ゲスト
(ka0000)
瞼の裏の色
マスター:サトー

- シナリオ形態
- ショート
- 難易度
- 普通
- オプション
-
- 参加費
1,000
- 参加制限
- -
- 参加人数
- 4~6人
- サポート
- 0~0人
- マテリアルリンク
- ○
- 報酬
- 普通
- 相談期間
- 5日
- 締切
- 2014/12/25 12:00
- 完成日
- 2014/12/27 11:49
みんなの思い出
思い出設定されたOMC商品がありません。
オープニング
大きな樹だった。
大樹に向かって緩やかな盛り上がりを見せる、穏やかな丘陵。
見渡す限りの草原に、海岸線からの潮風が心地よく吹きわたる。
草花がそよそよと揺られ足元をくすぐるのも、男の気を惹くには脆かった。
男はもう夢中になっていた。瞳はきらきらと輝き、瞬きすら忘れて立ちすくむ。手にした剣を取り落とし、口を半開きにしているのも知らず、歓喜に震える足が棒のようになって男を地面に釘付けにする。
このような見事な樹など、今まで見たことが無かった。
これから先、これ以上のものとまみえることがあるとも思えなかった。
眼前に佇む、樹齢何百年となろう大樹に、男の心は完全に奪われていた。
大地を染める緑に色とりどりの花々がまぶされ、空を覆うはどこまでも続く清浄なる青。紺碧の空を迷子になった一塊の雲がそぞろに惑い、燦然たる太陽の陽に白々しく口を挟む。
空の高い、広々とした草原に、たった一本そびえ立つ巨木。
両手で抱き付いても全く届かない、極太の幹。
木肌はごつごつと厳めしく、大樹の名に恥じるものではない。
地を這う根はこれまた太く、長く、また一部を土から隆起させ、大地に深く根ざしている。枕にするには太すぎるが、腰を下ろすには不足無い。今まで一体何人の旅人が、この根を利用しただろうか。想像が及ぶべくもない。
四方に目一杯もろ手を伸ばし、照り付ける太陽から旅人の憩いの場を作る緑の傘。
揺らぐ枝の上で踊る若々しい葉が降りそそぎ、眠り人の顔を静かに埋めていく。
風が湿気を孕んで男の頬をくすぐった。くせっ毛がくるくると縮まり、微かに男の目をよぎる。
目に映る全てのものに畏怖と羨望をこめ、男はただただ神に感謝した。
●ハンターオフィスにて
「その方の護衛、というわけでしょうか?」
女性職員の問いに、中年の男性が首を傾げた。
「どうなんだろうな。護衛っつうより、介護の方が近いかもしれんが」
男の言葉に、職員はとりあえず頷きを返す。
「その爺さんを、ある場所に連れて行ってもらいたいだけだ」
「ある場所とは?」
「俺たちの村から北へ半日ほど行ったところにあるらしい。詳しい場所は俺も知らねえ。爺さんの話じゃ、でっけえ大木があるらしいから、行けば分かるってよ」
今度は女性職員が首を捻る。
「連れていくだけで良いのですか?」
「ああ。それが爺さんの望みなんだ。
昔、そこの樹の下に武具一式を埋めたらしい。傭兵稼業との決別、とかなんとか。兜に大きなへこみがあって、胸当てにも大きく裂かれた痕があるらしいから、すぐに分かるだろう。それらの発掘も一緒に頼もうかな」
言って、男は悩ましそうに頬を引き締め、口を結んだ。
「隣の家の爺さんはよ、ずっと一人暮らしでな。とても昔傭兵をしていたとは思えないほど気の優しい穏やかな人なんだが、もう随分と歳がいっちまってるんだ。自力じゃ、もう、動けねえほどにな。いつ死んでもおかしくねえんだよ」
男は首を左右に振って、残念そうな顔をする。
「だから最後に、五十年前の想い出の場所、ってところに連れていってやりてえんだ。
馬車は一台こっちで手配する。俺は仕事があるから一緒に行けねえが。
出発は早朝だ。話通りなら夕方には着けるはずだ。御者とかはそっちで頼んでもいいか?」
「はい、承知いたしました」
席を立った男が、あっと言って職員に向き直った。
「言い忘れてた。爺さんはもう目が見えなくなっちまってるんだ。
だから、その場所に着いたら、爺さんの目の代わりをしてやってほしい。喋ったり聞いたりする分には問題ないから、心配しないでくれ」
その話を脇で聞いて興味を覚えたあなたは、依頼を受けてみようと女性職員に声をかけようとした。そのとき、一人のハンターらしき初老の男が、あなたに声をかけてきた。
「今の依頼、受けようとしてるんだったら止めたほうがいいぜ」
なぜかと問う目を向けられ、ハンターは咥えていたタバコの火を消した。
「俺は去年そこを通って来たからだ。
あそこは、知る人ぞ知るっつう場所でな。一部の物好きには風景が素晴らしいってよく知られてたんだが、それも今は昔。栄光はいつまでも続かないもんだ。
俺が通った時には、大地は荒れ果て、ゴブリンが棲みついていた。あのどでかい巨木も落雷でずたずたにされちまってたし、この時期は特に天候不順で大変だ。今なんか、雪も降り積もっているだろうしな。昔の面影なんて、これっぽっちもない。苦労して連れていくだけ損だぜ。
爺さんだって、そんな光景知りたくないだろうさ。想い出は綺麗なままでってな」
気の毒だがな、とハンターは懐から新たにタバコを取り出し、どこかへ歩いて行った。
