ゲスト
(ka0000)
荒野にこそ咲く花は
マスター:のどか

- シナリオ形態
- ショート
- 難易度
- 不明
- オプション
-
- 参加費
1,500
- 参加制限
- -
- 参加人数
- 3~8人
- サポート
- 0~0人
- マテリアルリンク
- ○
- 報酬
- 多め
- 相談期間
- 5日
- 締切
- 2019/05/12 07:30
- 完成日
- 2019/05/28 02:17
このシナリオは5日間納期が延長されています。
みんなの思い出
思い出設定されたOMC商品がありません。
オープニング
●
穴の開いた天井から差し込む陽の光をうけながら、ジャンヌ・ポワソン(kz0154)は虚ろな瞳で虚空を見つめていた。
もう疲れた。
存在していることも面倒。
でも、この身体はただ朽ちるということを知らない。
望んだわけじゃない。
だが、拒否したわけでもない。
“何も選ばなかった”——その結果というだけだ。
「もう少し意識してマテリアルを吸っていただきませんと、いくらなんでもお体に障りますよ」
傍に控える赤い燕尾服の男——コレクターの言葉に、彼女はピクリとも反応せず「何もしない」をする。
「……あなたはどうしてここにいるの?」
尋ねるジャンヌに、コレクターはクツリと笑みを浮かべる。
「貴方と同じです。行く宛てがないのですよ。王も倒れたそうですし」
「……そう」
自分で聞いておきながら、どうでもいいことのように話を打ち切る。
実際どうでもよいのだが、多少でも見知った人物がそこにいるというだけで、この椅子は存外心地がよかった。
「いかがでしたか、初めてのお一人旅は」
「……最悪ね。まるで終わりが見えない」
「そうですか」
コレクターは相槌を打つと、右目にはまったモノクルを正しながら添える。
「ここが、旅の終着点ですか?」
ジャンヌは一瞬息を飲んでから、深く、深くそれを吐き出す。
「……わからないわ」
彼女の答えに、コレクターがその口角を僅かに上げる。
「これから、何をなさりますか?」
「……わからないわ」
「まだ、行きたい場所がありますか?」
「……わからないわ」
問答を繰り返す中で、ジャンヌの双眸がふと彼を見上げる。
「あなたは、まだ私の使用人なの?」
コレクターは視線を合わせずに、開かれることのない謁見室の扉を見つめて答えた。
「それを決めるのは私ではありません。使用人とは、屋敷にある家具のようなものですから。家具は使われる相手を選ばず、また自ら働くこともしないのです」
理解したのか、興味を失ったのか、ジャンヌの視線はまた下を向く。
何も言わなくなった彼女に、コレクターはもう1つだけ問いかけた。
「今、欲しいものはありますか?」
ジャンヌは熱い吐息と共に答える。
やや湿り気を帯びたそれは、向ける相手のいない口づけのようにも思えた。
「――思いつかないわ」
●
「——それじゃ、依頼内容を説明するよ」
集まったハンター達を前にして、ルミ・ヘヴンズドア(kz0060)が大量の資料を応接間の机に並べる。
それはこれまで得たありったけのジャンヌおよびコレクターに関する報告書と、前回の潜入依頼でハンターから提出された写真資料の束だった。
「現在、ジャンヌは廃墟となった夢幻城の謁見室で過ごしています。既に別に依頼を受けたストライダーチームがバックアップのために現地に滞在してるけれど、彼らは今回の作戦に直接参加はしません。あくまで監視と敵が逃げた場合の追跡が依頼内容だからね。だから……」
そう言って、ルミは集まった数人のハンターの顔ぶれを見渡す。
「討伐のために侵入するのは、みなさんだけとなります」
どんよりと、緊張で空気が重さと湿り気を帯びる。
集められたのは両の手で数えられるだけの人数。
本来なら数十人単位で攻めてもいいはずだ。
しかし崩れた城の中という十分な足場を確保しにくい立地と、大人数で押し掛けた場合の敵の戦前逃亡のリスクを考えると、これが限界ぎりぎりの数だと判断された。
「えっと、報告の通り現地にはジャンヌの他にコレクターと呼ばれる嫉妬の歪虚が存在します。戦闘例は霧の山の屋敷での1回きりだけれど、全力で圧せば時間はかかっても倒せない相手じゃないと思う。全力で圧せば」
念を押すように、ルミは繰り返した。
「だけど……うーん、真意は定かじゃないけど、潜入したハンターさんが遭遇した時に『自分から手を出さない』っていう契約を交わしてるみたい。守ってくれるなら無視して良い相手かもしれないけど——あっ、契約内容はかいつまんだがら詳細な文面は報告書を読んでね。で、その場合の問題はジャンヌ。なんでかは分からないけれど、たぶん、今までと力の性質が変わってるみたいなの。潜入した時も、今まであったような怠惰の強制共有を感じなかったって報告が上がってるし……雪原で見せた負のマテリアルの霧が新しい力ってことなのかな。うーん、ごめん。憶測だから、あんまりアテにしないでね」
アルバートと呼ばれる強欲の歪虚と出会って以降、ジャンヌの中の何かが変化をもたらしたのは確かだ。
内面的にも、歪虚としても。
だからこそ、今までの彼女の情報がどこまで有用なものであるか想像の範囲を出ない。
もしかしたら自分たちは、触れてはいけないものに近づこうとしているのかもしれない。
しかしコレクターという嫉妬の歪虚が接触した今、放っておくという判断は不可能であった。
「あんまり不安にさせたくないんだけど……ホンネで言えば、見込みの薄い依頼だと思う。分かってないことが多すぎるし。だから無理はしないで。それだけ約束して欲しいの」
ルミは視線を落として、唇をぐっと固く結ぶ。
不安しかない。
そんな依頼に送り出すことしかできない自分が、ひどく悔しかった。
穴の開いた天井から差し込む陽の光をうけながら、ジャンヌ・ポワソン(kz0154)は虚ろな瞳で虚空を見つめていた。
もう疲れた。
存在していることも面倒。
でも、この身体はただ朽ちるということを知らない。
望んだわけじゃない。
だが、拒否したわけでもない。
“何も選ばなかった”——その結果というだけだ。
「もう少し意識してマテリアルを吸っていただきませんと、いくらなんでもお体に障りますよ」
傍に控える赤い燕尾服の男——コレクターの言葉に、彼女はピクリとも反応せず「何もしない」をする。
「……あなたはどうしてここにいるの?」
尋ねるジャンヌに、コレクターはクツリと笑みを浮かべる。
「貴方と同じです。行く宛てがないのですよ。王も倒れたそうですし」
「……そう」
自分で聞いておきながら、どうでもいいことのように話を打ち切る。
実際どうでもよいのだが、多少でも見知った人物がそこにいるというだけで、この椅子は存外心地がよかった。
「いかがでしたか、初めてのお一人旅は」
「……最悪ね。まるで終わりが見えない」
「そうですか」
コレクターは相槌を打つと、右目にはまったモノクルを正しながら添える。
「ここが、旅の終着点ですか?」
ジャンヌは一瞬息を飲んでから、深く、深くそれを吐き出す。
「……わからないわ」
彼女の答えに、コレクターがその口角を僅かに上げる。
「これから、何をなさりますか?」
「……わからないわ」
「まだ、行きたい場所がありますか?」
「……わからないわ」
問答を繰り返す中で、ジャンヌの双眸がふと彼を見上げる。
「あなたは、まだ私の使用人なの?」
コレクターは視線を合わせずに、開かれることのない謁見室の扉を見つめて答えた。
「それを決めるのは私ではありません。使用人とは、屋敷にある家具のようなものですから。家具は使われる相手を選ばず、また自ら働くこともしないのです」
理解したのか、興味を失ったのか、ジャンヌの視線はまた下を向く。
何も言わなくなった彼女に、コレクターはもう1つだけ問いかけた。
「今、欲しいものはありますか?」
ジャンヌは熱い吐息と共に答える。
やや湿り気を帯びたそれは、向ける相手のいない口づけのようにも思えた。
「――思いつかないわ」
●
「——それじゃ、依頼内容を説明するよ」
集まったハンター達を前にして、ルミ・ヘヴンズドア(kz0060)が大量の資料を応接間の机に並べる。
それはこれまで得たありったけのジャンヌおよびコレクターに関する報告書と、前回の潜入依頼でハンターから提出された写真資料の束だった。
「現在、ジャンヌは廃墟となった夢幻城の謁見室で過ごしています。既に別に依頼を受けたストライダーチームがバックアップのために現地に滞在してるけれど、彼らは今回の作戦に直接参加はしません。あくまで監視と敵が逃げた場合の追跡が依頼内容だからね。だから……」
そう言って、ルミは集まった数人のハンターの顔ぶれを見渡す。
「討伐のために侵入するのは、みなさんだけとなります」
どんよりと、緊張で空気が重さと湿り気を帯びる。
集められたのは両の手で数えられるだけの人数。
本来なら数十人単位で攻めてもいいはずだ。
