ゲスト
(ka0000)
【MN】トンネルを抜けるとそこは
マスター:KINUTA
このシナリオは5日間納期が延長されています。
オープニング
●異界の住人
赤い壁に緑の瓦。要所要所に金の装飾が施された、けばけばしいほど絢爛な楼閣。
そこは八百万の神様向けに作られた遊興場。現世の垢を落とし疲れを癒す温泉宿という触れ込みだが、内実は相当いかがわしい。
楼閣の主はニケという魔女。悪魔の眷属とのことで、すばらしくやり手。
楼閣最上階の執務室。
スーツ姿のニケが、みすぼらしい壷装束の訪問者と話をしている。
訪問者の周囲には、なんだかよく分からない小さな動物が、不安そうに身を寄せ合っている。
「住んでいた場所がダム工事によってなくなったと?」
『……ええ……山も谷も水の底に沈んでしまって……私は、もう現世に留まれない……」
「『かみさま』というのは切ない存在ですね。人間から求められなくなる、依って立つ土地がなくなる。たったそれだけのことでこの世から消えてしまうんですから」
「……それは仕方ないわ……そういうものだから……でも彼らは住むところがなくなってしまってかわいそう……」
「人里に降りればいいではないですか」
「……彼らはいやだと言っている……人間は怖いからと……と言って私と一緒に居続けても……もう私は力を失っていて……彼らに何もしてあげられないから……だからあなたのところで働かせてあげてもらえないかしら……そして生活を保障……」
「下働きは、正直飽和状態なんですけどねえ……」
と言いながらニケの目は、訪問者を値踏みしている。その口もとにちらっと、人の悪そうな笑みが浮かんだ。
「あなたがこの地に留まって保証人になってくれるなら、彼らを雇ってもいいですよ?」
「……留まる……と言っても……私はほどなく消えてしまうので……」
「ええ、現世にいるならそうでしょう。でもね、ここは現世じゃないんです。ここにいる限り、あなたは消えなくてすみます。つまり立派に保証人となれるわけでして」
「……あら……そうなの……それはよかったわ……私が保証すれば……彼らはここで雇ってもらえるのね……?」
「はい。ではこの契約書類にサインを」
訪問者は渡されたペンで、書類に、自分の名を書き込んだ。
ニケはそれを受け取り手早く折り畳む。そして訪問者に尋ねる。
「――さて、あなたの名前はなんでしたか?」
「え?…………なんだったかしら……覚えていないわ……」
「そうですか。では新しい名前を考えなくてはいけませんね。あなたの好きな花は?」
「……白い梅などいいと思う……」
「じゃあ白梅御前としましょうか。早速今日からお座敷に出ていただきましょう。きっと評判になりますよ。なにしろあなたはきれいな方ですから。自分ではその価値に、あまり気づいておられないようですけどね」
●行きはよいよい
3人の少年――パウロ、ガリレオ、そしてマルコが整備された山道を歩いている。
彼らは目下、夏期合宿の真っ最中。
「くそー! 行き止まりだったじゃねーか! いらねー手間食わしやがって!」
「この歩いてる時間が全部無駄だよ無駄。ていうか、標識細工したの絶対ルイの班だよ。ポストのログ見る限り、僕らのすぐ前進んでたのあいつらだしさ」
「うるせー! ブツブツブツブツ言うんじゃねえ黙ってろガリレオ!」
「なんで僕に八つ当たりすんだよ! 標識が細工されてるのに気づかなかったのはパウロの手落ちじゃんか! マルコ、何とか言ってやってくれよ! こいつ絶対班長向いてないよ!」
「いや、ちょっと静かにしてた方がいいと俺も思う」
「なんだよなんだよ、マルコまで僕が悪いって言いたいのかよ!」
「いや、そうじゃないよ。何か音が聞こえるみたいだからさ……パウロもちょっと静かにしてみてくれないか」
「あん?」
少年たちの話し声が途絶えた。
カッコウの声が遠くから聞こえてくる。
風が木の葉をざわめかせ通り過ぎる。
ボーンという音が聞こえた。かすかに、かすかに。
ガリレオは怪しむように目を細め、マルコに聞く。
「……何だ?」
「さあ、分からない」
「分からないならそれでいいじゃん。早く行こうよ」
怖じけづいたようにガリレオが先をせかし始めた。
しかしパウロは整備された山道を離れていく。クマザサの薮をかき分けて一言。
「おい、なんかこっち、旧道みたいのあるぞ」
マルコとガリレオもそちらに行ってみた。
湿った地面にスニーカーの靴跡が多数。マルコは地図を目敏く確認する。
「多分ルイたちが通った跡だね。この抜け道を使えば、次のポストまでショートカット出来そうだし」
「マジかあの野郎。よし、追いかけようぜ」
「ええー、もうそんなんいいじゃんまた迷うかもだし止めておこうよー。ねえ、ねえー」
旧道を辿って行った先には、トンネルがあった。
非常に古びている。だが、『廃墟』という感じはない。何故ならトンネル周囲の草がきれいに刈られているからだ。
通ってみれば石段のある緑の丘が目に飛び込んできた。
突然、重く鈍い音が響く。
ボーン、ボーン、ボーン……
突然のことに少年たちは驚き、振り向く。
トンネルは入ってきた時と違い、古い駅舎のような形になっていた。
その上の方についている時計が鳴っているのだ。
「さっき聞こえたのはあれか?」
「みたいだね」
とりあえず3人は石段を上ってみた。そして目を丸くした。
そこには街があったのだ。
安っぽくあり、懐かしくもある雰囲気。示し合わせたように無人。
――話し声が聞こえてきた。
「あいつら、今頃迷ってるぞ」
「引っ掛かってるかなあ」
「引っ掛かる引っ掛かる。だって班長が単細胞のパウロだぜ。後は意気地なしのガリレオと、とにかくムカつくマルコ」
「ルイ、お前本当にマルコが嫌いだなー」
完全にルイたちの声である。
パウロは声がした方に走って行く。
赤のれんをかけた屋台風の店舗。カウンター席にいる3つの背中に怒鳴りつける。
「おいてめーら、今なんつった? あぁ?」
3つの背中がびくっと跳ね上がり振り向く。
同時にパウロが跳び下がる。
「うぉおおおおおお!?」
振り向いた3者の顔は、人間でなく豚だったのだ。
いや顔だけではない。体も見る見る内に膨れ上がりはちきれ、全身的に豚と化す。
そこでガラガラっと扉が開く音。
奥の厨房から人が出てきた。『タホ郷』という前掛けをつけた17、8の姉さんだ。
「さー、そろそろ開店じか……何店荒らしてくれてんですかっ!」
ただ食い豚の狼藉を目の当たりにした彼女は、3匹を竹刀でぶん殴る。
「うわあああああ!?」
ガリレオがいの一番に逃げ出した。
「おい待てガリレオ――」
追いかけようとしたパウロとマルコは気づく。既に周囲が夕方になっていることに。
そこで人の気配。はっと振り向けば、水干姿の美少年が歩きスマホしながら通り過ぎて行くところだった。
「あー、ダル。今日はもう仕事休もっかなー」
なんだあいつは。
そう思っている間にも、あたりはどんどん暗くなっていく……。
赤い壁に緑の瓦。要所要所に金の装飾が施された、けばけばしいほど絢爛な楼閣。
そこは八百万の神様向けに作られた遊興場。現世の垢を落とし疲れを癒す温泉宿という触れ込みだが、内実は相当いかがわしい。
楼閣の主はニケという魔女。悪魔の眷属とのことで、すばらしくやり手。
楼閣最上階の執務室。
スーツ姿のニケが、みすぼらしい壷装束の訪問者と話をしている。
訪問者の周囲には、なんだかよく分からない小さな動物が、不安そうに身を寄せ合っている。
「住んでいた場所がダム工事によってなくなったと?」
『……ええ……山も谷も水の底に沈んでしまって……私は、もう現世に留まれない……」
「『かみさま』というのは切ない存在ですね。人間から求められなくなる、依って立つ土地がなくなる。たったそれだけのことでこの世から消えてしまうんですから」
