ゲスト
(ka0000)
【血断】──を、抱いて、幾度の輪廻
マスター:凪池シリル

- シナリオ形態
- イベント
- 難易度
- 不明
- オプション
-
- 参加費
1,000
- 参加制限
- -
- 参加人数
- 1~25人
- サポート
- 0~0人
- 報酬
- 普通
- 相談期間
- 5日
- 締切
- 2019/05/22 07:30
- 完成日
- 2019/05/27 23:00
このシナリオは5日間納期が延長されています。
みんなの思い出
思い出設定されたOMC商品がありません。
オープニング
「封印でしょう」
問われて、高瀬 康太(kz0274)は間を置かずして答えた。
今一番の目標はリアルブルーに帰ること。そして、軍人としての在り方は市民を守ること。これ以上の、これ以外の選択肢など有り得ないと思った。
「即答ですか。一時しのぎに過ぎないという点は?」
「こちらのみ時間が稼げるというのであればそれも問題ないでしょう。今すぐ多大な犠牲を出すよりは稼いだ時間で抜本対策を練りなおせばいいのでは?」
「成程……」
問いかけてきた同僚はそこで目を細める。ここまでは前振りだとばかりに。
「……安全を重視する、というのであれば、恭順、はどうなのでしょうね」
「……。地獄の繰り返しなど、話にならないと思いますが」
「少尉、ノベルゲームってやった事ありますか」
「……………………はぁ?」
いきなり何を言いだすのかという以前に言語すら分からないといった反応の康太に、元同僚は、少尉は、ですよね、と苦笑して。
「いやしかし。偏見を捨てて一度見てみてほしいとは……いや、でもいきなりあれは辛いかな。序盤の厨二病発言があまりにもな……あれをサブカルに触れたことがない人間に見せるのは難しいか……」
「あなたが何を言っているのか分かりませんし興味も沸きません」
「あ! これならどうですか人狼ゲーム。もしやったことがあればそれをベースにした素晴らしい物語が」
「全く分かりませんし何故訳の分からない物を薦められる話になっているのですか」
康太が冷ややかな視線で問い返すと、元同僚は軽く興奮していた表情をすっと真顔に戻して。
「──気の遠くなるような回数のループの中であがきながら正しい道を探す、と言われると、思い出す物語が、私にはいくつかあります。こちらの世界では知りませんが、リアルブルーでは割とメジャーなジャンルではあるのですよ」
「……やはり意味が……分かりません……」
「間違っているのでしょうか。ある地点に戻って、或いは全てを作り直してやり直すことが。それで関わった全員が幸せになれるというなら、それを目指すことは。失敗をやり直せることはそんなに興覚めでしょうか。失敗しても失敗しても諦めずやり直して、気が狂うくらいやり直して、その果てに全員の幸せにたどり着く、私はそんな物語を幾つも知っていて、感動してきましたよ」
これは一体、何の話だ。
おおよそ自分が興味を持つことなど無いだろう類の趣味の話、ではないのか。
「……過去を変えるという事は。今を否定することでは無いのですか。自分たちが、苦悩の果てにこれしかないと決めた選択、その結果を飲み込んで進んだ道程、それを……──」
ムキになって付き合うようなものではなかったはずだ。なのに否定せねばと、奥底から湧き上がるものを感じた。
「だから何です?」
「……何?」
「そんなものが、それでも、救える者を救う、その事に比べて重要ですか? 過去の自分を否定したくない、今の自分を変えたくない……それは、プライドや保身のために、救える者を見捨てているという話とは違うのですか? ──高瀬少尉、貴方は実際、過去に戻れたら。今強化人間がどうなっているか分かっていたら、それでもあの時と同じように同胞を撃てるんですか……!」
「──……っ!」
衝動は、何なのだろう。殴りつけたいほどの怒り。胃が返る程の不快感。それでも、その奥でちらつく何か。
「それで、結局……『たら』『れば』の話をして何になるというのですか……!」
こうして反論しているのは何なのだろう。相手の愚かさを諭しているはずで……何故か必死に、戦わねば、抗わねばという感覚を覚えていた。
「過去に戻ってやり直す。それを……実際に行うことは出来ませんが、体感することは出来ますよね」
元同僚の目は静かだった。それでいて、試すような、射抜くような光があった。
「神霊樹によるライブラリ。これには過去を再生するばかりでは無く干渉可能とするシミュレータとしての機能もあるそうです。それによって、己の過去をやり直させずに直視できるのか。やり直した、その結果を見てみたいと思わずに居られるのか。……私の考えを、想いを否定できるのは、まずそれからじゃないですか」
「悪趣味だ……っ! 意味があるとも思えませんっ……」
「──……こんな物語もあります。これはループでは無く平行世界物なのですけどね。同じ場所。同じ人物。だけどある一つの平行世界では主人公はその土地の病魔に侵されおぞましい結末を迎えます。だけど……別の世界で。やはり同じ主人公が、おぞましい結末を迎えた世界の自分、その自分が犯した過ちを突如理解し……進み始めるんです。正解ではなくとも、より正しい道を」
「だから、そんなフィクションの話に何の意味がっ……!」
「──このライブラリに『正しいやり方』を蓄積しておいたら。何万回目かの自分がそれに気付いたりしてくれないですかね」
そんな。
そんな想像に、何の意味がある。ただの彼の願望からの妄想だ。確かめるすべなど有りはしない。可能性など……──。
「可能性など無に等しいですか? でも……でも、新たに世界を、未来を作り直す以外に我々にどんな可能性があります──!?」
ああ……そうだ。康太の元同僚──元強化人間。封印を選ぼうが殲滅を選ぼうが、彼らは程なく……死ぬのだから。
それでも。
迷いなど無かったはずだ。自分が選ぶべき、選べる道に。自分がここまで生きながらえてきたのは、今この世界に居る人を護る、それを誇りとしてだったのだから。ここを護る。これを護る。間違って……──。
──生まれる、邪神に脅かされることのない、皆が幸せに生きられる世界。その人々の笑顔を、可能性を、否定して?
「付き合っていただけませんか。私の話に興味が、或いは異論があるならば」
興味があるならば過去を変えてみないか。異論があるならば過去に渡りそれでも何もしない、その意志を示し、語って見せてくれ。
元強化人間だというその男は康太にしたのと同じ話をして、そしてシミュレーターでハンターたちの手による過去へと共にわたってほしいと告げた。
興味を持ったのか、挑発に乗ったのか。そうしてあなたが遡る先は……──
「作戦開始前に諸君らに通達する。もし諸君らが現在、『アスガルド』に関する何らかの資料、写真を所持する場合──作戦行動開始前に、それらは全て、破棄すること。
個々の現場においては各分隊長の臨機の判断によって対応せよ。事前の個体特徴の把握は不要とする。
友軍強化人間との差別化の意味においても、本件の『人型のエネミー』については以降『死せる戦士(エインヘリャル)』と呼称すること……──」
朗々と響き渡る士官の声。
ランカスター市街戦。多くの強化人間の少年少女たちが、暴走し、そして鎮圧された、依頼。
問われて、高瀬 康太(kz0274)は間を置かずして答えた。
今一番の目標はリアルブルーに帰ること。そして、軍人としての在り方は市民を守ること。これ以上の、これ以外の選択肢など有り得ないと思った。
「即答ですか。一時しのぎに過ぎないという点は?」
「こちらのみ時間が稼げるというのであればそれも問題ないでしょう。今すぐ多大な犠牲を出すよりは稼いだ時間で抜本対策を練りなおせばいいのでは?」
「成程……」
問いかけてきた同僚はそこで目を細める。ここまでは前振りだとばかりに。
「……安全を重視する、というのであれば、恭順、はどうなのでしょうね」
「……。地獄の繰り返しなど、話にならないと思いますが」
「少尉、ノベルゲームってやった事ありますか」
「……………………はぁ?」
いきなり何を言いだすのかという以前に言語すら分からないといった反応の康太に、元同僚は、少尉は、ですよね、と苦笑して。
「いやしかし。偏見を捨てて一度見てみてほしいとは……いや、でもいきなりあれは辛いかな。序盤の厨二病発言があまりにもな……あれをサブカルに触れたことがない人間に見せるのは難しいか……」
「あなたが何を言っているのか分かりませんし興味も沸きません」
「あ! これならどうですか人狼ゲーム。もしやったことがあればそれをベースにした素晴らしい物語が」
「全く分かりませんし何故訳の分からない物を薦められる話になっているのですか」
康太が冷ややかな視線で問い返すと、元同僚は軽く興奮していた表情をすっと真顔に戻して。
「──気の遠くなるような回数のループの中であがきながら正しい道を探す、と言われると、思い出す物語が、私にはいくつかあります。こちらの世界では知りませんが、リアルブルーでは割とメジャーなジャンルではあるのですよ」
「……やはり意味が……分かりません……」
「間違っているのでしょうか。ある地点に戻って、或いは全てを作り直してやり直すことが。それで関わった全員が幸せになれるというなら、それを目指すことは。失敗をやり直せることはそんなに興覚めでしょうか。失敗しても失敗しても諦めずやり直して、気が狂うくらいやり直して、その果てに全員の幸せにたどり着く、私はそんな物語を幾つも知っていて、感動してきましたよ」
これは一体、何の話だ。
おおよそ自分が興味を持つことなど無いだろう類の趣味の話、ではないのか。
「……過去を変えるという事は。今を否定することでは無いのですか。自分たちが、苦悩の果てにこれしかないと決めた選択、その結果を飲み込んで進んだ道程、それを……──」
ムキになって付き合うようなものではなかったはずだ。なのに否定せねばと、奥底から湧き上がるものを感じた。
「だから何です?」
「……何?」
「そんなものが、それでも、救える者を救う、その事に比べて重要ですか? 過去の自分を否定したくない、今の自分を変えたくない……それは、プライドや保身のために、救える者を見捨てているという話とは違うのですか? ──高瀬少尉、貴方は実際、過去に戻れたら。今強化人間がどうなっているか分かっていたら、それでもあの時と同じように同胞を撃てるんですか……!」
「──……っ!」
衝動は、何なのだろう。殴りつけたいほどの怒り。胃が返る程の不快感。それでも、その奥でちらつく何か。
「それで、結局……『たら』『れば』の話をして何になるというのですか……!」
こうして反論しているのは何なのだろう。相手の愚かさを諭しているはずで……何故か必死に、戦わねば、抗わねばという感覚を覚えていた。
「過去に戻ってやり直す。それを……実際に行うことは出来ませんが、体感することは出来ますよね」
元同僚の目は静かだった。それでいて、試すような、射抜くような光があった。
「神霊樹によるライブラリ。これには過去を再生するばかりでは無く干渉可能とするシミュレータとしての機能もあるそうです。それによって、己の過去をやり直させずに直視できるのか。やり直した、その結果を見てみたいと思わずに居られるのか。……私の考えを、想いを否定できるのは、まずそれからじゃないですか」
「悪趣味だ……っ! 意味があるとも思えませんっ……」
「──……こんな物語もあります。これはループでは無く平行世界物なのですけどね。同じ場所。同じ人物。だけどある一つの平行世界では主人公はその土地の病魔に侵されおぞましい結末を迎えます。だけど……別の世界で。やはり同じ主人公が、おぞましい結末を迎えた世界の自分、その自分が犯した過ちを突如理解し……進み始めるんです。正解ではなくとも、より正しい道を」
「だから、そんなフィクションの話に何の意味がっ……!」
「──このライブラリに『正しいやり方』を蓄積しておいたら。何万回目かの自分がそれに気付いたりしてくれないですかね」
そんな。
そんな想像に、何の意味がある。ただの彼の願望からの妄想だ。確かめるすべなど有りはしない。可能性など……──。
「可能性など無に等しいですか? でも……でも、新たに世界を、未来を作り直す以外に我々にどんな可能性があります──!?」
ああ……そうだ。康太の元同僚──元強化人間。封印を選ぼうが殲滅を選ぼうが、彼らは程なく……死ぬのだから。
それでも。
迷いなど無かったはずだ。自分が選ぶべき、選べる道に。自分がここまで生きながらえてきたのは、今この世界に居る人を護る、それを誇りとしてだったのだから。ここを護る。これを護る。間違って……──。
──生まれる、邪神に脅かされることのない、皆が幸せに生きられる世界。その人々の笑顔を、可能性を、否定して?