しかし崩れた城の中という十分な足場を確保しにくい立地と、大人数で押し掛けた場合の敵の戦前逃亡のリスクを考えると、これが限界ぎりぎりの数だと判断された。
「えっと、報告の通り現地にはジャンヌの他にコレクターと呼ばれる嫉妬の歪虚が存在します。戦闘例は霧の山の屋敷での1回きりだけれど、全力で圧せば時間はかかっても倒せない相手じゃないと思う。全力で圧せば」
念を押すように、ルミは繰り返した。
「だけど……うーん、真意は定かじゃないけど、潜入したハンターさんが遭遇した時に『自分から手を出さない』っていう契約を交わしてるみたい。守ってくれるなら無視して良い相手かもしれないけど——あっ、契約内容はかいつまんだがら詳細な文面は報告書を読んでね。で、その場合の問題はジャンヌ。なんでかは分からないけれど、たぶん、今までと力の性質が変わってるみたいなの。潜入した時も、今まであったような怠惰の強制共有を感じなかったって報告が上がってるし……雪原で見せた負のマテリアルの霧が新しい力ってことなのかな。うーん、ごめん。憶測だから、あんまりアテにしないでね」
アルバートと呼ばれる強欲の歪虚と出会って以降、ジャンヌの中の何かが変化をもたらしたのは確かだ。
内面的にも、歪虚としても。
だからこそ、今までの彼女の情報がどこまで有用なものであるか想像の範囲を出ない。
もしかしたら自分たちは、触れてはいけないものに近づこうとしているのかもしれない。
しかしコレクターという嫉妬の歪虚が接触した今、放っておくという判断は不可能であった。
「あんまり不安にさせたくないんだけど……ホンネで言えば、見込みの薄い依頼だと思う。分かってないことが多すぎるし。だから無理はしないで。それだけ約束して欲しいの」
ルミは視線を落として、唇をぐっと固く結ぶ。
不安しかない。
そんな依頼に送り出すことしかできない自分が、ひどく悔しかった。
リプレイ本文
●
「おや、これはこれは」
崩れ落ちた謁見室の虚空に、コレクターの笑い交じりの声が響く。
ジャンヌ・ポワソン(kz0154)はハンターらの姿を見るや否や、怯えたように王座の背もたれに身を寄せた。
その姿はカゴの隅に追いやられた小動物のようで、青い瞳に映るのは恐怖の色ただ一色であった。
「これはみなさまお揃いで……以前お会いした方もいらっしゃいますね。その節はどうも」
コレクターがジャンヌを庇うように王座の前へと躍り出る。
「やはろー、コレクター。無事に姫様に雇って貰えたのかしら?」
へらへらと手を振りながら挨拶したカーミン・S・フィールズ(ka1559)に、コレクターは口角を吊り上げながら胸を張る。
その細い体がすらりと伸びると、まさしく荒地に立つ枯れ枝のようだ。
「欲しがらない方でございますゆえ……私としても、長期戦の構えでございますよ」
それで――と、彼は差し込む光にモノクルを光らせながらハンターらを一瞥する。
「ご用件はどのようなもので?」
「戦いに……ならなければ良いと私は願っている」
「……ほう?」
リアリュール(ka2003)が、まっすぐに言葉を返す。
「そうであれば、私も喜ばしいことでありますが――」
「話をしに来たの」
言葉を被せるように、彼女はコレクターの肩越しにジャンヌの姿を見る。
「もちろん、君の事ももう少し知りたいと思っているけどね。コレクター?」
イルム=ローレ・エーレ(ka5113)の挑戦的な眼差しに、名指しを受けた彼はニヤニヤと張り付いた笑顔を絶やさない。
「……と、おっしゃられておりますが?」
コレクターがくるりとジャンヌを振り返る。
ジャンヌは怯えた様子だったが、その場から逃げ出すようなことはなかった。
そもそも、行き場がないことなど本人もとっくに理解しているのだろう。
ここが文字通り、彼女の最後の砦なのだ。
「お客人をもてなしたいところですが、残念なことにご覧のありさまでして」
「それなら心配いらないわ。お姫様に謁見するのに、手土産もなしだなんて侮られたくないもの」
カーミンはふふんと小さく鼻を鳴らしながら、お菓子とお茶の入ったバスケットを差し出す。
「ほら、テーブルとかティーセットとかないの? お屋敷にあったっていうミニチュア、全部本物になるって聞いたんだけど」
「おや、どうでしょうかね……いやはや、ハンター様の前ではうかつに手品も披露できません」
口にしながら、コレクターは傍らに崩れた大きな壁をひょいと持ち上げる。
それをハンターと自分たちとの間にテーブルのように置くと、積もった土埃が光の中でふわりときらめいた。
「ティーセットくらいはあったことでしょう。どうぞ、拙いもてなしではございますが、おくつろぎください」
お辞儀をして歩き出すと、ハンター達の間に緊張が走る。
彼はそれに気にした様子もなく、ハンター達が入って来た通用口から外へと出ていった。
(今のがコレクター……掴みどころがないのは、嫉妬の常か)
大きな瓦礫に身を潜めて、アルト・ヴァレンティーニ(ka3109)もまたコレクターの背を追った。
後を追うか……?
一瞬迷いがあったものの、この状況ならここで奇襲に警戒しておいた方が良い。
「十三魔もずいぶんと減らしたが、およそ消極的だった貴方がまだ健在とは、いやはや判らんもんだね」
エアルドフリス(ka1856)の言葉に、ジャンヌはふいと視線を逸らす。
いや――そもそも十三魔なんて括りは人間が呼びやすくひとまとめにしたものに過ぎない。
彼女たちにとって特段横の繋がりがあるとか、そういうわけではないのだ。
「……あの子は、まだ生きているのかしら」
「うん……?」
だから思いがけぬ言葉に、キヅカ・リク(ka0038)が眉をひそめる。
どこか怯えが落ち着いた様子の彼女を前にして、興味が先行する。
「誰のことを言っているんだ?」
「居たでしょう……あの……機械の腕をした屍の少女」
記憶を掘り起こすようなたどたどしい説明に、リクはふと思い至る。
だが同時に、行き場のない虚無感にもさいなまれた。
「生きているはず……だが、覚えてあげたらどうだ、名前ぐらい」
「……なかったもの、興味が」
彼女は寂し気に、だがはっきりとそう告げた。
自分をこの城から連れ出してくれた亡兵は、大勢の歪虚のひとりに過ぎなかったのだ。
「アイゼンハンダー――いや、ツィカーデ。今度こそ覚えておくんだ」
「ツィカー……デ」
慈しむように、ジャンヌは乾いた唇でその名を口にする。
「……どうやら護り手には恵まれるようだ」
エアルドフリスは片手で懐のパイプを探り当て、慣れた手つきで煙草を詰め込む。
そして香りだけを楽しむと、火を付けないまま瓦礫の陰に身を滑らせた。
「おや、ずいぶんとしんみりとしておいでですね」
気づくとコレクターが両手に食器を持って部屋へと戻ってきていた。
「お茶を待ってたの。それに私ってばほら、あなたにも『お相手』してもらいたかったし」
「これは、失礼いたしました」
カーミンの挑戦的な笑顔に、コレクターはクツクツと笑みをたたえる。
彼は持ってきたティーセットでカーミンのお茶を注ぐと、それを瓦礫テーブルの上に並べる。
王女が好むという豊かな香りが鼻腔をくすぐるが、流石に口をつけるような気にはなれなかった。
●
「……あなたの欲しかったものは見つかったの?」
静寂と香りを貫いて、リアリュールの言葉が凛と響く。
――わたしだけの無がほしい。
答えが返ってこないのは分かり切ったことで。
彼女が“今ここにいる”ということが、何よりの答えだった。
「このお城は貴方のなの?」
話題を変えるように、問いかける。
「私が生まれ育った、私だけの世界……タラクサクムは私の在ったところ」
「タラクサクム……この城の名前か?」
ジャック・エルギン(ka1522)が小さく唸る。
確かに、かつて人が住んでいた城の名前にしては夢幻城なんて記号的すぎる。
当の本人が主張しないものだから、いつかそう呼ばれるようになった――そんなところだろう。
「貴女は……どうして歪虚になったの?」
次いだリアリュールの問いに、ジャンヌはふと目を伏せる。
返事を待たずに彼女は言葉を積み重ねる。
「アルバートは貴女のために歪虚になったのかと思ったわ。だけど、彼の記憶は混濁していた。貴女は、ちゃんと覚えているのよね……?」
忘却の騎士――彼が消滅の間際に見せた絶望の表情。
それがどうしても記憶の片隅から離れない。
「……そうして、また語らないのね」
「語ることに意味はあるの……?」
どこか諦めを含んで、ようやくジャンヌは口を開いた。
「意味は……ある」
やや迷いをはらみながらも、リアリュールは頷いた。
「あなたが、ただ時を無駄に過ごしているように見えた。愛する人を失って――私なら永遠に彷徨うなんて苦しく耐えがたい」
自分は彼女を討伐しに来たんじゃない。
彼女の心に――想いに触れに来たんだ。
「胸の中に燻ぶらせているよりも見えてくるものがあるかもしれない」
彼女が言う「無」の正体。
それはきっと――この世からの消滅に他ならない。
