ゲスト
(ka0000)
聖導士学校――丘精霊の願い
マスター:馬車猪

- シナリオ形態
- ショート
- 難易度
- 普通
- オプション
-
- 参加費
1,500
- 参加制限
- -
- 参加人数
- 4~10人
- サポート
- 0~0人
- マテリアルリンク
- ○
- 報酬
- 普通
- 相談期間
- 5日
- 締切
- 2018/11/27 09:00
- 完成日
- 2018/12/03 00:58
みんなの思い出
思い出設定されたOMC商品がありません。
オープニング
●丘精霊の迷走
「なかなおりの会をひらくの!」
見た目エルフ少女な精霊が力説する。
一時は廃れ衰えたとはいえ広大な土地を象徴する精霊だ。
味も素っ気も無い会議室が王都の大聖堂に近い雰囲気になっている。
「丘精霊様の望みであれば」
聖堂戦士団の部隊長が即座にうなずき。
「会場設営は我々にお任せを」
大規模農業法人の社長が傷だらけの顔に人好きのする笑みを浮かべる。
精霊は満面の笑みを浮かべ両手を広げる。
艶のある銀髪が揺れ、細い体を包むカソックをふわりと撫でた。
「ルル様、質問があります」
女司祭が挙手をする。
その手には、仲直り会のしおりと下手な字で書かれたコピー用紙がある。
エルフ耳が警戒心を示すようにぴんと立ち、立場のある男達が威儀を正して真剣な顔になった。
「しおりの通りに仲直りの会をすると、聖堂教会の慰霊の儀式に非常に近いものになってしまいます」
「だめなの?」
涙目だ。
儀式を許可するかわりにエクラ教の傘下に入れとか言われてしまうのかなと、丘精霊はちょっと怯えている。
「この地の人間は無条件で全員歓迎するでしょう。もちろん私もです」
精霊が花開くように明るくなり、逆に女司祭の表情は硬くなる。
「今栄えている人間が滅んだエルフを思い優越感を楽しむ会にもなってしまいます。ルル様の望みとは離れてしまうではないでしょうか」
丘精霊は、何を言われているか理解できずにぽかんと口を開けた。
「司祭!」
「イコニア殿、それはあまりにも」
男達が立ち上がる。
大きな責任を負う歴戦の男達は、黙っていても威圧感が凄い。
余波だけでも精霊が怯えて近くの助祭を盾にするほどだ。
そんな状況でも女司祭は表情を変えず精霊から目を離さない。
「ルル様と普段過ごしている生徒達は違うかもしれませんが」
彼女は貴族の出であり聖堂教会内で立身している。
権力欲、名誉欲、物欲その他について、この場にいる誰よりよく知っている。
「聖堂教会はグラズヘイム王国と不可分です。そして、王国は人間中心の保守的な国」
リアルブルー基準の保守的ではなくクリムゾンウェスト基準での保守的だ。
差別意識が強い者は多く、その程度も強い。
「このままでは我々に利用されるだけで終わってしまいます。一度、ハンターの皆さんと相談することをお勧めします」
深く頭を下げる。
丘精霊ルルはきゅっと口を結び、もう一度考えると宣言した。
●聖堂教会
「イコニア君あれは拙いよ」
この地の最高権力者であるのに、司教の声は気弱だった。
彼は、教師としては有能でも組織運営能力は微妙で政治的能力に至っては皆無だ。
生徒に直接関わることを除けば、監査役である司祭に頼り切りで頭が上がらないのである。
「努力は評価しなければ前に進む気持ちが萎えてしまう」
校長にとり、丘精霊は尊重する存在であると同時に導き育てる対象だった。
「申し訳ありません」
女司祭は深く頭を下げる。
「ルル様が直接目にするよりは傷が浅くなると判断しました。独断で発言したことをお詫びします」
「……そんなに酷いかね」
司教が渋面になる。
「はい。我々の派閥は元大公派と近い関係にあります。我が校の教師陣のように人格能力共に優れた方も多いですが」
娯楽小説に登場する悪徳貴族じみた連中はそれ以上に多い。
「人材的にも資金的にも繋がりが強いため、影響を完全に断つことは困難です」
「つまり、人間に隙を見せず、古エルフ由来の歪虚を慰める儀式でないと目的を達成できない?」
良くも悪くも精霊でしかないルルには立案不可能だ。
「君個人の案は」
司教に問われ、女司祭は胃の痛みを耐えながらで重い口を開く。
「古エルフのみを考えた慰霊塔を南に建設します。聖堂教会や王国が許容できない情報、表現、精霊の意思を現し消せない形で保存します」
そうすれば、かつてエルフだった部分が消えはしなくても弱体化する。
ルルや現代のエルフと意思疎通する気にもなるかもしれない。
「それは」
司教の喉が渇いて痛い。
「闇鳥を全滅させるまでは教会からも王国からも隠せます。私が隠しきります」
女司祭は自己犠牲に酔ってはいない。
歪虚を滅ぼすために何が必要か、自分自身を含めた全てを冷徹に計算している。
「この地の制圧が完了する頃には王都に知られるようになるでしょう。申し訳ありません。その場合、私の首だけではすみませんので」
司教は天井を見上げ、これまで歩んできた道を思い返し、ため息をつかずに腹に飲み込んだ。
「君を道連れにするようで、すまん」
血の気の引いた顔が、無言で左右に揺れた。
●雲
ハンターが浄化した土地に正負のマテリアルが流れ込む。
互いに激しくぶつかりあいながら、一定の速度で拡大し続けていた。
●依頼票
臨時教師または歪虚討伐
またはそれに関連する何か
●地図(1文字縦2km横2km)
abcdefghijkl
あ畑畑畑畑農川畑畑畑畑川川
い平平平学薬川川川川川川平 平=平地。低木や放棄された畑があります。かなり安全
う□平畑畑畑畑平□平平平平 学=平地。学校が建っています。緑豊か。北に劇場と関連施設あり
え平平平平平平木木墓△△△ 薬=平地。中規模植物園あり。猫が食事と引換に鳥狩中
お平□□□果果林□□△△△ 農=農業法人の敷地。宿舎、各種倉庫、パン生産設備有
か□□□林平丘林□□△△○ 畑=冬小麦と各種野菜の畑があります
き□□□□湿湿林林林△△■ 果=緩い丘陵。果樹園。柑橘系。休憩所有
く■■□□□林□□□△△■ 丘=平地。丘有り。精霊のおうち
け○■■□□林□□□□□■ 湿=湿った盆地。安全。精霊の遊び場
こ■■■■■×■■■□□■ 川=平地。川があります。水量は並
さ■■■■■○■■■■■■ 林=平地。祝福された林。歪虚が侵入し辛く、歪虚から攻撃され難い
し■◇■■■■■■■■■■ 木=東西に歩道がある他は林と同じ
す■■◇■■■■■■■■■
せ■◎■■■■■■◎◎■■ 墓=平地。遠い昔に悲劇があった場所。墓碑複数有。定期的に掃除
そ■■■■■■■■◎◎■■
た■■■■■■■■■■■■
□=平地。負のマテリアルによる軽度汚染
■=未探索地域。基本的に平地。詳しい情報がない場所です
△=未探索地域。負マテリアル濃度が激減。歪虚密度が上昇
◇=荒野。負のマテリアルによる重度汚染
○=歪虚出現地点
◎=深刻な歪虚出現地点
×=歪虚に制圧された平地。負マテリアル濃度がさらに上昇中
gえ=木の成長速度が異様に加速中。法人が肥料投入を継続
iけ=負マテリアル濃度が少し高め
kこ=1箇所に留まる積乱雲が発生中。衰える様子がありません。ここと隣接マスで、これまで降らなかった雨が降ることも
た行から南に4~8キロ行くと隣領。領地の境はほぼ無人地帯。闇鳥、目無し烏は出没せず
地図の南3分の1の地上は、汚染の影響で遠くからは見辛い
丘から学校にかけて狼煙台あり。学校から北へ街道あり
「なかなおりの会をひらくの!」
見た目エルフ少女な精霊が力説する。
一時は廃れ衰えたとはいえ広大な土地を象徴する精霊だ。
味も素っ気も無い会議室が王都の大聖堂に近い雰囲気になっている。
「丘精霊様の望みであれば」
聖堂戦士団の部隊長が即座にうなずき。
「会場設営は我々にお任せを」
大規模農業法人の社長が傷だらけの顔に人好きのする笑みを浮かべる。
精霊は満面の笑みを浮かべ両手を広げる。
艶のある銀髪が揺れ、細い体を包むカソックをふわりと撫でた。
「ルル様、質問があります」
女司祭が挙手をする。
その手には、仲直り会のしおりと下手な字で書かれたコピー用紙がある。
エルフ耳が警戒心を示すようにぴんと立ち、立場のある男達が威儀を正して真剣な顔になった。
「しおりの通りに仲直りの会をすると、聖堂教会の慰霊の儀式に非常に近いものになってしまいます」
「だめなの?」
涙目だ。
儀式を許可するかわりにエクラ教の傘下に入れとか言われてしまうのかなと、丘精霊はちょっと怯えている。
「この地の人間は無条件で全員歓迎するでしょう。もちろん私もです」
精霊が花開くように明るくなり、逆に女司祭の表情は硬くなる。
「今栄えている人間が滅んだエルフを思い優越感を楽しむ会にもなってしまいます。ルル様の望みとは離れてしまうではないでしょうか」
丘精霊は、何を言われているか理解できずにぽかんと口を開けた。
「司祭!」
「イコニア殿、それはあまりにも」
男達が立ち上がる。
大きな責任を負う歴戦の男達は、黙っていても威圧感が凄い。
余波だけでも精霊が怯えて近くの助祭を盾にするほどだ。
そんな状況でも女司祭は表情を変えず精霊から目を離さない。
「ルル様と普段過ごしている生徒達は違うかもしれませんが」
彼女は貴族の出であり聖堂教会内で立身している。
権力欲、名誉欲、物欲その他について、この場にいる誰よりよく知っている。
「聖堂教会はグラズヘイム王国と不可分です。そして、王国は人間中心の保守的な国」
リアルブルー基準の保守的ではなくクリムゾンウェスト基準での保守的だ。
差別意識が強い者は多く、その程度も強い。
「このままでは我々に利用されるだけで終わってしまいます。一度、ハンターの皆さんと相談することをお勧めします」
深く頭を下げる。
丘精霊ルルはきゅっと口を結び、もう一度考えると宣言した。
●聖堂教会
「イコニア君あれは拙いよ」
この地の最高権力者であるのに、司教の声は気弱だった。
彼は、教師としては有能でも組織運営能力は微妙で政治的能力に至っては皆無だ。
生徒に直接関わることを除けば、監査役である司祭に頼り切りで頭が上がらないのである。
「努力は評価しなければ前に進む気持ちが萎えてしまう」
校長にとり、丘精霊は尊重する存在であると同時に導き育てる対象だった。
「申し訳ありません」
女司祭は深く頭を下げる。
「ルル様が直接目にするよりは傷が浅くなると判断しました。独断で発言したことをお詫びします」
「……そんなに酷いかね」
司教が渋面になる。
「はい。我々の派閥は元大公派と近い関係にあります。我が校の教師陣のように人格能力共に優れた方も多いですが」
娯楽小説に登場する悪徳貴族じみた連中はそれ以上に多い。
「人材的にも資金的にも繋がりが強いため、影響を完全に断つことは困難です」
「つまり、人間に隙を見せず、古エルフ由来の歪虚を慰める儀式でないと目的を達成できない?」
良くも悪くも精霊でしかないルルには立案不可能だ。
「君個人の案は」
司教に問われ、女司祭は胃の痛みを耐えながらで重い口を開く。
「古エルフのみを考えた慰霊塔を南に建設します。聖堂教会や王国が許容できない情報、表現、精霊の意思を現し消せない形で保存します」
そうすれば、かつてエルフだった部分が消えはしなくても弱体化する。
ルルや現代のエルフと意思疎通する気にもなるかもしれない。
「それは」
司教の喉が渇いて痛い。
「闇鳥を全滅させるまでは教会からも王国からも隠せます。私が隠しきります」
女司祭は自己犠牲に酔ってはいない。
歪虚を滅ぼすために何が必要か、自分自身を含めた全てを冷徹に計算している。
「この地の制圧が完了する頃には王都に知られるようになるでしょう。申し訳ありません。その場合、私の首だけではすみませんので」
司教は天井を見上げ、これまで歩んできた道を思い返し、ため息をつかずに腹に飲み込んだ。
「君を道連れにするようで、すまん」
血の気の引いた顔が、無言で左右に揺れた。
●雲
ハンターが浄化した土地に正負のマテリアルが流れ込む。
互いに激しくぶつかりあいながら、一定の速度で拡大し続けていた。
●依頼票
臨時教師または歪虚討伐
またはそれに関連する何か
●地図(1文字縦2km横2km)
abcdefghijkl
あ畑畑畑畑農川畑畑畑畑川川
い平平平学薬川川川川川川平 平=平地。低木や放棄された畑があります。かなり安全
う□平畑畑畑畑平□平平平平 学=平地。学校が建っています。緑豊か。北に劇場と関連施設あり
え平平平平平平木木墓△△△ 薬=平地。中規模植物園あり。猫が食事と引換に鳥狩中
お平□□□果果林□□△△△ 農=農業法人の敷地。宿舎、各種倉庫、パン生産設備有
か□□□林平丘林□□△△○ 畑=冬小麦と各種野菜の畑があります
き□□□□湿湿林林林△△■ 果=緩い丘陵。果樹園。柑橘系。休憩所有
く■■□□□林□□□△△■ 丘=平地。丘有り。精霊のおうち
け○■■□□林□□□□□■ 湿=湿った盆地。安全。精霊の遊び場
