ゲスト
(ka0000)
【MN】今日はホラー・ナイト!
マスター:ことね桃

- シナリオ形態
- イベント
- 難易度
- 易しい
- オプション
-
- 参加費
1,000
- 参加制限
- -
- 参加人数
- 1~50人
- サポート
- 0~0人
- 報酬
- 無し
- 相談期間
- 5日
- 締切
- 2019/08/21 12:00
- 完成日
- 2019/09/07 16:08
このシナリオは5日間納期が延長されています。
みんなの思い出
思い出設定されたOMC商品がありません。
オープニング
●夏だからね、シカタナイネ。
ここはリアルブルー某所にある某学園の映画研究部部室。
普段は幽霊気味の部員が映画情報誌や過去作品のパンフレットを読みつつ、
文化祭で発表する作品について意見を交わしていた。
「文化祭は秋だから、学園の部活をピックアップして青春ドキュメンタリー風に纏めるのはどうかな」
「いや、今年はどこも県大会止まりでさ。
来年に向けて徹底的に強化するみたいだから撮影や取材は嫌がられるんじゃないかなァ」
「んー……それじゃ学園恋愛ものとか?
推理ものは脚本準備にもう時間がないし、競技要素のあるものはルールの把握から始まってしまうし」
「でも恋愛だって演技が自然でないと説得力が出ないと思うの。簡単なように見えてかなり難しいわ」
「まぁ、とりあえず今んとこ生徒会に行ってる部長が戻ってきてからだ。ジャンルは予算次第だし……」
「そうだな、まぁ無難なところで纏めようぜ」
部員たちが頷きあう。
そもそも映画といっても1時間程度で収まる小作品だ。
学生でもわかりやすく映像化しやすい物語にすれば十分だと。
――そこで部長のシュターク・シュタークスン(kz0075)は部室に入るなり、
知った顔ばかりだからと制服を脱ぎ捨て椅子に座った。
「あー。さっき文化祭の出し物について会議があったんだが、
偉い奴の命令で我が映画研究部はホラー映画を企画・制作することになった。
以上、内容についてはこれから検討する。諸君の忌憚ない意見を期待するー」
ふー、あちー……と愚痴りながら下敷きを団扇代わりにして涼むシュターク。
キャミソールにホットパンツというあられもない姿だが、
見慣れているためか部員のひとりも全く気にしない。
それよりも彼らは「ホラー映画」という言葉にびくりと反応した。
「ええっ、ホラー映画!? 文化祭は秋じゃないですか、今から撮って意味あるんですかね……」
「いや、ホラーはそこそこ需要あるだろ。
なんとかVSなんとかみたいなやつ。こっちもニッチな層を狙って一発当ててやろうぜ」
「いや、それはどれかというとイロモノ映画じゃないですかね。
元から知名度のあるコンテンツを組み合わせただけのような」
「うるせー、あたしも偉い奴に言ったんだよ。『秋にホラーはねえだろ』って。
そしたら『諸君らは私を唸らせるほどの恐怖映像を創れないというのかね?』と煽ってきやがった。
それでつい『それじゃ吐いた唾、呑み込むんじゃねーぞ』って言っちまってさ……」
偉い奴=生徒会長(通称:皇帝)。
堂々たる彼女にいつもシュタークは掌の上で転がされている……気がする。
『最近の映研は理想よりも企画の実現性ばかりを考えているように私は思える。きみはそう思わないか?』
『そりゃ学生の部活だからな。
できることには限界があるだろ。予算には限りがあるし、危険性の高い撮影はご法度だし』
『だが毎年ボーイミーツガールや青春ドキュメンタリーばかりでは成長がない。
そろそろ映研にも変革の時が必要だと思うのだよ。そこで私は考えた。
比較的低予算で刺激的にできるコンテンツを。……ホラー映画を作ってみる気はないかね?』
『は? ホラー? なんでまた』
『来年取り壊し予定の旧校舎があるだろう?
あそこは特に曰くがあるわけではなく、安全性も確かめられている。
ただ、グラウンド拡張のために解体されるだけでな。
あそこなら多少騒いでも問題あるまい。撮影許可は私が出そう。存分に撮るが良い』
『でもホラーにする必要はねえだろ。
旧校舎の歴史ドキュメンタリーとか、懐かし系の人情ものとか。色々やれることはあんだろ』
『それが既に守りに入っているというのだよ!
部長ともあろう者が何故腰をひく。率先して面白いモノを創ってやろうとは思わないのか!?』
――そして先ほどの発言に続く。
要はシュタークは過去に荒れていたこの学園の改革を推し進めたこの女傑に言い返すことができなかったのだ。
彼女は部活の改革などより遥かに大きな役目を長年担い、
時には反抗的な集団と対峙しながらも見事に全てをやりきったのだから。
「実際に予算を組む上からそう言われたのならば仕方あるまい。
昼から撮影に入って、
アクションが必要なパートは細かくカットを入れつつ進めれば何とかなるとは思うがな……」
カメラ担当のフリーデリーケ・カレンベルク(kz0254)がため息をつきながら大型三脚のメンテナンスを行う。
隣で編集担当の只埜 良人(kz0235)も
「比較的危険な屋上や階段周辺でのアクションはしない方向で」と言いつつ上体を反らした。
「昔流行ったなんとかプロジェクトみたいに、
学生が幽霊の出る校舎に悪戯心で入って怖い目に遭う王道シナリオで、
曰くありそうな場所でキャストが騒いだ映像に後程エフェクトをかければ十分かと」
彼の意見にシュタークが頷く。
「とにかく怖くて面白い映像を撮ってあの皇帝の舌を巻かせる出来にしたい。だから皆、意見を頼むぞ」
こうして映画研究部初のホラー映画製作が始まったのだった。
●裏でうごめく者たち
映画の撮影準備が整う中で――ローザリンデ(kz0269)と
エリザベート(kz0123)は旧校舎にひっそりと乗り込み、姿見に映る己の姿にため息をついた。
ローザは血まみれのウェディングドレス、
エリザベートはゴシックドレスにジョークグッズの牙をつけて吸血鬼に扮している。
彼女達は生徒会からこっそりと映研の賑やかし、つまりは幽霊役の仕込みをやってこいと命じられたのだ。
――その方が真に迫った面白い映像が撮れるだろうという生徒会長からの心遣いらしい。
他にも数名が仕込みに入っているというが、
全員を把握しているわけではないので各々が何をするのかはわからない。
「ローザ、エリザベート……大丈夫?」
ふたりの後ろで犬の着ぐるみを着た養護教諭フィー・フローレ(kz0255)が首を傾げる。
なぜ彼女が常に犬の姿をしているのか。
それがこの学園最大の謎なのだが人当たりが悪くないので誰も気にしてはいない。
むしろ近年ではマスコットキャラとしての地位を確立しつつあるので全く問題がないのだった。
現にローザは肩を竦めて苦笑する。
「ああ、撮影中にちょっと顔出しするだけだからね。事が終わったらさっさと帰るよ。
それよりもアンタの方が大変じゃないのかい? 撮影中のトラブルに対応しなくちゃならないんだろ」
「……ソレハオ仕事ダモノ。
イツモ通リ保健室ニ詰メテイルダケヨ。何モナケレバ問題ナイワ。何モ……」
……そう。何もなければ。
しかし映研の微妙な情熱と生徒会の悪戯心がどのような出来事を巻き起こすのかは未知数なのだった。
ここはリアルブルー某所にある某学園の映画研究部部室。
普段は幽霊気味の部員が映画情報誌や過去作品のパンフレットを読みつつ、
文化祭で発表する作品について意見を交わしていた。
「文化祭は秋だから、学園の部活をピックアップして青春ドキュメンタリー風に纏めるのはどうかな」
「いや、今年はどこも県大会止まりでさ。
来年に向けて徹底的に強化するみたいだから撮影や取材は嫌がられるんじゃないかなァ」
「んー……それじゃ学園恋愛ものとか?
推理ものは脚本準備にもう時間がないし、競技要素のあるものはルールの把握から始まってしまうし」
「でも恋愛だって演技が自然でないと説得力が出ないと思うの。簡単なように見えてかなり難しいわ」
「まぁ、とりあえず今んとこ生徒会に行ってる部長が戻ってきてからだ。ジャンルは予算次第だし……」
「そうだな、まぁ無難なところで纏めようぜ」
部員たちが頷きあう。
そもそも映画といっても1時間程度で収まる小作品だ。
学生でもわかりやすく映像化しやすい物語にすれば十分だと。
――そこで部長のシュターク・シュタークスン(kz0075)は部室に入るなり、
知った顔ばかりだからと制服を脱ぎ捨て椅子に座った。
「あー。さっき文化祭の出し物について会議があったんだが、
偉い奴の命令で我が映画研究部はホラー映画を企画・制作することになった。
以上、内容についてはこれから検討する。諸君の忌憚ない意見を期待するー」
ふー、あちー……と愚痴りながら下敷きを団扇代わりにして涼むシュターク。
キャミソールにホットパンツというあられもない姿だが、
見慣れているためか部員のひとりも全く気にしない。
それよりも彼らは「ホラー映画」という言葉にびくりと反応した。
「ええっ、ホラー映画!? 文化祭は秋じゃないですか、今から撮って意味あるんですかね……」
「いや、ホラーはそこそこ需要あるだろ。
なんとかVSなんとかみたいなやつ。こっちもニッチな層を狙って一発当ててやろうぜ」
「いや、それはどれかというとイロモノ映画じゃないですかね。
元から知名度のあるコンテンツを組み合わせただけのような」
「うるせー、あたしも偉い奴に言ったんだよ。『秋にホラーはねえだろ』って。
そしたら『諸君らは私を唸らせるほどの恐怖映像を創れないというのかね?』と煽ってきやがった。
それでつい『それじゃ吐いた唾、呑み込むんじゃねーぞ』って言っちまってさ……」
偉い奴=生徒会長(通称:皇帝)。
堂々たる彼女にいつもシュタークは掌の上で転がされている……気がする。
『最近の映研は理想よりも企画の実現性ばかりを考えているように私は思える。きみはそう思わないか?』
『そりゃ学生の部活だからな。
できることには限界があるだろ。予算には限りがあるし、危険性の高い撮影はご法度だし』
『だが毎年ボーイミーツガールや青春ドキュメンタリーばかりでは成長がない。
そろそろ映研にも変革の時が必要だと思うのだよ。そこで私は考えた。
比較的低予算で刺激的にできるコンテンツを。……ホラー映画を作ってみる気はないかね?』
『は? ホラー? なんでまた』
『来年取り壊し予定の旧校舎があるだろう?
あそこは特に曰くがあるわけではなく、安全性も確かめられている。
ただ、グラウンド拡張のために解体されるだけでな。
あそこなら多少騒いでも問題あるまい。撮影許可は私が出そう。存分に撮るが良い』
『でもホラーにする必要はねえだろ。
旧校舎の歴史ドキュメンタリーとか、懐かし系の人情ものとか。色々やれることはあんだろ』
『それが既に守りに入っているというのだよ!
部長ともあろう者が何故腰をひく。率先して面白いモノを創ってやろうとは思わないのか!?』
――そして先ほどの発言に続く。
要はシュタークは過去に荒れていたこの学園の改革を推し進めたこの女傑に言い返すことができなかったのだ。
彼女は部活の改革などより遥かに大きな役目を長年担い、
時には反抗的な集団と対峙しながらも見事に全てをやりきったのだから。
「実際に予算を組む上からそう言われたのならば仕方あるまい。
昼から撮影に入って、
アクションが必要なパートは細かくカットを入れつつ進めれば何とかなるとは思うがな……」
カメラ担当のフリーデリーケ・カレンベルク(kz0254)がため息をつきながら大型三脚のメンテナンスを行う。
隣で編集担当の只埜 良人(kz0235)も
「比較的危険な屋上や階段周辺でのアクションはしない方向で」と言いつつ上体を反らした。
「昔流行ったなんとかプロジェクトみたいに、
学生が幽霊の出る校舎に悪戯心で入って怖い目に遭う王道シナリオで、
曰くありそうな場所でキャストが騒いだ映像に後程エフェクトをかければ十分かと」
彼の意見にシュタークが頷く。
「とにかく怖くて面白い映像を撮ってあの皇帝の舌を巻かせる出来にしたい。だから皆、意見を頼むぞ」
こうして映画研究部初のホラー映画製作が始まったのだった。
●裏でうごめく者たち
映画の撮影準備が整う中で――ローザリンデ(kz0269)と
エリザベート(kz0123)は旧校舎にひっそりと乗り込み、姿見に映る己の姿にため息をついた。
ローザは血まみれのウェディングドレス、
エリザベートはゴシックドレスにジョークグッズの牙をつけて吸血鬼に扮している。
彼女達は生徒会からこっそりと映研の賑やかし、つまりは幽霊役の仕込みをやってこいと命じられたのだ。
――その方が真に迫った面白い映像が撮れるだろうという生徒会長からの心遣いらしい。
他にも数名が仕込みに入っているというが、
全員を把握しているわけではないので各々が何をするのかはわからない。
「ローザ、エリザベート……大丈夫?」
ふたりの後ろで犬の着ぐるみを着た養護教諭フィー・フローレ(kz0255)が首を傾げる。
なぜ彼女が常に犬の姿をしているのか。
それがこの学園最大の謎なのだが人当たりが悪くないので誰も気にしてはいない。
むしろ近年ではマスコットキャラとしての地位を確立しつつあるので全く問題がないのだった。
現にローザは肩を竦めて苦笑する。
「ああ、撮影中にちょっと顔出しするだけだからね。事が終わったらさっさと帰るよ。
それよりもアンタの方が大変じゃないのかい? 撮影中のトラブルに対応しなくちゃならないんだろ」
「……ソレハオ仕事ダモノ。
イツモ通リ保健室ニ詰メテイルダケヨ。何モナケレバ問題ナイワ。何モ……」
……そう。何もなければ。
しかし映研の微妙な情熱と生徒会の悪戯心がどのような出来事を巻き起こすのかは未知数なのだった。
リプレイ本文
●それは何でもない日常から
「ふんふんふーん、今日はBBQ楽しいなー♪」
真夏の木陰で機嫌よく歌う星野 ハナ(ka5852)は、肉と野菜を手際よく鉄串に刺しコンロの上に次々と並べていった。
味付けは塩コショウでスタートし、シンプルな味に飽きてきたら醤油や焼肉のタレで調味する予定だ。
それに各種薬味も準備した。もちろんコンロは肉の旨味を最大限に引き出す炭火焼き。
野菜も焼き野菜のみではなく、心配り十分に口直し用のサラダまで用意している。
そこにディーナ・フェルミ(ka5843)が肉と果汁がたっぷり入った袋を運んできた。
「トロピカル風スペアリブも準備完了なの~。パイナップルのお汁が馴染んでいるからお肉がすっかり柔らかくなってるの~!」
ディーナ曰く、誰よりも早く登校し肉の下拵えをしていたらしい。豚肉がフルーツジュースの中で楽しげに揺れている。
そんなふたりの顔を見て映研顧問の英語教師マリィア・バルデス(ka5848)が明るく声をかけた。
「あら、ふたりとも久しぶりじゃない。進学や就職活動に向けて忙しくなったのだと思っていたけれど……」
そう、ハナとディーナは映研の幽霊部員。
週一の例会にはほぼ顔を出さず、月に1回開催される映画観賞会に時折顔を出す程度の活動率だ。
いや、撮影の折にこうしてバーベキューや芋煮を行う時は出席率100%だったか。
あとは――調理部協力でグルメ映画を作った際にも積極的に参加していたような……?
