ゲスト
(ka0000)
【AP】一切の希望を捨てよ
マスター:四月朔日さくら
このシナリオは5日間納期が延長されています。
オープニング
●
それは、いつのことだったか。
――あいつんち、とーちゃんいないんだって。
――あいつのとーちゃん、他にオンナデキテ、逃げたって。
(そんな目で見ないで)
赤毛の少年は、震えながらそう叫びたくなる。
(父さんは、母さんのこと愛してたし、僕のことも愛してた)
(そんなめでみないで、そんなふうに言わないで)
遠い昔のことなのに、なぜか引きずり起こされる暗い過去。
ジーク・真田(kz0090)は、苦悶の表情を浮かべながら、うなされ続けている。
●
――人には誰しも思い出したくない記憶がある。
その内容は人それぞれだろうが、確実に言えるのは、それが決して喜ばしいものではないと言うことだろう。
記憶に苛まれ、うなされる夜だってあるだろう。
忘れていたはずの記憶が、ふっと目の前に降りてくることもあるだろう。
どうしてそんなことを思い出すのかすら、わからないくらいの些細な条件で思い出すことだって。
さあ、ここまで聞いておわかりだろう。
「これ」は決して良い夢ではない。
むしろ悪夢と喚ばれる類。
――辛い過去を追体験する夢だ。
他人にはそう感じられなくとも、自身が辛いと思えば、それは辛いものと認識される。
これを望む者はいるか。
望む者は、覚悟を忘れるな。
辛い記憶を呼び覚まされても、前を向くことのできるだけの、覚悟をつけるがいい。
それは、いつのことだったか。
――あいつんち、とーちゃんいないんだって。
――あいつのとーちゃん、他にオンナデキテ、逃げたって。
(そんな目で見ないで)
赤毛の少年は、震えながらそう叫びたくなる。
(父さんは、母さんのこと愛してたし、僕のことも愛してた)
(そんなめでみないで、そんなふうに言わないで)
遠い昔のことなのに、なぜか引きずり起こされる暗い過去。
ジーク・真田(kz0090)は、苦悶の表情を浮かべながら、うなされ続けている。
●
――人には誰しも思い出したくない記憶がある。
その内容は人それぞれだろうが、確実に言えるのは、それが決して喜ばしいものではないと言うことだろう。
記憶に苛まれ、うなされる夜だってあるだろう。
忘れていたはずの記憶が、ふっと目の前に降りてくることもあるだろう。
どうしてそんなことを思い出すのかすら、わからないくらいの些細な条件で思い出すことだって。
さあ、ここまで聞いておわかりだろう。
「これ」は決して良い夢ではない。
むしろ悪夢と喚ばれる類。
――辛い過去を追体験する夢だ。
他人にはそう感じられなくとも、自身が辛いと思えば、それは辛いものと認識される。
これを望む者はいるか。
望む者は、覚悟を忘れるな。
辛い記憶を呼び覚まされても、前を向くことのできるだけの、覚悟をつけるがいい。
リプレイ本文
――リアルブルーの伝承に、悪夢を食らう生き物がいるという。
そんなものに縋りたくなる、よみがえる悪夢――
六人のハンターは、一体どのような悪夢を体験しているのだろうか。
顔を歪ませながら、彼らは夢を見る。
もう見たくないと願いたくなる、辛い過去の幻影を。
●
(……また、か)
龍崎・カズマ(ka0178)はじっとりと額に汗を滲ませる。
彼には「記憶」が抜け落ちている。転移以前の、エピソード記憶……自身の経験した記憶の一切が欠落してしまっているのだ。読み書きなどの日常生活には不自由ないが、自分がどういう経緯を辿っていたかなどがすっぽり抜け落ちている。
だから、彼の最古の記憶――というのは、クリムゾンウェストに転移して、CAMの中で目覚めた時のもの。リアルブルーの出身であることに間違いはないが、それも他人からの伝聞情報であるがゆえに今ひとつ実感がわかない、というのが現実だ。
まあ、生活するだけなら支障はないから、彼は前を見て歩き続けている。
けれど。
そんな彼も、この世界に来てから何度も何度も、繰り返し見る夢があった。
それは、どこなのかわからない場所で、なにかから逃げる夢。
逃亡の中、だれかが傍にいるのはわかる。そしてその『だれか』が促すのだ。
「ほら、急がないと――」
――逃げろ。
――生きろ。
「間に合わない」
そう、促すのだ。
男か女か、若いか年老いているか、それすらもわからない『だれか』は、カズマと一緒に走る。逃げる。
たくさんの人とすれ違う。混乱した『どこか』は人々があちらこちらで助かる術を探しているのかも知れない。そう、自分と同じように。
しかしカズマは思うのだ。
――『今の自分』であるのなら、もっと早く逃げることもできるのに、と。
走る。逃げる。
追いかけてくる、迫ってくるモノも分からぬまま、ただひたすらに走り続ける。
そして――最後。
『なにか』に入る。
たったひとりで。自分ひとりで。
一緒に逃げてきたはずのもう一人の『だれか』は、――外にいる。
外にいて笑っていて。
その笑顔は、なにを意味するのかもカズマには判りかねて。
だけどその笑顔は、妙に切なくて。
『だれか』は自分を安全な外にまで押し出して――途端、カズマの視界は、赤黒いなにかに覆われてしまって――その人の顔もなにもかも、見えなくなってしまう。
そこでカズマの夢の世界は暗転を起こす。
そして再び聞いた声がある。
「ほら、急がないと――」
手を伸ばしてくる、『だれか』。
夢は堂々めぐりを繰り返す。
『だれか』とともに逃げて、逃げて、そして一人なにかに入り。
それを、何度も、何度も。