こ■■■■■×■■■□□■ 川=平地。川があります。水量は並
さ■■■■■○■■■■■■ 林=平地。祝福された林。歪虚が侵入し辛く、歪虚から攻撃され難い
し■◇■■■■■■■■■■ 木=東西に歩道がある他は林と同じ
す■■◇■■■■■■■■■
せ■◎■■■■■■◎◎■■ 墓=平地。遠い昔に悲劇があった場所。墓碑複数有。定期的に掃除
そ■■■■■■■■◎◎■■
た■■■■■■■■■■■■
□=平地。負のマテリアルによる軽度汚染
■=未探索地域。基本的に平地。詳しい情報がない場所です
△=未探索地域。負マテリアル濃度が激減。歪虚密度が上昇
◇=荒野。負のマテリアルによる重度汚染
○=歪虚出現地点
◎=深刻な歪虚出現地点
×=歪虚に制圧された平地。負マテリアル濃度がさらに上昇中
gえ=木の成長速度が異様に加速中。法人が肥料投入を継続
iけ=負マテリアル濃度が少し高め
kこ=1箇所に留まる積乱雲が発生中。衰える様子がありません。ここと隣接マスで、これまで降らなかった雨が降ることも
た行から南に4~8キロ行くと隣領。領地の境はほぼ無人地帯。闇鳥、目無し烏は出没せず
地図の南3分の1の地上は、汚染の影響で遠くからは見辛い
丘から学校にかけて狼煙台あり。学校から北へ街道あり
リプレイ本文
●得意気精霊
ソナ(ka1352)に気付いた瞬間、丘精霊の顔がふにゃりとほころんだ。
「ルル様、みんなのこといっぱい考えてよい案を見つけましたね」
軽く腰をかがめて視線をあわせる。
以前ほど身長差がないため腰への負担も軽い。
「私達はルル様の取り組みを応援します」
丘精霊はえへへと締まりのない笑顔を浮かべ、薄い胸を大きく逸らしていた。
「まずは現状の共有を行いましょう」
音楽的な響きの声が徹底して現実的な話を始める。
「南には怨嗟と悲憤」
防諜担当者がカーテンを閉め、次代の幹部として教育されている助祭がプロジェクターを起動。
この地域の南部を示す地図が映し出され、そこに歪虚の位置を書き込んだ画像が重ねられる。
歪虚領域と接した国でも滅多にないほどの密度で、歪虚が蠢いているのが直感的に分かってしまう。
「一方的な仲直りで鎮まらず消えはしない」
なにしろ歪虚だ。
仮に人間と手と手を取り合う展開があるとすれば、利用し食い物にしようとするときだけだ。
もちろん例外はある。その展開こそ最悪だ。
特殊な態度をとる歪虚は高確率で超高位の歪虚であり、この場にいる精鋭ハンター達でも退却すら難しくルルは確実に喪われる。
「一方、それらに命を脅かされ、傷つけられた人の痛み」
北側の地図に切り替わる。
学校、農業法人、聖堂戦士団部隊と、頭数だけはかなりのものだ。
もっとも歪虚の数と比べるとかなり少ない。
「大切な人を傷つけられ、歪虚を許せないイコニア達」
歪虚と戦い社会を維持してきた組織であり人々だ。
歪虚相手に妥協するとは考え辛い。
「どちらも大切な人を傷つけられ、許せなくて、自分と他人ごと、世界を掻き毟るように傷つけ合っている」
それが今の現状だと、アリア・セリウス(ka6424)は厳かに言い切った。
常識的な組織なら、解決を諦めるだけでなくこの地からの撤退を即断するような現状だ。
がんばる! という態度のルルは、多分現状を半分も理解できていない。
自分自身では届かなくても、頼りになるハンター達の助けがあればなんとかなると本気で考えているらしい。
この地で数々の難題を解決してきたハンターたちもすぐには解決策を思いつかない。
沈黙が続いているのにようやく気付き、丘精霊ルルの顔色が急速に悪くなっていく。
「ルル様主体で進める場合でも、一度で仲直りできる程度の確執ではないのですよね」
エステル(ka5826)が口火を切る。
聖導士ではあるが聖堂教会の位階は持っていないので、イコニアが口にできないことも自由に発言できる。
「今のあの方たちと仲良くしてしまうと、彼らは大地に還り生まれ変わることが出来ないのです」
ルルが小首を傾げた。
「元はエルフであっても今は歪虚なのです。歪虚の性質について、説明が必要でしょうか」
エステルは責めていない。
可能な限り穏やかな表現を使い、ルルの心に必要以上の傷がつかないよう最大限配慮している。
ただし、見せかけだけの甘い言葉は一切ない。
数百年の間目を逸らしてきた精霊に、ゆっくりとこの地の現実をつきつける。
「でも」
言葉を続けようとしてもルルの舌はそれ以上動かない。
ルルを追い詰める説明なら何日でもできるがエステルにその気は無い。
「胸を張りなさい。ルル、貴女は貴女のやりたいことをやりなさい」
エステルは、対等な存在に対する言葉を口にした。
「皆と仲良くしたい、その初志を忘れずに諦めずに進むのなら」
目は厳しく、口元と声は柔らかくして、誠意と気合いを以てルルを見る。
「私は私の持てる限りをもって貴女をお支え致しますよ」
「あり……がと。でも、やり方、ぜんぜん……分からなくて」
途中で遮らず必要以上のストレスも与えないのが、子供から意見を引き出すコツである。
「そういうときは人に考えさせれば良いのです」
エステルは平然と言う。
「使えそうな案なら使う、一部だけ使えそうなら組み合わせて使う、全部駄目ならもっと考えさせる。ルル様は上の立場なのですから上の立場のやり方を覚えてくださいね」
位階はなくても貴族なので、人の扱い方は十分に心得ていた。
「上なの?」
こてんと首を傾げる。
少しだけ不満そうだ。
「仲良しであることと立場の強弱は両立します。……なかなおり会に話を戻しますね」
「では私が」
ソナが席から立ち上がり、プロジェクター担当の助祭が画像を入れ替える。
「おおー」
丘精霊が歓声をあげた。
華美を排した剛健な記念碑だ。
刻まれた1文字1文字が大きく、千年先までも情報を劣化させずに伝えるという気迫を感じる。
味も素っ気も無い設計図ですらこうなのだ。
実物が完成すれば、負の情念に凝り固まった闇鳥でも無視はできないだろう。
「これが、イコニアさんが提案する仲直りです」
「えー」
精霊が不満を露わにする。
単純にあの司祭が嫌いなのだ。
最初に発案者を知らされたら案を拒絶していた可能性すらある。
「イコニアさんの案をもとに細部を変更しました。南のみんなは教会の人に殺されてしまったから教会式は嫌そうですし」
古エルフの祭祀や風習は、外見情報のみであれば情報がある。
それを元に建設するための資材と人材は、現在手配中だ。
「ルル様には南の皆が生者と同じにみえていたのでしょう。でも、歪虚と戦う今の人の気持ちと、歪虚の気持ちと両方知らないと、仲直りを取り持つことは難しい」
何が言いたげにしたユウ(ka6891)に目だけで謝り話を続ける。
「認識の差を埋めつつやれそうなことを形にするのが重要だと思います。前に進まなければ、何も得られませんから」
丘精霊は素直にうなずく。
ルルにとり、ソナは今の時代での保護者であった。
「建てて終わりでは無駄が多いと思います」
エステルが別案ではなく補足のための案を出す。
「慰霊塔……この石製建造物を慰霊塔と呼びますね。慰霊塔に対して、月に1~2回ハンターが護衛としてつきながら、ルル様に慰霊のための祈りをしてもらうなどはどうでしょうか?」
自分にもできることがある! と喜び立ち上がったルルの耳に、小さな咳払いの音が届く。
控えめなのに何故か存在感が大きく、ルルの盛り上がりが普通に戻っていく。
「それには反対させて貰うわ」
音楽祭の際に残された楽譜を手に、アリアが静かに異論を挟む。
「この地を象徴する精霊が動けば最終決定になるわ。あなた自身にそのつもりがなくても人間は……多分エルフもそう思ってしまう」
蒼い瞳と精霊の瞳が真正面から向かい合う。
「定期的な歌や演奏で慰霊をするのなら、外から目をつけれられ過ぎないようエクラ教に合わせつつ、この土地の為の、裏に慰霊やルル様から聞いた願いを込めた鎮魂歌を選ぶべきではないかしら」
「ええっと、外、も考えないとだめ?」
「考えないと校長先生も処断されちゃうみたいだよ」
メイム(ka2290)が話に加わる。
「こーちょー先生? だめっ! しさいはどーでもいーけど」
「ほんとにー? 処断ってあれだよ」
メイムが首を吊られる仕草をすると、ルルは心底訳が分からないという顔になる。
「歪虚がいっぱいいるのにエクラの……んんっ、しさいを殺すの? ほんとに?」
「王国ではそれが常識らしいよ~」
「えー」
「ほんとにえーだよね~」
両者ともうんざりした顔で肩をすくめた。
「まあでもこれ以上誰かが犠牲になるのは嫌だから、イコニアさんの瞳と髪色変えるとかルルさん出来ないかな?」
「からこん? へあすぷれー?」
ルルはリアルブルー文化にどっぷり漬かっているので、たまに奇妙な発言をする。
「どちらかというと認識阻害かな」
「んー、丘のちかくならいけると思う……けど」
歯切れが悪い。
「問題があるならこっちでなんとかできるならするけど。殉職した事に出来ればここに居続けられるし、校長も退任くらいで済みそうな感じにしたいんだよね」
ルルがワイバーンアップリケのエプロン姿のユウを見る。
白いテーブルクロスと食器を並べ終えたドラグーンは、自作のデコレーションケーキを皿に移しているところだった。
「邪神もいるのにころしたりひっこめたりしちゃうの? あれでもしさい、正マテリアルの側だよ?」
大好きなケーキに気付いても精霊としての役割を優先する。
画期的な成長ではあるが涎が溢れて発音が聞き取りにくい。
「ん~、どうだろ~」
メイムは表情を変えずに情報を吟味する。
ルルから見たイコニアの評価が予想以上に高い。
もう少し有効に使い尽くす案があるかもしれない。
「すみません。的外れな意見かもしれませんが」
政治、宗教、軍事に関わる議論に戸惑っていたイツキ・ウィオラス(ka6512)が、意を決してルルに話しかける。
「歩み寄る事は、大切な事です。けれど其れは、一方的な見解であってはならない」
これまでの議論を踏まえた内容ではない。
己の思いをぶつけるだけの、拙いとさえいえる話運びだ。
「理解し、理解され、双方の想いが尊重されなくては意味がありません」
ルルは神妙な態度で椅子に座り直す。
今だけはケーキも意識から消えている。
「今、ルル様が望んでいるのは、あくまでルル様が想う事だけから来るもの。其れでは、届きません」
息を吐き、大きく吸って、全身に力を込めて絞り出す。
「――少なくとも、私が見た彼らには、響かない」
イツキの言葉に強烈な説得力を感じる。
実際に闇鳥と戦い、エルフ故に彼等の奥底まで覗いてしまったイツキは、本人が意識しないまま最も真実に近いところにいた。
●黒子或いは黒幕
訓練のかけ声も戦闘時の悲鳴も、ここでは全てが遠い。
数時間に渡り、ペン先が羊皮紙を撫でる音だけしか聞こえない。
野良パルムがうとうとし始めた頃、厳重に施錠されていたはずの勢いよく開いた。
「ルル様からのお裾分けです」
ユウがケーキの小皿を持って入ってくる。
扉を開けたのは宵待 サクラ(ka5561)であり、微笑んだまま目だけで激する怖い顔になっている。
「二十四郎ー。イコちゃんの護衛をしろとは言ったけど異常を見逃せとは言ってないよ」
覚えのある気配故に入室時にも反応しなかったイェジドが、弁解するかのように首を小刻みに振る。
「こちらを使わせてもらいますね」
応接用のテーブルをさっと拭いてから配膳を終え、ユウはエプロンを外して横からイコニアの顔を覗き込む。
「すみません、今終わりますか……ら」
蒼白の鱗で包まれた手の平が、絶妙の力加減で女司祭の頬を抑える。
艶のある黒髪から純白の龍角が突き出している。
過酷な戦いを経ても澄んでいる瞳を直視できず、女司祭は失礼になりかねない速度で顔を逸らそうとした。
「イコニアさん、無理無茶は仕方がありません」
この女司祭が年齢不相応の重責を担っているのは分かっている。
「でも、いなくてはいけない時に立てなくてはその無理無茶は無意味になってしまいます。休むのも仕事のうちですよ」
だから、健康という限りある資源を必要以上に損なう真似は許容できない。
「あの……分かりました」
友人であり、ドラグーンという敬意を抱くしかない種族であるユウにここまで言われると従うしかない。
強く意識して思考を切り替える。
政治的な判断を下すための大量の情報を頭から追い出すと、優しいハーブの香りに気付く余裕がうまれた。
「医療学部の先生方から聞きましたよ」
茶を注ぎ終えたソナが、イコニアに一言注意してから立ち去る。
遠征の準備で忙しいのだ。
立ち去る際にユウとサクラに医者からの伝言を伝えると、部屋の体感温度が数度下がって野良パルムが逃げ出した。
「イコちゃん筋肉つかないけど比較的野生児だと思ってたんだよね、この派閥だから。なのに食欲落ちるわ隈は取れないわ。いくらなんでもストレスMAXすぎるじゃん? 千年前を完璧に思い出しちゃったのかなって思ってさ」
同じテーブルでケーキを囲んだサクラが、笑顔のまま怒りの視線を向ける。