マリィアが思い返すさなか、ハナは悪びれることなく答えた。
「だって今日はBBQの日じゃないですかぁ♪ もちろん部活も全力で参加しますけどぉ。私の担当区域はもう準備を終わせてあるのでぇ、後は撮影だけですぅ」
「私のところも小道具大道具はセット済みなの~。今は最終チェック中だから、それまでこっちでお仕事するの~」
ふんわり微笑み、ディーナが自慢のスペアリブを焼き網の上に並べていく。
果汁と混ざり合った肉汁が赤々と燃える炭に落ち、たちまち周囲に甘い匂いが漂った。
どうやらふたりとも楽しみのためなら全力を尽くす主義らしい。
「そこまで手を尽くしてくれたのなら、きっと間違いはないでしょうね。撮影の時もこの調子で頼むわよ」
「それはもちろん、お任せあれですぅ」
ハナがコンロを管理し額に浮いた汗を拭う一方、ディーナは調理室から炊飯器を運び出した。中にはたっぷりの白飯が入っている。
(やっぱりご飯がないと物足りないものね。パエリアもいいかなって思ったけど、やっぱりお肉の味付け次第だから~)
その芳香に引き寄せられたのか、部長のシュターク・シュタークスン(kz0075)が猛烈な勢いで昇降口から降りてきた。
「おう、お前らいいもん作ってんじゃねーか! あたしの分も残しといてくれよな?」
「それはもちろんですぅ。部長さんの胃袋が底なしなのは知っているのでぇ、食材は大量に買い込みましたぁ。ディーナさんのスペアリブもぉ、あと2袋分あるはずですぅ」
「おお、やってくれんじゃん! そんじゃもうひとっ走りいってくる!」
「待って、シュターク」
シュタークが再び旧校舎に向かおうとしたところ、マリィアが突然呼び止めた。
「? どうしたよ、マリィア先生」
「今回の撮影ってたしか正式な脚本が間に合わなかったのよね? プロットは見せてもらったけれど、それできちんと撮影しきれるのかしら」
「んー……まぁ、どうにかなるだろ。内容は学園ホラーの王道シナリオだし」
今回は『旧校舎で肝試しをした学生が様々な怪異に遭遇するも、助け合い危機を退け、脱出に成功する』というシンプルな物語だ。
しかし脚本担当者によると結末のみがまとまりきらなかったそうで、後半の逃亡シーンの始まりでシナリオが途切れている。
「なるほど、とりあえずジュブナイル要素の強い作品にするのね。これなら青春映画として綺麗に纏められる……か」
「ああ。最後は誰が見ても胸にストンと来るようなラストにしたいんだ。旧校舎だって撤去直前でケチをつけられたかねえだろう」
「そうね、私は本校舎しか知らないからここにさほど思い入れはないのだけれど、旧校舎ゆかりの卒業生も観に来るでしょうし」
顧問の優しい言葉に片眉を吊り上げるシュターク。
だが次の瞬間、この企画の根幹を揺るがす一言をマリィアは困ったような笑みを浮かべて言った。
「ところでホラー映画って怖くする必要があるのかしら。楽しい映画でも良い気がするの。ああでも、スプラッタは駄目よねぇ?」
どうやらマリィア教諭はスプラッタ作品への耐性が至極強いらしい。シュタークは「まぁな」と苦笑した。
「スプラッタはどうも駄目らしいぜ。激しい暴力や性描写のある作品は公開できないんだと。子供から年寄りまで観に来るからさ」
「そう……私、アクション映画ばっかり見てたから、よく分からないのよね。シュタークなら怖い相手を粉砕していく映画の方が似合う気がするのだけど……」
「うーん、でもそもそもあたしは演技下手なんだよなぁ。台詞も覚えられねーし。そこにアクションを入れたら強面の映像スタッフが怪異を物理的にどつきまわすどっかの心霊ドキュメンタリー風になるぜ?」
「私にとってはそれはそれでアリだと思うのだけれどね。面白いし。いずれにせよラストだけは決めておいた方が良いんじゃないかしら。怪異を全滅させるか、退治したように見せかけて実は……にするか。世間では後者の方が人気があった気がするけど」
そこに音響やBGM制作で協力関係にある軽音部の央崎 遥華(ka5644)がひょっこりと顔を出した。
彼女は愛読しているゴシックホラー小説を手に、昨今のホラー事情を語り出す。
「マリィア先生の言う通り、国内外の作品ともに何らかの形で怪異が存在し続けるラストの作品は多いです。登場人物がラストで怪異に密かに憑依されていたり、逃亡したのはいいものの惨劇が何らかの形で続く、というような。これには続編を作りやすいという商業的な事情もあるのでしょうね」
「なるほど、続編な……。他にはどんなものがあるんだ?」
「館のような閉鎖空間を舞台にしたものならば終盤に炎上もしくは崩壊し、その跡地から事件解決に繋がるものを発見し真相を悟るとか。バッドエンドものなら事件の全容が解明されるものの、主人公やヒロインが怪異にとり殺されてしまうとか。他には怪異が宇宙生命体だったという結末もありますね」
「うーん……旧校舎炎上は迫力が出るだろうけど、うちの部ではそこまで映像を創れないよなぁ。となると、一旦全てが解決したように見せかけて校舎に何かが潜んでいるってラストにするのが無難か」
渋い顔で腕組みをするシュターク。そこに何者かが後方から丸めた書類で彼女の頭をぽん、と叩いた。
「何すんだよ! ……って、J先生か……」
「J先生か、じゃねえよ。全然戻って来ねえから何かあったのかと思えばこんなところで物騒な話をして油を売ってたのか。まったく……」
生物学教師のジョナサン・ジュード・ジョンストンことトリプルJ(ka6653)がシュタークに仏頂面を向け、仁王立ちしている。
彼はレスリング部の顧問。今日はレスリング部は休養日にあてられている。
そんな彼がここにいるのは理系教師陣の中で最も若年、一番扱いやすい存在と見做され安全管理のために派遣されたからだった。
トリプルJは防火用の大型バケツに水を貯めながらシュタークを叱咤する。
「そもそもお前な、部長ならもちっと部員の安全には気をつけろや。良い画より部員の安全だろ。床や壁に問題がないと言っても、管理会社が入るのは1カ月に1回。その間閉鎖されっぱなしの風通しが悪い物件なんだから、常に危機管理意識を働かせろ」
「あ、ああ。悪かったよ、J先生。すぐに作業に戻るって」
「ん。今日のうちに大まかな撮影を済ませるとはいえ、もしトラブルが発生したら管理体制の問題になる。俺ら教師だけでケリがつく話ならともかく、事故となればお前らも辛い思いをすることになるからな。気をつけろよ」
そこでちら、とマリィアに視線を投げかけるトリプルJ。マリィアは「悪ノリが過ぎたわね」と素直に謝罪した。
「わかってる、顧問としてやるべきことはやるわ。誰もが気持ちよく撮影を終えないと部活動としての学びにならないものね」
彼女は昇降口でパンプスを底の厚い運動靴に履き替え、旧校舎へ入っていく。
「もう少しでお肉が焼き上がるんですけどねぇ」
ハナが残念そうに呟くと、ディーナはぽやっと笑って見せた。
「でも在庫はたくさんあるし~。先生達の分は別に確保すれば問題ないと思うの~」
「ですねぇ。それじゃ、焼き上がった分からいただきましょうかぁ。ね、遥華さん。……あれ、遥華さんも旧校舎に行くんですかぁ?」
映研部長と教師2人に続いて旧校舎に足を運ぶ遥華。彼女は音響機材のケースを手にしている。
「ええ。今回は生の音を使いたいんです。古い施設ならではの音は本校舎では録れないものですから。撮影が始まった後だと邪魔になってしまいますしね」
「なるほどぉ。それでは遥華さんのご迷惑でなければ生徒指導室の掃除用ロッカーをバタバタ開閉してもらってその音源をリミックスしてもらえませんかぁ? 私の担当する場面で揺らす場面があるんですぅ」
旧校舎の地図に赤ペンで印をつけるハナ。遥華は快く頷いた。
「はい、それぐらいならいくらでも。私も後でBGMを作るために全体の仕掛けや雰囲気を掴んでおかないといけないですし。教えてもらえて本当に助かります」
にっこり微笑んで昇降口へ姿を消す遥華。ハナとディーナが「お願いしますねぇ」とにこやかに見送ると彼女は「頑張ってきまーす」と元気よく手を振った。
●ふたりっきりの恐怖
陽が傾き始めた頃の旧校舎。
カメラを担いだフリーデリーケ・カレンベルク(kz0254)がアルマ・A・エインズワース(ka4901)とともに2階の生物準備室を覗く。
生物の授業で使われる教材は陽射しに弱いものが多い。必然的に遮光されており、蒸し暑い室内には薬品臭が薄く漂っていた。
「あ、アルマ、怖いなら怖いと言っていいんだぞ? なにしろここは人気が無いからな。不安に思うのは仕方ないのだ」
「……フリーデさんこそ。僕は科学部を掛け持ちしてるんですよ? お薬の匂いも暗い場所も慣れっこですー」
そう言い合い、どちらともなく指先で互いの手の甲を触れては離しを繰り返すアルマとフリーデ。
実はこのふたり、高校生にして既に許婚という早熟な関係である。
しかしアルマが年頃の男子にしては無垢すぎるのと、フリーデもひどく奥手であり……未だ手を繋いでもいない。
そんな微妙な関係の両者はカメラを撮影用の台車にセットすると頷きあった。
「それではアルマ、昼の撮影を始めよう。私がお前の後を追う。顔や声の演技はいらないから、とにかく動き回ってくれ」
「はいですっ。逃げるように走り回ればいいんですね?」
「そうだ。時折躓きそうになったり、振り向くように足を傾けて雰囲気を出してくれ」
「わかりました、それではやってみますね!」
アルマが白衣を脱ぎ、駆け出した。長い脚が画面に映える。フリーデは台車を不安定に揺らしながら彼を追った。
これに後ほど不気味な音声を乗せて映像を加工すれば、地を這いずり回る怪異視点の動画の完成だ。
――そして録り終えた映像を確認した後、アルマがぽんと手を叩く。
「そうだ、なんでしたら後で人魂でも作ってみますです? 炎色反応で何とかできますし。えっと……細い針金と、綿と、アルコールさえあればできるはずです。青白い人魂!」
「それでは後でマリィア先生に確認しよう。ここでの撮影は難しいだろうが、外での撮影なら許してもらえるかもしれない」
「はいですっ♪」
だが――全てが仕込みだとわかっていても、純粋培養のアルマにとってこのレトロな光景はどことなく恐ろしく見える。昔家族と一緒に観た学園怪奇ドラマを思い出しては、思わず本音をぽろり。
「あの、ところでフリーデさん……今年の映画、どーしてホラーにしちゃったです……?」
「それは……生徒会長からの煽りがなければな……」
「うぅ、生徒会長と部長さんの決定ですか……。と、とにかく撮影が終わったのならここから早く出るです! 古いお薬の臭いは身体にも良くないですよー!」
鼻の奥を刺激する臭いに顔をしかめ、ぶんぶんと両手を振るアルマ。そこでフリーデは首にかけた紐を1本外し、彼に渡した。
「そうだな、すぐにここから出よう。それと気休め程度だが、持っておくと良い」
「あ、ありがとうございます……って、あれ?」
アルマの手に握らされたものはピンク色の可愛らしいお守りだった。
「あの、フリーデさん。これ、『恋愛成就』のお守りなんですけど……」
「っ!!」
フリーデが顔を真っ赤にし、アルマの手からお守りを奪うと彼の首にやや強引に「災除け」のお守りをぶら下げた。
「交換だ! 今のは見なかったことにしろ、いいな!!」
「は、はいっ。でもあの、これってどうして……? 僕達、結婚……」
「それは、その……言えんのだ。絶対に……!」
フリーデは再び愛らしいお守りを首にかけ、セーラー服の胸元に押し込んだ。
そして無言のまま台車に搬出用のリードを掛け、カメラを起動させたまま各教室や廊下を撮影する。スタッフロールにありし日の旧校舎を記録として残すために。
――実はフリーデとアルマの年齢差は一回り以上ある。自分の幼さが彼女を不安にさせたかと、アルマはひどく不安になった。
「あの……フリーデさんっ、僕は……!」
こうしてアルマがフリーデを追いかけようとした時。東端の階段の前に長い毛の塊が床を滑っていった。
その塊は人の頭ほどの大きさで、にわかに階段から「ごとり」と鈍い音が響く。
前方を行くフリーデが足を止め、振り返らぬまま――問うた。
「アルマ……今の、見たか。さっきここに来る前はなかったよな?」
「い、今のは多分動物さんですっ! 古い校舎ならネズミさんや野良猫さんぐらいいるですっ。ここは下水道化もされていないんですから、きっと外の溝から入ったですよ!」
「だ、だが随分と重そうな音を立てていたぞ?」
「大きな音は下の作業音かもしれないです。机とか先生が倒したのかも……です」
「そ、そうか……そうだよな。怖いことなんて何もない。ここは何の曰くもないんだから……」
ははっと力なく笑って、フリーデがアルマに向けて振り返る。その瞬間、彼女の顔が凍り付いた。
アルマの背後。生物準備室の斜向かいにあるトイレの扉にか細い血まみれの指が突き立てられている。
そして扉がゆっくりと押し開けられ――淡く紅のついた靴と半透明の白装束がふわりと宙に浮いた。
「――ッ!!?」
蒼白になったフリーデがカメラと台車を脇に抱えたまま、アルマの腕を掴み走り出す。
「え? え? フリーデさん、どうしたですか?」
「いいか、アルマ。振り向くな! 振り向いたら駄目だ! お前の後ろに……何かが、いたッ!!」
「え? 映研の誰かじゃないんですか?」
「違う! 半透明の白い装束に血まみれの靴を履いていた奴などいたか!?」
「そ、そんな人いなかったです。悪戯好きな人はいますけど……まさか……?」
途端にアルマが顔を強張らせる。ふたりは直近の中央階段を早足で降り始めた。
本当は利用したくなかった、中央階段。
ここは東西の階段と異なり、大きな窓がない。灯りとりの小窓から足元が見える程度の光しか射し込まない不気味な空間だ。だが奇妙な毛玉が這いずり回る東階段、そして血まみれの何かを通過せねばならない西階段に行く勇気は出なかった。
――何なんだ、あれは。ここは既に顧問達によって異常なしと確認されたのではなかったか。
しかし……そこで恐怖は終わらない。残り数段で1階というところで奇妙な囁きが、聞こえたのだ。