「決心がつかないってんなら、はっきり言ってやるさ」
ジャックが強いトーンで口を挟んだ。
「お前が欲しいモノはこの世界にはねえ。何も望まなくても俺らはお前を討たなきゃならねえし、他の歪虚連中はお前を利用し続ける。正直……見てていたたまれねえよ」
最後の言葉は、彼が溢した本心。
そう、彼女は歪虚と呼ぶにはあまりに人間的すぎるのだ。
その本質だけを覗けば、彼女はたったひとり自分の行き場も分からず彷徨っているだけ――途方にくれた人間となにひとつ変わらない。
「……アンタ美人なんだからよ。また人間として生まれ変わったら、今度は人生を楽しんで、恋人の1ダースでも作って幸せになれよ」
もちろん、もう人間として生きていくことなんてできない。
そしてこのまま、歪虚として生かしておくことも――
「あなた様が今、こうして生きておられることには意味があるのではないですか?」
不意にコレクターが口を挟んで、ハンターらはギクリと、その姿を見た。
「そう言えば、自己紹介がまだだったね。イルム=ローレ・エーレ。気軽にイルムと呼んでくれていいよ」
コレクターがこれ以上言葉を重ねないうちに、イルムが割って入る。
「実はキミの使用人――ルチア君とフランカ君と約束をしていてね」
並べられた名前に、ジャンヌが顔を上げる。
「もしよければだけど、ボクと踊ってくれないかな? そう、あの子たちと約束をしていてね」
ころころと鞠を転がすように笑い、歪虚らしい残虐さを持った主人とは正反対の存在。
彼女たちは無邪気なままに殺戮を行い、そして心からにジャンヌのために戦った。
「もちろんエスコートはさせて貰うよ。それとも……それも面倒かい?」
投げかけたイルムの誘いに、ジャンヌは戸惑ったように眉を下げる。
「……ルチアとフランカは、私が初めて生んだ歪虚だったわ」
そして、返事の代わりにそんなことを口にした。
「生きていたころから、お互いの言葉を繰り返す遊びが好きだったわ……うるさいけれど、2人で勝手に遊んでいるから楽だった」
イルムがふと笑みをこぼす。
「2人は、ジャンヌ君のことが大好きだったんだね。そしてジャンヌ君も」
「そう……なのかしら」
「そうさ」
イルムははっきりと頷く。
朧げだった、彼女がこの城に戻って来た理由。
虚無を求めながらも、彷徨い帰ってきた。
まるで思い出を求めるかのように。
彼女が求めているものは無とはまた違うものだ――と。
そしてそれは今、イルムの中で確信となった。
それは、静かにやり取りを聞いていたリクもまた同じだった。
「自分だけの無がほしいなんて……おかしいと思ったんだ」
たどり着いた答えを前に、リクは無性に腹が煮えくり返った。
同情とか、そんなつもりはさらさらない。
ただ彼女の心を、ぶんなぐってやりたくてしかたがなかった。
「お前は無頓着なんかじゃない。何故、世界に望もうとしなくなったんだ。何故、愛を覚えていたんだ……」
吐き捨てるように、次々に感情が喉を突いて溢れ出す。
「お前は……怖かったんじゃないのか? 持ってしまえば失うから!」
「……っ」
ジャンヌが息を呑んだ。
その反応を見て、リクは言葉でもって彼女に踏み込む。
「ここに帰って来たなら……望まないだなんて言ってやるなよ! 愛を知っているのなら、その気持ちから目をそらしてんじゃねぇよ!!」
いつかは……いや、今すぐにでも討たなければならない相手。
だけど、彼女の想いすらもなかったことにしたくはなかった。
抱えたまま――存在の証が何一つ世界に残されないまま、消えて欲しくはなかった。
その覚悟がリクを突き動かした。
「私は……」
狼狽えるジャンヌ。
初めて「考えた」彼女は、初めて「願い」に触れようとしている。
それはこれまで自ら遠ざけて来たパンドラの箱だとしても。
「逢い、愛、哀。かつて貴女は、たくさんの人に愛されていた。貴女の“あい”は……何だったのかしらね」
マリィア・バルデス(ka5848)が、ふと呟いた。
彼女の“あい”が何なのか、マリィアはおそらく、はじめから、分かっていた。
「愛を全て見過ごしてきた今の貴女に残っているのは、自分を憐れむ哀だけなんじゃないかしら」
それは、これまでのジャンヌがもたらした結果。
愛を与えられてきた彼女は、それに応えることをしなかった。
それを嘆くというのなら――きっとその感情は哀なのだ。
「欲しかったなら口にしろよ……言わなきゃ、何も伝わらねぇんだよ」
リクが声を絞り出すようにして言い添えた。
「私は……欲しかった」
ジャンヌが、両手にすくった水を溢すかのように、さらりと溢す。
閉ざされていた箱が開かれる。
「愛があった……何もしなくても、あふれていた……だからひとつ、ふたつ、こぼれて行って……愛がなくなる……怖い。どうして? あんなに溢れていたのに。不必要なくらい、お腹いっぱい、庭を真っ赤に染める薔薇の花みたいに、うっとおしいほど在った……!」
王座から立ち上がろうとして、ガクリと膝から崩れる。
心身共に疲れ切った彼女は、立つことすらままならなかった。
「どうして欲しいときに傍にないの? いらないときは、蜜蜂みたいにたかるくせに! 今、欲しいのに! 独りなのに! 誰か……お願いだから――」
――私を、愛してよ。
地面にへたり込んで、うつむいた彼女の瞳から大粒の涙がこぼれる。
腹は決まった――誰もがそう思った。
いや……もともとそのつもりだったのかもしれない。
彼女がここに居てなお、城には様々な命が息づいているのだから。
「……ケリをつけてやる」
ジャックが剣を抜き放ち、問いかける。
顔を上げた彼女の表情には、僅かばかりの恐怖と絶望が滲んでいた。
存在しないはずの鼓動を感じるように、胸元を手で押さえながら。
「――簡単なことです」
その時、声が響いた。
●
それは場を支配しつつあった空気を引き裂いて、あらゆる者の耳へと届く。
「お望みが愛ならば、得るのなど簡単なことです」
「コレクター……!」
エアルドフリスが瓦礫の陰から身を乗り出し、杖を掲げた。
彼は宥めるように両手の平をエアルドフリスに向ける。
「これ以上彼女に何を吹き込もうっていうの……?」
「吹き込む? 人聞きの悪い! いえ、歪虚聞きの悪い?」
口を挟んだカーミンに、コレクターは悪びれる様子もなく答える。
「そうやって、あなたたち嫉妬は世界を引っ掻きまわしてきたじゃない」
「これは手厳しい」
言葉とは裏腹に、コレクターはニヤニヤと粘っこい笑みを浮かべた。
引き抜きかけたリボルバーを、カーミンの理性が止める。
せっかくジャンヌが覚悟を決めかけていたのに、ここで引き金を引いてしまったら――
「引きますか? どうぞ。私は手を出しませんよ。ええ、そういう契約でございますから。その分、口は出させていただきます」
コレクターは両手を天に掲げながら、雄弁に、声を張り上げた。
「お与えなさい。愛されたいのなら、愛をお与えなさい。そうすれば世界中すべてが、あなた様を愛することでしょう」
「与える……だって?」
目の前の歪虚が何を言っているのか分からず、イルムは思わず息を呑んだ。
いや、言っていることは分かる。
そして、きっとそれは正しい。
だからこそ理解できない。
それをして、彼はなにを望む?
「それ以上口を開けば、いくら無抵抗であろうとも撃つ」
エアルドフリスが向けた杖先にマテリアルの輝きが集まる。
やはり、コレクターには何か狙いがある。
その確信を得ての最後通告。
「それは恐ろしい。私は何も――」
言い終わるより先に、放たれた氷の蛇がコレクターを襲った。
「警告はした」
冷気が爆発し、周囲を白いもやが覆う。
流石にこれでやられてくれるとは思えないが……晴れていく視界の先に、エアルドフリスは低く唸った。
「確かに、警告は聞いておいた方が良いようで」
彼は微動だにせず、真っ向からエアルドフリスの魔法を受け止めていた。
うっすらと服に張り付いた霜をぱらぱらと払うと、再び両手を掲げ無抵抗を示す。
「ずいぶん、律儀なのね……契約を破ったら、どんな怖いことが待っているのかしら?」
カーミンの背筋を嫌な汗が伝う。
「私自身は何もありませんよ。ただ、契約とは守るからこそ信用が得られるものです。私は生前、そうやって生きて参りましたゆえ」
コレクターは手を掲げたまま、ゆっくりとジャンヌへ近づいていく。
(……これ以上引き延ばすのは危険だ)
アルトがナイトカーテンで自らを覆いつくし、駆ける。
正面ではリアリュールが弓の制圧射撃で、コレクターの歩みを止める。
「ジャンヌ……愛した人たちを慈しむ心があるなら、聞いちゃだめ」
「我々が司るのは虚無。はたして我々に死後の世界などあるのでしょうか」
「私が、消えた先……」
「聞くな! そんなこと誰にも分からない……ただの詭弁だ!」
「では、あなた方の言葉も詭弁となりますね」
言い返され、リクは言葉を詰まらせる。
せっかく彼女が逃げることをやめたのに。
いや、逃げることをやめたからこそ……?
