それでも尚、世界で成すことは

マスター:DoLLer

シナリオ形態
ショート
難易度
普通
オプション
参加費
1,000
参加制限
-
参加人数
4~10人
サポート
0~0人
マテリアルリンク
報酬
普通
相談期間
5日
締切
2015/02/12 09:00
完成日
2015/02/19 19:28

みんなの思い出

思い出設定されたOMC商品がありません。

オープニング

 その町に戻ってきたレイチェルの顔には少しばかり微笑みが生まれていた。生涯の伴侶と決めていた偉大なる吟遊詩人グインが逝去した時には、もう自分は心から笑うことも、何かに希望を見出すこともないだろうとそう思っていたのに。心とは本当に不思議なものだと感じていた。
 自分の曲、正しくは大グインが遺していった曲に感銘を受け、その道に進みたいと言ってくれた少年は元気だろうか。凍てついた寒風の中で少ない人通りをゆっくりと歩みながら、レイチェルはもう一人のグイン、少年グインのことを考えていた。ひたすらに前向きな子。生きる力を全身に満ち溢れさせている子。心に虚無の風が吹き荒れる中で彼の言葉は行動は太陽のようだった。あまりに眩しすぎて受け入れられなかったことも多かったけれど。
 彼は楽器の練習をしているだろうか。いや血気盛んな少年だ。もう他のことに興味を持っているかもしれない。どんな変化があっても今度は向き合わなければ。
 もう一度会う。それは少年グインと交わした約束だから。そして自分を助けてくれたハンターとの約束だから。レイチェルは白が混じる前髪をかきあげ、しっかと前を向いて歩いた。
 レイチェルはかつて自分が歌っていた酒場の前にやって来た。そこに少年グインがいるかどうかはわからないが、ここの人ならばその所在も明らかになるであろうと考えていた。扉に手をかけたその時、中から酔いどれた男の自慢げな声が自分の名前をあげたことに気付いた。
「それでよぅ、レイチェルはもうジジイのこと忘れてゾッコンさ。これも俺があの子供にハンターのこと教えてやったからだぜ。ははは、もしかしたらハンターに依頼すれば、あの美人を今度は俺に触り向かせることもできるかもしれねぇなぁ。お高くとまった吟遊詩人でも、エルフでも所詮は女ってワケよ」
 その言葉に従って、同じ酔いどれ同士が喝さいの声を上げる。それにさらに気を良くしたのか酔っ払いはより上機嫌に、そして声を大きくする。
 その声だけやたらクローズアップされて、ワンワンと響く。
「はっはっ。じゃあ、俺もグインって名前にして依頼しよう。それでレイチェルを惚れさせてな、俺はあのガキよりもっと幸せにしてやるぁ。あはは、あの美人の歌声でさ鳴かせてやりてぇなァ」
 今、私は何を見ているんだろう。何を経験してきたんだろう?
 レイチェルが見える世界が急激に薄べったくなった。何もかもが平面的な。舞台劇だってもう少し手の込んだ作りをしていると思えるくらいだ。
 私が見てきた世界とは何だったんだろう?
 私の葛藤とはなんだったんだろう?
 全て虚構だったのか。少年グインの思いも、大グインの依頼も。救ってくれたハンターの肌の温かみも。
 違う、違うと首を振った。だが、吸い込む空気すらも陳腐で。息ができなくなる。
 レイチェルはそこに立っていられなくなり、扉の枠にズルズルともたれかかった。心の中も同様だった。何かが崩れていくのを必死にかき集めてとどめようとするが、雨に濡れた砂の城のように手の上から下から、ずるずると崩れ去っていくのがわかる。
 先ほどまではなんともなかった冬の風が、心を刺し、切り刻んでいく。
 怖いほどに寒い。
 ……痛い。
「レイチェルさん!」
 明るい声が背中からかかった。それが喜びに満ちた少年グインのものであることはすぐわかった。その足音に混じって竪琴の弦が揺れて空気を揺らす音が微かに聞き取れた。彼は真面目に楽器を練習していたことは振り向くまでもなくわかった。
 いや、まともに後ろを振り向くことはできないからこそ。この長い耳が眼の代わりに伝えてくれたのだ。
「俺、楽器ずっと練習してたんですよ……レイチェルさん? レイチェルさん!」
 もはや自分の力では立っていることすらできない。そんな異変に少年グインも気づいたのだろう。すかさず彼女に歩み寄ってくる音が聞こえる。
 しかし、もう彼女は彼に振り向いて顔を見るようなことはしなかった。
「……近づかないで」
 彼の名が本当にグインなのか、真意はどうだったのか、レイチェルにはもう分からなかった。
 酔っ払った男の世迷言など信用してはならない。と叫ぶ心もあった。
 だが、もう。耐えられなかった。
 レイチェルはそのまま、少年グインの顔を見ることなく倒れこんだ。


