ゲスト
(ka0000)
アン嬢とリフレッシュ
マスター:凪池シリル

- シナリオ形態
- ショート
- 難易度
- 易しい
- オプション
-
- 参加費
1,000
- 参加制限
- -
- 参加人数
- 3~4人
- サポート
- 0~0人
- マテリアルリンク
- ○
- 報酬
- 少なめ
- 相談期間
- 5日
- 締切
- 2019/03/07 19:00
- 完成日
- 2019/03/15 15:19
みんなの思い出
思い出設定されたOMC商品がありません。
オープニング
交代の時間、と窓口からバックオフィスに引っ込んだ一人の受付嬢は、そこにあるデスクの一つで気絶するように寝ているアン=ズヴォーの姿を認めると思わず微笑した。
ハンターが激戦続きならその仕事を支えるハンターオフィスも大わらわだ。休憩時間に寝落ちしたくなる気持ちは良く分かる──実際彼女も軽食を取ったらそうしようと思うくらいだ。
その上、彼女はこの年下の、一生懸命でムードメーカーの同僚を憎からず思っていた。故に……そう、だから、交代時間なのだ。起こさねばならない。そのことに少し、躊躇いを覚える。
「……んがっ!?」
彼女が迷ううちにアンは自分で目を覚ました。疲れすぎて荒くなりズズ、と音を立てた呼気、それに自分自身で驚いたような様だった。
ぼんやりと目を開いたアンは暫く視線をさ迷わせると、見ていた受付嬢のところで焦点を合わせ、そしてはっとした顔になる。
「いっけねぇ、交代の時間でやしたか! こいつぁ失礼しやした!」
バタバタと準備を始めるアンに、彼女は苦笑する。
「いいけど……あんまり疲れてるなら、ちゃんと休暇をとった方が後々の為よ? あなたこっち来てから定休以外とってないんじゃない?」
「大丈夫でさあ! 手前どもはハンターの先生様方のお力になるのが一番したい事でさあ!」
「そう……でも、このところ流石に激戦続きだし……あなたそれ以外にも色々やるでしょう」
「手前どもが忙しいってこたあハンターの先生様方はその何倍も大変なはずでさあ! のんびりしてる場合じゃねえでさあ!」
それだけ言って、アンはオフィスの表側、窓口の方へと向かっていった。
「そりゃ……実際ハンターは何倍も大変でしょうけど、それってつまり、何倍も能力があるってことでもあるんだけどね……」
虚空に向かって思わず呟いて、大丈夫かしら、と視線を戻す。アンが居たそのデスクに目が行くと、あまり良くないことだとは思いつつもそこにあった書き付けに意識を向けてしまう。
『今大変なハンターの先生様方の力になるために』
そう題されたその紙にはアンが激戦から心身共に疲弊して戻ってくるハンターに何が出来るかが思い付くままに書き連ねられているようだった。
……ささやか過ぎるようなものだ。
今日はロビーをいつもより頑張って掃除した。
入口から見えやすいところに花を飾ってみた。
町で『疲れが取れる香り』と言われたアロマを置いてみた。
チョコレートを置いといたら減ってた。食べてくれた人は少しでも楽になっただろうか。甘いものが苦手な人もいるかも。レモン飴とおやつジャーキーも置いておこう。
忙しくて先輩にも声をかけられなかったからバレンタインには大したことが出来なかった。ホワイトデーも難しそう、どうしよう……。
そんなことが幾つも書いてあって、効果が見られたかどうかなのだろう、丸だの三角だのメモだのでぐるぐると上書きされて。
……正直。受付嬢としての彼女は、あまり要領が良いとは言えない。辺境の遊牧民族。基礎学習が、町のそれとは違いすぎる。受付嬢の採用試験は七回目にようやく合格にこぎ着けたというそうで、実際努力のかいもあっただろうが、多少は最終的には熱意に押されたのではないかというふしがある。
だからこそ忙しい今、アンは時間的には人より余計に働かねばならない部分もあるだろう。決して組織としてマイナスにはなっていないが、傍目に心配にはなる。
「ハンターの先生様方のために……ね」
それは多分、紛れもない本音だ。アンはただただ、ハンターが大好きで、憧れていて、それだけで多忙をものともしない様子で笑顔を浮かべ続けてみせている。
「あるんじゃないの? あんただからこその、ハンターをとびきり元気付ける方法が、さ」
そうして彼女は、一計を案じることにした。
●
「現地に行って聞き取り……ですかい」
依頼の内容に不明瞭な点があるから、手紙や通信のやり取りではなく直接顔を合わせての会話で内容を精査する。その役目を今回はアンにお願いしたい。説明するとアンは特に疑問を持たずに了解して旅立っていった。覚醒者ではないアンは転移門は使えない。現地の温泉宿に着くまで三日……と言ったところだろうか。
万一の「忘れ物したんで戻ってきましたー」等が無いように、乗り合い馬車に乗り間違いなく出発したところまで見計らってから、受付嬢はその依頼を表示した。
「……というわけでハンターの皆さんは転移門で先回りして、サプライズであの子を労ってきてあげてくれませんか。休暇の手筈は整えてあります」
ハンターと共にあることがあの子の一番の喜びであるというならば。ご褒美もハンターにしてしまえばいい。
「本当に、あの子はハンターの皆さんがただ大好きですから。皆さんが普通に考えて喜ぶようなことをすれば何だって大感激すると思うので」
そう。きっと喜ぶ。部族独特の勢いあるあの喋りで。感謝と感激をやかましいくらいに浴びせてくる事だろう。
「あの子が倒れないように休ませてほしいのもあるんですけど……皆さんも楽しんできてください。それが多分、あの子の一番の喜びでしょうから」
だから出来れば。特に意識せずとも、感激するあの子の姿に和んでくれるような、癒されてくれるような、そんな人に引き受けてほしい。
実際ハンターの皆も忙しくて、疲れて……辛い想いもたくさんしているだろう。あの子は直接力にはなれないけど、この依頼の間、きっとたくさんの「大好き」をあなたたちに向けてくるだろうから。
連戦の隙間。そんなリフレッシュ計画は、いかがだろうか?
