ゲスト
(ka0000)
【王戦】聖導士学校――2つの歪虚
マスター:馬車猪
- シナリオ形態
- ショート
- 難易度
- やや難しい
- オプション
-
- 参加費
- 1,500
- 参加制限
- -
- 参加人数
- 5~12人
- サポート
- 0~12人
- マテリアルリンク
- ○
- 報酬
- 多め
- 相談期間
- 6日
- 締切
- 2019/02/08 09:00
- 完成日
- 2019/02/19 23:49
このシナリオは5日間納期が延長されています。
みんなの思い出
思い出設定されたOMC商品がありません。
オープニング
●引き継ぎ
0が多い給与明細と常備薬と化した胃薬……とカフェイン剤を見比べ、ローティーンの助祭がため息をついた。
「この歳で禿げたくないわよ」
だから、復活した上司に役職を返そうとした。
「マティも冗談が上手になりましたね」
上司が怖くなっていた。
ただ微笑んでいるだけなのに、自然と膝を折り全てを任せてしまいたくなる迫力がある。
再起不能に近い長期療養中だったはずなに、一体何が起こったのだろう。
「申し訳ないけど許可できないわ」
「理由を伺っても?」
「分からないふりをしなくても良いのですよ」
そりゃぁ分かっている。
王国全土で歪虚が活発化している。
復活後に聖堂戦士団兵站部門に属するようになった上司は、兼業する役職を減らすしかないほど忙しくなっているはずだ。
「でも、無理ですっ」
聖導士養成校が医科大学と士官学校に変化しかけていたり、初期の計画では小作人だった農業法人が大手企業になりかけていたり、単独でも司教以上が担当すべき件を助祭のマティが受け持っている、
つまるところ、いっぱいいっぱいだ。
「ごめんなさい。私も崑崙との折衝を押しつけ……任されてしまったから」
リアルブルー凍結に伴い多くの避難民が発生した。
既にハンターとして活動を始めた者もいる。覚醒者の素質がない者の中にも優れた知識や技術の持ち主は大勢いる。
彼等の一部は王国が開発したルクシュヴァリエにも関わっている。学校の医療課程や職員室のパソコン導入にも協力している者もいる。
どれもハンターがいたから成功したあるいは成功しつつある事業だが、避難民の協力がなければ成功の程度は小さくなっていたはずだ。
しかしいいことばかりではない。
王国はクリムゾンウェストの中でも特に保守的だ。
リアルブルーとの価値観の違いは非常に大きく、上司もリアルブルー遠征時のコネがなければまともに仕事が出来ないほどだ。
「この土地のことはマティに任せるしかないの。ハンターの皆さんと協力して頑張って頂戴」
「それって丸投げして責任だけ負えって事ですよっ!?」
涙目で抗議しても、上司は応じてくれなかった。
●終わらぬ襲撃
着信音が響いた。
PDAの表示がゆっくりと変わる。
カラフルで子供向けシミュレーションゲームじみた表示だが内容は一地方の戦況だ。
大量の物資が前線へ送り込まれ、後方では不足分を先読みした増産が始まっている。
中継拠点での不足や目詰まりは許容範囲。
物資をため込む必要が薄れた結果、過去に例がないほど滑らかに物資と人が動いていた。
「素晴らしい」
「夢でも詐欺でもないんだな! 嘘なら泣くぞ、年甲斐もなく泣くぞ私はっ!」
装甲が分厚すぎてゴーレムじみた聖堂戦士達が覗き込んでいる。
中世風ファンタジーな見た目な彼等とPDAの組み合わせはとてもアンバランスで、しかしガントレットを装備したままの操作に違和感は無い。
知識無しでも操作し理解できるシステムが構築されているのだ。
咳払いが聞こえた。
戦士達は慌てて厳めしい顔に着替え周囲を警戒する。
「情報伝達に不具合はないでしょうか」
若い女性の声が聞こえると、戦士達は目に見えて緊張する。
武断派とも過激派とも呼ばれる、資金の豊富さと手段の選ばなさで知られる派閥の幹部の声だからだ。
「前例のない道具です。不具合でなくても、気付いたことがあれば何でも知らせて下さい」
「了解で……」
唐突に音が途切れた。
女と部隊長の頭が、気味が悪いほど同期した動きで斜め後ろを向く。
再度着信音が響く。
傲慢勢力の目撃情報が追加され、それは2人が向いた方向と一致していた。
「寄り道しても?」
「もちろん」
歪虚に対しては、穏和な派閥も過激な派閥もほとんど差は無い。
●日常
「最近賑やかですなぁ。学校は危険地帯にあるんですが」
「学校いがいも危険だからみんな気にしなくなっちゃったんだよ多分」
古強者然とした男と、5歳児にしか見えないのに妙な存在感のあるエルフがおしゃべりしている。
肩車をしてされているが親子ではない。
数十機の農業用ゴーレムを抱える農業法人社長と、一地方を象徴する精霊である。
「ここまで大規模になると優先準備の決定なんてさっぱりです」
「私もー」
緊張感の欠片も無い。
「ルル様、社長」
会議の進行役を必死に務めていた助祭が、笑顔のまま青筋を立て上座の2人を見る。
「聞く気が無いなら外で遊んでいてくださいっ! 会議で出た案はまとめて後で報告しますからっ」
「承知した」
「じょさいまてぃよ、よろしくたのみます」
1柱と1人が、にこやかに親指を立て会議室から逃げ出した。
●地図(1文字縦2km横2km)
abcdefghijkl
あ畑畑畑畑農川畑畑畑畑川川
い平平平学薬川川川川川川平 平=平地。低木や放棄された畑があります。かなり安全
う平平畑畑畑畑平平平平□□ 学=平地。学校が建っています。緑豊か。北側に劇場と関連施設あり
え平平平平平平森木墓平□□ 薬=平地。中規模植物園あり。猫が食事と引換に鳥狩中
お平□□□果果林平□□□□ 農=農業法人の敷地。宿舎、各種倉庫、パン生産設備有
か□□□林平丘林平□□□○ 畑=冬小麦と各種野菜の畑があります
き□□□□湿湿林林林□□◇ 果=緩い丘陵。果樹園。柑橘系。休憩所有
く■■□□□林□□□□□◇ 丘=平地。丘有り。精霊のおうち
け○■■□□林□□□□□■ 湿=湿った盆地。安全。精霊の遊び場
こ■■■■■□■■■□×■ 川=平地。川があります。水量は並
さ■■■■■□■■■■■■ 林=平地。祝福された林。歪虚が侵入し辛く、歪虚から攻撃され難い
し■◇■■■■■■■■■■ 木=東西に歩道がある他は林と同じ
す■■◇■■■■■■■■■ 森=森。成長中
せ■◎■■■■■■◎◎■■
そ■■■■■■■■翼◎■■ 墓=平地。遠い昔に悲劇があった場所。墓碑複数有。定期的に掃除
た■■■■■■■■■■■■
□=平地。負のマテリアルによる軽度汚染
×=平地。歪虚が再占拠した土地。現在の汚染は軽度
■=未探索地域。基本的に平地。詳しい情報がない場所です
◇=荒野。負のマテリアルによる重度汚染
○=歪虚出現地点
◎=深刻な歪虚出現地点
翼=この地域での最強歪虚の所在地
た行から南に4~8キロ行くと隣領。領地の境はほぼ無人地帯。闇鳥、目無し烏は出没せず
地図の南3分の1の地上は、汚染の影響で遠くからは見辛い
丘から学校にかけて狼煙台あり。学校から北へ街道あり
aう=聖堂戦士団が隣領への往復中に制圧
hう=農業法人有志が制圧
fあ=農業ゴーレムが取水設備を拡張中
gえ=緑が濃過ぎて森の心得の無い者には侵入困難。法人が肥料投入を継続
fさ=周辺、特に南側隣接地域の負マテリアル濃度が高く、fさ自体の負マテリアル濃度も上昇中。今回放置で×に変化
●依頼票
臨時教師または歪虚討伐
またはそれに関連する何か
0が多い給与明細と常備薬と化した胃薬……とカフェイン剤を見比べ、ローティーンの助祭がため息をついた。
「この歳で禿げたくないわよ」
だから、復活した上司に役職を返そうとした。
「マティも冗談が上手になりましたね」
上司が怖くなっていた。
ただ微笑んでいるだけなのに、自然と膝を折り全てを任せてしまいたくなる迫力がある。
再起不能に近い長期療養中だったはずなに、一体何が起こったのだろう。
「申し訳ないけど許可できないわ」
「理由を伺っても?」
「分からないふりをしなくても良いのですよ」
そりゃぁ分かっている。
王国全土で歪虚が活発化している。
復活後に聖堂戦士団兵站部門に属するようになった上司は、兼業する役職を減らすしかないほど忙しくなっているはずだ。
「でも、無理ですっ」
聖導士養成校が医科大学と士官学校に変化しかけていたり、初期の計画では小作人だった農業法人が大手企業になりかけていたり、単独でも司教以上が担当すべき件を助祭のマティが受け持っている、
つまるところ、いっぱいいっぱいだ。
「ごめんなさい。私も崑崙との折衝を押しつけ……任されてしまったから」
リアルブルー凍結に伴い多くの避難民が発生した。
既にハンターとして活動を始めた者もいる。覚醒者の素質がない者の中にも優れた知識や技術の持ち主は大勢いる。
彼等の一部は王国が開発したルクシュヴァリエにも関わっている。学校の医療課程や職員室のパソコン導入にも協力している者もいる。
どれもハンターがいたから成功したあるいは成功しつつある事業だが、避難民の協力がなければ成功の程度は小さくなっていたはずだ。
しかしいいことばかりではない。
王国はクリムゾンウェストの中でも特に保守的だ。
リアルブルーとの価値観の違いは非常に大きく、上司もリアルブルー遠征時のコネがなければまともに仕事が出来ないほどだ。
「この土地のことはマティに任せるしかないの。ハンターの皆さんと協力して頑張って頂戴」
「それって丸投げして責任だけ負えって事ですよっ!?」
涙目で抗議しても、上司は応じてくれなかった。
●終わらぬ襲撃
着信音が響いた。
PDAの表示がゆっくりと変わる。
カラフルで子供向けシミュレーションゲームじみた表示だが内容は一地方の戦況だ。
大量の物資が前線へ送り込まれ、後方では不足分を先読みした増産が始まっている。
中継拠点での不足や目詰まりは許容範囲。
物資をため込む必要が薄れた結果、過去に例がないほど滑らかに物資と人が動いていた。
「素晴らしい」
「夢でも詐欺でもないんだな! 嘘なら泣くぞ、年甲斐もなく泣くぞ私はっ!」
装甲が分厚すぎてゴーレムじみた聖堂戦士達が覗き込んでいる。
中世風ファンタジーな見た目な彼等とPDAの組み合わせはとてもアンバランスで、しかしガントレットを装備したままの操作に違和感は無い。
知識無しでも操作し理解できるシステムが構築されているのだ。
咳払いが聞こえた。
戦士達は慌てて厳めしい顔に着替え周囲を警戒する。
「情報伝達に不具合はないでしょうか」
若い女性の声が聞こえると、戦士達は目に見えて緊張する。
武断派とも過激派とも呼ばれる、資金の豊富さと手段の選ばなさで知られる派閥の幹部の声だからだ。
「前例のない道具です。不具合でなくても、気付いたことがあれば何でも知らせて下さい」
「了解で……」
唐突に音が途切れた。
女と部隊長の頭が、気味が悪いほど同期した動きで斜め後ろを向く。
再度着信音が響く。
傲慢勢力の目撃情報が追加され、それは2人が向いた方向と一致していた。
「寄り道しても?」
「もちろん」
歪虚に対しては、穏和な派閥も過激な派閥もほとんど差は無い。
●日常
「最近賑やかですなぁ。学校は危険地帯にあるんですが」
「学校いがいも危険だからみんな気にしなくなっちゃったんだよ多分」
古強者然とした男と、5歳児にしか見えないのに妙な存在感のあるエルフがおしゃべりしている。
肩車をしてされているが親子ではない。
数十機の農業用ゴーレムを抱える農業法人社長と、一地方を象徴する精霊である。
「ここまで大規模になると優先準備の決定なんてさっぱりです」
「私もー」
緊張感の欠片も無い。
「ルル様、社長」
会議の進行役を必死に務めていた助祭が、笑顔のまま青筋を立て上座の2人を見る。
「聞く気が無いなら外で遊んでいてくださいっ! 会議で出た案はまとめて後で報告しますからっ」
「承知した」
「じょさいまてぃよ、よろしくたのみます」
1柱と1人が、にこやかに親指を立て会議室から逃げ出した。
●地図(1文字縦2km横2km)
abcdefghijkl
あ畑畑畑畑農川畑畑畑畑川川
い平平平学薬川川川川川川平 平=平地。低木や放棄された畑があります。かなり安全
う平平畑畑畑畑平平平平□□ 学=平地。学校が建っています。緑豊か。北側に劇場と関連施設あり
え平平平平平平森木墓平□□ 薬=平地。中規模植物園あり。猫が食事と引換に鳥狩中
お平□□□果果林平□□□□ 農=農業法人の敷地。宿舎、各種倉庫、パン生産設備有
か□□□林平丘林平□□□○ 畑=冬小麦と各種野菜の畑があります
き□□□□湿湿林林林□□◇ 果=緩い丘陵。果樹園。柑橘系。休憩所有
く■■□□□林□□□□□◇ 丘=平地。丘有り。精霊のおうち
け○■■□□林□□□□□■ 湿=湿った盆地。安全。精霊の遊び場
こ■■■■■□■■■□×■ 川=平地。川があります。水量は並
さ■■■■■□■■■■■■ 林=平地。祝福された林。歪虚が侵入し辛く、歪虚から攻撃され難い
し■◇■■■■■■■■■■ 木=東西に歩道がある他は林と同じ
す■■◇■■■■■■■■■ 森=森。成長中
せ■◎■■■■■■◎◎■■
そ■■■■■■■■翼◎■■ 墓=平地。遠い昔に悲劇があった場所。墓碑複数有。定期的に掃除
た■■■■■■■■■■■■
□=平地。負のマテリアルによる軽度汚染
×=平地。歪虚が再占拠した土地。現在の汚染は軽度
■=未探索地域。基本的に平地。詳しい情報がない場所です
◇=荒野。負のマテリアルによる重度汚染
○=歪虚出現地点
◎=深刻な歪虚出現地点
翼=この地域での最強歪虚の所在地
た行から南に4~8キロ行くと隣領。領地の境はほぼ無人地帯。闇鳥、目無し烏は出没せず
地図の南3分の1の地上は、汚染の影響で遠くからは見辛い
丘から学校にかけて狼煙台あり。学校から北へ街道あり
aう=聖堂戦士団が隣領への往復中に制圧
hう=農業法人有志が制圧
fあ=農業ゴーレムが取水設備を拡張中