「愛が欲しいのなら、お与えなさい。閉じ込めて来たあなた様の愛は、きっと世界を包み込む。そして――世界があなた様を愛するのです」
顔を上げ、コレクターを見上げるジャンヌ。
だがその間に、音もなくアルトが割って入った。
隠密状態からの完全なる奇襲。
現れるその瞬間まで、彼女の存在を認知していた者はいない。
「アルバートが命を賭したほどの相手……正直、がっかりだ。せめて、苦しまずに済ませよう」
振う連撃がジャンヌの正中を捉える。
外しはしない、完全に、とった――
「……っ!?」
太刀が空を切る。
手に残るのは、ベビードールの薄い生地を切り裂いた感覚だけだった。
避けられるタイミングじゃない。
なのに、“いつの間にか彼女は驚いたように仰け反って”“数歩分、後退っていた”。
「いつ……避けた……?」
避けた過程が見えなかった。
理解の追いつかない感覚に、アルトはその場から逃げるように遠く離れた。
コレクターがニヤリと口角を上げる。
難を逃れたジャンヌは、肩を小さく震わせながら静かに立ち上がる。
胸元から縦に裂けたベビードールの先に、豊かな双丘から続く、白く張りのある肌が露になっていた。
「それは……」
リアリュールは、白日に晒された彼女の身体を見て静かに息を呑んだ。
彼女の身体――ちょうど水月のあたりに、縦一文字の大きな傷跡があった。
今の攻撃で?
いや、もっとずっと古い傷。
分厚い大剣で一突きにされたような、そんな傷跡。
「おわかりでしょう。彼らが与えるのは愛ではなく消滅だけなのです」
「それは――」
イルムが唇を噛む。
彼の言う通りだ。
自分たちに与えられるのは彼女の安らかな消滅だけ。
「私は……愛するのが怖かった。愛が返ってこないのが……怖かった」
ゆらりと足を踏み出して、ジャンヌはお腹の傷をそっと指でなぞる。
くちゅりと――湿り気のある音と共に、傷口からうっすらと真っ赤な液体が染み出していた。
「愛を与える……そのために私は――」
つうっと、傷口から染み出した液体が筋となって肌の上を零れた。
お腹を伝ったそれは、下腹部から太ももを通って、そのまま足の先へと。
白い肌に通った1本の赤い筋は魔性の魅力を秘めて、思わず時間を忘れて見つめてしまいそうだった。
「致し方ないか……」
エアルドフリスが杖を振うと、敵の足元から現れた縄状のマテリアルがジャンヌとコレクターとを縛り上げる。
ジャンヌは微動だにせずそれを受け入れると、やがて傷口から勢いよく液体が噴き出した。
まるで血しぶきのように。
いや、もっときめ細かい――赤い霧。
噴き出した赤い霧が、瞬く間に彼女の姿を埋め尽くし、次の瞬間には謁見室一帯を包み込んでいた。
「クソッ……結局こうなるのかよ! リアリュールは傍にいるか? 離れんなよ!」
「大丈夫……だけど、気を付けて」
声を頼りに近くにいることを確認すると、ジャックはガウスジェイルの結界を張る。
「悪いけど、文字通りちょっと雲隠れさせてもらうわ」
カーミンはグラジオラスのマテリアルで身を包み、自らの気配を断つ。
コレクターはどこに行った……?
見えないのをいいことに契約破棄――なんて、そういうのは勘弁願いたい。
●
初動が早かったのはマリィア。
魔導銃にマテリアルを込めると、天井めがけて一気に解き放つ。
弾丸は光の雨となって戦場に降り注ぎ、石畳を打つ衝撃が脚の裏から伝わった。
「当たっている……はずだけれど」
手ごたえを直に感じられないは銃の悪いところか。
希望は少なくとも、悪い方に裏切られる。
「ぐぅっ……!?」
瞬間、ジャックの肩を後ろから真っ赤な刃が貫いていた。
振り返ろうとした瞬間、今度は前から、横から、また後ろから。
結晶の大剣が次々と身体を串刺す。
思わず膝をつくが、意識を手放すわけにはいかない。
歯を食いしばると乱暴にポーションを喉に流し込む。
「ジャック、無事か!?」
「心配すんじゃねぇ! 自分の仕事をしろ!」
リクの声にやせ我慢を返すと、ジャックは震える脚で何とか立ち上がった。
(攻撃が結界に引かれて来たのだけは何となくわかる……ってことは、少なくとも『飛んできてる』ってことだよな)
別に、刺さった状態でいきなり出現してるわけではない。
だとしたら、なぜ『飛んでくるところ』が見えないのか。
「目の前で起こっている以上、ぜってぇ、カラクリがあるはずだ……」
霧の中にジャックを攻撃したらしき影がゆらりと見えて、リクは盾を構えたまま突貫した。
「それでいいのかジャンヌ! それがお前の望む愛なのか……!?」
影が一瞬、たじろいだように揺らめく。
しかし帰って来た声は、思いのほか凛とした力に満ちたものだった。
「私があなたを愛せば、あなたも私に愛をくれる……?」
「何……?」
答えることができず、言葉が詰まる。
するといつか聞いた、彼女の憂鬱のため息がほろりとこぼれた。
「あなたは……私の敵なのね」
次の瞬間、リク目の前に結晶の切っ先があった。
「……くっ」
コンマ寸秒のところで、構えていた盾で受け止める。
同時に、展開されたマテリアル障壁が影を弾き飛ばした。
しかし、次の瞬間には別の剣が脚を切り裂く。
「反応ができないわけじゃない……けど」
ふと、目視で捉えていた影が消えた。
蝋燭の炎が消えるかのように、瞬く間の出来事だった。
直後、ジャンヌの陰があったのはハンター達の陣の中心。
彼女は周囲に無数のマテリアルの短剣を作り出し、全方位に向けて解き放つ。
エアルドフリスがカウンターマジック――『寛解』を試みるが、ギリギリのところで弾かれてしまった。
ハンターらに見えたのはそこまで。
次に状況を理解するのは、身構えた身体に突き刺さった数多の刃による痛覚を伴ってのことだ。
「転移? 因果操作? それとも……なんにせよ、可愛いもんじゃないな」
エアルドフリスは瓦礫の陰に滑り込み、様子を伺う。
霧の中でかすかに見える彼女の表情は、氷のように冷たかった。
その間、イルムがジャックの傷を回復し、ジャックは再び結界を張る。
「動けるかい?」
「見栄はりてぇとこだが、まともに食らえばあと1撃だ」
初撃で意識が飛びかけた。
同じやつなら、次はない。
「さっきの短剣は見境なし……? もう、いやんなっちゃうわね」
全身に薄い傷を無数に走らせるカーミンは、腕を伝う血をぺろりと舐める。
その視線の先にようやく目標の姿を見つけると、細く笑みを浮かべた。
霧の先の影――コレクターは、瓦礫に腰かけ、くつろいだ様子で戦いを眺めているかのようだった。
「お姫様が頑張っているようだけど、あなたは見ているだけなのね、コレクター」
銃撃から手裏剣へと繋ぐ、滑らかな連撃。
突然の来訪に彼は、手のひらを向け銃弾と刃を真っ向から受け止める。
「いやはや、この霧の中では何も見えたものではありませんね」
「歪虚なら効かないのかと思ってたわ」
カーミンは再びマテリアルを身にまとい存在を隠匿する。
代わりに銃声が響き渡り、コレクターはまた手のひらで受け止めようとする。
だが、マテリアルを纏った弾丸はそれを掻い潜り、彼の胴部に深く突き刺さった。
カーミンの存在でアタリをつけたマリィアだった。
「これでお望みの状況なのかしら……?」
霧の中を介した彼女の問いかけに、コレクターはクツクツと笑いで返す。
「んん、どうでしょう……心を動かすというのは、存外に難しいものでありますがゆえ」
「どの口が……!」
放つ弾丸。
コレクターは流石に立ち上がると、ひょいと大きく飛びのいてそれを躱す。
「人の命を弄ぶ……貴方はここで終わりなさい!」
「私もまだ消えたくはありませんので……そのための努力はさせていただきましょう」
彼はそのまま後ろ跳びで濃い霧の中へと紛れていく。
追い縋るようにマリィアは弾丸を放つ。
「私達は仲間を、恋人を愛している。貴方達に世界はあげられないわ」
「――ならあなたが愛するその世界を、私も永久に愛するわ」
すぐ後ろの耳元に濡れそぼった吐息が響いて、マリィアはゾクリと背筋を凍らせながら振り返り、銃口を向ける。
「あなたが……同じように私も愛してくれるのなら」
ジャンヌはふわりと距離を取ると、伏し目がちの視線で彼女に問う。