「付き合っていただけませんか。私の話に興味が、或いは異論があるならば」
興味があるならば過去を変えてみないか。異論があるならば過去に渡りそれでも何もしない、その意志を示し、語って見せてくれ。
元強化人間だというその男は康太にしたのと同じ話をして、そしてシミュレーターでハンターたちの手による過去へと共にわたってほしいと告げた。
興味を持ったのか、挑発に乗ったのか。そうしてあなたが遡る先は……──
「作戦開始前に諸君らに通達する。もし諸君らが現在、『アスガルド』に関する何らかの資料、写真を所持する場合──作戦行動開始前に、それらは全て、破棄すること。
個々の現場においては各分隊長の臨機の判断によって対応せよ。事前の個体特徴の把握は不要とする。
友軍強化人間との差別化の意味においても、本件の『人型のエネミー』については以降『死せる戦士(エインヘリャル)』と呼称すること……──」
朗々と響き渡る士官の声。
ランカスター市街戦。多くの強化人間の少年少女たちが、暴走し、そして鎮圧された、依頼。
リプレイ本文
ライブラリの前へと集まるハンターたち。その中で、フィロ(ka6966)はきょろきょろとあたりを見回しながら、今回の主導者である軍の男に聞いた。
「軍の参加者は他に居ないのですか?」
この作戦を成功させるなら、軍で覚醒した者も出来得る限り参加しなければ意味がない。そうだろうと思ってフィロは参加したのだが、ハンター以外の人員は彼女が想定するよりずっと少なかった。
「ええ。私はこの作戦は自ら参加する意志が有る者でなければ参加させても意味がないと思います。故に、そもそも声をかける人員も選びましたし、主要は貴方方だと思っています」
この話には軍の組織としての性格は無くあくまで個人でも持ちかけたものだと男は答えた。何故なら、邪神の中のループは殆どの者がその繰り返しの中に居ると認識できないことはもうわかっているからだ。ならばその意志が無い者はあっさりとその中に飲み込まれるだけだろう。それが分かってて、嫌がるものに過去の過ちを突き付けるのはそう……まさに無駄に精神を消耗させる事になるだろう。フィロや宵待 サクラ(ka5561)が懸念した通り。
今一つ納得できないような顔のフィロとサクラを、しかし男は穏やかな視線で受け止めていた。
「無理矢理参加させられる者の事を想い、その負担を肩代わりするために、因縁も無くここに来た。その心根自体には、私は深く感謝しますよ。それもまた、未来を創る意志の一つとなり得る」
歓迎するように男が腕を広げる、その瞳が本気なのを見て、サクラは会話をあきらめることにした。元々、『命令で作戦に無理矢理参加させられる兵士なんていなかった』その時点で、彼女が用意して来た言葉のほとんどはその勢いを無くす。だがそれ以上に、話の通じない相手だ、そう感じた。
──……そう、話し合いというのは結局、互いに価値観が大きく異なると互いにただの空転になりかねない。
「私は、変えるべき過去、その当事者が十分に参加できない時点でこの作戦を無意味と考えます。過去を変えたいなら邪神をお倒し下さい。或いはその権能を神霊樹に付与できるかもしれません。これは所詮、大きく現実と乖離したり一定時間が過ぎれば終了する非現実、いくら繰り返そうとけして現実になりません」
フィロのその言葉に、男は顔を曇らせた。
「『邪神をお倒し下さい』……。それを……簡単に言い放てしまう事。そこから私と貴方方の感覚は随分離れているのでしょうね。……前回の【血断】作戦で、多くの戦死者が出たことはご存知ですか?」
特に力あるハンターたちは、その経験から、次も帰ってこれると自信があるのかもしれない。だが軍人たちは、多くの駆け出しやそこそこ程度のハンターたちは違う。帰ってこない仲間たちが常にいて、自分たちも今回生き延びたことは幸運としか言えない、次は自分だとしか思えない。その差が、思考に、結論に差を生むのだろう。
「邪神の討伐となれば。我々の感覚ではもはや、損害が何割というレベルではない、誰か生きて帰るものが居れば余程の幸運だろう、そういう認識です。そうして、その『余程の幸運』に恵まれて帰還すれば、目にするのはその間の邪神の攻撃で破壊された大地。『過去をやり直してこい』と、どちらが過酷な選択なのかは……私と意見を同にする者がいないと言い切れますかね?」
男の言葉に、それでもフィロは静かに立っていた。それでも彼女からは、彼女の持つ力からすれば、余りにも分からないことが多すぎるその選択肢は実現性のあるものとは思えないのだろう。
「ええ……それでも。それでも、ここで邪神を倒さねば人類に未来は無いんだ……その感覚も、分かりますよ。そして貴方たちの感覚なら、それが可能と考えるんでしょう……私には分からないが」
逆に力足りない者には、強大な敵を前に勝てる気がするという気持ちが分からない。
それでも、決意を秘めて邪神に打ち勝つ、その選択が出来るその意志もまた尊いものだ。
サクラはもう男の方を見ておらず、ライブラリに目を向けている。さっさと始めようと。彼女は男の思惑に賛同してここに来たわけではない。あとは行動で、固まっている己の意志を、譲れないものを示すだけだ。
促すようなサクラの強い意志を秘めた視線に、男が頷く。
そうして、ライブラリはシミュレーターを起動した。
●
蓄積された情報から演算が行われ、過去が再現される。
意識が浮上していく。視界が開けていく。過去のその場所を、それぞれがそれぞれの目的、あるいは意志を果たすために進んでいく。
「……俺は持っていない。が」
聞こえてくる、一句一句過去と違いのない声。アスガルドに関わる一切を渡せと言った士官に、かつての【メンカル】が告げた言葉。
「――ここに来たのが俺でよかったな? 弟にそれを言っていれば、今頃お前の体に穴が開いていただろう。アレは時々、後先を考えんからな」
それが、そのことを、過去の通りに違いなく告げた──瞬間。
「お兄ちゃん。僕、いますです」
起こらなかったことが起きた。アルマ・A・エインズワース(ka4901)が物陰からひょい、と顔を出す。
「は? お、おま……いや、ちょっと待て!?」
ぎょっとした【メンカル】が、珍しく表情を大きく変化させながらアルマと士官を交互に見る。動揺と焦りで青ざめた表情。いやまて、気持ちは分かる。分かるから落ち着け、今ここで面倒を起こすのはマズい……──
「あはっ。お兄ちゃんに免じて暴れはしないです。でも、戦場に出るなら気を付けるです? 後ろとか、頭の上とか」
どこで覚えた、と言いたくなるような台詞に、物陰で見守っていたメンカル(ka5338)──『現実の』メンカルは頭を抱えていた。
(程々にな、アル……)
ハラハラと見守りながらも、一先ずは黙って見ている。ここに己が登場するのは流石に影響が大きすぎるだろう。
「君も参加するハンターかね。……残念ながら私は前線には出ないよ。作戦の全体統括だからね」
士官は、突然の登場には面食らっていたものの、ハンターが反発的な態度を示すことは折り込み済みだったのだろう。挑発は、涼しい顔で受け流す。
「……アル。なんでお前が今ここにいるのか分からんが、兎に角……」
そこで、我に返った【メンカル】がアルマに話しかける。アルマは笑顔でそれに応じた。
「わふ。分かってるです。『余計なこと』はしないですよ。絶対」
きっぱりと告げるアルマ。
分かっている。
全て「結末」は兄に聞いてある──その通りに。
死ぬべき者には死を。
生きるべき者には活路を。
そのつもりで、ここに来た。
ここで新たに救いも殺しもしない……少なくとも、【兄】の行動に影響が及ぶ範囲は、全て事実の通りに。
……その為に来た。
「……」
【メンカル】がアルマを見つめる。
訳が分からないながらも、それでも──このときでも──【メンカル】は、彼の『兄』で。上手く言葉にならない、何かをそこに感じ取ったのか。
「良く分からんがまあ……分かってるならいい」
理屈ではなく納得して、彼は落ち着きを取り戻した。
それを影でずっと見つめながら、メンカルはアルマの言葉を反芻する。……余計なことは、しない。絶対に。
そのために来たのだ。二人で。己の過去を──ただ、『見守る』為に。
●
いよいよ本格的に状況が動き出す。攻め上がる、暴走したアスガルドの少年少女。迎撃すべく兵士たちが、ハンターたちが動き始める。
かつてそこに居なかったユメリア(ka7010)は静かにその場に降り立ち、あちこちの気配に意識を巡らせる。
「──報われないハーメルンの笛吹きは子供を攫いました」
告げて、笛に口を当て一吹き。甲高い音があたりにと吹き鳴らされる。物語の如く──それは、「わるもの」の到来を知らせ。
一人の少年がその音に反応したのか、ユメリアの元へと姿を現す。
「うああぁああっ!」
血走った目でユメリアへと銃口を向け、躊躇いなく放って来た。ユメリアは祈りの言葉を紡ぐと、光が彼女を覆い、身を穿つ弾丸の勢いを殺す。
防御と回復の魔法で時を稼ぎながら、ユメリアは報告書から頭に叩き込んでおいたこれからの流れ、軍の進軍ルートなどを思い描き、少年を誘導する。
かつてここに居なかった彼女は、事態へと介入する道を選んだ。助かる命を一つでも増やすために。
……それが、現在に何も影響を与えないことは分かっている。だから彼女がこうするのは、この話を持ち掛けた彼のために。
変化させようと試みて、その結果を確かめて──それから、彼と話してみたいことがあったのだ。
サクラはとある部隊と行動を共にし、強化人間の少女の一人と対峙した。
そして、
「……! ……」
遭遇に、声を上げる暇もなく。
苦痛に悲鳴を上げる間もなく、少女は叩き伏せられる。
構えすら見せない状態から、一瞬で接近し擦れ違いざまの一撃。その一撃にふらつく身体が避けられよう筈も無い、縦横無尽の連撃。
兵士たちの目に留まったのは、光刃を纏うその刃の残像だけだろう。瞬く間に終わり、突然のように広がる血濡れた光景にやはり声も出ない。
「次行こう」
文句など……言えるはずもなく。先を行くサクラに、兵士たちはついていく。
少女は、意識が闇に沈みゆく中で。
(ハンターさん……私……全然、出来なかった……ね。ハンターさんたちみたく……悪い敵をやっつける、強い子に……なり、たかった……)
最後に、そう思う。
サクラが同行する部隊。それは。
史実においては、最も損耗が激しかった部隊である。
その原因を全て叩き斬る──彼女はそのつもりで、ここに来ていた。
「自分は結末を変える事に興味はありませんよ」
事態が動き始めた過去の時間の中で、初月 賢四郎(ka1046)は元同僚の男の側に立つとそう切り出す。
「だが貴方が望む結末にしたいなら指示を下さい。何故なら貴方が綴るべき物語なのですから」
そう言うと男は小さく苦笑する。
「私はやはり、本命は貴方がただろうと思っていますが……そうですね。私が目指すのですから、私が挑まずに諦めてかかるには行きませんよね。……では、行きましょう」
男はそういって静かに見据えるように街を見渡した。
「……」
様子に、賢四郎は僅かに違和感を覚える。
何か少し、想定にズレがあるのではないか……──。
「やはり、軍とハンターの間の溝ですよね。その原因は希望たるハンターとこの時の軍の悲壮感、その温度差にあります。ここを、この時間の者が見える情報で埋めるにはどうするか……意見は伺っても?」
「……。ええ、そうですね。やはり軍に入り込めれば……とは思いますが。この時間には……」
「ええ、居ましたよ。私も。やはり、なんとか私が入り込んで、もっと早くに空気を変えること、ですかね……」
まずは過去の【私】に近づき機を待ちましょう。そういって男は動き始める。
賢四郎はその結果を見届けるべく、後を追い始めた。
●
事態は進む。あちこちで戦闘の音が上がり始める。
天王寺茜(ka4080)も、かつてここにいて……そして、再びここに来た。
見つからないように隠れて向かう先には、かつての【茜】が居る。
「後で必ず治療するから……今はゴメンなさい!」
茜が黙って見つめていると、【茜】は、過去に彼女が行ったそのままに行動した。動きが鈍った相手を押し倒し……その手首に銃口を押し付けて──引く。
……目の前の【茜】と違って、茜の両手は今空いている。迸る絶叫に耳を塞ぐことが出来るから……茜は、自分の腕を自分で押さえなければならなかった。
閉じたくなる目を、反らしたくなる首は意思の力で。
……全部、必死だったあのときより更に良く見えた。ああ、なんて乱暴なやり方。あんなに血が流れてたのか。
でもこれがあのときの彼女が出来たやり方だった。彼らを殺そうとする人たちも動いているから、手分けして迅速にやる必要があると思ってた。
【茜】が駆け抜けていく。倒れた少女に応急処置だけして。少女のあとのことは仲間に託して、次の場所へ。
そうして、完全に【茜】が去ったのを見送ってから、茜は倒れた少女に近付いていく。
後悔は……やっぱりあると、思う。こうして自分の過去のやり方をみてしまうと。それでも。
「……焦っていた割には、意外とちゃんと処置、出来てたのね、私……」
屈みこんで、少女に施した治療の具合を確かめて、茜はポツリと呟いた。
──これが、あのときの私のあのときの意志が成し遂げたこと。
そして、それは……。
「……ゴメンなさい。私には、この過去を変えられないの……」
茜は少女に謝罪する。今の茜として、干渉しないと決意した、そのことについての謝罪。
それでもこれくらいは、と、彼女は少女を抱え、収容場所に背負って連れていくのだった。
●
過去の者たちが、そして現実の者たちが、事態に向けて様々な行動を、あるいは決意を示す。
そんな中で、神楽(ka2032)は来たはいいもののどうすればいいのか、未だに悩んでいた。
変えるならば……と、やはり過去の自分が居た場所、その近くに潜み兎に角事態を見守る。
ファミリアを用い、ルートを指示して保護派と殺傷派がかち合わないようにする、その動き自体はあとから見ても状況に良く貢献していたと思う。
やはり、この時点で意見が分かれることはどうしようも無いだろう。ハンターの間でもそうだった。言えるのは、ここで議論したりましてや対立していたらどちらにとってもマイナスでしか無いこと。だからかち合わないようにする。それはやはり……これでいいのだ。
だが。
見守り続ける、その果てに。
「弱者が使い捨てられるのはよくある悲劇っす。お前達は運が無かったっす」
とうとう【神楽】自身が、暴走した少女と対峙する。
近付いていく。過去の己。少女。
どうする。
刃と。少女。が、近づいて、いく。
──……どうする!