gえ=緑が濃過ぎて森の心得の無い者には侵入困難。法人が肥料投入を継続
fさ=周辺、特に南側隣接地域の負マテリアル濃度が高く、fさ自体の負マテリアル濃度も上昇中。今回放置で×に変化
●依頼票
臨時教師または歪虚討伐
またはそれに関連する何か
リプレイ本文
●王国歴史講義
痩せこけたエルフが透き通った笑みを浮かべている。
それはただの絵だ。
初歩的な絵の技法を習ったばかりの、才能の欠片も感じられない絵だ。
しかし臨場感は桁外れにある。
錯覚とは分かっているのに、包帯に滲んだ汗と血の臭いまで感じとれる。
「こうして最後のエルフさんがルルしゃんとお別れしたのでちゅ」
北谷王子 朝騎(ka5818)が厳かに紙芝居をめくる。
おしまいと書かれた最後の1枚に、言い尽くせぬ想いが込められていた。
誰も何も言わない。
王都の聖堂への就職が決まっている2年生も、生徒の年齢より長く歪虚と戦ってきた聖堂戦士も、盤石と思い込んでいた足場が崩れでもしたかのような酷い顔色だ。
作、丘精霊ルル。
演、朝騎の古エルフ紙芝居であった。
「ありがとうございます」
澄んだ声が優しく耳を撫でる。
5歳児エルフが朝騎に抱きつきぷるぷる震え出す。
真の傲慢とは穏やかなものだと、この日多くの人間が魂で理解した。
「これが被害者側から見た歴史になります」
古エルフ殲滅の黒幕本人の記憶を持っているのに堂々と胸を張っている。
「お疲れでしょうが後30分我慢して下さい。ここで止めると偏った内容になってしまいますので」
司祭が講義室の後ろに視線を向ける。
この学校の出世頭の1人である助祭マティが、緊張で胃を磨り減らしながらPDAを操作。
司祭の後ろにある特大ディスプレイが光り出す。
「今から私が話すのは王国側の理屈です」
左側は現在の王国全体の地図。
右側は輪郭は同じだが、多数の色が入り交じった見慣れぬ地図が映る。
「虐殺が行われた時点で、グラズヘイム王国は中小国に過ぎませんでした」
込み入った地図の1点に、虐殺の地が黄色の点で表示される。
「当時は国同士の争いが多かったです。対歪虚戦用戦力の方が少なかったといえば想像し易いでしょうか」
まるで見て来たことのように言う。
臨場感は先程の紙芝居と甲乙つけがたい。
「歪虚の戦力はこうなっていました」
マティが新たな画像を重ねる。
左右の地図に歪虚の戦力が赤色で表示される。
数自体はあまり変わらない。
歪虚王がいない分、当時の戦力は人類優勢とすらいえる。
「危機的な現状と似ているよね」
「でちゅ」
宵待 サクラ(ka5561)と朝騎が互いにしか聞こえない音量で囁きあう。
精霊は怯えていたことも忘れて朝騎にべたべたしている。
「人類側の戦力がこうなります」
青色で表示される。
左右どちらも人類の数は同程度。
「このうち歪虚に対して向けられていたのはこの程度です。当時の他国については推測値ですので注意して下さい」
現代の左はほどんど変わらず、過去の右は3分の1も残らない。
なんで滅んでいないのと、生徒の誰かが呆然とつぶやき聖堂戦士が無意識に首肯した。
「はい、良い視点ですね」
司祭が微笑む。
「王家と聖堂戦士団の奮闘のお陰です。草臥れた皮の服と磨り減った剣やメイスで歪虚を殺しに殺しました。この場にいるハンターの皆さんには及びませんが、高位覚醒者が大勢誕生したのもこの頃です」
戦死者はその数十倍ですがと静かに付け足した。
「当時の文書がいくつか残っています」
10枚ほどの古文書が、地図に重なる形で映し出された。
地名や組織名に見覚えがある。
この土地から王都へ物資が送られた記録のようだ。
農業技術が発達していない時代なのに大量だ。
「他種族を証拠を残さず殺し尽くしたことが、農地の拡大と必要な軍備の縮小に繋がりました」
その結果がこの地の王国化と生産基地化だ。
この地で生産された糧食や装備が、当時の覚醒者を助けた記録がいくつもある。
「虐殺が正当化されるとはいいません」
彼女は俯かない。
緑の瞳が真っ直ぐに人間と、はるか南にいる歪虚を見据えている。
「どの時代でも、如何な理由があろうと正当化はできません」
サクラが渋い表情を浮かべる。
つきあいが長いので、どんな心境で語っているか分かってしまう。
「私から言えるのは1つだけです。虐殺を非難するならば、虐殺が人類生残に役立ったことを理解した上で非難して欲しいのです」
生徒も聖堂戦士も圧倒され、中には誇りを抱いた者もいる。
仮にこの場に被害者がいればどう思うか考えられたのは、ハンターを除けばほんの数人だった。
●ダブルスタンダード
「私が被害者なら棄教して歪虚につきます」
職員室での爆弾発言である。
王国と聖堂教会の正当性を訴えた数分後のこの発言に、校長以下の教職員全員が絶句した。
「一族の者が1人殺されただけでも法律の範囲内での殺害を目指しますから。全員だまし討ち同然に殺されたら当然そうなります」
カイン・A・A・マッコール(ka5336)からの差し入れを両方の手の平で抱え込み、彼女は目を閉じ甘い香りを楽しんだ。
「イコニアさん」
ソナ(ka1352)の声が硬い。
直接の血の繋がりはないとはいえ、同じ種族の1部族の死を茶化されたら怒るのは当然だ。
「侮辱に聞こえてしまったら申し訳ないです」
結局口はつけずにテーブルの上に下ろす。
「当時は珍しくなかったのですよ。私の一族もいくつか分家がやられています」
数百年前の人間の知識を劣化なしで受け継いだ結果、この司祭は本家の当主並の歴史知識を持つに至っている。
「謝罪の気持ちは……ないのですか?」
ソナが穏和であることは教職員も良く知っている。
だからエルフの怒りの深さを直接肌で感じ、解決策など存在するのだろうかと考えてしまった。
無意識にカップに手を伸ばそうとしていたことに気付き、イコニアはぎゅっと手を握りしめる。
「謝罪すれば気は楽になります」
聖堂教会司祭としての知識からも経験からも断言できる。
「しかしそれはあまりに恥知らずではないでしょうか」
「それでも」
ソナは全身全霊で感情を抑え込んでいる。
今なら殺せる、今殺させろと、かつて受け入れた古エルフ覚醒者の残滓が絶叫している。
「謝罪を口にしないと先に進めません。イコニアさんも、エルフも、ルル様も」
震えながら息を吐いて気持ちを落ち着かせ、イコニアの目を真正面からみつめる。
「会での謝罪なら、相手に合わせるよりも心の底から湧き上がるものを素直に仰られては」
イコニアの呼吸が一瞬乱れ途方に暮れたような顔になる。
「その結果、例の歪虚達を挑発することになっても?」
ソナは静かに、断固としてうなずいた。
「難しい話してるねー」
「ねー」
部屋の隅で、別のエルフと精霊がクッキーをかじっている。
なお、メイム(ka2290)はきちんと理解している。丘精霊ルルは人間ともエルフとも感性が異なるためとても理解が浅い。
「力の使い処ではあったけど、また縮んじゃったねー。当分2Pカラー出せないのでしょ?」
「昔の1世代分くらい使ったから……。学校じゃ半年分くらいだけどね」
いつの間にか食べ尽くしていたことに気付いて自分の指を舐めるルル。
この地で穫れた麦には感謝と敬意と暑苦しいほどの熱意が籠もっていて、それから作られたクッキーならいくらでも腹に入る。
「これどうぞ」
メイムが、ルルの涎で汚れた手の平におやさいクッキーをそっと置く。
わーいと齧り付く直前に、ルルのエルフ耳に唇を寄せ囁いた。
「寛容な心があれば、マティさんや桜精にも分けてあげて」
白い歯にクッキーがこつんと当たる。
さび付いた機械じみた動きでルルが背を伸ばし、ふるふる震えながら涙目でうなずいた。
「前から聞きたかったんだけどね、闇烏達への配慮って具体的にどんな事希望?」
「それが分かったら言ってるよぅ」
ある意味予想通りの返答だった。
精霊が口を挟めば人間の成長が妨げられる等という考えは一切ない。
頼り甲斐のあるエルフや人に頼りっきりなのだ。
「イコニアさん」
職員室の上座で動きがあった。
「ルル様にも、先日の騒ぎの件のお詫びを告げておきたく。残滓の影響も有ったとは言え、不躾な態度をお許し下さい」
イツキ・ウィオラス(ka6512)が意味的には土下座に近い謝罪をしようとして、慌てたイコニアに止められる。
直前までの傲慢とすらいえる落ち着きはない。
「それでは立場が逆です。私は皆さんに支えて貰っているだけで、見限られて当然のことをしています。立場上謝罪もできませんし」
聖堂教会の人材不足が極まっているため、本来なら最低でも司教がつく立場にいる。
自由に発言できるのは自分の寝室のみである。
「はい」
1分近い沈黙の後イツキが発言すると、イコニアは安堵の息を吐いて机に手をつく。
イツキは凜々しく立ち、騎士を思わせる凜々しい態度で一礼する。
「相も変わらず、闘う事しか出来ない身ですが。これからも、この地で力を尽くさせて下さい」
「こちらこそ」
エルフと人間の握手が力強く行われた。
「ところで、マティ司祭はお元気ですか? イコニアさんに半ば放り出されて泣いていると聴いたのですが」
いきなりの話題転換である。
イコニアとの関係再構築が最高にうまくいって、つい空気を読まずに口にしてしまった。
緑の目が泳ぐ。
泳いだ目の方向をイツキが見てみると、そこには捕食者に狙われたローティーン助祭の姿があった。
「そんなパンツで大丈夫でちゅか?」
朝騎がカソックをめくり上げている。
痴漢行為のはずだが実に様になっていて一幅の絵のようだ。
パンツが朝騎とルルにしか見えないのは芸術的ともいえる。
「駄目でちゅねパンツにまで元気のなさが現れて草臥れてまちゅ」
高名な評論家風に発言する朝騎に、防諜だけでなく中央との繋ぎまで任されつつある職員が声をかける。
「風紀的なアレでトイレ掃除2日追加でお願いします」
「仕方がないでちゅね」
酷い癒着の現場であった。
「私の味方はカイン様だけです」
酷い顔色で昏い目をしたマティが、チョコドリンクのカップへ縋るように手を伸ばす。
この年齢で司祭叙任が決まっている優秀な少女ではあるが、ここにいる高位覚醒者達と比べるとまだまだ甘い。
「出かける前に報告おねがい。種籾販売の件どうなってる? 今後を見据えるなら少しだけ値上げしても買ってくれるかもしれないし、若干割り引いたり据置価格だとマティさんと法人の影響力が周辺領に増えるかも?」
少女が仕事モードに切り替わった。
「エステル様からも指示がありました。ご提案の件は非常に順調です」
発言内容とは逆に、胃壁が痛めつけられている顔だ。
「先方も社長も非常に協力的で、一歩……以上踏み込んだ話ができそうです」
「経営状態ぼろぼろな感じ?」
「放置すれば10年で領地崩壊です。歪虚が今以上に活発すれば最悪翌年にも」
「うわぁ」
「えっ、隣も引き受けなきゃだめ? ゲームする余裕なくなっちゃう」
ルルが口を挟んで話が混沌としてくる。
「マティさん仕事忙しいんでちたらイコニアさんと同じ手を使えばいいんじゃないでちゅか? イコニアさんみたいに卒業生捕まえて、助祭助手として仕事覚えて貰えば楽できまちゅよ」
「そうだぞー。他人を使うのも仕事のうちってな」
超高位の覚醒者として名の知られたボルディア・コンフラムス(ka0796)が、事務員風腕カバーをして何かを書いている。
「おぅ、現代文と古エルフの言語に翻訳頼むわ。イコニアの謝罪の部分は自分の言葉にしろよ」
数百年前の人間とある意味同一人物である司祭が、男性的ですら筆遣いで2通分書き上げる。
ルルも机によじ登り何やら書いている。
パソコンというよりゲーム内で使われている書体にしか見えない。
「何書いてるか分からないだろ? 分かる奴にやらせればいいんだよ」
親愛の情を込めてマティの髪を乱暴にかき回す。
一般的な少女なら、整えた髪を乱され激怒しかねない行動だ。
だがマティはボルディアを覚醒者として尊敬していて、しかも幼い頃から肉親や隣人の情を知らずに飢えている。
「はいっ」
だから、憧れのお姉さんに向ける目をボルディアに向けるのだ。
「そういう訳でな」
真新しい印刷用紙の束を渡す。
マティは受けとろうとして予想外の重さに取り落とす。
綴じ針が弾け、大量の履歴書が職員室の床に広がった。
「うわすげーでちゅ」
「私が知ってる企業ばっかりだ」
回収に協力しようとしたリアルブルー人2人が歓声とも悲鳴ともつかない声をあげる。
「農業法人の経営アドバイザになりたい奴は大量にいるぜ。上澄みだけでそれだよ」
自身も拾い集めながらボルディアが話を続ける。
「ブルーオーシャンとかなんとか言ってたが、王国での大規模機械化農業ってのは魅力的らしいな。色々条件つけるつもりだったのに全然出さなくて済んだぜ」
「ボルディア先生、私、別の心配が出てきたんですけど」
「気にすんな。危なくなったらイコニアがケツを持ってくれるさ。なぁ?」
無理矢理に抜擢した後放置するような女じゃないと信じてるぜと言われ、イコニアは苦しげな笑みを浮かべて軽くうなずいた。
「ならいい。それとよ、エルフバンドの慰霊の歌の練習にイコニアとルルも参加できないか? 古エルフの記憶を持つ二人が一緒に鎮魂の歌を歌う。それに意味があるんだ」
「私はしてるよー」
外見5歳児実年齢不明な精霊が元気良く手を挙げる。
「今私が抜けると兵站が拙いので……何とか次回には」
そういうイコニアは、目の下の隈を化粧で隠していた。
●古エルフの怒り
首の骨がきしんだ。
神経と血管が圧迫され、痛みを通り越した刺激が脳に襲いかかる。
「あなたはっ」
銀髪のエルフが激高している。
骨格は優れているが筋肉は引き締まり、背の高いすらりとした体型だ。
銀の髪は自ら発光するかのようで、しかしその青灰色の瞳は憎悪で濁っている。
「あの子も、あの人も、全てあなたがっ」
致命的な音が鳴った。
イコニアの全身が痙攣し始める。
「やべぇでちゅっ」
待機していた朝騎が止めようとする。
「ふぁっ!?」
腕力だけではじき飛ばされ、頭が天井にめり込む寸前に受け身ととることに成功した。
「マジでちゅか」
