ゲスト
(ka0000)
何の変哲もない特別な日
マスター:風亜智疾

- シナリオ形態
- イベント
- 難易度
- 普通
- オプション
-
- 参加費
1,000
- 参加制限
- -
- 参加人数
- 1~25人
- サポート
- 0~0人
- 報酬
- 普通
- 相談期間
- 5日
- 締切
- 2019/03/19 09:00
- 完成日
- 2019/10/04 10:44
みんなの思い出
思い出設定されたOMC商品がありません。
オープニング
■パメラ・カスティリオーネ(kz0045)の場合
彼女の朝は早い。
商社の誰よりも早く社の倉庫へ赴き、本日の在庫チェック。
欠品や破損品、不良品がないかを確認したら次は自店に出すものと卸先に出荷する分を仕分け。
大体この辺りから社員がやって来る。第一線で働く女主人と共に仕分けが終わったら各出荷先へ出発。
自店に品物を補充したり、新しい商品のディスプレイを考えて色々と試してみたり。
概ね毎日彼女の朝はこういう作業で埋まっている。
「そういえば……今日は3/14でしたか」
先月はバレンタインということで、卸先の雑貨店店主と絵本作家を巻き込んで楽しんだが。
今日はその反対。いわゆるお返しのためのホワイトデーという日だ。
また彼女たちと一緒に賑やかにしても良かったのだが、今日は彼女たちにも予定があるかもしれない。
急な仕事を頼むのも可哀想だ。避けておこう。
彼女の一日が始まる。
■ディーノ・オルトリーニ(kz0148)の場合
オフィスの仮眠室から現れた彼は、寝起きなのかいつもの5割増しで鋭い視線のまま頭をガシガシと掻いた。
念の為言っておくが、きちんとシャワーは浴びている。安心してほしい。
「おうディーノ。珍しく朝起きか」
「……ドタバタと朝から煩い足音がしていたからな」
顔馴染みの受付担当、バルトロは朝から実に元気そうだ。同じくらいの年のはずなのに何の差だろうか。
バルトロが若く見えるのか、ディーノが老けて見えるのか……やめよう。虚しくなる。
そんなバルトロが段ボールを持っている姿と漂う僅かに甘ったるい香りに、彼は眉を寄せた。
「おいその極悪面やめとけよ。子供が泣くぞ」
「オフィスに子供はいないだろう」
「いたらの話だって。それに今日はホワイトデーだぞ」
「…………?」
つまりあれか。オフィスの受付嬢たちからの義理という名の心の籠った一口チョコへのお返しが、その段ボールに入っているというのか。
「倍返しか……?」
「もっと恐ろしいぞ。三倍返しだ」
「強敵だな」
義理とはいえ、女性に半端なお返しをすればどんな白い目で見られるか分からない。
ただでさえ、オフィスの受付は割と女性が多いのだ。何故だろう。やる気が出るからだろうか。解せぬ。
「まぁそんなわけだからディーノ。お前も誰かからもらってたら、ちゃんと返さねぇと怖いぞー」
段ボールを抱えて去っていくバルトロの後姿を見送って、彼は大きく溜息を吐いた。
問題の内容は別として、彼の一日は大体こんな感じで始まる。
■ヴェロニカ・フェッロ(kz0147)の場合
「ルーチェのフードと、画材、新しいハーブの苗、食材……」
朝の庭仕事を終えたヴェロニカは、メモ用紙にサラサラと何かを書きつけていく。
内容的に、どうやら買い物リストのようだ。
さて、割と重い物が多い気がする。帰りは出費が嵩んでも馬車を頼むべきだろうか。
とりあえず、出かけて買ってから考えよう。割と彼女は行き当たりばったりなところがある。大胆、といえば聞こえはいいだろうか。
「ルーチェ、お留守番お願いね!」
手にしたのは外出用の籠バッグと太めの木の枝。
――もしかしなくても、まだ木の枝を杖代わりにしている。残念具合が否めない。が、仕方ない。忙しくて買いに行く暇がなかったのだ。
窓の施錠を確認し、家の鍵をしっかりかける。戸締りはしっかりと。彼女はその大切さを何回かの頬の痛みで覚えた。もう間違えない。
気を取り直し、ゆっくりとしたペースで歩き出す。
彼女の一日はこうして始まった。
3月14日。何の変哲もない特別な日に、貴方は誰と、どう過ごしますか?
彼女の朝は早い。
商社の誰よりも早く社の倉庫へ赴き、本日の在庫チェック。
欠品や破損品、不良品がないかを確認したら次は自店に出すものと卸先に出荷する分を仕分け。
大体この辺りから社員がやって来る。第一線で働く女主人と共に仕分けが終わったら各出荷先へ出発。
自店に品物を補充したり、新しい商品のディスプレイを考えて色々と試してみたり。
概ね毎日彼女の朝はこういう作業で埋まっている。
「そういえば……今日は3/14でしたか」
先月はバレンタインということで、卸先の雑貨店店主と絵本作家を巻き込んで楽しんだが。
今日はその反対。いわゆるお返しのためのホワイトデーという日だ。
また彼女たちと一緒に賑やかにしても良かったのだが、今日は彼女たちにも予定があるかもしれない。
急な仕事を頼むのも可哀想だ。避けておこう。
彼女の一日が始まる。
■ディーノ・オルトリーニ(kz0148)の場合
オフィスの仮眠室から現れた彼は、寝起きなのかいつもの5割増しで鋭い視線のまま頭をガシガシと掻いた。
念の為言っておくが、きちんとシャワーは浴びている。安心してほしい。
「おうディーノ。珍しく朝起きか」
「……ドタバタと朝から煩い足音がしていたからな」
顔馴染みの受付担当、バルトロは朝から実に元気そうだ。同じくらいの年のはずなのに何の差だろうか。
バルトロが若く見えるのか、ディーノが老けて見えるのか……やめよう。虚しくなる。
そんなバルトロが段ボールを持っている姿と漂う僅かに甘ったるい香りに、彼は眉を寄せた。
「おいその極悪面やめとけよ。子供が泣くぞ」
「オフィスに子供はいないだろう」
「いたらの話だって。それに今日はホワイトデーだぞ」
「…………?」
つまりあれか。オフィスの受付嬢たちからの義理という名の心の籠った一口チョコへのお返しが、その段ボールに入っているというのか。
「倍返しか……?」
「もっと恐ろしいぞ。三倍返しだ」
「強敵だな」
義理とはいえ、女性に半端なお返しをすればどんな白い目で見られるか分からない。
ただでさえ、オフィスの受付は割と女性が多いのだ。何故だろう。やる気が出るからだろうか。解せぬ。
「まぁそんなわけだからディーノ。お前も誰かからもらってたら、ちゃんと返さねぇと怖いぞー」
段ボールを抱えて去っていくバルトロの後姿を見送って、彼は大きく溜息を吐いた。
問題の内容は別として、彼の一日は大体こんな感じで始まる。
■ヴェロニカ・フェッロ(kz0147)の場合
「ルーチェのフードと、画材、新しいハーブの苗、食材……」
朝の庭仕事を終えたヴェロニカは、メモ用紙にサラサラと何かを書きつけていく。
内容的に、どうやら買い物リストのようだ。
さて、割と重い物が多い気がする。帰りは出費が嵩んでも馬車を頼むべきだろうか。
とりあえず、出かけて買ってから考えよう。割と彼女は行き当たりばったりなところがある。大胆、といえば聞こえはいいだろうか。
「ルーチェ、お留守番お願いね!」
手にしたのは外出用の籠バッグと太めの木の枝。
――もしかしなくても、まだ木の枝を杖代わりにしている。残念具合が否めない。が、仕方ない。忙しくて買いに行く暇がなかったのだ。
窓の施錠を確認し、家の鍵をしっかりかける。戸締りはしっかりと。彼女はその大切さを何回かの頬の痛みで覚えた。もう間違えない。
気を取り直し、ゆっくりとしたペースで歩き出す。
彼女の一日はこうして始まった。
3月14日。何の変哲もない特別な日に、貴方は誰と、どう過ごしますか?
リプレイ本文
●
「……本当に、どうしましょうか」
結局、その呟きは零れ落ちてしまった。
なるべくならその言葉を、自分自身が手持無沙汰だということを明確に意識しないようにしていたのだけれど。
せめて溜息が零れ落ちてしまわないようにと、目の前のグラスを口元に運ぶ。
良く冷えたフレッシュジュースが鳳城 錬介(ka6053)の喉を滑り落ちていく。
目が覚めるような爽やかな酸味。だからこそモーニングに相応しいのだろう。その刺激が脳まで辿り着いて、何か面白い、今まさに求めている有益な閃きが降りてくればいいのに。
「お返しの倍率に見合っているのかはわかりませんけど、お菓子は全て作ってしまいましたし、困りましたね」
頂いたチョコレートがどんなものであろうと、錬介はすべて手作りで返すことにしている。料理が好きだからこそ、作る過程を楽しめるというのが一番の理由だ。その上で相手に喜んでもらえて、美味しいが勿論一番ではあるが、何か次につながる感想を貰えたらより嬉しくなれる。
作りやすさもあって回数も重ねたクッキーは、もう作り慣れていることもあって口どけもやさしくできたと思う。はじめこそ試行錯誤を繰り返したレシピも今ではメモを見返さなくたって分量を諳んじられるほどだ。
ドーナツは一口サイズになるように気を付けた。クッキーの型を使ったので全体としても可愛らしいものになったと思う。粉砂糖をまぶして、チョコレートがけに砕いた木の実をまぶしたり。変わり種として小さな絞り袋で顔を描いてみたりもした。
勿論チョコレートだって手をくわえている。製菓用のチョコレートのテンパリングもお手の物だ。クッキーやドーナツに使うだけではなく、一口サイズのドライフルーツを潜らせてほろ苦かったり、刺激的な酸味に甘さをくわえて食べやすい物へ。柑橘類の皮を砂糖漬けにしたところから手掛けた者は特に美味しくできたと思う。
パンから作ったラスクは、生地に混ぜ込んだ干しブドウの具合も良好で満足の行くサクサク感が出せたと思う。何よりパンの練習にもなったのでとても有意義な時間だった。食感が変わるのが楽しくて、せっかく作ったパンを全てラスクにしてしまったけれど。
「日持ちしますしいいですよね」
色々と作ってはいるが、特に錬介が力を入れた、というよりも楽しんだのはバームクーヘンだったりする。薄く焼いて、巻きつけて、また薄く焼いて……少しずつ大きくなっていくケーキを育てる時間はなんだか永遠に繰り返していられそうだった。生地がなくなってしまった時、とても残念に思ったものだ。
一通り思い出したところで、はっとする。ホワイトデーのお返しそのものはもう作り終わったというのに。ついついその成果だとか、今後改良すべき点だとか。思考に耽ってしまうのは悪……くはないはずだが、偶には違うことを考えてもいいと思うのだ。
「思えば、あまり休んだことはありませんでしたね……」
そもそも今日は一日何も予定のない、完全な休日となったのである。ハンターとしての仕事は都合のつくものが見つからなくて。いつもなら屋台修行にと繰り出すところなのだけれど、ここ最近はずっとホワイトデーのお返しを作るために時間を割いていたので、休んでもいいかなと思ったのだ。
折角の休みだからと、いつもならすぐに取り掛かる朝食の支度も行わず、全て誰か他の人が手掛けたものを、と思って出てきたのだ。
しかし蓋を開けてみれば、モーニングを前にしているというのに、最近の自分を振り返っているような。仕事のことではなくプライベートの事、という扱いではあるけれど。
「これは作ってくれた人に申し訳ありませんね」
改めて目の前のプレートに向き合う錬介。
ふんわりと焼き上げられたパンケーキの上には、バターの香る葉物野菜とハムが重なり、頂点には見事な半熟に焼き上げられた目玉焼き。
添えられている生野菜も新鮮だと分かるものばかり。ドレッシングもあるけれど、かける前にそのまま食べるのもいいかもしれない。
「甘くないケーキ、と聞くと不思議な気がしますけど。こうして食べるとわかりますね」
興味本位で頼んだメニューに舌鼓をうちはじめる。
目玉焼きじゃなくてもオムレツや、それこそスクランブルエッグの半熟でも美味しそうだ。
ハムは形が揃っているし盛付けも整うけど、しっかり食べたいときにソーセージも合いそうだ。
もっと他の野菜を足してもいいかもしれない。むしろサラダも一緒に食べてみるとか。パンケーキには甘味がくわえられていないようだから、さっぱりと食べられる……パンケーキサンドも面白そうだ。
ここにクリームチーズがあれば一層……
「……ははっ」
食べ進めていたはずの錬介の手、ナイフで切り分ける役割を終えた方の手が、今は書くものを求めて彷徨っている。それに気づいてつい笑いが漏れてしまった。
「何かしていないと落ち着かないとは……いえ、これは趣味だから……言い訳ですね」
もしや自分は、休み方が下手なのでは?