ハンターが激戦続きならその仕事を支えるハンターオフィスも大わらわだ。休憩時間に寝落ちしたくなる気持ちは良く分かる──実際彼女も軽食を取ったらそうしようと思うくらいだ。
その上、彼女はこの年下の、一生懸命でムードメーカーの同僚を憎からず思っていた。故に……そう、だから、交代時間なのだ。起こさねばならない。そのことに少し、躊躇いを覚える。
「……んがっ!?」
彼女が迷ううちにアンは自分で目を覚ました。疲れすぎて荒くなりズズ、と音を立てた呼気、それに自分自身で驚いたような様だった。
ぼんやりと目を開いたアンは暫く視線をさ迷わせると、見ていた受付嬢のところで焦点を合わせ、そしてはっとした顔になる。
「いっけねぇ、交代の時間でやしたか! こいつぁ失礼しやした!」
バタバタと準備を始めるアンに、彼女は苦笑する。
「いいけど……あんまり疲れてるなら、ちゃんと休暇をとった方が後々の為よ? あなたこっち来てから定休以外とってないんじゃない?」
「大丈夫でさあ! 手前どもはハンターの先生様方のお力になるのが一番したい事でさあ!」
「そう……でも、このところ流石に激戦続きだし……あなたそれ以外にも色々やるでしょう」
「手前どもが忙しいってこたあハンターの先生様方はその何倍も大変なはずでさあ! のんびりしてる場合じゃねえでさあ!」
それだけ言って、アンはオフィスの表側、窓口の方へと向かっていった。
「そりゃ……実際ハンターは何倍も大変でしょうけど、それってつまり、何倍も能力があるってことでもあるんだけどね……」
虚空に向かって思わず呟いて、大丈夫かしら、と視線を戻す。アンが居たそのデスクに目が行くと、あまり良くないことだとは思いつつもそこにあった書き付けに意識を向けてしまう。
『今大変なハンターの先生様方の力になるために』
そう題されたその紙にはアンが激戦から心身共に疲弊して戻ってくるハンターに何が出来るかが思い付くままに書き連ねられているようだった。
……ささやか過ぎるようなものだ。
今日はロビーをいつもより頑張って掃除した。
入口から見えやすいところに花を飾ってみた。
町で『疲れが取れる香り』と言われたアロマを置いてみた。
チョコレートを置いといたら減ってた。食べてくれた人は少しでも楽になっただろうか。甘いものが苦手な人もいるかも。レモン飴とおやつジャーキーも置いておこう。
忙しくて先輩にも声をかけられなかったからバレンタインには大したことが出来なかった。ホワイトデーも難しそう、どうしよう……。
そんなことが幾つも書いてあって、効果が見られたかどうかなのだろう、丸だの三角だのメモだのでぐるぐると上書きされて。
……正直。受付嬢としての彼女は、あまり要領が良いとは言えない。辺境の遊牧民族。基礎学習が、町のそれとは違いすぎる。受付嬢の採用試験は七回目にようやく合格にこぎ着けたというそうで、実際努力のかいもあっただろうが、多少は最終的には熱意に押されたのではないかというふしがある。
だからこそ忙しい今、アンは時間的には人より余計に働かねばならない部分もあるだろう。決して組織としてマイナスにはなっていないが、傍目に心配にはなる。
「ハンターの先生様方のために……ね」
それは多分、紛れもない本音だ。アンはただただ、ハンターが大好きで、憧れていて、それだけで多忙をものともしない様子で笑顔を浮かべ続けてみせている。
「あるんじゃないの? あんただからこその、ハンターをとびきり元気付ける方法が、さ」
そうして彼女は、一計を案じることにした。
●
「現地に行って聞き取り……ですかい」
依頼の内容に不明瞭な点があるから、手紙や通信のやり取りではなく直接顔を合わせての会話で内容を精査する。その役目を今回はアンにお願いしたい。説明するとアンは特に疑問を持たずに了解して旅立っていった。覚醒者ではないアンは転移門は使えない。現地の温泉宿に着くまで三日……と言ったところだろうか。
万一の「忘れ物したんで戻ってきましたー」等が無いように、乗り合い馬車に乗り間違いなく出発したところまで見計らってから、受付嬢はその依頼を表示した。
「……というわけでハンターの皆さんは転移門で先回りして、サプライズであの子を労ってきてあげてくれませんか。休暇の手筈は整えてあります」
ハンターと共にあることがあの子の一番の喜びであるというならば。ご褒美もハンターにしてしまえばいい。
「本当に、あの子はハンターの皆さんがただ大好きですから。皆さんが普通に考えて喜ぶようなことをすれば何だって大感激すると思うので」
そう。きっと喜ぶ。部族独特の勢いあるあの喋りで。感謝と感激をやかましいくらいに浴びせてくる事だろう。
「あの子が倒れないように休ませてほしいのもあるんですけど……皆さんも楽しんできてください。それが多分、あの子の一番の喜びでしょうから」
だから出来れば。特に意識せずとも、感激するあの子の姿に和んでくれるような、癒されてくれるような、そんな人に引き受けてほしい。
実際ハンターの皆も忙しくて、疲れて……辛い想いもたくさんしているだろう。あの子は直接力にはなれないけど、この依頼の間、きっとたくさんの「大好き」をあなたたちに向けてくるだろうから。
連戦の隙間。そんなリフレッシュ計画は、いかがだろうか?
リプレイ本文
ちょき、ちょきと。
軽快に鋏の音が響く。
「手慣れてるね。流石教師?」
「ん? ……ああ、確かに。文化祭やら卒業式やらでよく作ったなあ、こういうの」
紙輪や紙花を作りながら鞍馬 真(ka5819)が話しかけると、神代 誠一(ka2086)が微笑して答える。
歓迎の準備。
オフィス受付はハンターとは縁深い場所だ。そこに在る些細な配慮というものは嬉しいものだった。直接対話したことは無くとも、彼女らスタッフの日々の働きや気遣いには気が付いていた。
──流石教師?
