ゲスト
(ka0000)
【血断】綴られるは誰かの物語
マスター:凪池シリル

- シナリオ形態
- イベント
- 難易度
- 易しい
- オプション
-
- 参加費
1,000
- 参加制限
- -
- 参加人数
- 1~25人
- サポート
- 0~0人
- 報酬
- 無し
- 相談期間
- 5日
- 締切
- 2019/05/15 22:00
- 完成日
- 2019/05/24 06:46
このシナリオは5日間納期が延長されています。
みんなの思い出
思い出設定されたOMC商品がありません。
オープニング
●例文です
「あら、いらっしゃい」
カランとドアベルを鳴らすと、店主が出迎える。バーカウンターの奥から二番目の定位置に座ると、いつもより強めの酒を注文した。
「あらあ。今日は時間つぶしじゃないのかしら? 喧嘩?」
「……そんなんじゃねえよ」
揶揄うような店主の声にシュンはそれだけを答えて呷るようにグラスを傾ける。何かを察したらしい店主は、一先ず静観するように言葉を置いた。
──選択、なんて。
歪虚を倒すか倒さないか。闘うか闘わないか。そんなことで俺が迷う事なんて無い──と、シュンはこれまで思ってきた。
生きる意義を、生まれてきた価値をすべて失ったあの日、生きるために復讐を燃料に焚き上げた黒い炎は幸せを得ても消えてはくれなかった。
「──……君はやっぱり、殲滅を選びたいかい?」
見透かすように、愛するリッキィは聞いてくる。
その質問の口ぶりから、相手は違う選択肢を見ているのだろうと思った。それに応えるべきなのか、今こそこの黒い炎を消すときなのか……そう思って、すぐに出来ない己が居た。
「揺れてくれるのか。今はそれで十分だよ。でも……それなら、お互いギリギリまで考えないか」
そう言われて……まずは一旦、お互い一人で考えようか、という事になったのだ。
悲願の、邪神の討伐。その代償として黒い炎が焼くのがこの身だけならば、どうしようもない奴だと独り死ねたかもしれない。だけど、それが愛する人の生き甲斐を。
(だけでも……ねえのか)
グラスを置くとともに伏せていた顔をふと上げる。グラスを磨く、いつの間にか馴染みになってしまったバーの店主。言われた通り、ここにはよく時間潰しに来た。機導術の研究。その時間だけはシュンすらも侵すことをリッキィは許さない。シュンもそこだけは自分が理解するところだと、リッキィがその殻に籠った時は邪心が沸かぬよう一人町に出ることにしていた。その時間によく使うようになった場所。
食えない店主。巧みな言葉と距離感で、惚気も愚痴も気付けば随分吐かされた。そうしてそれが……危うい己が愛する人を壊すのを防いでくれていたと、思う。
殲滅。その代償に、捧げることになるもの。どこから、どこまで。……ここは、含まれるのか。
「ようシュン! なんだあまたリッキィにおんだされたか!」
別の客が入ってきて、シュンにそう笑いかける。これもいつの間にか顔を覚えた客。見回す。意識する。いつの間にか、二人きりですらなくなった世界。これを、俺は──
リッキィは一人、手慰みに魔導機械の分解整備をしては気持ちを整理していた。
自分にとって選びやすい物は決まっている。機導術は人類を幸せにするために。父からそう教わって自分も当たり前のようにその意識で魔導機械に触れ続けていた。邪神殲滅はあくまで手段であって、その為に世界が滅びるなど本末転倒だ。
ただ、それ以外にちらつくものはあった。エバーグリーンの、そして先の大戦の光景。
自分も回収に加わった兵器たちが、無残に散らばる戦場の光景。
……道具を惜しみ、人が命を失うなどそれこそ本末転倒であると思う。あれらは正しく使われた。極端を承知で言えば論文を書くためにつけペンの先を使い潰すことに想い入れていても仕方あるまい。愛着があったとしても、寂しさよりも感謝がそこにあるべきだ。
オートソルジャー、その他の『狭義の自動兵器』なら、まだ。
ならオートマトンなら?
それから。
戦場に向かうオフィスの転移門で様々な顔を見た。覇気に満ちたもの、青褪めながら己を奮い立たせるもの……何人かに声をかけ、互いに励まし合い、無事を祈り合った──それでも、還らぬ者はあの中に居ただろう。
封印、恭順という選択肢は。それらの死に誠実と言えるだろうか。
(……損切を惜しんで負けがこんでいく考え方ではある……な)
認めてリッキィは苦笑して。また思索にふける。
恭順、新たな世界の可能性と、失敗したら終わりまでの永遠のループか。
……ほんの少しだけ、考える。何千、何万と繰り返しそれでも、私は君を、君は私を選ぶのか、と。
「あら、いらっしゃい」
カランとドアベルを鳴らすと、店主が出迎える。バーカウンターの奥から二番目の定位置に座ると、いつもより強めの酒を注文した。
「あらあ。今日は時間つぶしじゃないのかしら? 喧嘩?」
「……そんなんじゃねえよ」
揶揄うような店主の声にシュンはそれだけを答えて呷るようにグラスを傾ける。何かを察したらしい店主は、一先ず静観するように言葉を置いた。
──選択、なんて。
歪虚を倒すか倒さないか。闘うか闘わないか。そんなことで俺が迷う事なんて無い──と、シュンはこれまで思ってきた。
生きる意義を、生まれてきた価値をすべて失ったあの日、生きるために復讐を燃料に焚き上げた黒い炎は幸せを得ても消えてはくれなかった。
「──……君はやっぱり、殲滅を選びたいかい?」
見透かすように、愛するリッキィは聞いてくる。
その質問の口ぶりから、相手は違う選択肢を見ているのだろうと思った。それに応えるべきなのか、今こそこの黒い炎を消すときなのか……そう思って、すぐに出来ない己が居た。
「揺れてくれるのか。今はそれで十分だよ。でも……それなら、お互いギリギリまで考えないか」
そう言われて……まずは一旦、お互い一人で考えようか、という事になったのだ。
悲願の、邪神の討伐。その代償として黒い炎が焼くのがこの身だけならば、どうしようもない奴だと独り死ねたかもしれない。だけど、それが愛する人の生き甲斐を。
(だけでも……ねえのか)
グラスを置くとともに伏せていた顔をふと上げる。グラスを磨く、いつの間にか馴染みになってしまったバーの店主。言われた通り、ここにはよく時間潰しに来た。機導術の研究。その時間だけはシュンすらも侵すことをリッキィは許さない。シュンもそこだけは自分が理解するところだと、リッキィがその殻に籠った時は邪心が沸かぬよう一人町に出ることにしていた。その時間によく使うようになった場所。
食えない店主。巧みな言葉と距離感で、惚気も愚痴も気付けば随分吐かされた。そうしてそれが……危うい己が愛する人を壊すのを防いでくれていたと、思う。
殲滅。その代償に、捧げることになるもの。どこから、どこまで。……ここは、含まれるのか。
「ようシュン! なんだあまたリッキィにおんだされたか!」
別の客が入ってきて、シュンにそう笑いかける。これもいつの間にか顔を覚えた客。見回す。意識する。いつの間にか、二人きりですらなくなった世界。これを、俺は──
リッキィは一人、手慰みに魔導機械の分解整備をしては気持ちを整理していた。
自分にとって選びやすい物は決まっている。機導術は人類を幸せにするために。父からそう教わって自分も当たり前のようにその意識で魔導機械に触れ続けていた。邪神殲滅はあくまで手段であって、その為に世界が滅びるなど本末転倒だ。
ただ、それ以外にちらつくものはあった。エバーグリーンの、そして先の大戦の光景。
自分も回収に加わった兵器たちが、無残に散らばる戦場の光景。
……道具を惜しみ、人が命を失うなどそれこそ本末転倒であると思う。あれらは正しく使われた。極端を承知で言えば論文を書くためにつけペンの先を使い潰すことに想い入れていても仕方あるまい。愛着があったとしても、寂しさよりも感謝がそこにあるべきだ。
オートソルジャー、その他の『狭義の自動兵器』なら、まだ。
ならオートマトンなら?
それから。
戦場に向かうオフィスの転移門で様々な顔を見た。覇気に満ちたもの、青褪めながら己を奮い立たせるもの……何人かに声をかけ、互いに励まし合い、無事を祈り合った──それでも、還らぬ者はあの中に居ただろう。
封印、恭順という選択肢は。それらの死に誠実と言えるだろうか。
(……損切を惜しんで負けがこんでいく考え方ではある……な)
認めてリッキィは苦笑して。また思索にふける。
恭順、新たな世界の可能性と、失敗したら終わりまでの永遠のループか。
……ほんの少しだけ、考える。何千、何万と繰り返しそれでも、私は君を、君は私を選ぶのか、と。
リプレイ本文
町の中。
ふと通りの風に紛れてほろん、ほろんと流れてきた竪琴の音が流れていく。
誘われるままに足を向ければ、そこにいるのはそう、吟遊詩人。この世界における貴重な物語の、娯楽の運び手。
立ち止まった一人の男が、その足元に置かれた楽器ケースに貨幣を放り、告げる。
「──……英雄の詩を。強大な歪虚に挑みそして打ち勝つ、勇壮な歌はあるか」
「……畏まりました」
請われて、詩人は紡ぎ出す。歪虚と闘う戦士たちの歌を。
それは決して圧倒の物語では無かった。戦士たちは苦しみ、追い詰められ、己の無力に悩み、それでも刃を手に取る。
胸を打つ場面が短くも歌詞と旋律に凝縮され、そして高らかにサビを迎える──嗚呼、戦士たちは諦めず伸ばした剣をついに敵に届かせる!