朝騎は超の字がつきかかっている高位覚醒者だ。
超高位覚醒者相手でも、負けることはあっても手も足も出ないという展開はあり得ないはずだった。
「フィーナさんやめるでちゅ。フィーナさんが1番公開するでちゅよ!」
イェジドの二十四郎が片手だけで投げ飛ばされた。
綺麗な受け身をとり立ち上がるが、高身長の銀髪エルフに隙を見いだせない。
古エルフの残滓を吸収し、丘精霊の一部を取り込んだフィーナ・マギ・フィルム(ka6617)は、この地限定ではあるが巨大な力を手に入れていた。
「失礼します」
響いた言葉が穏やかなのは字面だけで、殺意に限りなく近い気迫が籠もっている。
暴龍じみた全身鎧が分厚い扉を蹴り破り、フィーナとイコニアの間に無理矢理割り込んで首を絞める手を掴む。
「っ」
止めは防げたが手を外せない。
闘狩人は接近戦では魔術師より強いはずなのに、強化されすぎたフィーナの力は力関係を逆転させている。
「すまん。責任は俺が」
カインが戦場刀に手をかけた瞬間、既に死体同然だった司祭から正マテリアルの奔流が押し寄せた。
本人を含めて全員部屋の壁まで吹き飛ばされる。
一見地味でもその実金がかった壁紙が破れ、防音壁に無数のひび割れが生じた。
「すみません。邪神が出てきた以上、私には死ぬ自由はないんです」
潰れかけた頸骨と気道が再生していく。
効果がありすぎて攻撃術の性質を持つに至った浄化術がフィーナの中の負の気配を抑え込む。
「一個人をあそこまで恨むには、必ず理由があると思っていました」
艶のある声がフィーナの口から流れ出す。
押さえつけられた激情がはっきりと分かる。
「それも、敵であれど、墓を作ってもらった人に対する憎悪だ」
ハンターが古エルフの慰霊を始める前から、イコニアはこの地の鎮守のため手を打ってきた。
数百年間疎かにされていたことを並程度にしたことは巨大な功績であり、丘精霊ルルも非常に感謝している。
「なぜ、許せなかったのか。なぜ、死んだ人間をここまで憎悪出来るのか。聞かねばならない。知らねばならないと思っていました」
負の気配を抑え込まれても憤怒は消えない。
むしろ、歪虚由来の要素が消えて純化された自覚すらある。
「考えるまでもない。許せる訳が無い。あなたを殺した程度で鎮まるものか!」
詠唱なしで無意識に紡いでしまう攻撃術を強い意志でかき消し続ける。
騒ぎに気付いて走って来る聖堂戦士団の足音も、フィーナの心に新たな怒りを生じさせる。
「あなたは全部分かった上でエルフも人間も思い通りに動かした。全部、あなたがっ」
悔し涙が零れる。
自身の握力に耐えきれずフィーナの指の骨にひびが入る。
「みんなを、返して……」
イコニアに重なって、死んで罪から逃げた男の顔が見えた。
「お嬢っ」
重武装の聖堂戦士が寝室に雪崩れ込む。
ハンター達の年齢より戦歴が長い彼等は、誰何するまでもなく誰が誰に暴力を振るったか理解する。
全滅と引き替えにフィーナの腕1本を奪うことを、一切の躊躇なく決断した。
「全員納得した上での実験でした。この通り後遺症もありません」
落ち着いた声が悲鳴の如く響き、古強者の表情が凍り付く。
「あまり、生き急がないでください」
言いたいことの9割9分を飲み込み、聖堂戦士達が戦意を霧散させた。
解散する。
医務室に向かう女性陣を見送りながら、カインは奥歯が軋む感触に気付く。
何もできなかった。
報われぬ……とカイン自身は思っている恋に殉じる覚悟はあるが、己の行動が無意味であることには耐えられない。
こほん、とわざとらしい咳払いが聞こえた。
いつの間にか、パワードスーツじみた厚みの全身鎧に取り囲まれている。
「何か」
居心地が悪い。
敵意や悪意になら対処できる。
しかし、この期待とも共感とも同情ともとれる生暖かい気配は何なのだろう。
「カイン殿。君は、そのー」
6人で退路を断つという非常に威圧的な行動をしているのに、何故だか酷く情けなく感じる。
「お嬢とはどういう関係なんだ」
5人同時にうなずく。
全員、イコニアがただの司祭だった頃からの知り合いだ。
元護衛だったり戦地で命を救われたりで、崇拝に近い感謝の念と同時に娘に向けるもの近い愛情を抱いている。
要するに、非常に五月蠅い小舅である。
「そういう関係じゃない」
穏やかに話そうとしたのに口調が荒くなってしまった。
「なるほど」
「分かる」
「若いな」
うなずき合う男共が非常にうっとうしい。
戦闘用スキルをぶちかましても許される気がする。
「カイン殿」
最年長の初老の男が、逞しい体に気合いをみなぎらせ前に出る。
ちょっと汗臭い。
「我らの力ではお嬢の戦いについて行けない。守り切れとは敢えて言わぬ。できれば、最期まで共にいてやってくれないだろうか」
怒りを理性で押さえつけるのが大変だった。
この男達は近いうちのイコニアの死を受け入れてしまっている。
それが激怒するほどに嫌で、しかしその可能性が極めて大きいことが分かってしまう。
「言われるまでもない」
男達を押しのけイコニアを追う。
誰も、追っては来なかった。
●職員会議
肌の色も体格も王国人とは違う。
なのに、その緑の目の奥には貴族を思わせる知性と知識と邪悪さがあった。
「ルル様の丘の桜が3月に咲く」
桜色の淡い光が髪飾りのように宵待 サクラ(ka5561)を彩っている。
それが桜の木の精であることに何人が気づけただろう。
「学校はお茶と簡単なお菓子を準備して卒業祝いの花見をしようと思ってる」
新任教師に語りかける内容は今後の予定だ。
だが言葉通りに受け取る者は少数派だ。
派閥幹部の意を受け、あるいはその派閥幹部を動かして来た人物であることを全員が理解している。
「貴方達の知り合いを呼んだりその人達が多少お菓子を持込むのは止めないよ。あと、1点だけ注意して」
緊張感で目眩がしそうだ。
唾を飲み込む音が大きく聞こえ、それが自分の喉から聞こえたことに後になって気付く。
「他派閥の貶めは子供に嫌われるから禁止ね」
柔らかな微笑みが、悪夢をみそうなほど怖かった。
「いやー、新任教師への初挨拶は緊張するね」
説明を負え、席に座ってくるりと回る。
丁度、イコニアが慰霊碑関連書類を仕上げたところだった。
「緊張しているようには見えなかったですが」
愛想の欠片も無い。
気を許した相手にしか見せない態度であり、ひねくれた甘え方でもある。
「歪虚と戦っているわけでも餓死の寸前で踏みとどまっている訳でもないからね。それよりイコちゃん絶好調じゃない」
「どこがですか。全身を焼かれたとき並に痛かったですよ」
「力のお陰でその程度ですんだんでしょ? 人格乗っ取られたわけじゃない、力を使いやすい分イコちゃん的には都合が良いと思ってたけど、違った?」
緑の目と目の間で一瞬火花が散る。
そして、ふんと同時に鼻が鳴った。
「聖堂教会としては使える幹部が増えて万々歳。学校としては歪虚を引き寄せる要素ができて大問題です」
「総合すれば良い感じになってると思うけどなー」
サクラは慰霊碑の図面を引っ張り出す。
千年後まで残すため建造物なので、資材も技術も贅沢に使われる予定だ。
「そろそろいいと思うんだ」
サクラが不敵に笑う。
イコニアの表情が引き締まる。
「ルルの望みを叶えるパラダイムシフトを起こそうと思ってさ。王国はどこもエルフ達先住者の血に塗れている。だからどこでも歪虚が湧く」
「それも原因であることは否定しません」
で、と悪意なく冷静にたずねる。
「虚実差し置きこれを全王国民の共通認識に持っていきたい。先住民慰霊塔をこの地のみじゃない王国全土で活用できる解決策の1つにしたいんだ」
白い眉間に皺が寄る。
「この地を跳び越えて、王国百年の計を立てるつもりですか」
「結果的にそうなるかもとは思ってるよ。結構無理して印刷部門を残したんだ。絵本とゲームの印刷をして3月までに王国内各学校への無償配布を目指す。傲慢との戦いに王家と教会本部の目がいってる今が食い込むチャンスだ……逆を言えば、今しかない」
イコニアが好戦的に笑った。
「全部成功しても夜逃げするしかなくなりますね」
「もしくはセドリック大司教の後釜に座るかだね」
「勘弁してください。私にとっては今の地位でも苦行です。誰も引き受けなかったら兵站が潰れかねないので仕方なくやってるだけですよ」
普通の人間なら韜晦か謙遜のための発言だろうが、彼女にとっては完全な本音だ。
歪虚をメイスで叩き殺したくて……叩き殺すのが楽しくて聖堂教会の門を叩いた危険人物なのだ。
なお、彼女の属する派閥の上層部は、全員似たり寄ったりの人格の持ち主だ。
「イコちゃん個人の嗜好で動ける状況じゃないでしょ。正直やばいよね」
「まあ、やばいですね」
王国を遙かに上回る国力だったリアルブルーが凍結され、歪虚勢力の頂点である邪神がほんの数国しか残っていないクリムゾンウェストに向かって来ているのだ。
状況を理解できる者は常時精神的耐久力を試されている。
「本当に危ないんですね」
最近幹部コースに乗ったばかりのマティが、胃薬を口に押し込み水で流し込んだ。
「異例の出世がある時代なんてそんなものだよ」
亡国の危機どころか人類絶滅の危機だ。
平和なときとは何もかもが違う。
「話は変わるけど」
マティの限界を見切った上で話題を変える。
「あの件ですね。実際に見て頂くべきだと思います」
引きつりそうになる表情筋を必死に制御して、若き助祭は黒幕を放課後の教室へと招いた。
「ねえ君まだレポート終わってないよねっ」
「あんたも何度読み返してるんのっ」
戦略ゲームに夢中の女子と、絵本を抱えて涙目の男子がわいわいと言い合っている。
どちらもサクラの主導で作成されたものだ。
穀倉地帯開拓ゲーム2種と、ここは王国の丘と名付けられた絵本が1つ。
小さな男の子と女の子が精霊の丘でお昼寝して、先住者や歪虚と戦争ばかりだと泣いている精霊に会い、色々考えて頑張って大人と話し精霊の笑顔を取り戻すという 娯楽性と芸術性とメッセージ性が並立した一品だ。
「お金稼がないと生きて生けないもんねぇ」
サクラが切なげにつぶやく。
印刷部門にいつの間にか紛れ混んでいたリアルブルー人により、リアルブルー基準で一流といえる商品として仕上がっていた。
「貴方達留年するつもり? 就職してからの給料が1桁少なくていいならそのまま遊んでいなさい。それがいならが今すぐすべきことをしなさい、早く!」
マティに叱咤され、蜘蛛の子を散らすように生徒が逃げ出した。
半分は演習場へ向かい体力作りを。
もう半分は図書室に向かって資料集めとレポートの続きを。
わずかに残った少数だけが、懲りずにゲームを続けていた。
「ぱんつコンボだよっ。イコニャもこれだおわりだぁっ」
「甘いでちゅ。たれ耳朝にゃの入れ知恵が発動。ノーパン防御により攻守両方に大ダメージでちゅ!」
「そんなー」
朝騎とルルがユグデュエルハンターというゲームに興じ、生徒というには年を取り過ぎたエルフ達が賭け事ありで穀倉地帯開拓ゲームで遊んでいる。
「お二人とも何を……」
マティは絶句した。
この地の象徴であり、マテリアルという最重要インフラを担う精霊が怠惰に過ごしている。
これで緊張感を保てというのは生徒に酷だ。
「探す手間が省けたでちゅね」
圧倒的不利から相打ちに持ち込んだ朝騎が、敗者であるルルを残して立ち上がる。
凜々しい表情が可憐な顔立ちを強調する。
腕っ節も実績も十分にあるので、性別が逆なら朝騎を巡る愛憎劇が発生していただろう。
「イコニアさん」
「えっ」
「オートマトンの素体が欲しいでちゅ。なんとか連れてきて欲しいでちゅっ」
全力でまとわりつく。
直前のシリアス顔との落差が重要である。
精神的にも体術的にも不意をつかれた司祭が翻弄されている。
「あの、ハンターズソサエティーからの親展です」
ひょい、と見慣れぬ少女が顔を出した。
夏服風の軽装なのに寒さを感じていない様子で、肘の球体関節が奇妙に色っぽい。
「妹さんか弟さんいないでちゅか」
「な、中身がいない同型機なら……」
壁ドンからの顎クイを美少年然として決める朝騎に、中身の精霊が顔を赤くして目を瞑った。
なお、戦士団に即座に連行され便所掃除が2日追加された。
●ルルのしたいこと
「気にすることはないでちゅ」
イコニア以下の聖堂教会関係者が知れば絶対に止めるだろう願いを、朝騎は2つ返事で引き受けた。
対歪虚の最前線で、この地の現状を報告し、ルルの仲直りの会について告げたときまでは平穏だった。
「イコニアさんもちゃんと謝罪するつもりがあるでちゅ」
言い終える前に失敗を悟った。
大気が冷気に満ちる。
大地が様相を変える。
これまで地の底にあるだけだった負マテリアルが、目映く輝く殺意を核に地上へ現れる。
「ルル様、テレポートは可能ですか」
ソナに問われた丘精霊は、怯えきった顔で首を左右に振った。
ハンターと比べると正のマテリアルが剥き出し過ぎる。
この状況で歪虚に食いつかれたら、一瞬で暗い尽くされる可能性すらある。
あの新生歪虚の場合はさらに危険で、近づかれただけでも拙い。
ソナの纏う気配が重く鋭いものに変わっている。
吸収した古エルフ覚醒者の残滓に影響され、より深くより巧みにこの地のマテリアルを操るようになる。
ルルの周囲から負マテリアルが祓われ、通信妨害の程度も一段階軽くなった。
「フィーナさん!」
「駄目。スキルに余裕が無い」
フィーナのマジックアローが威力を増している。
泡立つ地面から現れた闇鳥を1矢で重傷にまで追い込むが、単発攻撃という性質か変わらないので一撃で戦局を動かす力はない。
大地が弾けた。
鯨の如き巨体が固い地面を砕いて飛び上がる。
一見滑らかな巨体は、全てが闇鳥のなりかけで構成されている。
暗い炎が灯った眼窩が朝騎を通してイコニアをみていた。
巨人が立ち上がる。
残骸同然の状態から直した痕跡と、全ての関節を制御しきった滑らかな動きが酷くちぐはぐだ。
「行け!」
カインがブラストハイロゥを展開する。
闇鳥の群れも、自壊しながら突っ込んで来た黒鯨も、最近開発されたばかりの人類の盾を崩せない。