ああ……そうだ。懐かしい記憶が蘇る。教室に飾られた花。黒板の小引き出しに増えているチョーク。毎朝瑞々しく水滴を輝かせる花壇の花。教え子たちによって、頼んだ覚えはなくても行われていたそれ。
思い出し、想いを新たにするにつれ、準備に動かす手も滑らかになっていく。
「……これ、造形するだけでいいのかな。飾り切りとか、する?」
紙花の一つを掲げて、真がふと思い付いたように誠一に問いかける。誠一は暫し考え……。
「……いや、やめておこう。あんまり細かいゴミが出るとほら……片付けがめんどい……」
「ああうん……そうだね」
……やる気があろうとも、得手不得手というものはあるのである。動き回らず、この場で装飾の為の作業のみに従事する誠一は、己の片付け能力と散らかし癖をよく弁えていた。
●
台所では女性陣が別の準備に取りかかっている。
「……カレー味のしないカレー?」
ディーナ・フェルミ(ka5843)は出来上がったソースを味見のために一舐めすると、眉毛をハの字にする。
用意するのはミートボール。牛豚鳥に合挽きと、各種用意したそれには、臭みを抑えるために少しハーブを効かせて。すぐ準備できるよう、既に茹でて冷凍して準備済みだ。
そこにかけるモレソースを完成させると、あまりにも外見がカレーなのに仰天して。
仕切り直し、と彼女は再び玉ねぎその他を微塵切りにし始めた。今度作るのはホワイトソースだ。
フィロ(ka6966)の、自身の準備もしつつのさりげないサポートを受けながら、歓迎の用意はそうして進んでいき。
──やがて、アンの到着が知らされる。
●
何も知らずに宿までやって来たアン、紙輪で飾られた玄関、紙花のアーチ、その先にある幟、そしてそこに書かれた文字──『歓迎! アン=ズヴォーさま』を目の当たりにする。
「アンさん待ってたの~!」
幟を掲げていたディーナが、アーチを駆け抜けてアンをがしっと抱き締める。
「お待ちしておりました、お嬢さま。一泊二日のリフレッシュ、どうぞご堪能下さい」
その横にはいつの間にかフィロが立っていて、メイド服の裾をもち優雅に一礼の後、さっとアンの荷物を取り上げる。
「アンさんとじゃんじゃんバリバリリフレッシュなの」
まだ何が何やら分からないまま慌てるアンを、ディーナが更にぎゅっと抱き締めて。
「頑張り屋のアンさんが根を詰め過ぎてみんな心配してるの。アンさんにリフレッシュしてほしくてオフィスのみんなが企画したの。みんなの愛の溢れるプレゼント、是非受け取ってほしいの」
そうして、ディーナが、真が、代わる代わる事情を説明する。
「私たちも休みに来たんだよ。細かいことは気にせず一緒に楽しめば良いのさ」
「アンさん。あなたもまた、俺達ハンターが守りたいもののひとつだということを、どうか忘れないでくださいね」
恐縮しそうなアンに真が、誠一がフォローの言葉を口にする。
どうかゆっくり身も心も休めてほしい。回復力も、一般人とハンターでは違うから。
誠一の──皆の想いをアンは受け取って。
「そ、そんな、オフィスの先輩方と、ハンターの先生様方が、手前どものためにそんなこと……そんなの……」
震える声でそう言って。
……急に、ぐっと腕を突っ張ってディーナから身を離す。そして、くるりと皆に背を向けた。
一同に緊張が走る中、アンはすぅ、と大きく息を吸って口元に両手を当てると、
「嬉しいでさーーーーーーー!!」
地平線の彼方まで届けようと言うのかというくらい、腹の底から大きな声でそう言った。
……叫ばずにいられないくらいの感激だったらしい。
谺する声に、今度は出迎えた一同が目を丸くする。そうして、素直に喜んで貰えたことを理解して。
「さあ、まずは温泉へどうぞ」
フィロが微笑みながら、アンの荷物を手にしたまま手のひらで入館を促した。
「そうなの、まずはお風呂なの~!」
ディーナが再びアンの腕を取って引く。
さあ、リフレッシュ計画の始まりだった。
●
きゃあきゃあと、浴室に女子二人の賑やかな声が反響する。
「ディーナの姐さん、ご活躍聞き及んでまさあ」
丁寧にディーナの背中を流しながら、アンがそれはそれは嬉しそうに話しかける。
「そんじゃ流しまさあ」
ざばり、手桶で頭からお湯が流されていく。ぎゅっと目を閉じて、心地よさに身を委ねる。そうして堪能してから、
「それじゃ、今度はアンさんの番なの」
「ええっ? 手前どもが姐さんになんてそんな」
ディーナの言葉に、アンはやはりどこか恐縮そうに彼女の前に腰かける。初めはおずおずといった態度だったが、やがて気持ち良さそうに目を細め、身体を震わせる。
そうして洗い終わって、一緒に露天風呂へ。
「気持ちいいのー……」
「極楽でさー……」
伸び伸びと浸かりながら、お互いうっとりと呟く。
「タスカービレにも温泉あるの、気に入ったらぜひ来てほしいの」
「へえ、ディーナの姐さんは普段はそちらに? そいつぁ是非、いつかお伺いさせていただきまさあ!」
ディーナが思い出したようにそう伝えると、アンが嬉しそうにそう答えて。そうして、十分に身体が暖まるまで二人楽しくおしゃべりをするのだった。
「あっちは賑やかだねえ」
「ああ、楽しんでるみたいだな」
一方男子風呂。アンの歓迎は暫くはディーナとフィロのターンと続くので、男性陣はついでの一休み。
二人とも分別ある男性だ。会話の内容に聞き耳を立てるようなことはしないが、仕切り越しに漏れ聞こえるだけでも楽しげな空気は伝わってくる。
「……遠い目になってるぞー」
なにやら物思いにふける様子の真に、誠一は敢えて茶化すように声をかける。
「……正直少し、羨ましいと思ってしまって。あんな風に、素直に感情を出せるのが」
……自分は、感情を隠してしまいがちだから。
ポツリと吐き出す真が今浮かべているのは穏やかな笑みだ。見ていて安心するような、落ち着いた。だが、誠一の目から見ればそれはまだ、気遣いの、己の感情を控えた故のそれだと分かる。
自分の身にも覚えがあるな、と、誠一は意識して息を吐いて、ゆっくり浴槽に背中を預けた。
「リフレッシュ、出来るといいな」