『ドウシテ……ドウシテ……』
『……イタイヨゥ、タスケテェ……』
歪んだ囁き声が左右から聞こえる。恨めし気な声が幾重にも重なって、何度も、何度も。
「うわああああっ!!」
咄嗟にアルマにしがみつくフリーデ。アルマはそれまで羽織っていた白衣を彼女に被らせた。
「フリーデさん、落ち着いて! 昇降口はすぐそこ、あっという間に外に出られます。まずは皆と合流しましょう!」
白衣からほんのりと柑橘系の香りがする。――アルマの匂いだ。旧校舎の湿った木の香りが消えていく。
そこで落ち着いたフリーデの手をアルマがしっかりと掴んだ。
彼は毅然と周囲を見回し「大丈夫、僕が守りますから」と何度も繰り返しながら歩く。
そして――ふたりを包んだのは薄暗い校舎と対照的な真夏の日差しと賑やかな声。
アルマは「もう大丈夫ですよ、先生方も部長もここにいます」と優しく笑みを浮かべ、フリーデの頭を白衣越しに撫でた。
手繋ぎも頭撫でも全てが初めてのこと。
彼の指は細いが思ったよりも大きく、心強くて……頼りになった。
フリーデは初めての体験に胸が高鳴る。
(こんな状況でなければ……もっと良かった。でも、ちょっとだけ嬉しい。お守りのご利益だろうか)
彼女が身に着けている恋愛成就のお守りは、許婚ともっと仲良くなれますようにと祈りを込めたもの。恥ずかしくて今は本音を言えないけれど。
そんなフリーデが白衣に赤らんだ顔を埋めると、アルマは静かに微笑み「先生に状況を説明してきますね」と告げて頭を撫でた。
一方、旧校舎の2階階段脇の物置から生徒会企画担当の白樺(ka4596)が作り物の生首を小脇に抱えて顔を出した。
(マネキンの首が重いから階段に落っことした時ドキッとしたけど、重みのある音が逆にリアルになったみたいね。大成功なのっ☆)
そう、先ほどアルマ達が見たものはマネキンの生首。古いマネキンの頭にウィッグを被せただけの簡単なものだ。
トリックも至極簡単。
物置に身を隠していた白樺が撮影班の通過後に廊下へテグスを括りつけた生首を配置。誰かがそれに気づいて怯えた瞬間に生首を引き寄せ、薄く開けた物置の中に回収。そのまま扉を静かに閉めてやり過ごせばいい。
――そこにシースルー素材のウェディングドレスを纏ったローザリンデ(kz0269)が足音を潜めて歩み寄った。
「白樺、どうやら映研側の確認作業は無事に終わったそうだ。後は全員予定通りの配置に着き待機するように……だとさ」
先ほどのトイレから登場した白装束の幽霊は彼女だったのだ。だが血塗れメイクを施した恋人に白樺が悲しげに眉を顰める。
「ローザ……うまくいったみたいで良かったけど、やっぱり痛そうで心配になるの……。ねえ、大丈夫? 本当の怪我はない?」
するとローザが白樺の手をとり、自分の腕を撫でさせた。血色の顔料を重ねたせいか、全体がざらりとしている。
「ああ、全部が偽物の傷。この通り大丈夫さ。……それよりアンタこそ怪我していないだろうね? 物置の壁、随分と傷んでいるから指や服を引っ掛けないか心配だったよ」
「シロはだいじょーぶっ。シロがいくらカワイイ系だといっても、もう高校生なんだから心配しないでほしいの♪ ……それにしてもフリーデの悲鳴、凄かったの。びっくりしたね?」
「ああ、中央階段の仕掛けも念を入れた造りだからね。短時間でよくあそこまで仕上げたもんだ」
白樺とローザが中央階段に向かい、スマートフォンのライトで壁を照らし出す。
そこにはセンサー式の薄型スピーカーが死角となっている小窓の端にひっそりと据え付けられていた。
スピーカーの前を通ると『ドウシテ……』と恨めし気に歪んだ囁き声が響く。
「これ、この前生徒会室で録ったシロの声なんだよね。どうしたらこんな怖い声になるのかな」
白樺は変声期に差し掛かりながらも今も小鳥のような愛らしいハイトーンを維持している。――その声の変容が何とも恐ろしい。
彼を慰めるようにローザはハニーブロンドの髪を何度も撫でながら言った。
「それは音作りの専門家が弄ったからさ。アンタの声は特徴があるからすぐにわかるからね。……そういやあの子らもどんな演技をするか楽しみだね?」
ローザが意味深な笑みを浮かべる。白樺は不気味な音声が途切れたのを確認すると、安心したのか屈託なく笑った。
「うん! シロやローザと同じ、生徒会からの刺客はまだまだいるのっ♪ 映研の皆に本当のホラー映画を撮ってもらうために力を合わせてがんばろーなのっ!」
自分たちの他にも様々な幽霊に扮した生徒会役員が持ち場に身を潜めているはずだ。
早速白樺は物置に戻り、意気揚々と大きな鞄を引っ張り出す。
「シロね、お面を集めるの趣味なの。科学実験室でお顔が爛れたお面してたら、びっくりしてくれるかな? かな?」
そう言って鞄からグロテスクなマスクを取り出す白樺。顔にまみれた血があまりに生々しく、ローザは無意識に下唇を噛んだ。
「わわわ、驚かせちゃった? ごめんなさいなの。でもこれはシロのとっておき。きっと皆驚いてくれるはずなの! 衣装も本物を準備したんだよ? この学園の昔の制服!」
「ああ、いや……随分と念入りに頑張ったんだね……偉いよ」
ローザは感心半分、驚き半分といった表情で白樺を見つめた。
彼は無垢な貌の裏に男らしさと酔狂を楽しむ余裕を秘めている不思議な少年だ。
これからどんな男性に成長するのか。それがローザにとって何よりの楽しみであり、末恐ろしい面でもあった。
●撮影開始
「はい、あーん。フリーデさん、美味しいお肉で元気出してくださいですっ♪」
あの事件から30分後、紙皿にたっぷりの肉と野菜を乗せてアルマが微笑む。
フリーデの目の周りは真っ赤に腫れていたが、それでもようやく笑って口をつけた。
「ありがとう、アルマ。それよりお前はいいのか? あまり食べていないようだが」
「僕は元々食が細くて、サラダでお腹いっぱいになってしまいました。レモン水で水分補給もしましたし。だからほら、遠慮せずに♪」
「わかった。それではありがたく……」
その時、フリーデの撮影した映像をチェックしていた只埜 良人(kz0235)が首を捻った。
「……たしかに不審なものが映っていますね。でも怪奇現象にしては妙に物質的な存在感が強いというか」
彼のパソコンを覗きながらハナが頷く。
「確かにぃ。それに幽霊の下に薄く影が映ってるんですよねぇ。廊下全体が薄暗いからぼんやりしてますけどぉ……誰かの悪戯じゃないですかぁ?」
ハナは普段可愛らしい女性を装っているが、その本質は冷静で豪胆だ。
すぐさま胡乱げな目で旧校舎を見上げるも、視線を塞ぐように広げられたカーテンばかりが目に入る。
(もし覗き込んでいる輩がいたらすぐに乗り込んで叱りつけるところなんですけどねぇ……邪魔すんじゃねえですって)
そこにマリィアとトリプルJが昇降口から降りてきた。部員たちの視線にふたりとも肩を竦める。
「1階から屋上まで全室見回りをしてきたけれど、特にこれといった異常はなかったわ。いつでも警察署へ電話できるようにしてたのに」
「件のトイレや東階段も念入りに覗いたが、幽霊どころか動物一匹いやしねえ。……なんなんだろうな、その動画に映ってる奴は」
途端にざわつき始める映研部員たち。
遥華が「私も旧校舎のあちこちで集音しましたけど……特に異常はありませんでした。どうして、こんなこと……」と怯えだす。
彼女の録音してきた音声データは一片のノイズもなく綺麗に収録されているのだ。
順風満帆に進んでいたはずの撮影に漂い始めた暗雲。
遥華は五線譜に記し始めていた楽曲が思いつかなくなったのか、ペンを手放す。
ディーナはそれを目にするや白飯に焼肉を乗せ、もっきゅもっきゅと食べながら「……怖いの苦手なの~」と呟いた。
何しろ彼女は出演者のひとりにカウントされている。映研でセットした仕掛けは怖くも何ともないが、それ以外となれば。
だが安全を重ねて確認したトリプルJが不敵に笑った。
「撮影には俺もマリィア先生も同行する。あれはおそらく旧校舎が珍しく開放されたのを機に悪戯で忍び込んだ生徒だろうよ。きつく灸を据えてやらないとな」
「で、でももし生徒でなかったら……?」
怯える部員に向かい、彼は腕組みするや大きく息を吐いた。
「そもそもこの世には幽霊なんていないんだ。あれが生徒ではなく不審者だったら俺がタックルで仕留めてやる。だからお前達は事前の打ち合わせ通り、落ち着いて良い作品を作れ。旧校舎の撮影は今日しか許可が下りていないんだからな」
「ええ。撮影の都度、私とJ先生が先に部屋の安全確認をするから安心して。私は蛍光塗料入りの防犯用カラーボールを持ってきたの。ここに不審者がいるなら思いきりぶつけてやるわ」
タフなふたりの言葉に背を押され、おずおずと首を縦に振る生徒たち。
もう陽は傾きかけている。撮影を深夜に引き伸ばさないようにするには今から撮影に専念するしかない。
良人から撮影用のメモリーを受け取ったアルマはカメラを確認しながら言った。
「良人さんはここでモニターを通して旧校舎を監視しているんですよね?」
「ああ。もっともカメラを通した映像だから君達とはさほど視点が変わらないけれど」
「それでもいいです。もし異変が起きた場合は警察に連絡を。保健室のフィー先生にもよろしくと伝えておいてください」
眼鏡の奥にある瞳は真剣そのもので。良人は「わかった、これから一層暗くなる。……どうか気をつけて」とまっすぐに応じた。
●暗闇の旧校舎
「おーい、お前ら、わかってると思うが器物損壊はするなよー。騒いで良いのと壊して良いのは別だからなー。校舎撤去っつったって、売却するものも本校舎に移転させるものもあるからなー」
はい、と先を歩くトリプルJの注意に真面目に返事をする生徒たち。今のところオカルトめいた現象は起こってはいない。
旧校舎に侵入する場面は既に収録済みだ。ディーナは1階の保健室に向かいながら大きく脈打つ胸にそっと手を当てた。
(保健室はハナさん担当なの~。ハナさんはしっかりしているから、異変があったら絶対に気がつくの。……だから保健室は大丈夫)
そんな彼女の前で教師達が扉を開き、マグライトで部屋を照らし出した。室内に不審者はおらず、設備の下にも何もない。
「問題はないようね。それでは撮影に入るわよ」
「はーい、こっちは準備万端ですぅ」
ハナがウキウキした様子でベッドに座り、カーテンをしゃっと閉める。
「はい、それでは3・2・1……」
シュタークがカチンコを打つと、一斉に周囲が静まった。
出演者達がそれぞれ不安そうな顔を浮かべ、保健室のドアを開ける。
「……ここが旧校舎の七不思議のひとつがある場所、か」
「なんだよ、何もねーじゃん。血まみれの床とか噂だけかよ。机も棚も空だしさァ」
脚本通りの台詞を口にし、棚やデスクを物色する生徒。そこにディーナがクラス委員長役として前に出た。
「きっと退去前に先生方がきちんと掃除をされたのね。でも……なんで窓際のベッド用カーテンだけ、残されているのかしら?」
「知らねーよ。多分カーテンレールが壊れて引っかかってるんじゃねえの?」
そう言って乱暴にカーテンを掴む男子。するとそこにはぼんやりと照らされた女学生の背があった。
「「……っ!?」」
ぶつぶつ呟く女学生に目を見開く生徒たち。女学生の呟きは次第に大きくなっていく。
「……ずっと……ずっと待ってたのに……」
顔を少しずつこちらへ向ける彼女の顔の色は……灰色がかった褐色だった。
「遅いじゃないの……こうなる前に来てほしかったのに……」
濁った眼球がこちらを睨み、伸び切った黒い舌が顎先で揺れる。
「あ……ああ……」
恐れて後退りする生徒達。ディーナは背中に冷たい汗が流れるのをはっきりと感じた。
妖怪女学生がにやりと笑うと床にべたりと手をつき、地を這うような低い声で叫ぶ。
「マッテタノヨォ、アナタタチヲオオオオオオオオオ!!!」
べた、べたべたべた!!
女学生が奇妙な爬虫類のように四つん這いになり、全力でディーナ達に向かって走ってきた!
「びゃあああああっ!!!?」
これはディーナの叫び「びゃあああ!」である。「きゃあ!」というような可愛らしい悲鳴ではない、魂の叫び。
その悲鳴と同時に彼女は周囲の部員をはねのけるようにして廊下に飛び出し、警戒中のトリプルJの腰へ鋭くタックルした。
「うおっ! どうした、ディーナ!」
「ゾゾゾ、ゾンビが! ゾンビがいたの~! 保健室にゾンビが~!!」
……すると保健室から呑気に「はーい、カット。最初からやり直し」とシュタークの声が響き、マリィアが廊下に顔を出した。
「ディーナ、あなたは冷静な委員長役でしょう? 脚本ではパニックになった同級生を宥め、皆で一緒に外に出ようと説得する場面に繋がる大切なシーンよ。あなたが真っ先に逃げてどうするの」
「え……? だってゾンビが」
その声にゾンビ女学生がからからと笑いながら、己の首に手を掛ける。
ずるりと一枚皮を脱げば、そこにあるのはハナという見慣れた顔。
「このマスク、すっごくいい出来なんですよねぇ。全体が顔にフィットして、唇も自然に動かせるんですぅ。すぐ蒸れますけどねぇ」
マスクを広げてキャハッと笑うハナ。表皮が剥がれたボロボロの手足はカラータイツを加工した自慢の逸品とのこと。
これらは全てこだわり派のハナならではのリアルな変装と演技だったのだ。
「あう……ごめんなさいなの~」
泣き出しそうな顔でディーナがぺこりと頭を下げる。しかし皆の反応は温かい。
「驚かされる側が白けていたら迫力も何もねーからな。今のはやりすぎだが、この勢いでやっていこうぜ」
シュタークが笑って親指を立てる。フリーデはハナの迫真の演技に恐れをなしたのか顔色が優れなかったが――。
「うむ……まずはディーナは深呼吸して、落ち着こうか。その間に私はゾンビのアップの映像を先に撮ることにしよう」
カメラマンらしく判断すると、マスクをかぶり直したハナの顔を仰ぎ気味の角度で撮影した。
薄いガーゼを被せた懐中電灯で淡く照らし出されたゾンビ顔はなんとも恐ろしく、フリーデは目を左右に揺らしながら撮影を続ける。
(フリーデさん、頑張るですっ! 全部終わったらいい子いい子してあげますからね!)