「エルフにだって寿命がある。歳を経たエルフはね、周囲のマテリアルにとかく影響されやすくなる。だから100年前後過ぎればだいたい森に帰ってしまうんだ。彼女はかなり損耗している。もう長くはないとは思うが、このまま放っておくわけにもいかない。ハンターに依頼して対処してもらうよ」
 遠く。遠く。暗闇の向こうからそんな声が聞こえた。
 酒場のマスターの声だ。ぼやけた頭がそっと教えてくれた。
「ハンターオフィスにいってくるから、片付け頼む。ったくグインも阿呆なことしなければ、別れには立ち会えたのにな。しばらくブタ箱だろうからな」
 マスターが歩く音が聞こえた。ガラスと木の破片の上を歩くひどく不安定な足音が響く。
 それを聞き届けて、暗闇の中にガラスの破片が散らばる世界が浮かんだ。
 破片の中に沈むペンダント。割れたティーカップからこぼれたお茶とお菓子。それから抱きしめられた肌の温かみ。
 そして出会った人々の顔が。浮かんでは消えていく。

 世界は、時計の針は止められぬ。
 いいのだ。これで。ずっと愛してきたグインの元に逝けるのだから。
 何もかも終わりにできると思うと、心が落ち着いた。

 それでも尚、ちりりと心が痛んだ。

リプレイ本文

●酔った男
 施療院の一室にグインが怪我を負わせた男の姿はあった。一人ではない。恐らく喝采を上げていた仲間達なのだろう。
「あーあ」
 エハウィイ・スゥ(ka0006)は思わずため息を漏らした。彼らに包帯がされていないところを探すのが難しいほどでグインがどれほど暴れまわったのか想像は容易だ。ルシオ・セレステ(ka0673)やリリア・ノヴィドール(ka3056)の姿を見て、彼らは恐怖におびえた目をこちらに向けた。
「怖がらなくていい」
 ロニ・カルディス(ka0551)は短くそう言うと、そっと男に跪いて掌を翳した。その手がゆるやかに輝くと、春の日差しのような温かさが男を包んだ。同じようにエハウィイやルシオも男達にヒールをかけていく。
「もう大丈夫。少し痕は残るかもしれないけれど」
「グインが随分無茶をしたようだが、その前後、何があったのかを教えてくれないか。今回の事を調べているんだ」
 その言葉に、男は憎悪のこもった瞳を輝かせたのをロニは見逃さず、こう付け加えた。
「この事は後で衛兵にも伝える。虚偽は自分の身を危うくするぞ?」
 その言葉で男は心を見透かされたことに対する戦慄の色を浮かべ、そして正直に顛末を語った。
「俺の口添えがあったからこそレイチェルとグインは親しい関係になったんだ。っていう話をしてたんだ。そしたらグインがやってきて。レイチェルが倒れているって。お前が来たから幸せで倒れたんじゃねえか。ってからかったんだよ。そしたら酒瓶で殴りつけてきて……」
「まぁ、タイミング悪かったよね」
 恋する人の為に男が体を張るのは悪くないんだけど、いただけないなぁ。とエハウィイは誰にも気づかれない小さな声で呟いた。
「本当にそれだけ? 少し、話が飛んでる気がするのね」
 リリアは奥歯をきり、と噛みしめながら努めて冷静にそう問いかけた。
「心が乱れるとマテリアルも乱れてしまうってマスターが言ってたから……介抱してやれって……」
「随分と丁寧な言い方なのね」
 詳細なぞとっくに酒場のマスターに聞いている。この下劣な男が、魂も心も乱され生死の境を彷徨うレイチェルとそれを本気で心配するグインに向かって何を言ったのか。リリアは知っていた。だからこそ、それでも自己を正当化しようとする男が許せなかった。理解のある人間になってほしい、などという彼女のささやかな願いは崩れ去った。
 リリアはショートソードを抜き放ち、閃光のような速さで男の枕に突き立てた。
「貴方がっ、貴方みたいなのがいるから!! 鳴かせてやりたいならあたしが相手になってやるのね!! 死ぬまで付き合ってあげる!」
「ひっ! 許して、許して……! 俺が悪かった! 酒の上でとはいえ、本当に悪いことをしたと後悔してる!」
「リリア、抑えて」
 もう一度刃を振り上げたのをルシオが抱き止めるようにして引きはがした。そしてルシオは頭だけ少し巡らせ、少し垂れた耳の向こうから男を見やって言った。
「あなたの言葉が以前小グインの背を押してくれたそうだね? ありがとう……お大事に」
「行こう。グインの釈放は難しいかもしれんが、情状酌量の余地はあるかもしれない」
 ロニはそう言うと、まだ若干興奮気味のリリアの背中を軽く叩いて外へと連れ出した。
 後に残るは緊迫した空気だけ。エハウィイは仲間の3人が出ていくのを見送ると、髪をくしゃりと掻いて、何とも言えない複雑な顔をする男に向き直った。エハウィイにはどことなくその顔に含まれる感情が読み取れた。恐怖と嫉妬と、やり場のない憐憫。そして自分に対する侮蔑。
「あのさ。これはお願いなんだけど……」