「ねぇ……私は、愛を謳うことができると思う?」
「……貴女の“あい”が本当に“愛”なら」
「そう……私も願うわ」
彼女の周囲に4本の大剣が現れる。
狙いを定め放たれた刃。
しかしその切っ先はマリィアを貫くことはなかった。
「ぐっ……!」
そこはジャックの結界の中。
指向ベクトルを捻じ曲げられた攻撃は、幾重にも折り重なって、彼の身体を穿っていた。
「ワリィ……ここまでだ」
血に濡れた視界でジャンヌを見上げ、ジャックは意識を手放す。
ジャンヌは彼の元にゆったりと歩み寄ると、動かなくなった身体にそっと手を伸ばした。
「させるかッ!」
リクのデルタレイが解き放たれ、伸ばしたジャンヌの手を撃ち抜く。
彼女は咄嗟に手を胸元に引き寄せて、そのまま霧の中へ溶け込もうと後退った。
だが、隠密状態で回り込んだアルトがジャンヌの背後から刃を振う。
薄いベビードールは鎧の役割を成さず、背中に斜めの太刀傷が浮かぶ。
彼女の剣閃連華は二閃一対。
息をするように二の太刀が放たれるが、刃が裂いたのは虚空の霧だった。
また、消えた。
「ジャンヌ……!」
リアリュールが弓を引きながら霧の中に語り掛ける。
「確かに歪虚が消滅したらどうなってしまうのか、どこへ行くのか……私たちは知らない。だけど、どこへ向かうのだとしても、歪虚である彼らとはきっと同じ場所へ行けるはず……!」
「……かもしれない」
ふっと眼前、目と鼻の先にジャンヌの姿が現れた。
後退りそうになったのを堪えて、リアリュールは真っすぐに彼女を見上げる。
「でも同じくらい、この存在があるうちに……愛を実感したいとも思う」
ジャンヌは、リアリュールの身体を優しく、包み込むように、抱きしめた。
相手の傷口からあふれる液体だろうか。
胸の辺りを生ぬるい感覚が濡らし、重ね合った肌の間でぐちゅりと音を立てる。
不意に、喉が渇いた。
唐突に、心臓がぎゅっと締め付けられるような気がした。
彼女から溢れた赤い蜜にどっぷりと浸かってしまったような息苦しさの中で、感じたのは――孤独。
「……っ!」
はっと意識が戻って、リアリュールはジャンヌの身体を押しのけた。
「そう……あなたも私を愛してくれないのね」
大剣が宙を舞う。
リアリュールは構えていた弓で刃を打ち落とした。
目標を逸れて地面に突き刺さる剣たち。
だが1本だけ抑えきれず、腹部に深々と突き立った。
「くそっ、限界か……」
リクが、リアリュールのもとへ駆けながら叫んだ。
「このタイミング!? うう……でも仕方ないか」
コレクターに追い縋っていたカーミンは心残りを露にしながらも、踵を返す。
が、最後の最後でもう一度だけ彼の方を振り返って言った。
「ここまでやっといて彼女のこと裏切ったら承知しないからね!」
「それはそれは、肝に銘じておきましょう」
コレクターはにこやかに返事をすると、恭しく頭を下げた。
「まだ……あなたたちを愛せていないわ」
ジャンヌの周囲に無数の短剣が生成される。
だがそれらが飛散する前に、結晶でできた刃は粉々に砕け散った。
「やれやれ、今度は効き目があったな」
寛解を唱え終え、エアルドフリスはダメ押しの黒縄縛を唱え始める。
わずかな隙にリクがリアリュールを、イルムがジャックを抱えて、とにかく先に走らせた。
ジャンヌがゆったりとした足取りで、だが転移するように距離を詰め、その背に追い縋る。
時間を稼ぐため、アルトが逆に打って出た。
振りぬかれた法術刀を、ジャンヌは数歩後ろに“現れて”回避する。
返しの刃で飛翔する四大剣が、アルトを捉えた。
アルトは全身にまとったマテリアル――焔舞を回避行動ただ一点に集中させる。
今この瞬間、彼女に見える世界は、そのすべてが止まったようにも見えるほどだった。
だが刃は、この感覚の中でなお、速度を持って襲い掛かった。
咄嗟に身を捻って躱す。
見える。
2撃目も躱す。
ここまでは造作もない。
だが、ここが限度。
この先は、彼女ですらも立ち入ることができない圧倒的な疾さの世界。
集中が解けて、意識する時の歩みが元に戻る。
それと、切っ先が自らの肌に押し当たる感覚とはほぼ同時の事だった。
「うぐっ……」
思わず嗚咽が零れる。
わき腹と脚を深く抉った一撃に、熱く焼けるような痛みが全身を突き抜けた。
ジャンヌは新たな剣を生成し、手を掲げる。
しかし飛来した手裏剣がその頬を掠め飛んで、ジャンヌの意識がふと逸れた。
「アルト、今のうちに!」
遠くで叫ぶカーミンに、アルトが弾かれたように飛びのく。
そのまま謁見室いっぱいにたちこめた赤い霧を抜けて、彼女らは戦場を後にした。
●
「……転移じゃない」
「えっ?」
走りながら止血をするアルト。
食いしばった口元から零れた言葉に、カーミンは眉をひそめる。
「少なくとも……敵の能力は転移じゃない」
その正体に確証はない。
だが、見えた世界に偽りはない。
グズグズと腐食する血濡れの刃を手に、彼女はただ自分が見たものを口にすることで精いっぱいだった。
「おや、これはこれは」
崩れ落ちた謁見室の虚空に、コレクターの笑い交じりの声が響く。
ジャンヌ・ポワソン(kz0154)はハンターらの姿を見るや否や、怯えたように王座の背もたれに身を寄せた。
その姿はカゴの隅に追いやられた小動物のようで、青い瞳に映るのは恐怖の色ただ一色であった。
「これはみなさまお揃いで……以前お会いした方もいらっしゃいますね。その節はどうも」
コレクターがジャンヌを庇うように王座の前へと躍り出る。
「やはろー、コレクター。無事に姫様に雇って貰えたのかしら?」
へらへらと手を振りながら挨拶したカーミン・S・フィールズ(ka1559)に、コレクターは口角を吊り上げながら胸を張る。
その細い体がすらりと伸びると、まさしく荒地に立つ枯れ枝のようだ。
「欲しがらない方でございますゆえ……私としても、長期戦の構えでございますよ」
それで――と、彼は差し込む光にモノクルを光らせながらハンターらを一瞥する。
「ご用件はどのようなもので?」
「戦いに……ならなければ良いと私は願っている」
「……ほう?」
リアリュール(ka2003)が、まっすぐに言葉を返す。
「そうであれば、私も喜ばしいことでありますが――」
「話をしに来たの」
言葉を被せるように、彼女はコレクターの肩越しにジャンヌの姿を見る。
「もちろん、君の事ももう少し知りたいと思っているけどね。コレクター?」
イルム=ローレ・エーレ(ka5113)の挑戦的な眼差しに、名指しを受けた彼はニヤニヤと張り付いた笑顔を絶やさない。
「……と、おっしゃられておりますが?」
コレクターがくるりとジャンヌを振り返る。
ジャンヌは怯えた様子だったが、その場から逃げ出すようなことはなかった。
そもそも、行き場がないことなど本人もとっくに理解しているのだろう。
ここが文字通り、彼女の最後の砦なのだ。
「お客人をもてなしたいところですが、残念なことにご覧のありさまでして」
「それなら心配いらないわ。お姫様に謁見するのに、手土産もなしだなんて侮られたくないもの」
カーミンはふふんと小さく鼻を鳴らしながら、お菓子とお茶の入ったバスケットを差し出す。
「ほら、テーブルとかティーセットとかないの? お屋敷にあったっていうミニチュア、全部本物になるって聞いたんだけど」
「おや、どうでしょうかね……いやはや、ハンター様の前ではうかつに手品も披露できません」
口にしながら、コレクターは傍らに崩れた大きな壁をひょいと持ち上げる。
それをハンターと自分たちとの間にテーブルのように置くと、積もった土埃が光の中でふわりときらめいた。
「ティーセットくらいはあったことでしょう。どうぞ、拙いもてなしではございますが、おくつろぎください」
お辞儀をして歩き出すと、ハンター達の間に緊張が走る。
彼はそれに気にした様子もなく、ハンター達が入って来た通用口から外へと出ていった。
(今のがコレクター……掴みどころがないのは、嫉妬の常か)
大きな瓦礫に身を潜めて、アルト・ヴァレンティーニ(ka3109)もまたコレクターの背を追った。
後を追うか……?
