ゲスト
(ka0000)
忘却の面影
マスター:のどか

- シナリオ形態
- ショート
- 難易度
- 不明
- オプション
-
- 参加費
1,500
- 参加制限
- -
- 参加人数
- 3~6人
- サポート
- 0~0人
- マテリアルリンク
- ○
- 報酬
- 多め
- 相談期間
- 5日
- 締切
- 2018/12/07 15:00
- 完成日
- 2018/12/18 00:45
このシナリオは5日間納期が延長されています。
みんなの思い出
思い出設定されたOMC商品がありません。
オープニング
●
懐かしい獣の匂いと共に目が覚めた。
身体が柔らかいものに包まれて――これは藁?
薄暗い屋内で何か奥に生き物の気配を感じる。
猛るように唸るそれが匂いからなんであるのか理解したころ、開いた扉から差し込んだ光に目がくらんだ。
「――あっ、起きたんだ!」
逆光になって顔は良く見えなかったが人――女性だった。
亜麻色の髪が陽の光に照らされて金糸のように煌いて、ふと『彼女』の姿が重なる。
「ジャ……ンヌ……?」
不意に脳みそをかき混ぜられるような苦痛が襲って、再びそこで意識が途絶えた。
●
次に目が覚めたのは身体を何かまさぐられているような気配を感じたから。
慌てて目を開くと「彼女」がタオルを片手に俺のローブに手をかけているところだった。
「何をしている……!」
「うわっ!」
威嚇すると彼女は飛び上がって離れた。
外傷はない。
荷物――はもともとない。
ローブの中に滑り込ませた手は、冷たい鱗肌を撫でるだけだった。
「何もとってなんかないよ。服だってまだ脱がせてないし」
ツンと唇を尖らせながらスネたように彼女は言う。
若い娘だった。
器量は良いがどこかあか抜けない、まだ年頃に入ったばかりのようなウブさを感じさせる
僅かに空いた天窓から差し込む光で、亜麻色の長髪が美しくゆらいだ。
どくんと胸が高鳴って、『彼女』の後ろ姿が「彼女」に重なる。
いや……『彼女』と「彼女」は全くの別人だ。
「ここはどこだ……キミは……」
「私はアメリア。ここは私ん家の倉庫。あっちはエヴィ」
アメリアが指さす方向で、一匹の農耕馬がブルルと荒く息を吐く。
「ウチの畑にあなたが倒れてて肩を貸してあげたんだけど……覚えてないの?」
「キミが助けてくれたのか」
「そういうこと。重くて小屋までしか連れてこれなかったんだけど……待ってて、人を呼んでくるからっ」
そう言って立ち上がったアメリアの手を咄嗟に掴んだ。
彼女は驚いたように目を見開いて振り返った。
「……もう出ていく」
余計な人目に触れたくない。
そう思って立ち上がったところで、膝に力が入らずガクリと藁のベッドに倒れ込む。
直後、エヴィが甲高くわなないた。
「エヴィ、どうしたの? どうどう!」
慌ててアメリアが駆け寄って、なだめるように撫でてやる。
一層荒い鼻息で、エヴィの大きな瞳は俺を見ていた。
「……お前は賢いな」
「ああ、もう、そんなに暴れないで……ちょっと外に連れてくね!」
彼女はエヴィの手綱を取って外へ引いていく。
俺はそれを見送って、ふっと意識が途切れた。
●
目が覚めた時、根菜のスープとバケットを並べるアメリアの姿があった。
「あっ、起きた? 昨日の残りだけど良かったら食べて」
どのくらい眠っていたのだろう。
少なくとも外が明るいことだけは差し込む光から分かる。
「人には言ってないから安心して。それぞれ事情はあるよね」
腹が減っていたわけではないのに、俺は吸い寄せられるように目の前のスープをすすった。
何の味もしなかった。
「そう言えば名前は?」
「アルバート」
「どこから来たの?」
「北からだ」
「帝国の人?」
「そうじゃない」
彼女は不思議がって首をかしげたが、それ以上詮索するようなことはしなかった。
「じゃあ、ジャンヌって誰?」
その名前に胸が締め付けられる。
ひどく懐かしいような感覚だった。
「大事な人なんだね」
そう言われて俺はふとアメリアを見た。
彼女はほっこりと笑っていたが、どうしてそんな顔をしているのか俺には分からなかった。
その日の夜も俺は藁のベッドで眠った。
時折エヴィが息を荒げるが、暴れるようなことはなかった。
●
翌日、だいぶ動けるようになった俺にアメリアが服を用意してくれた。
外で待っていた彼女は戻ってきて俺の姿を見るなり、飛び上がって喜んだ。
「良かった、ぴったり!」
上下黒で統一された服を着た俺をいろんな角度から眺めていた彼女は、やがて静かに後ろに回る。
「動かないでね」
そう言って俺の無造作に伸びた髪を手に取ると、慣れた手つきで鋏を入れ始めた。
じょきじょきと小気味の良い音が小屋の中に響く。
「それ、お兄ちゃんの軍服なんだ。他に合いそうなのなくって」
「兄がいるのか?」
「うーん、いたっていう方が正しい。去年、歪虚と戦って死んじゃった」
どこか寂しそうに、でも彼女は笑いながら語る。
「あっ、予備の新品だから縁起悪いとか無いからね!」
「大丈夫だ。気にしてない」
「なら良いけど……」
しばらく沈黙が流れて、鋏の音だけがやけに大きく響いた。
「うん、これで大丈夫!」
しばらくしてポンと俺の頭を叩いた。
鏡が無いからどうなったのか分からないが、頭が軽くなって視界も開けた。
彼女も満足気に眺めていたが、不意に足元がもつれたようにふらりと俺の隣に座った。
「大丈夫か」
「うん。ちょっと体調悪くて」
苦笑して、彼女はしっかりと座りなおす。
「なんか、ほんとにお兄ちゃんみたい」
アメリアはそうこそばゆい様子で口にする。
そんな彼女を見て、俺は眉を潜めながら厳しい口調で言った。
「信念を持って戦ったのなら死を誇りこそしても、悲しむのは兄上に対して失礼だ」
「それは……」
彼女はバツが悪そうに言葉を濁す。
それから、顔色をうかがうようにおっかなびっくりと問う。
「……元気になったら行っちゃうんだよね」
「そうだな」
「良かったらもう少し――」
言いかけて、周囲に溢れた光に言葉が止まる。
彼女の周囲に散らばった髪が、マテリアルの光となって散っていたのだ。
突然のことに戸惑うアメリア。
そんな時だった。
勢いよく小屋の扉が開け放たれた。
外から2人の大人の男女に続いて、幾人かの人間がぞろりと中へなだれ込んでくる。
彼らの姿を見てアメリアは慌てて立ち上がった。
「お父さん、お母さん!?」
「最近お前の様子がおかしいから……彼はいったい誰だい?」
父親らしき農夫が戸惑ったように、だけど優しく問いかける。
歩み寄ろうとした彼を後に来た人間――ハンターが押し留めた。
アメリアの傍にいる男が放つマテリアル。
一目で彼の存在がなんであるのかを理解したからだ。
「来ないで! 来る前に話を聞いて!」
アメリアはアルバートを庇うように前に立って懇願するが、アルバートの鼓動は「この光景」にただただ高鳴った。
知っている。
前にこうして廃屋に逃げ込んで、そして――
ふつふつと負の感情がこみ上げる。
瞳が赤く赤熱したように輝き、歯がガチガチと震えるように噛み合わさる。
それだけでは足らず、背中が大きく盛り上がっては軍服を突き破って2枚の翼が現れた。
「えっ……」
振り返ったアメリアが、怯えたようにアルバートを見た。
知ってる。
その目も俺は知っている。
仲間だと信じていた者たちが、その目を俺に向けていたことを、俺は――
――高ぶったアルバートの咆哮が村に響き渡った。
懐かしい獣の匂いと共に目が覚めた。
身体が柔らかいものに包まれて――これは藁?
