グラズヘイム王国の南部に広がる伯爵地【ニュー・ウォルター】を覆っていた暗い闇は、振り払われた。
　黒伯爵を名乗る歪虚軍長アスタロトが率いていた敵は壊滅。討伐が一段落して、少なくとも戦の状況からは脱したといえる。
　差し迫る危機は去ったものの、懸案は残った。畑が荒らされただけでなく、灌漑関連の破壊が顕著。そして各地では戦いの残照が残っていた。


　秋は自然の恵みで溢れる季節だ。豊富な茸に熟れた果実、そしてよく肥えた野生の獣。それらの多くは、人里離れた森で得られることが多い。
　その日も猟銃を担いだ若い猟師が森の奥へと分け入っていった。
「いくらなんでも、鳥の鳴き声すら聞こえないなんて」
　猟師は岩場に腰かけて、持ってきた水筒の水で喉を潤す。この日は野鳥の一羽たりとも遭遇していない。連れてきた猟犬が鼻を利かせても梨の礫だった。
　大きくため息をついて猟師は立ちあがる。
「しょうがない。あれでも採っていくか」
　危険故に森の奥まで茸狩りをしにくる者はまずいない。猟師はセップ茸が採れる場所を知っていた。市場で多少は値が張る茸なので、いくらかの収入源になる。それを持って帰ろうと少しばかり歩く。
「んっ？　こんなだったか？」
　辿り着いた周囲に違和感を覚える。特に変わったところはなかったのだが、以前とは雰囲気が違う。
　気のせいだと思い、屈んだ猟師はセップ茸を採り始めた。
「ココト、どうした？　獲物でもいるのか？」
　一方向を見つめた猟犬が呻っていたので、猟師は猟銃を手に取る。そしてゆっくりと猟犬の視線が示すほうへと進んでいく。
（この香りは……）
　風向きが変わったのか、猟師は強烈な香りを吸いこんだ。最初こそ嫌悪感があったものの、すぐいい香りに感じられた。足元をふらつかせながら歩み、やがて香りの正体を目の当たりにする。
　それは毒々しいオレンジ色の巨大キノコ。真っ白で細かな胞子のようなものを辺りにまき散らしていた。
（しまった）
　巨大キノコの裏側から、巨体な影がもう一つ現れる。それは人の倍以上もある巨大アリで、猟師はこのときようやく自身に降りかかろうとする危機を悟った。
「逃げるぞ」
　猟師は猟犬に命じながら踵を返す。全速力で走ろうとしたものの、身体がいうことを聞いてくれない。両足が絡みそうになり、また少し動いただけで息絶え絶えになってしまう。
　巨大アリの前足に捕まった猟師が目で猟犬を探した。
「ココト、お前だけでも逃げろ……。ここから離れて村に帰れ」
　猟師の意思が通じたのか、猟犬は茂みの向こうへと姿を消す。意識が混濁してきた猟師は、まもなく気を失ってしまった。


　夏の暑さが過ぎ去り、過ごしやすい秋の季節がマール城にも訪れていた。
　若き娘ミリア・エルブンは、今日も執務室にて各所から送られてきた書類や嘆願書に目を通す。兄であるアーリア・エルブン伯爵から託された領内復興を早めるために。
「ここのところ、北東の森で失踪事件が相次いでいますの」
「そんな多いのか？」
　ミリアは執務室に立ち寄っていたアーリアに気になる事案を話す。九月に入ってからというもの、森に入って戻らなかった地元民は十六人を数える。それによって誰もが二の足を踏んで森にいけないという。冬に備えての豊富な恵みがすぐ目の前にあるにもかかわらず。
「もちろん、いなくなってしまった領民が心配ですの」
「山賊の類いか、それとも猛獣か幻獣か？　もしやアスタロトの残党である雑魔が残っているのだとすれば一大事だ」
「失踪した猟師の猟犬だけが戻ってきたようですの。村人の話によれば、犬の身体から甘い香りがしたとか。原因はよくわかりませんけれど」
　ミリアはアーリアと話し合った末、ハンターに調査を頼むことにする。マール内のハンターズソサエティー支部に出向き、受付に細かな状況を話すのだった。