一瞬迷いがあったものの、この状況ならここで奇襲に警戒しておいた方が良い。
「十三魔もずいぶんと減らしたが、およそ消極的だった貴方がまだ健在とは、いやはや判らんもんだね」
エアルドフリス(ka1856)の言葉に、ジャンヌはふいと視線を逸らす。
いや――そもそも十三魔なんて括りは人間が呼びやすくひとまとめにしたものに過ぎない。
彼女たちにとって特段横の繋がりがあるとか、そういうわけではないのだ。
「……あの子は、まだ生きているのかしら」
「うん……?」
だから思いがけぬ言葉に、キヅカ・リク(ka0038)が眉をひそめる。
どこか怯えが落ち着いた様子の彼女を前にして、興味が先行する。
「誰のことを言っているんだ?」
「居たでしょう……あの……機械の腕をした屍の少女」
記憶を掘り起こすようなたどたどしい説明に、リクはふと思い至る。
だが同時に、行き場のない虚無感にもさいなまれた。
「生きているはず……だが、覚えてあげたらどうだ、名前ぐらい」
「……なかったもの、興味が」
彼女は寂し気に、だがはっきりとそう告げた。
自分をこの城から連れ出してくれた亡兵は、大勢の歪虚のひとりに過ぎなかったのだ。
「アイゼンハンダー――いや、ツィカーデ。今度こそ覚えておくんだ」
「ツィカー……デ」
慈しむように、ジャンヌは乾いた唇でその名を口にする。
「……どうやら護り手には恵まれるようだ」
エアルドフリスは片手で懐のパイプを探り当て、慣れた手つきで煙草を詰め込む。
そして香りだけを楽しむと、火を付けないまま瓦礫の陰に身を滑らせた。
「おや、ずいぶんとしんみりとしておいでですね」
気づくとコレクターが両手に食器を持って部屋へと戻ってきていた。
「お茶を待ってたの。それに私ってばほら、あなたにも『お相手』してもらいたかったし」
「これは、失礼いたしました」
カーミンの挑戦的な笑顔に、コレクターはクツクツと笑みをたたえる。
彼は持ってきたティーセットでカーミンのお茶を注ぐと、それを瓦礫テーブルの上に並べる。
王女が好むという豊かな香りが鼻腔をくすぐるが、流石に口をつけるような気にはなれなかった。
●
「……あなたの欲しかったものは見つかったの?」
静寂と香りを貫いて、リアリュールの言葉が凛と響く。
――わたしだけの無がほしい。
答えが返ってこないのは分かり切ったことで。
彼女が“今ここにいる”ということが、何よりの答えだった。
「このお城は貴方のなの?」
話題を変えるように、問いかける。
「私が生まれ育った、私だけの世界……タラクサクムは私の在ったところ」
「タラクサクム……この城の名前か?」
ジャック・エルギン(ka1522)が小さく唸る。
確かに、かつて人が住んでいた城の名前にしては夢幻城なんて記号的すぎる。
当の本人が主張しないものだから、いつかそう呼ばれるようになった――そんなところだろう。
「貴女は……どうして歪虚になったの?」
次いだリアリュールの問いに、ジャンヌはふと目を伏せる。
返事を待たずに彼女は言葉を積み重ねる。
「アルバートは貴女のために歪虚になったのかと思ったわ。だけど、彼の記憶は混濁していた。貴女は、ちゃんと覚えているのよね……?」
忘却の騎士――彼が消滅の間際に見せた絶望の表情。
それがどうしても記憶の片隅から離れない。
「……そうして、また語らないのね」
「語ることに意味はあるの……?」
どこか諦めを含んで、ようやくジャンヌは口を開いた。
「意味は……ある」
やや迷いをはらみながらも、リアリュールは頷いた。
「あなたが、ただ時を無駄に過ごしているように見えた。愛する人を失って――私なら永遠に彷徨うなんて苦しく耐えがたい」
自分は彼女を討伐しに来たんじゃない。
彼女の心に――想いに触れに来たんだ。
「胸の中に燻ぶらせているよりも見えてくるものがあるかもしれない」
彼女が言う「無」の正体。
それはきっと――この世からの消滅に他ならない。
「決心がつかないってんなら、はっきり言ってやるさ」
ジャックが強いトーンで口を挟んだ。
「お前が欲しいモノはこの世界にはねえ。何も望まなくても俺らはお前を討たなきゃならねえし、他の歪虚連中はお前を利用し続ける。正直……見てていたたまれねえよ」
最後の言葉は、彼が溢した本心。
そう、彼女は歪虚と呼ぶにはあまりに人間的すぎるのだ。
その本質だけを覗けば、彼女はたったひとり自分の行き場も分からず彷徨っているだけ――途方にくれた人間となにひとつ変わらない。
「……アンタ美人なんだからよ。また人間として生まれ変わったら、今度は人生を楽しんで、恋人の1ダースでも作って幸せになれよ」
もちろん、もう人間として生きていくことなんてできない。
そしてこのまま、歪虚として生かしておくことも――
「あなた様が今、こうして生きておられることには意味があるのではないですか?」
不意にコレクターが口を挟んで、ハンターらはギクリと、その姿を見た。
「そう言えば、自己紹介がまだだったね。イルム=ローレ・エーレ。気軽にイルムと呼んでくれていいよ」
コレクターがこれ以上言葉を重ねないうちに、イルムが割って入る。
「実はキミの使用人――ルチア君とフランカ君と約束をしていてね」
並べられた名前に、ジャンヌが顔を上げる。
「もしよければだけど、ボクと踊ってくれないかな? そう、あの子たちと約束をしていてね」
ころころと鞠を転がすように笑い、歪虚らしい残虐さを持った主人とは正反対の存在。
彼女たちは無邪気なままに殺戮を行い、そして心からにジャンヌのために戦った。
「もちろんエスコートはさせて貰うよ。それとも……それも面倒かい?」
投げかけたイルムの誘いに、ジャンヌは戸惑ったように眉を下げる。
「……ルチアとフランカは、私が初めて生んだ歪虚だったわ」
そして、返事の代わりにそんなことを口にした。
「生きていたころから、お互いの言葉を繰り返す遊びが好きだったわ……うるさいけれど、2人で勝手に遊んでいるから楽だった」
イルムがふと笑みをこぼす。
「2人は、ジャンヌ君のことが大好きだったんだね。そしてジャンヌ君も」
「そう……なのかしら」
「そうさ」
イルムははっきりと頷く。
朧げだった、彼女がこの城に戻って来た理由。
虚無を求めながらも、彷徨い帰ってきた。
まるで思い出を求めるかのように。
彼女が求めているものは無とはまた違うものだ――と。
そしてそれは今、イルムの中で確信となった。
それは、静かにやり取りを聞いていたリクもまた同じだった。
「自分だけの無がほしいなんて……おかしいと思ったんだ」
たどり着いた答えを前に、リクは無性に腹が煮えくり返った。
同情とか、そんなつもりはさらさらない。
ただ彼女の心を、ぶんなぐってやりたくてしかたがなかった。
「お前は無頓着なんかじゃない。何故、世界に望もうとしなくなったんだ。何故、愛を覚えていたんだ……」
吐き捨てるように、次々に感情が喉を突いて溢れ出す。
「お前は……怖かったんじゃないのか? 持ってしまえば失うから!」
「……っ」
ジャンヌが息を呑んだ。
その反応を見て、リクは言葉でもって彼女に踏み込む。
「ここに帰って来たなら……望まないだなんて言ってやるなよ! 愛を知っているのなら、その気持ちから目をそらしてんじゃねぇよ!!」
いつかは……いや、今すぐにでも討たなければならない相手。
だけど、彼女の想いすらもなかったことにしたくはなかった。
抱えたまま――存在の証が何一つ世界に残されないまま、消えて欲しくはなかった。
その覚悟がリクを突き動かした。
「私は……」
狼狽えるジャンヌ。
初めて「考えた」彼女は、初めて「願い」に触れようとしている。
それはこれまで自ら遠ざけて来たパンドラの箱だとしても。
「逢い、愛、哀。かつて貴女は、たくさんの人に愛されていた。貴女の“あい”は……何だったのかしらね」
マリィア・バルデス(ka5848)が、ふと呟いた。
彼女の“あい”が何なのか、マリィアはおそらく、はじめから、分かっていた。
「愛を全て見過ごしてきた今の貴女に残っているのは、自分を憐れむ哀だけなんじゃないかしら」
それは、これまでのジャンヌがもたらした結果。
愛を与えられてきた彼女は、それに応えることをしなかった。
それを嘆くというのなら――きっとその感情は哀なのだ。
「欲しかったなら口にしろよ……言わなきゃ、何も伝わらねぇんだよ」
リクが声を絞り出すようにして言い添えた。
「私は……欲しかった」
ジャンヌが、両手にすくった水を溢すかのように、さらりと溢す。
閉ざされていた箱が開かれる。
「愛があった……何もしなくても、あふれていた……だからひとつ、ふたつ、こぼれて行って……愛がなくなる……怖い。どうして? あんなに溢れていたのに。不必要なくらい、お腹いっぱい、庭を真っ赤に染める薔薇の花みたいに、うっとおしいほど在った……!」
王座から立ち上がろうとして、ガクリと膝から崩れる。
心身共に疲れ切った彼女は、立つことすらままならなかった。
「どうして欲しいときに傍にないの? いらないときは、蜜蜂みたいにたかるくせに! 今、欲しいのに! 独りなのに! 誰か……お願いだから――」
――私を、愛してよ。
地面にへたり込んで、うつむいた彼女の瞳から大粒の涙がこぼれる。
腹は決まった――誰もがそう思った。
いや……もともとそのつもりだったのかもしれない。
彼女がここに居てなお、城には様々な命が息づいているのだから。
「……ケリをつけてやる」
ジャックが剣を抜き放ち、問いかける。
顔を上げた彼女の表情には、僅かばかりの恐怖と絶望が滲んでいた。
存在しないはずの鼓動を感じるように、胸元を手で押さえながら。
「――簡単なことです」
その時、声が響いた。
●
それは場を支配しつつあった空気を引き裂いて、あらゆる者の耳へと届く。
「お望みが愛ならば、得るのなど簡単なことです」
「コレクター……!」
エアルドフリスが瓦礫の陰から身を乗り出し、杖を掲げた。
彼は宥めるように両手の平をエアルドフリスに向ける。
「これ以上彼女に何を吹き込もうっていうの……?」
「吹き込む? 人聞きの悪い! いえ、歪虚聞きの悪い?」
口を挟んだカーミンに、コレクターは悪びれる様子もなく答える。
「そうやって、あなたたち嫉妬は世界を引っ掻きまわしてきたじゃない」
「これは手厳しい」
言葉とは裏腹に、コレクターはニヤニヤと粘っこい笑みを浮かべた。
引き抜きかけたリボルバーを、カーミンの理性が止める。
せっかくジャンヌが覚悟を決めかけていたのに、ここで引き金を引いてしまったら――
「引きますか? どうぞ。私は手を出しませんよ。ええ、そういう契約でございますから。その分、口は出させていただきます」
コレクターは両手を天に掲げながら、雄弁に、声を張り上げた。
「お与えなさい。愛されたいのなら、愛をお与えなさい。そうすれば世界中すべてが、あなた様を愛することでしょう」
「与える……だって?」
目の前の歪虚が何を言っているのか分からず、イルムは思わず息を呑んだ。
いや、言っていることは分かる。
そして、きっとそれは正しい。
だからこそ理解できない。
それをして、彼はなにを望む?