●レイチェルの傍に
 ぷかり。とパイプから煙をくゆらせてエアルドフリス(ka1856)は言った。
「マテリアルは生命活動と置き換えてもいい。偏在するがエルフってのは特にそれと縁が深いらしい。マテリアルが変調をきたせば肉体的な活動どころか、精神活動にも影響が出る。実際のところ、症状を鑑みりゃ大グインが亡くなったあの日には……もう破綻し始めていたはずだ。レイチェルはな、それを精神力だけで乗り越えてきたとみえる」
 大グインの遺髪を入れたペンダントをレイチェルに握らせて、エアルドフリスは職業柄懇意にしている医者に話を聞いたことを伝えた。と言ってもこの部屋にいるのはアリス・ブラックキャット(ka2914)とリュカ(ka3828)、それに酔っ払いの見舞いから戻ってきたルシオとリリア。全員エルフであり、彼女たちにとってはよく知った事実かもしれない。
「元には戻らないんだよね?」
「腐った果実を元に戻す術はない。地に落ちて芽吹いたものがまた果実を結ぶかもしれないがそれは別物だし、放置すると最悪他のものまで影響することもある」
 アリスの言葉にリュカが答えた。レイチェルが歪虚になってしまわないか。リュカはそれが心配だった。レイチェルの為にと、近くから土ごと運んできた草木を見つめるうちに、枯れ落ち瘴気を放つようになった我が故郷が重なって見えて、リュカは首を振った。
「だが、その進行を遅らせ、それ以上ひどくさせないことはできる。それ以上の効果も期待できないわけではない」
 リュカはそう言うと、鉢植えをアリスに渡した。アリスは花屋で見つけてきたガーベラの鉢植えと合わせ、眠るレイチェルの周りにそっと置いた。
 部屋は宿屋の一室とは思えないほどに緑に溢れかえっていた。部屋の中にいる者たちはむせ返る土と緑の香りにそれぞれが故郷を思い浮かべた。
「大グインのところに祈りを添えてきたよ。まだ彼女を迎えに来るのは待ってほしいと」
 ルシオはそう言うと、リュカより預けられていた木の葉飾りをそっとレイチェルの胸に置いた。
「ね、レイチェルちゃん。別れるって辛いよね。わたしもだよ。でももう悲しみに暮れていたレイチェルちゃんじゃないよね。一人じゃないから……」
 エアルドフリスがミントとカモミールの干した葉の上に湯を注ぐと、混沌としていた緑の香りが整えられ、空気が凛と晴れる中、アリスはレイチェルの耳元で囁き、そしてエルフ達はレイチェルを取り囲んで皆意識を集中した。
「少しでも心残りがあるなら、諦めちゃだめなの」
 リリアは精一杯、マテリアルヒーリングの力を高めて細くなったレイチェルの手を握った。自身のマテリアルを活性化させる技だが、ほんの僅かでもレイチェルに影響できるかもしれない。祈りにも似た気持ちで意識を集中させるのはリリアだけでない。アリスもリュカも、そしてルシオはヒールの力で。
 緑と水と光の影が部屋に満ち溢れ、新緑のオーラが幾重にもはためく。そんな様子を遠くから見ているエアルドフリスは大怪我をした過日を思い出した。あれには吐き気のする思いがしたが、今のこれとは根幹はきっと同じなのかもしれない。
 祈り、囁き、詠唱。そして。
「そうね。もう少しで諦めるところだった」
 かすれるような声だが、確かにレイチェルはそう言った。生気の戻った顔が微笑んでいた。
「レイチェルちゃん!」
 黒ウサギの耳を伸ばしたアリスは思わずレイチェルに飛び込むように抱きしめた。
 14年前のあの日。家族と愛した部族の仲間たちの笑顔が重なる。爾来心を閉ざしたが。
「お目覚めかね。何か淹れようか」
「とびきりのカモミールティーと、マドレーヌを」
 円環の裡を巡る旅路にはまた憎悪に塗れることもあろう。だが今日という日に立ち返ることができるのであればそれも悪くない。