●
　ちらほらと紅葉が眺められる秋めいた景色の中を、一輌の馬車が走る。
　ハンター一行が森の外縁にある村へと辿り着いたのは、午前十一時頃だ。まずは行方不明になった人々のことを訊ねて回った。
「ほら、俺達は味方だ。肉でも食べるか？」
「そうですよ。私達は味方です。猟師さんを一緒に探しにいきませんか？」
　ロニ・カルディス(ka0551)とミオレスカ(ka3496)は、一頭だけで森から戻ってきた猟犬をあやす。
「そなた、ご主人様のところへ連れていってくれぬか？」
　ミグ・ロマイヤー(ka0665)も猟犬の元へ。村人から借りた猟犬の主人の服を嗅がせると、殊勝な顔つきになった。
（甘い香と失踪者か……これは匂うな）
　事件があれば即参上するのがミグテイストだ。この領地を狙っていた首魁アスタロトが倒されたはずのなのに、不可解な事件が多く発生している。何かを見落としてしまっているような印象がぬぐえなかった。
「犬達から甘い香りがした、とのことでしたね」
　ミモザ・エンヘドゥ(ka6804)は村人から聞き込みを行う。猟犬を実際に嗅いだのではなく、よく似た香りがなかったのかを教えてもらった。まったく同じではないが、ある毒キノコの香りによく似ているとのことだ。その毒キノコを採集して小袋に仕舞っておく。後で仲間達にも嗅いでもらい、手がかりの一つにする。
（もうアーリアとミリアったら。後で会ったら、ちゃんといっておかないと）
　ディーナ・フェルミ(ka5843)は少々お怒りモードであった。
「あ、ココト。お前のことを怒っているんじゃないの。御主人様の匂いを追って欲しいの」
　ココトとは村人から聞いた猟犬の名前である。ディーナは愛犬にも猟師の荷物の香りを嗅がせて、一緒に追わせるつもりだ。
　準備が整ったところで森へと向かう。村から森へと続く小道はあったものの、ある程度のところで途切れてしまう。その後は茂みを分け入ったり、樹木の間をすり抜けながら進んでいく。苔むした石や岩が転がっていたりと、非常に歩きにくい。
「大変だと思うが、頼めるか？」
「もちろんだとも。気にせず私を使ってくれ」
　鳳凰院ひりょ(ka3744)に囮役を頼まれたレイア・アローネ(ka4082)は、猟犬ココトの首輪に繋がる綱をしっかりと握る。
　しばらくしてレイアは仲間達と離れて、猟犬ココトと一緒に歩きだす。ディーナも愛犬と一緒に仲間達よりも先行した。
（静かなものね。……静かすぎるわ。鳥の鳴き声すら聞こえない）
　森の奥深い地に赴いて、カーミン・Ｓ・フィールズ(ka1559)は違和感を覚える。豊かな自然の中に、負のマテリアルによる淀みがあるような。そんな気がして仕方がなかった。

●
「どうした？　猟犬」
　レイアは猟犬ココトに、力強く引っ張られた。
「こっちも反応がありましたの」
　ディーナも愛犬が急ぐ先へとついていく。多少の道筋は違ったものの、最終的には同じ場所を目指しているようである。
　やがて漂いだす甘い香り。ハンターの誰もが、気づいたような表情を浮かべた。
　囮であるレイアとディーナは、慎重に一歩を進めるようになった。それを遠くから見守る仲間達は覚醒し、それぞれに戦いの準備を整えた。ロニが用意してきたマスクを口元にかける者も。
　それからのカーミンは一人での別行動を選択した。暗がりを照らすための灯火球は片付けて、グラジオラスでオーラを纏い、他人の認識から逃れた。そして大きく迂回。仮想した香りの発生源を中心にして、反対側を目指す。
　レイアとディーナが、それぞれに犬を連れて進み続ける。迷路のようになっていた茂みの中を抜けると、香りの発生源が見つかった。森深い地でひっそりと育っていたキノコは凄まじく大きく、オレンジ色で毒々しい。
　あと十五メートルの距離まで近づいたとき、巨大キノコの背後から巨大なシルエットが現れる。それは何匹かの巨大アリだ。そう認識した刹那、凄まじい勢いで間を詰めてきた。
　レイアは猟犬ココトを抱きかかえて回避。ディーナとその愛犬は巨体アリの噛みつきを躱す。
　一分前から息を止めていたレイアとディーナは、巨大なキノコとアリ等から少し離れて、深呼吸。続いて覚醒を行う。
「お前達が攫ったのか！？」
　ロニはジャッジメントによる光の杭を放ち、巨大アリを一匹ずつ大地へと縫い止める。
「当方に迎撃の用意ありじゃ」
　青白く全身に電光を纏わせたのは、強化術式紫電を発動させたミグだ。ミグ回路で魔法の威力を熟成させていく。
「先行します」
　ミモザが走りだして矢面に立つ。「全ては、風の向くままに」噛みつこうと迫る巨体アリを回避しつつ、仲間の攻撃を期待した。チャンスを見つけて放ったのは、ライトニングボルトの輝き。大地スレスレを走る電光が、巨大アリを串刺しにしていく。
　鳳凰院も前にでて盾役を務めた一人だ。
（失踪者達はどこに？）
　攻撃を受けつつ、ソウルエッジの魔力を纏わせた降魔刀で、巨大アリの六肢を切断していった。時に敵の逃げ道を塞ぎつつ、電光石火の一撃を食らわせていった。
　熟したミグが「汚物は消毒じゃー」と叫んだ。ファイアースロワーによる業火を扇状にまき散らす。焼かれた巨大アリの殆どが、弱々しい足取りになる。中にはそれが止めとなって動かなくなる個体も。
「これで気を確かに！」
　ロニがゴッドブレスを使い、甘い香りで惑わされそうになっていた仲間達の不浄を払う。
「ふうっ……」
　ソウルエッジで巨体アリ一匹を屠ったレイアが、森の暗がりへと目をやった。隠密行動中のミモザが、何かを見つけだしたこと期待して。
「これで巨大アリは、ジエンドなの！」
　ディーナは敵のど真ん中に飛びこんで、セイクリッドフラッシュによる聖なる輝きを放つ。それが止めとなり、雑魔である巨体アリが次々と瘴気の塵へと化していく。
（あともう少し。もう少しで倒しきれます）
　ミオレスカは傍らにいるパルムに周囲を警戒してもらい、樹木の枝上から巨体キノコを狙い撃っていた。命中する度に軸部分が大きく揺れて、甘い香りと胞子がまき散らされる。味方への被害が最低限で済むよう、風向きを考えながら的確に撃ちこんでいく。
　見かけによらずタフな巨体キノコだったが、ミオレスカは仕留めた手応えを感じた。倒しきって一安心したときに、遠くに動くものを見かける。
　グラジオラスを使っているカーミンではなく、別の者達が森の奥へと逃げていく姿だった。それを無線等で仲間達へと伝える。
「これ、キャンディです」
　地上へおりたミオレスカが、真っ赤なキャンディを拾いあげる。
「カーミンのだな」
　鳳凰院によれば、カーミンが目印としてわざと落としていったものだという。
「私ならカーミンさんか、キャンディの場所がわかるはずです。ついてきてください」
　鋭敏視覚や超嗅覚を持つミモザが先頭を歩く。そうやってハンター一同は、追跡中のカーミンの後を追いかけた。