アルマは照明機器を巧みに操りながら、今にも泣き出しそうな顔の恋人を胸のうちで応援していた。
そして3回のリテイクを乗り越えてようやく保健室を含めた1階での撮影が終わった頃――ハナが小さく息を漏らした。
「リテイクを重ねるごとに段々リアクションが薄くなりますねぇ。やっぱり自分達で設置して自分達で演技までしちゃうと驚きに欠けるんでしょうかぁ、むうう……」
渾身のゾンビ演技も何度か見れば慣れてしまうもので、ディーナはいつの間にかすっかり委員長然とした顔で演技をするようになっていた。
生徒指導室のロッカー高速開閉も部員が全身を使って揺らしたことで画としては迫力満点だったのに、事前に仕掛けを知らされているためか反応が薄く――逆に「もっと怖がれ」とリテイクされる始末。
最初の反応が凄まじかっただけにそれがほんの少し、悔しい。
そして気分を切り替え2階に上ろうと皆が階段に向かうさなか、突然遥華のスマートフォンが鳴った。
彼女は二言ほどやり取りをした後、マリィアに寂しげに詫びる。
「先生、ごめんなさい。両親がもう暗いから早く帰って来なさいって」
BGMの制作には現場の雰囲気を掴まないと、と誰よりも張り切っていた遥華。マリィアはそんな彼女を労るように笑んだ。
「いいのよ、夜は危ないからご家族が心配するのは当たり前。現場はカメラでしっかり撮影しているから心配しないで。後でゆっくり見て作曲してくれれば十分よ」
「ありがとうございます。それでは、次の部活で!」
小さく手を振って帰っていく遥華。ディーナは眉を八の字にし、それを見送った。
「まだ先は長いのに……撮影仲間が減るのは寂しいし心細いの~」
「大丈夫ですぅ。ここには素敵筋肉が溢れていますからぁ、不審者が隠れていたとしても迂闊には手を出せないと思いますよぅ」
何しろここにはレスリングで限りなく実戦向きの筋肉を手に入れたトリプルJ。
見た目は優雅なれどダーツやボールの投擲に右に出る者がいないマリィア。
ついでに身長約2mのガチムチボディを誇るシュタークとフリーデがいる。
不審者が襲い掛かろうにも即座に返り討ちにあうのが関の山だ。
そこでトリプルJが先頭で安全確認をしつつ、ふっと笑った。
「俺はな、それよりもさっきのディーナのタックルはキレがあって良いと思ったぞ。なぁ、この際レスリングに挑戦してみないか? 下手なアクション映画よりもスリルがあって面白いぞ」
「うう~。あのタックルは偶然の産物なのでもうできませんなの~!!」
顔を真っ赤にするディーナにあはは、と呑気に笑う映研一行。
無事に撮影が進んでいることで先の恐怖はすっかり忘れてしまったようだ。
だがここから先は魔の領域。
「……うん、わかったの。映研は西階段にいるのね? 2階は準備が終わってるから大丈夫。できるだけ時間は稼ぐから……ね」
白樺が科学実験室でトランシーバーに向けてこそこそと呟いていた。通信が終わると彼は水の入ったボトルに食紅を垂らす。
(ローザも皆も怖いお化けになってるんだもの。シロも負けてられないよ)
彼が蓋を開けたままのボトルを翳すと――愛くるしい瞳が妖しく笑った。
●2階に潜む怪物たち
旧校舎2階は理系の特別教室が多く、そのためか遮光性の強いカーテンが使用されている。
その中の一室、生物準備室の隅でエリザベート(kz0123)は深紅のドレスを纏っていた。
口には100円ショップで購入した玩具の牙を嵌め、唇に血糊を塗り付けて吸血鬼に成りすます。
しかしその表情は何とも渋いものだった。
(本当はこんなとこいたくないんですけどー。マジで臭いし暗い……でも、ここでサボったらヤバいんだよねー……)
彼女は生徒会の末端にいながらずっとその責務から逃れていた。そのツケを支払うためにここに送り込まれたのである。
(仮装レベルでホラーなんて無理だと思うけど……まぁ、キモ怖演出でドン引きさせるぐらいならやれないこともない、か)
彼女は保冷バッグからスーパーで購入した牛肉を出し、人体模型の陰に隠れた。
そして――運命の時。2人の教師が部屋を照らし、机の下や棚を確認すると「ん、ここは問題なさそうだな」と扉を閉める。
どうやら棚の陰の人体模型はさほど注視されなかったらしい。
(よし、気づかれなかった。今ならイケる!)
エリザベートはカーテンを薄く開け、冷たい生肉に牙を突き立てた。
氷のように冷たい白い月光を受けながら生贄を食む妖艶な吸血鬼――何ともミステリアスで美しいではないか。
……とはいえ、ゴム製の牙だ。噛んでも噛んでももむもむと肉にゴムがめり込む情けない音しか出ない。
とりあえず扉の向こうの音を懸命に聴き取りながらエリザベートは黙って待機。
扉の向こうからカチンコの音が響くや、パニック状態に陥った少女の声と男子の怒声が聞こえた。
続いて落ち着いたトーンの声が聞こえて――扉が開く。
「……ふふふ、あなたが次の生贄?」
渾身の笑みを浮かべ、血で濡れた手と口元を見せつけるようにして振り向くエリザベート。すると先頭のディーナが目を丸くした。
「……ご、ごめんなさい。お食事中だって知らなかったの~。どうぞごゆるりと~!」
――ばたん。優しく扉が閉まる。
「え、ちょっと待ってよ。何なのこの展開! わけわかんない! 驚けよ!! あたしが何のためにここにいると思ってんだ!!!」
映研の想定外の行動に焦ったエリザベートが扉を叩き声を荒げる。
それに対し、ディーナが薄ーく扉を開けた。眉尻を下げて申し訳なさそうに。
「あの、私、映研のディーナです。いつも部活に出ていないから皆の顔を把握しきれてなくて……ごめんなさい。折角サプライズで準備してくれていたのに……遅くなったせいでお腹減っちゃったんですよね?」
「ち、ちげーよ。あたしは!」
「大丈夫、後で撮影に来ます。……あ、お肉は傷みが早いですから外のBBQセットで火を通してから食べてくださいね~?」
「ち、違うって。あたしはあんた達を脅かすためにこうやって……!」
「はい、わかってます~。でも空腹状態でお芝居をするのは大変ですし、お食事後のメイク直しも必要でしょうし。他の部屋の収録を先にしちゃいますね? ではではまた~」
――ぱたん。また扉が閉じられた。
「どうしたの、ディーナ」
共演者が首を傾げる。
「ん、お化け役の人がお肉を食べてたの。お昼にはいなかった人だから、遅刻かな? BBQの跡を見て我慢できなくなったのかも」
「え、さっきまで誰もいなかったって先生が言ってたよ……?」
「多分1階でのハナさんのサプライズが凄かったから、後ろでそれの真似じゃないかな。でも先に見ちゃったからもうびっくりしないけど~。……ちょっと悪いことしちゃったかもしれないの~」
そう言ってディーナは顔を赤らめた。――天然ほど恐ろしいものはないのかもしれない。
一方、化学実験室では白樺が変装を済ませると頭と肩へ血色の水を振りかけた。
周囲には空の薬瓶を転がし、薬品棚の瓶もあらかじめ倒しておく。
(実験中の事故現場ってこんな感じでいいかな? 生物準備室の仕込みが失敗したみたいだから……シロがここできちんと盛り上げないといけないの!)
先ほど生物準備室からなぜか涙声で映研通過の報告が届いたので、今こそ自分が頑張らねばと彼は意気込む。
――やがて聞こえてくる足音。扉が開く前に白樺は科学準備室に飛び込んだ。
「お……なんだこれ。棚の瓶が揃いも揃って倒れてんぞ。床もなんか湿ってるし」
実験室に入室したトリプルJが室内の異変に気付くなり、顔を顰めた。マリィアが床や棚の瓶を改めながら首を傾げる。
「昼の時点では綺麗に並んでいたのにね。それに倒れたにしてはどれも状態が綺麗。割れるどころか傷ついてもいない。……ねえ、あなた達。撮影前に瓶を転がしたり床を汚したりしていない?」
――顧問の問いに手を挙げる者はいない。そこでハナが「うーん……」と考え込んだ。
「もしかしたらぁ、遥華さんがここで何か仕込みをしたかもしれないですぅ。先生や部長が確認作業していた時に遥華さんも集音作業をしていましたからぁ。行き違いになる形で何か用意していたのかも……」
するとマリィアが「ああ」と頷いた。
「彼女、随分と張り切っていたものね。ご家族からの電話がなければ、出演者としても参加したかったのかもしれないわ」
「だな。ラストのグラウンドからの脱出や日常パートの分は後でやるから、その時に遥華がやりたい役があれば優先してやろうぜ。……さ、準備も終わったし廊下での会話シーンから撮影といこうか」
シュタークが部員達を廊下へ誘導した。もう時計は9時を指している。できるだけ早く撮影を終えなければならない。
――そして扉が一旦閉められた瞬間。白樺が準備室からそっと出て、濡れた床の上で蹲った。
(ふー、結構危なかったの。話には聞いていたけれど、先生達が真っ先に確認に来るなんて。……でもここからがシロの本気だよ!)
扉の向こうから聞こえてくるカチンコ音。ハナはパニックに陥った生徒の役らしい。半ば悲鳴に近い声で「もう嫌!」と叫んだ。
その様子を男子生徒が嘲笑し、扉を開ける。途端に彼は「え……?」と声を漏らした。
湿った床板の上で旧制服を纏った少女が両手で顔を覆っている。髪からしとどに落ちる赤い水が床にじわりと広がっていく。
少女の正体はもちろん白樺。彼はその愛らしい声を不安定に大きく震わせる。
「痛いの……お顔が……ワタシの……顔がぁ……」
少女が片膝を立て、ゆるゆると体を起こす。そして顔から手を離すと――皮膚が溶け落ちた血まみれの顔が露出した。
「ねえ、あなたのきれいなおかおとわたしのかお、コ、ウ、カ、ン……シテ……?」
「う、うわああああっ!!?」
こんな仕込み、聞いてない! 男子生徒は迫りくる少女に虚をつかれ、廊下に飛び出すと勢いよく扉を閉めた。
その様に白樺が無意識のうちに胸の前で両の手を握り、微笑む。
(うん、うまくいったの! あとは準備室のロッカーに隠れて皆をやり過ごすだけなの!)
さてと、と後ろを向いたその時――白樺は「ほぇ?」と息を吐いた。
目の前に白い煙が舞う中……白衣を着た骸骨がこちらをじいっと見ている。薬品棚の陰から、白樺を見下ろすようにして。
「「……う、うわああああっ!!?」」
そんな骸骨と白樺が顔を見合わせた途端、両者とも悲鳴を上げた。白樺は実験室の西側の扉から、骸骨は東側の扉から逃げ出していく。
「た、田中くんっ大丈夫!?」
「は……はい。あれ、何なんですか? 僕……さっきの話から遥華さんの代役で入った子だと思ってたんですけど」
マリィアに背を撫でられながら本来の怪異役である田中少年が骸骨マスクを脱ぎ捨て泣き出しそうな声で言う。
だがそこでふっと表情が切り替わった者がいた。アルマだ。
「さっきのお化けさん、扉を開けて逃げていきました。本物のお化けなら扉を開ける必要、ないですよね?」
シュタークが腕組みをして頷いた。
「だな。やっぱり何者かがあたし達に横やりを入れようとしているってことだ」
「となれば……もう怖がる必要なんてない。僕のお嫁さんを泣かせた罪人には罰を与えないと……ね?」
ゴゴゴゴ、とオノマトペがつきそうな暗黒微笑を湛えてアルマは護身用に用意した魔改造トイガンに防犯用カラーボールを次々と押し込む。
「アルマ……」
「フリーデさん、今までよく頑張りましたね。後は僕が全て始末します。君を脅かすもの全てを……ね」
――かつてこの学園には幼くして「魔王の卵」と呼ばれた存在がいたという。現生徒会長の統治により一度は身を退いたと言われていたが、今ここに再びその姿を現わそうとしているのだ。
魔王の卵の伝説を先輩教師から一通り聞いていたトリプルJは彼に「ま、ほどほどにな」と言いながら骨太な拳を突き合わせた。先ほどの少女の体躯からして主犯は不審者ではなく、何らかの目的をもった生徒達の悪戯グループだろうと彼は察したのだ。
それならば道を正してやるのが教師の役目。マリィアとトリプルJがにっと笑い合う。それが終わりの始まりだった。
●そして、最後の3階での――血闘
「うん……そっか。よく頑張ったね、アンタは偉いよ。無事に皆を驚かせられたんだから、胸を張りな。アタシも頑張るから……ね?」
トランシーバーで白樺から報告を受けたローザは彼の身の安全に安堵すると同時に――ため息をついた。
(視聴覚室の仕掛けは配置済み。でもアタシだけで疑心暗鬼になりつつある映研を追い詰められるかというと……正直厳しいね。映研の安全管理は徹底している。視聴覚室は捨てて、本命の音楽室に賭けるしかないか)
ローザは音楽室担当の人物に連絡をとると、廊下をひたすらに駆けた。
そして。ローザの予測通り視聴覚室の仕掛けはあっさりと見破られた。
モニターから突き出された黒焦げの手を引っ張り出し、アルマが魔王の顔で嗤う。
「これ、国道沿いの雑貨屋で安売りされていた玩具と同じものですよ。随分と手を入れてあるようですけど」
スライド式のスイッチを入れると関節がぎこちなく動き、デスクの上を這いずり回る。
「そ、それではもう怖がる必要はないのだな? 本物の幽霊はいないのだな?」
フリーデがカメラを構えたまま問うと、アルマは「ええ。他の細工も玩具同然。ただの悪戯ですね」と優しく微笑んだ。
「それではここも問題なしね。視聴覚室では本来の脚本通り撮影するわよ」
マリィアの宣言に皆が大きく頷く。相手が何者であろうと、とにかく撮影は今日中に終わらせねばならないのだから。
こうして残りの撮影場所が音楽室と大鏡のみになった時――ローザは最後の怪異と顔を突き合わせた。
クリーチャー系のマスクを被った少女は血糊がついた白いゴシックドレスを纏っており、ローザの血に染まったウェディングドレスと印象が重なる。
そんな状況でローザはすまないね、と頭を下げた。
「どうも映研の連中はアタシらの予想よりも随分と鋭いみたいだ。今までアンタのおかげで順調に進めてきたつもりだけど……」
その謝罪にマスクの少女は首を小さく横に振った。大丈夫、と。その自信にローザは背を押された気がした。
「ありがと。それじゃアタシはアンタの演技に便乗させてもらうよ。最後ぐらいは絶叫で締めさせないとね。……精一杯やろう」
それから間もなく。少女は音楽室のピアノを静かに弾き始めた。
本来なら端正なメロディとなるはずの演奏は長年放置されたピアノによって調子の外れた不協和音とされてしまう。
マリィアは廊下を歩きながら顔を顰めた。
「……不気味な音色ね。でも弾いているのがただの人間、しかも悪戯目的の子供なら怖くも何ともないわ」
「ああ。捕まえたらすぐに事情聴取と洒落こもう。ところでフリーデ、カメラは回しているか?」
トリプルJが振り向くとフリーデがカメラの乗った台車を押しながら頷いた。
「決定的な瞬間をおさえてみせる。ここまで我々の撮影に横槍を入れてきたのだ。……逃がしはせんよ」
こうして音楽室に近づいていくと――ピアノの音色が徐々に高くなり。
「映研だ! 先客さんよ、ここで撮影させてもらうぜ!!」
威勢よく啖呵をきってトリプルJが扉を開け放った瞬間。
――バァアアアン!