そしてその『だれか』は、何度も何度も、自分を外へ出して、――微笑んだ次の瞬間、赤黒いなにかに覆われてしまう。
その人がだれかもわからない。
その夢が現実か否かもわからない。
けれど、リアリティのある夢には違いなく、だからこそカズマの心はどんどんすり減っていく。
逃亡と喪失。
それがなにを示すのか、まだ今の彼にはわからないが――わかるのは、その夢がなにかの指針なのかも知れない、と言うこと。
カズマ自身に、生きると言うことを忘れるなと言うかのごとく。
己が今こうやって生きているのは、その『だれか』の喪失を経てこそであると言われているかのごとく。
失った記憶の奥にあるかも知れない、その夢の事実。
それを、忘れないよう――彼は夢を見ているのかも知れない。
●
出逢いとは、同時にそれが別離への始まりである。
それは人に限らない。故郷、モノ、そんな人々にとっての大切なモノ、それらを失うこともまま存在する。
そしてそれは、きっと蜜鈴=カメーリア・ルージュ(ka4009)にもにたことが言えて――。
今、蜜鈴の目の前には、劫火が広がっている。その焔の熱気が、肺をも焼いてしまいそうだ。郷の人々も、事態を飲み込めきれずに逃げ惑っている。
そして、――痛い。頭がずきずきと、目が眩みそうな程に痛い。
彼女も、記憶が一部欠落している。その失ったなにかを、思い出しそうな、そんな気がした。
と、だれかが蜜鈴の手を引く。そして彼女を押す。何人も、何人もが。
「――祖は何故、我らを護らぬ!」
そんな悲痛な声が何度も彼女の耳に飛び込んでくる。しかし彼らは、確かに、確実に、蜜鈴のことを助けよう、どうにか逃がさねばと必死になっていた。
「主様は、生きて」
「死なないで……どうか生きて」
そう言い、力尽きていく者達。それを、彼女は苦しい気持ちで見つめている。
(妾を、置いて逝くな)
頭の中に、そんな声が響き渡る。
彼女の郷の信仰は、最古の龍と言われるものへのモノだった。そしてその龍がもたらし、愛したとされ、そして里人も愛していた水は、民を救うには余りにも役立たずで。
どうにかして身につけた術を放とうと、減らぬ敵の群れなす方へ向かおうとするが、それをすがりつかれて留められてしまってはどうしようもない。
ただ、傲慢の歪虚たちがまき散らしていく紅蓮は、郷を、人を、全てを飲み込んでいく。
(ああ……妾も、妾も皆とともに逝く……××の命は、もうもたぬ……)
脳裏に響く声は、諦めを知ったモノのそれ。どこまでも哀しく、辛そうな響きを持っている。
逃げ延びた後も、決して楽な道ではなかった。
最期の最期までともにあった騎士を目の前で喪った。その血に塗れ徐々に冷たく動かなくなっていく身体を抱きしめ、そして嗚咽と涙があふれ出してくる。
「生きよ、死ぬな……! 父御も母御も、逝ってしもうた……もうこれ以上、妾の民を、……命を失いとうない……!」
しかし、騎士はそんな蜜鈴に最後の力で手を伸ばし、頬にそっと触れた。緋色に塗れた手であるが、蜜鈴はそんなことは気にせず、その手をそっと受け止める。そして、騎士はうっすらと微笑んだのだ。
「うん……そうだ。だから……生きろ……蜜鈴、お前は……生きろ……」
ぱたり、と力なく騎士の手が落ちた。優しい微笑みを浮かべたまま、しかしその瞼は二度と開かれることがないことを、蜜鈴は知っている。
(此度は……ともには在れなんだ……)
脳裏に響く声。
それは蜜鈴のもの、それとも――?
微睡みの中、遠のく意識の中。
民の遺した言葉は、まるで呪いかなにかのように、蜜鈴の心をしくしくと突き刺していく。
――生きねばならぬ。
喪ってしまった、民の命のぶんまで。
同時にこれから見送るであろう、多くの御霊のぶんまで。
そう、自分は生きなければならない。
『今回』は、死を願うことなど、許されるわけもない。
そもそも、死を乞い願うのは心の弱さ。
――しかし、何故それをそこまで強く願うのか。
なぜかは蜜鈴自身にもわからない。ただ、そう感じたのみ。
……生きなければならない、と。
●
死、というモノは生き物全てに平等に訪れる。
しかし、玉兎 小夜(ka6009)はいまだ、その悪夢に囚われている。
想いを伝えた翌日、彼の人は笑顔で戦場に向かった。
――けれど帰ってきたのは、小夜の手渡した赤い布を脇に置かれた、屍だった。
どうして。
どうして、よりにもよって、貴方が。
その想いが、彼女の頭を埋め尽くしていった。
危険な戦いであることには、間違いなかった。けれど、それで命を落とすほどの人は数えるほどしかいなかった。存在しないわけではないけれど、確かに可能性は存在していたけれど。
でもだからと言って、何故。どうして貴方が。
だからこそ、彼女の抱いた想いはごく当然であったとも言えるだろう。
(……憎い)
真っ黒な、負の感情が、彼女を支配していく。
彼女の視界が、彼女の世界が、真っ赤に染まっていく。
小夜は思う。
彼女の世界から大切な人を奪うことになった歪虚も、そしてニンゲンも、――そう言う運命をあの人に課した世界も、なにもかもが
、憎むべきものであると。
それでも、その真っ赤に染まった世界の中で、あの人の言った言葉を思い出したのだ、
『小夜はどうか小夜のままでいて』
と言う、優しい言葉を。
世界が憎くてたまらない、そんな小夜に。
それでも彼の人は、この世界で生きろと言いのこして、そして逝ったのだ。
全てが憎くてたまらないのに、なにをしても息が詰まってしまうのに。
それなのに何故、――普段通りに振る舞うの?