あなたは一瞬躊躇いを見せた後、首を振って、女性職員の下へ足を向けた。
●
「あなたがたが、件のお方たちですかな?」
依頼人の男性に肩を担がれて民家から出てきたのは、身の丈百八十はあろうかという大柄な御仁だった。傭兵をしていたという当時のことを思えば、その恵体による働きは凄まじいものだったことが窺える。
だが、現在の姿は、当時のことを知る者には、とても想像だにつかないほど痩せていた。自力で立つのも困難という依頼人の言葉通りの風体だ。
今日の為に身を清めてきたのか、白髪は綺麗に整えられ、全身を覆う麻のローブにも汚れは見られない。みすぼらしい雪駄から見える足は寒々と赤冷えし、手と同様に骨と皮だけのようで痛々しいが、老人は全く気にしていないようだった。もしかしたら、もう手足の感覚も随分と鈍ってきているのかもしれない。
「こんな爺の我がままをお聞き下さり、感謝いたします。
面倒をかけますが、暫しの間、ご辛抱くだされ」
そう言って、老人は優しく微笑んだ。
大樹に向かって緩やかな盛り上がりを見せる、穏やかな丘陵。
見渡す限りの草原に、海岸線からの潮風が心地よく吹きわたる。
草花がそよそよと揺られ足元をくすぐるのも、男の気を惹くには脆かった。
男はもう夢中になっていた。瞳はきらきらと輝き、瞬きすら忘れて立ちすくむ。手にした剣を取り落とし、口を半開きにしているのも知らず、歓喜に震える足が棒のようになって男を地面に釘付けにする。
このような見事な樹など、今まで見たことが無かった。
これから先、これ以上のものとまみえることがあるとも思えなかった。
眼前に佇む、樹齢何百年となろう大樹に、男の心は完全に奪われていた。
大地を染める緑に色とりどりの花々がまぶされ、空を覆うはどこまでも続く清浄なる青。紺碧の空を迷子になった一塊の雲がそぞろに惑い、燦然たる太陽の陽に白々しく口を挟む。
空の高い、広々とした草原に、たった一本そびえ立つ巨木。
両手で抱き付いても全く届かない、極太の幹。
木肌はごつごつと厳めしく、大樹の名に恥じるものではない。
地を這う根はこれまた太く、長く、また一部を土から隆起させ、大地に深く根ざしている。枕にするには太すぎるが、腰を下ろすには不足無い。今まで一体何人の旅人が、この根を利用しただろうか。想像が及ぶべくもない。
四方に目一杯もろ手を伸ばし、照り付ける太陽から旅人の憩いの場を作る緑の傘。
揺らぐ枝の上で踊る若々しい葉が降りそそぎ、眠り人の顔を静かに埋めていく。
風が湿気を孕んで男の頬をくすぐった。くせっ毛がくるくると縮まり、微かに男の目をよぎる。
目に映る全てのものに畏怖と羨望をこめ、男はただただ神に感謝した。
●ハンターオフィスにて
「その方の護衛、というわけでしょうか?」
女性職員の問いに、中年の男性が首を傾げた。
「どうなんだろうな。護衛っつうより、介護の方が近いかもしれんが」
男の言葉に、職員はとりあえず頷きを返す。
「その爺さんを、ある場所に連れて行ってもらいたいだけだ」
「ある場所とは?」
「俺たちの村から北へ半日ほど行ったところにあるらしい。詳しい場所は俺も知らねえ。爺さんの話じゃ、でっけえ大木があるらしいから、行けば分かるってよ」
今度は女性職員が首を捻る。
「連れていくだけで良いのですか?」
「ああ。それが爺さんの望みなんだ。
昔、そこの樹の下に武具一式を埋めたらしい。傭兵稼業との決別、とかなんとか。兜に大きなへこみがあって、胸当てにも大きく裂かれた痕があるらしいから、すぐに分かるだろう。それらの発掘も一緒に頼もうかな」
言って、男は悩ましそうに頬を引き締め、口を結んだ。
「隣の家の爺さんはよ、ずっと一人暮らしでな。とても昔傭兵をしていたとは思えないほど気の優しい穏やかな人なんだが、もう随分と歳がいっちまってるんだ。自力じゃ、もう、動けねえほどにな。いつ死んでもおかしくねえんだよ」
男は首を左右に振って、残念そうな顔をする。
「だから最後に、五十年前の想い出の場所、ってところに連れていってやりてえんだ。
馬車は一台こっちで手配する。俺は仕事があるから一緒に行けねえが。
出発は早朝だ。話通りなら夕方には着けるはずだ。御者とかはそっちで頼んでもいいか?」
「はい、承知いたしました」
席を立った男が、あっと言って職員に向き直った。
「言い忘れてた。爺さんはもう目が見えなくなっちまってるんだ。
だから、その場所に着いたら、爺さんの目の代わりをしてやってほしい。喋ったり聞いたりする分には問題ないから、心配しないでくれ」
その話を脇で聞いて興味を覚えたあなたは、依頼を受けてみようと女性職員に声をかけようとした。そのとき、一人のハンターらしき初老の男が、あなたに声をかけてきた。
「今の依頼、受けようとしてるんだったら止めたほうがいいぜ」
なぜかと問う目を向けられ、ハンターは咥えていたタバコの火を消した。
「俺は去年そこを通って来たからだ。
あそこは、知る人ぞ知るっつう場所でな。一部の物好きには風景が素晴らしいってよく知られてたんだが、それも今は昔。栄光はいつまでも続かないもんだ。