ピアノに血まみれの指が叩きつけられた。耳を引き裂くような暴力的な音に誰もが言葉を失う。
そして――少女はぎこちない動きで椅子から立ち上がると、無言で映研に向かって歩み始めた。
「あのですねぇ、もう皆わかってるんですよぅ。あなた達はお化けじゃなくて、私達に意図的に意地悪をしているグループなんだって。どうしてこんなことをするんですかぁ?」
ハナが怒りを抑えた声で問うも、少女は黙ったまま手を突き出す。その手は血まみれで見るからに痛々しいが、作り物と分かっていれば怖くはない。
「事情をきちんと話してくれればそれでいいんです。僕だって……本当はこういうの使いたくないし。ところで昼に僕らを脅かしたのは君ですか? 血まみれの白い服、僕のお嫁さんが見てとても怖い思いをしたんですよ?」
正直に言ってくれ、女子相手には撃ちたくない、とトイガンの銃口を下に向けるアルマ。フリーデはその様子をどこか安心したように見つめた。
しかしそこで――それまで伏せられていた少女の顔ががばっと上に向けられた!
「……っ!」
ディーナが息を呑む。触手に覆われた、粘液を垂らす怪物の貌の少女。そしてその視線の先。映研部の後方から血まみれの花嫁がたどたどしい足取りで迫ってきた。
「いやはや。諦めが悪いのか、それとも根性があるのかぁ……。いいですよぅ。そっちが話す気がないのなら、こっちにも考えがありますからっ」
咄嗟にハナが少女の腕をとろうとしたその時――廊下からぞぞぞ、と何かがひしめく音がした。
(……なに?)
ローザと少女が想定していなかった音に疑問符を浮かべる。
それは突然――波のように現れた。血塗れのゾンビ集団が東階段から音楽室に向かい殺到してきたのだ。
「……うそ、こんな話聞いていないんですけど……!」
触手の隙間から聞き覚えのある声が響いた。それは先ほど帰宅したはずの央崎 遥華のものだった。
「ふぇ? 遥華さんっ、遥華さんじゃないですかぁ! どうしてこんなことを!?」
ハナが触手を掴むと呆気なく不気味なマスクが剥がれ落ち、馴染みの可憐な顔が現れた。
「あ! えっと……それは……」
気まずそうに目線を反らす遥華。マリィアが得心した様子で吐息を漏らした。
「誰が黒幕かは知らないけれど……あなたが幽霊側のスパイだったのね?」
「……」
「道理で私達の行く場所に都合よく怪奇現象が起きたわけだわ。本当はもっと事情を聞きたかったけど……」
偽物だろうが何だろうが、大勢のゾンビが迫る中でぼんやりとしているわけにはいかない。
「くそっ、ホラーからミステリーに変わったかと思えば今度はゾンビ映画かよ! これ以上付き合ってられるか! 全員撤収!!」
トリプルJの号令に一も二もなく従い階段を駆け下りる映研部。遥華もそれに従い昇降口に駆け込み――外へ出た。
誰もいない夜の校庭には虫の音だけが響く。ゾンビの蠢く音は聞こえず……旧校舎はいつものようにひっそりとしていた。
そこで息を切らせる一行に犬の着ぐるみを着た女性が飲み物をせっせと手渡した。
「皆、オ疲レ様ナノ。只埜君カラ連絡ヲ受ケテ待機シテタンダケド……怪我トカナイ?」
養護教諭のフィー・フローレ(kz0255)ののんびりした声に毒気を抜かれ、崩れ落ちる部員達。
マリィアはすぐに点呼をとり、全員の無事を確認するとようやく……疲れ切ってはいたが、笑顔を見せた。
「央崎さん、詳しいことは後日改めて聞くわ。皆も疲れたことだし、今日はここまで。怪我人が出なかっただけでも御の字よ。……解散」
こうして皆が帰途に就く中で、マリィアとトリプルJは静かに顔を見合わせた。
「責任者だもの、行かなくちゃならないわよね? ……旧校舎の最終確認。教師ってこういうところが面倒なのよねー。念のためまたスマホ用意しなくちゃだわ」
「まぁな。ああ、そうだ。見回りが終わったら今日残った肉は俺が正当報酬としていただくぞ。どんだけ今日苦労させられたことか。……ゾンビがいたら説教してやんないとな」
作り笑顔で軽口をたたきあい、旧校舎に向かうふたり。――しかしゾンビ達は揃って姿を消していたのだった。
こうして一夜の狂乱が終わった頃――遥華はある人物から電話を受けた。
『随分と苦労していたようだったので学園の問題児達を援軍として送らせてもらったよ。あの暴れっぷり、悪くなかっただろう? これで映画の出来も良くなるだろうね』
「あのゾンビの群れはあなたが仕向けたものだったのですね……驚きました」
『ははっ、急拵えだから君も驚いただろう。あの校舎の通用口は見えにくいところにあるからな、難儀せずに済んだ』
「でも撮影半ばから皆さん、色々気づいてました。もしこの作品が公開されるならホラー映画制作ドキュメンタリーになるでしょう」
『……ふむ、それは困ったな。やり過ぎたか……』
それは面白くない、と呟く人物。その言葉に遥華はむしろ口角を吊り上げた。
「ですから今の私の立場を利用して……次は解明編という形で続編を作りたいです。最後の謎を起点にホラーでどこまで攻められるか。生徒会と映研の戦いをドキュメンタリーとして私の手の上で……転がしてみたいんですよ。私、怪奇作品が大好きですから」
すると電話の向こうの人物が高らかに笑った。
『それはいい。私達を、そして映研を望みのままに動かし最高の恐怖を描いてみせろ! 期待しているぞ、遥華』
ええ……ご期待に添えられるよう、努力します。
新たな女帝の誕生を予感させる貌で遥華は電話を切った。
一方、旧校舎では。
「ちょ、待ってよ。あたし何もしてないってば! むしろ皆が勝手に帰って、あたしひとり取り残されてさ。明らかに被害者だっつーの!」
エリザベートがマリィアとトリプルJに挟まれ愛の説教を受けていた。
叩きつけられる言葉も怖いが、何よりも辛いのは――美しくも恐ろしい吸血姫を演じるつもりが、空腹に耐えかねて生肉を食べた可哀想な子にされたしまったこと。
(うう……あたしダサすぎる……。次からは生徒会の定例会、出席しよ……)
すっかりくたびれたゴムの牙を準備室のごみ箱にポイ、と捨ててエリザベートはとぼとぼと帰宅するのだった。
「ふんふんふーん、今日はBBQ楽しいなー♪」
真夏の木陰で機嫌よく歌う星野 ハナ(ka5852)は、肉と野菜を手際よく鉄串に刺しコンロの上に次々と並べていった。
味付けは塩コショウでスタートし、シンプルな味に飽きてきたら醤油や焼肉のタレで調味する予定だ。
それに各種薬味も準備した。もちろんコンロは肉の旨味を最大限に引き出す炭火焼き。
野菜も焼き野菜のみではなく、心配り十分に口直し用のサラダまで用意している。
そこにディーナ・フェルミ(ka5843)が肉と果汁がたっぷり入った袋を運んできた。
「トロピカル風スペアリブも準備完了なの~。パイナップルのお汁が馴染んでいるからお肉がすっかり柔らかくなってるの~!」
ディーナ曰く、誰よりも早く登校し肉の下拵えをしていたらしい。豚肉がフルーツジュースの中で楽しげに揺れている。
そんなふたりの顔を見て映研顧問の英語教師マリィア・バルデス(ka5848)が明るく声をかけた。
「あら、ふたりとも久しぶりじゃない。進学や就職活動に向けて忙しくなったのだと思っていたけれど……」
そう、ハナとディーナは映研の幽霊部員。
週一の例会にはほぼ顔を出さず、月に1回開催される映画観賞会に時折顔を出す程度の活動率だ。
いや、撮影の折にこうしてバーベキューや芋煮を行う時は出席率100%だったか。
あとは――調理部協力でグルメ映画を作った際にも積極的に参加していたような……?
マリィアが思い返すさなか、ハナは悪びれることなく答えた。
「だって今日はBBQの日じゃないですかぁ♪ もちろん部活も全力で参加しますけどぉ。私の担当区域はもう準備を終わせてあるのでぇ、後は撮影だけですぅ」
「私のところも小道具大道具はセット済みなの~。今は最終チェック中だから、それまでこっちでお仕事するの~」
ふんわり微笑み、ディーナが自慢のスペアリブを焼き網の上に並べていく。
果汁と混ざり合った肉汁が赤々と燃える炭に落ち、たちまち周囲に甘い匂いが漂った。
どうやらふたりとも楽しみのためなら全力を尽くす主義らしい。
「そこまで手を尽くしてくれたのなら、きっと間違いはないでしょうね。撮影の時もこの調子で頼むわよ」
「それはもちろん、お任せあれですぅ」
ハナがコンロを管理し額に浮いた汗を拭う一方、ディーナは調理室から炊飯器を運び出した。中にはたっぷりの白飯が入っている。
(やっぱりご飯がないと物足りないものね。パエリアもいいかなって思ったけど、やっぱりお肉の味付け次第だから~)
その芳香に引き寄せられたのか、部長のシュターク・シュタークスン(kz0075)が猛烈な勢いで昇降口から降りてきた。
「おう、お前らいいもん作ってんじゃねーか! あたしの分も残しといてくれよな?」
「それはもちろんですぅ。部長さんの胃袋が底なしなのは知っているのでぇ、食材は大量に買い込みましたぁ。ディーナさんのスペアリブもぉ、あと2袋分あるはずですぅ」
「おお、やってくれんじゃん! そんじゃもうひとっ走りいってくる!」
「待って、シュターク」
シュタークが再び旧校舎に向かおうとしたところ、マリィアが突然呼び止めた。
「? どうしたよ、マリィア先生」
「今回の撮影ってたしか正式な脚本が間に合わなかったのよね? プロットは見せてもらったけれど、それできちんと撮影しきれるのかしら」
「んー……まぁ、どうにかなるだろ。内容は学園ホラーの王道シナリオだし」
今回は『旧校舎で肝試しをした学生が様々な怪異に遭遇するも、助け合い危機を退け、脱出に成功する』というシンプルな物語だ。
しかし脚本担当者によると結末のみがまとまりきらなかったそうで、後半の逃亡シーンの始まりでシナリオが途切れている。
「なるほど、とりあえずジュブナイル要素の強い作品にするのね。これなら青春映画として綺麗に纏められる……か」
「ああ。最後は誰が見ても胸にストンと来るようなラストにしたいんだ。旧校舎だって撤去直前でケチをつけられたかねえだろう」
「そうね、私は本校舎しか知らないからここにさほど思い入れはないのだけれど、旧校舎ゆかりの卒業生も観に来るでしょうし」
顧問の優しい言葉に片眉を吊り上げるシュターク。
だが次の瞬間、この企画の根幹を揺るがす一言をマリィアは困ったような笑みを浮かべて言った。
「ところでホラー映画って怖くする必要があるのかしら。楽しい映画でも良い気がするの。ああでも、スプラッタは駄目よねぇ?」
どうやらマリィア教諭はスプラッタ作品への耐性が至極強いらしい。シュタークは「まぁな」と苦笑した。
「スプラッタはどうも駄目らしいぜ。激しい暴力や性描写のある作品は公開できないんだと。子供から年寄りまで観に来るからさ」
「そう……私、アクション映画ばっかり見てたから、よく分からないのよね。シュタークなら怖い相手を粉砕していく映画の方が似合う気がするのだけど……」
「うーん、でもそもそもあたしは演技下手なんだよなぁ。台詞も覚えられねーし。そこにアクションを入れたら強面の映像スタッフが怪異を物理的にどつきまわすどっかの心霊ドキュメンタリー風になるぜ?」
「私にとってはそれはそれでアリだと思うのだけれどね。面白いし。いずれにせよラストだけは決めておいた方が良いんじゃないかしら。怪異を全滅させるか、退治したように見せかけて実は……にするか。世間では後者の方が人気があった気がするけど」
そこに音響やBGM制作で協力関係にある軽音部の央崎 遥華(ka5644)がひょっこりと顔を出した。
彼女は愛読しているゴシックホラー小説を手に、昨今のホラー事情を語り出す。
「マリィア先生の言う通り、国内外の作品ともに何らかの形で怪異が存在し続けるラストの作品は多いです。登場人物がラストで怪異に密かに憑依されていたり、逃亡したのはいいものの惨劇が何らかの形で続く、というような。これには続編を作りやすいという商業的な事情もあるのでしょうね」
「なるほど、続編な……。他にはどんなものがあるんだ?」
「館のような閉鎖空間を舞台にしたものならば終盤に炎上もしくは崩壊し、その跡地から事件解決に繋がるものを発見し真相を悟るとか。バッドエンドものなら事件の全容が解明されるものの、主人公やヒロインが怪異にとり殺されてしまうとか。他には怪異が宇宙生命体だったという結末もありますね」
「うーん……旧校舎炎上は迫力が出るだろうけど、うちの部ではそこまで映像を創れないよなぁ。となると、一旦全てが解決したように見せかけて校舎に何かが潜んでいるってラストにするのが無難か」
渋い顔で腕組みをするシュターク。そこに何者かが後方から丸めた書類で彼女の頭をぽん、と叩いた。
「何すんだよ! ……って、J先生か……」
「J先生か、じゃねえよ。全然戻って来ねえから何かあったのかと思えばこんなところで物騒な話をして油を売ってたのか。まったく……」
生物学教師のジョナサン・ジュード・ジョンストンことトリプルJ(ka6653)がシュタークに仏頂面を向け、仁王立ちしている。
彼はレスリング部の顧問。今日はレスリング部は休養日にあてられている。
そんな彼がここにいるのは理系教師陣の中で最も若年、一番扱いやすい存在と見做され安全管理のために派遣されたからだった。
トリプルJは防火用の大型バケツに水を貯めながらシュタークを叱咤する。
「そもそもお前な、部長ならもちっと部員の安全には気をつけろや。良い画より部員の安全だろ。床や壁に問題がないと言っても、管理会社が入るのは1カ月に1回。その間閉鎖されっぱなしの風通しが悪い物件なんだから、常に危機管理意識を働かせろ」
「あ、ああ。悪かったよ、J先生。すぐに作業に戻るって」
「ん。今日のうちに大まかな撮影を済ませるとはいえ、もしトラブルが発生したら管理体制の問題になる。俺ら教師だけでケリがつく話ならともかく、事故となればお前らも辛い思いをすることになるからな。気をつけろよ」
そこでちら、とマリィアに視線を投げかけるトリプルJ。マリィアは「悪ノリが過ぎたわね」と素直に謝罪した。
「わかってる、顧問としてやるべきことはやるわ。誰もが気持ちよく撮影を終えないと部活動としての学びにならないものね」
彼女は昇降口でパンプスを底の厚い運動靴に履き替え、旧校舎へ入っていく。