「行くでちゅ」
「ごめん」
ルルを乗せたイェジドが一目散に学校へ逃げる。
「お互いにこいつをぶっ殺せば気が晴れるんじゃないかっていう存在が、出てきたか」
完全に整備されていたはずの機体が軋んでいる。
左右に回り込んだ闇鳥がブレスを放ち、意図せず流れ弾を発生させR7を損傷させ内部にまでダメージを与える。
「イコニアさんに復讐を遂げさせるわけには行かない。」
できることならこの場で殺しに殺して自らに憎悪を引きつけたいが、今は敵を引きつけ防ぐだけで精一杯だ。
それだけでも十分たいしたことなのだが、それで満足する性格ならここまで強くなってはいないし生き延びてもいない。
「準備、完了」
フィーナを包み込むように無数の魔法陣が展開される。
盛大に詠唱を短縮して、攻撃術を流星雨を思わせるじみて連打する。
R7ごとカインに止めを刺そうとしていた闇鳥が全滅。
護衛を無くした黒鯨の頭を、ソナの放った矢が核まで貫き破壊した。
●一般的領主
僻地の領主としては頑張っている、というのが率直な印象だった。
破綻した領地から歪虚が流れ続けてきたという事情があるとはいえ、領主も領民も富の蓄積が貧弱すぎる。
これで対歪虚の戦力が整っていればまだましなのだろうが、残念ながらそれも平凡でしかない。
田舎領主としては失格だ。
「さて」
エステル(ka5826)がつぶやく。
メイドと執事が緊張で強ばる。
貴族家の家臣としては解雇級の醜態であった。
「お待たせしました」
家宰が自らやって来た。
助祭を助手とし、王国騎士を護衛に連れてきたエステル相手に温和な笑みを浮かべている。
だが優れた五感を持つ彼女達相手には焦りを隠せていない。
「領主は現在伏せておりまして……。もちろんお話の重大さは理解しております。私が全て任されていますので」
委任状に相当する紋章を示しつつ館の中を案内する。
歴史と努力は認めるがそれだけだ。
応接の間に通され、エステルはマティに纏めさせた資料をもとに現状を認識させる。
「これは……」
この地を取り巻く状況は非常に厳しい。
農業法人を介した食料と経済の支援だけでなく、軍事的な支援も喉から手が出るほどに欲しい。
それが諸侯としての終わり意味しているのは分かっている。
それでも、貴族として終わってしまうよりはずっとましだ。
アルトが微かに首を振る。
隠密活動で集めた情報がたいたいエステルに伝わる。
「我々も余裕がある訳ではありませんが」
学校から生徒を後方支援として派遣できると伝えると、家宰は余裕を演じることもできずに飛びついた。
帰り道。
魔導トラックの中はとても気まずい雰囲気だった。
「いつもこうなのか?」
「以前はもっと余裕があったのですが」
今なら望めば隣領の全てが手に入る。
爵位も領地も、痩せた領民の保護義務も全てだ。
●騎士と傲慢
30の重機関銃と8メートルの2速歩行機械を想像して欲しい。
同水準の技術で作られているなら、近づくこともできずに後者が敗北することが容易に想像できる。
だがそこにハンターという要素が加わると全ての計算は覆る。
緑のルクシュヴァリエが駆けている。
移動速度は平凡だが反応速度は異様だ。
発砲炎を見てからステップを踏んでかすらせさえしない。
「温いのぅ」
銃撃は続く。
狙って当てるのが無理なら空間を埋めてしまえと、リアルブルーのそれと異様なほど似た銃で連射する
「現実は計算通りに動くものじゃがな。要素を見落としすぎれば計算が成り立たぬわ」
連続攻撃では無く単発攻撃が30回だ。
脳に叩き込まれる膨大な情報を処理しきれるなら回避も防御も実に容易い。
結局被弾は3発。
逆三角形の盾に斜めからぶつかり盛大な火花が散った。
「うははー、どんなもんじゃー」
「いわゆる回避100に抑えて残りの積載量は防御に全力です。この程度では効きませんよっ」
「やったれババァ!」
好き勝手に騒いでいるのはルクシュヴァリエ開発陣、の下っ端達だ。
戦地での試験と聞いて勝手に押しかけて来た。
「黙れ小僧! ミグは貴様のババァではない!」
叫び返すミグ・ロマイヤー(ka0665)と平身低頭するドワーフ技師を比べると、外見だけはひ孫と頑固爺に見える。
「ホフマン炸裂弾装填、目標石碑撃て~」
Volcanius2機が砲撃を開始した。
歪虚による妨害の影響を考えると射程も精度も異常なほどに素晴らしい。
だが敵も弱くはない。
ルクシュヴァリエ以上の厚みを持つ装甲が壊れながら衝撃を受け流し、全く攻撃力を減らさず攻撃を続行する。
半数が銃器を止める。
主に与えられた歌を、文字通り我が身を削り全力で再生する。
ぱたぱた倒れる下っ端達。
ミグ機も緑の燐光が一瞬押され、しかし影響はそれだけだった。
「あれか」
中小精霊が得意げなイメージを送って来るのを聞き流し、ミグは魔導計算機の全力を画像処理に振り向ける。
浮遊する真球部隊に守られた石碑がある。
時折炸裂弾の小弾が当たっているのに損傷は僅かだ。
「まるで別物じゃな」
この近くで目撃情報があったものとは似ている。
しかしここ以外で目撃されたものとは大きく異なる。
計算結果が出た。
数値が予想値からかけ離れている。
「ふむ」
リアルブルーとロッソ以前のグラズヘイム王国ほどの技術格差がありそうな感触だった。
「今のうちに」
黒のエクシアが戦場の端から攻撃を仕掛けていた。
真球型の火器を上回る重機関銃による銃撃である。
絵面は非常に地味だ。
撃墜数はVolcaniusより劣り、後方に待機中の聖堂戦士団からは敢闘精神に欠けるのでは無いかと疑われる。
「あのすごいのに乗らなくてだいじょうぶー?」
長距離のケーブルと短距離の電波を介し、5歳児エルフに見える顔がHMDに映し出されていた。
「問題ありません」
エルバッハ・リオン(ka2434)は通信用のウィンドウを小さくしつつ戦況を見る。
敵が広範囲状態異常攻撃に攻撃の重点を写しつつあるのを確認した。
「ふぁいとー!」
ルルの姿が一瞬で消え去った。
R7ウィザードが全力で戦場中央へ走った結果、通信妨害の影響を受けたのだ。
状態異常攻撃の射程範囲でもあるが全く問題は無い。
対VOID用のイニシャライズフィールドが本体への影響を弾き、予め展開していた結界が味方のほとんどを影響下に置く。
ゴーレム達は元々メイムの防御術の影響下にあったたが、広々とした結界があると後退しながら撃つのも簡単にできるので非常にやり易くなる。
ウィザードの防御は厚くはなく、回避性能も平均的のCAMの域を脱しない。
故に被弾する。
被弾するのに気付いた歪虚が集中攻撃を試みる。
「これなら触れても問題ありませんね」
状態異常への対策の完璧さが証明されている。
そして、直接的な武力を用いた戦いについても問題はない。
生身の時と同じように放った火球が炸裂。
広がる衝撃波が真球3つを包み込み、その巨体に深刻なダメージを与える。
「記録はとれていますね」
万一に備えて軍用PDAにも記録させているが出番はなさそうだ。
Volcaniusが砲を至近に向けぶっ放す。
火球による打撃は強烈だ。撃破には数度の直撃が必要なはずの真球がぼろぼろになり、たった一度の砲撃で潰れて自由落下を開始した。
もう1機のルクシュヴァリエが闘狩人の技を使う。
敵の攻撃を引きつける呪いじみたスキルであり、本当の意味で使いこなすためには本人の防御能力等が必要になる。
その点この騎士は満点だ。
聖堂教会が押しつけてきた巨大槍を両手で構え、突いて弾いて殴りつけて押し止め、スキルの性質上困難になってしまった回避を受けで補ってみせる。
どうしたのー?
せんぞくけいやくいかがですか
中小精霊にしては存在感の強すぎる精霊が語りかけてくる。
聖堂教会に知られたら今度こそ司祭位を押しつけられそうだが、今のエステルにはそんなことを考える余裕はない。
「いえ」
球と銃しかない姿から敵の動きだけでなく意思までも読み取る。
高位覚醒者の近くで辛うじて認識できる隙へ、驚くべき度胸で機体と共に踏み込む。
1メートルを超える装甲が凹んで引きちぎられ左右に飛び散る。
まさに蹂躙だ。
王国は歪虚に絶対に勝つ、という威勢の良い認識が生まれるのが確実な大活躍だ。
「生身で戦った方が戦果が大きく被害が少なかったので」
でもこのくらいなら生身でできてしまうのだ。
避けはともかく受けと受け防御なら人類最上層だし、セイクリッドフラッシュを使えば範囲内の真球など確実に全滅だ。
そこをなんとか
けいやく……
「話は後で。歪虚を倒してからです」
槍でなぎ払う。
左右にいて生き残った真球が、垂直に断たれて爆発四散した。
「残り19」
突破を試み突撃してきた真球にR7が斬艦刀を振り下ろす。
スキルによる上乗せはないので両断とはいかないが、中心のパールに損傷を与えた手応えはあった。
真横から銃弾が来る。
試作電磁加速砲で奇跡的な確率で当たりかかり、しかしエルバッハは余裕をもって一歩下がりかすさせすらしない。
「イニシャライズオーバーを解除してもいいですが」
頭部の向きは変えずセンサからの情報を総合して背後を観る。
士気が上がりすぎた聖堂戦士団部隊がじりじり前進中だ。
状態異常発生源は半数以上撃破したが、彼らにとっては脅威が大きすぎる。
現在の距離なら強度1でなんとかなる。
だがもう少し近づけば強度が2になり大惨事だ。
「ここは任せます」
「了解」
戦場を戦友に任せ、戦士団の面倒を見るため走る。
「後方支援が充実しているのは有り難いですが」
イコニアが復活してから聖堂戦士団がより好意的になった。
前世が素晴らしかったからではない。
地位の割に不足しすぎていた人生経験が補われ、組織内への説得力が大きく増したのだ。
「前世の記憶を思い出されたのは良かったのか悪かったのか、まだ何とも言えませんね」
空の上に、黒いワイバーンが飛んでいるのが見えた。
真球が慌てて守りを固めようとしている。
ハンターに引きつけられ、護衛対象である石碑から引き離されていた。
「安定しない」
フィーナが珍しく感情を露わにしかめっ面だ。
服も何故か緩く着ている。
ルルと繋がりを深めたのは非常に良い。
その結果、丘との距離が戦力と身長に大きな影響を与えるようになった。
要するに中途半端な距離では体格が安定しないのだ。
「撃つ」
壮絶な光が真球の残りに降り注いだ。
●レポート
「敵戦力全滅を確認っ」
やべー
このえるふっぽいどわーふこわい
ミグは精霊の怯えに気付かない。
浮き立つような気持ちとステップで、無傷に近い石碑へ駆け寄る。
そして爆発。
「自壊機能じゃとっ!?」
機体の全リソースで記録はとったものの、巨大な喪失感で胸が痛い。
「ミグの知的好奇心がぁ……」
機体との合一を解除する。
小さな体を固定していたベルトを外して、壊れるぎりぎりの力でコクピットハッチを開いて飛び降りた。
「忘れないうちに」
メイムは魔導パイロットインカムを取り出した。
聖堂戦士団に中継して貰い学校職員に口述筆記を頼む。
「対傲慢王先遣におけるVolcanius運用に関する意見具申。宛先は王立学校機甲砲術科特務参謀ジョアン・R・パラディールでー」
「これほんとに書いて良いんですか?」
「もちろんー」
口調はいつも通りでも籠もった気迫はいつも以上だ。
「範囲型強制にて、熟練のゴーレム3機が動作不良……」
所感は入れずに事実のみを書き連ねる。
レポートに載せる事実の取捨選択で少し自分の解釈が混じってしまうがその程度は勘弁してもらおう。
対傲慢の情報は王国中で必要とされている。
実際に戦い生き延びた者からの情報は特得にだ。
「現状実戦ではリスク高く確認困難。睡眠・行動混乱等のスキルに影響されるか検証と対策求む……って集めて寄越せって言われそうだよね。今のはカットで」
エルバッハ機に目を向ける。
メイムのように歌える者は滅多におらず、R7は貴重とはいえ高位覚醒者と比べれば普及品だった。
「しかし、うむ、成果はあったか」
ミグが緑の機体を見上げている。
回収した石碑の欠片からは負の気配がどんどん抜けていく。
「状態異常への抵抗、剣と槍の実データ。他の戦場の分とあわせれば初期の戦訓として十分じゃ」
コンセプトを模索する段階から関わった機体だ。
「この子はなあ、わが子のようなものなのじゃよ」
柔らかな本音が口から零れた。
「なんだこのネジ。見たことねぇサイズだ」
「歪虚化の影響だろ」
馬鹿が騒いでいる。
魔導型ドミニオンに装備を戻すために新型機を弄っていた技師達が、短い休憩中に真球の残骸にとりつき漁っている。
ミグの冷たい視線に気付いて即座に釈明を開始。
今後に活かすためとか修理に流用するためとか言ってはいるが知的好奇心に逆らえなかっただけだ。
「ミグも人のことは言えぬが」
このとき初めて特大の違和感に気付く。
当たり前すぎて気付けなかったものが、新型機に付き従う人員と機材によりあぶり出される。
「おいそのネジ捨てるな。インチでもなし……。他のも同サイズ。まさか、規格が、根っこから違うじゃとぉっ!?」
その情報は異様なほどの速度で遠くまで伝わった。
「同胞を救って下さったことを深く感謝します」
数分後、エルバッハに最敬礼に近い礼をしたイコニアは、実は非常に困惑していた。
「どういう意味がある情報なのでしょう?」
聖職者であり貴族であり戦士でもある彼女は、技術については酷く疎い。
PDA等を道具として使うのが精一杯だ。
「別の世界で造られた可能性もあります」
新型機開発で複数世界の最新情報に触れたエルバッハの理解は深い。
「崑崙経由でエバーグリーンの技術とも比較してもらいました。別物です」
「つまり?」
「こちらの情報を得た未知の勢力――別の世界か、この世界の彼方の地か――が攻めて来るかもしれません」
ようやく理解した司祭の顔から、凄まじい勢いで血の気が引いた。
●快刀乱麻を断つ
来た見た勝った。
生徒の演習と植樹もついでにこなした。
部外者が聞けば正気を疑う難易度の作戦も、ボルディアにとっては日常の仕事でしかない。
「ルルお前また出かけるのかよ。いいぜ、俺も付き合ってやる」