何故泣いてしまわないの?
何故、悲しみを表に出してしまわないの?
そう、いつの頃から彼女は、彼女自身をも憎ましく思っていた。
彼女のことを忘れたかのように、『当たり前』に振る舞う自分を、憎くてたまらなかった。
そう、憎いのだ。
だから小夜は――右の腕を己の頸にかける。
確かに小夜の膂力ならば、自分の頸も一ひねりだろう。……それなのに、何故だろう。最後の一押しができない。とどめを刺すだけの力が入らない。
憎い。けれど、殺すこともできない。
そんな自分が情けなくて、だから憎らしくて、たまらない。
だからせめて、小夜は――滅んでしまえ、と願うのだ。
彼女の願いは、小夜が生きて笑顔で生活することなのだろう。
だから、今は、小夜は生きる道を選ぶ。彼女の願いを叶える為に。たとえどんなに世界が憎くても、自分自身が憎くても。
無表情というなのか面の下で、この世のあらゆるものに呪いながら。
「……なんてことも、あったね」
――そう話しているのは、小夜自身。
――それを聞いているのも、小夜自身。
「うん、……けれど、今の私では、ないかな」
小夜は、かつての自分にそう言って遠くに眼差しをうつす。
この憎しみを内包したまま、それごと受け止めてくれる『あの子』が居てくれる限り、小夜は『あの子』を護ると決めたのだ。
……覚悟、なんて綺麗なものではない。小夜は自嘲気味に笑う。
彼女の行動は、悪夢に浸りながら藻掻くこと――ただそれだけなのだから。
●
家族との離別は誰にでもあることだろう。
そしてその家族と呼べる存在が人間ではないことも、良くあることだ。
氷雨 柊(ka6302)の場合が、まさにそうだった。
柊の、大切な大切な、家族だった愛猫。
突然――そう、突然喪った、大切な家族。
『あの子』を喪って数日経過しているのにもかかわらず、既にないものであるときちんと理解しているにもかかわらず、それでもふと気を抜くと、元気だったころの愛猫の幻影を見たような気がして、ついつい探してしまうのだ。
そしてそんな幻覚を見るたびに、もうあの子はいないのだ、と改めて思い出して自分自身を責め続けた。
あの事件がいっそ本当に悪夢であれば良かったのに――そう思っていた、過去の夢を、今また見ている。
――そもそも愛猫の死は、柊にとっては同時に全ての始まりでもあった。彼女が覚醒者として目覚めたのは、それが切っ掛けだったのだから。
それでも、つらい現実を受け入れても、まだ納得できないことは多々ある。
だからこそ、彼女は悪夢にうなされるようになって、ほとんど寝付けない日々を過ごしても居たのだから。
いつもと変わらない日常、いつもと変わらない平凡。
違うのは、愛猫が居ないことだけ。
そんな中で、柊は無意識に、愛猫の影を追いかけていた。
ちらりと通り過ぎる尻尾を。
刹那聞こえる鳴き声を。
チリンと響く、鈴の音を。
それらを追いかけようとして手を伸ばして――そして現実を思いだして、ぱたりと手を力なく落とす。
(ああ、また……まだ『あの子』が生きているかのような気がしてしまう)
そう、何事もなかったかのようにひょっこりと白いふわふわの毛並みが表れるのではないかと、無意識に期待してしまう。
もう、いないって判っているのに。
判っていても、期待してしまう。家族同然だった愛猫がまた出てくることを、望んでしまう。
柊は座布団の上に目をやり、それから小さな棚の上、縁側、……あちらこちらに視線を彷徨わせる。
それらは『あの子』のお気に入りの場所だったり、午睡の場所だったり、……あの子の面影が残る場所で。そうやって目で追いかけても見つからないと判っていても、探してしまう。思い出の場所は、この家の敷地のあちこちにある。
そう、庭の桜の氣の前で、毎年春になると、はらはら舞い落ちる花弁と戯れていたその様などは今も鮮明で。
――けれど、そんな思い出の場所は数あれど、そこに『あの子』はいない。
あの子にいて欲しかった。
あの子の戯れるさまを見ていたかった。
しかしそれはもう無理というものだと言うことも、判っているのに。
そう、判っているのに。
あの子はあの夜――死んでしまった。歪虚に殺された。
けれどそれを、柊はずっと引きずっている。『自分が殺してしまったも同然なのだ』と。
(……あのとき私が不注意だったから、ちゃんと気をつけていれば、……あんなことにはならなかった、のに……!)