「もう少しでお肉が焼き上がるんですけどねぇ」
ハナが残念そうに呟くと、ディーナはぽやっと笑って見せた。
「でも在庫はたくさんあるし~。先生達の分は別に確保すれば問題ないと思うの~」
「ですねぇ。それじゃ、焼き上がった分からいただきましょうかぁ。ね、遥華さん。……あれ、遥華さんも旧校舎に行くんですかぁ?」
映研部長と教師2人に続いて旧校舎に足を運ぶ遥華。彼女は音響機材のケースを手にしている。
「ええ。今回は生の音を使いたいんです。古い施設ならではの音は本校舎では録れないものですから。撮影が始まった後だと邪魔になってしまいますしね」
「なるほどぉ。それでは遥華さんのご迷惑でなければ生徒指導室の掃除用ロッカーをバタバタ開閉してもらってその音源をリミックスしてもらえませんかぁ? 私の担当する場面で揺らす場面があるんですぅ」
旧校舎の地図に赤ペンで印をつけるハナ。遥華は快く頷いた。
「はい、それぐらいならいくらでも。私も後でBGMを作るために全体の仕掛けや雰囲気を掴んでおかないといけないですし。教えてもらえて本当に助かります」
にっこり微笑んで昇降口へ姿を消す遥華。ハナとディーナが「お願いしますねぇ」とにこやかに見送ると彼女は「頑張ってきまーす」と元気よく手を振った。
●ふたりっきりの恐怖
陽が傾き始めた頃の旧校舎。
カメラを担いだフリーデリーケ・カレンベルク(kz0254)がアルマ・A・エインズワース(ka4901)とともに2階の生物準備室を覗く。
生物の授業で使われる教材は陽射しに弱いものが多い。必然的に遮光されており、蒸し暑い室内には薬品臭が薄く漂っていた。
「あ、アルマ、怖いなら怖いと言っていいんだぞ? なにしろここは人気が無いからな。不安に思うのは仕方ないのだ」
「……フリーデさんこそ。僕は科学部を掛け持ちしてるんですよ? お薬の匂いも暗い場所も慣れっこですー」
そう言い合い、どちらともなく指先で互いの手の甲を触れては離しを繰り返すアルマとフリーデ。
実はこのふたり、高校生にして既に許婚という早熟な関係である。
しかしアルマが年頃の男子にしては無垢すぎるのと、フリーデもひどく奥手であり……未だ手を繋いでもいない。
そんな微妙な関係の両者はカメラを撮影用の台車にセットすると頷きあった。
「それではアルマ、昼の撮影を始めよう。私がお前の後を追う。顔や声の演技はいらないから、とにかく動き回ってくれ」
「はいですっ。逃げるように走り回ればいいんですね?」
「そうだ。時折躓きそうになったり、振り向くように足を傾けて雰囲気を出してくれ」
「わかりました、それではやってみますね!」
アルマが白衣を脱ぎ、駆け出した。長い脚が画面に映える。フリーデは台車を不安定に揺らしながら彼を追った。
これに後ほど不気味な音声を乗せて映像を加工すれば、地を這いずり回る怪異視点の動画の完成だ。
――そして録り終えた映像を確認した後、アルマがぽんと手を叩く。
「そうだ、なんでしたら後で人魂でも作ってみますです? 炎色反応で何とかできますし。えっと……細い針金と、綿と、アルコールさえあればできるはずです。青白い人魂!」
「それでは後でマリィア先生に確認しよう。ここでの撮影は難しいだろうが、外での撮影なら許してもらえるかもしれない」
「はいですっ♪」
だが――全てが仕込みだとわかっていても、純粋培養のアルマにとってこのレトロな光景はどことなく恐ろしく見える。昔家族と一緒に観た学園怪奇ドラマを思い出しては、思わず本音をぽろり。
「あの、ところでフリーデさん……今年の映画、どーしてホラーにしちゃったです……?」
「それは……生徒会長からの煽りがなければな……」
「うぅ、生徒会長と部長さんの決定ですか……。と、とにかく撮影が終わったのならここから早く出るです! 古いお薬の臭いは身体にも良くないですよー!」
鼻の奥を刺激する臭いに顔をしかめ、ぶんぶんと両手を振るアルマ。そこでフリーデは首にかけた紐を1本外し、彼に渡した。
「そうだな、すぐにここから出よう。それと気休め程度だが、持っておくと良い」
「あ、ありがとうございます……って、あれ?」
アルマの手に握らされたものはピンク色の可愛らしいお守りだった。
「あの、フリーデさん。これ、『恋愛成就』のお守りなんですけど……」
「っ!!」
フリーデが顔を真っ赤にし、アルマの手からお守りを奪うと彼の首にやや強引に「災除け」のお守りをぶら下げた。
「交換だ! 今のは見なかったことにしろ、いいな!!」
「は、はいっ。でもあの、これってどうして……? 僕達、結婚……」
「それは、その……言えんのだ。絶対に……!」
フリーデは再び愛らしいお守りを首にかけ、セーラー服の胸元に押し込んだ。
そして無言のまま台車に搬出用のリードを掛け、カメラを起動させたまま各教室や廊下を撮影する。スタッフロールにありし日の旧校舎を記録として残すために。
――実はフリーデとアルマの年齢差は一回り以上ある。自分の幼さが彼女を不安にさせたかと、アルマはひどく不安になった。
「あの……フリーデさんっ、僕は……!」
こうしてアルマがフリーデを追いかけようとした時。東端の階段の前に長い毛の塊が床を滑っていった。
その塊は人の頭ほどの大きさで、にわかに階段から「ごとり」と鈍い音が響く。
前方を行くフリーデが足を止め、振り返らぬまま――問うた。
「アルマ……今の、見たか。さっきここに来る前はなかったよな?」
「い、今のは多分動物さんですっ! 古い校舎ならネズミさんや野良猫さんぐらいいるですっ。ここは下水道化もされていないんですから、きっと外の溝から入ったですよ!」
「だ、だが随分と重そうな音を立てていたぞ?」
「大きな音は下の作業音かもしれないです。机とか先生が倒したのかも……です」
「そ、そうか……そうだよな。怖いことなんて何もない。ここは何の曰くもないんだから……」
ははっと力なく笑って、フリーデがアルマに向けて振り返る。その瞬間、彼女の顔が凍り付いた。
アルマの背後。生物準備室の斜向かいにあるトイレの扉にか細い血まみれの指が突き立てられている。
そして扉がゆっくりと押し開けられ――淡く紅のついた靴と半透明の白装束がふわりと宙に浮いた。
「――ッ!!?」
蒼白になったフリーデがカメラと台車を脇に抱えたまま、アルマの腕を掴み走り出す。
「え? え? フリーデさん、どうしたですか?」
「いいか、アルマ。振り向くな! 振り向いたら駄目だ! お前の後ろに……何かが、いたッ!!」
「え? 映研の誰かじゃないんですか?」
「違う! 半透明の白い装束に血まみれの靴を履いていた奴などいたか!?」
「そ、そんな人いなかったです。悪戯好きな人はいますけど……まさか……?」
途端にアルマが顔を強張らせる。ふたりは直近の中央階段を早足で降り始めた。
本当は利用したくなかった、中央階段。
ここは東西の階段と異なり、大きな窓がない。灯りとりの小窓から足元が見える程度の光しか射し込まない不気味な空間だ。だが奇妙な毛玉が這いずり回る東階段、そして血まみれの何かを通過せねばならない西階段に行く勇気は出なかった。
――何なんだ、あれは。ここは既に顧問達によって異常なしと確認されたのではなかったか。
しかし……そこで恐怖は終わらない。残り数段で1階というところで奇妙な囁きが、聞こえたのだ。
『ドウシテ……ドウシテ……』
『……イタイヨゥ、タスケテェ……』
歪んだ囁き声が左右から聞こえる。恨めし気な声が幾重にも重なって、何度も、何度も。
「うわああああっ!!」
咄嗟にアルマにしがみつくフリーデ。アルマはそれまで羽織っていた白衣を彼女に被らせた。
「フリーデさん、落ち着いて! 昇降口はすぐそこ、あっという間に外に出られます。まずは皆と合流しましょう!」
白衣からほんのりと柑橘系の香りがする。――アルマの匂いだ。旧校舎の湿った木の香りが消えていく。
そこで落ち着いたフリーデの手をアルマがしっかりと掴んだ。
彼は毅然と周囲を見回し「大丈夫、僕が守りますから」と何度も繰り返しながら歩く。
そして――ふたりを包んだのは薄暗い校舎と対照的な真夏の日差しと賑やかな声。
アルマは「もう大丈夫ですよ、先生方も部長もここにいます」と優しく笑みを浮かべ、フリーデの頭を白衣越しに撫でた。
手繋ぎも頭撫でも全てが初めてのこと。
彼の指は細いが思ったよりも大きく、心強くて……頼りになった。
フリーデは初めての体験に胸が高鳴る。
(こんな状況でなければ……もっと良かった。でも、ちょっとだけ嬉しい。お守りのご利益だろうか)
彼女が身に着けている恋愛成就のお守りは、許婚ともっと仲良くなれますようにと祈りを込めたもの。恥ずかしくて今は本音を言えないけれど。
そんなフリーデが白衣に赤らんだ顔を埋めると、アルマは静かに微笑み「先生に状況を説明してきますね」と告げて頭を撫でた。
一方、旧校舎の2階階段脇の物置から生徒会企画担当の白樺(ka4596)が作り物の生首を小脇に抱えて顔を出した。
(マネキンの首が重いから階段に落っことした時ドキッとしたけど、重みのある音が逆にリアルになったみたいね。大成功なのっ☆)
そう、先ほどアルマ達が見たものはマネキンの生首。古いマネキンの頭にウィッグを被せただけの簡単なものだ。
トリックも至極簡単。
物置に身を隠していた白樺が撮影班の通過後に廊下へテグスを括りつけた生首を配置。誰かがそれに気づいて怯えた瞬間に生首を引き寄せ、薄く開けた物置の中に回収。そのまま扉を静かに閉めてやり過ごせばいい。
――そこにシースルー素材のウェディングドレスを纏ったローザリンデ(kz0269)が足音を潜めて歩み寄った。
「白樺、どうやら映研側の確認作業は無事に終わったそうだ。後は全員予定通りの配置に着き待機するように……だとさ」
先ほどのトイレから登場した白装束の幽霊は彼女だったのだ。だが血塗れメイクを施した恋人に白樺が悲しげに眉を顰める。
「ローザ……うまくいったみたいで良かったけど、やっぱり痛そうで心配になるの……。ねえ、大丈夫? 本当の怪我はない?」
するとローザが白樺の手をとり、自分の腕を撫でさせた。血色の顔料を重ねたせいか、全体がざらりとしている。
「ああ、全部が偽物の傷。この通り大丈夫さ。……それよりアンタこそ怪我していないだろうね? 物置の壁、随分と傷んでいるから指や服を引っ掛けないか心配だったよ」
「シロはだいじょーぶっ。シロがいくらカワイイ系だといっても、もう高校生なんだから心配しないでほしいの♪ ……それにしてもフリーデの悲鳴、凄かったの。びっくりしたね?」
「ああ、中央階段の仕掛けも念を入れた造りだからね。短時間でよくあそこまで仕上げたもんだ」
白樺とローザが中央階段に向かい、スマートフォンのライトで壁を照らし出す。
そこにはセンサー式の薄型スピーカーが死角となっている小窓の端にひっそりと据え付けられていた。
スピーカーの前を通ると『ドウシテ……』と恨めし気に歪んだ囁き声が響く。
「これ、この前生徒会室で録ったシロの声なんだよね。どうしたらこんな怖い声になるのかな」
白樺は変声期に差し掛かりながらも今も小鳥のような愛らしいハイトーンを維持している。――その声の変容が何とも恐ろしい。
彼を慰めるようにローザはハニーブロンドの髪を何度も撫でながら言った。
「それは音作りの専門家が弄ったからさ。アンタの声は特徴があるからすぐにわかるからね。……そういやあの子らもどんな演技をするか楽しみだね?」
ローザが意味深な笑みを浮かべる。白樺は不気味な音声が途切れたのを確認すると、安心したのか屈託なく笑った。
「うん! シロやローザと同じ、生徒会からの刺客はまだまだいるのっ♪ 映研の皆に本当のホラー映画を撮ってもらうために力を合わせてがんばろーなのっ!」
自分たちの他にも様々な幽霊に扮した生徒会役員が持ち場に身を潜めているはずだ。
早速白樺は物置に戻り、意気揚々と大きな鞄を引っ張り出す。
「シロね、お面を集めるの趣味なの。科学実験室でお顔が爛れたお面してたら、びっくりしてくれるかな? かな?」
そう言って鞄からグロテスクなマスクを取り出す白樺。顔にまみれた血があまりに生々しく、ローザは無意識に下唇を噛んだ。
「わわわ、驚かせちゃった? ごめんなさいなの。でもこれはシロのとっておき。きっと皆驚いてくれるはずなの! 衣装も本物を準備したんだよ? この学園の昔の制服!」
「ああ、いや……随分と念入りに頑張ったんだね……偉いよ」
ローザは感心半分、驚き半分といった表情で白樺を見つめた。
彼は無垢な貌の裏に男らしさと酔狂を楽しむ余裕を秘めている不思議な少年だ。
これからどんな男性に成長するのか。それがローザにとって何よりの楽しみであり、末恐ろしい面でもあった。
●撮影開始
「はい、あーん。フリーデさん、美味しいお肉で元気出してくださいですっ♪」
あの事件から30分後、紙皿にたっぷりの肉と野菜を乗せてアルマが微笑む。
フリーデの目の周りは真っ赤に腫れていたが、それでもようやく笑って口をつけた。
「ありがとう、アルマ。それよりお前はいいのか? あまり食べていないようだが」
「僕は元々食が細くて、サラダでお腹いっぱいになってしまいました。レモン水で水分補給もしましたし。だからほら、遠慮せずに♪」
「わかった。それではありがたく……」
その時、フリーデの撮影した映像をチェックしていた只埜 良人(kz0235)が首を捻った。
「……たしかに不審なものが映っていますね。でも怪奇現象にしては妙に物質的な存在感が強いというか」
彼のパソコンを覗きながらハナが頷く。
「確かにぃ。それに幽霊の下に薄く影が映ってるんですよねぇ。廊下全体が薄暗いからぼんやりしてますけどぉ……誰かの悪戯じゃないですかぁ?」
ハナは普段可愛らしい女性を装っているが、その本質は冷静で豪胆だ。
すぐさま胡乱げな目で旧校舎を見上げるも、視線を塞ぐように広げられたカーテンばかりが目に入る。
(もし覗き込んでいる輩がいたらすぐに乗り込んで叱りつけるところなんですけどねぇ……邪魔すんじゃねえですって)
そこにマリィアとトリプルJが昇降口から降りてきた。部員たちの視線にふたりとも肩を竦める。
「1階から屋上まで全室見回りをしてきたけれど、特にこれといった異常はなかったわ。いつでも警察署へ電話できるようにしてたのに」