極自然な動きで女司祭の胸ぐらを掴み、ケーキとカップに当たらない向きに思い切り引っ張る。
白い肌と肌が激突して鈍い音が響く。
金と赤の髪が混じって視界が狭くなる。
「信じろ、イコちゃん。沈む時も死ぬ時も一蓮托生、今度は絶対イコちゃんを1人にしないから。悪知恵だけは山のように出してあげるよ」
「相変わらず自意識過剰気味ですね。ルル様にそっぽを向かれた一件のこと忘れたのですか?」
外見も能力も水準以上の女たちの睨み合いである。
この部屋に向かっていた校長や防諜担当が迷わず逃げ出すほどの圧力があった。
「仲が良いのですね」
この種のどろどろとした感情とは縁の薄いユウは、特に気にすることなくハーブティーを楽しんでいる。
相互に信頼があるから可能な衝突ではあるのだ。
「……というわけで、エルフ塔の費用は2倍以上見積もって貰えるかなぁ」
サクラが猫を被り直して本題に入る。
「鎮めの祭事、仲直りの会は形を残さず何度もすればいい。慰霊塔本建立はもっと後にすればいい。祭事して簡易慰霊して、慰霊塔建立して浄化したら即農業法人のゴーレム総動員してエクラ様式の伽藍を作って慰霊塔自体を厳重に覆堂するんだ。子供達勧誘の集団が来て細作も山のように来るからばれるって思ってるんだよね。この前の監査と同じだ、見せてやればいい、そして公式見解をこちらが望んだように操作すればいい」
「普通の人間を甘く見ないで下さい」
小さく切ったケーキを口に運んで、一瞬だけ表情を綻ばせる。
「覚醒者でなくても私以上の知識と技術とコネの持ち主は大勢います」
「分かった上で言っているんだよ。イコちゃん達が首を切られて学校が撤退する未来は論外なんだよ。その後歪虚討伐が成功してもどうなると思う? エクラの汚点があって貴族とエクラ上層部に睨まれた土地に誰が新規入植できる。浄化されても人が入植できない土地なんて論外だ。学校と農業法人は現状のまま絶対残す」
お前に退場する自由なんてない。
サクラはそう断言した。
「ルル様はどうします?」
ユウが虚空へたずねると、ルルが縮こまった体勢で現れた。
イコニアの視界にもサクラの視界にも入らないよう無駄な努力をしている。
「慰霊塔さんせー、むかしのエルフためだけの慰霊塔、はんたい?」
心を読まれた。
イコニアなら激しく動揺しそうだが、ユウは良心に恥じることをしないし考えることもまずないので特に気にしない。
「言葉尻の違いだけかもしませんが、なかなおりを目指すなら少し違うんじゃないかと思うんです」
「うん。やるなら満点とりたいもんね」
「はい。ルル様、なかなおりの会を絶対に成功させましょう」
龍と関係が深く、価値観も古のそれに近いためか、ユウとルルの関係は良好だった。
●嵐はすぐそこに
ペガサスは断固として拒否をする。
上空では正負のマテリアルが激しくぶつかり合い、南には負マテリアルの霧の奥に無数の歪虚が潜む。
絶対にこれ以上南下したくはないし、出来ればいますぐ北に戻りたい。
ソナを降ろすなど論外だ。
「そこまで心配しなくても……と思いますけど」
強く命じるか強く願えば従ってはくれるだろうが、そこまでして降りる必要も無い。
ソナは自身の感覚で当たりをつけ、大きく息を吸ってから精霊への讃歌を歌い上げた。
世界が微かに震える。
ソナの足下から微風が生じてペガサスの腹を撫で、急激に強くなり10メートル四方の範囲を掃き清める。
狭い範囲ではあるが重度汚染されていた場所から、負マテリアルがほとんど消し去られる。
術の効果が切れる寸前、草木の芽吹く幻とそこでたたずむ古エルフの姿が確かに見えた。
「どうしたら仲直りに応じてくれるのか」
ソナが切ない息を吐く。
通常のやり方では不可能であることは重々承知している。
しかし、普通ではない状況で古のエルフと接した結果、通常ではない手段もあると知ってしまったのだ。
「今度は耳ではなく目……」
近くに……具体的には攻撃術が届く範囲に歪虚の気配がある。
イコニアを追い詰め、聖導士学校と聖堂戦士団を苦しめた、暗殺と指揮能力特化の歪虚だ。
「昔とは違う未来を見せて……浄化してあげられるのかも」
相手は答えない。
古エルフが生きていたときと同レベルまで浄化された土地に背を向け、最大最期の拠点へ静かに去って行く。
ソナは、今度はルルお気に入りの曲を使って別の汚染箇所で歌う。
今度も浄化には成功しはしたが、効果が大きくなることも小さくなることもない。
「1人で活動するのは、限界でしょうか」
ディアンの足とソナの法術であれば、10や100の歪虚に襲われても負けはしないし最悪の状況でも逃げることはできる。
けれど、その中に先程の小型闇鳥が混じっていれば、ペガサス共々骸を晒すことになるかもしれない。
●激戦
カイン・A・A・マッコール(ka5336)は昨晩の情景を思い出している。
「仲直り、か」
イコニア自作キュウリサンドイッチに手を伸ばすことを決断できず、カインは今すぐに考える必要のないことに逃避した。
「死してなお残り続けた怨念にとってはどうなんだろう」
紅茶の香りが漂っている。
カインがいれたものと比べると雑だけれども、想いを寄せる相手が頑張っていれた紅茶はプライスレスだ。
「家族や友人を故郷を滅ぼされて、悪かったな仲直りしようと言われ、それで終わりにされてしまうのは、彼らにとって余りにも酷だ」
古エルフの立場にカインがいたら、膨大な流血を強い死んだ後も憎悪が歪虚に変じてさらなる破滅を撒き散らすかもしれない。
思考が空回りしているせいか、そんなことまで考えてしまった。
どうやらイコニアも同じように考えているらしい。
夜食につくったサンドイッチを上品かつ高速で咀嚼した後、何度もうなずきながら音も無く茶を嗜む。
「だから、僕は怨念に対等に向き合いたいと言うか、同類の面倒は見てあげたい」
勇気を奮い立たせて一口ぱくり。
男としては幸せを感じるが、職人としては技術の拙さと行き過ぎた薄味を感じる、
「まあ、とことんやり合う奴がが一人ぐらい居てもいいでしょう、思いっきり喧嘩した方が少しはわかり合えるかもしれないし」
表情には出さずに気合いを入れる。
「女の子が我儘なら男の子はその数段上を行く馬鹿でガキですから、現に僕はイコニアさんより4つほど年下ですし」
イコニアの表情がなくなった。
無言で指を折って年齢を計算し、4本指を立てるのと5本指を立てるのを繰り返してから大きな息を吐く。
「ひょっとして5歳差?」
カインの優れた聴覚は、口の中だけでつぶやいたつもりの言葉を聞き取ってしまった。
脳内で警鐘が鳴る。
これに言及したら男女の仲的な仲良しには慣れなくなるから気をつけるのよ、という感じの内容が脳裏に浮かぶ。
精霊の加護か家族の教育か判別できないが、カインはこのとき素直に従った。
「イコニアさんを殺そうとした奴らを俺は許す訳にはいかないし、大切なひとを、何度も奪われたくない」
「危険を冒すなとは言いません。生きて家族の元へ帰ってあげてください」
その時の雰囲気は、かなり良かった気がするのだ。
「カインさん!」
イコニアの同等以上の覇気が籠もった声が、遊離していたカインの意識を現実に引き戻す。
目を開ける。
刻令ゴーレム「Volcanius」が、下半身を潰さされた状態で炸裂弾を撃ちまくっている。
カインが雄叫びをあげた。
体の痛みを気合いで押さえつけ、兜により制限された視界を頼りに斬魔刀を突き出す。
耐久力優先の分厚い刃に、ほとんど垂直に急降下して来た目無し烏が直撃して砕けた。
衝撃でカインの骨も砕ける。
内臓も激しく揺れて激しい痛みと嘔吐を引き起こす。
「今は、いつだ」
一瞬でも気を抜けば気絶しそうな体調で、途切れることなく降り注ぐ飛行歪虚を防ぎ続ける。
地上の歪虚の密度は薄い。
100メートルほど先では城壁じみた歪虚の軍団とハンターの激戦が行われているが、カインのすぐ側には大型歪虚はいない。
その代わり頭上の歪虚は大量だ。
オートソルジャーか牽制射撃を行っても効果は無く、1羽1羽狙っても増援歪虚出現速度に追いつけない。
「お前達が、その怨念を叩きつけてくるなら」
気絶時の衝突で歪んだ兜の向きを無理矢理直す。
小型闇鳥が突然姿を現す。
ハンターの最大の遠距離攻撃手段であるVolcaniusではなく、聖堂教会の司祭に従う人間へ濃厚な殺意を向ける。
「俺は」
半透明のクチバシは速すぎ、カインの目でも捕捉しきれない。
だからカインは勘に従い、腹部装甲の向きを変えて直撃だけは避け、身の丈を超える刃をカウンターで叩き込む。
「それ以上の憎悪で叩き潰してやる」
頭上の負の気配は増えるばかりで、疲労と負傷で広がった死角から次々に迫っていた。
空気が大きく押し退けられる音が響く。
カインを冥府に連れて行くはずだった目無し鳥の群れが、直径10メートルの球状だけ綺麗に消滅する。
「念のため1つ残しておいて良かったわ」
全幅10メートルを超える闇鳥を十数秒で1羽処理しながら、アリアが安堵混じりの息を吐く。
Volcaniusに支援を任せて地上を掃討していたところで空からの奇襲だ。
カインが体を張って時間を稼がなければVolcaniusは喪われ、他のハンターも退却を強いられていただろう。
「すみません。遅くなりました」
馬を使い駆け戻ったエステルは、一瞬も時間を無駄にしない。
カインが射程に入った瞬間リザレクションを実行。
続いて強力な治癒術で内臓を治し、最後に自分のゴーレムも癒やす。
ゴーレムの手が地面を踏みつける。
壊れた装甲と機構はそのままに、Volcaniusは見た目以上の高速で這いずりながら砲塔を上に向ける。
発射。
そして炸裂。
無数の散弾が闇鳥20羽以上をまとめて粉砕する。
高位術師のとっておきを除けば最高級の威力と範囲であり、にも関わらず後20射は可能だ。
アリアのイェジドが運用可能なミサイルが4発のみということと比べると、ゴーレムの凄まじい攻撃力がはっきりと分かる。
だが守りは弱い。
装甲はそれほど厚くなく、回避能力に至ってはユニット中最底辺。
大型歪虚である闇鳥に接触されれば1撃で破壊されかねないし、小型飛行歪虚1羽纏わり付かれただけで何も出来ずに死にかねない。
「参りますね」
馬の足で置き去りにした闇鳥がエステルを追って来る。
アリアとそのイェジドが後退しながら足止めと数減らしを行ってくれているが全く追いつかない。
奥の手を使えば倒すことも可能とはいえ、目的地まで2キロ以上あるこの場所で切り札を使わせたくない。
「策が破れた以上」
カインが小型闇鳥を見失う。
人間、聖導士、そして王国貴族出身であるエステルを狙い古エルフの刃が迫る。
「力で押しましょう」
光の波動が負マテリアルを押し流した。
浄化と攻撃という違いはあっても、エステルの法術はイコニアに劣らない。
凶悪な密度の負マテリアルを、欠片一つも残さず無力化し一部を正マテリアルに変えてさえみせる。
目無し烏が頭上から迫る。
高高度から加速してきたため、大部分が風の影響で狙いを外している。
それでも2羽が、少女の体を微塵に砕ける運動エネルギーをもってエステルに迫る。
Volcaniusとは次元が異なるとはいえ、エステルも高位覚醒者基準では回避が得意でない。
実際、1羽を避け損ねて直撃しかかった。
「私1人を守るのは簡単なのですが」
強化を繰り返され恐るべき強度を持つに至った盾が、差し違え覚悟の歪虚鳥を見事に受け流し地面に叩き付ける。
エステルは、全く何の被害も受けずに歪虚の猛攻を切り抜けた。
●残滓との邂逅
群青の穂先が、実体化した怨念を貫いた。
右と前から闇色のブレスが迫る。
銀のイェジドは余裕をもって十字砲火を躱し、主が攻撃し易い速度を保って揺れを抑えてみせる。
イツキは全身のマテリアルを絞り出し穂先から放つ。
不用意に前に出た闇鳥4体を見事に貫き、甚大なダメージを与えた。
「エイル、体調は……うん、一度戻ろう」
詳しい指示を出すより早くイェジドが加速する。
半壊した闇鳥部隊に炸裂弾が降り注ぎ、文字通りの全滅を強いて負のマテリアルに戻した上で減量させる。
「以前より強くなったと思うけど」
スケルトンと戦っていた頃と比べると、運動不足の子供が熟練の兵士になるほどに強くなっている。
しかし戦う相手の数も質も当時とは別次元で有り、今も昔も全く気を抜けない。
イツキたちを追う別の闇鳥部隊に炸裂弾が降り注ぐ。
歪虚の足は鈍り、イツキは意外なほど安全に後退を成功させた。
100回攻められれば数度は発生する被弾の分をエステルに癒やしてもらいながら、イツキとエイルは敵勢を観察する。
今回も非常に多い。
「撤退しないならこちら側は守り抜きます」
ゴーレムを守るカインの発言には2重の意味がある。
こちら側は絶対守る。それ以上守るのは無理だしこれ以上進撃を続けるなら守り切れない。
炸裂弾で散々苦しめられ撃ち減らされた敵は、徹底的に距離を取った上で散開し始める。
ゴーレムを守るのはエステル達なら可能だとしても、まとめて倒せない闇鳥と遠距離で撃ち合えば歪虚より先に炸裂弾が尽きる。