●グインとの面会
「……何やってんだよ。お前」
 留置場にいるグインにリュー・グランフェスト(ka2419)はそう声をかけた。暗闇の中でふてくされていたグインは顔も体もあちこち痣だらけだった。包帯の巻かれた指が痛々しい。
「その手は何のためにあんだよ。人を傷つけるためだったのか? その口は人を罵倒するためにあったのか」
「愛した人を守れなくて、どんな歌唄えってんだ! そのとも言葉と音楽で人の心を傷つけろっていうのかよ!」
 グインも負けてはいなかった。身体はボロボロでも、リューにぶつかるような気迫でそう叫んだ。
「言葉と音楽で人を殺すこともできるということを知ったか。成長したのう……しかし、結論は同じじゃ。他人の人生を潰したことに変わりはない。詩人が暴力をふるったとあらばそれに携わる者も悲しむ。残っとるのは愛する人と音楽を汚したくないという汝のエゴだけじゃ」
 クラリッサ=W・ソルシエール(ka0659)は長い睫を伏せがちにし、その奥から深い色の瞳をグインに向けた。
「でも、真面目なお方です。周りの人も言っていました。グインは人が変わったって。あんなに感性豊かで真っ直ぐな人間はいないって皆さん口をそろえて言っていましたよ」
 遅れてやってきたミオレスカ(ka3496)がそう言った。ミオとクラリッサの言葉にグインはどう答えていいのか分からず、ただ俯くばかりだった。その沈黙をリューが低く、小さな声で打ち破った。
「お前、どうしたいんだよ。レイチェルはもうそんなに長くないんだぞ」
「……会いたい。一言でも、弦の響きだけでも、届けたい。謝りたい、感謝の言葉を伝えたい。でも」
 包帯とあて木で分厚くなった指に涙が零れ落ちた。牢獄の冷たい壁は視線を遮り声も届かない。この指では弦ひとつつま弾けない。グインは嗚咽と共に崩れ落ちた。
 ほんの僅かな時間を空けて、クラリッサは地に伏せるグインの前で膝をついて、手を差し伸べた。
「それなら周りの人間に感謝する事じゃな。全てのお節介な者にのう」
「グインさん。酒場のマスターは言っていました。争いのあったあの時間に老朽化していた棚が『たまたま』崩れてきた、んですって」
 ミオがにこりと言った。
「酔っ払いも言い争ったことは認めたが、自分に非があったことを認めたそうじゃ。怪我も大したことなかったらしくてのぅ。治療者に小言を言われて帰ってきたそうじゃ」
「え……?」
 グインは顔を上げた。そんなはずはない。間違いなく骨は数本。内臓損傷も見られると言われていたはずだ。
「これはですね。ハンターの意見としては覚醒の兆候ではないかと疑ってます。つまりハンターズソサエティで調査する管轄である可能性がありまして」
 ミオはそこまで言って、こほん。と咳払いをすると証言を集めていたらしいメモを取り出した。
「本当に感謝すべきはレイチェルさんかもしれません。彼女の歌に心酔したのはグインさんだけではなく、多くの人が悲しみの淵から脱するきっかけになっていたということです。また人柄も良く多くの人に親しまれており、彼女のこの危機には皆でできることをしてあげたいと……。そしてグインさんも決して悪い人じゃないとみんな認めてくれたんです。異口同音にそう言ってくれるんですから……この町はお節介な人が本当に多いみたいです」
 ね? とミオに同意を求められたクラリッサは少しだけはにかみ笑いを浮かべて、こくりと頷いた。きっと今口を開くと、恵美としての言葉が飛び出てしまっていたところだろう。
「結論としては、ここにいる理由も道理もないってことだ。そしてその指の怪我も……な」
 ゆっくりと降りてきたロニがヒールを施した。まゆばい光が治まり、包帯をほどくとそこには幾分細くなったグインの健康的な指が伸びていた。
 呆然とするグインにリューは接収されていた竪琴をグインの胸に押し付ける。
「もう手放すなよ……これはただの竪琴じゃない。お前を取り巻く『世界』がお前の為に与えたものなんだからな。成すべきこと、やらなきゃならないこと、やってこい」
 こっちはその為に頭を下げまくって、みんなして走り回って小さなこの町全員に協力してもらったんだからな。リューは心の中でそう付け加えた。
「不幸になるだけの未来など、妾は見とうない。……さぁ、どれだけ変わったか、見せてあげて」
 クラリッサの最後の声が少しだけ震えた。
 それに弾かれるようにして、グインは立ち上がった。
「ありがとう、ございますっ。俺、行ってくるよ」
 光の洩れる方向に彼は走り始めた。