「……それは仕方ないわ……そういうものだから……でも彼らは住むところがなくなってしまってかわいそう……」
「人里に降りればいいではないですか」
「……彼らはいやだと言っている……人間は怖いからと……と言って私と一緒に居続けても……もう私は力を失っていて……彼らに何もしてあげられないから……だからあなたのところで働かせてあげてもらえないかしら……そして生活を保障……」
「下働きは、正直飽和状態なんですけどねえ……」
と言いながらニケの目は、訪問者を値踏みしている。その口もとにちらっと、人の悪そうな笑みが浮かんだ。
「あなたがこの地に留まって保証人になってくれるなら、彼らを雇ってもいいですよ?」
「……留まる……と言っても……私はほどなく消えてしまうので……」
「ええ、現世にいるならそうでしょう。でもね、ここは現世じゃないんです。ここにいる限り、あなたは消えなくてすみます。つまり立派に保証人となれるわけでして」
「……あら……そうなの……それはよかったわ……私が保証すれば……彼らはここで雇ってもらえるのね……?」
「はい。ではこの契約書類にサインを」
訪問者は渡されたペンで、書類に、自分の名を書き込んだ。
ニケはそれを受け取り手早く折り畳む。そして訪問者に尋ねる。
「――さて、あなたの名前はなんでしたか?」
「え?…………なんだったかしら……覚えていないわ……」
「そうですか。では新しい名前を考えなくてはいけませんね。あなたの好きな花は?」
「……白い梅などいいと思う……」
「じゃあ白梅御前としましょうか。早速今日からお座敷に出ていただきましょう。きっと評判になりますよ。なにしろあなたはきれいな方ですから。自分ではその価値に、あまり気づいておられないようですけどね」
●行きはよいよい
3人の少年――パウロ、ガリレオ、そしてマルコが整備された山道を歩いている。
彼らは目下、夏期合宿の真っ最中。
「くそー! 行き止まりだったじゃねーか! いらねー手間食わしやがって!」
「この歩いてる時間が全部無駄だよ無駄。ていうか、標識細工したの絶対ルイの班だよ。ポストのログ見る限り、僕らのすぐ前進んでたのあいつらだしさ」
「うるせー! ブツブツブツブツ言うんじゃねえ黙ってろガリレオ!」
「なんで僕に八つ当たりすんだよ! 標識が細工されてるのに気づかなかったのはパウロの手落ちじゃんか! マルコ、何とか言ってやってくれよ! こいつ絶対班長向いてないよ!」
「いや、ちょっと静かにしてた方がいいと俺も思う」
「なんだよなんだよ、マルコまで僕が悪いって言いたいのかよ!」
「いや、そうじゃないよ。何か音が聞こえるみたいだからさ……パウロもちょっと静かにしてみてくれないか」
「あん?」
少年たちの話し声が途絶えた。
カッコウの声が遠くから聞こえてくる。
風が木の葉をざわめかせ通り過ぎる。
ボーンという音が聞こえた。かすかに、かすかに。
ガリレオは怪しむように目を細め、マルコに聞く。
「……何だ?」
「さあ、分からない」
「分からないならそれでいいじゃん。早く行こうよ」
怖じけづいたようにガリレオが先をせかし始めた。
しかしパウロは整備された山道を離れていく。クマザサの薮をかき分けて一言。
「おい、なんかこっち、旧道みたいのあるぞ」
マルコとガリレオもそちらに行ってみた。
湿った地面にスニーカーの靴跡が多数。マルコは地図を目敏く確認する。
「多分ルイたちが通った跡だね。この抜け道を使えば、次のポストまでショートカット出来そうだし」
「マジかあの野郎。よし、追いかけようぜ」
「ええー、もうそんなんいいじゃんまた迷うかもだし止めておこうよー。ねえ、ねえー」
旧道を辿って行った先には、トンネルがあった。
非常に古びている。だが、『廃墟』という感じはない。何故ならトンネル周囲の草がきれいに刈られているからだ。
通ってみれば石段のある緑の丘が目に飛び込んできた。
突然、重く鈍い音が響く。
ボーン、ボーン、ボーン……
突然のことに少年たちは驚き、振り向く。
トンネルは入ってきた時と違い、古い駅舎のような形になっていた。
その上の方についている時計が鳴っているのだ。
「さっき聞こえたのはあれか?」
「みたいだね」
とりあえず3人は石段を上ってみた。そして目を丸くした。
そこには街があったのだ。
安っぽくあり、懐かしくもある雰囲気。示し合わせたように無人。
――話し声が聞こえてきた。
「あいつら、今頃迷ってるぞ」
「引っ掛かってるかなあ」
「引っ掛かる引っ掛かる。だって班長が単細胞のパウロだぜ。後は意気地なしのガリレオと、とにかくムカつくマルコ」
「ルイ、お前本当にマルコが嫌いだなー」
完全にルイたちの声である。
パウロは声がした方に走って行く。
赤のれんをかけた屋台風の店舗。カウンター席にいる3つの背中に怒鳴りつける。
「おいてめーら、今なんつった? あぁ?」
3つの背中がびくっと跳ね上がり振り向く。
同時にパウロが跳び下がる。
「うぉおおおおおお!?」
振り向いた3者の顔は、人間でなく豚だったのだ。
いや顔だけではない。体も見る見る内に膨れ上がりはちきれ、全身的に豚と化す。
そこでガラガラっと扉が開く音。
奥の厨房から人が出てきた。『タホ郷』という前掛けをつけた17、8の姉さんだ。
「さー、そろそろ開店じか……何店荒らしてくれてんですかっ!」
ただ食い豚の狼藉を目の当たりにした彼女は、3匹を竹刀でぶん殴る。
「うわあああああ!?」
ガリレオがいの一番に逃げ出した。
「おい待てガリレオ――」
追いかけようとしたパウロとマルコは気づく。既に周囲が夕方になっていることに。
そこで人の気配。はっと振り向けば、水干姿の美少年が歩きスマホしながら通り過ぎて行くところだった。
「あー、ダル。今日はもう仕事休もっかなー」
なんだあいつは。
そう思っている間にも、あたりはどんどん暗くなっていく……。
リプレイ本文
●ここはどこの細道だ
ルンルン・リリカル・秋桜(ka5784)は夏期休暇を利用し、気ままな一人旅をしていた。
行き先はさる東洋の島国。その国の言葉をマスターしているという自負もあり、普通の観光客はまず行かないような場所を好んで回っていたその矢先、偶然山奥のトンネルを見つけてしまった次第。
「ハッ! もしやここを抜けると雪国温泉ロマン?」
なんてのたまいつつ彼女は、するりと中に入っていく。
そして、反対側に出る。
「………ここ何処?」
石段を登り丘を越えてみれば、奇妙な通りがあった。
派手だが色あせた感のある看板建築。
歩道をまたいでぶら下がる赤ちょうちんの列。
「あっ、ひょっとしてここが日本の温泉街!!」
引き込まれるように足を踏み入れ、狭い脇道に入る。
剥き出しになった木造家屋の側面が見えた。
カーテンの閉まった窓。
物干し台には下着らしきものが翻っている。
「ということは、やっぱり人、住んでいるんですね」
にしてはそれらしき気配が全然しないのだが……。
「……ハッ! もしやここは噂に聞く、ニンジャの隠れ里! 住民の皆さんよそ者を警戒して、隠密の術を行使してるのですね!」
「オリエンテーリングから戻ってこない班がある」という報告を受けた引率教諭のトリプルJ(ka6653)は、早速捜索に出かけた。
「一本道でなんで6人も居なくなるんだ、クソッ」
どこかしらの地点で意図的に道を外れたのではないか。そして迷ったのではないか。
そう睨んでオリエンテーリングの道筋をたどり直してみれば、予想通り藪漕ぎの跡が見つかった。
「やっぱりか……あいつら、戻ったら説教してやらねーとな。山をなめたら痛い目にあうって、あれほど注意したのに」
渋い顔をしながらJは、大股に足跡を追う。