曲が終わる頃。拍手の音は一つでは無かった。
「──ようこそお集まり下さいました」
集まっていた聴衆に、吟遊詩人──ユメリア(ka7010)は恭しく頭を垂れてその美しい声で挨拶を述べる。
「文字が普遍化されるより昔。人々は永遠を目指して作ったのが言葉でした」
語りながら竪琴が爪弾かれる。曲とは言えぬほどの、穏やかな、緩やかな響き。耳を撫でて、脳を揺らし、言の葉を染み渡らせていく。
「命は有限なれど、その想い、その知恵を言葉にして、その垣根を超えた。そうして人は危険を避け、繁栄の礎を作った。つまり私──吟遊詩人とは皆さま方の為にあります」
一人、強く視線を感じる。初めに英雄の歌を求めた男。その男が求めたのは救いなのだろう。誰もが今の世界に不安を感じている。邪神は倒されるのか。我々は生き延びることが出来るのか。
「遍く残そうとした邪神の行いなど愚に等しい。無理をするから禍根が、禍根が歪虚を生む。根本が間違いなのです」
邪神への否定の言葉を口にした、闘う意志を示したように見える彼女に観客たちの期待の目線は一気に熱を帯びる。
だが。
「皆を守るなどとは言えません。私はそこまで強くない。私もいずれ消える、私は忘れる、忘れられる」
直後に零された言葉は消極的な者。まるで諦めを促すような言葉にも聞こえ、昂った熱気は一斉に失望の溜息と共に霧散していく。
色んな視線がユメリアの元へと集まっていた。
怒りであり、失望であり、縋るような物であり。その全てを受け止めながら、彼女の言葉が紡がれる。
前説は続く。
……今宵紡がれる物語、その為に。
●
「あ……ぐぁっ……」
苦悶の声に視線をやれば、付近で戦っていた兵士が敵に吹き飛ばされるところだった。躯体が地面で一度跳ねて、痙攣する。起き上がらない。
すぐに助けに向かいたいところだが、クラン・クィールス(ka6605)の目の前にもまた別の敵がいた。
「うあああああっ!」
雄たけびを上げて、別の兵士が敵に向かっていく。その兵士もまた、今目の前にいる敵の前に立つには十分な実力、十分な装備とは言えない気がしたが……それでも、下がってろ、とは言えなかった。
決死の兵士が敵の前で時間を稼ぐ、その隙に後方の者たちが射撃を加える。僅かな時間稼ぎ、それだけでも、それが出来る者が一人でもいることがこの戦場には必要だった──たとえ、彼らが帰れないことも見越しての作戦だったと、しても。
踏み込んで、斬りつける。出来ることは目の前の敵を一刻も早く片付けて、可能な限り別の敵を相手取る兵士たちの救援に向かう事だった。構えなおすために距離を取る、その隙を埋めるように後ろから矢が放たれ、敵に突き立った。怯む敵、その瞬間に合わせてマテリアルを込めた一撃をお見舞いする。倒れる敵、見届ける間も惜しみ、先ほど声が聞こえた方を振り向く。
その時敵の前に立っていた兵士は、雄たけびを上げた兵士とはまた変わっていた。血だまりが増える。それを追っていけば、僅か後方で血塗れでふらつく姿。
そして、最初に吹き飛ばされて倒れた兵士は、そのまま、もう完全に動いていなかった……──
「っは……──」
息苦しさとともに、目覚める。寝汗をかいていた。暑くなってきたな……と思うと同時に、それだけのせいじゃないだろうとクランは自覚する。
夢の内容ははっきり覚えていた……そしてそれが、現実の記憶の再現であることも。
(決断……か)
今、犠牲のことを思い出せば、その事を意識せざるを得なかった。
(……恭順は、有り得ない。今更、自分の未来を全て放り投げるなんて。だが……)
脳裏をよぎる光景。戦いの中で倒れゆく兵士たち。終えた後、転がる死体。その青褪めた死に顔も、はっきりと。
……戦いになれば犠牲がでる。そんなのは当然の事だった。
殲滅か封印か。どちらにしても、失う命は多大にはなっても少ないと言える数にはならないだろう。
──……何人が死ぬ?
──……それでも兵士たち、ハンターとなった者たちはその覚悟があるとして、民間人まで容赦なく巻き込めるか?
クランはそこで一度ゆっくりとかぶりを振った。
「……俺にとっての理想はなんだ。望む世界は?」
まだ朝日が昇るにも早い寝室。暗い部屋で独り、あえて口から零す。
余分な思考を振り落として、大事なところから順番に見定める。
迷うことなく、答えはすぐに浮かび上がってきた。
考えるまでもない。恋した少女と、肩を並べる相棒と、優しき友人と……親しき隣人達と共に、平和に在れる世界だ。
浮かぶ一つ一つの顔。それらの顔はこうして一人で居ても鮮やかにくっきりと浮かんでくる。愛しさがこみ上げる。名も知らぬ誰かの死に顔は、そうしてぼやけていって。
(なら……そこへ辿り着くまで、俺は幾つの“見知らぬ顔”を捨てていく?)
それでも、輪郭だけになったそれは完全に居なくなってはくれなかった。
どうしてだ。
こんな奴じゃ……無かったはずだ。自分は。
赤の他人の幸福まで考えられる程、お人好しじゃあない。
「……前はもっと、利己的だった筈だが。……悲しめばいいのやら、な」
また、呟く。
浮かぶ幾つもの顔。明瞭な顔、ぼやけた顔。その狭間を、選択肢がぐるぐると巡る。
●
『……こちらβ、未知であった敵能力により大きく損害を受けた! このままでは持たない!』
連絡を受け、初月 賢四郎(ka1046)は思考を俯瞰させ即座に状況を分析する。連絡のあった分隊の位置、現在のこちらの戦力、眼前の状況──。
目の前の景色が緩慢になっていく。思考を加速させた結果世界が相対して遅くなる錯覚。返事までに要した時間は現実時間としては短く、体感としては永かった。
「──で、あとどれくらいですか」
援軍を向かわせることは出来ない。後処理に必要な事実を寄こせ。それが彼の返答。
『……』
溜息が返ってくる。沈痛のそれであり、納得のそれでもあった。
そして続いて返答があった。壊滅までの予想時刻……そして、そこまで気張れば何とかしてくれると信じていいかと。
「理解した。……必ず報いる」
賢四郎が応答して、そうして。
『いいか! 俺が突撃して動きを封じる! その間に少しでも手傷を負わせて時間を稼げ!』
味方に知らせるというより己を奮い立たせるような叫び──それが、賢四郎が聞いた彼の最期の言葉だった。
──……件の分隊が壊滅するまでに眼前の戦力を弱体化させていた彼らは、共にこれを迎撃することに成功する。
水音で我に返った。
自分が手にするグラス、その横に置かれたチェイサーに水が足される音。
……まだ半分くらいは水が残っていたと思ったが。
バーテンダーの意図を察して、賢四郎は強い酒の入ったグラスから手を放して一口水を含む。
「……重荷なら投げ捨てたっていいんじゃないかって、私は思いますがね。外野は文句を言うでしょうが、所詮は外野ですよ」
バーテンダーが静かに切り出した。ハンターたちが迫られている『選択』について、リゼリオではすでに耳聡いものは聞きつけている。
放棄……か。それも確かに、一つの意思表明ではあるだろう。それを一瞬思い浮かべてみて、そして賢四郎は一笑した。
「まこと不本意ではあるが逃れられぬなら楽しむより他は無い。既にチップは卓で鐘も鳴った。──……後は何処に玉が落ちるか見届けるだけだ」
どのみち投票結果に沿って動くことは確定なのだ。
……何より、これまでに払った犠牲がある。傷めた懐が自分のものだけではないのに、後には引けぬと締め切られて結果を見ずにテーブルを立つわけにもいくまい。
結果。はて、どうなるか。自分なら封印か討伐……心情的には討伐寄りではあるか。再び酒を煽り、しかしまだ酔いきれぬ頭で冷静に賢四郎は己を分析する。
グラスを持ち上げたその下、コップの底がコースターに残したその紋様を何となく見ていた。
「人の想いは理解できてもその重さは実感できない、そんな自分だから、人が描く紋様を見てみたくなるのかね……」
賢四郎の言葉に、バーテンダーは肩を竦めた。重さが実感できない、そんな人間がそんな呑み方をしますかね、と。
苦笑する。認めるよりあるまい。
「らしくないか……今日は帰るよ」
そう言って、賢四郎は飲み代を置き席を立つ。
扉を開けるなり、夜気が酔った体を撫でていく。
「らしくない……か」
もう一度呟いて、賢四郎は帰路を歩み始めた。
●
「虐殺と殲滅ってぇ、語呂が似てると思いますぅ、あはは~」
喧騒の酒場。多少騒いだところで多くの者たちの重なり合う声で掻き消されそうなそんな空気の中で、星野 ハナ(ka5852)の発言の物騒さはそれでも聞き逃されるものではなかった。
完全に酔っぱらった体で見知らぬ中年と肩を組み、ジョッキをゴンゴンぶつけてエールを飲む、飲みっぷりに感心していた中年男は、彼女の発した単語に若干引いたようで、少し良いの冷めた顔で彼女の顔をまじまじと見つめてきた。
あちゃあ、少し踏み外しかけたかと、彼女は内心で反省する。
──傲慢の歪虚より傲慢だなんて、自分が一番知っている。
だから死んだ傍から歪虚にならないよう、こうやって人間領域を拡げようともして交流を図るわけだが……気を抜くとこの調子だ。
「ちょっと酔い覚まししますぅ」
代金を払って外に出て。
ふらり、ふらり。あからさまに覚束ない足取りで街を彷徨い歩く。
何処へ向かっているのかと不安になるようなザマなのは、足取り、よりも思考なのかもしれない。
人を幸せにしたいと、思う。
だが、見て来た歪虚の中には相手を幸せにするために殺す者も居た。
紙一重の差──だが、大きな差。
その差を踏み越えないためにも、主観は他人に委ねるのが分かりやすいのだろう。先ほど見た中年の反応のように。
彷徨う。
店の明かりがまだ灯る界隈から離れて、暗い方へ。
誘われるように、その足取りは暗がりへと向かっていく。
そうして。
「──……あれ」
人気の失せたその場所で、ハナはふと残念そうな声を上げた。
こんな夜道に、明らかに酔いの深い女が一人。
何処からの地点からはっきりと感じていた気配が、しかし遠ざかって行ってしまった──……もっと早くに襲ってくると思って、こんなところまで来てしまったというのに。
あからさまに美味しすぎる状況に、逆に不審がられたのか。期待以上に仕事のできる盗賊だったのかもしれない。たとえば、自分を捕えかねないハンターの動向には常に気を使っているような。……だとすれば、守護者であるハナの存在を知っていたのかもしれない。
そこまで有能な盗賊なら、逆に追っていってこちらから仕掛けるべきか……──?