ソナやイコニアを引き連れお出かけするルルに付いていく。
実はルルを心配しているのではなく、戦闘と植樹のときから何かを考え込んでいるユウ(ka6891)が気になった故の行動だ。
普段なら何をふぬけてやがると一喝する場面なのに、何故か異様に気になる。
ルルのお出かけは墓参りであった。
闇鳥が現れない程度に浄化された土地へ向かい、古エルフのために建てた墓の前でお祈りする。
ソナとルルにとっては慣れた行事であり、最近多忙を極めるイコニアにとっては久しぶりの行動だった。
「ここも長くなりましたね」
真摯な祈りの後は腹が減る。
ソナは厨房から借りた携帯コンロでマシュマロチョコフォンデュと洒落込んだ。
「バレンタインですから」
「甘さが脳にしみます」
「うまー」
マティとルルは夢中になって食べている。
「新しい道具は覚えるまでが大変ですものね」
ソナも一通り使えるようになったがそれなりに苦労した。
なお、教えた技術者はその習得速度に恐怖していた。
「ある程度落ち着いたらここで働かせてもらえないでしょうか」
「ありがとうございます。校長と学部長以外でしたらポストを開けておきますので」
ソナは争奪戦の対象になるレベルの人材なので、ソナがひくくらいイコニアが前のめりだ。
過去とは異なり、優秀な他種族個人を受け入れても揺るがないほど王国が強固になったともいえる。
「ユウっ」
ルルが衝撃を受けている。
デコレーションケーキが涼しげだ。
保冷剤ではなく細心の電子機器で制御された小型冷蔵庫。
しかもとってもお洒落だ。リアルブルーの文物はこんなことろにまで普及している。
「どうぞ」
ユウにしては雑な態度であり、ルルは気付かなくてもイコニア達が異常に気づく。
「心配事があるなら是非協力させてください」
司祭は野外パーティー用の椅子を組み立て、自分は座らず強くユウに勧める。
いつもなら謝辞するが今は他の事に集中しすぎていて言われるがままに座る。
「巨大鳥のことなのですが」
あの時見て感じたものを改めて思い出す。
巨大鳥の笑い顔。
自分の力を振り回すことを楽しむような攻撃。
古エルフ由来歪虚としてあまりに異質だ。
「今のイコニアさんなら詳しく分かりませんか?」
若きドラグーンの純粋な瞳があまりにも綺麗で、前世を思い出してしまった女が甘い息を漏らしてしまった。
「すみません邪心が」
心底恥じてエクラに祈る。
視線を逸らした瞬間ユウの顔が曇るのに気付いて即座に向き直る。
「類似例も私の知識にありません。とても珍しい歪虚なのだと思います」
「はい」
しょぼんとするユウを見て内心慌てる。
うなじに色気を感じてしまい、人格乗っ取りの危機を初めて認識した。
「あの人達憎しみや悲しみがどれ程のものか、受け止めても理解できないと思います」
ユウは龍と共に生きてきたドラグーンだ。
歪虚を生き物と混同することはあり得ない。
「止まることは無理かもしれない、でも速度を落としてルル様を見て欲しかった」
ルルは大きなリスクを冒している。
精霊が歪虚に近づくのは危険過ぎるのに、大昔のエルフへの愛情を忘れられず手を伸ばし続ける。
「ごめんなさい。考えがまとまらなくて」
「いえ。話せば聞いた人が何かを思いつくかもしれません。ユウさんが整えくれば場ですもの。有効活用したいですよね」
綺麗に切ったケーキの隣に、手ずから煎れた紅茶を添える。
「どうぞ」
「ありがとうございます。……いい香りですね。元気なルル様みたい」
「ええ」
新たな話題が出ないのに心地よい。
いつの間にかルルも混じって紅茶の香りを楽しんでいる。
「やっぱり」
「はい」
「何かしら呼称を付けるべきだと思うんです」
ユウに言われてイコニアが小首を傾げる。
「中央への報告書では白鳥型歪虚になっていますよ?」
ユウはこの時ようやく違和感の正体にたどり着く。
イコニアが歪虚に対して穏やかに見えるのは錯覚でしかない。
絶対に相容れぬと理解しているから、戦意や殺意を表に出す必要も無く殺せる。だから彼女は気づけない。
「識別のための呼称としてだけじゃなくて」
聖堂教会司祭に言うべきかどうか悩んだが、これまで一緒にいたイコニアを信じて決定的な言葉を口にする。
「名前をつけてあげましょう」
愛情ではない。
敢えて当てはめるなら仁義だ。
滅ぼすにしても正面から向き合いたいと、ユウは思うのだ。
「名前?」
イコニアが困惑し、気づき、悲鳴じみた声をあげそうになる。
「やはり問題が?」
「いえ、いえ、いえ、そうではなく」
何故今まで思いつけなかったのか。
イコニアは過去最大級の衝撃と情けなさを感じている。
「名をつけ、望む形に押し込み、利用する」
ソナがユウに解説する。
「符術師の朝騎さんが専門だと思いますが、法術の分野にも似たものがあった気がします」
「危険過ぎて禁術や邪術扱いされる技です」
普通は超高位の覚醒者も、人類と意思疎通可能かつ友好的な精霊もいない。
何より、歪虚に真正面から向き合える強さと優しさを持つドラグーンがいなければ気づけない。
「ですが皆さんと一緒であれば可能です。可能にしてみせます!」
派閥で重荷を背負う前の、生き生きした顔で断言した。
同時刻。
北へと走る1騎の影があった。
身に纏う気配は明らかに負へ偏っていて、まともなエルフに見えるのは紫の瞳だけだ。
残滓の力を振り絞った、イツキの今の姿がこれだ。
半ば影と同化して、南から異様な密度で飛来するブレスを躱し続ける。
イツキが振り返る。
限界以上に拡張された視覚に、かつて純白であった、かつて鳥であった何者でもない歪虚が映る。
「今は、其処へ往く事は出来ないけれど」
産まれて来る筈だった子らへの想いから現出した、真白の羽ばたきを覚えている。
他の誰もが忘れても、古の同族から思いを受け継いだイツキだけは。
イェジドが鋭く吠えた。
気付くと精霊の丘の近くまで来ていた。
闇鳥が自発的に追撃を止めていく。
以前なら丘の方向にブレスを向けることすらなかったのに、今は以前より近づく個体も誤射の可能性のあるブレスを撃つ個体もいる。
あの歪虚の支配力が強まっているのだ。
「私に出来るのは……」
受け止める事も難しい。
精一杯の言葉の祝福と、悪夢から解き放つ為に闘う事ができるだろうか。
万が一にもルルに悪影響を与えないよう、古エルフの残滓を魂の奥底に沈めて封じていく。
負に偏った気配が通常に戻る。
闇と同化し実体を喪いかかっていた肢体が柔らかさを取り戻す。
これまでの負荷が一度に心身へ襲いかかる。
金剛不壊の効果もあり即死することはないが再起不能はあり得るダメージだ。
「――アナタは今、どんな夢を見ているのですか?」
その言葉を届ける術は、今はまだ存在しない。
痩せこけたエルフが透き通った笑みを浮かべている。
それはただの絵だ。
初歩的な絵の技法を習ったばかりの、才能の欠片も感じられない絵だ。
しかし臨場感は桁外れにある。
錯覚とは分かっているのに、包帯に滲んだ汗と血の臭いまで感じとれる。
「こうして最後のエルフさんがルルしゃんとお別れしたのでちゅ」
北谷王子 朝騎(ka5818)が厳かに紙芝居をめくる。
おしまいと書かれた最後の1枚に、言い尽くせぬ想いが込められていた。
誰も何も言わない。
王都の聖堂への就職が決まっている2年生も、生徒の年齢より長く歪虚と戦ってきた聖堂戦士も、盤石と思い込んでいた足場が崩れでもしたかのような酷い顔色だ。
作、丘精霊ルル。
演、朝騎の古エルフ紙芝居であった。
「ありがとうございます」
澄んだ声が優しく耳を撫でる。
5歳児エルフが朝騎に抱きつきぷるぷる震え出す。
真の傲慢とは穏やかなものだと、この日多くの人間が魂で理解した。
「これが被害者側から見た歴史になります」
古エルフ殲滅の黒幕本人の記憶を持っているのに堂々と胸を張っている。
「お疲れでしょうが後30分我慢して下さい。ここで止めると偏った内容になってしまいますので」
司祭が講義室の後ろに視線を向ける。
この学校の出世頭の1人である助祭マティが、緊張で胃を磨り減らしながらPDAを操作。
司祭の後ろにある特大ディスプレイが光り出す。
「今から私が話すのは王国側の理屈です」
左側は現在の王国全体の地図。
右側は輪郭は同じだが、多数の色が入り交じった見慣れぬ地図が映る。
「虐殺が行われた時点で、グラズヘイム王国は中小国に過ぎませんでした」
込み入った地図の1点に、虐殺の地が黄色の点で表示される。
「当時は国同士の争いが多かったです。対歪虚戦用戦力の方が少なかったといえば想像し易いでしょうか」
まるで見て来たことのように言う。
臨場感は先程の紙芝居と甲乙つけがたい。
「歪虚の戦力はこうなっていました」
マティが新たな画像を重ねる。
左右の地図に歪虚の戦力が赤色で表示される。
数自体はあまり変わらない。
歪虚王がいない分、当時の戦力は人類優勢とすらいえる。
「危機的な現状と似ているよね」
「でちゅ」
宵待 サクラ(ka5561)と朝騎が互いにしか聞こえない音量で囁きあう。
精霊は怯えていたことも忘れて朝騎にべたべたしている。
「人類側の戦力がこうなります」
青色で表示される。
左右どちらも人類の数は同程度。
「このうち歪虚に対して向けられていたのはこの程度です。当時の他国については推測値ですので注意して下さい」
現代の左はほどんど変わらず、過去の右は3分の1も残らない。
なんで滅んでいないのと、生徒の誰かが呆然とつぶやき聖堂戦士が無意識に首肯した。
「はい、良い視点ですね」
司祭が微笑む。
「王家と聖堂戦士団の奮闘のお陰です。草臥れた皮の服と磨り減った剣やメイスで歪虚を殺しに殺しました。この場にいるハンターの皆さんには及びませんが、高位覚醒者が大勢誕生したのもこの頃です」
戦死者はその数十倍ですがと静かに付け足した。
「当時の文書がいくつか残っています」
10枚ほどの古文書が、地図に重なる形で映し出された。
地名や組織名に見覚えがある。
この土地から王都へ物資が送られた記録のようだ。
農業技術が発達していない時代なのに大量だ。
「他種族を証拠を残さず殺し尽くしたことが、農地の拡大と必要な軍備の縮小に繋がりました」
その結果がこの地の王国化と生産基地化だ。
この地で生産された糧食や装備が、当時の覚醒者を助けた記録がいくつもある。
「虐殺が正当化されるとはいいません」
彼女は俯かない。
緑の瞳が真っ直ぐに人間と、はるか南にいる歪虚を見据えている。
「どの時代でも、如何な理由があろうと正当化はできません」
サクラが渋い表情を浮かべる。
つきあいが長いので、どんな心境で語っているか分かってしまう。
「私から言えるのは1つだけです。虐殺を非難するならば、虐殺が人類生残に役立ったことを理解した上で非難して欲しいのです」
生徒も聖堂戦士も圧倒され、中には誇りを抱いた者もいる。
仮にこの場に被害者がいればどう思うか考えられたのは、ハンターを除けばほんの数人だった。
●ダブルスタンダード
「私が被害者なら棄教して歪虚につきます」
職員室での爆弾発言である。
王国と聖堂教会の正当性を訴えた数分後のこの発言に、校長以下の教職員全員が絶句した。
「一族の者が1人殺されただけでも法律の範囲内での殺害を目指しますから。全員だまし討ち同然に殺されたら当然そうなります」
カイン・A・A・マッコール(ka5336)からの差し入れを両方の手の平で抱え込み、彼女は目を閉じ甘い香りを楽しんだ。
「イコニアさん」
ソナ(ka1352)の声が硬い。
直接の血の繋がりはないとはいえ、同じ種族の1部族の死を茶化されたら怒るのは当然だ。
「侮辱に聞こえてしまったら申し訳ないです」
結局口はつけずにテーブルの上に下ろす。
「当時は珍しくなかったのですよ。私の一族もいくつか分家がやられています」
数百年前の人間の知識を劣化なしで受け継いだ結果、この司祭は本家の当主並の歴史知識を持つに至っている。
「謝罪の気持ちは……ないのですか?」
ソナが穏和であることは教職員も良く知っている。
だからエルフの怒りの深さを直接肌で感じ、解決策など存在するのだろうかと考えてしまった。
無意識にカップに手を伸ばそうとしていたことに気付き、イコニアはぎゅっと手を握りしめる。
「謝罪すれば気は楽になります」
聖堂教会司祭としての知識からも経験からも断言できる。
「しかしそれはあまりに恥知らずではないでしょうか」
「それでも」
ソナは全身全霊で感情を抑え込んでいる。
今なら殺せる、今殺させろと、かつて受け入れた古エルフ覚醒者の残滓が絶叫している。
「謝罪を口にしないと先に進めません。イコニアさんも、エルフも、ルル様も」
震えながら息を吐いて気持ちを落ち着かせ、イコニアの目を真正面からみつめる。
「会での謝罪なら、相手に合わせるよりも心の底から湧き上がるものを素直に仰られては」
イコニアの呼吸が一瞬乱れ途方に暮れたような顔になる。
「その結果、例の歪虚達を挑発することになっても?」
ソナは静かに、断固としてうなずいた。
「難しい話してるねー」
「ねー」
部屋の隅で、別のエルフと精霊がクッキーをかじっている。
なお、メイム(ka2290)はきちんと理解している。丘精霊ルルは人間ともエルフとも感性が異なるためとても理解が浅い。
「力の使い処ではあったけど、また縮んじゃったねー。当分2Pカラー出せないのでしょ?」
「昔の1世代分くらい使ったから……。学校じゃ半年分くらいだけどね」
いつの間にか食べ尽くしていたことに気付いて自分の指を舐めるルル。
この地で穫れた麦には感謝と敬意と暑苦しいほどの熱意が籠もっていて、それから作られたクッキーならいくらでも腹に入る。
「これどうぞ」
メイムが、ルルの涎で汚れた手の平におやさいクッキーをそっと置く。
わーいと齧り付く直前に、ルルのエルフ耳に唇を寄せ囁いた。
「寛容な心があれば、マティさんや桜精にも分けてあげて」
白い歯にクッキーがこつんと当たる。
さび付いた機械じみた動きでルルが背を伸ばし、ふるふる震えながら涙目でうなずいた。