「いえ、これならなんとかなると思います」
1分間の休憩を終えたイツキが、静かな声で断言した。
「アリアさん」
「温存していいのね」
「はい、行きましょう!」
2頭のイェジドが一瞬だけ視線を交わし、競い合うように別々別の方向へ疾走する。
「私では、力不足かもしれないけど」
全ての歪虚に使うにはスキルの数が足りない。
単独でいる闇鳥に対しては、鍛えた技と力で普通に刺して切ることしかできず時間がかかる。
が、敵はほとんど単独だ。
炸裂弾の威力が大型歪虚にすら脅威を刻み込み、イツキたち前衛が活躍する場を作り上げている。
イツキの視界に別の映像が重なり始める。
以前にも経験した。
古に生きたエルフの姿が、闇鳥たちに重なって見える。
「私は、止まりません」
歪虚がいないはずの場所に、きつく巻かれた血まみれ包帯のエルフが立っている。
殺意も怒りも感じるがそれ以上の苦しみを感じる。
同族であるイツキを争うことへの忌避が、表情だけで無く全身に現れている。
「せめて、同じ悲しみを、次代に残さない為に。同じ過ちを、次代が繰り返さない為に」
最後の青龍翔咬波が無色の小型闇鳥を貫く。
古エルフは、悲しみはそのままに増した殺意で以てイツキに刃を繰り出す。
「小さくとも確かな一歩を」
腕部装甲でクチバシを受け止め、力を操作し打ち返す。
闇鳥が地面に打ち付けられ、何度も跳ね返りながら南側に転がる。
イツキの口からか細い悲鳴が漏れた。
長時間の激戦の果てに、とうとう限界が来てしまったのだ。
「私は」
ルルもイコニアも、方向性に違いはあってもこの地のために必死に頑張っている。
戦うことしかできないとしても、イツキは全力で彼等を支えたい。
今戦っている、闇鳥たちのためにも。
「手柄を競う場面ではないけれど」
銀水晶の刀身が、地面の痕跡目がけて振り下ろされる。
クチバシのみ実体化していた小型闇鳥が見事な連撃で介錯された。
「時間の余裕はないわ」
歪虚が形成していた半円形の包囲陣は、イツキとアリアがそれそれ別の端から丹念に潰した。
処理した数はアリアが多いがその分消耗も激しく、退却時の戦闘を考えるとそろそろ限界だ。
「アリアさん?」
イツキの声に不安が混じる。
これまで超然としていたアリアの態度に影を感じる。
まるで、聞くべきでないものを聞いてしまったような……。
「私も、あなたのように認められたということかしら」
アリアの目には古エルフの姿は映っていない。
幼子の押し殺した泣き声や、子を亡くした親の悲憤が、現実の音と重なって届いている。
「もう少しで、村のようね」
「……ええ」
イツキの目には見えている。
覚悟はしていたが、精神の柔らかな部分をヤスリで削られているような気すらする。
アリアの耳にも聞こえている。
ここが戦場でなければ、歌という形で悲劇に対するため武器を置いただろう。
人間と物理的な距離をとったからだろうか。
攻撃してくる歪虚は自然発生するスケルトンだけになり、闇鳥が何もしなくなる。
「ここね」
アリアが足を止める。
薄らとではあるが目にも見えるようになり、古エルフの息づかいまで感じられるようだ。
意識して抵抗しないと、価値観が彼等のそれに改変されてしまう気がした。
「全て否定しようとは思わないけれど」
星神器を構える。
「ここにいても凝り固まり腐ってしまうわ」
普段は抑えている力を解放する。
負マテリアルを断罪する力が溢れかけ、アリアは無秩序に広がらないよう制御して槍状に集める。
「これ以上のことができなくて……ごめんなさい」
村の中央にいた古く強い小型闇鳥は、防御を行わずに結末を受け入れた。
●冬の入道雲
ワイバーン響姫は思うのだ。
何事にも、可能なことと不可能なことがある、と。
「高度下げて~」
メイムが指示してくる。
限界近くの高度から、成長途中の積乱雲への接近命令だ。
正直今でも辛いし今より風が強くなると墜落状態に陥るかもしれない。
「駄目?」
駄目ですと言いたい。
けどもう少し行けそうなくらいに鍛えられているので駄目と言い切ることができない。
なお、言葉に出しては言えなくても態度で十分伝わる。
「そっか~」
メイムは借り物の双眼鏡を取り出した。
移動もしないという点を除けば、不自然なほど自然な雲だ。
「歪虚がいれば倒せるのだけどね~」
今のこの雲相手に、手持ちの手段が通用するとは思えないのだ。
正と負のマテリアルが周囲から流れ込んでいるのは分かるが、それが何を生じさせるかは全く分からない。
メイムは、次の調査に活かすためにマテリアルの流れをメモし始めた。
「これ以上は無理ですね」
フィーナ・マギ・フィルム(ka6617)はあっさりと諦めた。
これ以上近づけば……近づかなくても運が悪ければ巻き込まれて死ぬ。
危険の多いハンター稼業を続けてはいても、意味もなく危険を冒す趣味はない。
歪虚も、余程高位で無い限り強風に巻き込まれて死にそうに思えた。
風は極僅かずつ勢いを強めている。
もともと気温が低い空気が風になると、極短時間触れただけでも熱を奪う凶器と化す。
「ちょっと懐かしいかな」
空高く飛んでいるのにユウは平然とした顔だ。
はるか北にある龍園と比べるとこの程度の寒さは普通なのだ。
連合宇宙軍からの流出品らしい防寒具も貸して貰ったので、体力の消耗も抑えられている。
「もう少し揺れてもいいよ」
空色の龍がこくりとうなずいた。
安全第一なのは変わらないが、ユウへの配慮が薄くなり体が奇妙な方向へ加速する。
カメラのシャッター音が風に掻き消される。
ユウの言葉も音声としては届いて折らず、微かな体重移動や気配の変化でお互い通じ合っていた。
「あっちのマテリアルがこう動いて……」
メモに記入する余裕もPDAに打ち込む余裕もないので目で見て記憶する。
「イコニアさんが書いた陣に似ている?」
あの司祭は、聖堂教会の秘儀にあたる法術をときどき隠しもせずに使っている。
信頼されているのは嬉しいのだけれど、情報漏洩防止の面で仕事が雑になるのは正直どうかと思う。
クウがファイアブレスを打ち込む。
全く反応がないのが8割だが、残り2割で雑魔を討ったときに似た反応があった。
「なりかけ……かな」
雲と風は気体なので密度は低い。
負マテリアルを探す何度も高いが、ある程度推測はできるしブレスへの反応を見れば情報も得られる。
「前例がないから困るよね」
クウが2メートルほど高度を下げる。
奇襲したつもりらしい目無し鳥が、加速しながら直進を続け雲に到達する前にバランスを崩す。
ユウの目には、最期まで風をつかめず地面にぶつかるのが見えた。
「浄化か討伐、だよね」
この密度なら軽度の浄化で十分だし、軽度の浄化で十分なら広範囲浄化術を使えるイコニアの独擅場だ。
本人の体力がないので、ここまで連れてくるのは大変だろうが。
「急いで」
ユウの声色が変わる。
目には見えないが雨の気配を感じたのだ。
リアルブルーの航空機などを持ち込まない限り雨天飛行は自殺行為だ。
通信機に大声で呼びかけて撤退を促し、ユウ自身も大急ぎで地上へ向かうのだった。
●挫折のルル
「なんかスゲーやばそうな気がするんで、姉御に相談してからでいいっスか?」
「ルル様がお望みなら、私はっ、でもっ」
「御意に従います。1つだけ、実家と縁を切るのをお許し下さい」
「せめて時期を考えて頂きたい。リアルブルー失陥直後ですよ」
ルルの企みへの勧誘結果が上記である。
最も仲の良い生徒にまで断られたルルは、イコニア秘蔵のチョコレートボンボンをやけ食いしながら切っ掛けを思い出す。
「なかなおりの会を、ここだけの問題にせず、皆を巻き込んでやるべきです」
いつも真剣ではあるが、ここまで深刻なフィーナを見るのは初めてだった。
ルルは生徒に洗ってもらったハンカチで自分の口を拭き、精一杯真面目な顔をして椅子に座る。
「私達だけが彼らを認めるだけでは足りない。それではいずれ忘れ去られる」
「あのしさい、そこまで邪悪じゃないと思うよ? きらいだけど」
「ルル、時間感覚が人間に寄りすぎです」
「あっ」
「100年200年が経過するだけで印象は薄れ記憶は風化します。保存の努力も薄れて慰霊碑も長くはもたない」
ルルが思わず立ち上がり、動揺のあまり奇妙な踊りをした後再び席につく。
「どうしようふぃーな」
「なかなおりの会をするなら、大々的にやるべき」
普段はぼんやりとしているように見えるフィーナの目が、恐ろしいほどに冷たく光る。
「過去の遺恨を全て知らせ、後世に残ることをする」
「たいへんじゃ、ないかな」
フィーナは誤魔化さずに深くうなずく。
「そのためには、いろいろ準備が必要。だから、それが整うまで待って欲しい」
丘精霊の気配が静止した。
丘精霊の非人間的な部分が人間的な部分と同期する。
霊的な圧力が爆発的に増す。高位覚醒者であるフィーナでも意識を保つので精一杯だ。
「一緒に行く」
「それは」
「蜥蜴の尻尾は嫌い」
フィーナとほとんど変わらない大きさに育った手が、フィーナとは比べものにならない弱さで手を握ってくる。
振り解くのは簡単なはずなのに、その気にはどうしてもなれなかった。
このような経緯で活動が始まり、前述の経緯で失敗し、イコニアが記念日に一緒に食べようと思っていた品が失われたのである。
「んぐっ」
「食べ物を無駄にしない」
やや苦めにいれた温い茶を渡す。
ルルは勢いよく飲み干し、安堵の息を盛大に吐いた。
「おいしかった!」
「元気が戻ったようで何より。……反省会をしますか?」
「ふてねしたーい」
「それは後で」
ソナほどではないがフィーナも保護者役をしている。
「私の計画は、情報機関を通じてこの土地の遺恨を取り返しのつかないレベルで大々的に報道し、この国全てを巻き込んだ「なかなおりの会」にすることでした」
おおー、と心底感心するルルの気配が濃い。
また非人間的部分とリンクしているようだ。
「この件は、忘れ去った皆が向き合わなければならない問題。予想される副作用は強烈だけど、最終的にはやるしかない」
「ルル様もフィーナさんも、やるなら徹底的に秘密にしてください」
イコニアがノックをしてから入室してくる。そもそもここはイコニアの執務室だ。
菓子の空箱を見て、一瞬だけどんよりと目をした。
「その形の「なかなおりの会」に利用できる貴族のリストです」
燃え易そうな紙をフィーナに渡す。
ルルは一瞬にも満たない時間で瞬間移動しフィーナの肩から覗き込む。
「馬鹿にしている訳ではないですよね?」
リストに載っているのは反中央か反聖堂教会のいずれかに属する貴族の名のみだ。
「結果は予想しきれませんが王国を揺らす企みです。この非常時に賛同するのは逆転を狙う者たちばかりですよ」
「判断が保守的。短期間でよい形の決着もありえる」
「悪い形での決着もあり得ますよね。それと……」
別のリストを渡す。
「マスコミを使うなら一度地球出身者に相談してください」
気のせいですめばよいが、火薬庫に似た気配を感じているらしい。
「止めないの?」
ルルが問う。
「私と司教数人の命なら構いません。ですが、対歪虚戦力を大きく減らすのなら」
宣言してから敵対する。
その際に手段を選ぶことはあり得ない。
怯えたルルがリンクをさらに強めても、女司祭は眉ひとつ動かさなかった。
●おまつり
炭が赤々と光り、網の上の肉を照らしている。
肉の脂が小さく弾けた。
香りには大蒜と生姜が混じり、食欲を非常なほどに刺激する。
「まだ半焼けだよ~」
箸を直接伸ばしたルルをメイムが止める。
ルルは、煙以外の理由で目をうるうるさせながらトングに持ち替えもう一度裏返した。
「焼き肉は反則でちゅ」
北谷王子 朝騎(ka5818)が肩を落とす。
お供え物として気合いの入った重箱をこしらえてきたのだが、味の面では焼き立て肉には叶わない。
「それに」
形の良い鼻を可愛らしく動かす。
ルルも無意識に真似をしている。
「超高いお酒も使っているでちゅね。知らない香りでちゅけど」
メイムはドワーフの酒に漬け込んだ上で味を調えた。
焼き肉用の肉としては手間がかかっているだけで無くお値段的にも最上級である。
「ルルさんも頑張ってくれたしこのくらいはね~」
大量の苗木に対してルルによる祝福が行われた。
悩みを運動で昇華するための行動だった気もするが、行動したのは事実なので褒めても構わないだろう。
「別の案を平行して進めてもいいんじゃないかな~」
「ふくすう?」
ルルが何度も瞬きをする。放置された肉が小さな焦げ目が生じる。
「出世街道走っているイコニアさんでも失敗しまくってるよ~。問題解決のため複数の計画を同時に進めて拙そうなのは方針を変えたりなかったことにしたりしてるし」
ハンターに対して身内意識があるらしく、同じ部屋で事務仕事をしているとその手の情報が意識しなくても目に入る。
「2つといわずいくつでもね」
肉を指指す。
ルルは焼き肉を忘れていたことに気付いて、慌てて箸を伸ばして自分の口に運んだ。
美味しい!