忘れられないような楽しい時間になればいい。
折角の休日なんだから。
こぼすように言った誠一に真も倣って脱力して。
「そうだね」
と、返した。
●
フィロはそのころ、一室にマットレスを敷いてマッサージの準備を進めていた。
中庭に面した気持ちのいい部屋だ。一通りの準備が済むと、待機させていたユグディラをフィロは軽く撫ぜる。
「ゆったりした気分になる曲を控えめにお願いしますね」
ユグディラに向けて囁くとそこで、軽快な足音が二つ近付いてくる。
「フィロさんあとは暫くよろしくなの」
ディーナがご機嫌でアンの背中を押す。
「それでは今からお嬢様には3時間ほど施術を受けていただきます」
「さ、流石に贅沢が過ぎねえですかい!?」
「ええ、久しぶりの本業を堪能させていただいております。お嬢様とお嬢さまの健康を気遣う皆様のおかげです。本当にありがたいことだと思っております」
アンの言葉にフィロは、それはそれは満面の笑顔でそう答えた。そうじゃなくて、と口をパクパクさせるアン。
「愛は持ち回りなの嬉しかったらアンさんが次の誰かに企画してあげればいいの」
ディーナはそう言い残して、次の仕込みがあるからと去ってしまった。
アンは意を決してフィロに身を任せることにする。
フィロが用意した専用着に着替え、その間、ハーブティで軽く口を湿らせて。
「お嬢様、もしも痛かったら仰って下さいね?」
「へ、へえ……」
まずは足つぼ50分。
「ンっ……!」
「ああ、痛かったですか申し訳ありません。……ですがやはりお嬢様、慢性的に寝不足と思われますね?」
それが終われば、リンパマッサージを40分。リンパは軽くやっても痛い可能性があるので、かなり様子を見ながらだ。
「ああ……駄目でさあ……」
「痛いですか?」
「痛くはねえんでさあ……あんまり気持ちよくて寝ちまいそうで……」
「ええ。ゆっくりお休み下さい?」
「でも……勿体無いでさあ……折角だし、フィロ先生ともお話したいでさあ……」
申し出に、今度はフィロが少し目を丸くした。そして、クスリと笑う。
「……それでリラックスして貰えるのでしたら、私でよろしければ」
リンパを流し終えると全身マッサージ40分のコース。肩と首を入念に。
「フィロ先生はぁ……ご活躍拝見しておりますが……やはりそのお心遣いを尊敬しておりまさあ……強いだけじゃねえ、その優しさに憧れまさあ……」
「まあ、そのように見ていただくなんて恐縮ですわお嬢様」
ユグディラのヒーリングミュージックも合わさり、とろとろと気持ち良さそうな声でアンが話題にするのは、専らフィロのハンターとしての活躍だった。
だが、フェイシャルのコースになると流石に会話も叶わない。
蒸しタオルあて先に栄養液を万遍なく叩き込んでからの顔面マッサージ。黙ってその気持ちよさを受けることになったアンはとうとう深く眠り込む。
部位ごとに分けてコラーゲン液を刷り込み。最後に顔面パックで顔の50分のコースも終了となる。
「へへぇ……有難うごぜえやしたあ」
ふわり、寝起きの蕩けた声でアンが告げる。
──……有難う、フィロ。
(……!)
過った気のする優しげな声は。朧気な面影は何だったのだろう。……己には、失われたメモリーがある。その寂しさが結んだ虚像なのか、それとも……。
●
残る午後の時間は皆で散策に出た。
川縁を見つけると、今は誠一がアンに笹舟の作り方を教えて流したりして、ゆったりとした時間を過ごしている。
「楽しい? 疲れたら遠慮なく言って下さいね」
「へえ! フィロ先生のお陰で全身スッキリでさあ!」
そう言って彼女はきゃいきゃいと川を流れる舟を楽しんでいるようだった。
気負いがち、気遣い屋なら無意識に頑張ってしまうかも、と、無理に付き合わせていないか、押し付けになってないかは十分注意しているが、今のところその様子はない。
「神代先生と一緒だと、より伸び伸び出来る気がしまさあ」
ふと、アンがそんな事を言った。
「え? そうですか?」
「へえ。なんか安心感がありまさあ。見守られてるみてえな」
その言葉、それに思いがけず言われた先生、という呼ばれ方は少し心に染みる。……ニュアンスは多分違うんだろうが。
「アンさんの好きなものの話とか聞いても良いですか?」
面映ゆい気持ちを反らすように、そう聞いてみた。
「そりゃ勿論、ハンターの先生様方でさあ!」
全力の答えに、予想はしていたけど苦笑が漏れる。
「それはまたどうして……そう言えば、どうして受付嬢に?」
「よくぞ聞いてくだせえやした! 手前どもはその昔、ハンターの先生様方に命を救われたんでさあ!」
曰く、部族が移動中、雑魔に襲われ、逃げる間にはぐれたのだという。
「岩影に震えるしかできねえ手前どもに迫る雑魔の姿! 絶体絶命! 目を閉じる手前どもを影が覆い、しかし死の手はいつまでたっても訪れねえ。恐る恐る目を開けた手前どもの前に立ちはだかった、おお、その姿こそは!」
そうして始まったかなり冗長な彼女の語りを、誠一は相槌だけを挟んで良く聞いていた。
好きなことを話すというのは心を回復させてくれるものだ。目論見通り、恩人のハンターを話す彼女はずっと生き生きとしていた。
平原を進むと、真が愛獣、イェジドのレグルスと共に待っていた。
「オフィスの職員さんは、幻獣と触れ合う機会はあまり無さそうかなって思ってね」
そう言う真の前で、アンはレグルスをまじまじと、少し距離を置いて見つめている。
「大丈夫、性格的はのんびり屋さんだから。大きい犬だと思ってくれたら良いよ」
そうして、一緒に乗って少し走ろうと真が促す。
振り落とさないように安全に真が幻獣を駆ると、アンはすぐ楽しそうに歓声を上げ始めた。
「いやあすげえですな! こうして間近に見せて頂き体験すると、お二方でご活躍の姿がまざまざと目に思い浮かぶようでさあ!」
何度も真とレグルスの活躍も聞き及んでいたとアンが誉めちぎると、レグルスが少し奇妙な挙動を見せた。軽く身体を震わせ、首筋をカリカリと掻く。
「……。レグルスもしかして照れて……る?」
