルも別の意味でハッとなっていた。
「あれ? 上の階の休憩室、まだ灯りがついてるね? ……もしかして」
それからパー子にナイショだよと囁き、疾影士のスキル『壁歩き』を発動すると、平らな壁に足をかけた。
「うー。我ながら諦め悪いかなぁ、とも思うんだけどー。ちょっと心配なんだもーんっ、分かってくれるっ?」
パー子、キノコ頭がもげる勢いで頷きまくる。そして、GOGOとばかりに拳を振り上げた。
そうして覗き込んだ休憩室の窓の向こう。はたして、玲はそこにいた。やはり仕事は終えているようで、荷物を入れた鞄を傍らに置き、何をするでもなくぼうっと頬杖をついている。当然その目に月は映っていない。
「……元気なさそう。ちょっと痩せたみたい?」
シエルは玲の様子に唇を噛む。
「おうち、帰らないのかな……心配」
声をかけて良いものか躊躇っていると、ぐらりと身体が傾いだ。
「わわっ!?」
パー子もどっきり。壁歩きの効果が切れたのだ。シエルは慌てて術をかけ直し、
「あーびっくりしたっ」
事なきを得たものの、次の瞬間窓がからりと開いた。
「シエル? そこで何して、」
玲だ。シエルの声を聞き駆けつけたものの、そこまで言うと激しく咳き込む。
「や、やっほー……って大丈夫ッ?」
シエルは室内へ飛び込み、咳き込む玲を支え椅子へと促した。パー子は玲に見つからぬよう机の下へ滑り込む。
「酷い咳、声も掠れてるし。風邪?」
「ん……ょぶ」
シエルの問に、玲は声にならない声で答える。
「え? ……ねぇ、ちゃんと病院行った?」
「……り、だから」
「なぁに?」
「こ゛え゛か゛わ゛り゛!!」
玲が喉から絞り出した言葉に、シエルは目をぱちくり。玲が言うには、声変わりで声が出づらくなったものの、仕事柄喋らないわけにはいかず、無理に声を出し続けた結果喉を痛めてしまったのだと。
見た目は美少女・その実美少年なシエル、そういうものもあったっけと何だか妙に納得した。
「じゃあそれで元気なかったの?」
「まぁそんなトコ」
言いながら玲が目を伏せたのを、シエルは見逃さなかった。やはり理由は別にあるのだ。
けれど無理に問い詰めたりせず、代わりに窓を指した。
「ねえ玲くん、今日は月がキレイだよ。まんまる!」
言われて、玲は初めて夜空を仰ぐ。
「ホントだ。全然気付かなかった」
呆けたように月を見つめ続ける玲の肩へ、シエルはそっと肩を寄せた。
「……頑張るのは素敵だけど、無理はしてほしくないよ」
シエル自身も身に覚えがあるので、強くは言えないけれど。
「休まないと、壊れちゃうよ」
控えめに囁いた言葉が、静かな部屋にことりと落ちた。
それからしばらくぽつぽつ話をしていると、職員モリスに見咎められ、はよ帰れと怒られてしまった。
連れ立ってオフィスを出、建物前で玲が尋ねる。
「で、シエルはこんな遅くに、一体どうしたの?」
玲を気にかけて来てくれたのは明らかなのに、ぼっちだった故あまり人から心配されたことがないのか、不思議そうに言う。なのでシエルは屈託なく笑って即答した。
「玲くんと月を見に来たのっ。同じ時間を共有して、たわいない話しをして、「また明日ね」って言えるのがとてもうれしいの」
「明日もオフィスに来るの?」
「あははっ、玲くんがいるなら来ちゃおっかな? なーんてっ♪」
くるりと踵を返し、シエルはひらりと手を振った。
「じゃあ、また明日ねっ♪」
「? ……うん、また明日」
目を瞬きながらも、玲も手を振り返す。
パー子は鈍感極まるダメ主をどつき倒したい衝動を堪え、シエルを追うとチョコを渡した。
『ダメ主にも月を見せてくれてありがとう』
そんな感謝の気持ちを込めて。
やがて夜空と、人々の物語を巡り終えた月は、朝の光の中に溶けていった。
アテのないパー子が向かったのは龍園だった。
以前、主の玲が龍騎士と共同作戦に当たったことがあり、一度訪れてみたいと思っていたのだ。
龍園にもハンターオフィスはある。散策したあとオフィスでハンターを探すつもりだ。
初めての龍園にわくわくしながら、結晶細工めく街を駆けていった。
郊外まで来た時、パー子の耳に剣戟音が届いた。
(戦闘!?)