「件のトイレや東階段も念入りに覗いたが、幽霊どころか動物一匹いやしねえ。……なんなんだろうな、その動画に映ってる奴は」
途端にざわつき始める映研部員たち。
遥華が「私も旧校舎のあちこちで集音しましたけど……特に異常はありませんでした。どうして、こんなこと……」と怯えだす。
彼女の録音してきた音声データは一片のノイズもなく綺麗に収録されているのだ。
順風満帆に進んでいたはずの撮影に漂い始めた暗雲。
遥華は五線譜に記し始めていた楽曲が思いつかなくなったのか、ペンを手放す。
ディーナはそれを目にするや白飯に焼肉を乗せ、もっきゅもっきゅと食べながら「……怖いの苦手なの~」と呟いた。
何しろ彼女は出演者のひとりにカウントされている。映研でセットした仕掛けは怖くも何ともないが、それ以外となれば。
だが安全を重ねて確認したトリプルJが不敵に笑った。
「撮影には俺もマリィア先生も同行する。あれはおそらく旧校舎が珍しく開放されたのを機に悪戯で忍び込んだ生徒だろうよ。きつく灸を据えてやらないとな」
「で、でももし生徒でなかったら……?」
怯える部員に向かい、彼は腕組みするや大きく息を吐いた。
「そもそもこの世には幽霊なんていないんだ。あれが生徒ではなく不審者だったら俺がタックルで仕留めてやる。だからお前達は事前の打ち合わせ通り、落ち着いて良い作品を作れ。旧校舎の撮影は今日しか許可が下りていないんだからな」
「ええ。撮影の都度、私とJ先生が先に部屋の安全確認をするから安心して。私は蛍光塗料入りの防犯用カラーボールを持ってきたの。ここに不審者がいるなら思いきりぶつけてやるわ」
タフなふたりの言葉に背を押され、おずおずと首を縦に振る生徒たち。
もう陽は傾きかけている。撮影を深夜に引き伸ばさないようにするには今から撮影に専念するしかない。
良人から撮影用のメモリーを受け取ったアルマはカメラを確認しながら言った。
「良人さんはここでモニターを通して旧校舎を監視しているんですよね?」
「ああ。もっともカメラを通した映像だから君達とはさほど視点が変わらないけれど」
「それでもいいです。もし異変が起きた場合は警察に連絡を。保健室のフィー先生にもよろしくと伝えておいてください」
眼鏡の奥にある瞳は真剣そのもので。良人は「わかった、これから一層暗くなる。……どうか気をつけて」とまっすぐに応じた。
●暗闇の旧校舎
「おーい、お前ら、わかってると思うが器物損壊はするなよー。騒いで良いのと壊して良いのは別だからなー。校舎撤去っつったって、売却するものも本校舎に移転させるものもあるからなー」
はい、と先を歩くトリプルJの注意に真面目に返事をする生徒たち。今のところオカルトめいた現象は起こってはいない。
旧校舎に侵入する場面は既に収録済みだ。ディーナは1階の保健室に向かいながら大きく脈打つ胸にそっと手を当てた。
(保健室はハナさん担当なの~。ハナさんはしっかりしているから、異変があったら絶対に気がつくの。……だから保健室は大丈夫)
そんな彼女の前で教師達が扉を開き、マグライトで部屋を照らし出した。室内に不審者はおらず、設備の下にも何もない。
「問題はないようね。それでは撮影に入るわよ」
「はーい、こっちは準備万端ですぅ」
ハナがウキウキした様子でベッドに座り、カーテンをしゃっと閉める。
「はい、それでは3・2・1……」
シュタークがカチンコを打つと、一斉に周囲が静まった。
出演者達がそれぞれ不安そうな顔を浮かべ、保健室のドアを開ける。
「……ここが旧校舎の七不思議のひとつがある場所、か」
「なんだよ、何もねーじゃん。血まみれの床とか噂だけかよ。机も棚も空だしさァ」
脚本通りの台詞を口にし、棚やデスクを物色する生徒。そこにディーナがクラス委員長役として前に出た。
「きっと退去前に先生方がきちんと掃除をされたのね。でも……なんで窓際のベッド用カーテンだけ、残されているのかしら?」
「知らねーよ。多分カーテンレールが壊れて引っかかってるんじゃねえの?」
そう言って乱暴にカーテンを掴む男子。するとそこにはぼんやりと照らされた女学生の背があった。
「「……っ!?」」
ぶつぶつ呟く女学生に目を見開く生徒たち。女学生の呟きは次第に大きくなっていく。
「……ずっと……ずっと待ってたのに……」
顔を少しずつこちらへ向ける彼女の顔の色は……灰色がかった褐色だった。
「遅いじゃないの……こうなる前に来てほしかったのに……」
濁った眼球がこちらを睨み、伸び切った黒い舌が顎先で揺れる。
「あ……ああ……」
恐れて後退りする生徒達。ディーナは背中に冷たい汗が流れるのをはっきりと感じた。
妖怪女学生がにやりと笑うと床にべたりと手をつき、地を這うような低い声で叫ぶ。
「マッテタノヨォ、アナタタチヲオオオオオオオオオ!!!」
べた、べたべたべた!!
女学生が奇妙な爬虫類のように四つん這いになり、全力でディーナ達に向かって走ってきた!
「びゃあああああっ!!!?」
これはディーナの叫び「びゃあああ!」である。「きゃあ!」というような可愛らしい悲鳴ではない、魂の叫び。
その悲鳴と同時に彼女は周囲の部員をはねのけるようにして廊下に飛び出し、警戒中のトリプルJの腰へ鋭くタックルした。
「うおっ! どうした、ディーナ!」
「ゾゾゾ、ゾンビが! ゾンビがいたの~! 保健室にゾンビが~!!」
……すると保健室から呑気に「はーい、カット。最初からやり直し」とシュタークの声が響き、マリィアが廊下に顔を出した。
「ディーナ、あなたは冷静な委員長役でしょう? 脚本ではパニックになった同級生を宥め、皆で一緒に外に出ようと説得する場面に繋がる大切なシーンよ。あなたが真っ先に逃げてどうするの」
「え……? だってゾンビが」
その声にゾンビ女学生がからからと笑いながら、己の首に手を掛ける。
ずるりと一枚皮を脱げば、そこにあるのはハナという見慣れた顔。
「このマスク、すっごくいい出来なんですよねぇ。全体が顔にフィットして、唇も自然に動かせるんですぅ。すぐ蒸れますけどねぇ」
マスクを広げてキャハッと笑うハナ。表皮が剥がれたボロボロの手足はカラータイツを加工した自慢の逸品とのこと。
これらは全てこだわり派のハナならではのリアルな変装と演技だったのだ。
「あう……ごめんなさいなの~」
泣き出しそうな顔でディーナがぺこりと頭を下げる。しかし皆の反応は温かい。
「驚かされる側が白けていたら迫力も何もねーからな。今のはやりすぎだが、この勢いでやっていこうぜ」
シュタークが笑って親指を立てる。フリーデはハナの迫真の演技に恐れをなしたのか顔色が優れなかったが――。
「うむ……まずはディーナは深呼吸して、落ち着こうか。その間に私はゾンビのアップの映像を先に撮ることにしよう」
カメラマンらしく判断すると、マスクをかぶり直したハナの顔を仰ぎ気味の角度で撮影した。
薄いガーゼを被せた懐中電灯で淡く照らし出されたゾンビ顔はなんとも恐ろしく、フリーデは目を左右に揺らしながら撮影を続ける。
(フリーデさん、頑張るですっ! 全部終わったらいい子いい子してあげますからね!)
アルマは照明機器を巧みに操りながら、今にも泣き出しそうな顔の恋人を胸のうちで応援していた。
そして3回のリテイクを乗り越えてようやく保健室を含めた1階での撮影が終わった頃――ハナが小さく息を漏らした。
「リテイクを重ねるごとに段々リアクションが薄くなりますねぇ。やっぱり自分達で設置して自分達で演技までしちゃうと驚きに欠けるんでしょうかぁ、むうう……」
渾身のゾンビ演技も何度か見れば慣れてしまうもので、ディーナはいつの間にかすっかり委員長然とした顔で演技をするようになっていた。
生徒指導室のロッカー高速開閉も部員が全身を使って揺らしたことで画としては迫力満点だったのに、事前に仕掛けを知らされているためか反応が薄く――逆に「もっと怖がれ」とリテイクされる始末。
最初の反応が凄まじかっただけにそれがほんの少し、悔しい。
そして気分を切り替え2階に上ろうと皆が階段に向かうさなか、突然遥華のスマートフォンが鳴った。
彼女は二言ほどやり取りをした後、マリィアに寂しげに詫びる。
「先生、ごめんなさい。両親がもう暗いから早く帰って来なさいって」
BGMの制作には現場の雰囲気を掴まないと、と誰よりも張り切っていた遥華。マリィアはそんな彼女を労るように笑んだ。
「いいのよ、夜は危ないからご家族が心配するのは当たり前。現場はカメラでしっかり撮影しているから心配しないで。後でゆっくり見て作曲してくれれば十分よ」
「ありがとうございます。それでは、次の部活で!」
小さく手を振って帰っていく遥華。ディーナは眉を八の字にし、それを見送った。
「まだ先は長いのに……撮影仲間が減るのは寂しいし心細いの~」
「大丈夫ですぅ。ここには素敵筋肉が溢れていますからぁ、不審者が隠れていたとしても迂闊には手を出せないと思いますよぅ」
何しろここにはレスリングで限りなく実戦向きの筋肉を手に入れたトリプルJ。
見た目は優雅なれどダーツやボールの投擲に右に出る者がいないマリィア。
ついでに身長約2mのガチムチボディを誇るシュタークとフリーデがいる。
不審者が襲い掛かろうにも即座に返り討ちにあうのが関の山だ。
そこでトリプルJが先頭で安全確認をしつつ、ふっと笑った。
「俺はな、それよりもさっきのディーナのタックルはキレがあって良いと思ったぞ。なぁ、この際レスリングに挑戦してみないか? 下手なアクション映画よりもスリルがあって面白いぞ」
「うう~。あのタックルは偶然の産物なのでもうできませんなの~!!」
顔を真っ赤にするディーナにあはは、と呑気に笑う映研一行。
無事に撮影が進んでいることで先の恐怖はすっかり忘れてしまったようだ。
だがここから先は魔の領域。
「……うん、わかったの。映研は西階段にいるのね? 2階は準備が終わってるから大丈夫。できるだけ時間は稼ぐから……ね」
白樺が科学実験室でトランシーバーに向けてこそこそと呟いていた。通信が終わると彼は水の入ったボトルに食紅を垂らす。
(ローザも皆も怖いお化けになってるんだもの。シロも負けてられないよ)
彼が蓋を開けたままのボトルを翳すと――愛くるしい瞳が妖しく笑った。
●2階に潜む怪物たち
旧校舎2階は理系の特別教室が多く、そのためか遮光性の強いカーテンが使用されている。
その中の一室、生物準備室の隅でエリザベート(kz0123)は深紅のドレスを纏っていた。
口には100円ショップで購入した玩具の牙を嵌め、唇に血糊を塗り付けて吸血鬼に成りすます。
しかしその表情は何とも渋いものだった。
(本当はこんなとこいたくないんですけどー。マジで臭いし暗い……でも、ここでサボったらヤバいんだよねー……)
彼女は生徒会の末端にいながらずっとその責務から逃れていた。そのツケを支払うためにここに送り込まれたのである。
(仮装レベルでホラーなんて無理だと思うけど……まぁ、キモ怖演出でドン引きさせるぐらいならやれないこともない、か)
彼女は保冷バッグからスーパーで購入した牛肉を出し、人体模型の陰に隠れた。
そして――運命の時。2人の教師が部屋を照らし、机の下や棚を確認すると「ん、ここは問題なさそうだな」と扉を閉める。
どうやら棚の陰の人体模型はさほど注視されなかったらしい。
(よし、気づかれなかった。今ならイケる!)
エリザベートはカーテンを薄く開け、冷たい生肉に牙を突き立てた。
氷のように冷たい白い月光を受けながら生贄を食む妖艶な吸血鬼――何ともミステリアスで美しいではないか。
……とはいえ、ゴム製の牙だ。噛んでも噛んでももむもむと肉にゴムがめり込む情けない音しか出ない。
とりあえず扉の向こうの音を懸命に聴き取りながらエリザベートは黙って待機。
扉の向こうからカチンコの音が響くや、パニック状態に陥った少女の声と男子の怒声が聞こえた。
続いて落ち着いたトーンの声が聞こえて――扉が開く。
「……ふふふ、あなたが次の生贄?」
渾身の笑みを浮かべ、血で濡れた手と口元を見せつけるようにして振り向くエリザベート。すると先頭のディーナが目を丸くした。
「……ご、ごめんなさい。お食事中だって知らなかったの~。どうぞごゆるりと~!」
――ばたん。優しく扉が閉まる。
「え、ちょっと待ってよ。何なのこの展開! わけわかんない! 驚けよ!! あたしが何のためにここにいると思ってんだ!!!」
映研の想定外の行動に焦ったエリザベートが扉を叩き声を荒げる。
それに対し、ディーナが薄ーく扉を開けた。眉尻を下げて申し訳なさそうに。
「あの、私、映研のディーナです。いつも部活に出ていないから皆の顔を把握しきれてなくて……ごめんなさい。折角サプライズで準備してくれていたのに……遅くなったせいでお腹減っちゃったんですよね?」
「ち、ちげーよ。あたしは!」
「大丈夫、後で撮影に来ます。……あ、お肉は傷みが早いですから外のBBQセットで火を通してから食べてくださいね~?」
「ち、違うって。あたしはあんた達を脅かすためにこうやって……!」
「はい、わかってます~。でも空腹状態でお芝居をするのは大変ですし、お食事後のメイク直しも必要でしょうし。他の部屋の収録を先にしちゃいますね? ではではまた~」
――ぱたん。また扉が閉じられた。
「どうしたの、ディーナ」
共演者が首を傾げる。
「ん、お化け役の人がお肉を食べてたの。お昼にはいなかった人だから、遅刻かな? BBQの跡を見て我慢できなくなったのかも」
「え、さっきまで誰もいなかったって先生が言ってたよ……?」
「多分1階でのハナさんのサプライズが凄かったから、後ろでそれの真似じゃないかな。でも先に見ちゃったからもうびっくりしないけど~。……ちょっと悪いことしちゃったかもしれないの~」
そう言ってディーナは顔を赤らめた。――天然ほど恐ろしいものはないのかもしれない。
一方、化学実験室では白樺が変装を済ませると頭と肩へ血色の水を振りかけた。
周囲には空の薬瓶を転がし、薬品棚の瓶もあらかじめ倒しておく。
(実験中の事故現場ってこんな感じでいいかな? 生物準備室の仕込みが失敗したみたいだから……シロがここできちんと盛り上げないといけないの!)