ふとそんな想像を広げてみる。追いすがり全力で挑みかかる。彼女が望むような殺し合い──にはならないだろう。ハナの力なら盗賊にしかなれなかった者などでは一方的な殺戮にしかなるまい。複数の死体を転がして、自分は傷一つ負わず立つ、頼りない月明かりのみに照らされる己の姿……。
妄想をやめて、息を一つ。
強化人間の暴走騒ぎの際に特によく耳にしたが、ハンターズ・ソサエティは積極的な殺害を推奨しない。堕落者や契約者ならばともかく、あくまで人間であれば犯罪者であっても生死問わずの形で依頼は出ない。無論、ハンターが身を守るため、または被害者を守るためなど必要な状況に陥り犯罪者などを殺害「してしまった」場合には不問だが。
現場を抑えたわけでもなく、こちらから仕掛けに行って人間を殺した、等となれば逆にこちらが犯罪者になりかねない。
完全に酔いが醒めたという心地で、彼女は引き返していった。
境界を歩む者の、交わらない夜の道を。
●
転移して降り立った、エバーグリーンの風は今日も乾いている。
滅びを運び、埃を積もらせる、それだけの風だ。
その中に柔らかな息吹が、生命を感じる新緑の香りが混じってこないかと、在りもしない幻想を探して縋る──そんなことすら、もうしなくなったのは、何時からだったか。
「さあ参りましょう。戦場へ。あなたの役割を、生み出された意味を果たすべき場所へ」
眠るオートマトンに優しく呼びかけて、その頬を撫でて、フィロ(ka6966)はそこに召喚マーカーを張り付ける。
メイドらしい、折り目正しい姿勢で立ち、エプロンの上で両手を揃えて、クリムゾンウェストに召喚されていくその消える瞬間までをしっかりと見送る。
それを終えると、次の場所へ。まだ探索されていない場所は何処か、オートマトンが収容されていそうな場所は何処か……すっかり要領を得た。
また新たな一体を見つける。彼女は同じように微笑みかけて、その頬に手を伸ばして。
──……眠るオートマトンの顔が、ぐしゃりと潰れた。
ごそりとボディが剥げる。中身がむき出しになり、循環液が漏れだしていく。金属が捻じ切れて外れ、傍に投げ出される腕。
「あ、あ、ああああああ……っ!」
漏れ出る呻きの大きさに、我に返った。はっと眼前を見なおせば、眠るオートマトンは綺麗なままでそこに居た。
そう、それは幻。
リアルな幻──先日、すべてが終わった戦場で目の当たりにした。『見事務めを果たした』仲間の姿が重なってしまっただけ。
嗚呼……こんなものを見るなんて。
他者を愛して友情を感じて
それが同じように返ってきたから
私は間違えたのだ
哀しい
哀しい哀しい
眼前のオートマトンを見下ろす。一度目を閉じる。自己メンテナンスが必要だ。思考のノイズは排除せねばならない。エラー。修正を。
目を開ける。『新しい仲間』を撫でて、呼びかけて、マーカーを張る。
繰り返す。私はその任務を、役割を負って。自ら依頼を引き受けて、ここに来たのだ。
大精霊に誓った
今度こそ世界を守ると
全ての人に失うことのない世界を贈ると
私の守るべき世界に
守るべき者に
──私の仲間は入っていなかったのだ
一度顔を上げる。
振り返り、陽の傾きを確認する。
今回の任務に割り当てられた時間がどれほど残っているのか、時計を見ればそれでいい、でも何となくそうしてしまったそれだけの仕草。
でもそうすることで意識する。
何もしなくても日は上るということ。
そして、何もしなければ三界が滅ぶということ。
だけど。
私達の造物主よ
何故貴方方は
私達が人を愛し慈しむように
仲間を悼むと想像して下さらなかったのですか
「さあ参りましょう。戦場へ。あなたの役割を、生み出された意味を果たすべき場所へ」
仲間を連れていく。
このままならどうせ眠り朽ちていくだけの仲間を、必要とされる場所へ。
諦めよう
生きることを
死ぬことを
想うことを
私達は
行使されるもの
破壊されるもの
全てをプログラムされただけのもの
私達は
自動人形
●
「よおぅ!」
扉を開けて顔を見せた東條 奏多(ka6425)に、カウンターに居た一人が陽気な声を上げた。
奏多もそれに、慣れた様子でああ、と軽く手を挙げて挨拶する。
ハンターの仕事の帰りに寄ったのは、偶に立ち寄る小さな酒場だった。
偶に、のはずなのに……そこにはいつも、この店だけで会う友人たちがいる。
「聞けよ奏多! 今夜はこいつの奢りだぞ!」
「おお?」
「調子乗んなっての! 一杯だぞ! 一杯!」
笑い転げながら肩を組んでいる二人組の、一人は確かに今日は羽振りがよさそうな印象を受けた。
「ほう。そいつは」
奏多はにやりと笑う。何があった──とは、聞かない。特別な何かがあったという以前に、彼らが普段何をして稼いでいるのかなど、全く知らないのだ。……そういう関係だった。
「さて、店主。こういう時のとっておきの一杯と言ったら、どんなのが出てくるんだ?」
席に着き試すように奏多が言うと、「悪い人ですねえ」と言いながら店主もとびきりの「悪い笑顔」を浮かべて、明らかに秘蔵の、と言った手つきで奥の方から酒瓶を手にやってくる。
「お前らなあ! 加減ってもんを知らねえのか!」
奢るといった男が、悲鳴のような声を上げた。そしてその場の全員で、馬鹿みたいに笑い声を上げた。
上等な琥珀が注がれたグラスを手元に寄せる。香りを堪能し、舌の上で転がすように一口──成程いい酒だ。いい酒だぞと、文句たらたらの目でこちらを見つめる男に目一杯の感謝を込めてグラスを掲げて見せる。
度数は結構強いようだ。だがそれが良い。今この時間、この場所では酔っぱらうに限る。
……余計なことは、聞かなくていい。彼らだって、奏多が何を生業としているとは知らない。聞かれたことはないのだから。
それでも、こういう時は無駄に思う尖ってしまった神経が、彼らの素性が何なのか、その物腰、偶然見えた持ち物などから探り当ててしまうかもしれない。
──要らないのだ、そんな情報は。
互いに名前しか知らない、薄い関係で良い。
だからこそ、なにも考えず、気楽に、笑って騒げるんだろう。
店主がカウンターを離れ表に行き、ドアに「Closed」の札をかける。
「早くねえか?」
店内にはまだ奏多たちがいる。残る客の一人が声をかけると、店主はいいんだよと言いながら酒瓶を手に、彼らの傍のテーブルに陣取った。
……小さな酒場。完全に個人裁量で適当に経営しているような。
お前らが居るから面倒くさくなってもういいかと思って閉めた。そんなところなのだろう。
この店では良くあることだ。最初に声を上げた男だって、多分分かっていて言った──要は、『夜はこれからだ』の始まりの合図。
──……いつものような馬鹿騒ぎは、そうして、いつものように朝まで続いた。
差し込む朝日の眩しさに痛みを感じながら、奏多は瞼をこじ開ける。
酒の残った気怠い身体をどうにか起こしてあたりを見回せば、同じように床に転がる面々たち。
それらを眺めながら、しみじみと思った。
──ああ結局、戦う理由ってのはこんなに単純に出てくるものなんだな。
ありふれてる? 特別じゃない? それだけ多くの人が望んでるんだろう?
だからこそ、それを守るために戦うのが俺達だろう?
今の彼には力というものがある。
それが俺の決めた俺の道だからと、戦う事をはっきりと決意できる。
これを。こんな時間を、人たちを守るために。
──……選ぶべき選択、とは、どれなのか。
●
カラン、と、ドアベルの音。
木のテーブルに差し込む陽光。内装の暖かみ。紅茶やコーヒーの香り。客の雰囲気。
「最近、依頼にずっと入っていたので少し久しぶりですが、変わってないですね……」
暇なときは来るようにしている、近所の喫茶店。その店内に踏み入れて、サクラ・エルフリード(ka2598)はぽつりと呟いた。
そうそう変わるわけがない。そんな数か月、数年単位で久々に顔を出したってわけじゃないのだから。それでもそんな風に感じてしまったのは……つまり、そんな景色をやたらと遠く感じてしまったからなのか。
(本当、依頼続きで少し疲れているん……でしょうね)
ただ単純な疲労というだけでなく、心労もあるかもしれない。過りそうな思考を丁度遮るように、店主がメニューを聞きに来てくれた。
「いつものメニューお願い出来ますか……」
つい、語尾がどこか気弱になっただろうか。そんなサクラに気付かずか、あるいは気付いてなお、そのままにしてくれたのか。
「はいはい。そうだと思った」
店主は明るく答えて確認もせずに手元の伝票に注文を書き記す。
出てきたのは紅茶とチーズケーキ。彼女の想定と寸分違いの無い。
変わりのない「いつもの」メニュー。
……変わらない。ここにいつも彼女がいる場所だという事も、まだ変わっていない。本当、別に、大した時間長く来なかったわけでも、無いのだ。
テーブルの上に手を組んで置いて、目を閉じて、ゆっくりと深呼吸。紅茶の香りに、心安らげて。
チーズケーキを一口。これも変わらぬ味。美味しいからこそいつも頼む、いつもの味。
当たり前すぎることをしみじみと味わって、そうして彼女はゆっくりと過ごすためにと持って来た本を取り出した。
お茶とケーキを楽しみながら読書をして過ごす。これもまた、この場所における彼女のいつもの在り方。
……特に隠しもしない、その本の表紙が『ビキニアーマー全集』だとか、明らかに豊胸の本だと分かるものだったりもするのだが、それを店主が指摘してきたことは一度も無く、毎回見ぬ振りをされる。
「少し久しぶりですね」
一度本を置いた瞬間、丁度水を注ぎに来た店員が話しかけていた。
「ええ……少し忙しかったものですから……」
「忙しい……そう、そうですよね。ハンターの方々は今、そうですよね……」
せめて今くらいはどうぞ、遠慮せずゆっくりしていってくださいね。店員はそう言って、彼女のテーブルから離れていく。
その背中、そしてかけられた声の調子から、この店員もまた、今の情勢に不安を感じているのだと微かに感じ取れた気がした。
また本に手を伸ばしかけて……止まる。注文を取りに来られた時に掻き消えた思考がまた浮かび上がる。
「こういうゆったりとした時間は貴重です……。ずっと変わらないでいてくれるといいのですが……。……それは私達の選択次第、なんでしょうかね……」
選択次第では。
この場所に歪虚が押し寄せる。
あるいは、新たに生まれる宇宙では、この場所が全く別のものになったりも、するんだろうか。
一瞬、幻視する。
誰も居なくなり、無残に壊され、崩れるこの場所の景色……──。
違う店の、違うケーキを、何も疑問に思わずに食べている私……──。
チーズケーキを口に入れた。いつもの味がした。『いつも』。何気ないこんな単語が、ひどく尊いものに思えた。
●
「雨が降るかしらねえ?」
「あらどうして? 最近はいいお天気続きだけど」
「頭痛がするんですよ。大体こんな頭痛がするときは翌日雨なんです。いやあね」
「あらやだ。じゃあ今日はお洗濯はさぼれないわね。……今日は特に膝が痛いのだけど。早めに戻れるかしらねえ」
おしゃべりが賑やかな一角。通りがかった玲瓏(ka7114)に、先生まだかしら、と興じていた年かさの女性の一人が尋ねると、玲瓏は手元の資料を確認して、これからあと三番目ですね、と答えた。女性はそう、と納得して、またおしゃべりに戻る。
(こういうのは、どこもあまり変わらないのでしょうかね)
診療所の待合室。白を中心とした空間。
別の場所に目をやれば、ぐったりとした男児を抱き寄せる母親の姿があった。困惑と寂しさが見て取れるのは、普段はやんちゃなくらい元気な子だからだろうか。
隅に居る男性は、仕事の予定でもあるのだろうか、ちらちらと時計を見ている。体調が悪い時くらい余計なことは忘れて回復に専念して欲しい……とこちらとしては願うばかりなのだが。
変わらない光景だ──リアルブルーと、さほど。
かつては研修医だった。こちらに転移してから出会った東方の文化に惹かれ、この診療所で手伝いをするようになったが、こうしてみる、変わらぬ光景にふと、思い出すことはよくある。
──似た景色が連れてくる、懐かしい香り。
離れた家族や友人、受け持っていた、闘病中の患者たち。
ありありと思い出す。記憶の中で蘇る会話、行動。生き生きと動く彼らが……想像の中で、凍り付くように動きを止めた。
……リアルブルーは凍結されてしまった。でも、彼女の時は止まらない。
「──火傷ね。じゃあ、軟膏を塗っておこうか。玲瓏さん、処置をお願い」
「はい」
先生に呼ばれ、処置のための部屋に入る。差し出された患者の腕に、極力痛まぬよう気を付けて薬を塗り、患部の負担が少しでも減るようにと意識して布を当て、巻いていく。