彼女の胸の内を覆い尽くすのは後悔の念と罪悪感。
助けられる命を、己の不注意から喪ってしまった罪の意識。
だからこそ、柊は思うのだ。
罪悪感で苦しくても、愛猫の居ないことがどんなに悲しくても、忘れてはいけない、と。
きっとこの夢を、幻を見なくなってしまえば、この気持ちも薄れて、忘れていくかも知れない――そう思うと、それは怖いことだったし、そして同時に柊にとってそれが許されざることだと判っている。
忘却は罪であり、それを受け入れてしまう自分自身も許せなくなる。柊はそう思っている。
忘却が救いであることも多いのに、彼女の認識は、忘却そのものが罪だった。忘却してしまえば、確かに辛さは一時失われるだろう。しかし、それは――柊にとっての罪なのだ。
それでも、と胸に手を置き、柊は思う。
(それでも……やっぱり、苦しいの。あの子が、いないのは)
何度何度夢に見ただろう。
柊の、懐かしく、そして切ない、愛猫への想いが生んだ幻影を追いかけるその夢は、――まだ終わりが見えない。
●
クラン・クィールス(ka6605)は、呟いていた。苦しげな声で、苦しげな表情を浮かべて。
「アンタは、……裏切った、アンタが、アンタが……」
人間というのは罪深い生き物だ。けれども、それを断罪するのは必ずしも正義とは言い切れない。
クランの見ている夢が、まさしくそれだった。
まだひとりで旅を続けていた頃。そもそもひとりで旅をする切っ掛けは、家族を喪い、己の居場所を見失ったことに端を発するのだが、ひとり旅というモノは寂しく、そしてより添えるものもなく、まだまだ幼さの残る当時のクランは心身共に日に日に疲弊していった。
そんなある日、
「大丈夫か?」
そう言って、ある男性がクランに手を差し伸べてくれたのだ。
「まだ幼いのに、ひとりで旅はきついだろう。なにがあった」
男性の差しだしてくれた手のひらは、その時のクランにとってはまさに希望、まさに光と同じようなもので。
クランはその手にそっと手を差し出すと、男性はぎゅっと握り返してくれた。
「随分やつれているじゃないか。きっと辛いことがあったんだろうな」
そう言ってくれた声も、優しく聞こえて。
クランは、その温もりに抱きしめられていた。気付けば、涙もこぼれ落ちていて。
「ああ、よしよし。辛かったな、ボウズ、名前は」
「……クラン」
「そうか、いい名前だな」
少年を受け止めてくれるあたたかな温もり――これを信じられると思った。
そう、信じていたかった。
久々に宿に泊り、夕飯をたらふく食べさせて貰い、ベッドで眠らせて貰っていた。しかしふと目が覚めたのは、偶然か、必然か。
目が覚めた時、男はまだ寝床には行っておらず――その代わり、ドアの向こうで、何人かの男が話している声がする。
「聞いてると天涯孤独の身の上らしい。問題ねぇよ」
「綺麗な顔してるし、すぐに買い手もつくだろうさ」
「そんなに自信たっぷりで大丈夫か?」
「当たり前だろ、あのがきは俺を信用しきってる」
「はは、違いない」
男達はそんなやりとりを交わしていたのだ。クランは思わず眩暈を感じていた。
やっと手に入れたい場所だと、そう思っていたのは、偽りの笑顔だったのだと気付いたから。
男は、人身売買に手を染めていたのだ。身寄りのない子どもなどを騙して籠絡し、どこかへ売り飛ばす――そんな、非道きわまりない、血も涙もない男だったのだ。
自分もそんな運命になるかと思うと、怖気が走る。
そして同時に、あの男への筆舌しがたい感情がふつふつとわき上がってくる。
偽りの優しさ、笑顔、それらを見抜けなかった己への悔しさと、そんな自分を欺こうとする男への恐怖と怒り。
それらがない交ぜになると、クランは無表情に再びベッドに潜り込んだ。目は閉じても、頭は冴え渡っている。ベッドの中には、護身用のナイフ。
しばらくたつと、男がすっかり上機嫌で寝室に戻ってきた。酒臭い息をクランにかけ、そのまま満足そうに横になる。やがてすうすうと静かな寝息が聞こえはじめたところで、ゆっくりと寝床から起き出した。
そして、――鈍い手応え。
シーツに広がる、緋。
聞こえる苦悶の声。
徐々に冷えていく、男の体温。
しかしクランは止まらない。止められない。
無償の善意など存在しないと気付かされた。騙されているなんて思いもよらず、その可能性を一切考えず、まんまと信じていた自分。
大切なものを喪った時とも違う絶望感、そしてわき上がる怒り。
それは自分に向けられたものか、男へのものか、それすらもわからないくらいだったけれど――。
クランはそれからすぐに宿を出て、逃げ出した。
自分を追いかけてくるものがいるかも判らないけれど、それよりも早く逃げて、自分が追いつかれないようにしないといけない。
そして、クランはうわごとのように呟き続ける。
「アンタは、裏切った。……だから、アンタが、アンタが、悪いんだ」
そう、自分に言い聞かせて。
自分の心がこれ以上壊れてしまわないように。
●
――喪失だけが、悪夢ではない。
レナード=クーク(ka6613)の夢は、暗黒。
光の差さないどこか、ひんやりとした場所。周囲にはなにもなく、レナードはそこに佇んでいる。
(暗いのは怖くて不気味やし、なんかいややわぁ)