それだけ料理が好きだという証明なのかもしれないけれど。これは少し、身体に覚え込ませ過ぎているような気がしないでもなく。
休日だと頭では認識できている筈なのに、無意識に手が動いているあたりもうどうしようもない、ような。
「……気が付いてはいけないものに気が付いた気分です」
のんびりとした休み、という言葉が自分の辞書にないと知った瞬間でもある。
「せっかくの休日ですし、楽しく過ごしたいですが……」
料理が最も楽しいと、測らずしも明確に示している自分に苦笑いが漏れる。
溜息ほど対応に困りはしないけれど。とろりとした半熟の卵ソースのかかったパンケーキをもう一口、ぱくり。
「うーん、おいしいですね」
食べ終わった後はさて、どこに行こうか。
意識していても料理のことが気になってしまうなら、いっそいろいろな店を回ってみるというのもよいのでは?
少なくとも、家を出る時に自分に課したのは、料理をしないというその一点だけなのだ。
「作りたくなってしまうのは、わかっていますが」
今だってこのパンケーキに近いものを再現したくてたまらない、そんな気だってしているけれど。
「それも修行の一環だと思えば……?」
その発想もすでに休暇らしいものではないとわかってはいるけれど。精神的な無理をして休みを満喫するなんて、その言葉からして無駄に疲れてしまいそうだ。
屋台に来てくれたお客さんから集めた、様々な店の情報もまだ確認していないものが多いな、なんて思いだしたのも大きい。
そうだ、今日は店巡りをしよう。自分が楽しめるのが一番だ。
「そう考えたら、気も楽になってきました」
急いで次にいきたい気もするけれど、まだモーニングは残っている。
一度止っていた手が再び、錬介の口にパンケーキを運んでいく。
「きちんと最後まで、堪能させていただきましょう」
あっ、冷めても美味しい。
これは怪我の功名ですね、なんて呟きが続いていった。
●
窓からは十分に明るい日差しが入り込んでいるが、しかし視界を照らし過ぎることもない。
春の香りを忍ばせながらもまだ肌寒さを残している今日は、昼が近くなるほどに過ごしやすい気候になっていく。
持ち込んだ本に記された記述を思うままに追いかける天央 観智(ka0896)の手が、テーブルのカップに伸びて……空をきった。
「おや、空になっていましたか」
気付いた店員が下げたらしい、読書に集中し過ぎて気付かなかったということだろう。
先ほどまで飲んでいたものはなんだっただろうかと振り返る。程よく温められたミルクココアはじんわりと身体に浸透していく甘味がとても心地よいものだった。
何より提供されたその時から飲めるというのがいい。観智は猫舌というわけではないが、今のように読書の傍らで飲食をする、となるとつい温度確認などがおろそかになってしまうので。
開いていた本に栞を挟んで一度横に置く。メニューを改めて開いて、次に頼むべきものを物色し始める。
「モーニングも……楽しめましたし」
シンプルなトーストに茹で卵、付け合わせのハムと葉物野菜の炒めものはバターの香りが芳しいものだった。
ちらりと周囲を伺ったところ、メインに選んだものにあわせて卵の調理法が変わるらしい。材料は同じでも、提供の仕方が違うだけで随分と様子が変わるのが面白くてつい視線を巡らせてしまっていた。
ちらりとカウンターの方を見れば、スタッフがこちらを伺っている。きっと次に顔を上げる時にはすぐ傍まで来ているはずだ。
観智は既にこのカフェで長時間過ごしていた。
端の方のひとり席は店内であまり目立つこともなかった。ホワイトデーが関係しているのか、訪れる客は大半が恋人同士のようで。誰にも使われないよりこうして利用されている方がいいということでもあるようだ。
それに観智は頼んだものが途切れる度に追加注文を行っているので、俗物的な話ではあるが売り上げにも貢献している上客扱いとなっていた。
モーニングの時は、フレッシュな野菜ジュースで意識をしゃっきりさせて爽やかな気持ちで本を開いた。
ブランチの頃合いで頼んだのは先ほど思い出したミルクココアで、お供はミルクレープ。甘すぎないクリームとシンプルに、けれど均等に焼き上げられたクレープの層がどこまでも続くのが面白くなって、一口分ずつフォークで切り取る度に目を細めてしまっていた。
「そろそろ、お昼……ですか」
店内は思っていた以上に静かだ。恋人達はそう騒がしくするものでもないし、其々が自分達の世界に入り込んでいるから周囲に視線を散らからせることもない。
「こういう、静かな日は良いですね……」
慌ただしく過ごすのもそれはそれで充実感があるけれど。メリハリというものは大事だと思う。
今こうして読書を満喫するように、好きだと思うことに思いきり時間を費やすというのは……心の平穏をもたらしてくれる。
やっぱり安寧が一番。
興味を満たす為ならばと戦いに出もするが、こうして心穏やかに知識をむさぼる時間に安堵を感じてしまう。
「ハンバーグプレートと、飲み物は……そうですね、珈琲をお願いします」
目の合ったスタッフにそう告げたのは、空腹を感じたから。
運動せずとも、思考を巡らせるだけでもエネルギーは消費している。
特に観智はただ本を読むだけではない。
文章を追い、その言葉ひとつひとつの検証をして。
読み終えた自分の脳内で、己に分かりやすく組み直すための試行錯誤を繰り返して。
自分が納得すると確認をして、誰かに話すシミュレーションを重ねて。
それでやっと、記憶に刻むのだ。
ただ静かに読んでいるだけのように見えて、眼鏡の奥、見えない場所では様々な情報が目まぐるしく動き回っている。
あの飴色は。そう思って少し目を凝らせば、確かに思った通りの人物。籠バッグに買い物だろうと目星をつけたはいいが、もうひとつ。どう見てもおしゃれな杖には見えない自然のままの……見覚えのありすぎる木の枝に呆れるしかなさそうだ。
「ヴェラ」
「……レイ?」
振り返る様子はいつものように無防備で、警戒心なんてものがない。浅緋 零(ka4710)の姿を見つけてほわりと笑みを浮かべる様子は微笑ましいとそう言えるものだけれど。
年上相手に思うことではない、かもしれない。年齢は関係なく、親しくしている友人だから構わないと、お互いそう思っているのだけれど。
じとり。杖と呼ぶにはお粗末な木の枝に呆れた視線を向け続けていれば、気まずげに視線がそらされた。
「忙し、かったの……」
ぎこちなく答える様子には、厳しめのチェックが必要だと感じさせるものがあって。
「……そんなに、時間がなかったの」
はっきりと尋ねれば、ゆっくりと頷きが返された。
やっぱり。という呟きはヴェロニカがぴくりと震えることで止まる。
「……買い物、でいいのかな」
籠バックの中は随分と膨らんでいるように感じる。そういう零もまた、手ずから作り上げた布製の鞄を持っている。そろそろ春色の小物を作ろうかと、端切れや糸を選んで。そこから作れそうなものを想像するところまでは一通り終えていたのだけれど。
この友人は、ヴェロニカは用を無事に済ませられたのだろうか。
「軽いものは、あらかた終わったわ」
「……まだ、あるの」
零の視線が呆れた物に戻りそうになって。
「重いものは、後にしようと思って」
これからルーチェのフードを買いに行くところだと続くのだ。
「……他は?」
呆れた視線はひっこめているし、首を傾げる零の視線はヴェロニカのそれよりも低い所にある。けれど逆らえないものを感じたヴェロニカはそっと買い物リストを差し出した。
「……ヴェラ、これ。昼までには終わらない……よ」
「やっぱり、そうかしら」
うぅ。と小さな唸り声に自覚があることも伝わってくる。空を仰げば、陽も高い場所に昇っていた。
「……それに、もうすぐ……お昼。どうする、つもり……?」
「途中で、食べやすいものを買って食べる……とか」
確かにリストには食料品も買いに行く予定が書かれているし、この道の先に行けば広場もあって屋台もあるだろう。
「……両手、ふさがるのに?」
「馬車を頼む事も、考えて」
「……」
「……うぅ」
ただでさえ、このヴェロニカという友人は食事をおろそかにしやすいのだ。
だから零は友人として、心配する者として、一つの提案を唇にのせた。
「……まずはいっしょに、お昼、食べよう」
ほんの目と鼻の先丁度近くにあるカフェを指さすのは、きっと必然なのだろう。
しっかりとした食事をとらせることは勿論だけど……歩き通しだろう友人の身体を休める為と、久しぶりの友人との語らいの時間を求めて。
この偶然は、零にとっても貴重なタイミングだと思うから。
香ばしく焼けた肉の香りに顔を上げれば、昼食が届けられるタイミング。少し早い食事だけれど、カフェメニューについていれば軽食の部類なので満腹になることもないだろう。
付け合わせの人参グラッセが二つ、可愛らしく鳥の形で型抜きされていて、観智の目が穏やかに細くなる。鳥の足元のコーン達はきっと彼等の食事だろうか。
「分けていただいてしまいますね」
なんて、つい言いたくなってしまうのも仕方ないだろう。
サラダはモーニングとは変わっていて、そのまま食べられるスティックを並べた上にポテトサラダが乗っている。もしかすると、飽きないように違う形にしてくれたのではないだろうか、そう思わせる気遣いだ。
さりげなく周囲を伺ってみる。他の席に運ばれているランチプレートは皆、朝に見た物と同じような。
キッチンから顔をのぞかせていたスタッフと目が合った。そっと口元に人差し指が向かうので、微笑んで会釈を返しておいた。
「……おや?」
ちょうど今入ってきた客に見知った顔を見つける。
「彼女は、あの時の作家さんですね」
子狐さんだったでしょうか。思い出して和やかな気分になるとともに、折角だから話を……等と、思い浮かべて。
ぐぅ。観智の身体が主張する。
「そうですね……あちらもまだいらっしゃるでしょうから」
頼んだ時は早い時間だと思っていたけれど、気付けば丁度よい時間。
まずは腹ごしらえを。その後で、タイミングを計らせてもらいましょうか。
切り分けたハンバーグから旨味たっぷりの肉汁が溢れ出る。トマトベースのソースを絡めて、それでもうまく掬い上げきれないくらい。
見るからにふわふわな丸パンに目を向ける。そのままでも美味しそうだけれど、このソースをつけたら、ぺろりと食べきってしまいそうだ。
珈琲の香りが鼻をくすぐる。豆はお任せにしたけれど、どんなブレンドになっているか、考えるだけでもとても興味深く、楽しい時間が過ごせそうだ。
舌鼓をうちながら、香りを楽しみながら。観智の手が少しずつ、ランチプレートを攻略していく。
温野菜のサラダは野菜本来の甘みが際立つので添えられたディップが無くても美味しく食べられる。
具だくさんのミネストローネは口に入れたら野菜たちがほろりと崩れて、しっかりと煮込まれたのがよくわかる。
ベーグルサンドイッチの具は卵のサラダで、甘い仕上がりかそれとも塩気を利かせたかの味も気になるところ。でもなによりも。丸い本体に小さな丸が二つついて。それが耳のように見えるものだから、これはなんの動物なのだろうと想像がふくれあがっていく。
「……くま?」
わざと定番のどうぶつをあげてみる零の目の前で、ヴェロニカはじっとベーグルを見つめている。
「あ、えっと……先がとがっていたら、子猫とかもできそうね」
ほんのりと、頬が染まっていることに気付いているのだろうか。
焦りを感じていない様子に、少しだけ零の興味が、勝った。
「……子狐も、ね。……でも、これは。ヴェラの分は、狸……」