俺が通った時には、大地は荒れ果て、ゴブリンが棲みついていた。あのどでかい巨木も落雷でずたずたにされちまってたし、この時期は特に天候不順で大変だ。今なんか、雪も降り積もっているだろうしな。昔の面影なんて、これっぽっちもない。苦労して連れていくだけ損だぜ。
爺さんだって、そんな光景知りたくないだろうさ。想い出は綺麗なままでってな」
気の毒だがな、とハンターは懐から新たにタバコを取り出し、どこかへ歩いて行った。
あなたは一瞬躊躇いを見せた後、首を振って、女性職員の下へ足を向けた。
●
「あなたがたが、件のお方たちですかな?」
依頼人の男性に肩を担がれて民家から出てきたのは、身の丈百八十はあろうかという大柄な御仁だった。傭兵をしていたという当時のことを思えば、その恵体による働きは凄まじいものだったことが窺える。
だが、現在の姿は、当時のことを知る者には、とても想像だにつかないほど痩せていた。自力で立つのも困難という依頼人の言葉通りの風体だ。
今日の為に身を清めてきたのか、白髪は綺麗に整えられ、全身を覆う麻のローブにも汚れは見られない。みすぼらしい雪駄から見える足は寒々と赤冷えし、手と同様に骨と皮だけのようで痛々しいが、老人は全く気にしていないようだった。もしかしたら、もう手足の感覚も随分と鈍ってきているのかもしれない。
「こんな爺の我がままをお聞き下さり、感謝いたします。
面倒をかけますが、暫しの間、ご辛抱くだされ」
そう言って、老人は優しく微笑んだ。
リプレイ本文
エルティア・ホープナー(ka0727)とイスタ・イルマティーニ(ka1764)の二人にそれぞれの手を引かれ、老人は馬車に乗り込んだ。
「こちらを」と、イスタは毛皮のマントを二着羽織らせてやる。一つは自身の、もう一つはラウィーヤ・マクトゥーム(ka0457)から事前に頼まれていたものだ。
ローブ一着では余りに寒いだろうという二人の気遣いを受け、老人は感謝の言葉を述べ、重ね着をする。更に、イスタとエルティア、ヒスイ・グリーンリバー(ka0913)が上から毛布を重ねがけしてやった。これで十分寒さは凌げるだろう。
イスタ・エルティア・ヒスイを乗せて、御者のラウィーヤが馬車を歩かせる。
那月 蛍人(ka1083)とヴォルテール=アルカナ(ka2937)は、自前の馬にて馬車の脇を固め、周辺の警戒の役割を担った。
特に道中危険があるとは言われていないが、猛獣や雑魔がいないとも限らない。注意して損はないだろう。
「名前を伺ってもいいかしら?」
エルティアの問いに、老人は「ジョワ」と名乗った。
ジョワの暖かそうな毛布の上には、エルティアの猫のリィが丸まっている。
「不躾とは存じますが、この旅の間だけはお爺様とお呼びしても宜しいでしょうか?」
ジョワは微笑んで、イスタに頷く。目は見えずとも、声のする方は分かる。
「あの、到着するまで時間がありますし、お話を聞かせて貰えませんか?」
ヒスイの申し出に、エルティアとイスタも賛同する。
「ジョワ、貴方がこれまで辿ってきた物語を聞かせて? 辛くない程度に、少しずつでも良いの」
彼の心を感じて、同じ光景を心に描きたいと、エルティアは願う。
イスタもまた、ジョワの目となる為の判断材料を探したかった。イスタには、ジョワが骨を埋める場所を探しているように思えてならなかったのだ。
「物語、ですか。そんな大層なものではないですが……そうですな。暇潰しくらいにはなりましょう」と、ジョワは猫を撫でた。
「ちょっと先を見てきます」と駆けた蛍人を、傭兵隊の仲間であるラウィーヤが見送る。
辛い現実を直視せざるを得ない傭兵業、自らの道の先に居た人。先輩であるジョワへの敬意と興味を胸の内に秘め、ラウィーヤは手綱を握りしめる。
蛍人に片手を上げたヴォルテールも、馬車を振り返りぽつりと漏らした。
「昔の栄光、か……」
彼に希望と喜びを、それだけを思って。
ちょっと早い昼食の休憩を取ることになった一行は、蛍人とヴォルテールが見繕った安全そうな場所で馬車を停めた。
冬場とはいえ、日光のお陰でいささか暖はある。
蜂蜜に浸して柔らかくしたパンを、ヒスイがジョワに差し出す。食欲が余り無いといえども、水と干し肉だけでは良くないだろう、と思ったのだ。
ジョワは有り難く受け取って、じっくりと噛みほぐして食べた。
「えっと、傭兵のラウィーヤといいます。宜しく、お願いします」
「おや、傭兵の方でしたか」とジョワは、眉を上げる。
「俺もです」と続く蛍人は、干し肉だけでは足らずに、持ち込んだパンをがつがつと食べる。
「お爺様、お身体はどうですか?」
イスタの気づかわしげな声に、ジョワは弱った手を掲げて見せる。先ほどの馬車内での会話は、疲れが見えたことで早々に打ち切られていたのだ。
「もう大丈夫。ご心配おかけしましたな」
イスタらはほっと安堵する。
無理をしなくても、との皆の心配に、ジョワは首を横に振り、話し始める。
「傭兵には……望んでなったのではありません」
ジョワはゆっくりと話し始めた。
「時代、とでも言うのでしょうか。当時は今ほど、覚醒者の数はおりませんでな」
皆の為に戦える力があった自身には、傭兵になるのは自然な流れだった。