●それでも尚、世界を紡ぐ者
 レイチェルは森に戻ることを選択した。森に戻ればもう少しは生きながらえ、偉大なるグインに報告できることもいくつかできるだろう。との事であった。
 ルシオはそれが本心の全てではないことはよく知っていたし、リュカも周りに調子を合わせたような彼女に不服を漏らしたが、それもまた本心なの。と伝えられて、どうにか納得した。
「大丈夫? 苦しくない?」
 移動は馬車だった。車の中では満足に身を横たえすらできない状況にリリアはひどく心配したが、レイチェルは苦しい顔ひとつ見せなかった。
「どうしてかしら、とても楽よ。それどころか呼吸するたびに気が楽になっていく感じね」
「レイチェルちゃん。別れは辛くない? わたしは今でも……どうしていいか分からないよ」
 アリスは手にした宝石を撫でながらそう尋ねた。寂寥感が混ざるのか、この宝石に宿る精霊に願いを託したいのか、アリス自身もよくわからなかった。
「別れじゃないわ。いつもどこかでつながっているもの。愛するグインの言葉だけど。ふふふ、40年も連れ添ってようやく理解できるようになったわね。少年のグインは、私が倒れた時に竪琴を持って私の元に訪れてくれた。それで十分よ。大グインの遺志も、私の意志も、彼は受け取ってくれたんだから。惜しむらくはどんな音を紡ぎだすのか聞けなかったことね」
 死と向かい合って乗り越えたレイチェルはもう悲しそうではなかった。アリスは大グインの死後からレイチェルの傍にいたが、これほど落ち着いたのはあの葬儀の後ですからも見られなかった。
「しかし、それでは甲斐がない」
 エアルドフリスは窓を開けた。途端に暖かな日差しと、胸を包むような風が吹き込み、アリスの膝にのせていたガーベラを揺らした。
 それと同時に、弦のつま弾く音が聞こえた。

Scompare lentamente la nostalgia da questro.
(心の故郷離れる寂しさは 消えていくよ)

遠く離れたところから低い声が聞こえる。
レイチェルはゆっくりと首を巡らせそちらを見た。竪琴をかき鳴らし朗々とグインが歌っている。
同時に合いの手の拍手が漣のように響き始める。それはあの酔いどれ達だ。もう酒に溺れた顔ではなく、まっすぐな目でこちらを見ながら手を打ち合わせてくれている。
「はーい、テンポ合わせてね」
 エハウィイは馬車の歩みに合わせて歩きながら、手を振り上げた。途端に馬車を包み込む人々の歌声が響いた。

Da qualcuno che mi aspetta
(私を待つ誰かがいるから)