急ぎ音の方へ駆けつけてみると、そこにいたのは数名の龍騎士。地平近くで赤々光る満月が照らす中、大柄な中年龍騎士と兎耳を揺らした少女が、激しく得物をかち合わせている。
(あ、訓練かぁ)
ホッとしたパー子は、その少女に見覚えがあった。
(あの人、龍騎士じゃない……っていうかファリン(ka6844)さんだ!)
彼女は件の共同作戦を支えた1人であり、玲が変わる切欠となった依頼に関わった1人でもあった。
パー子は物陰に身を寄せ、彼女をストーキングもとい見守ることにした。
*
ダルマ(kz0251)はファリンの一撃を跳ね除けると、すっかり暮れた空を仰いだ。
「お嬢、いい加減疲れねェか?」
「いえっ、まだまだ……っ!」
体勢を立て直した彼女は、身体を回転させる勢いを乗せ強烈な一打を放つ! しかし大刀の重さに振られたか、刃は空を切り激しく大地を叩いた。それを見たダルマは構えを解き、
「よォし今日は終いだ! うちの若ェ連中はとっくにへばっちまったしなァ」
言われてファリンは周りを見回す。疲れて脱落していた新米龍騎士達は、彼女の底知れぬスタミナに目を丸くしている。ファリンは汗を拭い、きちっと礼をした。
「ダルマ様、皆様。今日は皆様の自主訓練に参加させていただき、ありがとうございました」
するとひとりの少女龍騎士が申し出る。
「あの、おなか空きません? 詰所で一緒に晩ご飯食べませんか?」
「まあ、是非! 私も何かお手伝いしますっ」
先程までの勇猛さはどこへやら、年相応の顔つきに戻ったファリン、少女達ときゃいきゃい。
「では一足お先に、夕餉の支度に行ってまいります!」
少女達と楽しげに歩き出した彼女の背を、ダルマは思案顔で見送った。
小一時間ほど後、龍騎士隊の詰所にはいい匂いが立ち込めていた。
甘く煮た鯨肉に野菜のスープ、根菜の塩漬けなど。厳しい環境下にある龍園の食事は質素だ。けれどファリンは気にした風もなく、
「おかわりはいかがですか?」
自身も食事を楽しむ傍ら、皆の皿へおかわりを装ったり、
「ファリンさん、覚醒した時の桃色の髪も可愛いけど、普段の髪色も綺麗ー!」
「そんな風に仰っていただけると、何だか照れてしまいます……っ」
なんて、少女達と談笑したり。始終笑顔と話し声が絶えない賑やかな食事となった。
そうして食後のお茶を飲む頃には、満腹感と疲労とで誰からともなく口数が減っていき、場の空気は次第に穏やかなものへ変わっていった。
「ダルマ様、お茶は足りていますか?」
ポットを手に回っていたファリンがダルマへ声をかけると、
「働かせちまって悪ィな、もう大丈夫から座ってくれ」
「いえ、このくらいは」
遠慮したファリンだったが、ダルマの強引さに負け隣へ腰を下ろした。
「龍騎士の皆様は勤勉ですね。非番の日にまで訓練されて」
「そりゃァお嬢の方だ、そこへ好き好んで混ざるんだからよォ」
はにかんで笑う彼女を横目で眺めると、ダルマはまた思案気な顔で顎髭を撫でた。
「前の戦闘や今日のお嬢の戦い方を見て、ちと感じたことがあってな」
「何でしょう?」
ファリン、ぴしっと背筋を伸ばす。
「豪快な得物のぶん回し方で、」
「はい」
「存外力任せな部分があって、」
「はい」
「数振りゃ当たると思ってる節があンな?」
「はぃ……」
思い当たる部分があるファリン、徐々に縮こまっていく。けれど、
「踊りで鍛えたモンか知らんが体幹はしっかりしてるし、技の精度も決して悪かない」
「本当ですかっ?」
褒められ目を輝かす。ダルマは茶を啜ってから話を続けた。
「だが今日のお嬢はなんつーか、得物ぶん回す直前で一瞬躊躇って、そンで勢いなくして得物に振られッちまってるように見えてよ。何かあったか?」
顔を覗き込まれたファリンは、いつも通り口角を上げた。
「別に、何も……」
けれど笑みを象った唇とは裏腹に、瞳からはぽろぽろと珠のような涙が落ちる。
「おいお嬢!?」
「私……わた、し、は……」
異変に気付いた新米達が一斉にダルマへ非難の目を向けた。