そう呟いても、反応はどこにもない。と言ってもここで動かぬままでも埒があかないので、歩き始めた。時々跳ねたりもして、足元を確認する。
『床』とよべるものがあるかも判らないけれど。……それでも、なにもしないよりはましだった。
そうやってぼんやり歩くことしばし、目も少しずつ慣れてきた中で、人影らしきものがいることに気が付いた。どうやら小さな子どものようだ。
「どないしたん?」
尋ねてみると、わからない、というふうに首をそっと横に振る。
レナードは悩んで、ぽんと手を叩いた。
「それなら、僕がなにかお話でもしたるわ」
と言ってもレナードにそのような心得はそれほどあるわけでなく、自分の今までの経験などが主になってしまったが、子どもたちは目を輝かせて聞いてくれた。
「おにいちゃん、またね!」
子どもたちとは別れ、再び歩き出そうとすると、そんな声が背後からした。
(……ふふ、ええなぁ。あんな元気に遊び回れるなんて、楽しそう、やんねぇ)
レナードはそう思いながら、また歩み出す。
それからどれ程時間がたったろう。ふっと目の前が懐かしい景色に変わった。故郷の森――懐かしさを感じると同時に、幼い頃の心の瑕が、しくりと傷んだ。
故郷の外であの子たちと出逢った後、レナードは父に責められたのだ。
「他人への感情など不要。笑った顔など見せるんじゃない」
そう言われたのだ。
父だけでなく、母にも、友人にも、多くの仲間たちからも。
そしてその後連れて行かれたのだ。あの真っ暗闇に似た場所へ。
彼の居た場所はすなわち、記憶の追体験だったのだ。
レナードの世界は再び暗転する。あの暗闇の世界へと。
レナードは思う。
(……あの子たちも、俺にとっては『悪夢』なんだ。だって、楽しかったことよりも、……それよりも俺はあの子たちのことが――)
ぐっとつばを飲み込んで、そして思う。
(……父さんは、何度俺を『消』せば気が済むんだろう……)
故郷は好きだ。美しい景色がある。
そして、家族も大好きだ。
けれど、レナードは……それと同時にそれらが大嫌いでたまらなかった。
だからこそ、彼は故郷を出るという選択をしたのだから。
どうかこれが夢ならば、早く覚めて欲しい。
そう胸の中で思いつつ、彼はこの堂々めぐりを続けるのだ。
●
昔の人は夢を売り買いしていたとも言う。
どうか、この数々の悪夢が獏に食され、そして心地よく眠れますように――。
そんなものに縋りたくなる、よみがえる悪夢――
六人のハンターは、一体どのような悪夢を体験しているのだろうか。
顔を歪ませながら、彼らは夢を見る。
もう見たくないと願いたくなる、辛い過去の幻影を。
●
(……また、か)
龍崎・カズマ(ka0178)はじっとりと額に汗を滲ませる。
彼には「記憶」が抜け落ちている。転移以前の、エピソード記憶……自身の経験した記憶の一切が欠落してしまっているのだ。読み書きなどの日常生活には不自由ないが、自分がどういう経緯を辿っていたかなどがすっぽり抜け落ちている。
だから、彼の最古の記憶――というのは、クリムゾンウェストに転移して、CAMの中で目覚めた時のもの。リアルブルーの出身であることに間違いはないが、それも他人からの伝聞情報であるがゆえに今ひとつ実感がわかない、というのが現実だ。
まあ、生活するだけなら支障はないから、彼は前を見て歩き続けている。
けれど。
そんな彼も、この世界に来てから何度も何度も、繰り返し見る夢があった。
それは、どこなのかわからない場所で、なにかから逃げる夢。
逃亡の中、だれかが傍にいるのはわかる。そしてその『だれか』が促すのだ。
「ほら、急がないと――」
――逃げろ。
――生きろ。
「間に合わない」
そう、促すのだ。
男か女か、若いか年老いているか、それすらもわからない『だれか』は、カズマと一緒に走る。逃げる。
たくさんの人とすれ違う。混乱した『どこか』は人々があちらこちらで助かる術を探しているのかも知れない。そう、自分と同じように。
しかしカズマは思うのだ。
――『今の自分』であるのなら、もっと早く逃げることもできるのに、と。
走る。逃げる。
追いかけてくる、迫ってくるモノも分からぬまま、ただひたすらに走り続ける。
そして――最後。
『なにか』に入る。
たったひとりで。自分ひとりで。
一緒に逃げてきたはずのもう一人の『だれか』は、――外にいる。
外にいて笑っていて。
その笑顔は、なにを意味するのかもカズマには判りかねて。
だけどその笑顔は、妙に切なくて。
『だれか』は自分を安全な外にまで押し出して――途端、カズマの視界は、赤黒いなにかに覆われてしまって――その人の顔もなにもかも、見えなくなってしまう。
そこでカズマの夢の世界は暗転を起こす。
そして再び聞いた声がある。
「ほら、急がないと――」
手を伸ばしてくる、『だれか』。
夢は堂々めぐりを繰り返す。
『だれか』とともに逃げて、逃げて、そして一人なにかに入り。
それを、何度も、何度も。
そしてその『だれか』は、何度も何度も、自分を外へ出して、――微笑んだ次の瞬間、赤黒いなにかに覆われてしまう。
その人がだれかもわからない。
その夢が現実か否かもわからない。
けれど、リアリティのある夢には違いなく、だからこそカズマの心はどんどんすり減っていく。
逃亡と喪失。