──……
……。
神楽の意識が、空白になって。
ハッとした瞬間、見えた光景はさっきまでと異なっていた。
倒れる、強化人間の少女──そして、【神楽】。
そっと近付く。二人とも……昏倒しているだけだった。
側には、【神楽】が使っていた刃。
……さあ、また決断だ。
結果を変えない、その為には。
刃を、拾って、振り上げて……──
「駄目っす。助かる奴を殺すなんて出来ないっす」
……神楽は、力なくそれを取り落とした。
殺す代わりに──これはこれで苦しくない訳もないが──手足を折り、更に拘束する。他に捕縛された子を集めていた場所に連れていく。
……何の問題もなく、出来た。歴史の修正力が働いて脈絡なく流れ弾で死ぬなんて事も特段なく。
出来て……しまった。
じゃあ……これからどうする?
過去のすべての記憶を引っ張り出して、神楽は走り始めた。
これから【神楽】が殺す子たちを、先回りして無力化するために。
●
時は少し遡る。ブリーフィングを終え、皆が出撃した直後の事だ。
作戦室に残るのは士官一人となる。その時、扉を開けて入ってくるものが居た。
「謝りに来た。“あの時”の俺は、頭に血が上ってたからな」
「……ほんの五分ほど前の事だったと思うがね」
「ああ……お前の感覚だと、そうなるよな」
また予想外の事態に、士官は眉をひそめて、やって来た──彼の感覚だと、『戻ってきた』ことになるのかもしれないが──ボルディア・コンフラムス(ka0796)に、士官は訝しげな視線を向ける。
「……のんびりしていて良いのかね。君は随分あの……あの、『死せる戦士』たちを助けたがっていたようだが」
「今何か言い直したんじゃねえか? ……まだ部下の前じゃ言えねえ、お前の真意が聞きたい。……この局面、乗り越えるのはハンターと軍、協力し合わなきゃならねえんだ」
ボルディアの訴えに、僅かに眼が細められただけの士官の表情の変化、そこからわずかに垣間見られるのは困惑だった。
「さっきまでの君とは……別人としか思えんな。さっきのはブラフか? だが、あそこで私の反感を買う事に何の意味がある……」
整理の為なのだろう、小声で士官は言った。そして、一度目を閉じて、ゆっくりと開く。
「……真意も何も、私の役割はこの作戦を成功させること、だ。そのための命令は既に部下たちに下した」
しかし返ってきたのは何かを抑えるような静かな返事だった。
「別に絶対殺せとは一言も言ってねえ命令をだよな」
「……。君が勝手にそう思いたいなら、そうすればいい。どうせ好きに動くつもりなのだろう」
ああ、やはりまだ彼は明かせないか。『今この時点では』。
──……まともな話し合いで、あれば。
「『リスクを恐れて助かるかもしれない命を見殺しにするのか』……だっけか。俺が未来から来たっつったら、信じるか?」
今度こそ、士官はぎょっとした目をボルディアに向けた。
「そんな……そんな馬鹿げた話があるものか。だが……だがどういうことだ? それは私がハンターに何か言われたら返そうとしていた言葉そのまま……単語一つ違わん。そんなことが……有り得るのか?」
動揺する士官。信じさせる芽はあるとボルディアは感じた。それはこのまま協力体制の強化は計れる、それだけじゃない。
……彼にも伝えたいことが、あった。
救えるか分からない命の為に部下の命を賭けるのが怖いなら。
「……ここで助けた命は、ちゃんと繋がるよ。全員じゃねえけど、アスガルドに帰れた奴もいる」
せめて、お前のやる事に意味はあるんだと。
「…………」
今度、彼が見せた沈黙は、長かった。
「やはり……信じがたい話だ。鵜呑みには出来ん」
やがて静かに、緩く首を振りながら、士官は答えた。
「私がすべきことは変わらん。この事態を極力被害の少ない形で収束させることだ。その為に適切に判断し都度命を下す……それだけだよ」
士官の言葉に、ボルディアは苦笑する。
ああこれも、頭に血が上った状態で聞いたらこう思うだろうか。あくまで自分の命令が最適なのだ、意見を聞くつもりは無い……と。
だが今は分かる。こう言いたいのだ。状況を判断し協力が適切だと認めれば適宜命令を修正すると。
「……お前、何考えてるか分かんねえって良く言われるだろ」
「……分かりにくくしてるのだよ。それでもどうしてもわからん連中の目をごまかすにはこういう芸当も否が応でも覚える羽目になる」
「リアルブルーの組織ってなあ、肩が凝るなあ。ご苦労さん。そう言う事なら……お互い最善を尽くそうぜ」
笑ってボルディアは部屋を出て、駆け出していった。
「話はまとまった?」
機嫌良さそうに出てきたボルディアに、カーミン・S・フィールズ(ka1559)が寄り添う。
「おう。上々……でもねーか。成果を出さねえと動いてくれねえなやっぱり。細かいところは任せたぜ。俺じゃあどうにもボロが出かねねえ」
「ええ。ここに居るのは『当時の』私。そう言う事で行くから、そこだけは気を付けて?」
過去の者の行動を最適化するには。分析した『未来』の情報を、『当時』の自分として渡す必要がある。言動には細かい気配りが必要だろう。
カーミンは叩き込んできた情報を振り返る。そこにはあらゆる強い感情が渦巻いていた。
悲しみ、怒り、焦り。
成就した願いの影に、踏み躙られた想い、その上に積み重ね得られたモノ。
カーミンはそれを『動機』というラベルを貼ったフィルターで漉して、行動予測のための情報という無機質な形で取り出す。
すべきことを見定めて……行動を、開始する。
●
「貴方たちの不安は分かるわ? だからもし上官から命令違反と叱責されたら私たちに脅されたと言っていい。……ええ、そんなことになったらハンターとしてどうなるか分からないわ? だから『そうなってもいい』じゃない、『そうならない確信がある』と思って頂戴」
分隊の一つと合流し、カーミンは協力を願い出てそう言った。分隊長の顔に浮かぶのは当然と言おうか、戸惑い。
「頼む、協力してくれ! ……ガキどもを助けてえんだ!」
そこに、ボルディアが重ねて頭を下げると、理と情、双方から揺さぶられて幾つかの分隊が協力を了承する。
「回収してるの、気づいてるんでしょ? 彼らに任せて、私たちは次」
出し惜しみはせず、迅速に暴走する強化人間を制圧して振り返って、告げる。
「正史で不利になれば相手は引いた。戦いへの強迫観念を上回る何かがあった」
それでも、明確に変化を見せてきた状況に、カーミンは手ごたえを感じる。
賢四郎と男の動き、正史では損耗の激しかった部隊の援護にサクラやフィロが廻っていることも大きいのだろう。
「今なら追撃は容易。哀れな羊達をハンターという柵の中に追うわ、協力して」
死ぬはずだった者をここで生かすことはできるし、逃げたものをここで捕らえておくことも出来るかもしれない。
……だが、それでも。
「協力は、致しかねる」
それでも兵士たちの中に協力を拒絶する者は居た。
「上官の命令に解釈の幅があるというのならば。私は私の判断で、これが同胞のために最適であると信じる」
……先の見えない希望は残酷では無いかと。『この時の』兵士なら思うだろう。どう言えば彼らに希望を持たせられるか。未来の話はここではすべきではない。一対一で落ち着いて話すならともかく、複数に手短に話すのは混乱のリスクの方がはるかに大きい。月に行っても、この時点では暴走を戻す装置は完成していない。
カーミンはそこに、強く食い下がりはしなかった。この時点ではこんなもの……という冷静な思考もあるし。
ある意味、これはこれで良いのだ、という考えもあった。
……冷たく言い放ち、任務の遂行を続ける軍人を。
康太は、つぶさに見つめていた。
その目の冷たさを、狭さを、……だがそれでもそこには信念があるのだと。
自分もそうだった。そうするだろう。彼らが少年少女に手加減なく攻撃を加えて行くのを、歯を食い縛り、体を抱き込むように抑えて見ている。
そこに、
「ここは、幸せな未来になるかもしれませんね」
話しかけてくる声があった。康太の耳に、奥歯を噛み締める音がいっそう響いた。
「──でも私たちの世界ではない」
「自分のところに行かなくていいんですか」
……だから【貴女】のところは避けていたのに、と、康太は振り向きもせずメアリ・ロイド(ka6633)に告げた。
「それはもう済ませました」
事も無げにメアリは答える。【メアリ】には、「思うように進め。迷うな」とだけ書いた手紙を忍ばせておいた。それだけで、やりたいことは十分だと。
「私は私の未来のために、高瀬さんに覚悟を伝えに来ました」
そうしてメアリは、拒絶の意を示し続ける康太に躊躇いなく近付いてくる。
「この間の私は、愚かでした。自己犠牲に頼らずとも一緒に戦い生きるのに必要な力は既に持っていたのをあの後やっと自覚した」
声と共に、ふさり、何かが擦れる音。康太は背中を向けたまま無理矢理に視線を最小限の動きだけで向けた。
「迷いは願掛けで伸ばした髪ごと断ち切ってきた」
見えたのは、ウイッグを片手に持つ彼女の姿──後ろ髪がショートヘアになった。
「願いはこの手で叶える──改めて、一緒に戦わせてください」
少し強くなった声と共に、近付いてくる。更にもう一歩。
「貴方の愛したリアルブルーをずっと見守るという夢ができました。恋はリアルブルー奪還まで置いときます。終わったら貴方の好きな場所に連れて行ってください」
そうして彼女が話す間。康太はずっと振り向かなかった。一度彼女を見た意外、視線はずっと兵士に向けられていた。そうして。
「分かりました──貴女が何も理解していないということが」
冷たい声で、答えた。
「僕があのときの貴女に言いたかったことは全くの逆です。戦時下の軍人に添おうと言うのであれば──常に戦死の覚悟が出来てなくてどうするのですか」
怪我しそう、その程度で慌てふためくその様に「覚悟が足りない」と言ったのだ。
「【血断】作戦中に、僕は戦死する。僕はもうそのつもりです。『そこは自分が護る』、そんなつもりでいるなら、先だっての邪神翼との戦いがどんな作戦であったか思い出してください」
最も強力な個体に、特に力の強いハンターに当たってもらわざるを得ない。……周りに意識を回す余裕など最も無いのが選ばれたハンターたちなのだ。そして彼らがそれに専心する時間を、軍人やその他大勢が肉の壁となって稼ぐ。
そうだ。
冷静に考えて、康太がもう、リアルブルーに帰還する望みなど、ほぼ無いのだ。
康太は目の前の軍人を見ている。所詮これが現実だ。そう言いながら暴走する少年少女を倒す、その様。
……そうだ、自分もそういう奴だった。希望なんかより、今顕在している情報を、現実を良く見ろと──そういう奴だったんだ。
「……っ!」
やがて康太は忌々しげに息を吐くと、一気に走り出してメアリの元から去っていった。
●
(ああ……ここはあまり変わっていないな)
目的地へと辿り着いて、鞍馬 真(ka5819)は安堵──と言っていいのかは複雑だ──に小さく息を吐いた。
見つかっても問題が無いように顔を隠し、息を潜めて見守るのは……動きを封じた子供たちが集められる場所だった。
軍人たちの協力関係に変化は出ている。そのせいだろう、ここに集められる顔触れも多少は変わったかもしれない。だが変わっていないこともある。
たった一人のハンターが子供たちの監視と治療に当たっていること。それから……この顔だけは真が見間違えるわけが無い。特に酷い怪我を負って横たわる一人の少年。
変化をもたらそうとするハンターたちは皆、軍の援護や軍との関係の見直しに動いていた。だが、全ての悲劇を回避するなら、足りない箇所がある。
(……いや。見落とした、じゃなくて見逃した、なのかな。カーミンさんなら)
真はそう感じて苦笑した。彼女は皆の心情に寄り添う為にここに来た。ならば彼が何をしようとしているのか、分かった上でここは放置したのか。
そうして。
悲劇は正確に繰り返される。
容態を急変させた少年に、見守っていたハンターは慌てて高度な回復魔法をかける。傷が癒えた少年はしかし却って「化物」と皆が傷付く光景を目の当たりにし。
暴走するまま、全てを傷付けて暴れる、その時に。
事態に気付いて、影から飛び出してくる──【真】。
それを。
真は。
ただ目を見開いて、見守った。
見届けた。
かつての通りに、少年に向かっていく己の『覚悟』を。
傍目に見るかつての【真】の動きには全く無駄というものが感じられなかった。
事態を把握するや否や即座に地を蹴る。最短距離を駆け抜けて少年の元に到達、刃を向ける、その刺突も最速で届かせる為の理にかなった最低限の動作。
嗚呼、うっかり見惚れそうだよ。躊躇の無いその動きはまるで殺戮のための機械だ──一周回って芸術的ですらある。
実際には一瞬だったのだろう、だがスローモーションになっていくその光景が、やがて完全に静止する。
はっきり見えた。己の刃が間違いなく少年の胸をを貫いて。
──それから……先程までその少年を助けようとしていたハンター、それが手にしていた刃が本当に、少年の喉に届く直前だったのを。
止まっていた光景が、また流れ始める。それを意識した直後、
「うっ……ぐ、ああっ……」
物陰で必死で声を抑えながら。真は胃がひっくり返るような苦しみに悶えた。
痙攣する胃が訴える痛みに──分かっていた筈だ、とそれに耐える。消したい過去を眼前に突きつけられて、苦しくない筈がない。
それでも──干渉はしない。やり直さない。
ここで何をしても現実は変わらない。私があの子を殺さなかった現在(いま)は存在しない。
あの子を殺した私が、殺さなくて済んだ可能性を知ることに何の意味がある。
──……そんなのは、罪を重ねるだけだ。