「ですが、後悔はしておりません。私は、確かに、この手で多くの人の笑顔を救うことができたのですから」
ジョワは両の掌を見つめる。瞼の裏には、かつての力強い手が映っているのだろうか。
「各地を転戦としたお陰で、多くの人と出会うこともできました」
貴方のように大切な仲間とも、とジョワはラウィーヤと蛍人に微笑む。
「そして、決して、見ることが叶わなかった景色とも……」
軽く咳き込むジョワに、イスタが優しく背を撫でる。
「……これから行く場所にも、ですか?」
ヴォルテールの言葉に、ジョワははっきりと頷く。
「あれは、一仕事を終えた帰り道のことでした。見事な樹でした……」
引き寄せられるように動いた足。
「……季節はいつごろですの?」
話を繋ぐようにヒスイが問いかける。
「春も終わろうかという頃合いですかな」
穏やかな風に、小鳥の囀り。潮風が淀んだ肺を洗い流し、疲労した身体を木々の香りが優しく擦る、その中で、たった一本、見渡す限りの草原を見下ろしている大樹。
「彼より大きな樹はあるでしょう。彼より長生きしている樹もあるでしょう。ですが……」
彼ほど立派な樹は、孤独な樹は、誇り高い樹は、どこにもないと、ジョワは言う。
エルティアから手渡された水を一口含み、「彼女、かしれませんが」と続ける。
頭を垂れるように見下ろした自身の姿。血のこびり付いた身体の意味が脳裏をよぎって。
そうしたら、何故だか気持ちが切れてしまったのだと、ジョワは語る。傭兵業との決別はあっけないものだった。
ジョワは口を結ぶ。暫しの沈黙が流れ、ラウィーヤが問う。
「……あの、何故今になって、その場所へ戻りたい、と?」
「それは……」
ジョワがそれ以上語ることは無かった。
●
再び出発してから幾刻が過ぎた頃、空から雪の穂が降り始めてきた。
「雪が深くなる前に進もう」
ヴォルテールの言葉に、蛍人とラウィーヤが同意する。
雪は徐々に大地を白く染め始め、冷気は一層強まりをみせる。
疎らな木が遂に途切れかけた頃、大樹が遠くに見えた。とはいえ、見えたのは、天に捧げた半身のみ。恐らくもう半身は落雷により、大地に倒れているのだろう。
「……噂の奴らがいるかもだ。俺達だけで行ったほうがいいかもな」
ヴォルテールと蛍人は下馬し、馬車近くの木に繋ぎ、偵察に出る。ラウィーヤは馬車を停め報告を待った。
「あれは……」と目を細めたヴォルテールの視線の先には、ゴブリンが三体。前情報にあったジョワの遺棄した装備らしきものを身に着けていた。
蛍人も同様に察している。
二人は馬車まで戻り、状況を伝えた。ジョワには知らせない。わざわざ不安にさせることもないだろう、と。
ゴブリン討伐に向かったのは、ヒスイを除く五人。
戦闘に苦手意識のあるヒスイは、ジョワの世話と護衛を買って出た。
五人は逃げられないよう包囲するように広がる。
装備を傷つけずに回収する、それは全員の共通の想いだ。
ハンターらに気付いたゴブリンが寄ってくる。
先頭の鎧ゴブリンに正面から向かったのは、ラウィーヤ。
先制してきた敵の攻撃を盾で受け止める。
「……返して、下さい」
胸当てに傷をつけぬよう敵の隙を作る。そこを事前に頼まれていた通り、蛍人が頭部にホーリーライトを打ち込んだ。
「勝手に持って行ってもらっちゃ困るんだよな!」
痛みに声を上げたゴブリンを、ラウィーヤが剣で首を刎ねる。
少し離れたところでは、ヴォルテールが全身にマテリアルを漲らせてメイスを振るうが、ゴブリンが動く度に兜が揺られ、狙いが定まらない。
「……ちょこまかと動くのは、目障りだな」
ヴォルテールは敵の攻撃を躱し、足にメイスを引っ掛ける。
転んで兜が脱げたゴブリンを、イスタの研ぎ澄まされたマジックアローが狙い打った。
劣勢を見て、最後のゴブリンが逃走に動く。
「逃がすかよ!」
蛍人が待機させていた馬に乗り、戦闘に怯えていた馬を何とか宥めて先回りする。馬から飛び降りた蛍人が、大振りな剣を避け、シールドバッシュで転倒させた。
「逃がさないわよ」
精霊の幻影が巻き付いたエルティアの利き腕から放たれた矢が、倒れたゴブリンの頭を貫き、ゴブリンは地に伏せた。
無事に無傷で取り返した装備を持ち帰る。
「ちょっと臭うですの」
出迎えたヒスイは装備についたゴブリン臭を落とそうと、土でごしごしと表面を擦った。後は現地で渡すだけだ。
●
夕暮れが迫る。一面の雪景色。
車輪が雪に足をとられ、已む無く途中から徒歩での移動となった。
エルティアとイスタがジョワの脇を支え、ヒスイが背中を優しく押す。
大樹は、根本から真っ二つに分かたれ、倒れた半身は、ゴブリンが住処に利用していたのか、雪がかかってなくぼろぼろだ。
「雪が積もってるから草原じゃないですの。春に草生えたら綺麗なんでしょうね」
ジョワの思い出を汚さないよう、ヒスイは言葉を濁す。
「……貴方の目的地は、此処ですか?」
ヴォルテールは目を閉じ、問いかけるようにジョワに呟く。
人も木も……栄えれば、衰退する。物悲しさを覚えつつ。
見たままを伝えるべきなのか否か、それは幾ら考えても分からなかった。だから――
「聞かせてください。貴方には、何が見えているか……貴方の行きたい場所を……」