最後まで言わずとも、ヴェロニカの頬に更に朱が増した。
「ヴェラ。今日、何の日か……知ってる?」
じっと見つめるのも違う気がして、零の視線はカフェの外、人々が行き交う町へと向かった。
零の知るイベントのとおりにカップルが多い気がして。そう言えばこの友人も知っているのだろうかと、そう思っただけなのだけれど。
「え。今日……?」
そもそも何日だったかしら、という呟きが続いて。こてり、首を傾げるようすに前提から違うのだと知ってしまう。
「3月14日、だよ……ホワイトデー……」
「……ぇ」
答え合わせにしては予想外の反応だ。今度は零が首を傾げた。
「どうしましょう、レイ……」
もしかしたら、でも何の準備も。要領をえない呟きがいくつか続いている。
「セーイチ……もしかしたら、来てくれるかしら……?」
「……せんせい?」
確かに匂わせはしたけれど。ここまではっきりと言われるとは思っていなかった。
「その、ね」
こっそりと、大切な宝物を明かすように。お付き合いを始めたことが打ち明けられる。
「……そっか」
驚いたけれど、でも、ゆっくりと息をはいて。
「よかったね、ヴェラ……」
零の表情が綻んでいく。
だって嬉しいのだ。
何時も人の事ばかりで、教師だからとか、自分がそうしたいからだとか。それらしい理由をつけては人に手を差し伸べてばかりで自分の事にはてんで不器用な先生と。
悪意によって心を弄ばれて、沢山の傷を負って。人との触れ合いが怖い筈なのに、それでも立ち向かおうとしたヴェラがこうして手を伸ばして。
どうなるか、どうしてほしいかなんて決まっていたけど、二人の望む形を見守るくらいしか出来なくて、幸せを願うしか出来なくて。
そんな大切な人達が、自分の幸せのためにこうして、互いの手を掴んでくれた。
安心するしか、ないじゃないか。
こちらを見るヴェロニカの視線が少し驚いているようにも見えるけれど。でも、それだけ嬉しかったのだから。
「……ヴェラ」
視線があわさるのを待ってから、伝えたくて。
「せんせいの事、よろしく……ね」
どうか、レイの大切な二人に。幸多からんことを。
「こんにちは、『絵本』のカフェ以来ですか……何か、新作とかはありますか?」
丁度読書を楽しみたい時期でして。そんなタイミングでお会いできるなんて奇遇ですね。そう声をかける観智が零とヴェロニカの様子を伺う。
「あの時お伺いした本は、シリーズものなのだと、後でお聞きしたので」
とはいえ観智もヴェロニカを困らせないようにするつもりだ。いつぞやの真っ赤な彼女の様子は勿論覚えているのだから。
「もう店を出る気ではあるので、少しだけ」
手に取った伝票を軽く振ってそう伝えれば、緊張も少し解けたようで。隣に座る零のサポートを受けながら、ヴェロニカは灰色狼シリーズの新作について、少しずつ語りはじめるのだった。
「随分と話しこんでしまったわね」
楽しいやり取りが途切れたその時に、ふと時計を見て、ぽつり。
「……買い物、レイも手伝うから……いっしょに、行こう?」
馬車はやっぱり必要かもしれないけれど、と伝えれば、少しだけヴェロニカの肩が落ちる。
「……家の中の準備、とか」
片付いていることは知っている。
「え。あ……そうね」
特別な何か、というわけではないけれど。どうせなら身支度をしっかり整える時間は欲しいだろうから。
「お願いしていいかしら、レイ」
「……レイが言ったことだから。ヴェラは、気にしない……ね」
「ええ、ありがとう」
「……お礼は、後で……?」
買い物メモを預かった零は、杖を売っているだろう店の場所を思い出す。折角の機会なのだから、今日、立ち寄って、目の前で選ばせなければと思うのだ。
●
例えば戦闘ならガッチガチの効率重視、茶屋仕事なら東方の衣装をと、場にあわせて服装を変えるけれども。今日の星野 ハナ(ka5852)は仕事でも無いオフの日だからと、少しばかりお洒落に気を使っていた。
シャツは無地。あくまでも清潔感を重視した白は形もシンプルなもの。ボタンを上から二つほど開ける着こなしがポイントだ。
上に羽織るニットは少しだけ春を先取りしたパステルブラウン。花束を思わせる模様編みに透かしが施されている。首まわりは広くあけてデコルテの大きなボタンで留めるタイプなので、肩を覆う白のシャツが陽射しを照り返すとどこか眩しく見えた。
ボトムは七分丈のスキニーパンツをチョイス。甘すぎないミントカラーだがパステル寄りで目にも優しい。春は近く、けれどまだ肌寒さを示すように今の季節を体現している。これも無地でシンプルだが裾を折り返すことでアクセントになっている。
足元は靴との接触を避けるだけの靴下を履いて、靴も昨日より女性らしさを意識したローヒールのパンプス。必然的に一部だけさらされる脚の肌色はきっと異性の目を惹きつける。
仕上げは服に反して甘さを最重要視した鞄だ、大きめのリボンは全体的にすっきりまとめた服達にシフォンのようなヴェールをかける。持ち手に付けられたスカーフと同柄のリボンで髪を結い、少しだけ毛先を巻けば今日のハナの完成だ。
これで少しばかり? そう思う者はいるかもしれないが、事実である。
ハナの本気のおしゃれはもっと甘さを重視するし、もっと言えば特定の誰かの好みに合うように、と色々と思考錯誤を重ねた結果で仕上げられるので、その都度全く別のものになるのだ。
だからこれはちょっとしたお出かけ向きのコーデ。コンセプトは読書女子である。
伊達眼鏡があればきっと迷わず装着していたに違いない。
「すみませーん、今度はこのトリオベリータルトとカフェモカお願いしますぅ」
読んでいた小説の章がまた一つ終わり、一息入れようとしたところでテーブルには飲みかけのカプチーノしか残っていない。ならばと次のケーキを頼むのは必然だと、スタッフの中でも一番体つきが良さそうな者が近くに着たタイミングを見計らうハナ。
ちなみにカプチーノと一緒に頼んでいたのはベイクドチーズケーキだった。ほどほどに腹にたまるケーキだと思うのだが、ハナは全く気にしてない。
今頼んだタルトだってケーキカウントで既に四個目なのだ。店のスイーツ系メニューと飲み物は全て網羅する気で挑んでいるのだから、これは当然の状況ということらしい。
デザートタイムからずっと、ハナはひとり席を占領し続けている。勿論、顔を上げればお目当てのスタッフが存分に見られる方角になるよう、椅子の調整は完璧だ。
とはいえ、別に茶屋の今後のレシピの参考にするために来ただとか、スタッフを眺めて目の保養に来ただとか、恋人達の様子を見て決意を新たにするだとか、そんな理由でここに訪れたのではなかった。
再び小説に視線を落として、この章で一番に心に届いた描写を視線でなぞる。ほぅ、とため息が零れた。
「……久しぶりにおねぇさまの新作堪能できてますぅ」
目を閉じるとその情景が浮かんでくる程で、ハナの頬はうっすらと、春色に染まっている。
「ああ、でもまだこの後にもう一度くらいは盛り上がりが待ってるのがわかりますぅ、早く読んでしまいたくもあり、じっくりと思い返しながら?み砕いてみたくもあり……流石、おねぇさまですぅ」
恋する乙女にも見える、とろんとした眼差しが小説に向けられる。それは勿論著者に対してのものではない。
著者である某女史とはあくまでも、とあるジャンルの本を執筆し献本しあう仲である。互いの創作に切磋琢磨し、互いの傑作を贈りあうことで刺激を受けてまた新しい創作に立ち向かう……ハナとしては、同族意識を持ち、そして女史のつくりだす世界に尊敬を覚えている、そんな仲なのである。
繰り返すが、今日のコンセプトは読書女子である。
ハナの持つ小説が、BL本だったとしても。
「今日も無事に終わって良かった」
毎日オフィスに通い、作戦が纏まれば現地に文字通り飛んでいく。そんな日々を当たり前のように繰り返している鞍馬 真(ka5819)ではあるが、今日は少しだけ、何かが違ったのかもしれない。
「……ん」
甘い香りに視線をめぐらせて、カフェを見つけた真は今の時間を思い出した。
「そういえば、昼食は……どうだったかな?」
仕事中に軽いものを摘んだような気もするし、オフィスへの完了報告の時に何か出されたような気がしないでもない。
つまり、あまり覚えていないということだ。
「夕食には早いし、三時のおやつにも……まあ、遅いよね」
食事の類は帰宅後に、相棒達の手伝いを受けながら作るのも真にとって日々の大切な日課だ。
けれど今、香りに誘われたということは。空腹を感じていると、そういうことなのだろう。
「休憩程度ならいいかな」
軽食と紅茶程度なら、食事に影響も出ないだろう。そう思って、扉を潜ることにする。
食べやすい細さの麺にはフルーツビネガーを使ったマリネ液が絡められている。薄切りの胡瓜に玉葱、パプリカは予めしっかりとマリネ液につけてあったようで、しっかりと味が染みこんでいた。それらを和えた上から、生ハムの花が添えられ、各種ベビーリーフが散らされている。
新鮮なサラダと一緒に食べるパスタ、という言葉につられて頼んだそれは、メニューに書かれた説明に比べると量が多いようにも見える。
「野菜だからさらっと食べられる、ということかな」
試しに一口。甘味を含んだ酸味が喉をするりと通り抜けていく。口当たりは本当に軽くて、はじめの印象はすぐに覆された。
鼻に抜ける香りもきついものではなく、むしろ優しいものだ。時折紅茶の香りで口の中をリセットしながら食べすすめていく。
「……?」
皿の中はもう、あと少しだけ。それでやっと真の意識が周囲へと向いた。
カップルが多いな、とは感じていたけれど。
過ぎて空腹を感じるのも鈍くなっていた身体に栄養が巡ったからか思考が巡りやすくなる。
オフィスで記入した日付を思い出す。3月14日……ホワイトデーか。
「私もお返しを作らないとなあ……」
既に夕方ではあるのだけれど。今日のうちなら材料も揃えられるだろうか。
渡しに行くのは明日からでもいいかもしれない。
部屋で待ってくれている皆も食べられるものにするのも楽しいかもしれない。夕食だけじゃなくて、お菓子も、一緒に。
「……なら、食べてすぐ買い物に向かうべきかな」
残り少しを頬張って、けれど慌てないようにしっかりと咀嚼する。
最後まで美味しく食べられた。日々の食事が美味しいのはきっと、幸せなことなのだろうと、そう思うようにして。
夕食の材料は何があっただろうか。今自分は少し食べてしまっているし。お菓子の味見もするだろう。全体的に少なめに、甘いものを食べるのに邪魔しないように……
「……ん……」
どうしたんだろう。周りにいるはずの人達の声が、うまく聞き取れない、ような。
そう考えるほど、視界も狭くなっている、ようで。
世界が揺れているのに、不思議と、不安は感じない。
お腹が満たされて。働、続けた疲労もあって、和やかな周りの音は、幸せそうな声、ばかり……だ……
静かで、規則ただいい寝息が続く。
自分自身で認識しているより、疲れていたから。
……こくっ。
「……シン?」
つん。
なんだろう、どこか、くすぐったい。
くふふと笑い声が零れてしまう。
「……起きたのか」
だれだろう、ききおぼえはあるけれど。ちがうんだ、まだねむいんだ。
意識がまた、奥底に沈んでいこうとしている。
「違うのか」
はぁ。
そうだよ、だってつかれたから。やすみがひつようなんだ。
反論しているつもりだけど、効果が出ている気がしない。
「寝惚けているな……」
ちがうよ、ねむいだけ。ごはんはたべたし、かぜがきもちいい。
素敵な時間だと、言いたくて。
「このままでは風を引くぞ、シン」
そういえば、あなたはだあれ?