ほどなくして古びたトンネルを見つける。
「あちゃー。あいつらここを通っていったのか? こりゃ山の麓まで行っちまってるかも知れないな」
時計を見れば午後3時。日が落ちるにはまだまだ余裕がある。
(まあ、そう遠くには行っていないだろう。もしかしたら、引き返している所かもしれねえな}
希望的観測をしながらリュックをしょい直し、トンネルを通過。
目に飛び込んできたのは緑の丘。
急激な景色の変貌に戸惑ったJは、思わず振り向いた。
トンネルが古い駅舎のような形になっている。
「何だここは……」
首を傾げながら石段を登っていく。
駅舎の時計が鳴り始めた。
ボーン、ボーン、ボーン……
ルンルンは、急に周囲が暗くなって来たように感じた。
見上げれば真っ赤な夕映え。
その夕映えもたちまちくすみ、薄らいで行く。
ちょうちんに灯がともった。
そこかしこから黒い人影が、滲むように姿を現し始める。
占い師の星野 ハナ(ka5852)は直感的に悟った。来てはいけない場所に来てしまったということを。
これはもう、秘湯でリフレッシュどころの騒ぎではない。
大通りを離れまっしぐらに、来た道を引き返す。この世ならぬ人影を避けながら。
しかし石段のところで立ちすくむ。それ以上進めなかったのだ。いつのまにか出現していた、広大な川によって。
対岸に町明かりが見えた。
駅舎があやしげなネオンに照らされ浮かび上がっている。
屋形船が群れをなし近づいてくる。
「ひぃぃ、ここなんなんですぅ!?」
そこに響き渡る根も張りもない泣き声。
「うわーん、ママー、ママー! こわいよー!」
ハナは川の岸辺に少年がいるのを発見した。
慌てふためいて町へ戻ろうとしている様子。
すぐさま駆け寄り口を塞ぎ、物陰に引っ張り込む。
少年は暴れて逃げようとした。それを力で押さえ込み、言い聞かせる。
「大丈夫です。私、人ですから! キミも人でしょぉ? 隠れた方が良いですぅ」
人だと聞いて少年は、少し安心したらしい。えぐえぐやりながら聞いてくる。
「あの、あなた誰ですか?」
「私は陰陽道を極めし占い師、星野ハナですぅ。君は?」
「ベレン学院中学生徒のガリレオです……」
屋形船が続々接岸した。客がぞろぞろ降りてくる。
ハナは思わず目を押さえた。
「神性の高いものが多すぎて目がぁ、目がぁ~」
「だ、大丈夫ですか?」
「うう、大丈夫です。式神ぃ、あんたちょっと食事ちょろまかしてこのお金置いてきなさいぃ」
ハナの懐から人型の紙切れが飛び出し、お札を手に、ひらひら飛んでいく。
●楼閣開店千客万来
ディーナ・フェルミ(ka5843)は従業員通用門から外に出て、大きく伸びをした。
「さー、今日一日はうんと羽を伸ばすの、一杯食べるの!」
本日、彼女はお休みなのである。
元気よく通りに駆け出した所でをくんくん。くしゃみをひとつ。
「……また誰か紛れ込んだのかなぁ」
廓者の夕星(ゆうづつ)――本名Gacrux(ka2726)――は忙しげな従業員たちをよそに、階段へ座り込んでいた。
着流しに女ものの小袖を引っかけたなりで、けだるげにキセルを吸っている。
そこへ、楼閣の父役であるスペットがやってきた。
「おい、夕星。そろそろ詩仙太夫呼んできや。今日は花魁道中あるさかいな。先方待たせるようなことにでもなったら、あかんでえ」
女の世話と用心棒、未払い客への対処やツケの取り立てなどが彼の仕事だ(噂では、通じている遊女も多数とか)。
名残惜しげに一服吸い込み立ち上がった彼は、上位の遊女らが住まう区画へ向かう。
廊下を挟んでずらりと並ぶ絢爛豪華な襖。
その一つに近づき、声をかける。
「詩仙太夫、そろそろお出でを願います。道中の支度をしませんと」
「あい」
返事があった。
しかし、出てこない。
からりと襖を開ける。
詩仙太夫――天竜寺 詩(ka0396)は、手紙を読み耽っていた。
それが彼女の贔屓筋から送られてきたものであることを、夕星は知っている。その相手について彼女が憎からず思っていることも。
夕星は礼を失さない程度に近づき、警戒交じりの忠告をした。
「この廓では好いた惚れたは遊びでしかない。本気になれば死にますよ」
太夫は顔を上げ、婉然と微笑んだ。
「わざわざそんなことを言わっしゃらずとも。わっちは昨日今日楼閣に来た小娘じゃありんせん。分というものは弁えてござんす」
彩な衣装、紅おしろい、香、甘い眼差し、思わせぶりな態度、甘えた声。
女たちが自身を守る鎧としてそれらを使っていることを、夕星は、知り過ぎるほど知っている。
(贅の限りを尽くして客に夢を売る……か)
フィロ(ka6966)はディーナと同じく下女だ。本来なら客の接待をするべき立場にはない。
だが彼女に限ってはその役もこなす。楼主がそうすることを求めたのだ。
だからなのか、下女としては破格の待遇である部屋付き。
そこで彼女は起居し、客を迎える。
「いらっしゃいませご主人様、湯殿の準備もお食事の準備もできております」
本日の客は、ぼろ布の面で顔を隠していた。
体は天井に届くほど大きく、髪はざんばら。荒縄の腰帯に無数の大小を差している。
客は大小を投げ服を脱ぎ湯殿へ入っていく。
湯着に着替えたフィロも客の後に続き、湯殿に入って行く。
「……はい、私には何をして下さってもかまいません……ご宿泊料の範囲内でのことならば……」
●その頃町では
豚がしばかれた直後、奥からカチャのパートナーである17、8のお姉さん、リナリス・リーカノア(ka5126)が出てきた。名状しがたい何かを盛った大皿を手にして。
「はーい、今日のお勧め、モグラハナアルキのソテーが上がったよー」
マルコたちは目のやり場に困った。リナリスの格好ときたら、Tバック+エプロン姿というものなのだ。前面は隠れていても、背面が丸見え。どこの袋綴じグラビアかと疑うばかり(ちなみにカチャはTシャツ+長ズボン+バンダナといった、よくある酒場店主の格好だ)。
「――あ、何これひっどい。突き出し料理がグチャグチャじゃない。どしたの、カチャ」
「どうしたもこうしたも、こいつらがやらかしたんですよ」
カチャは竹刀の先で、リナリスをガン見している3匹の豚を指す。
リナリスは皿をカウンターに置き、しかめ面。
「まーた只食い? もー、うちよく狙われるよね。まあ、それだけあたしの料理がおいしいってことだけど♪」
「もー、リナリスさん呑気なんだから。うち、大損害ですよ。見てください、伊万里の大皿全滅――あなたたち、この子たちの友人ですよね? 何で盗み食いを止めなかったんです?」
矛先が急に自分たちに向かって来たので、マルコとパウロは大いに反論した。
「止めるなんて無理ですよ、俺たちが来たときは既に盗み食いしてたんですから」
「そーだよ、そもそも欠片も友人じゃねーよ、こいつら」
リナリスがちらりと豚を見る。
「……時間があったら、食材にしてもいいんだけどなぁ」
豚たちがビクっと身をこわばらせ、キーキーわめき出した。
そこへ従業員である梅花の精、梅幸――本名はメイム(ka2290)――が客を連れてくる。
言い忘れたが『タホ郷』は宿屋だ。食堂が客以外にも広く開放されているので、そちらの印象のほうが強いのであるが。
「いらっしゃいませ!お早いお付きで。あちらで主が足を洗います、はばきをといてお待ちください♪ ええもう舐める様に~」
「梅幸さん、変な脚色しない! お客様、うちにはそういうサービスはありませんから!」
「えー、つけたらいいのにー。そしたらお客様喜ぶよー? ねーリナリスさん」
「そうだね。あたしだったらチップ弾んで、別のこともガンガンさせちゃう♪」
かしましい言葉のやり取りが行われている最中、その客であるエルバッハ・リオン(ka2434)が入ってくる。