しかつめらしい顔でそれを見つめるのは、職人と思しき男だった。この傷が引く前は、どうしてもその腕前に支障は出るのだろう。その顔に、彼女の変わらぬ想い、その意味がある。
──何の為に人を癒すか。
その人らしくあるために、力を十分に発揮できるように。
体を心を癒し調えて、生命の灯を輝かせるために。
……偶然が重なってこの世界に来て、帰れないと分かったときは、受け入れる他の選択はなかった。
帰れるかもしれないという話を聞いてハンターになり、その道のりで東方に辿り着き、今、こうしている。
懐かしい香りを運んでくる、変わらぬ人たち。
それらに診療所の助手として向かい合う、彼女の意志は、一体どんな選択へと向かわせていくのだろうか。
●
挨拶の言葉は色々ある。時間によって、相手によってそれは変わるものだろう。
鞍馬 真(ka5819)がその相手に掛ける言葉は、時に「こんばんは」であったり、「お世話様です」であったりと変化していて。
そうして、
「またお前か」
その相手から返ってくる言葉は、何時しかほぼそれに固定されていた。
名前は知らない。聞いたら怒られそうな雰囲気があるので聞けないままそうなっている──こっちはお前と馴染みになるつもりなんざ無い、と。
「すみません。またお世話になります、先生」
だから、未だ呼び方は『先生』
「今日は比較的マシみたいだな……なんて言ってやるとでも思ったか」
いかにも不良中年、という風貌のその男はその見た目に相応しく真に毒づいて見せた。
リゼリオにある医務室の医者。誰かを護るためには一切の躊躇なくその身を差し出しゆえにしょっちゅう怪我して帰ってくる真にとってはすっかり顔を覚えた間柄。
重傷じゃない、なんて褒められる話な訳がなく、流れる血に布を当て、擦過傷に薬を塗るその間、今日も『先生』は律義に真に文句を垂れ流し続けていた。
その言葉が途切れた頃──
「先生。私ね、人を癒せるようになったんだよ」
どこか、いつもよりいい点数をとったテストを見せびらかす子供のような心地になって、真はポツリと切り出した。
同時にいくつかの言葉がよぎっていく。依頼人からの称賛の言葉。同行するハンターからの期待の声。ガーディアンウェポンへと向けられる畏敬の念。素晴らしい。素晴らしい。素晴らしい。君は素晴らしい人だ……──
そんな過大な──真の主観に於いて──評価を乗せられるたびに、なんだか肩がこる心地になる。私はそんな大した人間じゃない、と。
意識を『先生』に戻す。渋面がますます顰められていた──もしかして「あんたそんな点数で自慢になると思ってるの」と言いたい母親がこんな顔してるだろうか。
「そうか。自分を大切にできないお前が人を癒すなんて、まだ早いな」
「はは、先生は相変わらず厳しいなあ……」
一撃でたたっ切ってくる言葉に、真はむしろ酷く安心を感じていた。
駄目な自分。
怪我ばかりして、失敗ばかりして。
数少ない、そんな自分を、真っ向から怒ってくれる人。
守護者でなく。高名なハンターでなく。自分が認識する「鞍馬 真」がちゃんとここに居ると思わせてくれる人。
「ありがとうございました」
そうして、必要な時間を終えて、何パターンかある別れの挨拶を真が口にすると。
「もう二度と来るなよ」
毎度変わらなくなった挨拶を『先生』が返した。
……そうして、医務室を出る。
いつもはしないが、今日は何故か振り返った。
その存在を意識する者は少ない、それでも真にとってはかけがえのない人が居る場所。
選択が、迫る。
その結果次第で、もしかして、
あの人は。この、場所は……──
●
……暗い店内からは、外の様子がよく見えた。
間接照明に照らされた内装、薄ぼんやりと浮かぶ優しい木目が心を落ち着かせてくれる。そんな店の雰囲気に合わせて、客は皆静かに酒を傾け、そしてときにポツリ、ポツリと店主と言葉を交わす。
そんなバーに、神代 誠一(ka2086)は居た。
カウンターで、グラスを片手に一人ぼんやりと。頬杖をつけば、そのまま顔が傾くその先にある窓の景色を何とはなしに見ている。
街灯に照らされる夜の道を、人々が行き交っていく。窓一枚、壁一枚隔てて明暗の分かれる中と外──どこか遠い世界を見ている心地がする。
「今日はお薦めしたい酒があるんですよ」
ふいに店主が話しかけてきたのは、丁度今手にしたグラスが空になろうとしていた頃だった。言いながら店主が手にするボトルは重厚感があり、詳しくは分からないが強そうだな、と思った。
「……じゃあそれを」
微笑んで、誠一は空にしたグラスを掲げる。店主がそれを受け取って下げると、新たなグラスにロックで注がれた酒が出される。
試すように、一口含む──嗚呼、強い。舌に乗せた瞬間に強いアルコールを、古酒の風味をしっかりと感じ、それでいて残る後味は甘かった。
酩酊するものを飲んでいる。その事を意識しながら、一口一口味わう酒……今日の、お薦め、か。
──そんな風に飲みたいことも有りますよね。
言われた気がして、苦笑が漏れた。
慰められるままに酔いに意識を浸していけば、広がるのは過去の景色。
──そう。思い出すのは景観の美しい思い出の丘。
この世界に転移して初めて好きになったのは自然豊かな景色。
「こんな景色が見れるなら、この世界の為に働くのも悪くないと。そう思ったんです」
気付けば誠一もまた、ポツポツと店主に向けて語りかけていた。
その場所は、観光名所でもなんでもない、でも自分にとっては特別な――
「……もうその丘も無くなってしまったけど」
そう漏らした言葉には、はっきりと寂しさが篭っていた。
始めた話題が区切りを迎えれば、空いた思考に入ってきたのは避けられない選択のこと。
──選ぶなら?
その選択の一つ一つを検討してみる。
中と外、遠い景色が本当に届かない向こう側へ行ってしまうことを。
この店が廃墟となり崩れ落ち、ただ一つ残ったこの席に一人座っていることを。
あるいは。
「ねえマスター。俺が今日この時間こうやって貴方と話すのはこれで50回目なんですよ」
そんなことにも、なるんだろうか。
「……ええ? そんなには来店されてないでしょう」
急に訳が分からないという顔で応える店主。
分からないだろう、そういう意味じゃない。誠一だけが分かるのだ──今は冗談だが。……冗談だよな?
少しゾッとしながら、それぞれの選択について新ためて考えた結果の己を振り返り。そして。
「自分の中での答えはもう決まってるんです」
分かりきっているように、そう言った。
──迷ってたら戦えないでしょう?
言ってまたグラスに手をかけて、指先がその縁に触れた。そのまま滑らせるように、ぐるりと一周、辿らせる。なぞるのは巡る思考だった。
(本当に決めなくてはいけないのは自分の心の在処)
ピタリ。指先が止まる。
そのまま迷う想いを振り切るように、一息、残る酒を飲み干して。
酒が回るのを感じながら、誠一はその勢いも借りて席を立った。
●
年代を感じさせる木の手すりに軽く手を起きながら、三段ほど降りて、そこで足を止める。
客室から一階に降りてくる、緩やかなカーブを描く宿屋の階段。見下ろせば、今日も丁寧に仕事をする女将の姿が見える。
カウンターを拭くその姿を何とはなしに見つめる、癖。だけどメアリ・ロイド(ka6633)はこの動作が視線が、今日は惰性ではなく意識してのものだと自覚していた。
この宿屋に世話になって随分経つ。女将は夫と娘を亡くしていて、その時幼かった娘に良く似ていると可愛がってくれた。
掃除を進める女将を眺めながら、ぐるぐると選択への思考が巡る。
戦えば戦乱が──でも、でも恭順でこの人達が永遠の無間地獄を味わうのも嫌だ。
「……いつまでそこに突っ立ってるんだい」
苦笑する声にはっと我に返った。少し呆れた顔で女将がメアリを見上げている。
「随分ぼんやりしてどうしたんだい、ほら、こっちおいで」
優しい声に、何処か躊躇う心地も覚えながら、でも確かにずっとここに立ってても邪魔だと、ゆっくり、階段を降りていく。
食堂の床に足が着くと、そこまで来ていた女将にポン、と頭を撫でられた。
払うことは出来なくて。でもどうしたらいいか分からなくて、ただ立ち尽くして、女将を見る。
「そんなに見つめられたら顔に穴が空いちまうよ」
女将はそう言ってメアリの頭から手を離した。……温もりが、離れていく。重症だねえと言いたげな表情で、女将が腰に手を当ててメアリを一瞥すると、くるりと身を翻した。
「メアリちゃん、少し散歩とかどうだい?」
そうして首だけで振り返り、肩越しに誘いの言葉をかけてくる。
「……はい」
短くそれだけ答えて、出ていく女将についていく。
慣れた街並みを二人、暫し、会話も無く歩いた。
その間、幾つもの人たちとすれ違う。普段は気にもしない、すれ違うだけの人、人、人。
こうして時折散歩するその時は、女将だけ意識していたそれでもぶつかることなど無かったこの街並みに、意識するとこんなにもたくさんの人が居る。
ぐるり、回って。宿があった場所へと戻る……手前で女将は進路を変える。
行先はすぐにメアリにもピンときた。宿の近くで、この時間、二人で散歩して向かう場所。
カラン、とドアベルを鳴らして、その店に入って。
「はぁいいらっしゃあい……ってあら、お二人さん」
やっぱり馴染みの、酒場兼料理屋。入るなり猫撫での明るい声で出迎えてくれるのは店主のオネエさんだ──ガタイの良い、マッチョな。
女将とも顔馴染みな店主は嬉しそうに二人を出迎えて……しかしふと真顔になって、暫しメアリの表情を見据える。
「……ふぅん」
何かを察するような呟き。乏しい表情からもこの二人には見通されるのは、もう驚かない。そういう人たちで……そういう時間を、重ねてきた。
「待っててね」
だけど店主はそれだけ言って、さっと厨房に引っ込んでいく。微かに聞こえてくる料理の音。座って程なくして、温かい手料理が並べられていく。
「あんたただでさえ頼りない見た目なんだから、しっかり食べなさいよ」
「そうそう。何をするにもまず身体が資本!」
「流石に多すぎ……でもまあ、とりあえず、いただきます」
二人に促されて、多い、と思いながらも少しずつ手を付けていく。
ああ、素敵な二人。こんな二人が居るから、私は……──
「ちょ、ちょっとぉ、本当どうしたの! 苦手な味だった!?」
焦る店主に、食べながら涙がこぼれていることに気がついた。
どうしよう。
どうしよう。
戦うとしても守り抜く──思うのは簡単だけど、どこかで分かっていた。邪神との全面戦争となれば、守りに割く戦力などきっと無いんだろうと。
狼狽える二人の前で、メアリはしばらく泣くしかなかった。
●
風の匂い。
踏みしめる感触。
街道を行き遠くから見えていた建物の景色が、段々とはっきりしていく。
そのどれもが、百鬼 一夏(ka7308)に、自分がこれから向かう先をまざまざと実感させていくものだった。
向かう足は早足に、次第に駆ける程になって。
何も変わらない景色、間違えようがない道、目的地まで最後の一つの角をぐるりと回り、到着と共に、宣言。
「お母さんお父さんただいまー!」
──……大きな戦いの前に故郷に帰ってみようと思い立った。
ドアを開ければ、久々の家はやっぱり変わらなくて、お帰りなさい、と母が……それから、父が顔を出す。
「お父さんわざわざお仕事の休みとったの?」
予め、今日買えるとは連絡しておいたけれど。
一夏が言うと、父は照れくさそうに笑った。
揶揄うように笑いながら、でも嫌な訳がない。笑い合っていると母が、今日は好物沢山作るからね、と台所に引っ込んでいった。
一人娘に甘いお母さんもお父さんも相変わらず──そう、そんなところもここは何も変わらなくて、こうして急に帰ってきても、自分を出迎えてくれる。
調理の音と流れてくる匂い。メニューを想像して──好物なんだからすぐに予想は付く──出来上がるのを待つ間、テーブルで父と話す。
「やだなー私なんてまだまだだから! あのね、もっとすっごい先輩が居てね!」
ハンターとしての暮らしはどうなんだ、さぞかし活躍してるんだろう、促されるままに一夏が話す、その話の先で、親が浮かべているのは自慢では無く安堵の笑顔だった。どうか、どうか、元気でやっていて欲しい。そんな風に願ってきた日々を感じさせるような。
「わ、本当に私の好物ばっかり! 凄い!」
やがてテーブルへと並べられた料理に、一夏は歓声を上げる。正面に座った母が、嬉しそうに目を細めて。
「いただきまーす!」
そんな母の視線を感じながら、元気よく挨拶をして、料理に手を付ける。
ああ美味しい。
お母さんのご飯は美味しい。
……たとえ、悩みがあったって。
殲滅か封印か……。
気付けば、食べる手は止めずに考え始めていた。
殲滅を選んだらまたこの場所が戦場になる?