薄暗い屋内で何か奥に生き物の気配を感じる。
猛るように唸るそれが匂いからなんであるのか理解したころ、開いた扉から差し込んだ光に目がくらんだ。
「――あっ、起きたんだ!」
逆光になって顔は良く見えなかったが人――女性だった。
亜麻色の髪が陽の光に照らされて金糸のように煌いて、ふと『彼女』の姿が重なる。
「ジャ……ンヌ……?」
不意に脳みそをかき混ぜられるような苦痛が襲って、再びそこで意識が途絶えた。
●
次に目が覚めたのは身体を何かまさぐられているような気配を感じたから。
慌てて目を開くと「彼女」がタオルを片手に俺のローブに手をかけているところだった。
「何をしている……!」
「うわっ!」
威嚇すると彼女は飛び上がって離れた。
外傷はない。
荷物――はもともとない。
ローブの中に滑り込ませた手は、冷たい鱗肌を撫でるだけだった。
「何もとってなんかないよ。服だってまだ脱がせてないし」
ツンと唇を尖らせながらスネたように彼女は言う。
若い娘だった。
器量は良いがどこかあか抜けない、まだ年頃に入ったばかりのようなウブさを感じさせる
僅かに空いた天窓から差し込む光で、亜麻色の長髪が美しくゆらいだ。
どくんと胸が高鳴って、『彼女』の後ろ姿が「彼女」に重なる。
いや……『彼女』と「彼女」は全くの別人だ。
「ここはどこだ……キミは……」
「私はアメリア。ここは私ん家の倉庫。あっちはエヴィ」
アメリアが指さす方向で、一匹の農耕馬がブルルと荒く息を吐く。
「ウチの畑にあなたが倒れてて肩を貸してあげたんだけど……覚えてないの?」
「キミが助けてくれたのか」
「そういうこと。重くて小屋までしか連れてこれなかったんだけど……待ってて、人を呼んでくるからっ」
そう言って立ち上がったアメリアの手を咄嗟に掴んだ。
彼女は驚いたように目を見開いて振り返った。
「……もう出ていく」
余計な人目に触れたくない。
そう思って立ち上がったところで、膝に力が入らずガクリと藁のベッドに倒れ込む。
直後、エヴィが甲高くわなないた。
「エヴィ、どうしたの? どうどう!」
慌ててアメリアが駆け寄って、なだめるように撫でてやる。
一層荒い鼻息で、エヴィの大きな瞳は俺を見ていた。
「……お前は賢いな」
「ああ、もう、そんなに暴れないで……ちょっと外に連れてくね!」
彼女はエヴィの手綱を取って外へ引いていく。
俺はそれを見送って、ふっと意識が途切れた。
●
目が覚めた時、根菜のスープとバケットを並べるアメリアの姿があった。
「あっ、起きた? 昨日の残りだけど良かったら食べて」
どのくらい眠っていたのだろう。
少なくとも外が明るいことだけは差し込む光から分かる。
「人には言ってないから安心して。それぞれ事情はあるよね」
腹が減っていたわけではないのに、俺は吸い寄せられるように目の前のスープをすすった。
何の味もしなかった。
「そう言えば名前は?」
「アルバート」
「どこから来たの?」
「北からだ」
「帝国の人?」
「そうじゃない」
彼女は不思議がって首をかしげたが、それ以上詮索するようなことはしなかった。
「じゃあ、ジャンヌって誰?」
その名前に胸が締め付けられる。
ひどく懐かしいような感覚だった。
「大事な人なんだね」
そう言われて俺はふとアメリアを見た。
彼女はほっこりと笑っていたが、どうしてそんな顔をしているのか俺には分からなかった。
その日の夜も俺は藁のベッドで眠った。
時折エヴィが息を荒げるが、暴れるようなことはなかった。
●
翌日、だいぶ動けるようになった俺にアメリアが服を用意してくれた。
外で待っていた彼女は戻ってきて俺の姿を見るなり、飛び上がって喜んだ。
「良かった、ぴったり!」
上下黒で統一された服を着た俺をいろんな角度から眺めていた彼女は、やがて静かに後ろに回る。
「動かないでね」
そう言って俺の無造作に伸びた髪を手に取ると、慣れた手つきで鋏を入れ始めた。
じょきじょきと小気味の良い音が小屋の中に響く。
「それ、お兄ちゃんの軍服なんだ。他に合いそうなのなくって」
「兄がいるのか?」
「うーん、いたっていう方が正しい。去年、歪虚と戦って死んじゃった」
どこか寂しそうに、でも彼女は笑いながら語る。
「あっ、予備の新品だから縁起悪いとか無いからね!」
「大丈夫だ。気にしてない」
「なら良いけど……」
しばらく沈黙が流れて、鋏の音だけがやけに大きく響いた。
「うん、これで大丈夫!」
しばらくしてポンと俺の頭を叩いた。
鏡が無いからどうなったのか分からないが、頭が軽くなって視界も開けた。
彼女も満足気に眺めていたが、不意に足元がもつれたようにふらりと俺の隣に座った。
「大丈夫か」
「うん。ちょっと体調悪くて」
苦笑して、彼女はしっかりと座りなおす。
「なんか、ほんとにお兄ちゃんみたい」
アメリアはそうこそばゆい様子で口にする。
そんな彼女を見て、俺は眉を潜めながら厳しい口調で言った。
「信念を持って戦ったのなら死を誇りこそしても、悲しむのは兄上に対して失礼だ」
「それは……」
彼女はバツが悪そうに言葉を濁す。
それから、顔色をうかがうようにおっかなびっくりと問う。
「……元気になったら行っちゃうんだよね」
「そうだな」
「良かったらもう少し――」
言いかけて、周囲に溢れた光に言葉が止まる。
彼女の周囲に散らばった髪が、マテリアルの光となって散っていたのだ。
突然のことに戸惑うアメリア。
そんな時だった。
勢いよく小屋の扉が開け放たれた。
外から2人の大人の男女に続いて、幾人かの人間がぞろりと中へなだれ込んでくる。
彼らの姿を見てアメリアは慌てて立ち上がった。
「お父さん、お母さん!?」
「最近お前の様子がおかしいから……彼はいったい誰だい?」
父親らしき農夫が戸惑ったように、だけど優しく問いかける。
歩み寄ろうとした彼を後に来た人間――ハンターが押し留めた。
アメリアの傍にいる男が放つマテリアル。
一目で彼の存在がなんであるのかを理解したからだ。
「来ないで! 来る前に話を聞いて!」
アメリアはアルバートを庇うように前に立って懇願するが、アルバートの鼓動は「この光景」にただただ高鳴った。
知っている。
前にこうして廃屋に逃げ込んで、そして――
ふつふつと負の感情がこみ上げる。
瞳が赤く赤熱したように輝き、歯がガチガチと震えるように噛み合わさる。
それだけでは足らず、背中が大きく盛り上がっては軍服を突き破って2枚の翼が現れた。
「えっ……」
振り返ったアメリアが、怯えたようにアルバートを見た。
知ってる。
その目も俺は知っている。
仲間だと信じていた者たちが、その目を俺に向けていたことを、俺は――
――高ぶったアルバートの咆哮が村に響き渡った。
リプレイ本文
●面影の少女と忘却の歪虚
「ま……まって!」
少女――アメリアの叫びに、足を踏み出しかけたハンター達は思わずたじろいだ。
そうさせたのは、目の前のなんの力も持たない少女が見せた、決意の表情に対してのほんのわずかな戸惑い。
それはほんの一瞬、彼女に言葉を発するだけの時間を与える。
「だ、大丈夫……怖くない。怖くないよ、ね……?」
震える唇で口にして、アメリアは抱きとめるかのように、むぼうびに両手を広げた。
彼の方を向いた彼女が今、どのような表情でその言葉を発しているのか知るすべはない。
だが、興奮の冷めないアルバートの周囲に負のマテリアルの粒子が舞って、ヴァイス(ka0364)が駆け出していた。
アルバートが動くよりも先に、全速力で2人の間へ飛び込む。
「離れろ。そいつはもう歪虚だ、話の通じる相手ではない……さもなくばお前は死ぬぞ!」
銃口と鋭い視線を向けるコーネリア・ミラ・スペンサー(ka4561)の怒声に、アメリアは目じりに涙を浮かべ、息を詰まらせる。
「お願い、ここは引いて」
半歩遅れて、同じように全力で駆け寄ったリアリュール(ka2003)がアメリアの肩に触れた。
冬だというのに、冷たい汗でびっしょりの身体は小刻みに震えていた。
「でも、私、彼……」
「私も知らない相手じゃないわ……だから、任せて」
自分でも感情と行動の折り合いをつけられず、アメリアからこぼれるのは要領を得ない単語ばかり。
穏やかな口調で諭すリアリュールに、アメリアは眉間にしわをよせ、唇をかみしめる。
「あああぁぁぁぁぁぁ!!!」
アルバートが灼熱色に輝く瞳で雄たけびをあげ、なかば竜そのものと化した右腕を突き出す。
身構える余裕もなく、とにかく割って入ることで精いっぱいだったヴァイスは、完全にアメリアをその背に隠すことはできていない。
鋭い手刀が彼女に迫る――かと思ったつかの間。
アルバートの狙いとは裏腹に、手刀はGacrux(ka2726)の盾に吸い寄せられていた。
「申し訳ないですが、しばらく俺に付き合っていただきますよ」
透明な材質の盾を通し、ガクルックスとアルバートの瞳が交差する。
文字通り燃えるように輝くアルバートの瞳に、彼はふと眉をひそめた。
「見ての通り立て込んでるから、おじさんたちは外に出て。それからできるだけ――できるだけ遠くに」
ソフィア =リリィホルム(ka2383)が星神器の銃口をアルバートに向けながらアメリアの両親へ向けて言う。
無邪気なようで、どこか有無を言わさぬ語り草に、彼らはソフィアと、アメリアとを見比べて狼狽えた。
「で、ですが娘が……!」
「アレを相手に『3人』を護って、護りきる保証はない。娘が心配なら、これ以上、我々の手をわずらわせるな」
コーネリアの言葉が冷たく、それでいて鋭利な刃物のように両親の心のゆらぎに突き立つ。
冷淡だが、彼女の言うことは事実だ。
「パパさん、村の人たちもここから遠くニ。教えてあげテ。できるだけ、助け合って……ネ?」
パトリシア=K=ポラリス(ka5996)に与えられた役割に、両親は自分たちのやらなければならないことを理解する。
彼らは愛娘の姿を瞳に焼き付けるように見てから小屋の外へと駆け出した。
「何をそう荒れる必要がある。なあ、アルバート!」
今度こそ視界を遮るように、構えた聖盾剣の盾面をアルバートの眼前に突き付ける。
アルバートは身の丈ほどあるそれを力任せに押しやった。
「俺は……知っている……!」
アルバートは空いた腕を頭上へ掲げると、周囲のマテリアルをその手中へと集め始める。
マテリアル武器の生成。
だがそれよりも早く、小屋の中腹へ飛び出したパトリシアが、陣に必要な符を周囲の柱に貼り終えていた。
――ジョウリュウジュジンキュウキュウニョリツリョウッ!