「行きたい場所……」
ジョワの呟きは、潮風に攫われる。
誰も口を挟まない。みな、静かに見守っている。
何かを探るように腕を持ち上げたジョワの手をとり、ヴォルテールは残っている半身の無事な場所に触れさせてやる。
「……貴方が感じるもの……それを、俺に教えてください」
ぽとり。
ジョワの閉じた瞼から、涙が一粒零れ落ちる。
「あぁ……これだ」
ごつごつとした木肌の感触が、ジョワの脳裏からあの日の記憶を呼び起こす。
ジョワの人生を一変させた、あの神々しいまでの風景を。あの匂いを。あの息吹きを。
「良かった……」
ジョワは言葉を詰まらせる。
蛍人はそれを見て口元を引き締めた。
心が強ければ辛さを感じないとは言い切れない。余計なおせっかいと言われても、「真実」を告げるのは酷ではないのか。気の引ける所はあれど、それがジョワの為になるなら、と。
エルティアもまた、胸の内に葛藤を秘めていた。
真実を伝えたい。けれど――それは絶望する為の真実ではない。彼等の生きた物語を安らかな喜びで綴じる為の真実なのだ。ジョワは今、自身の肌でどう感じているのか……。
沈黙が緊張する。
ジョワの手が大樹から離れ、みなを振り返る。
「ありがとう。心優しき方々よ」
ジョワは続ける。「全てを教えて欲しい」と――。その顔に悲壮なところは見られない。
「ラウィーヤさん、今になって何故ここへ、と聞かれましたな」
ラウィーヤは黙って頷く。
「風の便りに、聞いたのです。ここのことを――」
ジョワは語る。その噂を信じることはできなかったと。だが、樹に手を触れて分かったのだと。もう死んでしまっている、ということに。
「ヴォルテールさん、ありがとう」
「……申し訳ありません」
沈痛そうな表情で、ヴォルテールは謝罪する。
「何を謝るのです。私は感謝しています。今再び、あの時の光景を鮮明に思い出すことができました。それは、貴方のお陰ですぞ」
ジョワは、ほっほと笑い、その樹の在り様を尋ねる。
「……立派な樹だ」
蛍人が答える。
「はい、見事な大木です」
イスタは微笑む。
「世情が移り変わりますように、人も樹も同様に年老いていきましょう。
ですが、お爺様。この大木は、年輪を重ね役目を全うしきったのですわ。
多くの人々に感動を与え、天寿を全うし、大地へと還る。
お爺様が今ここにおられることこそが、この大木の何よりの生きた証だと思いますの」
「そうね……。ジョワ、貴方に聞いた通り、とても素敵な場所よ」
エルティアも引き継ぐように言葉を紡ぐ。
「沢山の想いと時間を抱きしめて、多くのものを見送ってきた場所……。
ふふふ、今の貴方にそっくりよ。精一杯生きて、命を全うする為に輝いたわ。
きっとこの子も、貴方を待っていたんじゃないかしら?」
「……そう、ですな」
ジョワは再び木肌に手を触れる。
「少しばかり遅れて、すまないな……」
その顔にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
ラウィーヤはその背中をじっと見守っている。
死期を悟りながらも尚困難な旅を選んだジョワ。老いて尚揺るがぬ強い心に、ラウィーヤは強い敬意を抱いていた。これが彼の求めた結末なら、と目を伏せる。
「あっ!」
唐突に声を上げたのは、ヒスイ。
「あれを!」
ヒスイの指さす先には、地に伏せた半身。その幹から、数本の若枝が微かに顔を覗かせていた。
ジョワは事態を掴めていない。慌てて説明するヒスイに、ジョワは呆然と樹に触れた手に力をこめた。
「お前はまだ生きていたんだな……」
ジョワの頬を、新たな雫が流れ落ちた。
●
帰るか否かをラウィーヤに問われ、大事そうに装備を抱えていたジョワは「もう少しここにいたい」と答えた。
久方ぶりの抱擁をするその様は、とても分かちがたいように見えた。
暮れなずむ空。押し寄せる寒気に、火を熾し、夕食を取ることにした。
ヒスイらは根っこの雪を払って、毛布を敷いてジョワを座らせる。
イスタの提案で温かいものを、ということで、出発前に村で借りた鍋に牛乳を注ぎ、火にかけ、堅いパンを煮詰める。
「料理は得意ではありませんが、干し肉より柔らかいので喉も通りましょう?」
ヒスイらも材料を提供し、よそった皿の上に、チーズとナッツを振りかける。
ジョワも美味しそうに食事をし、ホットミルクを啜っていた。
ジョワは脇に置かれたかつての装備を懐かしそうになでる。それは自身の半生だ。
苦楽を共にしてきた相棒と、最後に再会できたのは何よりだった。
皆は温かな食事を楽しんでいる。
ジョワは、ゆっくりと瞼を開き、ゆっくりと閉じた。まるで、自身の瞳に、その光景を焼き付けるかのように。
顔は分からない。だが、目は見えなくとも、心は見える。
何と温かな人達だろうか。
自身の生きた証が彼らにも刻まれるだろうことに、ジョワは微笑み――ゆっくりと、身体が傾いでいった。
隣に座っていたイスタが咄嗟に支える。
「くそっ!」
蛍人がヒールを連呼する。それが効くと思ったからではない。何かせずにはいられなかったのだ。
エルティアとイスタが、ゆっくりとジョワを地面に横たわらせる。
ヴォルテールが呼吸を確認し、無念そうに首を横に振った。