普段から感謝は伝えているが、そういえばこうして第三者から素直に誉めちぎられるというのは珍しい経験かもしれない。相棒のあまり見ない姿に、ふっと笑顔が零れる。
「……もう少し走ろうか、レグルス?」
真が言うとレグルスは一つ鳴いて、そして先ほどよりやや速度を上げて走り出す。
「おおお、速えでさあ!」
「はは、ごめん。戦い以外で走り回るなんて久しぶりだからさ、楽しくて!」
嫌がってはいないアンの声に、真の声ははしゃいでいるようにも感じた。彼の顔には笑顔が浮かんでいる──いつしか、気遣いを忘れて、心からの。
一通り走り回り、速度を緩めると、すっと心が軽くなっているのを真は感じた。アンに釣られて沢山笑ったお陰だと思った。
……素直に感情を表して、心のままに笑う。
それだけのことで、こんなに心が軽くなるなんて。
「いつもありがとう。私がこうやって、ワーカーホリックと呼ばれる位働けるているのも、きみのおかげだよ」
伝えておきたかった感謝の言葉を、ここで告げる。
矢面に立つのは彼らだが、そこまでに陰で必死に働いてくれている人達への感謝を忘れて、それが当たり前だと思ってしまったら、ハンターとしては失格だと、真は思う。
「少しでもお役に立ててるなら、嬉しいでさあ」
返すアンは、やっぱり心からの、満面の笑みだった。
●
散策から戻れば夕食の時間。
圧巻はやはりディーナが用意した、うず高く盛られた二皿のミートボールだろう。それぞれ100個ずつはあるだろうか。一つにはモレソースにナッツが散らされ、もう一つにはホワイトソースにドライフルーツが飾られている。
「クロカンブッシュに構想を得たバレンタイン用の肉とホワイトデー用の肉なの!」
モレソースはハイカカオチョコレートが使われている事が特徴のソース、ホワイトソースにも隠し味でホワイトチョコが使用されている。
「メインの肉料理はディーナ様がご用意して下さいましたので、揚げ物には近海で獲れた蟹を使用したクリームコロッケを。デザートはヨーグルトベースの物を各種ご用意させて頂きました。プレーンヨーグルトには、こちらも近隣で採れました柑橘のジャムと一緒に頂くのがお薦めです」
次いでフィロが一礼と共に進み出て言う。
肉に揚げ物、ヨーグルトと好物が取り揃えられたアンはここでも感激の声を上げる。
「アンさんからどうぞなの」
「へえ、皆さんからの心尽くし、有り難く頂きやす!」
山盛りの愛情は宿の皆にもお裾分けされて、楽しい食事の一時が過ぎていく。
たらふく食べて、それから一休みして人心地つくと、夜星を皆で見に行こう、とディーナが声をかけた。
いいね、と皆が賛同して、まだ夜は冷えるこの季節、暖かくして皆外に出る。
……いつでもあるのに、忙しいときは見上げる余裕もない、そんな空を、皆でゆっくりと、暫しただ吸い込まれるように見つめる。
「邪神戦争が終わったらあの月もここからなくなるのかな」
ここまでずっと、繋いで歩いてきた手をぎゅっと握り直して、ディーナがアンにポツリと言った。
「そういや……今この空は、この時限りかも知れねえんですなあ……不思議でさあ……」
アンも呟き、手を握り返す。
「……姐さんとこうしてゆっくり見られて、嬉しいでさあ」
「……えへへ、ありがとなの」
そうして過ごしていると、アンが不意にディーナと手を離し、ととと、と駆け出す。一行全員が見える位置、そこで振り返り、両腕を空に掲げた。
「先生様方ぁ!」
夜空を掲げるように腕を広げて、アンが声を上げる。
「忘れねえでくだせえ! この空も幸せな時間も、先生様方が守ってきたもんでさあ!」
誇らしげに。彼女は言う。
辛いことも、上手くいかないこともあるかもしれない。それでも。あなたたちの闘いが無ければ、この空も、この時間も、とっくに無かったかもしれないのだ、と。
──その事を、どうか。
この景色と共に。
●
夜の散策も終えると、皆それぞれ、幸せな表情で眠りに就く(勿論男女は別室だった)。
フィロは翌朝、朝早くから起きてクッキー生地の準備をしていた。
朝食をとり休憩後、
「お嬢様が企画した下さった方皆様に溢れんばかりの笑顔でいかにリフレッシュできたか語りながらお土産を配るのが、お嬢さまにも企画した下さった皆様にも喜ばれるだろうと考えました」
そのように語りかけ、クッキー作りを提案する。
「型抜きですかい? そしたら……」
アンは頷き、ミートボールを思わせる波打つ縁の丸型、星型に舟、犬の型などを手に取り、アンは昨日一日あったことがいかに楽しかったか、思い返しながら生地を抜いていく。どうやら、土産話には事欠かなそうだと、皆で見守りながらそれを手伝っていく。
フィロが仕上げに、チョコペンや、昨日のジャムで装飾。焼き上げ、冷ましたクッキーを、やはり彼女が準備した可愛い小袋と紐で袋詰めしていく。
……そうしてアンも、まず四つ、詰め終えると。
「へい! 皆様、受け取ってくだせえ!」
そう言って、ハンター一人一人にしっかりと手渡しした。
「これって、今回の礼ってことでやしょう? そしたらやっぱり、手前どもにとっては先生様方にも受け取ってほしいでさあ!」
……皆で作った、その本人たちに渡す、というのも奇妙ではあるかもしれないが。
笑顔の彼女に、皆大人しくその気持ちを受けとる。
終わってみれば短くも充実したリフレッシュ旅行は、こんな感じで締め括られた。
後日。
「アン=ズヴォー、只今戻りやした! 今日からまたよろしくおねげえしやす!」
オフィスに響いた声は、明るく。
前よりずっと、突き抜けるほど明るく。
軽快に鋏の音が響く。
「手慣れてるね。流石教師?」
「ん? ……ああ、確かに。文化祭やら卒業式やらでよく作ったなあ、こういうの」
紙輪や紙花を作りながら鞍馬 真(ka5819)が話しかけると、神代 誠一(ka2086)が微笑して答える。
歓迎の準備。
オフィス受付はハンターとは縁深い場所だ。そこに在る些細な配慮というものは嬉しいものだった。直接対話したことは無くとも、彼女らスタッフの日々の働きや気遣いには気が付いていた。
──流石教師?