彼女は現世から逗留に来た『神』の一員だ。だが、普通一般の神とはちょっと違う。存在維持において「人間の信仰」をほぼ必要としない。いわゆる『古き神々』。人間を見かけるたび遊び道具にしているので、巷では『邪神』呼ばれりもされている。
マルコたちを目にしたリオンは、早速いたずら心を疼かせる。
何もない空間からカードを2枚取り出し、気まぐれなゲームを持ちかける。
「あなたたち、元の世界に早く帰りたいですか? この2枚のカードのうち、当たりを選んだら帰還に協力してあげますよ。ゲームについての質問は、『どんな内容』でも一度限りです」
マルコはじっとカードを見た後、リオンに尋ねた。
「何をもって「当たり」ということになるのか、先に明言してくれませんか? そうじゃなきゃ「当たり」は後でいくらでも変更出来てしまいますから」
初歩的なひっかけに相手が乗ってこなかったことに対して、リオンはおおいに興を示す。
「いい質問ですね。勘の鋭い子は好きですよ。じゃあ、帰還に協力してあげましょう」
やり取りの意味が今一つ掴めなかったパウロは不得要領に首をかしげ、リオンに尋ねる。
「協力してくれるのはいいとして、こいつら元に戻せないか?」
それについての答えは、リナリスが請け負った。
「ああ、それは簡単だよー。この子達の尻尾を切落とし火鼠の皮に包んで、平行植物の……カラツボとハンブンタケと一緒に深きものの血で煮込む♪ これ食わせれば一発♪」
彼女は「残飯からフルコースを作り出せる」と言われるほどの腕利き料理人。しかしてその本質は、世紀のイカモノ料理人。摩訶不思議にして奇奇怪怪な効能を持つ食材について、誰より深い知識を持つ。
「……それ、どういうものなんだ?」
「あ、実物見る?」
カウンター下から壷が引っ張り出され、開かれる。
吐き気がするほどおぞましい『何か』の片鱗がはい出してこようとした。
少年と豚たちは恐怖につき動かされ逃げ出す。
カチャが大急ぎで壷の蓋を閉じる。
「リナリスさん、駄目ですって人間にそんな記念物見せたら!」
丁度そのとき、店の前をナルシスが通りがかる。
梅幸は声をかけた。
「あ、ナルシスくんお休み? よかったらちょっと手伝ってくれない? 今日揚屋の『柳橋』から至急仕出し頼むって連絡が来てさ、割とてんてこ舞なんだ。料理運んでくれるだけでいいから……」
「やだね。お断り」
言い捨てて去るナルシス。
梅幸は店に戻り、壁電話に手を伸ばす。
「――あ、もしもしスペットさん? 楼主さまに繋いでくれないかなあ? 弟君のサボリについて、お知らせしたいと思ってー」
●お客様は神様です
地方神のマリィア・バルデス(ka5848)は魔神マルカ・アニチキン(ka2542)に肩を貸しつつ、楼閣へ向かっていた。
「町が騒がしいわね……何か紛れ込んだのかしら……いやね、せっかく湯治を楽しみにきたのに……ちょっとマルカ、いい加減しっかりしてちょうだい。もうすぐ楼閣よ。だから屋形船の中であんまり飲まないほうがいいって言ったのよ」
「ふぉあい」
二人三脚しながら楼の入り口まで来たところで、法被を羽織った二足歩行の犬――みたいな小型従業員たちが、揃って出迎えにきた。
「オキャクサマ、ヨウコソイラサリマセー」「イラサリマセー」
「やだ、かわいい! 何これ!」
彼女はマルカをその場に放り出し、小型従業員のもとへ駆け寄る。
「この前来たときはあなたたちいなかったわよね!」
モフモフ顔をモフモフこねくりモフモフ感を存分に堪能する。
地面に転がったマルカは、酔っ払いのうわ言を垂れ流す。
「……ポートレイト復刻ガチャ希望ぉぉお……様に何度嘆願しても無駄……ジ◯ボFC名誉会長と呼んでく……」
モフモフの手を逃れた小型従業員たちは協力してマルカをかつぎ上げ、運んでいく。
「オキャクサマ1名オトマリー」「オトマリー」
それが終わったあと、またお出迎え。
大灯篭のたもとにぼんやり腰掛けているルベーノ・バルバライン(ka6752)の存在に気づき、寄っていく。
「オキャクサマ」「オトマリデスカー」
ルベーノが、はっと顔を上げた。
「お前達……何故ここにいるのだ?」
そこに鈴の値が響いた。先触れの声も。
「詩仙太夫様、道中へお立ーちーィ」
花魁、禿、お着きのもので構成された行列が、楼閣の表玄関から出てくる。
その華やぎはさながら、金襴緞子、彩の錦。動く花の群れ……。
湯着の前を大きくはだけたフィロは、客に寝着を着せかける。
そして、朱塗りの膳を出す。
だが客は膳を手で押しのけた。
ご所望でないのだと判断したフィロは、次の間への襖を開く。
行灯のほの暗い明かりに紅い布団が照らされている。
「それでは隣の間に控えておりますので、御用がありましたらお声かけ下さい」
三つ指つき下がろうとした彼女の腕を、客が掴む。
そのまま次の間へと引きずり込み、乱暴に襖を閉める
●引き続き、町では
ディーナは甘味処で小腹を満たした後、土産物屋に立ち寄った。ついでなので家族に何か送っておこうかなと思って。
「うーん、蝦蟇の黒焼きと蝮の黒焼きどっちにしようかな……ええい、この際奮発しちゃおうなの。二つとも包んでもらうの」
それを終えた後、団子屋に立ち寄る。
「ええとね、みたらしとあんことチョコレートときなことジャムと……」
山ほど団子が盛られた皿を膝に置き、店先で堪能。
その際通りを走っていくマルコたちの姿を目にした。
団子片手にぼーっと呟く。
「今回はイキが良さそうなの。逃げ切れるのかなあ」
人型の紙が団子屋に舞い込んできて、店頭に並んでいる団子を勝手に取っていこうとした。
店員がそれに気づき、取り押さえる。
「こら、何のまねだ」
紙は弁解するようにひらひら揺れ、お札を差し出す。
店員は呆れたように言う。
「あんた、このお金現世の物じゃないか。駄目だ駄目だ。ちゃんとここでの通貨に両替してきておくれ。じゃないと物は売れないよ」
聞くともなくそれらの会話を聞いていたディーナは、ぱっと立ち上がり頭を下げる。ナルシスが通りがかったからだ。
例え藪入り中でも上司に当たる人間には気を使わなければならない。それが下っ端である。
「これはナルシス様、こんばんはなの」
「あー、うん」
スマホをいじりながら通り過ぎていくナルシス。
ディーナは強い疑問を感じる。
(ナルシス様、今日は出勤日のはずじゃ……)
絶対サボリだ。
断定しつつ団子を食べ終え、『タホ郷』に向かう。
「カチャさーん、お風呂いただきに来たのー」
「あ、ディーナさん。お休みですか?」
「うん、年に2回の藪入りなの。今日はのんびり街を愉しむの――あ、いい匂い」
よだれを拭き拭き厨房の小窓を覗いてみれば、梅幸がブリ大根を、リナリスが唐揚を作っていた。
「うーん、どっちもおいしそうなの」
ほくほしながらカウンター席についたディーナ。
そこでようやく、床に飛び散ったソースや肉汁の跡に気づく。
「カチャさん、喧嘩でもあったの?」
「いーえ、違うんですよ。実は人間が来ましてね」
一通りの説明をした後カチャは、こう付け加える。
「エルさんが連れ戻しに行きましたから、そんなに危ないことはないと思いますけどね。よっぽどお腹を減らした神様に出くわしたりしない限りは」
そこで通りから、ざわめきが聞こえてきた。
顔を出してみれば店の前に花魁道中。
詩仙太夫がのれんをくぐり、入ってきた。
「もうし、お茶を一杯めぐんでおくんなんし」
ディーナは即座に立ち上がり、頭を下げる。
カチャは愛想よく答える。
「はい、いいですよ。お仕事ですか」
「あい、お座敷にお呼ばれ……何かござんした?」
マルコたちは、押し殺した呼びかけで我に返った。
「マルコ、パウロ……こっち来い」
気づけば薄暗い路地裏。上着を脱いだJが、ゴミ箱の陰から手招きしている。