想像してみる。殺さなかった自分は、その後どのように動いていただろうか。完全に入れ替わったとして、その痛みを知らずに、その後の方針も体験も変わっていく。
そんな自分に──上書きされていく。
その笑顔を、活躍を想像してみて。
真は、ゆっくりと首を振った。
やはり、過去は否定しない。変えない。
そして──忘れない。
それが贖罪であり……私の答えだ。
正しいのか、間違っているかではない。
(……失った過去に縛られた私が、過去を否定して、やり直す、なんて。そんなこと、できる筈が無いんだよ)
そうとしか、在れないのだ。
その事を確りと認めるために、彼はここに来たのだ。
●
アルマたちもまた、ほぼ過去と同じ筋道を辿っていた。
カーミンからの情報支援も受けながら、『余計なこと』はせず、変化した状況に対して【メンカル】に影響が無いように逆介入する。
時に駄犬のように「気にしないでくださいよー」と救われるはずの者は無邪気に助けては去り、
時には魔王の如く「貴方は悪くないのですが……これが定めです」と筋道から離れた者を冷酷に処理していく。
そうして。メンカルはとうとう、見届けに来たその時に辿り着く。
かつての【メンカル】が軍人たちをやり過ごし、幾人かの少年少女を無力化したその過程。
認識する現実はこれが正しいと確信はさせてくれず、それでも時間が経てば経つほど受け入れがたい現実は重なっていく。緊張と疲労が普段の比では無かった──そんな時間を過ぎていくうちに、遭遇した、少女。
「がはっ!?」
あのときと同じように【メンカル】は物陰からの不意打ちで少女を無力化しようと試み、そしてあのときと同じように、一撃では上手くいかず少女は苦悶にのたうち回る。
【メンカル】は拳を固め、少女を気絶させようと追撃する。少女はそれにもがき叫んで抵抗して……やがて倒れる。
──……ここからだ。
メンカルは物陰から、昏く虚ろな表情で息を荒げる【メンカル】を観察する。
憔悴していた……そうだろう。メンカルはこのときの事がどうしても思い出せないのだ。
少女は、動かない。【メンカル】はそれをしばらく見詰めて……ふらり。はそのまま、覚束ない足取りで別の場所へと向かおうと、する──。
「……生きてるですよ、お兄ちゃん」
そうして、聞こえた声に、その足を止めた。
「わふっ! ちゃんと手加減して、綺麗に気絶してるですっ! さっすがお兄ちゃんです!」
無邪気なのかわざとなのか、無駄に明るい声に。
【メンカル】は振り返る。まだどこか空虚な顔で。
そうしてゆらりと、弟が伝える結果を自分でも確かめて。
そしてゆっくりと、アルマへ向けて顔を上げる。
「アル……アル、なあ。お前はどうして、ここにいるんだ?」
今更のことを、メンカルが口にする。居るはずじゃなかった筈だ。居られる筈が。
有り得ないことが起きている──まるで、奇跡とでも呼ぶような何かが。
そうして。また己に近付く気配に【メンカル】が反射的に視線をやると、今度こそ言葉を失った。
「なぁ、俺。……お前は、俺は、間違ってはいなかったぞ」
メンカルが、【メンカル】の前に姿を表したからだ。
「なんだ、その、言い種は……」
それじゃあまるで、と言いたげな顔に、メンカルはその想像を肯定するように頷く。
「そんなことが……しかしそれなら、一体何が起きた。俺にこれから……何をさせようというのだ」
続く問い、それにはメンカルは首を横に振る。
「俺から敢えてお前にさせることなどない。お前がやるべきと思うことを、ここまま為せ」
言うと【メンカル】は──まだ焦燥は残っていたが、少し自分らしい表情を取り戻して──苦笑する。
「なんだ、未来から来ておいて、重大な情報も忠告も無しなのか? そんなの『お前』の自己満足じゃないか」
言われて、そうだな、と思った。【メンカル】に対してこれは別に何の意味もない。ここにいる彼はあくまでシミュレータが演算して作り出した虚像であり、現実で何が変化するわけでも無いのだから。
自覚して……それならばとメンカルは肩を竦めて敢えて聞いてみる。
「聞きたいか? ここからどんな事件が起こり、何を止めるべきか」
そう問うと、【メンカル】は少し沈黙し。
「……いや、やめておこう。『お前』がどうしてもそうすべき、と言うのでないのなら……己の役割は己で定める」
そう、【メンカル】が言うのを見て。
それを確かめて──何かがストン、と落ちるべきところに落ちたのを、メンカルは感じた。
走り去っていく彼──かつての己より余程しっかりした足取りに思えた──を、アルマとメンカル、二人で見る。
「……あれは実際、俺とは違う運命を辿るのかもな」
この先、自分には救えなかったものも、あれは救うのかも知れない。
それでも、
「──生きた命があるならば、消えた命は無駄ではない」
今の自分に言い聞かせるようにメンカルはそう呟き。
遠ざかる背中を、やはりただずっと、見守っていた──否、見送っていた。
──……さらばだ。有り得たかもしれない、でも決して俺ではない俺よ。
●
そうして、事態は収束していく。暴走したアスガルドの少年少女らは制圧され、或いは同じように退却していく。状況の収量を確認し、ハンターと兵士たちがブリーフィングルームに再集合する。
「強化人間を実用するならばこそ、廃棄して終わりなど進歩に繋がりません。治療・改良のための症例に役立てるべきです」
かつての【茜】が、同じように士官に話しかける。
そうして。
「……」
同じ言葉は返ってこなかった。士官はしばらく沈黙し、ハンターでは無く兵士たちに──かつてより多く残る兵士たちに──視線を流す。
「正直、これほどの数の『死せる戦士』が『捕縛』されるのは想定外だ。……しかもその多くに、我が兵が関わったと」
兵士たちの間に、緊張が走る。
「……だが、その上でこれだけの兵が健在であるなら、『どう保護を続けるつもりだ』とも言い難いな」
続けて、ため息交じりに士官は言った。
「この結果は私の命令に曖昧な点もあった責を認めよう。だが分かっているな? これらが再度暴走し余計な被害を生むなどならんよう、諸君らにはこれから相当働いてもらわねばならん」
ざわつく。ハンターたちが、兵士たちが。保護を認めてくれるのか──殺さなくて良いのかと。
「……交代で休息を取れ。私はハンターソサエティに連絡し対処について相談せねばならん。以降は追って指示する。……ハンター諸君については、今回の任務はここまでだ。ご苦労だった」
動揺は。
見守っていた『現実』の者たちにもあっただろう。
こんなに変わるのか──もっとハンターと軍の連携を密にしていたら。あの時士官の真意に気付いていたら。
そうして。
シミュレートの時間が……終わりを迎えるのを、感じ取る。
「ちょ、ちょっと待つっすよ!」
解け行く世界の中で、神楽が悲鳴を上げる。
ここから……ここからじゃないか。ここで助けてあの子たちは終わりじゃない。このまま現在まで進んだらどうなるのか? 幸せになっているのか? 自分たちの過ちを知るには……むしろそこが肝心じゃないか。
……だが、このシミュレータはそこまで万能ではない。
基本的に記録の再現に過ぎないため、IFの演算を出来る時間は限られている。
連続して再生できるのは、基本的にはその情報の元となる、実際にパルムが観測した範囲──その時間、空間。そこを大きく逸脱することはできない。
神楽の脳裏を、様々な出来事が駆け巡る。
この後のロンドンの戦いは?
ニダヴェリールの除幕式で起きた悲劇は、ここで助けた子が増えたことでどうなるのだ。
【空蒼】作戦での暴走は?
でもなんか、これでこの基地とソサエティの関係は強化されるっぽいから、もしかしてそれらも何とかなる……?
いや。でも。それでも一番ありそうなのは──そこまで生き延びたとして、これからの【血断】作戦で、結局全員、死ぬ。
様々な想像が駆け巡る。
自分たちは間違っていたのか、という想いと、皆が悩みぬいた結論が間違ってる筈がない、という想い。
そのどちらもはっきりとせず、慟哭も、安堵も出来ず神楽は薄れゆく世界の中で立ち尽くす。
──……シミュレータは、その答えを決して示してはくれない。
それを横目に、サクラが今回の立案者である男に言い放つ。
「人は夜に独り内省する生き物だ。変えられない過去で成功すりゃ何故最初にできなかったかと悔やみ、心が折れればその成功体験に縋って引きこもる。過去に耽り現在のリソースを無駄にして手が届いた筈の未来の結果まで失うことになる」
賢四郎が、その言葉に引き続くように問いかけた。
「結末は如何でしたか? 神の視点で動きこの結末になった」
……でも現実はそうはならなかった。だから賢四郎にとってはこの話はここでお終い、だ。言外に含ませたニュアンスを、男は感じ取ってはいるだろう。
(自分にとっては起きた事しか起きないんですよ……人生ってのは)
そう思いながら男を見る、しかし男は晴れ晴れとした顔で前を向いて言った。
「ええ……ええ、素晴らしいと思いましたよ。一回でここまで変わった。やはりこの世界の数年間、そして皆様にはまだまだ高い可能性がある、そう感じました」
きっぱりと言った男に、サクラは呆れ切って、諦めたように溜息をつき、賢四郎は驚愕に僅かに目を開いた。
「ならなかった結末から希望を見いだす……そこには心から敬意を表しますよ」
賢四郎がそれならいいとそう告げたところで、ユメリアが近づいてくる。
「納得……されたというのですか?」
賢四郎と同様、男の様子に少し戸惑いを感じながらも彼女は告げる。
「私は、『今』に納得できないあなたが、何万回目かに出会った成功で救われるとは思いません。『今』が並立するほどに命の価値は減じ、失敗の山があなたを虚ろにさせていく」
そうではない、それではいけないのだと、ユメリアは言葉を続ける。
「『今』は唯一だから苦しくも尊い。未来に繰り返さぬ為の糧となる。幸せな過去ではなく未来へとお進みください……苦しい時は手を取り、想いを歌にして解き放ちますから」
ユメリアが言い終えると、男は一度目を閉じて、そして冷静な声で答えた。
「過去を直そうとしている、そこに許されたい想いがあるのは否定しません。ですが、私は私なりに未来も見ているつもりですよ。目標はあくまで『強化人間が救われる未来を創ること』です。美しくなった過去を見てそこに引き籠るつもりなどでは有りませんよ」
「……え」
「『過去を変えたいとは思わないか』、そのつもりがないとは言いません。ですが私が皆さんに今回試していただいたことには『抵抗のある手段でもそれで助けられる人を助けるのは間違ってるのか』という意味もあります」
救いたいと思わないか、というより、実際にその場面に立ち会って救わずに居られるなら見せてみろ……と。
「引き換えに、自分の大事なアイデンティティを失うかもしれない、その危険性は認識していますよ。……参考にした物語たちの良くあるバッドエンドの形ですからね」
そして『主人公』足り得る者たちならばそれに耐え抜きループを脱出し、未来を創るはずだと。
「私は真剣に可能性はあると思っています。考えてみてください。なぜ、ソサエティはこの選択肢を残しているのですか」
選択肢として示しているという事は選択しても良いという事だ。ソサエティが──大精霊たちが、トマーゾ教授が、ナディアが話し合った上で。
「ただ『全滅という結末を繰り返し続けるよりマシ』、そんな消極的な目論見で、大精霊たちが自分たちの世界を明け渡すことを認めるんでしょうか。──……繰り返しの中で、新たな宇宙が生まる可能性は確かにある。貴方たちなら抗う。彼らがそう結論したからこそ、これは手段として残し得ると判断されたんじゃないですか」
これは、男の過去を変えられるか変えられないか、男がそれに満足するかの話ではない。
男の提示を聞いて、貴方はどう感じるか──あくまで、主役は貴方。貴方の決断のための、筋書き。
「──ならば『封印』、という選択肢も、同様に可能性があるという事ですよね」
そこに静かに割り込んできたのは──康太だった。
「ただの一時しのぎ、どうせ滅ぶという結末が見えているならば、大精霊たちがそれで良しとするのか。【封印は本来の星の寿命まで保つ】あるいは【未来に人類が邪神の対処法を見出す可能性はある】……そう感じたからこそ残された選択肢……とも言えるわけですか」
男が視線を向ける。
その視線を受けながら、康太は……何をやってるんだ、という己の想いを自覚していた。
自分はそんな柄じゃなかった。自分はそんな立場じゃなかった。クリムゾンウェストに召喚されることが無く、強化人間になるしかなかった、選ばれなかった存在。
「仰る通り、選択肢はソサエティの、大精霊やトマーゾ教授らが検討したものです。そして彼らが殲滅についての予測ではっきりと告げている、【甚大な被害を受ける】、【特別な力を持つ覚醒者以外はかなり死ぬ】、と。『戦果によっては』、『かもしれない』、そんな余地を含ませず、断定的にはっきり言ってるんです」
……実際どんな作戦を想定してるのかは分からないが。その重みから康太の死は確定だろう。自分でもそうするべきだと思うからだ──どうせ消費しなければならない命なら、直後に死ぬ自分の物から使うべき。
……それがどうした? 覚悟はしている。
自分はこんな柄じゃなかった。自分はそんな立場じゃなかった。
弁えているんだ。自分の死など、せいぜいが憐れんでもらえるまでだろうと。本気で悲しむ者など居るはずがなかった。ましてや命を賭けてでもそれを阻止しようなど。
もうやめてくれ。本当に辛いんだ。だってもう見えているだろう、貴女を一番悲しませるしかない未来になるだろうことは。