ああ……そうだ。懐かしい記憶が蘇る。教室に飾られた花。黒板の小引き出しに増えているチョーク。毎朝瑞々しく水滴を輝かせる花壇の花。教え子たちによって、頼んだ覚えはなくても行われていたそれ。
思い出し、想いを新たにするにつれ、準備に動かす手も滑らかになっていく。
「……これ、造形するだけでいいのかな。飾り切りとか、する?」
紙花の一つを掲げて、真がふと思い付いたように誠一に問いかける。誠一は暫し考え……。
「……いや、やめておこう。あんまり細かいゴミが出るとほら……片付けがめんどい……」
「ああうん……そうだね」
……やる気があろうとも、得手不得手というものはあるのである。動き回らず、この場で装飾の為の作業のみに従事する誠一は、己の片付け能力と散らかし癖をよく弁えていた。
●
台所では女性陣が別の準備に取りかかっている。
「……カレー味のしないカレー?」
ディーナ・フェルミ(ka5843)は出来上がったソースを味見のために一舐めすると、眉毛をハの字にする。
用意するのはミートボール。牛豚鳥に合挽きと、各種用意したそれには、臭みを抑えるために少しハーブを効かせて。すぐ準備できるよう、既に茹でて冷凍して準備済みだ。
そこにかけるモレソースを完成させると、あまりにも外見がカレーなのに仰天して。
仕切り直し、と彼女は再び玉ねぎその他を微塵切りにし始めた。今度作るのはホワイトソースだ。
フィロ(ka6966)の、自身の準備もしつつのさりげないサポートを受けながら、歓迎の用意はそうして進んでいき。
──やがて、アンの到着が知らされる。
●
何も知らずに宿までやって来たアン、紙輪で飾られた玄関、紙花のアーチ、その先にある幟、そしてそこに書かれた文字──『歓迎! アン=ズヴォーさま』を目の当たりにする。
「アンさん待ってたの~!」
幟を掲げていたディーナが、アーチを駆け抜けてアンをがしっと抱き締める。
「お待ちしておりました、お嬢さま。一泊二日のリフレッシュ、どうぞご堪能下さい」
その横にはいつの間にかフィロが立っていて、メイド服の裾をもち優雅に一礼の後、さっとアンの荷物を取り上げる。
「アンさんとじゃんじゃんバリバリリフレッシュなの」
まだ何が何やら分からないまま慌てるアンを、ディーナが更にぎゅっと抱き締めて。
「頑張り屋のアンさんが根を詰め過ぎてみんな心配してるの。アンさんにリフレッシュしてほしくてオフィスのみんなが企画したの。みんなの愛の溢れるプレゼント、是非受け取ってほしいの」
そうして、ディーナが、真が、代わる代わる事情を説明する。
「私たちも休みに来たんだよ。細かいことは気にせず一緒に楽しめば良いのさ」
「アンさん。あなたもまた、俺達ハンターが守りたいもののひとつだということを、どうか忘れないでくださいね」
恐縮しそうなアンに真が、誠一がフォローの言葉を口にする。
どうかゆっくり身も心も休めてほしい。回復力も、一般人とハンターでは違うから。
誠一の──皆の想いをアンは受け取って。
「そ、そんな、オフィスの先輩方と、ハンターの先生様方が、手前どものためにそんなこと……そんなの……」
震える声でそう言って。
……急に、ぐっと腕を突っ張ってディーナから身を離す。そして、くるりと皆に背を向けた。
一同に緊張が走る中、アンはすぅ、と大きく息を吸って口元に両手を当てると、
「嬉しいでさーーーーーーー!!」
地平線の彼方まで届けようと言うのかというくらい、腹の底から大きな声でそう言った。
……叫ばずにいられないくらいの感激だったらしい。
谺する声に、今度は出迎えた一同が目を丸くする。そうして、素直に喜んで貰えたことを理解して。
「さあ、まずは温泉へどうぞ」
フィロが微笑みながら、アンの荷物を手にしたまま手のひらで入館を促した。
「そうなの、まずはお風呂なの~!」
ディーナが再びアンの腕を取って引く。
さあ、リフレッシュ計画の始まりだった。
●
きゃあきゃあと、浴室に女子二人の賑やかな声が反響する。
「ディーナの姐さん、ご活躍聞き及んでまさあ」
丁寧にディーナの背中を流しながら、アンがそれはそれは嬉しそうに話しかける。
「そんじゃ流しまさあ」
ざばり、手桶で頭からお湯が流されていく。ぎゅっと目を閉じて、心地よさに身を委ねる。そうして堪能してから、
「それじゃ、今度はアンさんの番なの」
「ええっ? 手前どもが姐さんになんてそんな」
ディーナの言葉に、アンはやはりどこか恐縮そうに彼女の前に腰かける。初めはおずおずといった態度だったが、やがて気持ち良さそうに目を細め、身体を震わせる。
そうして洗い終わって、一緒に露天風呂へ。
「気持ちいいのー……」
「極楽でさー……」
伸び伸びと浸かりながら、お互いうっとりと呟く。
「タスカービレにも温泉あるの、気に入ったらぜひ来てほしいの」
「へえ、ディーナの姐さんは普段はそちらに? そいつぁ是非、いつかお伺いさせていただきまさあ!」
ディーナが思い出したようにそう伝えると、アンが嬉しそうにそう答えて。そうして、十分に身体が暖まるまで二人楽しくおしゃべりをするのだった。
「あっちは賑やかだねえ」
「ああ、楽しんでるみたいだな」
一方男子風呂。アンの歓迎は暫くはディーナとフィロのターンと続くので、男性陣はついでの一休み。
二人とも分別ある男性だ。会話の内容に聞き耳を立てるようなことはしないが、仕切り越しに漏れ聞こえるだけでも楽しげな空気は伝わってくる。
「……遠い目になってるぞー」
なにやら物思いにふける様子の真に、誠一は敢えて茶化すように声をかける。
「……正直少し、羨ましいと思ってしまって。あんな風に、素直に感情を出せるのが」
……自分は、感情を隠してしまいがちだから。
ポツリと吐き出す真が今浮かべているのは穏やかな笑みだ。見ていて安心するような、落ち着いた。だが、誠一の目から見ればそれはまだ、気遣いの、己の感情を控えた故のそれだと分かる。
自分の身にも覚えがあるな、と、誠一は意識して息を吐いて、ゆっくり浴槽に背中を預けた。