マーキス・ソングの歌と共に陣を起動。
結界として吹き荒れる正のマテリアルが小屋の中に漂う微弱な負のマテリアルを払拭する。
アルバートは、形を成しかけた手中のマテリアルが砕け散って目を見開いた。
「今のうちに」
アルバートの意識が逸れた隙に、リアリュールが半ば強引にアメリアの手を引く。
アメリアは後ろ髪をひかれる思いで視線をアルバートの方へ流し、駆け出した。
その様子にアルバートはハッと息を呑む。
脳裏に失われた記憶の断片が、閃光となって瞬いた。
「――ジャンヌッ」
追い縋ろうと翼の羽ばたきで大地を蹴る。
しかしヴァイスとガクルックス、2人の壁がそれを許さない。
「あの子に怯えられたのがそんなに堪えるか、アルバート」
「な……ニ……?」
「それとも……似たような経験があるのか?」
ヴァイスの問いかけに、アルバ―トの食いしばった歯の隙間から蒸気じみた熱気が漏れる。
「知っタよウな口を……ッ!」
ろれつの回らない激昂で、両椀の爪が常人の目には留まらない速度で振われる。
ヴァイスの頭上から迫ったそれは、再び指向操作の結界――ガウスジェイルで因果を捻じ曲げられガクルックスへと引き寄せられた。
頭、胴、腕、足。
左右の腕から繰り出される上下織り交ぜた多段撃を、的確な体捌きにもとづいて盾で受け止めるガクルックス。
最後の一撃が認識よりもわずかに早く防御を抜け、鱗がヤスリの目のようになって身体を抉った。
「頭に血が上ってこれなら、たいしたものですよ……!」
かすった程度でこれなら直撃は避けなければならない。
それでも、今はここから動くわけにはいかないのだ。
「急いで! ご両親もまだ出たばかりだから、合流して一緒に!」
ソフィアがせかすように叫んだその横を、リアリュールとアメリアが駆け抜ける。
次いでパトリシアが興奮するエヴィの手綱を引きながら、なだめるように首筋をなでてやる。
「大丈夫ダヨ。アメリアを助けてあげテ?」
エヴィはそれを理解したのかどうか、荒い鼻息をひとつ吐く。
見たところ、負のマテリアルの中で動物的に興奮している以外に目立った異変は見られない。
彼もきっと大丈夫――そうであることをパトリシアは切に願う。
彼女らが小屋を出ていくのを、アルバートもまたその視界にとめる。
途端に焦りに表情を歪ませた彼は、翼の羽ばたきひとつで天井すれすれまで飛び上がると、そのまま滑空してアメリアらの背中が見える出入口へと迫った。
「ちぃっ……異形の力を使うのにためらいがなくなって来てやがる」
ガクルックスの結界の外。
仕方なく、一番近かったソフィアが狭い入口に滑り込んで立ちふさがった。
ブリューナクが唸り、鉛玉と共に赤い軌跡が迫るアルバートを迎え撃つ。
アルバートは錐もみ回転でそれを躱して、次の瞬間にはソフィアの目と鼻の先まで迫っていた。
咄嗟に防御障壁を展開する。
多段撃のすべてにスキル余力のすべてを全力でそそぐ。
手刀は威力をそがれこそすれ、障壁を打ち砕いて、ソフィアの華奢な身体を乱れ打った。
「かは……っ」
腹部を強打され、内臓まで響いた衝撃に思わず膝をつく。
コーネリアの銃声がアルバートの脚を真横から貫いた。
マテリアルで回転力を高めた銃弾は、着弾の瞬間に強固な鱗を打ち砕いて、その先の肉まで突き刺さる。
それでもアルバートは痛みに顔をゆがめることもなく、高ぶった感情に任せた瞳で満身創痍のソフィアを見下ろした。
「どケ」
「……冗談きついな」
前髪からのぞいた紅の瞳で、ニヤリと不敵な笑みを浮かべるソフィア。
アルバートごしに、ヴァイスたちが慌ててこちらへ詰め寄る姿が見えた。
その視線を読んだアルバートはもう一度飛び上がると、入口の真上の壁に、拳の一撃を叩きつける。
激しい破砕音と共に木くずが舞って、壁に大きな穴が開いていた。
「追えるか!?」
穴からふわりと外へ飛び出したアルバートを頭上に、ヴァイスのアンチボディで活性化したマテリアルがソフィアの外傷を癒す。
動けるだけは回復していることを実感して、彼女は「当然」と首を縦に振った。
●追われる者、すがる者
アルバートが小屋を脱したのは、木の壁が破壊された音として、小屋から離れるハンター達へも伝わっていた。
「狙いはこちら……? ずいぶんと執心なのね」
リアリュールが地面に降り立ったアルバートを見、アメリアを見、深い吐息交じりに言う。
「私、そんな……」
「あなたに非はないわ。目を覚ますべきは、彼の方」
振り向きざま、空へ放った光の銃弾。
それは空中で無数の光の球へと分裂し、一斉にアルバートの身体へと降り注ぐ。
懲罰の名を冠した光は、楔のように彼の四肢を貫いた。
小屋から飛び出したハンターらは、アルバートを包囲するよう散開する。
この人数で空間的な包囲は不可能ではあるが、何かあったときに誰かは動ける。
それだけでも十分に意味はある。
収穫済みの畑が、それでも大勢の人間の足跡で荒された。
そんな中、彼の瞳が目の前の自分達ではなく、先のアメリアたちを見ているのに気づいて、ソフィアは早々にトリガーを引いた。
「よそ見たぁ、余裕ですね」
光の楔で動きを阻害されたアルバートの全身に、ブリューナクから放たれた制圧用の連射が次々と突き刺さる。
これで身動きを封じられれば――そう思ったのはつかの間、傷口を突き破るようにして「身体の内側から」発生した鱗の肌が、突き刺さった銃弾を押し出す。
全身から零れ落ちたひしゃげた弾が、ころころと軽い音を立てて地面に転がった。
「脱皮かよ……!」
言葉の軽さとは裏腹に、ソフィアの表情は苦悶に歪む。
アルバートが一足で距離を詰めた。
振りぬかれる手刀。
しかし今度はガクルックスの結界の内だ。
多段撃は、すべて彼の盾に受け止められる。
「もう受けるばかりではありませんよ」
守りを開いて、右手に握るカオスセラミックのステッキを突き出す。
踏み込みが足りない――感じさせたのは錯覚で、ステッキの先から長大なマテリアル刃がアルバートの肩に突き刺さる。
黒い軍服を裂いて、届いた切っ先はその下に隠れた固い鱗を砕いた。
細い傷口から散ったどすぐろい血液。
しかし、実体を持たない刃にそれがかかることはない。
「もう一撃――」
再びマテリアル刃を発生させアルバートの眉間を狙うが、今度は大きく身体を逸らすことで回避されてしまう。
しかし、勢いでふらついたアルバートの横っ腹に、ヴァイスの一突きが放たれた。
揺らめく灯火をまとった巨大な盾剣。
接触の間際、アルバートがその刀身を手で抑えつけ、直撃を避ける。
息を吐かせるまもなく、コーネリアの連射が腕を射抜く。
衝撃でアルバートは半身開いた姿になるが、そのまま勢いに任せてぐるりと回転すると、すぐに臨戦態勢を立て直した。
「慣れた状況対応だ……戦士としては一流か」
認めざるをえないことに眉をひそめ、舌を打つ。
アルバートは隙間から強引に包囲を突破する。
だがハンター達が追従するようにそれを追って、すぐに新たな包囲を作った。
それでも結果としては鼬ごっこ。
退避組との距離が縮まることもなければ、大きく広がることもなかった。
「お前の過去に何があったかはしらないが……目の前の彼女と、記憶の中の人と、一緒くたにするんじゃない……!」
彼の執心が記憶と現実との混濁なら――その意識を断ち切るように、ヴァイスが叫ぶ。
突き穿つ盾剣。
しかし今度はひらりと回避され、踏み込んだ間合いにアルバートがグンと距離を詰めた。
「違ウ……俺は、守らなけレばならナい」
「それが一緒くたにしているというんだ……!」
とっくに浄龍樹陣から抜けた中、アルバートの手に集まった負のマテリアルが剣の形を成す。
赤い軌跡を放って振う刃は、今度もガクルックスの結界の中で、彼の盾に引き寄せられる。
何度となく訪れる不可解な感覚を前に、アルバートの表情にも苛立ちがのぞいた。
「いい加減……認めたらいかがですか?」
ふと、透明なシールド越しにガクルックスが口を開く。
盾越しに伝う衝撃は、先ほどまでと比べ物にならないほどだった。
このまま続ければ長くは持たない――ガクルックスの心に生まれた僅かな焦りが、言葉を後押しする。
「――あんたの思う『彼女』はもう、この世にいないのですよ」
その言葉に、アルバートの表情が怒りとも悲しみとも似つかない戸惑いで歪む。
知っている、だが認めたくはない。
それを感じ取って、ガクルックスもまた苛立ちをのぞかせ、彼をにらみつけた。
「あんたが現れたという場所――グラウンド・ゼロ。あそこがどんな場所か、知っていますか?」
「なニ……?」