「……この依頼、ジョワさんは満足してくれたのかな」
蛍人の呟きに、ヒスイが上を向いて「きっと」と応じる。
「この顔が、答えなんじゃないかしら?」
エルティアの言葉が示す通り、ジョワの顔はとても穏やかな笑みを浮かべていた。
遺体は、ジョワの望みであろう大樹の下に埋葬することにした。離れ難そうにしていた装備も、一緒のほうが、と遺体に添える。
「……ゆっくり休んで、下さいね」
ラウィーヤの呟きとともに、一つの命が永遠の安息にその身を沈めた――。
「こちらを」と、イスタは毛皮のマントを二着羽織らせてやる。一つは自身の、もう一つはラウィーヤ・マクトゥーム(ka0457)から事前に頼まれていたものだ。
ローブ一着では余りに寒いだろうという二人の気遣いを受け、老人は感謝の言葉を述べ、重ね着をする。更に、イスタとエルティア、ヒスイ・グリーンリバー(ka0913)が上から毛布を重ねがけしてやった。これで十分寒さは凌げるだろう。
イスタ・エルティア・ヒスイを乗せて、御者のラウィーヤが馬車を歩かせる。
那月 蛍人(ka1083)とヴォルテール=アルカナ(ka2937)は、自前の馬にて馬車の脇を固め、周辺の警戒の役割を担った。
特に道中危険があるとは言われていないが、猛獣や雑魔がいないとも限らない。注意して損はないだろう。
「名前を伺ってもいいかしら?」
エルティアの問いに、老人は「ジョワ」と名乗った。
ジョワの暖かそうな毛布の上には、エルティアの猫のリィが丸まっている。
「不躾とは存じますが、この旅の間だけはお爺様とお呼びしても宜しいでしょうか?」
ジョワは微笑んで、イスタに頷く。目は見えずとも、声のする方は分かる。
「あの、到着するまで時間がありますし、お話を聞かせて貰えませんか?」
ヒスイの申し出に、エルティアとイスタも賛同する。
「ジョワ、貴方がこれまで辿ってきた物語を聞かせて? 辛くない程度に、少しずつでも良いの」
彼の心を感じて、同じ光景を心に描きたいと、エルティアは願う。
イスタもまた、ジョワの目となる為の判断材料を探したかった。イスタには、ジョワが骨を埋める場所を探しているように思えてならなかったのだ。
「物語、ですか。そんな大層なものではないですが……そうですな。暇潰しくらいにはなりましょう」と、ジョワは猫を撫でた。
「ちょっと先を見てきます」と駆けた蛍人を、傭兵隊の仲間であるラウィーヤが見送る。
辛い現実を直視せざるを得ない傭兵業、自らの道の先に居た人。先輩であるジョワへの敬意と興味を胸の内に秘め、ラウィーヤは手綱を握りしめる。
蛍人に片手を上げたヴォルテールも、馬車を振り返りぽつりと漏らした。
「昔の栄光、か……」
彼に希望と喜びを、それだけを思って。
ちょっと早い昼食の休憩を取ることになった一行は、蛍人とヴォルテールが見繕った安全そうな場所で馬車を停めた。
冬場とはいえ、日光のお陰でいささか暖はある。
蜂蜜に浸して柔らかくしたパンを、ヒスイがジョワに差し出す。食欲が余り無いといえども、水と干し肉だけでは良くないだろう、と思ったのだ。
ジョワは有り難く受け取って、じっくりと噛みほぐして食べた。
「えっと、傭兵のラウィーヤといいます。宜しく、お願いします」
「おや、傭兵の方でしたか」とジョワは、眉を上げる。
「俺もです」と続く蛍人は、干し肉だけでは足らずに、持ち込んだパンをがつがつと食べる。
「お爺様、お身体はどうですか?」
イスタの気づかわしげな声に、ジョワは弱った手を掲げて見せる。先ほどの馬車内での会話は、疲れが見えたことで早々に打ち切られていたのだ。
「もう大丈夫。ご心配おかけしましたな」
イスタらはほっと安堵する。
無理をしなくても、との皆の心配に、ジョワは首を横に振り、話し始める。
「傭兵には……望んでなったのではありません」
ジョワはゆっくりと話し始めた。
「時代、とでも言うのでしょうか。当時は今ほど、覚醒者の数はおりませんでな」
皆の為に戦える力があった自身には、傭兵になるのは自然な流れだった。
「ですが、後悔はしておりません。私は、確かに、この手で多くの人の笑顔を救うことができたのですから」
ジョワは両の掌を見つめる。瞼の裏には、かつての力強い手が映っているのだろうか。
「各地を転戦としたお陰で、多くの人と出会うこともできました」
貴方のように大切な仲間とも、とジョワはラウィーヤと蛍人に微笑む。
「そして、決して、見ることが叶わなかった景色とも……」
軽く咳き込むジョワに、イスタが優しく背を撫でる。
「……これから行く場所にも、ですか?」
ヴォルテールの言葉に、ジョワははっきりと頷く。
「あれは、一仕事を終えた帰り道のことでした。見事な樹でした……」
引き寄せられるように動いた足。
「……季節はいつごろですの?」
話を繋ぐようにヒスイが問いかける。
「春も終わろうかという頃合いですかな」
穏やかな風に、小鳥の囀り。潮風が淀んだ肺を洗い流し、疲労した身体を木々の香りが優しく擦る、その中で、たった一本、見渡す限りの草原を見下ろしている大樹。
「彼より大きな樹はあるでしょう。彼より長生きしている樹もあるでしょう。ですが……」