「前から聞きたかったんだけどね、闇烏達への配慮って具体的にどんな事希望?」
「それが分かったら言ってるよぅ」
ある意味予想通りの返答だった。
精霊が口を挟めば人間の成長が妨げられる等という考えは一切ない。
頼り甲斐のあるエルフや人に頼りっきりなのだ。
「イコニアさん」
職員室の上座で動きがあった。
「ルル様にも、先日の騒ぎの件のお詫びを告げておきたく。残滓の影響も有ったとは言え、不躾な態度をお許し下さい」
イツキ・ウィオラス(ka6512)が意味的には土下座に近い謝罪をしようとして、慌てたイコニアに止められる。
直前までの傲慢とすらいえる落ち着きはない。
「それでは立場が逆です。私は皆さんに支えて貰っているだけで、見限られて当然のことをしています。立場上謝罪もできませんし」
聖堂教会の人材不足が極まっているため、本来なら最低でも司教がつく立場にいる。
自由に発言できるのは自分の寝室のみである。
「はい」
1分近い沈黙の後イツキが発言すると、イコニアは安堵の息を吐いて机に手をつく。
イツキは凜々しく立ち、騎士を思わせる凜々しい態度で一礼する。
「相も変わらず、闘う事しか出来ない身ですが。これからも、この地で力を尽くさせて下さい」
「こちらこそ」
エルフと人間の握手が力強く行われた。
「ところで、マティ司祭はお元気ですか? イコニアさんに半ば放り出されて泣いていると聴いたのですが」
いきなりの話題転換である。
イコニアとの関係再構築が最高にうまくいって、つい空気を読まずに口にしてしまった。
緑の目が泳ぐ。
泳いだ目の方向をイツキが見てみると、そこには捕食者に狙われたローティーン助祭の姿があった。
「そんなパンツで大丈夫でちゅか?」
朝騎がカソックをめくり上げている。
痴漢行為のはずだが実に様になっていて一幅の絵のようだ。
パンツが朝騎とルルにしか見えないのは芸術的ともいえる。
「駄目でちゅねパンツにまで元気のなさが現れて草臥れてまちゅ」
高名な評論家風に発言する朝騎に、防諜だけでなく中央との繋ぎまで任されつつある職員が声をかける。
「風紀的なアレでトイレ掃除2日追加でお願いします」
「仕方がないでちゅね」
酷い癒着の現場であった。
「私の味方はカイン様だけです」
酷い顔色で昏い目をしたマティが、チョコドリンクのカップへ縋るように手を伸ばす。
この年齢で司祭叙任が決まっている優秀な少女ではあるが、ここにいる高位覚醒者達と比べるとまだまだ甘い。
「出かける前に報告おねがい。種籾販売の件どうなってる? 今後を見据えるなら少しだけ値上げしても買ってくれるかもしれないし、若干割り引いたり据置価格だとマティさんと法人の影響力が周辺領に増えるかも?」
少女が仕事モードに切り替わった。
「エステル様からも指示がありました。ご提案の件は非常に順調です」
発言内容とは逆に、胃壁が痛めつけられている顔だ。
「先方も社長も非常に協力的で、一歩……以上踏み込んだ話ができそうです」
「経営状態ぼろぼろな感じ?」
「放置すれば10年で領地崩壊です。歪虚が今以上に活発すれば最悪翌年にも」
「うわぁ」
「えっ、隣も引き受けなきゃだめ? ゲームする余裕なくなっちゃう」
ルルが口を挟んで話が混沌としてくる。
「マティさん仕事忙しいんでちたらイコニアさんと同じ手を使えばいいんじゃないでちゅか? イコニアさんみたいに卒業生捕まえて、助祭助手として仕事覚えて貰えば楽できまちゅよ」
「そうだぞー。他人を使うのも仕事のうちってな」
超高位の覚醒者として名の知られたボルディア・コンフラムス(ka0796)が、事務員風腕カバーをして何かを書いている。
「おぅ、現代文と古エルフの言語に翻訳頼むわ。イコニアの謝罪の部分は自分の言葉にしろよ」
数百年前の人間とある意味同一人物である司祭が、男性的ですら筆遣いで2通分書き上げる。
ルルも机によじ登り何やら書いている。
パソコンというよりゲーム内で使われている書体にしか見えない。
「何書いてるか分からないだろ? 分かる奴にやらせればいいんだよ」
親愛の情を込めてマティの髪を乱暴にかき回す。
一般的な少女なら、整えた髪を乱され激怒しかねない行動だ。
だがマティはボルディアを覚醒者として尊敬していて、しかも幼い頃から肉親や隣人の情を知らずに飢えている。
「はいっ」
だから、憧れのお姉さんに向ける目をボルディアに向けるのだ。
「そういう訳でな」
真新しい印刷用紙の束を渡す。
マティは受けとろうとして予想外の重さに取り落とす。
綴じ針が弾け、大量の履歴書が職員室の床に広がった。
「うわすげーでちゅ」
「私が知ってる企業ばっかりだ」
回収に協力しようとしたリアルブルー人2人が歓声とも悲鳴ともつかない声をあげる。
「農業法人の経営アドバイザになりたい奴は大量にいるぜ。上澄みだけでそれだよ」
自身も拾い集めながらボルディアが話を続ける。
「ブルーオーシャンとかなんとか言ってたが、王国での大規模機械化農業ってのは魅力的らしいな。色々条件つけるつもりだったのに全然出さなくて済んだぜ」
「ボルディア先生、私、別の心配が出てきたんですけど」
「気にすんな。危なくなったらイコニアがケツを持ってくれるさ。なぁ?」
無理矢理に抜擢した後放置するような女じゃないと信じてるぜと言われ、イコニアは苦しげな笑みを浮かべて軽くうなずいた。
「ならいい。それとよ、エルフバンドの慰霊の歌の練習にイコニアとルルも参加できないか? 古エルフの記憶を持つ二人が一緒に鎮魂の歌を歌う。それに意味があるんだ」
「私はしてるよー」
外見5歳児実年齢不明な精霊が元気良く手を挙げる。
「今私が抜けると兵站が拙いので……何とか次回には」
そういうイコニアは、目の下の隈を化粧で隠していた。
●古エルフの怒り
首の骨がきしんだ。
神経と血管が圧迫され、痛みを通り越した刺激が脳に襲いかかる。
「あなたはっ」
銀髪のエルフが激高している。
骨格は優れているが筋肉は引き締まり、背の高いすらりとした体型だ。
銀の髪は自ら発光するかのようで、しかしその青灰色の瞳は憎悪で濁っている。
「あの子も、あの人も、全てあなたがっ」
致命的な音が鳴った。
イコニアの全身が痙攣し始める。
「やべぇでちゅっ」
待機していた朝騎が止めようとする。
「ふぁっ!?」
腕力だけではじき飛ばされ、頭が天井にめり込む寸前に受け身ととることに成功した。
「マジでちゅか」
朝騎は超の字がつきかかっている高位覚醒者だ。
超高位覚醒者相手でも、負けることはあっても手も足も出ないという展開はあり得ないはずだった。
「フィーナさんやめるでちゅ。フィーナさんが1番公開するでちゅよ!」
イェジドの二十四郎が片手だけで投げ飛ばされた。
綺麗な受け身をとり立ち上がるが、高身長の銀髪エルフに隙を見いだせない。
古エルフの残滓を吸収し、丘精霊の一部を取り込んだフィーナ・マギ・フィルム(ka6617)は、この地限定ではあるが巨大な力を手に入れていた。
「失礼します」
響いた言葉が穏やかなのは字面だけで、殺意に限りなく近い気迫が籠もっている。
暴龍じみた全身鎧が分厚い扉を蹴り破り、フィーナとイコニアの間に無理矢理割り込んで首を絞める手を掴む。
「っ」
止めは防げたが手を外せない。
闘狩人は接近戦では魔術師より強いはずなのに、強化されすぎたフィーナの力は力関係を逆転させている。
「すまん。責任は俺が」
カインが戦場刀に手をかけた瞬間、既に死体同然だった司祭から正マテリアルの奔流が押し寄せた。
本人を含めて全員部屋の壁まで吹き飛ばされる。
一見地味でもその実金がかった壁紙が破れ、防音壁に無数のひび割れが生じた。
「すみません。邪神が出てきた以上、私には死ぬ自由はないんです」
潰れかけた頸骨と気道が再生していく。
効果がありすぎて攻撃術の性質を持つに至った浄化術がフィーナの中の負の気配を抑え込む。
「一個人をあそこまで恨むには、必ず理由があると思っていました」
艶のある声がフィーナの口から流れ出す。
押さえつけられた激情がはっきりと分かる。
「それも、敵であれど、墓を作ってもらった人に対する憎悪だ」
ハンターが古エルフの慰霊を始める前から、イコニアはこの地の鎮守のため手を打ってきた。
数百年間疎かにされていたことを並程度にしたことは巨大な功績であり、丘精霊ルルも非常に感謝している。
「なぜ、許せなかったのか。なぜ、死んだ人間をここまで憎悪出来るのか。聞かねばならない。知らねばならないと思っていました」
負の気配を抑え込まれても憤怒は消えない。
むしろ、歪虚由来の要素が消えて純化された自覚すらある。
「考えるまでもない。許せる訳が無い。あなたを殺した程度で鎮まるものか!」
詠唱なしで無意識に紡いでしまう攻撃術を強い意志でかき消し続ける。
騒ぎに気付いて走って来る聖堂戦士団の足音も、フィーナの心に新たな怒りを生じさせる。
「あなたは全部分かった上でエルフも人間も思い通りに動かした。全部、あなたがっ」
悔し涙が零れる。
自身の握力に耐えきれずフィーナの指の骨にひびが入る。
「みんなを、返して……」
イコニアに重なって、死んで罪から逃げた男の顔が見えた。
「お嬢っ」
重武装の聖堂戦士が寝室に雪崩れ込む。
ハンター達の年齢より戦歴が長い彼等は、誰何するまでもなく誰が誰に暴力を振るったか理解する。
全滅と引き替えにフィーナの腕1本を奪うことを、一切の躊躇なく決断した。
「全員納得した上での実験でした。この通り後遺症もありません」
落ち着いた声が悲鳴の如く響き、古強者の表情が凍り付く。
「あまり、生き急がないでください」
言いたいことの9割9分を飲み込み、聖堂戦士達が戦意を霧散させた。
解散する。
医務室に向かう女性陣を見送りながら、カインは奥歯が軋む感触に気付く。
何もできなかった。
報われぬ……とカイン自身は思っている恋に殉じる覚悟はあるが、己の行動が無意味であることには耐えられない。
こほん、とわざとらしい咳払いが聞こえた。
いつの間にか、パワードスーツじみた厚みの全身鎧に取り囲まれている。
「何か」
居心地が悪い。
敵意や悪意になら対処できる。
しかし、この期待とも共感とも同情ともとれる生暖かい気配は何なのだろう。
「カイン殿。君は、そのー」
6人で退路を断つという非常に威圧的な行動をしているのに、何故だか酷く情けなく感じる。
「お嬢とはどういう関係なんだ」
5人同時にうなずく。
全員、イコニアがただの司祭だった頃からの知り合いだ。
元護衛だったり戦地で命を救われたりで、崇拝に近い感謝の念と同時に娘に向けるもの近い愛情を抱いている。
要するに、非常に五月蠅い小舅である。
「そういう関係じゃない」
穏やかに話そうとしたのに口調が荒くなってしまった。
「なるほど」
「分かる」
「若いな」
うなずき合う男共が非常にうっとうしい。
戦闘用スキルをぶちかましても許される気がする。
「カイン殿」
最年長の初老の男が、逞しい体に気合いをみなぎらせ前に出る。
ちょっと汗臭い。
「我らの力ではお嬢の戦いについて行けない。守り切れとは敢えて言わぬ。できれば、最期まで共にいてやってくれないだろうか」
怒りを理性で押さえつけるのが大変だった。
この男達は近いうちのイコニアの死を受け入れてしまっている。
それが激怒するほどに嫌で、しかしその可能性が極めて大きいことが分かってしまう。
「言われるまでもない」
男達を押しのけイコニアを追う。
誰も、追っては来なかった。
●職員会議
肌の色も体格も王国人とは違う。
なのに、その緑の目の奥には貴族を思わせる知性と知識と邪悪さがあった。
「ルル様の丘の桜が3月に咲く」
桜色の淡い光が髪飾りのように宵待 サクラ(ka5561)を彩っている。
それが桜の木の精であることに何人が気づけただろう。
「学校はお茶と簡単なお菓子を準備して卒業祝いの花見をしようと思ってる」
新任教師に語りかける内容は今後の予定だ。
だが言葉通りに受け取る者は少数派だ。
派閥幹部の意を受け、あるいはその派閥幹部を動かして来た人物であることを全員が理解している。
「貴方達の知り合いを呼んだりその人達が多少お菓子を持込むのは止めないよ。あと、1点だけ注意して」
緊張感で目眩がしそうだ。
唾を飲み込む音が大きく聞こえ、それが自分の喉から聞こえたことに後になって気付く。
「他派閥の貶めは子供に嫌われるから禁止ね」
柔らかな微笑みが、悪夢をみそうなほど怖かった。
「いやー、新任教師への初挨拶は緊張するね」
説明を負え、席に座ってくるりと回る。
丁度、イコニアが慰霊碑関連書類を仕上げたところだった。
「緊張しているようには見えなかったですが」
愛想の欠片も無い。
気を許した相手にしか見せない態度であり、ひねくれた甘え方でもある。
「歪虚と戦っているわけでも餓死の寸前で踏みとどまっている訳でもないからね。それよりイコちゃん絶好調じゃない」
「どこがですか。全身を焼かれたとき並に痛かったですよ」
「力のお陰でその程度ですんだんでしょ? 人格乗っ取られたわけじゃない、力を使いやすい分イコちゃん的には都合が良いと思ってたけど、違った?」
緑の目と目の間で一瞬火花が散る。
そして、ふんと同時に鼻が鳴った。
「聖堂教会としては使える幹部が増えて万々歳。学校としては歪虚を引き寄せる要素ができて大問題です」
「総合すれば良い感じになってると思うけどなー」
サクラは慰霊碑の図面を引っ張り出す。
千年後まで残すため建造物なので、資材も技術も贅沢に使われる予定だ。
「そろそろいいと思うんだ」
サクラが不敵に笑う。
イコニアの表情が引き締まる。
「ルルの望みを叶えるパラダイムシフトを起こそうと思ってさ。王国はどこもエルフ達先住者の血に塗れている。だからどこでも歪虚が湧く」
「それも原因であることは否定しません」
で、と悪意なく冷静にたずねる。
「虚実差し置きこれを全王国民の共通認識に持っていきたい。先住民慰霊塔をこの地のみじゃない王国全土で活用できる解決策の1つにしたいんだ」