なのに。
抗えというのか。選ばれなかった者が。今も選べない者が。選ばれた者たちがするその選択に。
共に未来は歩めなくとも貴女の望みは叶うかもしれない……それでもか細いかもしれないその道に手を伸ばすことを、僕の立場から諦めるなと、そう言うのか。
「貴方の提案する方法には賛同できない。だがいい機会なので言わせていただく。世界全土が甚大な被害を受けてなお、邪神をこの手で討伐したというその成果が本当に誇れるのか、討伐を検討する者には今一度考えていただきたい! それより一度封印して全ての情報を冷静に精査すべきと僕は主張する!」
ああ──僕如きが何を言ってる。何をやってる。どうしてこうなった。
──……メアリさん。
今は何も言えません。どうか見ない振りをしてください。今はまだ、甘いことばかり言う貴女に心底呆れ避けたがる僕であってください。
本当の気持ちは、僕が……『今の僕』が、貴女の望みを一つでも叶えられる、その道がもし拓かれたら、その時に。
●
そうして彼らはシミュレートを終えて、現実へと帰還する。
「あの人の話は、分かる気はする。けど……共感はしてあげられない」
どこか申し訳なさそうな顔をする茜に、促すようにカーミンが視線を向けると、やがて茜はポツリと漏らした。
「無限ループなんて途方もなくて実感は持てないけど、ひとつだけ信じてることがある。『今この私の人生』は1度しかない、ってこと」
繰り返される世界の私は同じ姿形、記憶を持っていてもこの世界の私じゃない。
……確かめた。この目でしっかり確かめて、思った。あの強化人間の女の子を撃つ選択をした、それがやっぱり、私なのだと。
それを変えてしまった自分を、自分とはもう思えないだろうと……そう。
「その他人のために、あの女の子の重みを無かったことに、私は出来ない出来ないってはっきり思ったの」
だから、男の話はもしかしたら正しいのかもしれないけど、それに協力する気にはなれない。そのことに、やはり詫びるように視線を伏せる茜に。
「そう。良かった。それを聞けて、私はここで皆を手伝った甲斐があったと思ったわ」
カーミンがそういうと、茜はえ? と彼女に視線を向ける。
「貴女は彼の話をきちんと理解した上で、自分の気持ちと向き合って、それではっきり、やっぱりこっち、って選べたのよね。それは……『よく分からないから分かりやすい方を選ぶ』なんて決め方より、よっぽど価値ある決断になったんじゃない? 私はそう思う」
カーミンの言葉に、茜はしばし考える。
「……あの時の私と向き合うのは、やっぱり辛かったわ。それで結局何もしないんだから、こんなことに意味あるのかって。でも……」
それでもここにきて、少しは意味があったのかな。茜は小声で言った。
「未来や現在には、必ずなるべくしてなった理由があるです」
アルマはメンカルに、ぽつりと言う。
兄と、【兄】を見届けた。過去と同じ行動をとる【兄】を兄はただ見届けて受け止めて、兄とは違う未来を迎えそうな【兄】をただ見送った。兄の様子に後悔が残っているようには感じず、あの【兄】の姿に未練は感じなかった。
「過去は、その意味だと思ってるですー。だから、変えちゃだめです」
そういってからしかし、アルマはへにゃ、と微笑みかけてから、こう付け足した。
「希望を持つのは悪いことじゃないですけど」
男は男なりに足掻こうとしている、その事は、その姿勢は認めていると。
だから彼のことは否定しない。ただそれでも、アルマは、自分自身がそれを許容できないのだと。
だって、過去を変えてしまったら、ループを認めてしまったら、
「それって、『今ここにいる』僕ら自身を否定することですもん」
この条件を示されて。シミュレートした結果が、そうなのだと。
「……面倒なことに付き合わせて、悪かったな」
メンカルは微苦笑して、アルマに同行の礼を告げる。
そうして二人並んで歩く。
やはり自分にとって唯一、この兄がこの兄で、この弟がこの弟なのだ。そう感じながら。
「あー……ホント、あそこまで変わるたぁなあ」
現実世界へと戻ってきて、ボルディアはぼやくように言った。
「完璧に……見せつけられちまったなあ。あんときの俺は……失敗した。どうしようもなく、大失敗したんだな」
そう、はっきりと口にして。
……。
「フォローなしかよ、おい」
そうして、傍でただ聞いているカーミンに、ジト目を向けながら言った。
「私にとって、すべては情報よ? かつての貴女がしたこと、今の貴女がしたこと、それぞれから分かることがある、それだけで、私はそこに余計なものは背負わないし、貴女が感じることには大したことは言えないわ? ……だからただ、誰かが何か思うなら、それを吐き出したいなら受け止める、ともね」
微笑して言い放つカーミンに、ボルディアは苦笑する。
「そうだよな。お前に『そんなことない』なんて言って欲しいわけじゃねえし、言われても意味ねえ。うん、確かに認めてるんだ──俺は、失敗した」
改めて繰り返すボルディアの声は、しかし晴れやかだった。
「だから、ここで、ここから、やり直す必要があったんだ」
彼女はここを見直しに来た。何が悪かったのかをはっきりと見定め、己がこれからどうすべきなのか、どうあるべきなのかの糧とするために。
逃げるためではなく、進むために過去へと飛んだ。
「そう、何か見えたものがあったのね。それならよかった」
すっきりした様子のボルディアを、カーミンは祝福する。
「礼を言っとくぜ。今回は特に世話んなったな」
「気にしないで? 今回は私が皆の力になりたかったの。出来れば、今日ここに来た、かつて居合わせた皆の力にね」
だって。
「私がこの事件の後、多くの強化人間を助けたのはあなた達のお陰だから」
……そうして彼女たちはライブラリを出て、新たな一歩を踏みしめる。情報ではない、確かな己の肉体で。間違いのない現実の時間──やり直せようがそうでなかろうが、ただ一度きりの今。
残酷な時間だったと思う。
過酷な試練だったと思う。
彼らは熟慮したのかもしれないし、反射的だったのかもしれないし、或いは初めからそうと決まっていたようなものだったのかもしれない。
この後。泣いても笑っても彼らの命運を深く大きく決めることになる決断に、彼らはどのように向かい合うのだろう。
願わくば。
その決断が、それまでの時間が、振り返った時、ただの通過点でなく、充実した、それぞれにとって必要な時間だったと、そうなることを。
「軍の参加者は他に居ないのですか?」
この作戦を成功させるなら、軍で覚醒した者も出来得る限り参加しなければ意味がない。そうだろうと思ってフィロは参加したのだが、ハンター以外の人員は彼女が想定するよりずっと少なかった。
「ええ。私はこの作戦は自ら参加する意志が有る者でなければ参加させても意味がないと思います。故に、そもそも声をかける人員も選びましたし、主要は貴方方だと思っています」
この話には軍の組織としての性格は無くあくまで個人でも持ちかけたものだと男は答えた。何故なら、邪神の中のループは殆どの者がその繰り返しの中に居ると認識できないことはもうわかっているからだ。ならばその意志が無い者はあっさりとその中に飲み込まれるだけだろう。それが分かってて、嫌がるものに過去の過ちを突き付けるのはそう……まさに無駄に精神を消耗させる事になるだろう。フィロや宵待 サクラ(ka5561)が懸念した通り。
今一つ納得できないような顔のフィロとサクラを、しかし男は穏やかな視線で受け止めていた。
「無理矢理参加させられる者の事を想い、その負担を肩代わりするために、因縁も無くここに来た。その心根自体には、私は深く感謝しますよ。それもまた、未来を創る意志の一つとなり得る」
歓迎するように男が腕を広げる、その瞳が本気なのを見て、サクラは会話をあきらめることにした。元々、『命令で作戦に無理矢理参加させられる兵士なんていなかった』その時点で、彼女が用意して来た言葉のほとんどはその勢いを無くす。だがそれ以上に、話の通じない相手だ、そう感じた。
──……そう、話し合いというのは結局、互いに価値観が大きく異なると互いにただの空転になりかねない。
「私は、変えるべき過去、その当事者が十分に参加できない時点でこの作戦を無意味と考えます。過去を変えたいなら邪神をお倒し下さい。或いはその権能を神霊樹に付与できるかもしれません。これは所詮、大きく現実と乖離したり一定時間が過ぎれば終了する非現実、いくら繰り返そうとけして現実になりません」
フィロのその言葉に、男は顔を曇らせた。
「『邪神をお倒し下さい』……。それを……簡単に言い放てしまう事。そこから私と貴方方の感覚は随分離れているのでしょうね。……前回の【血断】作戦で、多くの戦死者が出たことはご存知ですか?」
特に力あるハンターたちは、その経験から、次も帰ってこれると自信があるのかもしれない。だが軍人たちは、多くの駆け出しやそこそこ程度のハンターたちは違う。帰ってこない仲間たちが常にいて、自分たちも今回生き延びたことは幸運としか言えない、次は自分だとしか思えない。その差が、思考に、結論に差を生むのだろう。
「邪神の討伐となれば。我々の感覚ではもはや、損害が何割というレベルではない、誰か生きて帰るものが居れば余程の幸運だろう、そういう認識です。そうして、その『余程の幸運』に恵まれて帰還すれば、目にするのはその間の邪神の攻撃で破壊された大地。『過去をやり直してこい』と、どちらが過酷な選択なのかは……私と意見を同にする者がいないと言い切れますかね?」
男の言葉に、それでもフィロは静かに立っていた。それでも彼女からは、彼女の持つ力からすれば、余りにも分からないことが多すぎるその選択肢は実現性のあるものとは思えないのだろう。
「ええ……それでも。それでも、ここで邪神を倒さねば人類に未来は無いんだ……その感覚も、分かりますよ。そして貴方たちの感覚なら、それが可能と考えるんでしょう……私には分からないが」
逆に力足りない者には、強大な敵を前に勝てる気がするという気持ちが分からない。
それでも、決意を秘めて邪神に打ち勝つ、その選択が出来るその意志もまた尊いものだ。
サクラはもう男の方を見ておらず、ライブラリに目を向けている。さっさと始めようと。彼女は男の思惑に賛同してここに来たわけではない。あとは行動で、固まっている己の意志を、譲れないものを示すだけだ。
促すようなサクラの強い意志を秘めた視線に、男が頷く。
そうして、ライブラリはシミュレーターを起動した。
●
蓄積された情報から演算が行われ、過去が再現される。
意識が浮上していく。視界が開けていく。過去のその場所を、それぞれがそれぞれの目的、あるいは意志を果たすために進んでいく。
「……俺は持っていない。が」
聞こえてくる、一句一句過去と違いのない声。アスガルドに関わる一切を渡せと言った士官に、かつての【メンカル】が告げた言葉。
「――ここに来たのが俺でよかったな? 弟にそれを言っていれば、今頃お前の体に穴が開いていただろう。アレは時々、後先を考えんからな」
それが、そのことを、過去の通りに違いなく告げた──瞬間。
「お兄ちゃん。僕、いますです」
起こらなかったことが起きた。アルマ・A・エインズワース(ka4901)が物陰からひょい、と顔を出す。
「は? お、おま……いや、ちょっと待て!?」
ぎょっとした【メンカル】が、珍しく表情を大きく変化させながらアルマと士官を交互に見る。動揺と焦りで青ざめた表情。いやまて、気持ちは分かる。分かるから落ち着け、今ここで面倒を起こすのはマズい……──
「あはっ。お兄ちゃんに免じて暴れはしないです。でも、戦場に出るなら気を付けるです? 後ろとか、頭の上とか」
どこで覚えた、と言いたくなるような台詞に、物陰で見守っていたメンカル(ka5338)──『現実の』メンカルは頭を抱えていた。
(程々にな、アル……)
ハラハラと見守りながらも、一先ずは黙って見ている。ここに己が登場するのは流石に影響が大きすぎるだろう。
「君も参加するハンターかね。……残念ながら私は前線には出ないよ。作戦の全体統括だからね」
士官は、突然の登場には面食らっていたものの、ハンターが反発的な態度を示すことは折り込み済みだったのだろう。挑発は、涼しい顔で受け流す。
「……アル。なんでお前が今ここにいるのか分からんが、兎に角……」
そこで、我に返った【メンカル】がアルマに話しかける。アルマは笑顔でそれに応じた。
「わふ。分かってるです。『余計なこと』はしないですよ。絶対」
きっぱりと告げるアルマ。
分かっている。
全て「結末」は兄に聞いてある──その通りに。
死ぬべき者には死を。
生きるべき者には活路を。
そのつもりで、ここに来た。
ここで新たに救いも殺しもしない……少なくとも、【兄】の行動に影響が及ぶ範囲は、全て事実の通りに。
……その為に来た。
「……」
【メンカル】がアルマを見つめる。
訳が分からないながらも、それでも──このときでも──【メンカル】は、彼の『兄』で。上手く言葉にならない、何かをそこに感じ取ったのか。
「良く分からんがまあ……分かってるならいい」
理屈ではなく納得して、彼は落ち着きを取り戻した。
それを影でずっと見つめながら、メンカルはアルマの言葉を反芻する。……余計なことは、しない。絶対に。
そのために来たのだ。二人で。己の過去を──ただ、『見守る』為に。
●
いよいよ本格的に状況が動き出す。攻め上がる、暴走したアスガルドの少年少女。迎撃すべく兵士たちが、ハンターたちが動き始める。
かつてそこに居なかったユメリア(ka7010)は静かにその場に降り立ち、あちこちの気配に意識を巡らせる。