●
　怪しい男三人組は、非常に険しい道なき道をわざと選んで進んでいる。カーミンにはそう思えて仕方なかった。
　時に谷間を跳び越えていた。岩場へとかけられた梯子は、使い終わったあとで取り外される。
　飛燕草でマテリアルの足場が作れるカーミンにとっては障害にならないが、普通の人ならば通るのは難しい。また無理に通ろうとはしないであろう。
（あそこがアジトなの？）
　そのうちに二軒の丸太小屋が眺められるようになる。カーミンはM.Ashで気配を消しつつ、グラジオラスで扉の鍵を解錠。怪しい男三人組が姿を消した丸太小屋は後回しにして、もう一軒のぼろい方に潜入した。すると、たくさんの人が囚われている。
　水はあるようなので、まずは残りのキャンディを全員に手渡す。これまで食事は与えられていたようだが、わずかな量であったようだ。
「静かに。みんな誘拐された人達なの？」
「そうです。私はキノコの香りで朦朧としたところを、巨大なアリに襲われて。気がついたらここに運ばれていました。食べ物を持ってくる奴らの会話から察するに、どうやら俺達はどこかへ売られるために捕まえられたようです。その資金で教会を建てるとかなんとか。態度といい、歪虚崇拝者じゃないかとみんなと話していたんですが――」
　自分は猟師だと語った一人が、代表して事情を話してくれた。
　食事運びは持ち回りでやっているようで、これまでに見かけられた歪虚崇拝者は全部で六人。隣接する丸太小屋の大きさからいって、増えたとしても二、三人程度だと思われる。
　すでにカーミンがつけていたイヤリングの無線機能は動いている。囚われの者達と交わしたやり取りは、仲間達へと伝えられていた。