大出力テレパシーである。
メイムは無言でヒールを使ってからルルをぐりぐりした。
「少しはイコニアさんにも協力してあげてね。古エルフの為だけの慰霊塔を作る案を出してるけど、古代の様式やルルさんが伝えたい内容も盛り込まないと不十分な案のままだと思う」
「んむー。でちゅー!」
今度は少しだけ控えめなテレパシー。
「まとめて情報送り付けるのは止めるでちゅ」
怒られたので半分にしてメイムにも未編集情報を来る。
「分割しても同じだよ~」
古エルフの歴史風俗を知る資料としては最上だ。何故なら直接五感で感じられるのだがら。
「あたしたち以外にしちゃ駄目だよ?」
常人だけでなく低位の覚醒者なら廃人不可避の負荷だった。
「朝騎も手伝うから学校に戻ってからPDAか端末にデータ入力でちゅよ。……今日寝られるでちゅかね」
大きく息を吐いてから立ち上がる。
休憩時間はこれで終わりだ。
周囲を見渡すと、スケルトン以下の雑魔の排除と、墓前の儀式場整備が完了していた。
「ルルしゃん」
「うん」
丘精霊と符術師が静かにうなずきあう。
種族どころか存在の次元すら異なるのに、肉体的にも霊的にも同期して供物を並べる。
醸造酒の豊かで甘い香りがふわりと広がり、時間が経っても美味しく美しい料理が儀式の場を華やかにする。
「いきまちゅ」
物理的に口を開いたのは朝騎。
霊的に口を開いたのはルル。
見事に制御された声は鈴の音のようで、けれど奏でられるのは拙い祈りの言葉だ。
人間の言葉に慣れないルル作詞なので聖堂教会のものよりは素朴になる。
るるるるるると鎮魂歌の歌が続く。
見守る生徒達は神妙に聞いてはいるが、聖堂教会式の格式張った式との違いに途惑っている。
「ん」
霊的な意味で囁かれ、巫女然としていた朝騎がにこりと笑う。
リズムが変わった。
厳粛で寂しい雰囲気を、るるるんるるるんと明るく塗り替えていく。
「皆さんご一緒に、でちゅ!」
最初に反応したのは修羅離れした聖堂戦士達だ。
肺活量も優れており声の響きは良い……のだが音感が皆無で朝騎にあわせることができない。
かなり遅れて参加した生徒たちはかなりマシだ。
音楽祭でも散々練習させられたので、ある程度着いて来ることができている。
「ご協力、ありがとうございましたっ」
線香が燃え尽きるタイミングで曲を終える。
楽しげな曲の余韻が漂うが、そこに込められた鎮魂の思いに偽りはない。
「お供えを下げまちゅよー」
酢であえたゴボウ、魚の天ぷら、紅白かまぼこに揚げ豆腐、三枚肉に餅に結び昆布。
和風で統一し霊的な意味も持たせたお供えであり、今はルルや生徒に食されるただの弁当だ。
「るるしゃん、結局複数案進めるつもりでちゅか?」
「うんー」
なんとなくメイムの影響を受けている気がする。
「なら、そうでちゅねぇ」
かなり多めに作ってきたのだがすぐになくなりそうだ。
片付けがまだだったバーベキュー道具の上に、念のため持って来ていた練り物や野菜を切って並べる。
「イコニアさんが前世の事でごめんなさいと古エルフに正式に謝罪?」
「ぱんちらで喜ぶ人はきょーかいげんてー?」
聖堂戦士が憤慨しかけ、その光景を脳裏に思い浮かべて何故か口籠もる。
「朝騎はスカートめくるのは好きでちゅよ。それが駄目なら」
軽く焼き色をつけた練り物を子供達へ。
「あれでちゅかねあれ」
「びっくり」
丘精霊が肉体的にも霊的にも目を丸くする。
朝騎の思考と知識を覗き込み、エバーグリーンとそこから回収された物について知り衝撃を受けた。
「おーとまとん!」
「正確にはそのボディでちゅ。一度、歪虚として倒した後、古エルフが再度歪虚と結合する前にボディに詰めて歪虚との結び付きカットするのはどうでちゅ?」
「すごい!」
「凄いじゃありません」
はしゃぐ丘精霊に、比喩的な意味で冷や水がかけられた。
「精霊の器になれるものにうっかり歪虚を入れたらどうなるとっ。王国国内だけで済む問題ではなくなりますよ!」
「やっぱりイコニアさん、ボディに心当たり……じゃなくてどこにあるか知ってるみたいでちゅね」
女司祭の表情が一瞬こわばり急に元に戻る。
「ノーコメントです」
人間がしてくる追求ならいくらでも耐えられる。
しかしルルが向けてくるきらきらうるうるした目は、耐えるのが難しい。
「宗教的、政治的な問題が生じないか相談を受けていたのです」
ハンターズソサエティー本部で事務手続き中に拉致されたともいう。
「お試しで1体お願いでちゅ」
「もってきってー」
「あなた達、私の話聞いていましたか!? ほんっとーに危険ですから止めて下さいっ」
「はいでちゅ」
「でちゅ」
ここまで心がこもっていない返事は、久々に聞いた気がした。
「イコちゃん、ほんとに協力するの?」
「しません! 邪神を滅ぼした直後の混乱に乗じれば辛うじて可能性があるかどうかという案件で……」
自分が興奮していることに気付いて咳払い。
「今の話は聞かなかったことにしてくだださいね」
目以外は淑やかな微笑みを見てしまった聖堂戦士たちが、強ばった顔で首を上下に振った。
「朝騎さんと関わると調子が乱れます」
その朝騎はルルや生徒とはしゃいでいる。
全員こちらのやりとりには気付いていない。
「結構仲いいよね?」
「サクラさんとは腐れ縁要素がありますからね」
あははと笑い合っているのに、体感的な温度は氷点下だ。
「まあ冗談はここまでにして」
「うん。慰霊碑を建てるのは今からでも可能だと思う」
イェジドと共にイコニアを護衛しながら、上空に対する警戒も怠らずにサクラが言う。
「一度の攻撃で歪虚の拠点を潰せるほど強いとは……いえ、頭では分かっていたつもりですが理解できていませんでした」
聖堂戦士団が攻め込むなら部隊がいくつか全滅してもおかしくない相手だ。
それを1人も死なずに、たったの4人で成し遂げるのだから凄まじい戦果だ。
「私は参加してないけどねー」
「その分の仕事はしているでしょう?」
「3つ準備して1つ使うかどうかというのは精神的に疲れるよ」
「私は5で1つですね。……入信して私と立場入れ替えませんか」
サクラは鼻で笑った。
「馬鹿言ってないで資金はしっかり集めておいてよ」
「情報漏洩を避けようとしたら派閥の資金は使えません。出版事業を売ることになりますよ」
「財貨を惜しむなんて珍しいじゃない。イコちゃん、出版事業がお気に入り?」
軽口のつもりで言ったのに、女司祭は真剣な顔で足を止めた。
「きな臭いのです」
「敵対派閥の浸食かな」
「いえ、それは定期的に処理しているのでおそらく大丈夫です」
眉間に皺を寄せているが、サクラの発言で不機嫌になった訳ではない。
出版業界が今後どう変化し何を王国にもたらすか推測することができず、事業をどうするか判断できない自分自身に苛立っている。
「ちょっとごめん。先生ー! ルル様の仲直りの会の予行演習にもなるからよろしくね」
魔導トラックに乗せられて来たのは若いエルフのミュージシャンたちだ。
農業法人のバイトで食いつないでいた頃よりは売れているらしく、ステージ衣装も似合っている。
「危険な仕事は勘弁してくださいよお願いですから」
抗議したのはサクラに対してだけ。
観衆である生徒やルルに対しては常に愛想良く場を盛り上げるエンターテイナーに徹する。
「みんなで聖歌もエルフの歌も歌ってこそ、だからね」
心からの笑い声と軽快な音楽が、かつての悲劇の場に響いていた。
ソナ(ka1352)に気付いた瞬間、丘精霊の顔がふにゃりとほころんだ。
「ルル様、みんなのこといっぱい考えてよい案を見つけましたね」
軽く腰をかがめて視線をあわせる。
以前ほど身長差がないため腰への負担も軽い。
「私達はルル様の取り組みを応援します」
丘精霊はえへへと締まりのない笑顔を浮かべ、薄い胸を大きく逸らしていた。
「まずは現状の共有を行いましょう」
音楽的な響きの声が徹底して現実的な話を始める。
「南には怨嗟と悲憤」
防諜担当者がカーテンを閉め、次代の幹部として教育されている助祭がプロジェクターを起動。
この地域の南部を示す地図が映し出され、そこに歪虚の位置を書き込んだ画像が重ねられる。
歪虚領域と接した国でも滅多にないほどの密度で、歪虚が蠢いているのが直感的に分かってしまう。
「一方的な仲直りで鎮まらず消えはしない」
なにしろ歪虚だ。
仮に人間と手と手を取り合う展開があるとすれば、利用し食い物にしようとするときだけだ。
もちろん例外はある。その展開こそ最悪だ。
特殊な態度をとる歪虚は高確率で超高位の歪虚であり、この場にいる精鋭ハンター達でも退却すら難しくルルは確実に喪われる。
「一方、それらに命を脅かされ、傷つけられた人の痛み」
北側の地図に切り替わる。
学校、農業法人、聖堂戦士団部隊と、頭数だけはかなりのものだ。
もっとも歪虚の数と比べるとかなり少ない。
「大切な人を傷つけられ、歪虚を許せないイコニア達」
歪虚と戦い社会を維持してきた組織であり人々だ。
歪虚相手に妥協するとは考え辛い。
「どちらも大切な人を傷つけられ、許せなくて、自分と他人ごと、世界を掻き毟るように傷つけ合っている」
それが今の現状だと、アリア・セリウス(ka6424)は厳かに言い切った。
常識的な組織なら、解決を諦めるだけでなくこの地からの撤退を即断するような現状だ。
がんばる! という態度のルルは、多分現状を半分も理解できていない。
自分自身では届かなくても、頼りになるハンター達の助けがあればなんとかなると本気で考えているらしい。
この地で数々の難題を解決してきたハンターたちもすぐには解決策を思いつかない。
沈黙が続いているのにようやく気付き、丘精霊ルルの顔色が急速に悪くなっていく。
「ルル様主体で進める場合でも、一度で仲直りできる程度の確執ではないのですよね」
エステル(ka5826)が口火を切る。
聖導士ではあるが聖堂教会の位階は持っていないので、イコニアが口にできないことも自由に発言できる。
「今のあの方たちと仲良くしてしまうと、彼らは大地に還り生まれ変わることが出来ないのです」
ルルが小首を傾げた。
「元はエルフであっても今は歪虚なのです。歪虚の性質について、説明が必要でしょうか」
エステルは責めていない。
可能な限り穏やかな表現を使い、ルルの心に必要以上の傷がつかないよう最大限配慮している。
ただし、見せかけだけの甘い言葉は一切ない。
数百年の間目を逸らしてきた精霊に、ゆっくりとこの地の現実をつきつける。
「でも」
言葉を続けようとしてもルルの舌はそれ以上動かない。
ルルを追い詰める説明なら何日でもできるがエステルにその気は無い。
「胸を張りなさい。ルル、貴女は貴女のやりたいことをやりなさい」
エステルは、対等な存在に対する言葉を口にした。
「皆と仲良くしたい、その初志を忘れずに諦めずに進むのなら」
目は厳しく、口元と声は柔らかくして、誠意と気合いを以てルルを見る。
「私は私の持てる限りをもって貴女をお支え致しますよ」
「あり……がと。でも、やり方、ぜんぜん……分からなくて」
途中で遮らず必要以上のストレスも与えないのが、子供から意見を引き出すコツである。
「そういうときは人に考えさせれば良いのです」
エステルは平然と言う。
「使えそうな案なら使う、一部だけ使えそうなら組み合わせて使う、全部駄目ならもっと考えさせる。ルル様は上の立場なのですから上の立場のやり方を覚えてくださいね」
位階はなくても貴族なので、人の扱い方は十分に心得ていた。
「上なの?」
こてんと首を傾げる。
少しだけ不満そうだ。
「仲良しであることと立場の強弱は両立します。……なかなおり会に話を戻しますね」
「では私が」
ソナが席から立ち上がり、プロジェクター担当の助祭が画像を入れ替える。
「おおー」
丘精霊が歓声をあげた。
華美を排した剛健な記念碑だ。
刻まれた1文字1文字が大きく、千年先までも情報を劣化させずに伝えるという気迫を感じる。
味も素っ気も無い設計図ですらこうなのだ。
実物が完成すれば、負の情念に凝り固まった闇鳥でも無視はできないだろう。
「これが、イコニアさんが提案する仲直りです」
「えー」
精霊が不満を露わにする。
単純にあの司祭が嫌いなのだ。
最初に発案者を知らされたら案を拒絶していた可能性すらある。
「イコニアさんの案をもとに細部を変更しました。南のみんなは教会の人に殺されてしまったから教会式は嫌そうですし」
古エルフの祭祀や風習は、外見情報のみであれば情報がある。
それを元に建設するための資材と人材は、現在手配中だ。
「ルル様には南の皆が生者と同じにみえていたのでしょう。でも、歪虚と戦う今の人の気持ちと、歪虚の気持ちと両方知らないと、仲直りを取り持つことは難しい」
何が言いたげにしたユウ(ka6891)に目だけで謝り話を続ける。
「認識の差を埋めつつやれそうなことを形にするのが重要だと思います。前に進まなければ、何も得られませんから」
丘精霊は素直にうなずく。
ルルにとり、ソナは今の時代での保護者であった。
「建てて終わりでは無駄が多いと思います」
エステルが別案ではなく補足のための案を出す。
「慰霊塔……この石製建造物を慰霊塔と呼びますね。慰霊塔に対して、月に1~2回ハンターが護衛としてつきながら、ルル様に慰霊のための祈りをしてもらうなどはどうでしょうか?」