「リフレッシュ、出来るといいな」
忘れられないような楽しい時間になればいい。
折角の休日なんだから。
こぼすように言った誠一に真も倣って脱力して。
「そうだね」
と、返した。
●
フィロはそのころ、一室にマットレスを敷いてマッサージの準備を進めていた。
中庭に面した気持ちのいい部屋だ。一通りの準備が済むと、待機させていたユグディラをフィロは軽く撫ぜる。
「ゆったりした気分になる曲を控えめにお願いしますね」
ユグディラに向けて囁くとそこで、軽快な足音が二つ近付いてくる。
「フィロさんあとは暫くよろしくなの」
ディーナがご機嫌でアンの背中を押す。
「それでは今からお嬢様には3時間ほど施術を受けていただきます」
「さ、流石に贅沢が過ぎねえですかい!?」
「ええ、久しぶりの本業を堪能させていただいております。お嬢様とお嬢さまの健康を気遣う皆様のおかげです。本当にありがたいことだと思っております」
アンの言葉にフィロは、それはそれは満面の笑顔でそう答えた。そうじゃなくて、と口をパクパクさせるアン。
「愛は持ち回りなの嬉しかったらアンさんが次の誰かに企画してあげればいいの」
ディーナはそう言い残して、次の仕込みがあるからと去ってしまった。
アンは意を決してフィロに身を任せることにする。
フィロが用意した専用着に着替え、その間、ハーブティで軽く口を湿らせて。
「お嬢様、もしも痛かったら仰って下さいね?」
「へ、へえ……」
まずは足つぼ50分。
「ンっ……!」
「ああ、痛かったですか申し訳ありません。……ですがやはりお嬢様、慢性的に寝不足と思われますね?」
それが終われば、リンパマッサージを40分。リンパは軽くやっても痛い可能性があるので、かなり様子を見ながらだ。
「ああ……駄目でさあ……」
「痛いですか?」
「痛くはねえんでさあ……あんまり気持ちよくて寝ちまいそうで……」
「ええ。ゆっくりお休み下さい?」
「でも……勿体無いでさあ……折角だし、フィロ先生ともお話したいでさあ……」
申し出に、今度はフィロが少し目を丸くした。そして、クスリと笑う。
「……それでリラックスして貰えるのでしたら、私でよろしければ」
リンパを流し終えると全身マッサージ40分のコース。肩と首を入念に。
「フィロ先生はぁ……ご活躍拝見しておりますが……やはりそのお心遣いを尊敬しておりまさあ……強いだけじゃねえ、その優しさに憧れまさあ……」
「まあ、そのように見ていただくなんて恐縮ですわお嬢様」
ユグディラのヒーリングミュージックも合わさり、とろとろと気持ち良さそうな声でアンが話題にするのは、専らフィロのハンターとしての活躍だった。
だが、フェイシャルのコースになると流石に会話も叶わない。
蒸しタオルあて先に栄養液を万遍なく叩き込んでからの顔面マッサージ。黙ってその気持ちよさを受けることになったアンはとうとう深く眠り込む。
部位ごとに分けてコラーゲン液を刷り込み。最後に顔面パックで顔の50分のコースも終了となる。
「へへぇ……有難うごぜえやしたあ」
ふわり、寝起きの蕩けた声でアンが告げる。
──……有難う、フィロ。
(……!)
過った気のする優しげな声は。朧気な面影は何だったのだろう。……己には、失われたメモリーがある。その寂しさが結んだ虚像なのか、それとも……。
●
残る午後の時間は皆で散策に出た。
川縁を見つけると、今は誠一がアンに笹舟の作り方を教えて流したりして、ゆったりとした時間を過ごしている。
「楽しい? 疲れたら遠慮なく言って下さいね」
「へえ! フィロ先生のお陰で全身スッキリでさあ!」
そう言って彼女はきゃいきゃいと川を流れる舟を楽しんでいるようだった。
気負いがち、気遣い屋なら無意識に頑張ってしまうかも、と、無理に付き合わせていないか、押し付けになってないかは十分注意しているが、今のところその様子はない。
「神代先生と一緒だと、より伸び伸び出来る気がしまさあ」
ふと、アンがそんな事を言った。
「え? そうですか?」
「へえ。なんか安心感がありまさあ。見守られてるみてえな」
その言葉、それに思いがけず言われた先生、という呼ばれ方は少し心に染みる。……ニュアンスは多分違うんだろうが。
「アンさんの好きなものの話とか聞いても良いですか?」
面映ゆい気持ちを反らすように、そう聞いてみた。
「そりゃ勿論、ハンターの先生様方でさあ!」
全力の答えに、予想はしていたけど苦笑が漏れる。
「それはまたどうして……そう言えば、どうして受付嬢に?」
「よくぞ聞いてくだせえやした! 手前どもはその昔、ハンターの先生様方に命を救われたんでさあ!」
曰く、部族が移動中、雑魔に襲われ、逃げる間にはぐれたのだという。
「岩影に震えるしかできねえ手前どもに迫る雑魔の姿! 絶体絶命! 目を閉じる手前どもを影が覆い、しかし死の手はいつまでたっても訪れねえ。恐る恐る目を開けた手前どもの前に立ちはだかった、おお、その姿こそは!」
そうして始まったかなり冗長な彼女の語りを、誠一は相槌だけを挟んで良く聞いていた。
好きなことを話すというのは心を回復させてくれるものだ。目論見通り、恩人のハンターを話す彼女はずっと生き生きとしていた。
平原を進むと、真が愛獣、イェジドのレグルスと共に待っていた。
「オフィスの職員さんは、幻獣と触れ合う機会はあまり無さそうかなって思ってね」
そう言う真の前で、アンはレグルスをまじまじと、少し距離を置いて見つめている。
「大丈夫、性格的はのんびり屋さんだから。大きい犬だと思ってくれたら良いよ」
そうして、一緒に乗って少し走ろうと真が促す。
振り落とさないように安全に真が幻獣を駆ると、アンはすぐ楽しそうに歓声を上げ始めた。
「いやあすげえですな! こうして間近に見せて頂き体験すると、お二方でご活躍の姿がまざまざと目に思い浮かぶようでさあ!」
何度も真とレグルスの活躍も聞き及んでいたとアンが誉めちぎると、レグルスが少し奇妙な挙動を見せた。軽く身体を震わせ、首筋をカリカリと掻く。