白い眉間に皺が寄る。
「この地を跳び越えて、王国百年の計を立てるつもりですか」
「結果的にそうなるかもとは思ってるよ。結構無理して印刷部門を残したんだ。絵本とゲームの印刷をして3月までに王国内各学校への無償配布を目指す。傲慢との戦いに王家と教会本部の目がいってる今が食い込むチャンスだ……逆を言えば、今しかない」
イコニアが好戦的に笑った。
「全部成功しても夜逃げするしかなくなりますね」
「もしくはセドリック大司教の後釜に座るかだね」
「勘弁してください。私にとっては今の地位でも苦行です。誰も引き受けなかったら兵站が潰れかねないので仕方なくやってるだけですよ」
普通の人間なら韜晦か謙遜のための発言だろうが、彼女にとっては完全な本音だ。
歪虚をメイスで叩き殺したくて……叩き殺すのが楽しくて聖堂教会の門を叩いた危険人物なのだ。
なお、彼女の属する派閥の上層部は、全員似たり寄ったりの人格の持ち主だ。
「イコちゃん個人の嗜好で動ける状況じゃないでしょ。正直やばいよね」
「まあ、やばいですね」
王国を遙かに上回る国力だったリアルブルーが凍結され、歪虚勢力の頂点である邪神がほんの数国しか残っていないクリムゾンウェストに向かって来ているのだ。
状況を理解できる者は常時精神的耐久力を試されている。
「本当に危ないんですね」
最近幹部コースに乗ったばかりのマティが、胃薬を口に押し込み水で流し込んだ。
「異例の出世がある時代なんてそんなものだよ」
亡国の危機どころか人類絶滅の危機だ。
平和なときとは何もかもが違う。
「話は変わるけど」
マティの限界を見切った上で話題を変える。
「あの件ですね。実際に見て頂くべきだと思います」
引きつりそうになる表情筋を必死に制御して、若き助祭は黒幕を放課後の教室へと招いた。
「ねえ君まだレポート終わってないよねっ」
「あんたも何度読み返してるんのっ」
戦略ゲームに夢中の女子と、絵本を抱えて涙目の男子がわいわいと言い合っている。
どちらもサクラの主導で作成されたものだ。
穀倉地帯開拓ゲーム2種と、ここは王国の丘と名付けられた絵本が1つ。
小さな男の子と女の子が精霊の丘でお昼寝して、先住者や歪虚と戦争ばかりだと泣いている精霊に会い、色々考えて頑張って大人と話し精霊の笑顔を取り戻すという 娯楽性と芸術性とメッセージ性が並立した一品だ。
「お金稼がないと生きて生けないもんねぇ」
サクラが切なげにつぶやく。
印刷部門にいつの間にか紛れ混んでいたリアルブルー人により、リアルブルー基準で一流といえる商品として仕上がっていた。
「貴方達留年するつもり? 就職してからの給料が1桁少なくていいならそのまま遊んでいなさい。それがいならが今すぐすべきことをしなさい、早く!」
マティに叱咤され、蜘蛛の子を散らすように生徒が逃げ出した。
半分は演習場へ向かい体力作りを。
もう半分は図書室に向かって資料集めとレポートの続きを。
わずかに残った少数だけが、懲りずにゲームを続けていた。
「ぱんつコンボだよっ。イコニャもこれだおわりだぁっ」
「甘いでちゅ。たれ耳朝にゃの入れ知恵が発動。ノーパン防御により攻守両方に大ダメージでちゅ!」
「そんなー」
朝騎とルルがユグデュエルハンターというゲームに興じ、生徒というには年を取り過ぎたエルフ達が賭け事ありで穀倉地帯開拓ゲームで遊んでいる。
「お二人とも何を……」
マティは絶句した。
この地の象徴であり、マテリアルという最重要インフラを担う精霊が怠惰に過ごしている。
これで緊張感を保てというのは生徒に酷だ。
「探す手間が省けたでちゅね」
圧倒的不利から相打ちに持ち込んだ朝騎が、敗者であるルルを残して立ち上がる。
凜々しい表情が可憐な顔立ちを強調する。
腕っ節も実績も十分にあるので、性別が逆なら朝騎を巡る愛憎劇が発生していただろう。
「イコニアさん」
「えっ」
「オートマトンの素体が欲しいでちゅ。なんとか連れてきて欲しいでちゅっ」
全力でまとわりつく。
直前のシリアス顔との落差が重要である。
精神的にも体術的にも不意をつかれた司祭が翻弄されている。
「あの、ハンターズソサエティーからの親展です」
ひょい、と見慣れぬ少女が顔を出した。
夏服風の軽装なのに寒さを感じていない様子で、肘の球体関節が奇妙に色っぽい。
「妹さんか弟さんいないでちゅか」
「な、中身がいない同型機なら……」
壁ドンからの顎クイを美少年然として決める朝騎に、中身の精霊が顔を赤くして目を瞑った。
なお、戦士団に即座に連行され便所掃除が2日追加された。
●ルルのしたいこと
「気にすることはないでちゅ」
イコニア以下の聖堂教会関係者が知れば絶対に止めるだろう願いを、朝騎は2つ返事で引き受けた。
対歪虚の最前線で、この地の現状を報告し、ルルの仲直りの会について告げたときまでは平穏だった。
「イコニアさんもちゃんと謝罪するつもりがあるでちゅ」
言い終える前に失敗を悟った。
大気が冷気に満ちる。
大地が様相を変える。
これまで地の底にあるだけだった負マテリアルが、目映く輝く殺意を核に地上へ現れる。
「ルル様、テレポートは可能ですか」
ソナに問われた丘精霊は、怯えきった顔で首を左右に振った。
ハンターと比べると正のマテリアルが剥き出し過ぎる。
この状況で歪虚に食いつかれたら、一瞬で暗い尽くされる可能性すらある。
あの新生歪虚の場合はさらに危険で、近づかれただけでも拙い。
ソナの纏う気配が重く鋭いものに変わっている。
吸収した古エルフ覚醒者の残滓に影響され、より深くより巧みにこの地のマテリアルを操るようになる。
ルルの周囲から負マテリアルが祓われ、通信妨害の程度も一段階軽くなった。
「フィーナさん!」
「駄目。スキルに余裕が無い」
フィーナのマジックアローが威力を増している。
泡立つ地面から現れた闇鳥を1矢で重傷にまで追い込むが、単発攻撃という性質か変わらないので一撃で戦局を動かす力はない。
大地が弾けた。
鯨の如き巨体が固い地面を砕いて飛び上がる。
一見滑らかな巨体は、全てが闇鳥のなりかけで構成されている。
暗い炎が灯った眼窩が朝騎を通してイコニアをみていた。
巨人が立ち上がる。
残骸同然の状態から直した痕跡と、全ての関節を制御しきった滑らかな動きが酷くちぐはぐだ。
「行け!」
カインがブラストハイロゥを展開する。
闇鳥の群れも、自壊しながら突っ込んで来た黒鯨も、最近開発されたばかりの人類の盾を崩せない。
「行くでちゅ」
「ごめん」
ルルを乗せたイェジドが一目散に学校へ逃げる。
「お互いにこいつをぶっ殺せば気が晴れるんじゃないかっていう存在が、出てきたか」
完全に整備されていたはずの機体が軋んでいる。
左右に回り込んだ闇鳥がブレスを放ち、意図せず流れ弾を発生させR7を損傷させ内部にまでダメージを与える。
「イコニアさんに復讐を遂げさせるわけには行かない。」
できることならこの場で殺しに殺して自らに憎悪を引きつけたいが、今は敵を引きつけ防ぐだけで精一杯だ。
それだけでも十分たいしたことなのだが、それで満足する性格ならここまで強くなってはいないし生き延びてもいない。
「準備、完了」
フィーナを包み込むように無数の魔法陣が展開される。
盛大に詠唱を短縮して、攻撃術を流星雨を思わせるじみて連打する。
R7ごとカインに止めを刺そうとしていた闇鳥が全滅。
護衛を無くした黒鯨の頭を、ソナの放った矢が核まで貫き破壊した。
●一般的領主
僻地の領主としては頑張っている、というのが率直な印象だった。
破綻した領地から歪虚が流れ続けてきたという事情があるとはいえ、領主も領民も富の蓄積が貧弱すぎる。
これで対歪虚の戦力が整っていればまだましなのだろうが、残念ながらそれも平凡でしかない。
田舎領主としては失格だ。
「さて」
エステル(ka5826)がつぶやく。
メイドと執事が緊張で強ばる。
貴族家の家臣としては解雇級の醜態であった。
「お待たせしました」
家宰が自らやって来た。
助祭を助手とし、王国騎士を護衛に連れてきたエステル相手に温和な笑みを浮かべている。
だが優れた五感を持つ彼女達相手には焦りを隠せていない。
「領主は現在伏せておりまして……。もちろんお話の重大さは理解しております。私が全て任されていますので」
委任状に相当する紋章を示しつつ館の中を案内する。
歴史と努力は認めるがそれだけだ。
応接の間に通され、エステルはマティに纏めさせた資料をもとに現状を認識させる。
「これは……」
この地を取り巻く状況は非常に厳しい。
農業法人を介した食料と経済の支援だけでなく、軍事的な支援も喉から手が出るほどに欲しい。
それが諸侯としての終わり意味しているのは分かっている。
それでも、貴族として終わってしまうよりはずっとましだ。
アルトが微かに首を振る。
隠密活動で集めた情報がたいたいエステルに伝わる。
「我々も余裕がある訳ではありませんが」
学校から生徒を後方支援として派遣できると伝えると、家宰は余裕を演じることもできずに飛びついた。
帰り道。
魔導トラックの中はとても気まずい雰囲気だった。
「いつもこうなのか?」
「以前はもっと余裕があったのですが」
今なら望めば隣領の全てが手に入る。
爵位も領地も、痩せた領民の保護義務も全てだ。
●騎士と傲慢
30の重機関銃と8メートルの2速歩行機械を想像して欲しい。
同水準の技術で作られているなら、近づくこともできずに後者が敗北することが容易に想像できる。
だがそこにハンターという要素が加わると全ての計算は覆る。
緑のルクシュヴァリエが駆けている。
移動速度は平凡だが反応速度は異様だ。
発砲炎を見てからステップを踏んでかすらせさえしない。
「温いのぅ」
銃撃は続く。
狙って当てるのが無理なら空間を埋めてしまえと、リアルブルーのそれと異様なほど似た銃で連射する
「現実は計算通りに動くものじゃがな。要素を見落としすぎれば計算が成り立たぬわ」
連続攻撃では無く単発攻撃が30回だ。
脳に叩き込まれる膨大な情報を処理しきれるなら回避も防御も実に容易い。
結局被弾は3発。
逆三角形の盾に斜めからぶつかり盛大な火花が散った。
「うははー、どんなもんじゃー」
「いわゆる回避100に抑えて残りの積載量は防御に全力です。この程度では効きませんよっ」
「やったれババァ!」
好き勝手に騒いでいるのはルクシュヴァリエ開発陣、の下っ端達だ。
戦地での試験と聞いて勝手に押しかけて来た。
「黙れ小僧! ミグは貴様のババァではない!」
叫び返すミグ・ロマイヤー(ka0665)と平身低頭するドワーフ技師を比べると、外見だけはひ孫と頑固爺に見える。
「ホフマン炸裂弾装填、目標石碑撃て~」
Volcanius2機が砲撃を開始した。
歪虚による妨害の影響を考えると射程も精度も異常なほどに素晴らしい。
だが敵も弱くはない。
ルクシュヴァリエ以上の厚みを持つ装甲が壊れながら衝撃を受け流し、全く攻撃力を減らさず攻撃を続行する。
半数が銃器を止める。
主に与えられた歌を、文字通り我が身を削り全力で再生する。
ぱたぱた倒れる下っ端達。
ミグ機も緑の燐光が一瞬押され、しかし影響はそれだけだった。
「あれか」
中小精霊が得意げなイメージを送って来るのを聞き流し、ミグは魔導計算機の全力を画像処理に振り向ける。
浮遊する真球部隊に守られた石碑がある。
時折炸裂弾の小弾が当たっているのに損傷は僅かだ。
「まるで別物じゃな」
この近くで目撃情報があったものとは似ている。
しかしここ以外で目撃されたものとは大きく異なる。
計算結果が出た。
数値が予想値からかけ離れている。
「ふむ」
リアルブルーとロッソ以前のグラズヘイム王国ほどの技術格差がありそうな感触だった。
「今のうちに」
黒のエクシアが戦場の端から攻撃を仕掛けていた。
真球型の火器を上回る重機関銃による銃撃である。
絵面は非常に地味だ。
撃墜数はVolcaniusより劣り、後方に待機中の聖堂戦士団からは敢闘精神に欠けるのでは無いかと疑われる。
「あのすごいのに乗らなくてだいじょうぶー?」
長距離のケーブルと短距離の電波を介し、5歳児エルフに見える顔がHMDに映し出されていた。
「問題ありません」
エルバッハ・リオン(ka2434)は通信用のウィンドウを小さくしつつ戦況を見る。
敵が広範囲状態異常攻撃に攻撃の重点を写しつつあるのを確認した。
「ふぁいとー!」
ルルの姿が一瞬で消え去った。
R7ウィザードが全力で戦場中央へ走った結果、通信妨害の影響を受けたのだ。
状態異常攻撃の射程範囲でもあるが全く問題は無い。
対VOID用のイニシャライズフィールドが本体への影響を弾き、予め展開していた結界が味方のほとんどを影響下に置く。
ゴーレム達は元々メイムの防御術の影響下にあったたが、広々とした結界があると後退しながら撃つのも簡単にできるので非常にやり易くなる。
ウィザードの防御は厚くはなく、回避性能も平均的のCAMの域を脱しない。
故に被弾する。
被弾するのに気付いた歪虚が集中攻撃を試みる。
「これなら触れても問題ありませんね」
状態異常への対策の完璧さが証明されている。
そして、直接的な武力を用いた戦いについても問題はない。
生身の時と同じように放った火球が炸裂。
広がる衝撃波が真球3つを包み込み、その巨体に深刻なダメージを与える。
「記録はとれていますね」
万一に備えて軍用PDAにも記録させているが出番はなさそうだ。
Volcaniusが砲を至近に向けぶっ放す。
火球による打撃は強烈だ。撃破には数度の直撃が必要なはずの真球がぼろぼろになり、たった一度の砲撃で潰れて自由落下を開始した。
もう1機のルクシュヴァリエが闘狩人の技を使う。
敵の攻撃を引きつける呪いじみたスキルであり、本当の意味で使いこなすためには本人の防御能力等が必要になる。
その点この騎士は満点だ。
聖堂教会が押しつけてきた巨大槍を両手で構え、突いて弾いて殴りつけて押し止め、スキルの性質上困難になってしまった回避を受けで補ってみせる。
どうしたのー?