●
「だから、聞けよ！　やられちまったんだよ、キノコとアリの旦那方が。急いで逃げないと！」
「そんな嘘ついて俺を担ぐ気か？」
「酔っ払いはほっといて、他の奴らだけでも逃げよう！」
「てめぇ、裏切るつもりか？」
　丸太小屋から外へと洩れるもめ事の大声。その場では収まらなかったようで、野外へと続々と飛びだしてくる。そうした歪虚崇拝者達を玄関前で出迎えたのは、ロニとミグであった。
「何やら人相の悪い顔の奴らばかりじゃのぅ」
　ミグの機動「パリ」砲が一条の光を伸ばして、一人の太った歪虚崇拝者の土手っ腹に穴を開ける。
「そこまでだ！　おとなしくするがいい！」
　ロニが放ったプルガトリオにより、歪虚崇拝者等がその場へと縫い止められていく。それでも緩慢ながら動けた三人が、囚われの者達が収容された丸太小屋へと飛びこんでいった。
「お前達！　武器を棄てて降参しないと、ここにいる奴ら全員皆殺しにするぞ！」
　歪虚崇拝者の一人が扉の近くに残って、脅迫の大声をまき散らす。残る二人は丸太小屋にいる囚われの者達へと近づいていく。
「えっと、こんな奴いたっけ？」
「ずっと薄暗いから、勘違いしただけだろ？」
　縄で縛られた後ろ手を歪虚崇拝者に掴まれて、無理矢理に立ちあがらせられたのはレイアだ。「まったく、反吐がでる外道ばかりだな」手首の縄を瞬時に解き、藁の中へと隠してあった魔導剣を握りしめる。
　すでに囚われの者達は脱出させていた。レイアはスキルを使うまでもないと判断して、敵の足に剣先を突き立てる。
「同感ですの。どうしてこんなに下品ですの」
　ディーナによるセイクリッドフラッシュの聖なる光によって、薄暗い丸太小屋内が輝きに満ち、歪虚崇拝者三人に衝撃を与える。拳を固く握ったディーナは、一番近くにいた歪虚崇拝者を思い切りぶん殴った。
　扉の近くにいた歪虚崇拝者は仲間がやられたのを知って、外へと逃げだす。待ち構えていたカーミンとミモザに「か、金が欲しかっただけなんだ！」と叫びながら、別方向へ走りだした。数ｍ歩いた先でその者の右足に、ミオレスカが放った銃弾が命中する。
「相変わらず、見事な腕だ」
「誉められると照れてしまいます」
　ミオレスカに声をかけた鳳凰院は、丸太小屋から逃がした十六人の護衛役を務めていた。
（この茂みから聞こえる物音は一体？）
　茂みから這いだしてきた巨大アリ一匹を見かけたとき、鳳凰院はソウルトーチで自らを囮とする。噛みつき攻撃を盾で凌ぎつつ。その上でミオレスカと力を合わせて倒しきった。
「よ、良かったの……生きててくれて良かったの」
　ディーナは弱っていた囚われだった十六人をフルリカバリーで回復。その後ハンター一行は、周辺に生き延びた雑魔や歪虚崇拝者がいないかを確かめる。その上で丸太小屋周辺から立ち去ったのだった。

●
　宵の口、ハンター一行は森の外縁にある村へと帰還する。十六人のうちに村出身は六人で、その他の近隣住民は十人だった。詳しい事情を聞いた上で、翌日に送り届けることとなる。
　また捕まえた歪虚崇拝者八人のために、近場の町まで早馬を出してもらう。尋問を行い、翌日にやって来た官憲へと引き渡した。
　そして一行は城塞都市マールへと戻った。アーリアとミリアへの報告するために、執務室へと通される。
　深呼吸したディーナは一気にまくし立てた。「二人は貴族で大きな町の領主様だから鷹揚に構えてるのかもしれないけど。十六人も失踪したら、辺境の村なら壊滅してるの！　犬が戻って来れるってことは狼や熊じゃないの！　雑魔の群体か、歪虚の部隊が１つ森を拠点にしたかもしれないってことなの！　……私は貴方達が、もっと領民を大事にしてくれる貴族だと思ってた。なんでもっと早く依頼を出してくれなかったの？　こうして助かったからいいけれど」と。
「すまなかった。まとめてではなく、一件ずつ報告をまとめていたら、このような事実に初めて気づいたらしい。そうだな、ミリア」
「そうなのですの。ですがもう少し、早く気づけたらと思いましたの……」
　反省したアーリアとミリアは、嘆願書をまとめる手順をもう一度精査するという。少しでも早く領地で起きた異変の兆しに気づくことができるようにするために。
「今回も煮えきれぬというか、歪虚の首魁が倒れたというのにどうにも不可解な事件じゃったのう」
　心の奥底に棘が刺さって抜けないような、そんな気分のミグだ。
「そういえば、歪虚崇拝者の一人が気になることをいっていたな」
「そう、これでは我々が後れをとることになるとかいっていた。他にもいると考えてよいのでは」
　ロニと鳳凰院が顔を見合わせる。
「狩りの収穫に影響が出るかもしれませんが、特に集落を離れての行動は、制限が必要かもしれません」
　ミオレスカはアーリアに進言して、兵士を村周辺にしばらく駐留させてもらうことにした。採集はそれでよいとして、猟師については複数での行動を推奨することとなる。
「ああ見えて、歪虚崇拝者は知恵者だった印象なのね。少し間違えば大変な事態だったの」
「それは感じたな。敵の作戦立案はそのものは見事だった。ただ、リーダーには人徳がなかったようだ」
　カーミンとレイアは感想を口にした。
「一人の犠牲もださずにすんでよかったです。これこそが何よりですよね」
「本当によかったですの」
　ミモザとミリアは一緒に微笑んだのだった。