「……。レグルスもしかして照れて……る?」
普段から感謝は伝えているが、そういえばこうして第三者から素直に誉めちぎられるというのは珍しい経験かもしれない。相棒のあまり見ない姿に、ふっと笑顔が零れる。
「……もう少し走ろうか、レグルス?」
真が言うとレグルスは一つ鳴いて、そして先ほどよりやや速度を上げて走り出す。
「おおお、速えでさあ!」
「はは、ごめん。戦い以外で走り回るなんて久しぶりだからさ、楽しくて!」
嫌がってはいないアンの声に、真の声ははしゃいでいるようにも感じた。彼の顔には笑顔が浮かんでいる──いつしか、気遣いを忘れて、心からの。
一通り走り回り、速度を緩めると、すっと心が軽くなっているのを真は感じた。アンに釣られて沢山笑ったお陰だと思った。
……素直に感情を表して、心のままに笑う。
それだけのことで、こんなに心が軽くなるなんて。
「いつもありがとう。私がこうやって、ワーカーホリックと呼ばれる位働けるているのも、きみのおかげだよ」
伝えておきたかった感謝の言葉を、ここで告げる。
矢面に立つのは彼らだが、そこまでに陰で必死に働いてくれている人達への感謝を忘れて、それが当たり前だと思ってしまったら、ハンターとしては失格だと、真は思う。
「少しでもお役に立ててるなら、嬉しいでさあ」
返すアンは、やっぱり心からの、満面の笑みだった。
●
散策から戻れば夕食の時間。
圧巻はやはりディーナが用意した、うず高く盛られた二皿のミートボールだろう。それぞれ100個ずつはあるだろうか。一つにはモレソースにナッツが散らされ、もう一つにはホワイトソースにドライフルーツが飾られている。
「クロカンブッシュに構想を得たバレンタイン用の肉とホワイトデー用の肉なの!」
モレソースはハイカカオチョコレートが使われている事が特徴のソース、ホワイトソースにも隠し味でホワイトチョコが使用されている。
「メインの肉料理はディーナ様がご用意して下さいましたので、揚げ物には近海で獲れた蟹を使用したクリームコロッケを。デザートはヨーグルトベースの物を各種ご用意させて頂きました。プレーンヨーグルトには、こちらも近隣で採れました柑橘のジャムと一緒に頂くのがお薦めです」
次いでフィロが一礼と共に進み出て言う。
肉に揚げ物、ヨーグルトと好物が取り揃えられたアンはここでも感激の声を上げる。
「アンさんからどうぞなの」
「へえ、皆さんからの心尽くし、有り難く頂きやす!」
山盛りの愛情は宿の皆にもお裾分けされて、楽しい食事の一時が過ぎていく。
たらふく食べて、それから一休みして人心地つくと、夜星を皆で見に行こう、とディーナが声をかけた。
いいね、と皆が賛同して、まだ夜は冷えるこの季節、暖かくして皆外に出る。
……いつでもあるのに、忙しいときは見上げる余裕もない、そんな空を、皆でゆっくりと、暫しただ吸い込まれるように見つめる。
「邪神戦争が終わったらあの月もここからなくなるのかな」
ここまでずっと、繋いで歩いてきた手をぎゅっと握り直して、ディーナがアンにポツリと言った。
「そういや……今この空は、この時限りかも知れねえんですなあ……不思議でさあ……」
アンも呟き、手を握り返す。
「……姐さんとこうしてゆっくり見られて、嬉しいでさあ」
「……えへへ、ありがとなの」
そうして過ごしていると、アンが不意にディーナと手を離し、ととと、と駆け出す。一行全員が見える位置、そこで振り返り、両腕を空に掲げた。
「先生様方ぁ!」
夜空を掲げるように腕を広げて、アンが声を上げる。
「忘れねえでくだせえ! この空も幸せな時間も、先生様方が守ってきたもんでさあ!」
誇らしげに。彼女は言う。
辛いことも、上手くいかないこともあるかもしれない。それでも。あなたたちの闘いが無ければ、この空も、この時間も、とっくに無かったかもしれないのだ、と。
──その事を、どうか。
この景色と共に。
●
夜の散策も終えると、皆それぞれ、幸せな表情で眠りに就く(勿論男女は別室だった)。
フィロは翌朝、朝早くから起きてクッキー生地の準備をしていた。
朝食をとり休憩後、
「お嬢様が企画した下さった方皆様に溢れんばかりの笑顔でいかにリフレッシュできたか語りながらお土産を配るのが、お嬢さまにも企画した下さった皆様にも喜ばれるだろうと考えました」
そのように語りかけ、クッキー作りを提案する。
「型抜きですかい? そしたら……」
アンは頷き、ミートボールを思わせる波打つ縁の丸型、星型に舟、犬の型などを手に取り、アンは昨日一日あったことがいかに楽しかったか、思い返しながら生地を抜いていく。どうやら、土産話には事欠かなそうだと、皆で見守りながらそれを手伝っていく。
フィロが仕上げに、チョコペンや、昨日のジャムで装飾。焼き上げ、冷ましたクッキーを、やはり彼女が準備した可愛い小袋と紐で袋詰めしていく。
……そうしてアンも、まず四つ、詰め終えると。
「へい! 皆様、受け取ってくだせえ!」
そう言って、ハンター一人一人にしっかりと手渡しした。
「これって、今回の礼ってことでやしょう? そしたらやっぱり、手前どもにとっては先生様方にも受け取ってほしいでさあ!」
……皆で作った、その本人たちに渡す、というのも奇妙ではあるかもしれないが。
笑顔の彼女に、皆大人しくその気持ちを受けとる。
終わってみれば短くも充実したリフレッシュ旅行は、こんな感じで締め括られた。
後日。
「アン=ズヴォー、只今戻りやした! 今日からまたよろしくおねげえしやす!」
オフィスに響いた声は、明るく。
前よりずっと、突き抜けるほど明るく。
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最終発言 2019/03/07 07:42:49 |
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2019/03/03 12:46:45 |