「ダルマさんがファリンさん泣かせた!」
「サイテー!」
「俺ァ何も……いや、したのか?」
ファリンは狼狽えるダルマの裾をぎゅっと掴んで、涙で声を詰まらせながら精一杯かぶりを振る。
「違っ……そ、では、なくて……私……!」
――それからファリンは、仲間だったはずの強化人間達へ刃を向けなくてはならなくなったあの日のことを、ぽつぽつ話し始めた。
強化人間達が突如暴走し襲いかかって来たこと。言葉は届かず、武器を持つ彼らを野放しにもできなくて、力づくで制圧するしかなかったこと。全員捕縛しようとしたが、内数名は――。
あの日の時点では、まだ暴走した彼らを戻す方法は見つかっていなかった。
「……今もずっと考えているのです。どうしたら良かったのでしょう。どうすれば助ける事が出来たのでしょうか……」
ファリンは一旦言葉を切る。果たして、命さえ奪わずに済めば"助けた"と言えるのか。ハンターが敵に見えていた彼らにとって、その"敵"に痛めつけられ捕われるのは、どれほど屈辱的で恐ろしいことだったろう。
「それとも、やっぱり、楽にしてあげた方が良かったのでしょうか……つい先程まで隣で笑っていた人を? 歪虚に変わったわけではなく、ただ操られているだけの人を?」
ダルマは黙って言葉の続きを待つ。ファリンはそんな彼の袖を縋るように両手で掴み、
「私は……この刃が今、とても重いのです。故郷でも、ハンターになってからも、いつもこの刃を振るう先にいる敵には意志があったのに。……どうしたらいいのでしょう。私は、どうすれば良かったのでしょうか……」
またはらはらと涙を零す。どうしたら、どうすれば……繰り返し零れる問いは、あの日以来ファリンが心の奥底であげ続けてきた慟哭そのものなのかもしれない。
掴まれた袖がすっかりファリンの涙で湿ってしまう頃、ようやくダルマは口を開いた。
「"俺だったらもっとこうした"、"お前と同じことをした"なンてのは、所詮その場にいなかった奴の戯言だ。お嬢を責めるだけの重さもねェし慰めにもなるめぇよ。だから俺にもお嬢が望むような答えは言ってやれねェ」
だがよ、とダルマは続ける。
「お嬢が大怪我もせずちゃんと還ってきて、こうしてまた顔見せてくれただけで、俺ァ嬉しいし褒めてェよ?」
「ダルマさん、もうちょっと何かないンすか」
アドバイスも何もないダルマの返答に、新米達は脱力。ファリンの方は、呆れたのか気が緩んだのかは定かでないが、
「ダルマ様ぁ~……」
くしゃりと顔を歪めると、あとはもう無理に話そうとせず心のまま泣きに泣き――やがて、ダルマの肩にくったりと頭を預け寝息をたて始めた。
「おい、どうすんだこれ」
動くに動けないダルマ。ひとりの少女がファリンに毛布を掛けながら、
「明るく振る舞ってたのに、そんな大変なことがあったなんて……ダルマさん動いちゃダメですよ? でもセクハラサイテー」
軽くダルマを睨んだ。
「これセクハラか? 不可抗力だろ!」
龍騎士達がぎゃあぎゃあ言い合いを始めると、眠っているファリンの表情がほんのり緩んだように見えた。
椅子の下で窺っていたパー子は、眠る彼女の膝にこっそりチョコを置くと、静かに窓から出ていった。
●月と白花と吟遊詩人
龍園をあとにしたパー子は、とぼとぼ歩いていた。
(あの一件で胸を痛めてたのは、うちのダメ主だけじゃなかったのね……早くなにもかもが良くなればいいのに)
何をもって"良くなる"というのか、パー子には分からないけれど。
闇雲に歩を進めているうちに、
(……ここどこ!?)
パー子、迷子になっていた。
途方にくれていると、どこからか美しい竪琴の音が聞こえてきた。淀みなく紡がれる旋律はとても綺麗なのに、不思議と哀しげに響いて。曲に誘われるまま、下草を踏み越えて行った。
*
辿り着いたのは、大きな窓がある1軒の建物。
中天を目指し昇り始めた蒼い月を浴び、窓はまるで水宝玉を嵌めたように一面きらきら輝いている。
(ここだわ)
窓枠によじ登ったパー子は、硝子に額をつけて中を覗き込んだ。
(わぁ……!)