「大昔、邪神の手で破壊された『命なき』場所。ええ、かつてその地に古代クリムゾンウェスト人たちは確かに息づいていたでしょう。ですがそれも今では神話と呼ぶほど遠い日のこと。現実はそんなきれいごとでは収まらず、より凄惨な運命が数千年にわたり現代まで続いてきたわけですが……」
自ら口にして、ガクルックスの声色に僅かな歯切れのわるさが含まれる。
それはアルバートに語りながら、まるで自分自身に語り掛けているかのような言葉。
だがそれを押して、彼は言葉を紡ぐ。
「あんたがどうしてあの地に現れたのか、俺にはわかりません。ですが今ここにいるのなら、朧気でも記憶を慈しむのなら、認めなさい。彼女がもう、この世にいないことを」
「……ああああぁぁぁぁッッ!!!」
アルバートが絶叫する。
押さえきれない感情の爆発。
メキメキとその姿が変態し、軍服の下で身体の大半は鱗に覆われ、翼も、四肢も、禍々しい龍の姿へと変わり果てる。
それでもなお、最後の抵抗を続けるかのように頭は彼そのもののままであり、立ち姿もまだ人のそれを保っていた。
「……それでいい。その記憶を否定しないことが、俺とあんたの最後の抵抗です」
マテリアルランスが閃き、竜人化したアルバートの脚を穿つ。
回避の隙を与えない一撃目は彼の動きを捉えられる。
だが、先ほど同様に返しの二撃目は身を屈めた彼に回避されてしまう。
接近戦のセンスは悔しいがアルバートに軍配が上がっていた。
激高するアルバートは、自分自身の記憶と、理性と戦っている。
それでも本能がどうしようもなく『彼女』を求め――目の前のアメリアに、その面影を重ねさせた。
欲しいのならば、求めるのならば手に入れろ。
その力、衝動――“強欲”の名そのままに。
「アメリア、ちょっと……!?」
退避を急ぐ中、戦場を振り返ったアメリアが唐突に足を止めて、パトリシアが両親にエヴィの手綱を手渡し、慌てて踵を返す。
リアリュールも咄嗟に両親に先を急ぐよう伝え、彼女らのもとに駆け寄った。
「私、ここに残ります」
「えっ!?」
アメリアの突然の提案に、パトリシアは目を丸くして、わたわたと辺りを見渡す。
リアリュールは彼女の表情に決意の色を感じて、優しく、だけど強い口調で問いかけた。
「どうして?」
「アルバートが私を狙っているのなら……私が残れば、彼はここから村の方へは行かないはず」
「それは……断言できないわ。今の彼には、まだ理性がある。それが完全になくなったら――『刃の竜』となってしまったら、どうなるか分からない」
「でも、今はそうじゃない……でしょう?」
彼女もたいがいに頑固だ――一瞬アルバートに視線を向けてから、リアリュールは小さなため息をつく。
「村の被害は収まるカモ……でもアメリアが危険に……ウーン!?」
頭を抱えるパトリシアの背中をリアリュールがそっと撫でた。
「危険は私たちで払えばいい……そもそもご両親から受けた依頼がそうでしょう?」
――娘が何か隠し事をしているから探って欲しい。
ハンターたちが受けた依頼は、ひとえにアメリアのことを心配した両親の想いによるものだ。
だとしたらこの依頼はまだ有効だ。
「ありがとう……! えっと――」
ぱっと表情を明るくしたアメリアは、リアリュールを見つめて、ちょっと口ごもる。
「リアリュールよ」
「ありがとう、リアリュール」
「ウーン……パティもお腹くくったヨ! アメリアを護れば、全部守れるんだよネ! ダイジョウブ、任せておいてヨ!」
「パティもありがとう。『任せておいて』なんて……お兄ちゃんみたい」
「ええ!? ど、どうせなら『お姉ちゃん』がいいヨ~!」
ショック、落ち込んで、ぷりぷり怒る。
感情変化の激しい彼女に思わず笑みがこぼれる中、それでも緊張が解かれたわけではない。
アルバートの絶叫が背中に響いて、リアリュールとパトリシアがアメリアを背に、来た道へと立ちはだかった。
●迎える者、応える者
「引くことを諦めたか……愚策だが賢明だ」
退避組の様子に気づいたコーネリアは独り言ちる。
これでアルバートの足が止まるなら、これ以上の被害の拡大は防げるはずだ。
現に、彼は今までのような無理な突破を繰り返すことをやめ、アメリアの前に立ちふさがる明確な障害の排除に、意識を切り替えているようだった。
再びソフィアの制圧射撃がアルバートの足を止めさせたところで、重ねるようにリアリュールのリトリビューションが光の雨となってアルバ―トの身体を蝕む。
「もういっかい、結界を張るネ!」
前線に符を張ったパトリシアが浄龍樹陣を発動。
結界内のもともと薄い負のマテリアルが完全に浄化されると、アルバートの手に握られた剣も粒子となって砕け散った。
理性を失いかけているアルバートは、うめき声をあげながら封じられた身動きに抵抗を見せる。
それを後押しするように、進行する竜化現象が彼の不調を跳ね除けた。
「憎たらしいほど便利な身体ですね……だけど、それが『過程』の現象なら、完全に竜化してしまえば――」
言いかけて、ソフィアは自分で自分の考えを否定する。
こんなところで完全竜化されてたまるか。
もちろんその際の術も用意があるが、それで仕留められるかは賭けとなる。
もしも撃ち漏らせば――ブリューナクの銃身を撫でながら、『今』そうならないために行動するだけだ。
不調を脱ぎ捨てて飛び出したアルバートは、ガクルックスの結界の中でなおも意識を彼へと強制される。
彼の結界は彼自身の耐久力もあって、ここまで鉄壁の守りを誇っている。
それでも結界の余力を考えれば、これ以上戦いを長引かせることは避けたい。
「あんたの想いは分かります。俺にも、大切な人が――俺を救ってくれた、好きな女がいました。だけど抗えない運命の中で、彼女は消滅してしまった……!」
盾で手刀を受けながら、ガクルックスは声を張る。
焦がれるのに手に入れられない。
目の前の彼は、まるで自分自身を見ているかのようだった。
「俺も彼女も、運命に翻弄されていた。だけど、彼女の死を俺は否定しません。それは、彼女と出会えたという奇跡を、俺の想いそのものを、否定することになってしまうから」
「受け入れて、アルバート。彼女を奪った存在を倒したのに、なぜ彼女はあなたのそばにいないの……? なぜあなたは、グラウンド・ゼロの地面深くに安置されていたの……?」
リアリュールが言葉を重ねる。
激情に身を任せなければ彼は人のままで、身を任せれば身も心も歪虚竜と化す。
思えばそれ自体がいびつなことだった。
記憶がないのに、なぜ彼の理性は人であることも求めるのか。
それもまた“強欲”であるがゆえ……?
だとしたら何よりも先に求めるべきものが、彼の中には欠けている。
「思い出して、アルバート。あなたにはきっと、それが必要だから」
「そして今を自分を受け入れるんだ! 想いも、望みも、それからで遅くないッ!」
ヴァイスの盾剣が左胸のど真ん中を捉えた。
過去に大きな傷を負った肩からのライン。
傷を狙った一撃は、目論見とは裏腹に覆われた他よりも強固な鱗に阻まれ、威力を削がれてしまう。
それでも、それを持って余りある切っ先をめり込ませ、血しぶきがヴァイスの身体と剣を濡らした。
剣と鎧が触れた先から腐食していく。
それを圧しても、これ以上アルバートを好き勝手させておくことはできない。
「そこマで想い……なぜ求めナい!?」
「なんですって……?」
思わぬ一言に、ガクルックスは虚を突かれたように問い返す。
「なぜ受け入レ、そうやってのうのうとしていらレる……!? そこまでの想いがあるのナら、お前には他にできルことがあったハズだ……ッ!」
感情をぶちまけるように、アルバートが叫ぶ。
その瞳は、涙こそ枯れはてていてもどこか泣いているようにリアリュールには感じられた。
「この俺が、のうのうと……?」
ふつふつと込み上げた感情に、ガクルックスは奥歯を噛みしめる。
「そう……見えるんですかねぇ!?」
そう溢しながら、チリチリとうなじが焼け付くような想いを感じた。
「シュホウジンキュウキュウニョリツリョウ……! みんな、あんまり時間ないヨ!」
アルバートの高ぶりが限界に達しつつあるのを感じて、慌てた様子でパトリシアが結界を重ねかける。
(勝機はまだない……が、押し潰すにも足りない。正直、もっと飽和するレベルの火力と手数が必要――クソッ! せっかく見逃してやったのにこれじゃ困るんだよ)
状況を嘆いても仕方がない。
とにかくアメリアに近づけないこと。
それが成せれば上出来だと、ソフィアは自分自身に言い聞かせる。
「守護者なんて言っても、限度はあるんだよ……!」
星神器の解放は一度かぎりの大博打。
今使えば最低限、撤退には持ち込めるか……?