やっと知った顔に出会えたことでマルコもパウロも豚3匹も、一気に気が抜けた。
「せ、先生――」
駆け寄ってきた生徒らにJは、しっと注意を促す。
「声潜めろ……何があった。つーか、その豚は? ガリレオは?」
マルコは素早く頭を整理し、答える。
「えーと、これは――」
事情を聞き終えた聞いたJは、沈鬱な目で豚の生徒達を見下ろした。
「……黄泉戸喫か……」
それから気を取り直したように、生徒たちへポーションを渡す。
「とりあえず気付けに飲んでおけ」
それから、てきぱき指示を出す。
「人間は1日くらい飲み食いしなくても死にゃしねえ。お前らここの中のもんにゃ手を付けるな。時計かスマホ持ってるな。時間見ろ。明日の昼過ぎから夕方までに多分また門が開く。入って来た場所の前に隠れて、開いたらすぐに「さてそううまく行きますかね」
突然割り込んできた声にびっくりして振り向けば、リオンがいた。
「帰還に協力する、と約束したでしょう? ここまで来たらついでだから、お仲間も探してあげますよ」
大雑把な町の見取り図相手にハナは、ネックレスでダウジングを行う。町の外れにある豚舎の裏側で。
「1時間くらいならここに隠れてられそうですぅ? 短すぎますよぅ」
「……だから道を外れるのはやめようって言ったのに……僕の言うことを誰も聞かないから……助けてママー! ママー!」
「大声出さないガリレオ! いいですかぁ、ここは私たち人間の世界じゃないんです、存在を知られることはすなわち命に直結するんですよぉ」
脅しをかけられたガリレオは、シクシクやり始める。
「……お腹すいた……」
「そろそろ式が戻ってくるはずですから、それまでの我慢ですぅ。対価払わず何かするとこの街に取り込まれますよぅ。多分明日の昼にまた結界が開きますからぁ」
噂をすればで、その式が戻ってきた。
身振り手振りで主人に、何も買えなかった旨を説明してくる。
「なにしてんですかもぉ! 全く使えない式ですぅ!」
ハナが式を怒鳴りつけたところで、ネックレスがいきなり切れた。
数珠が転がっていく先の暗がりから、マルコたちが姿を現す。
「おい、ガリレオ!」
「こっちこっち」
「み、みんなああ」
立ち上がろうとするガリレオの肩をハナが掴み、押さえた。
「知り合いに似ているからって、うかつに近寄っちゃいけません、まやかしかもしれないですぅ!」
そこで彼女は背後から、ポンと背中を叩かれた。
ギクッと振り返った先には、リオン。
「心配無用、皆さん本物の人間ですよ。私は違いますけどね」
「何か人間臭くないか?」
「そういえばそうだな」
鬼っぽい人々の会話にビクビクしながらルンルンは、道の端っこを歩いて行く。
(や、やっぱりただの人だとばれたら、大変なことになるのです)
彼女の頭には深編み籠。体には巨大な風呂敷のマント。
そのへんに積まれていたり干されていたりしていたものを拝借し、変装しているのである。
(と、とにかくあの一番おっきな建物の方へ……)
小走りに進むところで羽音が聞こえた。
顔を上げれば骸骨の鸚鵡が飛び回っている。けたたましい声を上げながら。
『ナルシス様! 楼閣にご出仕くださいナルシス様! ニケ様がお呼びです!』
後ずさりするルンルン。
その体が急に脇道へと引っ張り込まれた。以下の声と共に。
「あなたは関係が無さそうなんですけれども、一応人間ですから、ついでに拾っておきますよ」
●篭の中の鳥
大宴会場にてマリィアは、仲間の神々と談笑していた。
山海の珍味と銘酒は心をほぐし、舌をほぐす。
「ここに来たのは数十年ぶりだけど、前と同じように楽しめたわ。最近楼主が代わったと聞いたけど、今度の楼主もなかなか遣り手のようね」
「前の楼主の娘だそうですよ。放蕩者の弟さんがいるとか……何日お泊まりのご予定です?」
「さすがにここに何日も泊まれるほどの神格はないわね。楼に1泊、他で2泊の予定よ」
「そうですか。私はここで2泊ほどするつもりです」
「いいわねー、そちらさま稼ぎがよくて。羨ましいわ」
「いえいえそんな。泊まる日にちこそ長いですが、訪問においてはあなた様以上に間を空けねばなりませんで……。なんのかんので私も長いですから、あちこち凝りがたまっちゃって。ここのマッサージ、よく効きますよね」
「そうね、マッサージは本当に最高。私もさっきやってもらったんだけど――」
宴たけなわなところ、白拍子の一団が入ってきた。
一緒に入ってきた幇間がはいつくばり、客に口上を述べる。
「皆様、本日は当楼閣をご利用くださりありがとうございます。つきましては女たちの舞などをお楽しみくださいませ」
続いて白拍子たちがご挨拶。
「萩の女御にございます」
「小菊御前にございます」
「桔梗女御にございます」
「……白梅御前にございます……」
琴と鼓を伴奏に、扇をかざしての舞が始まった。
マリィアは純粋に、雅やかな技芸を鑑賞する。
しかし男客は技芸鑑賞以外のところで盛り上がる。
「新顔の白梅御前とやら、美形よの」
「品もよさげじゃ。いずれ名のある精霊だったのやも知れぬの。我、指名しようかの」
「確かに顔はいいが、ちと腰の辺りが頼りないの。我輩は肥りじしの方がええで、小菊を押すぞ」
「いやいや、桔梗がよい」
「酔狂じゃのう。桔梗はとんだ癇癪持ちじゃぞ」
「それがいいのだ分からんか」
「なんの、断然萩がよい。あれほど情の濃い女はおらん。なにしろわしにぞっこんでな、しげく文をよこしてくるのよ。愛しいお前様に会いたい、なぜ楼に来てくださらぬと」
「……そういう文、俺にも来たぞ?」
マルカはせっかく覚ました酔いがまたしても回ってきたのか、繰り言を始めた。
「私魔神なのに、なんで戒律なんか作っちゃったんでしょう……思えばもっともっとザルでよかったんじゃ……だって魔神なんだし神じゃないし……ポートレイトふっかつガチャキボWOOOOOO……」
そこで突然大広間の襖が開き、ルベーノが入ってくる。
思い掛けぬ闖入者の登場で歌と踊りが止まった。
ルベーノは白梅御前に手を伸ばし、抱き締める。
「ミウではないか、お前はてっきり消滅したかと……」
白梅御前は、何が何やら分からない。
「……大変失礼ながら……人違いをなされているのではございませんか?……私の名は白梅と申しまして、ミウではございませんが……」
「いや、お前の名はミウだ。よく雨が降る豊穣の地だった。ゆえに美雨と……忘れてしまったのか。……俺のことも忘れたか?」
泡を食った太鼓持ちが止めに入ろうとする。
「お客様、女たちにはお手を触れませんようお願い致します、お客様、どうかご遠慮ください、お客様……」
座敷の客は宴を邪魔されたとあって、ブーイングし始める。
「どこの神か知らぬが、いきなり無礼ではないか」
「御前から離れろ」
「早う座敷から出ていかしゃれ」
そこに――多分従業員の誰かが知らせたのだろう――夕星がやってきた。
彼は手際よく白梅とルベーノを引き分け間に入る。
「お客様、不埒をなされては困ります。楼閣は、いつでもどこでも女を好きに扱っていい場所ではないのですよ。お見え受けしたところ、たいそう聞こし召されているご様子、さあ、部屋にお戻りください。お連れいたしますので」
見た目に反する力でぐいぐいルベーノの腕を引き、廊下に出す。そこで改めて言う。
「あなたと白梅御前が以前どういう間柄だったかについては知りませんが、ここで過去の関係を持ち出さないでくださいませ。それは無粋きわまると言うものです。もし白梅御前とお話などしたいのでしたら――どうぞ彼女をご指名ください」
フィロは昆虫標本のように、体を縫い留められていた。
大小の刀が両手、両足、両肩、両腿を貫き、布団を貫通し、畳に深々と突き刺さっている。
白い肌を濡らす赤い色。
ヒューヒューと息が漏れる