硝子1枚隔てた向こうは、幻想的な眺めが広がっていた。
覗き込んだパー子のすぐ目の前、窓辺に置かれた一鉢の月下美人が、今まさに開花の時を迎えていた。
月の光を一身に浴び、閉じていた花弁をひとひら、またひとひらと寛げていく。その様は、白い腕をたおやかに広げ舞う貴婦人のよう。
その傍らに腰掛けて竪琴を爪弾くのは、青銀色の髪をした見目麗しいエルフ。一瞬、パー子は月下美人の花が本当に貴婦人になってしまったかと思ったけれど、そうではなかった。
彼女はユメリア(ka7010)。以前、玲に歌を教えてくれたハンターだった。
ふいに曲が止んだ。
ユメリアは屈んで花に顔を寄せると、香りを胸いっぱいに吸い込む。
「……、」
そしてうっとりと何かを呟いた。けれど硝子越しのパー子には聞き取れず、香りも届かない。もだもだしていると、はたとユメリアと目が合った。
「……あら、こんばんは」
ユメリアは窓を開け、おろおろするパー子を優しく腕に招いてくれた。途端、濃厚な甘い香りに包まれる。
(これはお花の香り? それとも……)
ぽぅっとなっていると、彼女は首を傾げてパー子のタグを覗き込む。
「香藤さんのおうちの子でしたか。……パー子ちゃんと仰るのですね。香藤さんは元気にされていますか?」
パー子はちょっと考え、曖昧に頷いた。
彼女はそんなパー子をじっと見つめていたが、すぐに何もなかったように微笑むと、咲いたばかりの花弁を惜しげもなくひと片摘んでクッションに仕立ててくれた。その上、焼き菓子を小さく割って、葉っぱのお皿に並べてくれる。
「召し上がれ。……今宵は綺麗な満月。パー子ちゃんは月夜のお散歩でしょうか?」
パー子思わずどきまき。実際に触れたあとでも、月光に濡れそぼるユメリアは夢幻かと思うほど綺麗で。
「どうしました?」
見惚れていると、優しく頬をつつかれた。パー子はごまかそうと辺りをきょろきょろ。先程彼女が弾いていた竪琴を見つけ、指さした。
「……ああ、竪琴の音がお好き? 私はハンターですが、吟遊詩人でもあるのです。お耳汚しに一曲いかがでしょう?」
パー子はもう大喜びで手をぱちぱち。
ユメリアはひとりきりの小さな観客へ丁寧にお辞儀すると、竪琴を抱え窓辺に腰掛ける。弦を掻き鳴らし、伸びやかな声で歌い始めた。
(これさっきの曲! お歌があるのね)
最初は浮かれ気分のパー子だったが、次第に彼女が語り聞かす悲しい物語へ引き込まれていった。
――さる屋敷に、可憐な少女人形と、道化の少年人形がありました。
2体は仲良く過ごしていましたが、ある日、道化の少年人形だけが捨てられてしまったのです。
そんな彼を、月は空から見ておりました。満ちて欠け、また満ちて欠けても、彼の涙は止みません。
"捨てられたことよりも、大好きな少女人形と会えなくなってしまったことが悲しい"と。
憐れんだ月は、彼に一夜限りの魔法をかけました。彼を一晩だけ人間にしてあげたのです。
彼は自分の足で飛ぶように屋敷へ駆けていきました。少女人形と目が合うと、たちまち彼女も人間の少女に。
月が沈んたその時に、人形に戻ってしまうけれど。
朝日が迎えに来たら、2度と会えなくなるけれど。
そうとは知りながら、手をとり合っておどります。
今よ永久にと祈りながら、ふたりは一夜の命を燃やし、精一杯おどり明かすのです――。
演奏が終えた時、パー子の目からは大粒の涙が零れていた。
(綺麗だけど悲しい曲……どうしてこんなに悲しい曲を、ひとりきりで弾いてるの? 寂しくないの?)