この声は?
「……家族が待っているのではないのか」
かぞく、は、えっと……
家族。私の、鞍馬真の。
「……ッ!?」
滝を掛けあがるかのように強引に。意識を夢の世界から現世へと戻す。
待って、私は今何をしていた? 何を、言って……寝て、いた?
ずっと頭を支えていた腕が痛い。手のひらが赤い。けれど何よりも、目の前にいるのは……
「ディーノ、さんっ……!?」
なぜここに? 悲鳴のような声は幸いにも擦れて、周囲の視線を集めなかった。
「……起きたか」
安堵の色が声音に含まれている。
幸か不幸か、真の脳裏に先ほどの寝惚けた思考が、記憶が、徐々に戻ってきていた。
どうしてこんな記憶ばかり鮮明に覚えていられるんだ、私の身体!?
「いえ、起き、確かに、そうだけど……ッ」
まともな言葉が出てこない。
ディーノは落ち着くのを待ってくれている。
状況と記憶は真実を示しているのだが、頭と体が素直に納得できていない。
無意味に座りなおしたり、咳ばらいをしてみたり。間を持たせようとして空ぶる、典型的な仕草ばかり繰り返してしまう。
「そんなに疲れてたっけ……?」
まともな言葉としてこぼれたのは、そんな呟きだった。
「そう言う者ほど、自覚がないんだ」
「そう、なのかな」
確かに今日は少しばかり食事をおろそかにしたけれど。それを言うと、目の前のこの人は更に心配するだろうから口にしないように気を付ける。
「気を付けろ、と言うだけで治るとも思えないが」
「……いえ、気を付けます」
肩を落としそうなほどに沈んだ声が出てしまった。
「とりあえず、眠気覚ましの珈琲でも。ディーノさんもそれでいいかな」
知人だから、と合席を選んだのだろう彼に確認をとって。頷きに安堵しながらスタッフを呼ぶ。
起こして貰った礼として、ここの会計は任せてもらおうと決めておく。
「それで、どうしてここに?」
眠ってしまっていた時間は、そう長いものではなかったらしい。窓から見える空色を確認した真は、改めて話題の糸口を探し始める。
休日……では、無いし。穏やかなめぐりあわせでもなかったけれど。
こうして、二人。尊敬を向けるこの人と、穏やかな時間を過ごしてみたいと、そう思ったのだ。
ディーノの持つ荷物を見るに、買い出しの帰りかな、なんて予想を立てながら。
「……いや」
「もしかして、わざわざ私の為に、寄り道させてしまった、とか……」
「……」
その沈黙は肯定ということだろう。
「ディーノさん、コーヒーだけじゃなく、何か食べ物も……っ、お礼もだけど、手間をかけた詫びも」
「大したことはしていない」
「それでは私の気が……」
「なら、さっき頼んだ珈琲で十分だ」
差し出したメニュー表がゆっくりと押し戻される。
「じゃあ、せめて飲み終わるまでは、私の休憩に付き合って……珈琲の、ついでに?」
「おやぁ、そろそろ夕食の時間でしたかぁ」
ひとしきり耽美な表現に溺れ、創作の種を脳裏にメモし、また妄想の引き出しを増やす。
気付けば今日のカフェに並んでいるケーキで注文していないものもあと一種類、飲み物は二種類だろうか。
「そうですねぇ……ならお食事も頼んでしまいますかぁ、すみませーん」
カフェ特製のサンドイッチとハーブティーのセット、苺モンブランには抹茶オレをセットに。これでメニューを網羅するという目的も達成だ。
「最後ですしぃ、届いたら、それを分け合って食べる二人、なんていうのも……きゃっ」
小説の中では、まさにメインの登場人物二人が互いの想いを伝え愛を交わした頃合いだったりする。
「想いが通じずすれ違ってばかりのタイミングもいいですがぁ、愛溢れる2人の雰囲気目いっぱいで食べさせ合うのも捨てがたいですぅ」
エピローグ部分の幸せな物語に、ほんの少しの妄想を添えて。より深い愛の形を脳内で作り上げることの何と崇高なことか。
「カフェはデートの定番ですしねぇ」
実は店内に訪れるカップルの様子もしっかりチェックしていたハナである。この後妄想に最大限活用される予定だ。
「ケーキも美味しかったし大満足ですぅ」
まだ届いていない分を楽しみに待ちながら、ほぅ、と物憂げな溜息が零れた。
「やっぱりこういう本を読む時はシチュエーションが大事ですぅ」
最終確認で繰り返すが、今日のコンセプトは読書女子である。
おねぇさま、つまり敬愛する女史の本をよりよい環境で堪能するために、ハナは今日を費やしていたのだ。
スイーツも、ドリンクも、サンドイッチも。全てはBLを最高の環境で堪能するために費やされたのだ。
「静かな環境、美味しいケーキにお茶……ハイティー嗜むお嬢様になった気分ですぅ」
外見だけは確かに、ハナの考える通りお嬢様だ。
一度しっかり背伸びして、座りなおす姿はクール系お嬢様に見えないこともない。
「さぁ、あともう少しですねぇ」
スタッフの運んでくるサンドイッチを、にこにこと満面の笑みで迎え入れた。
●
玄関扉が響かせる、軽いノックの音。
「……!」
緊張で、少しだけ身をすくませた子狐のことを、訪れた狸は気付かない。
「ヴェラー、いるか?」
すぐに神代 誠一(ka2086)の穏やかな声が聞こえて。ヴェロニカの肩から少し、力が抜ける。
「開いて……」
つい、そう答えそうになってから、そうじゃないと思い出す。親友が、去り際に何度も確認してくれたことでもある。
「今、開けるわね」
言いながら、髪が跳ねていないか、襟が乱れていないか。身なりをさりげなくチェックして、玄関扉の前に立った。
すぅ、はぁ。
小さく、深呼吸をして。
カチッ……カチャリ。
「ヴェラ、ばんわ」
優しい夜の闇を背にした彼が、笑顔でこちらを見てくれる。
「……いらっしゃい、セーイチ」
「ずいぶんと遅い時間になってしまったけど、大丈夫か?」
恋人になった、とはいえ、まだ互いに互いとの距離感を掴めていないのだ。
この時間なら家に居るだろうと、そんな目星をつけてきたのだけれど。
静かなこの時間に訪れるのは、やはり気が早かっただろうかと、そんな不安も確かにあるのだ。
「大丈夫よ。わたしがセーイチを追い返すわけないじゃない」
すぐに道を譲られて、奥へどうぞと示される。
「少し肌寒くはなかったかしら、今お茶を淹れるから」
セーイチブレンドはまだあるから、と続いて。
「いや、勝手に来たのはこっちなんだから、気にしないでいい、それより」
「……? セーイチ?」
言葉を止めて、続きを言うべきか迷う。不自然な会話の途切れに、キッチンに向かおうとしていたヴェロニカの足が止まった。
「どうしたの、疲れているなら、余計に休んでいくべきだわ」
お茶くらいなんてことないのに。少し頬を膨らましかける彼女。
ああ、やはり今日が何の日か、気付いていないのか。
「別に、仕事帰りじゃないさ」
だから疲れているわけじゃないのだと告げる。今日はホワイトデーだから。ヴェロニカに会いに来ようとして。
そのタイミングをいつにするか、迷って、悩んで……それでこの時間になっただけ。
「なのに、いつもどおりなんだもんなあ」
「……あら、セーイチは何が不満なの?」
言ってくれなくちゃわからないわと、今度こそ頬が膨らんだ。
焼けた餅を突きたい衝動もあるけれど、今はまだ、自分から手を伸ばす段階ではない。
「ヴェーラ。今日、何日か知ってる?」
揶揄うつもりの誠一だったけれど。自然と、拗ねた声になってしまった。
「その言葉、昼にも……」
「昼?」
出掛けたのか、と尋ねようとして。けれど急に俯いたヴェロニカの表情が見えずに、覗き込む。
「わ……わかって、いるのよ?」
僅かに潤んだ瞳が誠一を見つめる。
「レイにも、言われて……あっ」
慌てたのか、頬の餅はなくなってしまったけれど。かわりに朱く染まっている。
そして今日あったことらしい、零れ堕ちた言葉の方が気になってしまうというものだ。
「零に会ったのか……ん?」
尋ねた後の言葉。そして、今、照れたような様子。
少なくとも、今朝は。今日というイベントを忘れていたことは確実みたいだけれど……もしかすると。
「ヴェラ、俺が今日ここに来ること……わかってた?」
「……少し」
「そっか、なら話は早いな?」
お返し、ちゃんとするって言っただろ?