どれだけの町が、人が、犠牲になっちゃう?
殲滅がうまくいったって守りたい人が1人もいなくなっちゃったら意味がないんじゃない?
……彼女の悩みは決して大袈裟などではない。
殲滅となれば邪神を倒すために全戦力を結集しなければならないだろう。……その間に襲われる町はどうなるのか。
多くの街が攻め落とされて。沢山人々が倒れていると知りながら、前線からはどうにもならず、ただ早くこの邪神を倒さねばと闘う……そんな戦いを、耐え抜けるだろうか。
じゃあ封印?
いつ解けるか分からない封印を前におびえながら過ごす?
ここに来るまでに、沢山の人たちとすれ違った。おかえりと、何人もの人が声をかけてくれた。
そうして彼らが笑っていられるのは、まだ希望があるからだろうか。きっとまだハンターたちが何とかしてくれる……と。
精霊の力が感じられなくなる世界で。いつかは封印が解けると知ったら、彼らはどんな顔をして過ごすんだろう。
考える。
悶々と考える。
両親たちは何も言わなくなった一夏をただ優しい目で見つめていて。
そうして、考えながらでもご飯は美味しかった。
暖かい場所。
美味しいご飯。
──……ただこの美味しいご飯をまた食べれる世界であってほしい。
それには……何を選べばいいの?
●
──……積み重なる、綴られていく、物語たち。今も世界で、無数に。
「皆を守るなどとは言えません。私はそこまで強くない。私もいずれ消える、私は忘れる、忘れられる」
ユメリアの言葉に、聴衆は様々な反応を返す。
いろんな顔がそこにあった。老若男女。強き意志を持って彼女に視線を送るもの。狼狽えて乞うような視線を送るもの。
クリムゾンウェスト。リアルブルー。それら。
彼ら、一つ一つの顔をしっかりと見つめる。
彼女の言葉の通り、このままであればここの皆を守るなど安易に言える状況ではないのだ。
選択次第では、ここに居るものの多くが死に絶えるのだろう。
選択次第では、ここに居る者の何割かと会うことはもう出来なくなるのだろう。
選択次第では、出口の分からぬ仮初めの繰り返しの中にこの者たちを閉じ込めるのだろう。
どれを選ぶのか。
選ばれるのか。
それとも……──別の道が?
「だけど誰かにバトンをつなぐことで、大切な輝きは永遠となる。だから今ここにいる皆さまとのご縁と、この瞬間を大切にしたいのです」
それでも彼女は今は歌う。だからこそこの縁を繋ぐことが必要なのだと信じて。
「さて、どうぞ一曲、お聴きください」
爪弾かれる音はそして旋律となる。
新たな歌が始まる。
選択の時が迫る。
何を選ぶのか。
描かれる事はなくとも世界に無数に存在する誰か。選択の結果に否応なしに巻き込まれる彼ら。
そんな彼らを見つめて、見えて来た物はあるだろうか。あなたが決めるべき覚悟。そこからの決断が。
ふと通りの風に紛れてほろん、ほろんと流れてきた竪琴の音が流れていく。
誘われるままに足を向ければ、そこにいるのはそう、吟遊詩人。この世界における貴重な物語の、娯楽の運び手。
立ち止まった一人の男が、その足元に置かれた楽器ケースに貨幣を放り、告げる。
「──……英雄の詩を。強大な歪虚に挑みそして打ち勝つ、勇壮な歌はあるか」
「……畏まりました」
請われて、詩人は紡ぎ出す。歪虚と闘う戦士たちの歌を。
それは決して圧倒の物語では無かった。戦士たちは苦しみ、追い詰められ、己の無力に悩み、それでも刃を手に取る。
胸を打つ場面が短くも歌詞と旋律に凝縮され、そして高らかにサビを迎える──嗚呼、戦士たちは諦めず伸ばした剣をついに敵に届かせる!
曲が終わる頃。拍手の音は一つでは無かった。
「──ようこそお集まり下さいました」
集まっていた聴衆に、吟遊詩人──ユメリア(ka7010)は恭しく頭を垂れてその美しい声で挨拶を述べる。
「文字が普遍化されるより昔。人々は永遠を目指して作ったのが言葉でした」
語りながら竪琴が爪弾かれる。曲とは言えぬほどの、穏やかな、緩やかな響き。耳を撫でて、脳を揺らし、言の葉を染み渡らせていく。
「命は有限なれど、その想い、その知恵を言葉にして、その垣根を超えた。そうして人は危険を避け、繁栄の礎を作った。つまり私──吟遊詩人とは皆さま方の為にあります」
一人、強く視線を感じる。初めに英雄の歌を求めた男。その男が求めたのは救いなのだろう。誰もが今の世界に不安を感じている。邪神は倒されるのか。我々は生き延びることが出来るのか。
「遍く残そうとした邪神の行いなど愚に等しい。無理をするから禍根が、禍根が歪虚を生む。根本が間違いなのです」
邪神への否定の言葉を口にした、闘う意志を示したように見える彼女に観客たちの期待の目線は一気に熱を帯びる。
だが。
「皆を守るなどとは言えません。私はそこまで強くない。私もいずれ消える、私は忘れる、忘れられる」
直後に零された言葉は消極的な者。まるで諦めを促すような言葉にも聞こえ、昂った熱気は一斉に失望の溜息と共に霧散していく。
色んな視線がユメリアの元へと集まっていた。
怒りであり、失望であり、縋るような物であり。その全てを受け止めながら、彼女の言葉が紡がれる。
前説は続く。
……今宵紡がれる物語、その為に。
●
「あ……ぐぁっ……」
苦悶の声に視線をやれば、付近で戦っていた兵士が敵に吹き飛ばされるところだった。躯体が地面で一度跳ねて、痙攣する。起き上がらない。
すぐに助けに向かいたいところだが、クラン・クィールス(ka6605)の目の前にもまた別の敵がいた。
「うあああああっ!」
雄たけびを上げて、別の兵士が敵に向かっていく。その兵士もまた、今目の前にいる敵の前に立つには十分な実力、十分な装備とは言えない気がしたが……それでも、下がってろ、とは言えなかった。
決死の兵士が敵の前で時間を稼ぐ、その隙に後方の者たちが射撃を加える。僅かな時間稼ぎ、それだけでも、それが出来る者が一人でもいることがこの戦場には必要だった──たとえ、彼らが帰れないことも見越しての作戦だったと、しても。
踏み込んで、斬りつける。出来ることは目の前の敵を一刻も早く片付けて、可能な限り別の敵を相手取る兵士たちの救援に向かう事だった。構えなおすために距離を取る、その隙を埋めるように後ろから矢が放たれ、敵に突き立った。怯む敵、その瞬間に合わせてマテリアルを込めた一撃をお見舞いする。倒れる敵、見届ける間も惜しみ、先ほど声が聞こえた方を振り向く。
その時敵の前に立っていた兵士は、雄たけびを上げた兵士とはまた変わっていた。血だまりが増える。それを追っていけば、僅か後方で血塗れでふらつく姿。
そして、最初に吹き飛ばされて倒れた兵士は、そのまま、もう完全に動いていなかった……──
「っは……──」
息苦しさとともに、目覚める。寝汗をかいていた。暑くなってきたな……と思うと同時に、それだけのせいじゃないだろうとクランは自覚する。
夢の内容ははっきり覚えていた……そしてそれが、現実の記憶の再現であることも。
(決断……か)
今、犠牲のことを思い出せば、その事を意識せざるを得なかった。
(……恭順は、有り得ない。今更、自分の未来を全て放り投げるなんて。だが……)
脳裏をよぎる光景。戦いの中で倒れゆく兵士たち。終えた後、転がる死体。その青褪めた死に顔も、はっきりと。
……戦いになれば犠牲がでる。そんなのは当然の事だった。
殲滅か封印か。どちらにしても、失う命は多大にはなっても少ないと言える数にはならないだろう。
──……何人が死ぬ?
──……それでも兵士たち、ハンターとなった者たちはその覚悟があるとして、民間人まで容赦なく巻き込めるか?
クランはそこで一度ゆっくりとかぶりを振った。
「……俺にとっての理想はなんだ。望む世界は?」
まだ朝日が昇るにも早い寝室。暗い部屋で独り、あえて口から零す。
余分な思考を振り落として、大事なところから順番に見定める。
迷うことなく、答えはすぐに浮かび上がってきた。
考えるまでもない。恋した少女と、肩を並べる相棒と、優しき友人と……親しき隣人達と共に、平和に在れる世界だ。
浮かぶ一つ一つの顔。それらの顔はこうして一人で居ても鮮やかにくっきりと浮かんでくる。愛しさがこみ上げる。名も知らぬ誰かの死に顔は、そうしてぼやけていって。
(なら……そこへ辿り着くまで、俺は幾つの“見知らぬ顔”を捨てていく?)