言葉を持たないパー子は身振りで訴え、ぎゅうっと彼女にしがみつく。
「この曲は……子供の頃、吟遊詩人の弾き語りを聴いてずっと希望の灯だった曲なのです」
頭上から、月光を音にしたような彼女の声が降ってくる。
「けれどこの美しい曲には、残酷な物語が隠されていたのです……身分違いの恋に落ちた実在の恋人達を、嘲弄するかのような――。……いえ、幼いあなたに聞かせる話ではありませんね。止しましょう」
ユメリアはふぅわり微笑み、パー子の頭を撫でた。
「ともあれ、ずっと心の支えとしてきたこの曲の真実を知り、私はいたたまれなくなりました。……歌は嘘ばかり。人間は醜悪で。真実は残酷。詞を紡ぐことが辛くなり、詩人を辞めてしまおうかとさえ思いました」
パー子は驚いて彼女を仰ぐ。けれど、その顔は相変わらず微笑んだままだった。伏目がちの目を瞬き、片手を胸に添える。
「それでも、この歌を聴いた時の輝きは、私の中から消えてくれませんでした。歌に隠された事実がどんなに残酷であろうと、この曲を初めて耳にした時の温かな心の震えは、少しも褪せなかったのです。勿論今も」
そう言って顔を上げた彼女の顔は、葛藤を乗り越えた者だけが持つ高潔な輝きに照っていた。
「だから私は歌うのです。
せめて美しい想いは真実であったと願うように。
私のやったことは無意味ではないと願うように。
独り、こうして歌うのです――」
それからパー子はようやく涙を引っ込めると、帰りが遅くなることを心配した彼女によって表に送り出された。ささやかなお礼にチョコを渡すと、彼女は驚いたように目を丸くしてから、唇に人差し指を当てた。
「先程の歌はね、こうもとれるのです。道化は私、または香藤さん、あなた。美しい人形とは夢や理想。みんな何かを求めて生きるんじゃないかと」
彼女は優しく、噛んで含めるように告げる。
「一夜明ければ道化はまた元通り。でも泣く道化を笑うことはできないでしょう。そして月はきっと見てくれているのですから。想えば形になる――。
あなたの想いも、香藤さんの想いも、一つとして無駄にはならない」
パー子はここでようやく、自分の曖昧な頷きの意味を彼女が察していたのだと知った。この言葉はパー子に向けているようであり、パー子を透かして玲へも向けられているのだ。
深い洞察と慈愛にどう応えていいか迷っていると、
「さあ、お行き」
彼女の手が柔らかくパー子の背を押した。こくんと頷き、走り出す。
行く手には真っ暗な森。けれど怖いことなんか多分ない。頭上では月が見守ってくれているのだし、背中には彼女の手の温かさがしっかり残っているのだから。
●月と梨と無自覚系〇〇○
いよいよ月は天高く昇り詰め、冴え冴えとした銀の光を地上へ伸べていた。
月明かりに照らし出された一本道を、ひとりの若者が軽い足取りで辿っていく。人混みでも頭一つ飛び出るだろう高身長に、服越しでも分かるほど鍛えられた身体つき。おまけに翠玉の双眸は鋭く一見強面ときたものだから、ひとり歩きでも彼を襲おうなどと思う賊などいやしまい。
帝国生まれのドラグーン、カイン・シュミート(ka6967)。
ハンターにはハンター家業以外にも職を持つ者が少なくないが、彼もそのひとりだった。人に貸している畑の管理をしたり、両親の営むカフェを手伝ったり、あるいは鍛冶職人である師の工房で修行をしたりと、その活動は多岐に渡る。
今日はそのうちカフェの仕事に従事してきた彼は、凝った首を解すようぐるりと回し、天上に輝く月を認めた。
「今日は満月か」
改めて見渡せば、畑や牧草地が広がるのどかな眺めは銀の月に照らされて、葉の1枚1枚までもが淡い燐光を纏わせているようだ。
「綺麗で何より」
ぼそり呟くと、にわかに月の高さに焦りだす。
「それはそれとして遅くなったなぁ。あいつらの食事は一応頼んであるが……」
親元を離れ、農業を営んでいた祖母から受け継いだ家で暮らすカインではあるが、家には彼の帰りを待つ者たちが大勢いるのだ。
下宿人と、どういうわけか不思議とメスばかりが集まった獣達。
下宿人が食事の支度を忘れることはないと思うが、これまたどういうわけか、獣達――いっそ彼女達と表記したい――は異様にカインに懐いているため、
「綺麗だしゆっくりめに帰るのも悪くねぇけど、あいつら拗ねるかもだし……」
そのことが気がかりだった。
けれどこの綺麗な秋の月を、ひとり静かに愉しむのも良いものだ。
どうするか……そんな風に考えていると、視界の端に桜色の何かが映った。
「……んあ?」
道沿いに巡らされた木柵の柱の影から、キノコの笠のような頭の一部と、ピンク色のワンピースの裾がのぞいている。
(キノコ……じゃねぇな、パルムか? あれで隠れてるつもりなのか?)