「──報われないハーメルンの笛吹きは子供を攫いました」
告げて、笛に口を当て一吹き。甲高い音があたりにと吹き鳴らされる。物語の如く──それは、「わるもの」の到来を知らせ。
一人の少年がその音に反応したのか、ユメリアの元へと姿を現す。
「うああぁああっ!」
血走った目でユメリアへと銃口を向け、躊躇いなく放って来た。ユメリアは祈りの言葉を紡ぐと、光が彼女を覆い、身を穿つ弾丸の勢いを殺す。
防御と回復の魔法で時を稼ぎながら、ユメリアは報告書から頭に叩き込んでおいたこれからの流れ、軍の進軍ルートなどを思い描き、少年を誘導する。
かつてここに居なかった彼女は、事態へと介入する道を選んだ。助かる命を一つでも増やすために。
……それが、現在に何も影響を与えないことは分かっている。だから彼女がこうするのは、この話を持ち掛けた彼のために。
変化させようと試みて、その結果を確かめて──それから、彼と話してみたいことがあったのだ。
サクラはとある部隊と行動を共にし、強化人間の少女の一人と対峙した。
そして、
「……! ……」
遭遇に、声を上げる暇もなく。
苦痛に悲鳴を上げる間もなく、少女は叩き伏せられる。
構えすら見せない状態から、一瞬で接近し擦れ違いざまの一撃。その一撃にふらつく身体が避けられよう筈も無い、縦横無尽の連撃。
兵士たちの目に留まったのは、光刃を纏うその刃の残像だけだろう。瞬く間に終わり、突然のように広がる血濡れた光景にやはり声も出ない。
「次行こう」
文句など……言えるはずもなく。先を行くサクラに、兵士たちはついていく。
少女は、意識が闇に沈みゆく中で。
(ハンターさん……私……全然、出来なかった……ね。ハンターさんたちみたく……悪い敵をやっつける、強い子に……なり、たかった……)
最後に、そう思う。
サクラが同行する部隊。それは。
史実においては、最も損耗が激しかった部隊である。
その原因を全て叩き斬る──彼女はそのつもりで、ここに来ていた。
「自分は結末を変える事に興味はありませんよ」
事態が動き始めた過去の時間の中で、初月 賢四郎(ka1046)は元同僚の男の側に立つとそう切り出す。
「だが貴方が望む結末にしたいなら指示を下さい。何故なら貴方が綴るべき物語なのですから」
そう言うと男は小さく苦笑する。
「私はやはり、本命は貴方がただろうと思っていますが……そうですね。私が目指すのですから、私が挑まずに諦めてかかるには行きませんよね。……では、行きましょう」
男はそういって静かに見据えるように街を見渡した。
「……」
様子に、賢四郎は僅かに違和感を覚える。
何か少し、想定にズレがあるのではないか……──。
「やはり、軍とハンターの間の溝ですよね。その原因は希望たるハンターとこの時の軍の悲壮感、その温度差にあります。ここを、この時間の者が見える情報で埋めるにはどうするか……意見は伺っても?」
「……。ええ、そうですね。やはり軍に入り込めれば……とは思いますが。この時間には……」
「ええ、居ましたよ。私も。やはり、なんとか私が入り込んで、もっと早くに空気を変えること、ですかね……」
まずは過去の【私】に近づき機を待ちましょう。そういって男は動き始める。
賢四郎はその結果を見届けるべく、後を追い始めた。
●
事態は進む。あちこちで戦闘の音が上がり始める。
天王寺茜(ka4080)も、かつてここにいて……そして、再びここに来た。
見つからないように隠れて向かう先には、かつての【茜】が居る。
「後で必ず治療するから……今はゴメンなさい!」
茜が黙って見つめていると、【茜】は、過去に彼女が行ったそのままに行動した。動きが鈍った相手を押し倒し……その手首に銃口を押し付けて──引く。
……目の前の【茜】と違って、茜の両手は今空いている。迸る絶叫に耳を塞ぐことが出来るから……茜は、自分の腕を自分で押さえなければならなかった。
閉じたくなる目を、反らしたくなる首は意思の力で。
……全部、必死だったあのときより更に良く見えた。ああ、なんて乱暴なやり方。あんなに血が流れてたのか。
でもこれがあのときの彼女が出来たやり方だった。彼らを殺そうとする人たちも動いているから、手分けして迅速にやる必要があると思ってた。
【茜】が駆け抜けていく。倒れた少女に応急処置だけして。少女のあとのことは仲間に託して、次の場所へ。
そうして、完全に【茜】が去ったのを見送ってから、茜は倒れた少女に近付いていく。
後悔は……やっぱりあると、思う。こうして自分の過去のやり方をみてしまうと。それでも。
「……焦っていた割には、意外とちゃんと処置、出来てたのね、私……」
屈みこんで、少女に施した治療の具合を確かめて、茜はポツリと呟いた。
──これが、あのときの私のあのときの意志が成し遂げたこと。
そして、それは……。
「……ゴメンなさい。私には、この過去を変えられないの……」
茜は少女に謝罪する。今の茜として、干渉しないと決意した、そのことについての謝罪。
それでもこれくらいは、と、彼女は少女を抱え、収容場所に背負って連れていくのだった。
●
過去の者たちが、そして現実の者たちが、事態に向けて様々な行動を、あるいは決意を示す。
そんな中で、神楽(ka2032)は来たはいいもののどうすればいいのか、未だに悩んでいた。
変えるならば……と、やはり過去の自分が居た場所、その近くに潜み兎に角事態を見守る。
ファミリアを用い、ルートを指示して保護派と殺傷派がかち合わないようにする、その動き自体はあとから見ても状況に良く貢献していたと思う。
やはり、この時点で意見が分かれることはどうしようも無いだろう。ハンターの間でもそうだった。言えるのは、ここで議論したりましてや対立していたらどちらにとってもマイナスでしか無いこと。だからかち合わないようにする。それはやはり……これでいいのだ。
だが。
見守り続ける、その果てに。
「弱者が使い捨てられるのはよくある悲劇っす。お前達は運が無かったっす」
とうとう【神楽】自身が、暴走した少女と対峙する。
近付いていく。過去の己。少女。
どうする。
刃と。少女。が、近づいて、いく。
──……どうする!
──……
……。
神楽の意識が、空白になって。
ハッとした瞬間、見えた光景はさっきまでと異なっていた。
倒れる、強化人間の少女──そして、【神楽】。
そっと近付く。二人とも……昏倒しているだけだった。
側には、【神楽】が使っていた刃。
……さあ、また決断だ。
結果を変えない、その為には。
刃を、拾って、振り上げて……──
「駄目っす。助かる奴を殺すなんて出来ないっす」
……神楽は、力なくそれを取り落とした。
殺す代わりに──これはこれで苦しくない訳もないが──手足を折り、更に拘束する。他に捕縛された子を集めていた場所に連れていく。
……何の問題もなく、出来た。歴史の修正力が働いて脈絡なく流れ弾で死ぬなんて事も特段なく。
出来て……しまった。
じゃあ……これからどうする?
過去のすべての記憶を引っ張り出して、神楽は走り始めた。
これから【神楽】が殺す子たちを、先回りして無力化するために。
●
時は少し遡る。ブリーフィングを終え、皆が出撃した直後の事だ。
作戦室に残るのは士官一人となる。その時、扉を開けて入ってくるものが居た。
「謝りに来た。“あの時”の俺は、頭に血が上ってたからな」
「……ほんの五分ほど前の事だったと思うがね」
「ああ……お前の感覚だと、そうなるよな」
また予想外の事態に、士官は眉をひそめて、やって来た──彼の感覚だと、『戻ってきた』ことになるのかもしれないが──ボルディア・コンフラムス(ka0796)に、士官は訝しげな視線を向ける。
「……のんびりしていて良いのかね。君は随分あの……あの、『死せる戦士』たちを助けたがっていたようだが」
「今何か言い直したんじゃねえか? ……まだ部下の前じゃ言えねえ、お前の真意が聞きたい。……この局面、乗り越えるのはハンターと軍、協力し合わなきゃならねえんだ」
ボルディアの訴えに、僅かに眼が細められただけの士官の表情の変化、そこからわずかに垣間見られるのは困惑だった。
「さっきまでの君とは……別人としか思えんな。さっきのはブラフか? だが、あそこで私の反感を買う事に何の意味がある……」
整理の為なのだろう、小声で士官は言った。そして、一度目を閉じて、ゆっくりと開く。
「……真意も何も、私の役割はこの作戦を成功させること、だ。そのための命令は既に部下たちに下した」
しかし返ってきたのは何かを抑えるような静かな返事だった。
「別に絶対殺せとは一言も言ってねえ命令をだよな」
「……。君が勝手にそう思いたいなら、そうすればいい。どうせ好きに動くつもりなのだろう」
ああ、やはりまだ彼は明かせないか。『今この時点では』。
──……まともな話し合いで、あれば。
「『リスクを恐れて助かるかもしれない命を見殺しにするのか』……だっけか。俺が未来から来たっつったら、信じるか?」
今度こそ、士官はぎょっとした目をボルディアに向けた。
「そんな……そんな馬鹿げた話があるものか。だが……だがどういうことだ? それは私がハンターに何か言われたら返そうとしていた言葉そのまま……単語一つ違わん。そんなことが……有り得るのか?」
動揺する士官。信じさせる芽はあるとボルディアは感じた。それはこのまま協力体制の強化は計れる、それだけじゃない。
……彼にも伝えたいことが、あった。
救えるか分からない命の為に部下の命を賭けるのが怖いなら。
「……ここで助けた命は、ちゃんと繋がるよ。全員じゃねえけど、アスガルドに帰れた奴もいる」
せめて、お前のやる事に意味はあるんだと。
「…………」
今度、彼が見せた沈黙は、長かった。
「やはり……信じがたい話だ。鵜呑みには出来ん」
やがて静かに、緩く首を振りながら、士官は答えた。
「私がすべきことは変わらん。この事態を極力被害の少ない形で収束させることだ。その為に適切に判断し都度命を下す……それだけだよ」
士官の言葉に、ボルディアは苦笑する。
ああこれも、頭に血が上った状態で聞いたらこう思うだろうか。あくまで自分の命令が最適なのだ、意見を聞くつもりは無い……と。
だが今は分かる。こう言いたいのだ。状況を判断し協力が適切だと認めれば適宜命令を修正すると。
「……お前、何考えてるか分かんねえって良く言われるだろ」
「……分かりにくくしてるのだよ。それでもどうしてもわからん連中の目をごまかすにはこういう芸当も否が応でも覚える羽目になる」
「リアルブルーの組織ってなあ、肩が凝るなあ。ご苦労さん。そう言う事なら……お互い最善を尽くそうぜ」
笑ってボルディアは部屋を出て、駆け出していった。
「話はまとまった?」
機嫌良さそうに出てきたボルディアに、カーミン・S・フィールズ(ka1559)が寄り添う。
「おう。上々……でもねーか。成果を出さねえと動いてくれねえなやっぱり。細かいところは任せたぜ。俺じゃあどうにもボロが出かねねえ」
「ええ。ここに居るのは『当時の』私。そう言う事で行くから、そこだけは気を付けて?」
過去の者の行動を最適化するには。分析した『未来』の情報を、『当時』の自分として渡す必要がある。言動には細かい気配りが必要だろう。
カーミンは叩き込んできた情報を振り返る。そこにはあらゆる強い感情が渦巻いていた。
悲しみ、怒り、焦り。
成就した願いの影に、踏み躙られた想い、その上に積み重ね得られたモノ。
カーミンはそれを『動機』というラベルを貼ったフィルターで漉して、行動予測のための情報という無機質な形で取り出す。
すべきことを見定めて……行動を、開始する。
●
「貴方たちの不安は分かるわ? だからもし上官から命令違反と叱責されたら私たちに脅されたと言っていい。……ええ、そんなことになったらハンターとしてどうなるか分からないわ? だから『そうなってもいい』じゃない、『そうならない確信がある』と思って頂戴」
分隊の一つと合流し、カーミンは協力を願い出てそう言った。分隊長の顔に浮かぶのは当然と言おうか、戸惑い。
「頼む、協力してくれ! ……ガキどもを助けてえんだ!」
そこに、ボルディアが重ねて頭を下げると、理と情、双方から揺さぶられて幾つかの分隊が協力を了承する。
「回収してるの、気づいてるんでしょ? 彼らに任せて、私たちは次」
出し惜しみはせず、迅速に暴走する強化人間を制圧して振り返って、告げる。
「正史で不利になれば相手は引いた。戦いへの強迫観念を上回る何かがあった」
それでも、明確に変化を見せてきた状況に、カーミンは手ごたえを感じる。
賢四郎と男の動き、正史では損耗の激しかった部隊の援護にサクラやフィロが廻っていることも大きいのだろう。
「今なら追撃は容易。哀れな羊達をハンターという柵の中に追うわ、協力して」
死ぬはずだった者をここで生かすことはできるし、逃げたものをここで捕らえておくことも出来るかもしれない。
……だが、それでも。
「協力は、致しかねる」
それでも兵士たちの中に協力を拒絶する者は居た。
「上官の命令に解釈の幅があるというのならば。私は私の判断で、これが同胞のために最適であると信じる」
……先の見えない希望は残酷では無いかと。『この時の』兵士なら思うだろう。どう言えば彼らに希望を持たせられるか。未来の話はここではすべきではない。一対一で落ち着いて話すならともかく、複数に手短に話すのは混乱のリスクの方がはるかに大きい。月に行っても、この時点では暴走を戻す装置は完成していない。
カーミンはそこに、強く食い下がりはしなかった。この時点ではこんなもの……という冷静な思考もあるし。