それがなにを示すのか、まだ今の彼にはわからないが――わかるのは、その夢がなにかの指針なのかも知れない、と言うこと。
カズマ自身に、生きると言うことを忘れるなと言うかのごとく。
己が今こうやって生きているのは、その『だれか』の喪失を経てこそであると言われているかのごとく。
失った記憶の奥にあるかも知れない、その夢の事実。
それを、忘れないよう――彼は夢を見ているのかも知れない。
●
出逢いとは、同時にそれが別離への始まりである。
それは人に限らない。故郷、モノ、そんな人々にとっての大切なモノ、それらを失うこともまま存在する。
そしてそれは、きっと蜜鈴=カメーリア・ルージュ(ka4009)にもにたことが言えて――。
今、蜜鈴の目の前には、劫火が広がっている。その焔の熱気が、肺をも焼いてしまいそうだ。郷の人々も、事態を飲み込めきれずに逃げ惑っている。
そして、――痛い。頭がずきずきと、目が眩みそうな程に痛い。
彼女も、記憶が一部欠落している。その失ったなにかを、思い出しそうな、そんな気がした。
と、だれかが蜜鈴の手を引く。そして彼女を押す。何人も、何人もが。
「――祖は何故、我らを護らぬ!」
そんな悲痛な声が何度も彼女の耳に飛び込んでくる。しかし彼らは、確かに、確実に、蜜鈴のことを助けよう、どうにか逃がさねばと必死になっていた。
「主様は、生きて」
「死なないで……どうか生きて」
そう言い、力尽きていく者達。それを、彼女は苦しい気持ちで見つめている。
(妾を、置いて逝くな)
頭の中に、そんな声が響き渡る。
彼女の郷の信仰は、最古の龍と言われるものへのモノだった。そしてその龍がもたらし、愛したとされ、そして里人も愛していた水は、民を救うには余りにも役立たずで。
どうにかして身につけた術を放とうと、減らぬ敵の群れなす方へ向かおうとするが、それをすがりつかれて留められてしまってはどうしようもない。
ただ、傲慢の歪虚たちがまき散らしていく紅蓮は、郷を、人を、全てを飲み込んでいく。
(ああ……妾も、妾も皆とともに逝く……××の命は、もうもたぬ……)
脳裏に響く声は、諦めを知ったモノのそれ。どこまでも哀しく、辛そうな響きを持っている。
逃げ延びた後も、決して楽な道ではなかった。
最期の最期までともにあった騎士を目の前で喪った。その血に塗れ徐々に冷たく動かなくなっていく身体を抱きしめ、そして嗚咽と涙があふれ出してくる。
「生きよ、死ぬな……! 父御も母御も、逝ってしもうた……もうこれ以上、妾の民を、……命を失いとうない……!」
しかし、騎士はそんな蜜鈴に最後の力で手を伸ばし、頬にそっと触れた。緋色に塗れた手であるが、蜜鈴はそんなことは気にせず、その手をそっと受け止める。そして、騎士はうっすらと微笑んだのだ。
「うん……そうだ。だから……生きろ……蜜鈴、お前は……生きろ……」
ぱたり、と力なく騎士の手が落ちた。優しい微笑みを浮かべたまま、しかしその瞼は二度と開かれることがないことを、蜜鈴は知っている。
(此度は……ともには在れなんだ……)
脳裏に響く声。
それは蜜鈴のもの、それとも――?
微睡みの中、遠のく意識の中。
民の遺した言葉は、まるで呪いかなにかのように、蜜鈴の心をしくしくと突き刺していく。
――生きねばならぬ。
喪ってしまった、民の命のぶんまで。
同時にこれから見送るであろう、多くの御霊のぶんまで。
そう、自分は生きなければならない。
『今回』は、死を願うことなど、許されるわけもない。
そもそも、死を乞い願うのは心の弱さ。
――しかし、何故それをそこまで強く願うのか。
なぜかは蜜鈴自身にもわからない。ただ、そう感じたのみ。
……生きなければならない、と。
●
死、というモノは生き物全てに平等に訪れる。
しかし、玉兎 小夜(ka6009)はいまだ、その悪夢に囚われている。
想いを伝えた翌日、彼の人は笑顔で戦場に向かった。
――けれど帰ってきたのは、小夜の手渡した赤い布を脇に置かれた、屍だった。
どうして。
どうして、よりにもよって、貴方が。
その想いが、彼女の頭を埋め尽くしていった。
危険な戦いであることには、間違いなかった。けれど、それで命を落とすほどの人は数えるほどしかいなかった。存在しないわけではないけれど、確かに可能性は存在していたけれど。
でもだからと言って、何故。どうして貴方が。
だからこそ、彼女の抱いた想いはごく当然であったとも言えるだろう。
(……憎い)
真っ黒な、負の感情が、彼女を支配していく。
彼女の視界が、彼女の世界が、真っ赤に染まっていく。
小夜は思う。
彼女の世界から大切な人を奪うことになった歪虚も、そしてニンゲンも、――そう言う運命をあの人に課した世界も、なにもかもが
、憎むべきものであると。
それでも、その真っ赤に染まった世界の中で、あの人の言った言葉を思い出したのだ、
『小夜はどうか小夜のままでいて』
と言う、優しい言葉を。
世界が憎くてたまらない、そんな小夜に。
それでも彼の人は、この世界で生きろと言いのこして、そして逝ったのだ。
全てが憎くてたまらないのに、なにをしても息が詰まってしまうのに。
それなのに何故、――普段通りに振る舞うの?
何故泣いてしまわないの?
何故、悲しみを表に出してしまわないの?