だが、下手に刺激することになれば間違いなく竜化が完全なものとなる。
力を持つがゆえの葛藤――それは、彼女自身が可能性に賭ける人類であるということに他ならない。
ブリューナクから放たれた通常の弾丸を、アルバートは身体を包むように閉じた翼で防ぐ。
コーネリアの銃弾がそれに重なる。
引き続けるトリガーに迷いはない。
それはただひとえに、彼女の信念ははじめから変わっていないことを示す。
「貴様がどのようなやつかなど、知った話ではない。それに認めぬのならそれでもいい。だが貴様が歪虚である限り――貴様のさだめは変わらない」
超回転弾は、鱗に覆われた翼膜を貫いてアルバートの身体へと確かに届いている。
それはどこまでもぶれることのない、彼女の想いそのものだった。
アルバートは守りをとくと、太く、大きく、肥大化した爪でもってガクルックスに肉薄する。
その繰り返し。
このままではらちがあかない――誰もが感じた時、張り詰めた声が戦場に響いた。
「――アルバート!」
アメリアだった。
突然のことに、リアリュールは慌てて隠すように彼女を背中で後方へ押しやる。
だがアメリアは彼女を押しのけるように前へ踏み出した。
「私はあなたの想う人ではない……だけど、私はあなたがお兄ちゃんじゃないことも知ってるよ! でもしょうがないじゃない……悲しいんだもん! さみしいんだもん! でもそれが――悲しむことが私がお兄ちゃんを忘れないための方法だから! あなたはどうやって『彼女』を思い出にするの? ねぇ、答えてみせてよっ!」
その言葉に、アルバートの動きがぴたりと止まった。
いつの間にか灼熱をおびた瞳が、もとの赤銅のそれに戻って、ただ泣きそうな顔でアメリアのことを見ていた。
アメリアがさらに一歩を踏み出す。
「だめ、もうこれ以上は――」
しかし、これ以上はアルバートの一歩の間合いであることを察知して、リアリュールはやや力任せに彼女を圧しとどめる。
その瞬間、アルバートの中で何かが弾けた。
「その娘を離せ……ッ!」
無我夢中だった。
この鱗が武器となることも、結果としてどうなるかも、頭では分かっていた。
だが理性とは裏腹に、身体は動いていた。
「危ない……ッ!」
リアリュールが庇うようにしてアメリアを突き飛ばす。
アルバートが放った鱗のつぶてが、散弾銃のように全身を打ち付けた。
それでも、彼女にはすべてを肩代わりするだけの手段はない。
受け止めそこなったつぶてがひとつ――アメリアのお腹で赤い花弁を散らした。
「ちぃっ……だから言ったんだッ!」
コーネリアがアメリア達との射線に割って入って、銃口をアルバートへと向ける。
放たれた銃弾は呆然として無防備な彼の手足を穿って、ぽたぽたと黒い血が地面に垂れる。
「アメリアっ! アメリア……!」
駆け寄ったパトリシアが、彼女を抱きかかえて必死に名前を呼ぶ。
大粒の涙が、力なく笑うアメリアの頬にこぼれ落ちる。
傷だらけながらもまだ意識のはっきりとするリアリュールも、寄りそって、回復の術を彼女に注ぎ込んだ。
「これが貴方の――アメリアを傷つけてまで叶えたい、そんな望みなノ!?」
叫ぶパトリシアの言葉に、アルバートは狼狽えるばかりで何も答えない。
だがやがてギリリと噛みしめると、身をひるがえして翼を広げた。
「彼女を……アメリアを頼む」
言い残して、空高く飛び立つアルバート。
それを追えるだけの気力は誰にも残されていなかった。
●騎士が求める者
「大丈夫、命に別状はないはずだ。ただ――」
アメリアの治療に加わったヴァイスは、良くなっていく顔色にほっと胸をなでおろしつつ、真っ赤に染まった彼女のお腹を見る。
傷は残るかもしれない――年頃の少女にそれを告げるのは酷だと思い、その先の言葉は飲み込んでしまった。
「良かったヨぉぉぉ!」
泣きじゃくりながらアメリアに抱き着いたパトリシアを、リアリュールが優しく引きはがす。
命は繋いだとはいえ、彼女はまだまだ安静にしなければならない。
「……ジャンヌ」
「……え?」
不意にアメリアが乾いた唇で口にして、リアリュールは聞き返す。
「彼が言っていた名前です……大切な人だって、私……」
「俺も耳にしました。おそらくは記憶の中の女性の名で間違いないでしょう」
タバコをくわえながら、ガクルックスが冷ややかに答える。
彼は一口煙を吸うたびに、小刻みに指先で灰を宙に散らす。
「逃げたところで奴に安息の場所はない」
コーネリアが舞う灰を視線で追って、そのままアルバートの消えていった空を睨みつけた。
「必ず見つけ出し、地獄の果てに追い詰めてでも息の根を止めてやる」
「う、うん……彼ハ、どうしようもなく歪虚だったカラ……パティもそう思う。ケド……」
今のままで終わらせても、良いのカナ。
いや、やらなければならないのは分かっている。
だけどどこか後味の悪さのようなものが彼女の決断を鈍らせた。
「ジャンヌ……ジャンヌ……ね」
繰り返すように、リアリュールが口の中で何度もその名を唱える。
何かを見落としているような、答えにならない不安が胸の内をくすぶっていた。
「あれだけ変容が進んでいて……このまま引き下がるとは、どうも思えないんですけどね」
ふと、ソフィアがそんなことを呟いた。
「彼の竜化、あれはどうやらある種の衝動みたいなものに反応している。それが納まるメカニズムが分からない以上、近いうち、いつどこで最後の一歩を――理性のたがが外れるか分からないってことです。そしてその時は――」
――被害は少なく済まない。
すでに、人の営みのある場所まで足を踏み入れているのだ。
「その時こそ、ヤツの最期だ。今までは局地的な戦いであったのが不幸中の幸いか。実害を被れば――オフィスも野放しにはできまい」
答えるコーネリアに、ソフィアは肯定するよう頷き返す。
「もっとも、今回の件ですでに野放しにできない存在になり果てただろうがな」
「その時は焼き尽くす。わたしと、このブリューナクが」
冬の日差しにブリューナクの銃口がまぶしく輝く。
その日はそう遠い未来ではないと――なんとなく、そんな気がしていた。
「ま……まって!」
少女――アメリアの叫びに、足を踏み出しかけたハンター達は思わずたじろいだ。
そうさせたのは、目の前のなんの力も持たない少女が見せた、決意の表情に対してのほんのわずかな戸惑い。
それはほんの一瞬、彼女に言葉を発するだけの時間を与える。
「だ、大丈夫……怖くない。怖くないよ、ね……?」
震える唇で口にして、アメリアは抱きとめるかのように、むぼうびに両手を広げた。
彼の方を向いた彼女が今、どのような表情でその言葉を発しているのか知るすべはない。
だが、興奮の冷めないアルバートの周囲に負のマテリアルの粒子が舞って、ヴァイス(ka0364)が駆け出していた。
アルバートが動くよりも先に、全速力で2人の間へ飛び込む。
「離れろ。そいつはもう歪虚だ、話の通じる相手ではない……さもなくばお前は死ぬぞ!」
銃口と鋭い視線を向けるコーネリア・ミラ・スペンサー(ka4561)の怒声に、アメリアは目じりに涙を浮かべ、息を詰まらせる。
「お願い、ここは引いて」
半歩遅れて、同じように全力で駆け寄ったリアリュール(ka2003)がアメリアの肩に触れた。
冬だというのに、冷たい汗でびっしょりの身体は小刻みに震えていた。
「でも、私、彼……」
「私も知らない相手じゃないわ……だから、任せて」
自分でも感情と行動の折り合いをつけられず、アメリアからこぼれるのは要領を得ない単語ばかり。
穏やかな口調で諭すリアリュールに、アメリアは眉間にしわをよせ、唇をかみしめる。
「あああぁぁぁぁぁぁ!!!」
アルバートが灼熱色に輝く瞳で雄たけびをあげ、なかば竜そのものと化した右腕を突き出す。
身構える余裕もなく、とにかく割って入ることで精いっぱいだったヴァイスは、完全にアメリアをその背に隠すことはできていない。
鋭い手刀が彼女に迫る――かと思ったつかの間。
アルバートの狙いとは裏腹に、手刀はGacrux(ka2726)の盾に吸い寄せられていた。
「申し訳ないですが、しばらく俺に付き合っていただきますよ」
透明な材質の盾を通し、ガクルックスとアルバートの瞳が交差する。
文字通り燃えるように輝くアルバートの瞳に、彼はふと眉をひそめた。
「見ての通り立て込んでるから、おじさんたちは外に出て。それからできるだけ――できるだけ遠くに」
ソフィア =リリィホルム(ka2383)が星神器の銃口をアルバートに向けながらアメリアの両親へ向けて言う。
無邪気なようで、どこか有無を言わさぬ語り草に、彼らはソフィアと、アメリアとを見比べて狼狽えた。
「で、ですが娘が……!」
「アレを相手に『3人』を護って、護りきる保証はない。娘が心配なら、これ以上、我々の手をわずらわせるな」
コーネリアの言葉が冷たく、それでいて鋭利な刃物のように両親の心のゆらぎに突き立つ。
冷淡だが、彼女の言うことは事実だ。
「パパさん、村の人たちもここから遠くニ。教えてあげテ。できるだけ、助け合って……ネ?」
パトリシア=K=ポラリス(ka5996)に与えられた役割に、両親は自分たちのやらなければならないことを理解する。
彼らは愛娘の姿を瞳に焼き付けるように見てから小屋の外へと駆け出した。
「何をそう荒れる必要がある。なあ、アルバート!」
今度こそ視界を遮るように、構えた聖盾剣の盾面をアルバートの眼前に突き付ける。
アルバートは身の丈ほどあるそれを力任せに押しやった。
「俺は……知っている……!」
アルバートは空いた腕を頭上へ掲げると、周囲のマテリアルをその手中へと集め始める。
マテリアル武器の生成。
だがそれよりも早く、小屋の中腹へ飛び出したパトリシアが、陣に必要な符を周囲の柱に貼り終えていた。
――ジョウリュウジュジンキュウキュウニョリツリョウッ!