ある意味、これはこれで良いのだ、という考えもあった。
……冷たく言い放ち、任務の遂行を続ける軍人を。
康太は、つぶさに見つめていた。
その目の冷たさを、狭さを、……だがそれでもそこには信念があるのだと。
自分もそうだった。そうするだろう。彼らが少年少女に手加減なく攻撃を加えて行くのを、歯を食い縛り、体を抱き込むように抑えて見ている。
そこに、
「ここは、幸せな未来になるかもしれませんね」
話しかけてくる声があった。康太の耳に、奥歯を噛み締める音がいっそう響いた。
「──でも私たちの世界ではない」
「自分のところに行かなくていいんですか」
……だから【貴女】のところは避けていたのに、と、康太は振り向きもせずメアリ・ロイド(ka6633)に告げた。
「それはもう済ませました」
事も無げにメアリは答える。【メアリ】には、「思うように進め。迷うな」とだけ書いた手紙を忍ばせておいた。それだけで、やりたいことは十分だと。
「私は私の未来のために、高瀬さんに覚悟を伝えに来ました」
そうしてメアリは、拒絶の意を示し続ける康太に躊躇いなく近付いてくる。
「この間の私は、愚かでした。自己犠牲に頼らずとも一緒に戦い生きるのに必要な力は既に持っていたのをあの後やっと自覚した」
声と共に、ふさり、何かが擦れる音。康太は背中を向けたまま無理矢理に視線を最小限の動きだけで向けた。
「迷いは願掛けで伸ばした髪ごと断ち切ってきた」
見えたのは、ウイッグを片手に持つ彼女の姿──後ろ髪がショートヘアになった。
「願いはこの手で叶える──改めて、一緒に戦わせてください」
少し強くなった声と共に、近付いてくる。更にもう一歩。
「貴方の愛したリアルブルーをずっと見守るという夢ができました。恋はリアルブルー奪還まで置いときます。終わったら貴方の好きな場所に連れて行ってください」
そうして彼女が話す間。康太はずっと振り向かなかった。一度彼女を見た意外、視線はずっと兵士に向けられていた。そうして。
「分かりました──貴女が何も理解していないということが」
冷たい声で、答えた。
「僕があのときの貴女に言いたかったことは全くの逆です。戦時下の軍人に添おうと言うのであれば──常に戦死の覚悟が出来てなくてどうするのですか」
怪我しそう、その程度で慌てふためくその様に「覚悟が足りない」と言ったのだ。
「【血断】作戦中に、僕は戦死する。僕はもうそのつもりです。『そこは自分が護る』、そんなつもりでいるなら、先だっての邪神翼との戦いがどんな作戦であったか思い出してください」
最も強力な個体に、特に力の強いハンターに当たってもらわざるを得ない。……周りに意識を回す余裕など最も無いのが選ばれたハンターたちなのだ。そして彼らがそれに専心する時間を、軍人やその他大勢が肉の壁となって稼ぐ。
そうだ。
冷静に考えて、康太がもう、リアルブルーに帰還する望みなど、ほぼ無いのだ。
康太は目の前の軍人を見ている。所詮これが現実だ。そう言いながら暴走する少年少女を倒す、その様。
……そうだ、自分もそういう奴だった。希望なんかより、今顕在している情報を、現実を良く見ろと──そういう奴だったんだ。
「……っ!」
やがて康太は忌々しげに息を吐くと、一気に走り出してメアリの元から去っていった。
●
(ああ……ここはあまり変わっていないな)
目的地へと辿り着いて、鞍馬 真(ka5819)は安堵──と言っていいのかは複雑だ──に小さく息を吐いた。
見つかっても問題が無いように顔を隠し、息を潜めて見守るのは……動きを封じた子供たちが集められる場所だった。
軍人たちの協力関係に変化は出ている。そのせいだろう、ここに集められる顔触れも多少は変わったかもしれない。だが変わっていないこともある。
たった一人のハンターが子供たちの監視と治療に当たっていること。それから……この顔だけは真が見間違えるわけが無い。特に酷い怪我を負って横たわる一人の少年。
変化をもたらそうとするハンターたちは皆、軍の援護や軍との関係の見直しに動いていた。だが、全ての悲劇を回避するなら、足りない箇所がある。
(……いや。見落とした、じゃなくて見逃した、なのかな。カーミンさんなら)
真はそう感じて苦笑した。彼女は皆の心情に寄り添う為にここに来た。ならば彼が何をしようとしているのか、分かった上でここは放置したのか。
そうして。
悲劇は正確に繰り返される。
容態を急変させた少年に、見守っていたハンターは慌てて高度な回復魔法をかける。傷が癒えた少年はしかし却って「化物」と皆が傷付く光景を目の当たりにし。
暴走するまま、全てを傷付けて暴れる、その時に。
事態に気付いて、影から飛び出してくる──【真】。
それを。
真は。
ただ目を見開いて、見守った。
見届けた。
かつての通りに、少年に向かっていく己の『覚悟』を。
傍目に見るかつての【真】の動きには全く無駄というものが感じられなかった。
事態を把握するや否や即座に地を蹴る。最短距離を駆け抜けて少年の元に到達、刃を向ける、その刺突も最速で届かせる為の理にかなった最低限の動作。
嗚呼、うっかり見惚れそうだよ。躊躇の無いその動きはまるで殺戮のための機械だ──一周回って芸術的ですらある。
実際には一瞬だったのだろう、だがスローモーションになっていくその光景が、やがて完全に静止する。
はっきり見えた。己の刃が間違いなく少年の胸をを貫いて。
──それから……先程までその少年を助けようとしていたハンター、それが手にしていた刃が本当に、少年の喉に届く直前だったのを。
止まっていた光景が、また流れ始める。それを意識した直後、
「うっ……ぐ、ああっ……」
物陰で必死で声を抑えながら。真は胃がひっくり返るような苦しみに悶えた。
痙攣する胃が訴える痛みに──分かっていた筈だ、とそれに耐える。消したい過去を眼前に突きつけられて、苦しくない筈がない。
それでも──干渉はしない。やり直さない。
ここで何をしても現実は変わらない。私があの子を殺さなかった現在(いま)は存在しない。
あの子を殺した私が、殺さなくて済んだ可能性を知ることに何の意味がある。
──……そんなのは、罪を重ねるだけだ。
想像してみる。殺さなかった自分は、その後どのように動いていただろうか。完全に入れ替わったとして、その痛みを知らずに、その後の方針も体験も変わっていく。
そんな自分に──上書きされていく。
その笑顔を、活躍を想像してみて。
真は、ゆっくりと首を振った。
やはり、過去は否定しない。変えない。
そして──忘れない。
それが贖罪であり……私の答えだ。
正しいのか、間違っているかではない。
(……失った過去に縛られた私が、過去を否定して、やり直す、なんて。そんなこと、できる筈が無いんだよ)
そうとしか、在れないのだ。
その事を確りと認めるために、彼はここに来たのだ。
●
アルマたちもまた、ほぼ過去と同じ筋道を辿っていた。
カーミンからの情報支援も受けながら、『余計なこと』はせず、変化した状況に対して【メンカル】に影響が無いように逆介入する。
時に駄犬のように「気にしないでくださいよー」と救われるはずの者は無邪気に助けては去り、
時には魔王の如く「貴方は悪くないのですが……これが定めです」と筋道から離れた者を冷酷に処理していく。
そうして。メンカルはとうとう、見届けに来たその時に辿り着く。
かつての【メンカル】が軍人たちをやり過ごし、幾人かの少年少女を無力化したその過程。
認識する現実はこれが正しいと確信はさせてくれず、それでも時間が経てば経つほど受け入れがたい現実は重なっていく。緊張と疲労が普段の比では無かった──そんな時間を過ぎていくうちに、遭遇した、少女。
「がはっ!?」
あのときと同じように【メンカル】は物陰からの不意打ちで少女を無力化しようと試み、そしてあのときと同じように、一撃では上手くいかず少女は苦悶にのたうち回る。
【メンカル】は拳を固め、少女を気絶させようと追撃する。少女はそれにもがき叫んで抵抗して……やがて倒れる。
──……ここからだ。
メンカルは物陰から、昏く虚ろな表情で息を荒げる【メンカル】を観察する。
憔悴していた……そうだろう。メンカルはこのときの事がどうしても思い出せないのだ。
少女は、動かない。【メンカル】はそれをしばらく見詰めて……ふらり。はそのまま、覚束ない足取りで別の場所へと向かおうと、する──。
「……生きてるですよ、お兄ちゃん」
そうして、聞こえた声に、その足を止めた。
「わふっ! ちゃんと手加減して、綺麗に気絶してるですっ! さっすがお兄ちゃんです!」
無邪気なのかわざとなのか、無駄に明るい声に。
【メンカル】は振り返る。まだどこか空虚な顔で。
そうしてゆらりと、弟が伝える結果を自分でも確かめて。
そしてゆっくりと、アルマへ向けて顔を上げる。
「アル……アル、なあ。お前はどうして、ここにいるんだ?」
今更のことを、メンカルが口にする。居るはずじゃなかった筈だ。居られる筈が。
有り得ないことが起きている──まるで、奇跡とでも呼ぶような何かが。
そうして。また己に近付く気配に【メンカル】が反射的に視線をやると、今度こそ言葉を失った。
「なぁ、俺。……お前は、俺は、間違ってはいなかったぞ」
メンカルが、【メンカル】の前に姿を表したからだ。
「なんだ、その、言い種は……」
それじゃあまるで、と言いたげな顔に、メンカルはその想像を肯定するように頷く。
「そんなことが……しかしそれなら、一体何が起きた。俺にこれから……何をさせようというのだ」
続く問い、それにはメンカルは首を横に振る。
「俺から敢えてお前にさせることなどない。お前がやるべきと思うことを、ここまま為せ」
言うと【メンカル】は──まだ焦燥は残っていたが、少し自分らしい表情を取り戻して──苦笑する。
「なんだ、未来から来ておいて、重大な情報も忠告も無しなのか? そんなの『お前』の自己満足じゃないか」
言われて、そうだな、と思った。【メンカル】に対してこれは別に何の意味もない。ここにいる彼はあくまでシミュレータが演算して作り出した虚像であり、現実で何が変化するわけでも無いのだから。
自覚して……それならばとメンカルは肩を竦めて敢えて聞いてみる。
「聞きたいか? ここからどんな事件が起こり、何を止めるべきか」
そう問うと、【メンカル】は少し沈黙し。
「……いや、やめておこう。『お前』がどうしてもそうすべき、と言うのでないのなら……己の役割は己で定める」
そう、【メンカル】が言うのを見て。
それを確かめて──何かがストン、と落ちるべきところに落ちたのを、メンカルは感じた。
走り去っていく彼──かつての己より余程しっかりした足取りに思えた──を、アルマとメンカル、二人で見る。
「……あれは実際、俺とは違う運命を辿るのかもな」
この先、自分には救えなかったものも、あれは救うのかも知れない。
それでも、
「──生きた命があるならば、消えた命は無駄ではない」
今の自分に言い聞かせるようにメンカルはそう呟き。
遠ざかる背中を、やはりただずっと、見守っていた──否、見送っていた。
──……さらばだ。有り得たかもしれない、でも決して俺ではない俺よ。
●
そうして、事態は収束していく。暴走したアスガルドの少年少女らは制圧され、或いは同じように退却していく。状況の収量を確認し、ハンターと兵士たちがブリーフィングルームに再集合する。
「強化人間を実用するならばこそ、廃棄して終わりなど進歩に繋がりません。治療・改良のための症例に役立てるべきです」
かつての【茜】が、同じように士官に話しかける。
そうして。
「……」
同じ言葉は返ってこなかった。士官はしばらく沈黙し、ハンターでは無く兵士たちに──かつてより多く残る兵士たちに──視線を流す。
「正直、これほどの数の『死せる戦士』が『捕縛』されるのは想定外だ。……しかもその多くに、我が兵が関わったと」
兵士たちの間に、緊張が走る。
「……だが、その上でこれだけの兵が健在であるなら、『どう保護を続けるつもりだ』とも言い難いな」
続けて、ため息交じりに士官は言った。
「この結果は私の命令に曖昧な点もあった責を認めよう。だが分かっているな? これらが再度暴走し余計な被害を生むなどならんよう、諸君らにはこれから相当働いてもらわねばならん」
ざわつく。ハンターたちが、兵士たちが。保護を認めてくれるのか──殺さなくて良いのかと。
「……交代で休息を取れ。私はハンターソサエティに連絡し対処について相談せねばならん。以降は追って指示する。……ハンター諸君については、今回の任務はここまでだ。ご苦労だった」
動揺は。
見守っていた『現実』の者たちにもあっただろう。
こんなに変わるのか──もっとハンターと軍の連携を密にしていたら。あの時士官の真意に気付いていたら。
そうして。
シミュレートの時間が……終わりを迎えるのを、感じ取る。
「ちょ、ちょっと待つっすよ!」
解け行く世界の中で、神楽が悲鳴を上げる。
ここから……ここからじゃないか。ここで助けてあの子たちは終わりじゃない。このまま現在まで進んだらどうなるのか? 幸せになっているのか? 自分たちの過ちを知るには……むしろそこが肝心じゃないか。
……だが、このシミュレータはそこまで万能ではない。
基本的に記録の再現に過ぎないため、IFの演算を出来る時間は限られている。
連続して再生できるのは、基本的にはその情報の元となる、実際にパルムが観測した範囲──その時間、空間。そこを大きく逸脱することはできない。
神楽の脳裏を、様々な出来事が駆け巡る。
この後のロンドンの戦いは?