自分にもできることがある! と喜び立ち上がったルルの耳に、小さな咳払いの音が届く。
控えめなのに何故か存在感が大きく、ルルの盛り上がりが普通に戻っていく。
「それには反対させて貰うわ」
音楽祭の際に残された楽譜を手に、アリアが静かに異論を挟む。
「この地を象徴する精霊が動けば最終決定になるわ。あなた自身にそのつもりがなくても人間は……多分エルフもそう思ってしまう」
蒼い瞳と精霊の瞳が真正面から向かい合う。
「定期的な歌や演奏で慰霊をするのなら、外から目をつけれられ過ぎないようエクラ教に合わせつつ、この土地の為の、裏に慰霊やルル様から聞いた願いを込めた鎮魂歌を選ぶべきではないかしら」
「ええっと、外、も考えないとだめ?」
「考えないと校長先生も処断されちゃうみたいだよ」
メイム(ka2290)が話に加わる。
「こーちょー先生? だめっ! しさいはどーでもいーけど」
「ほんとにー? 処断ってあれだよ」
メイムが首を吊られる仕草をすると、ルルは心底訳が分からないという顔になる。
「歪虚がいっぱいいるのにエクラの……んんっ、しさいを殺すの? ほんとに?」
「王国ではそれが常識らしいよ~」
「えー」
「ほんとにえーだよね~」
両者ともうんざりした顔で肩をすくめた。
「まあでもこれ以上誰かが犠牲になるのは嫌だから、イコニアさんの瞳と髪色変えるとかルルさん出来ないかな?」
「からこん? へあすぷれー?」
ルルはリアルブルー文化にどっぷり漬かっているので、たまに奇妙な発言をする。
「どちらかというと認識阻害かな」
「んー、丘のちかくならいけると思う……けど」
歯切れが悪い。
「問題があるならこっちでなんとかできるならするけど。殉職した事に出来ればここに居続けられるし、校長も退任くらいで済みそうな感じにしたいんだよね」
ルルがワイバーンアップリケのエプロン姿のユウを見る。
白いテーブルクロスと食器を並べ終えたドラグーンは、自作のデコレーションケーキを皿に移しているところだった。
「邪神もいるのにころしたりひっこめたりしちゃうの? あれでもしさい、正マテリアルの側だよ?」
大好きなケーキに気付いても精霊としての役割を優先する。
画期的な成長ではあるが涎が溢れて発音が聞き取りにくい。
「ん~、どうだろ~」
メイムは表情を変えずに情報を吟味する。
ルルから見たイコニアの評価が予想以上に高い。
もう少し有効に使い尽くす案があるかもしれない。
「すみません。的外れな意見かもしれませんが」
政治、宗教、軍事に関わる議論に戸惑っていたイツキ・ウィオラス(ka6512)が、意を決してルルに話しかける。
「歩み寄る事は、大切な事です。けれど其れは、一方的な見解であってはならない」
これまでの議論を踏まえた内容ではない。
己の思いをぶつけるだけの、拙いとさえいえる話運びだ。
「理解し、理解され、双方の想いが尊重されなくては意味がありません」
ルルは神妙な態度で椅子に座り直す。
今だけはケーキも意識から消えている。
「今、ルル様が望んでいるのは、あくまでルル様が想う事だけから来るもの。其れでは、届きません」
息を吐き、大きく吸って、全身に力を込めて絞り出す。
「――少なくとも、私が見た彼らには、響かない」
イツキの言葉に強烈な説得力を感じる。
実際に闇鳥と戦い、エルフ故に彼等の奥底まで覗いてしまったイツキは、本人が意識しないまま最も真実に近いところにいた。
●黒子或いは黒幕
訓練のかけ声も戦闘時の悲鳴も、ここでは全てが遠い。
数時間に渡り、ペン先が羊皮紙を撫でる音だけしか聞こえない。
野良パルムがうとうとし始めた頃、厳重に施錠されていたはずの勢いよく開いた。
「ルル様からのお裾分けです」
ユウがケーキの小皿を持って入ってくる。
扉を開けたのは宵待 サクラ(ka5561)であり、微笑んだまま目だけで激する怖い顔になっている。
「二十四郎ー。イコちゃんの護衛をしろとは言ったけど異常を見逃せとは言ってないよ」
覚えのある気配故に入室時にも反応しなかったイェジドが、弁解するかのように首を小刻みに振る。
「こちらを使わせてもらいますね」
応接用のテーブルをさっと拭いてから配膳を終え、ユウはエプロンを外して横からイコニアの顔を覗き込む。
「すみません、今終わりますか……ら」
蒼白の鱗で包まれた手の平が、絶妙の力加減で女司祭の頬を抑える。
艶のある黒髪から純白の龍角が突き出している。
過酷な戦いを経ても澄んでいる瞳を直視できず、女司祭は失礼になりかねない速度で顔を逸らそうとした。
「イコニアさん、無理無茶は仕方がありません」
この女司祭が年齢不相応の重責を担っているのは分かっている。
「でも、いなくてはいけない時に立てなくてはその無理無茶は無意味になってしまいます。休むのも仕事のうちですよ」
だから、健康という限りある資源を必要以上に損なう真似は許容できない。
「あの……分かりました」
友人であり、ドラグーンという敬意を抱くしかない種族であるユウにここまで言われると従うしかない。
強く意識して思考を切り替える。
政治的な判断を下すための大量の情報を頭から追い出すと、優しいハーブの香りに気付く余裕がうまれた。
「医療学部の先生方から聞きましたよ」
茶を注ぎ終えたソナが、イコニアに一言注意してから立ち去る。
遠征の準備で忙しいのだ。
立ち去る際にユウとサクラに医者からの伝言を伝えると、部屋の体感温度が数度下がって野良パルムが逃げ出した。
「イコちゃん筋肉つかないけど比較的野生児だと思ってたんだよね、この派閥だから。なのに食欲落ちるわ隈は取れないわ。いくらなんでもストレスMAXすぎるじゃん? 千年前を完璧に思い出しちゃったのかなって思ってさ」
同じテーブルでケーキを囲んだサクラが、笑顔のまま怒りの視線を向ける。
極自然な動きで女司祭の胸ぐらを掴み、ケーキとカップに当たらない向きに思い切り引っ張る。
白い肌と肌が激突して鈍い音が響く。
金と赤の髪が混じって視界が狭くなる。
「信じろ、イコちゃん。沈む時も死ぬ時も一蓮托生、今度は絶対イコちゃんを1人にしないから。悪知恵だけは山のように出してあげるよ」
「相変わらず自意識過剰気味ですね。ルル様にそっぽを向かれた一件のこと忘れたのですか?」
外見も能力も水準以上の女たちの睨み合いである。
この部屋に向かっていた校長や防諜担当が迷わず逃げ出すほどの圧力があった。
「仲が良いのですね」
この種のどろどろとした感情とは縁の薄いユウは、特に気にすることなくハーブティーを楽しんでいる。
相互に信頼があるから可能な衝突ではあるのだ。
「……というわけで、エルフ塔の費用は2倍以上見積もって貰えるかなぁ」
サクラが猫を被り直して本題に入る。
「鎮めの祭事、仲直りの会は形を残さず何度もすればいい。慰霊塔本建立はもっと後にすればいい。祭事して簡易慰霊して、慰霊塔建立して浄化したら即農業法人のゴーレム総動員してエクラ様式の伽藍を作って慰霊塔自体を厳重に覆堂するんだ。子供達勧誘の集団が来て細作も山のように来るからばれるって思ってるんだよね。この前の監査と同じだ、見せてやればいい、そして公式見解をこちらが望んだように操作すればいい」
「普通の人間を甘く見ないで下さい」
小さく切ったケーキを口に運んで、一瞬だけ表情を綻ばせる。
「覚醒者でなくても私以上の知識と技術とコネの持ち主は大勢います」
「分かった上で言っているんだよ。イコちゃん達が首を切られて学校が撤退する未来は論外なんだよ。その後歪虚討伐が成功してもどうなると思う? エクラの汚点があって貴族とエクラ上層部に睨まれた土地に誰が新規入植できる。浄化されても人が入植できない土地なんて論外だ。学校と農業法人は現状のまま絶対残す」
お前に退場する自由なんてない。
サクラはそう断言した。
「ルル様はどうします?」
ユウが虚空へたずねると、ルルが縮こまった体勢で現れた。
イコニアの視界にもサクラの視界にも入らないよう無駄な努力をしている。
「慰霊塔さんせー、むかしのエルフためだけの慰霊塔、はんたい?」
心を読まれた。
イコニアなら激しく動揺しそうだが、ユウは良心に恥じることをしないし考えることもまずないので特に気にしない。
「言葉尻の違いだけかもしませんが、なかなおりを目指すなら少し違うんじゃないかと思うんです」
「うん。やるなら満点とりたいもんね」
「はい。ルル様、なかなおりの会を絶対に成功させましょう」
龍と関係が深く、価値観も古のそれに近いためか、ユウとルルの関係は良好だった。
●嵐はすぐそこに
ペガサスは断固として拒否をする。
上空では正負のマテリアルが激しくぶつかり合い、南には負マテリアルの霧の奥に無数の歪虚が潜む。
絶対にこれ以上南下したくはないし、出来ればいますぐ北に戻りたい。
ソナを降ろすなど論外だ。
「そこまで心配しなくても……と思いますけど」
強く命じるか強く願えば従ってはくれるだろうが、そこまでして降りる必要も無い。
ソナは自身の感覚で当たりをつけ、大きく息を吸ってから精霊への讃歌を歌い上げた。
世界が微かに震える。
ソナの足下から微風が生じてペガサスの腹を撫で、急激に強くなり10メートル四方の範囲を掃き清める。
狭い範囲ではあるが重度汚染されていた場所から、負マテリアルがほとんど消し去られる。
術の効果が切れる寸前、草木の芽吹く幻とそこでたたずむ古エルフの姿が確かに見えた。
「どうしたら仲直りに応じてくれるのか」
ソナが切ない息を吐く。
通常のやり方では不可能であることは重々承知している。
しかし、普通ではない状況で古のエルフと接した結果、通常ではない手段もあると知ってしまったのだ。
「今度は耳ではなく目……」
近くに……具体的には攻撃術が届く範囲に歪虚の気配がある。
イコニアを追い詰め、聖導士学校と聖堂戦士団を苦しめた、暗殺と指揮能力特化の歪虚だ。
「昔とは違う未来を見せて……浄化してあげられるのかも」
相手は答えない。
古エルフが生きていたときと同レベルまで浄化された土地に背を向け、最大最期の拠点へ静かに去って行く。
ソナは、今度はルルお気に入りの曲を使って別の汚染箇所で歌う。
今度も浄化には成功しはしたが、効果が大きくなることも小さくなることもない。
「1人で活動するのは、限界でしょうか」
ディアンの足とソナの法術であれば、10や100の歪虚に襲われても負けはしないし最悪の状況でも逃げることはできる。
けれど、その中に先程の小型闇鳥が混じっていれば、ペガサス共々骸を晒すことになるかもしれない。
●激戦
カイン・A・A・マッコール(ka5336)は昨晩の情景を思い出している。
「仲直り、か」
イコニア自作キュウリサンドイッチに手を伸ばすことを決断できず、カインは今すぐに考える必要のないことに逃避した。
「死してなお残り続けた怨念にとってはどうなんだろう」
紅茶の香りが漂っている。
カインがいれたものと比べると雑だけれども、想いを寄せる相手が頑張っていれた紅茶はプライスレスだ。
「家族や友人を故郷を滅ぼされて、悪かったな仲直りしようと言われ、それで終わりにされてしまうのは、彼らにとって余りにも酷だ」
古エルフの立場にカインがいたら、膨大な流血を強い死んだ後も憎悪が歪虚に変じてさらなる破滅を撒き散らすかもしれない。
思考が空回りしているせいか、そんなことまで考えてしまった。
どうやらイコニアも同じように考えているらしい。
夜食につくったサンドイッチを上品かつ高速で咀嚼した後、何度もうなずきながら音も無く茶を嗜む。
「だから、僕は怨念に対等に向き合いたいと言うか、同類の面倒は見てあげたい」
勇気を奮い立たせて一口ぱくり。
男としては幸せを感じるが、職人としては技術の拙さと行き過ぎた薄味を感じる、
「まあ、とことんやり合う奴がが一人ぐらい居てもいいでしょう、思いっきり喧嘩した方が少しはわかり合えるかもしれないし」
表情には出さずに気合いを入れる。
「女の子が我儘なら男の子はその数段上を行く馬鹿でガキですから、現に僕はイコニアさんより4つほど年下ですし」
イコニアの表情がなくなった。
無言で指を折って年齢を計算し、4本指を立てるのと5本指を立てるのを繰り返してから大きな息を吐く。
「ひょっとして5歳差?」
カインの優れた聴覚は、口の中だけでつぶやいたつもりの言葉を聞き取ってしまった。
脳内で警鐘が鳴る。
これに言及したら男女の仲的な仲良しには慣れなくなるから気をつけるのよ、という感じの内容が脳裏に浮かぶ。
精霊の加護か家族の教育か判別できないが、カインはこのとき素直に従った。
「イコニアさんを殺そうとした奴らを俺は許す訳にはいかないし、大切なひとを、何度も奪われたくない」
「危険を冒すなとは言いません。生きて家族の元へ帰ってあげてください」
その時の雰囲気は、かなり良かった気がするのだ。
「カインさん!」
イコニアの同等以上の覇気が籠もった声が、遊離していたカインの意識を現実に引き戻す。
目を開ける。
刻令ゴーレム「Volcanius」が、下半身を潰さされた状態で炸裂弾を撃ちまくっている。
カインが雄叫びをあげた。
体の痛みを気合いで押さえつけ、兜により制限された視界を頼りに斬魔刀を突き出す。
耐久力優先の分厚い刃に、ほとんど垂直に急降下して来た目無し烏が直撃して砕けた。
衝撃でカインの骨も砕ける。
内臓も激しく揺れて激しい痛みと嘔吐を引き起こす。