「それ以上口を開けば、いくら無抵抗であろうとも撃つ」
エアルドフリスが向けた杖先にマテリアルの輝きが集まる。
やはり、コレクターには何か狙いがある。
その確信を得ての最後通告。
「それは恐ろしい。私は何も――」
言い終わるより先に、放たれた氷の蛇がコレクターを襲った。
「警告はした」
冷気が爆発し、周囲を白いもやが覆う。
流石にこれでやられてくれるとは思えないが……晴れていく視界の先に、エアルドフリスは低く唸った。
「確かに、警告は聞いておいた方が良いようで」
彼は微動だにせず、真っ向からエアルドフリスの魔法を受け止めていた。
うっすらと服に張り付いた霜をぱらぱらと払うと、再び両手を掲げ無抵抗を示す。
「ずいぶん、律儀なのね……契約を破ったら、どんな怖いことが待っているのかしら?」
カーミンの背筋を嫌な汗が伝う。
「私自身は何もありませんよ。ただ、契約とは守るからこそ信用が得られるものです。私は生前、そうやって生きて参りましたゆえ」
コレクターは手を掲げたまま、ゆっくりとジャンヌへ近づいていく。
(……これ以上引き延ばすのは危険だ)
アルトがナイトカーテンで自らを覆いつくし、駆ける。
正面ではリアリュールが弓の制圧射撃で、コレクターの歩みを止める。
「ジャンヌ……愛した人たちを慈しむ心があるなら、聞いちゃだめ」
「我々が司るのは虚無。はたして我々に死後の世界などあるのでしょうか」
「私が、消えた先……」
「聞くな! そんなこと誰にも分からない……ただの詭弁だ!」
「では、あなた方の言葉も詭弁となりますね」
言い返され、リクは言葉を詰まらせる。
せっかく彼女が逃げることをやめたのに。
いや、逃げることをやめたからこそ……?
「愛が欲しいのなら、お与えなさい。閉じ込めて来たあなた様の愛は、きっと世界を包み込む。そして――世界があなた様を愛するのです」
顔を上げ、コレクターを見上げるジャンヌ。
だがその間に、音もなくアルトが割って入った。
隠密状態からの完全なる奇襲。
現れるその瞬間まで、彼女の存在を認知していた者はいない。
「アルバートが命を賭したほどの相手……正直、がっかりだ。せめて、苦しまずに済ませよう」
振う連撃がジャンヌの正中を捉える。
外しはしない、完全に、とった――
「……っ!?」
太刀が空を切る。
手に残るのは、ベビードールの薄い生地を切り裂いた感覚だけだった。
避けられるタイミングじゃない。
なのに、“いつの間にか彼女は驚いたように仰け反って”“数歩分、後退っていた”。
「いつ……避けた……?」
避けた過程が見えなかった。
理解の追いつかない感覚に、アルトはその場から逃げるように遠く離れた。
コレクターがニヤリと口角を上げる。
難を逃れたジャンヌは、肩を小さく震わせながら静かに立ち上がる。
胸元から縦に裂けたベビードールの先に、豊かな双丘から続く、白く張りのある肌が露になっていた。
「それは……」
リアリュールは、白日に晒された彼女の身体を見て静かに息を呑んだ。
彼女の身体――ちょうど水月のあたりに、縦一文字の大きな傷跡があった。
今の攻撃で?
いや、もっとずっと古い傷。
分厚い大剣で一突きにされたような、そんな傷跡。
「おわかりでしょう。彼らが与えるのは愛ではなく消滅だけなのです」
「それは――」
イルムが唇を噛む。
彼の言う通りだ。
自分たちに与えられるのは彼女の安らかな消滅だけ。
「私は……愛するのが怖かった。愛が返ってこないのが……怖かった」
ゆらりと足を踏み出して、ジャンヌはお腹の傷をそっと指でなぞる。
くちゅりと――湿り気のある音と共に、傷口からうっすらと真っ赤な液体が染み出していた。
「愛を与える……そのために私は――」
つうっと、傷口から染み出した液体が筋となって肌の上を零れた。
お腹を伝ったそれは、下腹部から太ももを通って、そのまま足の先へと。
白い肌に通った1本の赤い筋は魔性の魅力を秘めて、思わず時間を忘れて見つめてしまいそうだった。
「致し方ないか……」
エアルドフリスが杖を振うと、敵の足元から現れた縄状のマテリアルがジャンヌとコレクターとを縛り上げる。
ジャンヌは微動だにせずそれを受け入れると、やがて傷口から勢いよく液体が噴き出した。
まるで血しぶきのように。
いや、もっときめ細かい――赤い霧。
噴き出した赤い霧が、瞬く間に彼女の姿を埋め尽くし、次の瞬間には謁見室一帯を包み込んでいた。
「クソッ……結局こうなるのかよ! リアリュールは傍にいるか? 離れんなよ!」
「大丈夫……だけど、気を付けて」
声を頼りに近くにいることを確認すると、ジャックはガウスジェイルの結界を張る。
「悪いけど、文字通りちょっと雲隠れさせてもらうわ」
カーミンはグラジオラスのマテリアルで身を包み、自らの気配を断つ。
コレクターはどこに行った……?