隣り合って二人、ソファに腰かける。
改まって示されたことに照れがあるのか、頬の赤味が引かないヴェロニカの様子に、誠一にも緊張が走る。
けれどせっかく準備したのだ、失敗するわけにはいかない。
「手、出してくれるか?」
「……これでいい?」
「いんや、両方がいいかな」
片手だけではきっと取り落としてしまう。だから誠一はヴェロニカの両手で作られた小さな皿を望む。
その手に絵の具がついていないことに気が付いて。本当に待ってくれていたらしいと分かり、つい、口元が緩む。
気付かれないように、内心だけで喜びを叫んで……ぽん、と。綺麗に梱包された包みを乗せた。
「お返し。何にしようか、あれからずっと迷ってたんだけど」
わざと別の紙袋に入れて誤魔化してまで運んだのは、包み紙からしてプレゼントだと、すぐに分かってしまうからだ。
「開けてもいいかしら?」
嬉しそうに訪ねてくる、その声音にも喜色が感じられて。
「まだ見てないのに、気が早くないか?」
つい笑い声が零れてしまう。
「セーイチなら、私の事を考えて選んでくれるって、信じているもの」
「……そ、そうか」
リボンが解かれ、包みが少しずつ剥がされて。その全容が明かされていく。
こんがり焼けたパンのように、柔らかな狐色が多くを占めている。太いベルトには外れにくいようにしっかりした金具が使われているが、飾り文様が刻まれているおかげで武骨さを感じない。
ふわふわの手触りをした蓋を開ければ、確りと閉じられるように工夫されたポケットを含む、手道具がしまえそうなポーチ全体が見て取れた。
手に持たなくても、簡単に、普段使いの道具たちが運べるように。腰にベルトを回して身につけるポーチだ。
外に付けられたいくつかタグも、それだけでは何の役にも立たないけれど。金具を足せば何かしらぶら下げることができるようになるはずだ。
実際に、今は別の輪が繋がれていて。そこには小さな緑の石を四つ嵌めこんだ、翼モチーフのチャームが揺れている。
部品やポケット、金具に至るまで丁寧に確認していく様子に、どこか緊張してしまうのは仕方ない。
互いの要素を入れ過ぎたとは思ったけれど。迷いながら探す中で、一目でこれしかないと、巡りあってしまったのだ。
「……ありがとう」
ゆっくりと、噛みしめるように。ヴェロニカの声が聞こえる。
「大事にするわ。絶対、長く、一緒に……大切に、使わせてもらう」
「ん。なら俺も、嬉しいや」
そっと、ヴェロニカが気付けるようにゆっくりと手を伸ばす。
触れたいと望んでいた頬に、人差し指の背で軽く、擦る。
「くすぐったいわ」
微笑む彼女はそのまま、ポーチを抱きしめたまま隣に居てくれる。
「さっき、餅が焼けていたからさ?」
「もう、そんなはずないんだから」
「ほら今も」
「えっ」
「冗談」
戯れに逃げるように身をよじる彼女の、髪に触れる。ふわふわの毛が誠一の手を擽る。
「そういうヴェラこそ、仕返しするなんてな?」
「わざとじゃ」
髪を抑えようとあがった手に、今度は親指の腹で触れた。
「……セーイチ、さっきから」
「だってなあ、せっかく子狐を独り占めしているんだ」
「そんなこというなら」
ぽすん。
「ん、何を」
ポーチがソファに置かれた、軽い音。そこに気をひかれたせいで、反応が遅れた。
「……ッ!!」
痛い!
悲鳴は奇跡的に堪えられた。
あくまでもヴェロニカの身体を受けとめた衝撃のようにみせかける。幸い、彼女は自分の胸の中、腕の中に収まってくれるから。
怪我が治っていない、なんて今、気付かれるわけにはいかないだろう。
「わたしだって。独り占め、するんだから……」
顔を見せないようにしているのか、くぐもった声がすぐ真下から聞こえてくる。
ゆっくりと、ヴェロニカにもわかるように、彼女の背に腕を回していく。
首まで赤くなっている子狐は、狸にその赤味を移して。
二人の世界はしばらく、続いたのでした。
(代筆:石田まきば)
「……本当に、どうしましょうか」
結局、その呟きは零れ落ちてしまった。
なるべくならその言葉を、自分自身が手持無沙汰だということを明確に意識しないようにしていたのだけれど。
せめて溜息が零れ落ちてしまわないようにと、目の前のグラスを口元に運ぶ。
良く冷えたフレッシュジュースが鳳城 錬介(ka6053)の喉を滑り落ちていく。
目が覚めるような爽やかな酸味。だからこそモーニングに相応しいのだろう。その刺激が脳まで辿り着いて、何か面白い、今まさに求めている有益な閃きが降りてくればいいのに。
「お返しの倍率に見合っているのかはわかりませんけど、お菓子は全て作ってしまいましたし、困りましたね」
頂いたチョコレートがどんなものであろうと、錬介はすべて手作りで返すことにしている。料理が好きだからこそ、作る過程を楽しめるというのが一番の理由だ。その上で相手に喜んでもらえて、美味しいが勿論一番ではあるが、何か次につながる感想を貰えたらより嬉しくなれる。
作りやすさもあって回数も重ねたクッキーは、もう作り慣れていることもあって口どけもやさしくできたと思う。はじめこそ試行錯誤を繰り返したレシピも今ではメモを見返さなくたって分量を諳んじられるほどだ。
ドーナツは一口サイズになるように気を付けた。クッキーの型を使ったので全体としても可愛らしいものになったと思う。粉砂糖をまぶして、チョコレートがけに砕いた木の実をまぶしたり。変わり種として小さな絞り袋で顔を描いてみたりもした。
勿論チョコレートだって手をくわえている。製菓用のチョコレートのテンパリングもお手の物だ。クッキーやドーナツに使うだけではなく、一口サイズのドライフルーツを潜らせてほろ苦かったり、刺激的な酸味に甘さをくわえて食べやすい物へ。柑橘類の皮を砂糖漬けにしたところから手掛けた者は特に美味しくできたと思う。
パンから作ったラスクは、生地に混ぜ込んだ干しブドウの具合も良好で満足の行くサクサク感が出せたと思う。何よりパンの練習にもなったのでとても有意義な時間だった。食感が変わるのが楽しくて、せっかく作ったパンを全てラスクにしてしまったけれど。
「日持ちしますしいいですよね」
色々と作ってはいるが、特に錬介が力を入れた、というよりも楽しんだのはバームクーヘンだったりする。薄く焼いて、巻きつけて、また薄く焼いて……少しずつ大きくなっていくケーキを育てる時間はなんだか永遠に繰り返していられそうだった。生地がなくなってしまった時、とても残念に思ったものだ。
一通り思い出したところで、はっとする。ホワイトデーのお返しそのものはもう作り終わったというのに。ついついその成果だとか、今後改良すべき点だとか。思考に耽ってしまうのは悪……くはないはずだが、偶には違うことを考えてもいいと思うのだ。
「思えば、あまり休んだことはありませんでしたね……」
そもそも今日は一日何も予定のない、完全な休日となったのである。ハンターとしての仕事は都合のつくものが見つからなくて。いつもなら屋台修行にと繰り出すところなのだけれど、ここ最近はずっとホワイトデーのお返しを作るために時間を割いていたので、休んでもいいかなと思ったのだ。
折角の休みだからと、いつもならすぐに取り掛かる朝食の支度も行わず、全て誰か他の人が手掛けたものを、と思って出てきたのだ。
しかし蓋を開けてみれば、モーニングを前にしているというのに、最近の自分を振り返っているような。仕事のことではなくプライベートの事、という扱いではあるけれど。
「これは作ってくれた人に申し訳ありませんね」
改めて目の前のプレートに向き合う錬介。
ふんわりと焼き上げられたパンケーキの上には、バターの香る葉物野菜とハムが重なり、頂点には見事な半熟に焼き上げられた目玉焼き。
添えられている生野菜も新鮮だと分かるものばかり。ドレッシングもあるけれど、かける前にそのまま食べるのもいいかもしれない。
「甘くないケーキ、と聞くと不思議な気がしますけど。こうして食べるとわかりますね」
興味本位で頼んだメニューに舌鼓をうちはじめる。
目玉焼きじゃなくてもオムレツや、それこそスクランブルエッグの半熟でも美味しそうだ。
ハムは形が揃っているし盛付けも整うけど、しっかり食べたいときにソーセージも合いそうだ。
もっと他の野菜を足してもいいかもしれない。むしろサラダも一緒に食べてみるとか。パンケーキには甘味がくわえられていないようだから、さっぱりと食べられる……パンケーキサンドも面白そうだ。
ここにクリームチーズがあれば一層……
「……ははっ」
食べ進めていたはずの錬介の手、ナイフで切り分ける役割を終えた方の手が、今は書くものを求めて彷徨っている。それに気づいてつい笑いが漏れてしまった。
「何かしていないと落ち着かないとは……いえ、これは趣味だから……言い訳ですね」
もしや自分は、休み方が下手なのでは?
それだけ料理が好きだという証明なのかもしれないけれど。これは少し、身体に覚え込ませ過ぎているような気がしないでもなく。
休日だと頭では認識できている筈なのに、無意識に手が動いているあたりもうどうしようもない、ような。
「……気が付いてはいけないものに気が付いた気分です」
のんびりとした休み、という言葉が自分の辞書にないと知った瞬間でもある。
「せっかくの休日ですし、楽しく過ごしたいですが……」
料理が最も楽しいと、測らずしも明確に示している自分に苦笑いが漏れる。
溜息ほど対応に困りはしないけれど。とろりとした半熟の卵ソースのかかったパンケーキをもう一口、ぱくり。
「うーん、おいしいですね」
食べ終わった後はさて、どこに行こうか。
意識していても料理のことが気になってしまうなら、いっそいろいろな店を回ってみるというのもよいのでは?