ニダヴェリールの除幕式で起きた悲劇は、ここで助けた子が増えたことでどうなるのだ。
【空蒼】作戦での暴走は?
でもなんか、これでこの基地とソサエティの関係は強化されるっぽいから、もしかしてそれらも何とかなる……?
いや。でも。それでも一番ありそうなのは──そこまで生き延びたとして、これからの【血断】作戦で、結局全員、死ぬ。
様々な想像が駆け巡る。
自分たちは間違っていたのか、という想いと、皆が悩みぬいた結論が間違ってる筈がない、という想い。
そのどちらもはっきりとせず、慟哭も、安堵も出来ず神楽は薄れゆく世界の中で立ち尽くす。
──……シミュレータは、その答えを決して示してはくれない。
それを横目に、サクラが今回の立案者である男に言い放つ。
「人は夜に独り内省する生き物だ。変えられない過去で成功すりゃ何故最初にできなかったかと悔やみ、心が折れればその成功体験に縋って引きこもる。過去に耽り現在のリソースを無駄にして手が届いた筈の未来の結果まで失うことになる」
賢四郎が、その言葉に引き続くように問いかけた。
「結末は如何でしたか? 神の視点で動きこの結末になった」
……でも現実はそうはならなかった。だから賢四郎にとってはこの話はここでお終い、だ。言外に含ませたニュアンスを、男は感じ取ってはいるだろう。
(自分にとっては起きた事しか起きないんですよ……人生ってのは)
そう思いながら男を見る、しかし男は晴れ晴れとした顔で前を向いて言った。
「ええ……ええ、素晴らしいと思いましたよ。一回でここまで変わった。やはりこの世界の数年間、そして皆様にはまだまだ高い可能性がある、そう感じました」
きっぱりと言った男に、サクラは呆れ切って、諦めたように溜息をつき、賢四郎は驚愕に僅かに目を開いた。
「ならなかった結末から希望を見いだす……そこには心から敬意を表しますよ」
賢四郎がそれならいいとそう告げたところで、ユメリアが近づいてくる。
「納得……されたというのですか?」
賢四郎と同様、男の様子に少し戸惑いを感じながらも彼女は告げる。
「私は、『今』に納得できないあなたが、何万回目かに出会った成功で救われるとは思いません。『今』が並立するほどに命の価値は減じ、失敗の山があなたを虚ろにさせていく」
そうではない、それではいけないのだと、ユメリアは言葉を続ける。
「『今』は唯一だから苦しくも尊い。未来に繰り返さぬ為の糧となる。幸せな過去ではなく未来へとお進みください……苦しい時は手を取り、想いを歌にして解き放ちますから」
ユメリアが言い終えると、男は一度目を閉じて、そして冷静な声で答えた。
「過去を直そうとしている、そこに許されたい想いがあるのは否定しません。ですが、私は私なりに未来も見ているつもりですよ。目標はあくまで『強化人間が救われる未来を創ること』です。美しくなった過去を見てそこに引き籠るつもりなどでは有りませんよ」
「……え」
「『過去を変えたいとは思わないか』、そのつもりがないとは言いません。ですが私が皆さんに今回試していただいたことには『抵抗のある手段でもそれで助けられる人を助けるのは間違ってるのか』という意味もあります」
救いたいと思わないか、というより、実際にその場面に立ち会って救わずに居られるなら見せてみろ……と。
「引き換えに、自分の大事なアイデンティティを失うかもしれない、その危険性は認識していますよ。……参考にした物語たちの良くあるバッドエンドの形ですからね」
そして『主人公』足り得る者たちならばそれに耐え抜きループを脱出し、未来を創るはずだと。
「私は真剣に可能性はあると思っています。考えてみてください。なぜ、ソサエティはこの選択肢を残しているのですか」
選択肢として示しているという事は選択しても良いという事だ。ソサエティが──大精霊たちが、トマーゾ教授が、ナディアが話し合った上で。
「ただ『全滅という結末を繰り返し続けるよりマシ』、そんな消極的な目論見で、大精霊たちが自分たちの世界を明け渡すことを認めるんでしょうか。──……繰り返しの中で、新たな宇宙が生まる可能性は確かにある。貴方たちなら抗う。彼らがそう結論したからこそ、これは手段として残し得ると判断されたんじゃないですか」
これは、男の過去を変えられるか変えられないか、男がそれに満足するかの話ではない。
男の提示を聞いて、貴方はどう感じるか──あくまで、主役は貴方。貴方の決断のための、筋書き。
「──ならば『封印』、という選択肢も、同様に可能性があるという事ですよね」
そこに静かに割り込んできたのは──康太だった。
「ただの一時しのぎ、どうせ滅ぶという結末が見えているならば、大精霊たちがそれで良しとするのか。【封印は本来の星の寿命まで保つ】あるいは【未来に人類が邪神の対処法を見出す可能性はある】……そう感じたからこそ残された選択肢……とも言えるわけですか」
男が視線を向ける。
その視線を受けながら、康太は……何をやってるんだ、という己の想いを自覚していた。
自分はそんな柄じゃなかった。自分はそんな立場じゃなかった。クリムゾンウェストに召喚されることが無く、強化人間になるしかなかった、選ばれなかった存在。
「仰る通り、選択肢はソサエティの、大精霊やトマーゾ教授らが検討したものです。そして彼らが殲滅についての予測ではっきりと告げている、【甚大な被害を受ける】、【特別な力を持つ覚醒者以外はかなり死ぬ】、と。『戦果によっては』、『かもしれない』、そんな余地を含ませず、断定的にはっきり言ってるんです」
……実際どんな作戦を想定してるのかは分からないが。その重みから康太の死は確定だろう。自分でもそうするべきだと思うからだ──どうせ消費しなければならない命なら、直後に死ぬ自分の物から使うべき。
……それがどうした? 覚悟はしている。
自分はこんな柄じゃなかった。自分はそんな立場じゃなかった。
弁えているんだ。自分の死など、せいぜいが憐れんでもらえるまでだろうと。本気で悲しむ者など居るはずがなかった。ましてや命を賭けてでもそれを阻止しようなど。
もうやめてくれ。本当に辛いんだ。だってもう見えているだろう、貴女を一番悲しませるしかない未来になるだろうことは。
なのに。
抗えというのか。選ばれなかった者が。今も選べない者が。選ばれた者たちがするその選択に。
共に未来は歩めなくとも貴女の望みは叶うかもしれない……それでもか細いかもしれないその道に手を伸ばすことを、僕の立場から諦めるなと、そう言うのか。
「貴方の提案する方法には賛同できない。だがいい機会なので言わせていただく。世界全土が甚大な被害を受けてなお、邪神をこの手で討伐したというその成果が本当に誇れるのか、討伐を検討する者には今一度考えていただきたい! それより一度封印して全ての情報を冷静に精査すべきと僕は主張する!」
ああ──僕如きが何を言ってる。何をやってる。どうしてこうなった。
──……メアリさん。
今は何も言えません。どうか見ない振りをしてください。今はまだ、甘いことばかり言う貴女に心底呆れ避けたがる僕であってください。
本当の気持ちは、僕が……『今の僕』が、貴女の望みを一つでも叶えられる、その道がもし拓かれたら、その時に。
●
そうして彼らはシミュレートを終えて、現実へと帰還する。
「あの人の話は、分かる気はする。けど……共感はしてあげられない」
どこか申し訳なさそうな顔をする茜に、促すようにカーミンが視線を向けると、やがて茜はポツリと漏らした。
「無限ループなんて途方もなくて実感は持てないけど、ひとつだけ信じてることがある。『今この私の人生』は1度しかない、ってこと」
繰り返される世界の私は同じ姿形、記憶を持っていてもこの世界の私じゃない。
……確かめた。この目でしっかり確かめて、思った。あの強化人間の女の子を撃つ選択をした、それがやっぱり、私なのだと。
それを変えてしまった自分を、自分とはもう思えないだろうと……そう。
「その他人のために、あの女の子の重みを無かったことに、私は出来ない出来ないってはっきり思ったの」
だから、男の話はもしかしたら正しいのかもしれないけど、それに協力する気にはなれない。そのことに、やはり詫びるように視線を伏せる茜に。
「そう。良かった。それを聞けて、私はここで皆を手伝った甲斐があったと思ったわ」
カーミンがそういうと、茜はえ? と彼女に視線を向ける。
「貴女は彼の話をきちんと理解した上で、自分の気持ちと向き合って、それではっきり、やっぱりこっち、って選べたのよね。それは……『よく分からないから分かりやすい方を選ぶ』なんて決め方より、よっぽど価値ある決断になったんじゃない? 私はそう思う」
カーミンの言葉に、茜はしばし考える。
「……あの時の私と向き合うのは、やっぱり辛かったわ。それで結局何もしないんだから、こんなことに意味あるのかって。でも……」
それでもここにきて、少しは意味があったのかな。茜は小声で言った。
「未来や現在には、必ずなるべくしてなった理由があるです」
アルマはメンカルに、ぽつりと言う。
兄と、【兄】を見届けた。過去と同じ行動をとる【兄】を兄はただ見届けて受け止めて、兄とは違う未来を迎えそうな【兄】をただ見送った。兄の様子に後悔が残っているようには感じず、あの【兄】の姿に未練は感じなかった。
「過去は、その意味だと思ってるですー。だから、変えちゃだめです」
そういってからしかし、アルマはへにゃ、と微笑みかけてから、こう付け足した。
「希望を持つのは悪いことじゃないですけど」
男は男なりに足掻こうとしている、その事は、その姿勢は認めていると。
だから彼のことは否定しない。ただそれでも、アルマは、自分自身がそれを許容できないのだと。
だって、過去を変えてしまったら、ループを認めてしまったら、
「それって、『今ここにいる』僕ら自身を否定することですもん」
この条件を示されて。シミュレートした結果が、そうなのだと。
「……面倒なことに付き合わせて、悪かったな」
メンカルは微苦笑して、アルマに同行の礼を告げる。
そうして二人並んで歩く。
やはり自分にとって唯一、この兄がこの兄で、この弟がこの弟なのだ。そう感じながら。
「あー……ホント、あそこまで変わるたぁなあ」
現実世界へと戻ってきて、ボルディアはぼやくように言った。
「完璧に……見せつけられちまったなあ。あんときの俺は……失敗した。どうしようもなく、大失敗したんだな」
そう、はっきりと口にして。
……。
「フォローなしかよ、おい」
そうして、傍でただ聞いているカーミンに、ジト目を向けながら言った。
「私にとって、すべては情報よ? かつての貴女がしたこと、今の貴女がしたこと、それぞれから分かることがある、それだけで、私はそこに余計なものは背負わないし、貴女が感じることには大したことは言えないわ? ……だからただ、誰かが何か思うなら、それを吐き出したいなら受け止める、ともね」
微笑して言い放つカーミンに、ボルディアは苦笑する。
「そうだよな。お前に『そんなことない』なんて言って欲しいわけじゃねえし、言われても意味ねえ。うん、確かに認めてるんだ──俺は、失敗した」
改めて繰り返すボルディアの声は、しかし晴れやかだった。
「だから、ここで、ここから、やり直す必要があったんだ」
彼女はここを見直しに来た。何が悪かったのかをはっきりと見定め、己がこれからどうすべきなのか、どうあるべきなのかの糧とするために。
逃げるためではなく、進むために過去へと飛んだ。
「そう、何か見えたものがあったのね。それならよかった」
すっきりした様子のボルディアを、カーミンは祝福する。
「礼を言っとくぜ。今回は特に世話んなったな」
「気にしないで? 今回は私が皆の力になりたかったの。出来れば、今日ここに来た、かつて居合わせた皆の力にね」
だって。
「私がこの事件の後、多くの強化人間を助けたのはあなた達のお陰だから」
……そうして彼女たちはライブラリを出て、新たな一歩を踏みしめる。情報ではない、確かな己の肉体で。間違いのない現実の時間──やり直せようがそうでなかろうが、ただ一度きりの今。
残酷な時間だったと思う。
過酷な試練だったと思う。
彼らは熟慮したのかもしれないし、反射的だったのかもしれないし、或いは初めからそうと決まっていたようなものだったのかもしれない。
この後。泣いても笑っても彼らの命運を深く大きく決めることになる決断に、彼らはどのように向かい合うのだろう。
願わくば。
その決断が、それまでの時間が、振り返った時、ただの通過点でなく、充実した、それぞれにとって必要な時間だったと、そうなることを。
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依頼相談掲示板 | |||
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質問卓 メアリ・ロイド(ka6633) 人間(リアルブルー)|24才|女性|機導師(アルケミスト) |
最終発言 2019/05/20 17:11:25 |
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2019/05/19 21:36:31 |
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時は可逆、歴史は不可逆 カーミン・S・フィールズ(ka1559) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|疾影士(ストライダー) |
最終発言 2019/05/22 06:14:56 |