「ご主人様……これ以上は……御宿泊、料……入っ……おりま……お止め、に……な……」
客はフィロの喉目がけ刃を突き刺した。
刺さった刃を、そのまま真っ直ぐ下ろした。
フィロの目の光が消える。
むき出しになった五臓六腑がわしづかみされ、貪り食われていく。
「はい、どーぞ。ニガヤモリのお茶。詩仙太夫、最近疲れてるみたいだって聞いたし。これすっごく疲労回復に効くんだよ。あたし、ほぼ毎晩使っちゃってる♪ ねーカチャ」
「もっと頻度減らしてくれてもいいんですけどね……これ使わなくてもリナリスさん、常に精力有り余ってるんですから。体持ちませんよこっちは」
「なーにー、いつも求めてくるのはカチャのくせにー」
のろけを聞きながら詩仙太夫は、ガラスの湯のみに入れられた茶をすする。
そこへリオンが、マルコたちを連れ戻ってきた。
目にもあやな花魁の姿に少年たちは興味津々。
「あの人花魁だよね」
「時代劇みたいだな」
「僕、映画村で見た事ある」
引率教師のJは咳払いし、まずは店主に詫びを入れる。
「この度はうちの生徒が不始末をしでかしまして、申し訳ない。ほら、お前達謝らないか」
豚たちはブイブイ呟きながら頭を下げるような仕草をした。
カチャは腕組みしたまま彼らを睨む。
「まあ、謝らないより謝る方がいいのは確かなんですけどね」
「本当に申し訳ない。ついてはその……非常に勝手なことながら、彼らを元に戻す方法を御存じないだろうか?」
「あるよー」
と再度壷を持ち出そうとしたリナリスを、カチャが押し留める。そして言う。
「償いをする、というのが一番穏当なところだと思いますよ。例えばこの店に住み込んで、皿洗いをするとか」
「どのくらいの期間?」
「食べたものの原価から考えたら、1年はかかるでしょうかね」
豚たちがキーキー言い始めた。地道な債務返済が嫌であるらしい。
お茶を飲み干した詩仙太夫が話に入ってくる。
「わっちのお客に芸を見せておくんなんし。満足させられんしたら元の世界へ帰れるよう主に口を利きんしょう――そちらの豚になった子についても」
ルンルンの顔が明るくなる。恐怖の町から脱出出来るかも知れないという期待感によって。
「芸なら自信があります! 遊戯のスキル持ってますし! 皆さん、私がいるからには泥船に乗った気でいてくれていいんだからっ」
その物言いに不安しか感じなかったハナは、詩仙太夫へ確認を取る。
「お客様ってどんなかたですかぁ?」
「ステーツマンとおっしゃられるお方でありんす。悪いお方ではありんせんが、何分にも気難しいところが玉に傷……」
リオンは幸せそうにトンテキラーメンをほお張るディーナに、ひそひそ尋ねた。
「どんな方なんです、ステーツマンって」
「んー、なんの神様なのかよくわかんないけど、すごーくお金持ちなのは確かなの。楼閣の上得意様なの。あの方が来られると楼主様、花形のお姉さまたちばかりを選んで、お接待に行かせるの」
「……ご指名に与かりました、白梅御前にございます……失礼致します……」
白梅御前が襖を閉めるなり、ルベーノは我が身に引き寄せた。
「お客様、お待ちください……まだ……」
緋袴の帯を解こうとする彼女の手を押さえ、聞く。
「ミウよ、やはり俺のことは分からんか?」
困惑した白梅御前は、ルベーノの顔を見つめた。
不思議に懐かしさを覚える。初めて会う客のはずなのに。
「お前は、俺と同じように神であったのだ。そこは緑に覆われた山々で、実に美しいところであった。清い流れが絶えることなくわき出ていてな……俺は初めてお前の住まう地を見たとき、なんと恵まれた所かと羨んだものだ。何しろ俺の治める地には、そういったものが何もないからな」
白梅御前はルベーノの言葉を、頭の中で反芻した。
重なり合った梢の間から日が落ちる様と、澄んだ流れが岩にぶつかり泡立つ様が、唐突に瞼へ浮かぶ。
しかしそれが自分に結び付いたものであるという感覚が、どうにも深まってこない。
「……お客様は……ルベーノ様は……どこにお住まいなのですか?……」
「俺は砂漠というところにいる。お前がいたところとは、遠く離れた場所だ。そこに生きる人間たちを守護しているのだ。お前も一度俺がいる場所に来たことがある。覚えていないか?」
白梅御前は一所懸命記憶をたどってみる。
だけど、ある一点でもやがかかったようになってしまって、どうしても思い出せない。
小さな声で詫びる。
「……申し訳ありません……よく覚えておりません……ここに来たときより前のことは……」
ルベーノは話を打ち切った。彼女がまるで泣いているように思えたので。
「いいのだ、無理をさせて悪かった。俺は……俺はお前にまた会えただけでも嬉しいのだ――抱かせてくれ、前のように」
白梅御前の肌は、ほのかな梅の香りがした。それはルベーノにとって馴染みのある、いとおしい香りだった。
●幕間劇
マルコたちは揚屋の廊下で、ひそひそと話し合う。
「知らない相手を笑わせろって……難易度高すぎねーか」
「と言っても、やってみるしかないよ。外に何かいい案がある?」
「ないよねえ……でもさあ、元の世界の面白い話とかいきなり言われても出てこないよ」
彼らの手元には紅白の綱。綱の先には法被を着せられた豚たち。もともと膨れた顔がむくれているせいで、さらに膨れて見える。
リオンはすまし顔で言った。
「大丈夫、私も協力してあげますから」
ルンルンも勢いつけて励ます。
「心配ありません、いざとなったら私とハナさんとJさんが即席コントで援護しますので!」
「芸能人の物まねメドレーとか、神様相手にやってもあまりウケないんじゃないか……?」
「打ち合わせの時間もないから、仕方ないですぅ。スベったら五色光符陣炸裂させてお茶を濁しましょお」
チン、トン、シャンと三味線の音。
窓辺に肘をついたステーツマンは、それを聞いているのかいないのか、黙って酒を飲んでいる。
怒っているわけではないらしい、のだが……。
(ほんにこの人、気難しいわいな……)
心中嘆息しながら詩仙太夫は、長唄を終える。
それから、彼に言う。
「今日は少し趣向がござりんす」
「ほう? 何かね」
「皆、出てきておくんなんし」
そこで襖が開き、マルコたちが出てきた。
客は片眉を上げ、詩仙太夫に聞いた。
「人間か」
「あい。多少の芸なら出来ると言うで、試しに呼んできたのでありんす」
「ほう。で、何が出来るのかね」
「猿回しならぬ豚回し」
「は~生き返るのぉ~やっぱりお風呂っていいのぉ~」
カチャの宿で湯船に浸かっているディーナは、ううんと手足を伸ばす。
今ごろ詩仙太夫は何してるかなあとのんびり考えたところで、づん、と腹に重い振動が伝わってきた。
「えっ? な、何?」
思わず立ち上がり格子窓から外を見る。
楼閣の最上階――窓が赤々燃えている。
次の瞬間それが破れ、渦巻く炎が吹き出した。
その中から一羽の大きな極楽鳥が飛び出してくる。尾羽が黒焦げになった状態で、夜空のかなたへ飛んで行く。
ディーナは首をすくめ、再び湯船に浸かった。
「……楼主様、お怒りなの。ナルシス様、どこまでお使いにやられちゃったのかなぁ」
「はい、一回転!」
パウロの掛け声に従い豚たちが一回転する――横倒しになって。
「おい、それじゃただ転がってるだけだろ! もっと真剣にやれよ!」
と彼がすごむも豚たちは知らん顔。
「頼むよ、やってくれよ」
ガリレオに懇願されても知らん顔。
「皆、人間に戻りたくないのか」
と言い聞かせるマルコにも知らん顔。特にルイ豚など尻を向け屁をこく始末。
どうやら自分たちの役回りが不満らしい。
ステーツマンは醒めた目でそれを眺めている。笑うどころではない。
仕出し料理を届けに来た梅幸は襖の隙間からその様を盗み見て、正直これは駄目だなと思った。
しかしそこで豚たちが、突然ぴょこんと立ち上がる。
ブ、ブイ?