それでも、輪郭だけになったそれは完全に居なくなってはくれなかった。
どうしてだ。
こんな奴じゃ……無かったはずだ。自分は。
赤の他人の幸福まで考えられる程、お人好しじゃあない。
「……前はもっと、利己的だった筈だが。……悲しめばいいのやら、な」
また、呟く。
浮かぶ幾つもの顔。明瞭な顔、ぼやけた顔。その狭間を、選択肢がぐるぐると巡る。
●
『……こちらβ、未知であった敵能力により大きく損害を受けた! このままでは持たない!』
連絡を受け、初月 賢四郎(ka1046)は思考を俯瞰させ即座に状況を分析する。連絡のあった分隊の位置、現在のこちらの戦力、眼前の状況──。
目の前の景色が緩慢になっていく。思考を加速させた結果世界が相対して遅くなる錯覚。返事までに要した時間は現実時間としては短く、体感としては永かった。
「──で、あとどれくらいですか」
援軍を向かわせることは出来ない。後処理に必要な事実を寄こせ。それが彼の返答。
『……』
溜息が返ってくる。沈痛のそれであり、納得のそれでもあった。
そして続いて返答があった。壊滅までの予想時刻……そして、そこまで気張れば何とかしてくれると信じていいかと。
「理解した。……必ず報いる」
賢四郎が応答して、そうして。
『いいか! 俺が突撃して動きを封じる! その間に少しでも手傷を負わせて時間を稼げ!』
味方に知らせるというより己を奮い立たせるような叫び──それが、賢四郎が聞いた彼の最期の言葉だった。
──……件の分隊が壊滅するまでに眼前の戦力を弱体化させていた彼らは、共にこれを迎撃することに成功する。
水音で我に返った。
自分が手にするグラス、その横に置かれたチェイサーに水が足される音。
……まだ半分くらいは水が残っていたと思ったが。
バーテンダーの意図を察して、賢四郎は強い酒の入ったグラスから手を放して一口水を含む。
「……重荷なら投げ捨てたっていいんじゃないかって、私は思いますがね。外野は文句を言うでしょうが、所詮は外野ですよ」
バーテンダーが静かに切り出した。ハンターたちが迫られている『選択』について、リゼリオではすでに耳聡いものは聞きつけている。
放棄……か。それも確かに、一つの意思表明ではあるだろう。それを一瞬思い浮かべてみて、そして賢四郎は一笑した。
「まこと不本意ではあるが逃れられぬなら楽しむより他は無い。既にチップは卓で鐘も鳴った。──……後は何処に玉が落ちるか見届けるだけだ」
どのみち投票結果に沿って動くことは確定なのだ。
……何より、これまでに払った犠牲がある。傷めた懐が自分のものだけではないのに、後には引けぬと締め切られて結果を見ずにテーブルを立つわけにもいくまい。
結果。はて、どうなるか。自分なら封印か討伐……心情的には討伐寄りではあるか。再び酒を煽り、しかしまだ酔いきれぬ頭で冷静に賢四郎は己を分析する。
グラスを持ち上げたその下、コップの底がコースターに残したその紋様を何となく見ていた。
「人の想いは理解できてもその重さは実感できない、そんな自分だから、人が描く紋様を見てみたくなるのかね……」
賢四郎の言葉に、バーテンダーは肩を竦めた。重さが実感できない、そんな人間がそんな呑み方をしますかね、と。
苦笑する。認めるよりあるまい。
「らしくないか……今日は帰るよ」
そう言って、賢四郎は飲み代を置き席を立つ。
扉を開けるなり、夜気が酔った体を撫でていく。
「らしくない……か」
もう一度呟いて、賢四郎は帰路を歩み始めた。
●
「虐殺と殲滅ってぇ、語呂が似てると思いますぅ、あはは~」
喧騒の酒場。多少騒いだところで多くの者たちの重なり合う声で掻き消されそうなそんな空気の中で、星野 ハナ(ka5852)の発言の物騒さはそれでも聞き逃されるものではなかった。
完全に酔っぱらった体で見知らぬ中年と肩を組み、ジョッキをゴンゴンぶつけてエールを飲む、飲みっぷりに感心していた中年男は、彼女の発した単語に若干引いたようで、少し良いの冷めた顔で彼女の顔をまじまじと見つめてきた。
あちゃあ、少し踏み外しかけたかと、彼女は内心で反省する。
──傲慢の歪虚より傲慢だなんて、自分が一番知っている。
だから死んだ傍から歪虚にならないよう、こうやって人間領域を拡げようともして交流を図るわけだが……気を抜くとこの調子だ。
「ちょっと酔い覚まししますぅ」
代金を払って外に出て。
ふらり、ふらり。あからさまに覚束ない足取りで街を彷徨い歩く。
何処へ向かっているのかと不安になるようなザマなのは、足取り、よりも思考なのかもしれない。
人を幸せにしたいと、思う。
だが、見て来た歪虚の中には相手を幸せにするために殺す者も居た。
紙一重の差──だが、大きな差。
その差を踏み越えないためにも、主観は他人に委ねるのが分かりやすいのだろう。先ほど見た中年の反応のように。
彷徨う。
店の明かりがまだ灯る界隈から離れて、暗い方へ。
誘われるように、その足取りは暗がりへと向かっていく。
そうして。
「──……あれ」
人気の失せたその場所で、ハナはふと残念そうな声を上げた。
こんな夜道に、明らかに酔いの深い女が一人。
何処からの地点からはっきりと感じていた気配が、しかし遠ざかって行ってしまった──……もっと早くに襲ってくると思って、こんなところまで来てしまったというのに。
あからさまに美味しすぎる状況に、逆に不審がられたのか。期待以上に仕事のできる盗賊だったのかもしれない。たとえば、自分を捕えかねないハンターの動向には常に気を使っているような。……だとすれば、守護者であるハナの存在を知っていたのかもしれない。
そこまで有能な盗賊なら、逆に追っていってこちらから仕掛けるべきか……──?
ふとそんな想像を広げてみる。追いすがり全力で挑みかかる。彼女が望むような殺し合い──にはならないだろう。ハナの力なら盗賊にしかなれなかった者などでは一方的な殺戮にしかなるまい。複数の死体を転がして、自分は傷一つ負わず立つ、頼りない月明かりのみに照らされる己の姿……。
妄想をやめて、息を一つ。
強化人間の暴走騒ぎの際に特によく耳にしたが、ハンターズ・ソサエティは積極的な殺害を推奨しない。堕落者や契約者ならばともかく、あくまで人間であれば犯罪者であっても生死問わずの形で依頼は出ない。無論、ハンターが身を守るため、または被害者を守るためなど必要な状況に陥り犯罪者などを殺害「してしまった」場合には不問だが。
現場を抑えたわけでもなく、こちらから仕掛けに行って人間を殺した、等となれば逆にこちらが犯罪者になりかねない。
完全に酔いが醒めたという心地で、彼女は引き返していった。
境界を歩む者の、交わらない夜の道を。
●
転移して降り立った、エバーグリーンの風は今日も乾いている。
滅びを運び、埃を積もらせる、それだけの風だ。
その中に柔らかな息吹が、生命を感じる新緑の香りが混じってこないかと、在りもしない幻想を探して縋る──そんなことすら、もうしなくなったのは、何時からだったか。
「さあ参りましょう。戦場へ。あなたの役割を、生み出された意味を果たすべき場所へ」
眠るオートマトンに優しく呼びかけて、その頬を撫でて、フィロ(ka6966)はそこに召喚マーカーを張り付ける。
メイドらしい、折り目正しい姿勢で立ち、エプロンの上で両手を揃えて、クリムゾンウェストに召喚されていくその消える瞬間までをしっかりと見送る。
それを終えると、次の場所へ。まだ探索されていない場所は何処か、オートマトンが収容されていそうな場所は何処か……すっかり要領を得た。
また新たな一体を見つける。彼女は同じように微笑みかけて、その頬に手を伸ばして。
──……眠るオートマトンの顔が、ぐしゃりと潰れた。
ごそりとボディが剥げる。中身がむき出しになり、循環液が漏れだしていく。金属が捻じ切れて外れ、傍に投げ出される腕。
「あ、あ、ああああああ……っ!」
漏れ出る呻きの大きさに、我に返った。はっと眼前を見なおせば、眠るオートマトンは綺麗なままでそこに居た。
そう、それは幻。
リアルな幻──先日、すべてが終わった戦場で目の当たりにした。『見事務めを果たした』仲間の姿が重なってしまっただけ。
嗚呼……こんなものを見るなんて。
他者を愛して友情を感じて
それが同じように返ってきたから
私は間違えたのだ
哀しい
哀しい哀しい
眼前のオートマトンを見下ろす。一度目を閉じる。自己メンテナンスが必要だ。思考のノイズは排除せねばならない。エラー。修正を。
目を開ける。『新しい仲間』を撫でて、呼びかけて、マーカーを張る。
繰り返す。私はその任務を、役割を負って。自ら依頼を引き受けて、ここに来たのだ。
大精霊に誓った
今度こそ世界を守ると
全ての人に失うことのない世界を贈ると
私の守るべき世界に
守るべき者に
──私の仲間は入っていなかったのだ
一度顔を上げる。
振り返り、陽の傾きを確認する。
今回の任務に割り当てられた時間がどれほど残っているのか、時計を見ればそれでいい、でも何となくそうしてしまったそれだけの仕草。
でもそうすることで意識する。
何もしなくても日は上るということ。
そして、何もしなければ三界が滅ぶということ。
だけど。
私達の造物主よ
何故貴方方は
私達が人を愛し慈しむように
仲間を悼むと想像して下さらなかったのですか
「さあ参りましょう。戦場へ。あなたの役割を、生み出された意味を果たすべき場所へ」
仲間を連れていく。
このままならどうせ眠り朽ちていくだけの仲間を、必要とされる場所へ。
諦めよう
生きることを
死ぬことを
想うことを
私達は
行使されるもの
破壊されるもの
全てをプログラムされただけのもの
私達は
自動人形
●
「よおぅ!」
扉を開けて顔を見せた東條 奏多(ka6425)に、カウンターに居た一人が陽気な声を上げた。
奏多もそれに、慣れた様子でああ、と軽く手を挙げて挨拶する。
ハンターの仕事の帰りに寄ったのは、偶に立ち寄る小さな酒場だった。
偶に、のはずなのに……そこにはいつも、この店だけで会う友人たちがいる。
「聞けよ奏多! 今夜はこいつの奢りだぞ!」
「おお?」
「調子乗んなっての! 一杯だぞ! 一杯!」
笑い転げながら肩を組んでいる二人組の、一人は確かに今日は羽振りがよさそうな印象を受けた。
「ほう。そいつは」
奏多はにやりと笑う。何があった──とは、聞かない。特別な何かがあったという以前に、彼らが普段何をして稼いでいるのかなど、全く知らないのだ。……そういう関係だった。
「さて、店主。こういう時のとっておきの一杯と言ったら、どんなのが出てくるんだ?」
席に着き試すように奏多が言うと、「悪い人ですねえ」と言いながら店主もとびきりの「悪い笑顔」を浮かべて、明らかに秘蔵の、と言った手つきで奥の方から酒瓶を手にやってくる。
「お前らなあ! 加減ってもんを知らねえのか!」
奢るといった男が、悲鳴のような声を上げた。そしてその場の全員で、馬鹿みたいに笑い声を上げた。
上等な琥珀が注がれたグラスを手元に寄せる。香りを堪能し、舌の上で転がすように一口──成程いい酒だ。いい酒だぞと、文句たらたらの目でこちらを見つめる男に目一杯の感謝を込めてグラスを掲げて見せる。
度数は結構強いようだ。だがそれが良い。今この時間、この場所では酔っぱらうに限る。
……余計なことは、聞かなくていい。彼らだって、奏多が何を生業としているとは知らない。聞かれたことはないのだから。
それでも、こういう時は無駄に思う尖ってしまった神経が、彼らの素性が何なのか、その物腰、偶然見えた持ち物などから探り当ててしまうかもしれない。
──要らないのだ、そんな情報は。
互いに名前しか知らない、薄い関係で良い。
だからこそ、なにも考えず、気楽に、笑って騒げるんだろう。
店主がカウンターを離れ表に行き、ドアに「Closed」の札をかける。
「早くねえか?」
店内にはまだ奏多たちがいる。残る客の一人が声をかけると、店主はいいんだよと言いながら酒瓶を手に、彼らの傍のテーブルに陣取った。
……小さな酒場。完全に個人裁量で適当に経営しているような。
お前らが居るから面倒くさくなってもういいかと思って閉めた。そんなところなのだろう。
この店では良くあることだ。最初に声を上げた男だって、多分分かっていて言った──要は、『夜はこれからだ』の始まりの合図。
──……いつものような馬鹿騒ぎは、そうして、いつものように朝まで続いた。
差し込む朝日の眩しさに痛みを感じながら、奏多は瞼をこじ開ける。
酒の残った気怠い身体をどうにか起こしてあたりを見回せば、同じように床に転がる面々たち。
それらを眺めながら、しみじみと思った。
──ああ結局、戦う理由ってのはこんなに単純に出てくるものなんだな。
ありふれてる? 特別じゃない? それだけ多くの人が望んでるんだろう?