マーキス・ソングの歌と共に陣を起動。
結界として吹き荒れる正のマテリアルが小屋の中に漂う微弱な負のマテリアルを払拭する。
アルバートは、形を成しかけた手中のマテリアルが砕け散って目を見開いた。
「今のうちに」
アルバートの意識が逸れた隙に、リアリュールが半ば強引にアメリアの手を引く。
アメリアは後ろ髪をひかれる思いで視線をアルバートの方へ流し、駆け出した。
その様子にアルバートはハッと息を呑む。
脳裏に失われた記憶の断片が、閃光となって瞬いた。
「――ジャンヌッ」
追い縋ろうと翼の羽ばたきで大地を蹴る。
しかしヴァイスとガクルックス、2人の壁がそれを許さない。
「あの子に怯えられたのがそんなに堪えるか、アルバート」
「な……ニ……?」
「それとも……似たような経験があるのか?」
ヴァイスの問いかけに、アルバ―トの食いしばった歯の隙間から蒸気じみた熱気が漏れる。
「知っタよウな口を……ッ!」
ろれつの回らない激昂で、両椀の爪が常人の目には留まらない速度で振われる。
ヴァイスの頭上から迫ったそれは、再び指向操作の結界――ガウスジェイルで因果を捻じ曲げられガクルックスへと引き寄せられた。
頭、胴、腕、足。
左右の腕から繰り出される上下織り交ぜた多段撃を、的確な体捌きにもとづいて盾で受け止めるガクルックス。
最後の一撃が認識よりもわずかに早く防御を抜け、鱗がヤスリの目のようになって身体を抉った。
「頭に血が上ってこれなら、たいしたものですよ……!」
かすった程度でこれなら直撃は避けなければならない。
それでも、今はここから動くわけにはいかないのだ。
「急いで! ご両親もまだ出たばかりだから、合流して一緒に!」
ソフィアがせかすように叫んだその横を、リアリュールとアメリアが駆け抜ける。
次いでパトリシアが興奮するエヴィの手綱を引きながら、なだめるように首筋をなでてやる。
「大丈夫ダヨ。アメリアを助けてあげテ?」
エヴィはそれを理解したのかどうか、荒い鼻息をひとつ吐く。
見たところ、負のマテリアルの中で動物的に興奮している以外に目立った異変は見られない。
彼もきっと大丈夫――そうであることをパトリシアは切に願う。
彼女らが小屋を出ていくのを、アルバートもまたその視界にとめる。
途端に焦りに表情を歪ませた彼は、翼の羽ばたきひとつで天井すれすれまで飛び上がると、そのまま滑空してアメリアらの背中が見える出入口へと迫った。
「ちぃっ……異形の力を使うのにためらいがなくなって来てやがる」
ガクルックスの結界の外。
仕方なく、一番近かったソフィアが狭い入口に滑り込んで立ちふさがった。
ブリューナクが唸り、鉛玉と共に赤い軌跡が迫るアルバートを迎え撃つ。
アルバートは錐もみ回転でそれを躱して、次の瞬間にはソフィアの目と鼻の先まで迫っていた。
咄嗟に防御障壁を展開する。
多段撃のすべてにスキル余力のすべてを全力でそそぐ。
手刀は威力をそがれこそすれ、障壁を打ち砕いて、ソフィアの華奢な身体を乱れ打った。
「かは……っ」
腹部を強打され、内臓まで響いた衝撃に思わず膝をつく。
コーネリアの銃声がアルバートの脚を真横から貫いた。
マテリアルで回転力を高めた銃弾は、着弾の瞬間に強固な鱗を打ち砕いて、その先の肉まで突き刺さる。
それでもアルバートは痛みに顔をゆがめることもなく、高ぶった感情に任せた瞳で満身創痍のソフィアを見下ろした。
「どケ」
「……冗談きついな」
前髪からのぞいた紅の瞳で、ニヤリと不敵な笑みを浮かべるソフィア。
アルバートごしに、ヴァイスたちが慌ててこちらへ詰め寄る姿が見えた。
その視線を読んだアルバートはもう一度飛び上がると、入口の真上の壁に、拳の一撃を叩きつける。
激しい破砕音と共に木くずが舞って、壁に大きな穴が開いていた。
「追えるか!?」
穴からふわりと外へ飛び出したアルバートを頭上に、ヴァイスのアンチボディで活性化したマテリアルがソフィアの外傷を癒す。
動けるだけは回復していることを実感して、彼女は「当然」と首を縦に振った。
●追われる者、すがる者
アルバートが小屋を脱したのは、木の壁が破壊された音として、小屋から離れるハンター達へも伝わっていた。
「狙いはこちら……? ずいぶんと執心なのね」
リアリュールが地面に降り立ったアルバートを見、アメリアを見、深い吐息交じりに言う。
「私、そんな……」
「あなたに非はないわ。目を覚ますべきは、彼の方」
振り向きざま、空へ放った光の銃弾。
それは空中で無数の光の球へと分裂し、一斉にアルバートの身体へと降り注ぐ。
懲罰の名を冠した光は、楔のように彼の四肢を貫いた。
小屋から飛び出したハンターらは、アルバートを包囲するよう散開する。
この人数で空間的な包囲は不可能ではあるが、何かあったときに誰かは動ける。
それだけでも十分に意味はある。
収穫済みの畑が、それでも大勢の人間の足跡で荒された。
そんな中、彼の瞳が目の前の自分達ではなく、先のアメリアたちを見ているのに気づいて、ソフィアは早々にトリガーを引いた。
「よそ見たぁ、余裕ですね」
光の楔で動きを阻害されたアルバートの全身に、ブリューナクから放たれた制圧用の連射が次々と突き刺さる。
これで身動きを封じられれば――そう思ったのはつかの間、傷口を突き破るようにして「身体の内側から」発生した鱗の肌が、突き刺さった銃弾を押し出す。
全身から零れ落ちたひしゃげた弾が、ころころと軽い音を立てて地面に転がった。
「脱皮かよ……!」
言葉の軽さとは裏腹に、ソフィアの表情は苦悶に歪む。
アルバートが一足で距離を詰めた。
振りぬかれる手刀。
しかし今度はガクルックスの結界の内だ。
多段撃は、すべて彼の盾に受け止められる。
「もう受けるばかりではありませんよ」
守りを開いて、右手に握るカオスセラミックのステッキを突き出す。
踏み込みが足りない――感じさせたのは錯覚で、ステッキの先から長大なマテリアル刃がアルバートの肩に突き刺さる。
黒い軍服を裂いて、届いた切っ先はその下に隠れた固い鱗を砕いた。
細い傷口から散ったどすぐろい血液。
しかし、実体を持たない刃にそれがかかることはない。
「もう一撃――」
再びマテリアル刃を発生させアルバートの眉間を狙うが、今度は大きく身体を逸らすことで回避されてしまう。
しかし、勢いでふらついたアルバートの横っ腹に、ヴァイスの一突きが放たれた。
揺らめく灯火をまとった巨大な盾剣。
接触の間際、アルバートがその刀身を手で抑えつけ、直撃を避ける。
息を吐かせるまもなく、コーネリアの連射が腕を射抜く。
衝撃でアルバートは半身開いた姿になるが、そのまま勢いに任せてぐるりと回転すると、すぐに臨戦態勢を立て直した。
「慣れた状況対応だ……戦士としては一流か」
認めざるをえないことに眉をひそめ、舌を打つ。
アルバートは隙間から強引に包囲を突破する。
だがハンター達が追従するようにそれを追って、すぐに新たな包囲を作った。
それでも結果としては鼬ごっこ。
退避組との距離が縮まることもなければ、大きく広がることもなかった。
「お前の過去に何があったかはしらないが……目の前の彼女と、記憶の中の人と、一緒くたにするんじゃない……!」
彼の執心が記憶と現実との混濁なら――その意識を断ち切るように、ヴァイスが叫ぶ。
突き穿つ盾剣。
しかし今度はひらりと回避され、踏み込んだ間合いにアルバートがグンと距離を詰めた。
「違ウ……俺は、守らなけレばならナい」
「それが一緒くたにしているというんだ……!」