そう、いつの頃から彼女は、彼女自身をも憎ましく思っていた。
彼女のことを忘れたかのように、『当たり前』に振る舞う自分を、憎くてたまらなかった。
そう、憎いのだ。
だから小夜は――右の腕を己の頸にかける。
確かに小夜の膂力ならば、自分の頸も一ひねりだろう。……それなのに、何故だろう。最後の一押しができない。とどめを刺すだけの力が入らない。
憎い。けれど、殺すこともできない。
そんな自分が情けなくて、だから憎らしくて、たまらない。
だからせめて、小夜は――滅んでしまえ、と願うのだ。
彼女の願いは、小夜が生きて笑顔で生活することなのだろう。
だから、今は、小夜は生きる道を選ぶ。彼女の願いを叶える為に。たとえどんなに世界が憎くても、自分自身が憎くても。
無表情というなのか面の下で、この世のあらゆるものに呪いながら。
「……なんてことも、あったね」
――そう話しているのは、小夜自身。
――それを聞いているのも、小夜自身。
「うん、……けれど、今の私では、ないかな」
小夜は、かつての自分にそう言って遠くに眼差しをうつす。
この憎しみを内包したまま、それごと受け止めてくれる『あの子』が居てくれる限り、小夜は『あの子』を護ると決めたのだ。
……覚悟、なんて綺麗なものではない。小夜は自嘲気味に笑う。
彼女の行動は、悪夢に浸りながら藻掻くこと――ただそれだけなのだから。
●
家族との離別は誰にでもあることだろう。
そしてその家族と呼べる存在が人間ではないことも、良くあることだ。
氷雨 柊(ka6302)の場合が、まさにそうだった。
柊の、大切な大切な、家族だった愛猫。
突然――そう、突然喪った、大切な家族。
『あの子』を喪って数日経過しているのにもかかわらず、既にないものであるときちんと理解しているにもかかわらず、それでもふと気を抜くと、元気だったころの愛猫の幻影を見たような気がして、ついつい探してしまうのだ。
そしてそんな幻覚を見るたびに、もうあの子はいないのだ、と改めて思い出して自分自身を責め続けた。
あの事件がいっそ本当に悪夢であれば良かったのに――そう思っていた、過去の夢を、今また見ている。
――そもそも愛猫の死は、柊にとっては同時に全ての始まりでもあった。彼女が覚醒者として目覚めたのは、それが切っ掛けだったのだから。
それでも、つらい現実を受け入れても、まだ納得できないことは多々ある。
だからこそ、彼女は悪夢にうなされるようになって、ほとんど寝付けない日々を過ごしても居たのだから。
いつもと変わらない日常、いつもと変わらない平凡。
違うのは、愛猫が居ないことだけ。
そんな中で、柊は無意識に、愛猫の影を追いかけていた。
ちらりと通り過ぎる尻尾を。
刹那聞こえる鳴き声を。
チリンと響く、鈴の音を。
それらを追いかけようとして手を伸ばして――そして現実を思いだして、ぱたりと手を力なく落とす。
(ああ、また……まだ『あの子』が生きているかのような気がしてしまう)
そう、何事もなかったかのようにひょっこりと白いふわふわの毛並みが表れるのではないかと、無意識に期待してしまう。
もう、いないって判っているのに。
判っていても、期待してしまう。家族同然だった愛猫がまた出てくることを、望んでしまう。
柊は座布団の上に目をやり、それから小さな棚の上、縁側、……あちらこちらに視線を彷徨わせる。
それらは『あの子』のお気に入りの場所だったり、午睡の場所だったり、……あの子の面影が残る場所で。そうやって目で追いかけても見つからないと判っていても、探してしまう。思い出の場所は、この家の敷地のあちこちにある。
そう、庭の桜の氣の前で、毎年春になると、はらはら舞い落ちる花弁と戯れていたその様などは今も鮮明で。
――けれど、そんな思い出の場所は数あれど、そこに『あの子』はいない。
あの子にいて欲しかった。
あの子の戯れるさまを見ていたかった。
しかしそれはもう無理というものだと言うことも、判っているのに。
そう、判っているのに。
あの子はあの夜――死んでしまった。歪虚に殺された。
けれどそれを、柊はずっと引きずっている。『自分が殺してしまったも同然なのだ』と。
(……あのとき私が不注意だったから、ちゃんと気をつけていれば、……あんなことにはならなかった、のに……!)
彼女の胸の内を覆い尽くすのは後悔の念と罪悪感。
助けられる命を、己の不注意から喪ってしまった罪の意識。
だからこそ、柊は思うのだ。
罪悪感で苦しくても、愛猫の居ないことがどんなに悲しくても、忘れてはいけない、と。
きっとこの夢を、幻を見なくなってしまえば、この気持ちも薄れて、忘れていくかも知れない――そう思うと、それは怖いことだったし、そして同時に柊にとってそれが許されざることだと判っている。
忘却は罪であり、それを受け入れてしまう自分自身も許せなくなる。柊はそう思っている。
忘却が救いであることも多いのに、彼女の認識は、忘却そのものが罪だった。忘却してしまえば、確かに辛さは一時失われるだろう。しかし、それは――柊にとっての罪なのだ。
それでも、と胸に手を置き、柊は思う。
(それでも……やっぱり、苦しいの。あの子が、いないのは)
何度何度夢に見ただろう。
柊の、懐かしく、そして切ない、愛猫への想いが生んだ幻影を追いかけるその夢は、――まだ終わりが見えない。
●
クラン・クィールス(ka6605)は、呟いていた。苦しげな声で、苦しげな表情を浮かべて。
「アンタは、……裏切った、アンタが、アンタが……」
人間というのは罪深い生き物だ。けれども、それを断罪するのは必ずしも正義とは言い切れない。
クランの見ている夢が、まさしくそれだった。
まだひとりで旅を続けていた頃。そもそもひとりで旅をする切っ掛けは、家族を喪い、己の居場所を見失ったことに端を発するのだが、ひとり旅というモノは寂しく、そしてより添えるものもなく、まだまだ幼さの残る当時のクランは心身共に日に日に疲弊していった。
そんなある日、
「大丈夫か?」
そう言って、ある男性がクランに手を差し伸べてくれたのだ。