せんぞくけいやくいかがですか
中小精霊にしては存在感の強すぎる精霊が語りかけてくる。
聖堂教会に知られたら今度こそ司祭位を押しつけられそうだが、今のエステルにはそんなことを考える余裕はない。
「いえ」
球と銃しかない姿から敵の動きだけでなく意思までも読み取る。
高位覚醒者の近くで辛うじて認識できる隙へ、驚くべき度胸で機体と共に踏み込む。
1メートルを超える装甲が凹んで引きちぎられ左右に飛び散る。
まさに蹂躙だ。
王国は歪虚に絶対に勝つ、という威勢の良い認識が生まれるのが確実な大活躍だ。
「生身で戦った方が戦果が大きく被害が少なかったので」
でもこのくらいなら生身でできてしまうのだ。
避けはともかく受けと受け防御なら人類最上層だし、セイクリッドフラッシュを使えば範囲内の真球など確実に全滅だ。
そこをなんとか
けいやく……
「話は後で。歪虚を倒してからです」
槍でなぎ払う。
左右にいて生き残った真球が、垂直に断たれて爆発四散した。
「残り19」
突破を試み突撃してきた真球にR7が斬艦刀を振り下ろす。
スキルによる上乗せはないので両断とはいかないが、中心のパールに損傷を与えた手応えはあった。
真横から銃弾が来る。
試作電磁加速砲で奇跡的な確率で当たりかかり、しかしエルバッハは余裕をもって一歩下がりかすさせすらしない。
「イニシャライズオーバーを解除してもいいですが」
頭部の向きは変えずセンサからの情報を総合して背後を観る。
士気が上がりすぎた聖堂戦士団部隊がじりじり前進中だ。
状態異常発生源は半数以上撃破したが、彼らにとっては脅威が大きすぎる。
現在の距離なら強度1でなんとかなる。
だがもう少し近づけば強度が2になり大惨事だ。
「ここは任せます」
「了解」
戦場を戦友に任せ、戦士団の面倒を見るため走る。
「後方支援が充実しているのは有り難いですが」
イコニアが復活してから聖堂戦士団がより好意的になった。
前世が素晴らしかったからではない。
地位の割に不足しすぎていた人生経験が補われ、組織内への説得力が大きく増したのだ。
「前世の記憶を思い出されたのは良かったのか悪かったのか、まだ何とも言えませんね」
空の上に、黒いワイバーンが飛んでいるのが見えた。
真球が慌てて守りを固めようとしている。
ハンターに引きつけられ、護衛対象である石碑から引き離されていた。
「安定しない」
フィーナが珍しく感情を露わにしかめっ面だ。
服も何故か緩く着ている。
ルルと繋がりを深めたのは非常に良い。
その結果、丘との距離が戦力と身長に大きな影響を与えるようになった。
要するに中途半端な距離では体格が安定しないのだ。
「撃つ」
壮絶な光が真球の残りに降り注いだ。
●レポート
「敵戦力全滅を確認っ」
やべー
このえるふっぽいどわーふこわい
ミグは精霊の怯えに気付かない。
浮き立つような気持ちとステップで、無傷に近い石碑へ駆け寄る。
そして爆発。
「自壊機能じゃとっ!?」
機体の全リソースで記録はとったものの、巨大な喪失感で胸が痛い。
「ミグの知的好奇心がぁ……」
機体との合一を解除する。
小さな体を固定していたベルトを外して、壊れるぎりぎりの力でコクピットハッチを開いて飛び降りた。
「忘れないうちに」
メイムは魔導パイロットインカムを取り出した。
聖堂戦士団に中継して貰い学校職員に口述筆記を頼む。
「対傲慢王先遣におけるVolcanius運用に関する意見具申。宛先は王立学校機甲砲術科特務参謀ジョアン・R・パラディールでー」
「これほんとに書いて良いんですか?」
「もちろんー」
口調はいつも通りでも籠もった気迫はいつも以上だ。
「範囲型強制にて、熟練のゴーレム3機が動作不良……」
所感は入れずに事実のみを書き連ねる。
レポートに載せる事実の取捨選択で少し自分の解釈が混じってしまうがその程度は勘弁してもらおう。
対傲慢の情報は王国中で必要とされている。
実際に戦い生き延びた者からの情報は特得にだ。
「現状実戦ではリスク高く確認困難。睡眠・行動混乱等のスキルに影響されるか検証と対策求む……って集めて寄越せって言われそうだよね。今のはカットで」
エルバッハ機に目を向ける。
メイムのように歌える者は滅多におらず、R7は貴重とはいえ高位覚醒者と比べれば普及品だった。
「しかし、うむ、成果はあったか」
ミグが緑の機体を見上げている。
回収した石碑の欠片からは負の気配がどんどん抜けていく。
「状態異常への抵抗、剣と槍の実データ。他の戦場の分とあわせれば初期の戦訓として十分じゃ」
コンセプトを模索する段階から関わった機体だ。
「この子はなあ、わが子のようなものなのじゃよ」
柔らかな本音が口から零れた。
「なんだこのネジ。見たことねぇサイズだ」
「歪虚化の影響だろ」
馬鹿が騒いでいる。
魔導型ドミニオンに装備を戻すために新型機を弄っていた技師達が、短い休憩中に真球の残骸にとりつき漁っている。
ミグの冷たい視線に気付いて即座に釈明を開始。
今後に活かすためとか修理に流用するためとか言ってはいるが知的好奇心に逆らえなかっただけだ。
「ミグも人のことは言えぬが」
このとき初めて特大の違和感に気付く。
当たり前すぎて気付けなかったものが、新型機に付き従う人員と機材によりあぶり出される。
「おいそのネジ捨てるな。インチでもなし……。他のも同サイズ。まさか、規格が、根っこから違うじゃとぉっ!?」
その情報は異様なほどの速度で遠くまで伝わった。
「同胞を救って下さったことを深く感謝します」
数分後、エルバッハに最敬礼に近い礼をしたイコニアは、実は非常に困惑していた。
「どういう意味がある情報なのでしょう?」
聖職者であり貴族であり戦士でもある彼女は、技術については酷く疎い。
PDA等を道具として使うのが精一杯だ。
「別の世界で造られた可能性もあります」
新型機開発で複数世界の最新情報に触れたエルバッハの理解は深い。
「崑崙経由でエバーグリーンの技術とも比較してもらいました。別物です」
「つまり?」
「こちらの情報を得た未知の勢力――別の世界か、この世界の彼方の地か――が攻めて来るかもしれません」
ようやく理解した司祭の顔から、凄まじい勢いで血の気が引いた。
●快刀乱麻を断つ
来た見た勝った。
生徒の演習と植樹もついでにこなした。
部外者が聞けば正気を疑う難易度の作戦も、ボルディアにとっては日常の仕事でしかない。
「ルルお前また出かけるのかよ。いいぜ、俺も付き合ってやる」
ソナやイコニアを引き連れお出かけするルルに付いていく。
実はルルを心配しているのではなく、戦闘と植樹のときから何かを考え込んでいるユウ(ka6891)が気になった故の行動だ。
普段なら何をふぬけてやがると一喝する場面なのに、何故か異様に気になる。
ルルのお出かけは墓参りであった。
闇鳥が現れない程度に浄化された土地へ向かい、古エルフのために建てた墓の前でお祈りする。
ソナとルルにとっては慣れた行事であり、最近多忙を極めるイコニアにとっては久しぶりの行動だった。
「ここも長くなりましたね」
真摯な祈りの後は腹が減る。
ソナは厨房から借りた携帯コンロでマシュマロチョコフォンデュと洒落込んだ。
「バレンタインですから」
「甘さが脳にしみます」
「うまー」
マティとルルは夢中になって食べている。
「新しい道具は覚えるまでが大変ですものね」
ソナも一通り使えるようになったがそれなりに苦労した。
なお、教えた技術者はその習得速度に恐怖していた。
「ある程度落ち着いたらここで働かせてもらえないでしょうか」
「ありがとうございます。校長と学部長以外でしたらポストを開けておきますので」
ソナは争奪戦の対象になるレベルの人材なので、ソナがひくくらいイコニアが前のめりだ。
過去とは異なり、優秀な他種族個人を受け入れても揺るがないほど王国が強固になったともいえる。
「ユウっ」
ルルが衝撃を受けている。
デコレーションケーキが涼しげだ。
保冷剤ではなく細心の電子機器で制御された小型冷蔵庫。
しかもとってもお洒落だ。リアルブルーの文物はこんなことろにまで普及している。
「どうぞ」
ユウにしては雑な態度であり、ルルは気付かなくてもイコニア達が異常に気づく。
「心配事があるなら是非協力させてください」
司祭は野外パーティー用の椅子を組み立て、自分は座らず強くユウに勧める。
いつもなら謝辞するが今は他の事に集中しすぎていて言われるがままに座る。
「巨大鳥のことなのですが」
あの時見て感じたものを改めて思い出す。
巨大鳥の笑い顔。
自分の力を振り回すことを楽しむような攻撃。
古エルフ由来歪虚としてあまりに異質だ。
「今のイコニアさんなら詳しく分かりませんか?」
若きドラグーンの純粋な瞳があまりにも綺麗で、前世を思い出してしまった女が甘い息を漏らしてしまった。
「すみません邪心が」
心底恥じてエクラに祈る。
視線を逸らした瞬間ユウの顔が曇るのに気付いて即座に向き直る。
「類似例も私の知識にありません。とても珍しい歪虚なのだと思います」
「はい」
しょぼんとするユウを見て内心慌てる。
うなじに色気を感じてしまい、人格乗っ取りの危機を初めて認識した。
「あの人達憎しみや悲しみがどれ程のものか、受け止めても理解できないと思います」
ユウは龍と共に生きてきたドラグーンだ。
歪虚を生き物と混同することはあり得ない。
「止まることは無理かもしれない、でも速度を落としてルル様を見て欲しかった」
ルルは大きなリスクを冒している。
精霊が歪虚に近づくのは危険過ぎるのに、大昔のエルフへの愛情を忘れられず手を伸ばし続ける。
「ごめんなさい。考えがまとまらなくて」
「いえ。話せば聞いた人が何かを思いつくかもしれません。ユウさんが整えくれば場ですもの。有効活用したいですよね」
綺麗に切ったケーキの隣に、手ずから煎れた紅茶を添える。
「どうぞ」
「ありがとうございます。……いい香りですね。元気なルル様みたい」
「ええ」
新たな話題が出ないのに心地よい。
いつの間にかルルも混じって紅茶の香りを楽しんでいる。
「やっぱり」
「はい」
「何かしら呼称を付けるべきだと思うんです」
ユウに言われてイコニアが小首を傾げる。
「中央への報告書では白鳥型歪虚になっていますよ?」
ユウはこの時ようやく違和感の正体にたどり着く。
イコニアが歪虚に対して穏やかに見えるのは錯覚でしかない。
絶対に相容れぬと理解しているから、戦意や殺意を表に出す必要も無く殺せる。だから彼女は気づけない。
「識別のための呼称としてだけじゃなくて」
聖堂教会司祭に言うべきかどうか悩んだが、これまで一緒にいたイコニアを信じて決定的な言葉を口にする。
「名前をつけてあげましょう」
愛情ではない。
敢えて当てはめるなら仁義だ。
滅ぼすにしても正面から向き合いたいと、ユウは思うのだ。
「名前?」
イコニアが困惑し、気づき、悲鳴じみた声をあげそうになる。
「やはり問題が?」
「いえ、いえ、いえ、そうではなく」
何故今まで思いつけなかったのか。
イコニアは過去最大級の衝撃と情けなさを感じている。
「名をつけ、望む形に押し込み、利用する」
ソナがユウに解説する。
「符術師の朝騎さんが専門だと思いますが、法術の分野にも似たものがあった気がします」
「危険過ぎて禁術や邪術扱いされる技です」
普通は超高位の覚醒者も、人類と意思疎通可能かつ友好的な精霊もいない。
何より、歪虚に真正面から向き合える強さと優しさを持つドラグーンがいなければ気づけない。
「ですが皆さんと一緒であれば可能です。可能にしてみせます!」
派閥で重荷を背負う前の、生き生きした顔で断言した。
同時刻。
北へと走る1騎の影があった。
身に纏う気配は明らかに負へ偏っていて、まともなエルフに見えるのは紫の瞳だけだ。
残滓の力を振り絞った、イツキの今の姿がこれだ。
半ば影と同化して、南から異様な密度で飛来するブレスを躱し続ける。
イツキが振り返る。
限界以上に拡張された視覚に、かつて純白であった、かつて鳥であった何者でもない歪虚が映る。
「今は、其処へ往く事は出来ないけれど」
産まれて来る筈だった子らへの想いから現出した、真白の羽ばたきを覚えている。
他の誰もが忘れても、古の同族から思いを受け継いだイツキだけは。
イェジドが鋭く吠えた。
気付くと精霊の丘の近くまで来ていた。
闇鳥が自発的に追撃を止めていく。
以前なら丘の方向にブレスを向けることすらなかったのに、今は以前より近づく個体も誤射の可能性のあるブレスを撃つ個体もいる。
あの歪虚の支配力が強まっているのだ。
「私に出来るのは……」
受け止める事も難しい。
精一杯の言葉の祝福と、悪夢から解き放つ為に闘う事ができるだろうか。
万が一にもルルに悪影響を与えないよう、古エルフの残滓を魂の奥底に沈めて封じていく。
負に偏った気配が通常に戻る。
闇と同化し実体を喪いかかっていた肢体が柔らかさを取り戻す。
これまでの負荷が一度に心身へ襲いかかる。
金剛不壊の効果もあり即死することはないが再起不能はあり得るダメージだ。
「――アナタは今、どんな夢を見ているのですか?」
その言葉を届ける術は、今はまだ存在しない。
依頼結果
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参加者一覧
サポート一覧
- アルト・ヴァレンティーニ(ka3109)
マテリアルリンク参加者一覧
依頼相談掲示板 | |||
---|---|---|---|
依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2019/02/03 22:37:09 |
||
質問卓 北谷王子 朝騎(ka5818) 人間(リアルブルー)|16才|女性|符術師(カードマスター) |
最終発言 2019/02/07 20:10:42 |
||
相談卓 北谷王子 朝騎(ka5818) 人間(リアルブルー)|16才|女性|符術師(カードマスター) |
最終発言 2019/02/08 06:41:10 |