彼ほど立派な樹は、孤独な樹は、誇り高い樹は、どこにもないと、ジョワは言う。
エルティアから手渡された水を一口含み、「彼女、かしれませんが」と続ける。
頭を垂れるように見下ろした自身の姿。血のこびり付いた身体の意味が脳裏をよぎって。
そうしたら、何故だか気持ちが切れてしまったのだと、ジョワは語る。傭兵業との決別はあっけないものだった。
ジョワは口を結ぶ。暫しの沈黙が流れ、ラウィーヤが問う。
「……あの、何故今になって、その場所へ戻りたい、と?」
「それは……」
ジョワがそれ以上語ることは無かった。
●
再び出発してから幾刻が過ぎた頃、空から雪の穂が降り始めてきた。
「雪が深くなる前に進もう」
ヴォルテールの言葉に、蛍人とラウィーヤが同意する。
雪は徐々に大地を白く染め始め、冷気は一層強まりをみせる。
疎らな木が遂に途切れかけた頃、大樹が遠くに見えた。とはいえ、見えたのは、天に捧げた半身のみ。恐らくもう半身は落雷により、大地に倒れているのだろう。
「……噂の奴らがいるかもだ。俺達だけで行ったほうがいいかもな」
ヴォルテールと蛍人は下馬し、馬車近くの木に繋ぎ、偵察に出る。ラウィーヤは馬車を停め報告を待った。
「あれは……」と目を細めたヴォルテールの視線の先には、ゴブリンが三体。前情報にあったジョワの遺棄した装備らしきものを身に着けていた。
蛍人も同様に察している。
二人は馬車まで戻り、状況を伝えた。ジョワには知らせない。わざわざ不安にさせることもないだろう、と。
ゴブリン討伐に向かったのは、ヒスイを除く五人。
戦闘に苦手意識のあるヒスイは、ジョワの世話と護衛を買って出た。
五人は逃げられないよう包囲するように広がる。
装備を傷つけずに回収する、それは全員の共通の想いだ。
ハンターらに気付いたゴブリンが寄ってくる。
先頭の鎧ゴブリンに正面から向かったのは、ラウィーヤ。
先制してきた敵の攻撃を盾で受け止める。
「……返して、下さい」
胸当てに傷をつけぬよう敵の隙を作る。そこを事前に頼まれていた通り、蛍人が頭部にホーリーライトを打ち込んだ。
「勝手に持って行ってもらっちゃ困るんだよな!」
痛みに声を上げたゴブリンを、ラウィーヤが剣で首を刎ねる。
少し離れたところでは、ヴォルテールが全身にマテリアルを漲らせてメイスを振るうが、ゴブリンが動く度に兜が揺られ、狙いが定まらない。
「……ちょこまかと動くのは、目障りだな」
ヴォルテールは敵の攻撃を躱し、足にメイスを引っ掛ける。
転んで兜が脱げたゴブリンを、イスタの研ぎ澄まされたマジックアローが狙い打った。
劣勢を見て、最後のゴブリンが逃走に動く。
「逃がすかよ!」
蛍人が待機させていた馬に乗り、戦闘に怯えていた馬を何とか宥めて先回りする。馬から飛び降りた蛍人が、大振りな剣を避け、シールドバッシュで転倒させた。
「逃がさないわよ」
精霊の幻影が巻き付いたエルティアの利き腕から放たれた矢が、倒れたゴブリンの頭を貫き、ゴブリンは地に伏せた。
無事に無傷で取り返した装備を持ち帰る。
「ちょっと臭うですの」
出迎えたヒスイは装備についたゴブリン臭を落とそうと、土でごしごしと表面を擦った。後は現地で渡すだけだ。
●
夕暮れが迫る。一面の雪景色。
車輪が雪に足をとられ、已む無く途中から徒歩での移動となった。
エルティアとイスタがジョワの脇を支え、ヒスイが背中を優しく押す。
大樹は、根本から真っ二つに分かたれ、倒れた半身は、ゴブリンが住処に利用していたのか、雪がかかってなくぼろぼろだ。
「雪が積もってるから草原じゃないですの。春に草生えたら綺麗なんでしょうね」
ジョワの思い出を汚さないよう、ヒスイは言葉を濁す。
「……貴方の目的地は、此処ですか?」
ヴォルテールは目を閉じ、問いかけるようにジョワに呟く。
人も木も……栄えれば、衰退する。物悲しさを覚えつつ。
見たままを伝えるべきなのか否か、それは幾ら考えても分からなかった。だから――
「聞かせてください。貴方には、何が見えているか……貴方の行きたい場所を……」
「行きたい場所……」
ジョワの呟きは、潮風に攫われる。
誰も口を挟まない。みな、静かに見守っている。
何かを探るように腕を持ち上げたジョワの手をとり、ヴォルテールは残っている半身の無事な場所に触れさせてやる。
「……貴方が感じるもの……それを、俺に教えてください」
ぽとり。
ジョワの閉じた瞼から、涙が一粒零れ落ちる。
「あぁ……これだ」
ごつごつとした木肌の感触が、ジョワの脳裏からあの日の記憶を呼び起こす。
ジョワの人生を一変させた、あの神々しいまでの風景を。あの匂いを。あの息吹きを。
「良かった……」
ジョワは言葉を詰まらせる。
蛍人はそれを見て口元を引き締めた。
心が強ければ辛さを感じないとは言い切れない。余計なおせっかいと言われても、「真実」を告げるのは酷ではないのか。気の引ける所はあれど、それがジョワの為になるなら、と。
エルティアもまた、胸の内に葛藤を秘めていた。
真実を伝えたい。けれど――それは絶望する為の真実ではない。彼等の生きた物語を安らかな喜びで綴じる為の真実なのだ。ジョワは今、自身の肌でどう感じているのか……。