「まだ幼いのに、ひとりで旅はきついだろう。なにがあった」
男性の差しだしてくれた手のひらは、その時のクランにとってはまさに希望、まさに光と同じようなもので。
クランはその手にそっと手を差し出すと、男性はぎゅっと握り返してくれた。
「随分やつれているじゃないか。きっと辛いことがあったんだろうな」
そう言ってくれた声も、優しく聞こえて。
クランは、その温もりに抱きしめられていた。気付けば、涙もこぼれ落ちていて。
「ああ、よしよし。辛かったな、ボウズ、名前は」
「……クラン」
「そうか、いい名前だな」
少年を受け止めてくれるあたたかな温もり――これを信じられると思った。
そう、信じていたかった。
久々に宿に泊り、夕飯をたらふく食べさせて貰い、ベッドで眠らせて貰っていた。しかしふと目が覚めたのは、偶然か、必然か。
目が覚めた時、男はまだ寝床には行っておらず――その代わり、ドアの向こうで、何人かの男が話している声がする。
「聞いてると天涯孤独の身の上らしい。問題ねぇよ」
「綺麗な顔してるし、すぐに買い手もつくだろうさ」
「そんなに自信たっぷりで大丈夫か?」
「当たり前だろ、あのがきは俺を信用しきってる」
「はは、違いない」
男達はそんなやりとりを交わしていたのだ。クランは思わず眩暈を感じていた。
やっと手に入れたい場所だと、そう思っていたのは、偽りの笑顔だったのだと気付いたから。
男は、人身売買に手を染めていたのだ。身寄りのない子どもなどを騙して籠絡し、どこかへ売り飛ばす――そんな、非道きわまりない、血も涙もない男だったのだ。
自分もそんな運命になるかと思うと、怖気が走る。
そして同時に、あの男への筆舌しがたい感情がふつふつとわき上がってくる。
偽りの優しさ、笑顔、それらを見抜けなかった己への悔しさと、そんな自分を欺こうとする男への恐怖と怒り。
それらがない交ぜになると、クランは無表情に再びベッドに潜り込んだ。目は閉じても、頭は冴え渡っている。ベッドの中には、護身用のナイフ。
しばらくたつと、男がすっかり上機嫌で寝室に戻ってきた。酒臭い息をクランにかけ、そのまま満足そうに横になる。やがてすうすうと静かな寝息が聞こえはじめたところで、ゆっくりと寝床から起き出した。
そして、――鈍い手応え。
シーツに広がる、緋。
聞こえる苦悶の声。
徐々に冷えていく、男の体温。
しかしクランは止まらない。止められない。
無償の善意など存在しないと気付かされた。騙されているなんて思いもよらず、その可能性を一切考えず、まんまと信じていた自分。
大切なものを喪った時とも違う絶望感、そしてわき上がる怒り。
それは自分に向けられたものか、男へのものか、それすらもわからないくらいだったけれど――。
クランはそれからすぐに宿を出て、逃げ出した。
自分を追いかけてくるものがいるかも判らないけれど、それよりも早く逃げて、自分が追いつかれないようにしないといけない。
そして、クランはうわごとのように呟き続ける。
「アンタは、裏切った。……だから、アンタが、アンタが、悪いんだ」
そう、自分に言い聞かせて。
自分の心がこれ以上壊れてしまわないように。
●
――喪失だけが、悪夢ではない。
レナード=クーク(ka6613)の夢は、暗黒。
光の差さないどこか、ひんやりとした場所。周囲にはなにもなく、レナードはそこに佇んでいる。
(暗いのは怖くて不気味やし、なんかいややわぁ)
そう呟いても、反応はどこにもない。と言ってもここで動かぬままでも埒があかないので、歩き始めた。時々跳ねたりもして、足元を確認する。
『床』とよべるものがあるかも判らないけれど。……それでも、なにもしないよりはましだった。
そうやってぼんやり歩くことしばし、目も少しずつ慣れてきた中で、人影らしきものがいることに気が付いた。どうやら小さな子どものようだ。
「どないしたん?」
尋ねてみると、わからない、というふうに首をそっと横に振る。
レナードは悩んで、ぽんと手を叩いた。
「それなら、僕がなにかお話でもしたるわ」
と言ってもレナードにそのような心得はそれほどあるわけでなく、自分の今までの経験などが主になってしまったが、子どもたちは目を輝かせて聞いてくれた。
「おにいちゃん、またね!」
子どもたちとは別れ、再び歩き出そうとすると、そんな声が背後からした。
(……ふふ、ええなぁ。あんな元気に遊び回れるなんて、楽しそう、やんねぇ)
レナードはそう思いながら、また歩み出す。
それからどれ程時間がたったろう。ふっと目の前が懐かしい景色に変わった。故郷の森――懐かしさを感じると同時に、幼い頃の心の瑕が、しくりと傷んだ。
故郷の外であの子たちと出逢った後、レナードは父に責められたのだ。
「他人への感情など不要。笑った顔など見せるんじゃない」
そう言われたのだ。
父だけでなく、母にも、友人にも、多くの仲間たちからも。
そしてその後連れて行かれたのだ。あの真っ暗闇に似た場所へ。
彼の居た場所はすなわち、記憶の追体験だったのだ。
レナードの世界は再び暗転する。あの暗闇の世界へと。
レナードは思う。
(……あの子たちも、俺にとっては『悪夢』なんだ。だって、楽しかったことよりも、……それよりも俺はあの子たちのことが――)
ぐっとつばを飲み込んで、そして思う。
(……父さんは、何度俺を『消』せば気が済むんだろう……)
故郷は好きだ。美しい景色がある。
そして、家族も大好きだ。
けれど、レナードは……それと同時にそれらが大嫌いでたまらなかった。
だからこそ、彼は故郷を出るという選択をしたのだから。
どうかこれが夢ならば、早く覚めて欲しい。
そう胸の中で思いつつ、彼はこの堂々めぐりを続けるのだ。
●
昔の人は夢を売り買いしていたとも言う。
どうか、この数々の悪夢が獏に食され、そして心地よく眠れますように――。
依頼結果
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2017/04/09 20:13:39 |