吹き出しそうになったが、生来面倒見のいい兄貴肌の彼はひとりぽっちのパルムを放って置くことができず、脅かさぬようそうっと近づいていった。
――そのパルムは、当然パー子だった。
ユメリアの許をあとにしたパー子は、ハンターの姿を求め彷徨っていた。ハンターをストーキングもといウォッチングしたかったのに、気付けば人通りのない場所に来てしまい、やっとのことで出くわしたのがカインだったのだ。
(ちょいコワ系イケメン……嫌いぢゃない! むしろ好き! これはストーキン……観察させてもらわなきゃ!)
そう勢い込んで身を潜めていたのだが、パルムらしからぬずさんな隠れ方であっさり見つかってしまった。
(どうしよう、こっち来るー!)
カインは焦るパー子のすぐ目の前まで来ると、先程までの颯爽とした足取りとは打って変わって、ゆっくりとした動作でしゃがみ込む。視線の高さが近くなり、鋭いとばかり思っていた彼の双眸に灯る火が、思いのほか優しいことに気付いた。
「よう」
低く、どこか甘い残響の声が響く。
(こ、こんばんは! 決しておにいさんをストーキングしようだなんて思ってなかったの!)
パー子がかぶりを振ると、首に下げたタグが揺れた。カインはそのタグを指で掬い、刻まれた文字に目を凝らす。
「パー子……が名前ね」
(不本意だけどね)
「ハンターの所に身を寄せてるパルムか……こんな夜にどうした? 本当に月見だ散歩だってんならいいが……まさか迷子か?」
(えっと、ここがどこかはわかってないけど、迷子ってわけじゃなくて、あっちから来たのっ)
パー子が懸命に身振りで訴えると、カインは首を捻った。
「道のこっちの方から来たのか? ならハンターに付いてるパルムみてぇだし、反対側の街のオフィスへ行く途中ってとこか……? よく分かんねぇが、迷子ではねぇみてぇだな」
(!)
次に向かうべきオフィスの場所が分かり、パー子が正式に迷子ではなくなった瞬間だった。パー子は今度こそ自信満々でこっくり頷く。すると彼は安堵したようにわずかに眦を下げた。
「なら一先ず安心だ」
思っても見なかった柔和な表情に、パー子どっきゅん。
(これが『ギャップ萌え』……!)
どきまきしていると、彼は思い出したように鞄を漁った。
「あぁ、母さんから梨持たされたんだった。お前食べられるか?」
パー子がぴょんぴょんすると、彼は大きな梨とナイフを取り出し、慣れた手つきで皮を剥いていく。そしてパー子の口に合うよう切り分けてくれ、
「ほら」
パー子は大口でぱくり。噛んだ途端じゅわっと果汁が溢れ、口の中に収まりきらず顎に垂れた。
「お前なあ……」
彼は呆れながらも甲斐甲斐しく拭ってくれる。パー子は確信した。
(このおにいさん……絶対モテる!!!!)
などと目の前のキノコ頭に思われているとはつゆ知らず、彼はパー子が食べきれない分の梨を齧りつつ顔を顰めた。
「しっかし、こんな夜に独り歩きは感心しねぇなぁ。あまり暗い道を歩いたりしねぇ方がいいぞ」
真面目に諭され、パー子きょとん。
(ああ、ちっちゃいパルムの私にとっては、野良猫や野犬も充分猛獣だものね)
と思い辺り、シャーッと威嚇する猫や遠吠えする犬の真似をして見せた。すると彼は何故か眉根を寄せ、ぽりりと頬を掻く。
「何かイマイチ伝わってねぇ気がするが……」
――そうしてひとりと1匹、月明かりの下で旬の果実をのんびりと味わった。食べ終えると、パー子はお礼にチョコを手渡し、ぺこり。
「ひとりで大丈夫か?」
やや心配そうな声に力強く頷いて応えると、その表情がまたふっと和らいだ。
「……いい女はちゃんと解ってるな」
パー子、一瞬硬直。先程諭された言葉の意味が分かり、みるみる顔が赤くなる。
(こんなキノコな私にまさかの女の子扱い……!? デキる! このおにいさん間違いなくモテるわ!!)