だからこそ、それを守るために戦うのが俺達だろう?
今の彼には力というものがある。
それが俺の決めた俺の道だからと、戦う事をはっきりと決意できる。
これを。こんな時間を、人たちを守るために。
──……選ぶべき選択、とは、どれなのか。
●
カラン、と、ドアベルの音。
木のテーブルに差し込む陽光。内装の暖かみ。紅茶やコーヒーの香り。客の雰囲気。
「最近、依頼にずっと入っていたので少し久しぶりですが、変わってないですね……」
暇なときは来るようにしている、近所の喫茶店。その店内に踏み入れて、サクラ・エルフリード(ka2598)はぽつりと呟いた。
そうそう変わるわけがない。そんな数か月、数年単位で久々に顔を出したってわけじゃないのだから。それでもそんな風に感じてしまったのは……つまり、そんな景色をやたらと遠く感じてしまったからなのか。
(本当、依頼続きで少し疲れているん……でしょうね)
ただ単純な疲労というだけでなく、心労もあるかもしれない。過りそうな思考を丁度遮るように、店主がメニューを聞きに来てくれた。
「いつものメニューお願い出来ますか……」
つい、語尾がどこか気弱になっただろうか。そんなサクラに気付かずか、あるいは気付いてなお、そのままにしてくれたのか。
「はいはい。そうだと思った」
店主は明るく答えて確認もせずに手元の伝票に注文を書き記す。
出てきたのは紅茶とチーズケーキ。彼女の想定と寸分違いの無い。
変わりのない「いつもの」メニュー。
……変わらない。ここにいつも彼女がいる場所だという事も、まだ変わっていない。本当、別に、大した時間長く来なかったわけでも、無いのだ。
テーブルの上に手を組んで置いて、目を閉じて、ゆっくりと深呼吸。紅茶の香りに、心安らげて。
チーズケーキを一口。これも変わらぬ味。美味しいからこそいつも頼む、いつもの味。
当たり前すぎることをしみじみと味わって、そうして彼女はゆっくりと過ごすためにと持って来た本を取り出した。
お茶とケーキを楽しみながら読書をして過ごす。これもまた、この場所における彼女のいつもの在り方。
……特に隠しもしない、その本の表紙が『ビキニアーマー全集』だとか、明らかに豊胸の本だと分かるものだったりもするのだが、それを店主が指摘してきたことは一度も無く、毎回見ぬ振りをされる。
「少し久しぶりですね」
一度本を置いた瞬間、丁度水を注ぎに来た店員が話しかけていた。
「ええ……少し忙しかったものですから……」
「忙しい……そう、そうですよね。ハンターの方々は今、そうですよね……」
せめて今くらいはどうぞ、遠慮せずゆっくりしていってくださいね。店員はそう言って、彼女のテーブルから離れていく。
その背中、そしてかけられた声の調子から、この店員もまた、今の情勢に不安を感じているのだと微かに感じ取れた気がした。
また本に手を伸ばしかけて……止まる。注文を取りに来られた時に掻き消えた思考がまた浮かび上がる。
「こういうゆったりとした時間は貴重です……。ずっと変わらないでいてくれるといいのですが……。……それは私達の選択次第、なんでしょうかね……」
選択次第では。
この場所に歪虚が押し寄せる。
あるいは、新たに生まれる宇宙では、この場所が全く別のものになったりも、するんだろうか。
一瞬、幻視する。
誰も居なくなり、無残に壊され、崩れるこの場所の景色……──。
違う店の、違うケーキを、何も疑問に思わずに食べている私……──。
チーズケーキを口に入れた。いつもの味がした。『いつも』。何気ないこんな単語が、ひどく尊いものに思えた。
●
「雨が降るかしらねえ?」
「あらどうして? 最近はいいお天気続きだけど」
「頭痛がするんですよ。大体こんな頭痛がするときは翌日雨なんです。いやあね」
「あらやだ。じゃあ今日はお洗濯はさぼれないわね。……今日は特に膝が痛いのだけど。早めに戻れるかしらねえ」
おしゃべりが賑やかな一角。通りがかった玲瓏(ka7114)に、先生まだかしら、と興じていた年かさの女性の一人が尋ねると、玲瓏は手元の資料を確認して、これからあと三番目ですね、と答えた。女性はそう、と納得して、またおしゃべりに戻る。
(こういうのは、どこもあまり変わらないのでしょうかね)
診療所の待合室。白を中心とした空間。
別の場所に目をやれば、ぐったりとした男児を抱き寄せる母親の姿があった。困惑と寂しさが見て取れるのは、普段はやんちゃなくらい元気な子だからだろうか。
隅に居る男性は、仕事の予定でもあるのだろうか、ちらちらと時計を見ている。体調が悪い時くらい余計なことは忘れて回復に専念して欲しい……とこちらとしては願うばかりなのだが。
変わらない光景だ──リアルブルーと、さほど。
かつては研修医だった。こちらに転移してから出会った東方の文化に惹かれ、この診療所で手伝いをするようになったが、こうしてみる、変わらぬ光景にふと、思い出すことはよくある。
──似た景色が連れてくる、懐かしい香り。
離れた家族や友人、受け持っていた、闘病中の患者たち。
ありありと思い出す。記憶の中で蘇る会話、行動。生き生きと動く彼らが……想像の中で、凍り付くように動きを止めた。
……リアルブルーは凍結されてしまった。でも、彼女の時は止まらない。
「──火傷ね。じゃあ、軟膏を塗っておこうか。玲瓏さん、処置をお願い」
「はい」
先生に呼ばれ、処置のための部屋に入る。差し出された患者の腕に、極力痛まぬよう気を付けて薬を塗り、患部の負担が少しでも減るようにと意識して布を当て、巻いていく。
しかつめらしい顔でそれを見つめるのは、職人と思しき男だった。この傷が引く前は、どうしてもその腕前に支障は出るのだろう。その顔に、彼女の変わらぬ想い、その意味がある。
──何の為に人を癒すか。
その人らしくあるために、力を十分に発揮できるように。
体を心を癒し調えて、生命の灯を輝かせるために。
……偶然が重なってこの世界に来て、帰れないと分かったときは、受け入れる他の選択はなかった。
帰れるかもしれないという話を聞いてハンターになり、その道のりで東方に辿り着き、今、こうしている。
懐かしい香りを運んでくる、変わらぬ人たち。
それらに診療所の助手として向かい合う、彼女の意志は、一体どんな選択へと向かわせていくのだろうか。
●
挨拶の言葉は色々ある。時間によって、相手によってそれは変わるものだろう。
鞍馬 真(ka5819)がその相手に掛ける言葉は、時に「こんばんは」であったり、「お世話様です」であったりと変化していて。
そうして、
「またお前か」
その相手から返ってくる言葉は、何時しかほぼそれに固定されていた。
名前は知らない。聞いたら怒られそうな雰囲気があるので聞けないままそうなっている──こっちはお前と馴染みになるつもりなんざ無い、と。
「すみません。またお世話になります、先生」
だから、未だ呼び方は『先生』
「今日は比較的マシみたいだな……なんて言ってやるとでも思ったか」
いかにも不良中年、という風貌のその男はその見た目に相応しく真に毒づいて見せた。
リゼリオにある医務室の医者。誰かを護るためには一切の躊躇なくその身を差し出しゆえにしょっちゅう怪我して帰ってくる真にとってはすっかり顔を覚えた間柄。
重傷じゃない、なんて褒められる話な訳がなく、流れる血に布を当て、擦過傷に薬を塗るその間、今日も『先生』は律義に真に文句を垂れ流し続けていた。
その言葉が途切れた頃──
「先生。私ね、人を癒せるようになったんだよ」
どこか、いつもよりいい点数をとったテストを見せびらかす子供のような心地になって、真はポツリと切り出した。
同時にいくつかの言葉がよぎっていく。依頼人からの称賛の言葉。同行するハンターからの期待の声。ガーディアンウェポンへと向けられる畏敬の念。素晴らしい。素晴らしい。素晴らしい。君は素晴らしい人だ……──
そんな過大な──真の主観に於いて──評価を乗せられるたびに、なんだか肩がこる心地になる。私はそんな大した人間じゃない、と。
意識を『先生』に戻す。渋面がますます顰められていた──もしかして「あんたそんな点数で自慢になると思ってるの」と言いたい母親がこんな顔してるだろうか。
「そうか。自分を大切にできないお前が人を癒すなんて、まだ早いな」
「はは、先生は相変わらず厳しいなあ……」
一撃でたたっ切ってくる言葉に、真はむしろ酷く安心を感じていた。
駄目な自分。
怪我ばかりして、失敗ばかりして。
数少ない、そんな自分を、真っ向から怒ってくれる人。
守護者でなく。高名なハンターでなく。自分が認識する「鞍馬 真」がちゃんとここに居ると思わせてくれる人。
「ありがとうございました」
そうして、必要な時間を終えて、何パターンかある別れの挨拶を真が口にすると。
「もう二度と来るなよ」
毎度変わらなくなった挨拶を『先生』が返した。
……そうして、医務室を出る。
いつもはしないが、今日は何故か振り返った。
その存在を意識する者は少ない、それでも真にとってはかけがえのない人が居る場所。
選択が、迫る。
その結果次第で、もしかして、
あの人は。この、場所は……──
●
……暗い店内からは、外の様子がよく見えた。
間接照明に照らされた内装、薄ぼんやりと浮かぶ優しい木目が心を落ち着かせてくれる。そんな店の雰囲気に合わせて、客は皆静かに酒を傾け、そしてときにポツリ、ポツリと店主と言葉を交わす。
そんなバーに、神代 誠一(ka2086)は居た。
カウンターで、グラスを片手に一人ぼんやりと。頬杖をつけば、そのまま顔が傾くその先にある窓の景色を何とはなしに見ている。
街灯に照らされる夜の道を、人々が行き交っていく。窓一枚、壁一枚隔てて明暗の分かれる中と外──どこか遠い世界を見ている心地がする。
「今日はお薦めしたい酒があるんですよ」
ふいに店主が話しかけてきたのは、丁度今手にしたグラスが空になろうとしていた頃だった。言いながら店主が手にするボトルは重厚感があり、詳しくは分からないが強そうだな、と思った。
「……じゃあそれを」
微笑んで、誠一は空にしたグラスを掲げる。店主がそれを受け取って下げると、新たなグラスにロックで注がれた酒が出される。
試すように、一口含む──嗚呼、強い。舌に乗せた瞬間に強いアルコールを、古酒の風味をしっかりと感じ、それでいて残る後味は甘かった。
酩酊するものを飲んでいる。その事を意識しながら、一口一口味わう酒……今日の、お薦め、か。
──そんな風に飲みたいことも有りますよね。
言われた気がして、苦笑が漏れた。
慰められるままに酔いに意識を浸していけば、広がるのは過去の景色。
──そう。思い出すのは景観の美しい思い出の丘。
この世界に転移して初めて好きになったのは自然豊かな景色。
「こんな景色が見れるなら、この世界の為に働くのも悪くないと。そう思ったんです」
気付けば誠一もまた、ポツポツと店主に向けて語りかけていた。
その場所は、観光名所でもなんでもない、でも自分にとっては特別な――
「……もうその丘も無くなってしまったけど」
そう漏らした言葉には、はっきりと寂しさが篭っていた。
始めた話題が区切りを迎えれば、空いた思考に入ってきたのは避けられない選択のこと。
──選ぶなら?