「みんなレイチェルさんの歌が、偉大なグインさんの詩が好きでした。活力をもらって、今幸せであることに気付いて、みな嬉しかったんです。これはほんのお礼、です」
 ミオは馬車の反対側の窓を開けて、そう言った。春を待つ優しい風が馬車を吹き抜けていくと同時に、ハーモニーが流れていく。
 レイチェルは耳がピンと立った。一つの音も聞きもらさないように、町の人達がもたらす喜びに満ちたマテリアルの響きを胸にしまうために。
「エルフも人も、俺のようなドワーフも。つながっている。忘れないでほしい。絶望しないでほしい」
 ロニの言葉にレイチェルは何度もうなずいた。息をするたびに気が楽になっていくというのは感覚ではわかっていたが。レイチェルは涙を一筋流した。

Nell' orizzonte che si stende a una fine della
(視界の果てまで続く地平線も)

「僅かな期間でよくもまあこれだけ上達するものじゃの。これが人の想いがなせる業か」
 クラリッサはグインの傍でその歌を聴いていた。竪琴の動きは精緻で、その歌声は胸の奥まで響いてくる。リューはリュートを奏で、グインの音に合わせながら小さく念じた。
「皆が奏でるこの音色。かけた想いは嘘をつかないんだぜ……」
 馬車を遠くに見やるようになり、門の前で少年は竪琴をおろし、光と風に満ちた世界を見つめていた。
「行かないのかよ」
「町のみんなにお礼を言ってから、行く。ありがとう。俺、……いえ、私は最高の巡りあいをいただきました」
 グインはそう言うと、残ったハンターに深々と頭を下げた。

Penso che mi abbraccio
(私を抱いてくれているようだね)

 歌の最後のフレーズをレイチェルはぽそり、口ずさんだ。
 リュカの見守る中、レイチェルはそう呟いた。景色はゆっくりと進み歌も少しずつ遠くなってきた。そして見えてくるのは教会。愛しい大グインが眠る場所。
「もう自分に枷をはめることもない。人は頼りまた頼られて、後へ後へと続いていくんだ」
「大グインがこの世を去って、私も消えようとしていた。この思いは、この世界はもう誰にも紡がれることもないと思っていたわ」
 レイチェルは輝く空の元、自分と同じ木の葉飾りがかけられた墓石を見つめ、そしてゆっくり目を閉じた。
「それでも尚、世界を紡いでくれた人達に。
 ……ありがとう」

 レイチェルの耳に、溌剌とした大グインの声が蘇ってくる。彼が飛び切りの笑顔で語り掛けてくれた言葉だ。
「見ておくれ、世界はこんなにも美しい」

依頼結果

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MVP一覧

  • 赤き大地の放浪者
    エアルドフリスka1856
  • それでも尚、世界を紡ぐ者
    アリス・ブラックキャットka2914
  • それでも尚、世界を紡ぐ者
    リリア・ノヴィドールka3056
  • 不撓の森人
    リュカka3828

重体一覧

参加者一覧

  • もえもえきゅん
    エハウィイ・スゥ(ka0006
    人間(紅)|17才|女性|聖導士
  • 支援巧者
    ロニ・カルディス(ka0551
    ドワーフ|20才|男性|聖導士
  • 風の紡ぎ手
    クラリッサ=W・ソルシエール(ka0659
    人間(蒼)|20才|女性|魔術師
  • 杏とユニスの先生
    ルシオ・セレステ(ka0673
    エルフ|21才|女性|聖導士
  • 赤き大地の放浪者
    エアルドフリス(ka1856
    人間(紅)|30才|男性|魔術師
  • 巡るスズラン
    リュー・グランフェスト(ka2419
    人間(紅)|18才|男性|闘狩人
  • それでも尚、世界を紡ぐ者
    アリス・ブラックキャット(ka2914
    人間(紅)|25才|女性|霊闘士
  • それでも尚、世界を紡ぐ者
    リリア・ノヴィドール(ka3056
    エルフ|18才|女性|疾影士
  • 師岬の未来をつなぐ
    ミオレスカ(ka3496
    エルフ|18才|女性|猟撃士
  • 不撓の森人
    リュカ(ka3828
    エルフ|27才|女性|霊闘士

サポート一覧

マテリアルリンク参加者一覧

依頼相談掲示板
アイコン レイチェルの為に
エアルドフリス(ka1856
人間(クリムゾンウェスト)|30才|男性|魔術師(マギステル)
最終発言
2015/02/12 00:46:14
アイコン 依頼前の挨拶スレッド
ミリア・クロスフィールド(kz0012
人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人
最終発言
2015/02/10 07:51:50