何だか照れてしまったパー子は、脱兎のごとく逃げるように走り去った。
その後姿を見送ると、カインもハッとして再び歩き出す。
「あいつら拗ねてねぇといいが」
あいつらとは、勿論彼の帰りを待ちわびているだろう彼女達のことである。
(まぁ、そういう所もいい女ってとこか)
彼にとっては、キノコ頭でも毛皮や蹄を持っていようと、皆等しく女性なのだ。夜空を仰げば、まだ月は空の高い所にかかっている。沈むまでにはまだ時間がありそうだ。
「うーん、折角の満月の夜にこのまま帰って寝るのは勿体ねぇな」
待っていてくれた獣の彼女達も下宿人も皆呼んで、庭で賑やかに月見と洒落込むのも悪くない。月を独りで愉しむのも良いが、皆でわいわい歌って踊り、月夜の喜びを分かち合うのも良いものだ。
ふと、賑やかなことを好んでいた祖母の顔が胸を過った。似たのかもしれないな、なんて思うと自然と口許が綻ぶ。
家路を辿る彼の足は、自然と早くなっていった。
●月と散歩とまた明日
無事オフィスがある大きな街へやってきたパー子、実はまだ懲りていなかった。
(あともうひとりくらいハンターさん見たいなぁ)
けれど建物の間から空を見やれば、銀の月は少しずつ西に傾きだし、色も徐々に銀から乳白色へ変わりつつある。こんな夜更けでは、もう――
ところが、ため息ついたパー子の目の前を――屋根と屋根の間を、何かが俊敏な動きで飛び渡っていった。
(猫? ううん、それにしてはおっきい)
パー子は慌てて追いかける。屋根の上を自在に駆けていく影は、紛れもなく人の形をしていた。
細い身体をしなやかに使い、斜め屋根もなんのその。今度は高い塀の上へ飛び移り、両手を広げ悠々と歩いていく。恐れを知らぬ爪先は時折弾むようにステップ踏んで、月光に照る唇は歌を口遊んでいるように見えた。
月光に照る金糸髪。つぶらな青い瞳。自由に夜の散歩を謳歌していたのは――
(あれは、ダメ主の数少ないおともだち!)
シエル・ユークレース(ka6648)だった。
思いがけぬ遭遇にパー子が驚いていると、シエルの方も追いかけてくるパー子に気付いた。
「パルムだぁ♪」
身軽に屋根から飛び降りてきて、パー子をひょいっと抱き上げる。
「誰かのペットかな? 君もお散歩中なのかな。ボクと一緒に行く?」
パー子は玲の周りの出来事を大体記録しているので、勿論シエルのことも知っているが、シエルの方はそうではない。それでも気前よくお供させてくれると言うので、パー子はにっこり頷いた。シエルはパー子を抱きかかえ、再び屋根の上へ戻っていった。
途端に高くなる視界。きょろきょろするパー子にシエルが言う。
「月がキレイだから、散歩がしたくなって。郊外の静かな場所も捨てがたかったけど、夜の町並みもお昼とは違う雰囲気があってウキウキしてきちゃうよねっ」
パー子、こくこく。シエルはちょっぴり悪戯っぽく微笑み、
「そしたら、普通に舗装された道路を歩くだけじゃ何か物足りなくなってきちゃって。塀の上も、屋根の上も、今日はボクの散歩する道にしちゃおーって♪」
その自由な発想も、実行できる度胸や身ごなしも、パー子には何もかも眩しくて。お供にしてもらえたことを誇らしく思いながら、シエルが飛び跳ねるのに合わせぶんぶか手を振った。
飛び越す煙突からは時折優しい煮炊きの香りがし、灯りが零れる窓からは、夜更かしな誰かさん達の潜めた笑い声がする。賑やかな昼間の街もいいけれど、夜の街はどこか秘密めいていてドキドキする。シエルも同じように感じているかとそっと窺うと、シエルも猫の仔のような瞳を好奇心できらきらさせて、心から月夜の散歩を楽しんでいるようだった。
大興奮のパー子だったけれど、夜更かしが過ぎたのか、いつの間にかうとうとと船を漕ぎ始めてしまった。
(……はっ!?)
微睡みから覚めたパー子は、目の前によぉく見知った建物を認めた。
(あれ? 辺境ハンターオフィスだ。いつの間に)
ぽけぽけしている間にも、シエルは迷いなくオフィスへ近づき、扉の隙間から中を覗く。
「……今日はもう帰っちゃってるかなあ?」
(誰が? ……まさかダメ主?)
パー子は月の高さから時刻を計る。オフィスは夜中でも開いているとは言え、概ね昼勤務の玲はとっくに帰ってしまっただろう。やはり見当たらなかったのか、シエルは扉から顔を離すと、小さく肩を竦めた。
「いい子は寝始める時間だから、顔が見れたらラッキーくらいの気持ちだったんだけどね」
パー子に言い訳するように微笑む顔は、どことなく淋しげで。そのまま月を仰ぎ、
「会えなかったけど……もし玲くんもおんなじように月を見てたら、うれしいなあ。……でも空も見えないほど疲れていたりしないかなって、ちょっと心配」
その呟きを聞き、パー子はハッとした。シエルも件の強化人間達との一戦に参加していたひとりだったのだ。
(まさか、ダメ主を心配して……?)