とっくに浄龍樹陣から抜けた中、アルバートの手に集まった負のマテリアルが剣の形を成す。
赤い軌跡を放って振う刃は、今度もガクルックスの結界の中で、彼の盾に引き寄せられる。
何度となく訪れる不可解な感覚を前に、アルバートの表情にも苛立ちがのぞいた。
「いい加減……認めたらいかがですか?」
ふと、透明なシールド越しにガクルックスが口を開く。
盾越しに伝う衝撃は、先ほどまでと比べ物にならないほどだった。
このまま続ければ長くは持たない――ガクルックスの心に生まれた僅かな焦りが、言葉を後押しする。
「――あんたの思う『彼女』はもう、この世にいないのですよ」
その言葉に、アルバートの表情が怒りとも悲しみとも似つかない戸惑いで歪む。
知っている、だが認めたくはない。
それを感じ取って、ガクルックスもまた苛立ちをのぞかせ、彼をにらみつけた。
「あんたが現れたという場所――グラウンド・ゼロ。あそこがどんな場所か、知っていますか?」
「なニ……?」
「大昔、邪神の手で破壊された『命なき』場所。ええ、かつてその地に古代クリムゾンウェスト人たちは確かに息づいていたでしょう。ですがそれも今では神話と呼ぶほど遠い日のこと。現実はそんなきれいごとでは収まらず、より凄惨な運命が数千年にわたり現代まで続いてきたわけですが……」
自ら口にして、ガクルックスの声色に僅かな歯切れのわるさが含まれる。
それはアルバートに語りながら、まるで自分自身に語り掛けているかのような言葉。
だがそれを押して、彼は言葉を紡ぐ。
「あんたがどうしてあの地に現れたのか、俺にはわかりません。ですが今ここにいるのなら、朧気でも記憶を慈しむのなら、認めなさい。彼女がもう、この世にいないことを」
「……ああああぁぁぁぁッッ!!!」
アルバートが絶叫する。
押さえきれない感情の爆発。
メキメキとその姿が変態し、軍服の下で身体の大半は鱗に覆われ、翼も、四肢も、禍々しい龍の姿へと変わり果てる。
それでもなお、最後の抵抗を続けるかのように頭は彼そのもののままであり、立ち姿もまだ人のそれを保っていた。
「……それでいい。その記憶を否定しないことが、俺とあんたの最後の抵抗です」
マテリアルランスが閃き、竜人化したアルバートの脚を穿つ。
回避の隙を与えない一撃目は彼の動きを捉えられる。
だが、先ほど同様に返しの二撃目は身を屈めた彼に回避されてしまう。
接近戦のセンスは悔しいがアルバートに軍配が上がっていた。
激高するアルバートは、自分自身の記憶と、理性と戦っている。
それでも本能がどうしようもなく『彼女』を求め――目の前のアメリアに、その面影を重ねさせた。
欲しいのならば、求めるのならば手に入れろ。
その力、衝動――“強欲”の名そのままに。
「アメリア、ちょっと……!?」
退避を急ぐ中、戦場を振り返ったアメリアが唐突に足を止めて、パトリシアが両親にエヴィの手綱を手渡し、慌てて踵を返す。
リアリュールも咄嗟に両親に先を急ぐよう伝え、彼女らのもとに駆け寄った。
「私、ここに残ります」
「えっ!?」
アメリアの突然の提案に、パトリシアは目を丸くして、わたわたと辺りを見渡す。
リアリュールは彼女の表情に決意の色を感じて、優しく、だけど強い口調で問いかけた。
「どうして?」
「アルバートが私を狙っているのなら……私が残れば、彼はここから村の方へは行かないはず」
「それは……断言できないわ。今の彼には、まだ理性がある。それが完全になくなったら――『刃の竜』となってしまったら、どうなるか分からない」
「でも、今はそうじゃない……でしょう?」
彼女もたいがいに頑固だ――一瞬アルバートに視線を向けてから、リアリュールは小さなため息をつく。
「村の被害は収まるカモ……でもアメリアが危険に……ウーン!?」
頭を抱えるパトリシアの背中をリアリュールがそっと撫でた。
「危険は私たちで払えばいい……そもそもご両親から受けた依頼がそうでしょう?」
――娘が何か隠し事をしているから探って欲しい。
ハンターたちが受けた依頼は、ひとえにアメリアのことを心配した両親の想いによるものだ。
だとしたらこの依頼はまだ有効だ。
「ありがとう……! えっと――」
ぱっと表情を明るくしたアメリアは、リアリュールを見つめて、ちょっと口ごもる。
「リアリュールよ」
「ありがとう、リアリュール」
「ウーン……パティもお腹くくったヨ! アメリアを護れば、全部守れるんだよネ! ダイジョウブ、任せておいてヨ!」
「パティもありがとう。『任せておいて』なんて……お兄ちゃんみたい」
「ええ!? ど、どうせなら『お姉ちゃん』がいいヨ~!」
ショック、落ち込んで、ぷりぷり怒る。
感情変化の激しい彼女に思わず笑みがこぼれる中、それでも緊張が解かれたわけではない。
アルバートの絶叫が背中に響いて、リアリュールとパトリシアがアメリアを背に、来た道へと立ちはだかった。
●迎える者、応える者
「引くことを諦めたか……愚策だが賢明だ」
退避組の様子に気づいたコーネリアは独り言ちる。
これでアルバートの足が止まるなら、これ以上の被害の拡大は防げるはずだ。
現に、彼は今までのような無理な突破を繰り返すことをやめ、アメリアの前に立ちふさがる明確な障害の排除に、意識を切り替えているようだった。
再びソフィアの制圧射撃がアルバートの足を止めさせたところで、重ねるようにリアリュールのリトリビューションが光の雨となってアルバ―トの身体を蝕む。
「もういっかい、結界を張るネ!」
前線に符を張ったパトリシアが浄龍樹陣を発動。
結界内のもともと薄い負のマテリアルが完全に浄化されると、アルバートの手に握られた剣も粒子となって砕け散った。
理性を失いかけているアルバートは、うめき声をあげながら封じられた身動きに抵抗を見せる。
それを後押しするように、進行する竜化現象が彼の不調を跳ね除けた。
「憎たらしいほど便利な身体ですね……だけど、それが『過程』の現象なら、完全に竜化してしまえば――」
言いかけて、ソフィアは自分で自分の考えを否定する。
こんなところで完全竜化されてたまるか。
もちろんその際の術も用意があるが、それで仕留められるかは賭けとなる。
もしも撃ち漏らせば――ブリューナクの銃身を撫でながら、『今』そうならないために行動するだけだ。
不調を脱ぎ捨てて飛び出したアルバートは、ガクルックスの結界の中でなおも意識を彼へと強制される。
彼の結界は彼自身の耐久力もあって、ここまで鉄壁の守りを誇っている。
それでも結界の余力を考えれば、これ以上戦いを長引かせることは避けたい。
「あんたの想いは分かります。俺にも、大切な人が――俺を救ってくれた、好きな女がいました。だけど抗えない運命の中で、彼女は消滅してしまった……!」
盾で手刀を受けながら、ガクルックスは声を張る。
焦がれるのに手に入れられない。
目の前の彼は、まるで自分自身を見ているかのようだった。
「俺も彼女も、運命に翻弄されていた。だけど、彼女の死を俺は否定しません。それは、彼女と出会えたという奇跡を、俺の想いそのものを、否定することになってしまうから」
「受け入れて、アルバート。彼女を奪った存在を倒したのに、なぜ彼女はあなたのそばにいないの……? なぜあなたは、グラウンド・ゼロの地面深くに安置されていたの……?」
リアリュールが言葉を重ねる。
激情に身を任せなければ彼は人のままで、身を任せれば身も心も歪虚竜と化す。
思えばそれ自体がいびつなことだった。
記憶がないのに、なぜ彼の理性は人であることも求めるのか。
それもまた“強欲”であるがゆえ……?