少なくとも、家を出る時に自分に課したのは、料理をしないというその一点だけなのだ。
「作りたくなってしまうのは、わかっていますが」
今だってこのパンケーキに近いものを再現したくてたまらない、そんな気だってしているけれど。
「それも修行の一環だと思えば……?」
その発想もすでに休暇らしいものではないとわかってはいるけれど。精神的な無理をして休みを満喫するなんて、その言葉からして無駄に疲れてしまいそうだ。
屋台に来てくれたお客さんから集めた、様々な店の情報もまだ確認していないものが多いな、なんて思いだしたのも大きい。
そうだ、今日は店巡りをしよう。自分が楽しめるのが一番だ。
「そう考えたら、気も楽になってきました」
急いで次にいきたい気もするけれど、まだモーニングは残っている。
一度止っていた手が再び、錬介の口にパンケーキを運んでいく。
「きちんと最後まで、堪能させていただきましょう」
あっ、冷めても美味しい。
これは怪我の功名ですね、なんて呟きが続いていった。
●
窓からは十分に明るい日差しが入り込んでいるが、しかし視界を照らし過ぎることもない。
春の香りを忍ばせながらもまだ肌寒さを残している今日は、昼が近くなるほどに過ごしやすい気候になっていく。
持ち込んだ本に記された記述を思うままに追いかける天央 観智(ka0896)の手が、テーブルのカップに伸びて……空をきった。
「おや、空になっていましたか」
気付いた店員が下げたらしい、読書に集中し過ぎて気付かなかったということだろう。
先ほどまで飲んでいたものはなんだっただろうかと振り返る。程よく温められたミルクココアはじんわりと身体に浸透していく甘味がとても心地よいものだった。
何より提供されたその時から飲めるというのがいい。観智は猫舌というわけではないが、今のように読書の傍らで飲食をする、となるとつい温度確認などがおろそかになってしまうので。
開いていた本に栞を挟んで一度横に置く。メニューを改めて開いて、次に頼むべきものを物色し始める。
「モーニングも……楽しめましたし」
シンプルなトーストに茹で卵、付け合わせのハムと葉物野菜の炒めものはバターの香りが芳しいものだった。
ちらりと周囲を伺ったところ、メインに選んだものにあわせて卵の調理法が変わるらしい。材料は同じでも、提供の仕方が違うだけで随分と様子が変わるのが面白くてつい視線を巡らせてしまっていた。
ちらりとカウンターの方を見れば、スタッフがこちらを伺っている。きっと次に顔を上げる時にはすぐ傍まで来ているはずだ。
観智は既にこのカフェで長時間過ごしていた。
端の方のひとり席は店内であまり目立つこともなかった。ホワイトデーが関係しているのか、訪れる客は大半が恋人同士のようで。誰にも使われないよりこうして利用されている方がいいということでもあるようだ。
それに観智は頼んだものが途切れる度に追加注文を行っているので、俗物的な話ではあるが売り上げにも貢献している上客扱いとなっていた。
モーニングの時は、フレッシュな野菜ジュースで意識をしゃっきりさせて爽やかな気持ちで本を開いた。
ブランチの頃合いで頼んだのは先ほど思い出したミルクココアで、お供はミルクレープ。甘すぎないクリームとシンプルに、けれど均等に焼き上げられたクレープの層がどこまでも続くのが面白くなって、一口分ずつフォークで切り取る度に目を細めてしまっていた。
「そろそろ、お昼……ですか」
店内は思っていた以上に静かだ。恋人達はそう騒がしくするものでもないし、其々が自分達の世界に入り込んでいるから周囲に視線を散らからせることもない。
「こういう、静かな日は良いですね……」
慌ただしく過ごすのもそれはそれで充実感があるけれど。メリハリというものは大事だと思う。
今こうして読書を満喫するように、好きだと思うことに思いきり時間を費やすというのは……心の平穏をもたらしてくれる。
やっぱり安寧が一番。
興味を満たす為ならばと戦いに出もするが、こうして心穏やかに知識をむさぼる時間に安堵を感じてしまう。
「ハンバーグプレートと、飲み物は……そうですね、珈琲をお願いします」
目の合ったスタッフにそう告げたのは、空腹を感じたから。
運動せずとも、思考を巡らせるだけでもエネルギーは消費している。
特に観智はただ本を読むだけではない。
文章を追い、その言葉ひとつひとつの検証をして。
読み終えた自分の脳内で、己に分かりやすく組み直すための試行錯誤を繰り返して。
自分が納得すると確認をして、誰かに話すシミュレーションを重ねて。
それでやっと、記憶に刻むのだ。
ただ静かに読んでいるだけのように見えて、眼鏡の奥、見えない場所では様々な情報が目まぐるしく動き回っている。
あの飴色は。そう思って少し目を凝らせば、確かに思った通りの人物。籠バッグに買い物だろうと目星をつけたはいいが、もうひとつ。どう見てもおしゃれな杖には見えない自然のままの……見覚えのありすぎる木の枝に呆れるしかなさそうだ。
「ヴェラ」
「……レイ?」
振り返る様子はいつものように無防備で、警戒心なんてものがない。浅緋 零(ka4710)の姿を見つけてほわりと笑みを浮かべる様子は微笑ましいとそう言えるものだけれど。
年上相手に思うことではない、かもしれない。年齢は関係なく、親しくしている友人だから構わないと、お互いそう思っているのだけれど。
じとり。杖と呼ぶにはお粗末な木の枝に呆れた視線を向け続けていれば、気まずげに視線がそらされた。
「忙し、かったの……」
ぎこちなく答える様子には、厳しめのチェックが必要だと感じさせるものがあって。
「……そんなに、時間がなかったの」
はっきりと尋ねれば、ゆっくりと頷きが返された。
やっぱり。という呟きはヴェロニカがぴくりと震えることで止まる。
「……買い物、でいいのかな」
籠バックの中は随分と膨らんでいるように感じる。そういう零もまた、手ずから作り上げた布製の鞄を持っている。そろそろ春色の小物を作ろうかと、端切れや糸を選んで。そこから作れそうなものを想像するところまでは一通り終えていたのだけれど。
この友人は、ヴェロニカは用を無事に済ませられたのだろうか。
「軽いものは、あらかた終わったわ」
「……まだ、あるの」
零の視線が呆れた物に戻りそうになって。
「重いものは、後にしようと思って」
これからルーチェのフードを買いに行くところだと続くのだ。
「……他は?」
呆れた視線はひっこめているし、首を傾げる零の視線はヴェロニカのそれよりも低い所にある。けれど逆らえないものを感じたヴェロニカはそっと買い物リストを差し出した。
「……ヴェラ、これ。昼までには終わらない……よ」
「やっぱり、そうかしら」
うぅ。と小さな唸り声に自覚があることも伝わってくる。空を仰げば、陽も高い場所に昇っていた。
「……それに、もうすぐ……お昼。どうする、つもり……?」
「途中で、食べやすいものを買って食べる……とか」
確かにリストには食料品も買いに行く予定が書かれているし、この道の先に行けば広場もあって屋台もあるだろう。
「……両手、ふさがるのに?」
「馬車を頼む事も、考えて」
「……」
「……うぅ」
ただでさえ、このヴェロニカという友人は食事をおろそかにしやすいのだ。
だから零は友人として、心配する者として、一つの提案を唇にのせた。
「……まずはいっしょに、お昼、食べよう」
ほんの目と鼻の先丁度近くにあるカフェを指さすのは、きっと必然なのだろう。
しっかりとした食事をとらせることは勿論だけど……歩き通しだろう友人の身体を休める為と、久しぶりの友人との語らいの時間を求めて。
この偶然は、零にとっても貴重なタイミングだと思うから。
香ばしく焼けた肉の香りに顔を上げれば、昼食が届けられるタイミング。少し早い食事だけれど、カフェメニューについていれば軽食の部類なので満腹になることもないだろう。
付け合わせの人参グラッセが二つ、可愛らしく鳥の形で型抜きされていて、観智の目が穏やかに細くなる。鳥の足元のコーン達はきっと彼等の食事だろうか。
「分けていただいてしまいますね」
なんて、つい言いたくなってしまうのも仕方ないだろう。
サラダはモーニングとは変わっていて、そのまま食べられるスティックを並べた上にポテトサラダが乗っている。もしかすると、飽きないように違う形にしてくれたのではないだろうか、そう思わせる気遣いだ。
さりげなく周囲を伺ってみる。他の席に運ばれているランチプレートは皆、朝に見た物と同じような。
キッチンから顔をのぞかせていたスタッフと目が合った。そっと口元に人差し指が向かうので、微笑んで会釈を返しておいた。
「……おや?」
ちょうど今入ってきた客に見知った顔を見つける。
「彼女は、あの時の作家さんですね」
子狐さんだったでしょうか。思い出して和やかな気分になるとともに、折角だから話を……等と、思い浮かべて。
ぐぅ。観智の身体が主張する。
「そうですね……あちらもまだいらっしゃるでしょうから」
頼んだ時は早い時間だと思っていたけれど、気付けば丁度よい時間。
まずは腹ごしらえを。その後で、タイミングを計らせてもらいましょうか。
切り分けたハンバーグから旨味たっぷりの肉汁が溢れ出る。トマトベースのソースを絡めて、それでもうまく掬い上げきれないくらい。
見るからにふわふわな丸パンに目を向ける。そのままでも美味しそうだけれど、このソースをつけたら、ぺろりと食べきってしまいそうだ。
珈琲の香りが鼻をくすぐる。豆はお任せにしたけれど、どんなブレンドになっているか、考えるだけでもとても興味深く、楽しい時間が過ごせそうだ。
舌鼓をうちながら、香りを楽しみながら。観智の手が少しずつ、ランチプレートを攻略していく。
温野菜のサラダは野菜本来の甘みが際立つので添えられたディップが無くても美味しく食べられる。
具だくさんのミネストローネは口に入れたら野菜たちがほろりと崩れて、しっかりと煮込まれたのがよくわかる。
ベーグルサンドイッチの具は卵のサラダで、甘い仕上がりかそれとも塩気を利かせたかの味も気になるところ。でもなによりも。丸い本体に小さな丸が二つついて。それが耳のように見えるものだから、これはなんの動物なのだろうと想像がふくれあがっていく。
「……くま?」
わざと定番のどうぶつをあげてみる零の目の前で、ヴェロニカはじっとベーグルを見つめている。
「あ、えっと……先がとがっていたら、子猫とかもできそうね」
ほんのりと、頬が染まっていることに気付いているのだろうか。
焦りを感じていない様子に、少しだけ零の興味が、勝った。
「……子狐も、ね。……でも、これは。ヴェラの分は、狸……」
最後まで言わずとも、ヴェロニカの頬に更に朱が増した。
「ヴェラ。今日、何の日か……知ってる?」
じっと見つめるのも違う気がして、零の視線はカフェの外、人々が行き交う町へと向かった。
零の知るイベントのとおりにカップルが多い気がして。そう言えばこの友人も知っているのだろうかと、そう思っただけなのだけれど。
「え。今日……?」
そもそも何日だったかしら、という呟きが続いて。こてり、首を傾げるようすに前提から違うのだと知ってしまう。
「3月14日、だよ……ホワイトデー……」
「……ぇ」
答え合わせにしては予想外の反応だ。今度は零が首を傾げた。
「どうしましょう、レイ……」
もしかしたら、でも何の準備も。要領をえない呟きがいくつか続いている。
「セーイチ……もしかしたら、来てくれるかしら……?」