ちょうどその時、シエルも別の意味でハッとなっていた。
「あれ? 上の階の休憩室、まだ灯りがついてるね? ……もしかして」
それからパー子にナイショだよと囁き、疾影士のスキル『壁歩き』を発動すると、平らな壁に足をかけた。
「うー。我ながら諦め悪いかなぁ、とも思うんだけどー。ちょっと心配なんだもーんっ、分かってくれるっ?」
パー子、キノコ頭がもげる勢いで頷きまくる。そして、GOGOとばかりに拳を振り上げた。
そうして覗き込んだ休憩室の窓の向こう。はたして、玲はそこにいた。やはり仕事は終えているようで、荷物を入れた鞄を傍らに置き、何をするでもなくぼうっと頬杖をついている。当然その目に月は映っていない。
「……元気なさそう。ちょっと痩せたみたい?」
シエルは玲の様子に唇を噛む。
「おうち、帰らないのかな……心配」
声をかけて良いものか躊躇っていると、ぐらりと身体が傾いだ。
「わわっ!?」
パー子もどっきり。壁歩きの効果が切れたのだ。シエルは慌てて術をかけ直し、
「あーびっくりしたっ」
事なきを得たものの、次の瞬間窓がからりと開いた。
「シエル? そこで何して、」
玲だ。シエルの声を聞き駆けつけたものの、そこまで言うと激しく咳き込む。
「や、やっほー……って大丈夫ッ?」
シエルは室内へ飛び込み、咳き込む玲を支え椅子へと促した。パー子は玲に見つからぬよう机の下へ滑り込む。
「酷い咳、声も掠れてるし。風邪?」
「ん……ょぶ」
シエルの問に、玲は声にならない声で答える。
「え? ……ねぇ、ちゃんと病院行った?」
「……り、だから」
「なぁに?」
「こ゛え゛か゛わ゛り゛!!」
玲が喉から絞り出した言葉に、シエルは目をぱちくり。玲が言うには、声変わりで声が出づらくなったものの、仕事柄喋らないわけにはいかず、無理に声を出し続けた結果喉を痛めてしまったのだと。
見た目は美少女・その実美少年なシエル、そういうものもあったっけと何だか妙に納得した。
「じゃあそれで元気なかったの?」
「まぁそんなトコ」
言いながら玲が目を伏せたのを、シエルは見逃さなかった。やはり理由は別にあるのだ。
けれど無理に問い詰めたりせず、代わりに窓を指した。
「ねえ玲くん、今日は月がキレイだよ。まんまる!」
言われて、玲は初めて夜空を仰ぐ。
「ホントだ。全然気付かなかった」
呆けたように月を見つめ続ける玲の肩へ、シエルはそっと肩を寄せた。
「……頑張るのは素敵だけど、無理はしてほしくないよ」
シエル自身も身に覚えがあるので、強くは言えないけれど。
「休まないと、壊れちゃうよ」
控えめに囁いた言葉が、静かな部屋にことりと落ちた。
それからしばらくぽつぽつ話をしていると、職員モリスに見咎められ、はよ帰れと怒られてしまった。
連れ立ってオフィスを出、建物前で玲が尋ねる。
「で、シエルはこんな遅くに、一体どうしたの?」
玲を気にかけて来てくれたのは明らかなのに、ぼっちだった故あまり人から心配されたことがないのか、不思議そうに言う。なのでシエルは屈託なく笑って即答した。
「玲くんと月を見に来たのっ。同じ時間を共有して、たわいない話しをして、「また明日ね」って言えるのがとてもうれしいの」
「明日もオフィスに来るの?」
「あははっ、玲くんがいるなら来ちゃおっかな? なーんてっ♪」
くるりと踵を返し、シエルはひらりと手を振った。
「じゃあ、また明日ねっ♪」
「? ……うん、また明日」
目を瞬きながらも、玲も手を振り返す。
パー子は鈍感極まるダメ主をどつき倒したい衝動を堪え、シエルを追うとチョコを渡した。
『ダメ主にも月を見せてくれてありがとう』
そんな感謝の気持ちを込めて。
やがて夜空と、人々の物語を巡り終えた月は、朝の光の中に溶けていった。
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2018/10/01 21:45:24 |