先ほど生物準備室からなぜか涙声で映研通過の報告が届いたので、今こそ自分が頑張らねばと彼は意気込む。
――やがて聞こえてくる足音。扉が開く前に白樺は科学準備室に飛び込んだ。
「お……なんだこれ。棚の瓶が揃いも揃って倒れてんぞ。床もなんか湿ってるし」
実験室に入室したトリプルJが室内の異変に気付くなり、顔を顰めた。マリィアが床や棚の瓶を改めながら首を傾げる。
「昼の時点では綺麗に並んでいたのにね。それに倒れたにしてはどれも状態が綺麗。割れるどころか傷ついてもいない。……ねえ、あなた達。撮影前に瓶を転がしたり床を汚したりしていない?」
――顧問の問いに手を挙げる者はいない。そこでハナが「うーん……」と考え込んだ。
「もしかしたらぁ、遥華さんがここで何か仕込みをしたかもしれないですぅ。先生や部長が確認作業していた時に遥華さんも集音作業をしていましたからぁ。行き違いになる形で何か用意していたのかも……」
するとマリィアが「ああ」と頷いた。
「彼女、随分と張り切っていたものね。ご家族からの電話がなければ、出演者としても参加したかったのかもしれないわ」
「だな。ラストのグラウンドからの脱出や日常パートの分は後でやるから、その時に遥華がやりたい役があれば優先してやろうぜ。……さ、準備も終わったし廊下での会話シーンから撮影といこうか」
シュタークが部員達を廊下へ誘導した。もう時計は9時を指している。できるだけ早く撮影を終えなければならない。
――そして扉が一旦閉められた瞬間。白樺が準備室からそっと出て、濡れた床の上で蹲った。
(ふー、結構危なかったの。話には聞いていたけれど、先生達が真っ先に確認に来るなんて。……でもここからがシロの本気だよ!)
扉の向こうから聞こえてくるカチンコ音。ハナはパニックに陥った生徒の役らしい。半ば悲鳴に近い声で「もう嫌!」と叫んだ。
その様子を男子生徒が嘲笑し、扉を開ける。途端に彼は「え……?」と声を漏らした。
湿った床板の上で旧制服を纏った少女が両手で顔を覆っている。髪からしとどに落ちる赤い水が床にじわりと広がっていく。
少女の正体はもちろん白樺。彼はその愛らしい声を不安定に大きく震わせる。
「痛いの……お顔が……ワタシの……顔がぁ……」
少女が片膝を立て、ゆるゆると体を起こす。そして顔から手を離すと――皮膚が溶け落ちた血まみれの顔が露出した。
「ねえ、あなたのきれいなおかおとわたしのかお、コ、ウ、カ、ン……シテ……?」
「う、うわああああっ!!?」
こんな仕込み、聞いてない! 男子生徒は迫りくる少女に虚をつかれ、廊下に飛び出すと勢いよく扉を閉めた。
その様に白樺が無意識のうちに胸の前で両の手を握り、微笑む。
(うん、うまくいったの! あとは準備室のロッカーに隠れて皆をやり過ごすだけなの!)
さてと、と後ろを向いたその時――白樺は「ほぇ?」と息を吐いた。
目の前に白い煙が舞う中……白衣を着た骸骨がこちらをじいっと見ている。薬品棚の陰から、白樺を見下ろすようにして。
「「……う、うわああああっ!!?」」
そんな骸骨と白樺が顔を見合わせた途端、両者とも悲鳴を上げた。白樺は実験室の西側の扉から、骸骨は東側の扉から逃げ出していく。
「た、田中くんっ大丈夫!?」
「は……はい。あれ、何なんですか? 僕……さっきの話から遥華さんの代役で入った子だと思ってたんですけど」
マリィアに背を撫でられながら本来の怪異役である田中少年が骸骨マスクを脱ぎ捨て泣き出しそうな声で言う。
だがそこでふっと表情が切り替わった者がいた。アルマだ。
「さっきのお化けさん、扉を開けて逃げていきました。本物のお化けなら扉を開ける必要、ないですよね?」
シュタークが腕組みをして頷いた。
「だな。やっぱり何者かがあたし達に横やりを入れようとしているってことだ」
「となれば……もう怖がる必要なんてない。僕のお嫁さんを泣かせた罪人には罰を与えないと……ね?」
ゴゴゴゴ、とオノマトペがつきそうな暗黒微笑を湛えてアルマは護身用に用意した魔改造トイガンに防犯用カラーボールを次々と押し込む。
「アルマ……」
「フリーデさん、今までよく頑張りましたね。後は僕が全て始末します。君を脅かすもの全てを……ね」
――かつてこの学園には幼くして「魔王の卵」と呼ばれた存在がいたという。現生徒会長の統治により一度は身を退いたと言われていたが、今ここに再びその姿を現わそうとしているのだ。
魔王の卵の伝説を先輩教師から一通り聞いていたトリプルJは彼に「ま、ほどほどにな」と言いながら骨太な拳を突き合わせた。先ほどの少女の体躯からして主犯は不審者ではなく、何らかの目的をもった生徒達の悪戯グループだろうと彼は察したのだ。
それならば道を正してやるのが教師の役目。マリィアとトリプルJがにっと笑い合う。それが終わりの始まりだった。
●そして、最後の3階での――血闘
「うん……そっか。よく頑張ったね、アンタは偉いよ。無事に皆を驚かせられたんだから、胸を張りな。アタシも頑張るから……ね?」
トランシーバーで白樺から報告を受けたローザは彼の身の安全に安堵すると同時に――ため息をついた。
(視聴覚室の仕掛けは配置済み。でもアタシだけで疑心暗鬼になりつつある映研を追い詰められるかというと……正直厳しいね。映研の安全管理は徹底している。視聴覚室は捨てて、本命の音楽室に賭けるしかないか)
ローザは音楽室担当の人物に連絡をとると、廊下をひたすらに駆けた。
そして。ローザの予測通り視聴覚室の仕掛けはあっさりと見破られた。
モニターから突き出された黒焦げの手を引っ張り出し、アルマが魔王の顔で嗤う。
「これ、国道沿いの雑貨屋で安売りされていた玩具と同じものですよ。随分と手を入れてあるようですけど」
スライド式のスイッチを入れると関節がぎこちなく動き、デスクの上を這いずり回る。
「そ、それではもう怖がる必要はないのだな? 本物の幽霊はいないのだな?」
フリーデがカメラを構えたまま問うと、アルマは「ええ。他の細工も玩具同然。ただの悪戯ですね」と優しく微笑んだ。
「それではここも問題なしね。視聴覚室では本来の脚本通り撮影するわよ」
マリィアの宣言に皆が大きく頷く。相手が何者であろうと、とにかく撮影は今日中に終わらせねばならないのだから。
こうして残りの撮影場所が音楽室と大鏡のみになった時――ローザは最後の怪異と顔を突き合わせた。
クリーチャー系のマスクを被った少女は血糊がついた白いゴシックドレスを纏っており、ローザの血に染まったウェディングドレスと印象が重なる。
そんな状況でローザはすまないね、と頭を下げた。
「どうも映研の連中はアタシらの予想よりも随分と鋭いみたいだ。今までアンタのおかげで順調に進めてきたつもりだけど……」
その謝罪にマスクの少女は首を小さく横に振った。大丈夫、と。その自信にローザは背を押された気がした。
「ありがと。それじゃアタシはアンタの演技に便乗させてもらうよ。最後ぐらいは絶叫で締めさせないとね。……精一杯やろう」
それから間もなく。少女は音楽室のピアノを静かに弾き始めた。
本来なら端正なメロディとなるはずの演奏は長年放置されたピアノによって調子の外れた不協和音とされてしまう。
マリィアは廊下を歩きながら顔を顰めた。
「……不気味な音色ね。でも弾いているのがただの人間、しかも悪戯目的の子供なら怖くも何ともないわ」
「ああ。捕まえたらすぐに事情聴取と洒落こもう。ところでフリーデ、カメラは回しているか?」
トリプルJが振り向くとフリーデがカメラの乗った台車を押しながら頷いた。
「決定的な瞬間をおさえてみせる。ここまで我々の撮影に横槍を入れてきたのだ。……逃がしはせんよ」
こうして音楽室に近づいていくと――ピアノの音色が徐々に高くなり。
「映研だ! 先客さんよ、ここで撮影させてもらうぜ!!」
威勢よく啖呵をきってトリプルJが扉を開け放った瞬間。
――バァアアアン!
ピアノに血まみれの指が叩きつけられた。耳を引き裂くような暴力的な音に誰もが言葉を失う。
そして――少女はぎこちない動きで椅子から立ち上がると、無言で映研に向かって歩み始めた。
「あのですねぇ、もう皆わかってるんですよぅ。あなた達はお化けじゃなくて、私達に意図的に意地悪をしているグループなんだって。どうしてこんなことをするんですかぁ?」
ハナが怒りを抑えた声で問うも、少女は黙ったまま手を突き出す。その手は血まみれで見るからに痛々しいが、作り物と分かっていれば怖くはない。
「事情をきちんと話してくれればそれでいいんです。僕だって……本当はこういうの使いたくないし。ところで昼に僕らを脅かしたのは君ですか? 血まみれの白い服、僕のお嫁さんが見てとても怖い思いをしたんですよ?」
正直に言ってくれ、女子相手には撃ちたくない、とトイガンの銃口を下に向けるアルマ。フリーデはその様子をどこか安心したように見つめた。
しかしそこで――それまで伏せられていた少女の顔ががばっと上に向けられた!
「……っ!」
ディーナが息を呑む。触手に覆われた、粘液を垂らす怪物の貌の少女。そしてその視線の先。映研部の後方から血まみれの花嫁がたどたどしい足取りで迫ってきた。
「いやはや。諦めが悪いのか、それとも根性があるのかぁ……。いいですよぅ。そっちが話す気がないのなら、こっちにも考えがありますからっ」
咄嗟にハナが少女の腕をとろうとしたその時――廊下からぞぞぞ、と何かがひしめく音がした。
(……なに?)
ローザと少女が想定していなかった音に疑問符を浮かべる。
それは突然――波のように現れた。血塗れのゾンビ集団が東階段から音楽室に向かい殺到してきたのだ。
「……うそ、こんな話聞いていないんですけど……!」
触手の隙間から聞き覚えのある声が響いた。それは先ほど帰宅したはずの央崎 遥華のものだった。
「ふぇ? 遥華さんっ、遥華さんじゃないですかぁ! どうしてこんなことを!?」
ハナが触手を掴むと呆気なく不気味なマスクが剥がれ落ち、馴染みの可憐な顔が現れた。
「あ! えっと……それは……」
気まずそうに目線を反らす遥華。マリィアが得心した様子で吐息を漏らした。
「誰が黒幕かは知らないけれど……あなたが幽霊側のスパイだったのね?」
「……」
「道理で私達の行く場所に都合よく怪奇現象が起きたわけだわ。本当はもっと事情を聞きたかったけど……」
偽物だろうが何だろうが、大勢のゾンビが迫る中でぼんやりとしているわけにはいかない。
「くそっ、ホラーからミステリーに変わったかと思えば今度はゾンビ映画かよ! これ以上付き合ってられるか! 全員撤収!!」
トリプルJの号令に一も二もなく従い階段を駆け下りる映研部。遥華もそれに従い昇降口に駆け込み――外へ出た。
誰もいない夜の校庭には虫の音だけが響く。ゾンビの蠢く音は聞こえず……旧校舎はいつものようにひっそりとしていた。
そこで息を切らせる一行に犬の着ぐるみを着た女性が飲み物をせっせと手渡した。
「皆、オ疲レ様ナノ。只埜君カラ連絡ヲ受ケテ待機シテタンダケド……怪我トカナイ?」
養護教諭のフィー・フローレ(kz0255)ののんびりした声に毒気を抜かれ、崩れ落ちる部員達。
マリィアはすぐに点呼をとり、全員の無事を確認するとようやく……疲れ切ってはいたが、笑顔を見せた。
「央崎さん、詳しいことは後日改めて聞くわ。皆も疲れたことだし、今日はここまで。怪我人が出なかっただけでも御の字よ。……解散」
こうして皆が帰途に就く中で、マリィアとトリプルJは静かに顔を見合わせた。
「責任者だもの、行かなくちゃならないわよね? ……旧校舎の最終確認。教師ってこういうところが面倒なのよねー。念のためまたスマホ用意しなくちゃだわ」
「まぁな。ああ、そうだ。見回りが終わったら今日残った肉は俺が正当報酬としていただくぞ。どんだけ今日苦労させられたことか。……ゾンビがいたら説教してやんないとな」
作り笑顔で軽口をたたきあい、旧校舎に向かうふたり。――しかしゾンビ達は揃って姿を消していたのだった。
こうして一夜の狂乱が終わった頃――遥華はある人物から電話を受けた。
『随分と苦労していたようだったので学園の問題児達を援軍として送らせてもらったよ。あの暴れっぷり、悪くなかっただろう? これで映画の出来も良くなるだろうね』
「あのゾンビの群れはあなたが仕向けたものだったのですね……驚きました」
『ははっ、急拵えだから君も驚いただろう。あの校舎の通用口は見えにくいところにあるからな、難儀せずに済んだ』
「でも撮影半ばから皆さん、色々気づいてました。もしこの作品が公開されるならホラー映画制作ドキュメンタリーになるでしょう」
『……ふむ、それは困ったな。やり過ぎたか……』
それは面白くない、と呟く人物。その言葉に遥華はむしろ口角を吊り上げた。
「ですから今の私の立場を利用して……次は解明編という形で続編を作りたいです。最後の謎を起点にホラーでどこまで攻められるか。生徒会と映研の戦いをドキュメンタリーとして私の手の上で……転がしてみたいんですよ。私、怪奇作品が大好きですから」
すると電話の向こうの人物が高らかに笑った。
『それはいい。私達を、そして映研を望みのままに動かし最高の恐怖を描いてみせろ! 期待しているぞ、遥華』
ええ……ご期待に添えられるよう、努力します。
新たな女帝の誕生を予感させる貌で遥華は電話を切った。
一方、旧校舎では。
「ちょ、待ってよ。あたし何もしてないってば! むしろ皆が勝手に帰って、あたしひとり取り残されてさ。明らかに被害者だっつーの!」
エリザベートがマリィアとトリプルJに挟まれ愛の説教を受けていた。
叩きつけられる言葉も怖いが、何よりも辛いのは――美しくも恐ろしい吸血姫を演じるつもりが、空腹に耐えかねて生肉を食べた可哀想な子にされたしまったこと。
(うう……あたしダサすぎる……。次からは生徒会の定例会、出席しよ……)
すっかりくたびれたゴムの牙を準備室のごみ箱にポイ、と捨ててエリザベートはとぼとぼと帰宅するのだった。
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最終発言 2019/08/18 02:30:22 |