「……せんせい?」
確かに匂わせはしたけれど。ここまではっきりと言われるとは思っていなかった。
「その、ね」
こっそりと、大切な宝物を明かすように。お付き合いを始めたことが打ち明けられる。
「……そっか」
驚いたけれど、でも、ゆっくりと息をはいて。
「よかったね、ヴェラ……」
零の表情が綻んでいく。
だって嬉しいのだ。
何時も人の事ばかりで、教師だからとか、自分がそうしたいからだとか。それらしい理由をつけては人に手を差し伸べてばかりで自分の事にはてんで不器用な先生と。
悪意によって心を弄ばれて、沢山の傷を負って。人との触れ合いが怖い筈なのに、それでも立ち向かおうとしたヴェラがこうして手を伸ばして。
どうなるか、どうしてほしいかなんて決まっていたけど、二人の望む形を見守るくらいしか出来なくて、幸せを願うしか出来なくて。
そんな大切な人達が、自分の幸せのためにこうして、互いの手を掴んでくれた。
安心するしか、ないじゃないか。
こちらを見るヴェロニカの視線が少し驚いているようにも見えるけれど。でも、それだけ嬉しかったのだから。
「……ヴェラ」
視線があわさるのを待ってから、伝えたくて。
「せんせいの事、よろしく……ね」
どうか、レイの大切な二人に。幸多からんことを。
「こんにちは、『絵本』のカフェ以来ですか……何か、新作とかはありますか?」
丁度読書を楽しみたい時期でして。そんなタイミングでお会いできるなんて奇遇ですね。そう声をかける観智が零とヴェロニカの様子を伺う。
「あの時お伺いした本は、シリーズものなのだと、後でお聞きしたので」
とはいえ観智もヴェロニカを困らせないようにするつもりだ。いつぞやの真っ赤な彼女の様子は勿論覚えているのだから。
「もう店を出る気ではあるので、少しだけ」
手に取った伝票を軽く振ってそう伝えれば、緊張も少し解けたようで。隣に座る零のサポートを受けながら、ヴェロニカは灰色狼シリーズの新作について、少しずつ語りはじめるのだった。
「随分と話しこんでしまったわね」
楽しいやり取りが途切れたその時に、ふと時計を見て、ぽつり。
「……買い物、レイも手伝うから……いっしょに、行こう?」
馬車はやっぱり必要かもしれないけれど、と伝えれば、少しだけヴェロニカの肩が落ちる。
「……家の中の準備、とか」
片付いていることは知っている。
「え。あ……そうね」
特別な何か、というわけではないけれど。どうせなら身支度をしっかり整える時間は欲しいだろうから。
「お願いしていいかしら、レイ」
「……レイが言ったことだから。ヴェラは、気にしない……ね」
「ええ、ありがとう」
「……お礼は、後で……?」
買い物メモを預かった零は、杖を売っているだろう店の場所を思い出す。折角の機会なのだから、今日、立ち寄って、目の前で選ばせなければと思うのだ。
●
例えば戦闘ならガッチガチの効率重視、茶屋仕事なら東方の衣装をと、場にあわせて服装を変えるけれども。今日の星野 ハナ(ka5852)は仕事でも無いオフの日だからと、少しばかりお洒落に気を使っていた。
シャツは無地。あくまでも清潔感を重視した白は形もシンプルなもの。ボタンを上から二つほど開ける着こなしがポイントだ。
上に羽織るニットは少しだけ春を先取りしたパステルブラウン。花束を思わせる模様編みに透かしが施されている。首まわりは広くあけてデコルテの大きなボタンで留めるタイプなので、肩を覆う白のシャツが陽射しを照り返すとどこか眩しく見えた。
ボトムは七分丈のスキニーパンツをチョイス。甘すぎないミントカラーだがパステル寄りで目にも優しい。春は近く、けれどまだ肌寒さを示すように今の季節を体現している。これも無地でシンプルだが裾を折り返すことでアクセントになっている。
足元は靴との接触を避けるだけの靴下を履いて、靴も昨日より女性らしさを意識したローヒールのパンプス。必然的に一部だけさらされる脚の肌色はきっと異性の目を惹きつける。
仕上げは服に反して甘さを最重要視した鞄だ、大きめのリボンは全体的にすっきりまとめた服達にシフォンのようなヴェールをかける。持ち手に付けられたスカーフと同柄のリボンで髪を結い、少しだけ毛先を巻けば今日のハナの完成だ。
これで少しばかり? そう思う者はいるかもしれないが、事実である。
ハナの本気のおしゃれはもっと甘さを重視するし、もっと言えば特定の誰かの好みに合うように、と色々と思考錯誤を重ねた結果で仕上げられるので、その都度全く別のものになるのだ。
だからこれはちょっとしたお出かけ向きのコーデ。コンセプトは読書女子である。
伊達眼鏡があればきっと迷わず装着していたに違いない。
「すみませーん、今度はこのトリオベリータルトとカフェモカお願いしますぅ」
読んでいた小説の章がまた一つ終わり、一息入れようとしたところでテーブルには飲みかけのカプチーノしか残っていない。ならばと次のケーキを頼むのは必然だと、スタッフの中でも一番体つきが良さそうな者が近くに着たタイミングを見計らうハナ。
ちなみにカプチーノと一緒に頼んでいたのはベイクドチーズケーキだった。ほどほどに腹にたまるケーキだと思うのだが、ハナは全く気にしてない。
今頼んだタルトだってケーキカウントで既に四個目なのだ。店のスイーツ系メニューと飲み物は全て網羅する気で挑んでいるのだから、これは当然の状況ということらしい。
デザートタイムからずっと、ハナはひとり席を占領し続けている。勿論、顔を上げればお目当てのスタッフが存分に見られる方角になるよう、椅子の調整は完璧だ。
とはいえ、別に茶屋の今後のレシピの参考にするために来ただとか、スタッフを眺めて目の保養に来ただとか、恋人達の様子を見て決意を新たにするだとか、そんな理由でここに訪れたのではなかった。
再び小説に視線を落として、この章で一番に心に届いた描写を視線でなぞる。ほぅ、とため息が零れた。
「……久しぶりにおねぇさまの新作堪能できてますぅ」
目を閉じるとその情景が浮かんでくる程で、ハナの頬はうっすらと、春色に染まっている。
「ああ、でもまだこの後にもう一度くらいは盛り上がりが待ってるのがわかりますぅ、早く読んでしまいたくもあり、じっくりと思い返しながら?み砕いてみたくもあり……流石、おねぇさまですぅ」
恋する乙女にも見える、とろんとした眼差しが小説に向けられる。それは勿論著者に対してのものではない。
著者である某女史とはあくまでも、とあるジャンルの本を執筆し献本しあう仲である。互いの創作に切磋琢磨し、互いの傑作を贈りあうことで刺激を受けてまた新しい創作に立ち向かう……ハナとしては、同族意識を持ち、そして女史のつくりだす世界に尊敬を覚えている、そんな仲なのである。
繰り返すが、今日のコンセプトは読書女子である。
ハナの持つ小説が、BL本だったとしても。
「今日も無事に終わって良かった」
毎日オフィスに通い、作戦が纏まれば現地に文字通り飛んでいく。そんな日々を当たり前のように繰り返している鞍馬 真(ka5819)ではあるが、今日は少しだけ、何かが違ったのかもしれない。
「……ん」
甘い香りに視線をめぐらせて、カフェを見つけた真は今の時間を思い出した。
「そういえば、昼食は……どうだったかな?」
仕事中に軽いものを摘んだような気もするし、オフィスへの完了報告の時に何か出されたような気がしないでもない。
つまり、あまり覚えていないということだ。
「夕食には早いし、三時のおやつにも……まあ、遅いよね」
食事の類は帰宅後に、相棒達の手伝いを受けながら作るのも真にとって日々の大切な日課だ。
けれど今、香りに誘われたということは。空腹を感じていると、そういうことなのだろう。
「休憩程度ならいいかな」
軽食と紅茶程度なら、食事に影響も出ないだろう。そう思って、扉を潜ることにする。
食べやすい細さの麺にはフルーツビネガーを使ったマリネ液が絡められている。薄切りの胡瓜に玉葱、パプリカは予めしっかりとマリネ液につけてあったようで、しっかりと味が染みこんでいた。それらを和えた上から、生ハムの花が添えられ、各種ベビーリーフが散らされている。
新鮮なサラダと一緒に食べるパスタ、という言葉につられて頼んだそれは、メニューに書かれた説明に比べると量が多いようにも見える。
「野菜だからさらっと食べられる、ということかな」
試しに一口。甘味を含んだ酸味が喉をするりと通り抜けていく。口当たりは本当に軽くて、はじめの印象はすぐに覆された。
鼻に抜ける香りもきついものではなく、むしろ優しいものだ。時折紅茶の香りで口の中をリセットしながら食べすすめていく。
「……?」
皿の中はもう、あと少しだけ。それでやっと真の意識が周囲へと向いた。
カップルが多いな、とは感じていたけれど。
過ぎて空腹を感じるのも鈍くなっていた身体に栄養が巡ったからか思考が巡りやすくなる。
オフィスで記入した日付を思い出す。3月14日……ホワイトデーか。
「私もお返しを作らないとなあ……」
既に夕方ではあるのだけれど。今日のうちなら材料も揃えられるだろうか。
渡しに行くのは明日からでもいいかもしれない。
部屋で待ってくれている皆も食べられるものにするのも楽しいかもしれない。夕食だけじゃなくて、お菓子も、一緒に。
「……なら、食べてすぐ買い物に向かうべきかな」
残り少しを頬張って、けれど慌てないようにしっかりと咀嚼する。
最後まで美味しく食べられた。日々の食事が美味しいのはきっと、幸せなことなのだろうと、そう思うようにして。
夕食の材料は何があっただろうか。今自分は少し食べてしまっているし。お菓子の味見もするだろう。全体的に少なめに、甘いものを食べるのに邪魔しないように……
「……ん……」
どうしたんだろう。周りにいるはずの人達の声が、うまく聞き取れない、ような。
そう考えるほど、視界も狭くなっている、ようで。
世界が揺れているのに、不思議と、不安は感じない。
お腹が満たされて。働、続けた疲労もあって、和やかな周りの音は、幸せそうな声、ばかり……だ……
静かで、規則ただいい寝息が続く。
自分自身で認識しているより、疲れていたから。
……こくっ。
「……シン?」
つん。
なんだろう、どこか、くすぐったい。
くふふと笑い声が零れてしまう。
「……起きたのか」
だれだろう、ききおぼえはあるけれど。ちがうんだ、まだねむいんだ。
意識がまた、奥底に沈んでいこうとしている。
「違うのか」
はぁ。
そうだよ、だってつかれたから。やすみがひつようなんだ。
反論しているつもりだけど、効果が出ている気がしない。
「寝惚けているな……」
ちがうよ、ねむいだけ。ごはんはたべたし、かぜがきもちいい。
素敵な時間だと、言いたくて。
「このままでは風を引くぞ、シン」
そういえば、あなたはだあれ?
この声は?
「……家族が待っているのではないのか」
かぞく、は、えっと……
家族。私の、鞍馬真の。
「……ッ!?」
滝を掛けあがるかのように強引に。意識を夢の世界から現世へと戻す。
待って、私は今何をしていた? 何を、言って……寝て、いた?
ずっと頭を支えていた腕が痛い。手のひらが赤い。けれど何よりも、目の前にいるのは……
「ディーノ、さんっ……!?」
なぜここに? 悲鳴のような声は幸いにも擦れて、周囲の視線を集めなかった。
「……起きたか」
安堵の色が声音に含まれている。
幸か不幸か、真の脳裏に先ほどの寝惚けた思考が、記憶が、徐々に戻ってきていた。
どうしてこんな記憶ばかり鮮明に覚えていられるんだ、私の身体!?