沈黙が緊張する。
ジョワの手が大樹から離れ、みなを振り返る。
「ありがとう。心優しき方々よ」
ジョワは続ける。「全てを教えて欲しい」と――。その顔に悲壮なところは見られない。
「ラウィーヤさん、今になって何故ここへ、と聞かれましたな」
ラウィーヤは黙って頷く。
「風の便りに、聞いたのです。ここのことを――」
ジョワは語る。その噂を信じることはできなかったと。だが、樹に手を触れて分かったのだと。もう死んでしまっている、ということに。
「ヴォルテールさん、ありがとう」
「……申し訳ありません」
沈痛そうな表情で、ヴォルテールは謝罪する。
「何を謝るのです。私は感謝しています。今再び、あの時の光景を鮮明に思い出すことができました。それは、貴方のお陰ですぞ」
ジョワは、ほっほと笑い、その樹の在り様を尋ねる。
「……立派な樹だ」
蛍人が答える。
「はい、見事な大木です」
イスタは微笑む。
「世情が移り変わりますように、人も樹も同様に年老いていきましょう。
ですが、お爺様。この大木は、年輪を重ね役目を全うしきったのですわ。
多くの人々に感動を与え、天寿を全うし、大地へと還る。
お爺様が今ここにおられることこそが、この大木の何よりの生きた証だと思いますの」
「そうね……。ジョワ、貴方に聞いた通り、とても素敵な場所よ」
エルティアも引き継ぐように言葉を紡ぐ。
「沢山の想いと時間を抱きしめて、多くのものを見送ってきた場所……。
ふふふ、今の貴方にそっくりよ。精一杯生きて、命を全うする為に輝いたわ。
きっとこの子も、貴方を待っていたんじゃないかしら?」
「……そう、ですな」
ジョワは再び木肌に手を触れる。
「少しばかり遅れて、すまないな……」
その顔にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
ラウィーヤはその背中をじっと見守っている。
死期を悟りながらも尚困難な旅を選んだジョワ。老いて尚揺るがぬ強い心に、ラウィーヤは強い敬意を抱いていた。これが彼の求めた結末なら、と目を伏せる。
「あっ!」
唐突に声を上げたのは、ヒスイ。
「あれを!」
ヒスイの指さす先には、地に伏せた半身。その幹から、数本の若枝が微かに顔を覗かせていた。
ジョワは事態を掴めていない。慌てて説明するヒスイに、ジョワは呆然と樹に触れた手に力をこめた。
「お前はまだ生きていたんだな……」
ジョワの頬を、新たな雫が流れ落ちた。
●
帰るか否かをラウィーヤに問われ、大事そうに装備を抱えていたジョワは「もう少しここにいたい」と答えた。
久方ぶりの抱擁をするその様は、とても分かちがたいように見えた。
暮れなずむ空。押し寄せる寒気に、火を熾し、夕食を取ることにした。
ヒスイらは根っこの雪を払って、毛布を敷いてジョワを座らせる。
イスタの提案で温かいものを、ということで、出発前に村で借りた鍋に牛乳を注ぎ、火にかけ、堅いパンを煮詰める。
「料理は得意ではありませんが、干し肉より柔らかいので喉も通りましょう?」
ヒスイらも材料を提供し、よそった皿の上に、チーズとナッツを振りかける。
ジョワも美味しそうに食事をし、ホットミルクを啜っていた。
ジョワは脇に置かれたかつての装備を懐かしそうになでる。それは自身の半生だ。
苦楽を共にしてきた相棒と、最後に再会できたのは何よりだった。
皆は温かな食事を楽しんでいる。
ジョワは、ゆっくりと瞼を開き、ゆっくりと閉じた。まるで、自身の瞳に、その光景を焼き付けるかのように。
顔は分からない。だが、目は見えなくとも、心は見える。
何と温かな人達だろうか。
自身の生きた証が彼らにも刻まれるだろうことに、ジョワは微笑み――ゆっくりと、身体が傾いでいった。
隣に座っていたイスタが咄嗟に支える。
「くそっ!」
蛍人がヒールを連呼する。それが効くと思ったからではない。何かせずにはいられなかったのだ。
エルティアとイスタが、ゆっくりとジョワを地面に横たわらせる。
ヴォルテールが呼吸を確認し、無念そうに首を横に振った。
「……この依頼、ジョワさんは満足してくれたのかな」
蛍人の呟きに、ヒスイが上を向いて「きっと」と応じる。
「この顔が、答えなんじゃないかしら?」
エルティアの言葉が示す通り、ジョワの顔はとても穏やかな笑みを浮かべていた。
遺体は、ジョワの望みであろう大樹の下に埋葬することにした。離れ難そうにしていた装備も、一緒のほうが、と遺体に添える。
「……ゆっくり休んで、下さいね」
ラウィーヤの呟きとともに、一つの命が永遠の安息にその身を沈めた――。
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相談卓 ラウィーヤ・マクトゥーム(ka0457) 人間(クリムゾンウェスト)|23才|女性|闘狩人(エンフォーサー) |
最終発言 2014/12/25 03:34:51 |
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2014/12/22 21:01:07 |