「今は、いつだ」
一瞬でも気を抜けば気絶しそうな体調で、途切れることなく降り注ぐ飛行歪虚を防ぎ続ける。
地上の歪虚の密度は薄い。
100メートルほど先では城壁じみた歪虚の軍団とハンターの激戦が行われているが、カインのすぐ側には大型歪虚はいない。
その代わり頭上の歪虚は大量だ。
オートソルジャーか牽制射撃を行っても効果は無く、1羽1羽狙っても増援歪虚出現速度に追いつけない。
「お前達が、その怨念を叩きつけてくるなら」
気絶時の衝突で歪んだ兜の向きを無理矢理直す。
小型闇鳥が突然姿を現す。
ハンターの最大の遠距離攻撃手段であるVolcaniusではなく、聖堂教会の司祭に従う人間へ濃厚な殺意を向ける。
「俺は」
半透明のクチバシは速すぎ、カインの目でも捕捉しきれない。
だからカインは勘に従い、腹部装甲の向きを変えて直撃だけは避け、身の丈を超える刃をカウンターで叩き込む。
「それ以上の憎悪で叩き潰してやる」
頭上の負の気配は増えるばかりで、疲労と負傷で広がった死角から次々に迫っていた。
空気が大きく押し退けられる音が響く。
カインを冥府に連れて行くはずだった目無し鳥の群れが、直径10メートルの球状だけ綺麗に消滅する。
「念のため1つ残しておいて良かったわ」
全幅10メートルを超える闇鳥を十数秒で1羽処理しながら、アリアが安堵混じりの息を吐く。
Volcaniusに支援を任せて地上を掃討していたところで空からの奇襲だ。
カインが体を張って時間を稼がなければVolcaniusは喪われ、他のハンターも退却を強いられていただろう。
「すみません。遅くなりました」
馬を使い駆け戻ったエステルは、一瞬も時間を無駄にしない。
カインが射程に入った瞬間リザレクションを実行。
続いて強力な治癒術で内臓を治し、最後に自分のゴーレムも癒やす。
ゴーレムの手が地面を踏みつける。
壊れた装甲と機構はそのままに、Volcaniusは見た目以上の高速で這いずりながら砲塔を上に向ける。
発射。
そして炸裂。
無数の散弾が闇鳥20羽以上をまとめて粉砕する。
高位術師のとっておきを除けば最高級の威力と範囲であり、にも関わらず後20射は可能だ。
アリアのイェジドが運用可能なミサイルが4発のみということと比べると、ゴーレムの凄まじい攻撃力がはっきりと分かる。
だが守りは弱い。
装甲はそれほど厚くなく、回避能力に至ってはユニット中最底辺。
大型歪虚である闇鳥に接触されれば1撃で破壊されかねないし、小型飛行歪虚1羽纏わり付かれただけで何も出来ずに死にかねない。
「参りますね」
馬の足で置き去りにした闇鳥がエステルを追って来る。
アリアとそのイェジドが後退しながら足止めと数減らしを行ってくれているが全く追いつかない。
奥の手を使えば倒すことも可能とはいえ、目的地まで2キロ以上あるこの場所で切り札を使わせたくない。
「策が破れた以上」
カインが小型闇鳥を見失う。
人間、聖導士、そして王国貴族出身であるエステルを狙い古エルフの刃が迫る。
「力で押しましょう」
光の波動が負マテリアルを押し流した。
浄化と攻撃という違いはあっても、エステルの法術はイコニアに劣らない。
凶悪な密度の負マテリアルを、欠片一つも残さず無力化し一部を正マテリアルに変えてさえみせる。
目無し烏が頭上から迫る。
高高度から加速してきたため、大部分が風の影響で狙いを外している。
それでも2羽が、少女の体を微塵に砕ける運動エネルギーをもってエステルに迫る。
Volcaniusとは次元が異なるとはいえ、エステルも高位覚醒者基準では回避が得意でない。
実際、1羽を避け損ねて直撃しかかった。
「私1人を守るのは簡単なのですが」
強化を繰り返され恐るべき強度を持つに至った盾が、差し違え覚悟の歪虚鳥を見事に受け流し地面に叩き付ける。
エステルは、全く何の被害も受けずに歪虚の猛攻を切り抜けた。
●残滓との邂逅
群青の穂先が、実体化した怨念を貫いた。
右と前から闇色のブレスが迫る。
銀のイェジドは余裕をもって十字砲火を躱し、主が攻撃し易い速度を保って揺れを抑えてみせる。
イツキは全身のマテリアルを絞り出し穂先から放つ。
不用意に前に出た闇鳥4体を見事に貫き、甚大なダメージを与えた。
「エイル、体調は……うん、一度戻ろう」
詳しい指示を出すより早くイェジドが加速する。
半壊した闇鳥部隊に炸裂弾が降り注ぎ、文字通りの全滅を強いて負のマテリアルに戻した上で減量させる。
「以前より強くなったと思うけど」
スケルトンと戦っていた頃と比べると、運動不足の子供が熟練の兵士になるほどに強くなっている。
しかし戦う相手の数も質も当時とは別次元で有り、今も昔も全く気を抜けない。
イツキたちを追う別の闇鳥部隊に炸裂弾が降り注ぐ。
歪虚の足は鈍り、イツキは意外なほど安全に後退を成功させた。
100回攻められれば数度は発生する被弾の分をエステルに癒やしてもらいながら、イツキとエイルは敵勢を観察する。
今回も非常に多い。
「撤退しないならこちら側は守り抜きます」
ゴーレムを守るカインの発言には2重の意味がある。
こちら側は絶対守る。それ以上守るのは無理だしこれ以上進撃を続けるなら守り切れない。
炸裂弾で散々苦しめられ撃ち減らされた敵は、徹底的に距離を取った上で散開し始める。
ゴーレムを守るのはエステル達なら可能だとしても、まとめて倒せない闇鳥と遠距離で撃ち合えば歪虚より先に炸裂弾が尽きる。
「いえ、これならなんとかなると思います」
1分間の休憩を終えたイツキが、静かな声で断言した。
「アリアさん」
「温存していいのね」
「はい、行きましょう!」
2頭のイェジドが一瞬だけ視線を交わし、競い合うように別々別の方向へ疾走する。
「私では、力不足かもしれないけど」
全ての歪虚に使うにはスキルの数が足りない。
単独でいる闇鳥に対しては、鍛えた技と力で普通に刺して切ることしかできず時間がかかる。
が、敵はほとんど単独だ。
炸裂弾の威力が大型歪虚にすら脅威を刻み込み、イツキたち前衛が活躍する場を作り上げている。
イツキの視界に別の映像が重なり始める。
以前にも経験した。
古に生きたエルフの姿が、闇鳥たちに重なって見える。
「私は、止まりません」
歪虚がいないはずの場所に、きつく巻かれた血まみれ包帯のエルフが立っている。
殺意も怒りも感じるがそれ以上の苦しみを感じる。
同族であるイツキを争うことへの忌避が、表情だけで無く全身に現れている。
「せめて、同じ悲しみを、次代に残さない為に。同じ過ちを、次代が繰り返さない為に」
最後の青龍翔咬波が無色の小型闇鳥を貫く。
古エルフは、悲しみはそのままに増した殺意で以てイツキに刃を繰り出す。
「小さくとも確かな一歩を」
腕部装甲でクチバシを受け止め、力を操作し打ち返す。
闇鳥が地面に打ち付けられ、何度も跳ね返りながら南側に転がる。
イツキの口からか細い悲鳴が漏れた。
長時間の激戦の果てに、とうとう限界が来てしまったのだ。
「私は」
ルルもイコニアも、方向性に違いはあってもこの地のために必死に頑張っている。
戦うことしかできないとしても、イツキは全力で彼等を支えたい。
今戦っている、闇鳥たちのためにも。
「手柄を競う場面ではないけれど」
銀水晶の刀身が、地面の痕跡目がけて振り下ろされる。
クチバシのみ実体化していた小型闇鳥が見事な連撃で介錯された。
「時間の余裕はないわ」
歪虚が形成していた半円形の包囲陣は、イツキとアリアがそれそれ別の端から丹念に潰した。
処理した数はアリアが多いがその分消耗も激しく、退却時の戦闘を考えるとそろそろ限界だ。
「アリアさん?」
イツキの声に不安が混じる。
これまで超然としていたアリアの態度に影を感じる。
まるで、聞くべきでないものを聞いてしまったような……。
「私も、あなたのように認められたということかしら」
アリアの目には古エルフの姿は映っていない。
幼子の押し殺した泣き声や、子を亡くした親の悲憤が、現実の音と重なって届いている。
「もう少しで、村のようね」
「……ええ」
イツキの目には見えている。
覚悟はしていたが、精神の柔らかな部分をヤスリで削られているような気すらする。
アリアの耳にも聞こえている。
ここが戦場でなければ、歌という形で悲劇に対するため武器を置いただろう。
人間と物理的な距離をとったからだろうか。
攻撃してくる歪虚は自然発生するスケルトンだけになり、闇鳥が何もしなくなる。
「ここね」
アリアが足を止める。
薄らとではあるが目にも見えるようになり、古エルフの息づかいまで感じられるようだ。
意識して抵抗しないと、価値観が彼等のそれに改変されてしまう気がした。
「全て否定しようとは思わないけれど」
星神器を構える。
「ここにいても凝り固まり腐ってしまうわ」
普段は抑えている力を解放する。
負マテリアルを断罪する力が溢れかけ、アリアは無秩序に広がらないよう制御して槍状に集める。
「これ以上のことができなくて……ごめんなさい」
村の中央にいた古く強い小型闇鳥は、防御を行わずに結末を受け入れた。
●冬の入道雲
ワイバーン響姫は思うのだ。
何事にも、可能なことと不可能なことがある、と。
「高度下げて~」
メイムが指示してくる。
限界近くの高度から、成長途中の積乱雲への接近命令だ。
正直今でも辛いし今より風が強くなると墜落状態に陥るかもしれない。
「駄目?」
駄目ですと言いたい。
けどもう少し行けそうなくらいに鍛えられているので駄目と言い切ることができない。
なお、言葉に出しては言えなくても態度で十分伝わる。
「そっか~」
メイムは借り物の双眼鏡を取り出した。
移動もしないという点を除けば、不自然なほど自然な雲だ。
「歪虚がいれば倒せるのだけどね~」
今のこの雲相手に、手持ちの手段が通用するとは思えないのだ。
正と負のマテリアルが周囲から流れ込んでいるのは分かるが、それが何を生じさせるかは全く分からない。
メイムは、次の調査に活かすためにマテリアルの流れをメモし始めた。
「これ以上は無理ですね」
フィーナ・マギ・フィルム(ka6617)はあっさりと諦めた。
これ以上近づけば……近づかなくても運が悪ければ巻き込まれて死ぬ。
危険の多いハンター稼業を続けてはいても、意味もなく危険を冒す趣味はない。
歪虚も、余程高位で無い限り強風に巻き込まれて死にそうに思えた。
風は極僅かずつ勢いを強めている。
もともと気温が低い空気が風になると、極短時間触れただけでも熱を奪う凶器と化す。
「ちょっと懐かしいかな」
空高く飛んでいるのにユウは平然とした顔だ。
はるか北にある龍園と比べるとこの程度の寒さは普通なのだ。
連合宇宙軍からの流出品らしい防寒具も貸して貰ったので、体力の消耗も抑えられている。
「もう少し揺れてもいいよ」
空色の龍がこくりとうなずいた。
安全第一なのは変わらないが、ユウへの配慮が薄くなり体が奇妙な方向へ加速する。
カメラのシャッター音が風に掻き消される。
ユウの言葉も音声としては届いて折らず、微かな体重移動や気配の変化でお互い通じ合っていた。
「あっちのマテリアルがこう動いて……」
メモに記入する余裕もPDAに打ち込む余裕もないので目で見て記憶する。
「イコニアさんが書いた陣に似ている?」
あの司祭は、聖堂教会の秘儀にあたる法術をときどき隠しもせずに使っている。
信頼されているのは嬉しいのだけれど、情報漏洩防止の面で仕事が雑になるのは正直どうかと思う。
クウがファイアブレスを打ち込む。
全く反応がないのが8割だが、残り2割で雑魔を討ったときに似た反応があった。
「なりかけ……かな」
雲と風は気体なので密度は低い。
負マテリアルを探す何度も高いが、ある程度推測はできるしブレスへの反応を見れば情報も得られる。
「前例がないから困るよね」
クウが2メートルほど高度を下げる。
奇襲したつもりらしい目無し鳥が、加速しながら直進を続け雲に到達する前にバランスを崩す。
ユウの目には、最期まで風をつかめず地面にぶつかるのが見えた。
「浄化か討伐、だよね」
この密度なら軽度の浄化で十分だし、軽度の浄化で十分なら広範囲浄化術を使えるイコニアの独擅場だ。
本人の体力がないので、ここまで連れてくるのは大変だろうが。
「急いで」
ユウの声色が変わる。
目には見えないが雨の気配を感じたのだ。
リアルブルーの航空機などを持ち込まない限り雨天飛行は自殺行為だ。
通信機に大声で呼びかけて撤退を促し、ユウ自身も大急ぎで地上へ向かうのだった。
●挫折のルル
「なんかスゲーやばそうな気がするんで、姉御に相談してからでいいっスか?」
「ルル様がお望みなら、私はっ、でもっ」
「御意に従います。1つだけ、実家と縁を切るのをお許し下さい」
「せめて時期を考えて頂きたい。リアルブルー失陥直後ですよ」
ルルの企みへの勧誘結果が上記である。
最も仲の良い生徒にまで断られたルルは、イコニア秘蔵のチョコレートボンボンをやけ食いしながら切っ掛けを思い出す。
「なかなおりの会を、ここだけの問題にせず、皆を巻き込んでやるべきです」
いつも真剣ではあるが、ここまで深刻なフィーナを見るのは初めてだった。
ルルは生徒に洗ってもらったハンカチで自分の口を拭き、精一杯真面目な顔をして椅子に座る。
「私達だけが彼らを認めるだけでは足りない。それではいずれ忘れ去られる」