だとしたら何よりも先に求めるべきものが、彼の中には欠けている。
「思い出して、アルバート。あなたにはきっと、それが必要だから」
「そして今を自分を受け入れるんだ! 想いも、望みも、それからで遅くないッ!」
ヴァイスの盾剣が左胸のど真ん中を捉えた。
過去に大きな傷を負った肩からのライン。
傷を狙った一撃は、目論見とは裏腹に覆われた他よりも強固な鱗に阻まれ、威力を削がれてしまう。
それでも、それを持って余りある切っ先をめり込ませ、血しぶきがヴァイスの身体と剣を濡らした。
剣と鎧が触れた先から腐食していく。
それを圧しても、これ以上アルバートを好き勝手させておくことはできない。
「そこマで想い……なぜ求めナい!?」
「なんですって……?」
思わぬ一言に、ガクルックスは虚を突かれたように問い返す。
「なぜ受け入レ、そうやってのうのうとしていらレる……!? そこまでの想いがあるのナら、お前には他にできルことがあったハズだ……ッ!」
感情をぶちまけるように、アルバートが叫ぶ。
その瞳は、涙こそ枯れはてていてもどこか泣いているようにリアリュールには感じられた。
「この俺が、のうのうと……?」
ふつふつと込み上げた感情に、ガクルックスは奥歯を噛みしめる。
「そう……見えるんですかねぇ!?」
そう溢しながら、チリチリとうなじが焼け付くような想いを感じた。
「シュホウジンキュウキュウニョリツリョウ……! みんな、あんまり時間ないヨ!」
アルバートの高ぶりが限界に達しつつあるのを感じて、慌てた様子でパトリシアが結界を重ねかける。
(勝機はまだない……が、押し潰すにも足りない。正直、もっと飽和するレベルの火力と手数が必要――クソッ! せっかく見逃してやったのにこれじゃ困るんだよ)
状況を嘆いても仕方がない。
とにかくアメリアに近づけないこと。
それが成せれば上出来だと、ソフィアは自分自身に言い聞かせる。
「守護者なんて言っても、限度はあるんだよ……!」
星神器の解放は一度かぎりの大博打。
今使えば最低限、撤退には持ち込めるか……?
だが、下手に刺激することになれば間違いなく竜化が完全なものとなる。
力を持つがゆえの葛藤――それは、彼女自身が可能性に賭ける人類であるということに他ならない。
ブリューナクから放たれた通常の弾丸を、アルバートは身体を包むように閉じた翼で防ぐ。
コーネリアの銃弾がそれに重なる。
引き続けるトリガーに迷いはない。
それはただひとえに、彼女の信念ははじめから変わっていないことを示す。
「貴様がどのようなやつかなど、知った話ではない。それに認めぬのならそれでもいい。だが貴様が歪虚である限り――貴様のさだめは変わらない」
超回転弾は、鱗に覆われた翼膜を貫いてアルバートの身体へと確かに届いている。
それはどこまでもぶれることのない、彼女の想いそのものだった。
アルバートは守りをとくと、太く、大きく、肥大化した爪でもってガクルックスに肉薄する。
その繰り返し。
このままではらちがあかない――誰もが感じた時、張り詰めた声が戦場に響いた。
「――アルバート!」
アメリアだった。
突然のことに、リアリュールは慌てて隠すように彼女を背中で後方へ押しやる。
だがアメリアは彼女を押しのけるように前へ踏み出した。
「私はあなたの想う人ではない……だけど、私はあなたがお兄ちゃんじゃないことも知ってるよ! でもしょうがないじゃない……悲しいんだもん! さみしいんだもん! でもそれが――悲しむことが私がお兄ちゃんを忘れないための方法だから! あなたはどうやって『彼女』を思い出にするの? ねぇ、答えてみせてよっ!」
その言葉に、アルバートの動きがぴたりと止まった。
いつの間にか灼熱をおびた瞳が、もとの赤銅のそれに戻って、ただ泣きそうな顔でアメリアのことを見ていた。
アメリアがさらに一歩を踏み出す。
「だめ、もうこれ以上は――」
しかし、これ以上はアルバートの一歩の間合いであることを察知して、リアリュールはやや力任せに彼女を圧しとどめる。
その瞬間、アルバートの中で何かが弾けた。
「その娘を離せ……ッ!」
無我夢中だった。
この鱗が武器となることも、結果としてどうなるかも、頭では分かっていた。
だが理性とは裏腹に、身体は動いていた。
「危ない……ッ!」
リアリュールが庇うようにしてアメリアを突き飛ばす。
アルバートが放った鱗のつぶてが、散弾銃のように全身を打ち付けた。
それでも、彼女にはすべてを肩代わりするだけの手段はない。
受け止めそこなったつぶてがひとつ――アメリアのお腹で赤い花弁を散らした。
「ちぃっ……だから言ったんだッ!」
コーネリアがアメリア達との射線に割って入って、銃口をアルバートへと向ける。
放たれた銃弾は呆然として無防備な彼の手足を穿って、ぽたぽたと黒い血が地面に垂れる。
「アメリアっ! アメリア……!」
駆け寄ったパトリシアが、彼女を抱きかかえて必死に名前を呼ぶ。
大粒の涙が、力なく笑うアメリアの頬にこぼれ落ちる。
傷だらけながらもまだ意識のはっきりとするリアリュールも、寄りそって、回復の術を彼女に注ぎ込んだ。
「これが貴方の――アメリアを傷つけてまで叶えたい、そんな望みなノ!?」
叫ぶパトリシアの言葉に、アルバートは狼狽えるばかりで何も答えない。
だがやがてギリリと噛みしめると、身をひるがえして翼を広げた。
「彼女を……アメリアを頼む」
言い残して、空高く飛び立つアルバート。
それを追えるだけの気力は誰にも残されていなかった。
●騎士が求める者
「大丈夫、命に別状はないはずだ。ただ――」
アメリアの治療に加わったヴァイスは、良くなっていく顔色にほっと胸をなでおろしつつ、真っ赤に染まった彼女のお腹を見る。
傷は残るかもしれない――年頃の少女にそれを告げるのは酷だと思い、その先の言葉は飲み込んでしまった。
「良かったヨぉぉぉ!」
泣きじゃくりながらアメリアに抱き着いたパトリシアを、リアリュールが優しく引きはがす。
命は繋いだとはいえ、彼女はまだまだ安静にしなければならない。
「……ジャンヌ」
「……え?」
不意にアメリアが乾いた唇で口にして、リアリュールは聞き返す。
「彼が言っていた名前です……大切な人だって、私……」
「俺も耳にしました。おそらくは記憶の中の女性の名で間違いないでしょう」
タバコをくわえながら、ガクルックスが冷ややかに答える。
彼は一口煙を吸うたびに、小刻みに指先で灰を宙に散らす。
「逃げたところで奴に安息の場所はない」
コーネリアが舞う灰を視線で追って、そのままアルバートの消えていった空を睨みつけた。
「必ず見つけ出し、地獄の果てに追い詰めてでも息の根を止めてやる」
「う、うん……彼ハ、どうしようもなく歪虚だったカラ……パティもそう思う。ケド……」
今のままで終わらせても、良いのカナ。
いや、やらなければならないのは分かっている。
だけどどこか後味の悪さのようなものが彼女の決断を鈍らせた。
「ジャンヌ……ジャンヌ……ね」
繰り返すように、リアリュールが口の中で何度もその名を唱える。
何かを見落としているような、答えにならない不安が胸の内をくすぶっていた。
「あれだけ変容が進んでいて……このまま引き下がるとは、どうも思えないんですけどね」
ふと、ソフィアがそんなことを呟いた。
「彼の竜化、あれはどうやらある種の衝動みたいなものに反応している。それが納まるメカニズムが分からない以上、近いうち、いつどこで最後の一歩を――理性のたがが外れるか分からないってことです。そしてその時は――」
――被害は少なく済まない。
すでに、人の営みのある場所まで足を踏み入れているのだ。
「その時こそ、ヤツの最期だ。今までは局地的な戦いであったのが不幸中の幸いか。実害を被れば――オフィスも野放しにはできまい」
答えるコーネリアに、ソフィアは肯定するよう頷き返す。
「もっとも、今回の件ですでに野放しにできない存在になり果てただろうがな」
「その時は焼き尽くす。わたしと、このブリューナクが」
冬の日差しにブリューナクの銃口がまぶしく輝く。
その日はそう遠い未来ではないと――なんとなく、そんな気がしていた。
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依頼相談掲示板 | |||
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相談卓 Gacrux(ka2726) 人間(クリムゾンウェスト)|25才|男性|闘狩人(エンフォーサー) |
最終発言 2018/12/07 14:40:10 |
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2018/12/05 19:12:49 |
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質問卓 パトリシア=K=ポラリス(ka5996) 人間(リアルブルー)|19才|女性|符術師(カードマスター) |
最終発言 2018/12/06 20:34:38 |