見えないのをいいことに契約破棄――なんて、そういうのは勘弁願いたい。
●
初動が早かったのはマリィア。
魔導銃にマテリアルを込めると、天井めがけて一気に解き放つ。
弾丸は光の雨となって戦場に降り注ぎ、石畳を打つ衝撃が脚の裏から伝わった。
「当たっている……はずだけれど」
手ごたえを直に感じられないは銃の悪いところか。
希望は少なくとも、悪い方に裏切られる。
「ぐぅっ……!?」
瞬間、ジャックの肩を後ろから真っ赤な刃が貫いていた。
振り返ろうとした瞬間、今度は前から、横から、また後ろから。
結晶の大剣が次々と身体を串刺す。
思わず膝をつくが、意識を手放すわけにはいかない。
歯を食いしばると乱暴にポーションを喉に流し込む。
「ジャック、無事か!?」
「心配すんじゃねぇ! 自分の仕事をしろ!」
リクの声にやせ我慢を返すと、ジャックは震える脚で何とか立ち上がった。
(攻撃が結界に引かれて来たのだけは何となくわかる……ってことは、少なくとも『飛んできてる』ってことだよな)
別に、刺さった状態でいきなり出現してるわけではない。
だとしたら、なぜ『飛んでくるところ』が見えないのか。
「目の前で起こっている以上、ぜってぇ、カラクリがあるはずだ……」
霧の中にジャックを攻撃したらしき影がゆらりと見えて、リクは盾を構えたまま突貫した。
「それでいいのかジャンヌ! それがお前の望む愛なのか……!?」
影が一瞬、たじろいだように揺らめく。
しかし帰って来た声は、思いのほか凛とした力に満ちたものだった。
「私があなたを愛せば、あなたも私に愛をくれる……?」
「何……?」
答えることができず、言葉が詰まる。
するといつか聞いた、彼女の憂鬱のため息がほろりとこぼれた。
「あなたは……私の敵なのね」
次の瞬間、リク目の前に結晶の切っ先があった。
「……くっ」
コンマ寸秒のところで、構えていた盾で受け止める。
同時に、展開されたマテリアル障壁が影を弾き飛ばした。
しかし、次の瞬間には別の剣が脚を切り裂く。
「反応ができないわけじゃない……けど」
ふと、目視で捉えていた影が消えた。
蝋燭の炎が消えるかのように、瞬く間の出来事だった。
直後、ジャンヌの陰があったのはハンター達の陣の中心。
彼女は周囲に無数のマテリアルの短剣を作り出し、全方位に向けて解き放つ。
エアルドフリスがカウンターマジック――『寛解』を試みるが、ギリギリのところで弾かれてしまった。
ハンターらに見えたのはそこまで。
次に状況を理解するのは、身構えた身体に突き刺さった数多の刃による痛覚を伴ってのことだ。
「転移? 因果操作? それとも……なんにせよ、可愛いもんじゃないな」
エアルドフリスは瓦礫の陰に滑り込み、様子を伺う。
霧の中でかすかに見える彼女の表情は、氷のように冷たかった。
その間、イルムがジャックの傷を回復し、ジャックは再び結界を張る。
「動けるかい?」
「見栄はりてぇとこだが、まともに食らえばあと1撃だ」
初撃で意識が飛びかけた。
同じやつなら、次はない。
「さっきの短剣は見境なし……? もう、いやんなっちゃうわね」
全身に薄い傷を無数に走らせるカーミンは、腕を伝う血をぺろりと舐める。
その視線の先にようやく目標の姿を見つけると、細く笑みを浮かべた。
霧の先の影――コレクターは、瓦礫に腰かけ、くつろいだ様子で戦いを眺めているかのようだった。
「お姫様が頑張っているようだけど、あなたは見ているだけなのね、コレクター」
銃撃から手裏剣へと繋ぐ、滑らかな連撃。
突然の来訪に彼は、手のひらを向け銃弾と刃を真っ向から受け止める。
「いやはや、この霧の中では何も見えたものではありませんね」
「歪虚なら効かないのかと思ってたわ」
カーミンは再びマテリアルを身にまとい存在を隠匿する。
代わりに銃声が響き渡り、コレクターはまた手のひらで受け止めようとする。
だが、マテリアルを纏った弾丸はそれを掻い潜り、彼の胴部に深く突き刺さった。
カーミンの存在でアタリをつけたマリィアだった。
「これでお望みの状況なのかしら……?」
霧の中を介した彼女の問いかけに、コレクターはクツクツと笑いで返す。
「んん、どうでしょう……心を動かすというのは、存外に難しいものでありますがゆえ」
「どの口が……!」
放つ弾丸。
コレクターは流石に立ち上がると、ひょいと大きく飛びのいてそれを躱す。
「人の命を弄ぶ……貴方はここで終わりなさい!」
「私もまだ消えたくはありませんので……そのための努力はさせていただきましょう」
彼はそのまま後ろ跳びで濃い霧の中へと紛れていく。
追い縋るようにマリィアは弾丸を放つ。
「私達は仲間を、恋人を愛している。貴方達に世界はあげられないわ」
「――ならあなたが愛するその世界を、私も永久に愛するわ」
すぐ後ろの耳元に濡れそぼった吐息が響いて、マリィアはゾクリと背筋を凍らせながら振り返り、銃口を向ける。
「あなたが……同じように私も愛してくれるのなら」
ジャンヌはふわりと距離を取ると、伏し目がちの視線で彼女に問う。
「ねぇ……私は、愛を謳うことができると思う?」
「……貴女の“あい”が本当に“愛”なら」
「そう……私も願うわ」
彼女の周囲に4本の大剣が現れる。
狙いを定め放たれた刃。
しかしその切っ先はマリィアを貫くことはなかった。
「ぐっ……!」
そこはジャックの結界の中。
指向ベクトルを捻じ曲げられた攻撃は、幾重にも折り重なって、彼の身体を穿っていた。
「ワリィ……ここまでだ」
血に濡れた視界でジャンヌを見上げ、ジャックは意識を手放す。
ジャンヌは彼の元にゆったりと歩み寄ると、動かなくなった身体にそっと手を伸ばした。
「させるかッ!」
リクのデルタレイが解き放たれ、伸ばしたジャンヌの手を撃ち抜く。
彼女は咄嗟に手を胸元に引き寄せて、そのまま霧の中へ溶け込もうと後退った。
だが、隠密状態で回り込んだアルトがジャンヌの背後から刃を振う。
薄いベビードールは鎧の役割を成さず、背中に斜めの太刀傷が浮かぶ。
彼女の剣閃連華は二閃一対。
息をするように二の太刀が放たれるが、刃が裂いたのは虚空の霧だった。
また、消えた。
「ジャンヌ……!」
リアリュールが弓を引きながら霧の中に語り掛ける。
「確かに歪虚が消滅したらどうなってしまうのか、どこへ行くのか……私たちは知らない。だけど、どこへ向かうのだとしても、歪虚である彼らとはきっと同じ場所へ行けるはず……!」
「……かもしれない」
ふっと眼前、目と鼻の先にジャンヌの姿が現れた。
後退りそうになったのを堪えて、リアリュールは真っすぐに彼女を見上げる。
「でも同じくらい、この存在があるうちに……愛を実感したいとも思う」
ジャンヌは、リアリュールの身体を優しく、包み込むように、抱きしめた。
相手の傷口からあふれる液体だろうか。
胸の辺りを生ぬるい感覚が濡らし、重ね合った肌の間でぐちゅりと音を立てる。
不意に、喉が渇いた。
唐突に、心臓がぎゅっと締め付けられるような気がした。
彼女から溢れた赤い蜜にどっぷりと浸かってしまったような息苦しさの中で、感じたのは――孤独。
「……っ!」
はっと意識が戻って、リアリュールはジャンヌの身体を押しのけた。
「そう……あなたも私を愛してくれないのね」
大剣が宙を舞う。
リアリュールは構えていた弓で刃を打ち落とした。
目標を逸れて地面に突き刺さる剣たち。
だが1本だけ抑えきれず、腹部に深々と突き立った。
「くそっ、限界か……」
リクが、リアリュールのもとへ駆けながら叫んだ。
「このタイミング!? うう……でも仕方ないか」
コレクターに追い縋っていたカーミンは心残りを露にしながらも、踵を返す。
が、最後の最後でもう一度だけ彼の方を振り返って言った。
「ここまでやっといて彼女のこと裏切ったら承知しないからね!」
「それはそれは、肝に銘じておきましょう」
コレクターはにこやかに返事をすると、恭しく頭を下げた。
「まだ……あなたたちを愛せていないわ」
ジャンヌの周囲に無数の短剣が生成される。
だがそれらが飛散する前に、結晶でできた刃は粉々に砕け散った。
「やれやれ、今度は効き目があったな」
寛解を唱え終え、エアルドフリスはダメ押しの黒縄縛を唱え始める。
わずかな隙にリクがリアリュールを、イルムがジャックを抱えて、とにかく先に走らせた。
ジャンヌがゆったりとした足取りで、だが転移するように距離を詰め、その背に追い縋る。
時間を稼ぐため、アルトが逆に打って出た。
振りぬかれた法術刀を、ジャンヌは数歩後ろに“現れて”回避する。
返しの刃で飛翔する四大剣が、アルトを捉えた。
アルトは全身にまとったマテリアル――焔舞を回避行動ただ一点に集中させる。
今この瞬間、彼女に見える世界は、そのすべてが止まったようにも見えるほどだった。
だが刃は、この感覚の中でなお、速度を持って襲い掛かった。
咄嗟に身を捻って躱す。
見える。
2撃目も躱す。
ここまでは造作もない。
だが、ここが限度。
この先は、彼女ですらも立ち入ることができない圧倒的な疾さの世界。
集中が解けて、意識する時の歩みが元に戻る。
それと、切っ先が自らの肌に押し当たる感覚とはほぼ同時の事だった。
「うぐっ……」
思わず嗚咽が零れる。
わき腹と脚を深く抉った一撃に、熱く焼けるような痛みが全身を突き抜けた。
ジャンヌは新たな剣を生成し、手を掲げる。
しかし飛来した手裏剣がその頬を掠め飛んで、ジャンヌの意識がふと逸れた。
「アルト、今のうちに!」
遠くで叫ぶカーミンに、アルトが弾かれたように飛びのく。
そのまま謁見室いっぱいにたちこめた赤い霧を抜けて、彼女らは戦場を後にした。
●
「……転移じゃない」
「えっ?」
走りながら止血をするアルト。
食いしばった口元から零れた言葉に、カーミンは眉をひそめる。
「少なくとも……敵の能力は転移じゃない」
その正体に確証はない。
だが、見えた世界に偽りはない。
グズグズと腐食する血濡れの刃を手に、彼女はただ自分が見たものを口にすることで精いっぱいだった。
依頼結果
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サポート一覧
依頼相談掲示板 | |||
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相談卓 ジャック・エルギン(ka1522) 人間(クリムゾンウェスト)|20才|男性|闘狩人(エンフォーサー) |
最終発言 2019/05/12 07:21:24 |
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2019/05/09 21:01:02 |