その選択の一つ一つを検討してみる。
中と外、遠い景色が本当に届かない向こう側へ行ってしまうことを。
この店が廃墟となり崩れ落ち、ただ一つ残ったこの席に一人座っていることを。
あるいは。
「ねえマスター。俺が今日この時間こうやって貴方と話すのはこれで50回目なんですよ」
そんなことにも、なるんだろうか。
「……ええ? そんなには来店されてないでしょう」
急に訳が分からないという顔で応える店主。
分からないだろう、そういう意味じゃない。誠一だけが分かるのだ──今は冗談だが。……冗談だよな?
少しゾッとしながら、それぞれの選択について新ためて考えた結果の己を振り返り。そして。
「自分の中での答えはもう決まってるんです」
分かりきっているように、そう言った。
──迷ってたら戦えないでしょう?
言ってまたグラスに手をかけて、指先がその縁に触れた。そのまま滑らせるように、ぐるりと一周、辿らせる。なぞるのは巡る思考だった。
(本当に決めなくてはいけないのは自分の心の在処)
ピタリ。指先が止まる。
そのまま迷う想いを振り切るように、一息、残る酒を飲み干して。
酒が回るのを感じながら、誠一はその勢いも借りて席を立った。
●
年代を感じさせる木の手すりに軽く手を起きながら、三段ほど降りて、そこで足を止める。
客室から一階に降りてくる、緩やかなカーブを描く宿屋の階段。見下ろせば、今日も丁寧に仕事をする女将の姿が見える。
カウンターを拭くその姿を何とはなしに見つめる、癖。だけどメアリ・ロイド(ka6633)はこの動作が視線が、今日は惰性ではなく意識してのものだと自覚していた。
この宿屋に世話になって随分経つ。女将は夫と娘を亡くしていて、その時幼かった娘に良く似ていると可愛がってくれた。
掃除を進める女将を眺めながら、ぐるぐると選択への思考が巡る。
戦えば戦乱が──でも、でも恭順でこの人達が永遠の無間地獄を味わうのも嫌だ。
「……いつまでそこに突っ立ってるんだい」
苦笑する声にはっと我に返った。少し呆れた顔で女将がメアリを見上げている。
「随分ぼんやりしてどうしたんだい、ほら、こっちおいで」
優しい声に、何処か躊躇う心地も覚えながら、でも確かにずっとここに立ってても邪魔だと、ゆっくり、階段を降りていく。
食堂の床に足が着くと、そこまで来ていた女将にポン、と頭を撫でられた。
払うことは出来なくて。でもどうしたらいいか分からなくて、ただ立ち尽くして、女将を見る。
「そんなに見つめられたら顔に穴が空いちまうよ」
女将はそう言ってメアリの頭から手を離した。……温もりが、離れていく。重症だねえと言いたげな表情で、女将が腰に手を当ててメアリを一瞥すると、くるりと身を翻した。
「メアリちゃん、少し散歩とかどうだい?」
そうして首だけで振り返り、肩越しに誘いの言葉をかけてくる。
「……はい」
短くそれだけ答えて、出ていく女将についていく。
慣れた街並みを二人、暫し、会話も無く歩いた。
その間、幾つもの人たちとすれ違う。普段は気にもしない、すれ違うだけの人、人、人。
こうして時折散歩するその時は、女将だけ意識していたそれでもぶつかることなど無かったこの街並みに、意識するとこんなにもたくさんの人が居る。
ぐるり、回って。宿があった場所へと戻る……手前で女将は進路を変える。
行先はすぐにメアリにもピンときた。宿の近くで、この時間、二人で散歩して向かう場所。
カラン、とドアベルを鳴らして、その店に入って。
「はぁいいらっしゃあい……ってあら、お二人さん」
やっぱり馴染みの、酒場兼料理屋。入るなり猫撫での明るい声で出迎えてくれるのは店主のオネエさんだ──ガタイの良い、マッチョな。
女将とも顔馴染みな店主は嬉しそうに二人を出迎えて……しかしふと真顔になって、暫しメアリの表情を見据える。
「……ふぅん」
何かを察するような呟き。乏しい表情からもこの二人には見通されるのは、もう驚かない。そういう人たちで……そういう時間を、重ねてきた。
「待っててね」
だけど店主はそれだけ言って、さっと厨房に引っ込んでいく。微かに聞こえてくる料理の音。座って程なくして、温かい手料理が並べられていく。
「あんたただでさえ頼りない見た目なんだから、しっかり食べなさいよ」
「そうそう。何をするにもまず身体が資本!」
「流石に多すぎ……でもまあ、とりあえず、いただきます」
二人に促されて、多い、と思いながらも少しずつ手を付けていく。
ああ、素敵な二人。こんな二人が居るから、私は……──
「ちょ、ちょっとぉ、本当どうしたの! 苦手な味だった!?」
焦る店主に、食べながら涙がこぼれていることに気がついた。
どうしよう。
どうしよう。
戦うとしても守り抜く──思うのは簡単だけど、どこかで分かっていた。邪神との全面戦争となれば、守りに割く戦力などきっと無いんだろうと。
狼狽える二人の前で、メアリはしばらく泣くしかなかった。
●
風の匂い。
踏みしめる感触。
街道を行き遠くから見えていた建物の景色が、段々とはっきりしていく。
そのどれもが、百鬼 一夏(ka7308)に、自分がこれから向かう先をまざまざと実感させていくものだった。
向かう足は早足に、次第に駆ける程になって。
何も変わらない景色、間違えようがない道、目的地まで最後の一つの角をぐるりと回り、到着と共に、宣言。
「お母さんお父さんただいまー!」
──……大きな戦いの前に故郷に帰ってみようと思い立った。
ドアを開ければ、久々の家はやっぱり変わらなくて、お帰りなさい、と母が……それから、父が顔を出す。
「お父さんわざわざお仕事の休みとったの?」
予め、今日買えるとは連絡しておいたけれど。
一夏が言うと、父は照れくさそうに笑った。
揶揄うように笑いながら、でも嫌な訳がない。笑い合っていると母が、今日は好物沢山作るからね、と台所に引っ込んでいった。
一人娘に甘いお母さんもお父さんも相変わらず──そう、そんなところもここは何も変わらなくて、こうして急に帰ってきても、自分を出迎えてくれる。
調理の音と流れてくる匂い。メニューを想像して──好物なんだからすぐに予想は付く──出来上がるのを待つ間、テーブルで父と話す。
「やだなー私なんてまだまだだから! あのね、もっとすっごい先輩が居てね!」
ハンターとしての暮らしはどうなんだ、さぞかし活躍してるんだろう、促されるままに一夏が話す、その話の先で、親が浮かべているのは自慢では無く安堵の笑顔だった。どうか、どうか、元気でやっていて欲しい。そんな風に願ってきた日々を感じさせるような。
「わ、本当に私の好物ばっかり! 凄い!」
やがてテーブルへと並べられた料理に、一夏は歓声を上げる。正面に座った母が、嬉しそうに目を細めて。
「いただきまーす!」
そんな母の視線を感じながら、元気よく挨拶をして、料理に手を付ける。
ああ美味しい。
お母さんのご飯は美味しい。
……たとえ、悩みがあったって。
殲滅か封印か……。
気付けば、食べる手は止めずに考え始めていた。
殲滅を選んだらまたこの場所が戦場になる?
どれだけの町が、人が、犠牲になっちゃう?
殲滅がうまくいったって守りたい人が1人もいなくなっちゃったら意味がないんじゃない?
……彼女の悩みは決して大袈裟などではない。
殲滅となれば邪神を倒すために全戦力を結集しなければならないだろう。……その間に襲われる町はどうなるのか。
多くの街が攻め落とされて。沢山人々が倒れていると知りながら、前線からはどうにもならず、ただ早くこの邪神を倒さねばと闘う……そんな戦いを、耐え抜けるだろうか。
じゃあ封印?
いつ解けるか分からない封印を前におびえながら過ごす?
ここに来るまでに、沢山の人たちとすれ違った。おかえりと、何人もの人が声をかけてくれた。
そうして彼らが笑っていられるのは、まだ希望があるからだろうか。きっとまだハンターたちが何とかしてくれる……と。
精霊の力が感じられなくなる世界で。いつかは封印が解けると知ったら、彼らはどんな顔をして過ごすんだろう。
考える。
悶々と考える。
両親たちは何も言わなくなった一夏をただ優しい目で見つめていて。
そうして、考えながらでもご飯は美味しかった。
暖かい場所。
美味しいご飯。
──……ただこの美味しいご飯をまた食べれる世界であってほしい。
それには……何を選べばいいの?
●
──……積み重なる、綴られていく、物語たち。今も世界で、無数に。
「皆を守るなどとは言えません。私はそこまで強くない。私もいずれ消える、私は忘れる、忘れられる」
ユメリアの言葉に、聴衆は様々な反応を返す。
いろんな顔がそこにあった。老若男女。強き意志を持って彼女に視線を送るもの。狼狽えて乞うような視線を送るもの。
クリムゾンウェスト。リアルブルー。それら。
彼ら、一つ一つの顔をしっかりと見つめる。
彼女の言葉の通り、このままであればここの皆を守るなど安易に言える状況ではないのだ。
選択次第では、ここに居るものの多くが死に絶えるのだろう。
選択次第では、ここに居る者の何割かと会うことはもう出来なくなるのだろう。
選択次第では、出口の分からぬ仮初めの繰り返しの中にこの者たちを閉じ込めるのだろう。
どれを選ぶのか。
選ばれるのか。
それとも……──別の道が?
「だけど誰かにバトンをつなぐことで、大切な輝きは永遠となる。だから今ここにいる皆さまとのご縁と、この瞬間を大切にしたいのです」
それでも彼女は今は歌う。だからこそこの縁を繋ぐことが必要なのだと信じて。
「さて、どうぞ一曲、お聴きください」
爪弾かれる音はそして旋律となる。
新たな歌が始まる。
選択の時が迫る。
何を選ぶのか。
描かれる事はなくとも世界に無数に存在する誰か。選択の結果に否応なしに巻き込まれる彼ら。
そんな彼らを見つめて、見えて来た物はあるだろうか。あなたが決めるべき覚悟。そこからの決断が。
依頼結果
依頼成功度 | 普通 |
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面白かった! | 7人 |
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2019/05/15 21:01:35 |