「あのしさい、そこまで邪悪じゃないと思うよ? きらいだけど」
「ルル、時間感覚が人間に寄りすぎです」
「あっ」
「100年200年が経過するだけで印象は薄れ記憶は風化します。保存の努力も薄れて慰霊碑も長くはもたない」
ルルが思わず立ち上がり、動揺のあまり奇妙な踊りをした後再び席につく。
「どうしようふぃーな」
「なかなおりの会をするなら、大々的にやるべき」
普段はぼんやりとしているように見えるフィーナの目が、恐ろしいほどに冷たく光る。
「過去の遺恨を全て知らせ、後世に残ることをする」
「たいへんじゃ、ないかな」
フィーナは誤魔化さずに深くうなずく。
「そのためには、いろいろ準備が必要。だから、それが整うまで待って欲しい」
丘精霊の気配が静止した。
丘精霊の非人間的な部分が人間的な部分と同期する。
霊的な圧力が爆発的に増す。高位覚醒者であるフィーナでも意識を保つので精一杯だ。
「一緒に行く」
「それは」
「蜥蜴の尻尾は嫌い」
フィーナとほとんど変わらない大きさに育った手が、フィーナとは比べものにならない弱さで手を握ってくる。
振り解くのは簡単なはずなのに、その気にはどうしてもなれなかった。
このような経緯で活動が始まり、前述の経緯で失敗し、イコニアが記念日に一緒に食べようと思っていた品が失われたのである。
「んぐっ」
「食べ物を無駄にしない」
やや苦めにいれた温い茶を渡す。
ルルは勢いよく飲み干し、安堵の息を盛大に吐いた。
「おいしかった!」
「元気が戻ったようで何より。……反省会をしますか?」
「ふてねしたーい」
「それは後で」
ソナほどではないがフィーナも保護者役をしている。
「私の計画は、情報機関を通じてこの土地の遺恨を取り返しのつかないレベルで大々的に報道し、この国全てを巻き込んだ「なかなおりの会」にすることでした」
おおー、と心底感心するルルの気配が濃い。
また非人間的部分とリンクしているようだ。
「この件は、忘れ去った皆が向き合わなければならない問題。予想される副作用は強烈だけど、最終的にはやるしかない」
「ルル様もフィーナさんも、やるなら徹底的に秘密にしてください」
イコニアがノックをしてから入室してくる。そもそもここはイコニアの執務室だ。
菓子の空箱を見て、一瞬だけどんよりと目をした。
「その形の「なかなおりの会」に利用できる貴族のリストです」
燃え易そうな紙をフィーナに渡す。
ルルは一瞬にも満たない時間で瞬間移動しフィーナの肩から覗き込む。
「馬鹿にしている訳ではないですよね?」
リストに載っているのは反中央か反聖堂教会のいずれかに属する貴族の名のみだ。
「結果は予想しきれませんが王国を揺らす企みです。この非常時に賛同するのは逆転を狙う者たちばかりですよ」
「判断が保守的。短期間でよい形の決着もありえる」
「悪い形での決着もあり得ますよね。それと……」
別のリストを渡す。
「マスコミを使うなら一度地球出身者に相談してください」
気のせいですめばよいが、火薬庫に似た気配を感じているらしい。
「止めないの?」
ルルが問う。
「私と司教数人の命なら構いません。ですが、対歪虚戦力を大きく減らすのなら」
宣言してから敵対する。
その際に手段を選ぶことはあり得ない。
怯えたルルがリンクをさらに強めても、女司祭は眉ひとつ動かさなかった。
●おまつり
炭が赤々と光り、網の上の肉を照らしている。
肉の脂が小さく弾けた。
香りには大蒜と生姜が混じり、食欲を非常なほどに刺激する。
「まだ半焼けだよ~」
箸を直接伸ばしたルルをメイムが止める。
ルルは、煙以外の理由で目をうるうるさせながらトングに持ち替えもう一度裏返した。
「焼き肉は反則でちゅ」
北谷王子 朝騎(ka5818)が肩を落とす。
お供え物として気合いの入った重箱をこしらえてきたのだが、味の面では焼き立て肉には叶わない。
「それに」
形の良い鼻を可愛らしく動かす。
ルルも無意識に真似をしている。
「超高いお酒も使っているでちゅね。知らない香りでちゅけど」
メイムはドワーフの酒に漬け込んだ上で味を調えた。
焼き肉用の肉としては手間がかかっているだけで無くお値段的にも最上級である。
「ルルさんも頑張ってくれたしこのくらいはね~」
大量の苗木に対してルルによる祝福が行われた。
悩みを運動で昇華するための行動だった気もするが、行動したのは事実なので褒めても構わないだろう。
「別の案を平行して進めてもいいんじゃないかな~」
「ふくすう?」
ルルが何度も瞬きをする。放置された肉が小さな焦げ目が生じる。
「出世街道走っているイコニアさんでも失敗しまくってるよ~。問題解決のため複数の計画を同時に進めて拙そうなのは方針を変えたりなかったことにしたりしてるし」
ハンターに対して身内意識があるらしく、同じ部屋で事務仕事をしているとその手の情報が意識しなくても目に入る。
「2つといわずいくつでもね」
肉を指指す。
ルルは焼き肉を忘れていたことに気付いて、慌てて箸を伸ばして自分の口に運んだ。
美味しい!
大出力テレパシーである。
メイムは無言でヒールを使ってからルルをぐりぐりした。
「少しはイコニアさんにも協力してあげてね。古エルフの為だけの慰霊塔を作る案を出してるけど、古代の様式やルルさんが伝えたい内容も盛り込まないと不十分な案のままだと思う」
「んむー。でちゅー!」
今度は少しだけ控えめなテレパシー。
「まとめて情報送り付けるのは止めるでちゅ」
怒られたので半分にしてメイムにも未編集情報を来る。
「分割しても同じだよ~」
古エルフの歴史風俗を知る資料としては最上だ。何故なら直接五感で感じられるのだがら。
「あたしたち以外にしちゃ駄目だよ?」
常人だけでなく低位の覚醒者なら廃人不可避の負荷だった。
「朝騎も手伝うから学校に戻ってからPDAか端末にデータ入力でちゅよ。……今日寝られるでちゅかね」
大きく息を吐いてから立ち上がる。
休憩時間はこれで終わりだ。
周囲を見渡すと、スケルトン以下の雑魔の排除と、墓前の儀式場整備が完了していた。
「ルルしゃん」
「うん」
丘精霊と符術師が静かにうなずきあう。
種族どころか存在の次元すら異なるのに、肉体的にも霊的にも同期して供物を並べる。
醸造酒の豊かで甘い香りがふわりと広がり、時間が経っても美味しく美しい料理が儀式の場を華やかにする。
「いきまちゅ」
物理的に口を開いたのは朝騎。
霊的に口を開いたのはルル。
見事に制御された声は鈴の音のようで、けれど奏でられるのは拙い祈りの言葉だ。
人間の言葉に慣れないルル作詞なので聖堂教会のものよりは素朴になる。
るるるるるると鎮魂歌の歌が続く。
見守る生徒達は神妙に聞いてはいるが、聖堂教会式の格式張った式との違いに途惑っている。
「ん」
霊的な意味で囁かれ、巫女然としていた朝騎がにこりと笑う。
リズムが変わった。
厳粛で寂しい雰囲気を、るるるんるるるんと明るく塗り替えていく。
「皆さんご一緒に、でちゅ!」
最初に反応したのは修羅離れした聖堂戦士達だ。
肺活量も優れており声の響きは良い……のだが音感が皆無で朝騎にあわせることができない。
かなり遅れて参加した生徒たちはかなりマシだ。
音楽祭でも散々練習させられたので、ある程度着いて来ることができている。
「ご協力、ありがとうございましたっ」
線香が燃え尽きるタイミングで曲を終える。
楽しげな曲の余韻が漂うが、そこに込められた鎮魂の思いに偽りはない。
「お供えを下げまちゅよー」
酢であえたゴボウ、魚の天ぷら、紅白かまぼこに揚げ豆腐、三枚肉に餅に結び昆布。
和風で統一し霊的な意味も持たせたお供えであり、今はルルや生徒に食されるただの弁当だ。
「るるしゃん、結局複数案進めるつもりでちゅか?」
「うんー」
なんとなくメイムの影響を受けている気がする。
「なら、そうでちゅねぇ」
かなり多めに作ってきたのだがすぐになくなりそうだ。
片付けがまだだったバーベキュー道具の上に、念のため持って来ていた練り物や野菜を切って並べる。
「イコニアさんが前世の事でごめんなさいと古エルフに正式に謝罪?」
「ぱんちらで喜ぶ人はきょーかいげんてー?」
聖堂戦士が憤慨しかけ、その光景を脳裏に思い浮かべて何故か口籠もる。
「朝騎はスカートめくるのは好きでちゅよ。それが駄目なら」
軽く焼き色をつけた練り物を子供達へ。
「あれでちゅかねあれ」
「びっくり」
丘精霊が肉体的にも霊的にも目を丸くする。
朝騎の思考と知識を覗き込み、エバーグリーンとそこから回収された物について知り衝撃を受けた。
「おーとまとん!」
「正確にはそのボディでちゅ。一度、歪虚として倒した後、古エルフが再度歪虚と結合する前にボディに詰めて歪虚との結び付きカットするのはどうでちゅ?」
「すごい!」
「凄いじゃありません」
はしゃぐ丘精霊に、比喩的な意味で冷や水がかけられた。
「精霊の器になれるものにうっかり歪虚を入れたらどうなるとっ。王国国内だけで済む問題ではなくなりますよ!」
「やっぱりイコニアさん、ボディに心当たり……じゃなくてどこにあるか知ってるみたいでちゅね」
女司祭の表情が一瞬こわばり急に元に戻る。
「ノーコメントです」
人間がしてくる追求ならいくらでも耐えられる。
しかしルルが向けてくるきらきらうるうるした目は、耐えるのが難しい。
「宗教的、政治的な問題が生じないか相談を受けていたのです」
ハンターズソサエティー本部で事務手続き中に拉致されたともいう。
「お試しで1体お願いでちゅ」
「もってきってー」
「あなた達、私の話聞いていましたか!? ほんっとーに危険ですから止めて下さいっ」
「はいでちゅ」
「でちゅ」
ここまで心がこもっていない返事は、久々に聞いた気がした。
「イコちゃん、ほんとに協力するの?」
「しません! 邪神を滅ぼした直後の混乱に乗じれば辛うじて可能性があるかどうかという案件で……」
自分が興奮していることに気付いて咳払い。
「今の話は聞かなかったことにしてくだださいね」
目以外は淑やかな微笑みを見てしまった聖堂戦士たちが、強ばった顔で首を上下に振った。
「朝騎さんと関わると調子が乱れます」
その朝騎はルルや生徒とはしゃいでいる。
全員こちらのやりとりには気付いていない。
「結構仲いいよね?」
「サクラさんとは腐れ縁要素がありますからね」
あははと笑い合っているのに、体感的な温度は氷点下だ。
「まあ冗談はここまでにして」
「うん。慰霊碑を建てるのは今からでも可能だと思う」
イェジドと共にイコニアを護衛しながら、上空に対する警戒も怠らずにサクラが言う。
「一度の攻撃で歪虚の拠点を潰せるほど強いとは……いえ、頭では分かっていたつもりですが理解できていませんでした」
聖堂戦士団が攻め込むなら部隊がいくつか全滅してもおかしくない相手だ。
それを1人も死なずに、たったの4人で成し遂げるのだから凄まじい戦果だ。
「私は参加してないけどねー」
「その分の仕事はしているでしょう?」
「3つ準備して1つ使うかどうかというのは精神的に疲れるよ」
「私は5で1つですね。……入信して私と立場入れ替えませんか」
サクラは鼻で笑った。
「馬鹿言ってないで資金はしっかり集めておいてよ」
「情報漏洩を避けようとしたら派閥の資金は使えません。出版事業を売ることになりますよ」
「財貨を惜しむなんて珍しいじゃない。イコちゃん、出版事業がお気に入り?」
軽口のつもりで言ったのに、女司祭は真剣な顔で足を止めた。
「きな臭いのです」
「敵対派閥の浸食かな」
「いえ、それは定期的に処理しているのでおそらく大丈夫です」
眉間に皺を寄せているが、サクラの発言で不機嫌になった訳ではない。
出版業界が今後どう変化し何を王国にもたらすか推測することができず、事業をどうするか判断できない自分自身に苛立っている。
「ちょっとごめん。先生ー! ルル様の仲直りの会の予行演習にもなるからよろしくね」
魔導トラックに乗せられて来たのは若いエルフのミュージシャンたちだ。
農業法人のバイトで食いつないでいた頃よりは売れているらしく、ステージ衣装も似合っている。
「危険な仕事は勘弁してくださいよお願いですから」
抗議したのはサクラに対してだけ。
観衆である生徒やルルに対しては常に愛想良く場を盛り上げるエンターテイナーに徹する。
「みんなで聖歌もエルフの歌も歌ってこそ、だからね」
心からの笑い声と軽快な音楽が、かつての悲劇の場に響いていた。
依頼結果
参加者一覧
サポート一覧
マテリアルリンク参加者一覧
依頼相談掲示板 | |||
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【相談卓】 メイム(ka2290) エルフ|15才|女性|霊闘士(ベルセルク) |
最終発言 2018/11/27 02:34:59 |
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2018/11/24 21:04:18 |
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![]() |
質問卓 北谷王子 朝騎(ka5818) 人間(リアルブルー)|16才|女性|符術師(カードマスター) |
最終発言 2018/11/27 02:42:29 |