短い前足で肩を組み、ラインダンスをし始める。
――リオンが襖の後ろから操り始めたのだ。
詩仙太夫はすかさず三味線で伴奏をつける。マルコたちにも、踊りなさいと目で促して。
それを察したリオンが、今度は彼らをも操り始めた。
「わっ!?」
マルコたちの体が勝手に、軽快なタップダンスを踊り始める。
ステーツマンは幾らか興味を示したらしい。
一通り踊りが済んだところで、息を切らせている少年たちに話しかけた。
「君達はいつからここにいるのかね?」
マルコは呼吸を整えてから答える。
「いつからって、今晩からです」
「戻る気かい?」
「それは、戻らないと。家族とか友達とか、心配してますから。もう夜になってますから、騒ぎになってると思いますし」
ステーツマンは少しだけ笑った。
「なるほどね。まあ、可能な限り早く帰った方がいいことは間違いない。長居すればするほど戻れなくなるからね」
●廓の契り
ぐでんぐでんのマルカは一人で宴会を抜け部屋に戻ろうとしたが、間違えて従業員用のエレベーターに乗り、楼閣最上階まで来てしまった。
「あれ、ここはどこでしょお……」
豪奢な内装に目を奪われているところ、扉の向こうから話し声。
「――気が乗らない? へえ、そう。ナルシス。あんたが今日サボってた言い訳はそれだけ? 姉さんいつも口酸っぱくして言ってるわよね、時は金なりって」
「うるさいなー、その手の台詞はもう聞き飽きたよ。とにかく休みをとらせてよ、休みを。こんな環境の悪いところで働いてると体調不良――」
「だ・ま・れぇ!!」
扉が勢いつけて内側から開き、猛烈な炎が吹き出す。
一気に酔いが醒めたマルカは柱の陰に隠れた。
派手に窓が壊れる音。鶏が絞め殺されるようなけたたましい鳴き声。
「さっさと得意先回りに行けえ! もし不手際があってご覧、今度こそあんたを石炭にしてやるから!」
扉が開いたときと同じくらいの勢いで閉まる。
……一体何事だったのであろうか。
そのまま隠れて様子を伺っていると、エレベーターが上がってきた。
夕星、ルベーノ、白梅御前が下りてくる。
「お客様、明日にでもなされてはいかがですか? 楼主様は今、はなはだご機嫌が悪いものと思われますが……」
「いや、今話をしたいのだ。すまんが、とりついでくれぬか」
「知りませんよ、どうなっても……失礼致しますニケ様。白梅御前の件でぜひお話しをしたいと申されているお客様がおられまして……」
扉が開く。
夕星が中へ入っていく。その後続けてルベーノが白梅御前の手を引き入って行く。
マルカは好奇心を押さえ切れない。小さなネズミに化けこっそり後についていく。
ニケは指を鳴らし、壊れた調度品を見る見る内に再生させていく。
それから、ルベーノに聞く。
「何の御用です?」
ルベーノは、まず礼を述べた。
「ミウの消滅を防いで下さったこと、誠に感謝する」
対しニケは、へえ、という表情を見せた。続いての台詞には尚更。
「我が地は砂漠、例え連れ帰っても遠からずミウは消滅しよう。ならばここに居た方が良い……ついてはミウと楼主殿の契約を拝見させては貰えまいか」
「……あなたはなかなか物事の道理というものが分かったお方のようですね。まあ、かけてください。白梅御前もどうぞ」
直ったばかりの応接椅子に2人を腰掛けさせたニケは、壁の棚からファイルを取り出す。
「契約書は本人と私以外閲覧することは出来ません。それがここでのルールです。ですが、その写しならかまいませんので――どうぞ」
ファイルを受け取ったルベーノは、開かれたページを一瞥する。
「ミウの……白梅御前と楼主殿との契約は、ミウの婚姻を禁じるものではないのだな。芸妓として生涯を送るだけで」
「そうです。彼女にはもう、拠って立つ足場というものがないですから。役職というものに縛られていないと己を見失い、姿かたちが保てなくなります」
深く息を吐いたルベーノは、そっと白梅御前の手を取った。
「ならばミウ……我と結婚してはくれまいか」
「……結婚……というのは何ですか……?」
「心がともにある、ということだ。たとえ離れていてもな――今後年に1日は必ずこの楼閣の世話になろう。ゆえに楼主……我とミウとの婚姻を認めて貰えぬか」
「かまいませんよ。あなたが今おっしゃったとおり『年に1日は必ずこの楼閣の世話になる』ことを確約してくださるなら」
机の引き出しから契約書が出された。
「あなたが滞在していらっしゃる間は、他の客が白梅御前を指名出来ないようにしましょう。夫婦水入らずで過ごせるように」
ニケはペンを添えルベーノへ、それを渡す。
契約書の最後に以下の一文が記してあった。
『もし契約者がこの契約内容を果たせない状態になったとき、すなわち神であり続けることが不可能になった際は、当楼閣の従業員として勤務するものとする。』
「……随分手回しのよいことだな」
「気分をお悪くされたのなら申し訳ありません。ですが神様稼業というのは不安定なものですからねえ。契約相手に消滅されたら、うちとしては丸損になるだけですので」
署名された契約書を受け取ったニケは、うやうやしく礼をした。
「ご契約ありがとうございます。それでは、どうぞお部屋にお戻りください。白梅御前との睦言を引き続きお楽しみ遊ばれますように」
二人が退室して行くのを見送った後、天井に目をやる。
「お客様、ここは関係者以外立ち入りですので、退室していただけますか?」
シャンデリアに隠れていたマルカがカーペットの上に落ちてきた。
ばつ悪そうに身を縮め、こそこそ出て行く。
そこで卓上の黒電話が鳴った。
ニケは受話器を取る。
「ああ、詩仙太夫ですか? 何用です。あなたは上客様の接待をされているはずですが、トラブルでも?」
●かみかくし
巨大な楼閣を前にしたルンルンは、興奮した。
「こ、これはまごうかたなきお湯屋さま……ということは、ということは、きっと某映画みたいに美少年が!」
一人で盛り上がり、先頭切って裏玄関から突撃。
しかし出て来たのは美少年ではなく、猫顔中年スペット。
「おいこらこらこら、何で人間が来てんねんここに」
「違う……私が求めている異界案内人はこういうのじゃないのです……」
「何をわけのわからんこと言うてんねん。ええからはよ出て行き。匂いが移るがな。こっちは客商売なんやから困るんや、そういうの。しっしっし」
あたかも迷い込んだ野良犬に対するように、箒で人間を追い払おうとしてくる猫。
詩仙太夫がそれを止めに入る。
「そうかっかしなされますな、父役様。この者たちは、わっちが連れてきたのでござんす」
「あきませんがな! ニケ様に知れたら一大事でっせ!」
「ニケ様にはわっちからもう知らせてありんす。ですから、問題はございませんえ」
騒ぎを聞き付けた小型従業員が玄関にやって来た。
そして、たちまち逃げて行った。
「キャー」「ニンゲンコワイー」「コワイー」「シラウメサマー」
「あっお前ら、待て、戻ってこい! 待てというのに!」
猫中年はそれを追いかけて行く。
その間に花魁と魔神と教師と少年たちは、楼閣に入り込んだ。
なるべく人目につかないルートを使って最上階へ向かう。
「すげえ、何だここ。いくつ部屋があるんだ」
「あれ宴会場かなあ」
「これ、静かに……足を止めてはいけませんえ」
最上階にたどり着くと、ニケが待っていた。
すでに大体の事情は聞いていたのだろう。マルコたちが何か言う前に話し始める。
「よくここまで来られましたね。人間にしては上出来です。いいでしょう、帰らせてあげますよ。あなたたちは禁を犯していませんから。でも豚になった子たちは駄目ですね。してはいけないことをしたのですから、その償いをしなければ」
そうだろうなと思いつつJは、彼女に聞いた。
「ここまで来た以上、こいつらだけ置いていくわけにはいかないんだ。皿洗い10年とかじゃなくて、もっと手っ取り早く済む償いの方法はないのか?」
「勝手なことを言いますねえ。人間ってそんなものですけど」
ニケは机を指の爪で叩き、思案を巡らせる。ややもして、こんな提案をする。
「では、先送りということにしたらどうですか?」
「先送り?」
「『後でまたここへ戻ってきて、定められた償いをする』という契約を結ぶんです。そうすればひとまずのこの子たちも、あなたがたと一緒に現世へ戻れますよ。人間の姿に戻ってね。まあ、要は執行猶予と言う奴です」
豚たちはニケの提案にとても魅力を感じたらしい。ふごふご鼻を鳴らし始める。
マルコが聞いた。
「後で戻るって……どれくらい後のことです?」
「さあ、それはご本人が決めることです」
すました顔で答えたニケは、豚の前に契約書を置く。
豚たちはそれを覗き込んだ。
そこには大きくこう書いてあった。
『契約者は()年以内に必ずここへ戻り損害の償いを果たすべし。』
「()内のの部分はあなた方が好きに決めてくださってかまいません。言って下されば私が代筆しましょう。何年にします? 5年? 10年? 20年? それとも30年?」