「いえ、起き、確かに、そうだけど……ッ」
まともな言葉が出てこない。
ディーノは落ち着くのを待ってくれている。
状況と記憶は真実を示しているのだが、頭と体が素直に納得できていない。
無意味に座りなおしたり、咳ばらいをしてみたり。間を持たせようとして空ぶる、典型的な仕草ばかり繰り返してしまう。
「そんなに疲れてたっけ……?」
まともな言葉としてこぼれたのは、そんな呟きだった。
「そう言う者ほど、自覚がないんだ」
「そう、なのかな」
確かに今日は少しばかり食事をおろそかにしたけれど。それを言うと、目の前のこの人は更に心配するだろうから口にしないように気を付ける。
「気を付けろ、と言うだけで治るとも思えないが」
「……いえ、気を付けます」
肩を落としそうなほどに沈んだ声が出てしまった。
「とりあえず、眠気覚ましの珈琲でも。ディーノさんもそれでいいかな」
知人だから、と合席を選んだのだろう彼に確認をとって。頷きに安堵しながらスタッフを呼ぶ。
起こして貰った礼として、ここの会計は任せてもらおうと決めておく。
「それで、どうしてここに?」
眠ってしまっていた時間は、そう長いものではなかったらしい。窓から見える空色を確認した真は、改めて話題の糸口を探し始める。
休日……では、無いし。穏やかなめぐりあわせでもなかったけれど。
こうして、二人。尊敬を向けるこの人と、穏やかな時間を過ごしてみたいと、そう思ったのだ。
ディーノの持つ荷物を見るに、買い出しの帰りかな、なんて予想を立てながら。
「……いや」
「もしかして、わざわざ私の為に、寄り道させてしまった、とか……」
「……」
その沈黙は肯定ということだろう。
「ディーノさん、コーヒーだけじゃなく、何か食べ物も……っ、お礼もだけど、手間をかけた詫びも」
「大したことはしていない」
「それでは私の気が……」
「なら、さっき頼んだ珈琲で十分だ」
差し出したメニュー表がゆっくりと押し戻される。
「じゃあ、せめて飲み終わるまでは、私の休憩に付き合って……珈琲の、ついでに?」
「おやぁ、そろそろ夕食の時間でしたかぁ」
ひとしきり耽美な表現に溺れ、創作の種を脳裏にメモし、また妄想の引き出しを増やす。
気付けば今日のカフェに並んでいるケーキで注文していないものもあと一種類、飲み物は二種類だろうか。
「そうですねぇ……ならお食事も頼んでしまいますかぁ、すみませーん」
カフェ特製のサンドイッチとハーブティーのセット、苺モンブランには抹茶オレをセットに。これでメニューを網羅するという目的も達成だ。
「最後ですしぃ、届いたら、それを分け合って食べる二人、なんていうのも……きゃっ」
小説の中では、まさにメインの登場人物二人が互いの想いを伝え愛を交わした頃合いだったりする。
「想いが通じずすれ違ってばかりのタイミングもいいですがぁ、愛溢れる2人の雰囲気目いっぱいで食べさせ合うのも捨てがたいですぅ」
エピローグ部分の幸せな物語に、ほんの少しの妄想を添えて。より深い愛の形を脳内で作り上げることの何と崇高なことか。
「カフェはデートの定番ですしねぇ」
実は店内に訪れるカップルの様子もしっかりチェックしていたハナである。この後妄想に最大限活用される予定だ。
「ケーキも美味しかったし大満足ですぅ」
まだ届いていない分を楽しみに待ちながら、ほぅ、と物憂げな溜息が零れた。
「やっぱりこういう本を読む時はシチュエーションが大事ですぅ」
最終確認で繰り返すが、今日のコンセプトは読書女子である。
おねぇさま、つまり敬愛する女史の本をよりよい環境で堪能するために、ハナは今日を費やしていたのだ。
スイーツも、ドリンクも、サンドイッチも。全てはBLを最高の環境で堪能するために費やされたのだ。
「静かな環境、美味しいケーキにお茶……ハイティー嗜むお嬢様になった気分ですぅ」
外見だけは確かに、ハナの考える通りお嬢様だ。
一度しっかり背伸びして、座りなおす姿はクール系お嬢様に見えないこともない。
「さぁ、あともう少しですねぇ」
スタッフの運んでくるサンドイッチを、にこにこと満面の笑みで迎え入れた。
●
玄関扉が響かせる、軽いノックの音。
「……!」
緊張で、少しだけ身をすくませた子狐のことを、訪れた狸は気付かない。
「ヴェラー、いるか?」
すぐに神代 誠一(ka2086)の穏やかな声が聞こえて。ヴェロニカの肩から少し、力が抜ける。
「開いて……」
つい、そう答えそうになってから、そうじゃないと思い出す。親友が、去り際に何度も確認してくれたことでもある。
「今、開けるわね」
言いながら、髪が跳ねていないか、襟が乱れていないか。身なりをさりげなくチェックして、玄関扉の前に立った。
すぅ、はぁ。
小さく、深呼吸をして。
カチッ……カチャリ。
「ヴェラ、ばんわ」
優しい夜の闇を背にした彼が、笑顔でこちらを見てくれる。
「……いらっしゃい、セーイチ」
「ずいぶんと遅い時間になってしまったけど、大丈夫か?」
恋人になった、とはいえ、まだ互いに互いとの距離感を掴めていないのだ。
この時間なら家に居るだろうと、そんな目星をつけてきたのだけれど。
静かなこの時間に訪れるのは、やはり気が早かっただろうかと、そんな不安も確かにあるのだ。
「大丈夫よ。わたしがセーイチを追い返すわけないじゃない」
すぐに道を譲られて、奥へどうぞと示される。
「少し肌寒くはなかったかしら、今お茶を淹れるから」
セーイチブレンドはまだあるから、と続いて。
「いや、勝手に来たのはこっちなんだから、気にしないでいい、それより」
「……? セーイチ?」
言葉を止めて、続きを言うべきか迷う。不自然な会話の途切れに、キッチンに向かおうとしていたヴェロニカの足が止まった。
「どうしたの、疲れているなら、余計に休んでいくべきだわ」
お茶くらいなんてことないのに。少し頬を膨らましかける彼女。
ああ、やはり今日が何の日か、気付いていないのか。
「別に、仕事帰りじゃないさ」
だから疲れているわけじゃないのだと告げる。今日はホワイトデーだから。ヴェロニカに会いに来ようとして。
そのタイミングをいつにするか、迷って、悩んで……それでこの時間になっただけ。
「なのに、いつもどおりなんだもんなあ」
「……あら、セーイチは何が不満なの?」
言ってくれなくちゃわからないわと、今度こそ頬が膨らんだ。
焼けた餅を突きたい衝動もあるけれど、今はまだ、自分から手を伸ばす段階ではない。
「ヴェーラ。今日、何日か知ってる?」
揶揄うつもりの誠一だったけれど。自然と、拗ねた声になってしまった。
「その言葉、昼にも……」
「昼?」
出掛けたのか、と尋ねようとして。けれど急に俯いたヴェロニカの表情が見えずに、覗き込む。
「わ……わかって、いるのよ?」
僅かに潤んだ瞳が誠一を見つめる。
「レイにも、言われて……あっ」
慌てたのか、頬の餅はなくなってしまったけれど。かわりに朱く染まっている。
そして今日あったことらしい、零れ堕ちた言葉の方が気になってしまうというものだ。
「零に会ったのか……ん?」
尋ねた後の言葉。そして、今、照れたような様子。
少なくとも、今朝は。今日というイベントを忘れていたことは確実みたいだけれど……もしかすると。
「ヴェラ、俺が今日ここに来ること……わかってた?」
「……少し」
「そっか、なら話は早いな?」
お返し、ちゃんとするって言っただろ?
隣り合って二人、ソファに腰かける。
改まって示されたことに照れがあるのか、頬の赤味が引かないヴェロニカの様子に、誠一にも緊張が走る。
けれどせっかく準備したのだ、失敗するわけにはいかない。
「手、出してくれるか?」
「……これでいい?」
「いんや、両方がいいかな」
片手だけではきっと取り落としてしまう。だから誠一はヴェロニカの両手で作られた小さな皿を望む。
その手に絵の具がついていないことに気が付いて。本当に待ってくれていたらしいと分かり、つい、口元が緩む。
気付かれないように、内心だけで喜びを叫んで……ぽん、と。綺麗に梱包された包みを乗せた。
「お返し。何にしようか、あれからずっと迷ってたんだけど」
わざと別の紙袋に入れて誤魔化してまで運んだのは、包み紙からしてプレゼントだと、すぐに分かってしまうからだ。
「開けてもいいかしら?」
嬉しそうに訪ねてくる、その声音にも喜色が感じられて。
「まだ見てないのに、気が早くないか?」
つい笑い声が零れてしまう。
「セーイチなら、私の事を考えて選んでくれるって、信じているもの」
「……そ、そうか」
リボンが解かれ、包みが少しずつ剥がされて。その全容が明かされていく。
こんがり焼けたパンのように、柔らかな狐色が多くを占めている。太いベルトには外れにくいようにしっかりした金具が使われているが、飾り文様が刻まれているおかげで武骨さを感じない。
ふわふわの手触りをした蓋を開ければ、確りと閉じられるように工夫されたポケットを含む、手道具がしまえそうなポーチ全体が見て取れた。
手に持たなくても、簡単に、普段使いの道具たちが運べるように。腰にベルトを回して身につけるポーチだ。
外に付けられたいくつかタグも、それだけでは何の役にも立たないけれど。金具を足せば何かしらぶら下げることができるようになるはずだ。
実際に、今は別の輪が繋がれていて。そこには小さな緑の石を四つ嵌めこんだ、翼モチーフのチャームが揺れている。
部品やポケット、金具に至るまで丁寧に確認していく様子に、どこか緊張してしまうのは仕方ない。
互いの要素を入れ過ぎたとは思ったけれど。迷いながら探す中で、一目でこれしかないと、巡りあってしまったのだ。
「……ありがとう」
ゆっくりと、噛みしめるように。ヴェロニカの声が聞こえる。
「大事にするわ。絶対、長く、一緒に……大切に、使わせてもらう」
「ん。なら俺も、嬉しいや」
そっと、ヴェロニカが気付けるようにゆっくりと手を伸ばす。
触れたいと望んでいた頬に、人差し指の背で軽く、擦る。
「くすぐったいわ」
微笑む彼女はそのまま、ポーチを抱きしめたまま隣に居てくれる。
「さっき、餅が焼けていたからさ?」
「もう、そんなはずないんだから」
「ほら今も」
「えっ」
「冗談」
戯れに逃げるように身をよじる彼女の、髪に触れる。ふわふわの毛が誠一の手を擽る。
「そういうヴェラこそ、仕返しするなんてな?」
「わざとじゃ」
髪を抑えようとあがった手に、今度は親指の腹で触れた。
「……セーイチ、さっきから」
「だってなあ、せっかく子狐を独り占めしているんだ」
「そんなこというなら」
ぽすん。
「ん、何を」
ポーチがソファに置かれた、軽い音。そこに気をひかれたせいで、反応が遅れた。
「……ッ!!」
痛い!
悲鳴は奇跡的に堪えられた。
あくまでもヴェロニカの身体を受けとめた衝撃のようにみせかける。幸い、彼女は自分の胸の中、腕の中に収まってくれるから。
怪我が治っていない、なんて今、気付かれるわけにはいかないだろう。
「わたしだって。独り占め、するんだから……」
顔を見せないようにしているのか、くぐもった声がすぐ真下から聞こえてくる。
ゆっくりと、ヴェロニカにもわかるように、彼女の背に腕を回していく。
首まで赤くなっている子狐は、狸にその赤味を移して。
二人の世界はしばらく、続いたのでした。
(代筆:石田まきば)
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最終発言 2019/03/19 08:26:06 |