豚たちはふごふご豚語で話し合い、ニケに向けて鳴いた。
「30年ですか。いいでしょう、ではそのように」
ニケはさらさら数字を書類に書き入れ豚に見せ、朱肉を床へ置いた。
「あなたがたその状態では字が書けませんからね、署名は足判でいいですよ」
豚たちは迷わず揃って判をつく。
彼らは契約書の端のほうに小さな文字で『償いの労働年数は、契約者が現世に戻って後に過ごした時間と同等のものとする。』と書かれているのを見落としていた。
「はい、ありがとうございます。現世に戻ればあなたがたはここでのことを忘れてしまいますが、心配無用。必要なときが来れば、いやでも思い出します」
詩仙太夫がふいと場から身を引く。
リオンがそれに気づいて声をかける。
「揚屋に戻るんですか?」
「あい。いつまでもお待たせ出来ませんえ。お客様を閨でお慰め申し上げるのが、わっちの仕事でありんす」
ニケが呼び鈴を鳴らした。ややもして、父役のスペットが入ってくる。
「この方たちを、至急現世に送っていってあげてください。表通りからではなく、裏通りから。お客様方の邪魔になるといけませんのでね」
「へいへい。分かりました。ほんならお前ら、ついて来や」
全員で部屋を出たところ、扉の外で待ち構えていたマルカが登場。
「少年たちよ、元の世界でも信仰を忘れないように……」
「えーと、おたくはどちらさまや?」
「あ、えっと、私は魔神のマルカです。宿泊客でして……」
マルコたちが出て行ってしばらくしたところで、また電話が鳴った。
ニケは再び受話器を取る。
フィロの声が聞こえてきた。
『楼主様、白檀の間のお客様が追加で御霊を召し上がられました。料金御加算願います』
「やはり。やらかしそうな感じはしてたんですよね。まあ、だからこそあなたにお任せしたのですが」
銀縁眼鏡の奥にある灰色の目が、弓なりに細まる。
「あなたの本性は『部屋』という空間そのものですからね。肉体は仮のもの、何度でも作り直すことが出来る――とはいえお疲れでしょう。今日はもう仕事を切り上げてくださって結構ですよ。後はこちらで処理します」
『お気遣い痛み入ります、楼主様』
フィロを貪り満腹になった客は、血まみれの部屋でうたた寝を始めた。腹がこなれてから楼閣を抜け出そうと思って。
しかし再び目を開けてみれば、部屋は惨劇がなかったかのように奇麗に元通り。食ったはずの相手が何食わぬ顔で枕元に座っている。
思わず跳び起きる客にフィロは言う。にこやかに。
「どうぞお気遣いなく。始めに申しました通り、私に何をして下さっても構わないのです、ご主人様。私は部屋憑きですから。皆様お客様の追加徴収をお願いします」
彼女は手を叩き、誰かを呼ぼうとした。
客はそれを突き倒して部屋から走り出る。
そこに迫る人影――夕星だ。
「お客さん、お代を払って下さいな。いい思いをしてそれはないでしょう」
客の身を流星錘が搦め捕り、ギリギリ締め上げる。
「奥の部屋でちょっと痛い目を見て貰ってもいいんですよ? ツケが溜まっていますよ。払って下さい。こっちはコレが仕事なんです」
客は刀を振り回し、夕星を振り払おうとした。
弾みで階段を踏み外し、どどっと下へ落ちて行く。
暗い踊り場にニケがいた。灰色の目が赤く輝いている。
「これはこれはお客様。お待ち申し上げておりました。これまで溜まった分をお支払いいただきましょう。その体で」
彼女はスーツの前をはだける。
乳房の間から臍にかけ、切り込みのような裂け目が現れる。
裂け目の中は牙だらけ。そこから触手が飛び出し、客を絡める。そして引きずり込む。
客はあっという間に骨を砕かれ肉を裂かれ、欠片も残さず食い尽くされていく。
夕星は嫌悪と恐怖を持って、その様を見ていた。
●お帰りなさい
トンネルの入り口でJは、やっと見つけた生徒らに説教を食わす。
「ったく。お前らと来たら何やってんだ。どんだけ心配したと思ってるんだ。こんな中に隠れて、天井でも崩れてきたら危ないだろうが!」
すいませえん、とガリレオがべそをかく。
元凶のルイたちは膨れ面。だが内心ではまずかったと思っており、一言も言い返さない。
マルコは神妙に、パウロは、ややぶっきらぼうに言った。
「「すみませんでした」」
Jは、はーっと大きな息を吐いてきびすを返した。来た道を引き返し始めた。
「とにかくすぐ宿泊所に戻るぞ。もう暗くなりかけてるからな、足元気をつけろ!」
夕暮れの中草をかきわけ整備道に戻る途中、マルコは一度だけ振り向きトンネルを見やった。
『立ち入り禁止』の札と壊れた柵が前に立て掛けてある。
(あんなもの、入ってくるときあったっけ?)
訝しみながら整備道に出てみれば、見知らぬ女性――ハナとルンルンが途方に暮れたように立ち尽くしていた。
Jは、こんばんは、と声をかける。
「このあたりの人ですか?」
2人は要領を得ないまま、うろうろと返す。
「いえ、違うんですけどぉ……」
「むしろ私たちの方が、ここがどこなのか知りたいくらいでして」
そこに大勢の人が、声を張り上げながら近づいて来た。
「どこだーっ!」「返事しろーっ! おーい!」
そのうちの1人がJたちの姿を見つけた。
あっと声を上げ駆け寄ってくる。
「きみたち、合宿に来てたベレンの子たちか! 一体全体丸3日も山のどこにいたんだ! 探したんだぞ!」
●今日もまた、不思議な町で
梅幸はお客のマリィアと、店先で世間話に興じている。
「一日だけ? もっとゆっくりしたらよかったのに」
「地方神程度じゃ数十年分の信仰が必要なのよ、あそこの宿泊。滅多にこれないからこそ、存分に羽を伸ばさないと」
「でも、あの子たち帰っちゃったんだ」
「ええ、契約書があるからには、また来ることになるだろうけど」
「ま、そだね」
「この店も湯と夕餉は楽しめたわ。後は伎芸にも力を入れれば充分彼方の楼に追い付けるんじゃないかしら」
「んー、そうすれば儲かることは分かってるんだけどねえ、なにしろ店主が渋っててさあー」
カチャとリナリスは調理場で、今晩の仕込みの最中。
「リナリスさん、何かここに新しい壷があるんですけど?」
「ああそれ? タタリ神の心臓。楼閣の方から新鮮なのが入ったって連絡が来たからさ」
「またそうやって高いものを。この間も腐れ神の直腸やらクトゥルフの心臓やら買い込んだでしょ」
「怒らないでよ。すごーくいい隠し味になるんだよ、これ」
「キスで誤魔化さないで」
ディーナは元気にご飯をかっこみ、お仕事に向かう。
「早くまた藪入りが来るといいのー」
袖をたすき掛けにし、まずは楼閣のお掃除。
玄関を掃いて、飾ってある花の入れ替え。
厨房裏のゴミ箱をあけ、生ゴミを豚舎に持っていく。
「ほーら、一杯食べて早くおいしく大きくおなりなのー」
それから、廊下の雑巾がけ。
白檀の間の前で、部屋の中を掃除をしているフィロに会う。
「フィロさん、おはようございますなの」
「おはようございますディーナ様。今日も一日頑張りましょうね」
遊郭風呂の方から、騒ぎ声が聞こえてきた。
「誰やー! こんな落書きしおったんはー!」
あれは父役スペットの声。
行ってみれば壁一面に、宿泊客である神々の姿が浮き彫りにされていた。白梅御前とルベーノがよりそう姿もあった。
しかしなぜか市井の人であるカチャやリナリス、メイムの姿もある。
「……あ、すいません私です」
「マルカ様、何しとんですか!」
「いえその、浴場の芸術的価値を高めようと思って……現世でも同じものを作ろうかと思っているのでその練習と言うか……」
「ええ加減にしてください! 原状回復費宿泊代に上乗せさせてもらいますさかいな!」
後始末が大変だなと思いながら眺めていると、表玄関から声。
「もうし、入ってもよろしいじゃろうか」
まだ日は高いのだが、せっかちなお客様がきてしまったらしい。
「いらっしゃいませ、ご休憩ですかお泊りですか」
楼閣の外階段。夕星は気怠い気持ちでキセルをふかす。
いつも通り廓の朝が来たことに辟易しつつ、広々した草原を眺める。
下の方に目をやれば、笠をかぶった女が忍び出て行くのが見えた。
駅のほうに向け小走りに歩いていく。
楼閣の遊女だと気付くも彼は、知らんふりしていた。あれは下っ端だ。消えたところでそれほど大騒ぎにはなるまい。
(俺もどこかに行こうか……この楼閣を出て……行ける所まで……)
あてどなく夢想する。
自分もまた楼閣以外に足場のない身の上。逃げることは出来ないと分かっていながら――。
依頼結果
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2019/08/22 21:09:53 |
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相談卓だよ 天竜寺 詩(ka0396) 人間(リアルブルー)|18才|女性|聖導士(クルセイダー) |
最終発言 2019/08/22 22:13:08 |